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先月から、隔週で4週間、アドラー心理学にもとづく子育てのプログラム『パセージ』に参加している。アドラー心理学とは、精神科医アルフレッド・アドラー(Alfred Adler, 1870-1937)が開発した心理学理論で、アドラーは、20世紀のはじめごろ、オーストリアのウィーンで、フロイト(Sigmund Freud)やユング(Karl Jung)と共同で研究して、臨床心理学を打ち立てた。フロイトやユングが心の深層に関心を持ったのに対して、アドラーは人と人との関係に関心を持った。『パセージ』では、子どもを勇気づけることや子育ての目標を点検しながら、不適切な行動に注目しないことや不適切と思える行動の中の適切な側面をみつけるということで、子どもの行動のほとんどが、不適切でなくなった。自分の子どもがいかに不適切であるかと話すとき、話されるそのほとんどが、親の意見であり、事実ではないことがわかる。意見は、一生に一度、言うくらいの決心を持つことは、なるほどと思う。いつもいつも同じ小言ばかり聞かされてもその行動をやめようとはしないだろう。 アドラー心理学と出会ったのは、4年前、PTAで参加した家庭教育講演会で、岸見一郎氏の講演を聴いてからだった。思春期の嵐の中にいた娘との関係に悩み、アドラーの本を読み、学んだ。実践してもすぐには、効果はわからないものだが、ゆっくりと確実に私と娘の関係はよくなった。以前の私は、娘から言わせると、教師のようで、アドラー心理学を学んだ私は、グルメリポーターだと言って笑った。グルメリポーターは、自分の意見を述べるけど、無理やり食べさせたりはしない。 再来週で、『パセージ』が終わる。14人のメンバーで学んだ仲間がいる。アドラー心理学は、学問であり、終わりはない。ここで、知り合った方々とは、これからもどこかでお会いできるだろう。岡山から来られていたTさん。今日は、彼女と彼女の夫さんとの23回目の結婚記念日。おめでとう。 写真は、シルクフラワーで作った壁飾り。
2008年03月31日
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Yさんが、逝かれた。癌の末期状態で退院し、在宅療養を選ばれた。訪問看護を開始して、3週間、Yさんのご家族もYさんも優しく丁寧に一日、一日を大切に共に過ごされた。「今日は、モモ(仮名)の誕生日だったんです。誕生日がくるたびに思い出す。」と、Yさんの息子さんが、娘のモモちゃんを抱いて、涙される。 「お誕生日が来るたびに、思い出してもらえる。おじいちゃんは、モモちゃんのお誕生日を選んで、逝かれたのかもしれませんね。」 息子さんは、うなずきながら、モモちゃんをYさんのベッドの横のベッドにそっと寝かせた。Yさんの孫のモモちゃんは、今日で7歳になった。 「何を着て逝くかを父と相談していたんです。着物がいいか、袴がいいか、スーツにするかって、おしゃれな人でしたから、このダブルのスーツを着せてください。」 Yさんは、新しい下着とクリーニングからおろしたてのYシャツにネクタイをして、紺のダブルのスーツをきた。ひげもそって、メガネもかけた。ただ、目を閉じて、休んでいるようにみえる。今にも目を開きそう。いつの間にか、モモちゃんが、目を覚まし、Yさんのベッドの足もとに立っていた。モモちゃんが、私に話かける。 「ねえ、おじいちゃんは、どうして、こんな格好をするの?」 「おじいちゃんは、今からおでかけなのよ。」 「おでかけ?」 「そう、今からお出かけするから、旅じたくなの。おでかけしたら、もう会えないから、モモちゃん、おじいちゃんのお顔をよーくみておこうね。」 「うん。私、おじいちゃんのお顔を絵に書いておく。」 モモちゃんは、紙と鉛筆を持ってきて、Yさんの顔の横で、絵を描き始めた。顔を覆う白いサテンの掛布は、Yさんの左胸の上にチーフのようにしてはさんで、あとで、掛けていただくようにした。 7歳になったばかりのモモちゃんは、死をどんな風に感じているのだろう。
2008年03月30日
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24時間緊急連絡体制をとっているので、交代で訪問看護の携帯電話を持って夜の呼び出しにも応じている。普段は、ほとんど、緊急電話が鳴ることはないのだが、容態が変わりやすい方のあるときには、まるで、夜勤をしているよう。傍から見ると大変そうに見えるけど、これが訪問看護の醍醐味とも思える。 26日は、緊急電話の対応で、21時半から23時半まで、吐き気と発熱のあったYさんの緩和ケアの訪問看護をして帰宅。入浴して、日付が変わり27日の0時すぎ、ベッドに入ったと思ったら、Tさんからの電話。「もう、30分も呼吸が苦しくて、どんなにしても楽にならなくて、眠れそうにないんです。」と、ご家族から電話。電話の向こうで、ヒューヒューという呼吸音が聞こえてくる。苦しそうにされているTさんのお顔が目に浮かぶ。すぐに訪問。夜は、信号も点滅で、車の通りもほとんどないので、ものすごく早い。訪問すると、呼吸の音は、少し小さくなっておられた。「不思議なのよ。Kubotaさんが、来られるっていったら、とたんに、楽になったの。」呼吸困難は、死をイメージするほどの恐怖であり、不安感が強い。ささやかではあるが、訪問看護が、Tさんの不安の緩和に貢献できたのなら嬉しい。 血圧、体温、脈拍、血中の酸素濃度を測定し、呼吸の音を確認した。気管支が狭くなった音がしている。体の位置を整えた、呼吸困難は軽減したとはいえ、まだ続いていて、眠れそうにないので、主治医に相談し、手持ちの吸入をして、あらかじめ用意していた薬を点滴の中に混入の指示を受けた。一時間ほどの訪問で、呼吸困難は改善され、表情も穏やかになられた。帰宅したのは、27日午前1時45分だった。 28日の深夜、3時半に緊急電話。ドキッとする。Tさんの点滴が落ちなくなったとのこと。Tさんのお体の調子はよいとのことなので、ご家族に点滴を止めていただき、早朝、7時に家を出て、訪問した。ところが、なかなか血管の確保ができない。予備にあった針も使い、あと、一本になってしまった。1時間、トライして、いくらなんでもTさんに負担がかかるので、主治医に連絡した。連絡をしながら、Tさんをみると、Tさんは、ご自分の右腕をごしごしとしごいている。・・・・Tさんは、まだ、やる気なんだ・・・・・ Tさんの右腕にかすかに盛り上がった畝ができた。・・・・もう一回だけ、やってみよう・・・入りますように・・・・ 盛り上げた畝を崩さないように横の方から針を刺す。真赤な命の水が流れ出す。「はいった。Tさんが、しごいてくださったおかげで、入りました。ありがとう。私が下手でごめんなさいね。痛かったでしょう?」「いや、ちっとも痛うないよ。先生もいつも難儀しとるから。」と、Tさんは、笑顔で言われる。 Tさんとご家族と私とひとつになって、喜んだ。気持ちのいい朝になった。そのあと、もう一度、主治医に電話。先生も喜んで、みんなが嬉しい朝になった。 先月の末、Tさんの家の庭に咲いてた福寿草。
2008年03月28日
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このごろは、私のSkypeが、オンラインになっていても娘から電話がかかることがなく、日曜日には、こちらから、Skypeすると、今は、映画をみているから、1時間後に電話してって、英語でチャットが入るので驚く(@_@;)。。。日本語を時々、忘れるらしい。パソコンに文字をいれるときは、英語の方が容易いと話すので、これまた驚いた。それでも、英語を話すことができないと言う。 今日もお昼すぎに、Skypeすると、宿題ができてないから勉強していたようで、起きていた。新しいホストファミリーとも、うまくやっていて、毎日が楽しいみたい。「帰りたくないな~。って、言ったら、ママは困るでしょ?」と、笑う。困りはしないけど、淋しいよ。離れていても気持ちはそばにいるけど、やっぱり帰ってくるのを待っているのだから。 昨日は、日本の高校の終業式で、担任の先生に娘から送られた報告書を渡し、近況報告して、来年のことなどを懇談してきた。クラスでTシャツを作ったのでと、娘のTシャツをいただいた。「子どもたちがお揃いでTシャツを作りたいっていうから、作ったんですよ。背中にクラスのみんなのニックネームが入っているんですよ。みんないい子たちですよ。」と、担任の先生は、目を細める。ちゃんと、娘の名も入っている。娘から時々、聞いていたニックネーム・・・先生のニックネームも娘の言う言葉そのまま。なんかいいな。 Skypeで、娘にTシャツをみせた。背中のみんなの名前を読み上げてほしいという。「みんな、いてるわ。」 みんな待ってるよ。 帰りたくない幸せと帰るところのある幸せ。なんと贅沢な幸せだこと。
2008年03月20日
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昨日は、息子の終業式だった。夜にダイニングのテーブルの上に黙って、成績表が置いてあった。それに気がついたのは、息子が二階の自分の部屋に戻って眠ってしまってからだった。これまで、学期ごとに三者懇談があり、成績表をいただいていたが、このたび初めて、懇談の前にいただいた。特進1のクラスは、平均点も高く、その中でなんとかがんばってきた息子の結果がそこにあった。まあ・・・これは喜んでみせられるものではないと息子も思っているからか、事前の策として、自分が眠ったあとから私が見るようにしたのだろう。何もいわないと決心しているんだけど、言ってしまうかもしれないから、助かった。 今日は、午前中、三者懇談。成績は昨日、見ているのでわかっているが、今日は来年度のクラス編成がわかる。来年度も特進1のままでいれるといいんだけど、息子は学校が近くなってくるとだんだんに口数が少なくなってきて、緊張しはじめた。「嫌やな~。」を連発。まるで、合格発表を見に行く受験生の気分。考えてもしかたないから、決められたところで、またがんばるしかないんだけどね。私は、そわそわしている息子を横目にみて、ちょっと楽しんでいる。一緒にどうしようって思わず、観察してると息子の気持ちがとてもよくわかる。 結果は、来年度もなんとか特進1のクラスに入った。息子の第一声、「よかった」。 その様子をみていた担任の先生は、すぐさま、息子に言った。「特進1に入るために勉強するんじゃない。高校3年になったとき、いい大学に入るということが目標でもない。その時、君が特進1のクラスで頑張れてよかった。自分の希望の進路に進めることができてよかったと思えることが大事。あの時、特進2にしてゆっくり勉強しておけばよかったと後悔してほしくない。3年生になっても、担任が変わっても、どの先生も信じてがんばってください。」 帰り道・・・先生の言ったことを振り返っていて息子が言った。「後悔はしないし。」「そうか。後悔はしないね。自分で決めたことだもの。」「うん。」
2008年03月19日
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息子は、3月11日火曜日から、4泊5日で、長野県にスキー学舎に行って、今日、帰宅した。学校をバスで朝、出発し約8時間かけて、ホテルに到着。スキーウエアもブーツもスキー用品は、全てレンタル。ゴーグルや帽子、手袋などは、新品で使用後は持ち帰るので、荷物は、アンダーウエアと下着、パジャマ、ホテルで過ごす服。大きな荷物は、前日までに宅配することもできたが、本人は持っていくというので、持って行った。けれども、帰りはうまく詰められないかもしれないから、送ってもいいかというので、息子の判断に任せたが、結局、持って帰ってきた。 まる3日間、スキーの実技指導を受けるわけだから、滑れるようになったに違いない。私は足を不自由にしたので、スキーをすることができないので、息子を連れていくことがない。学校でこんな体験をさせていただけるのは、とても嬉しい。少し、日焼けした頬。5日ぶりにみた息子は、またひと回り大きくなったように思う。かなり疲れているようで、ものすごく早く眠ってしまった。感想やら、色々ときいてみたいのだが、今夜はそっとしておこう。 中高一貫なので、修学旅行は、高校になってからにしかない。その代わり、中学1年の夏学舎、2年のスキー学舎がある。他の学校はどうなのかしら?
2008年03月15日
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昨日は、娘の誕生日。17歳になった。カナダは、今日から、サマータイムになったらしく、14時間の時差が、13時間に減った。朝、パソコンを開いても、スカイプは、オフラインになっている。夕方になって、パソコンをひらくと、娘もオンラインになっていたので、スカイプを使って、「おめでとう」を伝えた。私も昼間、でかけていて、時差のために、なかなか連絡がとれないためか、眠れなかったという。 お誕生日には、ホストマザーの配慮で、近くに住む日本人留学生を招いて、娘の大好きなチーズケーキで、お祝をしてくださったそうだ。ペンダントとカナダのロゴの入った、布の袋とノートをプレゼントしていただいたとみせてくれる。私が嬉しかったのは、プレゼントもだが、ホストマザーの姉妹や、両親、娘を子どもとしたら、叔母さんや祖父母からのお誕生日カードだ。娘を我が子のように扱ってくださっているホストに感謝。 娘のESLのクラスに新しい留学生が、きた。韓国人の女の子で、娘と同じ年。彼女は、英語がまだ話せないのか、何も話をしないという。前のホームステイで一緒だった韓国人留学生が間に入って、一緒にランチを食べて、少し話をしたという。英語は、あんんまり話せなくて、単語だけど、日本語を少し、話すという。娘は韓国語の単語を覚えたみたいで、二人は、片言の英語と日本語と韓国語で会話しているという。「学校で、新しいお友だちができるような気がする。」と、ホストマザーに言うと、マザーは、早速に、その留学生と休暇中に会えるように手配をしてくれたという。8日から、1週間、娘の学校は、休暇になるので、その間に娘が充実した日々を過ごせるようにと配慮してくださったのだろう。娘が、ホストマザーに自分の気持ちや学校での出来事を話していることが嬉しい。ホストマザーが娘の話をよく聴いてくださっていることにも感謝だ。 「帰りたくなくなっっちゃた。あと、3か月だよ。早いな~。あのね、数学の先生がね。英語が、話せなくても、大丈夫やて。1年くらいでは、話せるようにならへんって、だから、英語が話せなくても気にすることはないって。大学になってもまた、留学したいな。ねえ、ママ、うちにも留学生のホームステイをしてもらおうよ。ここの家の人みたいに、ママだって、仕事してたってホストマザーになれるよ。」 変わるものだな。。。。あんなに泣いていた娘が、帰りたくないと言っている。そして、帰国したら、自分がしていただいたように、留学生を迎えたいという。しかも、こんなにさりげなく、私を勇気つける。こんなに素敵な娘だったんだ・・・って、今まで気がつかなかった。あと、3か月だけど、素敵な17歳のカナダを楽しんでほしい。
2008年03月09日
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ハナ(仮名)さんは、88歳。認知症状があって、薬を飲んだり、食事をしたりしたことを忘れてしまう。お話していると、とても凛とされていて、訪問看護では、血圧を計り、お食事の状態や排せつの状態をきいて、お薬を飲んでおられるのか、確認して、お体の状態を尋ねる。あとは、ハナさんが、一番輝いていたころのお話に耳を傾ける。「私がね。お勤めしてたころ、出勤簿をつけていたんだけど、遅れてきた人の時計と、私の時計があっていないって、いう人がいるのよ。確かに、人によって、時計は違うことは考えられるわね。それで、電話の時報があるでしょ?その時報を放送で流して、みんなを平等にしたのよ。もう、文句をいう人は、いなくなっちゃたわよ。」「今では、タイムカードがありますが、そのころは、出勤簿をつけていたのですね。」「そう。それでね。私はね、とっても厳しい、うるさいオバサンって言われてたのよ。でもね、みんなのことは、ちゃんと考えていたのよ。あるときね。妊婦さんが、大きなおなかで、走ってきたの。私は、走らないでいいから、歩いてきなさいって大声で、言ったのよ。それでね、彼女は、歩いてきて、遅刻したんだけど、どうしたと思う?」「おまけしてあげたんですか?」「おまけなんかしないわよ。私は、彼女にこう言ったの。『あと、5分早く来なさい。そしたら、走らなくてもいいでしょ?あなたのあかちゃんのためにあと5分早く起きなさい。』ってね。」「そうですね。妊婦さんだからって、おまけしてあげるというのではなく、赤ちゃんのために、お母さんがしなくてはならないことを教えてさしあげたんですね。」「ケチなオバサンって思ったかもしれないけど、その後、彼女の子どもが病気になっっちゃたのよ。レンコンがいいというもんだから、あちこち探して、レンコンを手に入れたから、彼女にあげると、喜んだわよ。今も年賀状が来るわよ。あのときは、ありがとうって。」 素敵な話は、忘れない。認知症だということを忘れてしまうほどに素敵な話だと思った。人の優しさってなんだろうって、考えさせられるようなハナさんのお話。
2008年03月07日
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「三年になったら、やっぱり、標準クラスになろうかな。」 「まあ、どうして?」 「だって、クラブに出れへんもん。補習講義があるから、いつも出れないし、三年になったら、宿題も、もっと増えるやろ?それか、クラブをやめようかな。」 「そうか、先輩はどうしてるの?」 「三年は、みんな標準だから。」 「他のクラブの人は、どうなの?」 「サッカー部とかは、遅れてでもできるけど、ゴルフ部は、練習場まで走るから、遅れたら、もうダメだもん。」 「今、特進クラスのゴルフ部のおともだちは、どうしてるの?」 「幽霊部員やし。そんなん嫌やねん。クラブしてるからには、ちゃんと参加したいねん。運動会でも行進とかあるやん。でもな、参加してないのに、行進するの嫌やねん。」 昨日の朝、息子を駅に送っていく車の中で、息子が私に話してくれた悩み。私に相談したところで、何も解決はしないのだけれども、自分の気持ちを確かめるように話す。私は、彼の話に耳を傾ける。決して、私の意見を言わないように・・・。彼の気持ちを話せるように言葉をかけた。彼の気持ちがよくわかる。容易く、親が意見を言わないほうがいいと思う。クラブを続けるか、どうかは、息子の課題。よ~く考えて自分で決めてほしい。
2008年03月04日
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2月にホストチェンジをして1か月がすぎた。私のパソコンの調子が悪くて、Skypeができなかったので、先週、思い切って、新しいパソコンを購入した。今日は、久し振りにSkypeで長く娘と話すことになった。 カナダは、比較的暖かくて、マイナス10度くらいだという。近くにショッピングモールがあって、便利で、カナダで人気のブランドの服とか靴を買ったと見せてくれる。セールをしていて、半額で購入したとか、お買いものを楽しんでいるようだ。今度のホストファミリーは、クリスチャンで、日曜日の朝は、教会にいき、夕食の前には、そろってお祈りをするのだそうだ。映画の中でしかみたことがなかったけど、娘も一緒にお祈りしていりとのこと。教会にも連れていってもらっていて、そこで、日本に10年住んだことのあるというカナダ人の年配の方と知り合って、日本語の新約聖書をいただいたそうだ。 学校までは、バスで50分くらいかかり、1時間に2本しかないので、毎日、遅刻だという。新学期になったので、新たに教科を選択した。数学は、グレードをあげ、大学受験用にしたけど、大丈夫と自信たっぷり。でも、社会は、グレードを上げて、世界史をとったら、自分で調べて、プレゼンするとか、英語ができない娘には、超難しくて、パスできるかどうか不安だという。音楽は、楽器演奏を学ぶので、トランペットのマウスピースを吹いてみせてくれた。ESL(英語)は、前学期のメンバーとほとんど変わらずで、仲良くなったスペイン人の友達も一緒で楽しいと喜んでいる。 ホストマザーは、娘に英語を教えてくれるという。とても優しくて、お料理もおいしい。お手伝いがなかなかできないけど、娘は、自分の部屋と使わせていただいているプライベートバスルームは、いつもきれいに掃除をしているという。そうそう、今度のホームには、プライベートのバスルームにバスタブのあることをとても喜んでいる。先日、カナダにきて初めて、お湯をためて入ったら、ものすごく気持ちがよかったという。 ともかく、ご機嫌で、いろんな話をしてくれる。カナダでは、日本人とも話をすることもなく、英語で話すのはめんどうで・・・それでも人が話すのは半分くらいはわかるようになってきたという。少ないけれども友人の悩みをきいたりしているので驚く。「それなら、聴き上手になったのね。」「うん。だいぶ。」 娘は、カナダに行って寡黙になって、人の話がよく聴けるようになった。国によって、いろいろな習慣があって、人によって価値観が違うということも気がついている。素敵なことだと思う。
2008年03月02日
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