私の住んでいる所では時々「紙芝居祭り」がある。
いろんなところから、多くの人が集まってくる。同好の仲間は多いのである。
地域の民話やアンパンマンなどの漫画、広島カープの苦難の歴史などを漫画化している。
今は音響効果も入れてとても派手になってきている。滑舌は無声映画の弁士並みである。
紙芝居も絵も綺麗だし、話の組み立てもとてもよくできている。
私は時々「紙芝居祭り」に呼ばれて、 日本昔話や広島カープの応援歌をアルトサックスで演奏する。
あるいは、子供向けにアンパンマンのマーチや昔懐かしい金色夜叉の曲を演奏したりすることもある。
広島カープの紙芝居は、資金難で樽募金をした苦難の歴史などを面白おかしく紹介している。
悲願の初優勝を果たした時の紙芝居は見ている人たちの涙を誘う。
「紙芝居祭り」に参加していて思ったのだが、「森田療法誕生秘話」「人間森田正馬の一生」などを紙芝居にして、心の健康セミナーなどで上演するというのはどうだろうか。
一般の人に森田に興味を持ってもらうための有効なツールになるかもしれない。
あるいはYouTubeにアップする。森田療法の認知度は高まるのではないだろうか。
そのためには、紙芝居を15枚から20枚ぐらい作らないといけない。
専門家に聞いてみたところ、紙芝居の絵は大きさにもよるが、最低でも1枚1万円だそうだ。
それを虫のいい話だが、格安で作ってくれる人はいないだろうか。
そのためにはまずはストーリーを考えなくてはならない。
先生のエピソードを森田理論と絡めて紹介するのも面白そうだ。
森田先生の一生を紹介する紙芝居はどんなストーリーがいよいだろうか。
次のようなエピソードはぜひ紹介したいものだ。
・近くの寺で地獄・極楽の絵画を見てから、死の恐怖を意識して悪夢を見るようになった。
・ 13歳の頃、頭痛で悩まされた。 15歳の時、心臓が悪いと病院に通院していた。
のちに不安神経症と分かった。
・ 18歳の時、脚気にかかる。 20歳の時、腸チフスにかかる。また、心悸亢進発作を起こしている。
・ 23歳の時、坐骨神経痛のため、鍼灸、温泉転地治療法をしたが治らなかった。後に神経性のものであったと分かった。
・ 25歳の時、東京帝国大学の医学部に入学した。この年、大学の医師の診察を受け、 「神経衰弱兼脚気」の診察を受け、治療を続けたが一向に良くならなかった。田舎からの仕送りが途絶え、やぶれかぶれになって進級試験に取り組んだところ、進級できたばかりか症状そのものもよくなった。この体験が森田療法誕生のきっかけとなった。
・ 29歳の時医師免許を取得している。この年に右肺尖に硬結が発見された。
これが後年、彼の命を奪う肺結核の兆候であった。
・ 1919年45歳の時、巣鴨病院永松看護長が神経衰弱で悩んでいたの自宅に引き取り軽快させた。
この年は森田療法確立の年とされている。これ以降、神経症患者を自宅に入院させ治療するようになった。
・ 46歳の時、血便があり、発熱が続き、しばらくお粥しか食べられなかった。
痩せて本人も家族も死を予感した。
・ 50歳の時、血痰を見た。肺結核が進行していた。
・ 51歳の時喀血。肺結核静養の為、高知に帰郷している。
・ 52歳の時、 肋膜炎で2か月間病気療養している。
・ 56歳の時、一人息子の正一郎君が肺結核で死亡。
・ 57歳の時、喘息が悪化する。階段を登ることもできなくなる。
・ 61歳の時、妻久亥さん脳溢血で死亡。
・ 63歳の時、赤痢を発症。
・ 64歳の時、母亀女死亡。森田正馬先生肺炎にて逝去。
病気ばかりではなく、入院患者とのやり取りのほうが面白いかもしれない。
どなたか絵の上手な人はおられないだろうか。
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