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「蘇州旅情2-25」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。 宋以後は寒山寺は盛況であり皆の誇りだった。だが1366年張士誠と朱元璋の間の戦闘により焼失してしまっていた。明朝ぼ初めの1369年に恵貞により再建されたがそののち火災によって再び焼失してしまった。1436年に王況鐘が寒山寺を再建し本寂が吊り鐘を鋳造したが、1618年に再び火災に遭って遭ってしまうことになる。宋代976年の太平興国初年には、節度使の孫承祐によって7層の仏塔が建てられた。「中国の旅」
2011.09.30
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「蘇州旅情2-24」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。寒山寺は、1500年の歴史がある。中国では南北朝時代で武帝の時代に創建され寒山寺の寺名は唐代に改名された。630年頃に寒山が草庵を結んだ事に由来。8世紀の頃、張継が「楓橋夜泊」を詠んだ。寒山寺の全盛期の面積は広大であった。「馬に乗って山門を見る」ほど広かった。その昔は、蘇州を訪れる旅行者の多くはまず寒山寺を参詣してから蘇州の街に入った。寒山寺の歴史を見ると中国の歴史を見るようで何とも興味深いものがある。 「中国の旅」
2011.09.29
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「蘇州旅情2-23」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。蘇州絹織物展示場と土産物売り場では結局は何も購入しなかった。始めての旅行時には沢山の土産物を買っては重たい思いをしながら帰ったものだったが、土産物を頂く立場の人々は何となく不満げである。土産物を購入する方としては予算を考え土産物を買うのであるが最終的に重たい買い物になってしまう。だが帰宅し近所の人達に手渡すと小さなものになってしまうのでこれだけ?と本音が出るのかも知れない。写真は寒山寺前の運河から撮影した。「中国の旅」
2011.09.28
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「蘇州旅情2-22」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。絹の糸で織られた布地に綺麗な刺繍が施されており、色んな枠に収められていた。値段を確認すると結構な高値が付けられ手作りの良さと相まって新婚の部屋に飾るには良い雰囲気などと思った。椅子の背もたれのところに入れられ人が腰を掛けると、折角の刺繍が隠れてしまい勿体無いとも思った。刺繍が痛まないようにプラスティックでカバーがしてあり贅沢な家具の一品である。「中国の旅」
2011.09.27
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「蘇州旅情2-21」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。蚕の繭から紡いだ絹糸で織られた商品が展示されており店員目を盗んでは撮影した。カラフルなスカーフが並べられており旅行者からは評判が良く買う人も多かった。中国の白酒を入れる綿入れの袋の置物まで造られており、買って行く中国人の女性に「プレゼントですか?」と質問したところ自分の部屋に飾るために買ったと応えた。中国の女性も酒が強い人や全く飲めない人と日本と変わらない。ただアルコール度数は27度から43度ほどと結構強い。「中国の旅」
2011.09.26
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「蘇州旅情2-20」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。中国での若者の結婚に際しては家を構えて花嫁を迎えるという風習がある。だが、全ての若者が家を持てるかと言うと疑問であるが、私の知っている限りでは皆マンションなり一軒家なり持っている。中国では夫婦共稼ぎというのは常識である。日本の場合、その昔は妻は専業主婦であり中国人は、その時代の日本女性の姿を学習しているのか、日本の女性は良いという。日本へ留学なり仕事なりで来ている中国人は日本の女性の働く姿に新鮮な驚きを見せている。「中国の旅」
2011.09.25
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「蘇州旅情2-19」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。華やかな新婚さんカップルが使うような布団類が現れ、少し爽やかな気分になった。ここでは布団に使われている布地から布団の中の真綿まで蚕の絹の糸から出来ていると説明を受けた。「畳絲被庁」と書かれたフロアに立っていたが「絲」とは絹の事で「被」とは布団の事である。そして絹糸で織られた生地で布団を作らないかと言われたが日本までは大変だからと断ったが日本からのお客さんが沢山買って行かれるとの事。私は兎に角布団は間に合っていると断り続けた。「中国の旅」
2011.09.24
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「蘇州旅情2-18」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。蘇州の絹織物博物館で蚕から糸を紡ぐ所を実演して見せてくれたが、蚕を熱いお湯の中に入れ、暫くすると糸をつかみ機会に掛けると蚕の繭から作られた糸が出てくる。時折、繭からの糸が切れたりするのでつなぎ合わせる作業をして見せてくれた。蚕から絹糸が作られていくパネル紹介や絹糸で出来た商品売り場へ案内されたがやはり営利目的だったかなどと思いながら中へと入った。「中国の旅」
2011.09.23
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「蘇州旅情2-17」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。蘇州の街には小運河が作られており蘇州を訪れたヨーロッパの人達からは「東洋のベニス」などと呼ばれ親しまれている。シルクの展示からシルクの商品を販売する所へ連れて行かれたが、蚕から糸を取り出し巻き付けている所は何度見ても飽きなかった。日本で蚕から糸を取り出している所は映画野麦峠などでも何度も見たが実際に蚕から糸を取り出している所は面白い。真綿も蚕の糸から作られているとこの時初めて知ったが、蚕から糸を紡ぎそのシルクの糸を織って出来た衣類を展示しており絹織物販売店でのイベントである。「中国の旅」
2011.09.22
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「蘇州旅情2-16」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。歴史上の早い時期に中国と西方世界を結ぶ主要な交通路は「シルクロード」だった。だが宋代に入った頃、ラクダに荷を積み陸路を危険と隣り合わせで進むシルクロードより中国の沿海都市を起点とする海洋航路が発達した。海のシルクロードが取り入れられるようになり物を運ぶコストが大幅に下がり更に栄えた。蘇州近郊は河川が多く内陸運河を利用した水運は織物などの工業製品を運ぶだけでなく農産品の運搬にも好都合だった。「中国の旅」
2011.09.21
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「蘇州旅情2-15」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。絹織物歴史館のような所へ入って行った。蘇州は1000年の宋代になると絹織物の産地として繁栄しシルク製品が多く出回る。蘇州のシルクは特産品として人気が高いが1000年程の歴史があるが、木綿の生産も絹織物産業と並び生産も盛んに行われた。10年ほど前までの蘇州の繊維産業は重要な花形の産業だったが世界的恐慌の裏で陰りをみせる。世界的にみても多くの商人が蘇州が最先端の絹製造技術に恩恵をと集まった事は間違いない。経済都市・蘇州が出来た背景には、世界的な物流ルートの再構築という要因もある。蘇州はシルクロードの基点になっていた事もある。「中国の旅」
2011.09.20
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「蘇州旅情2-14」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。蘇州波止場には多くの遊覧船が繋がれていた。遊覧船といっても30人ほどが定員の船である。波止場で船に乗り10分ほど待っているとまだ空き席が大分あるのに船は出発した。遊覧をするというより次の目的地までの連絡船という言い方のほうが似つかわしかった。15分ほどして降りて下さいとメガホンで言われた。船を降りると地元のガイドが待機しており絹織物や製品を販売する土産物屋まで案内された。「中国の旅」
2011.09.19
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「蘇州旅情2-13」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。獅子林は高い塀に囲まれ長い回廊や池があり静かな佇まいを見せてくれるが、こちらも詩を詠む心のゆとりを持って接すると良いが時間から時間へと追われる今は余裕がない。獅子林の茶屋の中でお茶を飲んだが瞬く間に30分が過ぎ去ってしまった感じだった。蘇州埠頭から遊覧船に乗り絹の館へと向った。「中国の旅」
2011.09.18
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「蘇州旅情2-12」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。獅子林が一般公開されたのは修繕された2年後の1954年2月の事だったが元朝に獅子林が出来て実に600年後の事だったが一般市民は無関心だった。写真の石が太湖周辺で採取した太湖石であるが何となく人造石に見えてしかたなかった。1985年には以前蘇州市文化財の管理委員会が使っていた庭園の北東側にある祠堂と一部住宅が蘇州民俗博物館の管理下におかれることになった。「中国の旅」
2011.09.17
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「蘇州旅情2-11」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。獅子林は多くの人の手に渡り変貌を遂げたが最終的には見捨てられ荒れ果ててしまった。1917年に大富豪の貝潤生が獅子林を買いとり大規模な改修を行い殆どの建築物を再建した。再建に当たっては西洋のデザインを参考にした為倪雲林の「獅子林図」の中で描かれていた庭園と比較してみると大きく変わってしまっていた。時代は大きく動き中華民国の時代へと移っていた。獅子林の楼閣の壮大さや雅やかな飾りつけは中華民国時代蘇州の庭園の頂点に立っている。日中戦争で日本軍の占領当初は貴賓館として使われた所も抗日戦争終結後、国民党の軍隊が獅子林に駐屯したことがあり兵士の心を癒した。1952年には市文化財管理委員会は獅子林の東側の貝家の祠堂を事務所として使っており貝潤生の子孫はこの獅子林庭園を国に寄付した。「中国の旅」
2011.09.16
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「蘇州旅情2-10」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。獅子林では当時の文人たちが詩を詠んだり絵を描いたりする景勝地になっていた。だが20年もすると寺の僧侶たちは獅子林から離れ去ったため庭園は豪族に占用されてしまった。その後、獅子林は段々と荒れ果てることになった。明朝万暦の頃に、江盈科が再訪した際嘆き悲しみこの庭園を修繕し、仏殿、経閣、山の門を再建した。清朝の順治5年に、再び修繕をおこない、60年後の康煕42年に、康煕皇帝が南方巡察の際に獅子林を訪れ「獅子寺」の横額揮毫を下賜したという。乾隆の初期に寺と庭園が分割される事となった。庭園に五株の古松があったため「五松園」と称される。乾隆帝弘歴は幾度も獅子林を訪れ倪雲林が描いた「獅子林図」の上に詩を題した事で更に名が広まった。「中国の旅」
2011.09.15
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「蘇州旅情2-9」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。獅子林は、蘇州市園林道通りにあり1963年に江蘇省の文化財保護指定を受け、37年後の2000年に世界文化遺産として登録された。獅子林は宋代の官職別宅であったが1342年に日如禅師のために弟子が出資して家を建てた。明代の洪武の頃には、釈如海がここに住んでいた。洪武6年に画家の倪雲林が獅子林を通りかかった時釈如海に頼まれて「獅子林図」という絵を画いた。話によると獅子林図の絵は台湾に保存されている。如海は違う画家に頼み「獅子林12景図」を描かせそれ以後獅子林の名が知られるようになったという。「中国の旅」
2011.09.14
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「蘇州旅情2-8」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。蘇州市内には八箇所の園林が世界遺産に登録されており、写真の太湖石はその全ての園林に配置されており人気なのだろう。だが写真の獅子林だけは本格的で太湖石を利用した迷路を造り良く考えないと迷ってしまう。獅子林を探索してみると入口の横に出口があり案内の矢印に沿って進まなければ出口に来てしまうので撮影する人は気を付けなければ何度も同じ所を迷ってしまう。初めて獅子林を訪れた人は何処も同じように見えるようで何処にも似たような岩や通路がある。だが見晴らす景観が違っているので実際は迷路に迷い込むという事はない。「中国の旅」
2011.09.13
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「蘇州旅情2-7」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。蘇州庭園へ初めて来たのは1985年の事。獅子林へも来たと思うが記憶に残っていない。2度目に蘇州庭園を訪れたのは16年後の2001年の事であるが仕事の合間に来たので庭園を落ち着いて鑑賞するほどではなかった。上海に住むようになってからは列車で50分ほどの時間で来れるので結構庭園を訪れるようになった。獅子林の回廊から庭園を見ると石灰岩で出来た太湖石が配置されているが岩肌は長い年月に侵食され深いシワのように見えるがマッチしている。太湖石の風貌は美しいと形容出来るがむしろ奇怪な感じを受ける。蘇州の人達は自分の庭にも太湖石を置いているようであるが岩とはまた違った趣が感じられ長い間眺めていても飽きない。 「中国の旅」
2011.09.12
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「蘇州旅情2-6」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。蘇州庭園の中に留園と呼ぶ世界遺産の庭園があるが、留園にある太湖石は4箇所の庭園最大で6.5mの高さがある。獅子林にある太湖石は高さこそ留園にはほど遠いが量的には蘇州庭園の中で最大である。太湖石とは蘇州の太湖周辺の丘陵から切り出される石に穴の多い奇石である。太湖の丘や湖の島は青白い石灰岩で出来ており長年の侵食により石灰岩に多くの穴があいている。 太湖石は中国各地の庭園で鑑賞のために置かれ始めこの太湖石を見た所は北京だったが人工的に造られた石のように感じられた。「中国の旅」
2011.09.11
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「蘇州旅情2-5」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。蘇州四大名園と言えば滄浪亭、獅子林と拙政園、留園の事を指すが獅子林は蘇州四大名園のひとつに数えられる。元代の1342年に造園された庭園と紹介があるが清朝の時代にかなり手が加えられている。獅子林の園内は太湖石で埋め尽くされ通路は迷路のようにも感じられる。獅子林は獅子の名前のとおり園内には獅子の形に似た岩が沢山あるが実際の所長い時間眺めていて、何となく獅子に似ているかなと感じる程度である。「中国の旅」
2011.09.10
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「蘇州旅情2-4」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。獅子林庭園に入りまず目に入るのは石である。石と言っても一般の石ではなく太湖周辺で採取した「太湖石」で築山にした公園である。獅子林には東屋や回廊が多く造られている。その建物は蘇州庭園の水や橋で輝きを増している。 獅子林の築山の洞窟の天井が低く子供たちが遊ぶには丁度良いかも知れないが大人が子供たちの後を同じように追って遊歩ならば怪我をし兼ねないほど狭く低い洞窟である。獅子林は元王朝の時代に造営されたもので700年程前に造られ蘇州の四大名園の一つである。「中国の旅」
2011.09.09
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「蘇州旅情2-3」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。写真の蘇州庭園は拙政園のすぐ南側の獅子林と呼び蘇州四大庭園の一つである。1342年の元代に高僧天如禅師のために弟子が禅式の庭園を築造したのが獅子林である。獅子林とは禅師が浙江省の天目山の獅子崖で修行し如来の仏典の獅子吼から獅子林と名付けた。獅子林内には花崗岩の奇石や太湖石が林立し太湖石を積み重ねて作った築山は狭く気を付けないと頭を打ちそうな洞窟となっている。獅子林は別名「築山王国」とも呼ばれる。清朝の康煕皇帝と乾隆皇帝は南方巡回の際数回にわたり獅子林を訪れ北京の円明園や避暑山荘に獅子林を真似て太湖石の築山を作らせその史実が一躍天下に知られ獅子林の名が広まった。 「中国の旅」
2011.09.08
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「蘇州旅情2-2」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。蘇州の園林へは多くの観光客が訪れる。日本からの観光客も多いため通訳が重宝されており、庭園のあちらこちらで日本語が飛び交っている光景が見られる。拙政園や留園また網師園などは1997年に世界遺産となり拙政園(zhuozhengyuan)と留園(liuyuan)は中国四大名園に数えられる。広大な拙政園は池がその約6割を占めている。「中国の旅」
2011.09.07
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「蘇州旅情2-1」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「蘇州」の写真を公開しています。中国には「上有天堂、下有蘇杭」という言葉があるが蘇州と杭州の事を指しおり天に楽園あれば、地に蘇州と杭州があると言う意味に捉えれば良いが中には蘇州だけを指して言った言葉であると豪語する人もある。上海から蘇州までは列車で40分ほどの距離である。車でなら上海から1時間半のところにある。蘇州には運河が張り巡らされていることから「水の都」とか「東洋のベニス」などと呼ばれている。蘇州へは6回ほど観光したが、四季折々の風情が楽しめる街でもあり紀元前6世紀頃からの歴史があり古典庭園は世界遺産に指定されている。「中国の旅」
2011.09.06
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「七宝古鎮15」 「中国写真ライフ」では、上海「七宝古鎮」の写真を公開しています。七宝古鎮の写真もこのページで最終である。写真は七宝老街と書かれた大門入口である。その七宝楼と大門の間の広場では軽快なリズムに合わせダンスが行われていた。日本で言う所の町内自治会婦人部の皆が朝の時間を利用しダンスの練習をしながら来るダンスの発表会へ向けて頑張っている。暫しの間、彼女らの練習振りを見ていたが必ずと言って良いほどリーダー格の人がいてミュージックを止めて違う違うと言っている姿やこの分では、貴女をチームから外しますよとこの風景は日本も中国も変わらない情景である。次回から蘇州・周庄・無錫の写真を公開したい。「中国の旅」
2011.09.05
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「七宝古鎮14」 「中国写真ライフ」では、上海「七宝古鎮」の写真を公開しています。朝の七宝古鎮の人通りは少なく老街を歩いていても観光客には出会わない。七宝古鎮の人気はやはり日中より夜に人気が集中しており朝の出発は遅い。七宝古鎮の運河に架かる唐橋付近には夕方7時過ぎともなれば観光客で賑わう。だが写真のように地元の人とすれ違う程で静まり返った佇まいの空間が前方に広がる。七宝老街の通りも店はまだ開いてなく通りを歩く人々の姿も仕事に向う格好である。通りに捨てられた紙くずなどのゴミは綺麗に朝のうちから清掃されていた。「中国の旅」
2011.09.03
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「七宝古鎮13」 「中国写真ライフ」では、上海「七宝古鎮」の写真を公開しています。七宝古鎮で撮影をしながら歩いていると時間を忘れてしまうほどである。朝5時半に古鎮の橋の上に立ち日の出を撮影したのが6時ごろの時間だった。写真の撮影した時刻は定かではないが午前9時を回っていたと思うので3時間以上古鎮の周りを歩いている事になる。川沿いの道から昨夜の橋を撮影した。昨夜は大勢の観光客が橋の上を往来しておりその橋の中心位置に写真屋さんが撮影をするため観光客を呼び込んでいた。橋の上から撮影した写真であるが遊覧船など昨夜の綺麗な灯りが点かないと何となく寂れた雰囲気を醸し出している。橋を渡りきり対岸の店先から川越しに対岸の古鎮の店並みを撮影したが写真の左上に見えるマンションは12階建てで多くの上海市民のベットタウンとして更に建設が進む。1000年以上の古鎮の街並みがマンションにより撮影してより興ざめだが古い物と新しい物との融合を譲り合いながら共存する時代でもある。「中国の旅」
2011.09.02
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「七宝古鎮12」 「中国写真ライフ」では、上海「七宝古鎮」の写真を公開しています。以前中国人から時間のあるとき是非に七宝古鎮へ行って来て下さい観光として上海の人は良く知っているが穴場だと聞いていた。2年越しの思いがやっと実現して何とも言えない後味の悪い思い出を作ってしまったと思い、その事を紹介してくれた中国人に告げた。まずは残念だったねなどの慰めの言葉が聞へれるのかなと期待もしたが思いっきり笑われてしまった。あれ程スリには注意と付け加えたのにマニュアル通りにスリに遭うとはとビールの瓶を持ちながらも笑っていた。七宝古鎮の老街では道幅が狭い分スリも多く特に貴方のような日本人は標的の的で多くの日本人がスリに遭っているとも話した。私の場合は路上でのスリに出くわしたのではなく店で団子を買う列に並んでいてスリに遭ってなんと鈍感な日本人だろうと笑われた。中国人7人と私1人で食事をしたが大いに盛り上がり、今日は私たちがご馳走すると笑いながらレジで清算をしている中国人の横顔が今も時々思い出されては情けなく思った。古鎮の建物は1000年以上の長い歴史をもちその古鎮を守り育てている古鎮の暮らしはストレスなど全く感じる事無く生活が出来るそうだ。「中国の旅」
2011.09.01
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