今が生死

今が生死

2021.04.03
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カテゴリ: 読書


作家の小池真理子さんが今朝の新聞に「老年期と思春期に違いはない」という一文を載せていた。
そう感じたのは小池さんの夫、藤田宣永さんが昨年69歳で亡くなったが、そのことで夫の高校時代からの友人Aさんに電話して話をしてからだという。Aさんはとりたてて趣味もない仕事人間だったが総じて良い人生だったと考えこのまま穏やかに暮らしていくつもりだった。しかし思いがけず高校時代から親しくしてきた友を亡くした。その直後コロナ騒動で社会は不安に駆られている。Aさんにとって藤田の死はあまりに大きくそれから全てが変わってしまったとのことである。
小池さんは人は老いるにしたがって色々な事が楽になっていき、のどかな春の日の午後公園のベンチに座り、ぼんやりと遠くを眺めている老人は皆、人生を超越し、達観しているのだろうと信じていたとのことだ。しかしAさんの悲しみ様をみるとそれはとんでもない誤解だと思った。老年期と思春期には違いはないのだ。生命の輝きも不安も希望も絶望も、研ぎ澄まされて止まない感覚を持て余しながら生きる人々にとっては同じである。老年期の落ち着きは多分殆どの場合見せかけに過ぎず、たいていの人は心の中で思春期だった時と変わらぬどうにもしがたい感受性と日々戦って生きているのではないかと思うようになったとのことである。
生理学の立場からは筋肉力や視力、聴力、調整力など全て年齢と共に衰えていく。判断力や感情なども年齢と共に衰えて脳細胞の再生はないと言われていた。しかし近年、脳細胞は再生や新生があるとの報告がなされた。脳を使い続けることによってその周囲の脳領域の細胞は活性化されたり新生したりするというのだ。
小池さんの文章では神経細胞の働きの結果である感情は老年期と思春期で違いがないのではないかとコメントしている。
一部の神経細胞で再生があったとしても年齢と共に億単位の神経細胞が消滅しており、衰えていくのは自然の理だと思う。今回のケースではAさんは藤田さんの死に対して青年のような反応をしたが大半の老人はボーと受け止めたのではないかと思う。神経細胞は歳と共に年々消滅して減じていくがそれでも思春期と同じ感情が働くことがある。そのような感情は大事にして若さの証明と考えて日々溌溂と生きていくのが良いと考える。





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Last updated  2021.04.03 13:31:23
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