全188件 (188件中 51-100件目)
昨日は、気温が上がって、南空は曇天、北空は晴天と言う天気でした。緊急事態宣言が解除されたこともあり、東京都から神奈川県に行ってみることにしました。そんな気分の人達が多くいて、津久井湖畔は桜が見頃で、驚く様な混雑、駐車場も見つかりません。仕方なく峠を越えて、津久井城山南麓のパークセンターに20分程駐車待ちをして、中腹の内藤氏屋敷跡まで登って来ました。近くの仏果山、高取山の向こうに丹沢山塊も見えて、春らしい景観が楽しめました。パークセンターに戻る途中、城山山頂を望みますと、青い空が広がっていて、新緑の山腹が長閑に拡がっていました。山腹は広いので、結構な人出がありましたが、密集とは程遠い散策を楽しみました。頂上の城跡まで、登る元気が無いのが残念でしたが・・そんな開放気分の人達が多かったのか、コロナウイルス感染者は全国で2000人を越えたと報道されていました!
2021.03.27
コメント(0)
菅首相は全てに歯切れが悪く、性格も根暗に見えて仕方がありませんし、国民目線の見識があるのか疑問に思えてしまいます。コロナ蔓延第3波では、感染者・死者の一途で、私も後期高齢者で混雑する駅前は避け、都外にも出掛けない生活を続けてはいますが、何時羅症するかと不安にもなり、医療が最後の助けになるのだと思わざるを得ません。従って、医療体制の崩壊阻止は喫緊の課題であり、コロナ対策政府予算を設定しただけで、その実施は指示も無く地方自治体に丸投げで良としているのは納得出来ません。今年夏の国民家族への現金付与に対しても同様で、煩雑な申請文書処理はやはり地方自治体任せでしたが、公明党の申し入れにより、全ての国民個人への給付として、自治体での処理を簡便にしたのです。菅自民党の丸投げ政策では、支給を任された自治体も、支援を受ける病院も、煩雑な事務処理で、果たしてスピード感を持って実施出来るのか否か、甚だ疑わしくなってしまいます。犬の遠吠え野党では難局突破は難しく、政権与党としての公明党に再度の調整を期待し、コロナ以外の通常医療が叶わず赤字に悩み疲労困憊に達している病院に対して、病床数に応じた支援額を設定して、事務処理の簡便なみなし支援額を早急に付与し医療崩壊を防ぐガイドラインを設定して頂きたいものです。菅内閣支持率は下落傾向が続き、共同通信の調査で11月から12.7ポイント急落、尚50.3%と過半数の支持を得ているが、コロナウイルス対策を「評価しない」が55.5%に達し、感染対策と経済のどちらを優先すべきかで76.2%が感染対策を挙げていることなど、政府のコロナ対応への不満、批判が支持率を押し下げている。その中でも特に不評なのがGo Toで、何故固執するのか諸説語られるが、「来年夏、コロナが流行していても東京オリンピックはやる。その予行演習が国民総動員で行っている」との見方がある様で、識見の欠如が甚だしい。
2020.12.12
コメント(0)
会社で私にエンジニアとして育てくれた元上司が急逝、それに感謝する言葉も無く、この世から去ってしまいましたのは、とても悔やまれます。中学校でも、授業中私語をしたり、窓から外を見たりしたりして、バケツを下げて立たされる罰を受けることの多かった厄介者であった私を、そのまま受け入れ見守ってくれた恩師も、別れの言葉を掛けることなく、鬼籍に入ってしまってから33年が経過しました。受験テストの成績は良かったのに内申書が劣悪で高校受験に失敗、何とか創立2年目の都立杉並高校の補欠募集に応じて何とか入学出来ましたが、恩師は敢えて何も言いませんでしたが、不詳の生徒を嘆いていたのだと思われます。3年後、東大への現役合格が決まりますと、「快哉!」を叫んで喜んでくれたのです。漸く不詳の生徒が立ち直ったと教師の本懐が成り立ったと思ったことなのでしょう。天気も良いので、恩師の眠る東本願寺ひばりが丘別院を訪問することにしました。管理事務所で、樒(シキミ)とお線香を購入して墓所に向かいます。墓碑には3人の名前が刻まれていて、東京大空襲で21才の奥様が亡くなられておられ、人生の悲哀に遭遇したことで、人に対する優しさを獲得することになったのでしょう。恩師も奥様も10月が命日ですので、娘さん家族が参られている様で、お花が供えられていました。
2020.10.22
コメント(1)
緊急事態宣言が出される中、歩くことも敵わず至って不健康な生活を送ってしまいました。入場制限のあるスーパーへの買い出しを除いて、原則自宅謹慎と言うことで、TV映画「ゴッドファーザー」等を観、PCでもAmazon Primeで多数映画鑑賞しての殆ど穴倉生活の様でした。外の空気を吸い込むのには、庭に出てどんな花が咲いているのかを調べたりする等しかありません。羽衣ジャスミンも綻びだしているのを観賞しましたし、満開の姫ライラックも花瓶に挿して仏壇に供えたりしたのですが、何れも良い香りを嗅ぐことが敵いません。嗅覚が劣化しているのは、高齢化で仕方の無いことですが悲しいものです。ゴールデンウイークが過ぎても、根拠薄弱のまま緊急事態宣言が継続されるとのことで、やれやれと慨嘆するしかありません。大阪府知事が、政府の緊急事態宣言にもめげず独自の宣言解除条件を提示していますが、安倍政権の有識者会議への丸投げ、又有識者会議の責任放棄の事態黙認は、何れも許されざるものでしょう!有識者会議のリーダーシップは感染研究所の研究者でなく、医師が採れば、こんな体たらくな放置宣言ではなく、具体的な政府への提言が出来た筈です!
2020.05.07
コメント(0)
今年は暖冬で冬が終わりそうな気配、昨日は天気が良く暖かいので、野津田公園に行ってみました。東口から入りますと、サッカー練習場がありますが、今までは土の練習場だったのですが、今は芝貼りの練習場となり、見物客も徐々に増えつつあります。ススキの丘は急な傾斜もありますので、ゆっくり登って行きます。その頂上付近はスミレとフデリンドウの群生地ですが、残念ながら未だ一輪も咲いていません。幾等なんでも、2月下旬では春を見つけるのは難しいのでしょう!サッカー練習場から対面の森を眺めましても、未だ木の新芽も綻んでいない模様でした。丘を下りて、サッカー練習場フェンスを通っていますと、陽当たりの良い場所では、足下にオオイヌノフグリが群生して咲いていました。オオイヌフグリは雑草とされる草花ですが、どの花よりも早く、春一番に可憐な花を咲かせてくれるのです。
2020.02.23
コメント(0)
長男が持って来てくれた正月桜を、鍋島焼の魯山窯の花瓶に挿して置きましたら、満開となりました。可憐な小さい花弁で、華やかさとは程遠い豆桜の様子、枯れ枝に紅白の餅を貼り付けて、正月気分を演出している様は、愛おしいものがあります。冬桜とは、山桜(ヤマザクラ)と豆桜(マメザクラ)が交配して生まれた雑種のことを指します。ただ、最近では名前の通り、冬(10~1月頃)に咲く桜の総称としても使われるようになりました。花は中輪サイズで、白から淡いピンク色の小さな花びらを咲かせます。葉っぱが小さいことから、小葉桜(コバザクラ)、10~12月と4月の2回開花期があることから、四季桜(シキザクラ)と呼ばれることがあります。
2020.01.09
コメント(1)
朝霧が晴れて、明るい太陽が姿を現して来る感じがして、新しい年明けに相応しいメロディーが流れて来ます。まるで、寂しい独り住まいを慰め、鼓舞されている様な気もしています。30才代初頭のベートーヴェンは、敬愛していたモーツァルトに追随して、美しいメロディーを模索し続けていた様で、後年のメロディーから脱して魂を揺さぶる音楽性を追求する様な姿は見えません。Beethoven: Violin Sonata No. 5 in F Major, Op. 24 "Spring" - 1. Allegroベートーヴェンのヴァイオリンソナタの中でも有名な曲であり、その、幸福感に満ちた明るい曲想から「春」や「スプリングソナタ」という愛称で親しまれている。元々、ベートーヴェンは前作の第4番イ短調とセットで「作品23」として出版するつもりであったが、製本上の理由により、別々に出版された。特にソナタ形式第1楽章では、ピアノの伴奏に乗ってヴァイオリンで第1主題が歌われる。主題は10小節からなり、順次進行で下降したあと、跳躍を含む音型が3回繰り返されて盛り上がって終わるという、大変バランスの取れた、非常に美しい旋律である。激動の国家第一主義の蔓延する世の中となりましたが、今年が平穏な国際協調主義が台頭する年である様に、願わずにはいられません!
2020.01.05
コメント(1)
芹が谷公園は東西に広く、国際版画美術館周辺の水流広場や多目的広場には、幾つものモニュメントが設置されています。多目的広場の一角に、水流を利用した鹿威しの動きに似た大きなステンレス製モニュメントが目につきます。右側の方を少し重くして、水が流れ込むと左が重くなって、水が流れ出して、元に戻る、石川丈山が京都詩仙堂に考案設置した「鹿威し」の動きを模した巨大なモニュメントです。多目的広場を通り過ぎて、道路下のトンネルを抜けますと、雰囲気は一転、もの静かな雰囲気となります。多量の湧き水を利用した池や水路が設置され、気持ち良い森林浴も楽しめ、子供達の姿は消えて静寂の世界が広がります。柿の木も柿が熟している様ですが、カラス等の鳥達も飽食の時代なのか、無視されたままとなっていました。小田急線際が、行き止まりとなっていますが、少し薄暗い樹林帯となっていましたので、テーブルのあるベンチで珈琲休憩するのも一興となります。
2019.11.01
コメント(1)
昨日は会社時代の先輩宅にお邪魔して、種々談笑をして旧交を温め、午後6時から文京区役所ビルの展望階で会食をすることになりました。レストランに入った頃は、東京ドームの天井も白く見え、隣の後楽園庭園も緑深くて、風情を楽しむことが出来ました。午後7時半になって、夜の帳が下りますと、一転高層ビルの多さが目立って来るのです。高層ビルにはヘリコプター等の飛行物体衝突防止用に、赤色ランプが点滅する様に義務付けられていますので、野球の無い月曜日にはドームや庭園は漆黒の闇に沈んで、ビル照明と点滅する赤色ランプが相まって動く照明と化し、SkyScraperの林立する大都会の只中にいることが実感出来ました。まるで、ニューヨーク中心街も、かくあるだろうと思わせる夜景となりました。
2019.04.16
コメント(0)
奈良から法隆寺柿と言う、富有柿のブランド品を頂戴、スーパで市販されている富有柿の2倍はある大きな柿です。早速朝食で賞味させて頂き、又近所におすそ分けとして6個ほど配ったのですが、未だ大分残っていますので、柿のレシピをCookPadで検索していましたら、「柿ケーキ」が掲載されていて、レシピには柿1個とホットケーキミクス100g、卵1個、砂糖20g、サラダオイル10mlとなっていましたので、思い立って作ってみることにしました。ケーキ等は作ったことが無いのですが、家内はよく作っていましたので、戸棚を探しましたら、生地を混ぜるガラスのボール、食パン型の焼き型等を見つけることが出来ました。柿を1㎝角に切り、ボールに卵、オイル、砂糖、塩を混ぜ合わせ、ホットケーキミクスを入れ、柿を入れて混ぜ合わせて、焼き型に入れ、180℃予熱したオーブンで30分前後焼くとなっていましたが、電子レンジのオーブン機能は手間が掛りますので、パンを焼くトースターで焼くことにしました。焼き型がトースターには大き過ぎたのか、ヒーターが近過ぎて、10分前後で焼け過ぎてしまいました。見てくれは良くありませんが、柿の味が思ったよりあっさりと甘い程度で、結構なケーキを賞味することが出来ました!家内がいれば、レンジのオーブン機構を使いこなして、もっと美味しそうに作ったことでしょうに・・・、一寸残念です!
2018.11.14
コメント(0)
クリミア半島帰属問題で経済制裁を受けて続けているロシアは、北方領土帰属を整理して日本との関係改善を制裁脱出の突破口と考えているのは間違いありません。プーチン政権は従来のヨーロッパからアジアへ軸足を移す東方シフトを国家戦略とし、世界の成長センターであるアジアを経済発展の活路に見出そうとしていますが、肝心のロシア極東地区では人口減少が止まらず、戦略に齟齬が生じている様にも思われるのです。北方四島への元日本住民を行き来させ、活性化させるのも選択肢の一つと考えている節もある様です。日本との関係進展は、従来ロシアの中国に傾斜し過ぎた体制から脱却し、近隣諸国と関係改善ともなり得るのですが、やはり日米軍事同盟を基軸とする日本への警戒感は相当に強く、返還すれば北方四島が前線軍事基地すると言う懸念が抜け切れません。しかし、日露平和条約は第二次世界大戦の戦後処理には不可欠で、1956年の鳩山一郎政権からの悲願であり、その際歯舞、色丹両島返還は約束されていたのですから、先ず二島返還で経済発展の実績を示して、本来日本の領土である国後、択捉の残り二島返還も、日本とロシア双方の経済発展に寄与することを納得させるのも一方法と思われるのです!中華覇権主義を掲げる中国を牽制するにも、ロシアとの関係改善は日本にとっても必要条件だと思うのですが・・安倍首相は、ロシアのプーチン大統領との通算21回目の首脳会談を終えた。両首脳は北方四島での共同経済活動を具体化するための民間調査団派遣を「成果」として強調したが、個別の事業項目には踏み込まず、北方領土交渉をめぐる道のりの険しさを際立たせた。事業実施の前提となる双方の法的立場を害さない「特別な制度」について、ロシア側は慎重姿勢を崩さず、記者会見では「日ロの長期的国益に叶い、受け入れられる解決策の模索を、忍耐強く続けなければならない」と、プーチン氏が拙速な対応にくぎを刺した。両首脳は、9月にロシア極東ウラジオストクで22回目の首脳会談を行うことで合意した。民間調査団の成否はこの段階で試される。
2018.05.28
コメント(0)
今日は食料品を買出しに行ったのですが、レジが長蛇の列でしたので、明日以降でも良いと諦めて帰ろうと思いつつ、序でにと隣の園芸店を覗いてみました。すると、今日から3日間の半額セールで、種々色のシクラメンが並べられていました。通常のピンク色の中鉢が、2980円の値札が付いていましたので、レジに持って行きますと確かに半額の1490円で会計となりました。早速、家に帰って仏壇の横に飾ろうとしますが、シャコバサボテンが邪魔となりました。折角、年始まで寒さを凌いで貰おうと思っていたのですが、屋外の霜の掛からない軒下に避難させて、白のシクラメンと並べてみました。同じ中鉢とは言いながら、大分大きさが違う様ですが、目出度い紅白で部屋が明るく変わった気がします。
2014.12.28
コメント(0)
"We are the 99%"は「ウォールストリートを占領せよ」活動の参加者のスローガンで国内格差を糾弾することにありましたが、自由資本主義体制下ではグローバル企業の租税回避が明らかになって多国籍から無国籍企業と化し、国家体制も揺るがす事態になって来ました。スターバックス、グーグル、アマゾンに続いてアップルも、低税率国の子会社を使った租税回避を行っていたことが明らかになった。アップルは全ての稼ぎを12.5%と言う低税率国アイルランドの子会社に集中、米国の法人税率35%納税を回避、さらに会社所在地で課税する米国と経営機能所在地で課税するアイルランドの法律の違いに目をつけ、アイルランド子会社は役員会を米国で開き、過去5年に亘りどの国にも納税申告をしていなかったと言う。租税回避は今にはじまったことでは無く、「リベリア船籍の日本船」は昔からあり、近年ではタックス・ヘイブン(租税回避地)で知られるカリブ海の英領ケイマン諸島などにペーパーカンパニーを置く企業は多い。国を超える企業活動が、グローバル化の進展で大規模化したのだ。納税という根本的な国民の義務からも逃れるグローバル企業は今や、多国籍から無国籍企業と化しつつある。国家単独ではもう、国家間をまたぐ企業活動を捕捉しえない。経済協力開発機構(OECD)や欧州連合(EU)など既存の国際組織を通じて穴埋め努力をし、国際税務を担う専門組織も必要となるだろう。雇用不安を背景に、過剰労働による利潤追求に勤しんで企業は非正規雇用を正当化して短期的な経営にのみ終始し、次世代を含めたい目で考えなければならない持続可能な労働力再生体制を全く顧みません。又、世界中の富裕層はヘッジファンドに資金を集中して、国際的な各国金融市場、株式市場、先物市場に投資して短期利潤を追求し、国家体制を破壊させる活動を正当化して憚りません。この様な自由資本主義に対する是正措置が、国際的な見地からの必要となって来ていると思われてなりません。
2013.06.20
コメント(0)
この処、九州から中国・四国地方を中心に、梅雨の豪雨が続いていますが、来週には納まるとの天気予報もありますので、来週火曜日を目標に五島行を計画することにしました。棲む人もいない築130年の空き家も、湿気を払ってくれと待っている筈です。家内の実家ですが相続手続きも怠っていて、未だ義父所有のままですので息子達には相続権がありますが、家内が亡くなった私には何の権利も無く、管理し世話する義務だけしか無いのです!昨日は、下着・シャツ・ズボン類を、似首簡易郵便局宛てにUパックにて発送、郵便類も来週から1ヶ月間の留め置き処置をし、新聞も配達所に電話して配達を1ヶ月止めることにしました。それでも、郵便受けにはチラシ、宅急便による雑誌類もいれられますので、2週間で満杯になってしまいますので、息子に来て貰い開けて空っぽにする様に頼まなければなりません。庭の鉢植え類も、樹木の木陰に避難させましたが、梅雨が終わりますと水枯れで駄目になってしまいますので、散水もお願いしなければなりません。昨年は、親友が50年振りに五島に来てくれ、下五島である福江島にも出掛けるチャンスもありましたが、今年は独りで暮らすことになりそうです。棲む人もいない空き家の状態がもう17年にもなり、家内と一緒に年に1~2回、2週間程滞在して世話をして来たのですが、4年前に終了となりました。今年は、家内がやりたくて出来なかった客間の障子張り替えでもしてみようかと思っています。
2012.07.07
コメント(1)
此処数日、デッカ盤L’oiseau-LyreのCDでモーツアルト作曲のクラリネット五重奏曲とホルン五重奏曲を聴いていました。久しぶりに聴くホルン五重奏曲はK. 407、ケッヒェル400番台は名作揃いとされていますが、2楽章アンダンテでのヴァイオリンとホルンの会話が歌心にも溢れ、聴き惚れてしまいました。YouTubeには、ラドヴァン・ヴラトコヴィチのホルン五重奏曲がアップロードされていて聴き物です!Mozart - Quintet for Horn, violin, 2 viola and cello KV 407 - Radovan Vlatkovic 2/3モーツァルトと冗談を言い合う仲であったホルン奏者ロイドゲープ(1732-1811)のために書いたという事情があるだろう。友人への純粋な好意で書いた曲であるから、あまり時間をかけずに気軽にさらさらと書き流したのかもしれないが、それが今日残るホルンのための最高の室内楽となったのは、やはり天才モーツァルトの業だろう。弦はあくまで脇役に徹し、ホルンが輝かしいトランペットのように縦横無尽に活躍する。弦楽四重奏のようにヴァイオリンが2本ではなく、地味なヴィオラを2本にしたところにも,ホルンを引き立たせようというモーツァルトの意図がうかがえる。
2012.06.04
コメント(0)
昨日は薬師池公園の菖蒲田が見頃かも知れないと行ってみましたが、開花しているものが少なく、未だ1週間は早い様でした。公園内にある万葉草花苑では、大山レンゲが一杯咲いていましたが、花の位置が高くて、強い香りを嗅ぐことは出来ませんでした。大山レンゲは、朴(ほう)や泰山木と同じ種モクレン科で、何れも大きくて白く強い芳香を発する花を咲かせます。池の畔には、大きな唐種招霊(カラタネオガタマ)の木があり、びっしりと花をつけ、バナナの匂いを辺りにまき散らせていました。是もモクレン科、小さい花なのにとても強い香りを放ちます。朴(ほう)や泰山木はモクレン科に属し、英語では全て“Magnolia”とされ、テキサス州ヒューストン市北方郊外にも“Magnolia”と言う地名があり、子供達がLivingston湖畔にあるCamp Olympiaと言う処で2~3週間キャンプをした時の送迎でも通った筈で、一杯咲いていたのかも知れませんが、高速道路からは見えず、結局4年の在米生活では見たことがありませんでした。花の学名は別にして、通常の呼び名については日本での習慣とは異なり、細やかに花の区別をしなかったのでしょう。
2012.06.03
コメント(0)
この処めっきりと暖かくと言うより、暑くなって来ました。本当は日向が良いのでしょうが、木陰でも丁度良いのかミニバラや柚子の花が咲いています。日向では、鉢植えの蕃茉莉(バンマツリ)は色とりどりに咲き出しましたし、香りの良いハゴロモジャスミンはもう花も終わりの様です。ゼラニウムも咲き出し、孔雀サボテンも花芽を幾つも膨らませていてもう直ぐ大輪の花を咲かせてくれそうです。日陰になってしまったクチナシも2輪程の花芽を付けていますので、楽しみですが春花の季節も終わりに近づいている様子、自然の営みですから仕方がありません。
2012.05.27
コメント(0)
昨年度は東日本大震災で中止となっていた2年振りの会社OB会が本日終了し、5年ほど前から引き受けていました会社OB会の幹事役を何とか今年も勤め上げることが出来ました。私の役目は郵便とFaxで来る、出欠通知を名簿担当幹事役に知らせること、eメールで返信される出欠通知を転送して貰い、全て近況報告をチェックし、有用な近況集を作成し、出席者に近しい知人に知らしめることにありました。会員224名中、出欠報告があったのは174名、その内活動報告、病気報告、家族報告等の有用な近況報告がありましたのは111名でした。全てハードコピーしてスキャナーで読み取り、読みやすい様に、不要な部分消去・コントラスト等の編集をし、ファイルサイズが大きくならない様にJPEGイメージにしてWordファイルにアイウエオ順に貼り付けました。1ページに4名ずつとして、ページ総数は30ぺージとなり、ファイルサイズは3MB、メールに添付するのに適当な大きさとなりましたが、1週間以上パソコンでのマウス操作が続き、久しぶりに肩が凝って仕方がありませんでした。今年の近況集は出来が良いので出席者全員72名に配ろうと言うことになったらしく、私が欠席した5月23日は、余裕を見て75部作るには幹事役の作業が大変だった様でした。兎に角、本日は土曜日で会社も休みで、裏口から入ります。会場は2階にある会社のグリルですが、無理を言って休日出勤をお願いしたのです。2年振りの開催で盛況でしたが、昨年1年間で会員が12名逝去との報告もあり、老齢化したOB会、盛況が何時まで続くのか分かり兼ねる状況に達しつつあると思わざるを得ませんでした!
2012.05.26
コメント(0)
何時もは空いている町田市にある野津田公園の駐車場が混んでいました。昨日は天気も良く、「FC町田ゼルビア」のホームスタジアムとなる野津田陸上競技場でサッカー試合が行われていて、甲高い応援の声も聞こえて来ました。駐車場設置は、現在「FC町田ゼルビア」のホームスタジアムとなる野津田陸上競技場の改修工事が行なわれており、ホームゲーム時でも一般車両が殆ど駐車できないための対策であって、市公園緑地課によると“臨時的”と主張している。この公園を利用する地域住民は「普段から子どもの散歩コースで、伸び伸びできる遊び場として利用しています。急にこのような事態になってしまいただ驚いている」と話した。今後、地域住民らは市に対し、工事の説明を求めるなど活動を行っていく方針だ。サッカーチームのホームスタジアムとなりますと、臨時的とは行かず、恒久的措置になる筈ですので、論争となっているのでしょう!私は市民意識の高まりも期待できるホームスタジアムとなるであろうし、恒久的に増設駐車場を設置することに、敢えて反対ではありません。 処で、未だ大きな緑地帯が残っている林道を散策していましたら、ハルリンドウが沢山咲いていました。野津田公園はハルリンドウが自生する数少ない土地の様に思われますので、駐車場増設に際しては、必要に応じて代替地等へ移植して個体保存を図って頂きたいと思うだけです。ハルリンドウとフデリンドウは、どちらも日当たりのよい野山に生える2年草で、北海道から九州まで広く分布する。春の陽光を受けて、うす紫色の花が目に鮮やかだ。ハルリンドウは花茎が数個立ち根生葉が大きいが、フデリンドウはひとつの花茎の先に数個の花がつき根生葉が小さいので両種の区別は容易だ。
2012.04.16
コメント(0)
昨土曜日、IHI本社ビル2階のグリルで「第11回機関設計OB会」がありましたので豊洲まで行きましたが、東京湾岸地区の職住近接地域としての開発は未だ留まることなく進み、様変わりは激しいものがありました。もう工場群は無く、事務所ビル及びマンションビルの林立、大学キャンパス、キッザニアで知られる遊興施設が整備済みであり、昨日は教会風の結婚式場もオープン間近、これで斎場でも整備されると「揺籠から墓場まで」この地区で人生を完結してしまうのかと思われる位でした。機関設計OB会の出席者で一番古い入社年度は昭和21年(1946年)、一番の若手が昭和45年(1970年)、平均年齢は75才を越えていたと思われます。当時理工系優秀人材は重工各社に入社、この手の部隊は日本の技術を牽引する組織でした。昨日挨拶される土光敏夫氏ご子息この熱機関部隊は「陸の東芝、海の石川島(現IHI)」の棲み分けから、主に舶用推進蒸気タービンを設計製造し、戦後復興から1960年代造船業隆盛に大いに寄与したのでした。1955年、石川島重工業が土光敏夫体制下、ジェットエンジン製造に進出する為、江東区豊洲の機関設計母体から一部の設計員を田無(現西東京市)のジェットエンジン工場に移籍させ、日本の航空エンジン設計製造にも寄与させたのです。私が石川島播磨重工業(現IHI)に入社しましたのは、1964年蒸気タービン(機関設計)母体の一部隊であったガスタービン設計部で、舶用エンジンとしてスイス国のBrown Boveri社との共同開発で重油焚きガスタービン設計製造にあたることになるのがその職務でした。「機関設計OB会」は江東区豊洲にあった機関設計母体OBで結成されたことから、ジェットエンジン部隊になった以降に入社した人々を会員としなかったので、会員の老齢化は相当なものがあります。出席者最高齢が88才とお年を召して来ましたので、この歓談会が何時まで続くのか危惧する状況となりました。数年前までは、職場結婚された女性方も多く参加していましたが、今年はゼロとなってしまい、出席者は40名と激減してしまいました。体調不良で欠席される方も多くなり、これ以上参加者が少なくなりますと、IHI本社内のグリルではお受け出来ないとの苦情も出された様で、何らかの変革が求められる様です。
2012.04.08
コメント(0)
福島第一原発2号機の格納容器内の放射線量が72.9シーベルト/時と計測されました。通常はミリシーベルトで表示されるのですが、1000倍単位で表示される極めて高濃度の放射線量であり6分で致死量に達するとされています。2号機建屋は水素爆発を起こしていないのですが、損傷が一番激しいのではないかと危惧していたのです。昨年3月22日のブログ日記には次の様に書きました。福島原発2号機の異音はラプチャーディスク破裂音ではないか?つまり、冷却水が無い状態で炉心圧力容器にてメルトダウンが起こり、底部の分厚い鋼板を溶かして、つまりメルトスルーして格納容器に落下して溜まってしまったのです。底部に溜まった核燃料と底部にあった水が反応して、大量の水蒸気・水素ガスが発生、格納容器内の圧力が急激に上昇して、容器爆発を防ぐための防護装置であるラプチャーディスクが破断したので、煙突スタックを通じて大気に放出され、建屋の水素爆発を免れたのです。従って、ラプチャーディスク破断の無かった1、3、4号機よりもメルトスルー状態が酷く、損傷具合は最悪なのだと考えられるのです。それでも済まず、2号機では格納容器自体に高温に依る損傷(恐らく熱変質による亀裂)が起きて、冷却水は其処から高濃度汚染水になって、建屋地下に流れ込んでいる様です。2号機では冷却水も格納容器からのベント空気も汚染されたままで、何とか修理をすることが必要ですが、これ程の高放射線量では、ロボットの基盤が損傷してしまい長時間の作業は難しいのが現実です。信頼出来る廃炉プロセスに向けてロボット基盤周囲を鉛板で覆う等の更なる対策が必須で、その難問を解決すべく技術者各位の奮起を祈って止みません!
2012.03.28
コメント(1)
昨日は、会社の2年先輩だった人からお昼の招待がありましたので、新丸子まで出掛けることになりました。出掛けるに際して、何時も着ていますNorth Faceのパーカーの襟元が汚れていますので、息子から送って来てありました段ボールからテルヌア(Ternua)のダウンパーカーを取り出して着て行くことにしました。段ボールの中には誕生日メッセージカードが入っていましたので、2ヶ月間放置したままにしてあったのです。中に入っているダウンが最高級のものと思われ、着ている感覚は殆ど無いもので、相当の高級品の様でした。North Faceのパーカーも、数年前に息子から頂いたもので、秋冬のウィンドブレーカとして愛用していたのですが、4ヶ月も着ていますと結構汚れていましたし、冬も過ぎましたので、近々クリーニング店に出して綺麗にして貰おうと思っています。新丸子のお宅に伺うには、小田急線で登戸迄行き、南武線に乗り換えて、武蔵小杉二つ先の平間が待ち合わせ場所です。南武線の平間駅で下りて駅前で待っていましたら、車での出迎えがあり、多摩川を渡って先輩宅へ行く途中に、ヒカンザクラ(緋寒桜)が咲いているのを見つけました。海岸に近い多摩川下流域は多摩丘陵地帯に較べて暖かく、春の気配が濃い様でした。
2012.03.23
コメント(0)
中学時代の友人が「むささびジャーナル236号」をメールして来てくれました。実は彼から、技術専門家として報告書を読んでくれとの要請があったのです。私は原動機エンジンと言う分野に永らく従事し、総合技術監理技術士と言う国家資格を保持していますので、その観点からの感想が必要だと考えたのでしょう。技術士の観点からは、経済、人的、情報、安全、社会環境の五つの分野での管理が問われるのですが、事故調の報告書では安全・情報管理のみが大きく論じられていますので、専門家では無い彼の判断で論じた方が良いのだろうとお断りした経緯があったのです。民間の福島原発事故独立検証委員会の報告書に対しての考え方・報道の在り方について、彼のコメントが時宜を得たものと判断されますので、転載することに致します。NHKニュースのサイトは「菅前首相の事故対応“不合格”」という見出しを付けたうえで、当時の菅首相の事故対応について、北澤委員長(科学技術振興機構・前理事長)のコメントを次のように伝えています。原発から撤退したいと申し出て来た東京電力に対し、自ら本店に乗り込み、檄を飛ばして、結果的に50人の作業員が原発に残ることになったことについては、最悪のシナリオを避けられたこともあり、功績は大きかったと思うところもある。しかし、菅前総理大臣が電池の大きさにまで関与するなど、官邸によって行われた現場への過剰な介入のほとんどについては、評価することができない。さらに菅前総理大臣は、情報の出し方に失敗し、国民の間に不信感が広がることになり、全体的には対応は不合格だったと言わざるをえない。(NHKのニュースサイト) ▼菅さんの対応が「不合格」というのであれば、「合格」というのはどのような対応のことを言うのか? あの時に菅さんが置かれた状況で、だれか別の人が首相であったら可能であった筈だと北澤さんは言っているのでしょうか? 私は「不合格」コメントは単なる結果論であり、それを見出しとして使うNHKの感覚はアンフェアであると思っています。悪者を探し出してやっつけることで溜飲が下がるという視聴者の嗜好に応じた報道です。▼自民党の溝手議員(参院幹事長)は、「溜飲を下げたい視聴者」の一人であると見えて、菅さんの原発事故対応に関連して「後進国だったら裁判にかけ、死刑という話になりかねない大変な話」であるとコメントしたのだそうです。おそらくこの人は民間事故調の報告書を読まずに発言したのでしょう。北澤委員長が批判する原子力コミュニティにおける「空気を読む」という体質が育まれたのは自民党が政権にあった時代です。「死刑という話になりかねない」のは自分の方なのでは?▼委員の一人が、チャーチルがヒトラーとの戦いに際して立ちあげたWar Roomという戦時システムのことを「危機管理」のお手本として語っているのですが、ヒトラーの動きは何か月も前から予測、熟慮して世論形成を行う時間があった。戦争は全く突然襲ってくる地震や津波のようなものではない。戦争大好き人間のチャーチルを語りながら、返す刀で「福島」に対する官邸の「危機管理」を評論するのは茶飲み話としては面白いかもしれないけれど、あまり役に立つ話とも思えない。▼この報告書は400ページにもわたるので、とても一回で要約できません。これから何回かに分けて紹介します。今のところ「非売品」だそうですが、何れは本屋さんでも入手が可能になると思います。報告書の性格からしてもそうして欲しいですね。政府でも国会でもない、民間の組織がこのような報告書を作り、それが市民権を得るということはとても大切なことだと思います。批判するには、その責任として建設的提言も常に求められるのだと考えられるのですが、事故調査委員会報告書にはそれが欠落しているのではないかと危惧する処です!
2012.03.14
コメント(0)
昨日、イトーヨーカ堂に行きましたら、エスカレータホールで焼き物・刃物の展示即売会が行われていました。ふと見ますと、医療用爪切りが数種売られていましたので、販売係員に聴きますと「新潟県三条市にある諏訪田製作所の製品、ドイツのゾリンゲンにも輸出しています」とのことで、スタンダード製品が税抜き6500円、スーパーフィニッシュの方が15000円とのことでした。私の爪は母親譲りで、手足の親指の爪が幅広で厚くて硬く、普通の爪切りでは切りにくい処があるのです。遠い昔を思い起こせば、母親が銀座の木屋に行き医療用爪切りを買って来て、お風呂に入った後少し爪が柔らかくなった処で、何とか爪を切っていたのです。そんな思い出もあり、1997年に家内とドイツ・オランダ旅行をした際、デュッセルドルフのゾリンゲン刃物の専門店で、この形の爪切りを購入したのですが、切れ味が悪くそのまま抽斗に閉まったままになってしまいました。諏訪田製作所の製品の切れ味を試してみますと、真に爽快、スタンダード製品を税込6825円で購入することにしました。自宅に帰って、インターネット検索しますと、アマゾンで下記説明と共に5100円で値引き販売されていることが分かりました。爪のカーブにフィットする刃は、丹念な手磨きで仕上げられ、高圧鍛造で鍛えた本品は、強靱な切れ味が持続する。新機構のシリンダースプリング採用により、刃先が大きく開き、巻爪や変形した足の爪でも切りやすいのが特長。爪切り本来の機能「切る」に徹底的にこだわり、その存在感をアピールしようと試み、手に取ったとき掌に馴染む自然なカーブで全体をまとめました。新開発のシリンダースプリングの採用で、故障の心配がありません。全長12cm / 重量80g / ステンレス鋼ヘアライン仕上げ/メタルケース入り知らなければ検索出来なかったと考え、又銀座木屋まで行く必要を省略出来たことで、6825円価格を納得することにしました。上に見える15年前のゾリンゲン爪切りはHenkelのロゴがありませんので、一級品では無かったのかもしれません。
2012.02.22
コメント(0)
古希を超えますと、医療費負担率も3割から1割に減ずるのだと思っていました。しかし、健康保険高齢受給者証が来状して来ましたので、チェックしますと、その1割負担制度は3月で終了、4月から2割負担となることが分かりました。70歳から74歳未満の方の場合 従来の1割負担から2割負担に引き上げられます。但し、平成24年3月31日までは1割負担のままとなります。(※現役並み所得者は3割) ※「現役並み所得者」の基準 標準報酬月額が280,000円以上の方が該当。 単独世帯(70歳以上の被扶養者がいない)・・・・383万円以上今月受領した「ねんきん定期便」に依りますと、標準報酬月額は17万円となっていますので一見問題無いのですが、老齢年金、米国年金を合算して確定申告しますと、383万円を超える懸念もあります。先年迄は、役務契約での営業所得で経費を差し引いて実質ゼロ、それに老齢年金、米国年金を合算して、確定申告していました。今年は、先年が契約による営業所得ではなく、給与所得となっていますので、早めに税務署に行って、経費が認められるのか否か等を含めて、時宜を得た確定申告法を教えて貰う必要がありそうです。
2012.01.21
コメント(0)
20年も会うことも無くご無沙汰し、年賀状の交換のみで済ませていましたご婦人の遺族から悲しい年賀返礼状が届きました。ご挨拶が遅れましたこと深くお詫び致します。母は1昨年(平成22年)3月に永眠致しました。此処に生前中に賜りましたご厚情を感謝致します。健やかなる新年をお迎えになります様、心よりお祈り申し上げます。このご婦人は、私が1983年秋に米国駐在から帰国して、設計部原籍に復帰しました時に、隣の据付・カスタマーサポート部の派遣社員として働いていました。美しい人でしたが少し寂しさが感じられる女性でもあり、話を聞きますと、三鷹市内にある寿司屋の跡継ぎと結婚したのですが、回転すしが流行り始めて、街の寿司屋は経営が成り立たず、転身も難しくて、自分の生活は自分で確保するべく働いているとのことでした。このスケッチは1987年7月、会社近くに緑溢れる自転車・遊歩道がありましたので、そこで写真を撮らせて貰い、鉛筆でスケッチしたものです。普通スケッチから油彩にして進呈するのですが、家内をスケッチから油彩にしている同時進行状態でしたので、失礼とは思いましたが鉛筆スケッチ状態に差し上げることになりました。その3年後、私も新しいプロジェクトを展開するため勤務地変更で江東区に行き、話をする機会も無くなりましたし、彼女もリストラの嵐に巻き込まれ、退職したとのことでした。その更に2年後、私の上司だった方が取締役から関連会社の社長に転出したと言うことで、ご挨拶に行きましたら、何と彼女が其処で、派遣社員として働いていたのには驚きでした。お懐かしいと声を掛け、聞きますと「離婚して実家に帰りましたが、従兄の方の奥様が亡くなり、小さい時から可愛がっていた姪の子育てを助ける為、入籍して元気に暮らしています」とのことでした。改めて住所を教えて頂き、それから年賀状の交換が始まりましたが、私も2000年に早期退職をしましたので、その後の彼女の人生は分かりません。上記の年賀返礼は、姪であった娘さんが大きくなって、代わりに送ってくれたのでしょう!彼女は私より10才程度若かった筈ですので、未だ50才代後半にしか過ぎませんでしたが、幸せな後半生を送ったのだろうと思うことに致します。
2012.01.12
コメント(0)
大楠山は三浦半島最高峰とは言え、僅か242mの標高、トレッキングと言えずハイキングコースにしか過ぎません。しかし、温暖な気候の地にあって、桜・梅・菜の花など四季を彩る花々をはじめ豊かな自然と歴史が満喫できることで知られています。山頂からは三浦半島を見渡せますし、伊豆半島、富士山、箱根連山、大島、房総半島と360度パノラマが広がります。昨日は朝8時半に家を出て、午前10時過ぎに、最寄りの立石駐車場に着きました。家内と此処に来ましたのは、15年も前のことだったか定かではありませんが、季節はアロエの花が咲き乱れる初春の頃でした。未だその頃は海浜開発が進んでおらず鄙びた地域でしたが、高層マンションが林立し、駐車周りにはレストランが立ち並んで一大リゾートに変貌しています。記憶を辿って「前田橋コース」を取り、秋谷街を前田側に沿って歩いて行きますが、まるで見覚えがありません。展望も無いまま、登り下りを重ねつつ、3.1kmの行程を「日帰りトレッキング」解説書通り80分で山頂に着きました。此処で何時も通り、インスタントラーメン昼食となったのですが、家内と登った時はお箸を忘れて、近くにいたハイカーに1膳分けて頂き、食したのも懐かしい思い出です。山頂付近のレーダー雨量観測所横に設けられた菜の花畑は未だ花芽が出ていません。今年は元旦から寒さが厳しく、開花が遅れているのかも知れませんが、15年前は満開だった記憶がありますので、今より少し遅く、1月下旬だったのかもしれません。下山は、前回は違うコースを取ったのかと、大楠芦名口コースを下りてみましたが、山頂から国道134号線まで、全面舗装されていてもうハイキングコースとは言えない状態でした。道路沿いにある案内板に依りますと、平成16年に舗装工事が完成しているとのことでしたから、もしかしましたら、前回は舗装が未完の此方のコースを登って行ったのかも知れません。真に人間の記憶とは、不確かなものです。
2012.01.11
コメント(0)
ユーロ売りが加速してユーロ危機が再燃していますが、一部には大丈夫との意見もあり、未だ五里霧中の状態にある様です。ユーロ売り加速下値見えず最安値も視野に1月6日のニューヨーク外国為替市場でユーロ安が一段と進み、97円/ユーロ台に突入した。米国の12月の雇用統計が大幅に改善したことでユーロに対してドルが買われ、対円でも連れて下落したことが直接的な原因だが、根底には欧州債務危機への不安があり、2000年10月に付けた88円93銭/ユーロの市場最安値も視野に入ってきた。円ユーロ相場は、昨年12月30日に10年半ぶりに100円/ユーロの大台を割り込んだ。抵抗ラインを突破されたことで、「ヘッジファンドなどの投機筋による下値を試す売り」が増え、年明け以降も次々に水準を切り下げ続けている。市場は、イタリアなどの欧州の重債務国が1~3月期に予定している大量の国債発行の消化を不安視しているほか、米格付け会社による一斉格下げ観測もあり、国債入札の状況などでちょっとした悪材料が出ただけでも売られやすい状況にある。一部には「売られすぎによる買い戻しが入る」と予想する声もあるが、危機解決の道筋がみえない限り、反転は一時的で下落が続くとの見方が大勢だ。いつの世でもそうですが、経済評論家には卓見はなく右往左往するだけ、ノーベル経済学賞の経済学者も役に立ちませんし、経済学がノーベル賞に該当するのか否かにも疑問があります。此処は政治決断が必要で、ユーロ安に依る輸出好調で経済発展を謳歌しているドイツが、EU盟主的立場で巨大資金をユーロ安定基金に拠出するのが鍵とみているのですが、国内意見を集約出来ずに政治機能不全に陥っているのだと思われてなりません。EUは、アメリカ合衆国に似たヨーロッパ国家連合を目指していた筈ですのに、綻びが見え「衣の館」にならなければ良いがと懸念しています。欧州に限らず、日本での復興支援、社会保障・税一体改革、日米同盟に依る安全保障も、緊急必要性は国民にも広く認識されている様ですが、マニフェスト違反を叫ばれて政局とされ野党の協力が得られず、やはり政治機能不全に陥っているのだと思われます。政局を脱するには筋道を定めて、野党協力が得られない場合には、国民に信を問う総選挙を逡巡してはいけないのだと思っています。政治不信を払拭するのが最善でしょう!
2012.01.07
コメント(0)
NHKテレビドラマ「坂の上の雲」を興味深く見ています。第3部が放映されるに先立って、第1部、第2部の再放映もありましたので、全て拝見しました。ナレーションも主題歌歌唱も、各部その都度替っていて、歌唱は第1部がサラ・ブライトマン、第2部で森麻紀、第3部では久石譲氏娘の麻衣となっているのも何故かと思われ、追及テーマを変える為の処置かと興味深いものがあります。その中で、竹中直人演じる「小村寿太郎(こむら じゅたろう)」は助演なのですが、存在感が感じられます。中学校の歴史教科書では、日露戦争終結の1905年(明治38年)、ポーツマス会議日本全権としてロシア側と交渉し、ポーツマス条約を調印したことで知られていました。ドラマ解説では次の様に紹介されています。外交官。親の作った多額の負債を抱えており、「世界一貧乏な外交官」と自嘲気味に語っている。身長が低いことから他国の外交官からは「ネズミ公使」と渾名される。北京代理公使として、日清開戦前夜の外交事務を取り仕切った。戦後はロシアの脅威を押さえるためイギリスとの対等同盟を構想する。北清事変後の列強間の利害の調整を図り、天津条約を締結した手腕を買われて桂内閣の外務大臣に迎えられる。外務大臣として日英同盟の締結に成功する一方、ロシアとの交渉も行った。小村寿太郎の生家は宮崎県の日南海岸近くの飫肥町にありました。其処を訪れましたのは2007年3月ですから、4年以上も前のことになります。飫肥城の石垣通りを歩いている家内、その近くに小村寿太郎の生家はあり、記念館となっていましたが、未だNHKテレビドラマ「坂の上の雲」も放映されておらず、歴史上の人物として知られているだけで、混雑していませんでした。今は、テレビドラマの影響は大きく、訪問客が多数襲来していて混雑しているのではないかと想像するばかりです。飫肥(おび)は清らかな水の里でもあり、街中に巡らされた用水堀には鯉が多数泳いでいる静かな街でありました。
2011.12.13
コメント(1)
節義に殉じ「国家の為に死ぬ」と言うのを紹介するのが、この書の主題だと思われるのですが、これは頂けないと思いつつ読了したのです。前書きでは、それを「正気の丈夫」とし、「漢時代の蘇武に於いては義侠、唐時代の顔真卿にあっては士太夫、南宋の文天祥に進士及第と読んでも良い。彼らが生涯を通して決して妥協せず、貫き通した信念の重さを紹介して、読者の読後感に委ねるべきだと考える」と述べている。後書きでは、「知の家系としての顔氏一族、それは上流社会の貴族が誇る排他的教養偏重であり、文天祥に於いては学歴社会の悪しき弊害であり賞賛するのかと問われれば、蘇武の意志力、顔真卿の剛直、文天祥の不撓不屈、それらは他のどの様な社会習慣・制度が涵養することが出来るかと言いたい」とし、現代社会の日本では義を作り上げることは出来ないだろうと断ずるのです。世界的にも、格差是正が叫ばれ、平等が強調される、この頃の風潮に棹差す反面教師の書として読むのか、行きすぎた個人主義を諌める書として読むのかは、読者次第かも知れません。しかし、著者には中国文学の碩学とされる貝塚茂樹氏に見られる程の見識も感じられないし、自分の知識をひけらかす曲学阿世の徒ではないかと思われることも無きにしもあらずと言った処です。戦争中にもこの3人丈夫は人気が高く、軍部のお先棒をかついで「八紘一宇」などと吹聴した輩は、曲学阿世の最たるものでありました。近くは吉田茂首相、全面講和を主張する学者である南原繁東大総長を「曲学阿世」と極め付けとことがありましたが、学を曲げ世におもねったのは一体誰だったのでしょうか?義士を尊重することと無暗に畏敬・侮蔑することは同じ土俵では論じられません。時代の制約を受ける義士の評価とは難しく、芥川龍之介の言葉が気に掛ります。天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代は又この千里の一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。後代は又その為に天才の前に香を焚(た)いている。
2011.11.16
コメント(2)
どうも、私は家の中の掃除が苦手で、埃が目立つまでさぼってしまうことが多いのです。家内は、埃が厭な性分で、室内掃除用に、掃除機3台、ウェットシート・クイックルワイパー、ダスキンのレンタルモップを残してくれています。トイレ用にも、トイレ洗剤、便器掃除モップ、トイレクイックル等があり、台所用にも、洗いもの洗剤の他、キッチンハイター、洗剤革命粉末等を残しているのです。昨日ガスレンジ上のレンジフード内のファン・フィルタが黄色くなっていたので、交換しましたが、その周囲及びレンジフード全体が油汚れでべたべたする状況でした。雑巾2枚、キッチンタオル、クッキングシート10枚程度を使い、汚れの酷い処には金属ヘラを使って油汚れを削ぎ落したのですが、べたべた感が変わらず、埒が明きません。其処で、残してあった「洗剤革命」を使ってみようかと、適当な希釈液を作り、キッチンペーパー8枚程度を浸して、それらを汚れの酷い処に貼り付けて10分程度放置しておくことにしました。何が調合されているのかは調べていませんが、その効果は驚くもので、数年経過したであろう油汚れがいとも簡単に拭える程になりました。他の汚れには分かりませんが、兎に角、油汚れ掃除には滅法強い様です。久し振りに、べたべた感の無くなったレンジフードは気持ちの良いもので、序にトイレクイックル数枚を使って、タイル壁の油汚れも綺麗にし、家内が使っていたキッチン状態に少し戻った様な気がします。やはり、「男寡(やもめ)に蛆が湧く」と言うのは成程本当のことだと思わざるを得ませんし、気持ちの良い生活を維持する上でやはり掃除は必須、今まで掃除嫌いだったこと心構えを反省し、何とか改めようかと思っている今朝の次第です。
2011.10.02
コメント(0)
殆ど質量の無い素粒子「ニュートリノ」が光より速く動いたと言う実験結果が、欧州合同原子核研究所(CERN)から発表され波紋を呼んでいます。1万6000回の測定結果なので、単なる間違いでは無い模様ですが、アインシュタインの特殊相対性理論を揺るがす事象ですので注目に値します。一般生活では、ニュートン力学の世界で何ら支障は無いのですが、高速で地球を回る人工衛星等では、アインシュタインの特殊相対性理論から、時刻が遅れる為その補正をしているからです。特殊相対論において光速 c不変である。光の速度はどのような慣性系から観察しても同じ値を示す。又、質量を持った物体は光速を決して超えることができないことも示された。特殊相対論においては、力学と電磁気学を含むすべての物理法則はローレンツ変換に対して不変であることが要請される。ローレンツ変換は、S系における時空の位置を表すベクトル(t, x, y, z)を、速度vでx方向に移動するS'系で見た時のベクトル(t', x', y', z')は、 光速cと速度vを用いて次の様に表される。 速度vが光速cを越えてしまいますと、上記変換では平方根内の数値がマイナスとなって、実数から虚数又は複素数になってしまい、意味を再吟味する必要が生じてしまうのです。スーパーカミオカンデ実験を率いる専門家からは「1987年超新星爆発で放出されたニュートリノを捉えた際は、爆発による光もほぼ同時に観測した。両者の間に今回の結果の様な違いがあるとすると、ニュートリノは光より1年は早く地球に到達していなければおかしいことになる」と、別の機関による検証実験で結果を確かめることが大事だと指摘しています。
2011.09.24
コメント(0)
2011年8月に行われた民主党代表選では、当初は私への支援を約束していたにも拘わらず、自らの出馬を表明して反古にしたことにわだかまりは消えないし、盟友関係も綻びて来ている様に思われるのだ。マスコミ世論調査にて全立候補者の中で圧倒的な人気を誇り本命と目されていたが、党内の人望に欠け、代表選では3位に留まることになったのだ。もう落ちた偶像とは思ったのだが、盟友関係の修復が出来無いものかと、政策調査会長に就任して貰うことにした。党内序列からは、幹事長に次ぐNo. 2の地位にあるのだが、党を代表する様な振る舞いが目立って仕方が無い。彼は9月7日、米ワシントンで講演、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)で、他国部隊が攻撃された際に反撃できるよう武器使用基準を緩和すべきだとの見解を表明した。兵器の輸出解禁に道を開く武器輸出三原則見直しも唱えた。他国部隊を守る武器使用は、海外での武力行使や集団的自衛権行使を禁じた憲法に抵触しかねない。現行法では自衛隊の管理下にある他国兵らを守る必要最小限の武器使用は可能だが、その範囲を広げる考えを示した。私が電力需要の観点から来夏の再稼働を目指す考えを示したことに関連し、了解を得ること無く、彼は経済性より安全性を優先して判断すべきだとマスコミに発表してしまった。予算案や法案を政調会長の事前承認にした狙いは、党内全員が参加出来る仕組みに変えることだったのだが、彼の単独暴走が激しくなりそうでもあり、「政府・民主3役会議」を設けて、彼の上には、幹事長も党代表もいるのだと言うことを分からせ様としたのだ。それでも、彼は「衆参ねじれ国会を乗り切る必要から、野党と協議する為に与党に事前承認権が与えられた。政府原案で不十分なものは与党として加味する。大震災被災地での耐震化について、党として額を積み増し、完成までの時間を短縮させる」と自分は大物だと主張するばかり。組織として協調して政策推進させるには、彼が障害となりそうな予感もしてならない。彼は国民受けするパフォーマンスばかりで、地道に政策推進して行く実務担当能力に欠けているのだと判断せざるを得ないのだ。良かれと政調会長にしたのだが、参謀格の御仁と共に、政策調整する処か、分派行動に邁進するのみで、親の心子知らずとはこのことだ!ホリエモンメールの捏造、同僚議員を自殺に追い込んだ責任を追及されても逆上して放棄してしまった。八ツ場ダムは、彼が推進していた過去を隠して、その後に中止決定、それを追及されると唐突に問題を放置させてしまった。経営難に陥っていた日本航空に対しては、「会社は救済する」との意向で、主力取引行と共に私的整理の方策を探っていたが、JALが支援を要請した企業再生支援機構が会社更生法の適用による法的整理の意向を示したため、これに押し切られてしまった。尖閣諸島周辺の日本領海内で海上保安庁の巡視船に中国漁船が衝突し、中国人船長を公務執行妨害容疑で逮捕。中国人船長の処遇について「日本の国内法に基づき粛々と対応する」と述べ、中国側が求める中国人船長の早期釈放には応じないとした。しかし、船長は「諸般の事情のため」との那覇地検判断により釈放、彼は「那覇地検が手続きの中で決めたので、政府として従う」と述べ、自らの政治的な関与は無かったことを強調したのだ。結局、彼は組織も盟友関係も尊重せず、自己顕示欲だけが強すぎるだけで、政策推進能力に欠けているのは明らかだ。これでは、党内全員参加は達成出来るどころか癌になりそうな気配で、如何せん袂を分かつ日は遠く無く、国民の納得する解任方法を模索せざるを得ないと、近頃思う様になってしまったのだ。
2011.09.23
コメント(2)
今朝は午前7時半まで久し振りに快眠、昨晩は疲労困憊だったのです。昨日は午前3時起床、午前4時に家を出て、家内と仲良しだった従姉が入院している生駒市の病院迄、日帰りお見舞いをするべく、車で行って来ました。午前5時に双葉SAに到着、珈琲を販売機で買い、天然酵母のパンで朝食を取りましたが、未だ朝は明けていません。富士山も雲に隠れて見えず、八ヶ岳山麓も雲の中で残念至極でした。次に休憩を入れましたのは諏訪湖SA、多分20年振りに眺めることとなりました。午前6時ですので、未だ朝日が湖面を照らさず、山々には朝靄が垂れ込めて、素晴らしい景観を楽しむことが出来ませんでした。20年ほど前は、家内の実家がある五島行の際、此処を通って佐世保まで車で1200kmを即日行くと言うことを4~5回もしていたのです。朝霧が濃く、途中の雄大な景色を見ることが出来ませんでしたが、恵那山トンネルを抜ける頃は午前8時を過ぎ、霧も上がって来て、漸く陽が出て来てくれました。名神に入っての養老SAでは、未だ正午には間がありましたので、軽い蕎麦の昼食を取り、第2京阪から生駒市に向かい、病院に到着しましたのは午前11時半、7時間半の行程でした。大手術は成功した様で、痩せてはいましたが顔色も悪く無く、1ヶ月の入院でのリハビリで相当回復するものと判断されました。従姉の留守宅にお邪魔してお茶をご馳走になり、午後3時近くになりましたので、カーナビを自宅帰途モードに設定して帰路に着きましたが、カーナビの推奨ルートを選択したのが悪く、奈良県生駒市から大阪市中心の梅田を経由するルートだったのです。兎に角、名神に入り、名古屋付近で交通情報を見ますと、東名35km渋滞、中央30km渋滞と表示されていました。3連休の中日なので、帰路は混むまいと判断したのが誤りで、30kmの方が良かろうと中央高速を行くことにしました。大月JCTには午後9時に着きましたが、其処からはインチング状態、少し進んでは止めで、一向に進みません。相模湖ICで午後11時半となりましたので、其処で一般道に降り、帰宅の途に着きましたが、午前0時を過ぎた道路は空いていて快調に午前0時半帰宅となりましたが、予定を2時間半も遅れたことになります。混雑する時は公共機関が鉄則ですが、3連休の中日は空いていると予想した自分の判断力のミスですので文句の持って行きようがありません。
2011.09.19
コメント(1)
森林浴を満喫するべく、時々日帰りで低山トレッキングをしています。日帰りとするのは、噴き出た汗をゆっくりと自宅のシャワーで流しつつ、疲れた体を休めるのが快適と思っているからなのです。何と言うことは無く、手に取ったガストン・レビュファ(Gaston Rebuffer)と言う著名なアルピニストの登攀記を読んでいますが、到底及ぶべくも無い別世界が繰り広げられていました。もしも私達が登るのを止められて、「何故山へ行くのか?」と言う避けられない質問をされたなら、今日の私達は直ぐにこう答えただろう。「僕たちは山に登る為に出来ているんだ」。本能、岩への愛、テクニック・・私達は何故登るのかと言った疑問には、付き纏われないで登って、全てが幸いしている。森林限界を越えた岩壁でビバークすること等は、あまりに難行で、想像出来ずにいる程です。それですので、登攀記と言うより紀行文と読み進めますが、マッターホルン北壁行はその描写力に読み応えがあります。マッターホルンはその母岩から外皮を脱ぎ去った山、その構造と飛躍ぶりには幾何学的な厳しさがある。他のどこの山より、マッターホルンは理想的な峰で、一度も山を見たことは無い子供達が思い描く山だ。この山は孤立した峰だけに、その美しさは格別で、周囲には崩れた岩屑の荒れ地、低く身を屈した寝ぼけた様な峰々があるに過ぎない。北壁? 何と不愉快な登攀、それでいて豪奢な登山であることか!天に向かってそそり立つピラミッドの頂上で、か弱い人間の私達は、地球が眠りにつく場面に立会い、地球と共に夜に身を委ねる。28年前に、ゴルナーグラート駅からリッフェル湖駅迄、山下りを1駅間だけ家族4人でしたことを思い出しました。下りでしたので息が切れる訳でもありませんでしたが、富士山頂を越える高さでアルプの世界、周囲は殆ど瓦礫だらけで、その下は永久凍土の世界だったと記憶しています。
2011.09.15
コメント(0)
富士の眺望は、金時山や矢倉岳から楽しむことが出来ますが、1786m標高の三つ峠開運山からは、加えて素晴らしい南アルプスの眺望も楽しむことが出来ます。南方に山中湖、足下に河口湖、西方三つ峠山荘の向こうに西湖が見えます。残念ながら、2004年10月に行きました本栖湖は遠く山に隠れて望むことは出来ませんが、富士五湖を高所から満喫出来るのです。北方には、万年雪を頂く南アルプスの絶景が、電波塔の向こうに見えます。その手前には、秀峰八ヶ岳があるのですが、昨日は雲に隠されてしまっていました。開運山頂上は真上が雲一つ無い快晴ですのに・・家内と共に、野辺山高原から清里高原に行ってみましたのは、10年以上昔となりましたが、此処に来れば思い出に耽ることも出来そうです。却って遠くに見える方がロマンチックな思いが募ってくるものなのかも知れません。3回忌が済む、10月中旬から下旬にかけては、空気も一層澄み、冷気も昂じて来ますので、49年前を偲んで、富士急行「三つ峠駅」から再度のトレッキングをしてみる積りです。どんどん体力が落ちていることを自覚していますので、10分毎に休憩してゆっくり自分のペースで登りたいと思っています。
2011.09.13
コメント(0)
私は、紋付の和服も所持していませんし、家紋については母が亡くなるまで知りませんでしたし、確かめようとする意識もありませんでした。家内が亡くなって、墓所には我が家の家紋を刻んで貰おうとしただけで、家紋の由来、他家の家紋については殆ど興味がありません。ふと家内の親戚で家系に興味のある方から、家系図が郵送されて来て、家内の父母は、網元名跡を継ぐ為に夫婦養子として入籍したのですが、義父の生家となる家紋が、我が家と同じものと言うことを知らされました。「丸に立澤潟(タチオモダカ)」と言う家紋、元来が武家の家紋とのことです。義父の生家は、元来が筑前藩(現 福岡県西部)の医家であったらしいが、魚目村榎津郷(現 新上五島町榎津郷)が無医村になったことから、請われて赴任に同意、元禄・宝永年間に移住となったらしい。今年7月に、新上五島町で、義祖父の墓所清掃をした際に確かめて見ましたら、上記の家紋情報が間違いであることが分かりました。「丸に川の字(カワノジ)」と言うらしいのです。今まで、家紋など気に掛けたことも無かったのですが・・それでも、これ以上は調べようとは思っておりません!
2011.09.06
コメント(2)
入社時に配属先の課長だった人は齢85才を越えても、矍鑠と未だ車の運転をして、お元気です。しかし、奥様の健康が優れず歩くことが不自由になったことで、世田谷区ですが、渋谷区富ヶ谷からそれ程遠く無く、少し離れた場所である祖師谷に、息子さんと共に2世帯住宅を建てて、今月末引っ越すことになりました。親の代から住み続けた渋谷区富ヶ谷の家は売却することにして、6月25日引っ越すと聞きましたので、準備の手伝いに行って来ました。井の頭線「駒場東大前」を下りて、正門から入って時計台を見つつ構内を歩きましたが、主たる記憶は50年前ですので、900号講義室を除いては、今浦島の状態でした。駒場キャンパスの整備事業で、駒場寮も矢内原門も消滅して寂しい限りでした。裏門にあたる松濤門を抜けると、其処は渋谷区富ヶ谷で、元上司の家はすぐ傍です。此処には80年間住み続けたと言うことですが、改築して35年、家の中に入りますと未だ住み続けられる雰囲気です。本当は、息子夫婦と此処で住み続けると言うのが理想だった様ですが、富ヶ谷では2世帯住宅を建てる程の敷地余裕が無いとのことで売却することになったとのことで、残念がっておられました。物置から、又押し入れ上の戸から、種々袋漆器類を出して、古物商に鑑定・売却するとのことで、居間に並べるお手伝いをさせて頂きました。手入れが良かったのか、漆器の質が上等だったのか、殆ど劣化の無い、お膳・文箱・お椀類が沢山ありました。中でも、黒漆に金糸で家紋をあしらった文箱は逸品、これは売らずに家宝にしたいとのことでしたが、至極当然に思われました。
2011.06.13
コメント(0)
何処の団地でもクレーマはいるものですが、文句を言うだけで代替案を示す訳で無く、甚だ建設的では無いことが多い様です。本年は団地修繕8工事を実施したのですが、一部工事に予算超過が生じたので、その他工事に生じました余剰予算を充当して予算枠に収めたのです。しかしクレーマは「それは臨時総会事案であって規約違反」「予算不正流用で刑事事件の可能性あり」との強硬なクレームだったのです。本件は事前に弁護士に相談、下記の打合覚を理事各位に連絡し、監査報告にも問題無いと考えて議案書をすることに致しました。1.一部工事の予算超過に関する規約違反収支予算内であれば問題無いと言う考え方も確かにあり、その様な運営をしている管理組合がある。精査した工事予算が得られたら、実施前にその都度総会議決と言う考え方もあり、私は後者の立場に立ちたい。しかし、管理組合はどちらかを選択することが出来る。2.今回の処理方法臨時総会ではなく総会最初の議案として事後承認をとったら良い。謝罪する必要はなく、間違えたという表現は避けること。3.刑事事件への見解刑法247条「他人の為に処理する者」(理事)が「自己・第3の利益を図り、又は本人に損害を与える目的で、その任務にあたり、本人に財産上の損害を加えたとき」となるので、収支予算内での工事実施から考えると刑事事件とはならない。4.民事訴訟の可能性次年度理事会から本年度理事会を訴えることはあるが、住民が次年度理事会の代わりになることは出来ない。次年度理事会が被害あったと判断することが要件となる。其処で、例年には無い第1号議案(団地修繕工事)とした議案書を、組合員に配布しておきました。それでも総会冒頭、クレーマは延々と「規約違反」との質問を繰り返し、又クレーマの尻馬に乗ってマンション管理士を自称する組合員が「専門家だが規約違反!」と同調するに至り、15分予定の質疑が1時間にも達してしまいました。堪りかねた、一般組合員の方から「規約問題云々は別室でお願いしたい」、「議事進行!」との声が出て、漸く議長が賛否を取りましたら、賛成160票、反対20票と圧倒的多数で可決となりました。組合員の多くは、現理事会が団地の為に何をしてくれたのか、来年度に向けてどの様な議案を提示してくれるのかが重要であって、規約違反論議は重要では無いのです。規約に記載されている骨子は「組合員の同意を得ずに勝手なことをしない!」と言うことであって、それに抵触せず予算枠内で行われる限りは、理事会の費目相互での多少の裁量は許されると言う結論だったのだと思っています。クレーマは理事会を代表する理事長から「規約違反で申し訳なかった!」と言う謝罪の言葉が欲しかった様ですが、区分所有法に詳しい弁護士にも「理事会方針と結果を淡々と示し、組合員多数から同意を得る」ことを優先させ、その際「謝罪しないこと、間違ったと表現するな」と助言されておりましたので、無理な相談と言うものです!理事会の悪口を言い、謝罪発言をさせることで存在感を示したいと言うクレーマの策謀は不発に終わりましたし、建設で無いクレームに組合員の賛同は得られないと言うことなのでしょう。昨日で、共に活躍してくれた理事各位に感謝しつつも理事会から卒業、本日から一住民として復帰し団地内に没入することになりました。
2011.05.23
コメント(3)
何時の間にか、ミヤコワスレが終わりに近づきました。我が家のミヤコワスレ(都忘れ)は濃い紫、何故か一番名にし負う様な気がして好きな花です。ミヤコワスレ(都忘れ)キク科ミヤマヨメナ属別名:野春菊(ノシュンギク)、東菊(アズマギク)山野に自生するミヤマヨメナの日本産園芸品種として多く栽培され、開花期は5~6月頃で花色は紫青、青、白、ピンクなど多種に渡る。 名前の由来は、承久の乱にて佐渡に流された順徳天皇がこの花を見ると都への思いを忘れられるとの話によるとされ、この由来によって花言葉は「別れ」や「しばしの憩い」等と言われる。家内のいない独り暮らしになりますと、忘れ形見に思えて、一層健気に見えて来てしまいますが、年月は容赦なく過ぎて行きます。
2011.05.14
コメント(0)
中国の領土的野望は留まるどころか膨張の一途を辿っています。遂に尖閣諸島の領有権は譲ることの無い「核心的利益」に位置付けたと報じられています。軍事力を背景にして実効支配を築き上げ、既成事実として領土拡張を画策していることは明白だと思われます。自国に都合の良い時は戦略的互恵関係を発言して外資投資を促し、海洋資源がある地域については他国に難癖をつけて軍事実効支配をして憚らない。一朝事が起きた場合は、投資資本の凍結・奪取の意向を明らかにして、恫喝外交で対抗、屈服させることは国策、戦略的互恵関係は中国にとっての建前で、本音と思われず、幻想であることに間違いありません。戦略的互恵関係一色だった日本の政治界・経済界は、今回の尖閣諸島問題で、その危うさを認識して破綻する方向に違いありませんし、国家リスク管理の観点から、中国からの資本脱出を図ることが、重要になり一刻も早い決断が必要だと思われてなりません。しかし、建前としての戦略的互恵関係を維持しつつ、国際的に問題が無い様に暗々裏の内に進める必要がありましょう!しかしスタンドプレーばかり目立つ前原外相では、微妙なかじ取りで出来るとも思えず、不安で仕方がありません。中国政府が今年に入り、沖縄県・尖閣諸島の領有権を台湾やチベット、新疆ウイグル両自治区と同列の「核心的利益」に位置付けたと報じた。尖閣諸島付近での漁船衝突事件をめぐって中国側が見せた一連の強硬な態度の背景には、この政策変更があるとの専門家の見方を伝えている。中国指導部は昨年後半、領土などに関する問題を「国家の利益」と「国家の核心的利益」に分類することを決定。今年に入り、南シナ海や尖閣諸島を含む東シナ海の問題を、台湾などと並んで一切の妥協を拒む「核心的利益」に分類した。東南アジア各国と領有権問題を抱える南シナ海については、中国が米国側に本年3月、核心的利益に属すると表明したことが明らかになっている。
2010.10.03
コメント(1)
この処、ガソリン価格が安くなったと思っていましたが、米国原油先物相場が急反発して来ましたので、束の間かも知れません。アメリカ経済の景気回復は順調とは思えませんが、一部企業の好業績を根拠にNYダウも1万ドル回復が報じられていますが、束の間の様な気がしてなりません。膨らんだ余剰資金の投資処は予測出来ない程短絡的で長期展望もなく、爛熟資本主義の末期的状況なのでしょうか?NYMEX原油先物相場は、原油在庫の減少や米株高を背景に買われ、7日ぶりに急反発、米国産標準油WTIの8月物は前日終値比2.09ドル高の74.07ドル/バレルで終了。メキシコ湾岸に集積する米石油生産施設では前週、ハリケーン「アレックス」の影響を受けて一部生産が止まったため、石油在庫が減少するとの観測が高まった。又、7日の米株価が、米金融大手の堅調な業績予想を好感して、一時前日終値比200ドル超急伸したことも原油相場の支援材料となった。▽ガソリン=急反発。8月物は5.40セント高の202.53で取引を終えた。▽ヒーティングオイル=続伸。8月物は6.15セント高の197.87セント/ガロンで引けた。原油に加えて、金相場も1200ドル/オンスの高留まり、ヘッジファンドやソヴリンファンドが利益を求めて暗躍している市場は健全とは言えません。又、ヒーティングオイルとされる灯油・軽油価格が、殆どガソリンと変わらないのは、世界共通の様ですが、分溜容量から考えますと奇妙に思えますが、市場のカラクリに依るものと思われます。
2010.07.08
コメント(1)
今朝は雲一つ無い快晴で吹く風も気持ち良く感じられる朝となりました。昨晩は端午の節句と言うことで、スーパーで買って来た菖蒲をお風呂に入れ菖蒲湯としました。売っているものは日数が経っている所為か、独特の香りが弱くなっているのですが、昔からの風習を楽しむことで良いとすることにしました。端午の節句は中国での屈原(くつげん)供養が起源とされており、日本人にも「男子の前途を祝う節句」として親しまれています。屈原(くつげん)(BC340~BC278頃)戦国時代の強国楚の高官であり詩人でもあった彼はその正義感と国を思う情は強く、人々の信望を集めていました。しかし、秦の陰謀によって失脚、国の行く末に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。楚の人達は小舟で太鼓を打ってその音で魚を脅し、更にちまきを投げて「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。毎年命日の5月5日の屈原供養祭が行なわれ、中国全体に広がって、その風習は病気や災厄を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われ、やがて日本にも伝わって来ました。奈良時代から宮廷で行われていた端午の行事も、鎌倉時代には廃れてしまいました。しかし、台頭した武士階層は尚武の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになりました。5月5日の端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形」を飾って男子の前途を祝うようになったのは江戸時代からです。 没後50年横山大観展で出品された「屈原」1898年大観30才の作品で厳島神社蔵、その制作意図は東京美術学校(現東京芸大)を追われた岡倉天心の悲愴な心境を屈原の悲歌に重ね合わせることにあったと言われている。荒れ狂う風は屈原の悲愴な内面感情を、風にざわめく叢の陰に隠れる鴆(ちん)には讒言を、背後から屈原を上目使いに見る燕雀には小心さを象徴し、右手に持つ蘭は高潔な気性を現わしていると解説されている。この画像はインターネットでダウンロード拝借したものです。是非観賞したい逸品ですが、未だ本物にお目に掛ったことはありません。そう言えば、この屈原の顔が岡倉天心を彷彿とさせますが、気のせいでは無いと思っています。
2008.05.06
コメント(2)
22日未明亡くなった義兄の通夜・告別式が、昨日26日滞りなく終わりました。普段は全く気にすることが無い易暦で、葬儀に向かないとされたのか24日では無く、葬儀社から通夜が25日、葬儀告別式が26日と設定されました。遺体は自宅に3日間安置されましたので、義兄遺族もせめてもの供養と思ったに相違ありません。通夜には、退職して7年以上経ちますのに、努めていた会社からも大勢の方々が参列してくれていました。退職後も、OB会へ毎年参加すると言う真面目な性格とやさしい人格がなせる業だったのでしょう。葬儀・告別式になりますと、機械的にスケジュールは動いてしまうようで、出棺から斎場への移動、火葬から遺骨になるまでは1時間、あっと言う間で、直ぐに葬儀社のホールに戻って、初7日法要、遺族・親族による清めの会食で、全て終えることとなりました。ただ通夜の時から、気になっていましたのは、祭壇に置かれていました戒名牌でした。義母は我が家で亡くなりましたので、12年前の葬儀に際して五島列島の菩提寺である浄土真宗の寺に電話連絡して戒名を頂いたのですが、院号・位号もあるものでした。義兄の戒名は釈から始まる僅か3文字の簡単なもので、奇異に思ったのです。インターネットで検索してみると、この戒名(真宗では法名とされるのらしい)が本来的な法名であることが分かりました。遺族も遠い五島列島でなく、生活拠点から遠くない墓地での埋葬を望んでいますので、先祖代々の家名墓に入るのでも無いことから、「宗派の仕来たり」に合った法名が良いのだと思うに至りました。浄土真宗では無戒であるため戒名とは呼ばず、法名(ほうみょう)と呼ぶ。法名には本来的に院号(寺の発展に貢献し、それを讃える意味でお寺より下附されるもの)、修行の経歴を表す道号(いわゆる、四字や六字の戒名)や、修行の形態を表す位号(信士・居士・信女・大姉等)はありません。しかし地方によってまた寺院によっても、そのつけ方はさまざまです これは、開祖の親鸞が「戒律を守れない凡夫であり、阿弥陀如来によってのみ救われる」という教義を打ち立てたことによる。男性は釋迦の弟子を意味する「釈」号、女性は「釈尼」号である。位号は普通用いないが、他宗の影響が強い地域の古い寺院などでは使用されている場合もままある。義父義母には位牌もありますが、義兄の場合には位牌は無く、過去帳だけとなります。初7日法要が済んだら、導師和上は清めの会食に加わることも無く、弁当を持ってさっさと帰ってしまいました。忙しいのかも知れませんが、遺族への挨拶も無いのですから驚きです。真宗と言っても宗派規律が殆ど無く、各寺でかなり自由に処理しているのだと改めて認識しました。
2007.12.27
コメント(2)
昨日未明、義兄が急逝しました。1938年6月生まれですから享年69才にしか過ぎません。死亡診断書によれば死因は「誤嚥性肺炎」とされています。2ヶ月ほど前から歩行困難となったらしく、先週の電話では「毎正月義兄宅で集う会は、通院治療も必要なので中止したい」との連絡でしたので、「又、元気になったらお会いしましょう」と話しをしたばかりでした。一昨日意識不明となり緊急入院となったのですが、ご家族からの電話では「4~5日で退院出来るとの診断ですのでご心配無く!」とのことでしたので、退院前の元気な姿を見に来週早々に行けば良いと楽観視していました。しかし、一昨日夕方に病状は悪化、深夜には意識不明になったと言う連絡を受け、急遽インターネットで病院の横浜市泉区所在地を確認し、車で病院に駆けつけました。到着しましたのは昨日午前1時頃のことで、既に生命維持治療が施されていて、もう話しかけることも出来ませんでした。担当医師は「左肺2葉は潰れ、水分や食物、口腔内容物、逆流した胃液などを下気道に嚥下することにより起こる肺炎で、右肺3葉の内2葉は嘔吐物で塞がれ、残った1葉に5倍濃度の酸素空気を供給して生命維持させています」との説明でした。小康状態にあると判断し、翌日再訪することで、午前3時帰宅の途に着きましたが、午前4時帰宅して直ぐ、午前3時40分腎臓不全も発生し逝去となったとの連絡が入りました。義兄は7年ほど前、食道癌を発症、東京医科歯科大学病院で切除手術をして、その後2~3年は短くなった食道で飲料を飲み下すのに苦労していましたが、それも慣れて来て健康を取り戻して来た様に思われました。しかし、元来が大食漢だった義兄は、栄養摂取が十分では無かったようで痩せてしまいました。それでも、年取ってからの痩せ型体型は健康の証と思って来たのですが、そうでも無かったのかも知れません。本人はもういませんので自分の状態を語ることはありませんが、担当医師の説明では「骨の劣化も相当進んでいて、90才代の状態」とのことでしたので、体内の老衰は年齢以上に進行していて、相当苦しかったのかと思いやるに過ぎません。これで家内は、長兄を誕生前に、次兄を在米中1983年に、今回すぐ上の兄と、両親・兄弟をすべて亡くして、高齢者仲間入り直前に、何とも寂しい限りとなりました。
2007.12.23
コメント(4)
先日近くの三越デパ地下で福砂屋のカステラが期間限定で売られていました。此処のデパ地下には、文明堂の常設店舗があるのですが福砂屋はありませんので、久しぶりと思い見ていましたら、並べてあるのは0.7号のカステラとオランダケーキでした。私は毎年長崎に行きますと、必ず福砂屋のカステラを買って知人に宅配発送するのですが、長崎空港店を含めて殆どの店が0.5号、1号と並べていて、0.7号は見たことが無かったのです。0.5号は一人用、1号は二人用として考えていたのですが、段々と夫婦で歳をとって来ますと0.7号が都合の良い分量かと思い買って帰りました。「福砂屋本店-カステラの老舗」訪問日記です文明堂ほどではありませんが、今や東京でも簡単に入手できるようになった福砂屋のカステラ、東京分は東京地区の工場で焼かれるそうです。知人に言わせますと、「長崎の福砂屋のカステラは、東京で売られているカステラより美味しい」とのことですが、同じレシピでも職人の腕で味も少し違って来るのかもしれません。私は食べ比べることもしませんので、底に残されたザラメ糖のザリザリ感、しっとりとした甘さで、どちらも美味しいと思います。
2006.11.14
コメント(5)
昨日、何十年ぶりにコクゾウムシ(穀象虫)を見つけました。実は3ヶ月程前に福島県の農家の方から玄米を15kg頂きましたので、桐製の米櫃の中に入れ、時には圧力鍋で玄米ご飯にしたり、精米機で白米にしたり楽しんでいました。桐製ですと防虫効果もあり、湿気にも強いとされているからです。しかし何しろ夫婦2人しかいませんし、朝食はパン食、昼は麺類が多く、ご飯を食べるのは夕食だけですので、なかなか減りません。昨日、1kg程精米機で白米にしようかと、米櫃から玄米を出してみますと黒い甲虫が這いずっていたのです。あれあれと思い、米櫃の中を見ましたら結構な数がいそうなので、新聞紙を広げて玄米を其処に拡げましたら、米粒の中から何十匹と見つかったのです。全て退治して、玄米は数個のポリエチレン密閉袋に入れ直し、「鷹の爪」も混ぜて密封し米櫃に戻しました。唐辛子類は虫除けに良いと聞いたからです。コクゾウムシ(穀象虫)は、体長3mm甲虫の一種でその名の通り鼻が象の様に長く伸びていて、健全な穀粒を加害する。象の鼻のような口吻で穀物に穴をあけて卵を産む。 孵化した幼虫はそのまま穀物の中で発育して蛹になり、成虫となって穀物から出て来る。25~30℃、70%湿度条件で、産卵から成虫まで約1ヶ月間かかる。成虫も穀物を食べる。米粒の中に生み付けられた卵は数日で孵化(ふか)した幼虫は、お米を食べながら大きくなる。やがて成虫となり、米粒の中から出て来てお米を食い散らし、卵を生むサイクルとなる。穀象虫は困ったことに精米工程の熱では死滅しない。防除するには、精米所を徹底的に清掃する必要がある。家庭では、購入したお米は早めに消費することや、密閉容器に入れ温度の低い所で保管する事が大切。虫が這いずり回る「お米」はあまり気持ちの良いものではありませんが、逆に考えればその中で虫が生きられる程、農薬が入っていない証拠とみることが出来ます。近頃、中国産の野菜は農薬大量散布が懸念されますので、産地表示を見て購入は避けています。野菜等では有機農業が見直されて増えていますが、値段的には相当高価な感じがしますので、国内産と言うことで妥協しているのが日常です。頂いた玄米は自家消費用なのでしょうか、低農薬米であることは確かな様で、残り少なくなりましたが喜んで賞味させて頂くことに致します。高度成長期前の1950年代では、梅雨時になりますと、醤油には白カビ、お米にはコクゾウムシ等は良く見られた光景でしたが、防腐剤と農薬の使用で何時しか消えてしまい忘れてしまいました。何十年ぶりに見つけたコクゾウムシ(穀象虫)を、そんな昔を思い出せてくれました。
2006.06.25
コメント(2)
近頃「鯨ウオッチング」などで環境保護の象徴ともなって来ている鯨、その商業捕獲が禁止されてから24年が経過して変化が出て来ている様です。個体数が激減した時は「保護策」は有効ですが、一定の個体数増加があった時は、生態バランスを保つ意味で捕獲は認められるべきだと思っていました。鯨の補食するオキアミ、小魚は大量で生態バランスが崩れるのではとの主張もあった様ですが、一理あると思われました。日本国内でも野生猿、野生鹿なども保護されて来たことで、個体数が増えすぎ、農作物被害、森林破壊も懸念されますので、この様な「保護政策」は「過ぎたるは及ばざるが如し」と柔軟に対応して行くことが必要だと思っています。カリブ海で開催中の国際捕鯨委員会(IWC)総会は3日目の18日、1982年の商業捕鯨一時禁止決定に批判的な内容の宣言を、33対32の1票差で可決した。捕鯨支持派がIWCの主要議題で過半数を獲得したのは、禁止決定以来初めて。宣言には拘束力はないが、IWCの意思を示すものとなる。 今回のIWCは初日の終了時点で、捕鯨支持派とされるガンビアやトーゴが新たに分担金を支払って投票権が認められたため、採決が捕鯨国に有利になる可能性があるとの見方が出ていた。2日目には、日本が承認を求めた4地域の漁民によるミンククジラの沿岸捕鯨の実施が、賛成30、反対31、棄権4の小差で否決されていた。「捕鯨禁止」でネット検索してみましたら、その辺の経緯を解説したWebサイトが見つかりました。24年前もどろどろとした政治決着の結果で、今回採択でも「どろどろ」の政治駆け引きが続いているとの興味ある記事でしたので、脚色して転載します。1946年に設立されたIWCは、加盟国17カ国前後で捕鯨国の仲良しクラブだった。状況が一変したのは1971年アメリカが「クジラやイルカなど海洋哺乳類の保護」を重要な政策として打ち出してからである。この「保護政策」にイギリスも協力し、捕鯨に少しでもかかわりがある世界中の英連邦諸国を次々とIWCに招き入れた。スイスのように海のない内陸国も捕鯨に反対する目的で入ってきた。その結果、加盟国は1980年代には40カ国を超え、大半が捕鯨に批判的な国々になったところで、1982年商業捕鯨を禁止する決議(モラトリアム決議)がIWCで多数決採択され、1986年から禁止が実施された。 IWCでは決議があっても異議申し立てをすれば、従わなくてもよい決まりがあった。日本はノルウェーと共に異議を申し立てたが、アメリカから圧力をかけられて撤回してしまった。日本漁船はアメリカの200海里水域内で漁をさせてもらっていたが、日本が異議申し立てを撤回しない限り、日本に許可していた漁獲枠を削ると言ってきたのである。 ノルウェーは異議申し立てを維持して1993年に捕鯨を再開し、アイスランドも1992年に脱退したことで、日本は主要捕鯨国で唯一モラトリアムによる直接の影響を受けている国となった。 だが1990年代後半になり、日本が対米従属度を高めるとアメリカが捕鯨に関して日本に圧力をかけることは減った。こうした変化を背景に日本はまきかえし作戦に出、日本は発展途上国に開発援助(ODA)の見返りにIWCでの日本の立場に賛成するよう要請した。かつて英米が行ったのと同じ戦法をとったのである。 明治から敗戦をはさんで1970年代までは、鯨肉は国民的なタンパク源で、近代的な捕鯨によって安く大量の鯨肉を確保し、缶詰やその他の大衆食として定着させ、日本の産業振興を支えるという国策があった。こうした政策は1986年の商業捕鯨禁止によって終わったが、それが外圧による強制であったため、日本政府は捕鯨再開を求める方針を掲げた。これは当時としては良かったかもしれないが、その後の日本が空腹の時代から飽食の時代へと変わっていき、食品流通が国際化されて安い牛肉などが海外から入ってきた結果、国民的な栄養源としての鯨肉の重要性は減った。 にもかかわらず日本政府が捕鯨にこだわっているのは、いったん決めた政策を変えることが難しいという、官僚制の弊害によるものだろう。その弊害を利用して、捕鯨協会がロビー活動を展開している様に見える。
2006.06.19
コメント(2)
昨晩は端午の節句と言うことで菖蒲湯を楽しみました。スーパーで買って来た菖蒲は、切ってから日数が経っているのか、独特の香りが弱くなっている様な気もしますが、薬湯では無く縁起物だと考えて良しとすることにしました。35年前に義父母から頂いた「兜飾り」も、久しぶりに保管箱から出して虫干しとしましたが、義父母も既に逝き、子供達も既に家を出て行きましたので、祝い祝われた当人達がいなくなって何か寂しい気がして来ました。端午の節句は中国での屈原(くつげん)供養が起源とされており、「絶望し身投げする直前の屈原の憤怒風貌」は横山大観の名画で日本人にも知られています(重要文化財か否かは確認していませんが・・)。インターネットでは「端午の節句」を次の様に解説しています。屈原(くつげん)(BC340~BC278頃)中国戦国時代の強国楚(そ)の高官でした。詩人でもあった彼はその正義感と国を思う情は強く、人々の信望を集めていました。しかし、大国秦(しん)の陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。故国の行く末に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。楚の人達は小舟で川に行き太鼓を打ってその音で魚を脅し、更にちまきを投げて「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。このようなエピソードから、毎年命日の5月5日の屈原の供養のために祭が行なわれるようになり、やがて中国全体に広がっていったのです。国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行きます。その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。三国志の時代に端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦5月5日に定められ、やがて日本にも伝わって行きました。日本で奈良時代から宮廷で行われていた端午の行事も、時代が鎌倉時代の武家政治ヘと移り変わるにつれ段々と廃れて行きました。一方、台頭して来た武士のあいだでは尚武の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになったのです。この様な時代の変遷の中で、薬草を摘んで邪気を祓うと言う端午の行事が、男子誕生の祝いへと結びついて行ったと考えられます。5月5日の端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形(五月人形)」を飾って男子の前途を祝うようになったのは江戸時代からです。やがてこの風習は武士だけでなく、広く一般の人々にまで広まって行き、町人階級も紙で作った「鯉のぼり」を竿につけて高く掲げて楽しむ様になりました。中国古来の風習をそのまま踏襲するのでは無く、日本の国情に合わせて変化させて来ている様です。
2006.05.06
コメント(2)
10年ぶりだったでしょうか、久しぶりにジグソーパズルをしました。3Dジグソーパズル「地球儀(World Globe)」540ピースが近くの「ケイヨーD2」店にて 5490円で売られているのを見て、衝動的に買って来てしまいました。パッケージ裏側によると、発売している会社のWebサイトはこちらとなっています。25年も前に2500ピースのジグソーパズルに挑戦し完成したこともあったので、500ピース位では極端に言えば一日でOKだと思ったのです。しかし、あ(豈)に謀らんや、そうは問屋が卸しませんでした。通常平面ジグソーパズルでは、四辺縁の直線部分を作って、後は色ごとに分類し嵌め込んで行くのですが、3Dジグソーパズルでは辺や縁に相当する所が無いのです。仕方なく5大陸部分を、国名表示を頼りに組み上げて行きましたら、各ブロックが段々と球面状になって行きますので、一部のピースが落ちてしまいその固定方法が又難しく閉口しました。漸く4日程掛かって完成しましたが、完成品は結構しっかりとしています。接着糊も使っていませんのに、所謂アーチ力学と同じく、各ピースがピース自体の抵抗と摩擦によって球形が維持される様です。3D球体パズルはプラスチック製の湾曲ピースを球体に仕上げていく新しいパズルです。カチッとしたはめ心地が味わえ、のりは要りません。パズルの中は完全空洞になっています。3-D球体パズルとは、「ジグソーパズルは平面」という固定観念をくつがえし、遊び心を発揮した3-D球体パズルは、脳の持つ空間能力を隅々まで働かせ組み上げていく高度な知的パズルゲームです。独自開発の湾曲ピースを絵柄情報頼りにひとつひとつはめて球体に仕上げていく行程には他のパズルでは味わえない独特の魅力があります。また、それぞれピース自体の抵抗と摩擦によってパズルの成形が維持されるので、内部は空洞となり、完成に向かうにつれて新鮮な驚きがあります。今回の地球儀は直径229mm(9 inch)で少し小さいのですが、地球儀としての役割は十分果たします。5年程前に30.5cm(12 inch)リプルーグル地球儀を親戚の方に差し上げてしまってからは、我が家には必要性も感じられずそのままになっていたので、5年振りの復帰は何となく嬉しい思いです。通常地球儀の大きさは直径約 30.5cm(12 inch)ですが、3Dジグソーパズルですと960P になってしまいますし、その他サイズ375mm(15 inch)の大きさで1500 Pの難しいものもあるようですが、自力で完成させる自信が無くとても挑戦する気になれません。
2006.05.05
コメント(1)
全188件 (188件中 51-100件目)