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航空学科の同期生が、クリスタ・ルードビッヒの「冬の旅」とフィッシャーディスカウの唄う「ベートーヴェン歌曲集」のCDを郵送してくれました。「ベートーヴェン歌曲集」は、難聴のピアニストのHertha Klust女史の伴奏に依るもので、1955年録音と「レア」もので、その中の「すアデライーデ」は珍しいもので、優しい曲調で、ハイリゲンシュットの遺書以降から晩年に至る充実したもので無く、25才当時の音楽への楽しさが感じられる曲でした。其処で、YouTubeで検索してみますと、ウィーンの三羽烏ピアニストであるイヨルク・デムス伴奏による動画を見つけることが出来ました。録音は1970年頃のことでしょうか?Dietrich Fischer-Dieskau: Adelaide, song for voice & piano, Op. 46 (Beethoven) Einsam wandelt dein Freund im Frühlingsgarten,Mild vom lieblichen Zauberlicht umflossen,Das durch wankende Blüthenzweige zittert,Adelaide!In der spiegelnden Flut, im Schnee der Alpen,In des sinkenden Tages Goldgewölke,In Gefilde der Sterne strahlt dein Bildnis,Adelaide!Your friend wanders alone in the garden of spring,Gently bathed in lovely magical light,Which shimmers through the swaying branches of flowers:Adelaide!In the reflection of the river, in the snows of the Alps,In the golden clouds of sinking day,In the fields of stars thy face beams forth,Adelaide!
2020.12.28
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ベートーヴェン交響曲の中で、一番よく聴くのは第7番で、次は第8番かも知れません。貧乏だった学生時代、東京都育英奨学金が月額2500円でしが、それを安田講堂事務室で受け取り、法文系建物にあった生協にて初めてLPレコードを1500円で購入しましたのは、カールベーム指揮のウィーンフィル演奏に依る交響曲第7番とレオノーレ3番がカップリングされたモノーラルレコードでしたので、そんな影響もありそうです。交響曲第7番イ長調作品92は、ベートーヴェンが1811年から1812年にかけて作曲した交響曲。リズム重視の曲想から現代においても人気が高く、演奏される機会が多い。ワーグナーは各楽章におけるリズム動機の活用を指して、この曲を舞踏の聖化(Apotheose des Tanzes)と絶賛している。そんなリズム感を重視したメロディーが、室内楽楽曲演奏に向いているのか、数多くの演奏動画がYouTubeにアップロードされています。Ensemble Mendelssohnの弦楽5重奏団に依るライブ演奏でお聴きください、全く違和感はありません!Beethoven - Symphony No.7 for string quintet – Presto
2020.12.16
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ベートーヴェンの死後の1830年に出版された作品で、Werk ohne Opuszahl(作品番号無し作品)に分類されています。平易な小曲ながら、ヴァイオリンとチェロ、ピアノの掛け合いが美しく、8分音符のテーマを基本和声が何度も回帰し、優雅な調べは曲全体に気高さを与えている様に思えます。実際には1812年作曲で、「ウィーン1812年6月26日。私の小さな友人、マクセ・ブレンターノに、ピアノを弾く励ましに! ベートーヴェン」と自筆稿のタイトルに書かれている。マクセとはマクシミリアーネの愛称で、ブレンターノ家の当時10歳の少女にこの作品は献呈されたのであった。ピアノが上手であった彼女のために書いたと推定される。Trio Wandererと言う3重奏団が演奏する動画でお聴きください!Beethoven trio WoO39 Trio WandererTrio Wandererと言う楽団は初耳ですし、録画も10年以上も前ですので、現在も活動されているのか否かは不明です!
2020.11.24
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二階のベランダから見ますと、高さ3mでバラ一輪が咲いていました。今年最後のバラの様です。直ぐに思い出されるのは、アイルランド民謡(歌曲)の「The Last Rose of Summer(夏の最後のバラ)」ですが、日本では「庭の千草(にわのちぐさ)」として親しまれています。日本の唱歌としては古く、1884年(明治17年)発行の「小学唱歌集(三)」に『菊』として掲載されたそうです。作詞者(訳詞者)は、イギリス民謡『埴生の宿(はにゅうのやど)』訳詞でも知られる明治時代の文学者・里見義(さとみ・ただし)。歌詞の内容は、原曲のアイルランド民謡『夏の名残のバラ』をある程度踏まえた内容となっている。Amelita Galli-Curci - "The Last Rose Of Summer" (1921)このイタリアのソプラノ歌手、100年も前の録音ですが、極めて詩情に溢れる歌い方で、不世出の歌手なのでしょう!高畑勲監督作品のアニメ「火垂るの墓」でも、挿入歌曲として、アメリタ・ガリ・クルチが唄う「埴生の宿(Home Sweet Home)」が採用され、物語の悲しさと悲愴さが強調されていました。
2020.11.03
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近頃は、全くロックを聴かなくなりました。我が家には、Def Leppard、Bruce Springsteen、Bon Jovi、U2、Van Halen等がある筈ですが、収蔵の整理が悪くて、何処に仕舞ったのか判然としません。先日、Van Halenのギタリスト逝去のニュースがマスコミで報じられましたが、何かロック時代の終焉を迎えているのか、と言った感覚でしかありませんでした。そんな中で、収蔵棚から見つけたLPレコードは「デフ・レパードDef LeppardのPyromania」でした。彼らが扇動的な3枚目のアルバム『Pyromania(邦題:炎のターゲット)』を1983年1月20日にリリースしたときだった。精力的でありながらスリム化された『Pyromania』のサウンドは、瞬く間にべた褒めの批評をつかんだ。ローリング・ストーン誌のデヴィッド・フリックは “彼らが演奏する重要性” 、そして “ラジオに戻ってきた待望の輝き” とバンドを絶賛した。ヒューストン在住の時、長男がよく聴いていた記憶が蘇って来ましたが、LPレコード再生装置が無いので、聴くことが出来ません。
2020.10.18
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珈琲は、豆を電動ミルで挽き、珈琲メーカーで入れて、毎日2~3杯飲むのを日常習慣としていますが、学生時代に足繁く通った名曲喫茶での体験が残っているのかも知れません。バッハの世俗カンタータ「珈琲カンタータ(BWV211)」の最終曲を飾る三重唱、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団メンバーに依って唄われます。トルコに依る、西ヨーロッパ侵攻は失敗に終わりますが、其処に残された飲料「珈琲」がオーストリア・ドイツ人に認識され、一挙に西欧全体に拡がって行ったとされています。Bach: Terzetto "Die Katze lässt das Mausen nicht" from "Coffee Cantata", BWV 211Die Katze läßt das Mausen nicht,Die Jungfern bleiben Coffeeschwestern. Die Mutter liebt den Coffeebrauch, Die Großmama trank solchen auch, Wer will nun auf die Töchter lästern!猫は 鼠捕りを やめないし娘も 珈琲を やめないその母が 珈琲好きで祖母まで 珈琲好きだったなら娘だけに 珈琲を 許さぬ道理は 無いでしょう残念ながらライプチヒは訪れたことがありませんが、音楽ホールを出て街の様子を紹介しながら、唄う3重唱、クラシックらしくなく楽しく、気軽に聴くことが出来ました。
2020.10.10
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仲道郁代女史は、シューマンを取り上げることが多く、次第にショパンも弾くようになりショパン弾きとして活躍した頃は、可愛い美人で「音楽のミューズ」と称されていました。しかしながら、1990年代後半から、クラシック音楽を親しみやすくする企画を次々と立てていて、近年はベートーヴェンのピアノソナタ全曲録音のCDをリリースし、コンサートでもソナタと協奏曲を全曲演奏、ベートーヴェン生誕250年とご自身のデビュー40周年を重ね合わせた2027年に向けて精力的に取り組んでいる様です。仲道郁代 / ピアノソナタ 第8番 悲愴 第2楽章名高い緩徐楽章ではありますが、感情に流されずに淡々と弾いている様子は、音楽的成熟に達している様で、心地良く聴くことが出来ます。ベートーヴェンが作曲したピアノソナタ第8番は、「大悲愴」と題されていて、作曲者の創作の初期を代表する傑作として知られる。後年の作品に現れる深遠な悲劇性とは異なる次元の哀切さであるが、そうした情感を音楽により伝達しようという明確な意識が確立されてきた様子を窺い知ることが出来る。劇的な曲調と美しい旋律は本作を初期ピアノソナタの最高峰たらしめ、今なお多くの人に親しまれていて、特に第2楽章Adagio cantabileはロンド形式で、ベートーヴェンの書いた最も有名な楽章の一つとされている。
2020.10.06
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今年は、ベートーヴェン生誕250年となるらしいので、TVではそれなりにベートーヴェン楽曲の演奏放映が多い様な気がします。そうかと言って、コロナウイルス蔓延が収まらないので、コンサートへ行こうと言う気も起りません。其処で、PCで適当に検索しては、PC供え付きの貧弱なスピーカで気軽に聴くことにしています。あの偏屈で頑固なベートーヴェンが、恐れていた重病から快復したことに対し、遜って敬虔に神への聖なる感謝を捧げると言うのですから、生誕250年を記念して聴くには、これに勝る楽曲はありません!Beethoven, String Quartet 15 In A Minor, Op. 132, "Heiliger Dankgesang" - 3. Molto Adagio済みませんが、何処の4重奏団が演奏しているのか未確認ですが、何と静かなメロディーなのでしょう!第3楽章 "Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit, in der lydischen Tonart" Molto Adagio – Andante ヘ調のリディア旋法、五部形式「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と題された楽章。全体のクライマックスに位置している。ゆっくりとしたヘ調の教会旋法による部分と、より速めの「新しい力を得た"Neue Kraft fühlend" 」ニ長調の部分の交替で構成される。
2020.09.27
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昨日、隣駅「唐木田」近くの神社で彼岸花、所謂曼珠沙華が咲いているのを見ました。我が家の玄関門柱裏の彼岸花は、今年は遂に絶えてしまいました。別に植えた記憶は無いので、自然に生えて来たもので、年々数を増やして一時は12~13本になったのですが、5年程前から数を減らし始めていたのです。肥料も水も施すことも無く、自然に任せましたままですので、仕方がありません。今朝は、曼珠沙華の歌として知られる「長崎物語」をPCで拝聴しています。長崎物語Wo Yes歌 谷 真酉美 作詩 梅木三郎 作曲 佐々木俊一 昭和13年所謂、ヨナ抜きの日本特有のド演歌になるのでしょうが、谷真酉美さんと言う歌手は、淡々と江戸時代に国外追放となった「じゃがたらお春」の哀愁を漂わせて歌っていますので、ほろりとさせてくれます。じゃがたらお春(1625 - 1697)は、江戸時代初期に長崎に在住し、後にバタヴィア(ジャカルタ)へと追放されたイタリア人と日本人の混血女性。ジャカルタから日本へと宛てたとされる手紙「じゃがたら文」で知られる。ポルトガル商船のイタリア人航海士と、長崎の貿易商の子女・マリア(日本名不明)との間に生まれる。容姿端麗、読み書きにも長けていたとされる。寛永16年(1639年)6月に発布された鎖国令により、同年10月、長崎に在住していた紅毛人とその家族がバタヴィアへ追放された際、母・マリア、姉・お万と共に14歳で離日した。
2020.09.25
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アップテンポで、スターカットで区切られるタンゴ「マロニエの木陰」は、歌うのが難しく3年間も敬遠されていたのを、歌い切ったのが松島詩子女史で、1937年のことでした。松島詩子の和製タンゴを聴く-マロニエの木蔭松島詩子女史は、声楽家としては遅咲きで、変わった経歴の持ち主で、20才代後半に学校の教諭から転身、自己研鑽に努めて類い稀なる歌唱力を身に付けた様です。1931年文検に合格し、広島県忠海高女教諭。しかし声楽家への道を志望して上京、1932年「ラッキーセブンの歌」でデビューし、「潮来の雨」(1934年)、「マロニエの木蔭」(1937年)、「喫茶店の片隅で」(1955年)などがヒットした。又、各地の小学校での歌唱指導で「月の砂漠」の流行に功があった。1937年初のリサイタルを開き「蝶々夫人」を歌った。1938年歌劇団パヴォーを組織し、オペラ「ボッカチオ」を公演するなど、歌謡曲以外でも活躍した。我が家近くのマロニエ並木は落葉が始まっていますが、春5月には「聖蹟桜ヶ丘」駅前の並木にはベニバナトチノキが紅色の花を咲かせてくれます。
2020.09.21
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2007年、ヴァチカンで演奏したMozart Violin Concerto No. 3は、清楚な感じのするヒラリー・ハーン(Hilary Hahn)は、未だ20才代の溌剌とした演奏で、中々の聴きものでしたが、もう40才代になっていて、ドイツ系特有のしっかりした風貌になった様です。YouTubeにアップロードされているのは、3年前のロサンゼルス室内管弦楽団と共演したバッハヴァイオリン協奏曲BWV1042です。Bach Concertos BWV 1042 - Hilary Hahn 432Hz何より、楽しく演奏している様子が出ていて、魅力的です!この曲は、鍵盤楽器協奏曲として、永らくグレン・グールドがColumbia Symphony Orchestra共演した、1967年録音のバッハ ピアノ協奏曲第3番BWV1054が、楽しそうな演奏で好みでした。Houston在任中に、隣にあったSageと言うスーパーにてLPを購入して、時に触れ楽しく聴いていたのですが、もうLP再生装置は無いので、聴く術が無いのは仕方がありません。我が家にはGidon Kremerが演奏するバッハヴァイオリン協奏曲BWV1042は残っているのですが、YouTubeにアップロードされている、ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn)女史の方が楽しく演奏出来ている感じがしています。
2020.09.12
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宮崎県東臼杵郡椎葉村で台風10号に依る、山崩れの惨状が報じられています。村外れと思われる場所で、杉林の急斜面の直下に辺っていて、裏山が崩れて住居が埋まって、ベトナム人作業員を含む4人が土砂の下敷きになる痛ましい事故で、救出作業が本日も再開して行われる様です。椎葉村は平家の落人部落ともされる秘境で、近郊と思われる綾町までしか行ったことはありませんし、綾の大橋の上流は愕くほどの住む人の少ない山村で、椎葉村中心部がどうなっているのか定かではありません。ひえつき節は元々、稗(ひえ)を臼に入れ杵でつくときに歌った作業歌でしたが、平家の落人伝説に置き換えられて、悲しいロマン溢れる歌詞やメロディーとなった様です。ビクター少年民謡会の少女達の唄う歌が、民謡の由来にマッチした素朴さと悲しいロマンを表現出来ている様に思われます。ひえつき節 ビクター少年民謡会庭の山椒(さんしゅう)の木鳴る鈴かけてヨーホイ鈴の鳴る時や出ておじゃれヨー那須の大八鶴富おいてヨーホイ椎葉たつ時や目に涙ヨー平家の落人伝説:平安末期1185年壇ノ浦の戦いで平家は滅亡し、平氏残党が日向国椎葉へ逃れ、源頼朝の命を受け、那須与一の弟大八郎は、椎葉村へ残党追討に向かった。其処では、平氏落人は農耕に勤しむ農夫となって暮らしをしていて、その健気な姿に、幕府には討伐した旨の報告を行い、椎葉村に留まり、落人達との交流を深めていく内に、平清盛の末孫とされる鶴富姫と恋に落ちた。数年後、大八郎は帰還命令を受けた時、鶴富姫は大八郎の子を身ごもっていた。大八郎は「男の子なら連れてこい、女の子ならここで育てよ」と太刀と系図を与え、鎌倉へ帰った。鶴富は女子を生んだ。成人後は婿を取り、その婿が那須下野守を名乗って椎葉を治めたという
2020.09.10
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暑さが衰えないばかりか、コロナ感染も第2次の方が多くて、あまり外出せず、家に籠もってPCやTVを観ることにしています。そんな中の先日、知人の告別式に参列、古き友人の方々もいて、昔話に花が咲いていました。旧制府立一中(現 日比谷高校)に通う俊才で、奥様はマドンナとして知られ、知人仲間での憧れの的だったと言うことで、懐かしい青春時代が思い起こされました。YouTubeで見つけた、1976年にヒットポップス「池上線」が気に入り、青春時代を思い出しつつ、複数回聴いています。池上線・西島三重子 Photo Movie(昭和51年)1976年ヒットシンガーソングライターの西島三重子女史は、妙齢で細身の美人歌手でしたが、70才になって太目の叔母さんになっても「池上線ふたたび」を刊行する程の兵です!1976年4月25日発売のセカンド・シングル『池上線』(佐藤順英作詞)が極めて息の長いヒットとなり、代表曲となった。2012年11月7日にはアンサーソングの『池上線ふたたび』(門谷憲二作詞)をリリース、2015年9月16日には新バージョンとして「池上線ふたたび~New Version~」(門谷憲二作詞)と「池上線~New Version~」(佐藤順英作詞)をカップリングしたシングルを発売した。池上線の「洗足」駅からは私に米国駐在を命じた上司のお宅があって、駅からは遠くありませんので、日本への帰国後よく正月の挨拶に行って、奥様共々歓待されたものでした。その奥様も歩行困難となって介護施設に入られて、元上司である恩人も歩行に支障を来たしつつ、頻繁に其処を訪れて面倒を見る苦労されていると知るのも、寂しい限りです!
2020.09.03
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昭和28年(1953年)は、敗戦後の混乱から抜け出して、皆がより良い職を求めて一生懸命に働くことが出来る様にはなりましたが、未だ々、貧しい時代でした。この写真は翌年の小学校卒業の記念写真、焼け残っていた木造校舎が、鉄筋コンクリートに建て替えられる時代でもありました。その頃、特攻隊生き残りの俳優である鶴田浩二氏が、働くペーソスを唄ったメロディが流行っていました。街のサンドイッチマン 鶴田浩二アップされている動画には、その頃の銀座から築地に掛けての晴海通りの賑わいが映し出されて懐かしい限り、担任の教諭が月島に住んでいて、「ハゼ釣り」に誘ってくれましたので、新宿から月島まで延々と都電に乗っていったのも忘れられない思い出です。作詞:宮川哲夫、作曲:吉田 正、唄:鶴田浩二1 ロイド眼鏡に 燕尾服(えんびふく) 泣いたら燕が 笑うだろ 涙出た時ゃ 空を見る サンドイッチマン サンドイッチマン 俺らは街の お道化者(どけもの) とぼけ笑顔で 今日も行く2 嘆きは誰でも 知っている この世は悲哀の 海だもの 泣いちゃいけない 男だよ サンドイッチマン サンドイッチマン 俺(おい)らは街の お道化者 今日もプラカード 抱いてゆく
2020.08.29
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元来、2台のチェンバロの為の協奏曲BWV1060ですが、Doppel(英語ではDouble、2重の意)表示で、実はもう一曲ある様なのです。それは、2つのヴァイオリンの為の協奏曲BWV1060a、ヴァイオリン演奏部はOboe(Violin)と書かれていて、オーボエでも演奏出来る様になっているそうで、「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲BWV1060a」として、元来の2台のチェンバロ演奏よりも、楽器の音色が増えて楽しいとして、BWV1060の編曲としても度々演奏、録音されている様です。我が家には、Trevor Pinnock指揮の1985年録音盤が残されています。上記演奏はYouTubeにアップロードされておりませんので。替わりに今は亡きHogwood指揮のBWV1060aの第1楽章をお聴きください!J.S. Bach: Concerto in C minor for violin and oboe BWV1060 – Allegro
2020.08.12
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何故、その上司が石川島播磨重工業(現IHI)ガスタービン設計部に在籍しておられたのか、経緯は知りません。海軍技術者として当時航空エンジン事業部長だった永野治氏が入社させたのか、防衛庁から部長として招聘された航空原動機同期生のご尊父が、防衛庁から同道して入社して貰ったのか、定かではありません。兎に角、技術者としては優秀な方で、スイスBBCのドイツ語資料は殆ど訳して、その技術神髄をマスターしまうのでした。その資料内にある、応用数学手法や熱力学的についても既にマスターしていたのは驚きで、暗示を受けた私は、丸善に行って寺澤寛一の「応用数学概論」を購入、そのおさらいをする会社生活が続きました。世界初のガスタービンを製造したBBCの技術力であるドイツの科学力は当時のアメリカを凌駕していたのです!その上司は部下を指導してくれましたが、決して部下を管理するポジションには立とうとしていませんでした。戦時中、九州方面部隊の要職にあって、心ならずも部下を戦線に送って戦死させてしまったことで、人生のトラウマを抱えていたのです。其処で、戦死した部下達を弔いつつ、苦労を掛けた母親と共に静かに余生を過ごしたいと言うことであった様で、その老後余生資金を得る為に設計部に在籍していたのです。ある忘年会か納涼会での席上、歌うのを請われて、歌ったのが東海林太郎の「麦と兵隊」、戦後20年以上も経って軍歌とは驚きましたが、その上司にとっては戦友や部下を弔う歌であった様です。田端義夫が唄う 心の歌 《麦と兵隊》
2020.08.03
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一向に治まらない新型コロナウイルスの蔓延、第2波襲来で、第1波以上の感染者が出て来て、日常生活に支障を来していて、国難とも言える状況となりました。それでも、太平洋戦争での敗戦では、日本国中が生死も不定な困難が待ち受けていたのと比較しますと、それ程の深刻さが無い様にも思われるのです。ラジオ放送劇「鐘の鳴る丘」は、1947年7月から1950年12月までNHKラジオで放送された菊田一夫作のラジオドラマ、放送回数は790回に及び、その主題歌である「とんがり帽子」は、やはり菊田一夫作詞で、作曲は古関裕而氏でした。歌うのは、戦前からの童謡歌手の川田正子さん、バックコーラスはゆりかご会 コロンビア オーケストラ演奏によるものでした。とんがり帽子 (鐘の鳴る丘) ♪川田正子米国に依る占領に依って、街中には米軍兵士が溢れ、通りの名前にも英文表記の名板が設置されて、日本国主体の活動は制限される悲しい状態でありましたし、親を亡くした戦災孤児も多くいて、上野駅界隈にはこそ泥等をしての集団生活が余儀なくされた治安も悪く悲惨な状況でした。その当時の状況と比べれば、「今回の国難はそれ程も無いのだ、必ず克服出来る」と希望を持つことにしました。
2020.07.22
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今日は7月14日、フランス革命記念日ですが、何らかの催しがある訳ではなく、フランス文化の香りが消えゆく感じがしてしまいます。LYS GAUTY - A PARIS,DANS CHAQUE FAUBOURG1938年に、日本コロムビアが企画した「シャンソン・ド・パリ」の第1集が発売、藤田嗣治画伯の手になる表紙・解説書挿絵によるアルバムセットに6枚、全12曲のシャンソンが収録されていました。シャンソン・ド・パリ 第1輯 S-57A CL4158A「巴里戀しや」(巴里祭)唄:リス・ゴウティ LYS GAUTY1960年代までは、銀座に「銀巴里」、御茶ノ水に「Giraud」等のシャンソン喫茶があって、「自由。平等、博愛」を象徴とするフランス文化を楽しんだもので、1933年製作公開されたフランス映画(監督 ルネ・クレール 音楽 モーリス・ジョベール)のテーマ曲 原題: Quatorze Juillet 邦題:巴里祭 に因んで、7月14日には「巴里祭」企画もあった様ですが、今では「シャンソンや フランスは遠くなりにけり」と言う雰囲気になりました。
2020.07.14
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1939年に発売した原盤レコードと思われる「リリー・マルレーン」の歌がアップロードされています。1939年発売で、ドイツの女優・歌手ララ・アンデルセン(Lale Andersen/1905-1972)が唄っている原盤の様です。1939 Lale Andersen - Lili Marlene (original German version)戦争最中の時代ですから音質は良くは無いのですが、戦場に咲く人生を謳歌する恋愛の歌として、愛されたことが感じられる明るい歌です。日本ではドイツ出身のハリウッド女優、マレーネ・ディートリヒの持ち歌として知られていますが、アンデルセンとは違って、何か戦争の暗さを感じさせる雰囲気となっています!1939年発売当初、ドイツの女優・歌手ララ・アンデルセン(Lale Andersen/1905-1972)のレコードは60枚しか売れなかったと言われている。しかし、山積みになっていたレコードから、店員がドイツ軍の前線慰問用レコード200枚の中に2枚紛れ込ませた。それが1941年の秋に初めて流され、それ以後も繰り返し掛けられて人気となった。第二次世界大戦下の一時期、多くのドイツ兵が戦場で耳を傾けて故郷を懐かしみ、涙を流したといわれている。又、ドイツ兵のみならずイギリス兵の間にも流行した為、北アフリカ戦線のイギリス軍司令部は同放送を聞くことを禁じた。アンデルセンも慰問で人気者になったが、1942年夏、アンデルセンと親しかった男がユダヤ人であったことが知られてアンデルセンは歌手活動が禁止され、アンデルセンの録音したレコードの原盤は廃棄される事態となる。日本ではベルリン出身のハリウッド女優マレーネ・ディートリヒは、第二次世界大戦当時、ナチス政権下のドイツを離れ、アメリカ市民権を得ていたディートリヒは進んで連合軍兵士を慰問し、この歌を歌った。そのため、ドイツでのディートリヒは反逆者と見なされ、戦後も不人気であった。
2020.07.11
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レッドリバーは、テキサス州に源を発し、アーカンソー州・ルイジアナ州を通ってミシシッピ川に合流する約2000kmの大河です。テキサスの牧畜は、この流れとリオグランデとの間の広大な土地に発達したとされ、ジョンウェイン主演の映画「赤い河」では、テキサス州が舞台で、Red River Valleyが主題歌となっています。尚、北方ノースダコタ州とミネソタ州の州境を流れて、カナダのマニトバ州に入り、ウィニペグ湖に注ぐ同名の川があり、こちらが起源だとする説もある様で、「赤い河の谷」と言う元来のアメリカ民謡は、ミネソタ州が発祥ではないかとも囁かれています。Stevie Nicks & Chris Isaak - Red River Valleyロックの女王とされ、老齢となったStevie Nicks がChris Isaakと共に凡そ10年ほど前にデュエットで唄っているのが何故か秀逸に思われます。From this valley they say you are leavingWe will miss your bright eyes and sweet smileFor they say you are taking the sunshineThat has brightened our path for a whileCome and sit by my side if you love meDo not hasten to bid me adieuBut remember the Red River ValleyAnd the cowboy who loved you so true今谷間を去りゆく さびし君の笑顔思い出はめぐりて 悲しき別れを望みし君の言葉 ただ一つの言葉今は望みむなしく 君と別れゆく君よ去りゆく前に しばし共に語らんこの谷間を忘るな カウボーイの愛も日本語歌詞、最初の2行は記憶していますので、学校の音楽授業で教えられたのかも知れません!
2020.06.22
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Glenn Gouldのバッハ作曲のGoldberg Variation演奏録音は、23才1955年のものと、49才1981年のものと二つあります。何れも名演奏だと思うのですが、1955年版は衝撃で、当時は「怒れる若者世代」、既存の社会体制に挑んで行くのがテーマでして、それを代表する様な演奏スタイルでした。映画の世界でも、美男美女からJames Deanの様な性格俳優が出て来て、既存社会に挑む様なストーリーも出て来ていました。先日、お邪魔した先輩宅で、最近譲られたカセットテープデッキの調子を見て呉れとのことで、矯めつ眇めつ、問題の無いデッキであることを確認して来ました。帰宅して、私も久しぶりにカセットテープを聴いてみようと思うに至り、多分1980年代後半にNYのSam Goodiesで購入した1955年版カセット(1983年複製)を、TEACのカセットデッキに入れてみましたが、止ったり、音が揺らいだりして聴けたものではありません。Back Coatingの無いNormal Tapeでしたが、劣化して磁粉がヘッドに張り付いていることも考え、綿棒で掃除を数回行いつつ、止まったら少し早送りしながら、再生を繰り返しましたら、何とか最後まで再生となりました。仕方なく、TEACのヘッドを綿棒で掃除しながら、何回も再生を繰り返していましたら、止ることも、揺らぐことも少なくなって来ました。そんなことで、余計な磁粉が取れたと言うことなのかも知れません。今は、止ることなく、ほとばしる情熱をぶつけた23才Gouldno名演を聴くことが出来ています。盲目のHelmut Walchaは、Ammer Cembaloで75分間丁寧に演奏しているのですが、Gouldは繰り返しも多少省略、僅か38分で演奏を終えています。将に、Bach解釈の革命で、他のピアニストは、当時さぞ驚愕したことでしょうし、戦慄を覚えたことでしょう!
2020.06.14
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6月2日に、アムステルダムConcertgebouw Orchestraがコロナ被害者慰労の為の演奏会を行っています。Concertgebouworkest - Symphony No. 7 – Beethovenコロナ感染を防ぐべく、聴衆は一切おらず、ガランとしたコンサートホールに大音量の音楽が響く、異様な光景ともなっていますが、ベートーヴェン第7交響曲が元来、1813年ナポレオンのフランス撤退中に起きたHanauでの戦いで負傷したドイツ兵士達に捧げることを名目に演奏会を開いたことに由来、それに倣っての記念コンサートだとのことです。Tonight we stream Beethoven's Seventh Symphony conducted by Gustavo Gimeno. This concert stream is dedicated to all those who have suffered in any way as a result of coronavirus and the crisis it has caused. Ludwig van Beethoven personally led the premiere of his Seventh Symphony on a benefit concert given on 8 December 1813 for the wounded soldiers who had fought in the Battle of Hanau. An instant success, the symphony is still a firm favorite today, thanks particularly to its rhythmic drive, lust for life and vitality.このチャリティコンサートの成功もあり、躍動的なリズム、人生と生命に対する希望とする魅力的な曲想と相俟って、演奏会以降も今日に至る迄、第7交響曲は好まれる交響曲となっている様です。私が最初に購入したLPレコードは、東大本郷の生協売店で見つけたKarl Boehm指揮ウィーンフィル演奏の第7交響曲でした。
2020.06.10
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大学の同期生が親切にも、Lotte Lehmannの「冬の旅」CDを贈ってくれましたので、CDオーディオで聴いています。第5曲の菩提樹(Der Lindenbaum)を他の歌手で聴いてみることにしました。定番と言えばFischer Diskau、若い頃からの録音も多く十八番としていた様ですが、老齢になってBrendelとの共演が、声量の衰えたバリトンの歌声は、却って曲想にマッチしている様でした。其処で、メゾソプラノの大御所、クリスタ・ルードヴィヒ(Christa Ludwig)を聴いてみました。[Christa Ludwig] Der Lindenbaum, D911 No.05指揮者であるJames Levineのピアノ伴奏に合わせて、朗々と響くメゾソプラノの歌声は、絶品と思われました。録音時期はチェックしていませんが、1980年頃でしょうか? クリスタ・ルートヴィヒは、暖かい声質と確実な表現力による安定した歌唱が特徴であり、ベーム以外にもヘルベルト・フォン・カラヤンなど他の指揮者達からの信頼が篤く、共演も数多い。オットー・クレンペラーは「大地の歌」に、レナード・バーンスタインは『復活』交響曲など声楽つき交響曲のアルト独唱に彼女をたびたび起用した。1994年に引退を表明した。
2020.06.07
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Iceland Symphony Orchestra の主席フルート奏者はHallfríður Ólafsdóttirでして、ハルフイリア オラフスドッティアと読むのが正しいのか否か定かではありません。公用語がアイスランド語ですが、9世紀末から10世紀にかけて、ノルウェー人とスコットランドおよびケルト人がフェロー諸島を経由して移住したことで、それらの影響を受けていますので、読み方が判然としないのです。アイスランドは、北ヨーロッパの北大西洋上に位置する島国で、共和制を取る国家(アイスランド共和国)である。首都はレイキャヴィーク。総人口は約35万5620人。英語とデンマーク語を小学校から習うため、国民の大半はトライリンガルである。また、識字率が99パーセント以上と高水準であることに由来するのか、人口36万人の小国にHigh Qualityのオーケストラが活躍しているのが驚きです。Wolfgang Amadeus Mozart: Flute Concerto no. 1 in G-Major, K. 313モーツァルトのフルート協奏曲は2曲あるのですが、第2番K. 314はオーボエ協奏曲をフルートに準えてもので、第1番K. 313だけが、天才モーツァルトが遺した唯一のフルート協奏曲なのです。天才とは雖も、創作時間を限られますと、ズルをする様です!
2020.06.05
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大学の同期生が親切にも、Lotte Lehmannの唄う「冬の旅」をCDコピーしてくれましたので、久しぶりにLotte Lehmannと共に他のCDオーディオを聴いています。エディト・マティス(Edith Mathis, 1938年2月 - )は、スイスのソプラノ歌手、カール・リヒター(Karl Richter)の指揮するミュンヘン・バッハ室内オーケストラをバックに、彼女が唄うCDは、ArchivのGalleriaシリーズ盤を多分1980~1985年頃、ロサンゼルスの何処かの音楽ショップで購入してからはずっと愛聴しています。エディト・マティスのソプラノ独唱とトランペット独奏があたかも協奏曲のように活躍するのが魅力、清澄な声による新鮮な歌い方で、モーツァルトのオペラや宗教曲を得意として、カール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンらの巨匠とも数多く共演しています。J.S. Bach: Jauchzet Gott in allen Landen Cantata, BWV 51 - 1. Aria: Karl Richter Edith Mathis 1972 - Cantatas"彼女は、1963年にはベルリン・ドイツ・オペラとともに来日して、「フィガロの結婚」での若き青年役のケルビーノで絶賛を浴びた。ソプラノとしてはトップクラスの美貌、それも愛嬌のあるルックスも大きな魅力で、初来日時の人気ぶりは今なお語り草になっています。多分60才代の写真、可愛らしさが目立つ顔付であった様に記憶していますが、齢を経て少し頬が丸くなり柔和さが出て来ても、若き日の可愛らしさの片鱗を伺うことが出来ます。
2020.05.29
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冬の旅は、悲しい失恋の歌で、男性歌手によって歌われます。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ (Dietrich Fischer-Dieskau, 1925 – 2012)が、その代表格です。「冬の旅」は、シューベルトが1827年に作曲した24曲からなる連作歌曲集で、失恋した若者は、詳しい状況は語られないが街を捨ててさすらいの旅を続けていくという内容であり、産業革命による都市への人口集中が始まったことで「社会からの疎外」という近代的意識を背景にしていて、「死」を求めながらも旅を続ける若者の姿は現代を生きる人々にとっても強く訴えかけるものがあるとされている。曲集全体は、重苦しい雰囲気に満ちていて、僅かに希望が見えるのが、第5曲の菩提樹(Lindenbaum)と第11曲の春の夢(Fruelingstraum)に過ぎません。その「春の夢」を、Lotte Lehmannと言う女性歌手が、1941年のラジオリサイタルで唄っているのを見つけました。Lotte Lehmann; "Frühlingstraum"; Winterreise; Franz Schubert第2次世界大戦の最中で録音は悪いのですが、男女の性別をものともせずに歌い続ける様は、感動的でした。シャルロッテ(ロッテ)・レーマン(Charlotte (Lotte) Lehmann, 1888 - 1976)は、ドイツのソプラノ歌手。彼女は主としてドイツ語で歌われるオペラや歌曲をレパートリーとした。
2020.05.20
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「マドリードの帰営ラッパ」は元来ボッケリーニが作曲したギター5重奏曲の第4楽章で、そのタイトルに使われたもので、規律良い軍隊が帰営ラッパに導かれるメロディーが心地良く響きます。後年、交響曲に編曲されて、規律良く心地よいメロディーが強調されることとなりました。Ritirata notturna di Madrid de Boccherini. L. BERIO. Dir.: Jesús López Cobos.ティンパニーや管楽器も加わって、勇壮な軍隊行進曲と聞こえなくもありませんし、彼の不幸な晩年は微塵も感じられません!ボッケリーニ(Luigi Boccherini:1743~1805)はイタリアの作曲家で、チェロ奏者。モーツアルトとは同時代の人でしたが、晩年は困窮し失意の内に亡くなった様です。1768年、パリでのコンサートにて演奏、スペインの大使に気に入られ、マドリードへと移り、1770年に国王弟ルイス親王に好条件で作曲家兼演奏家として迎えられました。1785年礼拝堂の主席チェロ奏者として処遇され、翌1786年プロシャ王フリードリッヒ2世からは作曲家として任命されることになりましたが、幸せで裕福な時は長く続かず、1788年スペイン国王の死去が災いとなり、1796年までの10年間消息を断ってしまいます1798年新しいプロシャ国王には作曲家採用を拒否されて困窮が始まり、1802年に2人の娘を亡くし1804年にも三女も妻にも先立たれ1805年逝去、晩年は精神的にも辛く、病苦と貧困の内で過ごした様です。
2020.04.28
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今日も新型コロナウイルスに沢山の方が感染し、多数の方が亡くなりました!そんな状況で、死者を弔うフォーレのレクイエムを聴いていますが、何と物静かなレクイエムであり、何と静謐な終曲なのでしょう。フォーレのレクイエムの傑作として知られ、フォーレの全作品中で最も演奏機会が多く、フォーレの音楽活動の中では、中期の幕開きを告げる代表的な作品に位置づけられる。モーツァルト、ヴェルディの作品と共に「三大レクイエム」の一つに数えられる。レクイエムは鎮魂ミサ曲と訳されて、キリエ・エレイソン(主よ、憐れ給え)から始まり、を経て、アニュス・デイ(神の小羊)、ルックス・エテルナ(永遠の光)で終曲となるのですが、フォーレのレクイエムでは、特に劇的とされるディエス・イレ(怒りの日)も無く、終曲は イン・パラディスム(楽園にて)となるのですが、本来の死者ミサの一部ではなく、棺を埋葬する時に用いられる赦祷文に作曲したとのなのです。第7曲 イン・パラディスム(In paradisum)In Paradisum(楽園にて)は、本来の死者ミサの一部ではなく、棺埋葬時に用いられる赦祷文なのだそうです。Gabriel Fauré - Requiem : 'In Paradisum'フォーレは、異教徒的とも揶揄されてレクイエムに対して、1902年に次の様に手紙を書いています。「私のレクイエムは、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、中にはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません」
2020.04.24
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佐渡裕指揮に依る兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏を聴いてみてください。中々の名演奏になっていると思われます!Brahms Symphony No. 4 - 3rd Movement HYOGO Performing Arts Center ORCHESTRA「大学祝典序曲」や「ハイドンの主題による変奏曲」等は明るさもあってメロディーも平易ですので気軽によく聴きますが、ブラームスの交響曲や室内楽は一帯に重厚で緻密な楽曲が多いので、気軽に聴くことが難しい様で、聴くチャンスが少ない様な気がします。そう言えば、フランスの作家フランソワーズ・サガンが書き下ろした「ブラームスはお好き?(Aimez-vous Brahms?)」と言う小説がありました。又、ルイ・マル監督の「恋人たち(Les amants)」では、Jeanne Moreauのけだるい美しさをBrahmsの6重奏曲で奏でていました!ブラームスが作曲して4曲の交響曲の中でも、ブラームスらしさという点では筆頭に挙げられる曲で、短調で始まり短調で終わる構成となっているが、ブラームスの室内楽曲では以前から見られる構成である。ブラームス自身は「自作で一番好きな曲」「最高傑作」と述べている。第3楽章 Allegro giocoso ハ長調、2/4拍子。ソナタ形式。過去3曲の交響曲の第3楽章で、間奏曲風の比較的穏やかな音楽を用いたが、第4番では初めてスケルツォ的な楽章とした。第3楽章の冒頭、第1主題が豪快に奏され、第2主題、展開部を経て、再現部では第1主題の動機を掛け合い、大きな振幅で最高潮に達して楽章を終える。
2020.04.20
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幼気な子供が虐められるのは悲しいことで、況して虐待死となれば言語道断です!敗戦から1950年頃までは、上野公園には多くの親を亡くした浮浪児が親方に叱れては沢山屯していました。それに加えて戦後の混乱もあって日本中は貧しく、家族が食べていくことが出来なかった家庭では、残った家族を養うべく所謂「口減らし」の為、子供を曲芸団等に手放す例も多々あった様です。そんな事情やペーソスを唄いこんだのが「越後獅子の唄」で、多くの共感を集めてヒット曲となりました。1.笛にうかれて 逆立ちすれば 山が見えます ふるさとの わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし ながれながれの 越後獅子2.今日も今日とて 親方さんに 芸がまずいと 叱られて 撥(バチ)でぶたれて 空見上げれば 泣いているよな 昼の月 3.うつや太鼓の 音さえ悲し 雁(かり)が啼く啼く 城下町 暮れて恋しい 宿屋の灯(あかり) 遠く眺めて ひと踊り4.ところ変われど 変わらぬものは 人の情の 袖時雨(そでしぐれ) ぬれて涙で おさらばさらば 花に消えゆく 旅の獅子越後獅子の唄(1983 ver.)/美空ひばり「越後獅子の唄」は、松竹映画「とんぼ返り道中」の主題歌、この歌は13~14才の頃、「越後獅子の唄」の中にある、♪逆立ちすれば・・・♪と言う<とんぼ返り>が、親方に連れられて旅から旅へ歩く越後獅子のお家芸でした。飢饉や貧農故の口減らしを兼ねた道中行脚でもあったのですが、その悲しみが「越後獅子の唄」にはよく歌い込まれています。袖時雨は、袖にはらはらと落ちる涙を時雨に例えた言葉で、いたいけな子供の獅子が踊る姿を見て、思わず「可哀そうに」と涙をこぼした人のことでしょうか。
2020.03.07
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久しぶりに、岸洋子さんの絶唱「ラ・ノビア」を聴いていて、「希望」を唄う動画をも拝聴・拝見することになりました。岸洋子 希望1970年の膠原病発症した4年後の動画ですが、闘病しながらの唄う喜びを切々と訴えた後、謳う様子は魅力的でありましたし、本来の目標であったクラシックのプリマドンナではなく、シャンソン歌手としての活躍を納得了解しつつ、やはり歌うことの喜びを伝える動画は何とも秀逸でした!岸洋子は、1935年山形県酒田市に生まれ、幼い頃から歌が好きで、中学校、高校では、クラブ活動で幅広く活躍。東京芸大受験では、4次試験までストレートで突破し、声楽科に合格、クラシック作品を研鑽、オペラ出演も頻繁になっていった。大学4年で、大学院への最終選考に合格し、ドイツ留学や二期会入会の話も見え隠れしていた。この頃までの岸の人生は順風満帆でしたが、その秋、身体の不調に苦しめられ、病院での『心臓神経症だから、歌はしばらくやめた方がいい』の検査結果で、ドイツ留学の話も、二期会の仕事も諦めることになる一年間の療養後、自分の部屋で歌やピアノの個人レッスンを始め、やがて人前でうたってみたいと思うようになり、NHKで素人オーディションを受けると、NHK『花の星座』から声がかかって好機に恵まれ、シャンソン歌手として銀座の『銀巴里』への出演が実現。1960年秋、東京イイノホールでリサイタルを開く。翌年、キングレコードと専属契約し、1964年『夜明けのうた』がヒットし、レコード大賞歌唱賞を受けた。その後は、渡仏、『恋心』のヒット、イタリアのサンレモ音楽祭に出場して入賞、日本において「岸洋子リサイタル」で芸術祭優秀賞受賞、など国を超え、幅広い活躍をしていく。青春時代の岸が夢を見、恋焦がれていた対象はオペラの「プリマドンナ」であったが、成ったのはシャンソン歌手であった。『希望』が大ヒットした1970年、膠原病と診断され、闘病生活と歌手活動の両立を余儀なくされるが、ステージに立ち続けることを選ぶ。「小さい頃からプリマドンナを夢みて歌の世界以外は思いもつかなかった私ですが、25年の年月を重ねて歌うことのできた幸せを、強く感じています。そして、確かな手ごたえにしてくださったのは、皆様の変わらぬ熱い拍手です。『人生はいいもの』と思います」
2020.02.28
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「旅愁」と言う唱歌は、多分小学校での音楽授業で習ったもので、平易な詞とメロディーによって歌いやすく、永く忘れない唱歌となり、成人してもギターやウクレレを爪弾きながらよく歌ったものです。倍賞千恵子さんは、専門のクラシック歌手ではなく、歌の上手いお姉さんと言う雰囲気で、衒わない歌い方がクラシック歌手よりも、却って曲想にマッチしている気がします。倍賞千恵子/旅愁人生の伴侶を亡くして10年余、悲しさは消えて来ましたが、「遥けき彼方に 独り迷う・・」と言う歌詞が身に染みて、独り身の寂しさは消えることがありません!旅愁(りょしゅう)は日本の詩人である犬童球渓が明治40年(1907年)に詞を訳した翻訳唱歌で、2007年(平成19年)に日本の歌百選の1曲に選ばれた。原曲はジョン・オードウェイ(John P. Ordway:1824年 - 1880年)による“Dreaming of Home and Mother”(家と母を夢見て)という楽曲である。原作者のジョン・オードウェイは、アメリカ音楽史に残る歌曲を数多く作曲したスティーブン・フォスター(1826年 - 1864年)や、『大きな古時計』の原作者ヘンリー・クレイ・ワーク(1832年 - 1884年)とほぼ同時期に活動した音楽家であった。彼は医学博士であり、医師の仕事の傍ら楽譜出版業も手がけたが、日本では『旅愁』という曲名で歌い継がれている原曲の“Dreaming of Home and Mother”は、アメリカではほとんど忘れられてしまったという。
2020.02.24
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1960年代は歌声喫茶が多く存在した時代で、若者がよくロシア民謡を歌っていましたし、ダークダックス等のコーラスグループも、数多くのロシア民謡のレコードを発売していました。「トロイカ」もその中の一つで、‟雪の白樺並木 夕日に映えて 走れトロイカ 朗らかに 鈴の音高く・・“と唄われていましたが、これは「楽団カチューシャによる「訳詞」で、勇ましさと明るさのある歌というイメージがありますが、原曲のロシア民謡と異なり明るい内容となっています。元のロシア民謡では、原題は「Boт мчится тройка почтовая(ほら、郵便トロイカが駆けている)」となっていて、郵便配達の若者御者が失恋を嘆く歌となっているのです。【和訳付き】ロシア民謡「トロイカ」(カタカナ読みあり)- Вот мчится тройка почтовая走るトロイカひとつ 雪のヴォルガに沿い はやる馬の手綱取る 馭者の歌悲し何を嘆く若者 たずねる年寄り 何故にお前は悲しむ 悩みはいずこ去年のことだよおやじ 好きになったのは そこへ地主の奴めが 横槍を入れたクリスマスも近いに あの娘は嫁に行く 金につられて行くなら ろくな目にあえぬ鞭持つ手で涙を 馭者はおし隠し これでは世も末だと 悲しくつぶやく何とも悲しく遣り切れない歌詞で、貧富の格差を嘆く民謡になっているも不思議です!
2020.02.20
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今朝は零下5℃まで下がり今冬一番の寒さ、午前8時でも零下2℃、しかし乾燥注意報もあって、車のフロントグラスには霜が下りていません。庭のフェンスを越えて、空を見ますと快晴、日陰の草地を踏むと霜柱が立っていました。昨日、民放BSの鉄旅で、秋田内陸線が紹介され、米内沢駅で「浜辺の歌」メロディーが流されていたのですが、作曲者成田為三の出身地と言う由来があった様です。懐かし想いつつ、今朝は縮こまって、YouTubeで検索して聴いていますが、若き山口淑子女史が、人気絶頂の1941年録音の声がありました。李香蘭 - 浜辺の歌山口淑子女史、日本語も中国語も堪能であり、またその絶世の美貌と澄み渡るような歌声から、国策女優として活躍させられたと言う不幸な歴史があり、その人物評価は分断されている様ですが、この透き通る美声は捨てきれません!
2020.02.07
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宗教カンタータBWV169は、オーケストラ演奏部分に続いて、アリアやコラールが唄われる45分程の大曲であり、最初のオーケストラ演奏部分がメロディーが美しいことから、その部分のみオーケストラ演奏されたり、パイプオルガン演奏にされたりすることも多い様です。YouTubeに、5番目に位置するアルトアリアがアップロードされていました。J.S. Bach - Cantata BWV 169 - Gott soll allein mein Herze haben - 5 - Aria (J. S. Bach Foundation)僅か5分に満たないアリアですが、最初のオーケストラ演奏部分のメロディーを踏襲している様で、聴いていますと、何やら敬虔な気運となります。5. Aria (Alto)Stirb in mir,Welt und alle deine Liebe,Daß die BrustSich auf Erden für und fürIn der Liebe Gottes übe; Stirb in mir,Hoffart, Reichtum, Augenlust,Ihr verworfnen Fleischestriebe!5.アリア(アルト)さらばわが 内なる 世の すべての 愉しみよわが 胸地にて 主の 愛をたゆまず 学ばん ためさらば驕り 高ぶりよ,忌まわしき 肉の 念い世の すべての 愉しみ
2020.01.28
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TVの旅番組を観ていましたら、日本の楽器である尺八で「浜千鳥」をもの悲しく吹いていて、何とも旅情を誘るメロディーだと改めて感じることとなりました。作詞者の鹿島鳴秋は幼くして亡くした愛娘を偲んで作られたとされていて、感傷的なメロディーと相俟って、日本古来の「もののあはれ」を感じ取ることが出来ます。浜千鳥 倍賞千恵子青い月夜の浜辺には親を探して鳴く鳥が波の国から生まれ出る濡れた翼の銀の色夜鳴く鳥の悲しさは親をたずねて海こえて月夜の国へ消えてゆく銀のつばさの浜千鳥元来、浜千鳥と言う鳥は存在しておらず、作詞者である鹿島鳴秋氏の造語らしいのですが、愛娘を無邪気に群れ遊ぶ千鳥に見立てた詩情は、日本に伝わる「もののあはれ」の伝統を踏襲している気がして来ます。鹿島鳴秋(かしま・めいしゅう/1891-1954)は、童話作家・雑誌編集者・詩人。子ども向け雑誌の草分け「少女号」編集・発行人、浜千鳥は同様として弘田龍太郎氏による曲を付け、「少女号」で1920年(大正9年)1月号に発表された。
2019.12.14
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今朝、NHKBSの世界街歩き「ワルシャワ」編で、郊外の村で織物をする民家を尋ねる場面があり、其処で老齢の女性が歌を口ずさんでいたのが、「森へ行きましょう 娘さん」で、ポーランド民謡だったのかと再認識しつつ、懐かしく聴かせて頂きました。YouTubeで検索してみますと、複数の動画がアップロードされていましたが、合成音編集の初音ミクさんの歌で聴いてみてください。森へ行きましょう【初音ミク】「森へ行きましょう」は、ポーランド民謡『Szła dzieweczka』(シュワ・ジェヴェチカ)を原曲とする歌。1955年にポーランドの首都ワルシャワで開催されたコンサートで、出席していた荒谷俊治が原曲を採譜、後に東大音感合唱団のメンバーが日本語の歌詞をつけて「森へ行きましょう」として日本へ紹介した。その後、1961年10月から11月にNHK「みんなのうた」で初回放送され、子どもから大人まで人気のポーランド民謡として定着した。1960年の安保闘争では、学生達が火付け役となって、米国主導による戦争への加担反対が全国規模に拡大、昨年亡くなった西部邁(にしべ すすむ)氏が東大駒場の全学連委員長で活躍していて、その頃に学生達は屯して歌声喫茶で色々な歌を唄った中に、この「森へ行きましょう」もあった記憶があります。
2019.12.10
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今日は余りに話題になりませんが、モーツァルトの命日です。しかし、近頃はモーツァルトよりも、ベートーヴェンを聴く方が多くなった気がします。以前は、兎に角先ずモーツァルトだったのですが、少しずつ好みが変化して来ているのかも知れません。亡くなった家内も義父母の影響でベートーヴェン派だったかも知れません。モーツァルトの命日は1791年12月5日、ザルツブルクで司教と決別し、ウィーンに移住あい往時は天才の名をほしいままにして人気を博しましたが、終末期には生活破綻となり、無縁墓地に葬られることになりました。ウィーンの公園には、青年像が建てられています。静かに、彼の名曲を聴こうとしますと、何時も「聖証者の荘厳晩課」Vesperae Solennes de Confessore K339の第5曲目の「主を崇めよ」Laudate Dominumとなります。Mozart K339 - Laudate Dominum - Sierra Marcy, Soprano (2015)著名なソプラノ歌手が殆どと言って良いほど歌っている動画がYouTubeにアップロードされていますが、米国ロードアイランド州の市民オーケストラと合唱団をバックに、シエラ・マーシー(Sierra Marcy)と言うソプラノ歌手が歌っている動画が良い様に思われます。21才の若き歌手が、清らかに歌っているのも良き事かな! 若さとは何よりも素晴らしいと思われました。
2019.12.05
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昨日は、勝どきに住む知人が、コンサートチケットを購入してくれていましたので、連れ立って晴海トリトンに出掛けることにしました。4棟の高層オフィスビルが並んで建てられ、3階までは舞台広場や店があって、家族連れで混雑する晴海埠頭の人気スポットとなりました。コンサートホールは4階にあって、室内楽専用の小さなホールですが、音響効果が良い様に設計されていました。演奏はウェールズ弦楽四重奏団、演目は私が良く聴くベートーヴェンの弦楽四重奏曲9番と15番でした。特に15番は好みの曲で、大いに生演奏を楽しむことが出来ましたし、劣化した耳にも響いて聞こえる音に木の香りがする気がしました。病から回復した者が神に捧げる感謝の歌-ベートーヴェン弦楽四重奏曲 第15番ウェールズ四重奏団と言うことで、英国のウェールズ(Wales)に関係があるのかと思いましたら、Verus String Quartetと表記されていますので、調べましたら真実と言う意味のラテン語(verus)を使っての命名だった様です。
2019.11.25
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シューベルト弦楽3重奏曲D471は第1楽章のみで、第2楽章途中で作曲を止めたとされています。翌年の1817年に弦楽3重奏曲第2番変ロ長調 D581は、4楽章の完全な形で作曲されていますので、前年の弦楽3重奏曲D471が途中で放棄され、未完成となったまま、作曲を断念した理由については不明とされています。演奏されることは少ない様ですが、名手揃いの弾き手達で、録画された動画がYouTubeでアップロードされています。Franz Schubert: String Trio D 471 / Veronika Eberle, Amihai Grosz, Sol Gabetta特にソル・ガベッタ(Sol Gabetta)は注目されます。ロシア系フランス人の両親のもとアルゼンチン生れ、僅か10才から多くの国際コンクールで受賞する経歴を持ち、2004年クレディ・スイス・ヤング・アーティスト賞を受賞し、同年のルツェルン音楽祭でゲルギエフ指揮ウィーン・フィルと共演し高い評価を得る。近年、フランス国立管弦楽団、ウィーン・カンマー・フィルハーモニー、サンクトペテルブルク交響楽団、ミュンヘン室内管弦楽団、バーゼル交響楽団、プラハ交響楽団などと共演を続け、数多くのリサイタルも精力的にこなしている。2006年、自ら主宰する音楽祭「ソルスベルク」をスイスのオルスベルクで立ち上げた。使用楽器は1865年製のジャン・バプティスト・ヴヨーム。今では伝説となりつつある女性チェリストのジャクリーヌ・デュプレの再来ともされる存在になって来ました。上記の動画は、彼女の主催する「ソルスベルク(Solsberg Festival)」2016年開催時の録画の様です。
2019.11.12
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近頃は、TVでは訓練されない歌声を聴くことが多く、況してTVで民謡を聴くことがは滅多にありませんのは、残念に思っています。YouTubeには、ビクター少年民謡会シリーズとして、1960年代の歌声が、少なからずアップロードされています。ビクター少年民謡会シリーズ -会津磐梯山-猛烈な訓練を潜り抜けた、中学生の女性3人は、高い声の伸び、転がる様な小節を利かした、歌声は絶品です。少年少女民謡会のメンバーの中で、選ばれたトップクラスの様で、バックに回っての合いの手も見事なものです。随分昔から、五木の子守唄【1961年版】と【1968年版】を聴き比べていますが、プロの歌謡曲歌手の方々よりも、数段優れた歌声となっています。ビクター少年民謡会 聴きくらべ「二つの五木の子守唄」1968年には、完全に大人の歌声になっていますが、優れた歌唱は変わらずに、静かにすっきりと聴くことが出来るのです。
2019.10.25
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スティーヴィー・ニックスがフリートウッド・マック(Fleedwood Mac)のヴォーカルとして、活躍したのは1980年代前半、そんな彼女も1948年生まれですから、早や70才の古希を過ぎてしまいましたが、未だにその活動は続いているらしい。ロックバンド「フリートウッド・マック」のメンバー。ソロとしても多数の実績を併せ持ち、その妖艶なイメージから"ロックの歌姫"とも呼ばれる。1978年にフリートウッド・マック名義で「グラミー賞」を受賞、これまで7回以上ノミネート。1998年には同名義、2019年にはソロ名義で「ロックの殿堂」入りを果たした。離婚歴があり、コカイン依存と抗不安薬依存だった過去があり、克服している。ロックの歌姫とも称される彼女が珍しく、インディアン娘の悲恋を元にしたアメリカ民謡「Red River Valley」を、しみじみと歌っているのです。 Stevie Nicks & Chris Isaak - Red River Valleyどうも、2009年のミネソタ州セントポールでの講演らしいのですが、60才を越えているとは思えない程の風貌と歌唱力なのには吃驚でした。
2019.10.07
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ウィーンの3羽烏と称されたピアニスト、唯一残されていたパウル・バドゥラ・スコダ氏が亡くなりました。2019年4月にはイェルク・デームス氏も亡くなっていますので、遂にウィーンの3羽烏は終焉となりました。Paul Badura-Skoda - His last recital on May, 31st, 2019 in the Vienna Musikverein最後のコンサートは、2019年5月31日にて、ウィーン音楽の殿堂である楽友協会ホールでのことだった様です。演奏する手が少し震え、往年の手捌きは望めませんが、嘗てウィーンで活躍した作曲家の良く知られる3作品を演奏していてトータル1時間を超えますが、臨場感溢れる動画となっている様です。動画には、このコンサートの4ヶ月後に、91才で逝去されたと記載されていました。Paul Badura-Skoda plays Schubert, Schumann, and MozartFranz Schubert: Four Impromptus D 899, op. 90Robert Schumann: Kinderszenen, op. 15Wolfgang Amadeus Mozart: Piano Sonata c-minor, KV 457Four months after his last recital, Paul Badura-Skoda passed away on September 25 2019 at the age of 91 years in his native Vienna.
2019.10.04
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我が家に残るピアノ協奏曲4番のCD、多分コネチカット州ハートフォードで1980年代後半に購入したと思われます。指揮者のジョージ・セルも、ピアニストのギレリスも好みの演奏家ですので、古い録音でしたが、よく聴いていました。YouTubeでもアップロードされていますし、どうも1968年録音の様でした。数多くの録画がアップロードされていますが、バックハウス83才のピアノ演奏で、カール・ベーム指揮のウィーンフィルハーモニーが気になりました。Wilhelm Backhaus plays Beethoven, Piano Concerto No.4 - Karl Böhm, Wiener Symphoniker (1967)鍵盤の獅子王と評されたバックハウスも83才、すっかり好々爺となって、真面目人間のベーム指揮に合わせて大人しく演奏しているのには、寂しい感じもしてしまいます。従来の協奏曲ではオーケストラは伴奏役に徹するのが常識で、冒頭部分にオーケストラが前座宜しく先にメロディを奏でていると後から独奏楽器が、まるで花道上に現れ歩みを進める主役として、やおら登場し華々しく歌い上げることが多いのですが、進取の気風に満ちていたベートーヴェンは当楽曲でいきなり独奏ピアノによる弱く柔らかな音で始めるという手法を採り入れた。これは聴衆の意表を突く画期的なものとされ、驚きと感動をもたらしたと伝えられている。他のアップロード動画を見てみますと、Krystian Zimermanのピアノ演奏, Leonard Bernstein指揮のウィーンフィルの方が、思う存分音楽を楽しんでいる様子が感じられますが・・・
2019.09.28
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日本でも「ハードタイムス」として知られる、この歌は、19世紀アメリカの作曲家スティーブン・フォスター作曲により1854年に出版されたアメリカ歌謡。1992年にボブ・ディランがアルバムGood as I Been to You の中に収録、曲のタイトルはこのアルバムでは "Hard Times辛い時代"となっています。その後、ジョニー・キャッシュ、ザ・チーフタンズ、ブルース・スプリングスティー等、様々なアーティストによってカバーされています。Stephen Foster - Hard Times Come Again No MoreワシントンDCのスミソニアン美術館にて、往時の楽器を用いての録音、歌っているのはジャン・デガエターニ(Jan DeGaetani, 1933 - 1989年)、米国のメゾソプラノ歌手、現代音楽を得意とすることで有名だったそうです。Let us pause in life's pleasures and count its many tears,While we all sup sorrow with the poor;There's a song that will linger forever in our ears;Oh! Hard times come again no more.人生の楽しみの中で立ち止まりその多くの涙を数えて見ないか貧しい者たちと悲しみを分け合いながら永遠に耳に残り続ける歌があるああ、厳しい時代よ もう来るな日本では1989年に矢野顕子が、アルバム『WELCOME BACK』で取り上げた。 沖縄の我如古より子は、2002年から日本語の歌詞をつけて、戦前戦後を通してつらい日々のままに置かれ続けている沖縄の人々の哀しみ、それでも捨てない未来への希望を歌い、同じく沖縄出身の石嶺聡子は2014年に英語でカバーした。この曲はあまり歌われることが無く、近年カバーされる様になった背景には、今の世の中が弱者にとって生きづらい時代がやって来ていることを、いち早く察した音楽家達が共鳴することで起こっている現象なのかも知れません。
2019.09.16
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テキサスの春の喜びと言えば、ブルーボンネット花巡りとなります。この画像は1983年4月のものです。ブルーボンネットはマメ科ルピナス属の一年草で、テキサス州に固有の種で、州花にもなっていて、学名は Lupinus texensis。草地や道ばたなどに生え、高さは20~40㎝になります。葉は掌状複葉で、倒披針形の小葉が5個あります、真ん中が白くて青い帽子(Blue bonnet)のような花を咲かせます。花期は3月~5月。痩せた土地でも良く育ち、テキサス州では交通安全局が管理して、道路沿いの土地の改良にも利用されています。そんなブルーボンネットの歌が複数アップロードされています。Bluebonnets (Julia's Song), sung by Aaron Watson或る時、或る場所で婆さんが頬ずりしてくれるそんな処へ又帰りたい爺さんの膝に乗り横になってひと休み爺さんと私は良い友達だった或る日、外に出てみると葉が枯れ落ちて野は裸で茶色彼等は何処かに行ってしまった昔、春のブルーボンネットを見るべく其処に暫く佇んだそれは美しく、苦いし甘かったそれで何マイルも散策させ気軽にさせ、深く愛してしまう人生とは春に咲くブルーボンネットの様なものだその他、次の様な歌もアップされている様です!Texas Bluebonnets, sung by Laurie LewisThose Texas bluebonnets how sweetly they growFor all the wide prairies they're scattered like snowThey make all the meadows as blue as the skiesReminding me of my little darlings blue eyesBluebonnets, by Julia D. Booth and Lora C. Crockett:When the pastures are green in the springtimeAnd the birds are singing their sonnets,You may look to the hills and the valleysAnd they’re covered with lovely Bluebonnets.Blue is the emblem of loyalty,They’re as blue as the deep, deep sea,Their smiling faces bring gladness,For they bloom for you and for me.
2019.09.02
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家内が亡くなって10年、大学の同期生も3割が鬼籍に入り、70才代後半となりますと寂しさを感じます。若き日 早や夢と過ぎ我が友 皆世を去りてあの世に 楽しく眠り微かに 我を呼ぶ Old Black Joeと教えてくれたのは、中学校の音楽教師、1955年春のことでした。教師には珍しく自由闊達で、小柄な体躯に伊達メガネを掛け、授業は笑わせながら興味が出る様に進める教師でしたし、鼓笛隊を指揮して学校行事に色を添える教師でもありました。教師生活は僅か1年半の様でしたが、謹厳実直を旨とする教員とはそりが合わなかったのかも知れません。未だ英語を覚えて1年強、語彙も増えていない状態でしたし、現在完了文体も教えられてなかったのですが、英語の歌詞を教えてくれたのです。その後、65年を経過していますが、若い時の記憶力は抜群で、今でも口ずさむことが出来るのです。米国オペラ歌手が、1915年に吹き込んだOld Black Joeは、まるでフォスターの作曲した民謡がクラシック歌曲に聞こえて、秀逸です。Popular 1915 Music by Opera Star Alma Gluck - Old Black Joe @Pax41アルマ・グルック(Alma Gluck, 1884年5月11日 - 1938年10月27日)は、ルーマニア出身のソプラノ歌手。ユダヤ系。ドイツで活動した後、アメリカ合衆国に移住、オペラ歌手として華々しい成功をとげた。st verseGone are the days when my heart was young and gay,Gone are my friends from the cotton fields away,Gone from the earth to a better land I know,I hear those gentle voices calling Old Black Joe. Chorus: I'm coming, I'm coming, for my head is bending low, I hear those gentle voices calling Old Black Joe.55
2019.08.26
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フォスター作曲の「ケンタッキーの我が家」は、故郷の埴生の宿を懐かしみ歌ったゆっくりとしてしんみりと曲調でしられています。小中学校で習ったのかも知れませんが、歌詞は英語のものしか記憶の抽斗からは出て来ず、「ザ サン シャインズ オン ザ オールド ケンタッキー ホーム,・・」のみの歌詞だけなのです。若しかしましたら、高校での音楽授業中、英語で教えられたと言うことなのでしょうか?YouTubeで検索していましたら、カントリーロック調の「ケンタッキーの我が家」がヒットしましたが、魅力のある歌声でした。MY OLD KENTUCKY HOME.mp4解説は‟RED WINE Blue Grass Party 2010 with Laurie Lewis & Tom Rozum and "Banana" Levinger“となっていて、元来ゆっくりとした曲調を早口で捲し立てているのも新鮮に見えました。
2019.08.25
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1960年代にヒットした「コーヒールンバ」は南米ラテン音楽と思っていましたが、YouTubeを観ていましたら、フラメンコギターによるコーヒールンバ演奏がアップロードされていましたので、拝聴しましたら何とも魅力的なのに、吃驚させられました。コーヒールンバ(ホセ・マンソ・ペローニ)パコ・デ・ルシア版.mp4伝説のフラメンコギターリストのパコ・デ・ルシアが、事前録音のカスタネット演奏に合わせて、高速でのギター演奏されたものであるらしい。解説欄には、実音 1963年YAMAHA Dynamic Guitar NO.10A (アポヤンドアタックノイズ)(ストロークノイズ)バッタ屋で200円のカスタネットとなっていますので、1963年にパコ・デ・ルシアが来日の際に、スタジオ録音されたものらしいのです。事前録音に合わせて演奏するのは「打ち込み」と呼ばれる方法らしいのですが、安価かな200円のカスタネットを使った事前演奏が、魅力を倍加させているのです!「コーヒールンバ」(Coffee rumba)は、アルパ奏者のウーゴ・ブランコの演奏で世界的にヒットした曲。原曲は、ブランコの叔父であるベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニ(Jose Manzo Perroni)がコーヒーをモチーフに1958年に作詞・作曲したMoliendo café(モリエンド・カフェ、「コーヒーを挽きながら」)である。日本では1961年から1962年に西田佐知子、ザ・ピーナッツによりカバー版が競作されるが、西田佐知子の歌唱版がより知られている。
2019.08.24
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米国駐在していましたし、その後は輸出担当でしたこともあり、遍く西部、山岳部、中央部は殆ど行ったことがありますが、東部にはニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット、マサチューセッツ州を除いて北東部には行っていない州が多く、東南部のWest Virginiaには足を踏み入れたことがありません。ウェストバージニアには、炭鉱地帯でもあり、Mountain Manが住むとも言われる程で、工業や製造業も少なく、ビジネス的には開拓する意味合いが無かった気がしています。しかし、それだけに昔ながらの豊かな自然と生活が残されて、人々の郷愁を呼んでいるのかも知れません。カントリーロード【訳詞付き】- John Denver今から15年程前に、八王子市下柚木地点、野猿街道から北野街道に切り替わる交差点近くに、夫婦で切り盛りしている小さなレストラン「カントリーロードCountry Road」があり、昼食時には家内と共によく出掛けたものでした。昼食セットメニューが複数あり、美味しそうで細やかな料理を出してくれますので、私達夫婦にはお気に入りのレストランだったのです。家内が亡くなってからは、行かなくなりましたが、野猿街道と言う場所がビジネスには向かなかったのか、残念ながら閉店となっていました。
2019.08.20
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