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今朝は雨、午前9時からミゾレ、9時半から雪に替って1時間で、我が家の小さな庭の木々も雪の綿帽子を被りました。昨日から雪の予報でしたので、本日分の食料は買い込んで外出しなくても、良い様に準備しましたので、高齢者の私は閉じ込められても問題はありませんが、通勤する人達は帰り道に滑って大変だろうなと思い遣っています。ガスストーブとホットカーペットでは暖房が心もとなく、部屋中がうすら寒い感じがしますが、エアコンのヒートポンプ暖房は外気温が低いので運転させないことにし、暖かい珈琲とクッキーでやり過ごすことに致します。久しぶりにKarl Richterのバッハ:カンタータ第51番「全地で歓呼して神を迎えよ」BWV51を聴いて、雪に閉じ込められる雰囲気を元気でもつけようとしています。エディット・マティスの気品ある独唱はYouTubeでもアップロードされていますので、お聴きください!Bach,BWV 51,Aria: Jauchzet Gott In Allen landen
2013.01.14
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カーオーディオに島根恵さんのCDを暫く入れたままでしたので、車を運転する度にBGMとして聴いていました。そのCDはもう取り出しているのですが、カーオーディオHDDに自動的にコピーされる様になっていますので、他のCD・MDのコピーされた作品に混じって、今でも時々聴こえて来ます。名ヴァイオリニストと知られているクライスラーの作品とのことですが、250年も前のイタリアの作曲家プニャーニの作品である様です。YouTubeには島根恵さんの演奏はアップロードされていませんので、ヘンリック・シェリングの1960年の演奏でお聴きください。Pugnani: Largo Espressivo(Henryk Szeryng)プニャーニは、モーツァルトと同時代の作曲家、イタリアのトリノ宮廷楽団のコンサートマスターなどを務めたヴァイオリニストで、オペラ作品を6曲残すなど、作曲活動も意欲的であったが、その作風は、バロックの要素を色濃く残している。ラルゴ・エスプレッシーボは、6曲からなるヴァイオリンソナタ作品8の第3番第1楽章にあたり、小品として独立して演奏されることが多い。ニ長調の明るく穏やかな中に情感があふれている。クライスラーは、演奏旅行先にある歴史ある図書館などに埋もれていた作品を発掘し、埋もれた作品をそのまま演奏するのみならず、作品の旋律のごく一部を自作に取り入れ、その自作をしばしば「過去の作曲家の作品を再発見した」と称して演奏・出版していた。クライスラーによって発掘され、そのイメージをもとに「プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ」と言う作品となった。
2012.12.27
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先日、アマゾンにグールド紹介の新書版を注文する際、お勧めとして「グールドが弾くブラームスの間奏曲」が表示されていましたので、同時に注文しておきました。我が家には、グールドのCD・テープ類は多く、平均律、イギリス組曲、フランス組曲、ゴルトベルク変奏曲、トッカータ全曲、パルティータ全曲、イタリア協奏曲等バッハが中心で、その他はベートーヴェンのピアノソナタCDが1枚あるに過ぎません。グールド28才の時に、ニューヨークで250日を掛けて録音したと自身が述懐する演奏は、グールドらしからぬゆったりとしたテンポで素晴らしい演奏でした。グールドはこの録音には誇りを持っていた様で、「これは最も魅惑的なブラームスの間奏曲解釈で、私がしたピアノ演奏の中で最善の演奏だと考えています。私がどうにもならない程ロマンチックになっていることがお分り頂けます」後年に話題となる演奏中のうなり声等も入っておらず、録音も3ヶ月掛けて推敲したらしく、自信作だと言うことが分かります。その中での最終演奏曲である、Op.118-2がYouTubeでアップロードされていますのでお聴きください!Glenn Gould - Brahms Intermezzo no:2 in A major Op. 118
2012.11.27
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我が家には、モーツアルトの「戴冠ミサ」と「雀のミサ」がカップリングされたアナログレコードがあるのですが、天袋に死蔵されてしまい聴くことが出来ません。YouTubeで検索してみますと、結構な数の演奏がアップロードされていますが、下記の動画が良さそうに思えました。モーツアルトの生誕地出身でクラシック音楽界の帝王とされたカラヤンの指揮の下、ウィーンフィルと独唱者・ウィーン合唱団が、ローマヴァチカンのサンピエトロ寺院の聖ペテロ祭壇前の広間に設営された舞台で録画されたものの様です。W.A. Mozart: Agnus Dei (Coronation Mass in C-major K317)Agnus Dei(アニュス・デイ」)は、キリスト教の用語で「神の子羊」の意。子羊は過越祭における生贄であり、その血はイスラエルの民を守るものとされたことから、洗礼者ヨハネがナザレのイエス・キリストに洗礼を施した際にイエスをこう表現した。カラヤンも最晩年で、帝王として楽団を統率すると言うよりも、音楽を楽しむように指揮していますし、ソプラノのキャスリーン・バトルの独唱の見事さも見逃せません。この作品は1779年3月23日に作曲され、同年の復活祭の祝日(4月4日)に初演された。嘗てはザルツブルクの北側の丘の上に建設された教会の聖母戴冠像のために作曲されたことから「戴冠ミサ」の名称がつけられたとされていたが、実際に戴冠の儀式が行なわれたのは6月であるという記述がある。「戴冠ミサ」という名称は、1791年にプラハで行なわれたレオポルト2世の戴冠式でサリエリが指揮して以後に定着された。
2012.11.06
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昨日は虎ノ門のJTビル内にあるアフィニスホールと言う小さなコンサートホールに行って、クーべリックトリオによるピアノトリオ演奏を聴いて来ました。アフィニス(Affinis)文化財団は、1988年「日本たばこ産業株式会社」(JT)により財団法人として設立され、2012年に公益財団法人に移行。音楽に関する事業を通じて、日本の芸術文化の普及と発展に寄与することを目的として活動。プログラムはシューベルトのピアノトリオ第1番とスメタナのピアノトリオト短調、地味ではありましたが、中々楽しめる演奏でした。クーべリックと言えば、チェコの指揮者ラファエル・クーべリックが知られていますが、命名の由来はその父であるヤン・クーべリックにあるとのことでした。結成20年、ヴァイオリニスト石川静さん参加15周年のコンサートとのことでした。休憩時間には、クッキー、スポンジケーキ、ワイン、お茶等が提供され、何か和気あいあいの仲間内コンサートと言う雰囲気も良いものでした。シューベルトのピアノトリオは30年以上も聴き続けているのですが、カセット版ですので滅多に聴かなくなっていたので、久しぶりの感覚でした。ピアノトリオは弦楽器の音量の違いが大きく、ピアノが目立ち過ぎる様な気がします。多分、作曲当時は鍵盤楽器ピアノの発達がそれ程で無く、ハープシコードに近い音量で、弦楽器とは大きく無かったのでしょう!
2012.10.28
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先日のコンサート会場で、定価2800円CDを2500円で売っていましたので購入して来ました。TGSオーケストラのコンサートマスターである島根恵さんの演奏、会場では女性なのでコンサートミストレスと紹介されていましたが・・昨日は、BGMとして何回か聴いていました。1.エクレス ト短調 ソナタ2.コレルリ ラ・フォリア3.クライスラー ラルゴ4.ヴェラチーニ ホ短調 ソナタ5.ヘンデル ニ長調 ソナタバロック音楽は貴族の趣味と言うことで、ロマン派音楽と違って感情移入は無く、緩急のメロディーを楽しむことが主目的でした。島根さんの演奏は、ビブラート等を過度に効かせることもなく、テクニックを誇ることもなく、只ヴァイオリンに愛を込めて淡々と弾いている様子で、バロック当時は「そうであったのだろう」と、好感の持てる良いものでした。
2012.10.07
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昨日は王子駅前にある「北とぴあ・さくらホール」に行って来ました。「オペレッタ・ミュージカルの名曲を集めて」と言う東京芸大卒業生中心のTGSオーケストラとオペレッタ協会との共演によるガラコンサートがあったからです。王子駅を下りるのは、生まれて初めてだった様な気がしますが、駅前には都電荒川線が道路を走っていたりする下町雰囲気のする処でした。北とぴあは17階の高層ビルで、1・2階にさくらホールと室内楽用のつつじホールがあって、昨日は大きなさくらホールでガラコンサートが行われました。天井も高く、内装も新しく、なかなか響きの良いコンサート会場でした。オペレッタ作曲家として有名なレハール、ヨハン・シュトラウスが中心でしたが、ロッシーニもあり、バーンスタインのミュージカル(歌いこなすのは難しい)もあり、ナヴィゲータの楽曲説明・歌手紹介が当を得ていて、聴衆を笑わせながらリードすると言うオペレッタ雰囲気があって十分楽しめました。午後6時半開演でしたので、8時半頃に終わるのかと思いましたが、聴衆の乗りに推されてか、説明ナヴィゲータも「ラマンチャの男」から2曲も披露、終演は午後9時を過ぎることになりました。王子駅は遠い様に感じていましたが、やはり都内であることから自宅には午後10時過ぎには着き、実質1時間で行ける場所で、横浜みらいホールより大分近いのだと改めて再認識しました。
2012.10.06
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先日、TVでトロンボーンによる「釣鐘草(つりがねそう)の主題による変奏曲」の演奏が放映されていました。原曲の訳詩が直ぐに思い出して歌うことが出来ましたが、多分これは小学校高学年若しくは中学校の音楽の時間に斉唱させられていたからなのでしょう。「スコットランドの釣鐘草/The Blue Bells of Scotland」は、戦争に徴兵されていった恋人を思い、彼の帰りを健気に待つ女性の心境を描いたスコットランド民謡。日本では、明治14年頃に小学唱歌「美しき」というタイトルで紹介されている。原詞とは異なり、春を静かに愛でるスコットランド民謡として、覚えさせられたのでしょうが、歌のタイトルは記憶の彼方に埋もれて思い出すことが出来ません。日本語詞:津川主一1 かぐわしき 春の来たれば 美しく 花は咲きたり わが胸に 愛の光は 夢のごとく 訪れ初(そ)めぬ2 なやましく 甘き調べは 風にのり 流れゆきたり 愛らしき 小鳥の歌は 汝(な)が心を 語りてくれぬ原曲のスコットランド民謡がYouTubeでアップロードされていますので、お聴きください!Kenneth McKellar - The Bluebells of Scotland -
2012.09.14
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日本人がノスタルジーを感じるクラシック音楽として、ドヴォルザークのアメリカ在住時代の作品「新世界より」交響曲、「アメリカ」4重奏曲は広く親しまれています。此処数日、スメタナ4重奏団の演奏する弦楽4重奏曲第12番「アメリカ」を聴いています。尤も、原題は“American”となっていますので「アメリカの」と訳すのが良いのかも知れません。20世紀で最高とされているスメタナ4重奏団が1988年にさよなら公演をしてから、もう24年が経ちました。このCDには、1966年脂の乗り切った頃の演奏が収録されています。YouTubeにはアップロードされていませんので、色々聴いてみましたが、2009年にノースカロライナ州で録音された演奏がノスタルジーを誘う様で良いと思われました。Dvorak - String Quartet No. 12 "American" - I. Allegro ma non troppo ドヴォルザークは1892年9月にニューヨーク・ナショナル音楽院の院長として渡米した。黒人霊歌やフォスターの歌曲に大いに影響を受け、交響曲第9番「新世界」を作り上げ、次に手がけたのがこの弦楽四重奏曲である。どちらもドヴォルザークを代表する作品であるし、アメリカから帰国する間際に書かれたチェロ協奏曲も人気の高い名曲だ。新世界を書き終えたドヴォルザークは、アメリカでの最初の夏期休暇を、故郷ボヘミアからの移民が多いアイオワ州スピルヴィルという小さな町で過ごした。ドヴォルザークは驚くべき速さで作曲し、1893年6月8日に着手してから6月23日にはもう完成させた。
2012.09.04
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この音楽テープはロサンゼルス郊外のTower Recordsで購入したものと記憶しています。1987~89年は、米国Oxnard市でのProcter & Gamble社向けのガスタービン自家発電所を建設、プロジェクトマネージャとして毎月米国出張があって、精神的にも肉体的にも苦しい頃でした。客先との打合せが終わると、ホテルで良くクラシック音楽を聴いて、独り旅の無聊を慰めていましたので、良く音楽テープを買っていたのです。久しぶりにカセットプレーヤーで聴いていますが、24年も経過しますと、もうテープが劣化して音が籠もってしまい、情け無い状態となっています。そこで、YouTubeで検索してみますと、随分の数アップロードされていました。演奏は25分程度ですので、全曲アップロードされているものが多いのです。下記の動画は1968年の演奏ですが、各章毎にアップされていましたので、その第2楽章を聴いてみてください。Haydn: "Miracle" Symphony No. 96 in D major - Movement 2 || Leslie Jones, Nonesuch, 1968 交響曲第96番ニ長調 Hob.I:96は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1791年に作曲した4楽章からなる交響曲。「奇蹟」(きせき)の愛称で知られ、ロンドン交響曲のうちの1つとして知られている。
2012.08.25
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チェロ協奏曲と共にCDにカップリングされていました、交響曲第49番「受難」を久しぶりに聴きました。ハイドンの交響曲にも、調性が短調のものがありますが、モーツアルトの様に深刻ではなく、生来の温和な性格を反映してか、淡々としたものが多いのです。曲名は、例によってハイドンが命名したものでは無く、全曲の終わりにラテン語で「神への感謝をもって終わる」(Finis Laus Deo)と書かれていることから、受難週に演奏されたと考えられ、曲名「受難」の由来となっているらしい。緩徐楽章で始まる構成は珍しいのですが、序奏と考えれば、典型的な急緩急の章を持つ通常の交響曲と考えられないこともありません。しかし兎に角、20分程の短い曲ですが、完成度の高い「受難」曲であるようにも感じられる名曲です。 第1楽章は重々しい雰囲気で始まり、ヴァイオリン演奏が悲劇的に響く。第2楽章はアレグロ、暗い雰囲気は維持される。第3楽章のメヌエットも暗い教会の雰囲気。メロディーが聞き手の胸を打つ。第4楽章。ヴァイオリンが主体で、ハイドンの得意とする速いメロディーで終曲となる。第3楽章をYouTubeで聴いてみてください。Franz Joseph Haydn: Sinfon?a n? 49 en fa menor, III Movimiento受難の悲しさが、温和な気持ちで良く表現されている気がします!
2012.07.02
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ハイドンのチェロ協奏曲と言えば、永らく親しまれて来た現在2番とされるニ長調のチェロ協奏曲だけで、その第2楽章は50年程前のNHKの「音楽の泉」のテーマ曲として知られていました。私が最初にハイドンのチェロ協奏曲第1番のCDを買い、聴きましたのは1988年のことですからそれ程昔のことではありません。ハイドンのチェロ協奏曲第1番ハ長調は1765年から1767年頃に作曲したチェロ協奏曲の一つである。ハイドンの真作と確認され、現存しているチェロ協奏曲は、この曲と第2番 ニ長調のみである。楽譜は長い間失われていたが、1961年にプラハで筆写譜が発見され、1962年に復活初演された。YouTubeでも、数多くの演奏がアップロードされていますが、ソル・ガベッタの演奏する動画が魅力的です!ソル・ガベッタはフランス人とロシア人を父母にもつ1981年のアルゼンチン生まれで、アイドル系の美人、しかしながら可なりの実力者の様で、天が二物を与えた典型と言えるのかも知れません。ハイドンのチェロ協奏曲の第2楽章ピアノの響きが加わったオーケストラの響きが新鮮で、ゆったりした雰囲気を楽しむことが出来ます。ソル・ガベッタの演奏するチェロは、爽やかさを残しながら鳴いている感じで、ゆったりと楽しむのに最適です。
2012.06.29
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ヴァチカン公国とローマ市の境界にはパウロ6世ホールと言うコンサートホールが建設され、2008年にこけら落としがされているらしい。内装がほぼ完成した際の記念コンサートなのか、ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn)演奏によるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番(K. 216)が、法王ベネディクト16世が通路中央の特別席に陣取り、その他聴衆は殆どが聖職者と言う変わった雰囲気の中で、2007年4月に披露された様です。Mozart : Violin Concerto No. 3 (Hilary Hahn) The Second Movement : Adagio (Cadenzas by Hilary Hahn)Violin : Hilary HahnStuttgart Radio Symphony OrchestraConductor : Gustavo DudamelLive Recording : 16 April 2007, Aula Paolo VI, Vatican.ヒラリー・ハーンはドイツ系アメリカ人、当時は未だ28才、バッハ等の演奏で注目されるヴァイオリニストだったらしい。小柄で清楚な美人にも拘わらず、力強い演奏で、ヴァチカン公国を魅了した様子が窺うわれるライブ演奏です。使用するヴァイオリンはパガニーニの所有していた'Cannone'のコピーであるヴィヨーム (Vuillaume) の1864年製、イタリアの古楽器ではありませんが素晴らしい音が出ている様に思えます。
2012.06.13
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親友1人に頼んだTT氏遺族宅からの連絡も無い様で、航空学科エンジンコースの同級生もTT氏の奥様の親類もしくは知己であったことを思い出し、情報提供依頼メールを発信したのですが、返信は入電していません。永年の友情に対して感謝すべく墓前に行くことも叶わない状況、昨晩はあまりよく眠れませんでした。何故彼が闘病中我々親友に連絡してくれなかったのかは不明ですが、死期を悟り醜い(?)姿を見せたくないと、彼独特の繊細な生存美学がそうさせたのは無いかと思うばかりです。彼への哀悼の念を思い起こすには、何か良い曲が無いかと探したのですが、ベートーヴェンの第7交響曲の第2楽章が良いのかも知れないと思うに至りました。短調の哀愁的な響きに満ちた楽章。しかし暗く陰鬱なわけではない。言うなれば「雑踏と喧騒に満ちた毎日のリズムが決められた生活の中、理由も無く悲しくなる」…そんな気分をかもし出すかのような音楽である。2小節単位の単調なリズム(生活の歯車?)の上に、同じく非常に単調な、しかしとても美しい旋律が繰り広げられる。カラヤン・ベルリンフィル - 交響曲第7番~第2楽章Nur wer die Sehnsucht kennt 憧れをしるものぞWeiss was ich leide 我が悩みを知っている1960年、長崎市内で無銭宿泊・無銭飲食し、雲仙に向かう途中の写真、TT氏と私、麦わら帽子をかぶり下駄を履いての旅行だったのです。彼が誠実な人生を全うしたことを想い、我々もお世話になったご両親のお墓に入って安らかならんことを、心から祈念することに致します!
2012.05.05
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昨日、ピアノコンサートのマチネー(昼興業)がありましたので、浜離宮朝日ホールまで行って来ました。ベートーヴェン弾きの大家と知られるクラウディオ・アラウの最後の弟子とされる、杉谷昭子ピアノリサイタルでした。ベートーヴェンのピアノソナタ全曲録音を手掛けているとのことで、怖い叔母さんが出て来てバリバリと演奏するのかと思っていましたら、柔和な大和撫子風の可愛い叔母さんが登場して、技を衒うことなく曲想を大切にして弾く姿に好感を覚えました。-ロベルト・シューマン 歌曲集及び幻想曲等-フランツ・リスト 巡礼の年等-フレデリック・ショパン ノクターン、エチュード、ワルツ、ポロネーズ等ショパン演奏では曲ごとに喝采を浴びていましたが、ゆったりと弾くシューマンの幻想曲が、一番の聴きものだったのかも知れません。受け取ったプログラム・パンフレットでは、次の様な挨拶が載せられていました。2年前、腰の圧迫骨折により半年間の演奏活動中止を余儀なくされました。何時治るか分からない病院のベッドで、自分の演奏のルーツについて考える様になり、ピアノの最終的な礎となったクラウディオ・アラウとの晩年の9年間が頭から離れませんでした。其処で、腰が治ったらアラウへの感謝の念を込めてコンサートを開こうと言う思いに至りました。昨年コンサートをキャンセルせざるを得ず、各方面の方々にご迷惑かけましたことをお詫び申し上げますと共に、ご心配、応援頂きました大勢の方々にこの場をもちまして心よりお礼申し上げます。確かに舞台裏からの出入りは少し猫背で、少し引きずって歩く様子、圧迫骨折に完治は無いのです。それでも、昨日は良いコンサートに行けたと思いますと共に、今後は年取った大和撫子風の叔母さんピアニストを応援して行きたいものだと思いました。
2012.04.29
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今朝は、二日続きの雨が上がって雲一つ無い快晴、強い春日の光を浴びて新緑が美しく、将に「時よとどまれ、おまえは美しい」と言う自然の息吹きが感じられます。私には若い溌剌とした時代が懐かしい思いはありますが、押し寄せる老いは自然の摂理に任せるのみで、ファウストの如く若返りたいとも思いません。学究一筋で老いてしまったファウストは、悪魔メフェストフェレスに魂を売って若さを取り戻し、若い娘マルガレーテ(愛称 グレートヒェン)を誘惑し捨て去ります。ファウストの子を産んだ可憐なグレートヒェンは気が狂ってその子を殺し、死刑囚として牢獄につながれ、ファウストの面影を思い描きながら詩「トゥーレの王」を口ずさみます。森鴎外の訳詞は日本古来の七五調となっていて、読み上げやすいものがあります。昔ツウレに王ありき盟渝(かへ)せぬ君にとて妹は黄金の杯を遺してひとりみまかりぬこよなき寳の杯を乾しけり宴の度毎に此杯ゆ飲む酒は涙をさそう酒なりき死なん日近くなりし時国の県の数々を世嗣の君に譲りしに、かの杯は留め置きぬ。海に臨める城の上に王は宴を催しつ。壮士あまた宮のうち御座の下に集ひけり。これを限の命の火盛れる杯飲み干して、その杯を立ちながら海にぞ王は投げてける。落ちて傾き、沈み行く杯を見てうつむきぬ。王は宴の果ててより飲まずなりにき雫だに。ファウストは遍歴を重ねた後、彼の墓を掘る音を仲間の為に働く音と聞き違え、最高の幸福を予感し、「時よとどまれ、おまえは美しい」と言い、悪魔メフィストとの契約によって死ぬことになる。だがメフィストの手を逃れ、かつてグレートヒェンと呼ばれた少女の霊の取りなしによって、天高く上ってゆく。Der K?nig in Thule - Elisabeth S?derstr?m - Schubert opus 5/5 D 367シューベルトがドイツリートにした歌曲、3年前に亡くなりましたスウェーデン出身のエリザベス・ゼンダーストレムが熱唱しています。
2012.04.24
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此処2日、曇りで少し小雨も混じって肌寒い気候、春の天気は安定しない様です。晴れていれば、深緑を楽しみに道志道にでも行こうかと思っていたのですが、取り止めにしました。元気の出る曲でも聴こうかと「ヴェルディの凱旋行進曲」を検索してみましたら、ニューヨークのメトロポリタン・オペラ・ハウスでの公演が見つかりました。マンハッタンのリンカーン・センターにある筈で、オペラ・ハウスに隣接するコンサートホールに内田光子のピアノ演奏会を聴きに行きましたのは1998年秋のことでしたから、もう14年も前のこととなりました。Triumphal March from Aida中学校の音楽授業では教えて貰った覚えがあり、次の様に習った筈でした。いざ空を駆ける雲の如くおおらかに光浴びて進めよ・・・・其処から先は記憶の抽斗が錆ついていて、なかなか思い出しません。誰の作詞だったのか覚えていないので、インターネット検索してみても、残念ながら出て来ません。尤も、中学1~2年の音楽担当は良い教師で、同時に音符も覚えさせられましたので、ソソド レソレミミミ ミファドミレド レミミレド レミミレミミ レミレド・・・と言った音階は55年以上経った今でも、メロディに合わせて未だに口ずさむことが出来ますが・・老齢となって脳細胞の破壊が進みつつあることは、悲しいことではありますが、自然の摂理と思い諦めることにしました。
2012.04.21
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日曜日、心のマドンナには「絵が上手かった方ね!」と一蹴されてしまいました。今になって考えてみれば、当時の私の封印行動は奇妙の限りで、同級生として「変な生徒」と思われても仕方がありませんし、交わらない人生となりました。そうでなくても、同級生友人として交わったか否かは大いに疑問ですが・・此処3日ばかり、ブレンデル(Alfred Brendel)の演奏するシューベルト作曲の即興曲を聴いています。Impromptus op. 90 D.899の4曲とImpromptus op.142 D.955の4曲で構成され、何れも良い曲でop. 90 No.4とop.142 No.2&No.3は特に好みの曲です。今回はImpromptu op.142 No.3を何回も聴いていますし、しっとりと心に響いて静かな気持ちになり、傷心を癒してくれるのですImpromptu op.142 No.3については、YouTubeでもブレンデルの演奏は動画がアップロードされていますが、ふと見つけたウクライナ出身の女流ピアニストであるヴァレンティーナ・リシッツァ(Valentina Lisitsa)の動画が出色の様に思われます。Schubert Impromptu op. 142 No.3 B flat major - Valentina LisitsaCDとは違って、この動画は高解像度モードですので、何とも柔らくソフトに鍵盤に手を添える感じがあって、感情移入する様子が良く分かるのです
2012.04.04
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今年は春が遅いのですが、昨日辺りから春の気配が少し濃くなって来たように思われます。春の忍び寄りと言えば、「カチューシャ」と言うロシア民謡を学生時代に良く歌ったものでした。しかし、古い民謡ではなく、1938年にソヴィエト連邦が戦意発揚・共産主義礼賛として作曲されたものであるらしいのです!学生時代は安保闘争で、全学連と共産党が主導権争いをしていた頃で、双方とも共産主義には未来があると信じていた帰来があり、歌われていたのでしょう。Расцветали яблони и грушиПоплыли туманы над рекойВыходила на берег КатюшаНа высокий берег на крутойИрина Билык - Катюша(カチューシャ)リンゴの花ほころび 川面にかすみたち君なき里にも 春は忍び寄りぬ岸辺に立ちて歌う カチューシャの歌春風優しく吹き 夢がわくみ空よ何時の間にか覚えたロシア原詞、1996年水素吸蔵合金国際学会(MH96)の打上会で、スイス・ヴェヴェイ市の古城の正門前で、ロシアからの参加者と共に斉唱したことが思い出されます。ソ連式レーニン共産主義の破綻で国も崩壊して、その頃は元気の無かったロシア人も、ソ連の昔が懐かしく思い出される所為か、私が歌い出しますと大声で追いついて来てくれ、元気に歌ってくれたのでした。カチューシャ(Катюша)と言う娘が川の岸辺で恋人を思って歌う姿を描いた歌曲で、カチューシャとはエカテリーナ(Екатерина)の愛称形である。「カチューシャ」は、1938年11月27日に初演され、やがて1941年6月に独ソ戦が始まると戦場の兵士に広く愛されて歌われるようになり、代表的な戦時流行歌として定着した。戦後になると、戦時下に流行した歌として、共産主義を褒め称えるという政治的な意味合いを付加されて歌われるようになった。日本では、戦後になっていわゆるロシア民謡を代表する一曲として「ともしび」などのうたごえ運動の中で広く歌われた。1959年の第10回NHK紅白歌合戦では森繁久彌がこの歌を歌った。現在日本で知られている日本語詞は関鑑子による訳詞である。
2012.03.26
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この室内楽のアナログレコードを買ったのは1982年ですから、もう30年も前のこととなりました。ヒューストン市の南東地区にある59号線沿いのCactusと言う大きなレコード店で、クラシック好きな出張者がいますとよく案内した店でした。晩年のシューベルトはベートーヴェンに私淑していて、全ての遺作はしっかりした構成で知られていますが、この曲もその例に漏れません。アナログレコードですのでもはや聴くことは出来ませんが、YouTubeで検索してみますと沢山の数アップロードされていました。弦楽五重奏曲 ハ長調D.956は、シューベルト最晩年の室内楽曲。作曲は「グレイト」交響曲の完成直後の1828年夏、作曲者の死を2ヵ月後に控えて完成された遺作である。シューベルトの多岐にわたる楽曲の中でも、唯一の本格的な弦楽五重奏曲として目立った存在となっている。ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ2という楽器編成となっていて、低音域の充実とバランスが図られているのである。第2楽章は瞑想的な基調ゆえに名高く、しばしば映像作品の沈思的な場面や夜景の伴奏音楽に転用されてきた。スザンナ・ヨーコ・ヘンケルと言う女性バイオリストが加わって演奏するものが良い様に思われ、静かに聴いていますが、今朝の暗い雨模様の中ですので一寸気分が沈みそうになります。Schubert Quintet in C, D 956 - 2. Adagio - Zagreb International Chamber Music Festival 2008スザンナ・ヨーコ・ヘンケル(Susanna Yoko Henkel)は、日独音楽一家に生まれた女性で、アンネ・ゾフィー・ムッタ-の後継者とされるそうです。
2012.03.09
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未明から降り出した雪は、午前10時になっても降り止まず、寒い朝となりました。天気予報によれば、午後には止むとのことですが、今回は積雪が15cmを越える気配で、残雪が多くなる様に見えます。今朝は室内も寒く、ガスヒータと6畳畳部屋のホットカーペット炬燵で暖を取っているのですが、一向に暖かくなりません。板の間で、カーペットから外れた場所では、地面の寒気で冷たくて仕方無く、スリッパを履いて過ごしています。これだけ寒いとエアコンのヒートポンプも効率が悪かろうと思い運転しませんし、家内が残したハロゲンヒータも局所暖房にしか利かないと思い使いませんので、室内は冷蔵庫要らずの寒気に包まれている様です。其処で、暖かい珈琲を入れ、仏壇に供えてから、多少熱湯で薄くしてからゆっくりと飲みつつ、窓の雪を眺めてカラヤン指揮によるウェーバーの「魔弾の射手」をゆっくりと聴いています。この曲は「秋の夜半」と言う小学唱歌になっていましたので、覚えていますが、歌人の佐々木信綱氏が作詞者だったとは初めて知ることになりました。秋の夜半作詞 佐々木 信綱 作曲 C.M. von Weber 秋の夜半(よわ)の み空澄みて 月の光 清く白く雁の群れの 近く来るよ一つ 二つ 五つ 七つ家を離れ 故郷(くに)を出て(いでて)一人遠く 学ぶわが身親を想う 想いしげし雁の声に 月の影に丁度、その部分だけをアップしたものが、YouTubeにありましたので、お聴きください!ウェーバーの音楽 序曲「魔弾の射手」
2012.02.29
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中学校に入学してみると、変わった音楽教師がいました。井上某と言う名前だったと思いますが、僅か2年で作曲に専念すると言う理由で、退職してしまったのですが、真の理由は定かではありません。彼の授業は、毎回漫談の如き様を呈し、偶には俳句のクイズが出されたりして、そんな楽しい雰囲気の中で和音、音程等の音楽専門知識を学んだものでした。中学2年生の或る時、オールド・ブラック・ジョーと言うフォスターの曲を斉唱する授業がありましたが、日本語の訳詞に加え、教科書にも無い英語の原詩を教えてくれたのです。未だ英語の語彙も少なく、関係代名詞等の文法知識も無かったのですが、言われるままに歌う内にすっかり覚えてしまいました。それから56年も経ちますが、日本語詞は忘れがちにも拘わらず、英語の原詞は記憶の抽斗から直ぐに取り出すことが出来るのです。少年少女時代の記憶力とは素晴らしいもので、そんな授業をしてくれた音楽教師には感謝の念に堪えません!Sons of the Pioneers - Old Black JoeGone are the days when my heart was young and gay,Gone are my friends from the cotton fields away,Gone from the earth to a better land I know,I hear their gentle voices calling "Old Black Joe" I'm coming, I'm coming, for my head is bending low,I hear those gentle voices calling "Old Black Joe"若き日、早や夢と過ぎ我が友、皆世を去りてあの世に、楽しく眠り・・少しずつ段々と同世代が去りつつある年齢に達して、若い時に教えて貰った歌に、56年を経過して「我も行かん、早や老いたれば・・」身に詰まされる想いがします
2012.02.26
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このCDを何時購入したのかは覚えていませんが、好きなCDの一つで、此処数日BGMみたいにして、聴いています。録音されたのは1991年 東京駒場エミナンスですから、21年の前のこととなりました。その頃は未だ24才、おキャンに見えるうら若き女性でしたが、今ではもう40才を越えて油の乗り切った演奏をするのだと思われます。日本にも何回か来てコンサートを開催している様ですが、日本では村治佳織さんと言う優れたギター演奏家がいますので、マリア・エステル・グスマンさんはあまり話題にはなりません。しかしながら、彼女のギター演奏は、スペインの土の香りがするはなかなかのものだと思っています。数年前に、私のWebサイトにMP3でアップロードした演奏をお聴きください!タレルガ 前奏曲 「ラグリマ(涙)」 Lagrima
2012.02.21
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昨日からの雨に閉じ込められて、家の中でパソコンを使って「バッハのイギリス組曲第2番」をアルゲリッチが演奏しているのを聴いています。この曲は思い出が多く、1980年代の後半、単独で毎月の如く、アメリカでのガスタービン発電所工事現場視察管理、又更なる拡販と言う使命の為、カリフォルニアを中心に全米各地を駆け回る出張が多く、ホテルに入りますと話し相手も無くストレスを和らげるべく、Walkmanを使ってイギリス組曲の音楽カセットを聴くことも多かったのでした。バッハのイギリス組曲はグレン・グールドが、テンポを極めて速くし強弱の付け方も強烈な弾き方で時代を作り、バッハの現代解釈として一般の共感を得て、よりに広く知られる様になったのだと思っています。グールドに触発された演奏が多く、ポゴレリチを含めて標準とされ、今回YouTubeで見つけたアルゲリッチの演奏するイギリス組曲第2番もその分類に属する様に思われます。 アルゲリッチ バッハ イギリス組曲第2番(1/3)YouTubeで見つかる中庸なテンポで演奏するグルダのイギリス組曲2番は非常に魅力的で、グールド出現の前は、そのテンポが普通だったのではないかと思われてなりません。Gulda plays Bach English suite no.2, Prelude イギリス組曲はバッハの鍵盤楽器のための組曲集。全部で6の組曲からなり、各に前奏曲・アルマンド・クーラント・サラバンド・メヌエット・ジーグなどが配されている。名称の由来は確実ではないが、伝記作家により作曲者が「あるイギリスの貴人のために作曲した」とされていることからとされている。
2012.02.07
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米国ルイジアナ州東端にレーク・チャールス港があり、此処はアルジェリアからの天然ガスをLNG(液化天然ガス)で輸入し、ガス化してパイプラインにて供給するLNG受入基地がありました。此処には日本製のターボ圧縮機2台と往復動圧縮機2台が納入されていましたので、東ガス調査団案内を含めてよく訪問をしました。特に日本から定期点検整備のエンジニアを毎年の如く呼び、駐在員事務所のあるテキサス州ヒューストンから車3時間のドライブで送って行きましたのは楽しいことでした。宿泊先のモーテルで再会を祝しての乾杯と会食をして、夕刻家族の待つヒューストンに独りで3時間運転して帰る訳ですが、ほろ酔い加減でもあり、インターステート道路I-10が真直ぐで、眠くなって来ますので、よく「芸者ワルツ」を唄っていました。しかし、記憶するのは1番の歌詞だけでしたので、繰り返し歌って眠気覚ましにしたのでした。1980年初頭までは飲酒運転が煩く無く、殆どが飲んでからアルコール気味で帰る車だったと思います。芸者ワルツ/神楽坂はん子神楽坂はん子女史は、東京神楽坂で営んでいた本物の芸者、小股の切れ上がった気風の良い江戸っ子でした。芸者遊びをしていた古賀政男に見出されて歌手デビューし、神楽坂と言う地名を全国区にしたと言われますが、晩年は不幸だった様です。1950年代までは芸者の社会的地位は高くなく、見受け人次第という悲しい時代でもあったのです。
2012.01.26
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昨日は、昨年から気になっていた映画を見に行きました。「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」と言うドキュメンタリーなのですが、インターネット検索しましたら、新宿でも銀座でも昨年末で上映終了、渋谷のUplinkで毎日一回、午後4時半から上映と言うことでしたので、時刻を見計らって出掛けました。Uplinkは東急本店を通り過ぎた宇田川町の住宅地にありましたが、映画館とも思えないビルでした。館内は至って狭く、精々30席程度の上映場所で、私は最前列にある座椅子で足を板張りの床に投げ出すと言う至ってリラックスした姿で観賞することとなりました。グレン・グールドの演奏は、1980年代後半にニューヨーク・マンハッタンにあるSam Goodyと言うレコード店で、バッハの平均律、ゴールドベルク変奏曲、イギリス組曲、フランス組曲、トッカータ全集、パルティータ全集等を購入して、彼の経歴についても関心がありましたので、それ程新しい情報があった訳ではありませんが、ドキュメンタリーとして纏められた映画として見ることが出来たことは、それなりに意味のあることでした。晩年、偏執病に侵され、薬漬けとなって50才で夭折するのですが、天才として十分意義ある人生を生き抜いたのだと、改めて納得することとなりました。「楽曲を分解し、別の形に組み直したかの様な前例のないアプローチ」と評されバッハの斬新な演奏で世界を魅了した天才ピアニスト、グレン・グールド、並外れた演奏技術と高い芸術性を持つ演奏に人々は魅せられ、死後30年経とうとしている今でも新たなファンを獲得し続けている。1955年にコロンビアレコードより米国デビュー。録音アルバム「バッハ:ゴールドベルク変奏曲」ではバッハの斬新な解釈、画期的な録音と演奏で、レコードはベストセラー。そのルックスと共に一躍時代の寵児となる。1957年にはソ連や欧州をまわり、カラヤンと共演するなど実績を積み、1962年にはバーンスタインが、ブラームスに対するグールドとの見解の相違を聴衆に説明して話題になる。1964年シカゴでのリサイタルを最後にコンサート活動からの引退。以後レコード録音やラジオ、テレビ等のみの演奏活動に入る。1981年、デビュー作と同じ「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」を再録音する。1982年10月脳卒中により50歳という若さで急逝。
2012.01.15
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先日NHKBSでヨセミテ国立公園のハーフドームの登頂に挑む番組を放映していました。ロッククライミングとフリークライムを合わせて、素人にはとても無理な処をガイドの指示に従い登頂に成功していましたのには、少なからず感動しました。ヨセミテ村とハーフドームを眼下に見下ろせるグレーシャー・ポイントに家族で行きましたのは、1983年7月初旬のことでした。後年、会社の部下を引率してヨセミテ国立公園を再訪しましたが、その時はサンフランシスコからの日帰りでグレーシャー・ポイントには行く時間がありませんでしたので、ハーフドームを見下ろしたのは、一回きりとなりました。デービッド・ロスのアルバム「Skyscraper(摩天楼)」に収められている「Just Like Paradise(天国にいる如く)」はヨセミテの岩場登攀の動画を見つつ、聴けますのでとても魅力的です。David Lee Roth - Just Like Paradise
2011.12.24
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ピアノ協奏曲22番(K.482)は、甘美な21番(K. 467)と23番(K. 488)な間に位置する地味な曲とされていますが、不思議な魅力を持った作品です。昨日、藤沢市の大庭台墓園の行き帰りに3時間以上、内田光子の演奏・ジェフリーテートの指揮によるCD(22番と23番がカップリングされたもの)を繰り返し聴いていました。特に第3楽章は、心地好い拍節感が付点のリズムによってこれほどまでに生き生きと躍動する音楽は、非常に心地良いものがあります。アレグロ-緩(アンダンテ・カンタービレ)-急(テンポ・プリモ)と明確に分かれるモーツアルト屈指のメロディーとも思えます。YouTubeでも、多数の演奏がアップロードされていますが、異色のピアニスト上原綾子さんとウィーンフィル演奏が、溌剌とした若さが感じられ、良いと思われます。Mozart Piano Concerto No 22 E flat major K 482 Fabio Luisi, Ayako Uehara Wiener Symphoniker Mvt3上原綾子さんは日本人ピアニストとしては異色の経歴で、音楽大学を卒業していない。学歴や師事した音楽家を一義的に重視する日本では異色の存在、幼時からピアノを始め、1990年よりヤマハマスタークラスに入会、数々のコンクールで優勝した。2002年には第12回チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門にて日本人として初めて、かつ女性として世界で初めての優勝を果たし、クラシック音楽界のみならず各方面で話題を呼んだ。
2011.11.28
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ラフマニノフと言いますと、ピアノ協奏曲第2番となるのですが、実兄に貸して貰った交響曲全集は魅力あるものでした。ローリン・マゼール(Lorin Maazel)指揮のベルリンフィル演奏による2枚セットCDでしたが、ロシア音楽界の伝統を生かしながらも、豊かでしなやかなメロディー、深い抒情性を息の長い起伏の内に情緒的に運ぶ構成力は素晴らしかったのです。YouTubeではマゼール盤はありませんが、ロシアの情景をバックにロンドン交響楽団演奏がアップロードされていますので、一寸長いのですがお聴きください。Rachmaninov - Symphony No. 2 in E minor, Op. 27 III. Adagio: Adagio (LSO)第3楽章ヴィオラによるスラヴ風の流れるような旋律が、儚い憧れを込めるかのように歌われる美しい緩徐楽章である。続いてクラリネットのソロによるノクターン風の長閑な旋律がこれに代わる。中間部では第1楽章冒頭の序奏に出たヴァイオリンの動機が変形され、イングリッシュホルンやオーボエのソロがさらにそれを変容させる。その後、オーケストラ全体によってこの曲の情緒面での頂点が形成され、全休止ののち、最初のテンポへと戻る。その後は、これまでに出た3つの素材がさまざまな楽器のソロによって出され、次第に組み合わさりながら曲は延々と流れる。そして楽章の結末では、統一動機が現れて静かに閉じる。子供時代から、新しいものへの興味を3才年上の実兄に教えて貰うことが多かったのですが、齢70に達しても状況は変わらないと感じることとなりました。
2011.11.21
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4年振りに浜離宮朝日ホールに行って来ました。1992年オープンした中規模で室内楽専用のホール、壁面・床も板張りで、反響音が柔らかで良いホールなのです。出演は、パヴェル・ハース四重奏団、注目の若手四重奏団とのことでしたが、未だそれ程知られていないことから、場内は混んではいませんでした。プログラム:1.ハース 弦楽四重奏曲 第1番2.ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲 第12番 「アメリカ」3.シューベルト 弦楽四重奏曲 第14番 「死と乙女」ドヴォルザークと言えばスメタナ四重奏団、シューベルトの「死と乙女」と言えばアルバンベルク四重奏団の演奏が知られていますが、パヴェル・ハース四重奏団の演奏も中音・低音域がしっかりとしていてなかなかのものでした。特にドヴォルザークの「アメリカ」は、チェコ出身と言うことで、ボヘミヤ郷愁の色濃く出ていて出色でした。パヴェル・ハース四重奏団については、プロモーションVideoがYouTubeでアップされていますので、ご覧ください!Pavel Haas Quartet Promotion Video
2011.11.15
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今日は「文化の日」の祭日、朝ゆっくりと起きて独り朝食を取り、ゆっくりと音楽を聴くのも良いものです。実兄に借りたラフマニノフの交響曲選集のCDがあり未だ聴いていないのですが、今朝は家内を想い、パソコンを立ち上げて「フォーレのレクイエム」を聴いています。Faur? - Requiem: 1. Intro?t et Kyrie1.入祭唱(Introitus)Requiem aeternam dona eis, Domine: 主よ永遠の安息を彼らに与え、 et lux perpetua luceat eis. 絶えざる光を彼らに照らしたまえ Te decet hymnus, Deus, in Sion, 主よ、シオンにて賛歌を捧げ、 et tibi reddetur votum in Jerusalem: エルサレムにて誓いを果たさん、 exaudi orationem meam, われらが願いを聞き入れたまえ ad te omnis caro veniet. すべての肉はみもとにまいりまつる 2.キリエ(Kyrie)Kyrie, eleison. 主よ憐れみたまえ Christe, eleison. キリストよ憐れみたまえ家内は仏式で葬儀をし、仏式の墓所に葬られていて、既に3回忌も過ぎましたが、思い起こすには彼女が好きだった西洋クラシック音楽を静かに聴く方が良いのでは思っています。11月に入っても晩秋の秋冷とはならず、中秋の気候、先週・今週と秋晴れの供養登山も3回、自分の思い入れが主ですが、大いに供養となりました。
2011.11.03
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今朝は、何時の頃からか雨が降り続き、秋寒の朝となりました。家に閉じこもり静かに、「Scandinavian Highlights」と言うCDを聴いています。珈琲を入れて、仏壇に手を合わせて、仮想的に一緒に珈琲を飲み、一度しか行っていない北欧を懐かしむことにしたのです。このCDは、13年前にストックホルムで行われた国際会議で論文講演する為に、パリから乗ったスカンディナヴィア航空の機内で購入したもので、あまり聴くことは無かったのですが、Healing Musicばかりの様で、心静かになりました。1.Grieg 朝のすがすがしさ(Morgenstemning)2.Grieg ソルヴェイ(ソルヴェイグ)の歌(Solveigs Sang)・・19.Alfven 僕は君に憧れる(Jag laengtar dig)グリークは良く知られ、特に「ペールギュント組曲」は世界的名曲、アルヴェーンはあまり知られていませんが、故国スウェーデンでは大作曲家の一人として非常に著名で、「僕は君に憧れる(Jag laengtar dig)」は代表作とのことでした。CDに収められていたSingerが歌う、この歌はYouTubeでもアップロードされていました!Jussi Bjorling sings "Jag l?ngtar dig" by Hugo Alfv?n
2011.10.05
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昔、フランソワーズ・サガンに「ブラームスはお好き?」と言う小説がありましたが、その渋さ故に熱狂的なファンは少ない様に思われます。しかし、その渋さ故に聴きこんで行きますと魅力が増して来ると言うこともあるのです。此処数日、名盤CDとされているOrfeo版カール・ライスター演奏の「ブラームスのクラリネット5重奏曲」を聴いていました。Vermeer四重奏団との演奏でしたが、渋さと侘びしさを見事に表現されています。美しいながらもどことなく翳りあるメロディーが行きつ戻りつして、人恋しげなであり、懐かしいような秋の情感にぴったりです。クラリネットは人声に一番近い楽器とされ、北ドイツの重厚な雰囲気に生まれ子供の頃失語症に罹ってひたすらクラリネットを吹いていたと言うブラームス自身の経歴が、尚一層その様な気にさせる様な気もします。其処には、濾過し切った真水の純粋さがあり、嘗て頼り切った楽器への感謝があり、牽いては過去の栄光と将来の安息の死を夢想する、安らかな孤独であるのかも知れません。YouTubeにはライスター盤がアップされていませんので、別の良い演奏をお聴きください!Thomas Friedli - Brahms Clarinet quintet 1st mov.
2011.10.01
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NHKのBS番組で、シンガーソングライターの植村花菜さんがカントリーウェスタンの聖地とされるナッシュビルに行き、テネシーワルツを唄っているのが印象的でした。 テネシーワルツTennessee Waltz は1950年パティ・ページ(Patti Page)が唄って大ヒット、日本ではその2年後江利チエミが唄って、彼女の代表曲になりました。テネシーワルツTennessee Waltz/Patti Pageこの曲は、恋人に友人を紹介したら奪われてしまったと言う悲しみを唄うものなのですが、女性歌手は「恋人の彼氏を失ってしまった」、男性歌手は「彼女を盗まれた」と歌い分けるのが普通の様です。私がナッシュビル(Nashville)を訪れましたのは、もう19年も前のこととなりました。米国航空宇宙学会(AIAA)での論文発表をする為で、ダウンタウンでは無く郊外にあるオプリランドと言うリゾート地に隣接するホテルと会議場(Opryland Resort & Convention)に缶詰め状態でしたので、ダウンタウンを散歩する機会に恵まれなかったのは残念でした。それでも、会議事務局がカントリーウェスタンバンドをテネシーウィスキーJack Danielの醸造地リンチバーグ(Lynchberg)から呼んで演奏させ、雰囲気を楽しませてくれたのですが・・オプリンランドでの夕食パーティで、何百匹もの群舞するホタルが乱舞する情景を見られましたのは、子供の時以来何十年ぶりだと感激、懐かしい思い出でもあります。会議終了後はリンチバーグを訪れJack Daniel醸造所見学、NASAハンツビル訪問、アトランタのLockeed社を訪問する航空宇宙事業調査団の一員でもありました。
2011.09.17
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彼岸も近いと言うのに、又暑さがぶり返して来ました。昨日は日中の蒸し暑さが酷く、思わずクーラーの電源を入れてしまいました。それでもその暑さは日中だけで、朝晩は涼しさを感じられ、秋の気候に移りつつあり、クーラーは不要となりました。秋に相応しい音楽と言いますと、エリック・サティの音楽も、その中に数え上げておきたいもので、仲秋の名月を眺めながら、静かに聴きたいものです。Erik Satie - Gymnop?die No.1それは、遠い過去を思い起こさせてくれ、現実からの逃避に対しても、限りなく優しく是認してくれる様な気がしますし、将に現実に消し得ない心の悲しみを癒してくれる名曲なのです。古代ギリシャでは、ギムノパイディア(ジムノペディア)と称する祭典が行われました。これはアポロンらの神々を讃えて、裸身の若者達が神々の像の前で踊り、合唱し、詩を朗唱しながら何日間も続けられた儀式でした。サティは、この祭典を描いた古代のギリシャ壺からインスピレーションを得て、このピアノ曲を作曲したと言われています。楽譜には「Lent et Douloureux: ゆっくりと苦しみをもって」と指示があり、デリケートで柔らかいメロディが浮び上がり、和声は和声として機能する役割から離れて、独立したリズム単位としてメロディに思いがけない彩をそえ、神秘的な美しさを放っていて、コントラストが凝縮された奥深い作品です。
2011.09.11
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此処数日、小澤征爾指揮のウィーンフィル演奏によるドヴォルザーク「新世界より」を聴いています。1991年のライブ録音、第2楽章の「家路」と称されるラルゴは抒情性に満ち溢れていて聴きものでした。この演奏はYouTubeにアップされてはいませんので、提供出来ないのは残念です。第2楽章主題は良く知られイングリッシュホルン演奏も曲想にマッチし、「家路」として小学唱歌に組み入れられていました。60年以上昔、教室で唄った「家路」の歌詞は、堀内敬三氏のもので無く、今では記憶している歌詞は断片的で、インターネット検索でも特定出来ません。YouTube検索していましたら、ふと本田美奈子の作詞による「新世界」がアップロードされていました。Minako Honda - From the New World ; 本田美奈子. 新世界彼女の最後のアルバム「時」からピックアップされたもので、彼女の様な曲の解釈もあるのかと聴いていました。家族で訪れた、ジャスパー国立公園やグランドキャニオン国立公園が出て来ますので、懐かしく家族旅行の思い出に浸ることが出来ました。本田美奈子さんはアイドルから歌手に転身、ミュージカルでの活躍からクラシック普及に意を注ぎ、ソプラノ的な唱法でクラシックの曲に日本語詞をつけて歌うというユニークなスタイルで新境地を切り開きましたが、2005年11月6日白血病で死去、38才の夭折となりました。法名は釋優聲(しゃく ゆうしょう)、真宗の宗徒であった様です。家内の3回忌は来月となりましたので、そろそろ冨士霊園に連絡して設定し、関係者への通知準備をしなければなりません。「消える心持つならば 実る心与えよう ・・」
2011.09.03
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「ヘンデルのサラバンド(Sarabande)」は、ヘンデル作曲「ハープシコード組曲 第2集」の第4曲(HWV437)です。荘重なイメージですが、その中でも決意と希望も見いだせる曲とされています。1984年宮崎駿監督の長編アニメーション「風の谷のナウシカ」では、「ナウシカ・レクイエム」として使われていますので、記憶されている方も多いと思われます。そんな曲想が好かれてか、YouTubeでも数多くの動画がアップロードされていますが、サラ・ブライトマンがロック調にアレンジされた曲を唄うものが良い様に思われます。Sarah Brightman - Sarahbandeサラ・ブライトマンは2008年北京オリンピック開会式での絶唱で、一躍有名となりました英国の美貌歌手で、人気が沸騰している様です。そのサラ・ブライトマンによるカバー盤は、テレビ朝日のニュース番組「ニュースステーション」のオープニング・テーマ曲として2002年7月から 2003年9月まで使用されていました。当時の久米弘キャスターの選曲か否かは判然としませんが、決意と希望も見いだせる曲想は報道番組のテーマ曲としては適切だった様な気がしています。
2011.08.21
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森麻紀さんのヘンデル作曲「Lascia ch'io pianga(私を泣かせてください)」を聴きました。この曲は、TV番組のBGMで使われたことから、よく知られるものとなりました。Lascia ch'io piangamia cruda sorte,e che sospiri la libert?.Il duolo infranga queste ritortede' miei martiri sol per piet?.主よ、涙の流れるままにむごいこの運命を嘆かせてください自由にあこがれるままにさせてくださいこの苦しみを 打ち壊してください私の心の中にあるこの苦しみの鎖を お慈悲ですからNHKで放映されたものが、YouTubeでアップロードされていますので、聴いてみてください!Maki Mori - Handel - Rinaldo: Lascia Ch'io Pianga真摯な歌い方には素敵な魅力が感じられますが、画面に出て来る訳詞の意味は、なかなか理解しにくいものがありました。YouTubeには、本田美奈子バージョンもあり、こちらも感情の籠もった素晴らしいものでした。訳詞は岩谷時子さんで、直訳で無く意訳の感がありますが、日本語としては理解しやすく整っている様に思われますので、本田美奈子さんの早過ぎた病死を思って感情移入することが出来る絶唱です。私には 構わないで泣き止めるまで 泣かせて欲しい棘のついた 薔薇の園で待ち続けるのあの方も探しに 来る魔法等には 負けはしないわ自由なんか 求めていない涙枯れても 泣かせて欲しい嘆きこそは 私達の絆なのです苦しみを 哀れむ方神様 どうぞ救い給え本田美奈子. 私を泣かせて下さい
2011.06.30
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森麻紀さんのCD「アヴェ・マリア」を聴いていますと、見事なコロラトゥーラ歌唱、澄み通る透明感のある美声に感心させられます。好きであるコロラトゥーラ・ソプラノのエディト・マティス(Edith Mathis)の後を継ぐ歌手として良いのでは無いかと思っています。エディト・マティスは可愛い美人顔で、1963年のベーム初来日時に「フィガロの結婚」でケルビーノを演じてその愛らしい舞台姿が評判となりましたが、森麻紀さんも気品のある美人顔で、マティスを彷彿とさせます。マティスも既に70才を越えているので、後継者としてぴったり、森麻紀さんもマティスに倣ってバッハ・カンタータにも期待する処大きいものがあります。彼女が今回のCD解説に、「聖書の言葉やお祈りは、キリスト教徒だけのためではなく、全ての人の為にあります。困難な時にも、母の様な大きな愛をもってマリア様が見守って下さる。音楽もマリア様のように、すべての人を幸せにする為にあるのだと信じています」と挨拶文を書いていますが、この様な真摯で奥床しいのも麻紀さんの魅力でもあります。森麻紀さんのCDは、ピエ・イエス、ヘンデル・アリア集、に続いて3枚目となりました。
2011.06.29
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YouTubeで「五嶋みどり」とキーワード検索して、偶然に「赤いサラファン変奏曲」を見つけました。 Midori Concert - Nieuwe Kerk Den Haag 16-05-2010五嶋みどりさんは、自分の公式Webサイトで、この曲について次の様に解説しています。ポーランド生まれのヴァイオリニスト兼作曲家として知られているヴィエニャフスキは、ヨーロッパやロシアで幅広くコンサート活動を行いました。彼の演奏は、パガニーニのような完璧な技術に加え、聴衆の心を揺さぶるような感情表現があったと言われています。「モスクワの思い出」は、ロシアに演奏旅行に出かけたときに耳にしたロシア民謡をもとに作られた変奏曲。モチーフとなった民謡は、「赤いサラファン(The Scarlet Sarafan)」と「馬に鞍をつけて(I Saddle My Horse)」の2曲です。サラファンは、ロシアの農婦が着る特別な民族衣装で、この曲はヴァイオリンとオーケストラの為に書かれました。「赤いサラファン」は、学校の音楽時間でも良く歌われた歌で、ノスタルジックな甘美な感覚が印象的でした。私の記憶する歌詞は次の様でしたが、インターネット検索しても、原詩に近い歌詞ばかりで、学校で習った歌詞を今は見つけることが出来無くなってしまいました。赤いサラファン 私に見せて優しく 母さん諭す様・・・残念ながら、記憶の抽斗が錆ついて、全部はなかなか取り出すことが出来ません!
2011.06.23
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モーツァルトの協奏的二重奏ソナタの頂点的な作品で、ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」を先駆ける作品ともされています。我が家にありますのは、Arthur Grumiaux-Walter KlienによるPhilpsレーベルのCDなのですが、やはりこの演奏はArthur Grumiaux-Clara Haskilが60年が経過した現在でもベストと言われています。YouTubeでもアップロードされていますので、今朝はノートパソコン内蔵の頼り無いスピーカで聴いています。Grumiaux and Haskil play Mozart Sonata K526ヴァイオリンソナタ 第40番(K.454)も好きな曲で聴いてみたいのですが、未だこちらの方は(Grumiaux- Haskil)、残念ながらアップロードされていない様です。グリュミオーの上品な音色はベートーヴェン音楽には異質とも思われますが、ハスキルのピアノ伴奏が加わると一変、「春が来る喜び」を感じさせるもので、なかなか良い聴きものでした。尤も「スプリングソナタ」がベートーヴェン音楽の中では異質の部類に入るのかも知れません。1957年モノラル録音の「スプリングソナタ」演奏がYouTubeでアップされていたのですが、削除されてしまっていますのは、残念なことです!
2011.06.10
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我が家には、アルヒーフ盤のカセットがあるのですが、30年前のものですので、劣化して殆ど聴くことがありません。ジョヴァンニ・ガブリエーリ(Giovanni Gabrieli, 1557 - 1612年)はイタリアの作曲家・オルガニスト。当時最も影響力のあった音楽家であり、ヴェネツィア楽派の頂点に立ってルネサンス音楽からバロック音楽への過渡期を代表する存在となった。諸外国、とりわけドイツ語圏から留学生を受け入れ、分割合唱による作曲技法を国外に広めた。日本では、あまり演奏されることは無いのでしょうが、YouTubeでは結構な数の曲がアップロードされていました。その中で、レンブラントの「ユダヤの花嫁」らしき絵画を観賞しながら、ジョヴァンニ・ガブリエーリのカンツォーネを聴いて頂くのも偶には良いかも知れません!Giovanni Gabrieli: Canzone
2011.05.18
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教会での結婚式、葬式でもよく歌われる讃美歌312番、宗教に拘わらず人口に膾炙されている様に思われます。私も宗教についてなど、何も考えていなかった小学校か中学校時代に、音楽唱歌「星の世界」として教わった覚えがあるのです。もう55~60年昔のことですから、はっきりとした歌詞は記憶していないのですが、インターネット検索すると、次の様でした。かがやく夜空の 星の光よまばたくあまたの 遠い世界よふけゆく秋の夜(よ) すみわたる空のぞめば不思議な 星の世界よ多分、それが記憶の根底にあり、讃美歌312番を唄う時にも甦って、違和感も無く歌えるのだろうと思っています。従って、カントリーウェスタン風に歌われても、ロック調に唄われても、成程と聴くことが出来るのだろうと自分で納得しています。下記のYouTubeにアップロードされているものはカントリーウェスタン風、キリスト教に帰依していなくても、心静かに聴けるような気がします。What A Friend We Have In Jesus - Alan Jackson 讃美歌312番
2011.04.30
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昨日は41回目の結婚記念日となる筈でしたが、1年半前に家内が亡くなりましたので意味の無いことかも知れません。一昨日には墓参もしましたし、今日は仏前に手を合わせて焼香することに致しました。この様な個人的感情も大切ですが、地震被災地並びに原発放射線被害地の方々を想いつつ、静かに聴くことも大切なことだと思っております。 Adagio in G Minor (Albinoni)Adagio in G minor for violin, strings and organ continuo, is a neo-Baroque composition popularly attributed to the 18th century Venetian master Tomaso Albinoni, but in fact composed almost entirely by the 20th century musicologist and Albinoni biographer Remo Giazotto.災害時には津波を引き起こす自然ではありますが、静謐な時は何と素晴らしい景色を楽しませてくれることでしょうか!徒に大幅な自然改造を行うのでは無く、常に畏敬の念を持って接することが大切な様です。福島原発は第一及び第二で、900万kWと東電供給電力の2割を占める狭い立地方式は、如何にも福島県民の犠牲による極端なもので、従来論議の対象にならなかったのは異常に思えます。
2011.03.27
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パッヘルベルと言えば、現在では「パッヘルベルのカノン」以外は聴く機会が無いのですが、バッハより20年ほど年長の彼は、生前に高い人気と評価を得ていたとされています。このカセットテープは16年前に、家内とローテンブルクを訪れた際に、其処の聖ヤコブ大聖堂の売店で購入したものです。YouTubeでアップロードされている中では、ワルハ(Helmut Walcha)が演奏するシャコンヌ ヘ短調が良い様に思われます。Johann Pachelbel Chaconne in F minor by Walchaヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel, 1653~1706年)は、バロック期ドイツの作曲家で、南ドイツ・オルガン楽派の最盛期を支えたオルガン奏者である。宗教曲・非宗教曲を問わず多くの楽曲を制作、コラール前奏曲やフーガの発展に大きく貢献したところから、バロック中期における最も重要な作曲家の一人に数えられる。彼の音楽は、南ドイツの作曲家やイタリアの作曲家、更にはフランス、ニュルンベルク楽派などの作曲家から影響を受けていたとされ、技巧的ではなく、北ドイツのオルガン奏者であるブクステフーデのような大胆な和声法も用いず、旋律的・調和的な明快さを強調した、明快で単純な対位法を好んで用いた。彼の作品で最も有名なのは「パッヘルベルのカノン」(Canon in D) であるが、その他、シャコンヌ ヘ短調、トッカータ ホ短調などのオルガン曲などが知られている。ローテンブルクには2時間もいなかったと思いますが、パッヘルベルを聴きながら、会社勤続30年で30万円の旅行券を使った記念旅行だったのだと、16年前を懐かしく思い出しています。
2011.02.28
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今朝、NHK-BS2のクラシック番組で、シューベルトの「冬の旅」が歌われていました。全編、救いの無い侘しさで覆われていることで知られている名曲ですが、最終曲の「辻音楽師Der Leiermann」は一層孤独感が際立ち、悲しみに誘われてしまいます。私も今は独り暮らしで、遠い昔の親子共々楽しかった子育て、苦しくも楽しくもあった海外生活、家族にも迷惑を掛けた海外プロジェクト推進、何時も家内が一緒だったので、そんなこんなを思い起こしますと孤独感が良く分かり、私はもはや「辻音楽師Der Leiermann」なのだと実感出来るのです。さてYouTubeで検索してみますと、ハンス・ホッターの歌う「Der Leiermann」が良さそうに思われます。Winterreise - "Der Leiermann", Hans Hotter辻音楽師Der LeiermannDr?ben hinter'm DorfeSteht ein Leiermann,Und mit starren FingernDreht er was er kann. Barfu? auf dem EiseSchwankt er hin und her;Und sein kleiner TellerBleibt ihm immer leer.Keiner mag ihn h?ren,Keiner sieht ihn an;Und die Hunde knurrenUm den alten Mann. Und er l??t es gehenAlles, wie es will,Dreht, und seine LeierSteht ihm nimmer still. Wunderlicher Alter,Soll ich mit dir gehn?Willst zu meinen LiedernDeine Leier drehn? 村はずれの向こうに辻音楽師がいてかじかんだ指で力の限り回している氷の上を裸足でふらふらよろめき小さな皿はいつも空のままだ誰も聴こうとせず誰も彼を見ない犬たちは唸る老人の周りでどうであれなるがまま任せ手回し琴を回して決して止まらない不思議なご老人共に行くだったら僕の歌詞に合わせて手回し琴を回してくれますか
2011.02.17
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昨日の昼間は暖かさが感じられたのですが、夜の会議を終えて午後9時半に自宅に帰る頃は震える様な寒さとなりました。今朝、玄関前の道路が白いので、きつい霜が降りているのかと思い、良く見ますと粉雪が舞っているのです。6角形の結晶にならない程ですから、余程の低温になっていたのだと思われます。それで、何時ものトースト・ハムエッグ、トマトサラダ、珈琲と言う朝食では無く、体の温まる野菜・茸を入れた煮込みうどんに変更となりました。今日の多摩市の天気予報は、曇り・時々雪ですから、その寒さに依って家の中に閉じ込められてしまうことになりそうです。この前読み残しの「和辻哲郎」も読み切ってしまいましたので、珈琲を飲みながら静かにCDミュージックを聴いています。このCDは映画で使われた、数々のモーツアルト音楽のオムニバス盤でCD2枚セット、聴き応えはありませんが、BGMとしては良いのかも知れません。亡くなった家内とも、BGMとして何回となく聴いたものだと、仏壇の遺影を眺めたり、壁に掛けてある我流の油彩(1987年製作)を眺めたりしながら、静かに偲んで午前中を過ごすことになりそうです。
2011.02.14
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28才で致命的な多発硬化症が発病、1987年10月に42才で亡くなったジャクリーヌ・デュ・プレは、もはや伝説的なチェリストになりました。彼女の演奏するボッケリーニのチェロ協奏曲がYouTubeでアップロードされていて、聴きものです。録音は1967年と古く音質も良くないのですが、22才の瑞々しい情感が溢れ出ている素晴らしい演奏だと思われます。Jacqueline du Pre - Boccherini cello concertoチェロ協奏曲第9番 変ロ長調 G.482は、ボッケリーニが作曲したチェロ協奏曲の中でも広く知られている作品。ルイジ・ボッケリーニは13曲のチェロ協奏曲を残している。チェロ協奏曲第9番は1770年頃か1785年頃に作曲されたとみられているが、未だに不明である。ルイジ・ボッケリーニ(1743-1805)はイタリアのルッカに生まれ、13歳でチェロ奏者としてデビュー、20歳前半にはウィーン宮廷にて高い評価を得る。1768年には演奏会の本場パリで成功を収めるなど、名声を極めるが、1769年スペインの宮廷に招かれドン・ルイス皇子付き奏者兼作曲家となり、マドリッドで後半生を送った。1785年ルイス皇子の死後不遇となり、晩年は失職し貧困と忘却の内にこの世を去った。ジャクリーヌ・デュ・プレ紹介とベートーヴェンのチェロソナタ3番をお楽しみください
2011.01.22
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Piet KeeがChandosレーベルに録音した“Piet Kee plays Bach on the Mueller Organ of St. Bavo, Haarlem”Vol. 2の中で秀逸なのはBWV727でしょうか?Piet Kee plays Bach on the Mueller Organ of St. Bavo Vol. 2-8Herzlich tut mich verlangennach einem selgen End,weil ich hier bin umfangenmit Tr?bsal und Elend, ich hab Lust abzuscheidenvon dieser argen Welt,sehn mich nach ewigen Freuden:O Jesu, komm nur bald !我は、切に幸福な死を願うこの世は、試練と不幸が取巻けば我は、悪意の世との別れを熱望す我は、永遠の喜びに憧れるおおイエスよ、はやく来たれ!バッハのコラールの中で良く知られているメロディ、同じ旋律のコラールは「マタイ受難曲」で5回現れ、讃美歌の「血潮したたる」(O Haupt voll Blut)のメロディとして知られていて、受難のイメージが強い。コラールの歌詞は死への憧憬を内容とし、タイトルの「切なる願い」とは幸福な死(永遠の喜びでもある)を願うもの。しかしながら、元来はハスラーが作曲したメロディで、失恋歌のメロディとして使われていたことから、バッハはオリジナル失恋歌に深い愛着を持っていたのではないか。キリスト教の最大イベントである「受難」とは違った、もっとパーソナルな「死」にまつわる様々な想いを象徴するものとして、彼はこのメロディを聴いていたのだろう。日本でも10世紀仏教界に浄土思想が芽生え、「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」が唱えられる様になりました。この穢(けが)れた世の中を厭い離れ、極楽浄土に往生することを心の底から望み求めると言う意味です。何かこのコラールに通じるものがあり、日本人にはこのコラール前奏曲が違和感無く受け入れられるのでしょう!一昨年晩秋、家内を図らずも仏式で送りましたが、その数ヶ月前闘病中に意識不明となり、手を握って声を掛けましたら蘇生、花畑の様な場所だったと言っていたことは未だ忘れられません!
2011.01.13
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バッハのチェンバロ協奏曲をピアノ演奏で再現すると言うことを広めたのはグレン・グールドの功績が大きいものがあります。チェンバロでは表現出来にくかった、強弱(Pianoforte)を付けた演奏で、ダイナミックさが格段に上がり、バッハの偉大さを再認識させることになったからです。この曲のピアノ演奏LP盤は、ヒューストン駐在の時、タウンハウス・コンプレックスの隣にある「セージ(Sage)」と言うスーパーで買って来た廉価のLPレコードでした。それまでのワルヒャ等のチェンバロ演奏に比べて、何と楽しそうな曲なのだろうと何回も聴き直した程でした。チェンバロ協奏曲第5番ヘ短調BWV1056、この曲の元曲はヴァイオリン協奏曲ではないかと言われ、第2楽章「ラルゴ」はとても美しい音楽で、バッハのラルゴとして有名で、カンタータ第156番の冒頭シンフォニア「アリオーソ」が元曲で、現存しています。Youtubeでもグレン・グールドの演奏はアップされていますが、グールドの自己主張が強く思われ、アンジェラ・ヒューイットの演奏の方がもっと自然体に見えて良さそうに思えます。Hewitt plays Bach - Keyboard Concerto in F minor, BWV 1056アンジェラ・ヒューイット(Angela Hewitt, 1958年7月~)は、カナダのピアニスト。オンタリオ州オタワで教会オルガニストを務める父ゴドフリーがイギリス人のため、イギリスとカナダの二重国籍である。1994年よりハイペリオン・レーベルと契約して、バッハのクラヴィーア作品の全曲録音に挑んでいる。他方でフランス音楽を好み、フランソワ・クープランやショパン、シャブリエ、ラヴェル、メシアンらのピアノ曲を録音して好評を博す。
2011.01.05
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