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渋谷道玄坂の中腹に位置する百軒店(ひゃっけんだな)は、喫茶店、バー、飲み屋、大衆食堂、洋食店、ストリップ劇場、出会い系店舗等が並ぶ大人が集う繁華街とされています。その1角にひっそりと「名曲喫茶ライオン」があります。1926年創業と言いますから百軒店商店街一番の古手店舗ですが、1杯の珈琲でクラシック音楽を楽しむ風習は昭和40年代で終わって時流からは外れてしまい、嘗ての盛況はありません。渋谷だけでなく、新宿歌舞伎町にも、中野サンロードにも名曲喫茶もあって、大学生を中心とした若者が集まりリクエストによって好きなクラシック音楽を聴く喫茶店はあったのですが、時流には勝てず全て閉店となる運命だったのです。昨日は一年ぶりの訪問でしたが、未だ閉店もせずに営業を続けていましたのは嬉しい限りです。新書版を持ち込んで、流れてくるクラシックをBGMにして、読み進むのは昔からの楽しみだったのです。近頃はパソコンで気軽にクラシックを聴けるのは良いのですが、やはり高品質なオーディオ再生装置で静かに拝聴するのにはとても敵いません。入店した時に、流れていたのは「Exsultate Jubilate(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)」、歌手が誰だったか失念しましたが、久し振りに聴きました!Julia Lezhneva sings "Exsultate, jubilate" from Mozart's "Exsultate, jubilate, K165"
2015.05.31
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卒業式の定番歌「仰げば尊し」は、作曲・作詞者不祥とされていましたので、永らく日本で作られたものだと思っていましたが、原曲は「Song for the Close of School」と言うアメリカでのGraduation Songであることが判りました。松竹映画 「二十四の瞳」 仰げば尊し壺井栄原作、木下恵介監督、高峰秀子主演の名作「二十四の瞳」は1954年秋に封切り、この場面は戦前の小豆島での卒業式風景ですが、戦後も殆ど変わることはありません。私の小学校卒業式は1954年春、木造校舎からモルタル校舎へと変わり、漸く体育館らしきものも建てられましたが、ピアノ伴奏ではなくオルガン伴奏、中学校の卒業式1957年春、高校1960年春ではピアノ伴奏となりました。中学校の恩師は、中学2~3年のクラス担当教師で、軍人教師として怖い存在で知られていました。当時、学校は荒れていた訳ではありませんが、貧困家庭もあり問題児も多くいたのですが、他の教師が敬遠する生徒をクラスに取り組む教師でした。それでも、軍人らしく振舞うことも無く、日教組とも一線を画して、問題児生徒を含めて無事に卒業させることに意を注ぐ立派な教育者でした。私の学才を高く評価し、昔のエリートコースを歩むべきだと越境入学しての高校受験を薦められたのでした。普段あまり勉強せず学校の月例テストにも参加いないこともあって、内申書が良くなく、不幸にして越境入学には失敗してしまいました。後で知ったのは、内申書50%、受験成績50%で合否を決めていたので、仕方がありません。その後、捲土重来の大学受験では受験成績点数100%での評価、東大合格には「快哉」を叫んで祝福してくれました。その10年後には、結婚式の仲人にもなって頂いたのですが、会社生活が忙しくなり、転居や海外駐在が続きすっかり疎遠となってしまった不祥の教え子でした。恩師の墓は東本願寺ひばりが丘別院にありますので、墓詣ですることにしました。昭和62年10月没行年68才となっていました。墓誌には、昭和20年3月24日没行年21才の「梅室貞英信女」ともあり、東京大空襲で伴侶を亡くされた悲しい過去があったのだと分かりました。今までの疎遠を詫びますと共に、大変だった人生を終えて冥福が続くことを祈念することで許しを得ることにしました。
2015.05.24
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「火垂る(ほたる)の墓(The Grave of Fireflies)」は、野坂昭如の戦争原体験を題材した作品で、名匠高畑勲監督がアニメ映画化して、比類の無い名作となっています。兵庫県神戸市と西宮市を舞台に、戦火の下、両親を亡くした14才の兄と4才の妹が終戦後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その思いも叶わずに栄養失調で妹が死を迎え、やがて食べるものにこと欠き兄も悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語。高畑勲【火垂るの墓】「 埴生の宿 Home, Sweet Home 」栄養失調で死んで行く妹の姿が、あまりにリアルで見ているのが憚られる程です。映画「火垂るの墓」の結末で、ガリ=クルチ(Galli-Curci)の歌唱による「埴生の宿(Home Sweet Home)」の音源が利用されていますが、100年も前の録音、SP盤からの再生にも拘わらず、抵抗無く聴けるのには吃驚します。アメリータ・ガリ=クルチ(Amelita Galli-Curci、1882年–1963年)は、イタリアのコロラトゥーラ・ソプラノ。20世紀初頭の最も偉大な女声声楽家の一人に数えられている。旧姓はガッリ(Galli)で、結婚を機に二重姓となり、これを芸名として使い続けた。Amelita Galli-Curci - The Last Rose of Summer (1927)日本では「庭の千草」として、学校唱歌となって親しまれています。しかし、クルチの魅力は咽び泣くように感情を込めて歌うことにあり、「埴生の宿」同様に、曲想にマッチしているように思えます。100年前と言いますと、第一次世界大戦と言う戦争前後の時代ですので、メランコリックな歌唱が好まれたのかも知れません。
2015.05.18
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元来、ヨナ抜き調の歌謡曲はあまり聴きませんが、実母がラジオでよく聴いていましたので知らないことはありません。況して、「ど演歌」と言われ、コブシを効かせる歌謡曲は普段敬遠しているのです。偶々、「無法松の一生」でインターネット検索し、映画でも拝見しようと思っていたのですが、予告編だけがアップロードされているだけ、残りは所謂「ど演歌」ばかり、その中に島倉千代子の唄っているのに出会いました。島倉千代子/無法松の一生島倉千代子の「柄でも無い」と言う調子で、恥ずかしげに一生懸命に唄う歌唱法は、他の歌手の勇ましさを強調する歌唱法よりも、男純情を貫いた男への挽歌としては、向いているのではないかと思いつつ、繰り返し何回と無く聴くことになりました。「無法松の一生」は、荒くれ男の車引きである主人公がお世話した軍人遺族家庭の年上の未亡人への思慕を貫き、死んだ後遺族宛の多額の貯金通帳が発見されると言う物語。1980年代、米国出張が多かった時期にJAL便の機内映画劇場で三船敏郎・高峰秀子主演の映画を見たことがありました。1955年16歳、本名「島倉千代子」で歌手デビュー。デビュー曲「この世の花」は半年後に200万枚達成、人気歌手になる。純真な乙女心を、高音を転がして歌う「泣き節」を売り物とし、1955年23曲、1956年34曲、1957年37曲、1958年33曲と驚異的な速さで新曲を発表して、1961年には美空ひばりが不動の1位だった雑誌『明星』のファン投票で島倉が1位となる。人気歌手の定めか、結婚に失敗し、保証人騒動で20億円を超える負債を背負い込み、後年にも資産持ち逃げ詐欺にも遭遇するも、トップ歌手として活躍する。2013年11月8日眠るように息を引き取った。75才没。
2015.05.13
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若い頃の桁外れの声量は圧倒的、クラシックで鍛えた歌唱力も秀逸、不世出のシャンソン・カンツォーネ歌手と言えるでしょう。膠原病を得て、体力が衰えて声量も衰えますが、歌唱力はそれでも群を抜くものがありました。岸洋子 ラ・ノビアこの動画は発病前の歌唱でしょうが、声量を少し抑えて、息を継がない歌唱力は秀逸です。岸洋子は受験で、4次までの試験をストレート突破し、東京芸大に現役で声楽科に合格。入学後、ドイツ歌曲、フランス歌曲、フォーレ作品等を勉強し、オペラ出演も頻繁になり、大学4年時、大学院への最終選考に合格し、更に声楽への道を極めることになった。ドイツ留学や二期会への入会と言う話もあったが、好事魔多し、思いがけない身体の不調に苦しめられて医師の診断を受けるが、診断結果は心臓神経症、歌うことを禁止され、全ての希望を失ってしまう。それでも、一年間の療養の後、幅広い年齢層を対象に歌やピアノの個人レッスンを始める。その後、NHKで素人オーディションを受けた後、生本番のNHK『花の星座』にて、シャンソンを歌う好機に恵まれ、シャンソン歌手として『銀巴里』への出演が実現する。1960年25歳で、東京イイノホールで初リサイタルを開き、1964年には『夜明けのうた』がヒットし、レコード大賞歌唱賞を受けた。その後は、渡仏、『恋心』のヒット、イタリアのサンレモ音楽祭に出場し『今宵あなたが聞く歌は』で入賞、日本において「岸洋子リサイタル」で芸術祭優秀賞受賞、など国を超え、幅広い活躍をしていく。そして『希望』と言う歌と出会う。青春時代に夢見て恋焦がれていた希望はオペラの「プリマドンナ」であったが、岸が実際実現したのはシャンソン歌手であった。希望という名の あなたをたずねて今日もあてなく また汽車にのるあれからあたしは ただ一人きり明日はどんな町につくやらあなたのうわさも 時折り聞くけど見知らぬ誰かに すれちがうだけいつもあなたの 名を呼びながらあたしの旅は 返事のない旅1970年9月末、故郷酒田市のイベント会場で倒れ、緊急入院。「膠原病」と診断され、再度闘病生活を余儀なくされる。同年暮れ、『希望』で日本レコード大賞歌唱賞を受賞するも、入院中のため授賞式には出席出来ず電話対応となった。その後も膠原病の後遺症と闘いつつ歌手活動を続けたが、1992年12月57歳で死亡。歌う才能を与えたのに健康は与えない悲しい現実、天は二物を与えないと言う典型例となりました。
2015.05.05
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スカルラッティの鍵盤楽器ソナタは、ピアノで演奏されたものが数多くあり、クララ・はスキルを含めた著名なピアノ演奏家が競って録音しています。ドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti)は、イタリア出身で、スペインのマドリードで没した作曲家。同年にJ.S.バッハ、ヘンデルのバロック時代の代表的作曲家が生まれているが、スカルラッティもその時代の鍵盤曲に新しい用法を取り入れた重要な作曲家である。アルゼンチン出身のギタリストであるロベルト・アウセルが編曲して演奏するスカルラッティの鍵盤楽器ソナタも印象深いものがあります。Roberto Aussel plays Scarlatti - Keyboard Sonatas (arr. Aussel for guitar)当時の鍵盤楽器はダイナミックレンジの狭いチェンバロ若しくはハープシコードしかありませんので、弦を弾いて演奏し同じくダイナミックレンジが狭く且つ音量の小さいギターでも、十分オリジナル原曲を再現している気がします。
2015.04.09
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ハイドンのホルン関連曲と言えば、1765年に作曲した交響曲第31番ニ長調「ホルン信号」が、直ぐに思い出されますし、折に触れてよく聴いています。ハイドンが楽長を務めてしたハンガリーのエステルハージ宮廷の楽団には、技巧の優れたホルン奏者がいたらしくその演奏を誇示するために書かれたとされています。しかし、それ以前の1762年にホルンとトランペットを独奏楽器とした、ホルン協奏曲第1番ニ長調が作曲されています。Joseph Haydn - Horn Concerto No. 1 in D major, Hoboken VIID:3ホルンと言う楽器は、1814年にバルブ付きのホルンが登場したので、ハイドンの時代には未だバルブを持たないナチュラル・ホルンを使用していたが、ナチュラル・ホルンは「自然倍音」しか演奏できなかった為、このホルンでは出せる音が限られていた。従って、ハイドンやモーツァルトの時代に作られたホルンのための音楽は、比較的単純な旋律線を駆使して作曲せざるを得ませんでした。しかし、ホルンの魅力は、柔らかくてふくよかで綺麗な音色にありますので、高音好きなモーツァルトも、その魅力にあがらえず、4曲のホルン協奏曲を作曲しています。
2015.03.25
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この曲は、偽作の疑いもあって、モーツァルト研究の日本的権威とされる海老沢敏氏の音楽之友社「モーツァルト改訂」(1986年)にも記述が無いのです。ディヴェルティメント(Divertimento)と言う喜遊曲ジャンルであり、弦楽合奏で華やかなK. 136~138や最後を飾るK. 563と比べて、クラリネット2本とファゴットのトリオでもあるので、重要視されなくてもおかしくは無いのですが、モーツァルトには珍しい中音での曲想を気軽に楽しむことが出来ます。自筆譜が失われていたためモーツァルトの真作か偽作か疑わしい領域におかれていたが、古くからさまざまな楽器編成で演奏されていた楽曲。自筆譜が早い時期に失われていた為、出典不明のままケッヘル番号では長い間「追加229」という疑わしい領域に置かれていたが、アインシュタインは真作とし、K.439b という番号(1937年)を与えて1783年に位置づけた。 自作目録は1784年2月の「ピアノ協奏曲第14番変ホ長調」(K.449)から記載されているので、その前の番号とした。Mozart Divertimento No 3 B flat K 439b, Karl Leister Albrecht Friedrich Milan Turkovic長年ベルリン・フィルの首席を務めた世界的クラリネット奏者、カール・ライスターの妙技が堪能できる動画です。クラリネット:カール・ライスター、アルブレヒト・フリードリヒファゴット:ミラン・トゥルコヴィチ収録:1997年モーツァルテウム(ザルツブルク)
2015.03.10
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「春風」は、フォスターの「主人は冷たい土の中に」に日本語歌詞をつけた文部省唱歌で、昭和25~30年代には小学4年生~中学1年生の頃学校で教わりました。吹け そよそよ吹け 春風よ吹け 春風吹け 柳の糸に吹け そよそよ吹け 春風よ吹け 春風吹け 我等の凧(たこ)に吹けよ 吹け 春風よやよ 春風吹け そよそよ吹けよインターネット検索で出て来たのが下記のもので、加藤芳江は歌手「二葉あき子」の本名で、戦後暫く教員生活をしていた時代の録音の様です。加藤芳江 春風「春風」は唱歌として、学校で教えられなくなってしまったのでしょう!フォスターの原曲は物悲しいものですが、メロディーが長調と言うこともあって、曲想には合っています。フォスター歌曲/主人は冷たい土の中に(Massa's in De Cold Ground)19世紀の音楽家フォスターにより1852年に作曲されたアメリカ歌曲で、プランテーションでの黒人達の悲哀を歌ったプランテーション・ソングの一つ。プランテーションを仕切っていた年老いた園主が亡くなり、そこで働いていた黒人達が、優しかった主人を偲んで嘆き悲しむという内容。中学1年の時には同じくフォスターの「Old Black Joe」を、原詩でも教えられましたので、60年近く経った今でも、日本語でも米語でも忘れることなく歌うことが出来ます。
2015.03.05
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1980年後半のプロジェクトでは、客先本社がオハイオ州シンシナティ市、現地サイトがカリフォルニア州オックスナード市、エンジニアリング担当会社がコネティカット州ハートフォード市、現地調達先がオクラホマ州タルサ市とニューヨーク州シラキューズ市近郊にありましたので、毎月米国出張がありました。これはニューヨーク市ダウンタウンにあるSam Goodyと言う音楽専門店で購入したカセットテープです。Sam Goodyも、音楽配信と言うビジネススタイルに敗れて、レコードやCDを販売する音楽専門店は無くなっている様です。4曲の弦楽五重奏が残されていますが、純然たる弦楽5重奏曲は18001年に書かれたOp.29のみです。弦楽5重奏曲は弦楽4重奏にヴィオラを加える5重奏方式とチェロを加える方式がありますが、ベートーヴェンはモーツァルトに倣ってヴィオラを選択しています。Beethoven String Quintet "Storm" Op. 29, mov't 1ベートーヴェン最初の「Op. 18」6曲セットを書き終えた後で、初期の弦楽4重奏曲集と中期の弦楽4重奏曲集の間に挟まれた時期にあるのが「弦楽5重奏曲 ハ長調」なのですが、これ以降は純然たる弦楽5重奏曲に戻ることは無く、中期から後期へと生涯に亘って弦楽4重奏曲に傾倒して行くのです。多分アンサンブルを高めるのには弦楽4重奏が最適で、中音域や低音域を強める弦楽5重奏の必要性を感じなかったのでしょう。後年のベートーヴェンを崇拝したシューベルトがヴィオラの代わりに低音域のチェロを採用して晩年の傑作である弦楽5重奏曲を作曲しているのも興味深いことです。シューベルトはベートーヴェン初期の弦楽5重奏曲は、本来のベートーヴェンでは無くモーツァルトを模倣した曲想と考えたのかも知れません。
2015.02.20
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今朝は1週間振りの雪で、寒く家の中に閉じ込められていますので、パソコンのYouTubeで、ギーゼキングが演奏するモーツァルトを聴いています。Walter Gieseking plays Mozart Sonata in B flat K 570録音年度は分かりませんが、漸くLP時代になりつつあった頃で、音質が痩せているのは残念です!1960年台前半、中野駅北側線路沿いに「文化堂」と言う古レコードを扱う店がありました。プロムナード商店街にも「文化堂」と言うレコード店もありましたので、区別するべく「古文堂」と呼んでいました。其処のご主人に勧められて、ギーゼキングが演奏するAngel/Emiのモーツァルト・ピアノソナタ全集5枚組みを購入したのです。アナログレコードは今では聴く術がありませんので、仕方なくYouTubeで聴くことにしたのです!ヴァルター・ギーゼキング(Walter Gieseking, 1895年11月5日 - 1956年10月26日)はドイツのピアニストで、「新即物主義」に傾倒した直感的なピアニストであるとされ、自ら意識して練習したことはなかったとも言い伝えられている。譜面を検討し、その演奏をイメージしてから、曲を完璧に弾きこなすのが常であった。ひとたび楽譜に夢中になると、何時間も沈黙して過ごす習慣があり、既に語り尽くされたように初見力にも優れていた。死去から半世紀を越えたが、伝説のピアニストとして語り継がれ、同じ内容のCDが何度も回を重ねて発売されているが、これは貴重な文化財保存という側面を持っている。ペダル操作が比類なく、完璧なまでの作品の記憶力と、細部にわたって楽譜の忠実な再現、楽曲構造に対する明快な洞察力などで、同時代のピアニストの中でも卓越した存在だった。それでも、彼の全盛期はSP時代だと伝えられる。
2015.02.05
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クリスティアン・ツィマーマン(Krystian Zimerman)は、ポーランド生まれのピアニスト、現在のクラシック音楽界で高い評価を受けているピアニストの一人とされています。1978年から10回以上来日し、合計100回を越えるリサイタルを重ね、日本の聴衆を魅了し続けているとのことです。YouTubeでも、日本のサントリーホールでのリサイタルを含め、多くの演奏がアップロードされていますが、16年前に32才でバーンスタイン指揮ウィーンフィルと共に演奏している動画が出色の様です。Beethoven - 5th Piano Concerto 'Emperor' (Zimerman, Bernstein, Wiener Philharmoniker) ピアノ協奏曲「皇帝」と言えば、往年のバックハウス(Backhaus)に代表される豪快な演奏が通例ですが、一音一音大事にしている演奏は何かモーツァルト的な協奏曲の色彩もあるのです。それに触発されたのか、バーンスタインには珍しく気合の入った指揮をし、天才は天才を知るのでしょう、演奏終了後ツィマーマンを抱きしめて感激するのです。1989年に再びバーンスタイン指揮ウィーンフィルのバックを得て、 ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集録音が行われる予定でした。この中で最も傑出しているのは第5番「皇帝」、構成的に非常にしっかりした作品で、技術のあるピアニストなら誰が弾いてもある程度「立派な」演奏になるため、その後のひと押しが決め手になるのですが、ツィマーマンは豊かなスケール感の中に瑞々しい感性を湛えながらも、凛とした引き締まった演奏を聴かせてくれ、まさしく「黄金の中庸」と呼ぶに相応しい圧倒的な名演奏となりました。この傾向は第3番、第4番にも共通しています。しかし、残念なことにこの全集録音計画進行中、バーンスタインが急逝してしまいました。ツィマーマンはこの大巨匠の遺志を受け継ぎ、残る第1番、第2番を自ら弾き振りして、 録音を完成させたのです。彼は大指揮者との録音の仕事を通して、既に指揮者としての能力も身につけていたのです。
2015.01.24
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昨日は箱根駅伝の実況中継を見つつ、家内の好きだったハイドンの「軍隊」交響曲を聴いていました。存命であれば72才、もう6年も経過し今年は7回忌の年となります。駅伝優勝候補の大本命であった駒沢大を圧倒的な強さで打破した伏兵青山学院の疾走は見事なもので、駒沢大も東洋大も15年前は駅伝では新興大学であったことを想い起こしますと、中核となる競合大学が新しく追加されて生まれた感じがしました。もうすぐ4時になりますが、NHK第2放送からはハイドンの交響曲100番「軍隊」が聴こえています。これを聴きますと若松の昔の佳則兄ちゃんの汚い部屋を思い出します。お母様は今頃何をしていますか? この放送を聴きながら何か仕事をなさっているんじゃないかしら。昨夜は一人でお炬燵に入って、本を読んだり深夜放送を聴いている内に時間の経つのを忘れて寝たのが2時頃でした!家内が51年前に東京のアパート1室から、五島の義母に宛てた手紙の1節、離れていても手紙の交換が頻繁で、義母は20年前、家内は6年前に亡くなりましたが、ずっと仲の良い親娘でした。Haydn's symphony no. 100 in G -Military- 2/4 Allegrettoこの第2楽章が、17世紀往時東ヨーロッパを震撼させたオスマントルコの軍隊行進を表現している様で、祖国防衛に奔走しつつも、異文化に憧れて取り入れることもあった様です。珈琲もトルコ侵入が無ければ、広がらなかったのではないかとされています。
2015.01.04
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今朝からの氷雨で、正月飾りや食料品の買出しも億劫となり、午前中はYouTubeでハイドン等を聴いて家の中に縮こまっています。ハイドン交響曲第48番マリアテレジアは疾風怒濤期の交響曲でよく聴いて曲ですが、30年も経過したカセットですので、音が再現されるのかは定かではありません。プレーヤーも必要なく、パソコンでのYouTubeで聴けると言うのも、音質を気にしなければ、とても便利なものです。Haydn: Symphony No. 48 "Maria Theresia" (Christopher Hogwood)ハイドンが暗く激しく劇的な音楽を書き「疾風怒濤期」と呼ばれるのは1765~75年頃で、第26番「哀歌(ラメンタチオーネ)」あたりから第65番くらいまでされる。第44番「悲しみ」45番「告別」49番「受難」などが有名である。
2014.12.29
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嘗ては卒業式と言えば在校生が「蛍の光」を歌い、卒業生が「仰げば尊し」を歌うのが、昭和30年代迄は定番でした。下記の動画は、YouTubeにアップロードされている映画「二十四の瞳」の一場面です。松竹映画 「二十四の瞳」 仰げば尊しこの映画は昭和29年製作、私は昭和29年3月に小学校卒業でしたから、こんな感じだったのだろうと思っています。歌の意味も十分理解もせず、卒業式用に教えられた文語調の歌詞を教えられたままに歌っていましたが、今回インターネット検索してみて原曲はアメリカだったとは驚きました。長年作者不詳の謎の曲とされ、作者不詳のスコットランド民謡説、伊沢修二説等があった。しかし、「Song for the Close of School」という楽曲が、1871年に米国で出版された楽譜に収録されていることが2011年に突き止められ、旋律もフェルマータの位置も同一であるので、これが原曲と思われる。 明治から大正、昭和にかけて、学校の卒業式で歌われる定番の曲となり、現在でも中年以上の世代を中心に、日本の多くの人の記憶に残る歌であるが、歌詞が文語であるため、児童・生徒には分かりにくいという理由から、卒業式で歌われることは減った。日本語の歌詞は修身道徳的色彩が濃いのですが、アメリカの原曲はもう少し謙虚に卒業を祝っている様です。Song for the Close of School 学校卒業の歌Suspended on the edge of time この別れの折に立ち止まりRemembering who we are 我らが誰なのかを想い起こすOur blue green planet spins and turns 我らの青い惑星は回り周るAround a burning star 燃える恒星の周りをAcross the silent galaxies 静かな銀河を横切りThe universe unfolds 宇宙は開けThis great ship sails the seas of space 偉大な船はその海に船出しToward the vast unknown 大きく見知らぬ方向に向けてCompanion travelers all we are 我らは全て友なる旅人Whether stranger foe or friend 敵にせよ友にせよEvolving through these births and deaths 誕生と死を通して進化しA spiral without end 終わりの無い螺旋はSharing joy and sorrow 喜びと悲しみを担いつつOur laughter and our fears 笑いと怖れをWe're learning in this school of life 学園生活で学んだTogether through the years 幾年月を通してThe universe within our hearts 我らの心の中の宇宙はEmbraces all that live 生きるもの全てを抱き寄せTrue rest we find and peace of mind 見つけた真実と平和な心がAre all we have to give 我らがあげられるものOur place is here our time is now この場所とこの時にSunrise to sunset 日の出と日の入りThe beauty of these days we share 共に過ごした美しい日々をI never will forget 私は決して忘れない
2014.12.24
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昭和20年代後半、小学校にはピアノも潤沢で無く、教師の足踏みオルガンに合わせて、教室で斉唱させられつつ教わった小学唱歌「夜汽車」は簡単なメロディーと歌詞でしたので、今でも歌うことが出来ます。インターネット検索し、YouTubeで聴いていましたら、原曲はドイツ民謡であることが分かりました。Münchner Frauenchor - Wenn ich ein Vöglein wär 2002種々アップロードされていましたが、女性斉唱の動画が、昔の教室での斉唱を思い出すには最適の動画だった様に思います。原曲は恋人がそばにいないことのせつなさを歌い上げていて、唱歌「夜汽車」の静かに夜の情景を思い出すと言う違った歌詞ですが、曲想によく合っていると改めて知らされました。「Wenn ich ein Voglein war(僕が小鳥だったら)」作詞:J.G.ヘルダーまたはG.C.ディーフェンバッハ、但し民謡説もあり作曲:J.F.ライヒャルトまたはF.アプト、但し民謡説もあり Wenn ich ein Vöglein wär' Und auch zwei Flüglein hätt', Flög' ich zu dir. Weil's aber nicht kann sein, Weil's aber nicht kann sein, Bleib' ich allhier. もし僕が小鳥だったならそして二枚の翼があったなら君のもとへ飛んでいけるのにけれども叶わぬことなのでけれども叶わぬことなので僕はここにとどまっている
2014.12.22
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不協和音を思わせる序奏から、美しい主題が奏でられる様は、霧を切り開いて美しい湖面が見えて来る様にも思われ、映画「サウンドオブミュージック」の冒頭、霧を切り裂いて上空から国立公園ベルヒテスガルテンの美しい湖面が現れる様子にも重なるのです。ベルヒテスガルテンはインスブルックからザルツブルクへ行く途中にあるのですが、残念ながら行ったことはありませんので、数日後訪れたザルツカンマーグート地方にあって同じく山上湖の美しさで知られるハルシュタット湖の上空写真をご覧ください!Wolfgang Amadeus Mozart - Symphony No. 39 KV 543 - I. Adagio-allegroやはり、不協和音の序奏から始まる弦楽4重奏曲「不協和音」K.465、ベートーヴェンの弦楽4重層曲「ラズモフスキー3番」、は魅力に溢れる名曲です。交響曲第39番はモーツァルトらしい作品とされています。序奏の鋭利な不協和音や、主部での歌うような主題が魅力の第1楽章、クラリネットの美しいデュオなどから、メヌエットの傑作といわれる第3楽章、全体に透明感にあふれ、モーツァルトの音楽美が純度高く凝縮されています。ところでベートーヴェンの英雄交響曲は、モーツァルトの影響が強いと言われますが、同じ変ホ長調で4分の3拍子である第39番と英雄の第1楽章。英雄交響曲には第39番とよく似た弦のフレーズが出てきます。
2014.12.16
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12月5日はモーツアルトの命日でしたので、何か普段聴かない曲を探しました。30年以上も前に購入したカセット集が見つかりましたが、テープが劣化して聴けそうにありません。其処で、YouTubeで検索して聴くことにし、K. 564の第2楽章が見つかりました。Mozart - Piano Trio no. 6 in G major, K. 564, II. Andanteインターネット検索しますと、次の様な解説があり、成る程そうだよと思いつつ拝読させて頂きました。ピアノ三重奏曲は、モーツァルトの作品の中では地味な存在であります。第4番から最後の第6番までの3曲は、1788年に集中して書かれていて、経済的にだんだん苦しくなってきた時期に該当しますので、生活のために作品を量産したとも言えます。しかし、この時期には交響曲39番から最後の交響曲41番、更にヴァイオリンソナタK.547、ピアノソナタK.545が作られていて、恰も3年後の死を予感していたようにも思われます。最後の作品に当たる第6番は、ヴァイオリンとチェロとピアノが溶け込んで、哀しさの中に楽しさや美しさが浮き出たり沈んだりする様は、作り方も上手いと思います。
2014.12.07
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指揮者ホグウッドが楽団とヴァイオリン奏者のクレーメルと共に、多摩パルテノンの大ホールでコンサートを開いてくれたのは、多分20年以上も前のこととなりました。プログラムメニューは、モーツアルトの交響曲とヴァイオリン協奏曲だったと思いますが、何番だったかは記憶に残っていません。しかし、その時の端正な指揮振りは魅力に溢れていましたので、その後Oiseau-Lyre版のCDを何枚も集めたものでした。私と同年齢ですので何とも寂しく、先に逝かれてしまったと言う焦燥感もあるのです。YouTubeに多数アップロードされている内で交響曲第38番のプラハをお聴きください!Mozart - Symphony No.38 in D major, K. 504 "Prague" / Christopher Hogwood プラハを訪れましたのは1995年10月中旬、めっきり寒い秋冷の季節でした。クリストファー・ホグウッド(Christopher Jarvis Haley Hogwood, 1941年9月10日 - 2014年9月24日])はイギリスの指揮者・鍵盤楽器奏者・音楽学者。ケンブリッジ大学ペンブローク校にて最初に古典学を学んだ後、専攻を音楽に変えた。ブリティッシュ・カウンシルの奨学金を得てプラハに留学、カレル大学で研究を行い、ラファエル・プヤーナやグスタフ・レオンハルトらにチェンバロ演奏を学ぶ。1967年にデイヴィッド・マンロウとロンドン古楽コンソートを創設し、同コンソートのメンバーとして活躍。またネヴィル・マリナー率いるアカデミー室内管弦楽団のチェンバロ奏者を務めたほか、同楽団のため楽譜の編集、校訂も行った。1976年にマンロウの突然の死でロンドン古楽コンソートは解散。その3年前、1973年に創立したエンシェント室内管弦楽団(Academy of Ancient Music[略称AAM])を率いて、オリジナル奏法による古楽器演奏でバロック音楽と古典派音楽から現代の作品にいたるまで、作曲家各々の音楽の在り方を実践してきた。鍵盤楽器奏者としても活動しており、録音も多い。
2014.10.17
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彼岸も過ぎて本格的な秋到来と言うことで、YouTubeで川田正子さんの「里の秋」(さとのあき)を聴いてみました。「里の秋」は小学校で習った唱歌でありましたので、相当昔から歌い継がれた日本の童謡だと思って来ましたが、太平洋戦争で敗れた復員家族を慰める新しい歌なのだと初めて知りました。学校では3番を教えられた記憶はありませんし、昭和20年後半となりますと復員兵と言うことが日常の出来事では無いと判断されて省略されたのでしょう。里の秋_川田正子さん1945年(昭和20年)12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で、引揚援護局のあいさつの後、川田正子の新曲として全国に向けて放送された。放送直後から多くの反響があり、翌年に始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われた。1番ではふるさとの秋を母親と過ごす様子、2番では夜空の下で遠くにいる父親を思う様子、3番では父親の無事の帰りを願う母子の思いを表現している。
2014.10.03
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アルペジョーネ(Arpeggione)とは、1823年~1824年にシュタウファー(Johann Georg Staufer)により発明された6弦の弦楽器。弓を用いてチェロのような構えで演奏するが、重音を出すことが容易であり、24のフレットを持つなどギターの特徴も併せ持つ。現在、演奏に使われることはほとんどない。シューベルトがアルペジョーネの為のソナタ(イ短調 D821)を1824年に作曲しているが、アルペジョーネのための作品では、こんにち現存する唯一の作品である。このソナタはアルペジョーネが発明された翌年に作曲された。おそらくは、アルペジョーネの演奏に通じていた知人シュースターから、委嘱を受けてのことと考えられている。作品がシューベルトの死後1871年に出版されるまでに、アルペジョーネじたいが愛好されなくなり姿を消していた。現在ではこの楽器の代わりにヴィオラかチェロ,稀にコントラバスを用いて演奏される。この曲の魅力は、哀愁あふれる美しい旋律で、一度聴いたら忘れられないと言うシューベルト独特の世界が展開されることにあります。Franz Schubert : Sonata for arpeggione & fortepiano - 2. Adagio & 3. AllegrettoNicolas Deletaille, arpeggioneAlain Roudier, fortepiano Instruments: Arpeggione: B. Labrique 2001 (Brussels)Fortepiano: Conrad Graf 1827 (Vienna)YouTubeで復元されたアルペジョーネによる演奏を聴くことが出来るのは嬉しいことで、ビオラ・ダ・ガンバとギターが融合した様な独特な楽器も魅了されます。
2014.09.09
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バッハのヴァイオリンと言えば、『無伴奏ヴァイオリン集』となるのですが、峻厳さと至高の境地に位置するので、何となく気軽には聴けません。しかし、『ヴァイオリンとハープシコードのための6曲ソナタ集』(BWV1014-19)は、対話形式にも思えて、静かに拝聴することが出来ます。このLPレコードは、ヒューストン駐在時代にCactus Records店で購入したもので、発売が1970年となっていますので、録音はその前年なのでしょう。帰国してからも折に触れて、良く聴いていましたが、LPレコードの宿命で聴けなくなってしまいました。しかし、YouTubeでCD版がアップロードされていますので、お聴きください!Szeryng & Walcha Bach Sonatas for Harpsichord & Violinこの曲の解説が見つかりましたが、気軽な音楽の対話と言うことではなく、嘆きと悲しみの対話であり、神への愛と感謝であると言うことでした。この対話は神との対話であり、突然に召された従妹であり12年連れ添った最初の妻であるマリア・バルバラ・バッハ(Maria Barbara Bach 1684 - 1720)との、嘆きと悲しみの対話である。そして、愛と救いの祈りであり、感謝である。≪神秘的であったり、やさしく恋をしたり、洗練された宮廷人であったり、粗野な民衆の一人であったり、フーガを構成する人であったり、純粋な抒情を吐露する詩人のバッハ≫(Harry Halbreich)、哀切悲愴の中にも神と共に現として生きて在る人間バッハを、親しみをもって聴くこととなる。悲しみを湛えた、神と共にある音楽。悲嘆と共に突き上げてくる苦悩と悲しみ、ハープシコードに支えられ悲愁のうちに奏でられるヴァイオリンは殊のほか清澄で美しく、忍従がもつ静謐に心は安らぐ。このバッハの『ヴァイオリンとハープシコードのための6つのソナタ集』の音訪いは、死と苦悩のかなた、至高へと私たちを導きいれる。≪「神を讃えない音楽は、混沌であり悪魔の騒ぎにすぎない」(J.S.バッハ)≫
2014.08.26
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文部省唱歌「こぎつね」では、草の実をつぶしてお化粧をしたり、もみじのかんざしをつけたり等、可愛らしいこぎつねの様子が描写されていて、人口に膾炙されて来ました。文部省唱歌「こぎつね」しかし、書き込みでこの原曲がドイツでの子供向けの歌であったことを始めて知りました。小学校での音楽の授業では、その辺りの解説が無かったので仕方がありませんが・・原曲のドイツ語の歌詞では、狐が盗んだガチョウを返さないと、猟銃で撃たれて死ぬことになると過激で教訓的な内容になっていて、驚きでした!Fuchs, du hast die Gans gestohlen! Fuchs, du hast die Gans gestohlen,Gib sie wieder her,Sonst wird dich der Jäger holenMit dem Schießgewehr.狐、お前はガチョウを盗んだねガチョウを返すんださもないと猟銃で撃たれる羽目になるぞ?Seine große, lange FlinteSchießt auf dich den Schrot,Daß dich färbt die rote TinteUnd dann bist du tot.大きくて長い鉄砲で散弾を撃ったらお前は真っ赤に染まってお前は死んでしまうぞ
2014.08.17
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森山良子女史が歌った明治唱歌が、YouTubeにアップロードされています。うつくしき わが子やいずこうつくしき わが上(かみ)の子は弓取りて 君の御先(みさき)に勇みたちて 別れゆきにけり1950年代は、戦前の皇国民教育が否定されて、その色彩の濃い明治唱歌は改訂されて、次のような歌詞に変えられて習ったのでした。日本語詞:津川主一かぐわしき 春の来たれば美しく 花は咲きたりわが胸に 愛の光は夢のごとく 訪れ初(そ)めぬThe Blue Bells of ScotlandOh where, tell meWhere is your highland laddie gone?Oh where, tell meWhere is your highland laddie gone?He's gone with streaming bannersWhere noble deeds are doneAnd it's oh! in my heartI wish him safe at home. 明治維新後、音楽教育の欧風化を図るため、文部省は欧米各国に留学生を派遣して、音楽教育を受けさせるとともに、曲の収集もさせました。イギリス、アイルランド、ドイツ、アメリカ等の曲で、日本語詞をつけたのです。「スコットランドの釣鐘草」も採用され、稲垣千頴と野口耽介が「美しき」というタイトルで詞をつけましたが、採用されたのは皇民教育の色彩の濃い稲垣版でした。
2014.05.16
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我が家にはアグネス・ギーベルとのモーツァルト宗教曲集がDas Alte WerkレーベルのLP盤が天棚収納に寂しく眠っています。Agnes Giebel sings "Laudate Dominum" from Vesperae solennes de confessore, KV 339Wiener Akademie-KammerchorWiener SymphonikerPeter Ronnefeld, conductor協演した指揮者のロンネフェルトはステレオ初期の時代に何枚かのLPを遺したのみで、惜しくも最後の録音となったアグネス・ギーベルとのモーツァルト宗教曲集は名盤の誉が高いのです。ギーベルは1921年オランダ生まれのソプラノ歌手で、宗教曲を得意としています。ギーベルは、高い音域を楽々とこなしながら、全くとがったところがありません。うららかな空に美しい野を行く風情で、夢見るような声が柔らかく心を包んでくれます。なんと90才を過ぎた今もご健在なのです。1965年8月僅か30歳で世を去ったペーター・ロンネフェルト、オケから爽やかさ、清涼感、輝きを引き出すことの出来る稀有な指揮者だった。ベルリン高等音楽院で作曲を学び、パリ音楽院に留学して研鑽を重ね、気鋭の作曲家は指揮者としてもキャリアを重ね、23歳の時ウィーン国立歌劇場でカラヤンのアシスタントに抜擢された。天がこんなにも早くロンネフェルトを召すことがなければ、ベルリンフィルやウィーン国立歌劇場の歴史もいまとは違うものになっていた可能性がある。
2014.05.07
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ベートーヴェンの「優しい愛(Zärtliche Liebe)」は、作曲が20才代とも言われるのですが、ベートーヴェンが重要視しなかったのか、作品番号無し(Werk ohne Opuszahl)とされ、死後整理された結果、WoO.123と番号付けされています。唄うのは、エリーザベト・グリュンマー(Elisabeth Grümmer)、録音は1956年と古く音質は良く無いのですが、豊かな情感が魅力です。"Ich liebe dich" WoO 123 (Karl Friedrich Herrosee) /"Zärtliche Liebe"Elisabeth Grümmer (1911-1986), sopranoHans Altmann, pianoIch liebe dich, so wie du mich, 愛する思いはam Abend und am Morgen, 朝夕たえずnoch war kein Tag, wo du und ich 二人は離るる日なしnicht teilten unsre Sorgen. 憂いを分かちあいエリーザベト・グリュンマー(1911-1986):マイニンゲンの演劇学校で女優をしていたが、カラヤンに見出され、1941年アーヘン市立劇場で歌手デビュー。1946年ベルリン・ドイツ・オペラのメンバーとなった。1958年からバイロイト音楽祭にも出演。グラインドボーン音楽祭のモーツァルト・シリーズでモーツァルト歌手としての高い名声も得た。1963年ベルリン・ドイツ・オペラの一員として初来日し『フィガロの結婚』の伯爵夫人を歌う。1965年よりベルリン音楽大学教授。
2014.05.06
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昨日は、築地市場駅の前にあります浜離宮朝日ホールに行きました。クラウディオ・アラウの最後の弟子とされる杉谷昭子女史のピアノリサイタル2014「クラウディオ・アラウへのオマージュVol. 3」があったのです。CDの発売記念と言うことで、コンサート後半は名歌のピアノ編曲集だったのですが、前半がバッハの平均律、モーツアルトのピアノソナタ8番K. 310、ベートーヴェンのピアノソナタ8番「悲愴」と言う大出し物で、聴き応えがありました。音楽譜を見て演奏しますので、作曲者の意図を逃さず一音、一音を大事に弾く姿は好感が持てました。それでもやはり弾き慣れている、ベートーヴェンのピアノソナタ8番「悲愴」が一番良かった気がしました。ベートーヴェンのピアノソナタ第8番ハ短調作品13「大ソナタ悲愴"Grande Sonate pathétique"」)は、ベートーヴェンが自ら標題を付けたピアノソナタであり、初期を代表する傑作として知られる。ベートーヴェンの三大ピアノソナタにも含まれる人気曲である。
2014.04.30
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フラメンコの魅力は、ギター伴奏によるカンテ(歌)に合わせて、パルマ(拍手)・サパテアート(靴音)を駆使して踊る情熱的なダンス(踊り)にあります。50年も前に中野駅北口から線路沿いに数分行った処にある、文化堂と言う中古レコード屋の主人に勧められ、フラメンコとフラメンコギターのLPレコードを購入して折に触れ、楽しんでいたのですが、アナログレコードの宿命、もう聴けなくなってしまいました。フラメンコギター奏者はラモン・モントーヤでしたが、もう故人になっていて、彼の甥カルロス・モントーヤとサビーカスが後継者として名を為していたのです。サビーカスが1990年、逝去直前に録音した演奏がYouTubeにアップされていますので、昔を懐かしんで何度となく聴いています。Flamenco Guitar - Sabicas – Fantasia彼のトレモロ演奏は、老齢とは言え衰えておらず、何とも素晴らしいものです!フラメンコはスペイン南部アンダルシア地方に古くからある民族芸能で、インドに起源をもつといわれる放浪の民「ジプシー」の影響で発展する。ヨーロッパで広がりを見せたのは、ジプシーが15世紀の中頃イタリア、フランスなど色々な国々に住みついたことにある。とりわけスペインに住みついたジプシーが自分達の音楽とその土地古くからあった音楽を取り入れ発展させた。 フラメンコギターは初期の頃は曲の伴奏が主であった。しかし、踊りの伴奏に取り入れられた歌が、時代と共に新しい形式に変化していくにつれてギターも新しい道を開いていく。 1930年後半、ラモン・モントーヤはフラメンコの技巧にクラシックギターの要素を加味してフラメンコギターソロの領域を開拓した。その後カルロス・モントーヤとサビーカスはコンサートスタイルで大衆に印象付けた。カルロス・モントーヤは1932年に来日し、その妙技を披露している。
2014.03.11
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BWV1056キーボード協奏曲を初めて聴きましたのは、テキサス州ヒューストンに住んでいる時期でした。1980年からタウンハウス貸家を借りて2月に家族を呼び寄せて住み始めた頃は、仕切り塀を介して、隣区画は“Sage”と言うWhole-Sale Storeがありました。塀に出入口ドアは治安上無かったと思うのですが、兎に角隙間から其処のWhole-Sale Storeに行き、レコードを一枚買って来たのです。それがグレン・グールド演奏のバッハキーボード協奏曲でBWV1056、1057、1058がカップリングされたもので、楽しく才気煥発な演奏に魅了されたものでした。アナログレコードでしたので、プレーヤも無く今や聴くことは出来ませんのは残念なことです。YouTubeで検索しますと、動画付きでグレン・グールド演奏のBWV1056は見ることが出来ますが、それとは違って何とも静謐に弾くマリア・ジョアン・ピレシュは全く違った趣のあるもので魅力的です。Bach - Keyboard Concerto in F minor, BWV 1056 (Maria João Pires)マリア・ジョアン・ピレシュは、1944年ポルトガルのリスボン生まれ、3歳でピアノを始め5歳で初めて人前で演奏。ピアノと作曲をリスボンの音学院に学び16歳で卒業、グルベンキアン財団奨学金を得て、さらにミュンヘン音楽大学でローズル・シュミットに、ハノーヴァーでカール・エンゲルに師事。15年にわたりエラートで録音、現在はドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、協奏曲、室内楽の領域においても幅広く充実した活躍を続けている。
2014.02.11
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バッハのカンタータの中でも、この曲は折に触れて聴きますので、一番多く聴いているのかも知れません。カール・リヒター指揮のミュンヘン室内オーケストラをバックに、エディット・マティスのソプラノ独唱とトランペット独奏があたかも協奏曲のように活躍するのが魅力で、クリスチャンではないのですが、神への感謝を少なからず感じられるからです。上記演奏はYouTubeでもアップされていますが、ピストンバルブが無くパイプ穴で音程を変える古楽器トランペットを使った18世紀往時の演奏もアップロードされていて、新鮮な気持ちで聴くことが出来ました。J.S. Bach: Jauchzet Gott in allen Landen BWV 51Jauchzet Gott in allen Landen!Was der Himmel und die WeltAn Geschöpfen in sich hält,Müssen dessen Ruhm erhöhen,Und wir wollen unserm GottGleichfalls itzt ein Opfer bringen,Daß er uns in Kreuz und NotAllezeit hat beigestanden.諸人よ、神に向かいて歓呼せよ天と地にある被造物はすべて神の誉れを讃えよ。我々も同じく神に供え物を捧げよう。神は十字架と苦難の中で常に我々のそばにいて下さるのだ。
2014.02.01
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フリートウッド・マックのボーカルとして活躍しているスティーヴィー・ニックス(Stephanie Lynn "Stevie" Nicks)も今年で66才となりますので、老女といっても過言ではない年齢ですが、未だ若い者には負けまいと現役で頑張っている超有名ミュージシャン、それでも往年の麻薬常習の美魔女と言うか小悪魔的魅力は無くなりました。Fleetwood Mac Gypsy. From "Live in Boston" DVD1987年発売の「Tango in the Night」は好きなアルバムで、「Seven Wonders」は良く聴いたものでした。Fleetwood Mac - Seven Wonders (Live Video) スティーヴィー・ニックスは妖精のようなスタイルと重々しく抽象的な歌詞は、喝采と批評の両方を彼女にもたらし、“ロックの歌姫”とも呼ばれる。コカイン依存と抗不安薬依存を克服し、これまでに7回グラミー賞にノミネートされ、1977年にフリートウッド・マックとして「噂」でアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得した。美人で神秘的な雰囲気も手伝い特に男性ファンを惹きつけ、80年代に入ってバンド活動と並行してソロ活動を行い、ソロ第一弾「ベラドンナ」を1981年に全米1位にした。1998年には、フリートウッド・マックのメンバーとして、ロックの殿堂入り。
2014.01.27
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この曲は、フランス映画「恋人たち」のテーマ曲として知られています。名女優ジャンヌ・モローが妖艶な人妻を演じ、結婚生活に倦怠(アンニュイ)を感じ、行きずりの若い恋人と駆け落ちするのですが、既に又アンニュイ(気だるさ)の雰囲気をこの曲で暗示させ、直ぐに訪れる破綻を予感させる名画でもありました。その後NHKの「ダビンチの生涯」と言う海外ドラマでもテーマ曲として採用され、この時は情熱的なダビンチを象徴する曲想だった思われました。このメロディーにアンニュイ(倦怠)を感じるか、又は情熱を感じるかは、人それぞれなのでしょう。Brahms: String Sextet op18 II. Andante ma moderato録音音質はあまり良くありませんが、演奏はベルリンフィル8重奏団、この弦楽六重奏曲に「春の六重奏曲(Frühlingssextett)」と言う表題があると言うことを初めて知りました。ヨハネス・ブラームスが27歳の年、1860年に作曲した弦楽六重奏曲で、若々しく情熱的な曲風で知られている。第2楽章 Andante ma moderato 変奏曲第1ヴィオラから始まる力強くロマンティックな旋律は有名である。変奏曲ではロマンティックな音楽が堰を切ったように自在に展開される。ルイ・マル監督の映画「恋人たち」で用いられていることでも知られる。
2014.01.10
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クラリネット5重奏曲と言えば、モーツアルトとブラームス作品が双璧、私はブラームジアーナ(ブラームス音楽を理屈抜きで愛する人達)ではありませんので、比較しますとモーツアルトを聴く方が多いのですが、静かに聴くにはブラームスの方が良いのかも知れません。晩秋の憂愁と諦念の趣きは実に感動的で、ゆったりと落ち着いた気分で聴いていられますので、彼の室内楽の最高傑作と言っても差し支えありません。クラリネット奏者のカールライスターは、何回も来日演奏していますので、コンサートに行ったことがありますのは、随分昔のことでした。YouTubeでも多数アップロードされていますが、カールライスターとアマデウス4重奏団の演奏が、録音が古いにも拘わらずしっくりと聴ける様な気がします。J. Brahms Quintet for Clarinet and String Quartet in B minor Op.115「クラリネット五重奏曲」ロ短調 Op.115はブラームスの晩年に完成された、代表的な室内楽曲の1つです。多分に民族(ジプシー)音楽の影響を受けたこの作品は、明るい部分がおよそ無くてブラームス愛好家を喜ばすには最高の曲ですが、さりとて聴いていて陰鬱になるかというとそんなこともありません。懐かしく哀愁ただよう音楽でもマーラーやショスタコーヴィチの音楽のように悲劇的な悲しみとは違うのです。
2014.01.07
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昨日はスーパーに行き出来合いの正月料理、田作り・昆布巻き・黒豆・伊達巻・キントン等を買って来ました。例年は家族が集まって大晦日から蟹を食べ、そして正月を祝うのですが、今度は長男が隔離病棟で療養中、嫁さんも親の介護で帰省中、次男夫妻も乳飲み子を抱えて忙しく、来られない様ですので一切省略とすることにしました。元旦にお雑煮を食べ、1日分の出来合いのおせちを食して過ごせれば良いと思ったからです。昨日、正月飾りを玄関に掛け、松の枝を含む初春の花も買って来て花瓶に入れ、懸案のBSアンテナ整備をしましたので、今日は九(苦)の付く日でもあり、原則作業をしないことにしました。其処で今朝は、モーツアルトのディヴェルティメントK.563をパソコンで楽しんでいます。このレコードは家内の実家にあった筈で、好みの曲の一つです。後年、アイザック・スターン演奏のレコードをヒューストン時代に購入したのですが、艶やかアルテュール・グリュミオー(Arthur Grumiaux)の演奏の方が曲想に合っている様に思えました。 Menuetto (Allegretto) - Trio I - Trio II & AllegroPerformed by the Grumiaux Trio: Arthur Grumiaux (violin), Georges Janzer (viola), and Eva Czako (cello)モーツアルトはディヴェルティメントと題した曲を20曲以上作曲しているが、弦楽三重奏の形態をとるものはこの変ホ長調K.563のみである。このK.563は6楽章からなり「ディヴェルティメント」と題されてはいるが、ディヴェルティメントに特有の娯楽性を目的としたもののみならず、もっと高い音楽性を指向しているのが特徴である。室内楽曲としての書法としては弦楽四重奏からヴァイオリンを1本欠くため難しくなるが、各楽器を均等に扱いつつ精緻な作曲技法を施し、構成的にもしっかりしたものにすることにより、モーツァルト晩年らしい作品になっている。演奏技術的にも高いものを要求し、各楽器は時には協奏曲のような妙味も見せ、モーツァルトの他の弦楽四重奏曲などより難度は高い。
2013.12.29
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HDDカーナビではCDでもMDでも一度再生しますと、HDDに記憶してくれますので便利に使っています。モーツァルト弦楽四重奏曲第15番は悲哀に満ちた曲ですので、MDに第2楽章のみを読み込ませて再生しましたので、他の曲に混じってふと偶さか時々に聴くことが出来ます。Mozart, Quartet K.421 in D Minor - 2. Andante長調特有の明るさはありませんが、少しの憧れと静かな想いが感じられるメロディで、過去の悲喜こもごもの記憶を思い起こさせる好きな一曲です。弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421(417b)は、1783年に作曲された。充実したハイドン・セット全6曲中の第2作で、6曲中で唯一の短調作品。第2楽章アンダンテはへ長調と言う調性で、この四重奏曲の唯一の長調の楽章ですが、緩やかに息づくような出だしから、憧れと悲哀を感じさせる奥深い魅力に溢れている。
2013.12.01
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めっきりと秋が深くなりましたので、自宅近くの桜並木、ケヤキ並木、花水木並木、ユリの木並木等は紅葉の季節で、その下の道には枯葉が散乱しています。この季節になりますと、上田敏訳詩集「海潮音」の「落葉(らくよう)」を口ずさむ様になります。元来はヴェルレーヌの「秋の歌(Chanson d’automne)」なのですが、種々のメロディーが付けられていて、シャルル・トレネによってシャンソンにもなっている様です。 Verlaine/Chanson d’automne" Chanson d'automne" Paul Verlaine (1844 - 1896)Les sanglots longsDes violonsDe l'automneBlessent mon coeurD'une langueur Monotone.Tout suffocantEt blême, quandSonne l'heure,Je me souviensDes jours anciensEt je pleure.Et je m'en vaisAu vent mauvaisQui m'emporteDeçà, delà,Pareil à laFeuille morte.「落葉(らくよう)」 上田敏訳詩秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し。鐘のおとに胸ふたぎ色かへて涙ぐむ過ぎし日のおもいでや。げにわれはうらぶれてここかしこさだめなくとび散らふ落葉かな。
2013.11.08
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ベートーヴェン最後のピアノソナタ3部作はあまり聴くことは無いのですが、偶然YouTubeにアップロードされていました、フランス人ピアニストのエレーヌ・グリモーが弾く第31番Op.110を聴くことが出来ました。ベートーヴェンのピアノソナタ第31番変イ長調作品110は1821年完成、最後期のピアノソナタの一つで、叙情性を色濃く持つ作品である。特に、歌曲のような哀切な旋律と呼ばれる部分と歓喜に満ちたフーガが入れ替わりながら繰り返される斬新な構成の最終楽章がよく知られている。Hélène Grimaud - Beethoven - Piano Sonata Nº31 Op110演奏は2001年ベルリンフィルのコンサートホールで行われたもので、未だ32才ですが抒情性溢れる見事なベートーヴェンでした。フランス人と言いますと、通常フランスロマン派に傾倒するのですが、彼女はドイツロマン派を得意とするのはユダヤ系と言う出自の所為なのでしょうか!エレーヌ・グリモー(Hélène Grimaud)は1969年、エクサン・プロヴァンスにユダヤ系の言語学者の家庭に生まれる。9歳でエクサン・プロヴァンスの音楽院に入学、13歳でパリ国立高等音楽院に入学。1985年パリ音楽院研究科に進む。1986年エクサン・プロヴァンス音楽祭に出演、1987年よりソリストとしてパリで活動、バレンボイム指揮のパリ管弦楽団と共演。以後、欧米著名管弦楽団に連続的に客演し世界各国で演奏活動。1990年クリーヴランド管弦楽団の招きで北米デビュー、翌年21歳でアメリカ合衆国に移住。本人は大学で動物生態学を学び1999年、ニューヨーク・ウルフ・センターを設立。ニューヨーク州郊外で野生オオカミの保護活動に取り組むようになる。現在はオオカミの生態を研究しながら、その養育を続けている。共感覚の持ち主としても知られる。
2013.10.23
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ブラームスで一番多く聴くのはこの曲かも知れません。物静かに始まる主題はハイドン作曲では無いとも言われていますが、心に沁み入るメロディは何時聴いても懐かしい昔を思い起こさせるものがあります。Johannes Brahms - Variations on a Theme of Haydn for orchestra Op. 56a55年前の大学受験時代は、旺文社の大学受験講座ラジオ口座が人気で、ブラームスの「大学祝典序曲」がテーマ曲だったことをよく記憶していますが、その頃に序でに放送されていたのかも知れません。主題となる曲は、ハンガリーの貴族エステルハージ公に仕えてたハイドンが、1780年代に軍楽隊のために書いた6曲の「Feldpartieenフェルトパルティーエン(野外戦地の為の組曲)」の第6曲目にあたります。第2楽章には「聖アントニウスのコラール」とのタイトルが与えられていますが、その由来はよくわかっていません。古い巡礼歌であるとか、ハイドンの時代に良く知られた旋律であったともされ、事実バロックから古典派にかけての何人かの作曲家がこの旋律を使っています。「聖アントニウス」とはキリスト文化圏ではよく知られたエジプト出身の聖者のことで、貧者に財産を与えて砂漠に移り住み隠修士として瞑想と苦行の生活を送り、紅海の近くで100歳まで生きたとされています。ブラームスが「ハイドンの主題による変奏曲」で主題として取り上げたので、それによって一躍脚光を浴びるようになりました。
2013.09.21
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近頃はラジオを聴くこともなくなりましたので、これは49年前のことで、家内が東京のアパート1室から、五島の母に宛てた手紙に書いてありました。この古い手紙は最近見つけたものです。もうすぐ4時になりますが、第2放送からはハイドンの交響曲100番「軍隊」が聴こえています。これを聴きますと若松の昔の佳則兄ちゃんの汚い部屋を思い出します。お母様は今頃何をしていますか? この放送を聴きながら何か仕事をなさっているんじゃないかしら。昨夜は一人でお炬燵に入って、本を読んだり深夜放送を聴いている内に時間の経つのを忘れて寝たのが2時頃でした!その頃は、私も大学卒業寸前で、卒業設計を勘案しつつ、数ヶ所の家庭教師アルバイトをしていましたが、音楽レコードも高価で一ヶ所のアルバイト代で漸く購入することが叶う程で、よくNHK放送を利用していました。離れていても手紙の交換が頻繁で、仲の良い親娘でしたが、義母は18年前、家内は4年前に亡くなり、寂しい限りです。Haydn's symphony no. 100 in G -Military- 2/4 Allegrettoこの第2楽章が、17世紀往時東ヨーロッパを震撼させたオスマントルコの軍隊行進を表現している様で、祖国防衛に奔走しつつも、異文化に憧れて取り入れることもあった様です。珈琲もトルコ侵入が無ければ、広がらなかったのではないかとされています。
2013.08.18
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狛江市の住宅街の一角にある小さなコンサートホールで、「風韻の調べ」と題された薩摩琵琶の演奏会がありましたので、行って来ました。演奏に先立ち、楽器の説明、演奏曲目の解説があり、初めて聴くには丁寧で恰好な知識を得ることが出来ました。琵琶は、元来ペルシャ伝来の物で、正倉院御物としても残されている楽器なのですが、調弦も難しいものだった様で、現在の薩摩琵琶は調弦法もリュートに似た形に改造となり、共鳴箱にも工夫を加えて発達させた楽器であるらしいのです。薩摩琵琶演目は、歌舞伎との関連とも深く、歌舞伎18番の「俊寛」「勧進帳」から取り上げられたものも多いとのことでした。軽妙な解説が分かりやすいので、後で調べてみますと、荒井姿水女史は女優でタレントの樹木希林の実妹、父は薩摩琵琶奏者・錦心流の中谷襄水とのことで、話術は天性のものがあるのだろうと感心させられました。アンコール演奏は「平家物語」冒頭の一節、琵琶法師が語る有名な一節ですが、秀逸な語りでした。初物を見る・聴くことで寿命が延びるとされていますし、70才を越えて薩摩琵琶の魅力を満喫することが出来た様な気がしました。
2013.06.24
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悲しい時にはモーツアルトのピアノ協奏曲第20番(K. 466)を、嬉しい時には弦楽4重奏曲第17番「狩」(K. 458)を聴こうと言うのが、私と家内との結婚前の約束だったのです。ピアノ協奏曲第20番は、意識的に10年程は聴くことは無かったですし、弦楽4重奏曲第17番は思い立った時に、時折聴いていた様に思います。家内の見ることの出来なかった孫娘が二人になったことを嬉しいこととして、久しぶりに独りではありますが、聴いてみることにしました。「狩」と言うタイトルは、第1楽章の始めに狩の角笛を思わせる主題が力強く奏されるところから来ている。「ハイドン・セット」四重奏曲の第4番目に位置するこの曲が書かれたのは1784年秋で、 6曲のなかでも最も明るい晴れやかさを持っており、それ以前の3曲よりも規模が大きく、内容的にも一層豊かになっている。Mozart - String quartet no. 17 in B major -3 Mov. AdagioQuartet: Mozarteum Quartet SalzburgKarlheinz Franke, violinVladislav Markovic, violin
2013.06.14
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バッハ無伴奏チェロ組曲6曲はチェロ演奏の聖書的位置づけられていますが、第3番はハ長調で開放弦を使って低音を豊かに響かすことが出来ることから、雄大で明快な曲想で特に知られています。5月11日にJTアートホール・アフィニスで、ヤン・ソンウォンの演奏を聴いたこともあり、久しぶりに家にあるヨーヨ・マのCDを聴いてみました。1983年発売ですから古いのでしょうが、チェロの響きが全く違うのです。演奏にも録音法にも依るのでしょうが、チェロ楽器そのものが格段に違うのだろうと思わざるを得ませんでした。どうも、ヨーヨ・マの演奏するチェロはストラディバリウス制作のもので、2億円の価値がある古楽器なのだと言うことが分かりました。それ以前は、ジャクリーヌ・ドュ・プレが演奏に際して貸与されていたチェロなのだそうです。1713年にストラディバリウスが制作したとされる通称“ダヴィドフ”、19世紀ロシアでこのチェロを使用していたのが人気チェリストだったカルル・ダヴィドフだった事から通称にこの名前がつけられている。彼女がこのチェロを使い始めた時には、このチェロに8万4000ドルの値段が付けられていた。現在は中国系アメリカ人のヨーヨ・マが使用している。
2013.05.18
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IHIガスタービン設計部には、優秀な松崎英雄主任がおられ、技術提携先のスイス国BBCのドイツ語技術資料悉く翻訳されていましたが、応用数学の知識が十分でなければ理解出来ない技術水準の高いものでものがありました。松崎英雄主任は、太平洋戦争中、海軍の技術将校として九州方面に赴任、多くの部下を戦争で死なせてしまったと言うトラウマ自責の念から、「部下を持たない専門課長」と言う制度が後年出来るまで課長昇進を固辞し、「部下に命令する上司にはならない。結婚はせず母親と共に静かに生きる」と言うモットーを実践していました。その頃職場では、春秋の部内旅行、夏冬の納涼会、忘年・新年会が多々ありましたが、そのモットーと違うのでしょうが、律義に参加されていました。或る時、各自何か歌でも歌おうと言うことになり、松崎主任の順番になりましたら、軍歌「麦と兵隊」を歌ったのでした。その時は、何故モットーと相容れない軍歌かと思ったのですが、命令のままに行軍する兵隊の姿が如実に描き出したペーソスに満ちた歌謡曲は、死んだ部下を思い遣る鎮魂歌だったのではないかと思い出されてなりません。1938年5月の徐州攻略戦は中国野戦主力を撃滅すべく展開、従軍した作家火野葦平は、その体験を基として事変中の記録小説「麦と兵隊」を著した。この小説がベストセラーとなると、それを歌謡曲とする企画を軍人主体で進めたが素朴な日本調となり行軍する兵隊の姿が如実に描き出される結果となり、ポリドールレコードから東海林太郎の歌唱で「麦と兵隊」を発表して大ヒットした。東海林太郎 麦と兵隊徐州徐州と 人馬は進む徐州いよいか 住みよいかしゃれた文句に 振り返りゃお国訛(なま)りの おけさ節髯(ひげ)が微笑(ほほえ)む 麦畑・・行けど進めど 麦また麦の波の深さよ 夜の寒さ声を殺して 黙々とかげを落して 粛々(しゅくしゅく)と兵は徐州へ 前線へ
2013.05.16
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スピカコンサート事務局から、メールで音楽会の案内が来状しました。バッハの無伴奏チェロソナタの6曲全曲の演奏とのことで、スピカコンサートNo.149としてマチネー興業で前篇を、スピカコンサートNo.150として夜興業で後篇を、一挙に演奏するとのことでした。当日券があれば行きますと返信しましたら、親切にも「事前割引券」を会場に用意しておきますので御出で下さいとの再信メールを頂きました。前回の狛江エプタザールと違って、虎ノ門JTアートホール・アフィニスへは昨年も行っていますので、会場探しに困ることは無く、明日は間違い無く室内楽が楽しめそうです。全編ですと午後3時から8時頃まで長時間となりますので、今回は前篇だけにして夕刻には自宅に帰ろうと思っています。無伴奏チェロ組曲全集 前篇 会場 虎ノ門JTアートホール・アフィニス公演日 2013年5月11日 出演: ヤン・ソンウォン 梁 盛苑(チェロ) 演目: バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1~3番 ヤン・ソンウォンは、現在韓国を代表するチェリストとして、ヨーロッパ各国、アメリカ、日本、中国等で活躍、韓国国立芸術大学教授を経て、現在は延世大学・音楽学部教授ならびにロンドンの王立音楽アカデミーの客員教授を務める。
2013.05.10
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大型連休は何処に出掛けても混雑しますので、近所の混雑しない処で散歩を楽しみ、自宅でゆっくりとクラシックでも聴くのが一番です。アマゾンで購入したCD、録音が1956、57年と56~7年も前のことであり、ライブ録音と言うこともあって、音質は良くないが楽しめました。アニー・フィッシャーは40才を越えた処、オットー・クレンペラーも70才を越えていますが若く溌剌として見えます。1.Mozart Piano Concerto No. 22 (K. 482) Piano Annie Fischer Cocertgebouw Orchestra Conductor Otto Klemperer2.Beethoven Piano Concerto No. 3 (Op. 37) Piano Annie Fischer Berlin Radio Symphony Orchestra Conductor Ferenc Fricsayアニー・フィッシャーは溌溂とした表現力と譜読みの確かさから、スヴャトスラフ・リヒテルなどの音楽家から称賛されていますが、構成力の確かさから本質的にはベートーヴェン弾きではないかと思われます。ベートーヴェンやモーツァルト、シューベルト、シューマン、バルトークなどのレパートリーは評価が高く、残された録音は好楽家から人気があるとのことです。YouTubeでもこのLive Recordingはアップされていますので、彼女のモーツアルトをお聴きください。Annie Fischer, 1956 (Live) Mozart, Piano Concerto No. 22 in E flat major, K. 482
2013.05.04
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ベートーヴェン弾きの大家と知られるクラウディオ・アラウの最後の弟子とされる杉谷昭子ピアノリサイタル、昨年に引き続いた2回目のアラウ賛歌と言うものでした。アラウと言いますと南米生まれのベートーヴェン弾きとして知られていますが、本日は残念柄ベートーヴェン曲は1曲もありません。-バッハ トッカータとフーガ BWV565 (ブゾーニ編曲)-ブラームス 弦楽6重奏曲1番 主題と変奏(ブラームス編曲)-メンデルスゾーン 厳格な変奏曲-ハイドン ピアノソナタ第38番-ショパン マズルカ、ノクターン、幻想即興曲-ドビュッシー 月の光 喜びの島すぉれでも、ブラームス自身の編曲による弦楽6重奏曲1番 主題と変奏が、一番の聴きものだったのかも知れません。舞台裏からの出入りは少し猫背で少し引きずって歩く様子は、圧迫骨折に完治していないのですが、せっかちな性格なのかライトも未だ無い中、そそくさと舞台の袖から出て来ますので心配になりました。昨年、受け取ったプログラム・パンフレットには、次の様な挨拶が載せられていたのです。2年前、腰の圧迫骨折により半年間の演奏活動中止を余儀なくされました。何時治るか分からない病院のベッドで、自分の演奏のルーツについて考える様になり、ピアノの最終的な礎となったクラウディオ・アラウとの晩年の9年間が頭から離れませんでした。其処で、腰が治ったらアラウへの感謝の念を込めてコンサートを開こうと言う思いに至りました。昨年コンサートをキャンセルせざるを得ず、各方面の方々にご迷惑かけましたことをお詫び申し上げますと共に、ご心配、応援頂きました大勢の方々にこの場をもちまして心よりお礼申し上げます。リサイタル会場フロアでブラームスCDを探しましたが、販売していないのは残念でした。
2013.04.20
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今日は長男夫妻から次男夫妻の処へ孫に会いに行かないかと誘われたのですが、もう第2子誕生に向けて臨月に近いと思い、遠慮することにしました。処で、昨夕は小さなヴァイオリンソナタのコンサート案内がありましたので、当日券を買えば良いかと考え、小田急線狛江駅に午後5時50分に着きました。通常初めて行く場所は、アクセスマップを印刷してそれを頼りに行くのですが、昨日はコンサートホールだから直ぐに見つかると安易に考え、印刷もせず出掛けてしまったのです。開演まで40分あるから問題無いと考えたのですが、考えが浅はかでした。駅前の案内図にもなく、インターネット検索した記憶を頼りに歩き廻ったのですが、遂に発見出来ずに、空しく帰らざるを得ないことになりました。自宅に帰って、案内のメールを見てみますと、次の様に記載されていましたので、せめてこれだけもプリントして行けば良かったのですが、後の祭りです。エプタザールSelect Concert No.11「春麗ら」久保田 巧(ヴァイオリン) 村田 千佳(ピアノ)4月13日 開演6時30分 開場6時エプタザール(狛江市和泉本町1-7-16 ☎03-3488-5311) 小田急線「狛江」駅 北口より徒歩10分エプタザールは「Eputa Saal」とスペルアウトするのでしょうか、ラテン系の名前とホールのドイツ語「Saal」が混在した奇妙な名前のコンサートホールで、ハウスエプタが住宅の1・2階を使って経営する住宅街の一角にあるレンタルベースのホールだったのです。久保田巧さんはNHKBSの音楽番組にも出演したヴァイオリニストで、ヨーロッパの薫りのする演奏が好きだったので、コンサートに行けなかったのは残念至極です。クラシック音楽の不況が言われていますが、今後アメニティを生かすこんなホールが増えることになるのでしょうか?
2013.04.14
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昨日、NHKでサヴァリッシュの追悼番組が放送されていました。ベートーヴェンの第7交響曲、端正な指揮ぶりは昔のNHK交響楽団常任指揮者時代を偲ぶものがありますが、指揮台の上で椅子に腰かけての殆ど身じろぎしない指揮でしたから、近年の客演指揮だったのだろうと思われます。その時の演奏がYouTubeでアップロードされていますのでご覧ください!Beethoven Symphony No7 4thMovement - Wolfgang Sawallisch最後に2004年11月3日、NHKホールで収録とされたスーパーが出て来ましたので、9年前のことで80才の指揮だったのですが、これが最後のNHK交響楽団との共演、翌年はキャンセルとなりましたので、もうこの時点で健康を損ねつつあったのかも知れません。それでも、派手さは無く理知的な音楽設計、指揮棒を指で挟んで左掌をはためかすスタイルは健在でした。ヴォルフガング・ザヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch)が亡くなったのは、2月22日、89才ですから大往生と言えるでしょう!カラヤンと共に、将にドイツ・オーストリア音楽を代表する指揮者でありました。ベートーヴェンの第7交響曲は思い入れもあり、20才の時に東大生協店で最初に購入したクラシックのLPレコードはカール・ベーム指揮の第7交響曲、ステレオ盤ではありませんでしたが、結構な回数聴いた記憶があります。一時代が又も過ぎ去って行くと言う感慨ともなりました。
2013.03.11
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この歌は1953年(昭和28年)小学校6年生の音楽の時間に歌わされた曲で、曲名は永い間知りませんでした。元来は1930年(昭和5年)発行の「日本童謡曲集」に採録されたもので、尋常小学校の唱歌だったものが、軍国主義気配の無い曲と言うことで戦後も残されたのでしょう。作詞 北原白秋作曲 山田耕筰(著作権保護期間中)土手のスカンポ、ジッワ更紗晝は螢が、ねんねする。僕ら小学、尋常科今朝も通つて、またもどる。すかんぽ、すかんぽ、川のふち夏が來た、來た。ドレミファソ。すかんぽの咲くころ - 久保木幸子教えられるままに「土手のスカンポ ジャワさらさ」と意味も分からず歌っていましたし、「尋常科」は「小学6年生」と教えられたと記憶しています。スカンポ(酸模)がイタドリのことで、ジャワさらさがジャワ更紗(サラサ)と知ったのは後年のことでした。肌色のイタドリが群生して咲く様を、綺麗な更紗模様だとしたのでしょう!スカンポ(酸模)はスイバ(酸葉)のことで、イタドリの別称。花が咲く頃に茎を折るとポンといい音がし、若い茎と葉は食用出来るとして知られ、酸っぱい味がする。ジャワ更紗はバティック(Batik)と呼ばれ、草花模様や幾何学的模様のものが多くインドネシア・マレーシアのろうけつ染め布地の特産品。インド、スリランカ、イラン、タイなどでも多く見られ、特にジャワ島のものが有名なため「ジャワ更紗」と呼ばれる。
2013.02.19
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先日、近所の先輩に進呈したパソコンにはウィルスソフトを更新、安全性は確保したとして設定終了としましたので、YouTubeによる音楽鑑賞の方法を教えておくことにしました。我が家に帰って、私も久しぶりに古い記憶を思い起こしてみることにして、YouTubeで小学唱歌「灯台守の歌」を検索してみました。結構な数が結果として出て来ましたが、川田正子さんの歌うものが良さそうでした。川田正子 - とうだいもり, 灯台守多分小学校5年生の音楽の時間に歌わされて習った曲なのですが、日本のもので無くアメリカの原曲だった様です。The origin of this song is from 19th century Hymn "The Golden Rule" in U.S, and the lyric is a poem by Katsu Yoshi(勝承夫)この原曲は19世紀アメリカの讃美歌“黄金律”にて、日本語の歌詞は勝承夫氏の詩によるものです。黄金律とは「マタイによる福音書」に依るもので、「「何事も自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」(マタイ7-12)が出典とされています。私の小学校時代はTVが無くラジオだけの時代で、童謡歌手が所謂アイドルとして活躍していて、川田正子姉妹、安田祥子姉妹、近藤圭子、古賀さと子、少し遅れて小鳩くるみ等が人気を博していました。
2013.02.17
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