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ここ数日、暖かい晴天の日が続いて典型的な小春日和となっています。東京郊外の多摩丘陵にある自宅近くを散歩していても、街路樹も葉を落とすものが多く、将に「秋の日のビオロンの溜め息の身にしみて・・」の落葉風景が展開しています。日本では晩秋に現れる春のように暖かな天気のことを「小春日和」と言い、小春と言う使い方がなかなか微妙で適切と思い、調べて見ますと旧暦10月を「小春」と言うのだそうで、現在の太陽暦では11月に相当するとのことです。北米では「インディアンの夏(Indian Summer)」と言いますが、恰もインディアンに騙されたかの様に夏を思わせる陽気に逆戻りすることを指しています。英国では「セント・マーチンの夏」、ドイツでは「老婦人の夏」、フランスでは「サン・マルタンの夏」、ロシアでも「老人又は女の夏」と呼ばれるそうですが、日本では“春”を使うのに、欧米諸国では“夏”であるのが文化の違いも見えて面白い所です。この写真は昨日午後2時半の自宅近くのバス道路から撮ったものですが、既に夕暮れの気配も濃く出て来て、錦秋を満喫出来ました。今週末は天気が崩れて来ますので、来週は木枯らしが吹く寒い秋になるかも知れません。
2004.11.10
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木犀の花が咲き出しました。レモン色で咲き始め、オレンジ色で満開となり散って行く可憐な木の花です。花自体は小さく、目立たないのですが香りが強く、人によっては咽せてしまい、気持ちが悪くなる程だと言われています。例年は9月下旬になりますと咲き、何処からと無く匂いが漂って来ると思っていましたが、今年は猛暑が続き10月上旬となりました。昨日は、最高気温17℃の冷たい雨の気候となりましたが、咲き始めでもあるのかレモン色のまま散ることも無く、強い香りがしていました。染井吉野桜同様、僅か一週間の命ですので、天気が回復して呉れませんと、このまま雨に匂いを吸われて散ってしまいます。秋の夕暮れから夜に掛けて何処からとも無く馥郁たる香りを嗅がせて貰ってから散って頂きたいものです。花の香りでは春の沈丁花、秋の木犀と並び称されますが、咲いた後で雨風があるとあっけなく散ってしまう儚さも庭木として愛される一因かも知れません。 木犀は中国南部の桂林地方原産で日本には江戸時代初期渡来したそうです。中国語では“桂”は木犀のことを指し、桂林という地名も木犀の木がたくさんあることに由来するとの情報もあります。匂いが少し弱くて上品な白い花を咲かせる「銀木犀」は近頃見ることが少なくなりました。劣性品種で消えてしまったのでしょうか?インターネット検索しますと「銀木犀はキンモクセイ(金木犀)の母種。匂いは金木犀に劣る。雌雄異株で、日本には雄株しかない。」とあります。木犀と言えば、「金木犀」ばかりとなってしまいましたのは一寸残念です。
2004.10.04
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自宅から歩いて数分の所に新しいイタリア料理のお店が9月4日にオープンしました。「平久保の椎」のある平久保公園の隣にあった民家をレストランに改造したので、ダイニングルームから小さな屋外庭にも出られ、天気の良い日は其処で食事も出来る様に工夫された、なかなか気持ちの安らぐお店です。この写真に見えます椎の木から道を隔てて隣にある民家がRistorante Yamaとなりました。専用駐車場は民家の裏手にあります。ランチメニューはお任せの一品のみで、税込み1890円でしたが、前菜テリーヌ、カボチャのスープ、スパゲティ、デザート&珈琲が出てきて満足出来ました。日替わりなのでしょうが、選ぶ面倒さが無くて良いかも知れません。シェフは未だ若い方で、チラシ・小冊子によりますと、都内フォーシーズンズホテルに働いていたとのことで、住宅地の真中に小さいながらも本格イタリアン・レストランをオープンして呉れたのは嬉しいことです。ランチは午前11時半から午後2時半迄、ディナーは午後5時半から10時迄とキチンと間に休憩を取ってサービスするのにも好感が持てます。アクセスはあまり良くありませんので、車で来訪するのが原則の様で、4台が止められる駐車場が整備されています。バスですと「多摩センター駅」から「鶴川駅」又は「京王多摩車庫」行きに乗って、「東落合中学」又は「小野路交差点」停留所で下車して、徒歩数分で行くことが出来ます。徒歩ですと「多摩センター駅」からは約20分ですが、多摩市落合4-7-3の場所は知りませんと辿り着くのが難しそうですので、電話042-339-****で確かめて見て下さい。電話番号は近頃悪戯通話の心配もあり、迷惑を掛ける怖れもあり伏せさせて頂きました!
2004.09.30
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近頃自宅周辺を散歩していますとマテバシイの椎の実が散歩道に散らばっているのが目に付きます。固い皮に覆われていますので、鳥たちにも食べられず、そのまま転がっているだけなのですが、昔日は狸たちが食糧としていたのではと思いやってしまいます。見上げて、木の葉を見ますと堅くて大きく楕円形の葉ですので、万葉集にある有馬皇子が謀反罪として処刑されるに際しての辞世歌とされる「家にあれば笥(け)に盛る飯(いい)を 草枕旅にしあれば 椎(しい)の葉に盛る」の「椎の葉」はこれだったのだとも思い遣られます。近くには「平久保(ビリクボと読みます)の椎」、「一本杉のスダジイ」等の巨木となったスダジイ(椎)の木も散見されます。「平久保の椎」についてはこちらの日記をご覧下さい!マテバシイは漢字で「全手葉椎」と、スダジイは「頭陀椎」と書かれることをインターネット検索で知りましたが、クヌギ(椚)やナラ(楢)のドングリ類とは異なり、渋・灰汁が薄く、煎って食べられるそうです。私自身は試みたことはありませんが、レシピ等の紹介Webサイトもあります。マテバシイ、スダジイは暖地の海岸近くに自生すると言われていますが、多摩丘陵に昔は海岸からそれ程遠く無かった地域だったことから自生し続け、人間の食生にも利用されて来た様です。私が住んでいる多摩ニュータウン地区には数多くの縄文時代遺跡があり、木の実も同時に発掘されたそうです。その殆どは開発から30年間に発掘調査され、大部分が埋め戻されて宅地となりましたが、一部は縄文文化を再現し保存されています。京王線と小田急線の駅が隣接する「多摩ニュータウン」駅近く線路際の直ぐそばに東京都埋蔵文化財センターがあり、それに隣接する遺跡庭園「縄文の村」には、多摩ニュータウン遺跡を復元、保存展示されています。NHKテレビでも紹介されましたが、三棟の復元住居が縄文前期当時の植生と共に再現され、定期的に住居内の炉で焚火を行って住居の腐食化を防いでいます。この遺跡は、縄文時代前期(約6000年前)から中期(約4500年前)の遺跡とされていますが、三万年前の旧石器時代の石器も発見されています。多摩丘陵は、当時は広葉樹の森や林で覆われていた筈で、木の実を主食とした定着生活をしていた人々が多く定住していたと言われています。
2004.09.29
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先々月、寛ぎの美味しい珈琲店として紹介しました喫茶「友愛」が移転することになってしまいました。紹介日記は此処にありますが、2ヶ月前には移転する話は無かったのです。多摩市の小さな流れ、乞田川沿いにある5階建てビルの1階に26年間テナント(店子)として喫茶店を経営していたのですが、ビルの所有者が経営に失敗して売却したことに寄るとのことでした。所有者は多摩ニュータウン開発以前から、この地域に住む土地持ちとのことで、バブル期に多くの事務所ビルを建てたのですが、期待したテナント数が入らず経営に行き詰まったことで、一部の資産売却を思案し、当面の乗り切り策として高く売れる土地として5階建てビルのある土地を選んだ様です。2階迄が店舗、3~5階はアパートになっている所謂下駄履き住宅で、駐車場も50台程度完備していたので結構なスペースはあったのです。確かに乞田川と鎌倉街道に挟まれた土地ですので、日照権問題もなく建坪率が高く出来る土地です。バブル経済時代の放漫経営の後処理は、未だ未だ終わっていないのです。銀行には公的資金投入、大企業は一時返済免除等が施され、救済されていますが、個人経営・中小企業には、そんな恩恵はありませんので、自己責任で処理しなければなりません。新オーナーは5階建てビルを解体し、新たに15階建て住居ビルを建設すると言われています。リバーサイドマンションとでも言うのでしょうか?そこで、現在入っているテナントには、移転費用負担と言う便宜を図って、立ち退き要請をして、一旦更地にする計画が決定しました。従来、喫茶「友愛」に行く最寄り駅は「小田急永山」、「京王永山」でしたが、移転する場所は京王相模原線で二つ先に行った「堀之内」の駅前となるそうです。商売とは不確定で分かりませんが、今まであったと写真の様な雰囲気の店が再び出来、繁盛することを期待しています。7月で現在の店は閉店、1ヶ月の休養を含めた準備期間を経て新しい場所に移転、9月初旬から開店とのことです。今までは駐車場が4スペースありましたが、9月からは駅前徒歩2分の距離なので駐車場が1スペ-スのみとのことなので、多摩センター駅まで15分散歩し電車を使って行こうと思います。
2004.08.03
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台風10号の影響でここ数日、東京地方も天気が不安定、晴天かと思っていると一転暗くなり大粒の雨が降ると言った具合。南岸を通過しましたので、殆ど強風が吹くことはありませんでしたし、7月の記録的少雨量と言った状態が解消されたのでは、と思います。新潟、福井の集中豪雨は関東地方には全く影響もなく、数十年ぶりの少雨だったのです。空を見上げますと、蒼空は淡青と言うより透き通った群青で秋の気配、近頃珍しくなった入道雲で夏本番、又暗天となり野分立つ雰囲気、と変化が目まぐるしく飽きることがありません。夕刻には北の空に、夕日に照らされた見事な雲が現れ、それに感動して、デジカメを持ち出し撮影してしまいました。午後6時半を過ぎていましたので、地上周囲は眼で感じるより暗く写ってしまいましたが、雲の素晴らしさは多少とも再現出来たと思います。ボードレール「パリの憂鬱」の“異邦人”章 には次の様に雲を愛でる一節があります。-私は雲が好きなんだ、・・あそこを、・・ああして飛んでゆく雲、・・あの素敵滅法界な雲が好きなんだよ!「三好達治訳 新潮文庫」ボードレール「パリの憂鬱」についての解説ページはこちらです!空に浮かぶ雲は色・姿・形が千変万化に移ろい、将に一瞬の芸術です。「雲は芸術だよ」と11年前に亡くなった母も常々言っていましたが、何か知らない内にDNA遺伝子が伝承されているのでしょうか?
2004.07.31
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多摩ニュータウンの静かな住宅地の一角にあるケーキ屋さん、此処のロールケーキは美味しいことで知られています。最寄りの多摩センター駅からは徒歩で15分程掛かります。多摩ニュータウン通り・尾根幹線を繋ぐ小さな「青木葉」通りに面しているので、初めての人は判りにくいかも知れません。住所: 東京都多摩市落合3-11-2 電話: 042-376-0141 店の外にはテラスがあって お茶も出来、ランチメニューもありますので、天気の良い日には、散歩の途中に一寸立ち寄って見ることにしています。我が家からは徒歩で5~6分と言う散歩にはもの足りない距離にあるからです。この所猛暑が続いていますが、先日はキッシュ・野菜サラダとホット珈琲のランチを屋根付きテラスで、汗をかきながら頂きました。人気抜群の純生ロールは税込み840円、卵と砂糖・小麦粉・生クリームで作る最もシンプルなもの、ふんわり・しっとりとしていますので、従来のロールケーキからは考えられない程です。評判を呼んで、休祭日にはこれを求めて人の列が出来ます。つい先日は、毎回ロールケーキではと、税込み1575円のアップルパイを買って見ましたが、これが又、絶品でした。パイ生地が割合薄く、ミルフィーユの様な感じで美味しいのです。中にありますアップルは甘みが少し強いかも知れませんが、フォークで直ぐ切れる程柔らかく、口に入れると溶けそうな感じでした。ロールケーキもアップルパイも、通常美味しいケーキの範疇には入らない、大衆的なものですが、それらを美味しいと言わせるこの店のパティシエの力量は本物だと思います。多摩ニュータウンのコミュニティ・サイトにも紹介されています。隣には、アゴ出汁スープ(焼いた飛び魚の出汁、これが濃厚な味を出します)が評判のラーメン店「西海」があって、グラン・クリュ以上に何時も混雑していますが、こちらの客層は断然若い様です。
2004.07.21
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昨日夕方近く、西の空には太陽が輝いていたのですが、夕立が降りました。「お天気雨」、俗に言う「狐の嫁入り」の雨でした。30分程で晴天に戻って来ましたので、もしやと思い、東南の空を見て見ましたら、美しい虹が架かっていました。早速デジカメで3ショット程撮影して見たのですが、一番良いと思った結果も下記の通り、肉眼で見るよりは色が飛んでしまっていて、薄い様です。人間の眼は、対象物に集中しそれを増幅して知覚することで、実際よりは色濃く感じるのかも知れません。何はともあれ、特殊な方法でないと、自分が感じている様には撮影出来ない様で、私にはそんな専門知識・能力が無いのは残念です。虹と言えば、映画「オズの魔法使い」のテーマ曲となった「虹の彼方」が良く知られています。1939年製作の映画ですから、65年も経つのですが、「虹の歌」となると、この歌が唄われることが多い様です。Somewhere over the rainbow 虹の彼方の何処かWay up high 高く行った処にThere's a land that I heard of 子守歌で聴いたOnce in a lullaby 場所があるSomewhere over the rainbow 虹の彼方の何処かSkies are blue 蒼い空が続く処でAnd the dreams that you dare to dream 夢見た夢がReally do come true 真実となるSomewhere over the rainbow 虹の彼方の何処かBluebirds fly 青い鳥が飛び交いBirds fly over the rainbow 虹を越えて行くWhy then, oh why can't I? 私は何故飛べないのIf happy little bluebirds fly 幸せの青い鳥がBeyond the rainbow 虹を越えて飛ぶWhy, oh why can't I? 何故私は飛べないの古き良き時代のアメリカを彷彿とさせる良い歌だと思います。(邦訳は私が適当にしました、拙訳陳謝!)
2004.07.17
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鎌倉街道沿いの多摩市乞田交差点近くにある喫茶店「友愛」は、小田急・京王線の永山駅から5分程で行くことが出来ます。此処の珈琲は、長年珈琲を入れ慣れているご主人が、目の前で豆を挽いて造って呉れますので、とても美味しいのです。又、入れた珈琲をウェッジウッド製等の高価なカップ・ソーサーで出して呉れますので、ゆったり優雅に頂けるのも魅力です。店内は多少暗くしてありますが、上から照らすスポットライトが効果的に効いていますので、本等を読むのに支障はありません。又、店内の音楽はライト・クラシックが多いのですが、偶には懐かしいスクリーン・ミュージックが静かにBGM風に流されていますので、気を遣わずに過ごせます。店内の調度品も立派なものが多く、テーブル・椅子などもがっしりとした堅牢なものが使われていますし、ブラウン・ホワイト双方のシュガーポットも何気なく備前焼のものがさりげなく置いてあります。店内の様子で、ご主人の趣味の高価なこけしも、又さりげなく飾ってあるのが見えますし、壁にはオーストリア・ザルツブルク風景の銅叩き出しの逸品が額に入れられて掛けてあります。1人ではとても持ち上がらない程重いものだそうです。近頃はオープンカフェ形式のチェーン店が幅を利かせていますが、多少騒々しい感じもします。この店は、ご主人夫妻と妹さんでやっておられますので、空いている時は世間話しも出来る、気さくな喫茶店となっています。日曜日だけが定休、他は祝日でも開店営業され、モーニング・ランチメニューはお得なセットメニューですので、お客も多くなります。静かな雰囲気を楽しみたい方には、喫茶「友愛」、時刻は午後、夕方頃がお勧めです!
2004.06.06
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都立桜ヶ丘公園は明治天皇が兎狩りをするのに訪れたと言われる所、鬱蒼とした森と丘が残る公園で、あまり遊戯設備が整備されていませんので空いているのが魅力です。一昨日、森の散歩道を歩いていましたら、道路沿いの林の中に、何本かのオオデマリが静かに咲いていました。白くて丸い花が多い中に一本黄緑色のものがありましたので撮影して見ましたのでご覧下さい。オオデマリは英語でジャパニーズ・スノーボール(Japanese Snowball)と呼ばれるそうですが、将に柔らかな新雪を玉にした様な可憐な花です。白い花を手毬のような形に集め、それをいくつも重ねて咲き揃えるオオデマリ(スイカズラ科)、新緑によく映える柔らかな花が印象的でした。オオデマリは樹高二メートルほどの落葉低木、根元からたくさんの枝を出して、深い皺のある卵型の葉をもち、そのわきからたくさんの若枝を伸ばして、先端に直径十センチほどの丸い花序(花の集まり)をつけます。日本各地に自生するヤブデマリの園芸品種がオオデマリなのだそうです。樹形は同じで、原種のヤブデマリはガクアジサイのような花序を着けるのに対して、オオデマリは八重化してアジサイのような花を付けますので実をつけることが無いとのことです。
2004.04.23
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「多摩よこやまの道」は尾根沿いに残された自然や緑を活かしながら、樹林内の散策路や休憩広場、多摩市域を一望できる展望広場等が整備され多摩丘陵や多摩ニュータウンの風景と共に、四季折々の自然に親しみつつ伝説の歴史文化に触れ合うことの出来る遊歩道です。平成15年4月に都市基盤整備公団により整備され、その一部が一般開放されました。多摩よこやまの道の尾根筋は、古代より武蔵野と相模野の両方を眺められる高台として、又西国と東国を結ぶさまざまな交通の要衝だった様です。万葉の昔から、多摩川は清流として知られ万葉集の東歌には有名な素朴な愛の歌も残されています。「多摩川のさらす手作りさらさらに、何ぞこの子のここだ愛しき」又多摩川右岸一帯に横へ伸びるなだらかな丘陵を総称して横山と呼び、長閑な東歌も残されています。「赤駒を山野に放し捕りかにて、多摩の横山徒歩ゆか遺らむ」古代、辺境の防備兵として北九州へ赴いた防人達の歩いた道筋が残り、鎌倉時代には、東国の武士達が武門の都鎌倉との往還に用いられた鎌倉古道が走っています。建武中興の折、新田義貞が大軍を率いて鎌倉倒幕を目指して駆け抜けた道筋でもあり、「よこやまの道」は多摩に住む人々にとって心の故郷にも喩えられる丘陵だった様です。残念なことにその横山も今や多くが切り開かれてニュータウン化し、昔日の面 影は失われてしまいましたし、現在も進行形です。そんな中にあってかろうじて開発から免れた横山の尾根筋「よこやまの道」は多摩市と川崎市、町田市との市境に連なる比高差の極めて 低い丘の上の尾根筋の道ですが、傍らには片側3車線を確保出来る尾根幹線道路が片側1車線として並走しています。この歴史散歩道を何とか残して欲しいと思いますが、現在川崎市側から宅地開発の波が南側から押し寄せ、散歩道の際迄来ていますので予断は出来ません。又近い将来、北側の尾根幹線が東名高速からのバイパスとして拡張されますと、これも存続懸念に一つとなります。よこやまの道は尾根幹線道路に沿って走っていますが、道路の反対側は大きな団地となっています。よこやまの道の展望台から見た多摩ニュータウン全景です。この日は天気が良いのですが、霞んでいて奥多摩の山々は見えませんでした。
2004.04.11
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自然環境では良く持続可能な環境創成と言われますが、住宅地にも「持続可能な宅地」への発想転換が必要だと思われます。従来の核家族向けの住環境ではなく、近くに隠居所がある様な昔ながらの住環境が再現され、複数世代が共存出来る様にしませんと、社会基盤の学校・病院等も閉鎖され30年でゴーストタウン化する使い捨ての宅地開発にしかなりません。嘗て多摩丘陵地帯は遠くて交通の便が悪く、住宅地としては不向きが地域で、自然を満喫するハイキングをするのに適した場所でした。1965年頃、東京都民の宅地逼迫状況を受けて、「多摩ニュータウン」開発が始まりました。その宅地開発経緯は、自然環境破壊の歴史でもあり、宮崎映画「平成ぽんぽこ狸合戦」として紹介されています。多摩ニュータウン開発を主体的に行った都市基盤整備公団(旧日本住宅公団)に長年勤務していた人が、開発途中で撮り集めた写真56点を厳選して、写真展「多摩ニュータウン今昔」が多摩センター駅近くのパルテノン多摩にて入場無料で7月5日まで開催中です。会場には、床には大きな航空写真があり、パネルには昔の写真と現在の写真、地図を並べて展示していますので、今昔の違いが良く分かります。展示の中から各々8組の写真と地図を絵葉書にした「多摩ニュータウン今昔・第1集」「同・第2集」として、各300円で販売されています。別所谷戸と呼ばれた里山風景地域は、JR四谷駅前にあった旧四谷見附橋が移築され長池公園として整備されました。なだらかな畑と雑木林が広がり、尾根には赤松、谷筋には杉が点在した地域は芝生と桜並木の宝野公園として整備されました。40年前開発が始まり、若いサラリーマンが中心に居住して来た多摩ニュータウン、若く活気に溢れた街で1980年代には続々と小中学校、高校なども建設されたのですが、今はその世代が高齢化して子供達も家を離れ、学校閉鎖も多くなり、活気の乏しい静かな街に変貌してしまいました。「夏草や強者が夢の跡」その様な宅地開発の夢跡が、現在の多摩ニュータウンの現状の様です。
2004.04.10
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3月20日東京の開花宣言以来冷たい気候が続きましたが、ここ数日各地の桜開花情報も多く出され春本番です。東京地方では昨日昼間は5月の暖かさとなりましたので、桜の開花も一挙に加速し、東京郊外の多摩ニュータウンでも、8分咲きと一番の見頃時期となりました。夜の帳が落ちても気温が暖かいままでしたので、歩いて5分程で行けます近くの宝野公園の芝生広場に夜桜見物に行って見ました。吹いてくる風も心地よく、見上げますと朧月夜、桜並木もうっすらと見え、将に「春宵一刻値千金」でした。此処は夜のライトアップはしていませんので、上を見上げながらストロボ撮影をして見ますと、少しハレーションしている様ですが漆黒に浮かぶ桜が綺麗でした。広場は暗いのですが、所々に街灯が設置されていますので、その灯りの下でゴザを広げてチラホラと夜桜鑑賞をしている人達がいましたが、昼間の賑わいも無く静かな雰囲気でした。本日は曇天で強い風が出て来ましたし、午後から降る雨は夜に本格的になり一晩中続くと言うことですので、今夜は夜桜見物は叶いません。
2004.03.30
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自家製のパンを売るお店は増える一方で、美味しい焼きたてのパンを買えるの良いのですが、其処でそのまま食べられる様になっているパン屋さんは多くはありません。日傘付きのオープンテラスのあるパン屋さん「天然酵母のパンの店」、が自宅から5分程歩いていける所に出来ましたのは、数年前のことだったと思います。以前其処は研究所と称した人の出入りの殆ど無い敷地でしたので、代替わりして活気も出た様に思います。その店の名は「あこ庵」、HPもありますのでこちらをご覧下さい!オーナーは老齢の「あこ伯母さん」で店を手伝うことはありませんが、以前は店の前にあるベンチまで出て来て、「パンのお味は如何?」等と聴いておられましたが、近頃は見ることがありません。近頃の自然食ブームもあり、店は結構混雑していますし繁盛しています。100%自然素材による天然酵母のパンは、イースト菌発酵のパンに較べて「堅い、酸っぱい」との評判もある様ですが、「あこ庵」天然酵母パンは一晩かけてじっくり発酵させている精か、多少堅いかなと言う程度に仕上がっていますので違和感はありません。生地にも卵を使わずに自然素材を生かした、飾らない、ごまかさないパンは良く噛みしめますと、本来のパンの美味しさが出て来る様です。天気の良い日はオープンテラスに腰掛けて、お代わり自由の珈琲を頂きながら、購入したパンで昼食を取ることも多くあります。
2004.03.23
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ザッハートルテは土台になるスポンジケーキが堅めでしっかりした世界的にも有名なチョコレートケーキですが、これを売っている洋菓子店はそれ程多くはありません。東京郊外多摩地区の自宅近くに、オーストリア本場さながらの味を再現して呉れるお店があります。店の名前はドイツ風で「ヒューゲル(Huegel:丘と言う意味)」、多摩ニュータウンの幹線道路ニュータウン通りから少し入った所にありますので、知らないまま店を探しても見つけるのは難しい様です。この店は素材を生かしたウィーンドイツ菓子が評判のケーキ屋さんです。季節感も大事にしていますので、秋深くになりますとドイツクリスマスに欠かせないシュトーレン等も並べられます。しかし、何と言っても一押しのお勧めはザッハートルテで、それに添えるカップ入り生クリームも合わせて売られています。ザッハートルテはあっても、生クリームを置いてあるケーキ屋さんは少ないのです。タウン情報誌によりますと平成11年から日本橋高島屋でも週1回販売される名店となったとのことですが、納得出来ます。19世紀のオーストリア王政時代、お菓子の都ウィーンでハプスブルク家御用達の老舗として皇帝フランツ・ヨーゼフにも愛されたザッハートルテ、このケーキは16才の見習いコックであったフランツ・ザッハーが宰相メッテルニヒ公の為に造ったのが始まりです。その後、ザッハーの息子が王室御用達だったケーキ店デメルの娘と結婚し、秘伝のレシピがデメルに漏れた結果、デメルでもザッハートルテが売り出されるようになり遂に裁判で7年間争うこととなりました。1961年、両者は和解し「オリジナル」の正当性は、ザッハー側に認められ、オリジナル・ザッハートルテと言う標示は、以後ザッハー・ホテルでのものとのことで決着。両者の違いは、ザッハーの方はアプリコットジャムがスポンジの間に挟まれ、デメルの方はスポンジの上にアプリコットジャムが塗られている所だそうです。土台の生地は、チョコレート風味のスポンジケーキ。その上にアプリコットジャムを塗ってから、表面全体をチョコレートでコーティングしてあります。 このチョコレートはザッハ・グラズュールと呼ばれるもので、チョコレートを大理石の上でよく練って粒子を丸くしてあるのが特徴、先ず口の中でサクッ、そのあとでトロッと溶けるザッハートルテ独特の食感が生まれます。 食べるときは泡立てた生クリームを添えると一段と美味しく頂けます。
2004.03.22
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自宅から遠くない所に、好ましいレストランがあると言うのは嬉しいことです。昨日は「ウン・ベシート」と言うスペイン料理店のランチを食べに出掛けました。丁度昼時、お店の中は女性連の昼食会で一杯でしたので、少し辺りを散歩して戻りましたら席が用意されていました。東京多摩地区には三店あって、同じ様なメニューでスペイン料理を提供しているようです。パエリア(パエジャ)は最低2人前で、1人1200円の手頃な値段で、サラダと飲み物が付いていますので、それを注文しました。待っている間に、ふと店の壁に熟成したと思われます豚の股肉が掛けてありましたので、店の人に聴きますと最低2年は熟成させたハモン(Jamon)とのことでした。前菜にするべくお願いしました所、1200円とのことで早速追加注文しました。すると間もなく、何とも美しい半透明な深紅色のスライスされたハモンセラーノがお皿に5切れ程並べられて出て来ました。2年は熟成させてあるとのことで、少し塩辛い感じもありますが、脂も肉にしみ込んで絶妙の味に仕上げられていました。イタリアの生ハム「プロシュート」は、塩加減がもっと強くメロンに合わせて食する方が美味しいと思いますが、ハモンセラーノはそのままでも十分です。ハモンセラーノ(JAMON SERRANO)はスペインの生ハムのことで、 歴史は古い。今から2000年も前には、スペインの山岳地帯で作られる生ハムは名品であるとローマの美食家によって評価されていたらしい。 ハモンセラーノは、豚の股を天然の原塩だけで1カ月ほど漬け込むことによって、肉自身の中にある酵素が働き旨みが作られる。その後、冷たい流水の中で程良い塩加減まで塩抜きをした後、低温で湿度の高い場所に1~2カ月置き表面に黴を生やす。この黴が腐敗を防いだり、味を醸し出すのに重要な役割を担っている。後はじっくり時間を掛けて熟成させて行くのだが、日中の高い温度で脂身は少しずつ溶け、1部は床に落ち、又1部は赤身の肉の部分にゆっくりと染み込んで行く。夜の低い気温では、ハモンセラーノの身はキリリとしまる。そんな自然の温度と湿度の変化の繰り返しがハモンセラーノの旨みを熟成させて行く。この熟成は半年近く続けられ、その後で地下倉に移され、更に1年ぐらいは熟成させられる。日本のスペイン料理店で扱っているハモンセラーノは日本製なのですが,生産者の努力と熱心な研究のおかげで、これら日本産ハモンセラーノはスペイン産のハモンの通常品に勝るとも劣らない品質であると言われています。「ウン・ベシート」で食しましたハモンセラーノが輸入物か国産物かは定かではありませんが、兎に角美味しいものでした。パエリア(パエジャ)も硬すぎず、柔らかすぎず上手に料理されていましたので、鉄鍋に焦げ付いているご飯もそぎ落として全て頂きました。
2004.03.12
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一等星の多い冬の星座を暖かい屋内で鑑賞出来るのは素晴らしいことです。東京郊外の多摩センター駅前から歩いて5分程で、地上21階にあるプラネタリウムに行くことが出来ます。教育関連事業を行っているベネッセ(旧福武書店)の事務所ビルなのですが、最上階の21階が展望フロアになっていて、其処にプラネタリウムが整備されています。アミューズメント・パーク「サンリオ・ピューロランド」の隣に位置していますし、地下には無料の駐車場(2時間まで)もある様です。地上100mの高さにある展望フロアからは、南方に横浜ランドマークタワー、西方には丹沢山塊・富士山、奥多摩山塊、等の素晴らしい景観が楽しめます。企業所有のプラネタリウムは通常週末の土日に一般公開されますので、家族連れで来る人達が多いようです。入場料は現在大人400円、小人200円となっていて手頃な価格になっています(昔はそれぞれ800円、400円だったと思いますが、何時の頃からか値下げしたのだと思います)。学校・幼稚園からの20名を越える団体は予約しますと、一般公開日以外の平日にプラネタリウムが無料で公開されることになっていて、教育事業の一環としてボランティア活動している様です。この3連休の初日である1月10日(土曜日)に散歩がてら行って見ましたが、遠くが靄っていて展望フロアから富士山を見ることは出来ませんでしたが、「冬の星座」、「オーロラ-光のシンフォニー」のプラネタリウムを楽しむことが出来ました。「星に一番近いプラネタリウム」と銘打ってのベネッセ・スタードームのHPがあります。多摩センター駅前のクリスマス・イルミネーションの一部が2月14日迄残される案内も載っていますので、ご覧下さい!星座は二次元で良いのですが、オーロラは三次元投影が出来るともの凄い迫力が出るのに等と想いながら、40分間のショーを楽しんで出て来ました。
2004.01.13
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東京郊外の多摩市にある多摩センター駅前には、例年の如くクリスマスイルミネーションが飾られています。全国何処でもそうでしょうが、宗教色は無く、完全に装飾的な飾り付けで家族で楽しめる様になっています。駅前には200メートル以上続く広い遊歩道があり、歩いて行きますと多摩パルテノンと呼ばれるステンレス製の柱建造物が小高い公園に建てられていますが其処へのアプローチ階段に達します。両脇にはホテル、デパートがあり、脇道からはサンリオピューロランドに車道を通らずに行くことが出来ます。遊歩道には大きな楠の並木がありますので、其処に電飾を施してイルミネーションし、遊歩道中央には樅の木のクリスマスツリーが仕立てられていますので、郊外としまして大きなイルミネーションだと言われています。午後4時半から午後11時までが点灯時間ですので、午後6時半頃出掛けて見ました。若い人達、家族連れが多く見物に来ていまして賑やかでした。昼間、多摩パルテノンから見る駅前遊歩道ですが、イルミネーションが施されるとどの様に変わるのでしょうか。 暗い中、三脚無しでしたので、上手く撮影出来ませんでしたがイルミネーションの様子をご覧下さい。
2003.12.14
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その店の名前は「キッシュ・シュ」、名前の通りフランス・アルザス地方の家庭料理キッシュのお店でした。硬すぎず、柔らかすぎず絶妙の6種類キッシュ(ほうれん草、ジャガイモ、松の実、茸、カボチャ、トマトをベースにしたものだと記憶しています)がありましたが、どれもお勧めでした。ランチメニューは二種類のセットから選べ、必ずキッシュがつくのですが、何のキッシュがつくかはお楽しみでした。二人で行っても違うキッシュが出されました。お腹がそれ程空いていない時は、キッシュと珈琲でも十分でした。東京多摩市にあった小さいお店で、オーナーシェフはスペインとのハーフとも見える美人女性、テーブルは四つ程で、店内の壁には、ストラスブール大聖堂の複製画、古いフランスのエッチングが掛かっている家庭的雰囲気の漂う素晴らしい店でした。残念ながら2003年10月28日に閉店となってしまいました。1992年以来12年間続け、美味しいキッシュに魅せられた固定客も多く、営業不振とも思われなかったのです。閉店間際の10月下旬にランチに行きました際に、不躾ながら閉店理由を伺って見ました所、何でも、母親が老齢になり引き取って世話をすることになり、店が続けられないとのことでした。高齢者を抱える家庭の事情とは言え、良いお店だったので残念です!家の中が一段落して落ち着いたら、店は出来ないけれどもインターネットでキッシュ販売をしたいと言っておられましたので、それ以来時々「キッシュ・シュ」として検索をしていますが見つかりません。閉店から一ヶ月半では、家の中も未だ忙しくキッシュ販売は未だなのかと寂しくなりますが、あの美味しいキッシュが又食することが出来る様に期待して待とうと思っています。
2003.12.11
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我が家から歩いて3分程の所に、多摩ニュータウン開発で伐採を免れた樹齢600年の椎の古木があります。多摩ニュータウンは都民に住み良い住宅地を供給しようとの意図で、1970年頃から郊外にある多摩丘陵地帯を宅地造成し、人口30万人を目指して開発が始まりました。多摩丘陵の土壌は粘土質が多く耕作地帯としては不向きであり、冬は内陸性気候で寒風吹きすさぶ所で、広い野原は秋には一面のススキが原に変身し、雑木林の多い坂道の多い土地柄でしたので、住宅地への転用は良い企画の様でした。丘陵を削り、沢を埋めて平坦な宅地を確保する為の大規模な土木工事が行われましたので、現在であれば自然破壊を伴う乱開発として大きく問題されると思います。後年1994年には宮崎駿のアニメ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」で問題提起されましたが、その頃は経済発展が優先される時代でした。落合郷平久保地区の「平久保の椎」は丘陵の一番高い所に聳えていた高さ25mの巨木で、小さな社が祭られている多摩の象徴的な木でした。東京都では、指定樹木として伐採しないことに決めました。多摩ニュータウン開発が活発であった1983年3月にNHKで「多摩ニュータウン」が放映され、この「平久保の椎」を紹介、付近の子供達が木登りをしたり、周囲で遊んでいる様子が報告されていたのです。開発がほぼ終了した現在、「平久保の椎」は住宅地に囲まれた小さな公園の一角にひっそりと佇んでいます。アスファルトで舗装された道路で囲まれた公園には、子供の遊ぶ姿はありません。その古今の比較を6月1日のNHKアーカイブスで放映されましたが、将に夢の跡の様でした。ニュータウン開発は核家族の住居を原則としているので、子供が大きくなると家を出て戻ることがありません。孫も同居して、親となった子供と遊ぶという姿は見られないのです。当初計画した人口30万人は目標の半分ほどで頓挫し、子供達の転出と共に人口激減、平均年齢の急上昇という形で、この地区を襲って来つつあります。幼稚園・小学校・中学校・高校と次々に閉鎖されることになりました。これらの公共施設は将来老人向け施設に生まれ変わると言われて来ましたが、そんな気配も無く不気味な無人建物となりました。入居の早かった地域では、老人ばかりの住居となり逝去すると住む人のいない住居が増えるだけで、一部にはスラム化していると言われる様になりました。日本の住宅政策は持続可能なシステムになっておらず、住居も社会インフラも一回限りの使い捨てシステムでした。「平久保の椎」は1970年から怒濤の様に多数の人が押し寄せ、嵐が過ぎた様に人が激減様子を、黙って静かに見つめているようです。
2003.06.08
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東京郊外の多摩丘陵地帯に開発された多摩ニュータウンは都市計画によって展開された住宅地が広がっています。各丘陵の丘の上は個性を持った団地群が点在し、沢部分には自動車道が設置されています。自動車をまたぐ部分には広い遊歩道橋が設けられていますので、自動車道に出ることなく遊歩道で点在する団地群に行くことができます。遊歩道には桜並木、花水木並木、コブシ並木などが植栽されていますので、時期に応じて散歩のルートを変えることも楽しみの一つとなります。 桜も既に葉桜となりましたが、花水木が咲き出しましたので天気の良い午後の散歩を楽しみました。自動車交通も無いのでゆっくりと花を愛でることが出来ました。もう既に、各所にある躑躅の散歩道は花が咲き出していました。春爛漫の時期となりました。
2003.04.22
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