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暖かい土地にあります熱海梅園は、他の梅園より早く咲くことで知られていますが、今冬の寒さは厳しいものがあったらしく、3月初旬になって見頃となった様です。熱海梅園は東海道線熱海駅の次にある来宮駅から近く、沢の川沿いに造園された小さな梅園で、梅は約700本余とそれ程多くありませんが、種類は多種多様で、時期により珍しい梅の花も見ることが出来る様です。訪問しましたのは3月6日でしたが、晴れたり雨が降ったりで天気変化も激しく、風も強く吹いている日でした。園内散策中に紅白の花弁が混じっている梅を見つけました。おそらく遅咲きの種類として知られる「思いのまま」だったと思います。昔は会社の保養所で西山寮があったので、良く研修にも利用する為に来た覚えもあったのですが、今では所在も含めて遠い記憶の彼方となりました。園内には中山晋平記念館・韓国庭園等もあり変化に富んでいますが、やはり見所は梅の古木、今週末は全て満開となる気がしています。
2006.03.11
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昨日は絶好の好天で気温も上がり、4月の陽気となりました。人と会う約束を桜木町駅で午後1時半にしましたので、コートも着ずジャケットだけで出掛けましたが、吹く風を暖かく気持ち感じられました。桜木町駅を降りたのは4年振りかも知れません。以前は東横線の終点でもあり、JR京浜東北線の駅でもあったことから、駅前は観光客・ビジネスマンで混雑していたのですが、東横線が桜木町駅を閉鎖し、「みなとみらい」から「横浜中華街」方面への地下路線としたことで、観光客がいなくなり、大きな駅前の広場は閑散としていました。「みなとみらい」地区には、ホテル・国際展示場、コンサートホール等が集中していますので、人の流れは東横線「みなとみらい」駅の方に替わってしまっている様でした。出会う約束をした人が車で来ていましたので、「みなとみらい」地区から赤煉瓦街を抜けて、大桟橋に行ってみました。大桟橋は大型豪華客船が停泊出来る様に造られた桟橋で、ウッドデッキの散歩道があり、その下部内部にはホール、カフェテリア、店舗などが整備されていて、湾内クルーズの出航ポイントにもなっていますので、多くの人が散歩道にある展望台から碇泊している客船、ベイブリッジ、山下公園を見渡していました。大桟橋のメイン観光は、豪華客船「飛鳥2」(日本郵船の客船、5万トン)の碇泊風景なのだと思われます。昨日は残念ながら碇泊しておりませんでしたが、替わりに「ふじ丸」(商船三井の客船、2万3千トン)が碇泊していました。遠くに見える「氷川丸」は第2次世界大戦前に活躍した1万トンの客船でしたが、やはり貨客混合船だった様で、それが一寸みすぼらしく見えてしまう程、現在のクルーズ観光船の球状船首が付いた高速船型・装備が素晴らしく見えました。
2006.03.09
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昨日は長年働いていた会社の設計部OB会がありましたので、江東区豊洲に行って来ました。千代田区大手町から豊洲に移転した本社ビルが完成し、25階建ての偉容を誇っていましたが、生憎の土曜日で人の賑わいはありませんでしたのは少し残念なことでした。豊洲地区は中型造船・蒸気タービン・ターボ機械の生産拠点となっていたのですが、湾岸の宅地の波が押し寄せましたので、振動・騒音の弊害もあって生産拠点を他府県に移し、設計・研究開発と管理部門の事務所となっていましたので、本社ビル移転は当然の帰結だったのかも知れません。OB会は5階建ての旧事務所ビルで行われたのですが、その内外は、週末を生かしての本社ビル移転作業で業者が多数入って騒乱状態でもありました。OB会を途中で抜け出し、本社ビルを見つつ散歩してみましたが、往時あった生協も無くなり、スッキリとしたオフィス街に変貌していました。芝浦工大も敷地内に呼び寄せ、外食産業店舗も整備されつつありますので、学生街の創成も視野に入れている様でした。昔は仕事を終えた工員さんの多くが、生協の一杯飲み屋でおだを挙げていたのにと思いつつ、月島までトニオクレーゲル的徘徊となりました。それにしましても、東京ベイエリア(湾岸地区)の開発状況は凄まじいものがあります、陸の孤島といわれた豊洲交差点付近にも、高層の事務所ビル・住居ビルが林立しています。都心回帰と言われる状況は、何時まで続くのかは分かりませんが、今は回帰ポテンシャル真っ只中にある様です。豊洲と月島を隔てる春海橋から見た本社ビル、右側に見えますのが敷地内に建てた事務所貸しビル2棟で、NTTデータ等がテナントとして入っています。造船所跡にはクレーンが入って、工場建家が壊され更地と化していました。大学誘致も含め、不動産業展開も重要な企業活動の一環となっている様です。月島も不動産バブル期には、路地が纏めて地上げされる等、商店街も意気消沈していましたが、「もんじゃ焼き」ブームで活気を取り戻している様でした。その近傍も散策し、ふと思いついた知り合いを訪ねてお茶をご馳走になり、トニオクレーゲル的徘徊を終えて、帰途に着きました。
2006.03.05
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昨日はお昼頃から晴れ出しまして、気温も暖かく感じられましたので、府中市立郷土の森公園へ梅を見に行って来ました。早咲きの八重野梅、八重寒紅も満開には程遠く、中咲きの白加賀枝垂れ、唐梅、鹿児島紅、等が綻んでいる位で、全体の8割は未だ蕾のままでした。この公園では梅祭り開催中で、例年3月初旬で終わるのですが、今年の開花が例年より2~3週間遅いことから3月21日迄延長させるとのことで、今冬の寒さが影響している様でした。60種、約1,100本の梅の木を擁すると言われる梅園は、未だ雑木林の様で、一番早咲きの八重寒紅も未だ寂しい感じでした。その中でも満開の梅が一本だけありました。八重野梅の大木で写真家達も被写体がそれしか見つからない様で、其処に集まっていました。馥郁とした梅の香を楽しむには、後10日は必要の様です。
2006.02.23
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長崎空港から大波止迄はオランダ坂トンネル経由の高速バスを使いますと、35分ほどで行くことが出来ます。随分速くなったものです。五島航路の高速船出航までは3時間ありますので、一寸散歩をしてみることにしました。大波止から坂を上がって長崎県庁を通り過ぎ、築町商店街を歩いていましたら、ある店の前に大きな椿の鉢植えが置いてありました。良く見ましたら、何と幻の椿と言われる「玉之浦」が咲いていたのです。長崎はやはり暖かいのでしょうか、2月初旬にも拘わらず見事に咲いていますので、接写モードで撮影してみました。真紅の花弁、黄色い雄蕊、白い縁取りと色の対比が見事で、やはり椿の中では 一番美しいと言われるのも頷けます。長崎県五島列島の福江島西端玉之浦で発見された薮椿の突然変異種で、インターネットでは次の様に紹介されています。幻の椿「玉之浦」は、ヤブツバキの一種で真紅の花びらの先に真っ白な縁取りの清楚な一重の花をつける椿、開花期2月頃で、花の大きさは5cm前後です。「玉の浦」は、1946年に長崎県五島列島の玉之浦町の山中で発見された品種で、五島列島に自生する藪椿の突然変異によるものだと言われています。椿の突然変異による変種の出現確率は数万本に1本とされ、これの発見自体が幸運であったと伝えられています。1973年、長崎市で開催された全国ツバキ展で出品されたのを契機に全国的に広まり、日本を代表する椿とされる様になりました。今朝我が家の「玉之浦」鉢植えを見てみますと、未だ硬い蕾のまま、寒風吹きすさぶ多摩丘陵ですから、春は遠い様で、咲くのは3月末だと思います。
2006.02.15
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2月9日午前10時15分発長崎行きの飛行機に乗りましたら、富士山がよく見えました。高度1万メートルの上空からですから、山頂の火口も含めて全体がよく見えます。山頂の冠雪は思ったより少なく、東山麓と南麓には積雪が厚く下までよく延びていますが、北麓・西山麓では積雪が薄くて随分少ないことが分かります。上部に見えるのは愛鷹山から駿河湾田子の浦(静岡県富士市付近)、左には伊豆半島が薄く見えて戸田もあの辺りかと窺うことも出来ました。富士市付近は昔から富士山を見る絶景ポイントとして知られていますが、1960年代には製紙工場から流れ出るヘドロで公害の海にもなりました。環境対策推進で一見昔の海に戻った気もしますが、近頃話題にもならなくなったこともあり真相は分かりません。富士を眺めるには寒い季節ですが、空気の澄み切った今が一番良い時期かも知れません。「田子の浦ゆ打ち出てみれば、真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」
2006.02.14
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先日、府中郷土の森公園の無料駐車場に車を置いて、多摩川の土手を歩いて見ました。其処の土手道は舗装されていますので、車の往来も無くサイクリングロードとしても最適なので沢山の人がサイクリングを楽しんでいました。土手を下りた川岸にはのんびりと釣り糸を垂れている人達もいましたが、鯉でも狙っているのでしょうか。一時は川の水が汚れ、鯉しか住めなかったのですが、この頃は浄化が進み鮎も戻って来たのでハヤとかオイカワの類かも知れません。郷土の森公園は鎌倉街道に掛かる関戸橋と府中街道に掛かる是政橋の丁度中間に位置して、どちらに行っても片道2kmぐらいの散歩になります。是政橋は稲城市大丸と府中市是政を結び、稲城市側では川崎街道と交わりますので交通量が極めて多く、片側1車線しかありませんので何時も渋滞しています。1971年に掛けられた鉄筋コンクリート橋も古くなり、拡張工事が行われ1998年には完成して中央部に高い鉄塔を持つ斜張橋となりました。新しい是政橋は橋脚と斜張り鋼索ロープの橋桁併用構造ですので、鉄塔はそれ程大きな重量を支えない為か思ったより細いものでした。これで道路巾が2倍となりましたので、上下線どちらかの車道が2車線になると思ったのですが、拡がった部分は全て歩道となりました。近頃は車より歩行者優先の考えが主流となっていますが、混雑する車道と閑散とした歩道が同じ巾になっているのを見ますと奇異な感じもします。住民の要望があってこの様な仕様になったのでしょうが、過剰な歩道仕様となっている様に思えました。
2005.11.27
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大菩薩峠に近い上日川峠から上日川ダム湖に至る山道には、落葉松林が多く黄葉の時期を迎えていました。将に全山黄葉で、細かい落ち葉がハラハラと音もなく散って来て、山道は落ちた落葉松の細かい落葉で覆われて茶色の絨毯となっていました。特に上日川ダム湖が下に見える辺りでは、蒼空と青い湖面に黄色から茶色に変わりつつある落葉松の黄葉が見事でした。秋一瞬の景色に感嘆です。落葉松と言えば北原白秋の詩が良く知られています。落葉松の 林を過ぎて、 落葉松を しみじみと見き落葉松は 寂しかりけり旅行くは 寂しかりけり落葉松の 林を出でて落葉松の 林に入りぬ落葉松の 林に入りてまた細く 道は続けり落葉松の 林の道は我のみか 人も通いぬ細々と 通う道なりさびさびと 急ぐ道なりこの情景は、軽井沢の高原に散在する落葉松林を謡ったものでしょう。それでも全山落葉松林で全て黄葉となりますと、秋特有の寂しさを通り越えて秋一瞬の豪華な燦煌を感じてしまいます。落葉松の天然林は富士山や日光、浅間山、八ヶ岳などの本州中部から北部によく見られます。 又、落葉松は高冷地でも成長が早い為、国が植林を推奨し、北海道等の各地にも植えられました。材質は重硬で、耐久性・耐湿性に優れているのですが、割れやすい欠点があって建築材には適さないと言われています。見事な黄葉も使い道の無いまま、伐採もされずに放置された結果だと思いますと、その豪華さを齎している林業の衰退状況が悲しく、「しみじみと寂しかりけり」と悲しくなってしまいます。
2005.11.09
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先日、国立市谷保付近を散歩しましたら、移築され公開されている古民家の庭先に鯰(なまず)を彫った石碑が置かれていました。古民家のWebサイトはこちらです鯰の上部には賛も彫られていて、「玄妙腹白」、即ち「妙に躰は黒い(玄い)が腹は白い」と言う意味らしく、何か大変面白く感じたのです。近頃は、見かけの良さが人格を表しその心情も反映させていると見る傾向がある様にも思うのですが、実際には腹の黒い人達が多い感じもしないではありません。「白妙腹黒」とでも言うのでしょうか。人間の本来あるべき姿とはそんなもので無く、「帰りなんいざ、田園将に荒れなんとす」と欲得を超越し、「玄妙腹白」とありたいものです。鯰(なまず)を「玄妙腹白」としたのは作家の山口瞳さんかも知れません山口瞳氏は晩年を国立市谷保で過ごし、相当此の土地に愛着があった様で、谷保天神境内には文学記念碑も建てられています。この近辺には「ハケ」と呼ばれる断崖船「国分寺崖線」が走っていて、湧き水も豊富で矢川や野川となって流れ出していて、水清らかな里なのですから都会でも自然との共生も出来る様な気もしますので、その様な土地を愛するのも無理からぬことです。清流に鯰が今でも住んでいるのか否かは分かりませんが・・鯰(なまず)は身体が細長く円筒扁平で、頭部は大きく平たい。眼は小さく、口は大きくてウロコはない。口辺に二対長短のヒゲがある。体色は暗褐色で、不規則な斑紋がある。体色が灰紫色で腹側が白色のビワコオオナマズ、もっと体色が黒いイワトコナマズもあり、三種のうちでイワトコナマズが一番美味されている。北海道も含め、全国の河川、湖沼、水田、用水の砂泥底にすむ。市場にはイワトコが随時入荷するだけであるが、地方によっては鯰料理を専門とする所がある。また郷土料理店で利用されると思われるが、冬から早春にかけてが旬で、味は淡泊で、煮付、天麩羅、蒲焼、鍋物、椀種、吸い物としてうまいものである。東京多摩川辺の登戸には江戸時代からの旅籠「柏屋」があり、明治の末には料理屋を兼ねるようになり、行楽客に鯰料理などが喜ばれたと言う話で今でも残っている様です。京都・琵琶湖周辺にも古くから鯰料理を供する店があって、俳人芭蕉も「木のもとに汁も鯰も桜かな」との俳句を残しています。現在では埼玉県吉川市が鯰料理を始めとする川魚料理を出してくれることで知られています。アメリカニューオルリーンズ市は、シーフードが美味しい都市として有名ですが、鯰のフライがあり白身の柔らかい魚肉が大変美味だとして知られています。どうも、世界各地で鯰は食べられている様です。それにしても「玄妙腹白」とは良い命名ですが、山口瞳オリジナルなのか借り物なのかは判然としません。
2005.11.06
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大きな岩が砕けて小さな石になっても、小さな石が巌のように大きくなる訳が無いと考えるのが普通ですが、現実にさざれ石は存在しています。東京周辺では、ハイキングコースとして人気の石老山には「さざれ石」が沢山あることで知られています。中腹にある顕鏡寺の境内から奥の院迄、名前の付いた奇岩が幾つも続き、最後が展望台ともなっている巨大な八方岩です。この辺りの岩は、小さい小石・礫が集まった岩、「さざれ石」となっています。「さざれ石」は、石灰石が長い年月の間に、雨水で溶解され、その時に生じた粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)が次第に小石を凝結して、だんだん巨石となり、河川の浸食作用により地表に露出したものと言われています。数年前にハイキングコースに転がっていたのを持ち帰った「さざれ石」です。北側の湿った所に置いて置きましたら、苔も生えて来た様です。何かコンクリートの建設廃材・産業廃棄物にも見えますし、実際に小石・礫は母岩から剥離し易く、鉱物学的にどの程度価値があるのかは判然としません。日本国歌である「君が代」にも唄われていることで、さざれ石の大岩は各地の神社に祭られている例が多い様で、インターネット検索してみますと下記の記述がありました。「さざれ石」というのは元来「細石」と書き、小さな石のことであり、石質は各地様々で外観上小さな石の隙間が炭酸カルシュウムや水酸化鉄等で埋められ固化した石を一般に「さざれ石」と呼んでいるようである。滋賀県で有名なさざれ石は「姉川さざれ石」で、岩質は砂岩・泥岩・頁岩・粘板岩・チャートのホルンフエルス(Hornfels:接触変成岩)や玄武岩・マンガンノジュール等からなるさざれ石で、色は黒色のものが殆どである。これに対し、京都の「さざれ石」はチャートの角礫岩、春日村のものは灰白色の石灰角礫岩と、岩質は全く異なったものである。米国では石灰角礫岩をトウファ(Tufa)と呼んでいる。岡神社には春日村の「さざれ石」と全く同じ石灰角礫岩が露頭に見られ、石垣にも多数用いられており、現在では、観察することすら難しいさざれ石の宝庫となっている。流水による運搬浸食でできる円礫と違って、角礫は崖下等で岩が崩壊し壊れたままのもので、 どうして岡神社に角礫さざれ石があるのか大きな謎である。
2005.11.04
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10月28日は久しぶりに晴天となりましたので、薄く冠雪を被った富士山を見に行きました。中央高速の大月ICから河口湖線を経由して東富士自動車道に入る頃、一瞬美しい全容を見せてくれた富士も、その後は山頂が時々雲間に見えるだけとなってしまいました。忍野八海を散策しながら富士山が再び姿を現すのを待ちましたが、付近の雲は厚さを増すばかりで一向に好転する気配がありません。午後になってしまいますと、其処から見える富士の東山麓は日陰となり魅力半減になってしまいますので、仕方無く山名湖から道志道を通って帰ることにしました。山中湖ビューポイントからも同じで富士の存在は雲の中に隠れていましたので、逆方向にカメラを向けてみました。湖畔は標高1000mの高原ですので平地より深まる秋は早く、道路際に植えられた灌木のドウダン躑躅は既に真っ赤に紅葉していますし、森の木々も色とりどりに映えて錦秋となっていました。道志道では「道志 道の駅」で休憩、近頃健康野菜として話題となっている「ヤーコン」が売られていましたので購入しました。道志道を津久井湖まで下る途中、昨年訪れた「久保の吊り橋」では、車を停めて、揺れる吊り橋を渡って対岸のハイキングコースに行ってみましたが、誰も人影が見えませんでしたので、早々に引き返し、橋袂の直売所で勧められるままに、タマネギ、地味噌等を買って、帰ることとなりました。昨年の「久保の吊り橋」訪問日記はこちらです帰るに従って天気が良くなり、帰り着く頃には快晴、普段の心掛けの悪さを痛感してしまいました。
2005.10.31
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今日は午前中、神田小川町に行く用事がありました。用事を終えたのは11時10分頃、折角ですから小川町から昔よく歩いた駿河台下から神保町まで散歩してみることにしたのですが、駿河台下交差点で三省堂ビルを見ていましたら、別に神保町界隈の古本屋で探す書籍も無いことから、日和ってしまい行くのを止めにして其処から明大通りの坂を御茶ノ水駅まで北上してしました。昔古ぼけていた明治大学本部も高層ビルに変わっていますし、このゴミゴミと見えた界隈は再開発が成功したのか、高層ビルが目立ち、昔の学生街の雰囲気から変貌してしまいました。この近辺にはカザルスホールもあり、昔から楽器の音が聞こえる界隈と知られていましたが、楽器店の多いのには驚きました。しかも殆どがギター楽器を扱っています。その内の一店の正面ウィンドーに「音来(にらい)」3万8000円、2004年製4万7500円を値引きと小さく奇妙なギターが陳列されていました。「音来(にらい)」は沖縄の音楽バンドBEGINが考えたギターと三線を融合させた楽器「一五一会」廉価版で、その発想をカタチにしたのが老舗の国産ギターメーカーである「矢入ギター」として知られています。 元来開発された「一五一会」ベーシックギターは11万円はしますので、「音来(にらい)」は素人にはお買い得品でしょう。携帯性でギターに優り、指1本で押さえれば誰でも30分で弾くことが出来るというこの楽器、けっこう売れていて注文してもスグには手に入らない様ですので、掘り出し物とも思いましたが、財布をみると2万数千円しかありませんので買うのは諦めました。カザルスホールは1987年「主婦の友」社が室内楽専用ホールとして開設したのですが、赤字続きで半分閉鎖状態となり、2002年に日本大学に売却して現在に至っています。カザルスホールのWebサイトはこちらです音来(にらい)は楽天市場でも税込み45000円で売られている様です街中をウィンドショッピングするのも愉しいことです。次回は古本屋街にも足を延ばしてみたいと思っています。
2005.10.25
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昨日は、中央線「阿佐ヶ谷」駅の北側にある河北病院に行く用事がありました。この界隈を歩くのは実に48年振りのことになりますが、昔から住宅密集地だったこともあり、何とは無しに昔の面影が残っていました。道路沿いには小さな商店が立ち並び、未だ喫茶店も残っており、古本屋も所々にありましたし、あまつさえ昔ながらの質屋の看板等も散見出来ました。何か「昭和の時代」に引き込まれる雰囲気もあり、住みやすい環境を感じてしまいました。用事も済みましたので、高校時代を思い出すべく阿佐ヶ谷駅から青梅街道の杉並区役所、杉並高校、荻窪団地から善福寺川に沿って荻窪駅まで歩いてみることにしました。阿佐ヶ谷駅から青梅街道に抜ける中杉街道は、ケヤキ並木が驚く程大きくなり樹木トンネルと化していました。昔日は中央線が地上を走っていて、中杉街道は阿佐ヶ谷駅で止まっておりましたので、それ程交通量は多くなかった様に覚えていますが、中央線が高架となり「開かずの踏切」が無くなったことで、道が狭く見える程の交通量となりました。青梅街道から杉並高校、荻窪団地あたりは道路が少し広くなった感じがしましたが、道路際を流れていた小川が暗渠になって姿を消したことからだろうと思われます。荻窪団地はすっかり古くなり良く見ると空き室が目立ちますが、もう立て替え計画が進行中で、住民の方々が一時避難をせざるを得ず、此処では「昭和の時代」が終焉を迎えているのかと想像してしまいました。善福寺川に沿って、住宅街を歩きながら天沼橋南まで北上し、左折して青梅街道・中央線に沿って歩き荻窪駅に到着しました。トニオ・クレーゲルが生まれ故郷を徘徊する場面を彷彿とさせてくれ、少し感傷的なセンチメンタル・プロムナードが出来た、秋晴れで気持ちの良い一日でした。トニオ・クレーゲルを紹介するWebサイトはこちらです!「トニオ・クレーゲル」はトーマス・マン28才の作品で自伝的要素が強いとされています。ナチス・ドイツの台頭に際して距離を置き、1942年にはアメリカ亡命となりました。トーマス・マンは戦後の講演の中で、彫刻家リーメンシュナイダーを賞賛しています。彼は健全な芸術を愛する人でした!
2005.10.22
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一昨日、柿の木があったお宅で木瓜の実を三つ頂きました。そのお宅の門近くにあった木の枝に黄緑色の実がなっていましたので、「カリン」では無いかと話していましたら、その家の方が「木瓜の実」だと言うのです。そう言えば、カリンより一寸小振りだったかも知れません。「焼酎に漬け込むと、喉の痛みや疲労回復の薬になるので、差し上げましょうか?」と言うので有り難く、頂戴することにしたのです。自宅に帰って計量しますと200g、インターネットで木瓜酒のレシピを調べてみましたら、「木瓜500g、白砂糖200g、ホワイトリカー1.8リットル」とありますので、小瓶のホワイトリカーを買って来て仕込むことにしました。1.木瓜の実は、良く洗い少し傷んだ個所を取り除いて、輪切りにしました。2.中の種は、適当に実を振って落ちるもの落として、瓶に入れました。3.目分量で、砂糖100g程度、焼酎を一杯になる迄入れて、封をしました。4.完成には約5ヶ月と言うので、ラップで覆い、日付して完成です。昨日、1日経ちましたら、白かった果肉もアルコールが染み込んで半透明の黄色に変化していました。名前の由来は、ボケの実の形が瓜に似ていることから「木瓜」となり、モッケ~モケ~ボケに変わったとの説が定説です。木瓜の文様は、「もっこう」と呼ばれ「木瓜」の字を当てて古くから日本人に親しまれてきました。めでたい紋とされ、織田信長を代表に、家紋とした武家は多く知られています。秋には木瓜の実が黄色く熟し、甘い香りがするようになります。まだ完全に熟す前の青い実を長時間、酒に漬けて『木瓜酒』を作ります。この薬酒は、疲労回復や暑気あたりに良いとされています。また、実をつける木瓜は一重の花であるものがほとんどです。薬膳酒ですので、あまり美味しく無いとのことですが、人の好意から生まれた木瓜酒、5ヶ月後を楽しみに待つことに致します。
2005.10.17
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東京府中市にある「郷土の森博物館」には半地下式の大きなプラネタリウムがあります。五藤光学製GL型投影機が設置されたプラネタリウムのドームは大きくて天井も高い為、投影された星空は迫力があり素晴らしく、直径23mはフラットドーム型としては東洋一(近頃聞かない言葉ですが・・)の大きさを誇るとされています。五藤光学製GL型投影機ですプラネタリウム投影番組は毎日行われており、収容定員は300名あるとされていますが、何時も空いていますので好きな席が思いのままです。鑑賞券は「郷土の森博物館」入場料込みで700円、番組は前半に府中「郷土の森博物館」周辺の「当日の星空」について星座の見た方・その由来など30分程生解説、後半が季節毎の30分オート番組となり、およそ1時間星空を楽しむことが出来ます。「当日の星空」では今夜見える星座の由来の他に、接近する火星、今月末の部分月食、今年は流星群不作の年、等タイムリーな解説がされますので、夜空を見上げてみようかと言う気にもなります。この秋(9月末から12月迄)のオート番組は、“黄道12宮と占星術”となっていましたが、占星術の知識が無い者にも分かり易く解説されていました。占星術が天動説で名高いプトレマイオスによって、確立されたことも初めて知りました。
2005.10.14
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この手の平半分程の大きさの石、先日高麗の巾着田に行った時、高麗川の川辺で昼食を取った際に拾って来たものです。紅簾(れん)片岩と言う種類の変成岩の一種で、河原には大きなものから小さなもの迄幾らでもありましたので、その一つを失敬して頂戴して来たのです。今朝写真を撮ったのですが、曇天で暗く、又石が昨夜来の雨に濡れていましたので、随分赤く赤く撮れてしまいました。白い筋に見えるのは石英片岩ですが、通常はもう少しピンク色に近いのです。関東地域では、大きな紅簾片岩が「秩父赤石」として庭石に利用されて来ました。それは、珪質堆積岩を原岩とする紅簾石を含む赤色の変成岩で、石英、絹雲母を含んでいることから、ピンク色、真紅色等、季節・時間などによって変化する表情を見せます。国指定の名勝・天然記念物となっている変成岩の河岸段丘である岩畳で知られる長瀞では、その殆どが緑色の緑泥片岩で、次に見られるのが灰色の絹雲母片岩、赤色の紅簾片岩はあまり無い様です。しかしそれでも、赤色の巨大な岩石は秩父長瀞地区にあり「秩父赤壁」と称される大きな岩壁はその一例です。但し、変成岩の通例として紅簾石、石英、雲母等が層状になっていますので、それ程強固な岩石ではありませんが、変成岩特有の艶が石の風格を増して好まれるのだろうと思います。高麗川も奥秩父に源を発する川ですので、多数流れて来るのでしょうが、長瀞で見られる緑泥片岩はあまり見かけませんでした。一寸した地域の違いで造成の違いが生じる様です。しかし、名勝地区長瀞では、一切の石の持ち帰りは全面禁止ですので、もしかしましたら、高麗川でも禁止だったのかも知れません。私が最初に長瀞に行きましたのは50年以上前、1954年秋の中学校遠足の時でした。その頃は未だ岩石採集は禁止されておらず、理科の先生が「遠足にはハンマーを持って行くこと」と言ったので、リュックに数個づつ採集した石を入れて帰りました。翌日の理科の時間には、各自が持ち帰った石を鑑定して貰ったのですが、殆どが緑泥片岩、絹雲母片岩で、紅簾(れん)片岩は無かった様に覚えています。過ぎし日の遠き思い出や!
2005.10.09
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巾着田に行く途中、多くのテント出店がありました。野菜、切り花、花の鉢植え・苗、各種色の曼珠沙華、鮎の丸焼き、等色々で、在住の農家の人達が自分の畑・里山・高麗川などで得たものをテントに並べて売っていたのです。観光地と化したこうした出店は、一見の客相手の為か通常思ったより品質も良くなく、値段も直売の割には高いと思って、あまり買うことはありません。ところが、栗の袋が置いてあるテーブルを何の気無しに覗いていましたら、栗の表皮がつやつやと輝いていて、立派に見えたのです。栗は注意しませんと、未だ熟していない状態で摘果し、そのまま数日間置いておき、表皮が栗色になったものを袋詰めにしたものが良く見かけます。小さな栗「山栗」が一袋600円、粒の大きな「丹波栗」が700円、中位の粒ですが表皮色の濃い「利平栗」が800円とのことでした。普通の直売所では普通一袋500円で売られているのが一般的ですから、やはり高めの値段だと思いました。最初は「山栗」にしようかと思ったのですが、丸く艶やかに見える「利平栗」は聞いたことも無く、店の人に聞いて見ますと甘くて美味しいとのことでしたので、「利平栗」を一袋買うことにしました。インターネットでは次の様に紹介されていました。利平栗とは、天津甘栗系品種と従来の山栗の交配により育成した品種で、山形県でも今から30年ほど前に盛んに栽培されていた「栗の王様」だそうです。形は球形に近く、丸みを帯びていて、皮の色は他の品種に比べると黒いのが特徴です。味も、甘みが強く、中の実の色はとても黄色い色をしています。茹でて食べるとき、渋皮も取れやすく、とても魅力的な品種です。ところが、生産性が悪いために収穫量が少なく、近年ではあまり作られなくなりました。ほんの僅かしか手に入らず、本当に「幻の栗」になりつつあります。この様な栗は、本当は焼き栗にして食べるのが一番美味しいと思いますし、堅牢なダッチオーブンでもあれば調理法も危険も無いのでしょうが、我が家にはありませんので、仕方なく通常の茹で栗にして食べてみました。渋皮が取れやすいとは思えませんので、包丁で二つに割き、スプーンで掬って食べましたが、ほくほくとした食感の美味しい栗でした。これでモンブランを造ったらさぞ美味しいケーキが出来るだろうと想像出来る程でした。
2005.10.02
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この9月から「里山歩き」と言う番組がNHK教育テレビで始まりました。2回まで放映されましたが、私がよく歩く多摩丘陵が選ばれていましたので、本屋に行き、NHK趣味悠々「里山歩き」案内テキストを購入しました。それに依りますと、番組は全部で8回シリーズ、10月には終了になるとのことです。全てが首都圏周辺での里山のみですが、各シリーズ毎にテキストでは全国各地の里山も紹介されていますし、里山歩きの注意点も解説されていて参考になりそうです。第2回目は町田市野津田公園から小野路を経て万松寺谷戸に入り、小山田緑地に至るルートでした。これから行かれる方は、テキストの他、私の過去の日記(下記)も参照頂ければ と思います。小野路散歩-町田での棚田風景万松寺谷戸-歴史環境保全地域の問題点小町井戸-小野路城趾満開の蕎麦畑-小山田緑地ルリタテハ-小山田緑地
2005.09.21
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都立公園「小山田緑地」は可成り武蔵野の自然が色濃く残されて、園内には国蝶“オオムラサキ”の自生地も確保されています。一昨日行きました時は、“アオサギ”がひっそりとした木陰の池に見え、“ヤマカガシ”と言う蛇(毒が喉の奥にあり深く噛まれると危険とされています)も散歩道にいましたし、色鮮やかな赤トンボ、種々の蝶も飛んでいました。その上、非常に攻撃的で危険だとされる蜂の代表格“黄色スズメバチ”も見かけました。園内には甘い蜜を出す椚(くぬぎ)の林もあり、スズメバチはそれを吸いに来る様で“蜂に注意!”の看板も複数立てられていました。そのクヌギ林から、速いスピードで蝶が飛んで来ました。最初は国蝶“オオムラサキ”とも思ったのですが、あまり大きくは無くどうも違う様でした。御影石製の飲み水場の蛇口近くに留まり、羽根を広げましたので、写真に撮ってみました。黒い羽根に白・水色の鮮やかな紋章で“ルリタテハ”だったことが分かりました。胴・羽根上部は見る角度によって緑色から青色に変化し、将にその名の通り瑠璃色に輝いていました。急いで撮りましたので少しぶれている様でした。その後、又クヌギ林に飛び帰って行きましたので、撮影しようと追い掛けていったのですが、何と“ルリタテハ”は“黄色スズメバチ”と並んで樹液を吸っていたのです。しかし、羽根を広げないと裏側の羽根しか見えず、それがクヌギの樹皮に似て地味な色だったこともあり、又スズメバチもいましたので撮影は断念してしまいました。スズメバチは一匹で樹液を吸っていましたので、近くに巣は無かくそれ程警戒する必要も無かったのでしょうが、注意するに越したことはありません。小山田緑地の案内はこちらです国蝶“オオムラサキ”は立ち入り禁止となっていますが、何時かは、其処から舞い出て来る“オオムラサキ”を見てみたいと思っています。
2005.09.18
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寺家ふるさと村は横浜市青葉区の山田谷戸にあり「横浜市民の森」の一つになっていますが、インターネットでも鶴見川沿いのホタル観察地区として紹介されていますので、「青山亭」と呼ばれる和風喫茶の「点心弁当(飲み物付き)」(税込み1575円)でランチを楽しみがてら、下見に行って来ました。点心弁当は重箱に入れられて出され、焼き魚・煮物があってなかなかの味です。量が少なく若い人達には物足りないかも知れませんが、人気があるらしく時には売り切れになることもあるそうです。食後の飲み物は抹茶を頼みましたが、上品な甘さの和菓子も付いていて一幅の茶を楽しむことが出来ました。飲み頃の良い抹茶でしたが、隣に茶室もあるのですから当然かも知れません。店員の方に「ホタル」の様子を伺った所、「源氏蛍はお終いで、来月の平家蛍待ちです。今年はそれ程出て来なかったのですが、車で見に来る人達がヘッドライトを照らして谷戸の奥まで行くので仄かなホタルの光も見えませんでした。」と訪問客のマナーの低下を嘆いていたのは残念でした。ランチの後、暑かったのですがホタルの幼虫が住みそうな清流を求めて、谷戸田の散策です。田植えが丁度終わった後らしく、日本原風景とも思われる田園風景が広がっていました。寺家ふるさと村では土地所有者が民有地を提供し、横浜市が支援し、整備を進めて来たもので、美しい緑の環境と寺家町の人々が昔から営んで来た農業生活の場を保存しています。斜面林に挟まれた谷戸には、綺麗に整備された水田が続き、体験学習田も造られて休耕田はありませんので、寺家ふるさと村の谷戸田は奥が深く静かで美しく、自然と人との程よい関わりの空間になっています。散歩道には注意看板が多く立てかけられていましたが、マナーの低下が激しいこの頃では仕方が無いのでしょう。 -ふるさとの森は、民有地を整備しているものです。 -散策路、休憩所以外のところには入らないでください。-草花や生物を捕ったりしないでください。-ゴミは持ち帰りましょう。-犬のフンは飼い主が片づけ、持ち帰ってください。更に谷戸の奥に歩いて行きますと、ごみ捨て禁止看板が相変わらずありますが、東京都町田市となっています。いつの間にか町田市に紛れ込んでしまった様です。そんなこんなで散策から戻って来ましたが、しかし結局、水田脇の用水路では濁りもあって、ホタルの幼虫が住めそうな清流は驚く程少なく、ここではホタルの乱舞は期待出来そうに無いと思わざるを得ませんでした。原風景と言っても、農業と自然保全とは相反する所がある様です。
2005.06.25
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蛍の光は幻想的な美しさで私たちを魅了してくれます。それは蛍の光が持つ「1/fゆらぎ」は、α波を刺激し、活性化させる力を持つからだとも言われています。神奈川県津久井郡城山町川尻地区は「城山ホタルの里」として知られ、近年多くの訪問者が訪れて人気を博しています。乱舞する程では無いのですが、民家近くの小川に蛍が飛び交う昔風の風情が良いのだろうと思われます。其処には「城山自然の家」があって「城山ホタル研究会」が、「穴川」、「小松川」で蛍の生息できる環境の保全と復元のため、パトロール、河川清掃、草刈などのボランティア活動をしていました。毎年、蛍の舞う季節には「ほたる案内所」を設けて訪問者への観賞案内をしていたのですが、訪問客が増えすぎて、蛍の乱獲やマナーの低下も増えて、付近住民も迷惑を感じてしまう事態にまでなってしまった様です。川尻地区は特別な保存地区ではありませんので、稲田、畑もあり、川脇の家からは排水も流される普通の生活が営まれていますので、当然かも知れません。昨晩、此処を訪問してみますと、「城山自然の家」の活動家の人達から後1週間で、「ほたるの案内所」を閉鎖する旨を告げられてしまいました。蛍の舞う場所を教えて貰って、その場所で蛍の点滅する幻想的な光を見ながら、来年はどうなるのだろうかと心配になりました。開発と自然保護の関連だけでなく、生活権も絡んで来ますと、問題は複雑になってしまい落とし所が難しい様に思います。「ほたるの案内所」が閉鎖挨拶はこちらです「城山ホタル研究会」は平成元年発足以来「ほたるの里づくり」を目標に、小松川の清掃や草刈作業、ほたるの餌となるカワニナの放流などを行いながらほたるの保護活動を行ってまいりましたが、このたび神奈川県は地域住民と行政が一緒になった地域連携型の里山保全活動を遂行、そのモデル地区第1号として「小松・城北里山を守る会」・「小松川を守る会」を発足させました。このように私たちを取り巻く状況が変わる中で、当会としてどのように小松川に関わっていくかを検討してきました。その結果、小松川に関する活動は全て「小松・城北里山を守る会」・「小松川を守る会」にお任せしようということになりました。従って当会の小松川での活動は、「ほたるのために少し静かにさせてあげよう」と云うことで、現在開設しております「ほたるの案内所」が閉鎖する6月25日をもって終わらせていただきます。
2005.06.18
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昨日紹介した万松寺谷戸の棚田を登って雑木林の坂道を抜けて行きますと小野路城跡への尾根道に合流します。一寸したハイキングをする人以外には出会う人達もなく、樹木も深いので良い森林浴を楽しむことが出来ます。しかし、近年は開発の遅れたこの地区を沢山の烏(カラス)が集まって営巣地としていますので、散策していますと頭上高くから警戒した鳴き声が響き渡りますので、春の子育て季節には襲われる危険があるかも知れません。カラスは極めて賢いので、数年前から谷戸にあった捕獲仕掛け箱には、学習効果で寄りつかなくなった結果一羽も掛かっていませんでしたので、人間に対する警戒心も強く尚更要注意です。小野路城趾と言っても鳥居と小さな社が残されているだけで城壁跡も無く、山頂の平地は陽当たりの良い雑木林と言った感じしかありませんので、丁度良い昼食場所にはなります。城趾を下りた道端に小町井戸があります。井戸と言う程の水場でもありませんが、僅かな湧き水が確認できます。昨年には無かった水溜まりの崩れを防ぐ木杭柵が設けられていましたので、少しは見栄えがする様になりました。山頂付近に枯れることの無い水源があると言うのも不思議ですが、そこに掲げられた説明板には「小野小町が悪病にかかり、ここに千日籠もり療養したところ病が治ったということから小町井戸と呼ばれるようになったと伝えられます」と書いてあります。実際に小野小町が来た訳では無い様ですが、万松寺谷戸の入口は小野路であり其処には小野篁を祭った小野神社があり、小野氏に縁の深い土地柄です。小野小町も小野道風と共にその一族だったことから、その中でも一番名高い小野小町に因んで作られた話の様ですが、何か浪漫が感じられて良いものです。
2005.05.22
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町田市には、東京都によって指定された図師小野路歴史環境保全地域があり、万松寺谷戸、神明谷戸、五反田谷戸、白山谷戸の4谷戸地区となっています。この内、万松寺谷戸が中核となっていて次の様に宣言されています。万松寺谷戸に所在する都有地において、都民の自然とのふれあい活動、里山体験活動、小中学生の環境学習等による活用を図る。また、里山体験活動等に必要な人材や資機材を提供するなどの企業等による社会貢献活動の場としての活用を促進する。上記以外の谷戸においては、人の歩くルートを定めるなどにより、人の過剰な入り込みを制限し、農業者による営農活動への障害の発生を防止する。また、貴重動植物の生息環境及び生育環境の保全を図るために、伝統的な農業技術を活用した管理を行うとともに、盗掘等を防止する対策を構ずる。また、研究者からの求めに応じて、生物多様性保全に資する研究の場としての活用を図る。しかしこの宣言によって、返って万松寺谷戸が一番荒れた状態で放置されていることが分かってしまいました。この谷戸内には20%程の都有地があって保全目的で一切の変更も許されず、その他の個人所有地もその影響を受けて、多くある棚田は栽培作物の変更も出来ない様なのです。他の谷戸では棚田体験教室もあって、ふれあい活動による水田耕作が実施されていますので、昔ながらの日本の原風景である里山風景が持続されていますが、この活動が万松寺谷戸には及んでいないのです。棚田は休耕田となったまま、数年が経過し荒れ野と化しています。それだけに蛙の鳴き声も聞こえ、トンボ、蝶等も多く飛び交ってはいるのですが・・それだけは無く、谷戸内の風致地区外では、無粋な高い鉄板塀で囲われた建設機材置き場が少なくとも二つあって、付近に異様な感じを与えています。これは歴史環境保全地域宣言で言われる「資機材を提供するなどの企業等による社会貢献活動の場」とされているらしく、住民農家も数年に亘って谷戸中央に設けられた異様な機材置き場に甚だ困っている様子です。機材置き場の美化・撤去、棚田の再生等々、宣言に沿った見直しが必要だと思うのですが、市議会議員も都議会議員も実地調査することも無く、票に結びつかない為なのか放置状態としているのが現状で、残念な限りです。
2005.05.21
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小山内裏公園は多摩丘陵一角を自然保持・都民レクリエーション目的として2004年7月に開園、公園内には多くの禁猟区が設定されています。公園敷地が町田市と八王子市に跨っている都立公園ですが、一般公募によって公園管理者が指定された初めてのケースとなっています。管理事務所(パークセンター)は谷間にあり其処から舗装道路を下がって行きますと、大田切池があります。池の片側には木製の遊歩道・展望台が整備されていますが、対岸は禁猟区になっていますので荒らされることも無く、訪問客の多い割に自然が残されています。大田切池は1985年頃、大雨時の雨水を一時貯水するように設けられた調整池ですので、古くからある自然のものではありません。公園の開園に伴い、「大田切池」と名付けられましたのは、「大田川が切れるところ」という意味からだった様です。枯れた杉木立は、元々川岸にあった木立が、池造成で枯れ木立となり、上高地の大正池の様な印象的な景観を形作っています。池畔の案内板には、飛来する各種の鳥、セキレイ、カワセミ等が絵入りで表示され、青大将、ヤマカガシ等の蛇も出没すると、これ又絵入りで説明されており、貴重な動物や植物の宝庫となっている様です。
2005.05.08
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昨日(4月30日)は東京都町田市の町田えびね苑に電話した所、エビネが見頃だと言うことなので出掛けてみました。このえびね苑はエビネの開花時期二週間程しか開園せず、その他は植生の保護を優先する珍しい植物園です。暗い林床に適するエビネが10万株植えられています。昨日は暑い日差しを遮ってくれる杉・檜木立の中が気持ち良く、木陰にあるエビネは将に見頃で、一年振りに群生するエビネに感動致しました。黄色がキエビネ、朱に白色がタカネエビネで、色とりどりに咲き誇っています。苑内には所々に名札があって種類も確認出来ます。「無銘」と言う名札の付いたエビネもありましたが、薄い桃色の小さな種類で、良い匂いがするとのことです。エビネ(Calanthe)は日本に自生する可憐な蘭の花で、花色は黄色、赤、白、桃色と多岐に亘り、花弁と唇弁の色の組み合わせで更に多彩となりますが、観賞用に乱獲され、絶滅危惧種に指定されているものもあります。年中開園すると、盗掘して持ち帰る様な不心得者もいるとのことで、花が終わると仕方なく閉園してしまうのだそうです。日本のエビネは林の中の床土に息づいて群生して咲きますので、種々の色のエビネを一個所で鑑賞出来る特徴があります。花色の多い原種ジエビネが全国に自生していて、更に部分的には他の原種も重なり合って自生してこれらが互いに混ざり合い、交配しあって数多くの雑種も生まれて一層多彩な変化を見せているようです。自然交配によって生まれた雑種は、原種を推測し、ヒゼン系、ヒゴ系、サツマ系などの系統名で呼ばれているそうです。エビネの仲間は、中国、東南アジアにも広く分布しているようですが、日本以外の多くの場所では、種毎に別々の場所に棲み分けをして自生するのが普通です。その為交雑が少なく、花の変化も限られています。原種からの経緯が明確である人口交配種に対しては、トミス、ユタカ、フジ、キタなどの交配種名が付けられ、英国王立園芸協会に登録されているようです。昨年の画像付きの訪問日記はこちらです。
2005.05.01
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東京町田市にある尾根緑道は、旧日本陸軍の戦車道路であった所を散策路と整備した道筋で、丹沢山塊を眺めながら涼しい木陰を歩くことの出来る全長8kmの散歩道です。西の起点である桜台付近は染井吉野の桜並木が続き、毎年盛大な桜祭りが催されますが、4月下旬ともなると葉桜で閑散としています。これは昨年の写真です。4月初め、桜祭りの時期に訪問しました。その後八重桜並木(丁度満開でしたが鑑賞しているのは周辺の住民だけの様でした)が続き、ケヤキ並木へと変化して行きますが、尾根緑道の両側に細い自動車道があって、思いの外交通量が激しくタイヤ騒音が気になります。しかし、4kmを過ぎて南多摩斎場付近まで来ますと両側の自動車道は無くなり、静かな尾根道を歩く散歩道となります。舗装された戦車道は変わりませんが、その横には舗装されていない土の散歩道が造られベンチも適宜あり、散歩するには真に気持ちが良いのです。そのまま行きますと平成16年7月に開園した小山内裏公園に入って行きますが、都立公園では初の指定管理者による管理がされているそうで、多くの禁猟区が設定されています。大鷹の住む禁猟区もあり、厳重な鉄柵で立ち入り禁止となっていますので、その中は窺い知ることが出来ません。大鷹とは驚きますが、多分雉(キジ)等は生息しているのではと憶測するばかりです。其処の尾根緑道からは西に丹沢山塊、東に多摩ニュータウンの街並みが一望でき、展望台も整備され雑木林や水辺環境など自然豊かな丘陵地公園です。京王線の多摩境駅も直下に見えますが、20年間以上自然林が残っていた地域が昨今のマンションブームで、昨年から猛烈な開発が進み高層マンション・商業施設が尾根緑道に迫って来ていますので、やはり経済と環境の両立の難しさを実感せざるを得ません。昨年は未だ青大将、山カガシ、マムシ等が散見されたそうで、警戒スポットが何個所かありますが、急速にいなくなってしまうだろうと懸念しています。
2005.04.26
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昨日は冷たい雨も上がり天気も良かったので、城山湖ハイキングに行って見ました。城山湖は津久井湖の貯水を安価な夜間電力で汲み上げて、電力需要の高く価格の高い昼間に電力供給する揚水発電所用として造られた人造湖です。揚水時には短時間の内に水位が30mも上昇しますので周囲は厳重な鉄柵で囲まれています。城山湖付近は桜の名所として知られていますが、標高280mの山間部にありますので、平地と違って桜は昨日丁度見頃で、今週末も楽しめるのでは無いかと思えました。湖畔の案内板には、城山湖周辺ハイキングは約1時間と書いてありますので、湖畔の駐車場に車を停めて、出掛けて見ました。人造湖を堰き止める本沢ダムはコンクリート製でなく、岩石を積み上げたロックフィル・ダムですので斜面傾斜が緩くて緑化されていますので、散策していても気持ちが良いものです。湖畔は桜に加えて新緑が芽生え、将にパステルカラーのグラデーションが醸し出されていました。津久井湖は神奈川県民の飲料水となりますので、揚水された城山湖水も透明度が高い様に思います。ダムを過ぎた所にコンクリート製の放水路が整備されていてロックフィル・ダムを守っていました。其処から階段を登って湖畔散策道となりますが林間の気持ち良い雰囲気です。およそ10分で「はなさき休憩所」の四阿に着きましたが、席が満杯で付近にはベンチも無いので休憩出来ませんでした。道路標には「松見平休憩所 約20分」と表示されていましたので、其処まで足を延ばすことにしました。急な上りも続き、見通しが悪くなりましたが上り下りして漸く休憩所に到着です。此処は町田市最高峰の草戸山山頂となっていて展望台もありますが、標高365mとのことですので湖畔から僅か90m登ったに過ぎません。此処で「関東ふれあいの道」となり、高尾山・影信山・陣馬山と続いて行く人気の高いトレッキングコースとなりますので、中高年の団体も多く見られました。しかし、今回は車で来てしまったので、昼食休憩をした後、元来た道を辿って城山湖畔に戻って行きました。休憩を含めて僅か往復2時間程の散策でしたが、暑くもなく寒くもない絶好のトレッキング季節となって来た様に思いました。注意:城山湖散策路は危険防止の為、午前9時から午後5時迄しか許されず、出入口門は施錠されます。特に夜間は急激な水位上昇もあり、安全確保を優先させている様です。
2005.04.15
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NHK総合で日曜日朝午前7時45分から15分間放映される「さわやか自然百景」を良く見ます。4月10日は「長崎五島列島 シカの住む棚田」(五島列島は東シナ海に浮かぶ大小140余りの島々で、暖流の影響で暖かい気候の島には、古くから棚田が切り開かれてきました。しかし、時代と共に棚田を手放す人が多くなると、そこにシカが姿を見せるようになり、シカの楽園が誕生しました。島々の景観と、棚田に生きる野生鹿の営みを描きます。)と言うことで、野崎島が紹介されていました。2001年4月15日放送分のアンコールですのでリクエストがあったのでしょう。野崎島は五島列島の北部にある小値賀町に属する小島。小値賀島から船で30分、一日二便定期船がある。ここに、小型のキュウシュウジカ が生息しています。閑話休題: 五島列島は福江、久賀、奈留、若松、中通の5島で構成されますので、北部二島の小値賀、宇久は五島列島には入らないのですが・・嘗て、600人程の人々が住んでいましたが1960年代には漁業の不振もあって全島離島となったのですが、1990年代になって、残った自然を利用したキャンプ設備が整備され、夏季シーズンには「野崎島ワイルドパーク・自然学塾」が人気を博しているとのことです。中通島の赤波江(あかばえ)教会から眺めた野崎島、500頭程の野生鹿が餌付けされることも無く自然のままに生息していますが、中通島からは行きにくく残念ながら行ったことはありません。若松島の北にある「日ノ島(ひのしま)」には小型のキュウシュウジカが町中をうろつくディア・パークがありますが、こちらは餌付けされていると思います。
2005.04.11
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岡城趾訪問を終えて駐車場に戻って来ましたら、周辺の観光情報の看板が幾つか眼に付きました。その中に「日本のナイアガラ 此処から15分」と書いてあるのに興味を覚えましたので、行って見ることにしました。竹田市岡城趾から隣町である緒方町に入って行きますと段々と平野になってしまうので、こんな所に滝があるのかと疑問に思えた頃、「原尻の滝」の道案内道標が見つかりました。周りは田畑ばかりで駐車場も大きく整備され、近頃流行している地元産の特産物を販売する道の駅や食事処・喫茶処も完備されていました。其処から歩いて直ぐの所に原尻の滝はあり、将に田畑の真ん中に出現したのです。落差20m幅120mの小さな瀑布ですので轟音も少なく、規模・水量共に圧倒的な本物とは全く違い較ぶべきもありませんが、何となくナイアガラの雰囲気が無いことはありません。見学散策は滝の上、下、吊り橋の三個所から出来、アクセスも良いことから訪問客も多いようでした。滝の上流には舗装散策路も整備され、滝周回散策を堪能しています訪問客が歩いているのも見えました。 周囲の多くの畑はチューリップ畑になっていますので、花が咲き出しますと一層観光客が増えるのだろうと思われました。原尻の滝は、緒方川が急に落下してできた滝で、「日本の滝百選」の一つにも選ばれています。滝の岸壁は柱状節理となっていて、火山熱によって造成される規則正しい柱状の岩ですが、阿蘇の影響があったのか否かは定かでありません。
2005.03.28
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国指定史跡となっています岡城趾は想像していたより大きな城跡でした。竹田市中心部に近い丘陵地帯に展開する広大な城郭趾で、歴史は古く平安末期に源頼朝と仲違いしていた義経を迎え入れる為、1185年築城したと伝えられている様です。その後幾多の変遷を経て、戦国時代に中川氏の居城として明治時代版籍奉還までおよそ300年間続き、廃藩置県によって大分県所有となったのですが、県による1874年入札・払い下げで全ての建造物69棟が取り壊されてしまったとのことです。その後は城郭が再建されることも無く、石垣だけの岡城趾が残されています。近年、大手門も再現されたこともあった様ですが、現在は解体されてやはり石垣だけとなっていますので、指定史跡となりますと変更は難しいのかも知れません。本丸跡の石垣は壮大なもので、往時の栄華が偲ばれます。竹田市出身の瀧廉太郎が少年時代遊んだ岡城趾は、取り壊しにあって間もなくの頃ですし、土井晩翠の詩「荒城の月」に曲を付けたのは1901年ですから、余計に栄枯盛衰の余韻が感じられたのだろうと思うばかりです。いま荒城の夜半(よわ)の月替(かわ)らぬ光誰(た)がためぞ垣に残るはただ葛(かずら)松に歌うはただ嵐(あらし)岡城趾を訪問し大手門に向かって上る頃、下の土産物屋から「荒城の月」が流されて聞こえて来ましたが、瀧廉太郎の原曲で無く山田耕筰編曲のものだったの残念でした。私は瀧廉太郎の原曲の方が感傷感はあっても明るく、悲壮感はあまり感じられないこともあり、個人的には好みなのです。“ロ短調「荒城の月」唱歌-瀧廉太郎の原曲”についてはこちらの日記を参照下さい!
2005.03.25
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大分県臼杵市中心街から車で10分程行った浅い谷間に臼杵磨崖仏群はありました。平安時代後期から鎌倉時代初期に掛けて彫られ、千年に近い歴史を誇り、全部で4群59体からなり、平成7年(1995AD)に「国宝」に指定されたと言うことです。その中で、石仏の象徴とされる「古園石仏」は張り出した丘に彫られていたことで、特に風化が激しい様でした。現在は風化を防止する覆い屋の中にありますが、昔日には屋外で風雨に晒されていたのだろうと思います。しかし、中尊の大日如来像の仏頭は切れ長の眼、ふっくらとした頬、引き締まった口元で端正で気品ある表情を、肌色の彩色を失わないで訪問客を見下ろしてくれていました。何という奇跡なのかと感心するばかりでした。仏頭復位された大日如来は、首部分が少し寸詰まりで猪首となっていますし、両手も欠落していて万全ではありませんが、千年の歴史を彷彿とさせてくれました。時は京の都を中心に運慶・快慶が仏像製作に勤しんだ時代でしょうか、臼杵石仏の製作者は知られていない様ですが、優れた人に間違いありませんのに記録が無いのが不思議です。インターネット検索しますと次の様に書かれています。臼杵の石仏は、阿蘇溶結凝灰岩という軟質の石に彫られているため、風化しやすく、永い年月の間に傷みがひどくなっていました。このため、1980年から1994年までの14年間、磨崖仏を中心に保存修理工事が行われました。この修理の中で、多くの人々から最も注目を集めたのは古園石仏の修理でした。ここには、長い間親しまれてきた中尊大日如来像の仏頭が地上に安置されており、修理に際して、仏頭を元の位置に戻すかどうかの論議が市民の間から沸き起こりました。約4年間にわたる論争の末、保存して将来に引き継いでいくためには復位すべきであるという意見が大勢を占め、これを受け大日如来の仏頭復位が行われました。仏頭復位の成った大日如来は、その姿を一変しました。両肘を左右に十分に張り、お顔は、両頬が丸く張りをもって彫られ、両眉は、美しい半円弧を描き、両眼のまなじりはわずかに切れ上がり、豊かな抑揚を見せる大きな眼をはっきりと刻んでいます。そして、お顔の形を引き締めるかの様な小さな唇と締まった顎の表現によって、全体としては、典雅でしかも力強い像形がうかがえるようになりました。こうした像形から、古園石仏の中尊大日如来像は、臼杵磨崖仏中の秀作、我が国石造美術の最高傑作の一つと言われています。
2005.03.21
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湯布院町は温泉街と言うより、観光地と言った方が良いかも知れません。湯布院銀座と思われる川沿いの小さな通りには、温泉旅館・ホテルよりも種々の土産物屋、美術館、喫茶店、レストランが数多く建ち並んでいました。多くの若い人を中心とした訪問客が観光バスで続々と詰めかけ、小さな通りは散策路の終点「金鱗湖」迄、人々で溢れかえっていて、流石全国に名だたる人気観光地です。湯布院の象徴とされ、町北東部にそびえる由布岳は標高1584mの美しい独立峰で、その円錐形コニーデ式火山(既に死火山と言われていますが・・)は豊後富士と呼ばれ親しまれている様で、町中何処からでも見上げることが出来ます。3月14日は湯布院町にも雪が舞って由布岳山頂が白い雪に覆われていて幻想的でしたが、3月16日再訪した時には春の陽気で、半袖でも過ごせそうな気温となり山頂には全く雪は無く、由布の秀麗な峰が青空の中に聳えていました。湯布院で温泉気分を楽しむには、中心街から少し離れた山荘風の旅荘・ホテルに泊まるのが良いようです。今回は宿を決めていないフリープランの旅でしたので、JR湯布院駅の観光案内所で税込み16000円の予算で紹介して貰いましたが、こじんまりした良い旅館でした。
2005.03.20
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九重山の近く玖珠川の上流にある山峡、標高1000mの所に筋湯温泉があります。筋湯の歴史は飯田高原の温泉の中でも古く1658年に開かれたと言われています。大分県九重町の温泉郷で30軒のホテル・旅館がぎっしりと建ち並び、風情のある街並みとなっています。近頃の温泉ブームを反映して4つの共同浴場が整備され、其処への立ち寄り湯を目的とした客も多い様です。若い世代の人達も多く町中を散策していて活気がありました。その中でも入浴料300円の「打たせ湯」が有名で、4m高さから18本の打たせ湯と湯船があり、日本一の打たせ湯として名を馳せています。この「打たせ湯」は肩こりなどの筋の凝りなど「筋の病に効く」と評判であり、それが温泉地名の由来ともなっている様です。今回は泊まった旅館の浴槽にも2mの打たせ湯がありましたので、肩に当てて見ましたが、予想以上に湯流が強く肩凝り等はすぐ直りそうにも感じる程でした。それなので、冷たい雨の中、共同浴場「打たせ湯」には見物に行っては見ましたが敢えて入りませんでした。泉質は弱食塩泉で、泉温は60~73℃と高く、この高い地熱は発電にも利用されている。すぐ近くには九州電力八丁原地熱発電所があり、最新式のバイナリーサイクル発電設備(水蒸気で低沸点流体ペンタンを加熱するシステム)も昨年稼動を始めた様で、無料で見学も出来ますので、時間があれば足を伸ばしてみるのも良いと思います。翌朝は氷雨も上がり快晴となりました。右側に高く上がっている水煙が八丁原地熱発電所の冷却塔からのもので湯煙ではありません。左側の山間から小さく上がっているのは本物の湯煙、源泉の一つ「小松地獄」からの湯煙です。筋湯温泉は近頃人気沸騰の熊本県黒川温泉からも20分程度しか掛からない所にあり、久住高原からも近く、春爛漫の時期には見所満載の良い旅行が出来る温泉地です。今後も湯煙の見える、土産物屋の少ない落ち着いた温泉街であって欲しいと言うのは、我が儘でしょうか?
2005.03.19
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日本一の炭酸泉が湧くと言われている長湯温泉、こぢんまりした湯の町は、湯布院温泉から山間を抜けて約40分で行ける大分県直入郡直入町大字長湯にあります。重炭酸塩イオンとミネラルが豊富な長湯の湯は、慢性胃腸病や貧血等に飲泉効果があるそうで、町内5個所に飲泉所を設け大々的にその宣伝をしています。飲泉と言えば、ドイツ・東欧によく見られる温泉の風景で、長湯温泉町はずれの一角にはドイツ風飲泉所もあります。左に見える円柱のある踊り場には飲泉口があり、右にあるアーチの上からは温泉が常時流されています。踊り場の天蓋には「1990Kolonado(1990年建設飲泉所)」と書かれていますので、大分県の一村一品運動でドイツ温泉各地との提携を模索した様で、レンガ壁にはチェコのカルロビバリ(ドイツ名ではカールスバード“皇帝の温泉”、ベートーベンが療養したことでも知られています)、ドイツのバーデンバーデン等各温泉地から寄せられた挨拶状がエッチング銅板パネルとして貼り付けられていました。オフシーズンなのか地元の人がペットボトルを持って汲みに来る位で閑散としていましたのは残念です。町中ではドイツ風飲泉カップも各種売られています。この小さなカップでも1500円もしますので一寸高いのですが(中カップで1800円、こちらは後で洒落た一輪挿になるかも知れません)、これを手に持ち右上の吸い口から温泉を飲みながら散策すれば、まるでドイツ温泉街の雰囲気となるのですが其処までする温泉客はいない様でした。日本では湯治など入浴治療は古くからあるのでしょうが、飲泉治療は一般的では無いのです。しかし、療養温泉地のバートクロツィンゲ ン、バートナウハイムとの提携を強め、町の一角には小さいながらドイツ温泉村も設置され、ドイツ食物物産館、簡易宿泊所もあって海外との提携は着実に進められている様でした。平成10年には町営の御前湯がドイツ風木造建造物にリニューアルして設備整備も充実して来ていますし、飲泉治療に拘らない日本のカルロビバリとして、土産物屋等を少なくして、発展すれば良い保養地になるだろうと思われる良い温泉郷でした。
2005.03.18
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昨日は春霞で靄っていましたが、天気も良いので、近くの都立小山田緑地に行って散歩をしたのですが、汗ばむ程の陽気でした。気温が一挙に20℃近くに上がったとのことですので、当然かも知れません。緑地から少し出て、私有地の畑に入って見ましたら、人知れず梅の花が満開となっていました。梅園でもありませんので、見る人も無く、仄かな梅の香を辺りに放っている風情に、ふと「色は匂へど 散りぬるを」と思い浮かべてしまいました。いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす色は匂へど 散りぬるを色美しく咲く花も、やがては散ってしまい我が世誰そ 常ならむこの世に生きる私たちも、生き続けられるものではない。有為の奥山 今日越えてこの有為転変の迷いの奥山を、乗り越え浅き夢見じ 酔ひもせず儚い夢も見ず、この世界に酔いしれることもなく安らかである。いろは47仮名文字を一回ずつ使うという制約のもとで作った作者、一説には弘法大師「空海」ともされ、真筆も残されているとされますが、どうもオリジナル作者では無いようです。又、俗説には日本最高の歌人である柿本人麻呂とも言われ、上記の仮名書きの末尾を辿ると「とかなくてしす(咎無くて死す)」と読めることから、非業の死罪に対する怨念等、種々の謎が隠されているともされています。しかしこれも風評の様で、しっかりした内容のある今様歌を作った非凡な作者は特定されていません。
2005.03.10
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河津桜祭りは2月10日から3月10日迄の1ヶ月間開かれています。昨日は天気が良くて暖かく、桜見物・散策には絶好の日でしたので、朝9時に車で家を出て、小田原・厚木道路から熱海・伊東を経由して河津町に向かいました。途中、崖の土留め工事による交通規制に出会ってしまい、又回転寿司で昼食を取ったこともあって、河津町に着いたのは午後1時半となってしまいました。月曜日にも拘わらず、満開情報を聞きつけて多くの観光バスと共に訪問客で混雑していて、何処の駐車場も満杯でしたが、漸く空きを見つけて何とか駐車できました。1時間半程花見散策したり最寄の喫茶店で珈琲を飲んだりして、中伊豆を抜けて修善寺経由国道1号線・東名高速を使って帰途に着こうとしたのですが、修善寺・三島から沼津インター迄、大混雑に巻き込まれてしまいました。何と往復に8時間以上掛かったのです。毎度思うのですが、混雑が予想される観光地を訪問する時は、電車等の公共機関で出掛けるのが良いと痛感させられました。気候温暖な南伊豆ですので、桜色の河津桜と黄色の菜の花のコントラストが綺麗でした。川添いの桜は既に満開でしたが、それでも染井吉野桜の桜吹雪と言う感じでありません。梅の花の様に徐々に咲く桜で不思議な桜ですので、桜祭り期間が1ヶ月もあるのが分かります。川添いには数多い出店があって地域名産の物が色々売られていましたが、その一つの店で、伊豆名物である金目鯛の干物1尾・サンマの丸干し4尾買いましたが合計500円、安い買い物です。河津桜は大きくピンク色の花弁が特徴の桜で、緋寒桜と大島桜が交配して出来たものと言われています。個人の方が偶然に発見した、自然交配の桜の様です。染井吉野の様に僅か1週間だけの開花期間では無く、河津桜はゆっくりと約1ヶ月を経て満開になります。色々な桜があるものです。
2005.03.01
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今日も昨日に引き続き快晴の天気ですが、今朝から強い南風が音を立てて吹いています。天気予報によりますと「春一番」の可能性が大とのことです。気象庁の設定している「春一番」の条件とは次の様になっている様です。1.発表する期間は立春から春分までの期間であること2.日本海に低気圧があること3.強い南寄りの風(風速8m/s以上)であること4.気温が上昇すること住環境もエアコンによって、又草花も温室栽培によって、季節感が薄弱になっている時代となりました。それだからこそと言いましょうか、規定条件とかマニュアル等で定められたものを受け入れるのではなく、自分自身で外に出て、自然を体感した季節感を大事にしたいものです。それにしましても、4月上旬の気温となり、20~30m/sの強風が吹き荒れましたのは想像以上でした。加えて、今年最大の杉花粉が飛散したとの報道もあり、遂に花粉症季節の到来です。私は未だ花粉症ではありませんが、ディーゼル排気規制で粉塵との複合花粉症が減ると良いと思っています。さて昨日は、恵比寿迄出掛けましたが、春ウララの天気を満喫しました。コートを脱いで歩き回りましたが、寒さも無く快適でした。恵比寿南側にある公共機関施設の3階屋上から、恵比寿ガーデンプレイスが見えましたので、シャッターを押して見ました。一際高い建物がガーデンプレイスタワー、春の日を浴びて将に春ウララの雰囲気でした。
2005.02.23
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本日は朝から曇天、最高温度も4℃との予報で、北風が冷たく大寒らしい気候となりました。夕刻からは粉雪もぱらついて来て、将に冬の寒さが身に凍みる一日でした。大寒は昔の暦による24節気の一つで、今の暦で言うと1月20日頃から2月4日の立春迄の凡そ二週間位がそれに当たるのだそうです。24節気は古代中国でつくられた季節区分法で、太陽が春分点を出て再び春分点に達するまでを黄経360度とします。周天360度を24等分した位置にそれぞれの節気を配置して、一年の気候の推移を知るようにしたもので、各節気の期間は、約15日間となっている様です。大寒は太陽の黄経が300度の時を言い、旧暦12月丑の月の中気で24節気の最後の節、新暦の1月21日頃で、気候的にも一番寒い頃とされています。所謂立春が新年となるので、昔から正月を新春と言っているのも昔の暦の名残なのだと分かります。テレビの天気予報では、この24節気は良く紹介されますが、我が家に複数あるカレンダーを見てもその記載はありません。各家庭の冷暖房も完備したことで、日常生活において季節感を感じつつ暮らす風習が廃れて来ているのかも知れませんのは残念です。閑話休題、今年は暖冬で寒さが感じられませんでしたが、漸く先週辺りから冷えるなと感じられる様になりました。それにしても、身体の芯から冷え足踏みせずにはいられない様な寒さは無くなってしまいました。確実に年々、地球温暖化の影響が深刻になっているのでしょうか?先日行きました神代植物園の大温室は、熱帯スイレン室が整備中で半分しか見られませんが、その中間点にある休憩所(現在は出口室ですが)は陽当たりも良く、其処はベゴニア、各種蘭の花々で飾られていました。其処は大寒でなく、百花繚乱の新春でした。
2005.01.23
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ここ数日、冬型気圧配置が続き、日本海側は雪、太平洋側は晴天となっています。東京地方でも北風が強く、寒く感じられるのですが、晴天に誘われて、町田市にある「町田牡丹園」に寒牡丹でも見ようと出掛けて見ました。此処の寒牡丹は多く無いこと、又藁の霜囲いをしているものが少ないこと等から、霜にやれて花弁が萎んでしまったものが殆どで、残念ながら鑑賞出来る状態では無い様でした。しかし、庭園の一角、陽当たりの良い所にあった、梅の花が咲き始めていました。未だ松が明けたばかりの寒中なのですが、やはり今年は暖冬である様です。訪問客も殆ど無く、人知れず咲く梅花を見ていますと、違和感無く感傷に浸ることが出来ます。枝が高く、又梅林ではありませんので仄かな梅の香は楽しめませんでした。小倉百人一首の中に、紀貫之の歌として梅の花を詠んだ和歌があります。人はいさ 心もしらずふるさとは 花ぞむかしの香ににほひける住む人はさあどうか、心は変ってしまったか。それは知らないけれども、古里では、花が昔のままの香に匂っている。古今集の撰者である紀貫之、柿ノ本人麻呂と評価を競った、和歌史上最大の歌人の一人。古今集仮名序や『土左日記』など優れた散文作品も残し、日本文学に占める地位は比類ないと言われています。小倉百人一首には無いのですが、天神様菅原道真の歌はそれ以上に良く知られています。東風ふかば 匂いおこせよ梅の花 あるじなきとて春な忘れそ時の権力藤原家によって左遷され太宰府に流された菅原道真、不遇な境遇にあっても彼は愚痴めいたことは言っていないらしく、学問肌の穏やかな気性の人だった様です。あるじのことをではなく、春を忘れるなと言っている奥ゆかしさ・格調高さも感じられます。
2005.01.10
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山梨県南都留郡忍野村にある忍野八海は八つの湧水池から成っています。富士山に降り積もる雪解け水が、地下の不透水槽という溶岩の間で、約80年の歳月をかけてろ過された澄みきった水は神秘的であり、水本来の美しさを訪問客に提示してくれます。1985年には全国名水百選に選定され、新富岳百景選定地でもあり、国の天然記念物にも指定されているそうです。しかし環境の変化により、八海の内、鏡池と菖蒲池は湧水が殆ど枯れてしまい、その美しさを失ってしまいました。八海観光の中心地、池本には「中池」と言う湧水池があり、深さ10m迄見通せる水量も豊富な池なのですが、八海には数えられない様です。入らない理由は確認していませんが、人工的に掘削して出来た井戸又は池なのかも知れませんが、その辺定かではありません。しかし湧水量は一番多い様で湧水池には変わりは無いのですし、観光客も此処に屯しています。此処からみる富士山は絶景で、丁度正午頃の写真ですので富士山が少し逆光気味であるのが残念です。画像サイズは640x480ドットの標準画質、容量は58kBですので楽天画像倉庫にはアップ出来ず、Yahoo無料HPに収蔵致しました。此処の場所から富士山定点画像が随時ライブで見られるインターネットWebサイトがある様です。
2004.12.18
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普通猛暑の夏であった年は、冬が寒くなりバランスが取れると言われていましたが、今年は違う様です。東日本を中心に11月に記録的な陽気が続きましたし、12月に入っても全国的に冬型の気圧配置が長続きせず、暖かい日が続いています。山間地でさえも雪がほとんど降らず、スキー場関係者は頭を痛めているとのことですし、水仙、梅の花も春を感じ取ってしまったのかドンドン開花してしまっています。今冬は厳しい寒さは来ないのでしょうか?猛暑の夏と暖冬の影響で、東京の年間平均気温は過去最高を記録すると予測されています。今朝は身が引き締まる冷たさでしたが天気も良かったので、富士山を見に中央高速道から東富士自動車道を使って出掛けました。途中からは気温も上がって昨日と同じく快適な日となりました。例年ですとこの時期、この道路は凍結がありスリップしそうで危険なのですが、そんな気配も無く安全に運転出来ました。東富士自動車道の道路脇に車を停めて、午前11頃の富士山を撮影したものです。富士山の冠雪は、この時期7合目まである筈ですが、9合目位迄しか冠雪が無いのです。12月初旬は雨天もあったのですが、厳寒の富士山でも雪とはならず雨だったのだと思います。地球温暖化の予兆が、此処にも現れたと言うことでしょうか?
2004.12.17
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嘗て前田氏の加賀藩江戸屋敷だった東大本郷キャンパスに三四郎池があります。前田邸には育徳園と呼ばれた廻遊式庭園が築造され、心字池を中心としていたらしいのです。育徳園だった時代は、藩主のための庭園であり、家臣でも特別な時以外は入ることができなかったと言うことです。しかし、明治の文豪である夏目漱石の小説「三四郎」で主人公三四郎と美彌子の出会い舞台になったことから、心字池は三四郎池と呼ばれるようになりました。その時には三四郎の大欅(ケヤキ)と呼ばれた大木があった様ですが、枯れてしまったのでしょうか現在は残っていません。しかし、大学の中とは思われない程、池の周路には多くの樹木が茂っています。キャンパス内は結構人通りも多いのですが、この池は元々窪地だった所に配置してあること、一段低い低地にあって周囲が樹木に囲まれていますことから、騒音が全て遮断され静寂の世界を醸し出しています。将に陶淵明の「車馬の喧(かまびす)しき無し」の世界でしょうか?夏目漱石も授業の下手な英文学講師として東大に在籍していましたので、遠い昔この池の周りは散策した筈です。夏目が「草枕」で引用した陶淵明(字名で本名は陶潛)の雑詩についてはこちらを参照下さい!「迷える羊」(ストレイシープ)となって彷徨い歩きますと、それは将に作庭された当時からそのまま歳月だけが過ぎただろうかと想像される世界が再現されます。晩秋ですので、池の面は飛び石も隠れる程枯葉に覆われてはいましたが、なかなか風情のある景観でした。現在は大学のキャンパスの中とはいえ、出入り自由ですので様々な人々が利用して楽しんでいる様です。
2004.11.29
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11月20日は公孫樹並木の黄葉を見に、東京立川市にある国営昭和記念公園に行って見ました。此処の入園料は400円で今春と変わらなかったのですが、利用する多摩モノレールが値上げとなっていましたので所要額が少し高くなりました。近郊線ですからあまり話題にもならず、いつ値上げとなったのかは知りませんでした。赤字体質は前から問題にはなっていたのです。この公園の公孫樹並木は雌の木も多く、銀杏が良く成るので多分自然に近い形で植栽されている様に思います。ただ、背が高くならない様に主枝を剪定してありますので、神宮外苑の公孫樹程、円錐形の樹形になっていないのは残念です。先日来の雨で葉が落ちてしまった木も多く、通路に溜まった葉も褐色に変色していましたので見頃は過ぎていたようですが、青空に対比して黄色が映えていました。昭和記念公園には日本庭園もありますので、モミジの紅葉の具合を確かめに行って見ました。丁度週末の土曜日と言うこともあり、三脚付きのカメラを持った人で一杯でした。綺麗に紅葉したイロハモミジ、山モミジが植栽されている茶室付近はカメラマンの放列で混雑が酷い程でしたが、モミジは将に見頃だった様です。庭園中央には池が配置され、その周囲を散策出来る様になっているのですが、水辺のモミジは水面に映えて一幅の絵の様でした。やはり、モミジは日本の風景に一番マッチするのだと思いますのは、長い間に先達の庭師達が確立した日本庭園文化の結果でしょうか?意識的に自然に近い形に構成されていますが、小さな水流に落ちて流れるモミジが美しく見える日本庭園は、人工的な西欧庭園には無い雰囲気です。
2004.11.22
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箱根には毎年行っていますが、大涌谷を訪問したのは小学校の修学旅行以来で50年振りかも知れません。大涌谷は3000年前に箱根火山最後の水蒸気爆発をおこした爆裂火口で、今もなお熱い水蒸気と硫気を噴出しています。古来より「大地獄」と呼ばれていましたが、明治6年に明治天皇・皇后両陛下が箱根に御静養に来られる際に「両陛下が訪問される地に地獄があってはおそれ多い」と大涌谷と改称されたそうです。箱根から見る富士山は左右対称の稜線が一際美しく「秀麗富士」となっていますが、大涌谷からは裾野も良く見えますので特に雄大な富士山の眺めを楽しむことが出来る様です。一つ食べると7年長生きが出来ると言う「延命黒玉子」を食したのですが、味は特別美味しいものではありませんし、何処の売店でもばら売りはしていませんので、6個袋入りのものを600円で買わざるを得ません!折角ですからと黒玉子を作っている「玉子茶屋」迄、灌木の中を歩いて上って行きました。昔はブナの原生林だったのですが、硫化水素を含む噴煙で全て枯れてしまい、それに耐えて育つ灌木だけになったとの説明板がありましたが、今でも硫化水素の匂いはきつく頷けるものがありました。訪問した日は天気も良く、所謂小春日和だったのですが、標高1000mを越える高原でしたので、秋風が冷たく思わずジャンパーを羽織らずには散策出来ませんでした。又、富士山は雲に隠れたり姿を現したりで、全容は見えませんでしたが雲を突き抜けて見えた山頂は将に秀麗富士でした。
2004.11.19
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昨日朝は快晴で気持ちの良い朝でしたので、冠雪した富士山を見に行こうと言うことになり午前9時から出掛けました。相模原市橋本から国道16号線を横切って、城山町、津久井町を経て三ヶ木(みかげと読みます)から道志道に入り、渓谷の紅葉を楽しみながら行くことにしたのですが、途中から曇天に変わり「道志の駅」という休憩所・農産物直売所に着きましたのは午前10時を過ぎた頃ですが青空がすっかり消えてしまいました。折角来たのだからと山中湖に迄行ってみました。高原ですので気温は10℃湖面からは寒風が吹いてきて寒く、車の中で暫く待って見ましたが富士山は雲の中で全く見えません。やはり富士山を楽しむには早朝に出掛けなければとは何時も思うのですが、毎回失敗してしまいます。諦めて帰ることにして、再度道志道を通って途中にある「Horo Horo」と言うレストランで昼食を取りました。此処は店内に一寸した輸入雑貨などが売られていますので結構見ているのに時間も潰せました。道志川沿いには結構湧き水が多いようで其処此処に無料水くみ場が見られます。帰り道渓谷が深くなった久保と言う所で吊り橋が見えましたので道路脇の駐車場に車を停めて吊り橋を渡って見ました。ここの吊り橋は高さが数十mあり、結構揺れるのでスリル満点です。注意書き板には「一度に10人以上は渡らないこと!」とあるのは頷けます。橋から見る渓谷は秋真っ盛りで見事でした。吊り橋の向こう側は遊歩道として整備されたようで、大室山(標高1588m、西丹沢の盟主と言われる山)への登山道にも繋がっていましたが、あまり踏み固めた様子は見られません。多分アクセスが良くないので此処から登山する人が多く無いのだと思います。この辺の遊歩道は自然が深く、猪、狐等が生息している様ですので程々に散歩を終えて吊り橋に戻って来ました。川にはイワナ、ヤマメなどの渓流魚も豊富な様で渓流釣りのメッカともなっている様でした。
2004.11.14
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全国観光地百選渓谷の部第一位に選ばれた山梨県にある昇仙峡、甲府市中心から車で20分足らずの場所にあります。インターネットの紅葉情報で検索しました所、紅葉が見頃とのことでしたので出掛けて見ました。中央高速道の国立府中ICから甲府昭和IC迄は約100km、所要時間は1時間に過ぎません。其処からは国道20号線(甲州街道)に入って道案内に沿って竜王駅前交差点を右折し昇仙峡ドライブラインに入りますとおよそ20分で昇仙峡入口の長潭橋(ながとろばし)に着きました。県営の無料駐車場に停めて渓谷を歩き出しましたが、一向に昇仙峡の白眉「覚円峰(かくえんぼう)」が見えませんので、道路標識を確認しましたら未だ4km以上も先とのことでした。渓流には亀石、オットセイ岩、猿岩、熊石、猫石、等動物の形をした岩が多数横たわっていますし、対岸には寒山拾得岩、登竜岩等文学的雰囲気に溢れた岩も散見されます。そうこうしている内に、上流に位置する県営駐車場まで歩いて着きましたが、土日以外はこの渓流沿いの道路は車が通行出来たのです。結構狭い道路を多数の車が来ますので、気を付けないと危険の様です。前回の訪問では「トテ馬車」に乗って、御者の渓流案内を聴きながら危険も感じずに行ったのでしたが、此処を訪問したのは10年以上前のことですっかり忘れていました。野沢菜の「おやき」に珈琲と言う奇妙な昼食を道路沿いの売店で取って、遊歩道に入り漸く昇仙峡の主峰「覚円峰」、「石門」、「仙娥滝(せんがたき)」を見ることが出来ました。覚円峰は高さ180mの岩塔、名僧覚円が数畳敷の広さの頂上で修行したと言い伝えられている名峰です。仙娥滝は高さ30mに過ぎませんが、今年は雨が多かった精か、例年になく水量が多いように思われました。ただ、渓流の水が思ったより澄んではいませんのは、荒川の上流でなく中流域である為かも知れません。帰り道も渓流道路を歩いたのですが、中間点にあります「天鼓林」で撮影した紅葉、午後2時半でしたが既に夕日の気配が漂い、将に見頃の季節となりました。
2004.11.06
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時々は町田市の薬師が池公園の近く、田園地帯に位置する讃岐うどんの店「かいと(海渡)」に、うどんを食べに出掛けます。自宅界隈・近郊にはうどんの店チェーンとして複数の「杵屋」があり、「麺は讃岐、だしは大阪」「実演手打うどん」を売りにしているのですが、今一つと言う感じがします。そこで「かいと(海渡)」へ行くのですが、店は築120年岩手県の民家に使われていた柱・梁類を移築し、側面には大きなガラス張りで、田園風景などを見ながら食事が出来ます。暑い季節は、冷たいうどんに揚げたての穴子の天麩羅を注文していましたが、秋も深くなって来ましたので、釜揚げうどんに天麩羅盛り合わせを添えたものが良く、昼食には丁度良いものとなります。天麩羅は注文してから、揚げてくれますので、時間は多少掛かりますが、衣は“さくさく”で、天麩羅専門店で食すより美味しいかと思われる程で、これで合計680円(税抜き)とは安いものです。昼食は午前11時~午後2時、夕方午後5時~9時と分けて営業するのも良心的に思えます。ただ、店は数年前田んぼの中であった所に出来た新道にありますので、交通の便が悪く車でないと行きにくいのが難点です。多摩市からは鎌倉街道を使って行くのですが、回り道が多く特に不便です。しかし、来年5月にはバイパス“綾部トンネル”が小野路から開通しますので、迂回の無い真っ直ぐな道路となり便利となることは間違いないようです。店のパンフレットには、鶴川からの芝溝街道の袋橋交差点を左折し鎌倉街道を右折となっています。バスでは最寄り駅は「鶴川」駅でなく「町田」駅から野津田車庫行き国本学園前徒歩1分となっています。住所:町田市野津田町2413-1 tel:042-737-3310 となっていますので、行ってみてください。
2004.11.03
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国道139号線から案内板に沿って青木ケ原樹海に造られた舗装道路を5分程入って行きますと売店と鳴沢氷穴案内所があります。着きました時の洞内温度は0℃と表示されていましたので、ウィンド・ブレーカーを羽織って、入場料230円を支払って入りました。鳴沢氷穴は一年中氷に覆われていることから、ここの天然氷は江戸幕府に献上されたこともあり、この名が付いたとのことです。1929年に旧文部省が指定した天然記念物。西暦864年の富士山の側火山である長尾山の噴火により出来た竪穴環状形の総延長153mの溶岩洞窟です。元来あった巨木の根が溶岩によって焼かれた後に残ったものとも言われ、環状になっているので内部を一周することが出来ます。ただ、地下21mにある最低部に降りて行く通路は照明もあることはあるのですが暗く、高さが1mしかありませんので屈んで行かざるを得ず、腰の悪い人にはお勧め出来ません。訪れたのが10月中旬でしたので、つらら、氷柱も無く、一寸寂しい感じで、1年中あると言われる氷群も少なく見えました。139号線を車で本栖湖方面に行きますと、鳴沢氷穴から数分の所、道路際に富岳風穴の大きな看板が見えましたが、同じ様な洞窟と思い通過してしまいました。やはり、国の天然記念物にも指定されているそうで、洞窟見学にはこちらの方が良いかも知れません。こちらの風穴の方が大きく、総延長201m、高さは8.7mに及ぶ横穴洞窟とのことを後で知りました。
2004.10.22
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本栖湖は水深138m、富士五湖の中で最も深い湖で、瑠璃色に澄んだ湖水も美しく、透明度も抜群で岸辺から見ていても気持ちが良い程です。湖の周囲を車で一周して見ましたが、車の往来に苦労する様な狭い道路で、釣り人の他には訪問客もあまり見当たりません。人気観光スポットと化した河口湖、山中湖と較べて遊興設備が少なく湖畔が静かであるのも好感が持て、今後もあまり変わって欲しくないものだと思います。それでも、湖面でのレイクスポーツもヨット、釣り等多彩の様で、湖畔でのキャンプやサイクリングも設備が完備しています。一昨日は、釣り解禁期間でしたので、沢山の釣り人がヒメマスを狙って、ルアー、フライ等の釣りに挑戦していました。五千円札裏面の富士山は本栖湖の北岸からのもので、湖岸で案内板のある場所から撮影して見ました。お札を財布から出して、実際の風景と見比べてしまいました。残念ながら風があって湖面にさざ波が立って逆さ富士は見えませんが、殆ど同じでした。どうも、逆さ富士は風の無い冬の早朝によく見られる取って置きの湖面美術の様です。本栖湖でも水質悪化が問題になっていて、未だ未だ綺麗と思うのですが、確実に透明度は低下しているそうで、水質汚染の一因としてジェットスキー等の2サイクルエンジン、湖畔で行われるキャンプの排水、糞尿、直火、釣り用のコマセ、などが大きく関連していると考えられています。本栖湖でつれる魚はニジマス、ブラックバス、ヒメマス、鯉、フナ、ウナギ、ナマズ、おいかわ、ワカサギ、ブルーギル、ウグイ、ブラウントラウト、イワナ、カジカ、本栖湖の漁協では、ニジマスとヒメマスを随時放流し保全していますので、幾らかは確かめませんでしたが入漁料が必要です。
2004.10.20
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昨日は、晴天が最後の日という天気予報でしたので、久しぶりに富士山麓に行って間近に富士山を見ようと山梨県に出掛けて見ました。中央高速で大月ICから河口湖線に入って行くのですが、前回は昨年11月だったと思いますので、1年振りです。晴天でしたが、やはり雨が直ぐ近くまで来ていると言うことなのでしょうか、空気が靄っていて稜線も薄く、山麓も良く見えず、十分には秀麗富士を堪能することが出来ませんでした。そこで、近景を楽しむことの出来る富士宮市にある「白糸の滝」に行って見ることにしました。此処への訪問は少なくとも7年、もっと経っているかも知れません。月曜日でしたので、訪問する人達もそれ程多く無く、有料駐車場(¥500)から滝に行く道筋に多数あります土産物店も1/3程は閉まっていることもあり、売り子さん達も暇そうに見えました。一番奥の土産物店から滝壺までは舗装された階段・遊歩道が整備されており、直下の水辺から見上げることが出来るのですが、私達は遊歩道から見るだけにしました。「白糸の滝」は全国にある様で、軽井沢の「白糸の滝」も知られていますが、富士宮市の「白糸の滝」は天下の名瀑として知られ国の名勝及び天然記念物に指定され、日本の滝百選にも選定されています。富士山の雪解け水が長い年月の後、水を通す地層である新富士火山層と下部の水を通さない地層である古富士火山層の境の絶壁から湧き出しているもので、高さ20m・幅200mの湾曲したU字型の絶壁の全面から、大小数百の滝が流れ落ちています。無数の滝となって落ちる様子が絹糸を垂らしたように見え、確かにその姿は白糸の名にふさわしい様です。優しく女性的な美しさですが、今年は雨が多かった精か水量も多い様で、轟音が男性的に轟いていました。
2004.10.19
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