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君が此処に来たのは 9月中旬の暖かい夕刻車椅子で僕に押されて 今年初の訪問だったそれから2週間 食事・排泄が出来なくなり意識不明に陥り入院 途中意識回復はあったがこん睡が続き1ヶ月後 病院で帰らぬ人となった今見ると 落ち葉が散歩道を埋め尽くし最後の散歩を思い起こして 涙するばかりだ君の人生は幸せだったのか 問うても答えはないつつましやかで殆ど 自分を主張することも無く暴夫の僕に静かに従い 天命を全うしたに違いない君の兄弟は早世 その寂しさを嘆いて泣くたびに何とも答えようも無く 僕は何度涙しただろうか僕が君の人生に寄与したのか 甚だ自信が無いが君が僕の人生に寄与したのは 明らかで感謝するゆっくり休むが良い 今生の責任は果たしたのだ君の育った五島の郷里に 葬ろうとしたのだが子供達も春秋彼岸には 墓参りしたいと言うのでゆったり永眠出来る場所に 墓所を探している遺骨を手厚く葬るには 少し時間も掛りそうだが暫く自宅で辛抱して 待っていて欲しいと思う父母も眠る郷里に 供養散骨する約束は守るから
2009.11.28
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嘗て「戦車道路」とされた尾根伝いの道は、町田市と八王子市の境界に位置して、大きく3区分されています。先日は尾根緑道を散歩しましたので、昨日は鑓水小山緑地に行ってみることにしました。都立小山内裏公園の出口付近から見る鑓水小山緑地、遠くには多摩秩父の山々が見えてなかなかの眺望です。直下に見える鑓水給水塔付近までは、暑い時期家内と散歩したことはあるのですが、木陰が無いので諦めたことがあるのです。通常のウィークデイの所為か、殆ど人の往来が無く寂しい散歩道でしたが、多摩美術大学キャンパスを横目に見ながら、兎に角終点となる国道16号線まで行ってみました。
2009.11.26
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息子からのメールに「母さんのゆかりの場所を訪ねると色々思い出してつらい気持ちにもなるけど、思い出があるのはとても幸せなことと思うようにしています」とあったのに、少し気持ちが救われています。昨日は小春日和で暖かくなりましたので、珈琲を沸かして魔法瓶に入れ、尾根緑道の散歩に出掛けました。この散歩道は嘗て「戦車道路」と言われ、相模陸軍造兵廠で製造された戦車走行用のもので、町田から八王子鑓水まで8km、富士山や丹沢山塊を一望できる景観豊かな尾根道です。昨日は思い出に涙すること無く、「思い出を有難う」と一人静かに散歩することが出来ました。此処は「富士見広場」と言う処で、ベンチもある休憩場所なのですが、現在では並木が大きくなって富士山も丹沢山塊も見えません。しかし、此処には遅咲きで良い香りを放つ「駿河台匂い」が植栽されていますので、ソメイヨシノの花見が終わった時期に、香りを嗅ぎに何回か来たことがありました。葉を落とした桜を見つつ思い出に浸り、珈琲とおにぎり、蜜柑と頂き物のカステラで昼食を取って、思い出を感謝しつつ散歩の帰り道となりました。
2009.11.24
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昨日は、曇りから少し晴れ間が出て来ましたので、兄の家に行って同道して貰い、御殿場にある富士霊園に行って来ました。我が家からは東名高速を使っても2時間以上は掛りそうで、その遠さに驚くほどでしたが、我が家は団地のマンションですので終の棲家とも思えず、墓所を近くにする意味合いは無いのだろうと思っているのです。要は足しげく通って弔うのか、思い入れのある場所でゆっくりと眠って貰うのか どちらかを残った遺族が選択することになりますでしょうか。私は当初、家内の故郷である五島の地に葬ろうと思っていたのですが、子供達が墓参りを望むこともあり、親の責任を果たす意味もあって将来私も子供達も入ることの出来る「我が家の墓」を建立する方向に軌道修正することにしたのです。財団法人 冨士霊園(静岡県駿東郡小山町大御神888-2)開園 昭和40年 総面積 230万平方メートル(70万坪)総区画数 約7万区画 開園時間 9:00~16:30 休園日 毎週水曜日、祝日の時は翌日昨日は休園日でしたが見学は出来ましたので、管理事務所のある中央道路のある義姉の親戚の眠る墓所に行って見ました。其処は中央道路沿いにあり、桜並木の近傍、春の季節にはピクニック気分で墓参出来る環境でした。この方向には富士が見える筈なのですが、曇りで見えませんでした。園内は未だ余裕があり、新たな墓地が造成されていました。広い園内には秋の紅葉が美しい場所もあり、南には箱根の山々も良く見える静かに永眠して貰うには最適な墓所とも思えました。家内と登った金時山は雲の中でしたが南に見え、西には好きだった富士山も見え、毎年通った山中湖・忍野村も近く、高原ですので冬季は道路凍結も危惧されますが、墓所の第一候補にしたいと思って帰って来ました。
2009.11.19
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多摩丘陵の自然をそのまま生かした都立桜ヶ丘公園、園内は雑木林に覆われ、ちょうの道、うぐいすの道、どんぐりの道、あざみの道などのコースが整備されています。多摩市の連光寺公園、大谷戸公園も隣接していますので、桜ヶ丘公園内を散歩してから、大谷戸公園の芝生広場や備え付けのベンチに坐って昼食を取るなどいろいろ行動が多彩に出来ます。大谷戸公園の芝生広場でおむすびと珈琲、蜜柑とお菓子のささやかな昼食を取り桜ヶ丘公園の林間に入った落葉樹の葉が落ちて明るくなった下道は落ち葉であふれ静けさの中を歩くとさくさくと鳴り心に沁みる丸太の階段道を踏みしめてあざみの道を登ると殆どのあざみは終わっているが頑張っているものもある思わず口ずさむ あざみの歌健気なものだが時節を逸したのではと哀れでもある倍賞千恵子さんのあざみの歌山には山の 愁いあり海には海の 悲しみやましてこころの 花園に咲きしあざみの 花ならばいとしき花よ 汝はあざみこころの花よ 汝はあざみさだめの径は 果てなくも香れよせめて わが胸に登り切って駐車場に戻る途中にあった紅葉、自然は確実に時を刻んでいました。
2009.11.17
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昨日は雲一つない快晴、都立小山田緑地の駐車場に車を停めて、白山谷戸から小野路城址を経て万松寺谷戸に向かうことにしました。谷戸の名前は、その入り口に白山神社、万松寺があることに由来するのだと思われます。白山谷戸の途中から小山田緑地方面を見ますと、懐かしい里山の風景が広がります。20分も野道を行けば小野路城址に着きますが、小さな祠があるだけで栄枯盛衰の歴史が思い遣られます。城趾を下りた道端に小町井戸があります。此処は整備が悪く井戸とも思われない状況、説明板も腐って放置されたままでした。4年前には僅かな湧き水が確認できたのですが・・説明板には「小野小町が悪病にかかり、ここで療養したところ病が治ったということから小町井戸と呼ばれるようになった」と書いてあります。万松寺谷戸の入口は小野路であり其処には小野篁を祭った小野神社があり、小野氏に縁の深い土地柄、小野小町も小野道風と共にその一族だったことから、その中で一番名高い小野小町に因んで作られた話の様ですが、何か浪漫が感じられて良いものでした。其処から坂道を下りて行きますと、いよいよ万松寺谷戸、4年前には放置され荒れ放題だった棚田も少しながら、耕作され始めていました。何処を歩いても、思い出されることが多く涙が止まりませんでした。だがしかし、家内が天命を全うしたことを認識し、それを祝っての供養散歩とするのが私の目標なのですが、少し時間も掛りそうな気がします。
2009.11.16
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昨日は豊洲に行く用事があったので、手土産でも買おうかと銀座三越に寄ることにしました。地下鉄銀座4丁目駅に着きましたのが9時45分、開店前でしたので、少し時間を潰さなければと付近を見回してみますと、4丁目交差点にある円形の三愛ビル1,2階がドトールになっていました。すっかりお上りさん状態、まあアメリカン珈琲を飲んでゆっくりすることにしました。ドトール銀座店ではアメリカンコーヒーが390円、他のドトール店とは異なり、銀座値段なのかと思いましたが、スターバックと同じ様にカップを大きくして、価格相当にサービスする戦略の様でした。ドトール2階から見る銀座4丁目、其の象徴である服部は変わりませんが、三越、松屋等のデパートは外装化粧直しで、少し高くなって、空が狭くなっていました。三越と松屋の間の横道を入った処にある王子ホールの室内楽コンサートに行ったのは、それ程昔のことでは無かったのにと思いを馳せずにいられませんでした。
2009.11.11
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野津田公園のバラ園に行ってみました処、盛りは過ぎていましたが、何とか楽しめました。ケアフリー・ワンダー(Carefree Wonder)野津田公園には、家内が退院後、車椅子に乗せ酸素ボンベを担いで、晩春にアジサイを見に来たのですが、もうこの世にいません。Hayley Westenra - The Last Rose of SummerThe Last Rose of Summer 最後のバラ'Tis the last rose of summer, 夏の最後のバラLeft blooming alone, 一輪だけ咲いています。All her lovely companions 美しい仲間たちは全てAre faded and gone. 色あせて散ってしまいNo flow'r of her kindred 今は共に咲く花やNo rosebud is nigh 蕾も無くなってTo reflect back her blushes, 心のときめきやOr give sigh for sigh! ため息を交わすこともありません。I'll not leave thee, thou lone one, 私は君を一人にはしませんTo pine on the stern, 茎の上で枯れゆくままには、Since the lovely are sleeping, 美しい仲間も眠っているのですからGo, sleep thou with them. さあ一緒に眠ってください。Thus kindly I'll scatter やさしく君の葉を沢山Thy leaves o'er the bed, 君の寝床に撒いてあげましょうWhere thy mates of the garden 其処では、庭の仲間だった花もLie scentless and dead. 香りなく横たわっているのですから。日本ではバラの代わりに菊の花を主題にしていますが、明治時代にはそれ程バラが一般的に出回っていなかったのでしょうか?庭の千草庭の千草も 虫の音も枯れて 寂しく なりにけりああ 白菊 ああ 白菊ひとり おくれて 咲きにけり
2009.11.10
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昨日は曇りから晴れと言う天気予報でしたので、久しぶりに山中湖で富士を見るべく、午前9時から出掛けました。何時もは中央高速で談合坂でコーヒー休憩、大月から河口湖線、東富士自動車道を通るのですが、土曜日で込み合いますし、私の車にETC装備もしていませんので、無料の道志道を通ってゆっくり行くことにしました。到着は午前11時、東の方角は良く晴れていたのですが、残念ながら西方にある富士は雲に隠れて見えません。折角、来たのだからと車中で休憩、持参した蜜柑と薄皮饅頭を食しながら、雲間に見える富士を待ちました。1時間程して漸く、雲間から何とか頂上付近を表した富士山でしたが、太陽光線が少し逆光気味になりましたので、薄くしか撮影出来ませんでした。それでも、大きく見える富士山とは良いものです。これ以上は撮影条件が良くならないと諦めて、山中湖を後にして、山中湖村から道志村を抜けて帰宅することにしました。自宅に着きましたのは午後3時、久しぶりの道志道はジグザグが多くて運転に注意を要し、一寸草臥れました。
2009.11.08
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どうも一人で家にいると、家内の遺影に話しかけたりすることも多く、自閉症気味となります。家内もそんな姿は見たくないだろうし、却って「何処か行ってらっしゃい!」と言われている様な気がしましたので、朝8時半に家を出て、高尾山に行くことにしました。薬王院祈祷殿の駐車場に車を停め、ケーブルカー横から「稲荷山コース」を採り、登山することにしました。このコースは40分程で東に開けた四阿屋(あずまや)があり、東は新宿まで、北は西武ドームまで見渡せる展望台となっています。此処で、ポットの湯でコーヒーを入れて一休みをするのが通常でしたので、今日もそれに倣いました。高尾山は「紅葉祭り」最中なのですが、未だ絶好の紅葉狩りの季節ではありませんでした。恐怖の200段を登って山頂への到着は午前11時、所要時間は1時間半で、従来とあまり変わらず私の体力は落ちていなかった様です。山頂の紅葉は一部が紅くなっている程度で、2週間程尚早なのかと感じられましたが、其処でおにぎり1個、ペットボトルの冷茶、みかん2個で簡単な昼食、西には富士が見える筈なのですが雲に隠れて見えなかったのは残念でした。早々に下山、1号路から6号路へのバイパス最短コースを採って、祈祷殿の駐車場に帰って来ましたのは12時40分、往復3時間ですから、登山と言うよりハイキングでしかありません。標高600mの山ですから、当然と言えば当然ですが・・・慰霊登山となったか否かは、分かりませんが、今日は自閉症気味とならなかったことで良しと致しましょう。
2009.11.04
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登戸近くにある大きな堰、正式には二ヶ領宿河原堰と呼ばれるこの堰は多摩川最下流に位置するらしい。秋本番で、落ち鮎の季節なのでしょうか、多分小鷺と思われる白鷺が多数集まって狙っています。河川敷きでは、雑草の間からバッタも群れ飛び、昔馴染みの自然が感じられ、何か懐かしさを思い起こすことが出来ます。設計的には、固定部が洪水時に流れる水を阻害しないよう、起伏式5門、引上式1門の可動堰を装備し、魚道も3箇所あって、アユその他の魚の遡上にも配慮されています。多摩川が、1991年に「魚がのぼりやすい川づくり推進モデル事業」の第1号に指定されて結果、その様な設計が採用された様です。其処から取水される二ヶ領用水は本来の役割を終えていますが、今なお多摩川の水が供給され、両岸には桜並木が続き桜狩りの名所となっていて、憩いと安らぎを与える「環境用水」として活躍を続けています。
2009.10.16
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秩父長瀞には、緑色の緑泥片岩、灰色の絹雲母片岩、赤い紅廉(こうれん)片岩、等の種々変成岩が露出して見応えがあります。天気も良いので出掛けてみたい気分にもなりますが、家に寝たきりの病人がいますとなかなかそうも行きません。車椅子をトランクに入れてはあり、車載型酸素吸入器もあるのですが、途中のトイレ休憩・着いた先でも不自由があるのかと結局は諦めることが多い日常となります。10年以上も前には、ドライブ方々、訪問した際に拾って来た紅廉(こうれん)片岩が玄関先に転がっていましたので、今朝ほど一寸刷毛で綺麗にして写真を撮ってみました。紅廉片岩は紅廉石石英片岩とも言われ、白い石英片岩が筋状に入っているのが普通です。左は石英片岩が多くて赤色が目立ちませんが、右の方は石英部分が少なくて赤色が鮮明です。この紅廉片岩の大岩は長瀞の荒川河岸に突き出ていて、秩父赤壁として知られています。
2009.09.17
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これは産業廃棄物のコンクリート破片に見えますが、そうではありません。通称「さざれ石」とされる石灰質角礫岩で、神奈川県の水源「相模湖」の南に位置する石老山から、リュックに入れて持ち帰って来たものです。石老山には、大きなさざれ石と言いますかさざれ岩が点在していますが、石質が脆いことから一部が崩れたのでしょうか、トレッキング道には様々なさざれ石がごろごろしていますので、その小さな数点を登山記念にしようと思ったのです。日本国歌にも歌われている「さざれ石」ですが、一見すると、やはり産廃のコンクリート破片にしか見えません。さざれ石(細石)は、小さな石の欠片の集まりが炭酸カルシウム(CaCO3)などにより埋められ、1つの大きな石の塊に変化したもの。「石灰質角れき岩」とよばれる。石灰岩が雨水で溶解し、石灰質の作用により、小石がコンクリート状に凝結して固まってできる。日本では滋賀県・岐阜県境の伊吹山が主要産地である。石老山699mは相模湖の南にあり、約一時間で登頂出来ます。途中の大見晴台からの展望で相模湖、中央高速道が見ることが出来ます。
2009.09.09
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昨日は午後雨も上がり、青空もちらほら見えて来ましたので、菖蒲を見に薬師池公園に行ってみました。家内も家のベッドで寝たきりではストレスも溜まるだろうと、酸素ボンベを担いで、車椅子を押して気分転換を図ろうと思ったのです。土曜日にも拘わらず、未だ10日程早かった様で2分咲き程度でした所為なのでしょうか、訪問客も少なくのんびりと見物出来ました。それでも、午前中の雨で菖蒲田は活き活きしていましたので、出掛けて良かったと思います。薬師池公園では、一角の沢を、池の水を循環させて沢の上奥21番棚田から沢下1番田に流し落とす菖蒲田に整備し、水車小屋も再現し、日陰を確保する四阿・ベンチも設置していますので、ゆっくり散策し休憩しながら観賞出来ます。又、菖蒲田側面の林との間にも散策土道が設けられ、脇には各種の紫陽花が植栽されていますので、菖蒲と紫陽花を同時に愛でることが出来ます。この時期、説明テントが設営され、菖蒲(しょうぶ)、文目(あやめ)、杜若(かきつばた)の鉢植えと共に、特徴・見分け方が書かれています。菖蒲の江戸系・肥後系・伊勢系の説明もあり、江戸系は花弁3枚、肥後系は大輪で6弁、伊勢系は3弁・6弁が混在するとされていました。これは、「鷹の爪」と名板があった菖蒲、多分ピンクに斑の入った方がそうだろうと思われます。
2009.06.07
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昨日は、1年振りに町田えびね苑に行ってみました。電話して開花状況を聞きました処、エビネは満開、クマガイ草は見頃が過ぎてしまったと言うことでした。暗くなりがちな杉・檜木立を間引きし、下枝を落として、地面床には柔らかい日の光が差し込む様に整備されていて、その様な床に適するエビネが10万株植えられています。昨日は日差しが明るい場所にあるエビネは黄エビネを中心に咲いていましたし、その他のエビネも色とりどりに咲いていました。匂いの良いことで知られるタカネエビネは、鮮やかな色の対比も見事な花ですが、午後になると良い香りは薄れてしまうとのことでした。エビネ(Calanthe)は日本に自生する可憐な蘭の花で、花色は黄色、赤、白、桃色と多岐に亘り、花弁と唇弁の色の組み合わせで更に多彩となりますが、観賞用に乱獲され、絶滅危惧種に指定されているものもされているものもあります。日本のエビネは林の中の床土に息づいて群生して咲きますので、種々の色のエビネを一個所で鑑賞出来る特徴があります。苑内には高価なえびねもあって、盗掘して持ち帰る様な不心得者もいるとのことで、開苑時間も午前9時30分~午後4時までと短く、花の季節2週間が終わると閉苑してしまいます。加えて年々、監視員の姿勢が厳しくなっている様な気がしますが、落ち着かない時代の趨勢でしょうか?
2009.05.03
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昨日、登戸近くの多摩川の宿河原堰で特別採集隊が魚の調査をしていました。此処には多段カスケード式の魚道があって、鮎やウナギが上流に向かって遡上して行きますので、その調査だった様でした。魚道の上流側に仕掛けた網には、銀鱗を煌めかせた鮎が沢山見えましたが、その一部をバケツに入れ、スケールを当て体長を調べているのを見ていたのですが、殆どが60mm前後の稚魚でした。多摩川も一時は汚れが酷く、その汚れに対応できる鯉だけになったこともありましたが、近年奇麗になって、多くの種類の魚が戻ってきました。清流に住むヤマメ、昔から中流域に豊富だったウグイ、オイカワに加え、海岸付近からのボラ、ウナギの遡上もある様です。釣り人の憧れるアユ解禁には1ヶ月余もありますが、多摩川はもう既に初夏の気配でした。もう直ぐ、例年の様に鮎の大群が遡上して来るのだそうです。
2009.04.18
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登戸近くの多摩川河川敷に小さな稲荷神社があります。洪水の時は冠水してしまうのでは思うのですが、其処は河岸段丘の上段になっていることから免れる地形になっている様です。「正一位船島稲荷神社」となっていますので、小さいながらも由緒があるのかも知れません。ガイドマップに依ると、別名「沓稲荷」で、京都の伏見稲荷から分霊を受け、馬術発展と馬の健脚を祈願して、馬の藁沓を奉納したのが始まりだと言う。正一位と言うと神社の格が高い様ですが、全国の稲荷は全て正一位を名乗るのだそうです。稲荷神の総本社である伏見稲荷大社が正一位であることから、そこから勧請を受けた全国の稲荷神社も正一位を名乗っており、「正一位」は稲荷神の異称のようになっている。多摩川の宿河原可動堰の近くにありますが、昨日は花見も終わり、夏日に近い暑さとなった所為か、殆ど訪れる人も見えませんでした。
2009.04.11
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例年、相模原市城山町にある「カタクリの里」には夫婦で訪れていたのですが、家内が入院中なので今年は一人で行くしかありません。今朝9時過ぎに家を来るまで出て、橋本を経由して1年振りの訪問です。カタクリ(片栗)は、桜のソメイヨシノより少し遅いとの感覚がありましたので、一寸早いかと思ったのですが、案に相違して花の盛りを過ぎていました。先週の寒さで、桜の開花が止まったのですが、カタクリは寒さにめげずに盛りを迎えてしまった様でした。それでも80%は満開状態で、群生している花々には見応えがあります。一眼レフを帯同して方に訊いてみましたら、「此処に5年以上通っているのですが、今年は盛りを過ぎて良い写真が撮れない」と嘆いていました。写真家とは、一瞬の撮影勝負なので、萎れた花が混在しているのは、生命力に陰りが見えて許せないのかも知れません片栗のピンク色の花は、今朝の晴天に映えて、花弁を折り返し、中央には特有の縞模様が見えて魅力的な花でした。午前中パソコンに取り込み、それらの朝撮れ画像をプリント、簡単なフォトフレームに入れ、午後1時の面会時間には今年は行けなかった入院中の家内に届けました。
2009.03.30
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家内の入院している病院は登戸駅から徒歩3分、多摩川の岸辺から遠くありません。川崎街道を南下し、矢野口から多摩沿線道路に入り、稲田堤・中野島を経て多摩水道橋を横切れば直ぐの処にありますので、毎日の様に車で通っています。稲田堤・布田堰付近の対岸は50年以上も前、中学校時代に魚釣りに来た処で、その頃終点だった京王多摩川駅から歩いて川の中で川虫を採り集めて、ハヤ釣りに興じた覚えがあり、懐かしく感じながら通っています。昨日は晴天で暖かい陽気に誘われ、病院から出て登戸付近の河川敷まで散歩してみました。3連休の人達も多いのか、河岸は散歩する家族、釣り糸を垂れる人達、浅瀬に入って水遊びをする若者等、思い思いに楽しんでいる様でした。此処も、幼児だった長男を連れ、先日亡くなった父に相伴して魚釣りに来た処でもありました。30年以上も昔は、河岸は草で覆われていて、それを掻き分け土の岸辺に出た覚えがありますが、砂利・岩が多い河川敷は当時の印象とは大分異なっていました。手前の橋は小田急線の線路橋、複々線となったことから一際大きくなりました。その向こうに見えるのが多摩水道橋、4車線への改造竣工から10年も経たない最新鋭のローゼ桁アーチ橋です。河岸整備と橋改造等の大規模工事で、すっかり河川敷の様子は変わっていましたので、30年以上も昔、父が選んだ場所で、父と私と我が長男が釣りに興じた場所は特定出来なくなりました。
2009.03.22
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東京オペラシティ2階オフィスロビーのエレベーターホール横には、3階迄吹き抜けとなっていて広い空間が広がっています。何も無い訳では無く、広場の中央にポツンと黒い人物像が立っているのです。3階から見下ろして撮影したのですが、丁度右側からエレベーターホールに行こうとする人がいますので、丁度等身大の大きさであることが分かります。アントニー・ゴームリーによる立像だそうですが、何か奇妙に存在感がある様に感じられます。裸で佇んでいる彫刻には、通行する人々は意識するものの、意識的にはなるべく目をあわさないようにしている様です。どうも作者自身の体を写し取ったと言われると一寸気味が悪くなりますので、当然そうなるのかも知れません。アントニー・ゴームリー(Antony Gormley、1950年~)は、イギリスの彫刻家。ゴームリーは、人体とは記憶と変化の「場所」であるとする、ラディカルな研究を通して、自分自身の体をモデルに・ツールに・素材に使って、彫刻における人間像に新しい生命を与えてきた。彼の作品は、人体を「物」としてではなく「場所」として扱おうとしていて、その制作過程は、全人類共通の条件を識別するために、個々の肉体の「場所」を取り囲むことにある。「作品は象徴ではなく印で、時間の中のリアルな肉体のリアルなイベントの痕跡」と言うことらしい。上野の西洋美術館にあるロダンの等身大の立像「青銅時代」も、製作時「実際の人間から型を取ったのではないか」との噂があった様ですが、それは真実ではありませんでした。
2009.01.12
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父に伴って、父の故郷を訪れたのは11年前のこととなり、遠い昔となりました。 龍光寺本殿 足利(喜連川)氏墓所父と住職が話をしていましたが、往時の画像は無く、Webで借用させて頂きました。龍光寺(りゅうこうじ):臨済宗円覚寺派の寺院、山号は慈雲山、本尊は釈迦如来。所在地:栃木県さくら市喜連川4317(旧塩谷郡喜連川町)源氏の嫡流足利氏(喜連川氏)の菩提寺。足利尊氏の開基による創建と伝えられ、当初は東勝寺と号し、尊氏と直義が全国に設置した安国寺の内、下野国安国寺に指定された。戦国時代、喜連川に入った足利頼氏が龍光院と改め、以後喜連川氏の菩提寺であったことから、藩主14代の墓地が整然と立ち並び、大名の廟所として風格を感じさせる。第二次大戦後の1953年(昭和28年)寺号が格下げとなり、現在の龍光寺と改められた。喜連川宿は奥州街道にあり、喜連川藩下、江戸から二十番目の宿場本陣町として、参勤交代の際にも利用され、それなりに栄えていた。それでも、源氏の嫡流足利氏(喜連川氏)の本拠地とは言え、僅か5000石の碌高では台所事情は苦しいものがあった様で、家臣も100名に満たなかったらしい。しかし、明治時代の東北本線敷設の際に、「岡蒸気」反対として線路・駅設置を拒否したことから、氏家からそのまま北上することとなり、地域開発の時代に遅れ、急速に寂れてしまった。結果として、那珂川沿いを散歩しても、草叢1m毎に、ヤマカガシ、青大将に出会う程、蛇の生息数の多い処として、濃い自然が残る日本の原風景が保たれました。しかし分からないもので、1981年町の起死回生を狙っての温泉掘削が行われ、質の良い温泉湧出に成功、一躍自然の残る周辺地でのリゾート開発が進展することになりました。
2009.01.04
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昨日は、午後2時頃、伊勢原から平塚に抜ける県道61号線をドライブしていました。ふと西を見ますと、畑の向こうに富士山が見えて来ました。冬の陽は傾くのが速いので、早くも西日となっていて半分シルエットとなりかけていましたが、この様な富士も綺麗なものと車を停めて撮影しました。やはり、年明けの正月に見る秀麗富士、空気も澄んでいて何とも良いものです。昨年末は不景気風が酷く辛い年明けとなりましたが、今年は何とか視界回復を目指し、難局打開が望まれる処です。
2009.01.03
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紅葉も見頃と思い、箱根に行って来ましたが、流石に名だたる景勝地、観光シーズン真っ盛りで、物凄い混雑でした。小田原厚木道路から車は長蛇の列で、国道1号線は大渋滞、のろのろ運転で芦ノ湖畔の元箱根に着きましたら、今度は駐車場が見つかりません。箱根関所跡まで行き過ぎて、ようやく恩賜箱根公園付属の駐車場に停めることが出来ました。久し振りに関所跡を見学後、箱根離宮跡に登り、芦ノ湖・箱根連山の向こうに富士山を見ました。雲一つ無い快晴なので風情に欠けますが、やはり天下の絶景でした。折角ですからと大涌谷に行ってみますと、此処も観光名所ですので、駐車待ちの車で又も長蛇の列となっていました。仕方無く諦めることにして、仙石原まで降り、其処の湿性園、近くススキが原を散策してみました。ススキは既に枯れススキとなっていて見頃は過ぎていたのですが、此処でも訪問客も多く、その人たちに交じって、名にし負う大群落を堪能することが出来ました。
2008.11.15
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町田ダリア園は11月3日で今年は閉園しますので、行ってみました。入園料は350円と昨年からは50円値上げとなっていましたが、「町田ダリア園」は、在住の花園芸家に町田市がハウス栽培園芸の障害者福祉作業所を兼ねて委託している民営公園ですし、全て値上げされていますので仕方がないのでしょう。さて、ダリアの季節は真夏の様な気がしますが、秋のダリアも立派なものです。閉園間際と言うことで、花が摘み取られてしまった株も多くありましたが、大輪のダリアもあって、未だ見ごたえは十分でした。花弁の中心が白く、先がピンクになっているダリアは華やかさの中に清楚さが感じられました。逆に、中心が深紅で花弁の先が白く斑が入っているものは、豪華に見えました。3mを超える高さで、樹木とも見える「皇帝ダリア」もありましたが、閉園後開花するとのことで一寸残念でした。どんな大輪が咲き出すのか見てみたいものです。しかし、町田ダリア園は如何せん敷地が狭いので散歩になりません。ダリア観賞後は、「薬師池公園」に行って園内散歩をするのがお勧めです。
2008.10.31
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昨日は絶好の天気でしたので、中央高速道から東富士自動車道経由で山中湖、忍野に行くことにしました。八王子から小仏トンネルまでは渋滞が酷く、30分程巻き込まれてしまいましたが、何とか午前10時には東富士自動車道に入り、雲も出て来ましたが未だ快晴、富士山を邪魔する程では無く、久しぶりに素晴らしい富士山を見ることが出来ました。山中湖では湖面は静かで、天空にそびえる秀峰でした。それでも、未だ午前10時半でしたので、折角ですからと北側に位置する忍野八海に移動してみました。少し北側になったことと、富士山にデジカメを向けてみますと、残念ながら少し逆光で姿が薄く見え、近影が邪魔して上手く撮影出来ませんでした。この時期、観光シーズンに入っているのか、続々と観光バスが来て、訪問客で一杯となりました。それでも忍野八海の内、富士山を見つつ3つの池を散策、山中湖に再度行って湖畔を一周し、帰途はゆっくり山道の道志道を通って帰りました。
2008.10.30
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3日続きの晴天と予想された2日目の昨日、久し振りに高尾山に行って来ました。車で往復する一番怠惰な方法を選び、10時に家を出発して高尾山参道を過ぎた甲州街道沿いにある薬王院祈祷殿に駐車させて貰いました。此処は駐車料金が500円と、他に比べて半額なのです。家内が数年来のぎっくり腰が高じて脊椎骨の一部が潰れ、私が6月にぎっくり腰を患ったことから、最短コースを至ってゆっくり登ることにしました。高尾病院を通り過ぎて登山コースとなりますが、此処は昔民家があって通過禁止となっていたことから、正式な登山コースとしては認知されていません。しかし、ケーブルカー山頂駅に行く最短コースとなります。通常は30分なのですが、何回も休みを入れ、1時間掛けてようやく1号路に合流しました。高尾山には、日本一の急勾配を誇るケーブルカーがあり、簡便に登れることから、自然を楽しむ行楽地として知られています。山頂から見る富士は日本百景に選定されていますし、中腹には薬王院があって修験の場でもあり、東海自然歩道の起点です。山腹一帯は「明治の森高尾国定公園」に指定され、キャンプやバーベキュー、植物採取、鳥類捕獲も禁止されていて、東京近郊にも拘わらず、豊富な自然が残されています。2007年には、ミシュランガイドで最高ランクの“三つ星”の観光地に選出されたことから、登山道の安全を確保する尾根沿いに鉄製手摺・ナイロンロープ等が多数装備されました。薬王院前の杉並木から見る八王子市中心街、驚く程の近さです。奥の院への長い階段を登り切り、山頂近くの遊歩道沿いにあった林に設置されてあったベンチで一休み、鍋(コッヘル)にインスタント塩ラーメンを入れ、プロパン・バーナーで沸騰調理し、駅前で買ったおにぎりと共に遅い昼食としました。インスタント・ラーメンは家で食べると美味しくないのですが、山の上では暖かさが貴重なのか美味しく食することが出来るのも不思議です。山頂駅付近では最大斜度31°の日本一の急勾配を誇る、ケーブルカーの線路沿線、紅葉には未だ1ヶ月以上も必要の様でした。
2008.10.04
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新宿駅西口前に地上50階の奇抜な形のビルが出現し、モード学園コクーンタワーと言うらしいのです。コクーン(Cocoon)と言えば「まゆ」の意、確かに蚕(かいこ)の繭(まゆ)を立てた様な形で、蚕の糸で外側が覆われているとも見えないこともありません。インターネット検索すると、次の様に紹介されています。モード学園コクーンタワーの完成は2008年10月、東京モード学園の新校舎で、東京モード学園と新たに開校するHAL東京、首都医校の三校が入ることになります。東京モード学園の現校舎も引き続き使用いたします。両校舎とも新宿駅西口から地下道を通って3~4分の好立地で、2009年4月に開校する予定です。HAL東京は4年制を中心としたIT・デジタルコンテンツ系の専門学校。ゲーム・アニメと言ったエンターテイメント分野、カーデザイン・CGといったデザイン分野、ロボット・自動車システムといったサイエンス・テクノロジー分野からITビジネスまで、ITをキーワードに幅広い分野をカバーしています。IBM・任天堂・マイクロソフト・日産自動車をはじめ、それぞれの分野で業界を代表する企業の強力なバックアップを受けた産学連携による実践教育が特徴です。首都医校は学生総数約7千名規模のメディカル総合学園です。チーム医療・福祉の時代に応じ、各学科などとも交流・連携しながらチーム医療に必要な学びを実践します。また東洋医療系学科を設置予定しており、「西洋医療と東洋医療の融合」といった複合的な学科編成になっております。いずれにしても、この東京モード(MODE)学園、HAL東京、首都医校(iKO)は4年制もあるとは言え、正式な大学扱いでは無い専門校ですから学士号取得も無く、教育助成補助金無しの純民間経営による職業訓練校の様です。教育は向学心に燃える若者世代に低価格で提供されなければならないものだと考えているのですが、教育事業は金儲けビジネス産業に変貌して来ている様にも思えてなりません。一等地に出現した巨大な専門学校、さぞ授業料が高いのではと心配しています。
2008.09.12
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東京日野市の高幡不動尊で6月1日から7月6日まで「アジサイ祭り」が開催されていましたので、行ってみました。此処はテレビでも紹介されるアジサイの名所となっていますので、一眼レフを抱えたカメラマンも多く、驚く程の混雑振りでした。山アジサイの小径もあり、珍しい品種には全て名札が付けられていましたが、全国津々浦々から山アジサイが集められている様です。又、高幡不動の境内には多数の出店もあり、全国種々の名産品なども売られていて、アジサイ祭りを盛り上げていました。 背景に見えるのは五重塔、アジサイは日本古来の花ですので、和風建築と良くマッチする様な気がします。
2008.06.30
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梅雨の時期、雨を吸ったアジサイの花々は一際奇麗に見えます。昨日は梅雨の中休みとなりましたので、あじさい祭りが行われている府中市の郷土の森博物館に行ってみました。6月一杯は楽しめるとのことでした。此処は梅の名所であり園内も広いので、アジサイの種類も多く、植栽されている数も多いのですが、それ程のボリューム感は感じられません。だがしかし、園内を散歩しつつ何処其処にゆったりと種類別に咲き乱れている様を見ることが出来るのは、却って良いのかも知れません。原種に近い「萼アジサイ」も種類が豊富で、珍しいものもあった様です。青色の萼アジサイ、普通はこれでしょうか?ピンク色の萼アジサイ、グラデーションも奇麗でした赤色の萼アジサイ、花弁数は少ないのですが見事な紅でした
2008.06.25
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薬師池公園では、一角の沢を、池の水を循環させて沢の上奥21番棚田から沢下1番田に流し落とす菖蒲田に整備し、水車小屋も再現し、日陰を確保する四阿・ベンチも設置していますので、ゆっくり散策し休憩しながら観賞出来ます。又、菖蒲田側面の林との間にも散策土道が設けられ、脇には各種の紫陽花が植栽されていますので、菖蒲と紫陽花を同時に愛でることが出来ます。この時期、説明テントが設営され、菖蒲(しょうぶ)、文目(あやめ)、杜若(かきつばた)の鉢植えと共に、特徴・見分け方が書かれています。菖蒲の江戸系・肥後系・伊勢系の説明もあり、江戸系は花弁3枚、肥後系は大輪で6弁、伊勢系は3弁・6弁が混在するとされていましたが、良く分かりません。この「八ヶ岳」と名板に書かれた菖蒲、3枚花弁ですので江戸系と推測するばかりで、区分けについての自信はありません。
2008.06.13
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昨日は雨も上がり晴天となりましたので、薬師池公園に行って菖蒲田の様子を確かめてみましたが、1週間ほど早かった様です。1週間ぶりの晴天を楽しむ家族連れの方々で結構混雑している中、ゆっくりと散歩していましたら、展示館前の芝生広場で、賑やかな祭りの音が聞こえて来ました。何事かと行ってみますと、「神龍会」の幟があり、大太鼓・小太鼓・横笛に合わせて、獅子舞が演じられていました。ストーリ性のある獅子舞で、面白いものでした。オカメ・ヒョットコが、手なずけた獅子を飼い犬然として連れて歩くのですが、その内に獅子が草臥れたのか、動かなくなります。するとヒョットコが棒で獅子を打ちすえ動くように促すのですが、横になったままで言うことを聞きません。小さな風船ボールを持ち出して、口に食わえさせて、その風船を割って脅かします。吃驚して立ち上がり、疲れているのにあんまりだと怒った獅子は、何とヒョットコに襲い掛かり、ヒョットコは平謝りに謝ります。「神龍会」は町田天満宮の氏子社中の皆さん、祭りを楽しむ有志の方々で賑やかに神輿を担ぐのを主目的として、結成されている様でした。「神龍会」幟の下には、白装束の神主さんがじっと立って、獅子舞踊りの様子を見ていました。図らずも久し振りに、祭りの気分を味わうことが出来たのは幸運なことでした。
2008.06.02
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昨日は中央区月島4丁目の「月島ハイツ」、江東区東陽町の「原木会館」に行く用事がありました。昔は下町と言われ、都バスを使わなければ行くのが難しかった地域が、地下鉄網の発達で驚くほど便利になっていて、ビジネス・リゾート地区への変貌していたのには吃驚してしまいました。京王線から都営新宿線、メトロ有楽町線と乗り継いで「月島」で降り、清澄通りを7~8分歩いて、漸く「月島ハイツ」に着きました。挨拶方々、「月島駅から遠いですね!」と言いましたら、相手をしてくれた人が怪訝な顔をしたのです。都営大江戸線「勝どき(鬨)」駅からは2分しか掛からないらしいのです。しばらく歓談し、昼食を一緒にした後、「東陽町に行くのにはバスで門前仲町に出てメトロ東西線に乗るのですか?」と聞きましたら、「都営大江戸線で門前仲町は勝どき駅から2駅目、途中は月島で、来られる時は一駅分歩いて来たのですよ!」と言うのです。教えられた通りにすると、所要時間も短く、あっという間に「東陽町」に着きました。駅前東西を走る「永代通り」は、昔から交通の混雑する様子は変わりませんが、通りには高いビルが多々あって小奇麗なビジネス街に見えて、下町的な様子はなくなりました。南北を走る「四つ目通り」の北側には江東区役所もあり小奇麗に変貌していましたし、原木会館前にはビジネスホテルもオープンしていて確実にビジネス街に変貌中の様でした。原木会館内で所定の用事を済ませ、勤務時間後「アフターファイブ」として小さなビールパーティを楽しませて頂きましたが、昔はよく知っていたと思われた地域については、全く地理不案内の「今浦島」状態であることが分かりました。15~20年昔は、江東区は工場地帯・ごみ埋め立て地として知られていたのですが、今や確実にアクセス便利なビジネス・リゾート地区へ変貌しています。嘗て知っていた筈の街並みが、あまり変貌を遂げた場合は、トーマス・マンの言う「トニオ・クレーゲル的徘徊」も適わないものだと思いながら、帰宅することとなりました。
2008.05.24
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例年はNHK大河ドラマを殆ど見ないのですが、今年は3月に鹿児島に行った所為か、此処2ヶ月程「篤姫(あつひめ)」を楽しみつつ見ています。彼女の実家は今和泉島津家、その屋敷跡は薩摩今和泉駅から徒歩10分ほどで行ける場所にあるとされるのですが、その敷地は今和泉小学校となって跡形もありませんでした。藩主の代役を務める筆頭格の名家だったそうですが、時代の荒波に呑込まれてしまったのでしょうか、松原・海岸に沿う石垣等が寂しく残っているだけで、其処には次の様な説明板が建てられていました。今和泉小学校は、今和泉島津家の屋敷があった処です。その領地は今和泉郷と呼ばれ、現在の岩本・小牧・新西方の一部・池田・仙田からなり、1万5千石の石高がありました。今和泉島津家第5代忠剛(ただたけ)の娘一子(かつこ)は、嘉永6年(1853年)に第11代薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)の養女になり、名を篤姫(あつひめ)に改めました。そして、安政3年(1856年)、第13代将軍徳川家定(いえさだ)に嫁ぎ、家定が亡くなった後は、天璋院(てんしょういん)と名乗り、幕末から明治の動乱の時期に、徳川家の存続に尽力しました。現在、当時をしのばせるものとして、今和泉家伝来の手水鉢や井戸、隼人松原や領主仮屋跡の石垣が残っています。 「指宿市教育委員会」しかし、此れも大河ブームにあやかって、今年に急遽整備されたものの様でした。天璋院篤姫が擁立する予定だったにも拘わらず、徳川家最後の15代将軍慶喜とは仲が悪かったことが影響してか、歴史に埋もれてしまい地元でも長らく忘れ去られていた様でした。
2008.05.12
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帝国ホテル4階の窓から、日比谷公会堂が見えました。生憎、今日は雨天から曇り空の天候の所為か、特有の赤煉瓦がくすんでしまって映えないのが残念でした。都会のオアシスとされる「日比谷公園」の一角にありますが、園内の木々も大きくなり、周囲のビル群も高層化されていますので、緑とビルの中に埋没してしまっている感がありました。日比谷公会堂は1922年コンペ当選者であった佐藤功一氏の設計になるもので、客席2700をもつわが国初の本格的ホールとして計画され、1929年に竣工した。当初はルネッサンススタイルの計画だったのだが、関東大震災による中断を挟んで周囲の調和なども考慮しネオゴシック風に変更したと言うことです。嘗て、東京唯一のコンサートホールとしてプロ・オーケストラの演奏会やリサイタルも多く開かれましたが、東京文化会館を皮切りにNHKホール、昭和女子大学人見記念講堂、サントリーホール、東京芸術劇場、オーチャードホールと言ったコンサート専用ホールや多目的ホールが整備されるに従い、コンサートホールとしての地位は低下して、講演会、イベントなど音楽会以外の利用が増え、クラシック音楽の演奏会はほとんど開催されなくなっている。1960年代には、コンサートが東京文化会館で行われると嬉しく、日比谷公会堂では少しがっかりとしつつも音楽会に出掛けて行った記憶が蘇って、懐かしくなりました。4階建てのビルですので時計台も目の高さに見えましたが、相変わらず正確な時刻を刻んでいる様でした。この時計台を持つ煉瓦造りのビルディングは数がすっかり少なくなり、東京都の歴史的建造物に指定されているのも分かるような気がします。その向こうに見える円筒状の屋根はプレスセンター、昔は特異な形状で目立つビルディングでしたが、こちらもビルの中に埋没し目立たなくなりました。それでもプレスセンターでは、今尚、外人記者クラブ会見等も多々あって、その存在感は失われていない様ですが、こちらも6年程ご無沙汰です。
2008.05.02
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昨日は午後から晴天となり、1年振りに町田えびね苑に行ってみることにしました。電話して開花状況を聞きました処、エビネは6分咲き程度、クマガイ草が見頃だと言うことした。暗くなりがちな杉・檜木立を間引きし、下枝を落として、地面床には柔らかい日の光が差し込む様に整備されていて、その様な床に適するエビネが10万株植えられています。昨日は日差しが明るい場所にあるエビネは黄エビネを中心に咲いていましたし、その他のエビネも色とりどりに咲きだしていました。匂いの良いことで知られるタカネエビネは、鮮やかな色の対比も見事な花ですが、午後になると良い香りは薄れてしまうとのことでした。エビネ(Calanthe)は日本に自生する可憐な蘭の花で、花色は黄色、赤、白、桃色と多岐に亘り、花弁と唇弁の色の組み合わせで更に多彩となりますが、観賞用に乱獲され、絶滅危惧種に指定されているものもされているものもあります。日本のエビネは林の中の床土に息づいて群生して咲きますので、種々の色のエビネを一個所で鑑賞出来る特徴があります。クマガイソウは満開状態、年々その数を増やしている様でした。苑内には高価なえびねもあって、盗掘して持ち帰る様な不心得者もいるとのことで、開苑時間も午前9時30分~午後4時までと短く、花の季節2週間が終わると閉苑してしまいます。
2008.04.29
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高尾山には、日本一の急勾配を誇るケーブルカー・リフトがあり、簡便に上ることが出来ることから、自然を楽しむ行楽地として知られています。山頂から見る富士は壮大で日本百景に選定されていますし、中腹には薬王院があって修験の場でもあり、東海自然歩道の起点であります。山腹一帯は「明治の森高尾国定公園」に指定され、キャンプやバーベキュー等、又植物採取、鳥類捕獲も禁止されていることから、東京近郊にも拘わらず、豊富な自然が残されています。2007年には、ミシュランガイドで最高ランクの“三つ星”の観光地に選出されたことから、登山道の安全を確保する尾根沿いに鉄製手摺・ナイロンロープ等が多数装備されました。高尾山周辺はスギ・ヒノキも多く植栽されていて、スギ花粉の発生源ともなっているのですが、登山道近傍では、放置されたままで暗かった杉林の下枝が伐採されて明るくなり、陽光が差し込む様になりました。今は丁度、スミレの季節で沢山咲き乱れていましたが、多くは丸葉のタチツボスミレ、一番生命力が強い様で、エイザンスミレ、高尾スミレは滅多に見つかりません。そんな中、青い可愛い花が群生して咲いているのを見つけましたので、写真撮影して自宅で「高尾山の野花」でネット検索しましたら、ヤマルリ(山瑠璃)草と言うことが分かりました。
2008.04.24
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先週の土曜日、薬師池公園に行きましたら、無料駐車場に、沢山の「町田牡丹園」の幟が立ててありました。町田牡丹園は、例年4月中旬からゴールデンウィーク迄は、牡丹が咲き誇って有料となりますが、今年もその時期になった様です。駐車場には誘導係員の方もおられましたので、開花状況を聞きましたら、「今年は開花が遅れて、本日は未だ無料です!」とのことでした。折角ですからと、早速行って見ましたら、開花状況は10%程度で一寸寂しく、急遽世話係の方々が「無料」との判断をした様でした。ベンチ・腰掛けには、緋毛氈が掛けられて、訪問客を迎え入れる準備が整えられていましたが、如何せん開花数が少なく、観賞に訪れる方々も疎らでした。多分、インターネット等で開花状況がチェックし、未だ早過ぎると、訪問を控えているのでしょう!それでも、早生の種は、綺麗な姿を見せてくれていましたが、やはり「見頃は、有料になる思われる今週末からではないか?」と思われました。
2008.04.14
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桜島は今尚旺盛な噴火活動を続ける活火山で、1955年から数えただけでも、総爆発回数7700回を超え、放出される火山灰は多い年で推定2900 万トン(1985年)に達するらしい。近年の大噴火は1914年が特筆されるもので、30億トンの溶岩流が、当時400mあった瀬戸海峡を横断し大隅半島と陸続きになったとされています。1914年爆発以前は、海岸から500m沖合に烏島と言う島があった。高さ20m、周囲200mの無人島であったが、桜島の中腹から流れ出た溶岩はこの烏島を溶岩の下20mに埋め込んでしまった。海を隔てた島が溶岩で埋もれてしまうと言う現象は、火山史上でも極めて珍しいものである。この出来事を永遠に記念する為、1951年石碑を建てたものである。烏島展望所は桜島港から約2kmの溶岩原に、桜島火山群と錦江湾を一望できる展望所として整備されていました。其処から見る桜島火山群、南岳から小さな白い噴煙が見られましたが、活動の動きは全く無く、平穏そのものなのです。展望所には「烏島この下に」と言う記念碑が建てられていましたが、如何に無人島だったとは言え、時として、自然の猛威・驚異は想像を超え、凄まじいものだと実感してしまいました。
2008.03.28
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仙巌園の磯山にある切り立った岩(巌)肌に刻まれている「千尋巌(せんじんがん)」3文字は、薩摩藩27代島津斉興が失業者救済の公共事業として、3ヶ月の日数と人員延べ3,900人を要して彫らせたものだそうです。岩の高さが約40mで刻まれた3文字全高が11m、1969年10月、150年振りにお化粧されて白い文字が浮かび上がって、実測では文字高さはそれぞれ3.3m、幅が「千」が2.2m、「尋」が2.3m、「巌」が2.6mと言うことの様です。滝廉太郎作曲で知られる「箱根八里」では「千仞(せんじん)の谷」と唄われ、尋(ひろ:6尺で約1.8m)の字は充てていませんし、通常「千尋」は訓読みで「ちひろ」と読ませています。此処仙巌園は、日本で初めて中国から移植されたとされる孟宗(もうそう)竹の「江南竹林」、曲がりくねった清流が庭を流れる「曲水の庭」、など中国風の造園を感じさせるものもありますので、中国文化にその命名の由来があるのかも知れません。
2008.03.27
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鹿児島市の西郷隆盛像は、中央公民館交差点、中央公園に面した通りの反対側に立っています。陸軍大将の軍服姿で、何とも無骨な感じがしますが、風貌・姿は此方の方が近いとの評もある様です。最も写真も肖像画も一切残っていないとのことですので、何とも言いかねますが・・高さは5.3mと上野の西郷像に比べて1.5倍とかなり大きくなっています。郷土の彫刻家「安藤照作」による銅像は、軍国主義が大いに闊歩した1937年の製作ですので、陸軍大将の正装で直立不動の姿勢であるのは、時代の趨勢からすれば、西郷の名誉回復という観点からも当然かも知れません。一方、上野公園にある西郷像は明治時代の重鎮彫刻家高村光雲の作で、高さは3.6m、5年の歳月を経て1898年完成、「西郷の特徴ある唇(人間的な魅力と情愛に弱い処が同居する様子)を表現し切れない」と苦しんだとされています。公開の際に招かれた西郷夫人糸子は「うちの主人はこんな人ではなかったですよ」と漏らしたらしいのですが、その意図は「亡夫は多くの人間の前に正装ではなく普段着で出るような礼儀を弁えない人間ではない」と解説されている。西南戦争で朝敵となったことで反感を持つ政治家も多く、明治政府の官位による正装をさせるわけにはいかなかった事情が背景にあったと考えられ、一切の名利を捨てて山に入って兎狩りをした飾りの無い本来の姿にこそあるとして発案されたとのことですが、如何にも気軽に「西郷さん」と挨拶出来る親しみ易さがあります。
2008.03.26
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新薩摩切子は3種類が造られ販売されています。この切子は大きな猪口、ハーモニー (Harmony)と呼ばれる模様パターンで、ベースとなる色ガラスは緑、その上に瑠璃色のガラスを重ねたもので、不思議で複雑なグラデーションを持つカットグラスに仕上がっていて、薩摩切子特有のボカシが最大限に表現されている様です。我が家の室内で見ますと一寸暗く感じられるのですが、販売店では照明が明るかったのか、もっと緑色と青色が複雑に絡み合って見えました。本当は華やかな金赤/瑠璃も欲しかったのですが、値段が高すぎて二つは買えません。このようなものは無理せず、年々少しずつ計画的に揃えて行くのが妥当なのかも知れません。調合師の技:数限りない色の世界は、材料の配合によってほんの少しずつ変化する色の表情を読み取りながら繰り返された試験によって二色被せのための究極の3種の色が作り出されました。・コントラスト(Contrast) 錦江湾に沈む夕日ベース色ガラス 金赤/追加被せガラス 瑠璃・ハーモニー (Harmony) 大木越しに見上げる大空ベース色ガラス 緑/追加被せガラス 瑠璃・トーン (Tone) ゆれる若葉たちベース色ガラス 黄緑/追加被せガラス 蒼吹き職人の技:通常薩摩切子の色の厚みは最大3mm程度、更に一層の色グラスを追加して、バランス良く三層を作り上げる高度な技術が求められます。カット職人の技:2色被せグラスに、ボカシを生み出し、美しい薩摩切子へと変身させるのが「カット職人」。重なりあう二色の変化から透明なクリスタルへと連鎖する変化を美しく表現するためには、微妙に彫り分けて、自然な色のグラデーションを生み出す精巧なカット技術が必要です。
2008.03.25
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砂蒸し温泉で全国的に知られている指宿温泉に泊まってみました。鹿児島空港で11時半頃レンタカーを借り、九州自動車道から指宿スカイラインに入り、途中知覧町に立ち寄ったこともあって、事前予約していました「国民休暇村指宿」に到着したのは午後4時となりました。開設から40年も経つと言うことでしたが、保守整備が適切にされていたのでしょうか、それ程古くて汚れていると言うことはありませんでしたし、宿泊客も多いので安心しました。しかし、薩摩半島の南端に位置し、亜熱帯性気候から通年花が咲いている東洋のハワイとも呼ばれるリゾート地は、アクセスの悪さから疲弊して来ている様でした。翌朝、雨が降ったり止んだりする不安定な気候の中、指宿中心街を抜けて開聞岳を見に出掛けたのですが、街には人影が少なく、温泉客・観光客もあまり見当たらないのが如実に感じられたのです。近年、開聞岳近くの国民宿舎、知林ヶ島対面海岸にあった簡保の宿、指宿港近くのユースホステル等も次々と閉鎖されて、温泉地としても客減少に歯止めが止まらない様です。標高215mの魚見岳から見る指宿市街地。錦江湾に浮かぶ美しい無人島「知林ヶ島」、大潮又は中潮の干潮時には、長さ約800mの砂州が出現し、歩いて渡ることが出来るそうです。指宿市では若者世代の流出による住民の高齢化が顕著であり、「無職」が31%、「農林水産業」が15%、「パート・アルバイト」が11%、「専業主婦」が8%、「商業」が6%という順で、肝心な核となるべき「観光業」は僅か1.4%と少ないのです。「無職」の86%が60歳以上であることは仕方が無いものの、「農林水産業」の61%を60歳以上が占めると言う、高齢化した2次・3次産業不在の街となっています。商工業の基盤を持たない地方自治体の経営は何処でも四苦八苦の状態が続いていますが、指宿市の市民アンケートでも、「若者が定着する魅力ある街」が20%、「自然と温泉を生かした滞在型観光街」14%、「活気に満ちた農林漁業に支えられた街」が9%という順になっていて、新指宿市建設計画の基本理念では、「地域を担う人材を育てる街づくり」、「温泉の恵み、温暖地を生かす里づくり」、「肥沃な台地と豊かな海洋資源を生かした食料供給基地づくり」が謳われていますが、3次産業の代表格とされる温泉・観光を低迷させたままでは、如何にも如何にも前途多難と見られます。
2008.03.23
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南九州市知覧町の武家屋敷群を訪問した時は、天候は悪化し、本格的な雨となって来ました。折れ曲がった本馬場通りは防衛上の必要性から造られたものでしょうが、なかなか風情があるものとなっています。それに沿って連なる石垣の上に緑の生け垣を設けた美しい景観は、江戸時代がタイムスリップした武家屋敷群となっていました。この武家屋敷群が700m余り続き、この内7つの屋敷が邸内の庭園を公開し、その一つは料理屋としても名高いそうです。7庭園共通の入園料は500円、武家風の枯山水の庭は大きくはありませんが、質素な中にも独特の雰囲気があり、一見の価値はあります。此処の武家屋敷群には、庭木としても生垣として槙の木(イヌマキ)が多く使われていました。庭木の槙は枝葉を丸く刈り込んで設え、生垣の槙は上部を曲線的に刈り込んで、遠景の山々を模擬再現する雰囲気は、庭師の冴えが感じられる。一般的に庭木として用いられる黒松(クロマツ)は、槙(イヌマキ)に比べて弱く、世話が大変なので、妥当な庭木が選択されていると、感心しながら眺めることになりました。
2008.03.22
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西大山駅に到着しましたのは午前9時10分頃でしたので、指宿行きの列車は既に発車していていませんでした。鉄道マニアの方がホームに残っていまして、「今朝は快晴で、強い風で雲が飛ばされて良く見える開聞岳を背景にして、午前9時00分着指宿行きの列車がホームに入って来る様子の良い動画が撮れました」と嬉しそうでした。それでも、薩摩富士と呼ばれる秀麗なコニーデ火山の開聞岳、西大山駅(にしおおやまえき)から望む姿は、確かに「美しい」の一言でした。西大山駅は鹿児島県指宿市山川大山にあるJR九州指宿枕崎線の駅、北緯31度11分に位置し、枕崎方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅、ホーム外れの標柱には「JR日本最南端の駅」と書かれていました。ホームだけで、駅前に多少の駐車場スペースはありますが、駅舎も無く、完全な無人駅となっていました。それでも、観光バスも来ましたし、タクシーで乗り付けて景色を楽しむ訪問客も多い様でした。良く知られている観光スポットの様で、アクセス道路沿いには迷わない様な案内板が多数設置されていました。
2008.03.21
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昨日は、知人二人と昼会食をする為に、寺家ふるさと村「青山亭」を1年ぶりに訪問しました。知人の一人が今月初めから、関連会社経由で退職した会社へ派遣社員として10年のブランクを経て再就職していましたので、激励の意味もありました。彼は1940年4月生まれですから来月には68才となりますが、年金併用制度を生かした雇用契約、会社も人材が払底していたこともあり「費用対効果」の利点を考えて採用となった様です。それでも長年培った制御計装技術が再度生かされるのは、とても良いことだと思われます。ただ、彼曰く「2時間半の通勤が大変なので、会社の寮に泊まって仕事をする」と言うのが一寸心配でした。同じ横浜市内でそんなに掛かるのかと乗換案内で調べてみますと、住居最寄駅から会社最寄駅までは約1時間~1時間10分、駅から事務所まで徒歩5分なので、家から最寄駅までバスで30分掛かると言うのを合算しても2時間以内なのです。計算が合わないのは、座って通勤と言うのが彼の通勤哲学ですので、行列待ち時間を考えるとそうなるのかも知れませんが・・企業戦士と言われる世代ですので、「寮に泊まり金帰月来」と言う生活スタイルに抵抗感は無いのでしょうが、既に高齢化世代、実働6時間を有効に生かし、朝に家を出て夕方に帰ると言う普通の生活が良いと思うのです。昨日の会食は、和風喫茶「青山亭」のランチ弁当セット、食後に珈琲、紅茶・菓子付きもありますが、隣に茶室があることから抹茶・和菓子がお勧めです。半分様子を聞きつつ半分は激励も込めて、楽しくとりとめの無い話をした後、寺家村の谷戸をのんびりと3人で散策しました。昨日は日曜日、晴天で陽気も良く多くの人達が家族連れで訪れていて、いよいよ春到来を感じられる季節となって来ました。青山亭は里山の中腹に位置しています。青山亭の入口では、小さな桜木にも花が綻んでいました。寺家ふるさと村は横浜市青葉区の寺家町にあり、町田市と川崎市麻生区に接している。古くからの農村の風景を残す谷戸として知られ、雑木林の里山とそこに入り込む谷戸田の風景が美しく、季節を問わず多くの人々が訪れる。寺家ふるさと村は、寺家町の人々によって地域の特徴を活かした地域活性化模索が原点となっている。基本計画が策定されたのは1982年、1984年寺家ふるさと村体験農業振興組合が設立され、1987年「四季の家」が開館、総事業費9億円以上と言う「寺家ふるさと村」は完成。地元主体で始まり、横浜市と神奈川県と国が協力して、推し進めた「ふるさと村」は、それまでに例の無い初めての試みであった。
2008.03.17
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府中卸売センター屋上駐車場から、サントリー武蔵野ビール工場の大きな熟成タンクが良く見えました。大きな紫外線防止の色付き窓ガラス越しですが、外から見れる様に設計し直したのでしょうか?右手には、JRA東京競馬場の巨大な観覧席も、それほど遠くなく見ることも出来ます。府中市中心街から少し外れた、多摩川にも近く豊かな緑に恵まれたこの区域には、家族や友達で自然・文化を楽しめるスポットが結構あります。遠くに富士を眺めつつ多摩川土手を散策してから、大きな市場で買い物を楽しみ、美術館や博物館・プラネタリウムでゆっくりリフレッシュした後は、ビール工場で出来たての生ビールも無料試飲出来ます。サントリー武蔵野ビール工場無料で工場見学ができ、出来たてのモンドセレクション最高金賞受賞の「ザ・プレミアム・モルツ」や丹沢水系の天然水で仕込んだ「モルツ」の試飲も楽しめる。[見学料]無料府中市郷土の森博物館府中の文化や自然を紹介する博物館で、世界最大級のプラネタリウムや広々とした芝生広場や梅園、子供たちに大人気の水遊びの池などあります。[入場料] 博物館観覧料:大人200円、子供100円 JRA競馬博物館競馬の祭典「日本ダービー」や国際GI競走「ジャパンカップ」などが行われるJRA東京競馬場にある、アミューズメント施設。[入館料] 無料(ただし東京競馬場開催日のみ競馬場への入場料200円が必要) 府中の森公園、府中市美術館ファミリー公園としての運動施設が充実。また「府中の森芸術劇場」と言う総合文化施設もあります。公園内にある府中市美術館は、油彩画を中心とした常設展示しています。[入園料] 【府中の森公園】なし/【府中市美術館】一般200円、高校生・大学生100円、小学生・中学生 50円 大東京綜合卸売センター(府中卸売センター)誰でも気軽に買い物を楽しむことが出来る総合卸売市場。大きな青果市場と魚市場などの卸売店が、100店以上も軒を連ねています。また和食や中華など、食事も楽しめます。
2008.03.03
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2月26日は義長兄の命日、亡くなってから既に25年も経ちました。享年48才でしたから、遺族は未だ健在なのですが、義姉がリューマチを患っていて気軽な外出が適わないので、昨日はその替わりに墓参りに行って来ました。墓地は藤沢市営大庭台墓苑、湘南ライフタウンの一角にあり、西欧的な芝生墓地も多く、墓地とは思えないほどの明るく開放的な雰囲気です。この霊園は、「湘南ライフタウン」整備に先立つ1970年に設営され、区画数も26,000以上、広大な敷地内は自動車道路も整備され、清掃も行き届いていて、まるで公園散策をする様な感のある区画となっています。1972年から藤沢市 ・茅ヶ崎市を事業主体とする土地計画区画整理事業のもと計画的に整えられた丘陵地帯の街「湘南ライフタウン」、総面積378ha、現在人口約3.5万人、海岸線から北に約4km、湘南ならではの温暖な気候に恵まれ、遥かに丹沢の山並みや富士山を望む自然に囲まれた広大なベッドタウンですその美しい環境と共に一つの街としての機能を備えておりますので、日々の暮らしには欠かせない諸施設は、殆ど街の中に揃っています。今は岩波映画も解散となりましたが、其処に映画人としての人生を賭けた義長兄、業界の常なのか、徹夜も辞さず仕事に没頭しつつアルコール過飲が常習化したことで、体力が衰え、風邪から肺炎を併発してのあっけない人生終焉となりました。当時80才を越えた義父母も五島列島に隠居していて健在でしたし、遺された家族は大変でしたが、義長兄は業務遂行中でもあり、悔いの無い一生だったかも知れません。私は近頃、すっかりアルコールを嗜まなくなりましたので、墓石にお酒を注いであげる工夫も無く、回りの清掃をした後、実妹の家内が持っていた「タンカン」を墓石に置いて祈りを捧げるだけとなりましたが、今春の彼岸の時は持参するのも良いかと思い、墓苑を後にしました。
2008.02.29
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鎌倉街道沿いの町田市野津田町にある、讃岐うどんの店「海渡(かいと)」へ、ランチを食べに行きました。此処のランチ定食は、日替わり讃岐うどん・天ぷら・お刺身・小鉢・炊き込みご飯と内容豊富で人気がある様ですが、私の様に高齢者世代となると量が多すぎます。私の狙いは「味噌野菜うどん」、メニューに乗せられたのは、それほど昔のことではありませんし、秋冬限定メニューだったかも知れません。値段は780円、讃岐うどん特有の薄味出汁に、白味噌を薄く入れてありますので、塩加減も程々で、青ネギ・もやし・キクラゲ・豚ひき肉がどっさり入っていますので、一杯でお腹が満腹になります。他店で人気のある「味噌ラーメン」よりも、薄味で野菜が一杯で健康的、うどんの量も少なく無く、お勧めだと思います。少し遅めが良いと12時50分頃行ったのですが、未だ店内は満席で待たされ、カウンターでも良いと言いましたら、10分ほどで着席となりました。ランチ営業は14時迄ですが、13時以降も来客が多く、何時も混み合うのが難点ではあります。カウンターから厨房を見ましたら、うどん職人が3人、丼洗いが1人、注文整理が1人、計5人が忙しく働いていました。その日担当の「うどん打ち職人」の氏名が店前に呈示されますが、それは讃岐うどん本来の店として誇りがあるのだろうと推測しています。
2008.02.26
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昨日は「府中卸売センター」に行ってみました。正式名称は「大東京綜合卸売センター(DOC:DaiTokyo Oroshiuri Center)」なのですが、地域道路案内図でも通称「府中卸売センター」となっています。大東京綜合卸売センター(FUCHU-DOC) 東京都府中市矢崎町4-1昭和41年12月、東京都多摩地区最大の卸売市場として開場。昭和48年8月、東京都から地方卸売市場の開設許可を受け今日に至る。大東京綜合卸売センターWebサイト此処は築地市場程の規模はありませんが、卸売センター内には、水産物、食肉、青果物、海苔・茶等、惣菜等、総合食品、その他食品、雑貨等、数多くの卸売業を営む店舗が出店していて、個別の小売りにも対応してくれますので、卸値の安さに惹かれて、一般消費者も多く買い物に来ています。昨日は午後3時頃に訪問しましたので、営業時間を終了したのか、卸売業が不振なのか分かりませんが、シャッターを閉めた店舗が多く見受けられました。総合食品の店舗に入って、種々商品を購入したのですが、通常のスーパーマーケットに比べて1~2割は安い感じがしましたので、数千円の買い物をすれば交通費は元が取れるのは確実です。最寄り駅は武蔵野線「府中本町」駅からも5~10分、梅の名所になっている「府中郷土の森博物館」から徒歩でも行ける近さでもあり、近々又、観梅も兼ねて買い出しに行こうかと思っています。
2008.02.19
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町田市薬師池公園に隣接した処にある9割蕎麦を売り物にする手打蕎麦店、1年程前に個人宅を改装して開店したのだと思います。実はその近くにある讃岐うどんの店「海渡」に、味噌野菜うどんを食べに行ったのですが、昼時で混雑していて行列が見えて大分待ちそうな感じでしたので、蕎麦屋さんに変更したのです。店内はカウンターを含めて12席程度と狭いながらも小奇麗でシックな感もあり、蕎麦屋と言うより喫茶店と言った雰囲気でした。注文しましたのは、「せいろ蕎麦」と「辛味大根せいろ」、茨城県と福井県の蕎麦をブレンドして石臼で挽いたものを9割蕎麦としたとのことでした。9割蕎麦とは言え硬くは無く、歯ごたえも適度にあり、細い麺ですので喉越しも良く美味しい蕎麦切りでした。店内に「炭焼珈琲」のメニュー札がありましたので、蕎麦屋に似つかわしくないと思いましたが、「ケーキセット980円」を頼んでみましたら、これが炭焼珈琲と思えない位マイルドで、ケーキにマッチして美味しいものでした。しかし昼時と言うのに、他にお客が1組しかおらず、空いているのです。結構美味しい蕎麦を出してくれるのにどうしてだろうと一寸気になりました。日本蕎麦の店は一般向けしませんが、八王子にある「車家」でもそうである様に、ソバ通の人達で混んでいる筈ですのに、どうしてなのでしょう?松本屋羊庵薬師池店は、鎌倉街道から一寸奥まった、混み合った住宅地の一角にあって目立たないことから、通の人達も知らない状況にあるのかと推測するばかりです。狭い住宅地の一角ですから専用駐車場はありませんが、隣には100台を超える町田市薬師池公園駐車場があって、其処から歩いて1分も掛からないのですから、利用しない手はありません。其処此処ラーメン店ばかり増えて蕎麦店が少なくなる中、この「松本屋羊庵 薬師池店」、何とか生き残って欲しいですが・・
2008.02.08
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