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1月7日までが「松の内」と考えていますので、入院中の長男に外出許可が出たのを幸い、長男を連れて、井の頭公園内にある「弁財天」に初詣に行って来ました。35年前の三鷹市在住時には、初詣は家族4人で其処に行きましたし、4季折々、桜の季節、夏の涼み等よく訪れていた懐かしい場所です。井の頭公園は湧き水が出なくなって久しく、水道水を放流しているのですが、弁財天付近は流れが悪く滞留していて、どうしてもどぶの匂いがするのです。ですが、冬の季節は池底の腐食が抑えられてそれ程気にはなりません。初詣の後、池に掛るコンクリート製の橋を渡って、池の周りを半周してみました。水面を吹き抜ける風は冷たかったのですが、天気も良くまずまずの初詣日和だった様です。35年前に見えましたマンションは手入れが良いのか、美観を削ぐことはありません。その頃、其処には家内の親戚が居住していたのですが、尤もその後都内の方へ引っ越しをされましたので、いたずら盛りの子供達が迷惑を掛けてはいけないと訪問しなかった覚えだけが残っています。
2014.01.08
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今日は長男の病院に行き、外出許可の下りる午後1時半から3時半の間に、昔住んでいたことのある小平市花小金井に行って来ました。アメリカ駐在をする際、住んでいた三鷹の公団住宅を解約したので、1983年の帰国に際して住むべき家が無く、会社に斡旋をお願いしたのです。当時、当面の勤務地は田無市(現 西東京市)向台町でしたので、小平市花小金井の借り上げマンション社宅を与えて貰ったのです。広さはヒューストン時代の200m2に較べようもありませんが、一階角部屋の3DK、外には適当な広さの物置が設置されていましたので、何とか荷物は入れ込むことが出来ましたし、何より助かったのは、家賃が安く月額1万円でしたから楽でした。1985年8月迄2年弱を過ごしましたが、通勤は近くにある遊歩道を自転車で10分程行けば着きますので、非常に便利でもありました。30年前の記憶を下に三鷹から井の頭通りを通って五日市街道に入り、小金井街道を北上して花小金井の西友デパートの駐車場に停めて、駅に行ってみましたが、将に「今浦島」再開発が進んで、駅前からは拓大付属高校が消え、バスロータリーと大きなスーパーが建っていて様変わりでした。社宅があった場所は覚えていますので、行ってみますと民間マンションになっていましたが、昔そのままに残っていました。整備が良いのでしょう!一番奥の1階の部屋で、南は空き地で踏切も良く見え、その警報音が最初は煩かったのですが、その内子守唄ともなりました。新宿までも時間が掛らず便利な処ですので、空き地は消え、マンション群が林立しているのも無理からぬことかと思いつつ、花小金井訪問を終えることにしました。
2013.12.14
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長男の闘病状況や次男の孫娘視力懸念等、心配事は種々ありますが、今日は絶好の小春日和(Indian Summer)でしたので、息抜きに紅葉が見頃の高尾山に行って見ることにしました。着いたのが午前11時半で遅すぎると思ったのですが、案の定、高尾山口付近の駐車場は全て満車状態で停めることが出来ません。今週末が3連休ですので、その前にと思ったのですが考えが甘かった様です。其処で仕方なく高尾山口を通り過ぎて、国道20号線(甲州街道)で大垂水峠を経由して神奈川県に入り、相模湖に目的地を変更することにしました。それでも自分の為の息抜きには十分だと思ったのです。湖畔の木々も紅葉して来ていて見頃の時期を迎えていましたが、平日であることもあり、高尾山とは違って閑散としていました。対岸の湖畔道路の洞門の上に見える嵐山は森林整備NPOが定期的に作業しているそうですが、色のグラデーションが綺麗に見えました。家内が生前の時は、時々訪れては此処「相模湖公園」のレストランで昼食を取りながら、散歩等したのですが、湖畔に独り彷徨では楽しみも感じられないと思い、暫く行ったことは無かったので、7~8年振りの訪問だったのかも知れません。
2013.11.21
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東横線が副都心線から西武線と繋がったことなのか、みなとみらい線と直通が多くなったことなのか、我が家から「みなとみらい」は随分近くなりました。昨日は姪の結婚式が「みなとみらい」のInterContinental Hotelで行われましたので、久し振りに「みなとみらい」へ行くことにしましたが、最寄駅午前8時発の小田急線に乗り、「登戸」で南武線に乗り換え、「武蔵小杉」で東横線に乗継ぎましたら、「みなとみらい」には午前9時に、僅か1時間で着いてしまいました。以前は、日揮本社へのビジネス交渉、パシフィコ横浜での展示会、「みなとみらい」ホールへの音楽コンサート等に行く際には、東横線「桜木町」駅からランドマークタワーを経由して歩いて行ったものですが、開発が進んでとても便利な行楽地に変わりつつありました。米国では今週末の感謝祭が終わらないとクリスマス気分にはならないのですが、日本ではもう既にクリスマスツリーが飾られていて、人の往来の多いことには驚きました。ビジネスパースン、展示会見学者、観光客が混じっているからなのでしょうか? 付近は新築ビルも増えて、今浦島の状態となりました。一番年若い姪の結婚式ですから、我が人生最後の結婚式参列となります。
2013.11.17
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神戸空港は2500m滑走路一本の空港ですが、将来性のある空港と見ています。現在は全日空(ANA)とスカイマークエアラインしか発着がありませんが、神戸市繁華街からのアクセスも良く、日本の根幹となる重工業地帯でもあり、ビジネス客の今後の増加も期待出来るからです。日本の空は、航空業界再編で日本航空(JAL)と全日空(ANA)に支配されていますが、スカイマークエアラインは将来性を見越して、神戸空港を発着の核となるハブ空港と位置付けているのは、先見の明がある様に思われます。滑走路拡張もポートアイランド沖南側の人工島にありますので容易で、関西地区の基幹空港よりアクセスも良く、関西三空港時代の中核となることも予想されます。神戸空港は、大阪の西26km、神戸市中心部三宮の南8kmに位置する地方管理空港である。兵庫県神戸市中央区の沖にある人工島ポートアイランド沖南側の人工島に建設された。愛称は「マリンエア」で、2500m滑走路1本を持つ海上空港である。近隣には大阪国際空港と関西国際空港が存在し、これによって関西三空港時代を迎えた。2012年度旅客数は約241万人で、空港利用者数は全国97空港中14位の順位となっている。
2013.10.10
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先日見つけた家内の手紙3通は、20才の頃に義母に宛てたもので、その中に50年前の山梨県三つ峠ハイキングのものがありました。我が家にはその時の写真は残っていましたが、どの様なハイキングだったか記憶に残っていませんが、家内の手紙で活き活きと思い出すことが出来た様な気がします。なかなか文才のある文章に思えましたが、結婚後は女性の人生は子育てに邁進するのが大切と思ったのか、文章を綴ることは失くしてしまった様な気がします。10月の初め頃、HNさん、Mさん、Tさんと西新井で会った時にハイキングに行きませんかと誘われました。10月26日の土曜日は、生憎の雨模様でしたが、HNさん、Tさん、HRさん、それにもう一人、HNさんが家庭教師に行っている家の女の人でEI子さん、山脇短大の2年生でとても明るくよく食べる人です。Mさんは風邪気味だとかで行きませんでした。山梨県の三つ峠、ハイキングと言うより山登りと言った方が良いかもしれません、高さは1780m位です。東京駅を夜の11時頃出発して三つ峠駅に夜中の2時過ぎに着きましたが、暫く雨の止むのを待ちましたが止みそうにも無いので3時頃から歩き始めました。歩き始めて1時間位は道は、それ程急ではありませんが途中から急な坂道になっていて、そんな道を3時間も歩くんです。それに雨の為道がジュクジュクしているので少々困難でした。正直に言って初めは頂上まで登れるかと思って心配しましたが、考えていたより平気でした。それでも頂上に着く頃は足がもつれて思う様に足が上がらないんです。雨は5時半頃まで降り続いていましたので傘を差して山登りなんて何とも妙な格好で皆で笑っちゃいました。悪天候だった為にあまり景色は見られませんでしたが、富士山がすぐ目の前に手に取る様に見えましたし、苦労して登っただけに頂上に立った時は、霧の間から見える山々、木の葉の黄赤の色のコントラストが美しく何とも言えない良い気持ちでした。頂上の休憩所には炬燵はあるし、とても山の上にいるとは思えません。其処で弁当を食べたり横になって3時間位体を暖めてから、外で写真を撮ったり草の上で寝転んだり、久しぶりに羽を伸ばすことが出来ました。登りに較べて下りは楽なものです。でも急な処をくだるんですから大変です。止まろうと思っても、その辺の木にしがみつかないと止まることは出来ません。下る途中で弁当の残りを食べたり、道草を食ったりしながら河口湖の方に下った訳です。途中には「母の白滝」と言って素晴らしい滝がありました。東京に着いたのが夕方の8時頃で、それから皆で新宿にて食事をして、喫茶店でしゃべり、家に着いたのは10時頃でした。
2013.08.23
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圏央道の海老名・愛川間が開通しましたので、東名厚木IC迄一般道129号線を通る必要がなくなった為、冨士霊園には我が家から2時間弱で行ける様になり、土曜日の混雑を避けることが出来るのでドライブは快適となりました。我が家の墓所は13号地区の坂道の法面に造成された処にありますので、坂道から見える散歩道は鬱蒼と葉が茂って、深山幽谷の様子に見えないこともありません。昨年は、長男と一緒に暑い中に墓参し森林浴散歩をした覚えがありますが、今年は独りの墓参となりました。子供達も40才代となり、それぞれの生活もあって中々時間が取れず、これからは独り墓参が増えることになりましょう!行き帰りの車中、カーナビで「アルルの女組曲2番のメヌエット」を聴いていましたが、亡くなる直前よりも、結婚して家庭生活を始めた頃やその前の青春時代を思い起こさせることとなりました。Menuet, L'Arlesienne, G. Bizet, Suite nr.2.曲のメロディーが、感情なり記憶回路の何処かを刺激するのか、その時々によって変化する様な気がします。
2013.07.08
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昨日は中学校3年同クラスの女生徒だった3人に誘われて、東本願寺ひばりが丘墓地に行って来ました。恩師が亡くなったのは1987年没行年68才となっていて、もう26年も経過していたのです。墓碑には1945年没行年26才の女性も同じ墓に眠っていましたので、東京空襲で亡くなった前妻の方かも知れないとも思われました。又、墓に彫られている家紋は有名な「武田菱」でしたので、恩師は武田家の末裔だったのかも知れません。「人には歴史あり」とは言うのですが、少し恩師の人生歴史の一部を垣間見たのかと言う気にもなりました。恩師の名前は「武田 捷(たけだ かつ)」、ゴリラと仇名され、怖い軍人教師として知られていました。私は学校を卒業しますと、もう其処の時代は区切りがついたと、小中高大学にはあまり近づかないのをモットーにしていました。唯一の例外が中学校恩師だった武田捷氏で、会社に就職しても社畜にはなるまいと、仲人は会社上司ではなく、ゴリラ夫妻に頼んだのでした。ゴリラの私の将来に対する期待に応じようとする心遣いがあったのかも知れません。1970年でしたので、私28才、家内27才、ゴリラも51才の若さだったのです。期待に反して、世界をリードする技術者にはなり得ませんでしたが、これも世の中の常と許して貰えるものと思っています。誘って頂いた女性には「お蔭さまで浮世の義理が一つ果たせました。お誘いいただき有難う御座いました」とお礼のメールを送っておきました。
2013.06.06
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昨日は大田区下丸子の知人宅に昼会食に招待されましたので、帰路に南武線から小田急線に乗り換える「登戸」で多摩川の川辺を歩いてみました。何時もは、家内の永眠の場所となった川崎市立多摩病院近くの宿河原堰付近を散策するのですが、小田急線のガード橋をくぐって、多摩水道橋の方に向かってみました。ふと、この辺は40年前に2才半の長男を連れて父が釣りをするのを見に行った場所で、鯉が掛って釣り糸を切られてしまい、釣果はありませんでした。尤も往時はもっと草叢が繁茂していて良い釣り場だったとの記憶がありますが・・先週日曜日、次男宅に行った時、上の孫娘を連れだしたと言う様な話をしていたのを「下の子供が赤児の時は上の子を面倒見るのは父親の役目」なのだと潜在意識として覚えていて、40年を経過して、生まれて間もない次男が家内に付き切りで長男が寂しくなるのを防ぐために連れだしたのを、ふと思い出したのでしょう!世の中、同じことの繰り返しが多いのだと実感せざるを得ませんでした。
2013.06.05
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昨日はOB会の後、豊洲から「新橋駅」行きからバスに乗り、「勝鬨橋」で下りて知人が経営する会社に行ってみることにしました。しかし、「勝鬨橋南詰」停留所の次が「勝鬨橋」なのだろうと思っていましたら、案に相違して勝鬨橋を渡ってしまい「築地6丁目」となってしまいましたので、晴海方面に向かって1kmを徒歩で戻らなければなりません。勝鬨橋を徒歩で渡るのは45年振り若しくはそれ以上昔のことで、懐かしくなりましたが、再開発で河岸には高層オフィスビルが立ち並び、築地市場の豊洲移転は時代の様所為なのだろうと思わざるを得ませんでした。私が入社したのは1964年、勝鬨橋も開閉が行われていて、未だ佃大橋も無く「佃の渡し」船も残っていて、会社通勤には勝鬨橋から晴海埠頭経由で豊洲に行くのが唯一の交通手段だったのでした。1950年代前半の小学校遠足は房総半島南にある「鋸山」では、竹芝桟橋から東海汽船に乗っての船旅でしたが、竹芝桟橋からは勝鬨橋の開閉が良く見えていた記憶も残っている懐かしい橋、久しぶりに徒歩で渡ったのは貴重な思い出となるのでしょう!
2013.06.02
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今日は天気が晴れから薄曇りと言うことでしたので、冨士霊園まで行って来ました。残念ながら西方の富士山は雲の中、南方にある箱根の金時山は靄っていて薄く見えるだけでしたが、気持ちの良い新緑の季節で、園内はツツジが見頃となっていました。我が家の墓所は、2009年に法面の中段に設えられた区画、入口から区画用の駐車場を見下ろしますと、緑に囲まれていて森林浴気分にもなります。墓には、家内の郷里である長崎県の茂木枇杷、たっぷり辛子を利かせたハムサンド、好きだった珈琲を供えました。花を供え焼香してから、供えもので昼食として、孫の誕生を報告しつつ暫しゆっくりと過ごしました。墓所の周囲を色々見てみますと、墓碑が無記名の墓所が多いことが分かりました。2009年暮れ造成の区画ですので、墓を用意しただけの人達が多いのでしょうか?しかし、何と用意の良い人達なのでしょう!
2013.05.25
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私は至って可愛くない生徒で、学校は卒業すると、それでお終いと寄り着かない生徒でありました。小学校、中学校もしかり、高校、大学も推して知るべしと言った処で、新しい居場所にて我が道に専念すると言うのが、自己自身のパラダイムだったのだと思っていました。それでも、中学校恩師の思惑であった高校越境受験に失敗したのは、勝手に月例試験をサボって内申書のつけ様が無かったのだろうと申し訳ない気持ちが残っていましたので、内申書抜きで実力だけで評価する大学受験に合格した際には、連絡をして喜んで貰った記憶がありました。それから10年、28才で結婚する際には仲人をお願いしたのですが、中野区から横浜、三鷹、アメリカと転居を重ねる中、生来のパラダイムもあってか無沙汰となってしまいました。3年半前の小学校同窓会に誘って頂いた際に、女性のクラス幹事が中学校同クラスでしたので、その恩師の消息を聞きました処、随分前に逝去されたことを知ったのでした。そのクラス幹事から来月初旬に中学校恩師の墓参りに行きませんかと誘われ、墓地を教えて頂きましたので、昨日予行演習の積りで行ってみました。没年も、終の棲家も分かりませんので、墓の場所は特定出来ず、来月クラス幹事の方に案内して貰うことで納得、帰宅となりました。本願寺ひばりが丘墓地は西東京市にあり、西部池袋線「ひばりヶ丘駅」と西部新宿線「田無駅」とのほぼ中間、ひばりが丘団地の西側に位置する。東本願寺が中核となり、その他60に余るお寺の墓所が集まり、ひばりが丘墓地という大規模な寺院墓地団地を構成しています。墓所群の中心に東本願寺のひばりが丘別院の本堂があり、全体の約1/4と面積的には一番広い様です。「ひばりヶ丘」駅から「田無」駅行バスで7分、「田無」駅から「ひばりヶ丘」駅行バスで15分、共に「ひばりが丘団地西口」下車1分となる。南側を所沢街道、新青梅街道が通っているし、周辺環境は落ち着いた住宅地で、東はひばりが丘団地、南側には東大農学部の附属農場が広がり、のどかな雰囲気に包まれています。中核となる東本願寺管轄墓地でも未だ募集中、その他60余のお寺の墓所では殆ど更地が多く、新設墓園の様に見えなくありませんでした。
2013.05.13
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無伴奏チェロ組曲コンサートがありましたので、昨日は虎ノ門からJTアートホール迄、雨の中歩いて行きました。マチネー・コンサートが終わりましたのは午後5時頃、雨の勢いが強くなり、もう薄暗い感じになりました。ふと見ますと、ルース クリスRUTH'S CHRISの看板があり、懐かしく写真に収めました。ルース クリスRUTH'S CHRISはテキサス州ヒューストン市では、何処かの雑誌で商社関係者が、美味しくてボリューム満点と紹介していた有名なステーキレストランでした。ボリューム満点は確かで、4人で行って3人前注文して未だ余る程だったですし、スタッフは若手が多く、気さくで明るい庶民的な店内だったと記憶しています。残念ながら、私も家内も少食、子供達も小学生でしたので、ボリュームは処理しきれないだろうと思い、此処には家族を連れていったことはありませんでした。ルース クリスRUTH'S CHRIS虎ノ門店は、霞が関ビル近くであることもあり、高級店の雰囲気でしたのは意外、赤坂虎ノ門と言う街の雰囲気にマッチさせたのかも知れません。
2013.05.12
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昨日は、混雑しない処を選んで散策することにし、桜の季節の終わった城山湖畔は空いているだろうと、周回散策路から林間の巻道を使って峰の薬師へ行ってみることにしました。案の定、特別の施設の無い山道は、新緑の季節ですが訪れる人達が少なくゆっくり散策を楽しめました。途中の土手には、青色の濃い野草の花が咲いていて目を引きましたが、後で調べて見ましたら「蛍蔓(ほたるかずら)」と言う種でした。峰の薬師の薬師堂から見る津久井湖、「花の苑地」等は混雑の極みだろうと思いつつ、新緑の城山を含めて、春の景色満開です。境内には尾崎咢堂の読んだ歌が石碑に刻まれていましたが、普選運動の推進者として「憲政の父」と尊敬される尾崎行雄(号 咢堂)は此処の出身なのです。わたくしの身は祈らねど古里の 峰の薬師にわれもぬかずく薬師ます峰の高きをふるさとに 究めぬも惜し更に登らん登りきて祈るこころも忘れけり 薬師の峰の秋の美し尾崎咢堂であれば、近頃の憲法改正の動きをどの様に処しただろうと想いを馳せました。近隣の中国の領海・領空侵犯、北朝鮮の威嚇を考えますと、領土自衛の為に、防衛省自衛隊の憲法上の位置付けは明確にさせることには賛成しますが、天皇元首制、国民義務、家族保持等の自民党法案は、憲法の基本理念である国民主権を蔑ろにし時代の針を逆回しにするものではないかと警戒する処大なのです。
2013.05.07
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絶好のお出掛け日和でありましたので、ハムサンドと茹で卵を作り、珈琲をステンレスボトルにいれて、近くの万松寺谷戸でお昼を過ごそうと万松寺谷戸に出掛けました。此処は本来美しい棚田の広がる谷戸で、棚田部分だけが東京都指定の環境風致地区になっているのです。しかし、棚田の低い部分や野原等は何の指定もせずに放置していますので、一部は個人所有の空き地が建築業者の資材置き場として使われてしまい、味気の無い鉄板柵で囲われて風致地区との落差は酷いものがあります。多分、東京都が町田市への委託事業としているのでしょうが、その連携が上手く行っていないのです。昔はNPO法人にて湿地も綺麗に整備され、春には絶好の芹摘みの場所でもあったのですが、今では放置されたままで、情けない状態となりました。それでも自然は正直で、湿地の菖蒲が訪れる人も少なくなる中で、人知れず花を咲かせています。風致地区内の田圃では田に水が入れられて、蛙の声も聞こえます。蛙がいるとそれを狙う蛇もいて、昔は「湿地ではマムシに注意!」等の看板もあったのですが、四散してしまって見当たりません。蛇に注意しながら静かに畦道を歩いて行きましたら、シマヘビが水路を渡って土手の草叢に行くのを見つけました。シマヘビは無毒で一番大人しい蛇ですから安心と、よく見ますと草叢でじっとしたままで、自分は隠れたと思っている様でした。谷戸名の由来となった万松寺には、樹齢350年と言われる大榧(カヤ)があり、町田市指定の銘木となっていますが、何か上枝の葉に元気が無い様に感じられたのは残念です。
2013.05.05
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神奈川県民の水道水源の一つとなっている津久井湖は県立津久井湖城山公園として整備されていて、413号線に沿った「花の苑地」には家内と共に何回か訪れたことがあります。先日は、花の苑地を通り過ぎて、津久井湖の反対側に位置する城山公園パークセンターのある根小屋地区に車を停め、標高375mとされる山頂まで登ってみることにしました。パークセンターで園内マップを頂戴し、ルートとしては種々あって森林浴が楽しめる様になっていて、ゆったりと登る女坂、急登の男坂がありましたが、薄暗い林中の男坂を使って行きましたら、30分余で山頂に到着となりました。汗を適度にかく丁度良い登山コースで、山頂には筑井古城記念碑があって、その謂われを説明してありました。石垣はありませんでしたが、小田原北条氏の家臣が山城として守っていたとのことで、1590年の秀吉の小田原攻めに伴って落城となったのだそうです。山頂からは、何やら原風景の残る麓の里、遠くには丹沢山塊が借景としてなかなかの景観を楽しむことが出来ました。
2013.04.06
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3月30日に開通した圏央道(首都圏中央連絡自動車道)の海老名IC~相模原愛川ICを初めて利用しました。今日は、富士市荒田島まで実兄と現地落ち合わせで、親戚の病気見舞いに行くことにしたのです。何時もの通りカーナビに目的地をセットしましたら、国道129号線で相模原から厚木まで南下し厚木ICから東名に入り、新富士ICで下りる様に指示されました。途中相模川を渡る際に、「圏央道」の表示が見えたのですが、昨年冬に購入したカーナビソフトでは認識されないのです。帰路、厚木ICで「圏央道の相模原愛川IC」と言う道路表示を見て、そのルートを選択しましたが、129号線と246号線が合流して混雑の激しい厚木市内をバイパスしますので、快調で快適な運転が出来、所要時間も15~20分短縮出来た様に思われました。今日は家内の眠る冨士霊園に行くことは出来ませんでしたが、次回の墓参では圏央道(海老名IC~相模原愛川IC)を利用することにしたい所存、多分、我が家から町田街道を経て横浜町田ICから東名に入るよりも、時間的にも値段的にも軽減出来るのは必定です!カーナビソフトは2年毎に更新するのを原則としますので、今回はきちんと表示されず予定破線ルートを進んでいましたが、1年半の間は我慢することに致します。圏央道は都心から半径40~60kmを通る環状道路で、外環道(東京外かく環状道路)、首都高 中央環状線と合わせ「3環状」とされ、都心を通過する交通の迂回路や災害時の代替路などとしての機能が期待されており、整備が進められている。 圏央道の西側では、東名高速道路と接続する海老名JCT~海老名ICと、高尾山IC~中央自動車道と接続する八王子JCTは開通済みで、今回は海老名IC~高尾山ICの内、海老名IC~相模原愛川ICの10.1km。残りの相模原愛川IC~高尾山ICは2013年度中に開通予定で、これにより東名高速と中央道、関越自動車道が圏央道で結ばれる。
2013.04.05
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今日は午後3時頃までは晴れ、その後曇って来て明日は雨との予報でしたので、相模原市緑区かたくりの里に行ってみることにしました。以前は「城山かたくりの里」だったのですが、政令指定都市の相模原市に組み入れられることになったので名称変更となった様ですが、途中の道々にある看板には従来の「城山かたくりの里」と書かれている様でした。午前11時に到着、入園券に500円支払って入りますと、何千株と言うピンク色の片栗が咲いていましたし、輸入種の黄色片栗も咲き出して、丁度見頃でした。ホウキモモ等の樹木花も咲き、春の花の競演で見事なもので、橋本駅周辺の高層ビル群も見えていますが、それ程遠くではありません。30分程観賞してから、かたくりの里を出て城山湖に向かい、揚水発電所横の駐車場に車を停めて、周回コースで湖畔を一周してみることにしました。中間点を過ぎた辺りの松見平休憩所で、バーナーでインスタントラーメンを作り昼食、此処には展望台があるのですが、樹木が高くなって見晴らしが利きません。本沢ロックフィルダムに近い処から、城山湖を見ますと、対岸の桜が丁度見頃となっていました。帰宅は午後2時50分、予報通り、丁度晴れが終わり曇って来ましたが、汗もかかずに多分1万歩程度歩きましたので、良い一日となりました。
2013.04.01
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高尾山には色々な登山自然路コースがあり、稲荷山コースは一番南側に位置し、国道20号線に沿っていることで見晴らしの良いコースとされています。昨日は天気も良いので久しぶりに稲荷山コースを取ってゆっくり登って行くことにしましたが、春と言うよりも初夏の気候となり涼しい日陰の恋しい日となりました。登山開始から30分程で、展望所に着きますと、下に国道20号線、駐車をお願いしました薬王院祈祷殿も良くみえ、八王子から西武ドームまで素晴らしい眺望を楽しむことが出来ました。直下には、自然擁護で反対も多かった圏央道高尾山トンネルも昨年完成、その出口も見え、高尾ICも複数のループで構成されているのが見えました。此処から先は、急登も無くだらだら坂を登って行き、見晴らしを楽しむ筈なのですが、40年ほど前に植栽したヒノキ林が大きくなり、見晴らしの利かない林間コースとなってしまいました。35~6年前の稲荷山コースでは、植栽されたヒノキの苗木も小さく、相模原方面の山々もよく展望出来たのでした。小学1年生の長男が、秋の家族写真を撮るべく、初めてシャッターを切った写真、次男は幼稚園の年少組だったと記憶します。春に秋に、よく高尾山を登ったものでした!
2013.03.20
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先週金曜日は快晴で暖かいので、春を探しに相模原市城山町に行ってみました。何時も桜の時期に訪れる「城山かたくりの里」は開園していましたが、駐車場で聞いてみますと「片栗は咲き出してはいるが未だ見頃ではない」とのことで、訪問客も少なく又その内に来ようと入園しないことにしました。舗装された山道を通り、城山揚水発電所に隣接する駐車場に停めて、湖畔周回コースに入り登って行きます。周回コースから峰の薬師上社まで散歩しながら、春を見つけようと思ったのです。城山湖も春の気配、向こう正面土手にひらがなの植栽が一部枯れているようで、緑のペンキで塗られている様です。途中の山道、日当たりの良い処ではタチツボスミレが数多く咲いていましたし、それらに混じって濃い紫色のコスミレも咲き出していました。暑くなりましたので峰の薬師上社の木陰で、途中のコンビニで買って来ました竹の子弁当を食べて昼食とすることにしました。駐車場に戻る中、発電所内にある桜の蕾は膨らんでいて、何時咲き出しても良いと言っている様でした。いよいよ春本番です!
2013.03.18
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昨日豊洲に午後3時半に着きました。地下鉄有楽町線の駅を上がって、ゆりかもめの豊洲駅から豊洲地区を眺めますと、高層ビルの林立する街に変貌しつつある途中でした。製缶工場跡には2棟の高層マンション、設計事務所跡には各種企業の本社ビル、タービン工場跡はショッピングエリア、試運転場は大学キャンパス、船台跡は「ららぽーと豊洲」と言う遊興施設と散歩道、工務事務所跡は結婚式場、等とても昔日に工場があったとは思えません。豊洲消防署も何処かに移転していて隣接した豊洲公園はバスターミナルへ、全て豊洲地区再開発はスクラップ&ビルドの凄まじい変貌を遂げつつありました。清潔感のある職学住接近地区ともなり、通りには赤ちゃんを乳母車に乗せた若い女性方も闊歩していますし、とても活気のあるベイタウンにもなり、住みたい人気のある街にランクされるのも分かる気がしました。
2013.03.15
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先日、東大農学部内に少し入ってみました。正門を入った直ぐの処に大きなスダジイの木が植わっていて、キャンパスを引き締めている感がありました。此処は元来旧制一高(第一高等学校)のキャンパスで、往時はスダジイの木を旧制一高の象徴とされるオリーブ(橄欖)と見立てていたらしいのです。農学部正門は、大きな木製で中央には鍛造鋼鉄製のローマ神話の女神ミネルヴァの「文」を意味するオリーブ(橄欖)と軍神マルスの「武」を表す柏葉を象った文武両道を表した一高の校章が嵌められています。「橄欖」は一高の文の象徴。橄欖は具体的な樹木の橄欖ではなく、これから積み重ね形成していく一高の伝統ないし精神ともされています。旧制一高は1935年に東京帝大農学部と用地を交換し駒場に移転していますので、後裔となる東大教養学部駒場キャンパスにも同じ正門が設けられています。終戦後学制改革が実施され、1949年5月に新制東大教養学部設置、6月に旧制一高は東京大学第一高等学校になり、以後1950年3月の間、一高と東大教養学部が並存したが3月末をもって旧制一高は終焉となりました。1960年の駒場時代、キャンパス内にある同窓会館で、円地與四松会長(当時はおそらく時事通信社経営者)が率いる旧制一高同窓会が名簿編纂をする企画があり、アルバイトを募集していたのに応じて参加し7~8名で編集手伝いをしていた記憶が50余年を経て懐かしく思い出されます。
2013.03.13
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今日は4月の暖かさになると言うことで、津久井道から道志みちを通って、山中湖経由で冨士霊園に行くことにしました。道志渓谷にも春が来ている様で、道路沿いに雪が残っていますが、道路面に雪はありませんので、快調に道志小学校から村役場を通過して、道の駅「どうし」で珈琲休憩し、墓に供える花束を探しましたが、平日の所為か見つかりません。この辺は河童伝説があるのか、彫像がありますが、河川敷では釣り人が出て、盛んに竿を振っていました。道志みち(国道413号)の最高点は山伏峠(やまぶしとうげ)、山中湖村と道志村の境界に存在する海抜1100mの峠、 道志村側にある多くのキャンプ場を通り過ぎましたら、道路沿い・林間には厚い残雪で白一食となりました。トンネルを抜けても白一食の林間を走り抜け、丁度正午に山中湖に到着、何時もの駐車場に車を停めて、湖面越しに富士を眺めました。何年もそうしていたからです。今日の富士、左山腹に雲が掛っているのも一興でした。湖面にはワカサギの釣り舟らしきものが数艘浮かんでいますが、此処はブラックバス釣りのメッカでもあり、ワカサギは食い尽くされているのではと思う次第でした。霊園の管理事務所の「仏壇の長谷川」店で、供花を購入、墓所に着いたのは12時半一寸過ぎとなりました。此処は管理が行き届いている霊園で掃除する必要はありませんので、花を供え焼香すればお終いとなります。先日買った「白クマ塩ラーメン」を作って昼食とし、デザートは干し柿、天気も良くて暖かく、湖面を吹いていた寒風が此処では春風に変貌していました。1ヶ月後には、見事な花見の名所となります。
2013.03.05
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今日は、会社OB二人と昼会食をする為に、寺家ふるさと村「青山亭」を5年ぶりに訪問しました。知人の一人は1年先輩で、関連会社へ10年のブランクを経て派遣社員として再就職し、「寮に泊まり金帰月来」の働き方で5年経過したとのことで、近頃は「木帰月来」に変更したそうですが、もう直ぐ73才になりますので今年9月には辞めるとのことでした。他の一人は3年先輩で、製品事業部を彼と共にリードして会社の中核とするべく努力したのですが、結局会社時代はお互いに転籍もあって報われることはありませんでした。お二人はご子息を亡くしてしまった経緯もあり、家族を失う悲しみを克服した先輩でもあり、家内を亡くした私を加えて老人愚痴クラブの様想も帯びて来ましたが、何でも率直に語り合える仲間と思えます。昼食会食は、和風喫茶「青山亭」のランチ弁当セット、食後に珈琲、紅茶・菓子付きもありますが、隣に茶室があることから抹茶・和菓子がお勧めです。半分様子を聞きつつ半分は激励も込めて、楽しくとりとめの無い話をした後、曇りで強風も吹いていましたので、寺家村の谷戸を散策することなく分かれました。青山亭は里山の中腹に位置しています。寺家ふるさと村は横浜市青葉区にあり、農村の風景を残す谷戸として知られ、雑木林の里山と谷戸田の風景が美しく、季節を問わず多くの人々が訪れる。寺家ふるさと村は、寺家町の人々によって地域の特徴を活かした地域活性化模索が原点となっている。基本計画が策定されたのは1982年、1984年寺家ふるさと村体験農業振興組合が設立され、1987年「四季の家」が開館、総事業費9億円以上と言う「寺家ふるさと村」は完成。地元主体で始まり、横浜市と神奈川県と国が協力して、推し進めた「ふるさと村」は、それまでに例の無い初めての試みであった。
2013.03.01
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今日は義兄の命日でしたので、藤沢市の公園墓地に行って来ました。国道16号線で行くのが本来なのでしょうが、混雑で名にし負う道路ですので、カーナビで距離優先となる「町田街道-国道246号線-県道467号線」を選択しました。途中のスーパーで、供花とお昼用のサンドウィッチを買い、10時50分出発、それでも何れの街道も混雑していまして、片道1時間40分を要して到着です。此の公園墓地は、団地宅地や学校等の中にあり、国道1号線からも新湘南バイパスからも近くて交通アクセスの良い場所にあります。花を供えて、焼香し、墓に植えてあるイヌ柘植を剪定バサミで少しは形良くしつつ、手を合わせてから、墓前で昼食、サンドウィッチに珈琲、イチゴを食後に食べてゆっくりと過ごしました。多摩丘陵地帯に較べて、湘南地方は流石に温暖な地域で、寒風では無くて心地良い微風なのです。義兄が亡くなったのは1983年でしたからもう30年も経過、1935年生まれでしたから、未だ生きていても80才にも達していないのだと思うと感無量でした。
2013.02.26
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冨士霊園は御殿場の高原地帯にありますので、道路凍結の危険もあり、11月末以来訪れたことはありませんでした。昨日は日中3月下旬相当まで気温が上がるとの予報でしたので、2ヶ月半振りに出掛けてみることにしました。何時もは御殿場ICまで東名高速を利用するのですが、箱根山中は高架橋梁も多くチェーン規制等もあるかと思い、大井松田ICで246号線に下りて地上の山道を行くことにしました。残雪も無く車の運転は順調でしたが、山北付近のトンネルでは何ヶ所か清掃点検工事が行われていて、相互通行規制もされていて、最寄りの菅沼交差点では丁度正午12時となりました。アクセス道路から見ますと、薄いながらも富士山が美しい山容を見せてくれていました。田圃、民家、小さな森越しに見る富士山も粋なものですが、肉眼では此れより数倍大きく見えるのは、主観的錯覚の所為でしょうか?幸い天気も崩れず暖かい気温でしたので、墓前でモヤシ、キャベツ、シャウエッセンソーセージを入れたインスタントラーメンを作って昼食としました。食後には、リンゴ半分の皮を剥き珈琲タイム、春の気配も感じさせる一日となりました。
2013.02.02
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今日は登戸にある川崎市立多摩病院に行って来ました。最近長男が息苦しく、家内が呼吸器内科でお世話になった病院で検査診断をすると言うので、靴の立て替え代金を返済すべく、どんな様子か見たいと思ったのです。長男に看取られて家内が亡くなったのは3年3ヶ月前のことでしたので、病院内に入るのはそれ以来でした。長男は思っていたより元気でしたので安心して、久しぶりに歩いて数分の処にある多摩川河川敷傍らの川岸に建つ「二ヶ領宿河原堰管理所せせらぎ館」に行ってみました。河川敷は寒風が吹いていましたが、水の流れと地熱で雪は融けていて、寒中にも拘わらず、初春の雰囲気でした。しかし岸辺には雪が残って真っ白、川魚を狙う白鷺、川鵜、鴨、オシドリ等は雪の無い中州に屯し、時々堰堤に飛んで来て餌を物色しています。家内が2ヶ月入院している間、合流する二ヶ領川岸は桜の名所で春を満喫しましたし、此の多摩川堰には多段カスケード式の魚道があって、鮎やウナギが上流に向かって遡上して行きますので、それを見学に晩春にも良く来たものでした。
2013.01.17
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昨日は、府中郷土の森プラネタリウムについては知人の興味が無く、無理強いすることもせず遠慮しましたので、今日は先年から凄いと話題となっている新規開発プラネタリウムを見に行くことにしました。設置場所は川崎市の生田緑地、Google Mapの乗り換え案内で調べますと、片道40分のドライブで東駐車場に着くとのことで、投影開始が正午との情報でしたので、午前10時半に家を出て現地には11時20分に着きましたので、時間に余裕はあったのです。生田緑地は、昔は小田急電鉄経営の向ヶ丘遊園地があったのですが、今は川崎市営の生田緑地になっていて、50年弱振りの訪問でした。しかし3連休の中日で、快晴で暖かく外出には最適でしたので、家族連れも多く駐車場は満杯で駐車待ちの車列の長いことと言ったら尋常ではありません。高齢者は空いている平日を狙うべきなのだろうと諦めて自宅に帰って来て仕舞いました。MEGASTAR-3 FUSION(メガスター・スリー・フュージョン)大平技研と日本科学技術振興財団共同事業体が開発した最新のプラネタリウムで、世界最高の星空と言われるMEGASTARの最新機種で、科学館のために新規開発された次世代型の特別仕様機で、肉眼では見えない星までをも描き出します。これまでのMEGASTARの星空の美しさに加えて、星空のリアルさ、自然さを追求。精密な星の明るさの差や、色をより忠実に再現します。日本語で「融合」を意味する「FUSION」の名には特別な意味が含まれていて、美しく精緻な星空を描き出す光学式プラネタリウムと、空間表現を可能にするデジタルプラネタリウムの技術を文字通り融合させ、これまでにない宇宙像を再現するテクノロジーです。FUSION プラネタリウムは、新たな投影方式による特質を備え、ドームスクリーンに再現される無数の星たちがすべて色を備えて精緻にきらめき、空を巡り、やがて山の稜線の彼方に自然に消えていく風景を投影でき、今迄のプラネタリウムで果たせなかった、本物の夜空で体験するような空気感を再現できます。
2013.01.13
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昨日は、実妹と訪問時刻を合わせて、秦野の実兄宅へ年賀の挨拶に行きました。秦野と言っても東海大学駅前にあり、北風を大山が防ぐ位置にあって至って暖かい場所にあります。3兄妹は病気をすることも無くお墓以来の再会で、お昼をご馳走になってから暫く歓談して2時半を過ぎて、お暇することにしました。帰路、七沢温泉への分かれ道で見上げる丹沢大山、丹沢南端に位置して雲が掛りやすく、別名雨降山とも言われるのですが、昨日は空気が澄んでいますし乾燥していましたので綺麗に見えました。ズームアップしますと、頂上の阿降神社上社近くにある電波塔もかすかに見ることも出来ました。丹沢では野生鹿が多くなり、寄生する山蛭が蔓延していて1昨年初秋鐘ヶ岳登山中に何十匹と這いまわられたトラウマがあり、大山も暑さが無くなった晩秋時期、山蛭が少ないと思われるヤビツ峠からの登山をしたのでした。今年も何とか、「明日は登ろうあの頂きへ」といきたいものです。久しぶりにケーブルカーで阿降神社下社に行き、見晴らし台を経由してゆっくりと登ってみたいと思っています。
2013.01.05
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一昨日、車のリコール補修、序に12ヶ月点検をして、HDDカーナビを最新版にして貰いました。今年4月開通の新東名も表示されますので、早速使い試しと言うことで新富士ICまで行ってみることにしました。謂わば高原道路となっていて、曲も緩やかで走り易く、空いている所為もあって120km/時になってもスピード感をあまり感じません。しかし昨日は北風の20m/sを越える強風が吹き荒れ、走行中に何度もハンドルを取られ、駿河湾沼津SAでは降りて富士の写真でも撮影しようと車のドアを開けようとしましたが、風圧で開けて置くのも一苦労と言った感じで、遮る樹林帯も無く横風には弱い高速道なのだろうと思われました。東名の富士ICに較べて、新富士ICは大分富士山麓高所にあり、富士市荒田島までは遠く一寸利便がよくありません。知人宅4ヶ所に挨拶しつつ、お歳暮を持参して配り、富士を見上げてみました。此処には1948年4月から1950年6月まで、再疎開して暮らした処、朝起きまして雄大な富士を眺めるのが習慣だった様な気がします。今では、その通りに家も建て混み、高い電柱も林立して、富士も良く見えない感じに変貌していました。帰路は、富士ICから東名を利用、愛鷹PAで愛鷹山を見つつ休憩、子供時代は富士を描く時は、右山麓に宝永火口、右裾野には愛鷹山を描いたものでした。
2012.12.09
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半年振りに五日市街道沿いの京懐石店で、中学3年クラス同級女生徒3方を招待してミニクラス会をしましたが、氷雨も上がって気持ちの良い青空も広がり、店内の庭の紅葉も楽しむことが出来ました。席上、仲良し4人組の一人が10月に亡くなったと、4人旅行のスナップ写真を見せてくれましたのですが、記憶に残る彼女とは大分印象が違いました。今を遡ること50年程前に、新宿駅行きのバス内で、会った時には化粧して妖艶な美女に変身していましたのに驚きつつ、二三の言葉を交わした記憶があるのです。2年前の小学校同窓会には出席していたそうで、挨拶もすることが叶いませんでしたのは残念なことでした。中学3年の時横浜三渓園への遠足記念写真でも、仲良し4人組は端に固まって写っていました。「彼女は亡くなりましたが、今まで以上に私の身近に何時もいるように感じられます。60年余の友情に感謝しています」と今朝電子メールをくれましたので、彼女も独身で家庭にも恵まれませんでしたが、親友のお蔭で天命を全う出来たのではないかと思うのです。会食も終わり、何処か喫茶店に行こうと言うことになり、五日市街道沿いにスマホの音声検索で探して或る喫茶店に辿り着きましたが、何と田無勤務時代に何回か訪れた喫茶店「くすの樹」でした。此処で、何回か親しく談話した社友も、2年前に雲取山登山で滑落事故を起こして亡くなってしまったと神妙に思い出しました。人生70を越えればロスタイム、何があっても不思議では無いのだと改めて認識することとなりました。
2012.12.06
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昨日は午前中は晴れとの天気予報でしたので、冨士霊園に行くことにしました。冨士霊園は高原にありますので、冬になりますと道路凍結も懸念され、車ではアクセスしにくいと思われるからです。幸いにも午後1時頃までは、暖かい小春日和で、国道246号線菅沼交差点から冨士霊園に行く途中、6合目から上が冠雪した富士山が素晴らしい姿を見せてくれました。冨士霊園の墓所は、落葉が終わりつつある様で、錦秋と言うより初冬の風情でしたが、蒼空の下、日に照らされた景観は美しいものでした。此処の墓園は環境管理が良いので、落ち葉も綺麗に掃除してあり、墓参も気持ち良く出来ました。我が家の墓所は13号区画にあり、墓園の南西地区ですので、北東の墓園境界にある7号地区に行ってみましたが、もう錦秋の季節は終わっていました。昨年は、奥山に行くこと無く紅葉を楽しめたのですが・・
2012.11.30
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1時間半と思っていた所要時間が2時間半を超えたので、長兵衛ロッジのある上日川峠に着いたのは正午を過ぎていました。標高1600mの峠は、紅葉時の時期が終わって、すっかり観光客も少なくなっていました。快晴ながらも北風が寒く、付近を散策して帰ろうかとも思ったのですが、2時間半掛けて行ったのですから、介山荘のある大菩薩峠までは登ってみることにしました。大菩薩峠は標高1900mですから、急登も無いだらだら坂を1時間登れば良いのです。20分で福ちゃん荘につきましたが、唐松尾根道の落葉松はすっかり葉を落として裸木、もう冬の気配です。ゆっくりと林間を歩いて抜け、尾根道に出ますと、富士が秀麗な姿を現しました。少し、雲が掛っていましたが、「それも又良し」と言う処でしょう!峠では北風が強かろうと、途中で昼食休憩を取りましたので、介山荘への到着は午後1時半となりました。少し登って、大菩薩湖とも呼ばれる上日川ダム湖を従える秀麗富士を観賞出来ました。北風が強く、帽子も飛ばされそうでしたので、大菩薩嶺への縦走は諦め、登って来た道を戻りました。上日川峠到着は午後3時丁度、11月下旬の日は短く、もう夕暮れの気配でした。
2012.11.21
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午前9時半、紅葉真っ盛りの日川ダム・大菩薩峠を目指すべく、国立府中ICで中央高速道に乗ったが遅々として進まない、道路情報によれば30km渋滞で直近の相模湖までも1時間半掛るとのことで、目標を変更し八王子ICで下りて高尾山に向かいましたが、丁度紅葉祭りの真最中、何処の駐車場も満杯状態でした。仕方なく甲州街道20号線で大垂水峠を越え、相模湖周囲を迂回して石老山に向かうことにしました。顕鏡寺の女坂は舗装道路となっていますので、石老山登山口を越えて、顕鏡寺の境内に車を停めさせて貰いました。お賽銭を駐車心付けとさせて頂き、勇躍登山開始です。薄暗いさざれ石だらけの林間の急登をゆっくりと登り、巨岩の最高点は八方岩、空気も乾燥して澄んでいますので、津久井湖も良く見えました。30分程で相模湖を見張らせる融合平見晴台に到着、暫し珈琲タイムで休憩としました。元気を回復して、結構股下が必要な根だらけの登山道を登り、1時間強で山頂到着となりました。空気が澄んでいましたので、丹沢山塊の最高峰である蛭ヶ岳の向こうに富士山を見つけることが出来ました。此処で、インスタントラーメンの暖かい昼食を作り、富有柿と蜜柑のデザートで暫しお昼休憩を楽しみました。久しぶりの山歩きでしたので、膝に疲労が残って、少し突っ張りを感じていますが、やはり平地歩きでは味わえない有酸素運動をした気分で、気持ちの良い一日でした。
2012.11.10
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今日は快晴でしたので、小山田緑地の駐車場に車を停め、奈良ばい谷戸から小野路城跡まで久しぶりに歩いて行きました。長袖スポーツシャツだけでは少し寒いかと思い、息子から頂いたテルヌア(Ternua)のダウンパーカーを羽織りましたが、歩き出しますと暑く感じられる程の陽気となりました。小野城址に着いてみますと、幼稚園の遠足だったのか、歓声を上げながら大勢が走り回っていて、転んだりして泥だらけになった子供もいて、気軽に話しかけて来ました。小野路城は現在の大泉寺の場所に居城(小山田城)を構えていた小山田有重が築いた副城で、その子二郎重義が守護にあたったという。築城は天安年間(1171~1174年)といわれ、都内の古城の中でも最も古いもののひとつである。あまり邪魔をするのは良くないかと、その下にある「小町井戸」には、薄暗くて其処でなくても、別に遊ぶには事欠かない様で子供達はいません。平安朝の昔、小野小町が病にかかったおり、この山に千日こもり、この水で目を洗ったところ全快したという秘話からでた名といわれます。小町井戸は、小野路城の水源として使われたものと思われ、水量は僅かですが、日照りにも涸れることがないということです。林間の散歩道を10分程歩いて、誰にも会うこと無く「こうせん塚」に着きました。スダジイの大木の根元にある塚は、「こうせん婆さん」と呼ばれ、小さな石祠には「文政十年(1827年)十月」と刻まれています。昔、麦こがし(こうせん)にむせて亡くなった老婆を祀ったもので、茶碗やお椀に茶をいれて奉納し、祈願するようになったそうです。山道をそのまま下りて行きましたら、どうも五反田谷戸の様で、良く棚田が整備されている様でした。日大三高グラウンドはもう随分通り過ぎていましたので、車道の歩道を歩いて小山田緑地駐車場に戻りました。晩秋の暖かい日中、図師小野路東京都歴史環境保全地域にて良い散歩となりました。
2012.11.02
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日曜日は暑いくらいの快晴になりましたので、近くのスーパーでカツサンドと鮭のオニギリを買い、万松寺谷戸まで行って林間の日陰で昼食を取ることにしました。一本杉公園の駐車場に車を停め、丘陵を公園の柵に沿って小野路まで下り、更にもう一つの丘陵を越えなければ万松寺谷戸には着きません。丘陵の天辺には黒牛を飼っている牧場もあって里山の自然が濃い処ですが、口蹄疫やらBSEの影響で「防疫の為立ち入らないで下さい」との看板が立っています。30分程で、万松寺谷戸に到着、大きなカヤの木が境内にあって知られる万松寺が谷戸名の由来です。寺の本堂は、林に隠れて見ることが出来ません。この谷戸の奥には棚田があって、東京都風致地区指定となっているのですが、保存維持について、どうも地元の町田市との相克があるのか、整備がされないままに放置されてしまっている様です。暑いので、棚田から小野路城址のある山の麓に日陰を見つけて、昼食としました。良く見ますと栗林になっていて、栗のイガも殆ど落ちていて栗も採られていたのですが、歩きまわりましたら採り残しの栗が10個程、草叢に見つかりました。栗ご飯に出来るかと家に持ち帰って来て、テーブルでフラッシュ撮影としました。昨日は数時間水に浸して、鬼皮も渋皮も剥いて栗ご飯としましたが、今年2回目でしたので、手際良く美味しい栗ご飯となりました。
2012.10.23
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次男夫妻が文京区向ヶ丘に引っ越したと言うことで訪問することにしました。孫娘に会うのは1.5ヶ月ぶりですが、2才位の頃はその期間に成長が格段に進歩する様で吃驚しました。初めは人見知りをして母親にべったり状態だったのですが、伯父さんである長男がiPadで孫娘の動画を撮って見せますと大声をあげて喜び、何回も見せて貰い自分の動画を拡大させたりしていました。長男は優しい性格で子供扱いも上手いのです。家内の兄の娘さんとは、親密に遊具で遊んで貰うと種々の言葉を発し、Sentenceをも構築して意志疎通を図ろうとする姿は、もう幼女の域に達している様で、昼寝をさせようとしても興奮してそれ処ではありませんでした。4時間程邪魔をして帰ることにしたのですが、東大農学部前の交差点でバイバイをしたのですが、遊んでくれた人達が行ってしまう寂しさも見せて、人との交流が面白いものだと感じている様でした。長男夫妻と義姪を東大構内に案内、久しぶりに安田講堂前で、フラッシュを作動させ写真を撮りました。3人とも東大構内は初めてと言うことでしたし、10月末ともなりますと早夕暮れです。
2012.10.21
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秋の花の萩も終わり、目立って咲いているのはコスモス位なので、園内は至って空いていて、写生をしている方々が散見出来るのが目立つ程でした。ふと見ますと、小さなバナナにも見える黄色い実がたわわに生っている木がありました。説明板には「喜樹」と記されていて中国原産の種類らしいのですが、大きな葉を茂らせた細長い枝が沢山あって垂れ下がっている様子は、あまり見てくれの良い樹ではありません。午後2時となりましたので、400円券を追加購入して、プラネタリウムを見ることにしました。秋の空は、夏冬程目立った星座は無いので、前半の当日夜の星座解説は半睡眠状態となってしまいました。後半は「エターナル・リターン」と言う番組でしたが、祖父が孫娘に宇宙と星空を解説して興味を持たせると言う、地球誕生への啓蒙番組でした。YouTubeにもアップロードされていますので、ご覧ください。「Eternal Return -いのちを継ぐもの-」
2012.10.19
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城山湖周回コースは、揚水発電所途中から時計回りでふれあい休憩所迄は、幅が広く樹木の高さも高く快適なトレッキングコースです。此処から少し戻りますと、峰の薬師経由で津久井湖に抜けるトレッキングコースへの分岐点になります。この辺りはコースの最高点なのか、複数の携帯電波塔が並んで林立していますが、頂上付近には名も知れぬ神社が祭られています。赤い小さな鳥居を抜けますと小さな祠がありますが、近くには人家も無いので、誰が世話をしているのか定かではありません。其処からだらだら坂を下りて行きますと、峰の薬師の奥の院に至り、更に200m程歩いて行きますと、薬師堂に着きます。近郊の日向薬師と並んで由緒のある寺だそうですが、随分小さなお堂です。此処から先は舗装されていますので、車で参拝することも出来そうですが、コース道も狭く車の往来も難しく、原則は徒歩による参拝となっていることで訪れる人も疎らの様でした。
2012.10.15
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もう暑さも失せ、そろそろ秋のトレッキング季節になりましたので、高尾山に行くことにしました。薬王院礼拝殿の受付に500円を寄進して、駐車場に停めさせて頂き、ケーブルカー清滝駅に向かいます。午前10時過ぎでしたが、金曜日のウィークデイはお店の開店が遅く、閑散としていました。2年前の尖閣諸島での中国漁船の領海侵犯、監視船への衝突事件までは、中国人観光客が大挙して混雑を極めていたのです。韓国人も竹島問題の所為か、すっかり影を潜めました。未だ胃のむかつきが完治していないかと用心し、一番楽と思われる6号路を行くことにしました。琵琶滝のある沢コースですので、なだらかで急登はありませんが、見晴らし場所はありません。それでも涼しげな川のせせらぎを聴きつつ、濡れた山道で森林浴を楽しむには良かったのかも知れません。頂上直下の長い階段を登り切りますと、6号路の終点、休憩用のベンチが沢山あります。天気も曇って来ましたので頂上には行かず、此処でインスタントラーメンの昼食を取り、ゆっくりとしてから、再び6号路で下山することにしました。下山途中、琵琶滝での水修行を見学することが出来ました。行者の指示の下、修行者が水を予め浴びて、滝での水修行となるのですが、殆どが女性の方でした。見るからに冷たい感じがするのですが、いざとなると男性に較べて女性は強いのだと思わないではありませんでした。
2012.10.14
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体育の日は天気も良く、暑さも無くなって絶好の散歩日和でしたので、町田市の野津田公園に行ってみました。野津田公園には正式な400mコースを持つ陸上競技場があり、町田市サッカーチームのホームグラウンドともなりましたし、野球場、サッカー場等の運動施設が完備していますと同時に、里山をそのまま保全して数多くの散策路としても利用されている人気の公園です。カツサンドを買い、ペットボトル茶と巨峰ブドウを携えて、綾部原に隣接するサッカー場がある東部駐車場に車を停めて、付近を散策することにしました。小高い丘があって、其処は一面のススキヶ原になっているのですが、セイタカアワダチソウも勢いよく繁茂していて、ススキのベージュと黄色い花が混在する景観となっていました。もう少し経ちますと、ススキの丈が伸びて本当のススキヶ原になって、箱根仙石原に行かなくても、気軽に楽しめる様な気配です。周辺の野原、林間には栗の木が10本以上見られるのですが、誰でも採って良いのでしょうか、栗のイガだけが沢山落ちていて栗の実は見つかりません。野津田公園の柵を出て、里山の林を散策しつつ、カツサンドで昼食として綾部原住宅地に入りますと、俊宣茶房がありました。その下には個人所有の畑が散在していますし、栗の木も植えられていて、良く見ますと採った栗のイガが纏めて置いてありましたが、木の枝には未だ沢山栗が実っていました。個人所有ですので、公園の中と違って無理に落とすこともせず、じっくりと完熟するを待っていることが出来る様子です。
2012.10.10
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一昨日は、東名御殿場IC経由、冨士霊園に行って来ました。全体には晴れなのですが、富士山付近には雲が次々と掛って、素晴らしい全容は見えませんでしたが、雲の間からは麓から山頂まで見ることが出来ました。御殿場ICから246号線に向かう途中の高架橋から見る富士には笠雲が掛っていました。昨日は台風17号の襲来でしたから、富士山にはその予兆があったのかも知れません。笠雲は天候悪化の印で、翌日は雨だとは昔からよく言われていました。墓所に行ってみましたが、どの墓所も彼岸の墓参りにて、供花が飾られていました。彼岸にも26日の月命日にも墓参出来ませんでしたので、供花・焼香して無沙汰を詫びました。帰りには道の駅「ふじ小山」で、近くで取れたコシヒカリ2kg、又ヴァナジュウム入りで知られる富士の湧水をペットボトルに入れて、秦野市の兄宅へのお土産として立ち寄り、一寸お邪魔してから帰路に着きました。
2012.10.01
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親友が、「夜は近くに評判の釜めし屋があるので遊びに来ませんか」と誘ってくれました。実は友人の奥様は今冬、両腕骨折と言う大怪我をして、チタン添え木を腕に埋め込む手術をして未だ完治していませんでしたので、迷惑を掛けては申し訳ないと訪問を遠慮していたのですが、外食でしたら良かろうとお誘いを受けることにしたのです。前日に、「お昼は我が家でうどんを用意するから、早めにお出で下さい」とのことでしたので、大丈夫かなと思いつつ、丁度正午に着く様に出掛けました。稲庭うどんの山掛け冷うどんをご馳走になったのですが、山芋を摩り下ろすのに大変だろうと思っていましたら、近頃は便利なもので、摩り下ろした山芋を一人用ワンパックずつ数袋にした食材が売られているとのことでした。四方山話をして、午後4時半になりましたら、「そろそろ出掛けましょう!」と言うのです。夕飯には早過ぎると思えたのですが、「釜めし屋は予約が出来ず、混んでいるので夕食営業開始の午後5時に店の前で待っていたい」とのことでした。店は五日市街道沿いにある「釜めし六左衛門」、午後5時数分前に着きましたら、既に2組6人程の行列が出来ていました。此処は、美味しい釜飯と焼き鳥で知られている店で、両方を3人で食べきれるかと思うくらい注文し、順次運ばれて来ます。平日夕方5時~6時のタイムサービス帯も狙い目で、釜飯セットを除き全て10%引きとのことでした。午後8時になりましたら、広く無い店内は満席状態、結局は少し残してしまいましたが、お腹も一杯になりましたので、お店を出て親友夫婦をお宅まで送り届けて、帰路に着きました。
2012.09.23
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日本技術士会の総会は、何時も虎ノ門パストラル内のホールで行われましたので、何回と無く行ったことがあります。4年振りに虎ノ門3丁目にあります虎ノ門37森ビルに入っている米国調査会社の日本法人を訪ねるべく、地下鉄日比谷線神谷町駅で下りて、愛宕神社を経て歩いて行きましたら、虎ノ門パストラルは無く、敷地は鉄柵で囲われていました。敷地内に入ってみますと、完全に更地となっていました。虎ノ門3丁目・4丁目地区も大きく変わろうとしているらしく、スクラップビルドの再開発が進行中の様でした。農林漁業団体職員共済組合(農林年金)が所有してきた1968年創業の虎ノ門パストラルホテルは2009年9月に閉館した。跡地に森トラストがオフィス棟と住宅棟のツインタワーを建設予定。土地面積は約16,000m2、地上13階、地下3階の建物延床面積は約39,000m2。2010年に解体工事着工済み。隣接地では、大成建設を中心としたグループが廃校になった小学校の跡地を再開発し、港区教育センターと気象庁の複合施設を建設する計画が、2014年竣工を目指して進行中。東京都心では、近年続々と高級ホテルが乱立していますので、古い中級ホテルは客先獲得競争に敗れる運命にあったのでしょうが、通い慣れた神谷町のランドマークの一つが消え去ってしまったと寂しい気がしました。
2012.09.08
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昨日は神谷町にある米国調査会社の日本法人に出掛ける用事がありました。午後5時に打合せが終了しましたので、日比谷線で恵比寿迄行き、JRで渋谷を下り、道玄坂を登り、百軒店路地の奥にある名曲喫茶ライオンに行ってみました。百軒店路地は所謂大人の歓楽街で、ストリップ劇場、出会い系サイト店、大人のおもちゃ店が目白押しにあるのですが、その奥まった処にひっそりと佇んでいます。1960年代前半は名曲喫茶、歌声喫茶が隆盛の時代で、名曲喫茶ライオンはその頂点に立つ喫茶店でした。創業は1926年とのことですから、もう直ぐ90年に達しようとする歴史のある喫茶店ですが、営業方針は時流に乗ることなく、ランチメニューを揃えることも無しに頑固に珈琲だけしか提供しないと言う徹底ぶりです。ひたすら、音楽を楽しんで欲しいとの気配りで、椅子席はスピーカに向かって並んでいるだけで、4人向かい合わせで談笑する席もありません。新宿、中野、渋谷にあった名曲喫茶店群は全て閉店となりましたが、此処だけは閉店せずに頑張っている姿は、敬服に値するものだと思っています。近頃は家庭では聴けなくなったアナログLPレコードも掛けてくれますので、CDには無い柔らかい音色を楽しめるのも魅力です!
2012.09.07
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家内の眠る冨士霊園から望める箱根連山、その中で瘤のように盛り上がって見える金時山に初めて夫婦で登ったのは、13~14年前のことだったのだろうと思われます。その時は、金時神社の駐車場に車を停めて登って行ったのですが、山頂付近は風が強く寒かったので、初春か晩秋だった様ですが記憶が定かではありません。先週木曜日は、快晴に近い晴れだったのですが、富士箱根の山岳地帯には雲が掛っていて、富士山は雲の中、箱根連山はもやっていました。帰りがてら、道の駅「ふじ小山」で昼食を取りつつ、箱根連山を眺めていますと、少し薄日が差して来て、金時山の山腹がはっきりと見えて来ました。供養登山しましたのは、2年前の9月、足柄峠に車を停め、尾根道を猪鼻砦を経由して、滑落を防ぐためアルミ階段が10個も設置されている登山道を急登したのでした。左からだらだらと連なっている尾根がその道なのだろうと思われます。気候が落ち着いたら、14年前の初登山の時の様に金時神社付近に車を停めて、又ゆっくり登ってみたいものです。
2012.08.29
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友人とは有り難いもので、前回山荘に誘ってくれたのは2年前、家内を亡くして1年弱の時、年賀を欠礼しての暑中見舞いを見てのことで、何か胸にぽっかりと穴が開いている感覚が残る頃であった。中学時代の悪がき仲間であり、大学時代まではいろいろと語り合った仲で、就職の進路が異なった影響なのか自然に疎遠となっていたのですが、彼が英国大使館に勤務していた時に、10年程前に館内の桜紹介と言うTVニュースに出演していたのを発見、連絡をとって付き合いが再開となり、もう8年ほども経っていました。彼は、何も家内の無くなったことについては触れず、広い1300坪を超える敷地内を案内してくれ、昔話に花を咲かせて歓待してくれたのです。今回の訪問は、2回目で山の冷気を満喫することになりました。別荘である彼の山荘は堂平山の中腹、堂平スカイパーク・パラグライダースクールの隣に位置して多分標高が700mを越えているのでしょう、平地に較べて5℃も低い様でした。木陰にデッキチェアを並べて涼しく種々談笑していますと、奥様が冷茶を持って来てくれて、気分も優雅な森林浴です。彼の愛犬2匹が駆けまわって騒いでいますので、良く見ましたら森の中を雉の夫婦がゆっくりと下って行く処でした。オスは綺麗な色合いで、野生の雉を生まれて初めて見ることが出来ました。午後5時になりましたので、失礼することにし、隣のパラグライダースクールの離陸舞台を見ていましたら、上空では何基ものパラグライダーが舞っていました。午後5時は、涼みが増す時刻で明るさも十分で、朝方と共に飛行するには良い環境なのかも知れません。帰宅は午後8時、往復5時間半のドライブ、暑さもあり知らないルートでしたのでいささか疲労を覚えました。
2012.08.22
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両親の菩提寺は秦野市にあるので、お盆は8月、8月14日には実兄宅に行って久しぶりに妹とも会い、焼香致しました。実兄も10月には74才になるのですが、至って元気な様子、是も電気保全工事を請け負って仕事をしている緊張と生き甲斐があるからなのでしょう。秦野まで行きましたので、実兄宅を辞してから、秦野中井ICから御殿場ICまで東名高速を使い、冨士霊園に行ってみることにしました。御殿場ICを下りましたら、霧が出て来て壮麗な富士山は見えず、小山町にある冨士霊園では一層霧が濃くなって、金時山を含む箱根連山も白霧の中でした。墓所は管理が良く、雑草も無く整然としていました。本来ならば東京のお盆は7月ですので、迎えに来る必要があったのでしょうが五島に滞在していましたので、出来なかったことを墓前に詫びました。何時もの事で、四つ葉のクローバー2枚を見つけましたのですが、何も挟む書籍類も持っていませんでしたので、そのままにしておきました。帰りは、東富士自動車道に入ったのですが霧が一層深くなりライトを着けないと危ない状況となり、小仏トンネルでお盆渋滞との表示がありましたので、山中湖ICで下りましたら、一瞬霧が晴れて冨士が久しぶりに見えました。山中湖を周回して道志道に入るのですが、再び霧の中を走ることになりライト点灯、山伏トンネルを抜けました、霧が薄くなり安全に運転出来る様になり、途中の道の駅を通過する頃はすっかり晴れて来ましたので、上り下りや曲りの多い道志道も安心して運転しつつ帰途に着くことになりました。
2012.08.20
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昼食に御呼ばれしましたので、火曜日に大田区新丸子の知人宅に行って来ました。近頃普段の行いが良いのか、前日の曇天で寒く思われる気候から一転、快晴で気持ちの良い日となりました。行きは、知人が対岸の川崎市の南武線「平間」駅まで、車で出迎えてくれたのですが、帰りは午後3時にもならず、カラッとした気候でしたので、知人宅から散歩して「平間」駅までゆっくりと行くことにしました。ガス橋を渡り始めて、振り返りますとCanon本社ビル、高層マンション等が林立するリバーサイドの高級住居地区の様でした。橋の中央が東京都と神奈川県の県境となっていて、南方に川崎市街地区を望みますと、中流域に較べて川幅も広く、多摩川も大河に見えました。それでも、台風襲来時には、河川敷に広がる散歩道、遊技場、野球場も冠水して、川幅が3倍以上広くなり、とうとうと流れる様は不気味に思えるとのことでした。堤防決壊しますと、住居地区の多くは海抜ゼロメートル地帯で、浸水する懸念が大きいとのことで、普段の気持ちの良い環境に加えて、災害時の安全も考えねばならず、棲み家・住居の選定は難しいものがある様でした。
2012.06.28
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近頃、丸の内を歩いても再開発で一新したビル街となっていて、まるでぽっと出の田舎者になってしまいました。先週金曜日には、親友の墓参に出掛ける為、新幹線を利用するに際し、地下鉄「大手町」から東京駅まで歩いてみました。本社・関連会社が多く入っていた新大手町ビルディングは外装が変わり、まるで面影が感じられませんし、丸の内ホテルもビルが一新しホテルはロビーが6階となってしまって、1階は通路と商店街に変貌し、嘗て待ち合わせてビールや珈琲を飲んだロビーの雰囲気はもうありません。東京駅北口は、未だ完成では無いのでしょうが、クラシックなドーム屋根が東京中央駅らしい姿を現していました。第2次世界大戦空襲によって焼失した3階部分を、鉄筋コンクリート造りにて新たに増築。その際に外壁の赤レンガは、現存する部分と風合いをあわせるため、色味から寸法精度まで細かく再現。創設時のシンボルであった銅板葺きの巨大ドームも再び設置。外観だけでなくドーム内部の吹き抜け空間にも、嘗てあった鷲や鳳凰、兜や剣と言ったモチーフのレリーフが、古写真や文献資料をもとに精密にあしらわれる予定。北口での構内コンサートも楽しみましたし、東京ステーションホテル内での打合せ等も懐かしい思い出だけになってしまいました。元来の設計者は、詩人・小説家である辰野隆の父である辰野金吾であることはよく知られていて、70年振りに復元されたことは喜ばしいことですが、それにマッチしていた丸ビルも国鉄ビルもリフォーム再開発されて、その姿を留めていないのは残念なことです。東京駅・赤レンガ駅舎は、中央に皇室専用の昇降口を設け、左右に地上3階建ての棟が全長335mの長大な建造物。 左右両端には銅板葺きの巨大ドーム屋根を戴き、近代国家・日本の威容を表現。鉄骨レンガ造りによるルネサンス様式は、当時のヨーロッパで主流であった復古的な様式。設計者辰野金吾の設計も、そうした時代を反映したもので、とりわけ赤レンガに白い花崗岩をめぐらせた鮮やかな外装は、イギリスのリヴィヴァル・ブームから生まれたクィーン・アン様式、ヴィクトリアン・ゴシック様式の影響が色濃いものの、日本では「辰野式」と称され、明治~大正期の近代日本を代表する建築様式となった。
2012.06.21
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