全785件 (785件中 501-550件目)
< 1 ... 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 >
別に哲学的に考えた訳では無いのですが、来週は天気が悪く寒いとの予報でしたので、昨日は天気も良く、3週間振りに冨士霊園に家内の墓参りに行くことにしました。我思う故に我あり(仏: Je pense, donc je suis、羅: ego cogito, ergo sum)は、デカルトが「方法序説(Discours de la methode)」の中で提唱した有名な命題である。これは「いかなる推理(syllogism)からも帰結(concluditur)されない或る根本的な観念(prima quaedam notio)」であり、デカルト自身も「故に」という接続を相応しいとは思っていなかったようである。単純な命題に見え、実務的な解釈から考えますと極く当たり前のこととも思われ、夏目漱石は“吾輩は猫である”にて、主人公の猫が「人間は長い歴史の中でこんな当たり前のことしか思いつかない愚かな生き物だ」と嘲笑している。東名を使って大井松田ICで下りて、246号線で静岡県小山町に入りましたら、完全に曇天に変わり寒くなって来ました。富士山も隠れ、南方の箱根連山方面は明るいのですが、その中で何時も目立つ金時山も雲に遮られて良く見えない状態となりました。墓所に道の駅で買いました花を供え、焼香していましたら雪がちらつく天気になりました。何時もの通り、墓前でインスタントラーメンを作り出しましたが、雪は降り止みません。何とか10分程で出来あがりましたので、雪の中、我慢して昼食としましたが、何時もは珈琲を飲んだりスナックを食べたり、30分程過ごすのですが、昨日は雪に濡れますし、寒さも募って来ましたので、急いで片付けて冨士霊園を去ることにしてしまいました。大井松田ICから秦野中井ICで下りて東海大学前に行ってみますと、雪は無く青空となっていました。平地と高原・山の天気は全く違うのだと改めて認識しました。
2012.02.12
コメント(2)
昨日は13~14年前に、登ったことのある三浦半島の大楠山を目指して、午前9時半に家を出たのですが、混雑することで名にし負う外環状の16号線を使い、其処から自動的に保土ヶ谷バイパスに入る道路に入ったのですが此処もインチング状態の渋滞、漸く横横道路に入り混雑が無くなりましたが、逗子ICを下りて荒崎方面を南下して、県営の立石駐車場に着きましたのは丁度正午になってしまい、駐車満杯の状態、少し待ってみましたが皆さん昼食の時間で空きません。諦めて、鎌倉から江ノ島の湘南海岸を見て、藤沢から北上して大庭台墓園に寄り帰宅してしまいました。墓園ではもう水仙が咲き出していて、流石に湘南は温暖な地域にあると改めて実感しました。今日は布団干し、洗濯・掃除等の家事に勤しもうかと思ったのですが、絶好の快晴でしたので、午前10時過ぎになってから、急に陣馬山に行って見ようと出掛けてしまいました。国立・府中ICから相模湖・藤野ICを利用し、20号線から522号線を使って和田峠に着きましたのは午前11時半、此処の駐車場は有料で600円とのことで支払う序でに、「山頂迄はどの位掛るのですか?」と聞きますと「20分程度です」とのことでした。峠の標高は690m、陣馬山標高は857mで、僅か160m登るだけですからそんなものなかも知れません。登山特有の九十九折りの登山道も無く、整備されている木製の階段をひたすら登って行くだけ、ゆっくり登ったのですが成程30分で山頂到着となりました。此処の山頂は900mも無い標高ながら、素晴らしい眺望を楽しむことが出来、南西に丹沢山塊、西に富士山、北側東西には奥多摩から秩父連山を見ることが出来ます。北側正面に見えるのは生籐山、昨年供養登山した山で大凡の標高1000mです。
2011.12.16
コメント(0)
今日は朝まで雨が降り肌寒い日でしたが、会社時代の2年先輩から「昼食を食べにお出で下さい!」との約束がありますので、午前11時に出掛けて行きました。駅まで行く途中の多摩中央公園には、人が出ておらず、池と噴水が寒々としていました。先輩宅は大田区新丸子にありますが、最寄り駅は南武線の「平間」、「武蔵小杉」から2つ先の川崎寄りにあります。小田急線の多摩急行で登戸まで行き、南武線に乗り換えるのですが、ホームからは川崎市多摩病院が良く見えました。家内は、此処に2009年3月14日に緊急入院し、5月に退院して通院による自宅療養となったのですが、9月27日に意識不明となり救急車で運ばれ、10月26日に永眠となったので、見え上げるのが一寸複雑な病院です。只2年前とは違い、思い出を辿りながら静かに眺められる様になりましたのは、「行く河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」と言う時の流れのなせる業なのでしょうか?平間駅には車で出迎えをしてくれましたので、先輩宅には12時半に到着となりました。昼食をご馳走になり、操縦士免許を持つ先輩が10月にウィーンとザルツブルクで小型機を操縦した写真を見せて頂きながら、色々な話をして午後3時過ぎには帰ることにしました。前からの約束が無ければ、寒くて薄暗い一日を家で独り愚図愚図と過ごしていたのかも知れません。自宅には午後4時50分、薄暗い内に着きましたが、冬の日の入りは早いものです。雨の降りそうな曇天の一日ですが、楽しい一日が過ごせたことについて、先輩に感謝する次第です!
2011.12.14
コメント(0)
一昨日の雪が、富士山の中腹まで冠雪して冬姿となり、将に神々しい景観となりました。昨日は正午前に富士霊園に着こうと午前10時前に自宅を出て、厚木ICから御殿場ICまで東名を使っていったのですが、人身事故が起こってレッカー処理に依る30km渋滞に巻き込まれてしまい、墓所に到着しましたのは午後1時になってしまいました。御殿場から見える富士山は雄大で見応えがありますが、良い撮影ポイントが見つからず、結局は富士霊園に入って行く道路脇の田圃から撮影することとなりました。霊園の管理事務所で供花を購入して、墓所に向かいますが、木々の葉は全て落ちて、冬らしい明るい冬姿となっていて、日陰には積雪が残っていました。やはり富士霊園は高原にあり、寒さは厳しい様で、植栽を依頼してあるのですが、花類は雪の寒さで爛れてしまっていました。墓所では、お花を供え、焼香して、インスタントラーメンを作って、供養することとなりましたが、今年最後の墓参になると思います。
2011.12.11
コメント(0)
多摩市にある桜丘公園は春の桜、秋の紅葉の名所として知られています。昨日訪問した処、丁度見頃となっていましたが、秋の台風の影響もあったのでしょうか、それ程赤の発色が今一で、見事な紅葉林とはなっていませんでした。それでも、陽を透かして観賞しますと、やはり綺麗な秋の風情を堪能することが出来ます。公園の管理事務所でもある、聖蹟桜ヶ丘記念館の横にあるモミジの紅葉は朱色が一際美しいものがありました。各々、落ちていた落葉を数枚ずつ拾って来て、自宅のスキャナーで画像処理しますと、その差が分かります。記念館の横にあったモミジは「大盃」と言う朱色が綺麗だとして知られる園芸種だと思われます。
2011.12.05
コメント(0)
12月に入って、急に寒くなり、最高気温が7℃台と冬の気候に突入、炊事をする気力が薄くなり怠惰な外食生活を送っています。11月30日は西伊豆行では、暖かな晴天で、思いも掛けず独り青春回帰行をして来ました。堂ヶ島洞窟巡りを終えて、直ぐ隣と言うか堂ヶ島湾内の仁科郷に向かいました。明治生まれの東大医学部を卒業、仁科で開業医をしていて、後輩の東大生であった我々を歓待してくれましたお宅はありましたが、空き家に変貌していました。思い出に残る2階の座敷は閉め切りとなっていましたが、此処で50年も遠い昔、堂ヶ島湾を眺めて、飲食を供してくれました。正面に回って見ますと、門は閉じられて玄関先と庭も無人となり、誠に寂しい限りでした。喪中葉書を頂き、お宅に伺ったのは15~20年前ですから、仕方の無いことでもあります。50年前にお宅の診療室で撮った写真、左が歓待してくれました医学博士、右は毎年春秋にお世話になった松崎町山口にある常在寺の住職、我々4人を無料で何日も宿泊させ、食べさせて頂いた恩人でもあります。その常在寺に行ってみましたが、荒れ放題となっている石段を登ってみますと、本堂・厨は昔のままにありましたが、住んでいる人気がありません。近所の家に伺い、聞いてみますと、檀家の少なくなったお寺では住んでくれる住職も無く、今は千葉県にあるお寺と掛け持ちの住職に管理をお願いしているとのことでした。厨前にあった2階建ての物置が無くなり、石段上からは国の文化財指定となっている岩科小学校も見えて、その風景は50年前と変わらないのですが、感謝すべき人達が去ってしまっていて寂しく茫然とするばかりです。墓所最上段にある歴代住職専用の丸い墓石に手を合わせて、その場を暇乞いすることとなりました。人は去り自然は残ると言う摂理を厳然と感ずることになり、西伊豆青春は追憶となりました!
2011.12.03
コメント(0)
家を午前9時に出発、小田原厚木道路から箱根新道を経て三島に下り、其処から南下して西伊豆に向かいました。修善寺道路から土肥に出て、海岸線をひたすらドライブし、宇久須、安良里、田子を通り過ぎて、堂ヶ島に着きましたのは午後1時になってしまいました。家内と戸田から松崎までのドライブ旅行をしたのは15~20年前のことでしたが、その時は堂ヶ島は素通りして西伊豆町仁科に行きましたので、堂ヶ島の洞窟巡りをしたのは50年振りかも知れません。堂ヶ島(どうがしま)とは、静岡県賀茂郡西伊豆町にある景勝地。浮石質凝灰岩が駿河湾の荒波により侵食され、断崖絶壁となったもの。その景色の美しさから「伊豆の松島」と称えられる。長い年月の海触によりできた天窓洞(昭和10年天然記念物指定)があり、中央の天井は抜け落ちていることから名づけられた。上よりその口を開けた様も見ることができ、堂ヶ島マリンの遊覧船で中に入ることもできる。また、悲恋伝説が伝えられる三四郎島があり、トンボロ現象が見られるところで、満潮時には水面 下に隠れて、その上を小さな舟が自由に往来することが出来、干潮時には歩いて渡ることが出来る。三四郎島とは象の形をした象島を含め3島の総称。少し駿河湾に出て、堂ヶ島を見ますと切り立った断崖絶壁が見事で、富士箱根伊豆国立公園にいるのだと実感出来ます。三四郎島は満潮で、何か軍艦の様相を呈していました。いよいよ洞窟内に入りますと、青色が幻想的な雰囲気を漂わせていました。見上げますと、洞窟天井には丸孔が開いていて、明り取りになっているのも珍しく、やはり類を見ない特徴ともなっている様です。洞窟巡りは約20分で終了となりましたが、なかなか見応えがありました。午後2時、昔に家内と一緒に訪問した仁科の知人宅、今は住む人も無く空き家若しくは更地になっていると思うのですが、15~20年振りに向かうことにしました。
2011.12.01
コメント(0)
今日は藤沢市にある義長兄の墓参りに行って来ました。前回は、月遅れの8月お盆前のことでしたので3ヶ月半振りのこととなりました。伸び放題だったイヌ柘植を剪定鋏で刈り込み、雑草を抜いて墓石周りを綺麗にし、管理事務所で購入した花を供え、焼香し手を合わせました。3年前までは家内と一緒に墓参りに来ていましたので、2年前からは北帰行の一節「今は黙して行かん」を思い起こし独り黙しているより仕方がありません。北帰行は満州旅順高等学校の寮歌、家内も義長兄も、満州鉄道の社員であった義父の下、社宅で生まれた大連も同じ遼東半島にあって遠くありませんので今日の感傷は丁度良かったのかも知れません。富も名誉も恋も遠きあこがれの日の淡きのぞみはかなきこころ恩愛我を去りぬ今は黙して行かむ何をまた語るべきさらば祖国わがふるさとよあすは異郷の旅路それでも、晩秋のセンチメンタルな感情は何とも寂しいものがありました。
2011.11.27
コメント(0)
幕山は奥湯河原にあるハイキングコース、麓には4000本と言われる巨大な湯河原梅林がありますし、岩山はロッククライミングのトレーニング場所として知られています。此処に来ましたのは、夫婦低山トレッキングを始めた頃の梅の季節でしたから、多分14~15年振りでした。小田原厚木道路から西湘バイパスを経て真鶴道路を使って真鶴駅前を経由して、幕山公園駐車場に着きましたのは午前11時半過ぎでした。シーズンオフだったので、駐車場はガラガラで、あまり人気はありません。ゆっくり梅林の最高点を過ぎますと、ハイキングコースとなりますが、それ程の急登は無く、山道から湯河原の街と真鶴半島、雄大な相模湾が展望出来ます。途中珈琲休憩をしつつ、ふと足元を見ますと、咲き遅れの竜胆もありましたし、季節先取りのスミレもあり、一寸ピクニック気分となりました。葉が落ちて明るくなった雑木林を抜けて、頂上到着は午後1時となりましたが、マウンテンバイクで登って来た人がいましたので吃驚、隣山の南郷山へは舗装道路が整備されているので其処から分岐して登って来たとのことでした。頂上で南の相模湾を見ますと、背の高いカヤが邪魔して真鶴半島が半分隠れていました。14~15年前は頂上も広く眺望も良かった記憶がありますが、梅の季節でカヤが無かったのかも知れません。北を見ますと、なだらかな山容が広がっていて、なんとものどかな風景が広がっていました。下山途中、梅林に入りましたら、岩場でハーケンを打ちこむ高い音がしますので、見上げますとクライマーが練習中でした。5分程見ていましたが、なかなか登って行く様子がありません。訓練中で慣れていなかったのかも知れません。ゆっくり下山してトイレ休憩、同じ経路を辿って自宅に到着しましたのは、5時前で丁度日没、良い一日を過ごすことが出来ました。
2011.11.26
コメント(0)
尾根緑道も小山内裏公園を過ぎると八王子市鑓水地区となりますが、其処は開発がスローダウンして里山・原野が良く残された地域となっています。午前中は天気が良く快晴でしたので、片雲の風に誘われ、昼食後、小山内裏公園の駐車場に停めて散歩してみることにしました。しかし残念ながら、午後になりましたら、空に多数の雲が棚引いて来て八雲差す風景となってしまいました。それでも、小山内裏公園の外れから鑓水地区を見ますと、奥多摩の山々もよく見えて、三頭山がどの辺かと探すことが出来る位、空が澄んでいました。八雲は、雲が幾重にも立つことから「出づる雲」の意味の出雲に掛けたとされていますが、単なる枕詞でなく、「やくもさす」とも言われていますし、多数の雲が重なる風景と思いたいのです。八雲(やくも)立つ 出雲(いづも)八重垣(やへがき) 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を散歩道から見える鑓水地区の団地、その屋根には太陽電池パネルが全戸に装備されていてエコ住宅となっていました。太陽電池パネルは補助金制度が廃止されますと経済的にはペイしないと思うのですが、現状の補助金制度存続を10~15年と見込んで、今後の住宅仕様がこの様に変更されて行くのかと、感慨を持って眺めることとなりました。
2011.11.23
コメント(1)
昨日は曇りから薄日が差しましたが、日中の最高温度が14℃となりましたので、庭にあった月下美人・幸福の木等を枯れてしまわない様に室内に入れましたし、板張りの居間にも、2階の次男部屋からカーペットを下ろし、一人で苦戦しながら敷き詰めて、何とか冬支度前哨戦と致しました。一昨日は、志野焼の花瓶に入れて仏前に供えてあった我が家の小菊を、墓前に供えて上げるのも良いことと思い、冨士霊園に行ってみることにしました。快晴のドライブを楽しみつつ途中、道の駅「道志」で、菊の花束を一つ購入して我が家の小菊と共に墓前に供え、焼香し1ヶ月振りの挨拶となりました。墓前でインスタントラーメンを造って昼食としつつ、周囲を見ますと秋の紅葉の季節となっています。我が家の墓所は管理事務所から徒歩5分の低地にありますが、広大な富士霊園内の東北域に位置する高台では、錦秋の彩りとなっていました。無理して深山幽谷に分け入らなくても、冨士霊園は春の桜、秋の紅葉の名所になる様に設計されている様です。
2011.11.19
コメント(0)
山中湖の北岸には、富士を見る絶好の展望所が2ヶ所あり、裾野から頂上まで邪魔するものが無く存分に眺めることが出来ます。午前11時の富士山、冠雪がまだ少ない様にも思えるのですが、11月中旬ともなりますと空の紺碧も深くなって、色の対比が素晴らしい景観となります。此処からの富士山は、左側中腹に宝永火山、右側には小富士がありますので、えらが張った形状となり、綺麗に両側の裾野を引く河口湖からの景観とは違っています。捉え方によっては、肩を怒らせた男性的な姿と見ることが出来ましょう!しかしやはり、富士を見るのは午前中が必須条件で、午後2時に国道246号線にある道の駅「富士おやま」から見ますと、半分シルエットで薄くなってしまいます。
2011.11.18
コメント(0)
昨日は横浜市戸塚区に行き、霊前に焼香して来ました。9日前に逝去しました同期の桜の遺族宅を初めて訪れることにしたのです其処は里山の丘上、急坂を登って行ったお宅には広い敷地があり、庭には花木を含めて種々の樹木が植栽され、家庭菜園もあり、お宅の北側の日陰には原木の椎茸もしていた様です。隣は鬱蒼とした竹林、都会の中にも拘わらず、森閑とした雰囲気には驚かされました。まるで、陶淵明の世界が広がっていたのです。廬(ろ)を結びて、人境にあり而かも車馬の喧(かまびす)しき無し菊を采(と)る東籬(とうり)の下(もと)悠然として南山を見る焼香して手を合わせて、冥福を祈り、初めてお会いする奥様と歓談することになりました。癌手術からの1年半の療養中、肺気腫にもなってしまい、懸命の看病疲れはさぞかし大変だったろうと推測されましたが、無事に伴侶を見送ったとの安堵感あったのでしょうか明るく対応して頂きました。共通の話題がありませんので会社時代の話となりましたが、ご夫妻は職場結婚と言うことで同年代と言うこともあり、尊敬すべき会社幹部・世話になった上司の方々にかなり共通するものがありました。1時間程お邪魔しての帰り際、畑から葉物野菜を頂戴し、花壇からは種々色の菊、庭際からはススキを取って家内にお供えくださいとのことで、有り難く受け取らせて頂きました。自宅に帰って、野菜は味噌汁にし、お花は花瓶に入れて仏壇前に飾ってあげることが出来ました。やはり、女性は心配りが細やかなものだと実感することになりました。
2011.11.13
コメント(0)
昨日は、ふと府中にある郷土の森博物館に行き、プラネタリウムを見たくなりました。昼食を園内のレストラン「こもれび」で取るべく、丁度正午に入園しましたが、プラネタリウム開演時刻は午後2時とのことでしたので、久しぶりに園内をゆっくりと散歩しました。梅林では、葉を落としている木々が多かったのですが、梅は別に紅葉する訳では無いことから、訪れる人も疎らでした。ロウバイの小径に入ってみますと、未だ葉を青々と茂らせていましたが、初春に備えて花芽を膨らませていました。11月と言うのに暖かく、水場では未だコスモスも、可憐さを競っているので、晩秋とも思えない雰囲気でした。そうこうする内に、午後2時からのプラネタリウム、3年振り若しくは4年振りとなるのか知れません。毎年2回程度、家内と見ていたのですが、最後の2年位は「ぎっくり腰が痛く仰向けになるのが苦しい」とのことで、パスすることが多かったからです。久しぶりに上映された映像は、3D効果も駆使した素晴らしい迫力がありました。プラネタリウムも天体を見て星座のロマンを勉強するだけのことから、宇宙の壮大さを見せてくれる楽しさを提供してくれる様に進化していました。「バース・ストーリーズ BIRTH STORIES」ビックバンから宇宙が生まれ、その片隅で地球が誕生、その惑星で生命が育まれ、ついに人類が登場、人類が生きる現代までの進化を美しい映像で辿る。海外で数々の賞を受賞し、美しいCG映像、洗練された音楽、詩的なナレーションが一体となって展開する本格映像作品。12月からは、冬の星座解説と共に新番組も公開される様ですので、楽しみです。
2011.11.05
コメント(1)
丹沢大山に登る最も良いコースは、大山阿夫利神社下社までケーブルカーを利用して、其処から大見晴台を経て尾根道を登って行くコースだろうと思われます。家内とは2度程このコースを取って登った記憶があり、その他日向薬師から林間を経て大見晴台経由登るコース、下社から上社への山道参道をひたすら登るコースを取ったこともありました。昨日は8月の鐘ヶ嶽での山蛭遭遇を考慮し、その近くの日向薬師コースは取りやめ、反対側のヤビツ峠から大山に登ってみることにしました。ヤビツ峠には家内と来たことがあったのですが、駐車場所が見つからず、登山を断念したことがありました。到着しましたのは午前11時半で、峠の駐車場は満杯でしたが、県道70号線に沿って峠近くには5台程停められるスペースが数ヶ所ありましたので、その一つに停めて約2.4kmで1時間とされるトレッキングコースを登って行きます。塔の岳が邪魔して、なかなか富士山が見えないのですが、30分も登って行きますと塔の岳の向こうに富士が見えて来ましたが、正午ともなりますと富士の姿は薄くしか見えません。それでも、上社への山道参道の合流点近くとなりますと、塔の岳が低く見えて壮麗な富士の姿を見ることが出来ました。山頂到着は所定の1時間をオーバーして午後の1時となりました。神木とされるブナの大木「雨降木」から見える湘南の景色は素晴らしいものでした。頂上には多くのベンチ・テーブルが設置されていますので、其処で例によって野菜を沢山入れたラーメンを造って昼食としました。益々、靄に隠れて来る富士を観賞しつつヤビツ峠に下山しましたが、午後3時半ともなりますと車の数は減り、ヤビツ峠は日に陰っていました。富士山を堪能するには、朝早く行動するのが基本です!
2011.11.02
コメント(1)
家内と共に大菩薩峠の登山口である上日川峠に行きましたのは、2005年11月初旬でしたからもう6年前のこととなりました。その時は登山準備をしておらず、大菩薩峠には登りませんでしたので、正確には供養登山とは言えないのですが・・昨日は絶好の快晴、家を9時過ぎに出発、中央高速自動車道を使って、勝沼ICから甲州街道を大月方面に戻り、甲斐大和駅の先を左折して218号線をひたすら北上して、上日川峠を目指し、午前11時過ぎに到着しました。平日の金曜日にも拘わらず、付近の道路は物凄い数の車が停めてありましたが、ロッジ長兵衛の向かいにある林道に駐車場所を見つけることが出来ました。ここから先へは車通行は禁止されていますので、福ちゃん荘まで林道を歩いて行きますが、林間は錦秋の世界となっていました。並走して舗装道路も続き、10年程前までは福ちゃん荘まで車で行けた様です。福ちゃん荘からは、唐松尾根から大菩薩嶺へ行くルートと大菩薩峠に行くルートの分岐点となりますが、今回は体力に自信も無くなって来ましたので、直接介山荘のある大菩薩峠に行くルートを取ることにしました。それ程の急登も無く、途中珈琲休憩を取りつつ、ゆっくりとトレッキングを楽しんで、標高1897mの大菩薩峠に到着しましたのは、午後0時半となりました。此処で、インスタントラーメンをバーナーとコッヘルで作り、素晴らしい眺望をおかずにして昼食としました。此処からは雷岩まで尾根道が続き素晴らしい眺望が楽しめますし、峠迄は1時間程の行程で体力も消耗していませんので、富士山と甲斐の山々を眺めながら登り、岩だらけの親不知ノ頭から眼下に大菩薩峠・介山荘が望めました。昨朝の冷温で逆転層が発生、靄が2500m付近で漂い、望む富士も甲斐の山々も山腹を見ることは出来ません。きらめく湖面は上日川ダム湖、大菩薩湖との呼び名もあるそうです。途中標高2000mに達し、程なく雷岩に到着しましたが、標高2056mの大菩薩嶺では眺望が利かないとのことで断念、雷岩から唐松尾根を経て下山することにしました。福ちゃん荘に下山しましたのは午後3時、既に夕刻の気配でしたので、舗装道路を急ぎ上日川峠に到着し、帰路に着きました。途中、上日川ダムから眺める大菩薩尾根、夕日に照らされて綺麗でしたし、湖畔に紅葉したカラマツ(落葉松)に家内とドライブした6年前を思い出しました。6年前のブログ「落葉松の黄葉-上日川ダム湖」自宅には午後5時過ぎ到着、秋の夕刻は「つるべ落とし」、既に暗くなっていました。
2011.10.29
コメント(1)
今日は雲一つ無い快晴、城山湖揚水発電・変電所横にある駐車場に車を停め、城山湖を1周してみることにしました。城山湖は本沢ダムで守られていますが、其処から階段を登って湖畔散策道となりますが林間の気持ち良い雰囲気で、竜胆も咲いていました。およそ10分で着いた「はなさき休憩所」の四阿(あずまや)でピザパンとコーヒーで軽い昼食を取り、道路標には「松見平休憩所 約20分」と表示されていて、急な上り下りを経てゆっくり登って行きます。100mにも満たない高低差ですから息が切れることもなく、松見平休憩所に到着です。此処は町田市最高峰の標高365m草戸山山頂となっていて展望台もありますが、湖面も見えず殆ど展望が利きません。城山湖周回ハイキングも終わりに近づく頃、本沢ダムと綺麗な湖面が見えました。方角を変えて、北方向を望みますと、夕日に映えた緑の湖面・湖畔の向こうには高尾山も見え、今日は絶好のハイキング日和を満喫出来ました。注意:城山湖散策路は危険防止の為、午前9時から午後5時迄しか許されず、出入口門は施錠されます。特に夜間は急激な水位上昇もあり、安全確保を優先させている様です。
2011.10.27
コメント(0)
今朝は、いつも通りの独り朝食、トースト、ハムエッグ、トマトサラダ、珈琲となりました。昨朝は、博多から義姪二人が泊ってくれての朝食、常日頃は無いニンジンスープ、大根サラダ等を造ってくれて変化があって良かったのです。昨日は、義姪二人を乗せて、午前9時半に出発、厚木ICから東名に入り御殿場IC経由で富士霊園に着きましたのは午前11時15分となりました。所定の手続きを済ませ、住職へのお布施料を支払いましたが、未だ12時20分の法要時刻には余裕がありますので、徒歩5分で墓所に行き、花を供し、焼香をしておきました。午後12時20分から始まった礼拝所での法要読経、昨年の納骨法要と同じ住職でしたが、般若心経が超スピードで読み上げられ、少し苦笑せざるを得ませんでした。昨年3月の納骨法要では、雪が舞う墓前での読経でしたので、参列者全員も寒くて、早くしてくれたのだろうと思っていましたが、どうも住職普通の姿の様でした。法要読経が終わり、参列者全員で墓前に行き焼香して、管理事務所2階にある会食場で会食し、午後2時散会となりました。義姪2人は羽田空港から午後7時航空便で福岡に帰りますし、次男は子供の待つ文京区へ、長男の奥さんは夕刻に新宿で待ち合わせ等、諸々の都合があり、車で帰るより電車の方が早く帰れますので、義姪2人、次男と長男の奥さんを小田急線「新松田」駅に、送り届けて下ろして、そのまま帰宅となりました。自宅帰着は午後5時、3回忌と言うのは節目でやれやれと言う気と共に、気楽ながらも会話の無い生活に戻ることになりました。
2011.10.17
コメント(0)
府中の森博物館の無料駐車場に車を停め、多摩川左岸に出て少し下流に歩いて行きますと大丸(おおまる)用水堰があります。左岸は府中市是政、右岸は稲城市大丸となっていて、魚が上り下り出来る様な傾斜の緩い堰になっています。堰上流部には「アイスハーバー型魚道」、下流部に「ハーフコーン型魚道」を設置して、鮎の遡上もしやすく設計されている様です。対岸に見えるのが稲城市ゴミ焼却場、堰の上流は水深が浅く、川に入ってフライフィッシングで魚を狙っている釣り人もいます。目を少し下流に転じて、対岸を見ますと産廃処理場がありますが、持ち込まれる産廃物が多いのか、処理場内には小高い産廃物の山が拡がって来て、ブルドーザで均している様子、もう処理も限界なのかも知れません。大丸用水に設置されている魚道の1つはと言って、魚道の中央部に非越流部(水が流れない部分)があり、両側の越流部(水が流れる部分)の下に潜孔があります。 魚道中央部の水が越流しない部分の下流側では、流れが穏やかな水面が確保され、魚が休憩できるようになっています。 水量の増減に余り対応できないため、潜孔が土砂で詰まり易いという欠点もあります。 もう1つは「ハーフコーン型魚道」と言って、多摩川で開発され「大丸用水堰」に最初に設置された魚道です。プール間の隔壁が半円錐型をしていて、側面に沿った水脈が緩やかな流れを作り、降下する稚魚には優しい流れを、遡上する魚には流下断面が三角形なので、流速も色々に変化し適切な経路を選べます。さらにプールが浅く、らせん状に流れるので土砂が堆積しにくいという特徴もあります。堰下流では、鮎を狙って川に入り、長竿を振っている釣り人もいました。多摩川も自然が戻っている様子です。
2011.10.13
コメント(0)
南多摩尾根幹線を東に進み、稲城市に入り、坂の途中に幹線道路を跨ぐくじら橋と言う大きな橋があり、まるでシロナガス鯨が横たわっていると見えないこともありません。橋の底のコンクリート面が鯨の胴体を思わせる曲線で設計されていて変わっているのです。強風での空力的な空気抵抗は小さいと思われるのですが、別に橋が動くものでもありませんのに、どうしてこの様な設計を採用したのか不思議に思われます。桁高や幅員が3次元的に変化するユニークな橋で、最狭部でも3車線を取れる程の幅広となっています。通常は人と自転車しか通らない橋なのに広過ぎますし、「くじら橋」と言う命名も奇妙に思えます。形式 PC単径間固定式門形ラーメン橋橋長 107m幅員 24.4~16.8m着工 1995年3月、竣工 1997年)7月で、1998年度土木学会田中賞を受賞したらしい。橋の名称は、市民への公募により命名されたとのことです。眼下には南多摩尾根幹線道路とその広い中央分離帯が見え、新宿高層ビル群等の都心を遠く見渡すことが出来ます。
2011.10.07
コメント(1)
稲城中央公園には尾根幹線を東に向かって道なりに行きますと、稲城市に入りますが、鯨橋手前を右折して行くことが出来ます。そのまま行きますと尾根幹線は終わり、通常道路になって南武線「矢野口駅」に着き、多摩川原橋直前を右折して多摩川沿岸道を南に向かうのは、川崎市立多摩病院に家内を連れて通院した懐かしいルートでもあります。稲城中央公園には、一周400mの本格的なトラックがある陸上競技場、屋内体育館があり、多摩丘陵の森も里山として残さ、起伏に富んだ散歩道も整備されています。近頃、2年前の通院を思い出すのか、稲城中央公園に行くことが多くなりました。屋内体育館に隣接して「パークヒル」と言うレストランがあって、気楽に日替わりランチが食べられるからなのです。レストランと言うよりも、稲城市民が気軽に食事を楽しめる大衆食堂と言った処でしょうか? レストランは2階で、内部は広く、窓も大きく外の景色を楽しめますし、天井も高く至って開放的です。日替わりランチは800円ですが、ホットコーヒー、アイスコーヒー、ウーロン茶等のフリードリンクも提供されますので、値段も手頃です。先週土曜日は天気も良く、昼食後は3連休で混雑する陸上競技場を見つつ、里山を下って行きました。下り切りますと鶴川街道でしたが、交通量の多い道路を横断して、京王線ガードをくぐって駒沢女子大まで行ってみました。其処は多摩ニュータウン開発地域からは外れていますので、民家の数も少なく、緑の濃い里山が手つかずのまま残されている様でした。
2011.09.26
コメント(0)
大学時代の写真を見ていましたら、三つ峠登山の写真が2枚出て来ました。おそらく1962年秋と思われるのですが、1963年だったかも知れません。前列中央に座るのが、7月に五島に来てくれた親友、この時はワンゲル部に所属していましたので、ガイド役でもありました。後列左が家内20才、右が私で21才、後列中央は私が家庭教師をしていたお宅のお姉さんで多分19~20才、優しい人でありました。大学卒業後は音信も途絶えてしまい、良き人生を送っていますことを祈るのみです!今日の東京地方は夏日の予報でしたが、1000mを越える高地に行きますので、大丈夫と判断しました。朝8時に出発、中央高速大月分岐線からは、富士山に雲一つ無く、三つ峠の電波塔もくっきりと見え、絶好のハイキング日和と思われました。終点河口湖ICを9時20分に下り、河口湖湖畔から国道137号線、所謂「御坂みち」で山道に入り、御坂トンネル直前を右折して三つ峠登山口に向かいました。登山口から林道に入り5分程行きますと、公衆トイレのある大きな駐車場がありましたので、其処に停めて、林道をひたすら登って行きます。このルートは裏ルートですので、三つ峠山荘に到着するまで、眺望が開けることが無く、1時間40分ひたすら我慢の登山でした。但し、高原の林道は涼しくて助かりました!49年前は夜行列車で三つ峠駅に丑満時に着いて、暗い道を登ったのですが、途中眺望が開けたのか否か、遠い昔のことで記憶していません。三つ峠(みつとうげ)は、山梨県都留市、西桂町、富士河口湖町の境界にある標高1,785mの山である。三ッ峠山と呼ばれることもあり(国土地理院の地図や山岳関連図書では三ッ峠山と紹介されている)、開運山(1,785m)、御巣鷹山(1,775m)、木無山(1,732m)の3つの頂上の総称であるが、最高峰である開運山を指すこともある。三つ峠山荘には11時半に到着、富士山方面を見ますと、雲が掛って日本一とも言われる山容を楽しむことは出来ませんでした。三つ峠山荘から、ロッククライミングの断崖で知られる開運山頂上を目指します。その途中、三つ峠山荘横の広い野原に土台に石碑がありました。上記の写真に似ていますので、山頂の石碑はどうなのか確かめてみることにしました。確かに似たような石碑はあるのですが、頂上が狭く、49年前のアングルは無理があるかも知れないことが分かりました。49年前のことですから、どちらであるのか、私には定かでない気がしております。
2011.09.12
コメント(0)
昨日は快晴で湿度が低く、快適でしたので、冨士霊園に墓参りに行くことにしました。246号線から冨士霊園に向かう途中から見る富士、このアングルは平凡なのですが、何時も此処から撮影することにしています。山頂に雪が無い「青富士」となっていますが、稲田の向こうに見える、この姿も良いものだと思っています。冨士霊園は管理が良く、何時行っても気持ちの良い場所、広い入口アクセスに整備されている、芝生に形の良い黒松が植栽されているのですが、塵一つ無く清掃されています。墓所も、玄武岩の砂利を敷き詰め、樹木・花木は植栽禁止となっていますので、草ぼうぼうとなることがありません。我が家の墓所には、花木と草花が見えますが、年間費用1万500円を支払って霊園で管理して貰っているもので、個人のものではありません。各墓所へのアクセスも玄武岩の砂利を敷き詰めてありますので、雑草が増えて困ることは無い様です。昨日は、日向は暑かったのですが、日陰を探して座って、ランチを取りましたが、湿気が無く非常に爽やかで、秋の気配が感じられました。帰りに、管理事務所に寄り、来月に行う3回忌を予約することにしました。墓所で行う場合は時間制約が無い様でしたが、当日の天候は分かりませんので、管理事務所横の礼拝堂でして頂くことにしました。10月16日(日)12時20分とし、その後事務所2階の特別室で4200円のお弁当で会食することにして予約しました。帰りは246号線まで戻り、道の駅「ふじ小山」に寄ってバナジウム水をペットボトル2本に汲み入れました。何時もお米も販売されているのですが、昨日はありませんでしたが、放射能汚染の影響なのかと奇異に思われました。兎に角、其処から246号線で御殿場まで行き、御殿場IC経由東名で帰宅することとなりました。
2011.09.09
コメント(0)
丹沢の広沢寺温泉奥に位置します鐘ヶ嶽には、10年以上前に2度程登ったことがあり、久しぶりに行ってみることにしました。午後は天気不安定との予報でしたので、山の神隧道から登って行く一番楽なコースを取ることにしました。前には隧道脇まで車で行き其処から登山口に入ったのですが、林道が整備され、今では「ハイカーは温泉入口駐車場に駐車のこと!」との注意看板もありましたので、それに従うことにしました。土石流被害防止の為のダム、迂回する林道が整備されていましたが、全て舗装されている道路ですので山道を行くと言う感じはしません。30分余掛って久しぶりに訪れた山の神峠の隧道手前の広場は特に変わった様子もありませんが、数台駐車可能なスペースには、以前あった車の姿はありません。此処は現在もハイカーや、肝試しなどに訪れる人などによって利用されている隧道で、心霊スポットとしても知られているらしい。そんなこととは知らず10年以上前には、家内と共にこのトンネルを通って丹沢三峰山にも登ったことがあるのです。隧道周辺にはクマが生息していることを示す看板があり、場所が車止めゲートの先であり、何らかの事故に遭遇した場合、助けを呼んだとしても、周囲に人がおらず気づかれにくいことから、行く場合には注意を要する場所になってしまった様です。兎に角、登山道を登り始め、途中御茶飲み休憩していますと、数日来の雨で登山道の落ち葉が濡れているのですが、赤い山蛭が何十匹と動めいているのです。ほうほうの態で、登山靴に這い上って来る山蛭を払い、峠まで急いで登って行くことにしました。20分程で、漸く山の神峠の広場に到着、丸太の上でザックを降ろし足下を点検しますと、登山靴・ジーンズに体長1~2cmのヒルが数匹這っているのです。鐘ヶ嶽山頂は、其処から30分程林の中を登って行くのですが、どうもこの山道は山蛭の巣窟になっていると判断し、「らくらくコース」を使って急いで広沢寺温泉に下山することにしました。比較的明るい沢コースで、隧道の反対に下りましたので、別に心霊スポットと気にすること無く、懐中電灯も使わずに隧道を通り、元の舗装した登山道に戻りました。車止めゲートを過ぎた処で、もう山蛭もいないだろうと休憩をとり、下着類を全て替えることにしました。ジーンズを裏返しして、舗装道路に広げチェックしますと、山蛭が2匹這っていたのです。足首の所は血が滲んでいる状態で被害軽微でしたが、脛の所は既に皮膚が食い破られて血が出てしまっていましたが、痛いとも痒いとも感じられません。ともあれ、すべて山蛭を退治したと判断し、広沢寺温泉入口の駐車場に戻りましたが、後2~3日は痛痒さが続くことになるのかも知れません。鐘ヶ嶽登山は、10年以上前には浅間神社経由登ったことがありますが、此方のコースも山蛭の巣窟になってしまったと思われ、再チャレンジするとすれば蛭がいなくなる冬の時期しか無いのでは思いつつ、帰宅することとなりました。「山蛭注意!」は宮ヶ瀬湖近くの仏果山登山口にあるのは、先刻承知しておりましたが、野生鹿の増加と共に、近年丹沢山塊全体に蔓延してしまっている様です!
2011.08.28
コメント(0)
昨日は、静岡県富士市に行って来ました。旧吉原市荒田島で、昭和23年から25年まで栃木県から再疎開して過ごした土地でもあり、その頃は吉原町でしたが・・結婚後は特に行き来も無く、年賀状の交換だけで過ごして来たので、家族も其処に行ったことはありませんでした。しかし、家内の逝去に際しては各処から香典も頂き、昨年の初盆にも志を頂きましたので、季節の挨拶をしておくべきだと思い、デパ地下でお中元にもなりそうな冷菓子等を購入して、129号線を南下し厚木ICから東名高速を使って富士ICで下りると、それ程遠くはありません。数軒に挨拶をして帰ることにしたのですが、「生桜エビがあるから持って行って!」と逆に頂き物を頂戴することになりました。富士市吉原は田子の浦に面していて、駿河湾特産の桜エビが、釜上げなり生なりの新鮮な状態で売られている様なのです。「天婦羅にすると美味しい!」とも言われたのですが、家内が亡くなってからは、自分で天婦羅料理をしたことがありません。色々料理をする際に参考にして来たのが、インターネットCookPadですので、別レシピを検索してみることにしました。「釜上げ桜エビの炊き込み御飯」が見つかりましたので、それに従って今朝トライすることにしました。何時も炊き込み御飯は乾燥タイプのものを使っていて、水量が少なく、おこげが出来てしまいますので、今回少し水を多めにしました。しかし、生桜エビには水分が沢山あって、合計水量が多すぎて、残念ながらベチャベチャの炊き込み御飯となりました。美味しそうな匂いはするのですが・・!失敗は成功の母、未だ半分はパックして冷凍庫に残してありますので、次回は上手く作ってみようと思っています。
2011.07.03
コメント(1)
今日の朝方は家の中でグズグズとしていましたが、今朝からは快晴でしたので、梅雨の晴れ間を満喫して見ようかと、午前10時から久しぶりに高尾山に出掛けてみることにしました。何時もの通り、高尾山口を通り過ぎた処にある薬王院祈祷殿の駐車場に500円で停めさせて頂き、清滝駅を通過して高尾病院を通過して、6号路(びわ滝コース)から1号路に抜けるバイパス登山路に合流しました。この道は、ガイドブックにはあまり記載されていませんが、高尾登山の最短コースとなっています。今日は蒸し暑いので、途中、ペットボトル水を飲みつつ、又高尾まんじゅうで英気を養いながら休憩を頻繁にとって、ゆっくり登りましたが、蒸し暑さに体力が消耗してへばってしまいました。漸く11丁目茶屋に着いて1号路に合流しましたので一休み、其処からの八王子付近風景も何時も見慣れた景色で、見通しも良くありませんでしたので、カメラで写真撮影もしませんでした。日向は夏日で暑いばかりで日陰が恋しい限り、薬王院を経て日陰の少ない山頂までは行く気がなくなりましたので、1号路を使って下山することにしました。登山路脇の平地で、小松菜と葱、ハムを入れて、インスタントラーメンを作って、ゆっくりと昼食休憩を取りました。そのまま1号路を使って下山し、祈祷殿に帰りましたのは午後1時過ぎでしたから、往復合計2時間半、へばった割には積算歩数は精々2万歩程度だったかも知れません。
2011.06.22
コメント(1)
今回の土日が高速道路ETC上限1000円割引の最後の週末ですので、昨日は奈良県生駒市まで日帰りドライブしてみることにしました。 民主党がマニフェストで掲げた高速道路無料化も叶わない処か、自民党が経済活性化の為に時限立法で実施した土日割引を民主党も引き継ぎましたが、遂に終了となります。議論は色々ありますが、民主党に期待して政権交代をさせた国民には合点の行かない処で、その失敗責任から内閣総辞職して、全ての政党が入る暫定国民震災内閣が妥当なのかも知れません。果てさて、昨日は午前5時に自宅を出て、横浜町田ICから東名に入り、一宮ICから名神に乗り換えますと、岐阜県、滋賀県、京都府と目まぐるしく変わり、大阪府吹田ICを経て近畿自動車に入って阪奈高速をドライブしますと、漸く奈良県生駒市に着くことが出来ました。時刻は午後2時ですから、500kmで8時間掛りましたが、Google Mapで検索しますと、最新の道路事情が反映されていて330kmで7時間となっていますので、Naviが最新情報を取り入れて無いことに依ります。訪ねたお宅の住人は、生駒市に居を構えています家内の従姉で、仲の良かったお姉さん格のご夫婦は残念ながらお留守でした。帰り道はNaviの設定が間違えて、生駒市が目的になってしまっていて、途中から再度現地に戻る手違いがあって、自宅に戻り着いたのは午後11時となりました。40才代後半では、家内と共に車で佐世保まで1200kmドライブし義母に会いに行ったことは何回かありますが、70才直前では体力の衰えが隠せませんでした。途中、話し相手の無いドライブですので、精神的疲労も相俟って自宅に着きましたら疲労困憊で、お風呂にも入らず、布団にバタンキュウと寝てしまうこととなりました。40才代前半での米国駐在時代の家族旅行は1000kmが普通だったので大丈夫と思ったのが間違い、年甲斐も無く、又年齢の衰え自覚を忘れて、無理なドライブをしてしまいました。
2011.06.19
コメント(1)
四葉・五葉など葉の枚数が増えるのは、成長を傷付けられたことに起因する変異であることが殆どですので、よく踏みつけられるような場所のクローバーに多く見られます。道路に近い踏みつけられる場所で、先ず視点を高くして30~50枚程度ずつ、マクロでチェックして行きます。場所にも依りますが、1000枚程度チェックして見つからなかったら其処は諦めることも肝心なことで、無駄な労力を浪費せず、他の場所に移ることもお勧めです。人間の眼は一寸した変化を見つけ出すには優れたもので、400~500枚の中に、偶然でしょうが、割合確率高く四つ葉のクローバーを見出すことが出来ます。1枚見つかりましてから、その近辺をミクロにチェックしますと、直ぐに複数枚の四つ葉・五つ葉のクローバーを見つけることが出来ます。昨日、町田市の野津田公園の散歩道脇で見つけた、3枚の四つ葉のクローバー、所要時間は10分程でした。四つ葉のクローバーは、小葉を4枚持つクローバー。偶然に見つけると、幸運が訪れるという伝説がある。四つ葉のクローバーの花言葉には、誠実・希望・愛・幸福の4つの意味が、それぞれの4葉にあると云われています。
2011.06.07
コメント(1)
先日、地下鉄日比谷線の神谷町から、ホテルオークラを目指して坂道を歩いて行きました。その日は、別にホテルオークラを目指したのでは無く、直ぐその下に位置する田中山ビルにある日本技術士会に用があったのです。私の技術士会会員証は10年を過ぎていましたので、更新をしておく必要があると思われたからでした。申請を終え、ビル前から見上げるホテルオークラ、25年ほど前にはよく訪問しました。アメリカ大使館も近く、米国GE社出張員の定宿でしたので、会社での正式打合せを前に、よく事前打合せに行く必要があったからでした。ホテルオークラは、日本では「老舗ホテル」とされており、帝国ホテル、ホテルニューオータニとともに、ホテルの「御三家」と称される。ホテルオークラ裏近くのビルには、GE日本支社があり、20年前に請われて入社直前まで手続が整いましたが、当時の所属会社副社長から、GE日本支社に「彼には会社内の別ポストを確約しているので退社させることは無い」との連絡があって、最終的な採用手続となる米国GE社面接が土壇場で突然キャンセルになったことも懐かしい思い出となりました。
2011.06.06
コメント(0)
冨士霊園では水曜日は休園日ですので、管理事務所を始め、全てのお店はお休みです。500mlペットボトルのミネラルウォーター、インスタント塩ラーメン、小松菜・葱を細切り、茹で卵、ウィンナーソーセージを持参して、墓前で拵えて昼食にすることにしました。LPG容器にバーナーをセット、コッヘルに500mlの水を注ぎ、全ての具材を入れて点火、5~7分程で完成です。途中で購入した供花を供え、焼香している内に、出来あがりましたので、何もありませんが暖かい昼食となりました。園内では、躑躅が満開を過ぎつつあり、初夏の装いに包まれつつありました。冬場に見つけた、我が家の墓近くの木にあった黄色スズメバチの巣の抜け殻も、木の葉に隠れて見えなくなっていました。今年も其処で巣作りをするのか一寸心配です!
2011.05.19
コメント(1)
大月市秀麗富嶽12景の11番目山頂に数えられる高川山に行って来ました。供養登山も今日で11回目になりますが、結構な数の低山トレッキングを一緒にしたことが分かります。高川山(たかがわやま:標高976m)は、山梨県都留市と大月市の境にある山。相模川水系の桂川と笹子川にはさまれた御坂山地の東端に位置する。山梨百名山の一峰で都留市の都留市二十一秀峰、大月市の秀麗富嶽十二景に選定されている。山頂は360度の展望が開け、富士山・三つ峠をはじめとした近隣の山々が一望できる。山の下をリニアモーターカーの実験線のトンネルが貫通しており、都留市側の山麓には、山梨県立リニア見学センターがある。10年以上も前でしたが、案内書が我が家に残っていましたので、その通りに中央高速道の大月ICで下り、甲州街道20号線を笹子方面に行き、猪狩駅でガード下を潜り抜けて、細い山道を椎茸畑の近くまで行くつもりでした。しかし、原木栽培の椎茸林はもう残っていません、菌増殖椎茸と国外産椎茸に押されて止めてしまった様です。それと思しきあたりに車が2台駐車していましたので、私も其処に駐車して、林道を登って行きました。途中、急登に見える山道コースと、林道を登る沢コースに分かれていましたので、今日は沢コースを取ることにしました。10年以上前の記憶が全く甦って来ませんので、前回家内と登った時は山道コースを取ったからだと思われます。今回の沢コースは楽でしたが、どうも距離的には随分遠回りしている感じでした。ともあれ、山頂に到着したのは午後1時となってしまい、冨士は逆光に近くなりますので駄目かと見ますと、何とか薄いながらも雄大な姿を見せてくれました。高川山から見る富士山は、11番目とは言え、他の秀麗富嶽12景よりも美しい気がしました!此処は空気が澄んだ秋が、蒼空と白き富士山が際立ち、絶好の景勝地になる気がします。
2011.05.14
コメント(2)
裏高尾に建設中の圏央道の高架橋の下をくぐって、日影沢を過ぎて小仏バス停も通過して山道を進みますと中央高速の小仏トンネル横で道路は行き止まりになり、此処がいつもの駐車場で15台位は駐車出来るスペースがあります。今日は小仏峠経由では無く、小仏トンネル真上を登って行く景信山への最短コースがありますので、そのコースを利用することにしました。 景信山の山頂には、最後の急な坂を登り詰めて1時間で到着、未だ午前11時一寸過ぎでした。丁度中学生の遠足に遭遇して茶屋の前は大混雑でした。空いていたベンチで、バーナーとコッヘルでお湯を沸かし、野菜とハムを具にしてインスタントラーメンを作りました。さわやかな風に吹かれながらも、山頂では一寸涼しく「暖かい昼食は美味しい」の一言でしょう。景信山を11時50分に出発して、陣馬山に向かいますが、家内と同じコースを取ったのは10年以上前のことでした。平坦な尾根道が中心のコースですが5kmあって、どうも2時間近く掛るようです。後年には、午後2時過ぎとなり、途中の明王峠で断念して引き返したことがありますので、陣馬山行は本日で2回目となります。その明王峠で珈琲休憩を取りますと残りは2kmで、残り40分程で走破出来ました。陣馬山の山頂では、快晴となり暑くなりましたので、涼しい日陰を探しましたがありません。逆に、此処の山頂は大きな木が無く、とても眺望に秀でている場所でもあります。モニュメントとして知られている、コンクリート製の白馬は少し汚れが見られましたが、昔のままで立っていました。此処で珈琲とクッキーで一休み、午後2時を過ぎましたので、急遽下山を開始、午後4時には小仏トンネル付近の駐車場に帰りたいのです。関東ふれあいの道を7km引き返しますと、小仏峠に至ります。結局は往復20km弱、何時もは10km未満、そんなに歩きませんので、下山途中に膝を痛めてしまいました。それでも、家内のストックを持って、衝撃を和らげるべく突いて下りて来ましたので、何とか出来ましたのは幸いでした。慣れないことを急にやるものではありません!
2011.05.09
コメント(0)
正門から入りますと、銀杏並木の奥には安田講堂が控えているのですが、銀杏の横枝が張り出していてよく分かりません。それでも、新緑で気持ちの良い散歩道になっていました。安田講堂では、昔は学生数も少なく入学式・卒業式は全て此処で行われましたし、又、東京都育英委員会から至急された奨学金を毎月の如く受け取りに行ったものでした。昨日は、安田講堂迄は行かずに、法文経2号館の処を右折して、図書館に向かいましたが休日である所為で、残念ながら閉館となっていました。昔の記憶を辿りますと、何回か此処で書籍を借りて勉強したこともありましたが・・三四郎池には下りてみませんでしたが、木々が大きくなり鬱蒼としています。41年前に家内を案内した時は、もっと空が良く見えた気がしまたが・・それではと、赤門近くに学士会館別館があるので、41年前に結婚式を挙げた場所を確認しようとしましたが、学士会館別館は現在改装中の足組み枠の中で、昔の記憶を呼び起こす様な建物は見当たりません。赤門を出て来ましたら、休日にも拘わらず、見物客がいて記念撮影している様子に出会いました。多分重要文化財だからなのでしょう!昔の記憶とは全く異なった街並みを見せる本郷通りを南下して、本郷3丁目駅に辿りついて、昔は無かった大江戸線を利用して新宿経由、帰途に着きました。
2011.05.06
コメント(0)
天気が良く、昨日の雨に洗われて清々しい朝でしたので、明日からはゴールデンウィーク連休で混んでしまうと思い、朝8時半から出掛けることにしました。永らく行っていなかった丹沢大山(雨降山)、出発は昔の記憶を辿って日向薬師駐車場としました。しかし、日向山への登山道はあるのですが、大山への登山道が見つかりません、どうも記憶違いだった様で、駐車場にいる方に聞きましたら、本道まで戻り1.4km先の日向ふれあい学習センター手前に登山口があるとのことでした。教えられたままに本道に戻りましたが、1.4kmはかなり遠く、マス釣り場、山小屋入浴場を過ぎて、漸く見つけて登山開始、午前11時一寸前となってしまいました。20分程登りましたら、車の通れる林道に出てしまいましたが、これも記憶していません。横切って再び林の中を登って行きますが、昔と違って70才の体力は衰えていることを実感、5~10分毎にお茶休憩を入れてゆっくり登って行きました。やがて登りの難所を越えたのか、地蔵像の横からゆるやかな尾根道となりましたが、風速20m/sはありそうな南風に遭遇、帽子も飛ばされない様に脱いで手で握り、緩い傾斜を登りつつ、開けた坂を登って行きましたら四阿屋のある見晴台に出ました。ベンチで休憩していましても強風が収まらず、昼食に用意して来たインスタントラーメンが調理出来ません。時刻は正午12時、日向薬師が標高200m、見晴台が標高770m、漸く570m登ったのですが、山頂は1,252m、あと480mも高い位置に山頂はあるのですが、昼食無しに見晴台から1時間半掛けて山頂まで行く気力がなくなりました。三峰山が良く見えました!大山山頂は遥か彼方です!写真を2枚撮って、ほうほうの態で下山開始、途中の風の無い登山道脇で、LPGガスでインスタントラーメンを調理して昼食、午後2時頃に日向薬師の駐車場に戻り、屋台のサマーオレンジを買って帰宅の途に着きました。今日の登山は供養にもならずに失敗、天国から家内が苦笑しているかも知れません。
2011.04.28
コメント(0)
昨日は曇天だったのですが、午前10時過ぎに近くのスーパーで仏花を買って、冨士霊園に行ってみました。冨士霊園は標高900mにある高原ですから、平地より花見時が遅く、桜は丁度満開状態でした。此処では、桜だけでなく、辛夷(こぶし)、レンギョウ等も一斉に咲き出していて、春の花の園になっている感じです。家内の眠る墓所も丁度満開でしたが、平日ですので訪れる人々もなく、「他人はいさ 心は知らず・・」と寂しい感じがしました。それでも、花を供えて焼香し、一人寂しく墓前で自家製のサンドウィッチと珈琲とスナックで昼食となりました。しかし帰途に際して、霊園の正面から続く中央道路に来てみますと、満開の桜を観賞する人達で混雑していました。此処は、桜の名所らしく、観光バスも数台来ていて、販売店テントも設営されていて、華やいだ雰囲気でした。行く途中に見えていた冨士も殆ど隠れ、箱根連山もうっすらとしてしまっているのが残念でしたが、今週末の混雑は凄いだろうと思いつつ、霊園を後にしました。
2011.04.23
コメント(0)
今日から4月、天気も良いので軽いハイキングをして見ようと、裏高尾を通って小仏峠下の旧甲州街道の山道にある駐車場に車を停めて、小仏峠経由小仏城山に行って来ました。小仏峠まで30分余、其処から城山までは20分程度ですから、今年最初の足慣らしに近い供養登山には最適、午前11時に歩き始め、途中2回の珈琲休憩を入れて、案の定小仏城山山頂に着きましたのは丁度正午の12時となりました。茶屋には「個人私有地の為、火気現金!」の注意書きがありましたので、少し離れた芝地に腰を下ろして、LPGバーナーに点火し、コッヘルでインスタント塩ラーメンを拵えて昼食としました。正面に薄く富士が見え、丹沢山塊の最高峰である蛭ヶ岳も存在感を示していました。此処を家内と最初に訪れましたのは2001年の桜の時期でしたので丁度10年振りと思いましたが、どうも後年にも来た様な記憶がありますのに、何時だったか特定出来ません。10年前には小仏城山の茶屋から相模湖の湖面も良く見えていたと思うのですが、木々の成長で湖面があまり見えなくなっていたのは残念でした。10年前は高尾山から小仏城山を抜けて、相模湖まで下って行った一日行程のトレッキングでしたが、今日は小仏トンネルに近い駐車場まで戻らなければなりませんので、来た道をずっと下って来ました。小仏峠で珈琲休憩を取り、駐車場に着きましたのは午後1時半でしたので、一寸軽すぎるハイキングになってしまいましたのは残念です。
2011.04.01
コメント(0)
この処の買い付け騒動で、車のガソリンも入れられませんでしたが、漸くガソリンスタンドの待ち行列もなくなり、久しぶりに満タンと致しました。お彼岸の墓参も出来なかったので、昨日は思い立って往復180kmを車で行ってみることにしました。未だ混雑も無く、通常よりも早く1.5時間ほどで到着しましたが、冨士霊園の北に見える山々は南斜面にも拘わらず、白い冬景色となっていました。霊園は標高900mの高原にありますので、数日前の東京の氷雨は雪であった様で、桜は未だ蕾も固い様子でした。墓所に着きましても、周囲の林には強い日差しにも拘わらず、積雪が残されていました。供花・焼香をして、サンドウィッチと珈琲、イチゴで昼食を取り、退散となりました。帰り道は、近くの「ふじおやま 道の駅」に立ち寄って、富士の伏流水を6リットル程、無料で拝借しました。東京ではペットボトル水が手に入りにくいのです。それに此処の伏流水はヴァナジウム入りと言うことで健康に良いとして知られています。序に駅屋内売店で、お米3kg、野菜類を購入しましたが、一杯製品が並んでいて、この近辺では買付騒動は無かったかと思われる位のんびりしていました。
2011.03.26
コメント(0)
昨日は天気も良く、よこやまの道を散策することにしました。よこやまの道は、多摩市を横断する尾根幹線と川崎市麻生区の境界に位置する丘陵の尾根道で、万葉の昔からあった由緒ある古道です。多摩東公園の駐車場に車を停め、防人見返り峠までの1.6kmを散策し、其処の展望台から雄大なパノラマを楽しんで、昼食を取ってから帰る計画でした。クリックすると動画モードになります!展望台からのパノラマを動画で撮影してみましたので、上記写真をクリックしてご覧ください。天気が良かったのに、富士山は見えず、丹沢山塊、奥多摩連山も、もやっていてよく見えなかったのは残念です。帰り道、瓜生黒川往還と言う分かれ道がありましたので、下っていくことにしました。よこやまの道北側の多摩市は開発が終わっている感があり、川崎市麻生区黒川地区は自然が色濃く残っていますので不思議でしたが、此処は相当部分、国有林に指定されていることから開発は及んでいないことが分かりました。黒川往還から尾根に見える「よこやまの道」、黒川地区では里山風景が残されていましたので、国有林が存続させたいものだと思いつつ帰路に戻りました。君と此処を散歩した時は直ぐによこやまの道に戻ったのだが今日は暫く下って歩いてみた驚くほどの樹林帯となっている国有林の中に入っていたのだ君とよく歩いたよこやまの道は遠くの尾根遥かに見えているが君はその空遠くに行ってしまったのだね!連れ合いを亡くした高齢の男やもめとは、寂しいものであります!
2011.03.06
コメント(1)
息子が墓参りしたいと一昨晩から泊っていましたので、昨日は午前10時前に家を出て相模原から国道413号線、通称道志道を通って山中湖経由で行くことにしました。道志村では標高が段々と高くなるにつれて先週の雪が残り、最高点の標高1,100m(山伏峠、山伏トンネル付近)では、道路以外は白い景観となりました。山中湖の湖畔駐車場に着きましたのは正午直前となりましたので、高原とは言え暖かくウィンドブレーカも要らない程でした。それでも湖水には相当部分薄氷が張っていて、未だ朝晩には相当冷え込むのだと思われましたが、富士山は澄み切った空気の中、秀麗を見せてくれました。冨士霊園では水曜日は休園日ですので、途中購入した供花と持参した線香を焚いて、息子共々手を合わせました。私自身は今月2回目の墓参、その時の供花が枯れ切れずに、「悲しみよ 今日は!」宜しく残っていましたので、新しい花に取り換えさせて貰いました。
2011.02.24
コメント(0)
郷土の森博物館で「梅まつり」開催中ですので、行きました処、梅も見頃になり賑わっていました。遅咲きの「思いのまま」は未だでしたが、寒い気候で開花が遅れていた福寿草も少し咲き出していて、日当たりの良い梅林散策には絶好の時期となりました。移築した古民家にはひな壇も飾られて、雛祭りの雰囲気も一杯、この「梅まつり」に郷土の森は訪問するのに最適でしょう。サンドウィッチと珈琲は持参したのですが、「ハケの茶屋」に行き、久しぶりにハケ上団子を2本買って、緋毛氈もどきを施したベンチで食しました。飛騨高山直送の上新粉団子に醤油ダレを掛けて焼いている単純なものですが、素朴で美味しいのです。二人の時はハケ団子3本、白酒2杯だった今日はハケ団子2本だけ、寂しさが募る楽しい過去をふと思い出すが世の定めには逆らいようも無い君の為、梅林を散策して何時ものベンチに座りサンドウィッチと珈琲を楽しみ咲く福寿草を愛でつ家に帰る
2011.02.22
コメント(0)
今日は3月下旬の陽気と言うことで、布団を干して、洗濯もしようかと思いましたが、午前9時半から急遽墓参りに行くことにし、洗濯は明日に順延することにしました。厚木ICから東名に入り、大井松田ICで246号線に乗り換えて、富士霊園に着きましたのは丁度正午の12時でした。20日前に従妹に教えた撮影場所から見る霊峰富士再び、今日は暖かさの所為か、おそらく地表からの水蒸気が多くなり、山が靄っていましたが、何とか見えました。雲が纏わり付いているのも一興でしょう。墓の直近まで車が入れる様に設計されていますので、足腰が不自由になっても、大丈夫かなと思いつつ、墓に行きました。墓前に花を供え、焼香しましたが、そんなに頻繁に来なくても良いのにと言われている様な気がしないでもありません。20日前に君が可愛がっていた従妹を連れて来た来る積りは無かったので供花も線香も忘れた今日は寒さも和らいだので風も冷たくなく花を供えて、焼香するのも苦にならない富士は少し雲が掛って薄い姿だが是も良いね!墓前で亡き君を偲び、持参したサンドウィッチを食べ日差しを浴びて、好きだった珈琲を啜っている只それだけで楽しみを満喫出来たと思うよこんな合槌の無い独り会話をして、墓前で昼食となりました。布団を干したままですので、午後3時までに帰宅したいと、何処にも寄らず、同じルートを使い特急で帰りましたら、帰着は午後2時45分、急いで布団をしまって全て計画通りでした。
2011.02.04
コメント(0)
昨日は、同級生で中学校随一だった美人が夢に出て来ました。当時の美少女ではなく、それなりの大人の女性でしたが、私と同年とは思えない若さもありました。夢の中ですから、自分の都合の良い様になってしまうのでしょう!実は昨晩、会社OBの2年先輩から電話があり、ご自宅に招待されたのですが、その際、彼と同期で、私の航空エンジン専攻の2年先輩が亡くなったとの報に接したのです。航空エンジン卒業生は、1960年代、2人ずつ石川島播磨(現 IHI)に入社、航空エンジン事業部と原動機事業部に分かれて配属されていました。2年先輩は優しい人で、入社時に際しては色々助言をしてくれて感謝していたのです。原動機事業部配属の3年先輩は、パーキンソン氏病が昂じて、自宅を離れて施設に入居したとの年賀状を頂き、一寸がっかりしていましたので、二重にショックでした。次は自分の順番かと思いつつ、青春時代を回顧して床につきましたら、それよりも遡って何と中学校随一だった美人が夢に出て来たのです。彼女はフジテレビのアナウンサーとして入社し、同窓生の中で一番活躍していましたので、母と一緒にテレビを見て感心していたものでしたが、美人過ぎて畏れ多く、話をしたことも無かったので、如何なる理由で夢になったのかは、自分でも見当がつきません。私の母は、努力する人が大好きでしたので、東大入学が一緒になった大秀才の女生徒と合わせて、お気に入りの同級生だったのかも知れません。昨年の56年振りの同窓会では会えなかったのですが、兄弟2人を病気で失い、彼女自身も離婚を経験している等波乱の人生を送っているのだと言う認識が潜在意識としてあったのかも知れません。彼女にとっては、もはや私は縁なき衆生でしょうから、小中時代を過ごした中野区弥生町(旧 富士見町・栄町)を訪ねて見ろとの暗示かと判断し、午前10時から行ってみました。思い出しつつ徘徊してみましたが、変貌が激しく全く思い出に繋がらず、トニオ・クレーゲル的徘徊となりました。旧 富士見町にあった都立富士高校は昔に変わらずありましたが、付属都立中学も併設されて、入学の適性試験中でした。其処を下りて、崖下の地下鉄「中野富士見町」を通り過ぎて、杉並区和田町にあって、高校3年の時、良く通って勉強した図書館に行ってみましたが、建っている場所は変わらないのですが、全く変貌していて懐かしさを感じません。此処では、神田川と善福寺川が合流していて、自覚しつつ見るのは初めてでした。善福寺川が清流であることが分かります。車での帰り道、卒業した中野区立第一中学校にも行ってみたのですが、「南中野中学校」に名称変更、セキュリティの為、門扉は硬く閉ざされていたのは残念でした。40年振りの来訪は結局、故郷に受け入れら無いトニオ・クレーゲル徘徊だと実感せざるを得ませんでした。夢は何の暗示だったのでしょうか?
2011.02.03
コメント(0)
昨日は一時的に、3月下旬に相当する春の陽気となりましたので、寒さにめげて散歩しなかった分を取り戻そうと、薬師池公園に行ってみました。此処の梅は、1分咲きにも行かない程、遅れていて遠くから眺めると、咲いている様子も分からない程で、丘陵部の谷底にある公園なので、春はずっと遅れてしまう様でした。風も冷たさを感じられない程度でしたので、公園最高部の薬師堂を通って、ぼたん園迄足を延ばすことにしました。ぼたん園近くの七国山農場の菜の花畑、此処は4月頃には一面の菜の花が咲き、菜種油も販売されるのですが、小さな芽を出しているだけでした。ぼたん園も、見るべき花がありませんので、訪問している人も殆ど見られませんが、此処は植栽の剪定が綺麗に行われていて、来たるべき春季節の準備万端と思われました。日当たりの良いベンチに腰掛けて珈琲休憩、人知れず梅も咲いていましたが、人の気配が無いのは寂しいものです。今日は、又冬の寒さに戻ってしまいました!
2011.02.02
コメント(0)
TVニュースで放映される新燃岳の噴火噴煙が立ち上り、噴石が放出する様は凄まじいものがあります。4年前の3月には、韓国岳や高千穂峰を遠望しつつ、新燃岳に近い「国民宿舎みやま荘」に泊ったことがありますが、新燃岳は特筆される様な山で無く、気にも留めませんでしたから、自然現象とは分からないものです。霧島連峰の山麓にある「神話の里公園」の展望台から見ると、古事記・日本書紀にも出て来る天孫降臨の地、高千穂峰(たかちほのみね)、その秀麗さは素晴らしいものがあります。左に見えるのは恐らく中岳で、新燃岳はその更に左に位置しているので近郊の山に隠れて見えません。其処から霧島神宮に行き、大鳥居の処にある観光案内所で、お湯の質が最も良い処と言いましたら、「民営国民宿舎みやま荘」を紹介してくれました。案内板に沿ってドライブして行くと、山道に入りペンション村も通り過ぎて、全くの山中となりました。20分位で漸く到着しましたが、人気も殆ど無い赤松林の中に、古くなった宿がありました。霧島神宮温泉郷の宿とは言え、湯之野温泉郷となるらしく、隣は霧島労災病院で、一軒宿となっていました。温泉は白濁した硫黄泉で、源泉掛け流しの素晴らしいお風呂でした。底には湯の花の小片が溜まり匂いも強烈、硫黄臭が強いので風呂場の窓は、「温泉が強いので、常時開放とする」と注意書きがされている程でした。山影で見えませんでしたが、新燃岳は直近の距離だったのです。
2011.01.28
コメント(1)
家内の従妹が福岡から来訪して2泊しました。昨日はリューマチに悩む茅ヶ崎在住の義姉の処にお見舞いがてら、連れて行こうとしたのですが、調子が悪く遠慮願いたい由のメールが入って来て断念せざるを得ませんでした。雲一つない快晴ですので、午前10時から、何処か富士が綺麗に見える処に案内することにしました。茅ヶ崎から見る富士山も絶品なのですが、国道246号線を使って秦野トンネルを抜けた位置での1合目から見える富士山を楽しみながら、秦野中井ICから大井松田ICまで東名を使って種々の富士山を愛でながら、再び246号線に戻り駿東郡小山町の冨士霊園に向かうことにしました。家内の墓所まで行く途中の畑から、仰ぎ見る富士、宝永火山が自己主張して頂上も平に見えないのが不満ですが、その秀麗さは比較するものが無い絶景だとも思われました。墓所に行くのは来月と思っていましたので、線香も供花も準備しませんでしたし、墓前に手を合わせたことで、勘弁して貰うことにしました。帰り道、従妹が「忍野八海」に行ったことがないと言うので、東富士自動車道を通って行ってみましたが、高原でもあり午後2時時点で気温僅か1℃しか無く、歩いている内に震えあがってしまいました。それでも八海の内、三海を案内して、富士方向を見ますと、残念ながら雲が出て頂上を隠してしまったので、写真を撮ることは止めにしました。
2011.01.18
コメント(1)
昨日は絶好の快晴、掃除・洗濯などの家事は止めて、富士山を見つつ冨士霊園に行くことにしました。例年ですと、大月から須走まで続く東富士自動車道は、路面凍結注意が出るのですが、今年は暖冬ですし、午前10時を過ぎれば大丈夫だろうと判断し、中央高速を使っていくことにしました。東富士自動車道に入ったのは午前11時、未だ富士山は逆光とはならず、綺麗に見えました。このアングルの富士山は20年以上毎年春に秋に見ているもので、山中湖IC直前の道路端、夫婦二人の時もそうですし、実父も義母も此処で停めて見て貰ったものでした。道路端および近くの草叢には、雪が残っていますので、やはり高原で寒く、朝早い通行には何らかの装備が必要に思われました。冨士霊園に着きますと、この寒い冬の時期に訪れる人は少なく、霊園駐車場はガラガラに空いていて、落葉して裸木になった向こうに富士山が良く見えました。途中で買いました供花を供え、焼香して手を合わせ、墓前でサンドウィッチとコーヒーで昼食を取りましたが、寒さが感じられない良い気候でした。周辺は落葉広葉樹が多く、葉を落として全体が明るくなっていました。「今年はもう訪れることは無いから、来年までゆっくり安眠しててね!」と声を掛け、霊園を去りました。
2010.12.11
コメント(0)
尾根緑道は都立小山内裏公園を経て国道16号まで未だ西方に3kmは続きますが、其処で目立つのは鑓水小山給水所です。給水所の給水塔は、非常に目立つ日本蝋燭風の建物で、尾根緑道西側のランドマークになっています。其処を通り過ぎて、尾根緑道の坂道を登って行きますが、小山内裏公園およびその東側緑道と比べますと、訪れる人も少なく寂しい雰囲気です。暫くすると、緑道に隣り合っている多摩美術大学の大きなキャンパスが右側に見えて来ます。フェンスがあって工場群とも見えますが、キャンパス中からは板金を叩く音も聞こえて来ますのは、学生達が作品製作に勤しんでいるからだと思われます。国道16号線に突き当たった処で、尾根緑道は終点となります。元来は陸軍相模原工廠の戦車試走道路ですから、幅広い道幅でゆったり散歩出来るのが魅力です!
2010.12.07
コメント(0)
平成17年3月鎌倉街道の綾部原(あやべはら)トンネルが開通、町田市野津田町の綾部原丘陵へのアクセスが便利になりました。その丘の上、雑木林の中に俊宣茶房はあり、車でも行けるのですが、途中の狭い山道はそのままで、車で行くには一寸気が引ける処にあります。完全予約制のレストランで、林間の雰囲気を楽しみながら、フランス料理を楽しめることで、なかなか人気がある様です。その内来ようねと君が言ったわずか数年前のことだったが茶房を訪れたが生憎の休み君が病を得て叶わなかった約束昨日は昼さがりの青空を仰ぎ独りで黙々と野津田公園から綾部原の丘の上に歩いて登った丘陵の林の中にそれはあった初冬の夕日が木漏れ日となってその茶房を照らしていたがたわいもない約束を果たせず君を偲んで暫し立ち尽くす丘を下りて来ますと、野津田の雑木林、ススキ原が広がって、初冬の景色が見事な夕景となって楽しませ、心慰めてくれました。
2010.12.06
コメント(0)
昨日は、久しぶりに神保町の古書店街を歩いてみました。学生時代からサラリーマンの勉強時代は専門の新刊書、特に洋書は高価でしたし、注文してからの日数を要しましたので、中古で安価な専門書をよく探しに来たのでした。日曜日の午後と言うのに、多くの人が本屋を訪れていて、出版不況と言われ、本離れが著しいと言われていますが、この古書街は頑張っている様です。45年前に、この古書街で購入した熱伝導学の専門書、給料が2万円足らずの時に、4~5千円もして、大変な出費だったことを覚えています。この図書で、高等数学のベッセル・ノイマン函数、函数論の等角写像、ポテンシャルフロー、行列の実際的な展開をよく勉強したもので、懐かしき思い出となりました。ガスタービン・エンジンの性能解析、天然ガス・パイプライン敷設計画のFortran Program構築には、大いに参考にさせて頂いたものでした。神保町は、本に関するイベントも毎年行われている世界最大級の書店街である。特に古書店が多く、古書店街としても世界最大級である。神保町最大の書店は三省堂書店神田本店で、神保町のランドマーク的存在。しかし大部分の店舗は、専門性のある著名な店舗であっても、小規模な書店・古書店である。古書店の多くは靖国通り沿いに在り、それら多くは通りの南側に即ち北向きに建っている。これは日光が当たって本が傷むのを防ぐためのしきたりである。飲食店が充実しており、カレー専門店が多いことから「カレーの街」と知られている。他にも天麩羅、麺類、洋食、中華など、手軽な値段で食べられる飲食店が豊富にある。クラシカルな喫茶店が多いのも特徴で、「文豪が通った」とされる店もある。近隣出版社が多いため、各社の編集者らが打ち合わせや雑談をしている姿は日常風景となっている。
2010.12.05
コメント(0)
昨朝、軽くではありますが、ギックリ腰を感じたので、山登りを止めて、頂上直下まで車で行くことの出来る、丹沢の大野山に行くことにしました。246号線の安戸(やすど)交差点から山道に入り、道なりに進んで行きますと大野山全体を牧場としている大野山牛乳育成牧場の駐車場に着きます。直ぐ横に「山頂への近道」の表示があり、山頂への階段と柵で仕切られた散歩道が牧場内に整備されていますが、隣山まで牧草地が続いています。見上げますと、山頂の四阿屋(あずまや)が見えますが、駐車場からの所要時間は10~15分に過ぎませんから、トレッキングには程遠いものでした。四阿屋の建つ大野山の山頂からは大迫力の富士山が天に聳えて迎えてくれますし、その右側には丹沢山塊最高峰の蛭ヶ岳や、檜洞丸、大山と言った勇姿が並んだ絶景を楽しむことが出来ます。そして眼下には丹沢湖がエメラルドグリーンの湖面をキラキラと光らせて、自己主張をしています。家内と10~11年前に来ました時は、丹沢湖に行く途中の湯本平バス停近くの路上に車を停めて登って来たのですが、その時は頂上まで着きましたら、舗装道路があって吃驚した記憶があります。大野山はJR御殿場線の山北駅と谷峨駅の中間にある標高723mの山、山頂からの眺めは「関東の富士見100景」に選ばれていて人気があり、昨日も結構な登山客がいました。
2010.11.29
コメント(0)
全785件 (785件中 501-550件目)