全795件 (795件中 551-600件目)
< 1 ... 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 >
今日は3月下旬の陽気と言うことで、布団を干して、洗濯もしようかと思いましたが、午前9時半から急遽墓参りに行くことにし、洗濯は明日に順延することにしました。厚木ICから東名に入り、大井松田ICで246号線に乗り換えて、富士霊園に着きましたのは丁度正午の12時でした。20日前に従妹に教えた撮影場所から見る霊峰富士再び、今日は暖かさの所為か、おそらく地表からの水蒸気が多くなり、山が靄っていましたが、何とか見えました。雲が纏わり付いているのも一興でしょう。墓の直近まで車が入れる様に設計されていますので、足腰が不自由になっても、大丈夫かなと思いつつ、墓に行きました。墓前に花を供え、焼香しましたが、そんなに頻繁に来なくても良いのにと言われている様な気がしないでもありません。20日前に君が可愛がっていた従妹を連れて来た来る積りは無かったので供花も線香も忘れた今日は寒さも和らいだので風も冷たくなく花を供えて、焼香するのも苦にならない富士は少し雲が掛って薄い姿だが是も良いね!墓前で亡き君を偲び、持参したサンドウィッチを食べ日差しを浴びて、好きだった珈琲を啜っている只それだけで楽しみを満喫出来たと思うよこんな合槌の無い独り会話をして、墓前で昼食となりました。布団を干したままですので、午後3時までに帰宅したいと、何処にも寄らず、同じルートを使い特急で帰りましたら、帰着は午後2時45分、急いで布団をしまって全て計画通りでした。
2011.02.04
コメント(0)
昨日は、同級生で中学校随一だった美人が夢に出て来ました。当時の美少女ではなく、それなりの大人の女性でしたが、私と同年とは思えない若さもありました。夢の中ですから、自分の都合の良い様になってしまうのでしょう!実は昨晩、会社OBの2年先輩から電話があり、ご自宅に招待されたのですが、その際、彼と同期で、私の航空エンジン専攻の2年先輩が亡くなったとの報に接したのです。航空エンジン卒業生は、1960年代、2人ずつ石川島播磨(現 IHI)に入社、航空エンジン事業部と原動機事業部に分かれて配属されていました。2年先輩は優しい人で、入社時に際しては色々助言をしてくれて感謝していたのです。原動機事業部配属の3年先輩は、パーキンソン氏病が昂じて、自宅を離れて施設に入居したとの年賀状を頂き、一寸がっかりしていましたので、二重にショックでした。次は自分の順番かと思いつつ、青春時代を回顧して床につきましたら、それよりも遡って何と中学校随一だった美人が夢に出て来たのです。彼女はフジテレビのアナウンサーとして入社し、同窓生の中で一番活躍していましたので、母と一緒にテレビを見て感心していたものでしたが、美人過ぎて畏れ多く、話をしたことも無かったので、如何なる理由で夢になったのかは、自分でも見当がつきません。私の母は、努力する人が大好きでしたので、東大入学が一緒になった大秀才の女生徒と合わせて、お気に入りの同級生だったのかも知れません。昨年の56年振りの同窓会では会えなかったのですが、兄弟2人を病気で失い、彼女自身も離婚を経験している等波乱の人生を送っているのだと言う認識が潜在意識としてあったのかも知れません。彼女にとっては、もはや私は縁なき衆生でしょうから、小中時代を過ごした中野区弥生町(旧 富士見町・栄町)を訪ねて見ろとの暗示かと判断し、午前10時から行ってみました。思い出しつつ徘徊してみましたが、変貌が激しく全く思い出に繋がらず、トニオ・クレーゲル的徘徊となりました。旧 富士見町にあった都立富士高校は昔に変わらずありましたが、付属都立中学も併設されて、入学の適性試験中でした。其処を下りて、崖下の地下鉄「中野富士見町」を通り過ぎて、杉並区和田町にあって、高校3年の時、良く通って勉強した図書館に行ってみましたが、建っている場所は変わらないのですが、全く変貌していて懐かしさを感じません。此処では、神田川と善福寺川が合流していて、自覚しつつ見るのは初めてでした。善福寺川が清流であることが分かります。車での帰り道、卒業した中野区立第一中学校にも行ってみたのですが、「南中野中学校」に名称変更、セキュリティの為、門扉は硬く閉ざされていたのは残念でした。40年振りの来訪は結局、故郷に受け入れら無いトニオ・クレーゲル徘徊だと実感せざるを得ませんでした。夢は何の暗示だったのでしょうか?
2011.02.03
コメント(0)
昨日は一時的に、3月下旬に相当する春の陽気となりましたので、寒さにめげて散歩しなかった分を取り戻そうと、薬師池公園に行ってみました。此処の梅は、1分咲きにも行かない程、遅れていて遠くから眺めると、咲いている様子も分からない程で、丘陵部の谷底にある公園なので、春はずっと遅れてしまう様でした。風も冷たさを感じられない程度でしたので、公園最高部の薬師堂を通って、ぼたん園迄足を延ばすことにしました。ぼたん園近くの七国山農場の菜の花畑、此処は4月頃には一面の菜の花が咲き、菜種油も販売されるのですが、小さな芽を出しているだけでした。ぼたん園も、見るべき花がありませんので、訪問している人も殆ど見られませんが、此処は植栽の剪定が綺麗に行われていて、来たるべき春季節の準備万端と思われました。日当たりの良いベンチに腰掛けて珈琲休憩、人知れず梅も咲いていましたが、人の気配が無いのは寂しいものです。今日は、又冬の寒さに戻ってしまいました!
2011.02.02
コメント(0)
TVニュースで放映される新燃岳の噴火噴煙が立ち上り、噴石が放出する様は凄まじいものがあります。4年前の3月には、韓国岳や高千穂峰を遠望しつつ、新燃岳に近い「国民宿舎みやま荘」に泊ったことがありますが、新燃岳は特筆される様な山で無く、気にも留めませんでしたから、自然現象とは分からないものです。霧島連峰の山麓にある「神話の里公園」の展望台から見ると、古事記・日本書紀にも出て来る天孫降臨の地、高千穂峰(たかちほのみね)、その秀麗さは素晴らしいものがあります。左に見えるのは恐らく中岳で、新燃岳はその更に左に位置しているので近郊の山に隠れて見えません。其処から霧島神宮に行き、大鳥居の処にある観光案内所で、お湯の質が最も良い処と言いましたら、「民営国民宿舎みやま荘」を紹介してくれました。案内板に沿ってドライブして行くと、山道に入りペンション村も通り過ぎて、全くの山中となりました。20分位で漸く到着しましたが、人気も殆ど無い赤松林の中に、古くなった宿がありました。霧島神宮温泉郷の宿とは言え、湯之野温泉郷となるらしく、隣は霧島労災病院で、一軒宿となっていました。温泉は白濁した硫黄泉で、源泉掛け流しの素晴らしいお風呂でした。底には湯の花の小片が溜まり匂いも強烈、硫黄臭が強いので風呂場の窓は、「温泉が強いので、常時開放とする」と注意書きがされている程でした。山影で見えませんでしたが、新燃岳は直近の距離だったのです。
2011.01.28
コメント(1)
家内の従妹が福岡から来訪して2泊しました。昨日はリューマチに悩む茅ヶ崎在住の義姉の処にお見舞いがてら、連れて行こうとしたのですが、調子が悪く遠慮願いたい由のメールが入って来て断念せざるを得ませんでした。雲一つない快晴ですので、午前10時から、何処か富士が綺麗に見える処に案内することにしました。茅ヶ崎から見る富士山も絶品なのですが、国道246号線を使って秦野トンネルを抜けた位置での1合目から見える富士山を楽しみながら、秦野中井ICから大井松田ICまで東名を使って種々の富士山を愛でながら、再び246号線に戻り駿東郡小山町の冨士霊園に向かうことにしました。家内の墓所まで行く途中の畑から、仰ぎ見る富士、宝永火山が自己主張して頂上も平に見えないのが不満ですが、その秀麗さは比較するものが無い絶景だとも思われました。墓所に行くのは来月と思っていましたので、線香も供花も準備しませんでしたし、墓前に手を合わせたことで、勘弁して貰うことにしました。帰り道、従妹が「忍野八海」に行ったことがないと言うので、東富士自動車道を通って行ってみましたが、高原でもあり午後2時時点で気温僅か1℃しか無く、歩いている内に震えあがってしまいました。それでも八海の内、三海を案内して、富士方向を見ますと、残念ながら雲が出て頂上を隠してしまったので、写真を撮ることは止めにしました。
2011.01.18
コメント(1)
昨日は絶好の快晴、掃除・洗濯などの家事は止めて、富士山を見つつ冨士霊園に行くことにしました。例年ですと、大月から須走まで続く東富士自動車道は、路面凍結注意が出るのですが、今年は暖冬ですし、午前10時を過ぎれば大丈夫だろうと判断し、中央高速を使っていくことにしました。東富士自動車道に入ったのは午前11時、未だ富士山は逆光とはならず、綺麗に見えました。このアングルの富士山は20年以上毎年春に秋に見ているもので、山中湖IC直前の道路端、夫婦二人の時もそうですし、実父も義母も此処で停めて見て貰ったものでした。道路端および近くの草叢には、雪が残っていますので、やはり高原で寒く、朝早い通行には何らかの装備が必要に思われました。冨士霊園に着きますと、この寒い冬の時期に訪れる人は少なく、霊園駐車場はガラガラに空いていて、落葉して裸木になった向こうに富士山が良く見えました。途中で買いました供花を供え、焼香して手を合わせ、墓前でサンドウィッチとコーヒーで昼食を取りましたが、寒さが感じられない良い気候でした。周辺は落葉広葉樹が多く、葉を落として全体が明るくなっていました。「今年はもう訪れることは無いから、来年までゆっくり安眠しててね!」と声を掛け、霊園を去りました。
2010.12.11
コメント(0)
尾根緑道は都立小山内裏公園を経て国道16号まで未だ西方に3kmは続きますが、其処で目立つのは鑓水小山給水所です。給水所の給水塔は、非常に目立つ日本蝋燭風の建物で、尾根緑道西側のランドマークになっています。其処を通り過ぎて、尾根緑道の坂道を登って行きますが、小山内裏公園およびその東側緑道と比べますと、訪れる人も少なく寂しい雰囲気です。暫くすると、緑道に隣り合っている多摩美術大学の大きなキャンパスが右側に見えて来ます。フェンスがあって工場群とも見えますが、キャンパス中からは板金を叩く音も聞こえて来ますのは、学生達が作品製作に勤しんでいるからだと思われます。国道16号線に突き当たった処で、尾根緑道は終点となります。元来は陸軍相模原工廠の戦車試走道路ですから、幅広い道幅でゆったり散歩出来るのが魅力です!
2010.12.07
コメント(0)
平成17年3月鎌倉街道の綾部原(あやべはら)トンネルが開通、町田市野津田町の綾部原丘陵へのアクセスが便利になりました。その丘の上、雑木林の中に俊宣茶房はあり、車でも行けるのですが、途中の狭い山道はそのままで、車で行くには一寸気が引ける処にあります。完全予約制のレストランで、林間の雰囲気を楽しみながら、フランス料理を楽しめることで、なかなか人気がある様です。その内来ようねと君が言ったわずか数年前のことだったが茶房を訪れたが生憎の休み君が病を得て叶わなかった約束昨日は昼さがりの青空を仰ぎ独りで黙々と野津田公園から綾部原の丘の上に歩いて登った丘陵の林の中にそれはあった初冬の夕日が木漏れ日となってその茶房を照らしていたがたわいもない約束を果たせず君を偲んで暫し立ち尽くす丘を下りて来ますと、野津田の雑木林、ススキ原が広がって、初冬の景色が見事な夕景となって楽しませ、心慰めてくれました。
2010.12.06
コメント(0)
昨日は、久しぶりに神保町の古書店街を歩いてみました。学生時代からサラリーマンの勉強時代は専門の新刊書、特に洋書は高価でしたし、注文してからの日数を要しましたので、中古で安価な専門書をよく探しに来たのでした。日曜日の午後と言うのに、多くの人が本屋を訪れていて、出版不況と言われ、本離れが著しいと言われていますが、この古書街は頑張っている様です。45年前に、この古書街で購入した熱伝導学の専門書、給料が2万円足らずの時に、4~5千円もして、大変な出費だったことを覚えています。この図書で、高等数学のベッセル・ノイマン函数、函数論の等角写像、ポテンシャルフロー、行列の実際的な展開をよく勉強したもので、懐かしき思い出となりました。ガスタービン・エンジンの性能解析、天然ガス・パイプライン敷設計画のFortran Program構築には、大いに参考にさせて頂いたものでした。神保町は、本に関するイベントも毎年行われている世界最大級の書店街である。特に古書店が多く、古書店街としても世界最大級である。神保町最大の書店は三省堂書店神田本店で、神保町のランドマーク的存在。しかし大部分の店舗は、専門性のある著名な店舗であっても、小規模な書店・古書店である。古書店の多くは靖国通り沿いに在り、それら多くは通りの南側に即ち北向きに建っている。これは日光が当たって本が傷むのを防ぐためのしきたりである。飲食店が充実しており、カレー専門店が多いことから「カレーの街」と知られている。他にも天麩羅、麺類、洋食、中華など、手軽な値段で食べられる飲食店が豊富にある。クラシカルな喫茶店が多いのも特徴で、「文豪が通った」とされる店もある。近隣出版社が多いため、各社の編集者らが打ち合わせや雑談をしている姿は日常風景となっている。
2010.12.05
コメント(0)
昨朝、軽くではありますが、ギックリ腰を感じたので、山登りを止めて、頂上直下まで車で行くことの出来る、丹沢の大野山に行くことにしました。246号線の安戸(やすど)交差点から山道に入り、道なりに進んで行きますと大野山全体を牧場としている大野山牛乳育成牧場の駐車場に着きます。直ぐ横に「山頂への近道」の表示があり、山頂への階段と柵で仕切られた散歩道が牧場内に整備されていますが、隣山まで牧草地が続いています。見上げますと、山頂の四阿屋(あずまや)が見えますが、駐車場からの所要時間は10~15分に過ぎませんから、トレッキングには程遠いものでした。四阿屋の建つ大野山の山頂からは大迫力の富士山が天に聳えて迎えてくれますし、その右側には丹沢山塊最高峰の蛭ヶ岳や、檜洞丸、大山と言った勇姿が並んだ絶景を楽しむことが出来ます。そして眼下には丹沢湖がエメラルドグリーンの湖面をキラキラと光らせて、自己主張をしています。家内と10~11年前に来ました時は、丹沢湖に行く途中の湯本平バス停近くの路上に車を停めて登って来たのですが、その時は頂上まで着きましたら、舗装道路があって吃驚した記憶があります。大野山はJR御殿場線の山北駅と谷峨駅の中間にある標高723mの山、山頂からの眺めは「関東の富士見100景」に選ばれていて人気があり、昨日も結構な登山客がいました。
2010.11.29
コメント(0)
自宅を出たのは午前10時半、今回の供養登山は陣馬山の奥にある生籐山にしました。2回程マイカー登山をしましたのは10年以上前のことでしたので、鎌沢の県営駐車場への行き方をすっかり忘れていました。先ず甲州街道20号線から中央線踏切を越えて小さなトンネルを抜けて行く筈だったのですが、見過ごして上野原IC近く迄行ってしまい、20号線を戻って漸く藤野JA支所での分岐路を確認して20分程ロスしました。それから和田峠方面に向かうのですが、途中陣馬方面に入って小さな山道に入って行きましたが、陣馬の湯の里はありましたが、鎌沢には行き着かず、やはり20~30分のロス。再度和田峠方面に行く本道に戻り、漸く鎌沢入口バス停を見つけて、小さな道路を通って、漸く鎌沢の県営駐車場に着きましたのは12時20分を過ぎていました。舗装された集落道路を急登し、登山口に入りましたのは午後1時、登山道から見ますと山奥の気配、正面には茅丸、右手には陣馬山が威容を誇っていました。途中コーヒー休憩を取りながら、ゆっくり登りますと、大きな杉の根元に祠があり、紅葉が綺麗でした。その由来は説明板もありませんでしたので分かりませんが、古木を祀ったものと思われました。漸く、標高960mの三国山に到着しましたのは、午後2時過ぎ、此処でインスタントラーメンに野菜・ハム等を入れ、火を使って調理して昼食となりました。先日行った三頭山はうっすらと見えましたが、カメラでは捉えることは出来ません。此処は富士を見るのにも良い場所だったのに残念の限りでした。昼食後、5分程で990mの生籐山頂上に着きますので行ってみましたが、眺望が悪く、防火用水のドラム缶が5個ほど無粋に置いてあるだけで、此処は休憩するのに良い場所ではありません。秋の日は短いので、急いで来た登山道を戻って下山せざるを得ず、何ともあたふたとした秋の供養登山となりました。此処へは初春に行って、積雪の中2人で、息子に薦められ購入したアイゼンを使って登ったのも懐かしい思い出となりました。
2010.11.26
コメント(1)
今日は快晴で暖かいと言う天気予報でしたので、奥多摩の三頭山に行ってみることにしました。自宅を出たのは9時40分、国立・府中ICで中央高速道に入り上野原ICで下りて、小菅方面に行く山道を取って、奥多摩周回道路に入って、都民の森駐車場に着きましたのは11時10分、所要時間1時間半でした。駐車場は標高1,000mを越える高地にありますので、紅葉等は落葉していて錦秋の時期は過ぎていました。歩き始めますと、トレッキング道に雪がちらほらと残っていますが、殆ど融けていますので、歩行にも支障を来しません。12年前に家内と来た登山道を取ろうとしたのですが、「その峠付近で2週間前に熊が目撃されたので、必ず鈴を鳴らしながら登山ください!」との注意板が設置されていましたので、三頭の大滝経由で登ることにしました。途中、紅葉した奥多摩の山々の向こうに多摩の連山が見え、その中心は生籐山(990m)、やはり10~12年前に2度ほど登った山が綺麗に見えました。三頭の大滝を過ぎて、沢道を登るにつれ、積雪が目立って来ました。東京は17日は氷雨でしたが、奥多摩では本格的な雪が降った様で、沢は日陰ですから、2日程度では殆ど融けないらしく、登山靴の裏に貼りついて歩きにくくなりました。アイゼンが必要な程の雪道ではありませんが、大滝から20分程登って休憩、下山時は滑りそうで危険かと考えて引き返すことにしました。独り登山ですから、安全第一で、「1.安全は全てに優先する 2.危険な作業はしない、させない 3.災害要因の先取り・・・5.自ら努力する」等と会社時代の安全5原則を復唱しながら下山しました。
2010.11.19
コメント(0)
もみじ祭りが開催中と言うことですので、久しぶりに高尾山に行ってみました。数か月前には、喧騒と混雑をもたらしていました中国人観光客がすっかりといなくなり、少し静かになっていました。参道沿いの土産物店には売り上げが減って打撃でしょうが、一般参拝客や登山者にとっては元に戻った静寂は有り難いもので、Michelin観光ガイド3星の観光地に指定されたとは言え、あまりの喧騒は宜しくは無いのだと思っています。薬王院山門前の参道には樹齢700年の大杉が林立していますが、古くから修験道の場であり、明治時代からは国有林として守られて来たのです。薬王院上社の階段付近には、紅葉の気配が漂っていましたが、未だ2週間程度早過ぎたかも知れません。高尾山に初めて登ったのは小学4年生の遠足で、今から59年も前のこととなりましたが、真ん中に設けられたステンレスの手摺、階段脇の寄付奉納者の名前を刻んだ石の手摺が、変わっているだけです。観光地とは言え、国定公園でもあり、宗教法人の修験道の場であることから、環境変化を極力抑えて来た努力が、森林環境を守る結果となったのでしょう。59年の間、小学校遠足から学生ハイキング、会社のハイキング、家族ハイキング、夫婦ハイキング、遂には独りハイキングと変化しつつ、50回以上は登ったことになります。
2010.11.07
コメント(0)
多摩市の一本杉公園の駐車場に車を停め、丘陵を下り小野路を突っ切って更なる丘陵を登って行きますと、其処は町田市の万松寺谷戸で自然が濃い地域となっています。万松寺谷戸の天辺には、黒毛和牛が10頭近く飼われている小さな牧場があります。牧場が小さいことから放し飼いされておらず、鉄パイプに囲われた柵の中に育てられているのも一寸可哀想な感じがしないでもありません。先日、天気が良いので、ステンレスボトルに珈琲を入れ、蜜柑とビスケットを持って散歩に行き、休憩しながら牧場近くの道端に咲いていた野菊を一枝頂戴しました。その返礼の意味でも、黒牛にビスケットをあげようと柵に寄って行きますと、彼等も興味があるのか、2頭が寄って来ました。優しい顔付きをしてビスケットを嗅ぎますが、何故か食べてくれません。どうもビスケットに香料が入っていることが、彼らにとっては厭なことで、食べ物と認識出来ないらしいのです。仕方なくビスケットを柵内に置き、その内食べてくれるだろうと期待して、良いのか否か一寸疑問に思いつつ、其処を去りました。
2010.11.06
コメント(0)
昨日は朝抜ける様な快晴、午前9時半に高尾山に向かい10時過ぎは着いたのですが、祭日でもあり、「もみじ祭り」も実施中とのことで、何処の駐車場も満車状態で入れません。流石にMichelin三つ星の観光地だけのことがありました。其処で、大月近くにあって富士山の展望が良いと言われている高川山に行くことに変更し、甲州街道を西に向かい相模湖ICで中央高速に入ろうとしましたが、相模湖街中で長蛇の列でインチ刻みとなって二進も三進も行きません。諦めて、相模湖を南下して厚木方面に向かい、宮ヶ瀬湖近くの仏果山に行くことに再変更しました。宮ヶ瀬湖畔の駐車場に着いたのは11時半過ぎでしたので、早速登山開始としました。記憶によれば1時間程の楽なトレッキングでしたが、峠の宮ヶ瀬越え迄の2kmが遠くなかなか着きません。途中のベンチでお茶休憩して周りを見ますと、樅の木がとても多く、説明板にはこの山の特徴ともなっている様でした。全行程2.7km、頂上には13時15分到着、所要時間は1時間40分でした。展望台に登り、西を見ますと宮ヶ瀬湖が眼下、湖水が緑色でしたが、逆光なのか上手く撮影出来ませんでした。東方には厚木市の中心街が遠くに見えました。下山開始は午後2時過ぎ、この頃は日没が早いので、高取山には寄らず、そのまま下山、湖畔の駐車場には午後3時到着となりました。丹沢東部に位置する標高748mの山、標高が低く登山道がよく整備されていて家族連れなどでも1~2時間程で登山ができ、高取山や宮ヶ瀬ダムにかけてのハイキングコースとして知られている。頂上には展望台(高さ13m)が設置してあり、そこからは東丹沢と関東平野が一望できる。仏果山の周辺には高取山(706m)や経ヶ岳(633m)などの山が位置し、西麓には宮ヶ瀬湖、南麓には宮ヶ瀬ダムがある。もう喪が明けましたので、供養登山とは呼べないのかも知れませんが、気持ち的には変わっておりません。最後に此処に出掛けたのは7~8年も前の初夏だった様な気がしますし、途中野猿も見られましたが、今回の晩秋に近い季節では山奥に隠れてしまったのか、見られませんでした!
2010.11.04
コメント(0)
昼食は自宅で黙々と独りで取るよりも、時々は開放的な自然の中でしようと、インスタントラーメンと刻んだ野菜やウィンナーソーセージを持って出掛けます。先日は曇っていたのですが、相模原市城山町の城山湖に行ってみました。駐車場のコンクリート・ベンチに、LPGボンベにバーナーをセット、ペットボトルの水を500ml程、野菜・ウィンナーを入れて煮立ちましたら、インスタントラーメンを投入して5分程煮沸させ出来あがりです。昼食後少し散歩しようと城山湖の本沢ダム突堤に行ってみることにしましたが、5年ぶりです。本沢ダムはロックフィル・ダムですので、傾斜が緩やかですし、斜面には草が生えますので自然と一体感があって違和感がありません。突堤の通路にあるベンチで珈琲休憩をしたのですが、未だ午後2時にもなっていませんでしたので、湖畔の山頂まで行ってみることにしました。突堤を過ぎた所にコンクリート製の放水路が整備されていてある本沢ダムを守っていますが、其処から階段を登って湖畔散策道となりますが林間の気持ち良い雰囲気です。およそ10分で「はなさき休憩所」の四阿(あずまや)に着きましたが、疲れも無く休憩しませんでした。道路標には「松見平休憩所 約20分」と表示されていて、急な上りも続き、見通しが悪くなりましたが上り下りして漸く休憩所に到着です。此処は町田市最高峰の草戸山山頂となっていて展望台もありますが、湖面も見えず殆ど展望が利きません。表示板に依りますと標高365mとのことですので湖畔から僅か80m登ったに過ぎません。此処から「関東ふれあいの道」となり、高尾山・影信山・陣馬山と続いて行く人気の高いトレッキングコースとなりますので、中高年の団体も数組見られました。注意:城山湖散策路は危険防止の為、午前9時から午後5時迄しか許されず、出入口門は施錠されます。特に夜間は急激な水位上昇もあり、安全確保を優先させている様です。
2010.10.19
コメント(1)
家内の命日は10月26日、10日程早いのですが、墓所の冨士霊園にて1周忌法要を行いました。家内と仲の良かった従姉妹2名が、前日に福岡や奈良から上京してくれましたので、富士山もみて貰おうと中央高速から東富士自動車道を通って行きましたが、生憎の富士山付近は雲が出てしまい、全容を見ることが出来ませんでした。霊園事務所に、礼拝所使用料10,500円、霊園手配の住職お布施20,000円を納めて、15分程読経して頂きました。毎回住職が違うのですが、これも公園墓地の都合なのでしょう。その後、供花を持って墓に詣でて、皆で焼香して、仏を慰めることにしました。富士山付近は曇天で全く見えません。その後、霊園内の会席場を借りて会席、その席で次男の女の赤ちゃんの写真が回覧され、少し「おでこ」かな、との話題となりました。私も小さい頃、相当な「おでこ」の風貌で知られていました。6才の小学校入学直前の写真は兄と一緒、東京大空襲で焼け出されて、疎開先の喜連川で暮らしていましたので、写真を撮られるのは生まれて初めての経験で、少し緊張している様です。兎に角、遠方の人もあり、冨士霊園は辺鄙な処ですので、午後2時半に終了し散会することにしました。家内にとっては、仲良しの従姉妹が列席してくれましたので良かったと思っています。帰宅しての独り暮らしに戻り、前日と比べて寂しさが募りましたが、これからは孤独に慣れなければなりません。
2010.10.18
コメント(0)
府中郷土の森博物館の傍の多摩川に、大丸用水堰と言う小さな堰があります。都会の川ですので、対岸の稲城市側にはゴミ焼却場や産業廃棄物処理場が並んでいて無粋なのですが、往時と比べて水質が改善され、魚類を含む生物が豊富となりました。鮎などの川を遡る魚の為の複合タイプ魚道を設置した取水堰、左岸は府中市是政町、右岸は稲城市大丸(おおまる)町となっていますので、大丸用水堰と呼ばれる様です。取水堰に近づいて、水中を見ますと、堰に付いた苔を貪る鮎が沢山見えますし、河岸の葦の根元にはメダカらしい小魚も群生していました。アユ釣りの興じている釣り人も多数いましたし、大物の鯉・鮒を狙って数本の置き竿でのんびり釣果を待っている方々もいました。多摩川河川敷には、多くのバッタ類も飛び廻っていますし、地域住民の憩いの場として復活している様で、やはり綺麗な流れとは其処に住む生物だけでなく、其処を訪れる住民にとっても素晴らしいものだと思われました。
2010.10.14
コメント(0)
中学時代の同級生から、埼玉県比企郡ときがわ町大野にある別荘に来ないかとお誘いがありました。先月下旬、下記の様なメールを頂いたのです。奥様がお亡くなりになったのですね。“何とか元気に暮らしております”とのこと何よりです。ひょっとして我々のところへ遊びに来るエネルギーはないか?と思ってメールをお送りしています。埼玉県比企郡ときがわ町の山の中に「隠れ家」を持って我々の遊び場にしています。そこまで遊びに来るつもりはありませんか?大学で物理を専攻した妻も是非お目にかかりたいと言っています。独り暮らしで無聊を囲っているとの気遣いでメールをくれたのは有り難いことで、一寸遠い様にも思われましたのが、行ってみることにしました。 昨日は絶好の晴天でドライブ日和、車で午前8時30分出発、多摩ニュータウン通り、北見街道から国道16号線に入り、入間ICから圏央道、関越道を使って東松山ICで下り、県道172号線で秋景色を楽しみつつ向かいました。狭い山道に入り、白石峠直前のパラグライダースクールの傍に、友人のときがわ山荘はありました。10年程前に購入したそうですが、パラグライダーが出来る場所と言うことで、見晴らしは抜群でした。高齢者の常として、現状の世の中を憂えての愚痴話から始まり、中学時代の思い出、共通の友人の情報等の四方山話をして、昼食をご馳走になりました。クラスの同級生に凄い美人がいたと言う話になり、彼女はマドンナ的存在、小学生時代も同クラスであったこともあったのですが、中学2年で脱皮したように美女となり、私も彼も淡い恋心を燃やしたものだと青春時代を思い出すこととなりました。この手の話はジェネレーションが違うと敬遠されるのですが、高齢者同士ですとそんな気配りする必要も無いのは嬉しいことです。山荘での広い庭、続いて近辺散歩路の案内をして頂きましたが、秩父の山々が見えて心和む処がありました。午後3時半となり、山の夕刻は早いので「本日は有難う。又、雪の季節でもお呼び下さい!」とお別れしましたが、冬季のある時期に雪は30cm積もるそうですから、車では行けないと思いつつ帰路に着きました。
2010.10.12
コメント(0)
先日、都立小山田緑地公園の駐車場に車を停めて、白山谷戸から小野路城址まで散歩しました。此処は数年前から、何処かのNPO団体が活動して、荒れ放題だった谷戸が開墾整備され出しました。棚田形式の水田、炭焼き場、そば畑等が造られ、雑草も刈り込まれて里山風景が戻りつつあります。谷戸の一番奥には、そば・サツマイモ畑が小さくありました。ふと足元をみますと、ミミズかなと思われる赤いものが、散歩道の日陰を這っていました。木の根元迄行ってじっとしていますので、良く見ますと、体長は30cm程しかない小さな蛇でジムグリだったのです。この周辺には蛇が多い様で、マムシ注意の案内板もありますが、マムシに出会ったことはありませんが、よくジムグリや青大将には出会います。ジムグリは殆どが黒い個体で数十cm、未だ子供の様で、1mの大きな蛇は見られませんが、アカジムグリは初めてでした。ジムグリ(地潜):全長70-100cm。体色は赤みがかった茶褐色で、黒い斑点が入る。斑点は成長に伴い消失する。腹面の鱗(腹板)には黒い斑紋が入り、市松模様状になる。比較的寒い地域では、アカジムグリと呼ばれる、赤みが強く黒い模様がほぼ消失した個体が出現する。これが個体群なのか、単なる色彩変化なのかは不明。谷戸は開墾中ですが、未だ此処は自然が一杯残っています。
2010.10.08
コメント(0)
今日は天気が良い予報でしたので、昨夜から何処に供養登山をしようと計画していました。結局4~5回登山し、且つ近くにある山と言うことで、相模湖近くにある石老山を選ぶことにしました。県道412号線で石老山登山口を左折し、小さな道路から山道に入り、中腹にある顕鏡寺の境内に車を停めました。檀家でもないので本当はいけないのでしょうが、人も多く無く迷惑が掛りそうに無いのでお許し願うことにしました。登山前に、本堂の賽銭箱に駐車場代相当を入れ、安全祈願をしました。そう言えば、家内とトレッキングした時もそうしたものだと思い出しました。本日の顕鏡寺、山門を入って本堂でお参りして来ました9年前の顕鏡寺、家内が寺の由来でも読んでいるのかも知れません中腹にある顕鏡寺から山頂までは、僅か1.9kmしかありませんので、ゆっくり登ります。丁度中間地点には融合平見晴台があり、相模湖・中央高速道が見えていました。山頂では、靄があって丹沢山塊が薄く、勿論富士山は見えません。下山途中、登山道に転がっていた「さざれ石」を拾って来ました。顕鏡寺奥之院はさざれ岩の巨岩がごろごろと転がって、ご神体として崇められているようでした。その中でも、雷電岩は最大のさざれ岩で、高さ22m、横幅19mで、日本最大のさざれ岩でないかと思われます。
2010.10.06
コメント(1)
旧中野区栄町には1950年から1970年まで20年間住んでいました。両親は其処に住み続けたのですが、1975年に地上げによるマンション建設計画が持ち上がった時に、売却して秦野市に移り住むことになりました。小学校は中野区神明小学校、卒業は1954年で、先月同窓会の通知がありました。会員リストでは竹馬の友が連絡不明となっていましたので、その通知を届けるべく、未だ其処の地区に住んでいるその兄宅を訪れましたら、近くに住んでいるとの話でしたので、行ってみましたが残念ながら留守で、仕方なく郵便受けに投函しておきました。ついでに付近を徘徊してみましたが、弥生町にも拘わらず、「栄町公園」も残っていましたし、道路も変わった処もありませんが、マンション計画が各所に持ち上がった様で、昔からの友人宅は殆ど認識出来ませんでした。それでも、小学校横にあった氷川神社は、植栽の木々が大きくなって薄暗い感じになっていましたが、そのまま残っていました。此処で竹馬の友と遊んだ頃は、小さな本殿はありましたが拝殿は焼け落ちたままで、その土台の上で、勉強そっちのけで暗くなるまでチャンバラごっこをしたものでした。竹馬の友は、親にも反抗して独立心が旺盛な性格でしたし、もう50年以上あってはいませんでしたので、どんな人生を歩んだのか分かりません。近年奥さんを亡くした不幸があったとのことでしたが、元気で暮らして欲しいと思いつつ、帰宅の途に着きました。
2010.09.29
コメント(4)
一昨日の真夏日から、昨日は豪雨で寒く、最高気温も18℃と一変に仲秋となりました。落雷もあり、直接落雷では無いと思われましたが、団地内20世帯でテレビ信号ラインがロスとなり、夕刻激しい雨の中、復旧を画策しましたが、上手く行きませんでした。アンテナ同軸ケーブルにはTV信号と共にAC30Vが供給されて、各棟のブースタ経由で各戸に接続されているのですが、AC分配コネクタが機能停止してブースタに電力供給出来ずに、TV信号がロスしてしまったらしい。今日は何とか復旧したいのですが、AC分配コネクタは特殊らしく、電気用具取扱店に在庫が無ければ、メーカ発注となり、最悪1週間は地上波テレビ無しの生活を強いなければなりません。閑話休題、未だ真夏日が続いている中、町田・八王子の市境にある尾根緑道に行ってみました。秋の風情はありませんでしたが、山栗の実が実っていて秋の気配は忍び寄っていました。今日辺りは、落ち葉も多くなって秋の気配が濃厚となっているのだろうと想像しています。
2010.09.24
コメント(0)
足柄峠からの登山道は赤土で、処々に赤い玄武岩が転がっていました。下山途中に、小さな赤岩を持ち帰って来ましたが、将に典型的な玄武岩ですし、それ程古くは見えません。金時山は箱根外輪山の一峰のように見えるが、古箱根火山の山腹から出た寄生火山(側火山)であった。登山道は表層でしかありませんので、古代の火山岩が残っているとも思われず、富士山由来の火山灰・火山岩で、火山灰は関東ローム層を形成している一部と考えて間違い無かろうと思われました。箱根には、大涌谷等の未だ活発な火山活動もありますが、やはり箱根連山と富士山では、火山活動のスケールが格段に違うのでしょう!登山に行き、頂上からの眺望、見上げての樹林だけでなく、足元の岩石を観察するのもなかなか興味の湧く処です。粘板岩-高尾山・景信山
2010.09.19
コメント(0)
昨日、金時山を下山して、同じ町内にある家内の眠る冨士霊園に行ってみましたら、何時ものアクセス道路が通行止めになっていました。金時山登山道からのショット、富士霊園は山麓中央に位置しています。其処で、何とか黒土が道路に散乱している迂回路を使って、霊園入口にたどり着きましたが、午後4時半を過ぎてしまいましたので、閉園とのことで入れませんでした。遺族が夕刻園内墓所にて自殺した事件があって以来、開閉園時刻を厳格にして、不祥事を防ぐ対策が取られている様でした。台風9号による静岡県駿東郡小山町の被害も相当大きかった様で、河川の氾濫、床上浸水および交通寸断はニュースで知っていましたが、少し高台に位置する冨士霊園は大丈夫では無いかと思っていたのです。しかし、古い区画での土砂災害が深刻で、一部区画では来園を控えるとのお知らせがありました。我が家の墓所は13区画と新しいので被害は報じられていませんが、骨壷は水に漬かったことも考えられ、それも自然の摂理Force Majeureですから、家内も許してくれるでしょう!台風9号による土砂災害については、現在、園内2号幹線道路等に大量に堆積した、土砂の撤去作業を鋭意進めております。また、墓所エリア内に一部堆積した土砂についても、撤去作業を進め、復旧工事に着手致します。何分突然の災害で状況を確認しつつ復旧作業を行ってまいります。速やかに復旧すべく注力致しますので、引続き皆様の御理解と御協力を賜りますようお願い申し上げます。現在、1区・2区・3区・6区・7区・8区・団体家族墓所につきましては、土砂撤去作業中であり、作業車両の出入りがあり危険ですので、ご来園はお控えください。
2010.09.18
コメント(1)
家内の眠る冨士霊園から望める箱根連山、その中で瘤のように盛り上がって見える金時山に登ったのは、11~12年前のことだったのだろうと思われます。その時は、金時神社の駐車場に車を停めて登って行ったのですが、山頂付近は風が強く寒かったので、初春か晩秋だった様ですが記憶が定かではありません。昨日は大井松田ICから県道78号線に入って足柄峠から金時山登山口まで車で行き、大きな駐車場に車を停めました。其処から山頂までは1時間20分程度と言われていますので、ゆっくりと登って行きました。この登山コースは山頂へ機材を持ち込む為の作業道でもありますので、あまり眺望がよくありません。20分程で猪鼻砦と言う一寸した峠に着きましたが、北に富士山麓、冨士霊園が遠くによく見えました。登山コース沿いに、金時山山頂が円錐形に聳えてしますが、高低差はそれ程感じません。暫く行きますと、樹林帯の中に本当の登山道が見えて来ましたが、其処からは岩場だらけの急登、滑落の危険を避けるためのアルミ階段が10個以上設置されていましたので、足場を確認しつつ、時々コーヒー休憩を取りながら急がずに登って行きました。漸く1時間30分で、山頂に到達、残念ながら富士山は雲の中ですが、天下の秀峰と言われるだけに、見応えのある眺望を楽しむことが出来ました。芦ノ湖、仙石原等も直下、家内とはよく箱根に来て、あの辺りを見学したものだと、感慨に耽り、供養になったと実感することになりました。金時山は神奈川県・静岡県境にあり、箱根山の北部に位置する標高1,212.5mの山。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。金太郎伝説発祥の山である。箱根山の外輪山では最も高い山であるが、本当の外輪山ではなく古箱根火山の寄生火山であった。そのため外輪山の他の山とは異なった特徴的な山容をしている。山頂からの眺めが良く、箱根登山コースの中では人気の高い山の一つで、箱根の山々から富士山、丹沢山塊、遠くは南アルプスや八ヶ岳まで望むことができる。
2010.09.18
コメント(0)
8月の盆休みは来週ですが、混雑が予想されますので、昨日墓参りに行って来ました。家を出たのが12時一寸前、中央高速の混雑情報が報道されていましたので、道志道を通って行くつもりでした。橋本経由で三ヶ木(みかげ)に着きましたら、午後1時に近かったので、高速の混雑が緩和したとの予測から、急遽相模湖ICに向かいました。相模湖までは空いていたのですが、相模湖ICに入るべく、20号線(甲州街道)に入りましたら長蛇の列で、インチ刻みの進み具合となってICに入る迄1時間程要し、結局、冨士霊園に着きましたのは午後2時半、判断に誤りがありました。墓前に花を飾って焼香し、持っていたペットボトルのお茶とサンドイッチを供えて、墓所内の砂利に打ち水をしてあげました。尤も玄武岩の灼熱砂利ですから、その効果は数分も持ちません。久しぶりの富士山がうっすらですが、姿を見せてくれました。霊園内を高台に移動して、箱根連山を遠望してみました。中央の尖った山が「金時山」、其処に2人で登ったのは、10年以上前のこととなりました。少し涼しくなりましたら、供養登山をしてみたいと思っています。
2010.08.08
コメント(0)
昨日は猛暑日だったのですが、富士市荒田島に行って来ました。家内の初盆に際して、提灯代を頂戴していたのですが、返礼の連絡もせずに失礼と思い、出掛けて行ってお礼の挨拶をしようと思ったからでした。家内の葬儀は出来るだけ身内にする積りでしたので、知り合いのある富士市には訃報を知らせなかったのでした。此処は実母が育った土地で、1948年に実父の里栃木県さくら市喜連川町から再疎開して、3年間過ごした場所でした。栃木県の「ダンベー」言葉が抜けず、静岡県の「ズラ」言葉に慣れない頃の入学式私は最前列もんぺに下駄、吉原小学校に通いましたが、よく無断下校しました富士山の裾野にありましたので、伏流水が豊富で、綺麗な泉も多く、其処に製紙会社が殺到し、排水処理が悪く、種々の河川から田子の浦に流れて堆積し、1960年代にはヘドロの海として全国的に名が知られました。実兄は実母の里の女性と結婚しましたので、其処から情報が漏れて、先週3名の方から初盆のお供えを現金書留で頂戴することになりました。実父を2回程、富士市荒田島の親戚の法事に連れて行ったことがありましたが、今回は実に14年振りの訪問となりました。家内も、子供達も、疎開先の「さくら市喜連川町」にも「富士市荒田島」にも連れて行ったことがありませんでしたのが、一寸残念な気がします。それにしましても、我が家から往復270kmの日帰り長距離ドライブ、家内が亡くなった時の激痩せが未だ回復していませんので、お尻の筋肉が尾骨にあたってしびれる事態となりましたのは、情けない限りでした。
2010.07.21
コメント(1)
今日は家内の8回目の月命日、来月は初盆で、喪が明けるのも4ヶ月となりました。昨日は薄曇り、今日は天気が崩れると言う予報を聞き、午前11時から墓所の冨士霊園に出掛けてみました。この梅雨の時期、富士山を見ることは難しいのですが、「晴れ女」の家内が墓参り時間中、気を利かしてくれ、うっすらとした富士山を見せてくれました。曇り空に、墨絵の様な富士山の姿も、一興良いものです!近くの草叢で、又四つ葉のクローバーを見つけましたので、持参した供花と共に、墓に供えてあげました。富士山と言い、四つ葉のクローバーと言い、私の「月命日の墓参り」と言う心掛けに対してご褒美を貰った様な気がしました。墓の前で、独り昼食を取り、1年契約で植栽されているサツキを剪定、草花を整理してから帰路に着きました。
2010.06.26
コメント(1)
独り暮らしで、自宅に籠もって、テレビを見たり音楽を聴いたりしていましても気分が段々落ち込んで来ますので、天気の良い日は出来るだけ、外に出掛けて歩くようにしています。昨日は晴天で暑くなりましたが、木陰の散歩も良いものだと、白山谷戸から小野路城址に出掛けてみました。熱中症も懸念される様な暑さの所為か、途中に出会う人も多く無かったのですが、道すがらホタルブクロ等も観賞しつつ、山道をゆっくりと登って行きました。小野路城址に着きますと誰もいない静寂の世界、涼しげな木風が迎えてくれました。木陰の草むらで、コンビニ弁当とお茶で昼食、自宅から持って来たコーヒーでゆっくり休憩、爽やかそよ風を楽しむことが出来ました。下りるのに違う山道を通りましたら、整備されていない道になってしまい、木陰から出て来た土蜂に手の平を刺されてしまいました。しかしそれも御愛嬌、ちくちくする程度で大したことはあるまいと、傷口に口をあて少し吸い込んでみた程度で治療完了、特に腫れることもありませんでした。
2010.06.11
コメント(0)
昨日は薬師池公園の菖蒲田も見頃になったのではないかと期待して出掛けてみました。残念ながら見頃には1週間程早かった様で、訪問客も少なく空いていました。ブログの過去アーカイブを探ってみますと、昨年は6月6日に家内を車椅子に乗せて、菖蒲を観賞に来ていたのです。酷くやつれて様子で、車椅子に乗り、その1月前に退院記念として購入した小さなショルダーバッグを何かいじって様子が写っています。闘病中の様子は、本人も写して貰いたくないだろうと、この小さな写真が唯一のものとなりました。写真にあった車椅子もレンタルでしたので返却、ショルダーバッグも家内の姪に形見分けとして差し上げてしまいましたので、自宅内には何も残っていません。「可哀想だった」と感慨に耽りつつ、久しぶりに涙がぽろぽろと流れて困りました。今朝、会社の先輩だった74歳の方から電話があり、「元気に暮らしている?」との連絡でした。この方も奥様を昨年春に亡くされて一人暮らしをしていますが、1周忌を過ぎても「あまり長生きしたくは無い」と感慨が続いているとのことでした。今後の生きる目標ライフワークが、なかなか定まらないのも一因かも知れませんし、パラダイム・チェンジとは言え、言葉は簡単、実行は甚だ困難と言うことなのでしょう!私も同様な状態であることは確かです。
2010.06.08
コメント(0)
久しぶりに高尾山に行こうと家を出ましたが、ミシュラン3星の観光地と指定されてからは、何時も混雑していますので、急遽景信山に変更することにしました。高尾山口の数分手前で、甲州街道から旧甲州街道に入り、奥高尾を経て、小仏バス停を通り過ぎて車道止めまで行き、路上駐車しました。此処から旧甲州街道の山道を登りますと、40分程度で標高560mの小仏峠に至ります。数年前に2軒あった茶屋も閉まってしまい寂しい感が漂っていますが、残されているベンチに座ってコーヒー休憩となります。旧甲州街道に別れを告げ、景信山への登山道を取りますが、此の登山道は「関東ふれあいの道」にもなっていますので、人の往来が無くなることがありません。それ程きつくは無い登山道をゆっくりと登りつつ、新緑の森林浴を楽しみます。30分で景信山直下に到達、杉林が伐採されていて急に視界が開けて吃驚しました。頂上から下りて来る人に聞いて見ますと、「東京都が登山客の眺望を楽しんで貰おうと、予算を取って伐採した様です」との情報でした。それにしても、間伐もせず下枝打ちもしない杉林は、真っ暗で荒れていますし、荒廃が眼に付きます。伐採した杉の材木はそのままの姿で放置されているのですから・・合計ほぼ1時間で、標高727mの景信山山頂の山小屋に到着しました。一昨年まで家内がしてくれた様に、キャベツと白ネギを小さめに切ってポリ容器に入れて来ましたので、ウィンナーソーセージも入れて、バーナーとコッヘルで塩ラーメンを作って食しました。独り登山とは寂しいものですが、下山途中に登山道に設置されているベンチで休憩をとりつつ、「此処で二人して、お茶休憩をしたこともあった」と感慨に耽りつつ、人生を共にした家内へ感謝し、ゆっくりと静かに駐車場に戻り帰宅しました。往復2時間、混雑に遭うことも無く、良い運動が出来ました。
2010.06.05
コメント(1)
昨日は家内の7回目の月命日ですので、お花でも供えようと冨士霊園まで出掛けることにしました。天気予報は雨だったのですが、それも良かろうと思いつつ、考えてみますと水曜日は休園ですので、自宅で昼食サンドイッチを作り、珈琲、バナナ・菓子を持って出掛け、途中の店で供花を求めてから、厚木から東名に乗り、大井松田ICで下りて、国道246号線を通って行きましたら、所要2時間となりました。既に新緑の季節で、高原の所為か、平地では終わっている躑躅類が丁度見頃でした。休園で管理事務所、売店が休みですので、訪問客は驚くほど少なく、墓所に行きましたら誰もいませんでした。4月に供えてあった供花は既に枯れたのでしょう整理されていて、霊園管理は行き届いていますので、気持ちの良いものがありました。供花を設置して線香を焚き、手を合わせて五島での散骨を報告しましたが、何処が本地なのかと思うと不思議です。我が家の仏壇なのか、霊園の墓所なのか、散骨した五島列島なのか判然とはせず、「後有を受けず」と言いますから何処にも無いのかも知れません。兎に角、天気予報に反して強い日差しも時々顔を覗かしていましたので、誰もいない墓前で一人静かに昼食を取りました。1年契約で植栽されているサツキを少し剪定、草花を整理してから帰路に着きましたが、途中から雨と変わりましたので、「晴れ女」の家内が墓参り時間中、気を利かしてくれたのかも知れません。尤も、仏教思想の始祖釈迦が「後有を受けず-死後の存在は無い」と言っていますので、自分勝手な思い込みには違いないのですが・・
2010.05.27
コメント(1)
大型連休中は何処に行っても混みますので、例年近くの都立桜丘公園の新緑を楽しむのを習慣としていました。車を停め、駐車場の階段を下りて、桐の花の咲き具合を見ましたら、未だ蕾も綻んでいない様でした。例年何時も、桐の花を見ていた様な気がしますが、もう少し先になるのでしょう。だらだら坂を大谷戸公園に下りて行く途中の散歩道は、将に新緑の季節で、気持ちの良い環境でした。遅咲きのウワミズザクラ(上溝桜)も満開、花水木も見頃になっていました。林間を歩いて見晴らし場所(富士見台)に行き、昼食を取って、大谷戸公園に下りて行きますと、バーベキューを楽しんでいる団体家族もありましたので、大型連休なのだと実感出来ました。そんな情景を見ていましたら、唯一人で散歩する悲哀を感じてしまい、昨年も一緒には来られませんでしたが、病院で存命だったことを思うと本当に寂しくなりました。生命の生き吹きの只中にありますのに、何とも情けないことでした。他人に寄り掛って生きると言う人間の業とは、如何とも処置し難いものがありますね!
2010.04.30
コメント(0)
今日は家内の6回目の月命日、喪に服する1年の半分が過ぎたことになります。定められた天命を全うしたのだと納得しつつ、悲しみは薄れつつありますが、寂寥感は消えることはありません。多分、同じ時代を生き、環境を同じくして努力した親しい同志が忽然と消え、率直に語り合うことさえ出来なくなったと言う孤独感のなせる業なのだろうと思っています。昨日は3日ぶりに天気となりましたので、墓前に供花してあげようと、静岡県小山町にある墓所に行ってみることにしました。ガソリン代が高いので、高速料金を節約することにして、道志道を通って山中湖経由でゆっくり行ってみたのですが、細い山道が多く運転には気をつけなければなりませんでした。しかし途中の道志渓谷は、早くも新緑の季節となっていて、2日間の雨に洗われて清々しい雰囲気で、命の洗濯にもなりました。山伏トンネルを抜けると、富士山が見えたのですが頂上だけで殆どは雲中、山中湖についても、山麓は見えますが、中腹から上は雲の中の状況は変わらないのは残念でした。霊園管理事務所でお花を買って、墓所に行ってみますと、4月9日三鷹台の奥様方が墓前に供えてくれていた供花が未だ枯れずに残っていたのには驚きました。氷雨の天候が続き、冷蔵庫みたいになっていたからだろうと思われます。供花を追加し、桜の季節は終わっていましたが、天気も良いので、墓前でサンドウィッチ・果物とコーヒーで昼食を取りました。富士山は完全に雲中に隠れて見えなくなっていましたので、「又来るね!」と言って帰路に着きました。帰路は246号線を使い、途中にある秦野市の実兄宅に寄って、父母の仏前で手を合わせてから帰りましたので、往復7時間となりました。確かに遠くて不便なのですが、今度は霊園から見え、昔一緒に登った箱根金時山のトレッキングを兼ねて再訪しようかと思っています。
2010.04.26
コメント(1)
11年振りに大月市総合グラウンドに車を停め、坂道を歩き出しましたが、大いに自然環境は変わっていました。前は大月林業センターから先は直ぐに山道でしたが、今回はずっと舗装道路が続き、憩いの森キャンプ場付近は、レクリエーション施設が整備され、百蔵山登山口の名板と駐車場・公衆便所がありました。その先にも百蔵浄水場が整備され、未だ舗装道路が続きますので、浄水場施設の脇を通り其処のトンネルを抜けて硬い道路を歩いて行きますと、漸く右手に百蔵山登山道を示す大月市の道標を見つけました。大月市総合グラウンドから既に20~30分は登って来ましたが、漸く登山道に入り、百蔵山南東尾根に向け登って行きます。1時間程ゆっくり登って行きますと、林間から東方に先日登った扇山が見えて来ましたので、珈琲休憩としました。山頂近くに従い傾斜が急になり、危険防止の為のロープが30~50mに亘って設置されていて、そのきつさには音を上げました。そう言えばこの急登部分では11年前にも、家内の登山ストックを引き受けて、家内がロープを伝って四つん這いになって登るのを手伝ったことがあったのです。漸く家内のフォースにも助けられて山頂に到着となりました。南方は大きく開けていて、眼下に大月市街から道志山塊が良く見えました。百蔵山は大月市秀麗富嶽十二景の7番山頂となっているのですが、残念ながら富士山は厚い雲の中に隠れて堪能出来ませんでした。家内の晴れ女フォースは私と共にあり、百蔵山に晴れをもたらして呉れたのですが、遠く富士山には気が回らなかった様でした。昨日は1日だけの晴天予報でしたので、登山客も少なく山頂は閑散としていて私も含めて4人だけでしたが、暖かい日差しを満喫して肌着だけの格好で、バーナーとコッヘルでスープを作ったりして1時間程ゆっくりしていました。山頂には未だ桜も残り、山道には種々のスミレが咲き乱れていましたので、白ピンク花弁で美しく見えた叡山スミレを接写撮影してみました。下山途中に、湧水取水口がありましたので、ステンレスボトルに入れ、家に帰ってから夕方コーヒーを楽しみました。布団をベランダに干してから出発午前9時、帰宅午後4時となりましたが、疲労も適度にあり、家内のフォースのお蔭で良い一日でした。
2010.04.22
コメント(2)
昨日は、福岡から家内の従妹2人が来ていて、1人が北府中に行く用事がありましたので、其処のお宅に送り届けた後、もう1人を三鷹台団地に連れて行ってみました。彼女は久我山で下宿していたこともあって、我が家によく遊びに来てくれましたので、懐かしかろうと思ったからでした。三鷹台団地の建て替えは2/3が進み、私達が住んでいた処は取り壊し直前で、周囲は鋼板で仕切られ施錠されていますので、入ることは出来ず、周囲外からデジカメで撮るしかありません。私達家族は、1973年2月から1980年1月までの7年間、4階建ての3階東端で生活していました。生活を始めた時は長男が1才10ヶ月でしたし、間もなく次男も此処で生まれ、裕福ではありませんが楽しい暮らしが続きました。3階東端が少し張り出していましたので、訪問客がありますと、南側の窓から、その道すがらの様子が遠くから分かりましたので、よく声を掛けたものでした。三鷹台団地からアメリカでの駐在生活となったのですが、3~5年との長期間と言うことで、家賃を払い続けて不在住居は許されず、解約せざるを得なかったのは残念でした。手狭でしたが、交通アクセスも良く、自然環境も良好ですので、アメリカ駐在と言う業務命令が無ければ、ずっと三鷹台団地に住み続けた様な気がします。よく行った団地商店街は、サミットが進出して大きくなりましたが、商店街の方々はどうされたのか気に掛りますが、時代の趨勢は止め様がありません。
2010.04.19
コメント(0)
山梨県の大月市にある扇山は、山梨秀麗富岳12景の一つとして知られていますし、近くの犬目集落は、北斎の「富嶽三十六景」犬目峠の地として知られています。昨日は午前中、天気が良いと言うことでしたので、なるべく朝早く行ってみることにしました。事前にインターネットで調べた扇山登山口「梨の木平」は、大月カントリークラブの横にあると言うことで、直ぐに分かるものだと安易に考え、午前9時に家を出て、10時には大月カントリークラブ入り口に着いたのですが、見つけることが出来ません。どうも入り口直前で右折して山道を更に登った処にあった様です。大月カントリークラブから戻る途中の道から見ますと、未だ秀麗富士が良く見えていました。仕方なく県道30号線に戻って近辺を2回程行き来して、午前10時半を過ぎましたので、君恋鉱泉の1軒宿の庭に駐車させて頂くことにしました。此処はどうも登山口ではありませんので、林間を行きますが、誰にも会うことがありませんでした。30分程黙々と登って尾根道に合流しますと、ちらほらと下りてくる人達に会えました。扇山には10年前、家内と共に来たことがあり、1時間で頂上に行けると思っていたのですが、なだらかな尾根道が続き、なかなか着きません。途中のへばりが酷く体力の衰えが明らかで、15分毎の休憩は必須、ペットボトルのお茶休憩、ホットコーヒー休憩を何回取ったことでしょう!頂上到着は12時一寸過ぎていましたが、所要1時間半ですので、それ程遅れた訳ではありませんのに、独り黙々とトレッキングすると、休憩会話も無く疲労も激しい様です。頂上の景色は10年前と変わらない姿でありました。10年前の登頂時の家内、その頃はくるぶしまで固定するトレッキングシューズを履いていましたので、二人とも靴を脱いで、締め付けられた足を解放してから、お昼休憩するのが通例でした。残念ながら富士は雲に隠れ、頂上付近の稜線がほんの少し見えるだけでした。やはり富士山を楽しむには、午前10時迄に目的地に到着するのが基本だと再認識した次第です!下山して君恋鉱泉の1軒宿の庭で、甘夏柑とお茶をご馳走になり、駐車させてくれたことにお礼を言い、帰路に着きました。
2010.04.15
コメント(0)
日曜日午後3時を過ぎましたが、かたくりの里から車で行くには狭いと思われる山道を通って、城山湖に行ってみました。其処周辺は桜の名所でもあり、桜は丁度満開でした。城山湖には毎年来ていましたし、5年前には対岸の松見平休憩所にも足を延ばしましたが、町田市最高峰の草戸山山頂となっていて展望台もありました。上載の写真は昨日曜日、下載の写真は9年前の写真ですが、景色は変わらず家内がいなくなりました。結局「人が亡くなる」と言うことは、生きた存在が消え去ることなのだと実感出来ます。9年前には、長男が良い伴侶を見つけて新しい家庭を築いてくれましたので、親としての責任の一端を果たせたと共に喜んでいた時で、家内の表情も晴々としている様子です。家内が平均寿命から15年短く亡くなりましたので、代わりに少しでも長生きするのも義務と思わないではありませんが、平均寿命へ10年で余命がそれ程ある訳ではありませんし、それも定められた寿命は人知を超えるものですから、どうにもしようがありません。人間を含めて全ての生物は皆やがて死を迎える訳ですから、穏やかに心静かに感謝して死を迎えたいもので、現在生きている命の価値を日々実感していたいものです。家内を偲ぶ意味で、昨日ずっと聴いていたクラシックがあります。ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」(1986年録音 2台のピアノの為の作品)主題となった「聖アントニーのコラール」は古い巡礼歌とされ、ハイドンがそれを基にディヴェルティメントを作曲したものと言われている。ブラームスはこの主題を1870年にウィーン楽友協会図書館の司書ポールから見せられ変奏曲作曲の構想を温め、オーケストラ編成と2台のピアノの為の作品としたもので、心の奥底に響くものがあり、聴いていると崇高な気持ちになる様な曲です。
2010.04.14
コメント(2)
昨日は雨天で気温が7℃しかない寒い一日でした。一昨日、その天気予報を聞きましたので、日曜日午後2時から、城山かたくりの里に行って来ました。駐車場に着きましたら、何時もは混雑するのですが空いています。すると駐車場出口の案内板に「かたくりの満開は3月22日でした!」と掲示されていたので、成程と思いつつ、入場券を買いますと、通常500円が400円に値下げされていました。片栗の群落はお終いとなっていて、ちらほらと咲き残りの片栗ばかりで寂しい限りでした。今春は天候不順だったのですが、今冬が暖冬だったので、1週間以上開花が早くなっていた様です。それでも、坂道を登って行きましたら、黄花カタクリが満開となっているのを見つけました。黄花カタクリはカナダ原産のカタクリで、日本自生のものではありませんが、群落して咲いている様子は見応えがありました。従来は「城山かたくりの里」でしたが、所在地は相模原市緑区城山町、近々政令指定都市となりましたので、入場券は「相模原市緑区かたくりの里」と変更されていました!従来通りで差し支えないと思うのですが、所在区を記載する義務を押しつけられているのかも知れませんが、兎に角、城山と言う町名が見えないのは残念です。
2010.04.13
コメント(0)
昨日は、三鷹台団地で仲良しだった奥様方が、家内の眠るお墓参りをしてくれると言うことで、多摩市から三鷹まで行き、ピックアップし、調布ICから中央高速を使い、大月からの分岐線から東富士自動車道で須走終点から冨士霊園に行ってみました。生憎、曇天で富士は隠れて見えず残念でしたが、墓前に花を供えて拝んで頂き、ビニールシートを敷き、遅い昼食を取ってくれました。私も我が家の庭から、匂いスミレと思っていました外来種のビオラ・パプリオナケアを数株持って行き、墓前に植えました。元々、このスミレは家内が五島列島の実家から持ち込んだものでしたので、感慨深いだろうと考えたからです。しかし、冨士霊園は高原にありますので、昨日は寒く気温は6~7℃、早々に墓前の昼食を終え、桜の名所とされる霊園中央通りに行ってみましたが、未だ2分咲きで、見頃には1週間早かった様でした。帰路は山中湖周辺から、忍野八海を見学し、山中湖ICから中央高速を使って、三鷹台団地まで奥様方をお届けし、東八道路、小金井街道、鎌倉街道経由で帰宅しましたのは午後7時半でした。我が家を出発しましたのは午前10時過ぎでしたので、往復9時間の墓参となりました。三鷹台団地の生活は、子育てに奔走し、家内の人生のハイライトとも思えますので、其処で子育て仲間の仲良し友人がお墓参りをして頂けたのは、とても嬉しいことでした!
2010.04.10
コメント(0)
富士スピードウェイは墓所である冨士霊園と同じ町内にあり、直ぐ近くにあります。先日の日曜日、納骨法要の事務手続きが済んだのが午前11時前で、法要迄に2時間弱ありますので、息子達も初めてと言うことで行ってみました。所有者のトヨタ自動車がF1撤退を発表しましたので、閑古鳥が鳴いているのかと思ったのですが、数多いイベントが行われて、賑わっているらしいのです。3月28日も「FSW Motor Sports Dream 2010」が行われるとのことで、混雑とは言えませんが、寒い日にも拘わらず結構の数の車が入って行く様でした。2000年よりトヨタ自動車の傘下に入った富士スピードウェイ(フジスピードウェイ、Fuji International Speedway 略称「FSW」)は、静岡県駿東郡小山町にあるサーキットである。2009年7月に「トヨタは2010年以降のFSWでのF1日本GPの開催を行わない」との方針が主要新聞・雑誌等で一斉に報じられ、同年7月7日に正式に開催中止が発表された。理由は「2008年10月以降の世界的経済不況に伴う経営環境の悪化と早急な経済回復の目途が立ちにくい事情などから、満足いただけるF1日本グランプリの開催継続は、企業存続の観点からも極めて困難」とし、他に「SUPER GTやフォーミュラ・ニッポンも含め、国内のレース観戦客数が激減している」「看板スポンサーも減少している」ことを理由に挙げた。2007年の開催から2回の開催で撤退することになった。しかし一般的に暮らしに余裕が無く、マニアックな層を除いて、乗用車所有傾向は若者世代から見放されつつあるのですから、見通しは明るくはありません!大量消費時代が去った現状は、浪費では無く耐久性のあるものが求められる性向を、供給者も認識して、時宜に合った商品を提供しなければなりませんし、現在流行のハイブリッド車も電池リサイクル技術の進展がなければなりません。
2010.03.30
コメント(0)
都立桜丘公園には四季折々、家内と訪れましたが、飛び地となっている「夕日の丘」には行ったことがありませんでした。先日、行って見ましたら、とても見晴らしの良い場所で、眼下に川崎街道、直ぐ近くに聖跡桜丘駅、多摩川の関戸橋が見え、東には東京競馬場もそれ程遠く無く見え、正面遠くには西武球場から秩父の山々、西方には丹沢山塊とうっすらと見えました。此処は「夕日の丘」と言うことで、日没に良く、又夜景が綺麗なことでも知られているらしいのです。今度は初夏、夜の涼しさを求めて再訪してみたいと思います。二人で来ればもっと良いのでしょうが、喪中ですから家内は私の心中で、来て貰うことにしましょう!此処は住宅地が迫っていて、沢山の民家が密集していますが、静かで駐車場にミモザが満開状態のお宅もありました。公園に隣接していた農水省管轄「農業者大学校」はつくば市に移転することとなり、多摩キャンパスは閉鎖となり、結構大きなキャンパスであった処が桜丘公園として併合されるらしく、作業車が多く出入りし、整地作業が行われている最中でした。
2010.03.25
コメント(1)
今日は朝から雨ですが、昨日の暖かさが残っている所為か、午前中はそれ程寒さを感じません。昨日は正午頃から快晴、気温も上がり4月の陽気となりましたので、珈琲をポットに入れ、コンビニでオニギリを買って、町田牡丹園に行き、其処で昼食となりました。未だ牡丹は花芽が少し見える程度でしたが、久しぶりの晴れ間に誘われて、中年・老年カップルの多いのには驚きました。其処から七国山を通って薬師池迄をゆっくり散歩しましたが、普段は殆ど人のいない散歩道で多くの人達に出会いました。昨日1日だけの晴天、今日からは再び雨天との予報でしたので、束の間の天気を楽しんでいたのでしょう。薬師池公園では、梅林が見頃を迎えていて、団体客も沢山いましたので、肩に触れないで歩くのが大変でした。此処は多摩丘陵の一角に位置していますので寒く梅の開花は遅いのですが、昨日は本当に最後の見頃で、落ちた花弁が道に満ち満ちていて綺麗でした。晴天を映した水面越しに見える梅林も、なかなか風情のあるものでした。梅花の時期は相当長いことで知られますので、今日から又寒さがぶり返す予報ですから、来週も楽しめるかも知れません。
2010.03.06
コメント(1)
昨日は、藤沢市営大庭台墓園にある義長兄の墓参りに行って来ました。出掛ける時は曇天でしたので、傘を持って行ったのですが、途中から晴れ間が広がり、お墓に着いた頃は、暖かい春の日差しに包まれていました。近頃は少し心掛けが良くなったことへのご褒美でしょうか?義兄のお墓は、この従来型の墓所に一角にあります。大庭台墓園には、芝生墓地区画も多数あり、開放的な雰囲気に溢れ、一寸したピクニック気分も楽しむことが出来ます。昨年は家内の具合が悪く行けませんでしたので、2年振りでした。花を供え墓石周りの植栽を鋏で整えたのですが、お線香を忘れたので、焼香してあげられませんでした。仕方無く、持参した蜜柑、好きだった珈琲を供えて、一緒に昼食することで許して貰うことにしました。義長兄が亡くなったのは1983年2月26日、我が家は在米中、47歳の夭折ですから驚きました。駐在員だったこともあり、家内だけでも帰国して貰おうと思ったのですが、家内は小学生だった子供の世話もあり断念した経緯があり、思えば、既に27年前の遠い昔のこととなりました。17年前に義母が存命したいた時は連れて来ましたし、数年前までは義姉母子も連れて墓参していたのですが、義姉のリューマチが悪化して行けなくなりましたので、此処2~3年は家内と2人で墓参することとなったのです。人々との別れは避けられぬ世の常ですが、遂に今年は私独りとなってしまい、寂しいことこの上ない状況となりました。
2010.03.02
コメント(0)
今日は家内の4回目の月命日ですが、曇天で今にも降りそうな気配です。昨日までは暑いほどの晴天でしたので、今まで行っていなかった五反田谷戸、神明谷戸にも入ってみました。 結局は登りつめると、小野路城址に至ることになりましたが、付近一帯が風致保存地区になっていますので、驚くほど里山の原風景が残されています。日大三高前にある五反田谷戸、此処は比較的に平坦で、水田稲作が維持されている様です。神明谷戸、谷戸の入り口は狭いのですが、棚田は耕作されている気配です。山道を登り雑木林に入ると、葉を落とした裸木の間からは、淡い春空が良く見えて何か遠い懐かしさも感じられました。何も言わぬ大きな空とは素晴らしいものです。徘徊散歩しつつも、「来月の月命日は、40回目の結婚記念日」と考え始めましたので、センチメンタル・トレッキングと言うか、センチメンタル・プロムナードとなりました。小野路城址で休憩、40回目の結婚記念日を迎えること無くサドンデスとなった家内を思って、好きだったポットに入れた珈琲を飲み、ゆっくり下山しました。それでも、自然に癒されるのは良いことでした!ともあれ、車で10分程で行ける場所に、こんなに素晴らしい里山が残されているのは嬉しいことです。
2010.02.26
コメント(0)
昨日は午後から久しぶりに晴れ上がり、気温も高くなったので、午後3時も過ぎていたのですが、白山谷戸から小野路城址まで、散歩してみました。晩冬の平日で夕刻も迫って来る頃となりますと、訪れるも疎らでしたが、センチメンタル散歩には格好の雰囲気でした。小野路城址からは隣の五反田谷戸に下りて行こうかと思い、そちらの方向を目指し歩き出しました。途中、見事な竹林にも出会いましたので、デジカメで撮ってみました。竹林にはよくマムシが巣くうと言われていますが、温度の低い晩冬の時期でうすら寒い夕刻ですので、竹林の中へ入らなければ大丈夫です。しかし、別れ道を取り間違えたのか、良く見ましたら白山谷戸に下りて来てしまいました。夕日の当たった谷戸は、多摩丘陵の原風景に思えました。この周辺は東京都と町田市で、「図師小野路歴史環境保全地域」として管理していますので、道に迷っても遭難することも無く、林間から見え隠れする何処かの住宅地に行き当たることが出来ますので安心です。五反田谷戸へは、又の日に、再度挑戦することに致します。図師小野路歴史環境保全地域なだらかに起伏する町田市北部の丘陵地、周辺が急速に市街化する中で、多くの歴史的遺産とともに良好な自然環境を形成している。区域内の植生は、ほぼ全域にクヌギ-コナラ林が分布し、スダジイ、シラカシ等の常緑広葉樹林が残っており、全体として典型的なかつての多摩丘陵の景観を示している。丘陵に刻み込まれた谷戸には多くの湧水が見られ水田が開かれているが、放棄されているところが多く、ススキ草原やヨシの生育する湿地となっている。この豊かな植生に依存して、哺乳類ではタヌキ、キツネ、ムササビ等が生息し、鳥類ではオオタカ、エナガ、アオゲラなど多くの種類が記録されている。また、ゲンジボタルやオオムラサキ等の昆虫類が確認されている。区域北部の城山といわれる高みには、当地の豪族であった小山田氏の副城と思われる小野路城址があり、土塁や空濠などの遺構、湧水もあって、中世山城の面影を伝えている。
2010.02.23
コメント(0)
昨日は久しぶりに晴れ気温も上がって来ましたので、2月下旬でもあり、そろそろ見頃かと思い、郷土の森梅林に行ってみました。梅まつりが開催中でもあり、晴れに誘われて、多くの来訪者で混雑していましたが、この1週間寒く雪も降った影響なのか、開花は遅れていました。それでも、遅咲きで知られ、紅白の梅花が枝に混在する「思いのまま」と言う品種も咲き出していました。又、一重の可愛らしい紅梅ですが、遅咲きの「紅千鳥」も綻び始めていました。この梅花は好みの品種ですが、家内も好きで、郷土の森だけで無く、神代植物公園にも良く観賞に行ったものでした!
2010.02.21
コメント(0)
昨日は異様に暖かく、セーターだけで外出が出来る程でしたので、昼食後コーヒーと蜜柑・クッキーを持って、町田市立野津田公園に散歩に行って来ました。見晴らし広場から見る野津田公園全景、中央には本格的な400mコースのある陸上競技場が設置されています。見晴らし広場とは言え、西が住宅地に遮られていますので、丹沢山塊や富士山が望める訳ではありません。東方に雑木林の丘陵が広がっているだけなのですが、足下はツツジ林になっていて、春になりますと色とりどりの花を愛でつつ新緑を楽しむことが出来ます。暖かい日差しに誘われて、公園外周をほぼ1周して見ました。外周沿いには通常学校、障害者学校、神学校等があって静かな文教地区になっていますので、時々は其処を散策するのも常でした。昨日は、途中の歩道には既に春の気配なのか、人知れず黄色の花が咲いていました。家内のお蔭で花の名前を結構覚えたのですが、薫陶不足でこの花の種類を特定することは出来ませんでした。花の図鑑は3冊ほど残してくれているのですが、薫陶する家内が亡き中、独りで検索する気力が出て来ないのが残念です。
2010.02.10
コメント(3)
国道246号線を行き、洒水の滝近くの交差点で76号線の山道に入り、突き当って足柄街道78号線を行き、地蔵堂を横目に見て足柄万葉公園に着きましたのは午前11時半でした。自宅を午前9時に出ましたので、所要時間2時間半も掛りました。東名を使い大井松田ICを出れば、1時間半程度と思いますので1時間ロスしたことになります。足柄万葉公園は足柄峠の近くで標高756m、矢倉岳は870mですので、少し見上げる感じでした。直ぐに登山道に入り尾根道を行きましたが、高度をどんどん下げて谷合を巡って行きますので、最低標高は670m程、矢倉岳が高く見える様になりましたが、お椀を伏せた様な形は印象的です。山伏平から一気に真直ぐ登って行きますので結構きついのですが、時々コーヒー休憩をしながら登りますと、標高差200mですからそれ程時間を要しません。矢倉岳山頂に到着しましたのは、午後12時半ですから所要1時間、トレッキングとしては物足りないのかも知れません。山頂から見る富士山は、足柄平野から山麓を従えて雄大の一言、流石日本一の山と納得せざるを得ません。西南には箱根連山、金時山は近く、箱根山も大涌谷から登る湯煙も見えて、一望出来るのも魅力です。南は小田原市街から相模湾、東方には丹沢連山も良く見えますので、矢倉岳登山が人気のあるのは頷けます。昼食を含めて1時間程ゆっくり休憩し、同じコースを下山、万葉公園にはトイレがありませんので、足柄峠付近のトイレを拝借、午後2時半に帰路に着きました。家内と一緒に登ったのは8~9年前のことでしたので、良い供養登山となりました。
2010.01.28
コメント(0)
全795件 (795件中 551-600件目)