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特急列車に乗ったら、ほかの車両はそれなりに乗ってるのに、どういうわけか、この車両はひとり占めになり、うれしい。まあな、それほど混まない列車のそれほど混まない時期に、ネットの座席指定予約で、一番後ろの車両の一番後ろの座席を予約したおかげだろう。(車両がカラなのと、一番後ろの席を予約したのとは関係ないけど)こういうときは努力が実った感じがしてうれしい。なので、これからも当分は一番後ろの車両の一番後ろの座席を予約しよう、と思った。
2012年10月31日
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「頭に言葉や映像や音楽を流さないよう試みる」時間が少ないと、バランスが崩れる。「見える物を(言葉抜きで)ただ見ようと試みる」「聞こえる音を(言葉抜きで)ただ聞こうと試みる」というのと、「(目を閉じて)頭に言葉や映像や音楽を流さないよう試みる」というのは同等である。「見える物をただ見る」「聞こえる音をただ聞く」というのと、「頭に映像や音楽が流れる」というのは別だ。「頭に映像や音楽が流れる」というのは、「見ていない映像が頭に浮かんだり、聴いていない音楽が頭の中で鳴っている」状態である。
2012年10月31日
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電車に乗ろうとしたら、「○○駅は停まりますー?」と聞かれて、答えられないでいると、その人は「○○駅には停まるはずです」と自分で答えて電車に乗った。特急列車の中、大学の先生らしきおじさんに、女学生らしき二人が熱心に、何やら教育学に関することらしき何かを質問し、大学の先生らしき人がていねいに答えている。ああ、なるほど、こういった人たちには関わってはいけないんだな…まあ、なんというか、個人的な気分ですが…乗り物はやはり空いてるのがいい。特急列車は朝から呑んでる人がいて、酒の臭いが車両にひろがって、マスクをする。
2012年10月30日
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「考えない」がきちんとできないのは、「きちんと考えなくてはならないことがある」と思っているときだ。だから、そのときには、きちんと考えてみればいい。そうすれば、たいがいの場合、単純な答が出てくるか、そうではなくて複雑に感じるようなら、もう少しがんばって考えてみるなら、「きちんと考えなくてはならないことがある」というのが、なんというか、自分のあせりのようなものだったと気づく。
2012年10月30日
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自分勝手にルールを作っては作り変えて、暮らしている。個人的なルールを作ってみて、守らなかった翌日、気分が悪いようなら、次には守ればいい。でも、まあ、気分が悪いのがルールを守らなかったせいなのか、もしかしたらルールを守ったせいなのか、わかりにくい場合もある。それに、ちょっとした状況の変化でルールは変わる。でも、まあ、そもそも自分勝手に決めたルールなんだし、とりあえず守ってみなくては、ルールを作った甲斐がない。
2012年10月29日
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30分の試みの「30分」の中で料理をしてて、どこかおかしい気がしてはいたのだけれど、そもそも、この「30分の試み」の当初の主旨は「何を書くともなく30分、書く試みをする」だったのを忘れてた。でも、まあ、かまわない…ルールはルールに過ぎない。でも、まあ、30分で何かを試みる、というだけでは、いくらなんでもそれはちょっと…でも、まあ、思いついてしまえば規制するいわれはない。でも、まあ、基本形としては「30分、何かを書く試みをする」
2012年10月28日
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これを作る試みは、24分40秒。それから携帯で写真に撮って、転送して…
2012年10月28日
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30分で試みることには、風呂に入り歯を磨く、というのもある。エアコンのフィルターをそうじして、洗濯機のフィルターをそうじして、洗面所の鏡をそうじして、もういくつかそうじすることも、30分の試みとしてはある。いまから30分、何をしよう…
2012年10月28日
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ガラスの屋根(屋根有りのまん中の部屋)に腰を降ろして、足を「旅人の部屋」へ垂らし、体をねじってガラス板の縁に手をかけ、ずりおろしてゆき、落ちる。 舞台は少し揺れるが、俳優二人は慣れているのかふらつきはしない。ガラス越しに俳優二人と目が合った。
2012年10月28日
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美術にせよ音楽にせよ建築にせよ、文芸はもちろんのこと、哀しみが漂う。漂う哀しみをくだらないと感じたら、しばらく撤退する。まあ、それはそれで楽しもう、という気になったら、まあ、それはそれで…
2012年10月27日
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不自然なことをすると気分が崩れる。何が不自然なのか知るには、ときに間を置いて注意深くしていなくては…習慣に流されるのも不自然なことだ。いま乗ってるバスに乗るのもあと4か月、と思うと、うれしい。ヘルシンキには、この携帯を「電波OFFモード」にして、メモ用、写真用に持って行こう。それにしてもバスの窓からの日射しが眩しい。
2012年10月26日
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電車の中、携帯で「30分の試み」をしている。携帯を使うことをこれまで思いつかなかった。いろんなことがそうだけど、思いついてみれば、どうしてこれまで思いつかなかったのか、と訝しむ。ところで、手持ちのカードのうち、魅力的なカードの残りが少ない。おそらく、使い損ねたカードを少なからず握っているのだろう。まあ、いまさらほんとに使い損ねたのかどうか、わからないけど。それにしても、特急列車での過ごし方、および「閉じこもらなくてはならない、ソファーとパソコンのあるひとり部屋」での過ごし方が、妙に上手になってきた。よろこばしいことだ。
2012年10月25日
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「30分の試み」を始めてから5週間くらいになるけど、5週間で35回ということは、週に7回、ということは、平均して毎日、ということになる。でもな、「平均して毎日」というのは考えてみれば、というか、計算してみれば変なもので、たとえばあなたが年に1日だけ数学書を365ページほど読めば、「今年、あなたは平均して、毎日1ページ数学書を読んだ」ということになる。
2012年10月25日
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ひさしぶりに外食して思ったのは、自炊での味付けをゆずポンと粗挽き黒こしょうだけにしていると、それ以外の調味料がすべからく、濃い過ぎに感じてしまう。同じことの繰り返しはつまらない、と言うけれど、同じことをきちんと繰り返そうとまじめに試みていると、自然と変化して同じではなくなってゆくなり、自然と崩壊してゆく。同じことをきちんと繰り返そうとまじめに試みてみないと、崩壊するはずのものがぐずぐず長引いてしまうような気が…
2012年10月25日
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毎日、時間制限の中で生きている。いずれ食事するし、洗面風呂、いずれ寝るまでの時間制限の中、意図的であろうがなかろうが、消えてゆく。何してるの?ゆっくり走る特急電車に揺られてると心地よく眠たくなってゆく…電車でiPodを聞いてると、音量が大きくなってしまい、耳の奥が痛くなってきた…
2012年10月24日
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ちょっとした新しい試みを思いつくと、うれしくなる。 けど、冷静なら、じつのところ、ちょっとした新しい事態がいつでも起こってる、と気づく。けど、新しい事態が起こってると気づいても、疲れてると、新しい事態への新しい試みを思いつけないか、思いついても試みる気力がないから、そうしたときには、できれば横たわりたい。
2012年10月24日
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何かを知ろうとしたら、複雑に入り組んでいる。何かは単純にそこにあるのに、知ろうとして調べることで、複雑に入り組んでくる。複雑に入り組んだ微細な仕組みを知るのが楽しい、と言うのかもしれない。どうなんだか…社会の複雑な仕組みを単純に利用しようと試みる。生きる日数は限られているのだし、とりたてて知りたいわけではない。
2012年10月22日
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そもそも、走る計画をたてたところで、「夜走ろう」というのが、なかなかうまくゆかない主たる理由かもしれず、朝起きて、パンを買いに行くついでに走りたければ、走ればいい。まあ、走るというより速歩きくらいとしたって、現実味のあるのは、たぶん、朝の駆け足。そもそも、ぼくのような早寝早起きが「夜走ろう」というのがおかしい。(15分28秒…ということで、ここで中断してパンを買いに行きます)いやあ、運動して食べるのは、健康的な感じですね。
2012年10月22日
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良いことは忘れる。気になって忘れられないのは悪いこと。頭に言葉が流れていなければ、良いも悪いも、忘れるも忘れないも、無い。ところで、来年7月にフィンランドに行くのは、アアルトの建築を見たいのと、ヘルシンキでいいからフィンランドの海岸沿いを歩いてみたい。そうすると、再来年は、ヘルシンキから離れた場所の海岸沿いを歩いてみたいと思うかもしれない。思わないかもしれない。そうすると、そのあと何をしたいと思うのだろう?ところで、あした起きたらパンを買いに行こうと思う。これは良いこと、と思う。頭に言葉が流れていなければ、良いも悪いも、思うも思わないも、無い。「頭に言葉が流れていない」状態にならなくても、頭に言葉を流さないよう試みる時間を毎日、いくらかでも、食事や睡眠があたりまえであるように持つなら、良いこと、と思う。
2012年10月21日
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屋根があるのはまん中の部屋だけだ。まんなかの部屋を三方から取り囲む、屋根の無い3つの部屋のうち、ひとつは「俳優(女)の部屋」ひとつは「俳優(男)の部屋」僕はもうひとつの、「旅人の部屋」へ降りることにする。(「俳優(女)の部屋」もしくは「俳優(男)の部屋」に降りると、水に浮く舞台のバランスがいよいよ崩れ、転覆するかもしれない)
2012年10月21日
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「夜、走りたい」と思っても、働いてるとなかなかうまくはゆかない。あなたにとって可能な行為なら、走りたければ、工夫はできる。わたしはどうなんだろう?走りたければ走ればいいのに。走りたいわたしは人間である。人間の形態で移動するしかない。人間の建物は、人間の形に合わせて作られる。人間の感覚が捉える世界に人間は捉えられる。
2012年10月20日
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目的というのを作るとき、何かの比喩であるかのようなつもりで「目的」を仮に作ってみる。
2012年10月19日
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「20割る5は4」という文の一部を抜き出すと、「5は4」「20割る5は4」とAさんが言った。BさんがAさんの発言の一部を引用して、「Aさんの発言を引用させていただきますと、5は4、とAさんはおっしゃっているわけですが、どう思われます?」と言って非難する。
2012年10月19日
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ふと思うのは、わたしがAさんから(わたしにとって)好ましい態度やいやな態度を受け取るなら、そういうのは「わたしがこれまで関わってきた人らとの関係の報い」というのだけでなく、「Aさんがこれまで関わってきた(わたしの知らない)人らとの関係の報い」というのが影響しているのだろう。Aさんがわたしに優しい(厳しい)のは、Aさんが誰かに優しく(厳しく)されたときの状況を、Aさんがわたしといるときにふと(思いがけず)思い出したからかもしれない。ところで話は変わって、いま、携帯に留守電が入ってるのに気づいて伝言を聞いてみると、人(番号)まちがいだったけど、「アコム」からのネット申し込みに関する確認の電話だった。まちがいではなく、でたらめな番号をネットに打ち込む、という「アコム」への嫌がらせか、それともぼくの番号を知ってて…うーん、でも、これではぼくへのイタズラとしてはたいしたイタズラにならないしなあ…ところで、30分のなかにこういう話を入れるのはどうも、とも思うけど、まあね、つまらないルールは作らず、いろんな30分の試みがあればいいのだろう。
2012年10月18日
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町山智浩さんの映画解説です。町山さんの映画解説はとてもおもしろい(ことが多い)のですが、解説を聞いても映画を見てみようとは(個人的には)あまり思えないことが多いのですが、これは、ひさしぶりに、町山さんの解説を聞いて、映画館へ行こう(近日公開)と思いました。iTunes を開き、iTunes Store で「たまむすび10月16日(火)たいしたたま」で検索し、無料購入してください。ただし、数日後にはiTunes Storeから外されます。いちおう、ここでも聞けるようにしておきます。アルゴ/町山智浩さんの映画解説(クリックしてね)ただし、これも数日後には聞けなくなります。■その後この番組は、iTunesではもう聞けませんが、同じ録音が(いまのところ)YouTubeで聞けますので、紹介します。アルゴ(町山智浩さんの解説)(クリックしてね)映画も見ましたが、(個人的には)町山さんの解説のほうがおもしろかったです。映画を見て、いくらなんでもこれほど多くの間一髪の連続はないだろうから、映画をおもしろくするための脚色だろうと思っていましたが、Kindleで原作の翻訳本を読んでみたら、やはり映画のような極端な間一髪ではありませんでした。個人的には、映画より本(Kindle)の「アルゴ」のほうがおもしろかったです。
2012年10月18日
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「30分の試み」は、心地よい30分を与えてくれる。雨の音が立体的に降っている。
2012年10月17日
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意味とか価値というのは、社会のゲームが生み出すのだろう。衣食住に困らない人間が、いや、たとえ困ってても、ゲームなしで生きようとしたって、生まれた時から巻き込まれてるゲームからいまさら抜けようとしたって、生き苦しくなるだろう。でも、こんなゲームに巻き込まれたくない、と感じたなら…うーん、この感じはかなりな人が感じるような気がする…ゲームから遠ざかる方法で、しかも現実味のある方法が思いつけないのかも…たとえば、ゲームに強く巻き込まれてる人にはできるだけ関わらないようにするとか…まあね、日に何回かは、「頭に言葉や映像や音楽を流さないよう試みる」時間を持つとか…
2012年10月17日
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「したいこと」といま思っていることで、あとからしよう、とか、いつかきっとしよう、とか後回しにできるくらいのことなら、「したいこと」をしたところで、一瞬感動したところで、言うほどたいしたことではなかったな、という確認ができたくらいの気分になれるくらいのものだろう。時計の秒針を見る。時間が飛ぶ。歯磨きが邪魔くさいからといって、邪魔くさいことは先に済ませてしまおうと、食事前に歯を磨いたってだめだというのは、理屈ではわかるのだが、最近、実感としてはあまりよくわからなくなってきている。猫の声がする。鳥の声もしているような気もするが、どうも聞き取れない。
2012年10月15日
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「考える」という言葉と「考えるという現象」とは別である。「雨ふり」という言葉と「雨ふりという現象」とは別である。「現象」という言葉と「現象という言葉で言い表そうとしている何か」とは別である。このことの実感は自由な感覚をもたらす。何であれ、言葉を使わず捉えようとするときの恍惚感。そうだ、この感じは自由というより、恍惚感。上記のことと関係ないけど、ふと、「地球とは別の場所をいくら歩いても、地球を歩いたことにはならない」と浮かぶ。砂浜とは別の場所をいくら歩いても、砂浜を歩いたことにはならない。
2012年10月14日
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人間が宇宙とみなしているもの、生身とかさまざまな器具を通して知覚できる現象から予測して、物質だとか生命だとか未知の何かだとか、みなしているもの、それらは、人間の知覚や認識によって予測できる範囲にしかない。人間が知覚できない何かにとっての宇宙は、それはもう、「人間が宇宙とみなしうるもの」からは予測できない。だから?こうしたことの実感というか、せめて気配を感じることは、「自由」をもたらすように感じる。だから?「自由」を感じることは良いことだと感じる。ところで、いまみたいに昼食に、コンビニの添加物だらけの菓子パンを週3回食べてる食生活が、来年3月から改まるのはうれしい。
2012年10月13日
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文字にしようと思えることが浮かばないのも、それはそれで、書かなくてもいいとなると、心地よい。ここでたまたま書かれたものより、こうしている30分を楽しんでいる。呼吸を楽しむように。
2012年10月12日
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閉じこもって「考える」と「考えない」をくりかえしている。閉じこもっているのは、そういう状況なのでしようがない。閉じこもらなくてはならない状況については、来年3月からはずいぶん減る予定なので、そうすると散歩が増えるのはうれしいことだ。
2012年10月11日
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とりたてて何かを書こうとして、とりたててみたら何もない。木の葉が雲の下で揺れる。いや、それは、ちがうな…食べたら、眠くなる。年取ってからの旅行は疲れやすいだろう。それでもくりかえそうとするかどうかはわからない。小さな行動範囲のほうがいいと思うのかもしれない。昼寝しやすいし、アマゾンとかiTunesとかあるし。
2012年10月11日
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99%うまくゆくと予想したことが失敗したとしたら、たまたま運悪く1%になったとは予想しにくいから、「99%うまくゆく」という予想がまちがっていたと予想してしまう。これから残りの人生にしたって、これまでの手持ちのカードを眺めて、まあ、こういうところだろうと予想する。だけど、カードはいつのまにやら見たこともないカードにすり替わっているし、持っていたはずのカードを探してみたらいつのまにやら手元に無い。そのかわりといってはなんだが、手に入れたつもりのないカードが紛れこんでいたり、手放したかったカードを知らぬ間に抜き取ってくれていたりもする。しかし、宝くじの高額当選は99.99…%しないと思う。しかし、0.00…%当たると思う。とりあえず、台所の穴をそうじしようと思う。
2012年10月08日
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これは中学のときに同級生に教えてもらったカエルです。
2012年10月07日
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しつこく指さす天井のまん中へ足をずらしていって腰を少し落とすと、宙ではなく、ガラス板を踏んだ。(これは三角でないガラスです) 混乱はおさまった。天井のまんなか四分の一にだけ透明な屋根があるのだった。4つの三角柱の部屋が組み合わされた舞台の、まんなかの三角柱にだけ三角形のガラスの屋根がのっている。三角形の床穴の、縁をつかみつつ僕は、用心深くガラスの屋根に立つ。
2012年10月07日
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死ぬときになって考えてみれば、べつにしなくてもよかったことばかりをしているんだろう。ただ、死ぬときのほうがいまより重要なわけじゃないだろうから、しなくていいと思えることはしない、というだけではちょっと…
2012年10月06日
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流れ星の大きさは、0.何ミリとか、それどころか0.0何ミリとか、1センチくらいとか、せいぜい数センチらしい!知らなかったので驚いた。はじめてのことは驚くので、若いと驚きやすい。じつは、いま起こっていることはつねにはじめてなので、驚く心構えがあれば驚きやすいだろう。どうせ同じことの繰り返しと思うよりは、楽しめる。「言葉が幻である」ということと「存在が幻である」ということとは何が異なるのだろう?「幻と感じる時間」と「時間など無い」と感じることと…
2012年10月05日
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10代や20代で、これこそが生きている間に自分がやりたいことだ、と確信して職業なり生活様式なり迷わず決めたところで、40才なり50才なり60になって、これはどうもちがうぞ、ということになって…でも、まあ、そんなものなんだろう、とも思う。そのときそのとき、いったい何が起こってるんだろうと不思議がり、ほんとうにやりたいことなら考えるまもなく乗り出している。まずは船を出して、それから考えるのだろう。したいことが何も思いつかなければ、「頭に言葉や映像を流さず、沈黙する」に乗り出せばいい。ただ、沈黙するのと眠るのとはちがうので、眠かったり疲れていたりすると、沈黙は困難になるので、そんなときには、眠るか横たわればいい。
2012年10月03日
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「各自が特殊な時代、特殊な地域、特殊な環境で生きている」というのがあたりまえに思えるのは、人間の立場に立つのがあたりまえに思え、人間にとっての「時代」や「場所」があたりまえなので、だから、人間であることを特殊だと感じれば、世界は微笑む。「各自が特殊な状況で生きている私」が「存在(不在)の微笑み」に溶けて、おなかがすいたり、ねむくなったりする。
2012年10月01日
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