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(いかにして神と出会うか:p174:クリシュナムルティ:めるくまーる)より引用(のようなもの)『訓練とは学ぶことである。 訓練(discipline)という言葉は、弟子(disciple)という言葉からきている。 弟子とは学ぶためにいる。誰から学ぶかというと、師から学ぶわけだが、どこか別のところに師がいるわけではない。 もし学ぼうとするなら、あなたじしんが師であり、あなたじしんが弟子である。 学ぶ行為そのものから、それじしんの秩序が生まれる』■それにしても、「いかにして神と出会うか」という日本語の題名はひどい !そもそも、クリシュナムルティは、「いかにして神と出会うか」などと追求してはいけない、とくりかえし語っているのだし、そもそも、原題はたんに「ON GOD」である。
2014年01月29日
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どういうときに、考えてもしかたがないこと(考える必要がないと思われること)を考えはじめているかと考えると、ぼんやりしているときである。ぼんやりしていると、ついつい、ぼんやり考えはじめてしまう。ぼんやり考えはじめるとき、いったい何を考えるかというと、いわゆるとりとめのないことであり、とりとめのないことのなかには、考えてもしかたがないこと(考える必要がないと思われること)がたくさんふくまれている。だから、そもそものはじめに、ぼんやりして、ついつい、ぼんやり考えはじめたのがまちがいの元であった。ということは、『できるだけ、ぼんやりしないこと』
2014年01月27日
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(構造主義科学論の冒険:p16:池田清彦(著):講談社学術文庫)より引用『科学は不変の同一性の追求ですが、観察可能なものは不変の同一性にはなりえないので、外部世界に不変の同一性を担(にな)う実体があるとする構図は、この実体とおぼしきものが観察可能になれば、必ず破綻(はたん)します。』
2014年01月27日
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まったく同じ形の部品4つが組み合わさってできているパズルです。キャストパズルには、よくもまあこんなパズルを思いつくものだと感心する作品がたくさんありますが、この「キャスト ラトル」は、まったく同じ4つの、わりとシンプルな形の部品が組み合わさったパズルなのですが、なんと言うか、感心を通りこえて、こんなパズルを作るだなんて、ほんとに尊敬してしまいます。アマゾンでいまのところ、691円(税送料込み)です。
2014年01月26日
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「ラジオ版 学問ノススメ」で立花隆さんが出演(2014年1月分)されているのですが、(個人的には)つまらなくて、45分ほどの番組だったのですが、早送りして途中で停めてちょっとだけ聞いては又早送りして、ぜんぶで3分ほどだけ聞いたのですが、たまたま耳に入ったのが、『人生というのを自由じかんでとらえると、60才くらいで引退する日本人男性の平均では、引退するまでの人生での自由じかんの合計と、引退してからの自由じかんの合計はだいたい同じなので、60才くらいが人生の折り返し地点である』というようなことを話されていて、ここだけは(というか、ほとんどの話をスキップして聞いておらず、ここのところをたまたまスキップせず聞いたわけですが)おもしろい考え方だなあと思い、印象的でした。ラジオ版 学問ノススメ Special Edition(クリックしてね)に関しては、いろんな人が出演されてて、いまのところ224回分の放送が無料で聞けるのですが、いくつもおもしろい放送があるのですが(ぜんぶ無料です)、個人的には村山斉さんの宇宙の話(2011年8月分)が、いっとうのお気に入りです。
2014年01月25日
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じぶんでそのときどきで決めた暮らしのじかんの配分を守ろうとした方がうまくゆく理由のうちで大きいのは、好きなようにしていいことにして放っておいたら、私の場合は、運動とか散歩とか外出とかしなくなって、そうすると、そのときは好きなことをして調子いいように感じるけど、あとになって体を動かしていなかったことがあだになって、身心がよどんでしまう。
2014年01月24日
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どのような状況も消えゆくのであれば、状況のなりゆきもまた、消えゆく。あなたの身心という有限の現象にとっての有限の出来事だけが起こっている。わたしという現象はせっかく与えられたまったくありえないような奇跡なのだから、ムダ使いしないように。
2014年01月23日
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昔のいすを裏返す10年前から同じ位置にすわり10年後のノートの影が映る未来の窓ガラスに映る椅子に別の姿がすわっている椅子の背後から昔のノートを教わる未来の椅子を裏返す
2014年01月23日
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ストローの中にガラス玉を入れて未来から見える過去をうらなうガラス玉に刻まれたサイコロを転がす未来の角度の変化で確率は変わるストローの中を転がるガラス玉に写ったサイコロの目は入れかわり変化する過去の画面 そいつが新しい目に移り良い目になり 悪い目になり新しい目のあなたは新呼吸してストローを遠く吸いこむあなたの変化した過去の目を覗きこむ
2014年01月22日
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「思考を落とそうと試みる」ことの目的は、思考を落とすことではない。たんに思考を落とすだけなら、気絶すればいい。もっと言えば、死ねばいい。「思考を落とそうと試みる」ことの目的は、(どういう仕組みでそうなるのかよくわからないけど)身心にエネルギーがひろがり、生き生きとうっとり生きる可能性をひろげることだろう。ようするに、元気になるのである。仕組みとしては、まあ、身心自体が作るある種の自家麻薬物質のようなものが身心にひろがる、みたいな感じだとは推測するけど…
2014年01月22日
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これは、水たまりに映った窓や壁や草の写真(「Flickr: Explore interesting photos from the last 7 days」からの引用)なのですが、拡大写真(↓)で見ると、水たまりに映った映像がこんなにくっきりしているなんて、信じられないくらいです。スゴイです。拡大写真の快楽(クリックしてね)
2014年01月19日
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ひびのはいったアスファルトいやな排気ガスのにおいしてお気に入りの安っぽいぺらぺらの風マスクしてさて、昼ごはん、何にしよう?街は明るい雨もようおなかはたっぷりすいてきて湿っ気と空腹感と賑やかな雲足裏がほほえむ
2014年01月18日
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(子供たちとの対話:p42:クリシュナムルティ(著):平河出版社)より引用(のようなもの)『あなたが美しい樹や花や鳥や風や光にふいに出会うとき、恥ずかしくはないですか? ちょっとぎこちなくなって、立ちつくしたくならないですか? つまり、自意識とは異なる恥ずかしさがあって、それは優しさなのです。』
2014年01月18日
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終わりに向けての計算式 もしくは 人生の無限方程式たったいちどしか生きないのだから残りの日数は有限なのだからきちんと計算して誰のためでもなく私のためでもなく命のためでもなく何のためでもなく冷静に うっとり 計算して何も求めずただいちどの残りの日 うっとり生きたい
2014年01月17日
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過去のとある「出来事A」について、Bさんがどう思っているかを推測するとき、「私およびBさんの現在の状況」が推測に影響を与えるばかりでなく、現在の私およびBさんから見た「私およびBさんの別の過去の出来事たち」と「出来事A」との関係もまた、推測に影響を与える。
2014年01月17日
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AとBとを比較するとき、Aのなかの多数の要素のうちのひとつの要素と、Bのなかの多数の要素のうちのひとつの要素とを同種の物事とみなして(しかも、比較する人C が同種の物事とみなしているにすぎなかったりもする)比較し、何かしら判断してしまう。
2014年01月17日
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思考を深めるというのは、どうせ思考は先入観、思いこみによって作られているにせよ、その人にとって、より納得のゆく先入観を取り入れてゆく、ということだろう。
2014年01月17日
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とつぜんの空間に、いる。 ぐらついている じゅうぶんに餌を与えない せい なのか 風が こわ れてとつぜんの空間から外される
2014年01月16日
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「よどんだ場」へ自ら出向かないようにする。「よどんだ場」に入ってしまっていると気づいたなら、すみやかに抜け出そうとする。「よどんだ場」が近づいてきたなら、避けようとする。「よどんだ場」につかまったなら、逃げようとし、逃げられなかったなら、そこからは個別の対策になる。■日々、あるていどのじかん、思考を落とそうと試みる。できるだけ、ぼんやり過ごさない。自分の行為・認識をあたりまえだとみなさない。生きているのはつねに不思議な状況だと、確認しつづける。
2014年01月16日
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. ゆらめく時刻生きてるって よくわからないまま不思議な感じ ここちよくって何かしら くりかえしてる窓の外は雪なのに部屋の中 雪は降り積もらないまま気温は不思議なくりかえし言葉はあやういまま組み立てては 流れて 溶けて見ることもない
2014年01月14日
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(イヤミ)赤塚不二夫さんは、トニー谷さんをモデルにして、漫画「おそ松くん」に出てくるキャラクターの、イヤミを描いたそうです。(トニー谷さん)村上春樹さんは、トニー谷さんをモデルにして、短編小説「トニー滝谷」のトニー滝谷の父親を書いていると思われます。トニー谷さんは1987年7月に亡くなられています。大滝詠一さんのラジオ番組トニー谷大特集(クリックしてね)は1987年8月に放送されています。村上春樹さんは短編小説「トニー滝谷」を1990年に書いています。トニー谷さんの本名は大谷正太郎です。小説「トニー滝谷」で、トニー谷をモデルにしていると思われる、トニー滝谷の父親の名は滝谷省三郎です。トニー谷さんの本名は「谷」ではなく「大谷」です。大谷 ⇒ 谷 ⇒ タニー ⇒ トニー(クラブで外人から呼ばれたあだ名)⇒ トニー谷トニー谷 ⇒ 本名が大谷 ⇒ 大滝と大谷を合わせて大滝大谷 ⇒ 大滝谷トニー滝谷はトニー谷の息子なので、「大」を外して、トニー滝谷トニー滝谷の父親 ⇒ トニー大滝谷 ⇒ トニー谷+大滝というようなわけで、(勝手に)推測するに、村上さんは大滝さんの「トニー谷大特集」を聞いて「トニー滝谷」という題名を思いついたのだと(勝手に)推測します。
2014年01月14日
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66才男性のちょっとした知り合いが、最近急に歯茎が腫れてきて、まあ、痛くもないし、炎症というか熱もないし、ある程度腫れてそれ以上は腫れないけど気になると言うので、歯科受診をすすめたところ、なんと、おどろいたことに、「新しい歯が生えてきた」らしい!
2014年01月14日
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計画どおり(クリックしてね)、大滝詠一さんのラジオ番組をあれこれ、(主にYouTubeで)合計24じかん聞きました。大滝詠一さんがお亡くなりになった大晦日から、毎日だいたい2時間以上聞いていたことになります。おもしろかったです。(個人的には、「日本ポップス伝2」がおすすめです)聞いてて気づいたことのひとつに、村上春樹さんが大滝詠一さんのとあるラジオ番組を聞いて意識して書いたにちがいないと思われる(まちがってるかもしれませんけど)短編小説があると思われ、それについて、ある程度もうちょっと調べてから、書こうと思います。さて、次の「24じかんの試み」は何にしよう?そういえば最近、詩(何が詩なのかよくわからないけど、ぼくが詩のようなものとみなしているものをとりあえず、ぼくは詩と呼ぶわけですけど)を書いていないので(古いパソコンが壊れたとき、中に入ってた、多数の詩のようなものは消えてしまったのだけれど)、書こうとしてみてひとつもできなくたっていいから、とりあえず合計24じかん、詩を書こうと試みるじかんを楽しんでみよう。
2014年01月12日
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散歩ついでに、立ち並ぶマンション群の隙間を徘徊してたら、とあるマンションの出入口に、「エントランスで立ち止まらないでください。 予告なく警察に通報します。」という立て看板があった。おどろいた。
2014年01月11日
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いずれにせよ、限定された身心で生きているのだから、生きている間は、もどる身心がある。だから、生きているからには、いくら神秘を感じようと、すべからく身心の状態である。そして、こうした考えもまた考えなのだからと考え、「思考を落とそうと試みる」のは、身心をととのえるためのすぐれた方法なのだと思う。
2014年01月11日
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「それはそうと、そろそろ…」「え?」「そろそろ、おはなし、してくれない?」「どんな?」「ほら、あの、公園の水飲み場からはじまるおはなし」「え? いったい何の話?」ということで、気づいたら、口の中の水にむせそうになる。
2014年01月11日
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変化させたいことがあって、しかも私が変化させることができることなのだけれども、今すぐには変化に向けて行動することができず、時期が来るまで待たなくてはならない状況のときには、待つしかないのだけれども、待つしかないのだからじたばた考えずに待つべきだと身心が納得するのが困難なときがあるのはどうしてだろう?もしかして、ここで扱っている「待つ」というのは行為ではなく判断なのに、「待っている」という行為にすりかえてとらえてしまうという罠にはまりやすいぼくの性格のせいかもしれない。「待つ」という判断は単純だけれども、「待っている」という行為/認識は、今の状況に影を落とす。
2014年01月10日
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人間は哀れだ、と思うのはどうしてだろう?人の一瞬ごとは哀れではないけれど、「人生という物語」「人類の歴史という物語」が、すべからく哀れなんだろう。
2014年01月09日
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「A」が何であれ、「A」という言葉/文章を使わずに「A」そのもの(?)をとらえようとしたときの感覚を、たとえば「空(くう)」という表現で呼んだりもするのだろうけれど、もっとわかりやすい表現があるのではなかろうか?たとえば、どうなんだろう、「A」という言葉/表現を使わずに「A」そのもの(?)をとらえようとしたときの感覚を言葉にすれば、「あるエネルギーの気配」はどうだろう?しょせん言葉だけれども、けれどもなお…
2014年01月08日
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いちど、「私」のおはなしを、理想の最期からふりかえってみよう。人生という物語の最期の理想としては、理想としては、最期は、存在の光にときめきつつ、光と心中する。ということは、存在と心中する最期に向けて、うっとりして暮らすよう、日常を導いてゆかなくては…
2014年01月04日
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何でもいいから選んだ何か特定のことに24じかん使う、というのを思いついた。期限はなし。合計24じかんになるまで、平均して日に1時間なら24日、30分なら48日、10分なら144日、特定の何か、してみる。ということで、まず手始めに、今日から(きのうの分とおとついの分は除く)、大滝詠一さんのラジオ番組を YouTube なりなんなりで、合計24じかんになるまで聞いてみよう。それにしても、「日に合計2じかんくらい体を動かさずに思考を落とそうと試み、2じかんくらい外出する」というのは、(個人的には)かなり有効な生活方式だと感じる。[24じかん勉強]のようなことを思いつくといった意欲も出現する。
2014年01月02日
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きのう、大滝詠一さんが亡くなられて、ふと、内田樹さん等が絶賛されてる、大滝詠一さんのラジオ番組「日本ポップス伝」を聞く気になって検索してみました。いまのところ、ニコニコ動画で(無料登録が必要です)パソコンで聞くことはできますが、寝ころんでiPodで聞こうとしたところ、iPodだとニコニコ動画の有料会員でないと(いまのところ)聞けません。(スマホだと聞けるのかもしれませんが、わかりません)どうしようか、ふとんの横にパソコンを持っていこうか、と迷っていたら、「日本ポップス伝」の数年後に「日本ポップス伝 2」が放送されているのに気づきました。そして、iPodで「日本ポップス伝 2」で検索して見つけた『大瀧詠一「日本ポップス伝 2」Part-1』を寝ころびつつ聞きはじめたら、これがめちゃくちゃおもしろくって、☆☆☆☆☆気づいたら年を越していました。どういうわけか Part-3 だけは(いまのところ)iPodでは聞けないみたいなので、Part-3 はパソコンで聞くことになるでしょう。■2024年11月14日現在いまのところ(2024年11月14日)、YouTubeで聞けます。日本ポップス伝2(クリックしてね)おすすめです。
2014年01月01日
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