[Stockholm syndrome]...be no-w-here

2022.07.21
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確か、随分前にEテレ『 地球ドラマチック 』で紹介されたエピソードだったと思うが、先日YouTubeのBBCチャンネルで映像が公開されているのを見付けたので、改めて書いてみたくなった。

それは、本物そっくりに作られた観察用ロボットを使い、ハヌマンラングールと呼ばれるオナガザルの一種を撮影していた時の事だ。
子育て中のメスの一匹が、設置された子ザル型ロボットに興味を示し、抱きかかえて木の上に連れて行ったのだが、この時に誤ってロボットを落としてしまう。
その衝撃で壊れたのか、ロボットは動かなくなってしまった。
と、ここで思いもよらない事が起きる。


動かなくなった子ザル(ロボット)の周りに次々と仲間が集まり、子ザルを取り囲んだのだ。
ハヌマンラングール達が取ったこの行動は、僕にはかなり衝撃だった。
子ザルを取り囲む彼らの姿が、さながら葬儀のように見えたからだ。
動物にも感情がある事は分かっていたが、死者に対してここまではっきりした哀悼の態度を示すとは思いもしなかった。

勿論、こうした行動から直ぐに「動物達は『死』を理解していて悲しんでいる」と結論付けるのは性急だ。
しかし、「生体反応が無くなった(=死んだ)家族や仲間を前にして、動物達の中に何らかの感情が湧き上がり、その結果、普段とは違う行動パターンを示した」と考えるのはあり得ない話ではない。

では、産後間もなく死んだ我が子に対し、アシカとペンギンの母親が見せた行動はどうだろう。



戸惑うように泣き叫んでいるから悲しんでいると考えるのは、人間の勝手な思い込みだろうか。
しかし、この姿を見て勘違いするなという方が無理ではないだろうか。
特に、家族や仲間の突然死に対する感情は、動物も人間も違いが無いように見える。
動物と人間の本能には、果たしてどれ程の差違があるというのか。

以前も紹介したが、現在の脳科学の研究では、人間の感情や思考、行動は、脳内で分泌されるドーパミンやオキシトシンといった神経伝達物質の働きが大きく作用している事が分かって来ている。
また、人間が日常的に行っている意思決定のほとんどは、意識ではなく無意識(=本能)が司(つかさど)っているとも言われる。

僕達は別に、誰かが死んだから「悲しもう」とか「涙を流そう」と思って、そうする訳ではない。
そうした感情は死者を前に自然と込み上げて来るものであり、自分ではどうにもならないものだ。
(勿論、悲しくないフリをしたり涙を堪える事はできるが、それは悲しいという感情が湧いて来たからこその反応であり、感情そのものを否定する事はできない)

ならば、死者を前にした時、僕達の内に湧き上がって来る感情も、そもそも本能に由来していると考えるべきではないだろうか。
当然、本能は動物にも備わっている。
寧ろ、そうした本能が動物に備わっているからこそ、人間もまた同じように死者を悼むと考えた方が、進化の過程からしても辻褄が合うのではないか。
そして、そのように湧き上がって来た感情や態度を、人間の祖先は「悲しみ」と名付けたのだ。

こうした事例から推察した結果、「人間は死という概念を理解したから、他者の死を悲しむようになった」のではなく、「動物には元々本能として悲しいという感情があり、人間はその感情から思索を重ねた結果、死という概念に辿り着いた」と、僕は考えるようになった。
科学的な解明はまだまだ先になりそうだが、いつか僕の持論が証明される事を願っている。



詳しく知りたい方は、ニュースサイト【カラパイア】のこちらの記事を参照。
サルはその死を悲しみ、プレーリードッグは仲間として情愛を示す
動物は仲間の死を悲しむのか?それを科学的に解明することは可能なのか?

以前に僕が書いた、死と埋葬に関する考察についてはこちら。
「埋葬」から見えて来るもの





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Last updated  2022.07.23 19:47:48
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