[Stockholm syndrome]...be no-w-here

2022.07.29
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カテゴリ: 宝塚
コロナ禍の煽りを再び受け、来週火曜日までの公演が中止になってしまったため、とりあえず先日観劇した限りでの感想を書こうと思う。

同じ禁酒法時代のニューヨークを舞台にした雪組【ONCE UPON A TIME IN AMERICA】では赤い薔薇が効果的に用いられていたが、今回の【グレート・ギャツビー】では白い薔薇が全編を通して使われている。
白い薔薇の花言葉は「純粋」「私はあなたにふさわしい」「深い尊敬」「相思相愛」。
(因みに、赤い薔薇は「情熱」「愛情」「美」)

劇中、ギャツビーの差し出す薔薇の花束を、デイジーがいつも1本しか受け取らない事が不思議だったのだが、原作小説の中でニックが「ギャツビー、君に比べたら連中は下らないよ。束になっても君には敵わない」と言う場面があると知り、何となく腑に落ちた。
(ニックを演じる風間柚乃がこの台詞を口にしていたかは、ちょっと記憶に無い…失礼)
恐らく、あの白い薔薇はギャツビーの純粋さの象徴であり、小池修一郎はこの「束」と「1本」の差で、ギャツビーの想いが他の人間と比べてどれほど純粋か、どれだけ一途かを間接的に表現したかったのではないだろうか。
そう解釈すると、公式HPのトップ画像に飾られた薔薇にも、きちんと意味があった事に気付く。
(まあ、真に驚くべきは、その薔薇にも勝ってしまう月城かなとの美しさだが…笑)



そして、もう一つ象徴的なのが「神の眼」だろう。
前回の感想でも書いたが、本作の登場人物達には誰もが大なり小なり表と裏があり、他人に知られたくない嘘や罪を抱えて生きている。
しかし、神はまるであの看板の絵のようにただ黙って見ているだけで、何もしようとしない。

それは、観客も同じである。
観客は全てを見て全てを知りながら、誰一人として裁く事はできない。
ただ黙ってジェイ・ギャツビーを巡る物語、そこで起きる人生の不条理を見届けるだけである。
そう考えると、「神の眼」とは同時に「観客の眼」を示唆しているようにも思う。
この舞台を観た一人ひとりが何を感じ、誰にどんな裁定を下すのか、それは観客の判断に委ねられているが、それでも物語の結末が変わる事はない…。



主人公のジェイ・ギャツビーを演じる月城かなとは、スーツの着こなし、男の余裕と哀愁、愛する女性への純情と、男役の持てる魅力を余す事なく体現していた。
特に、今回は歌声から感じる男の色気が、これまで以上に深まっているように感じた。
礼真琴も2作目【ロミオとジュリエット】で圧倒的な存在感を見せ付けたが、月城も本作で既にトップスターとしての貫禄を身に付けつつある。
その成長と共に、これから彼女がどんな月組を作り上げるのか楽しみだ。

裏社会で成り上がり富と地位を手にしたギャツビーに対し、表社会を真っ当に生きて来たにも拘わらず何一つ報われないのが、光月るう演じるジョージ・ウィルソンである。
この2人は「持つ者と持たざる者」「ジャズ・エイジの光と影」として対照的に描かれる一方で、互いに望むものが「ただ愛する女性と一緒にいたいだけ」という純粋さで共通している点も面白い。
その意味で、ウィルソンはもう1人の主人公と言って良いだろう。
(彼らを待ち受けている結末も、はっきりとそれを示唆している)

個人的には、風間柚乃がこの役だったら、一般的な【グレート・ギャツビー】のイメージとはひと味違った印象の舞台になっただろうと思う。
それだけ重要な役柄だ。
そんな影の主役を、光月はさすがの演技力で魅せた。

新人公演でウィルソン役を演じる真弘蓮には、「自分が主役に抜擢された」くらい強い気持ちで役に挑んでもらいたい。
この役は間違いなく君を成長させてくれるはずだ。
それだけに、ぜひ無事に新人公演が行われる事を願っている。

その日を信じて、今は今できる事を頑張れ!!

ありがとう!!

他のキャストに関しては、また後日。





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Last updated  2022.07.30 20:57:47


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