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2008.09.17
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カテゴリ: Movie
ジャン・マレーの自伝には触れられていなくても、マレーとの出会いについて自らの自伝に書いている著名人も少なくない。

そのうちの1人が『ロミオとジュリエット』『ブラザーサン、シスタームーン』などの映画の監督として、また著名なオペラ演出家――日本では新国立劇場での『アイーダ』やウィーン・フィルの引越公演『ドン・ジョバンニ』(小澤指揮)などの豪華な舞台装置が印象に残っている――としても知られるフランコ・ゼッフィレッリ。

『ゼッフィレッリ自伝』(創元ライブラリ、木村博江訳)によるとゼッフィレッリが初めてマレーに会ったのは1949年の夏。

このときのゼッフィレッリはルキーノ・ヴィスコンティの助手をしていたものの、まったく無名の存在。一方マレーは 「当時フランスで最も人気のあった」 (『ゼッフィレッリ自伝』より)スター。ヴィスコンティが企画していた仏・伊合作映画『貧しい恋人たち』――結局この企画はお流れとなるのだが――のための若手のフランス人俳優を探しに来たのだ。ヴィスコンティは紹介状を兼ねた手紙を3通書いてゼッフィレッリにわたしたのだが、その相手がココ・シャネル、ジャン・コクトー、ジャン・マレーだった。

ゼッフィレッリはまずジャン・マレーに電話をして、ヴィスコンティの紹介で会いたいと伝える。

「彼は連日の撮影の合い間を縫い、最高の美男子を伴って素晴らしいスポーツカーでやって来た。別れ際に彼は言った。『明日の夜、ぼくらはリドの新しいショーの初日に行く。テーブルの予約はしてあるから、一緒に来ないかい?』 私はパリについてあまり知識はなかったが、リドの初日がそのシーズンの目玉であることは知っていた」 (『ゼッフィレッリ自伝』より)

マレーが連れていた「最高の美男子」の名前は書かれていない。拙ブログの読者なら、「ジョルジュ・ライヒ?」と思うかもしれない。だが、おそらくジョルジュではない。マレーの自伝のよれば、彼とジョルジュが出会ったのは、映画『オルフェ』公開(フランスでは1950年の3月)のあと。1950年初めにはまだジョルジュ・ライヒはアメリカにいて、ブロードウェイの舞台に立っている。

さて、マレーに誘われたゼッフィレッリは、タキシードやイブニングドレスで着飾った人々の集うリドに1人でやってくる。20代半ばを過ぎたばかりの「ヴィスコンティの子飼い」の無名青年が身につけていたのは地味な紺の上着にネクタイ。当時はリドが最も格式が高かった時代で、ドアマンは安っぽい服装の若造をぞんざいに扱う。だが、
「ジャン・マレーに招かれた」
と言ったとたん、態度は急変し、すぐに中に招き入れられ、チーフウエイターが出てきて、うやうやしく舞台正面の最上の席に案内された。
「ムッシュー・マレーからお電話がありまして、少し遅くなられるそうです」
とマレーからの伝言を伝えるチーフウエイター。

場違いな服装で場違いな席に1人でいる若造は、周囲の好奇の眼にさらされる。
ショーが始まっても、マレーも彼の友人も現れない。
「あいつはどういう人間だ? どうやってあのテーブルを予約できたんだろう?」
ひそひそ声が聞えてきた。
やがてチーフウエイターが戻ってきて、マレーは仕事が終わらないので今夜は来られないと告げた。
「でも、あなた様は、ムッシュー・マレーのお客様としてゆっくりなさってくださいとのことです。明日お電話をお待ちしているとおっしゃっていました」

そこで、贅沢なショーをたった1人で(ムリヤリ)楽しむゼッフィレッリ。
自伝で本人が書いているのだから間違いないだろうと思うのだが、若いころのゼッフィレッリは金髪・碧眼のイケメンで、それゆえ遠くから憧れていたイタリア演劇界の重鎮ヴィスコンティに気に入られ、その後仕事を手伝ううちに親密になって、ローマのヴィスコンティ邸にいわば「囲われる」ようになったという。若いころのゼッフィレッリの写真は見たことがないので、残念ながら、みずから狙ったヴィスコンティを見事落とした美貌がどんなだったのか、わからない。だが、ハリウッドから役者としてのオファーが来たこともあったというから、それなりだったのだろう。

最上の席にいるそんな若者に、踊り子は身を乗り出して誘うように微笑みかけた。若者のほうもシャンパングラス越しに、応えるような表情を作って見せた。

ところが、このあととんでもない事件が起こる。それについて、興味のある方は、ゼッフィレッリの自伝を読んでいただくとして、ジャン・マレーとのその後についてだけ書くと、後日彼はマレーと再会し、マレーはリドに行けなかったことを丁寧に詫びてきた。

「彼は驚くほどやさしかった」 (『ゼッフィレッリ自伝』より)

気取りがなく、非常にやさしいというのは、マレーと出会った多くの人々が異口同音に言っている。

おかしいのはココ・シャネル。ヴィスコンティは隠していた――家に囲っていることがバレないように、ヴィスコンティは同じ仕事場に行くにも、ゼッフィレッリと一緒には出かけなかった――とはいえ、どう見たって愛人であることは一目瞭然のゼッフィレッリに、
「昔愛した人のことはいつまでも忘れられない。たとえ、裏切られても。愛が憎しみに変わるなんて嘘。怨みや怒りに変わるのよ。でも一度愛したら永久にその想いは消えないわ。相手のせいではなく、自分自身の、人生のその瞬間のせいでね。相手が誰だったのかはあまり関係なく、その瞬間はいつまでも残るの」
などと、いかにもヴィスコンティに未練たらたらのような名台詞を吐いては、彼から「ヴィスコンティ情報」をあれこれ引き出そうとする。

一方で、マレーやコクトーについてはケチョンケチョン。
「マレーなんかと付き合っちゃダメ。彼はどうしようもないヤツ」
「相手に才能があるとわかったら、彼(=コクトー)は何も忠告なんかしてくれない。彼に忠告を受けたら、そのときこそ心配すべきね」


あたかもコクトーやマレーにゼッフィレッリを近づけまいとするようなこの口の悪さは、キャロル・ヴェズヴェレールの証言とも一致する。
陰では悪口を言いながら、シャネルはマレーに、
「あなたのハウスボートに行きたい。食事に招待して」
と言って、いわば押しかけ訪問しているし(このハウスボートを「私が高く売ってあげる」とマレーに持ちかけたこともある)、1950年からコクトーが南仏に滞在するようになると、自分も訪ねて行って、フランシーヌ・ヴェズヴェレールというヨーロッパでも有数の富豪夫人をクライアントとしてゲットしている。

ゼッフィレッリに話を戻すと、彼はその後もう一度、今度はヴィスコンティとともにパリを訪れ、ジャン・マレーに会っている。そのときはココ・シャネル、イブ・モンタン、シモーヌ・シニョレも加わって、マルセル・セルダンを飛行機事故で亡くしたばかりのエディット・ピアフのコンサートに行くなど、フランスの有名人との華やかな交流を楽しんだ。

マレーに会ったころのゼッフィレッリは、「ルキーノ(=ヴィスコンティ)の愛を疑っていなかった」ので幸せだったと書いている。だが、その後2人の関係は暗転。ゼッフィレッリの心にヴィスコンティへの不信感が芽生え、それはやがて破滅的なものとなる。そして、とうとう『夏の嵐』の撮影時に、ゼッフィレッリはヴィスコンティとプライベートでの関係を解消することに決め、仕事面でも徐々に離れていき、ついには完全に独立する。そのせいか、ヴィスコンティと親しかったジャン・マレーとゼッフィレッリが仕事をすることはなかったようだ。

ゼッフィレッリとヴィスコンティの愛憎劇は、不思議なことにココ・シャネルの 「一度愛したら永久にその想いは消えない」 という言葉がすべてを表わしているようでもある。

ゼッフィレッリが耐えられなくなったのは、ヴィスコンティの傲慢な鈍感さだった。それだけではおさまらず、自分のもとを離れようとするゼッフィレッリに、ヴィスコンティはときには非常に汚い手を使って、あれこれと妨害をしかけてきた。ゼッフィレッリは長い間、ヴィスコンティのこうした残酷な仕打ちを苦々しく思ってきた。

だが、自分が仕事で大成功をおさめるにつれ、ゼッフィレッリの心境にも変化が起こる。「大ヴィスコンティがそこまで罰しようとした自分も、たいしたものじゃないか」と、むしろ名誉に思うようになったのだ。演出家として映画監督として、華々しい成功を収めたゼッフィレッリだったが、その礎を築いたのがヴィスコンティのもとであったことはまぎれもない事実だったし、自分が仕事に突っ走ってきたのも、とどのつまりは、「ルキーノのようになりたい。彼のような生活がしたい」という憧れだったことに気づく。

また一方、自身の名声がどれほど高まろうと、ゼッフィレッリはどこかで、「同時代人の中で、ヴィスコンティほど英雄の高みにまで達した演出家はいない」と誰よりもヴィスコンティの偉大さを理解していた。実は私生活での財政だけを見ると、明らかに成功をおさめたのはゼッフィレッリであり、彼は主に映画で巨万の富を築くのだが、ヴィスコンティのほうは逆に、予算を超えた大判振る舞いのために、結果としては祖先から受け継いだ遺産をかなり手放している。収支としてはマイナスだったのだ。

『ルートヴィヒ』で倒れ、車椅子生活に入ったヴィスコンティは、姉にロールスロイスを買ってくれるよう懇願したという。自分自身で買う余力はすでになかったのだ。姉は、
「メルセデスではダメなの?」
と困惑するのだが、結局は「ルキーノ・ヴィスコンティはいまだ健在だ」と世間に印象づけたいという弟の希望をかなえるために、銀のロールスロイスを買い与えている。

この前に、ゼッフィレッリのほうが一度、瀕死の重傷を負う大事故に遭っているのだが、ヴィスコンティはわざわざ見舞いに来た。ゼッフィレッリも車椅子生活に入ったヴィスコンティ邸を、息子として遇していた若い青年をともなって見舞っている。

ヴィスコンティが亡くなったときは、ゼッフィレッリは葬儀にかけつけ、棺のそばで涙にくれた。

だが、もっとも端的なゼッフィレッリの「ヴィスコンティへの愛の証し」となるエピソードは、ヴィスコンティが愛用した香水にまつわるものだろう。

ヴィスコンティはロンドンのペンハリゴンという老舗が特別な客のためだけに調合した「ハマム・ブーケ」という香水を愛用していた。

ヴィスコンティと会ってまだ2度目のとき、この香りに魅せられたゼッフィレッリは、香水の名前をヴィスコンティに聞いている。その思い出はずっとゼッフィレッリの中に残り、ヴィスコンティとの親密な関係を解消したあとも、ロンドンに行くと、ヴィスコンティのためにこの香水をお土産に買って帰っている。

1970年代の初めに「ヴィスコンティの香り」を作っていた職人が引退を決め、ペンハリゴンも一度消えかかったことがあった。それを経済的に支援して存続させたのがゼッフィレッリだったのだ。

ココ・シャネルの言った「いつまでも残るその瞬間」――ゼッフィレッリにとっては、ヴィスコンティのつけたハマム・ブーケの魅惑の香りを嗅いだ瞬間が、それだったのだろう。

そして、ゼッフィレッリは自伝の冒頭にも「人生の最大の師」の1人として、ヴィスコンティの名前を挙げ、その思い出に本を捧げている。






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最終更新日  2008.09.17 23:42:54


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