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2024.02.22
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カテゴリ: 手塚治虫


トキワ荘の住人で、早い時期に漫画からアニメーション畑に転向した鈴木伸一(現・杉並アニメーションミュージアム名誉館)。その長いキャリアについてはWikiを読んでいただくとして、彼が藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らと設立したアニメーションスタジオ「スタジオ・ゼロ」が、一度だけ、当時一世を風靡していた日本初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』の作画を請け負ったことがある。第34話「ミドロが沼」の巻だ。

今、You TUBEで手塚プロダクションにより、この「お宝」映像が限定公開されている。

https://www.youtube.com/watch?v=Zgw-jfzSXM4

どうしてお宝なのかというと、この「ミドロが沼」、藤子不二雄、石ノ森章太郎らが描いたアトムが見られるからだ。手塚治虫を追って漫画家となり、のちに押しも押されもしない大家となる面々は、手塚治虫の後を追いかけて、アニメ制作にも足を突っ込んでいた時代がある。

その様子と「ミドロが沼」のエピソードについて当事者だった鈴木伸一が語ったサイトが以下。『アニメと漫画と楽しい仲間』の出版に際してのインタビューだ。

https://www.mag2.com/p/news/583417/3

(ミドロが沼)は、スタジオ・ゼロの実質的な初仕事として手塚治虫氏から受けたものだったが、トキワ荘の漫画家たちそれぞれの作画タッチがそのまま各パートに出てしまい、手塚氏がラッシュを観て頭を抱えたという有名な逸話の詳細が本書のなかで述べられている。

「それぞれが漫画家ですからね、漫画家っていうのは癖があってこそ漫画家、癖が出てくるのが当たり前、それを考えもしないで受けて、手がないからみんなで分散してやったわけですから、当然そうなるというのは明確なんですけど……。手描きっていうのは本当によっぽど訓練しないと統一できない。だから作画監督制度というものを東映動画あたりがその後始めたわけです。ただ、当時のスタジオ・ゼロの面々は、だれもが僕より手塚先生の漫画に心酔して漫画家になった人たちだし、それを僕が直すのも失礼だし、それがそのままアニメーションになっちゃった。それがそのあと色々話題になったり面白がられたり。だから、漫画家とアニメーションというのは、本質的に違うものなんですね」


実際に見てみたら、確かに時々アトムのプロポーションや顔が明らかに変で、それが普通のアトムと混ざって出てくるからおかしくて仕方がない。

どのアトムが石ノ森アトムで、藤子不二雄アトムで…と指摘したサイトもあるので、興味のある方は検索を。

こういう手作り感のあるアニメ、今ではありえないから、返って楽しめた。

鈴木氏は手塚治虫との思い出についても触れている。



​こうした古い話から、現在のアニメーション技術の見張る進歩についても語っている。

表現しようとしているものが変わってきていますか?

「変わってきていますね。描線ひとつにしても今はもうぜんぜん綺麗で美しい。僕らの時代はまだまだそこまでいっていなかった。アニメーションがこれから拡がっていくという時代です。今アニメ界を代表するような宮崎駿さんなどもその時代にダーッと入ってきた時代。手探りでしたね」

「ただ、そういった昔のものには、今のものとは違う力強さや存在感があった気もします。今僕らがやっている個人やグループ製作のアニメでは、僕のパートでダーマトグラフ(グリースペンシル)なんかで乱暴に描いたところがみんなの評判がいい。綺麗に描くのもいいけど、『かんじ』を、それが欲しいなと思っています」

その「かんじ」とは、いったいどのようなものなのだろう。お話をうかがいながら、鈴木さんが横山隆一氏のおとぎプロにいたころのアニメ制作にヒントがあるような気がした。当時鈴木さんも他のスタッフも、絵コンテというものの存在を知らなかったとのこと。

「今考えると、よくあんなやり方でアニメーションが作れたな、と思います。横山先生が一枚さらさらとお描きになった原画を、このシーンを何枚で、というのがない状態で動きをどんどん描いていくわけです。長さはできてみないとわからない。僕はそういうもんだと思っていました、知識がなかったから」

「今やっている個人製作は自由で楽しいです、ぜんぶ一人で、グループのみんなそれぞれが自分の世界を作っている。頭の中の世界と、手の技術で」

「手探りで試行錯誤の製作、できてみないとわからない楽しさ、そこへ行っちゃうと逆にちゃんとしたアニメーションの作り方のような元に戻れない。つまんないから。そういう手作りの世界へどっぷり浸かっちゃうことになっちゃう」

技術が進歩すればするほど、ひとりの人間の力量でできる範囲は限られ、やがて作り手は大きなシステムの中の歯車になっていく。分業が細分化すればするほど、作画という作業のもつ原始的かつ根源的な楽しみが、作り手から奪われていくと言ってもいいかもしれない。鈴木氏の話しているのは、そういうことだ。

こういう日本アニメの歴史の話のできる人も、こういう「昔の」アニメ制作の楽しさを知る人も、すでにほとんどいなくなっている。鈴木氏は90歳超え。よくぞ生きて、語ってくれました。


鈴木伸一 アニメと漫画と楽しい仲間 [ 鈴木 伸一 ]





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最終更新日  2024.02.22 21:48:40


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