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手塚治虫がほとんど常に大量の仕事を抱え、その結果として必然的に、頻繁に締め切りに遅れていたのは有名な話だ。さいとうたかをがよくラジオなどで「僕は締切に遅れたことはない。
(血液型)A型だから」と話しているのをMizumizuも聞いた記憶がある。「手塚先生はよく遅れてた。B型だから」と同氏が話しているのも聞いた気がする。確かに手塚治虫の生前は血液型はB型という話が流布されていたが、実際にはどうやらA型だったらしい。
ところで、『神様の伴走者 手塚番13+2』(佐藤敏章)を読んでいて、Wikipedia(ウィキペディア)の「横山光輝」の記述が正しくないことに気づいた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%85%89%E8%BC%9D
締切に関しては非常に誠実で、『三国志』連載中は当日の朝に編集者が仕事場に行くと、玄関口に完成原稿が封筒に入れられて置かれていたという。
(引用終わり)
この話、おそらく担当した編集者から聞いた話がもとになっているのだろう。
その編集者が横山番として
『三国志』の原稿を取りにいっていた間はそうだったのかもしれないが、横山光輝がいつもいつも締切に誠実だったかというと、実はそうでもないらしい。
「ちばてつやさんとか、横山光輝さんとか、居催促常連作家の原稿取りを苦労におもわなくなったってことも(良かった点として)ありますね。」
横山光輝=
居催促「常連」作家 と言い切っているところを見ると、横山光輝が
長いキャリアの中で、
締切を守れたか守れなかったかは、あくまでその時に抱えていた仕事の量によるということだろう。少なくとも、新井氏から見た横山光輝は「締切に
関しては非常に誠実」ではなかったというのは確かだろう。
ちなみに、
『ブッダ』で手塚番になり、同時に横山光輝の担当でもあった竹尾修氏は、
『神様の伴走者 手塚番13+2』の中で、
手塚治虫は横山光輝のストーリーテラーとしての手腕を認め、
ドラマ構成のうまさを「すごい」と思っていたのではないかと語っている。
インタビューアーが「ライバル視するということは?」と尋ねると、
竹尾氏は、
「手塚先生のほうから? いや、あんまりないですね。意識されてたのは横山先生のほうだったと思いますけどね。もちろん手塚先生のほうが先輩だから、一目も二目も置いてらっしゃったけども、自分が連載している雑誌に手塚先生が加わったということで、手塚先生の存在を意識されたかもしれません。ある時、『手塚さんの存在が太陽だとすれば、自分は月で良いんだ』と、そういう表現をされたりしてましたから。手塚先生って華やかで目立つじゃないですか」と、答えている。
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