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スズ子はオファーを断って帰ろうとするとこの舞台の音楽監督を務める羽鳥善一が、彼女のために書き下ろした「コペカチータ」という歌の楽譜を差し出し、「これは君にしか歌えない不思議なリズムなんだ。棚橋さんとの共演で、また新たな扉を開いた福来スズ子が、この歌でさらに魅力を爆発させる。どうだいワクワクするだろう」と一人盛り上がった。いま断ったばかりだというスズ子の説明も聞かず、善一は「君が歌ってこそ、この舞台は完成する」タナケンも「別にいいんじゃない」と合意し、すぐに「舞台よ!踊れ!」という台本を渡されて、スズ子の女優への挑戦が始まった。*1947年(昭和22年)にリリースされた「コペカチータ」です。これは服部良一さんが書き下ろした曲で、リズムもメロディーも次々と変転していきます。スペイン風のサウンドで、構成がパッションに満ちた情熱的なオペレッタ。エキゾチックで前衛的、彼女の声質を最大限にいかした実験的野心作です。服部良一と笠置シヅ子が戦後初めて組んだのが、3月2日から4月10日、有楽座での榎本健一一座「舞台は廻る」六景(作・演出・菊田一夫)だった。昭和のはじめ、浅草で一座を旗揚げして、その後丸の内の舞台に進出、東宝の前身であるP.C.L.映画で数々の音楽喜劇映画に主演。エノケンの愛称で「喜劇王」となった榎本健一と、「スウィングの女王」笠置シヅ子は、戦前、SGD(松竹楽劇団)時代にラジオ「音楽は嬉し」で共演していたが、舞台はこのときが初共演だった。シヅ子がエノケンに会ったのは、この年の2月、「舞台は廻る」の稽古場だった。エノケンがシヅ子に言ったのは「君は歌手だから芝居はよくわからないだろうけども、君の芝居はツボがはずれている。しかしそれがまた面白い効果を出しているので改める必要はない。僕は君がどんなにツボをはずしても、どこからでも、はずしたまま突っ込んで来い」だった。シヅ子はそれを生涯忘れぬ教訓とした。「不思議なリズムだ」の歌い出しでリズムもメロディも次々と変転していく。スペイン風のサウンドで、一曲の構成がパッションに満ちた情熱的なオペレッタで、しかもジャズのイデオムである。エキゾチックで前衛的、シヅ子の声質を最大限に活かしての実験的野心作である。スウィングのリズムで始まり次々と変転、ルンバになり「クカラチャ」のフレーズがちらっと出て、南国モードに入ると「君よ知らずや」と、戦前流行のオペラ「ミニョン」の「君知るや南の国」を連想させる歌詞が心憎い。で「それはコペカチータ」となる。服部による歌詞は、常にリズムと連動し、メロディと繋がっている。で、間奏はまたタンゴになる。この不思議なリズムを「コペカチータ」という謎のフレーズでまとめ上げる。シヅ子は舞台で、この「コペカチータ」をエノケンと一緒に唄ったのだが、掛け合いのパートで、エノケンが間違えて「一つ余計に歌って」しまったことがあった。それがおかしくて、おかしくて、シヅ子は吹き出して歌えなくなってしまった。するとエノケンは「自分で間違えた責任上、ご自身も笑いたかったに違いないのですが」最後までシヅ子のパートも一人で歌った。と、笠置シヅ子は、1970(昭和45)年に榎本健一が亡くなった時に追悼文集「エノケンを偲ぶ」で回想している。
2024.01.15
伊藤有希が1・2回目とも1位、札幌で今季W杯2勝目「狙って勝てたのは初めての経験」ノルディックスキー・ワールドカップ(W杯)ジャンプ女子個人第10戦が14日、札幌市の大倉山ジャンプ競技場で行われ、伊藤有希(土屋ホーム)が124メートル50、129メートル50を飛び、計230・1点で今季のW杯2勝目を挙げた。1回目、2回目とも1位の好飛躍をマーク。2017年、自身が初めてW杯を制したのも、別会場ではあるものの札幌で行われた大会で、この日と同じ1月14日だった。「そういう日に勝つことができてうれしいし、今までの優勝はたまたま勝てた優勝。今回は狙って勝てた。これは初めての経験で、次のステップにつながる」と喜びに浸った。「地元札幌で絶対勝ちたい思いがあったので、それが出来てうれしい。2本目飛ぶ前に言われて緊張したんですけど、(1月14日が)私が初めてW杯札幌で勝った日なのでそれもあって勝てて良かった」
2024.01.14
福岡県「首羅山遺跡」、中世寺院の発展に日宋貿易担った「海商」の存在…国史跡指定10年1/13(土)中世の山林寺院跡である福岡県久山町の首羅山遺跡の国史跡指定10年を記念し、調査、研究成果を発表するシンポジウムが同町で開かれた。寺院の発展に、日本最大の貿易港だった博多と中国・宋をつないだ中国の海商の存在があることなどが報告された。 遺跡は福岡平野の東側に位置する白山(288・9メートル)の南側を中心に広がる。白山は中世に首羅山と呼ばれて天台宗や禅宗の寺として栄えた。筑前国続風土記によると最盛期の鎌倉時代には350もの僧坊があったとされる。2013年に国史跡に指定された。 昨年12月のシンポジウムでは、九州歴史資料館の井形進さんが遺跡の山頂地区に残る2基の石塔「薩摩塔」について、「日宋貿易を担った中国人・海商の信仰施設と考えられる」と紹介。遺跡の調査整備指導委員会委員長を務める九州大の伊藤幸司教授(日本中世史)は、と指摘した。 パネルディスカッションでは久山町教育委員会教育課の江上智恵課長が、中世博多の港湾施設遺構「博多遺跡」(福岡市博多区)に残る護岸とされる石積みに着目し、「首羅山遺跡で確認されている石垣と面をそろえた積み方などが似ている」と述べた。博多遺跡の石積みは宋人が築いたとされ、首羅山も宋人の技術や経済力を背景に発展したことがうかがわれるという。 現在、山頂地区では発掘調査が進んでいる。これまで土地の使われ方などが不明だったが、建物の柱跡の可能性がある遺構が見つかっているという。
2024.01.13
食と栄養「落花生」 身近な食材で心疾患予防【元気+らいふ】栄養成分 栄養素は脂質が約50%を占め、そのうち80%が不飽和脂肪酸で、オレイン酸が最も多く含まれます。オリーブオイルにも含まれている一価の不飽和脂肪酸のオレイン酸は、不飽和脂肪酸の中で最も酸化されにくい特性があります。次いでリノール酸も多く、心疾患の予防効果が高いとされています。 ビタミン類では、ビタミンA、C、Kはほとんど含まれていませんが、抗酸化ビタミンである脂溶性のビタミンEやビタミンB群であるナイアシン、葉酸、パントテン酸などが含まれています。特にナイアシン含量は、ほかの豆類や種実類と比べても高くなっています。ナイアシンは、必須アミノ酸であるトリプトファンから生合成されますが、栄養機能食品として、皮膚や粘膜の健康維持を助ける働きを持っています。落花生は約50%が脂質です。脂質が多いと聞くと敬遠しがちですが、脂質はエネルギー源として大切なだけではなく、ホルモンや細胞膜を構成したり、ビタミンA、D、E、Kの吸収を促すなど、重要な役割を担っています。 落花生の脂質は、約20%が飽和脂肪酸、約80%が不飽和脂肪酸です。不飽和脂肪酸はリノール酸が約30%、オレイン酸が約50%で、落花生のオレイン酸は劣化しにくく安定性が高いと言われています。オレイン酸やリノール酸は、悪玉コレステロールを抑制する効果があり、血管の健康を保ち、生活習慣病を予防します。・落花生は高カロリー食品です。食べ過ぎには注意しましょう。1日20~30粒程度、毎日食べるのがおすすめです。・ハーバード大学公衆衛生大学院の研究によると、落花生またはピーナッツバターを1週間に5回、28g(約30粒)摂取した人は、しなかった人に比べて糖尿病の症状が軽減したとされています。この場合、朝食べるのが効果的です。・薄皮付きを食べたほうが健康効果が高まります。料理にも薄皮付きを使うようにしましょう。
2024.01.12
大友康平さんが1月10日に自身のブログを更新。八代亜紀さんの突然の訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、大友は「もう一度逢いたい・・」というタイトルでブログを更新。「夕方のニュースで、また突然の訃報が入った。八代亜紀さんが、昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していました」と2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんの訃報について言及し「73歳でした、早過ぎます・・」とつづった。続けて「また、“昭和の輝く星”が天に召されてしまいました」と述べ「数々のヒット曲は全て口ずさむことができるほど名曲揃いです」と説明。「数年前、BS11『八代亜紀のいい歌いい話』という番組に出演させていただきました」と回想し「MC時はまるで少女のように無邪気で明るく いざ歌を歌えば一曲で勝負をつけてしまうほどの存在感のある歌唱力に魅了されたのをはっきり覚えています」とつづった。また「番組内では、“ff”と“もう一度逢いたい”をデュエットさせてもらいました」と明かし「一生の宝物です!!」とコメント。「高倉健さんと倍賞千恵子さんが寄り添いながら“紅白歌合戦”を見ているシーンで流れていた『舟唄』は本当に心に沁みました」と述べ「心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼した。
2024.01.11
https://norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/ichiya4.html現代語訳「安居院義道」のクラウドファンディングあと8日です。現在、目標金額の59%です。支援が多ければより多く印刷し大学公共図書館に寄贈できます。5000円以上支援の方には、出版記念絵葉書10枚一組を本と共に郵送しますが、より魅力的な返礼品とすべく、森町在住の大須賀画伯に新たに2枚のイラストを描いていただき、出版記念絵葉書に収録できないか調整中です。大須賀氏には「技師鳥居信平著述集」出版の折に「若き鳥居信平の像」のイラストを描いていただき、記念絵葉書にもしました。同様に「若き大山御師安居院庄七の像」と「安居院先生と岡田佐平次初対面の絵」を本居宣長と篤胤の「松坂の一夜」を模して緊迫の初対面を描いてもらえないかなあらんまんで寿恵子が渋谷に「山桃」の置屋を開く時「妄想しよう」と繰り返し言っていた。「想像してご覧」より「妄想しよう」のほうが期待値を下げて心に自由に描けるのかもしれない。妄想しよう。若き大山御師安居院庄七が相模や駿東の地を大山講設立のために巡村する姿を妄想してみよう安居院先生が岡田佐平次初対面の場で梅の木は の二宮先生の道歌をどう受け止めるか心境を問い質した場面をクラウドファンディングあと8日です本書は一般書店では販売しません後から来る者(次の世代)のために今、共に生きている私たちのためにご支援ご拡散下さい😊
2024.01.05
現在、入院中です。12月25日手術を受け、その後の経過は順調です。現代語訳「安居院義道」のクラウドファンディングも残り8日となりました。https://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show支援が目標金額の50%から伸びず、10日以上新たな支援者が出現しない日が続き、このまま終わるかもと思いました。そこで力を入れてインスタグラムなどPRに務めたところ1月4日新たに5人の支援者が現れました。現在目標金額の58%です。入院前、職場の同僚が「心をととのえるスヌーピー」を贈ってくれました。スヌーピーのセリフと禅語を対比したものでベッドの上でたっぷり時間があるので、禅語やスヌーピーを繰り返し楽しみます。「誰が家にも明月清風無からんや」明月も清風もあまねく照らし吹いている。チャンスは誰にも平等にやってくる。しかしチャンスをつかまえる心構えのある者のみがチャンスを受け止めることが出来る。昨年12月10日掛川の大日本報徳社常会の講演で「松下幸之助さんが ダム経営 を説いた。講演後、聴衆から「どうしたらダム経営ができますか?」と質問があり、松下さんは「知りません」と回答すると失笑が起こった。松下さんは「知りませんがそう思わななければいけない」と付け加えた。この時に稲盛さんだけ電撃が走るような衝撃を受けた。」「同様に 安居院先生が桜町町陣屋出かけた時に二宮尊徳先生が門弟に説話されるのを障子の外から立ち聞きした。「元値商いがやれる者はやってみよ。出来ない者は我が教説を学べ」その時、安居院先生だけがこれだと受け止めることが出来、故郷の秦野に戻って、自家の穀物商で元値商いを行い成功した。二宮先生の元値商いの話は二宮翁夜話にも二宮先生語録にも載っていません。真理を受けとめる心構えのある人だけが受け止めて実践出来るのです」現代語訳「安居院義道」もあと8日でクラファン募集は終わります。一般書店では販売しません。一人でも多くの方が、セレンディピティ(偶然の機会)を自らの必然の機会として受け止めてご支援いただければ有難いです✨
2024.01.05
「現代語 安居院義道」のクラウドファンディングが12月24日のクリスマスイブに 50人目の支援者が出現サンタクロースみたい^_^昔、子どもがクリスマスの日、スーパーの上に飾られたサンタクロースの大きな風船を見て「ありがとう サンタさん」と叫んだ。周りのお母さんたちは笑っていたが、幸せだったあの日クリスマスイブにはそんなことどもを思い出すクラファン、あと19日で終了元気だして頑張って前に前にと進もう(^^)
2023.12.24
Peppermint Patty Rats! Another Dminusペパーミントパティ チェ またDマイナスマーシー Life has its sunshine And its rain,sir.人生晴れあり雨ありです先輩Its days and Its nights 昼もあれば夜もあるits peaks and its valleys山もあれば谷もPatty It's raining tonight in my valley!今夜は私の谷は雨だわテレビを見ていたら菊池一夫の「トンガリ帽子の赤い屋根」の歌誕生秘話を放映していた。子供の頃親に養子に出されその養父母に捨てられという凄まじい少年時代を送っていたそういう中で戦争孤児などへの愛情深い歌が生まれた「あなたの心の力でよい一日にしなさい」まことに人の心の力の大きさ安居院先生の弟子荒木由蔵は静岡県の報徳教師として生涯を捧げた鉄舟に「お前たちは報徳報徳と言うが、報徳とは一体何か」と聞かれ「報徳とはいったん死に切ることです」と答えた鉄舟は膝をぽんと叩いて「それは良い教えだ」と了解したhttps://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show
2023.12.23
「心を整えるスヌーピー」34ページ千宗旦は晩年茶室を作りました席開きの日、参禅の師の大徳寺清巌和尚を招きましたところが約束の期限に和尚が来ません急用があった宗旦は弟子に「和尚が来られたら明日また来ていただくように」と言い残して出かけました宗旦が用事を終えて戻ると和尚はすでに帰られていて「懈怠比丘 不期明日」と筆で書いてありました宗旦はその戒めをその茶室に「今日庵」と名付けて明日はない今日一日一日を大切に生きるとしたのです「現代語 安居院義道」に石田村仕法の話があり、12月17日の第10回報徳講座で3人演じました安居院先生役のTさんが貫禄のある声で聴衆を魅了しましたその話の中で石田村の代表七人が安居院先生の説く報徳の教えに感銘を受けて、村人の総意を受けて安居院先生を村に招くことになります。ところが約束の時日に村人の代表は遅れてしまいます安居院先生は「これは村で異論が出て遅くなったのであろう。私はいかない。神が私を戒められることこのようである」と言われます。村民代表はお詫びし先生を村に招きますが、安居院先生の厳しい指導に音を上げる者が続出し、村の鎮守の森に集まって反対運動に発展します。代表者達が必死の説得で村を立て直すにはこの方法しかないと納得して一村仕法は急速に進み十年後には巨額の借金を返済しさらに十年後には村に巨額の資本を持てるまでになりましたhttps://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show「現代語 安居院義道」は、後からの来る者のための道案内の書です。あと二十日余りでクラウドファンディングは終了します
2023.12.23
探検ファクトリーを見ていたら保湿ティッシュの誕生物語の再現していた社長がひどい鼻炎で工場長に柔らかいティッシュの開発を頼んだ二枚の紙の間に甘味料と同じ成分の水を吸収するものをいれるというアイデアで開発が進んだが、紙質が一定にならない。ある夜、家に帰るとカレーを出され奥さんが「カレーは一晩寝かせると美味しいのよ」の言葉にはっと保湿ペーパーも一晩寝かせようとひらめいたこれはセレンディピティ、偶然に発見する力にほかならないセレンディピティは待ち受ける心構えがある人にのみに訪れる安居院庄七が桜町陣屋で二宮尊徳が門弟に「元手商いができる者はやってみよ」を障子の外で聞いていて、「電流が走るような衝撃」(稲盛氏が松下幸之助の「ダム経営」の話を聞いた時)を覚えた。秦野に帰って自家の穀物商で元手商いを行って成功するまた近隣の横曽根村からの依頼を受けて一村仕法を成功させる「このまま元手商いをすれば成功出来よう。また一村仕法も成功させる事がわかった。報徳の教えを知った今、一村から二村へ二村から郡国へ、郡国から万国へ」(「万作徳用鏡」の安居院先生の言葉)と報徳伝道の志を実践したのである。https://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show「心を整えるスヌーピー」でライナスが「どんなことも永遠に続きはしない。よいことはすべて終わる」というチャーリーは「よいことはいつ始めるんだい」と問う高い志(lifty ambition)の星に自分の人生を結びつけて今を大切に生きる
2023.12.23
Aさんに本をプレゼントされた感謝きっとどんな本がいいのだろうと一生懸命探されたのだろう「心を整えるスヌーピー」漫画は著作権上の問題があるので掲載しないサリーが いかに生きるかについてリポートを発表するThey say The best way is just to live One DAY at a time.最善の生き方は一度に一日ずつ生きること♥森信三先生の「人生一度きり」を思い出す今ここしかない今この生を有難く生きる!https://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show今「現代語 安居院義道」クラウドファンディング支援募集中です 終了まであと20日余り目標金額の51%ですこれまでの支援者の皆様に感謝残り一日一日の出会いに感謝します
2023.12.23
病気にならずに健康寿命をある程度延ばすことは、この数十年間に実現できそう東京大学 定量生命科学研究所 ゲノム再生研究分野 教授 理学博士 小林武彦氏「まだ不老長寿とまではいかなくても、病気にならずに健康寿命をある程度延ばすことは、この数十年間に実現できそうです」Q(大隅基礎科学創成財団 理事 野間 彰氏)寿命を延ばす遺伝子として話題になった「SIR2(サーチュイン)」遺伝子のメカニズムを解明されました。これはどのように見つけたのでしょうか。小林武彦氏(以下、小林氏):もともと私は、酵母菌を使った老化の研究をやっていました。マウスの寿命は2~3年なのですが、酵母菌は3日間できっちりと死ぬので、研究しやすく昔から寿命研究の対象になっていたのです。 当時、SIR2遺伝子は酵母の寿命を延ばすということで、その作用を解き明かそうと世界中の研究者が挑戦していましたが、詳しい作用メカニズムが明らかになっていませんでした。酵母菌は20回ほど分裂して2~3日で死ぬのですが、このSIR2という遺伝子を壊すと、生育は変わらないのに寿命だけが短くなるという興味深い現象が起きるのです。逆に、この遺伝子をたくさん出させると寿命が延びるので、「これは凄いぞ!」と驚いて研究を進めました。 研究の結果、SIR2には、rDNA(リボソームRNA遺伝子群)という、たくさんのコピーが含まれ、そのコピー数が変動しやすい不安定な巨大な領域を安定化させる作用があることを発見しました。この壊れやすい領域が、ゲノム(遺伝情報)全体の安定性に影響を与え、寿命を延ばすことにつながっていたのです。そしてこれが、長生き効果の主要な反応経路だということを実証しました。──発見したときは、どうでしたか。小林氏:それまで、ゲノムの一部が壊れた場合に修復するメカニズムは見つかっていたのですが、rDNAという巨大な壊れやすい領域をピタリと安定化させられるのを見たときには、本当に感動しました。 さらに興味深い点は、このSIR2はヒトにもマウスにも存在することです。そこで外国のグループがマウスを使って実験しました。その結果、SIR2に相当する遺伝子を破壊するとマウスの寿命が縮み、逆にその遺伝子を出すと寿命が約20%も伸びることがわかりました。ヒトで言えば平均寿命が100歳近くになるわけです。 もちろんヒトとマウスの老化は異なりますが、SIR2がゲノムを安定化させて寿命を延ばす仕組みは恐らく共通しており、ヒトも寿命が延ばせる可能性は十分あります。すでにSIR2タンパク質の働きを強めるアンチエイジングのサプリメントの研究が進められ、実際に販売されていますね。──最近の業績としては、SPT4という遺伝子のメカニズムも発見されました。小林氏:SPT4は、SIR2とは真逆の働きをします。SIR2は反復遺伝子を守るものですが、逆にSPT4は壊しているのです。細胞は寿命が決まっていて、ある意味では仕事が終わると死にたがっています。そのために細胞を殺す遺伝子の1つがSPT4です。 生物は基本的に子孫を残すところまでは進化的に寿命が保証されています。というよりも、子孫が残せるところまで生きるものしか、生き残れないのです。したがって子育てをする生物は、子育て期までは元気で、がんなどの病気にもなりにくく、そこから先は老いて死ぬようにできています。野生の動物は普通、食べたり食べられたりの関係でつながっているので、老いた個体は生き残るのは難しいです。老いることにメリットがないのです。 ただヒトの場合、老後期間でも教育や社会制度を維持するという役割があるので、長生きになりました。生殖年齢のヒトだけでは、互いに喧嘩になり社会がまとまらないので、シニアがいたほうが有利だったのです。だから老害なんて言ってはいけません(笑)。 しかしヒト以外の生き物は、老後期間になると、速やかに死ぬようにプログラムされています。サケも川を遡上するときは絶好調ですが、放卵後1週間で急激に老化して死んでしまいます。そのほうが間違えて卵を食べたり、稚魚と競合しないからです。自分が死んで餌になる、あるいは腐って川に栄養を与えて微生物を増やすほうが、子孫にとって良い場合もあるわけで、自然の摂理なのです。──海外との競争の中で、なぜ先んじてメカニズムを解明できたのでしょうか。小林氏:基礎研究は、海外グループと競争していく中で、その後の優先権を得るためには2番煎じでは意味がありません。ですが、人手も資金も海外には勝てず、基本的に1人で研究を進めています。それではなかなか先陣を切るのが難しいです。 SIR2と寿命の関係については、私が研究を始める前から言われていたことです。私は遺伝子の安定性の研究がメインで、老化の研究はあまり手を付けていませんでした。本当は寿命の研究も本腰を入れて、SIR2が寿命に直結することを証明したかったのですが、マンパワーが足りず最終的にそこは諦めました。それで戦略的に、SIR2がrDNAを介してどのように寿命を制御しているのか? というメカニズムを重点的に解明したのです。──この一連の研究において、次のステップはどのようなものでしょうか?小林氏:ヒトは最長120歳ぐらいの寿命です。その壁は、おそらく遺伝子を維持するハード面的な限界だろうと思いますが、この研究でそれを突破できるかもしれません。遺伝子の壊れやすい部分を、うまく補強できると細胞そして臓器の老化が抑えられ健康寿命も延ばせるのではないか、と期待しています。「何が寿命を決めているのか?」という、生物としての根本的な原理がわかるような感触も得ています。 今ヒトの遺伝子を修復する遺伝子をマウスに入れる研究も行っています。それでマウスの寿命が延びれば、安定化する遺伝子を同定できます。また生物が積極的に死ぬメカニズムの発見は、その後に「生物はなぜ死ぬか」という問題設定や、その内容を著書『生物はなぜ死ぬのか』(講談社現代新書)で発信することにもつながりました。(以下略)本連載特設ページはこちら:https://www.ofsf.or.jp/SBC/2310.html
2023.12.20
浅田美代子 離婚後に仕事が激減…母親から借金しながら「シャネルとか買いまくった」理由浅田美代子は1977年にフォークシンガーの吉田拓郎と結婚したものの、1984年に離婚。離婚直後は「あの当時は離婚が今みたいにそんなに多くなかったから、かわいそうってイメージがあったからか、やたら悲しい不幸な役ばっかり来た」樹木希林さんの教えで「何でも面白がってやりなさい」という言葉で「こういうイメージがつくのは絶対嫌って思ったから、全部辞めました」「お金なくなっちゃって家賃もどうしようって感じだった」実母から借金してまで「シャネルとか買いまくった」「不幸なイメージを取りたかったので、私は全然元気ってしたくて。母には『浅田美代子っていう商品に対しての投資と思って』って言った」と説明し、「そうこうしているうちに『からくり』が入ってきたり」*Q今回演じられた初枝という役にはちょっと不気味さも感じたんです。それはなんでだろうと思ったら、髪を長く伸ばして、さらに、入れ歯を外されていたんですね。少々、薄気味悪い見た目にされたのはご自身のアイデアですか?もちろん。女優に「入れ歯を外してください」なんて言える監督なんていないでしょう?今回の役ではね、人間の顔はこうやって崩れていくんだというのを画面で出したいと思ったの。それを見せられれば「もう、この作品が最後でいいな」とすら思った。私ももう後期高齢になりましたからね、そういう気持ちもあったのよ。—今回は、軽犯罪で生計をたてる家族を描きながら、真の絆について深く考えさせられる作品です。シリアスなテーマを扱う中で際立っていたのが、家族で海に行くシーンでした。初枝さんが浜辺に座り、海ではしゃぐ息子家族を遠くから見つめる優しい眼差し。台詞はないのですが、すごく温かな場面です。あの時はどのような思いで見つめていたんですか?そこはクランクインして最初に撮ったんだけど、まだ台本がなかったの。だから、何を撮っているのか正直わからなかった (笑)。もちろん、作品の大筋はわかってはいるけど、海のシーンがどんなふうにつながるのか知らなかったのよね。—何かを言いたげに口をぱくぱくと動かしています。そう。あれは、ある言葉を言ってるの。だけど、声には出さなかった。—樹木さんは、台本は読んでいくけれど、役は決めこまずに、その場で作っていくというのを聞いたことがあるのですが、まさにあのシーンがそうですか。あの時は、海とそこにいる家族というのがすべてで、そこから感じたものに素直に動いたのよね。—是枝監督は、あの樹木さんの演技が物語の指針になり、そこから脚本を直していったと話されていました。そういうふうに見えているのはね、役者は関係ない。監督の腕。—是枝監督の作品に出られるのは今回が6作目ですが、一緒にお仕事をされる理由はなんですか?6作目って言ったって、他の作品はついでにでているだけよ。一緒に仕事するのは事務所が近所だから (笑)。プロデューサーが「企画書、ポストに入れときましたから」ってこんな感じなのよ。雑でしょう?—是枝監督の現場はどのような雰囲気ですか?是枝さんは静かで優しいわよ。ただし、粘り強い。気に入るまで絶対にOKを出さない。—現場で監督と演技について話し合うことはありますか?話し合わない。ただ、その場にいて感じたことに沿って素直に動いてみる。—樹木さんを見ていると「これ、アドリブなのかな?」と思わせる動きが多々あるように感じます。初枝さんがご飯食べながら爪を切るシーンはなかなか強烈ですが、あれもそうですか?いや、あれは台本に書いてあったの。爪がその辺に飛んでも平気でいられる、雑なところや無神経さ。それが画面を通じて伝わるでしょう? 切った爪が落ちていてもちっとも不思議じゃない荒れた家でさ。雨風はしのげるけど、こんな貧しくて、寒い家からは早く脱却したいなと思っていた。
2023.12.20
長﨑・木原のWみゆう ベスト4進出!世界1位の韓国ペアを撃破【卓球 WTT女子ファイナルズ】WTT女子ファイナルズ名古屋2023<2023年12月15~17日/名古屋金城ふ頭アリーナ>16日、女子ダブルス準々決勝で長﨑美柚/木原美悠(ともに木下グループ)がチョン・ジヒ/シン・ユビン(韓国)にゲームカウント3-2で勝利し、準決勝進出を果たした。世界のトップ8ペアで争われる女子ダブルス。ダブルス世界ランク7位の「Wみゆう」こと長﨑/木原ペアが、同1位で世界卓球2023銀メダルの韓国ペアを破る金星をあげた。第1ゲームは序盤で相手に5連続ポイントを許すも、ストップレシーブを3球目で積極的に狙い打った長﨑/木原が中盤で逆転。レシーブからの展開では長﨑が得意のチキータを見せると、木原も相手の裏をかくフォアフリックで得点し、終盤の6本連取で日本ペアが先制する。第2ゲームは、3-7と離されたところから長﨑/木原のフォアドライブ連打が炸裂。怒涛の攻めで6-7とするも相手のタイムアウト直後の長いラリー戦をものにできず、6-11で落とす。第3ゲームは韓国ペアのコース取りの巧さに翻弄されて2-11で奪われるが、続く第4ゲームは再び積極的にフォアハンドを振って7-2と一気にリード。<WTT女子ファイナルズ名古屋 女子ダブルス準々決勝>長﨑美柚/木原美悠 3-2 チョン・ジヒ/シン・ユビン(韓国)11-6/6-11/2-11/11-7/11-3木原「試合前、試合中と緊張をしていて、今もおなかが痛いんですけれど、1-2でリードされている状況の中で、自分たちのプレーを取り戻せて、2人の成長を感じる試合でした」。長崎「2-2の場面がすごく好きなので『やってやるぞ!』という気持ちだけでした。追い込まれてからじゃないと動き出さないので」「あとは木原選手の爆発力にかけて『いけるな』と、自分たちを信じて戦えました」💛木原美悠の「追い込まれてから『やってやるぞ!』」が頼もしい!
2023.12.17
ウクライナが見つけた勝ち方「電子戦でドローン優勢確保」 東部激戦地でも奏功ウクライナ軍は新たに編み出したドローン(無人機)および対ドローン戦法を採用した兆候がある。ウクライナ側のドローンを飛べなくするためにロシア側が用いている電波妨害(ジャミング)装置を破壊するとともに、ロシア側のドローンを飛べなくするためにウクライナ側の電波妨害装置を設置するという方策だ。軍事アナリストのドナルド・ヒル「ウクライナ側はこの戦域でも電子戦で優位に立ちつつあるようだ」「ウクライナ側のドローン攻撃の回数は増えている。それも大幅に。一方、ロシア側のドローン攻撃の回数は大幅に減っている」アウジーイウカでロシア軍は空からの攻撃に重点を移し、爆薬を詰め込んだFPV(1人称視点)ドローン、一部は夜間飛行に対応したものを送り込むようになっている。ウクライナ側の補給線をつぶし、守備隊を孤立化させて撤退に追い込む狙いだウクライナ側はこれらロシア側のドローンを飛べないようにして攻撃を未然に防ぎつつ、ロシア側がウクライナ側のドローンを飛べないようにするのも阻んでいる。これは、ウクライナ軍の補給線が引き続き確保される可能性がある一方、ロシア軍の補給線は支障をきたしかねないということだ。「ウクライナがこの優位をどのくらいの間保てるかはわからないが、現在はそれによってウクライナ人の命が救われている」ウクライナは、従来ロシア軍が得意としてきた電子戦を優先させることを決めた。ウクライナ軍のヴァレリー・ザルジニー総司令官(大将)はウクライナ軍が最も緊急に必要としているものとして、指揮、対地雷、対砲兵、防空の各システムと並んで電子戦システムを挙げている。ウクライナのミハイロ・フェドロウ副首相兼デジタル移行相も「あらゆる装備を電子戦によって保護していかなくはならない」と10月に表明している。「わが軍の兵士がいるすべての塹壕、すべての地点を、敵のドローンの飛行に使われている周波数帯を解析する電子戦によって保護していく必要がある。これは非常に大きな組織的な取り組みであり、現代技術戦の新たなドクトリンでもある」ウクライナ軍が使用している電波妨害装置の多くは米国から供与されており、直近では9月に提供された6億ドル(約850億円)の支援パッケージに含まれていた。だが、米国からの支援はいまや風前の灯火だ。ジョー・バイデン米大統領は新たな対ウクライナ支援を提案しているが、米議会の共和党員らは難民が米国で保護を申請する権利の実質的な廃止を条件にし、成立のめどは立っていない。ウクライナ、軍事物資の共同生産で多くの契約 欧米依存脱却へ- ウクライナが軍事物資の欧米依存から脱却し、国内生産を強化する取り組みを進める中、ウメロフ国防相は15日、共同生産や技術交換に関する企業間の新規契約が数十件あると明らかにした。ウクライナにとって軍事物資の国内生産の拡大が急務になっている。ウメロフ国防相は、ウクライナが9月に主催した国際防衛産業フォーラムに250社を超える西側の軍事企業が参加したことや、12月に米ワシントンで開催されたウクライナと米国の合同防衛会議に言及。「われわれは米国と共同生産と技術データの共有に関する覚書に署名した」と述べた。
2023.12.17
12月17日(日)掛川の大日本報徳社大講堂で「第10回報徳講座」を開催します。節目となる10年目の記念の報徳講座です。「第10回記念報徳講座」日時:2023年12月17日(日)9時30分~12時30分会場:静岡県掛川市 大日本報徳社大講堂主催:遠州アカデミー(静岡県袋井市)《 次 第 》1.主催挨拶 遠州アカデミー代表 戸田 孝2.儀礼 報徳訓斉唱 大日本報徳社理事 東宮 照男 様 3.講演(1) 「報徳で現代を考える」 大日本報徳社社長 鷲山 恭彦 様4.講演(2) 「報徳・安居院庄七の教えに学ぶ相互扶助」について神奈川県秦野市農業共同組合 代表理事組合長 宮永 均 様〈 休 憩 〉5.活動事例 「徳を積む事例」 大日本報徳社事務局長 綱取 清貴 様6.講演(3) 「安居院庄七と農書―農業余話と万人徳用鏡―」二宮尊徳の会 地福 進一 様7.お知らせ ① クラウドファンティング支援依頼「現代版 安居院義道」 https://camp-fire.jp/projects/view/710516?utm_campaign=cp_po_share_c_msg_mypage_projects_show ② 来年度(2024年)の遠州アカデミーの活動について東北大学名誉教授大藤先生からエールをいただきました。「安居院庄七は様々な観点から研究が進められるべき人物ですので、彼を取り上げられた報徳講座はよい企画だと思います。『現代語 安居院庄七』の御刊行を心待ちにしています。」『現代語 安居院義道』のクラウドファンディング終了まであと29日です。引き続きの御支援とシェアをお願いします。
2023.12.15
朝ドラになぜ“働かない父”が登場するのか 『ブギウギ』脚本・櫻井剛が描く心情の揺らぎ12/2(土)脚本家が足立紳から櫻井剛へ。朝ドラことNHK連続テレビ小説『ブギウギ』第9週「カカシみたいなワテ」は櫻井の担当週で、日本に戦争の気配が色濃くなっていくなか、梅丸楽劇団が解散、歌う場を失ってしまったスズ子の苦悩が描かれた。朝ドラは基本、ひとりの作家が全話を書くが、時々、複数作家が関わることもある。『舞いあがれ!』(2022年度後期)や『エール』(2020年度前期)が複数作家体制だった。メインライターでないと、どこかスピンオフ的な、箸休め的な印象を覚えることもあるが、『ブギウギ』ではそういう印象はなく、比較的、なめらかに引き継がれている。むしろ、時代が戦争に突入していく重要な局面を櫻井が担い、かなり責任重大なのではないか。櫻井剛は、芦田愛菜と鈴木福の共演で大ヒットした『マルモのおきて』(フジテレビ系)で注目された脚本家で、昨今ではNHKのよるドラ『あなたのブツが、ここに』(2022年)も好評だった。登場人物が実直に、健気に状況に立ち向かっていくようなヒューマンドラマに定評がある。『ブギウギ』第9週でも、登場人物それぞれの心情のゆらぎを丹念に描いていた。下宿には、梅吉(柳葉敏郎)が居候して1年。ツヤの死を誰よりも嘆き悲しみ、抜け殻のようになった梅吉は、スズ子のお金で飲んだくれていた。梅吉ばかりが哀しみ過ぎて、スズ子は悲しむ隙がない。妻を亡くして飲んだくれ、子供に迷惑をかけるような毒親化した人物はこれまでの朝ドラにもいる。『おちょやん』(2020年度後期)のテルヲ(トータス松本)や、『おかえりモネ』(2021年度前期)の信次(浅野忠信)などだ。彼らは、生まれたときからダメだったのではなく、妻を亡くすという、大きな喪失によってやる気を削がれてしまったという理由がある。こういう設定が、近年続いているのはなぜだろう。*朝ドラ ダメ親父妻を失った途端、ダメな部分が剥き出しになる梅吉を見て思い出すのは『おちょやん』のテルヲである。1961年から始まった“朝ドラ史上最低の父親”と評判になったこの男。娘である千代に迷惑をかけたことは数知れず。わずか9歳の千代を奉公に出したところで退場してくれていたらまだ良かったが、酒と博打で莫大な借金を作り、千代の行く先々で金を無心しにやってきてはその人生をかき乱した。かつて、働かない父というキャラクターは、ヒロインが奮起し自立するための装置のようなところがあった。だが、彼らにも言い分を作り記号化を避けることで、物語に深みが出る。おりしも、震災以降、大きな喪失体験をもった日本人が増えていることも、要因かもしれない。あるいは、近年、ハラスメント行為には厳しい目が向けられているため、単なる横暴な人物を描くことに配慮が成されているということもあるだろう。時代の変化とともに人物描写にも変化があることは興味深い。 ただ、飲んだくれて、下宿の前でだらしなく寝ているとか、朝もなかなか起きないとかいう描写は、まだまだ記号的であり、ほかの表現の模索がないものかと感じる。楽団のやっていることを批判する多くの投書を前に、辛島(安井順平)「音楽を楽しみたい人たちと、糺したい人たちとの板挟みだよ。誰のために何をすればいいのかわからなくなる」だからこそ、ひとり、ひとり、自分の信じたものをやり続けるしかない。羽鳥(草彅剛)も、茨田りつ子(菊地凛子)も、たとえそしられようと、自分の信じる歌をやり続ける。派手な服装が「私の戦闘服」と言い切る茨田はカッコよかった。彼女のモデル・淡谷のり子が実際に言った言葉だそうだ。スズ子も、茨田のように個人経営の、「福来スズ子とその楽団」を結成しようと立ち上がる。💛朝ドラになぜ“働かない父”が登場するのか?の表題の答えになっていない。これは現実の社会を映し出している。単に妻を失っただけでなく、定年退職し、過去の役職やプライドで、一労働者として働くことに逡巡し、毎日が日曜日のようになっている高齢者を朝ドラに投影しているのではないか。むしろ現実にはテルオ以上のダメ親父もいて、お縄頂戴になっている場合もあろう。「至誠 勤労 分度 推譲」は、報徳の記号である。私の敬愛する先輩は、定年後は農作業に従事して、ガソリン代や必要経費を除き、余剰はウクライナ支援や子供のためのボランティア活動に寄付している。年金生活なのでと、働かずして推譲ができない人のなんと多いことか。尊徳先生の時代にも、烏山藩の武士で、「給金が少なく推譲できません、生まれ変わったら必ず報徳仕法のために努力したい」と尊徳先生あての手紙が残っている。「人生二度なし」とは森信三先生の言葉である。現職の時に役職があったり肩書があったとしても定年後一人の人間として勤労する。むしろ推譲するために働く。自らの生活に分度を設けて、分度外の利益は推譲する。というような報徳生活が求められているのかもしれない。現在でいえば、定年退職後17年間も「骨の髄まで」報徳の教え、報徳社の結成と農業技術の普及に努め、そして旅に死んでいった安居院先生の事蹟を読み込むとそうしたことを想う。
2023.12.02
「自得」の精神と「天道・人道」論(『二宮尊徳』大藤修著p.183-189)・江戸時代の農民の思想形成や技術の創造を支えたのは、日々の生産・生活を営むなかで自然界と人間界の真理を会得する「自得」の精神だった。・栃木県の篤農家、田村吉茂は、自著に「農業自得」という題名をつけた。自ら農業に励むなかで「自得」した知恵や農業技術を記した(『日本農書全集』第21巻)。・江戸時代、庶民も書物の知識、技術を鵜呑みにせず、実生活で実践し役立つかを試し、真理と確信したのみ摂取し、自らの知恵や技術を創造していった。・二宮尊徳の知恵や思想は、基本的に実体験のなかで、自然界と人間界の真理を「自得」することによって培ったもので、独自の「報徳」思想を創出した。「天道」と「人道」を区分した点も、彼の思想の特徴として注目される。「人道は田畑を開き、天道は田畑を廃す。人道は五穀を植え、天道は生育を為す。天道は自然なり、人道は作為たり」(『万物発言集草稿』)・二宮金次郎の眼前にあるのは、打ち続く天災によって荒廃した農村だった。生家の田畑もまた洪水で荒地に帰した。そこから立ち直ったのは、勤労して荒地を切り開いた人間的力だった。彼が生きた時代の社会状況体験が、農民の生活は「天道」という自然の恩恵のみで成り立つのではなく、農民自身の主体的な勤労こそ、自らの生活と社会を成り立たせている根本だと実感させた。 そこから農民に主体としての自覚と自発的な勤労意欲を喚起し、家と村を復興し永続させるために、天道と人道を理論的に根拠づけるに至るのである。・「天道人道を和し、百穀実りを結ぶ」(『万物発言集草稿』)天道と人道を対立ではなく、和合することにより、農作物は実りを結ぶ。だから天地の徳と人間の勤労の徳、「天・地・人三才の徳」に報いる「報徳の道」を説いたのだ。人間としての自律的な主体性を確保したうえで、自然と調和を保って生きるべきだ、というのが基本的な考えであった。◎自律的主体性をもって、自然と調和を保つことは現代のSDGsと繋がる。11月24日 『現代語 安居院義道』出版のクラウドファンディング終了まで残り50日https://camp-fire.jp/projects/view/710516...
2023.11.24
「黒い斑点」が出た白菜「捨てないでください!!」ブログ「やさいのトリセツ」で野菜や果物をおいしく食べるための選び方などを紹介する青髪のテツさん「黒い斑点の正体はポリフェノールなんです!食べても全く問題ありません!」「生育段階でストレスを受けた時に白菜自身に含まれるポリフェノールが表面に現れたもの。ストレスは肥料の与え過ぎや、気温・天候によるものが大きいといい、「黒い斑点があるからといって、味は変わりません」・白菜自体がもつ生理反応によるもので、「ゴマ症」とも言われています。主な原因は、三大栄要素の一つである窒素の過剰吸収だと考えられております。細胞内の窒素濃度が上昇すると、細胞内外の窒素濃度の差を減らすために細胞は水分を吸収しようとします。すると細胞は取りこんだ水分によって膨らむことになります。この細胞の膨張によって、細胞にストレスがかかり、ポリフェノール類の色素合成が促進されます。その結果、はくさいの表面に黒い斑点が現れてしまいます。ゴマ症の色素合成反応は、ブドウの色素と同様の過程であり、食べても問題ありません。
2023.11.16
「田酒」の社長に黄綬褒章…「田舎で仕事したい」と脱サラ、「当たり前」疑い冷房導入秋の褒章の受章者が発表され、青森県内からは15人が選ばれた。農業、商業、工業などで模範となる技術や実績を持つ人に贈られる「黄綬」が8人、産業振興や社会福祉など公益に尽くした人に授与される「藍綬」が7人だった。受章者1人に喜びの声を聞いた。■黄綬褒章 西田酒造店代表取締役 西田司さん 64入社当初は、ベテラン社員や杜氏(とうじ)をうならせる「うまい酒」がどんな味を指すのかが分からず、様々な酒を利き酒して味覚を磨いた。他分野からの転職組のため苦労も多かったというが、その逆境を逆手にとって「業界の当たり前」を疑って改革に取り組むことにも努めた。 その一つが、社長になる7年ほど前に手がけた貯蔵庫への冷房導入だ。日本酒は常温保存する蔵元が多かったが、気温で味が変化することから、熟成しすぎないように庫内温度を10度近くに保てるようにした。 社長になった後の17年には、保管できる酒の在庫を増やすために一升瓶で15万本分が貯蔵できる大型冷蔵倉庫を整備した。「新鮮なお酒をいつでも楽しんでもらいたい」との思いから、品質管理にはこだわり続けている。 5年後の28年に創業150年の大きな節目を迎える。「これが完成形だ、という酒はない。おいしい日本酒を喜んで飲んでいただきたいという思いは変わらない」と語った。 銘酒「田酒」のブランドで知られる西田酒造店(青森市)の社長として日本酒の味の向上を目指している。「より良いお酒を造るにはどうすれば良いか」を常に考え、酒造りにひたむきに取り組んできた。受章の知らせに「ありがたい」と笑顔を見せた。 青森市出身。大学卒業後、大手電機メーカーに就職して首都圏で暮らしていたが、次第に「田舎で仕事がしたい」と考えるようになった。当時、妻の父が西田酒造店の社長を務めていたこともあり、33歳の時に転職。専務を経て、2004年に社長に就任した。黄綬褒章を受章 西田酒造店 西田司社長「日頃からとにかくいい酒、おいしいお酒を造っていこうということがみなさんに評価されたんだなと思います。非常にうれしいなと思っています」
2023.11.05
現代語 安居院義道』出版のクラウドファンディングを開始しました。二宮翁夜話巻の2【11】 両国橋辺に、敵打(かたきうち)あり、勇士なり孝子なりと人々誉む。翁曰く、復讐を尊むは、未だ理を尽さゞる物なり、東照公(とうせうこう)も敵国に生れ玉へるを以て父祖の讐(あだ)を報ぜんとのみ願れしを、酉誉(いうよ)上人の説法に、復讐の志(し)は、小にして益なく、人道にあらざるの理を以てし、国を治め、万民を安ずるの道の天理にして、大なるの道理を以てす、公始て此の理に感じ、復讐の念を捨てて、国を安んじ、民を救ふの道に心力を尽されたり、是より大業なり、万民塗炭の苦を免る。此の道独り東照宮のみに限らざるなり、凡人といへども又同じ。此方より敵を打てば、彼よりも亦此の恨を報ぜんとするは必定なり、然る時は怨恨結んで解くる時なし、互に復讐復讐と、只恨(うらみ)を重ぬるのみ、是れ則ち仏(ぶつ)に所謂(いはゆる)輪廻にて永劫修羅(しゆら)道に落ちて人道を蹈(ふ)む事能(あた)はじ、愚の至り悲しひ哉、又たまたま返り打ちに逢ふもあり、痛しからずや、是れ道に似て、道にあらざるが故なり、されば復讐は政府に懇願すべし、政府又草を分けて、此の悪人を尋ねて刑罰すべし、仍つて自らは、恨に報うに直(なほき)を以てすの聖語に随ひて復讐を止め家を修め、立身出世を謀(はか)り、親先祖の名を顕はし、世を益し人を救ふの天理を勤むるにしかず、是れ子たる者の道、則ち人道なり、世の習風は、人道にあらず、修羅道なり、天保の飢饉に、相州大磯駅川崎某(なにがし)と云ふ者、乱民に打毀(こは)されたり、官乱民を捕へて禁獄し、又川崎某をも禁獄する事三年、某憤怒に堪へず、上下を怨み、上下に此の怨を報ぜんと熱心す、我れ是れに教ふるに、復讐は人道にあらざるの理を解き、富者は貧を救ひ、駅内を安ずるの天理なる事を以てせり、某(なにがし)決する事能はず、鎌倉円覚寺淡海和尚に質(ただ)して、悔悟し決心して、初めて復讐の念を断ち、身代を残らず出して、駅内を救助す、駅内俄然(がぜん)一和して、某(なにがし)を敬する事父母の如し、官又厚く某を賞するに至れり。予只復讐は人道にあらず、世を救ひ世の為を為すの天理なる事を教へしのみにして、此の好結果を得たり、若し過ちて、復讐の謀(はかりごと)をなさば、如何(いか)なる修羅場を造作するや知るべからず、恐れざるべけんや。【11】 両国橋の辺で、敵打ちがあった。 「勇士だ、孝子だ。」と人々誉めあった。尊徳先生はおっしゃった。「復讐を尊ぶのは、まだ理を尽していない。徳川家康公も敵国(今川家)に生れたまえるをもって、父祖の復讐を報じようとのみ願われていたが、酉誉(ゆうよ)上人の説法に、『復讐の志しは、小であって益がなく、人道ではない。国を治め、万民を安んず道こそが天理である。」という、大道理を説かれた。家康公ははじめてこの理に感じ入って、復讐の念を捨て、国を安んじ、民を救う道に心力を尽された。これより天下統一を成就し、万民は塗炭の苦しみを免れた。この道はひとり家康公だけに限らない、凡人でもまた同じだ。こちらから敵を打てば、彼からもまたこの恨みを報じようとするは必定である。その時は怨恨が結んで解くる時がない、互いに復讐復讐と言い合って、たが恨みを重ねるだけである。これすなわち仏道でいはゆる輪廻して永劫に修羅(しゆら)道に落ちて、人道を踏む事ができず、愚の至りというべきで悲しいことだ。また、たまたま返り打ちに逢うこともある、痛ましいことではないか。これは道に似て、道ではないためだ。そうであれば復讐は政府に懇願するがよい。政府はまた草を分けても、この悪人を尋ねて刑罰に処するがよい。自らは、『恨みに報いるに直(なほ)きを以てす』の聖語(論語)にしたがって復讐を止め、家をおさめ、立身出世をはかり、親先祖の名を顕わし、世を益し、人を救うの天理を勤むるがよい。これが子である者の道であり、すなわち人道である。世の風習は、人道ではない、修羅道である。天保の飢饉の時、相州(神奈川県)大磯駅に川崎孫右衛門という者の家が、乱民に打こわされた。官は乱民を捕えて牢屋に入れ、また川崎孫右衛門をも牢に入れる事3年、孫右衛門は憤怒にたえず、上下を怨んで、上下にこの怨みを報いずにはおくものかと熱望した。私はこの者に教えるに、復讐は人道ではないという理を解きあかし、富者は貧者を救い、駅内を安んずることが天理である事を教えた。孫右衛門は決断する事ができなかった。鎌倉の円覚寺の名僧淡海和尚に質問して、悔悟し、決心して、初めて復讐の念を断って、身代を残らず大磯駅に差し出して、駅内を救助した。駅内はがぜん一つに和して、孫右衛門を敬愛する事父母のようでなった。官もまた厚く孫右衛門を賞するにいたった。私はただ復讐は人道ではない、世を救い世のためを行うことが天理である事を教えただけで、この好結果を得たのだ。もし過って、復讐のはかりごとを行っていたら、どのような修羅場が起こったかも知れない。恐るべきである。 ☆尊徳先生は、川崎屋孫右衛門にこう教えられたのだった。「「孫右衛門は自分の多罪を知らず、なお人を怨む色がある。お前の妹が兄のために艱難を尽くした。それなのにお前は怨みに報いるに怨みを以ってしようとする。そうであれば一家断絶し、身を失うまで不幸はやむまい。私は身を捨てて諸人の憂いを除こうとし。お前は非を飾り他を苦しめようとする。その行うところは反対だ。すぐに退き、お前はお前の滅亡の道を行うがよい。」その声は雷が鳴るようであった。 「ああ、積善、不積善によって禍福吉凶を生ずることは聖人の言われるとおりだ。孫右衛門の家は天明の大飢饉に当たって命を失うものが幾万人あったか分らないのに、お前の家は家財に富むにもかかわらず、救助の心なく、高価に穀物を売り、独り利益を専らにしてますます富んだ。一家の廃絶はこの時におこったのだ。天運循環してついにお前の代に至って飢饉が起こった。お前に少しでも慈しみの心があれば、家産を尽くして人命を救助し、一人でも多く助けたいと願ったであろう。たとえその心があっても、すぐに行わず、江戸でぐずぐずするとは何事か。大磯宿の人々がお前の家を破ったのは悪事であるが、それを生じた根本はお前にある。お前が救助を行ったら、彼らがどうしてこのような乱暴を生じよう。慈しみの道は人の大道である。今お前はこれを行わずに災害になった。そうであれば、災害はお前の一心に起こったのだ。これを観ればお前は自分を責めて、どうして人々を怨むことなどありえよう。天が人々をして家を壊し、余財を焼いたのだ。お前はそれを察せず、自分を善とし、人を悪として、怒って復讐しようと思う。お前は一人で相手は多数だ。どうして衆を害することができよう。たとえ官の力を借りて怨みを返しても、人々の子孫が時を待ってお前の子孫を害し、報復するであろう。もし、自分の非を知って天を恐れ、一身を艱難の地に置いて他人の苦しみを除こうとする行いをするとき、禍はたちまちに転じて福となり、求めなくても一家再興の道もその中に生じよう。お前の残った財産財は家の病毒である。すぐにこれらを処分しなさい。そうでなければお前の家は亡ぶであろう。私の教えるところは君子が踏み行う道で小人が嫌うところだ。なんじの家屋を破壊した大磯宿の人々はかたきではなく、なんじの欲心を砕き、祖先以来の悪因を破り、なんじの善心をおこさせ永続させるために、一身の罪やとがをかえりみないで、一身をなげうってなんじの家を破壊したのだ。これを恩人といわずして何と言おう。しかしながら彼らの心はこの道理を知って行ったわけではない。その場での命を失う場面に迫られて行ったことではあるが、心眼を開いて見れば、自然の道理はこのようである。なんじの家を宿場の人々が壊さなかったら、これに数倍する災害が必ずきたであろう。その時がきたときは天意がどうして人力で救うことができようか。しかし宿場の人々が家を破壊したおかげで、なんじは大きな善業を行い、子孫繁栄の善種を植えることができれば、宿場の人々の行った禍は全くなんじの得ることができない幸いではないか。すぐに一心を改めてこの道理を明らかにわかり、余財の500両を宿場に差し出してこう言うがよい。『非常の凶年にあたって、互いに艱難を救助すべきときに、私は愚かでその時期を誤り、皆様にご労苦をおかけしましたのはみな私一人の過ちです。おかした過ちを後悔しても仕方がありません。破壊された余財も火事のために焼かれ、なお残ったものを集めまする、わずかですが五百両を得ました。一物も残さず宿場の貧苦の助成に差し出しますので、その処置は皆様方におまかせいたします。わずかですので貧苦の助成を補うには少ないといっても余財がないのでいたしかたありません。それぞれ配当して一助とするなり、または別に救助の方法がありましたらよろしくおはからいください。これは私が先非を後悔して過ちを改めるためです。愚かな私の志を憐れんでこの望みを許していただければ幸いです』と言って差し出すのだ。この時、少しも惜しむ気持ちがあってはいけない。また他を怨む念を一切が生じてはいけない。このようにして治まらないものは古来なかった。もし私の言葉に従ってこの道を行い、困難に立ち至るときは私がすぐに五百両与えよう。必ず憂えてはならない。」そのことを聞いて感動し、一旦了解した川崎屋孫右衛門とその親族であったが、家に帰るとまた疑惑がわいてきた。余財を差し出してどうして復興などできよう。浦賀の親族は、いったん浦賀に帰って相談することとし、帰る途中、鎌倉円覚寺に寄り、当時名僧として名高い淡海和尚に会った。そして尊徳先生の訓えを話した。「誠に尊い教えでその理は無量である。なんじらの心はどう決したか」二人はまだ決めきれないで親族と相談して決断しようと答えた。言い終わらないうちに、和尚は大声で言った。「なんじらを教えて久しい。しかし、今このような尊い教えを聞いてその深い理を了解できないとは、何という愚か者か。大いなる善道を聞いてすぐにその道に進むことができず、家に帰って相談しようとはなんとしたことか。なんじらがその大理を理解できないのに、俗人がどうして理解できよう。ああ、今の世にこのような大道理をもって人を教え、至善を行わせようという大徳の人があるとは思わなかった。すぐ家に帰って事を決し、一刻も早くその道を行うがよい。」
2023.11.04
Yさんからのメッセージに「心理学の用語で『セレンディピティ』、偶然の幸運があります。」とあった。ムム、聞きなれない言葉。セレンディピティセレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ること。「serendipity」という言葉は、イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポールが1754年に生み出した造語であり、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子 (The Three Princes of Serendip)』*という童話にちなんだものである。セレンディップとはセイロン島、現在のスリランカのことであるから、すなわち、題名は「スリランカの3人の王子」という意味である。ウォルポールがこの言葉を初めて用いたのは、友人に宛てた書簡において、自分がしたちょっとした発見について説明しているくだりにおいてである。この私の発見は、私に言わせればまさに「セレンディピティ」です。このセレンディピティという言葉は、とても表現力に満ちた言葉です。この言葉を理解していただくには、下手に語の定義などするよりも、その物語を引用したほうがずっとよいでしょう。かつて私は『セレンディップの3人の王子』という童話を読んだことがあるのですが、そのお話において、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。たとえば、王子の一人は、自分が進んでいる道を少し前に片目のロバが歩いていたことを発見します。なぜ分かったかというと、道の左側の草だけが食べられていたためなのです。さあ、これで「セレンディピティ」がどのようなものか理解していただけたでしょう?「観察の領域において、偶然は構えのある心にしか恵まれない」(Dans les champs de l'observation le hasard ne favorise que les esprits préparés.)・セレンディピティには「なにごとかに集中する意識があって、周囲の出来事を注意深く観察し、それに瞬間的に無心に反応する心が常に備わっていることが必要」で、かつ「気づいた偶然を解析する能力と根性」が必要であるとか。寝て待つ兎ではない(^^)*昔々、スリランカの国に3人の王子さまがいました。スリランカをアラビア語で【セレンディップ】と言います。王様である父上のジアファが、大きくなった3人の息子たちを鍛えるために旅に出しました。国を出発した王子たちはペルシャの国にやってきて、ひとりの男に出会いました。しかしその男はひどく落ち込んでいたので、王子たちはいったいどうしたのか尋ねました。すると男は『ラクダがいなくなってしまった。 旦那たち、ラクダを見ませんでしたか? 困りました。』王子たちはまるでそのラクダを知っているかのように話し始めました。『片目が見えないでしょ。』『歯が一本抜けてるでしょ。』『足も一本悪くて、引きずって歩くでしょ。』これがすべて当たっていたので、男は王子たちが本当にラクダを見たのだと思って王子たちが来た道を探しに行きましたが見つかりません。仕方なく道を引き返すと、また王子たちに会いました。『旦那たち、ラクダはいなかったよ。 本当にラクダを見たんですか? どうして知っていたのですか?』すると、王子たちはまた話し始めました。(略)
2023.11.03
山本草太「まさかここまで戻せるとは」 4回転3本成功 故障乗り越えGP初優勝10/29(日)フィギュアスケート ▽グランプリ(GP)シリーズ第2戦・スケートカナダ 最終日(28日、バンクーバー) 男子は昨季GPファイナル2位でショートプログラム(SP)1位の山本草太(中京大)がフリー3位の168・86点、合計258・42点で、GPシリーズ初優勝を飾った。 「今回の試合はファイナルにつながる試合ということで、すごく自分にとっても大事な試合になると思っていた。試合中、試合前は不安だったり緊張はあったが、氷に乗ってからは楽しむことができたし、演技中も楽しむことができた。それが今日の結果につながって良かった」冒頭から4回転サルコー、4回転―3回転の連続トウループ、単発の4回転トウループを次々と決めていった。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の転倒などミスはあったが、「エクソジェネシス交響曲第3番」の世界観を見事に演じ上げた。演技後は何度もうなずいた。エクソジェネシス交響曲第3番エクソジェネシス交響曲第3番曲:ミューズ山本選手は、宮本賢二さん振付の新フリー『エクソジェネシス交響曲第3番』を披露。「今回のプログラム選びは難航して、やっとこの曲に巡りあえたというか、この曲で今シーズン行こうと思えた。 自分のエクソジェネシスを表現できるかなと思います」「EXOGENESIS:SYMPHONY PRART3(REDEMPTION)」とは「エクソジェネシス(脱出創世記):交響曲第3部(あがない)」曲中に組み込まれている歌詞は、後悔している人がもう一度やり直したい気持ちを相手に訴えている内容。自分たちを許す最後のチャンスだと。Let's start over again もう一度始めようWhy can't we start it over again? もう始められないなんてことがあるものかJust let us start it over again そうだもう一度始めようAnd we'll be good そうすればうまくゆくThis time we'll get it 今度は成功するGet it right きっと成功するIt's our last chance to forgive ourselves ぼくらが自分を許す最後のチャンスだ
2023.10.29
米津玄師さん楽曲、米国でのヒットで「ゴールド」認定 日本語詞で初シンガー・ソングライターの米津玄師(よねづけんし)さんの楽曲「KICK BACK」が、米国の音楽業界団体である全米レコード協会から、米国内での記録的ヒットを示す「ゴールド」に認定された。所属レーベルの発表によると、日本語の歌詞の曲としては初の認定だという。 同協会は米国内のダウンロード数やストリーミングの再生回数などを独自に集計したユニットという単位に基づいて「ゴールド」や「プラチナ」の認定をしており、「ゴールド」は50万ユニット以上を記録した楽曲に与えられる。 所属レーベルによると、8月付で認定。日本人としては、1984年にオノ・ヨーコさんがジョン・レノンとの「DOUBLE FANTASY」「MILK&HONEY」でプラチナとゴールドに認定されて以来となる。 「KICK BACK」はテレビアニメ「チェンソーマン」のオープニング曲として書き下ろされ、昨年10月に配信開始。バンド「King Gnu」の常田大希さんも編曲に参加している。KICK BACK 歌詞
2023.10.27
ロサンゼルス・オリンピックでTBS系『SASUKE』をもとにした障害物レースが採用10/25(水) さまざまな難関の障害物に出場者が挑むTBS系の人気番組「SASUKE」を基に考案された障害物レースを加えた近代五種競技が、2028年開催のアメリカ・ロサンゼルス五輪で採用された。このほど行われたIOC(国際オリンピック委員会)総会で決まった。25日に開かれたTBSの定例社長会見で佐々木卓社長は「『SASUKE』というテレビコンテンツが五輪に正式採用されたのは画期的。とてもうれしく思う」と喜びを語った。「SASUKE」のフォーマットを使ったアメリカ・NBCで制作した海外版「Ninja Warrior」を基にした障害物レースで、近代五種の馬術に代わる新種目として採用された。障害物レースをめぐっては昨年テスト大会が4度にわたって実施され、TBSから「Ninja―」の撮影セットが貸し出されていた。新種目採用により、28年ロス五輪で注目度が一気に高まる競技になりそうだ。Ashlin Herbert speeds through Grand Final Stage 1 course | Australian Ninja Warrior 2021Ninja Warrior UK Race for Glory | HD | 2022 | Episode 1 | Heat 1
2023.10.25
1977年4月に発行の第1巻巻末に掲載された、本全集刊行開始にあたっての文章『日本農書全集』刊行のことば社団法人農山漁村文化協会 私どもが日本農書全集の刊行を企画しはじめたのは、十数年も前のことであります。当時私どもの活動に好意を寄せて頂いていた数人の農書研究者に相談をもちかけましたところ、ことごとくこの企画に強く反対されました。 いうまでもなく、農書全集が世に出ることに反対なわけではなく、この出版は大赤字になることを予測されたからであります。そして十数年を経て、再び同じ先生方にご相談申し上げましたところ、今度は大賛成でありました。理由は、農文協も赤字に堪えられる程度に成長したという認定に基づくものでありました。 農こそは、それぞれの国の気候・風土にそわねばならぬ人間の営みであります。それぞれの国の気候・風土にそって発展してきた農の営みを述べた農書は、それぞれの国の農学者や農民が常識として読むべき書物であると思います。ところが、わが国では農学者さえ、外国の農書は読むことがあってもわが国の農書は読まないという不思議な習慣があるように思われます。 それが十数年前、農書の研究家が「出版しても赤字になる」という忠告をされた理由でありましょうし、今日、採算は合わなくても私どもが出版したいと決意しなければならない理由であります。売れないから出版しない。出版しないから読めない。この悪循環をたちきりたいと思います。農を研究され農を論じる方々が、その気になれば容易に農書が読めるような状態をつくりあげることが私どもの念願であります。それがいささかでも日本の学問の習慣をかえることにお役に立ちますならば望外の幸せであります。💛農書が現代語で読めるようになったことに感謝!私たちは先人の努力でいまこうしていられる。私たちもまた後人のために何か良いものを遺さなければならない。「現代語 安居院義道」もそうした想いでクラウドファンディングで出版資金を募るべく準備中である(^^)
2023.10.22
【日本代表】W杯アジア2次予選初戦の相手はミャンマーに決定 1次予選でマカオを退ける来月からスタートする26年W杯北中米大会のアジア2次予選で、日本と同じB組にミャンマーが入ることが決まった。同1次予選の第2戦は17日、各地で行われ、ミャンマーが敵地でマカオと0-0で引き分け、2戦合計5-1で2次予選進出を決めた。第1戦はホームで5-1と快勝していた。日本は11月16日の2次予選の初戦で、ミャンマーと大阪・パナソニックスタジアム吹田で対戦する。
2023.10.18
現代語訳 鷲山恭平著「安居院義道」 校正 その14【編者注】近年、秦野市内における安居院庄七の報徳仕法の実践の記録の発掘がされている。原文を読みやすくして一部紹介する。なお、JAはだの「協同組合の原点『報徳』を広めた安居院庄七」で、内容が分かりやすく記してある(27~32頁)ので、以下に要約して転載する。 一八三三(天保四)年、三六(天保七)年、飢饉(天保の大飢饉)に見舞われた。農民はもちろん支配する武士も建て直しの方法が分らないでいた。 一八四三(天保一四)年横曽根村(秦野市小蓑毛)の庄兵衛が庄七を訪ねてきた。横曽根村は蓑毛村の隣。庄兵衛は貧困に苦しむ村の救済で悩んでいた。庄七が尊徳の教えを受けて帰り、家の商売を建て直していると聞いて庄七の所に相談に来た。庄七は村に出向き、名主や世話役ほか村人一同と話し合う。その後も二月から十月まで毎月三回は出向いて、報徳仕法による村人の生活救済と村の復興を説き聞かせた。「まず、みんながそれぞれの身の程、分度をわきまえてほしい。横曽根村の村高は五七石、家の軒数二二軒。一軒当り約二石六斗になる。その範囲で生活することを基本としなければならない。これが天性自然である。 天道の正理を恐れ、朝夕農業に励み、よく働いて、各々の本業を尽すこと。若し分度を見失うと大きな困難を免れない。人はみな、天地の間に生れて、天地の恵みを得て、天地の間に住んでいる。天地に従わないでよいはずはない。慎んで守る時は、安楽自在を得ること疑いないであろう」村人一同は「これからは、毎日、農業はもちろんその合間にも山稼ぎ、縄ない、むしろ・わらじ作りに励み、むだを省いて倹約に努めよう」と誓い、それを文書にしたためた。庄七は村人の協力、助け合いも指導した。「困窮の根元は、めいめい本業を怠り、分度を失って奢りに長じたからだ。村人が同じ所に生きることは前世の宿縁で、万代変わらぬ仕合せである。これからは互いに助け合い、申し合せて常々何事に限らず倹約を旨としていきたい。酒を止めその器物を売払い、煙草を止めてその道具を売払い、質素な服を用いてその余は売払い、神事仏事を厚くし長ずるを禁じ、講なども質素にし、年始や節句の祝儀も長ずるを禁じ、婿取り嫁取りの祝儀の長ずるのを禁ずる。このように節倹を尽して困窮する民のために勤労し、家政を取り直し、子孫を相続のために農業に出精いたします。」 その上で村役人にお金と米を拝借したいと願い出て認められ、それを元手に生活を建て直した。村人は文書で誓ったことを実践し、十年たった一八五三(嘉永六年)その間の積立が二十両になった。「前々からご厚情頂いたので上納致します」とある。庄七が秦野で報徳仕法の指導をした事が分かる。(続く)
2023.10.14
現代語訳 鷲山恭平著「安居院義道」 校正 その22四、信心作兵衛を訪れ、万人講へ その4 万人講より普請致し候場所昼夜燈一伊勢大神宮、二丈三尺余の大燈籠 勢州松坂より半道程先信通り道筋上川村と申す所へ相建て候 同一石清水八幡宮へ右同断 山城国石清水八幡宮一の鳥居の前に相建て候 十か年以前建立一神社仏閣に一丈八尺の常夜燈 勢州大燈籠地所同所へ相建て之有り候 十九か年以前建立一南都二月堂へ一丈八尺の常夜燈 南都奈良坂普請所坂の上に相建て之有り候一南都奈良坂並びに般若坂道両所の普請一京都大宮通車道敷石の普請一相州大住郡曾屋村道橋の普請 右の外少々ずつの道橋等の普請方表に数か所出来之有り候 以上が杉澤作兵衛氏の概要で、万人講の組み立ての抄録である。もちろん安居院兄弟の記録によったものであることは申すまでもない。なおその末文には次の記事が載せられている。 「わたくし事、先年上方へ参ったところ、不思議な因縁で万人講の最初から講元に付き添って、奈良に五年余りいました時、ご神慮のご加護があり、誠に心魂に徹し有難い事です。ついては私は相模国(神奈川県)出身ですので、相模国の人々に手をとって講中に加入させたいと存じます。」と弘化二年(一八四五)五月○日を以て浅田・安居院の両署名がある。 万人講は、杉澤作兵衛が晩年に及んで後事を安居院兄弟に託す事になり、これよりその後継者として各地に勧誘を努めた。今その足跡の詳細は判らないが、五畿内から東へ近江・伊賀・伊勢へと延びたらしく、もっとも著しいのは伊賀・伊勢であって、それには報徳をも加えている。また先生の述懐にも南部に五ヶ年余りいたとある。洞察力がある多才の先生の事だから、その地方の農業の進歩は見逃さない。元来、農業面は畑違いであるはずだが、後にはひとかどの農業者として栽培法を説き、稲の正条植え、種の薄蒔き及び茶の栽培のように、これを我が遠州地方に広く伝えた功績は大きい。それらはいずれもこの地方から取り入れられたものと思われる。 それから嘉永四年(一八五一)に弟浅田が伊勢に亡くなって片腕をもがれてしまい、特に報徳の道は、日に月に開拓されて忙しく、したがって万人講を顧みるいとまがなくなったので、同年の冬、これを遠州の報徳連中に相談して助けを頼んだ。ここに報徳社の力に継続されて、次の組織が出来上がった。
2023.10.10
安居院義道の風景 その3 青・壮年期の安居院庄七鷲山恭平氏は「先生は長じて同郡曾屋村十日市場の安居院家に婿入りしてその家をついだ。同家は磯屋と称して代々穀物商を営んでいる。それがどんな縁からか、いつ頃か、また何歳か全くわからない。・・・・・・この前後の経歴は全く不明」とされる。庄七が歴史に現れた最初は、桜町陣屋日記天保13年7月2日に「相州十日市場磯屋庄七と申者田蔵相便り罷越候事」である。戸石七生氏は「安居院庄七の報徳運動と参詣講」で、庄七の実家・神成家の協力を得て、庄七の文化的バックグラウンドである大山信仰と蓑毛御師文化についてその一端を明らかにされた。1.『御師の村』での神成栄氏への聞取によると、「1930年代半ばまで父親と一緒に節分から4月10日の祭りまで三島、沼津、足柄方面の檀家を廻った。この分布は近世と同じである。日程の内訳は興津10日間、清水4日間、静岡市周辺14日、広野4日間というものであった。」戸石氏は「安居院庄七の報徳運動普及運動も・・・・・・大山講を組織するノウハウが万人講や報徳社の設立に応用されたと考えられる」とされる。2.庄七が天保13年54歳で報徳に触れ発心する前の前半生は不明である。戸石氏は「安居院家婿入り前に縁談がなければ、庄七は30代か40代まで朝田家にいたことになる。安居院家婿入りが決まるまで、庄七は父や兄弟と駿河にある壇家廻りをしていたと推測できる。ただし、弟勇次郎は、体が弱かったとあるので、家に留まっていたかもしれない、後に筆子塚を建てたのも勇治郎が教えた弟子である可能性もある。」「庄七の報徳仕法普及は檀家廻りのノウハウに負うところが大きかったとも言える。」3.戸石氏は「なぜ庄七は関西に向かい、作兵衛を訪ねたのであろうか」と問題提起され、伊勢講・冨士講・大山講のネットワークを基盤に万人講を展開する計画を構想したのではと推論される。「もう一つの可能性として、安居院家に居辛くなった庄七が弟と二人で挑戦したくなり、万人講活動なら実家で培った御師のスキルが生かせると作兵衛を尋ねただけかも知れない」と述べる。蓑毛時代の庄七についてJAはだのの宮永均氏らが、尊徳の元から郷里に帰った庄七が天保14年に横曽根村(小蓑毛)からの依頼で報徳の指導をした記録を発掘された。「二宮金次郎殿門弟十日市場庄七と申人、報徳丹精之理解村方へ折々入来被致申聞せ、小前一同承服仕、右卯年より申合」とある。庄七は自家を復興すると共に、村の復興にも自信を持ち、「一家を廃して万家を興す」、報徳の教えを広めようと伝道に向かったものと思われる。
2023.10.09
二、安居院家を継いで商人となる その3 この安居院先生と報徳のつながりについては次の一説がある。「その頃、竹松村の隣村に安居院庄七という人がいた。先師が、曽比・竹松の二村に取り直し仕法取り調べのため出張されると、筆算するべきものが多いことから、この庄七氏を書記に命じた。氏はもとより英才かつ志あり。師の教諭を聞いてよく筆記し、仕法の書類を多く書写し、厚くその教えを信じ、よくその意を理解した。事が終わって後に伊勢神宮に詣でて、帰路この教えをもって駿遠二州に遊ぶ、二州にこの道が伝播したのは全く庄七氏の力である、云々」(福住正兄著「富国捷径」首巻)「時に翁その隣村にあり。子弟に授くるに法書(手本となる仕法書)を以てす。先師その能筆を聞いて、挙用して書記役とする。弟の浅田勇次郎もまた随(したが)う。兄弟は昼夜先師に親んで会得することが大変多かった。翁が一代の経営は既にここに基づく、云々」(雑誌報徳二十三号)とあることから、安居院・浅田兄弟の書記採用説が伝えられるが、我が遠江地方において先輩の伝える所では聞くところがない。桜町陣屋訪問の記事のように全く報徳には親しみも見えない、また二宮先生も未見の人のように面会も許されないと伝え、後の嘉永六年遠州七人組の日光訪問が初会見であったように伝えられている。(竹村篤氏・高山藤七郎老「聞き書き」による)また足柄下郡曽比竹松の仕法地について調べてみたが、安居院先生の関係は見つからない、また先生がその隣村に住んでいたとあるが、郡が大住郡と足柄郡との違いもあって理解しかねる。 本社理事、故神谷喜源治氏は、安居院先生は初め能筆ではなかった、筆道の研究にふけったのは晩年の五十余歳からである、能筆であったのは弟の浅田氏であって、或は同地仕法の手伝いに出たのは同氏であったかと思われる、と語られた。なお、筆者(鷲山恭平)の意見として述べれば、浅田氏が近江・伊勢地方において早くから報徳を説かれた所から、その資料はいずこから仕入れたか判然としていないが、必ずや小田原領の仕法から学んだより外にない、と思う。【編者注】「富田高慶先生との対話」(『富田高慶報徳秘録』所収)に次の一節があり、それからすると安居院先生は、小田原の曽比・竹松の報徳仕法の際、二宮先生の村民への教戒を聴聞しており、また仕法書の書き写しをしていたようである。「安居(院)は、旧大山御師なりと云う。曽比・竹松の両村御趣法御施行の頃、故先生が村民一同ヘ御教戒為されたる所を、障子(しょうじ)の外にて立ち聞きした人物で、御趣法はその頃、筆記に頼られていたのを幸いに写し置き、その御趣法に感じて、駿遠地方に説諭し、回られたり」〇磯屋取調(略)
2023.10.08
合体都市・北九州〜合体メガタウン!北九州市誕生の秘密とは?〜2023年10月14日福岡・北九州を特集するNHK総合『ブラタモリ』が10月7日、14日の19:30から放送60年前、5つの都市が合併して誕生した合体都市・北九州。タモリは福岡出身だが、ほとんど訪れたことがないという。番組では合併の背景にある知られざる物語を紐解き、江戸時代にまでさかのぼる藩の間の対立や、北九州エリアの繁栄が日本の近代に与えたインパクトを浮かび上がらせる。官営八幡製鐵所の世界遺産に指定された工場にも潜入。小学校の建物下に露出する石炭の地層に驚くタモリさん
2023.10.08
バレー男子、五輪出場権を獲得 バレーボールのパリ五輪予選男子東京大会第6日は7日、国立代々木競技場で4試合が行われ、日本はスロベニアに3―0で勝って五輪出場権を獲得した。5勝1敗とし、最終戦で敗れても3位スロベニアをセット率で上回るため出場圏内の2位以内が決まった。バレー石川祐希の「怒りの一撃」にネット興奮 抗議直後に「貴重な姿」「カッコ良すぎる」2023.10.06バレーボール男子のパリ五輪予選兼ワールドカップ(W杯)は10月6日、東京・代々木第一体育館で世界ランク4位の日本が同9位セルビアと対戦。3-0で3戦連続のストレート勝ちとなり、通算4勝1敗でパリ五輪出場圏内の2位に浮上した。第2セット途中、石川祐希がレフェリーに何かを確認した直後に強烈なスパイク、サービスエースと連続で得点。実況アナの「怒りの一撃」のフレーズも相まって「かっこいい!」「貴重な姿」などと話題になった。 第2セット、石川がレフェリーに近づき、何かを確認するようにやり取りした直後だった。まずはライトにあがったトスを強烈なスパイク。逆サイドにまで飛んでいく豪快なブロックアウトで、ガッツポーズを作った。さらに続くサーブも石川。凄まじい威力のボールを相手はレシーブであげられず、連続ポイントとなった。場内は大喝采。石川も吠えた。 抗議していたように見えた石川の直後の連続得点で、中継では「怒りの一撃」とも表現された。なぜ冷静沈着なキャプテン石川祐希は審判に激しく詰め寄ったのか? 抗議後のサービスエースには「流れを変えるプレーができた」と手応え来夏のパリ五輪出場を懸けた『FIVBパリ五輪予選/ワールドカップバレー2023』男子大会の第5戦が10月6日、国立代々木競技場第一体育館で行なわれた。B組の日本代表は、セルビアを相手にセットカウント3-0(25-17、25-14、25-22)でストレート勝利を収めた。冷静沈着なキャプテンの石川祐希が怒りを露わにした。第2セットで西田有志が相手オポジットのアレクサンダル・アタナシエビッチと接触し、4連続ポイントを許して12-9となった場面で、日本はチャレンジを要求。だが、判定は覆らず。納得のいかない石川は、審判に詰め寄って猛抗議をするも、やはりその主張は退けられた。試合後のミックスゾーンで「西田と相手選手が接触したあと、なぜ抗議をしていたのか?」という質問を受けると、石川は「こっちが(ラリー中の)セッターに対してチャレンジしていたのに、アクションが終わったあとのオポジットの選手の映像が出ていた」とコメント。求めていたチャレンジ内容と、審判が検証した内容が違っていたと説明した。実際の映像を見ると、西田の接触プレーの前、相手セッターのアレクサ・バタクの足がネットの下のセンターラインを超えていたようにも思われた。石川「ベンチはラリー中にチャレンジを申し立てていた。判定がビデオに出ると言われたのに、その映像が出ずに終わってしまった」だが、その直後には完璧なサービスエースを決めて雄叫びをあげた石川。一気にチームを勢いに乗せたエースは、「流れを変えるプレーがしっかり実現できた」と手応えを口にすると、続けて「そういうところも含めて(調子が)上がってきたと感じている」と力強い眼差しが印象的だった。
2023.10.08
💛数年前、岡山に行って翌日、小豆島に渡るチケットを買っていた。ところがホテルで急に鼻血が大量に出て、急遽病院に行って止血してもらった。患部を焼いて止血する。その折に看護婦さんに鼻血の止め方について教えてもらった鼻にティッシュをつめ、頭を後ろにするというのは間違っていて、小鼻の上を強く押す、どちらかというとうつむいて流れてきた血は飲み込まずに吐き出すということだった。夜中、急にのどに違和感があり、洗面所で吐き出すと 血の塊一瞬どこからと思ったが、鼻耳と思い出して、さっそく柔らかいハンドタオルを用意して教えられたとおりに対処する。なんとか止まったようだ。よかった、以前「鼻出血の正しい初期対応」を教えていただいていて(^^)「その鼻血、どう止める?」~救急医が鼻出血の正しい初期対応を教えます〜鼻の前の方に多くの血管が集まる「キーゼルバッハ部位」という部分があります(図の赤い丸)。場所は鼻の入り口から1cm程度奥になります。この「キーゼルバッハ部位」は多くの血管が集まるため出血することが多いと言われています。鼻血が起こった場合はまず鼻を両側から強く押さえます。「鼻の下1/3(キーゼルバッハ部位)」を押さえるのがよいと言われています。同じ位置でしっかり15分ほど鼻を押さえ続けます。重要なことは、途中で指を離して確認することなく、15分続けて力を弱めず押さえ続けることです。止まったのか確認しようと指を離すと、なかなか血が止まってくれません。鼻を15分押さえ続けた後も鼻血が止まらない場合は病院の救急外来を受診しましょう。昼間であれば耳鼻咽喉科クリニックでもよいですし、夜間や休日であればお近くの救急外来を受診してください。病院を受診された場合、鼻を押さえる以外の手段を使って鼻血を止める場合があります。鼻に止血薬を染み込ませたガーゼを詰めることが一般的に多いです。しかし、それでも出血がおさまらない場合は専門的な処置が必要になります。具体的には出血している部位を焼灼するなどを行います。*大人の方でとくに抗凝固薬や抗血小板薬など、いわゆる「血液サラサラ」の薬を飲んでいる方は当然鼻出血も止まりにくくなる可能性があり、注意が必要です。鼻血が気になる場合は、まずは薬を処方している先生に相談してみてください。自己判断で中止するのは、もっともやっちゃダメなことです。
2023.10.08
二、安居院家を継いで商人となる 先生は長じて同郡曾屋村(秦野市曽屋)十日市場の安居院(あごいん)家に婿入りしてその家を継いだ。同家は磯屋と称して代々穀物商を営んでいる。それがどんな縁からか、いつ頃か、また何歳か全くわからない。その妻を「ヒサ」といい、すでに先夫藤吉との間に数人の子があったと伝えられるから、相当の年配になってからのように推定されるが、この前後の経歴は全く不明である。これより一商人として家業に従事したことと思われるが、元来慧敏(けいびん=知恵があり気が利く)といわれる多芸の才物であったから、壮年時代は特に鋭気満々として、空しく一草蘆(そうろ:草ぶきの庵)に起き伏しすることをいさぎよいとしないで、常に一攫(いっかく)千金を夢見る山気があった。そのためその考えから出発し、たどった道は米相場であった。これは修験の家に生まれて陰陽説の信奉、気候風土の物産や物価に影響する等の天文記、安居院先生の没後に遺物として残された玉手箱(著作物)に結びついて考えられる。しかしこの手筋は一般に金儲け猛者(もさ)連の着眼する常道で、新発見でも天外からの福音でもない。ちょうど賭博(とばく)をする者が金にのみ眼がくらんで、自分だけは当たることだけ思い込んで、外れたら損をすることの分別が見忘れているのと同じである。さすがの先生といえども、また一直線に突進して浮き身をやつして、一進一退、虚々実々の場面にしのぎを削った。時には面白おかしく鼻高々の面もあったことと想われるけれども、いつまでもそうは甘くはない。遂には一敗地にまみれて大きな傷を受ける破目に落としいれられた。そして「しまった」と気づいた時は、自分の金銭を失くしたのではなく、養家の財産をすっかりなくしてしまった。しかし申し訳がないからと腹を切る気にもなれず、運が悪いからだと自己弁護に都合のいいふうに解釈し、もし金があったら取り返せそうな気がする。誰か資本を貸してくれる人はないか、最後の一戦に運命を賭けてみたいと念じていた。(続く)
2023.10.06
伊藤美誠「私の経験が世界を目指している子供たちのお役に立てるよう」自身の名を冠したジュニア大会を来年3月に長野で開催へ「第1回 伊藤美誠杯 卓球ワールドチャレンジ in NAGANO 」が2024年3月2日と3日の2日間、長野・ことぶきアリーナ千曲で開催される。伊藤「私の名前がついた卓球大会が開催されること、大変うれしく思っております。開催地の長野県は、主催財団の村石理事長の故郷であり、私の故郷・磐田市と『霊犬しっぺい太郎伝説』*でつながっていたという、驚きの発見がありました。また、6歳の時には長野のオープン大会(楢川荻村杯)・バンビの部で優勝しました。これらのご縁も大切に、私の経験が世界を目指して頑張っている子供たちのお役に立てるよう、小さい頃を楽しく思い出しながらアイディアを練り、村石スポーツ財団様と一緒に回を重ね、大会を大きくしていきたいと思います」*霊犬しっぺい太郎伝説 見付の里(今の磐田市)では、毎年8月の初めになると、どこからともなく飛んで来た「白羽の矢」が、ある家の屋根に突き刺さっていました。矢を立てられた家は年番といいました。年番では、その家の娘を生きたまま柩 (ひつぎ)に入れて、8月10日の真夜中に見付天神へお供えする、悲しい「しきたり」がありました。里人たちは、今年も泣く泣く娘を白木の柩に入れて、皆でかついで神社に向かいます。一点の明かりも見えない真っ暗な山道を進み、柩を社前に降ろしたら一目散に逃げ帰ります。しばらくすると天地鳴動(地ひびき)して怪神が現われ、大きな声をあげて柩をかき破り、ついに娘を食い殺してしまいます。 このような悲しいできごとが、毎年繰り返されていたのです。 ある年(延慶年間)に、雲水(旅の僧)が見付の宿へ通りかかりました。ところが、お祭りで楽しいはずの里人たちが、皆とても悲しそうな顔をしています。不思議に思った雲水が話を聞いたところ、この泣き祭りのことを知りました。雲水は、「見付の神様が、そんなことをするはずがない。」と思い、何とか里人を助けたいと考えました。そこで祭の夜にこっそり神社の様子をうかがいに行きました。 夜中になり、地響きととも現れたのは、神ではなく見るも恐ろしい妖怪でした。「信濃の国の悉平太郎に知らせるな。今宵今晩このことは、悉平太郎に知らせるな」 どうやら妖怪は、信濃(長野県)の悉平太郎(しっぺいたろう)を怖がっている様子でした。 これを聞いた雲水は、悉平太郎を探す旅に出ました。 信濃の国へ行って「悉平太郎」という人を探しますが、どうにもわかりません。更に根気よく探していると、それは光前寺に飼われている、たくましい犬だということがわかりました。 さっそく住職に会って事情を話し、悉平太郎を借り受けたいとお願いをしたところ、こころよく承諾してくれました。 雲水は悉平太郎と共に見付へと急ぎ帰りました。 雲水たちが見付に帰ってくると、次の年の8月になっていました。 今年も年番の屋根に白羽の矢が立っています。雲水はじめ里人たちは、娘の代わりに悉平太郎を柩に入れることにしました。 里人達は、例年のように神社の前へ置いて早々に帰りました。 やがて山内鳴動して、妖怪が現われました。妖怪がバリバリと柩を破るやいなや、中にいた悉平太郎は猛然ととび出して、妖怪に襲いかかりました。 悉平太郎と妖怪の格闘の響き声が、見付の里まで聞こえてきました。長い長い闘いの末、ようやく静かになりました。 次の日、里人が、恐る恐る神社へ来てみると、年経た狒々(ひひ)が血まみれで巨体を横たえていました。周囲を見回すと、いかにものすごい闘いであったかを示すように、いろいろなものが散乱していました。それは目をおおうようなありさまでした。その横では悉平太郎がケガをしていましたが、幸いにも生きていました。とうとう悉平太郎が妖怪を退治したのでした。 見付の里人は、悉平太郎の立派な働きぶりに心から感謝し、大般若経六百巻を書き写して光前寺へ奉納しました。
2023.10.06
『らんまん』最終回を終えて 制作統括・松川博敬「大きな勇気をいただいていました」◯松川博敬(制作統括)コメント『らんまん』を熱心にご覧いただき誠にありがとうございました。皆さんからの熱い声援が撮影現場にダイレクトに伝わり、キャスト・スタッフ一同、大きな勇気をいただいていました。個人的には改めてドラマ制作の面白さを感じた半年間でもありました。『らんまん』が皆さんの心の中に小さな宝物として、いつまでも咲き続ければうれしいです。💛9月3日(火)朝5時ごろ 夢の中で 大学の講義みたいなのだが前の右側の三席の真ん中の席を確保していたら、ちょっと席をはずしていたら、一番末に置かれていた争うことなく机の位置を変えて「これでいい」と席に座っていると歓声の声現れ出たのは らんまん の大窪講師*思わず夢の中で「感動です」と言うとまんざらでもない表情夢の中でこんなにも映像ではっきり見え、心動かされることに自分でも驚いた!さらに大きな歓声がしたので、徳永助教授でも出てくるのかと思ったら、髪を半分青く染め眼鏡をかけた若い人誰この人?*第74回 大窪「お前は、ただ草花が好きだと笑った。そんな人間は一人もいなかったんだ」直後に放送の『あさイチ』には、ゲストとして今野が出演。三倉茉奈「大窪さんだ~! もう大活躍の大窪さん!」今野「らんまんの出演者のみなさん、どうやってここ(スタジオ)にいるんですか。恥ずかしくてしょうがないです・・・」*『らんまん』ついに最終回…時代考証から見た明治の官と民とアカデミズムQ 万太郎は上京して東京大学に出入りするようになりますが、小学校中退という学歴の壁に直面し、学内の派閥争いに 翻弄ほんろう されて、植物学教室から排除されたり復帰したりしていますね。 東京大学植物学教室では田邊彰久教授(演:要潤さん)や徳永政市助教授(演:田中哲司さん)が登場します。富太郎が植物学教室を訪ねた時には、矢田部良吉や松村任三、大久保三郎といった人たちが教授や助教授を務めていました。ドラマでは田邊は自身の研究に万太郎を利用しようとして、万太郎が拒むと教室への出入りを禁じます。実際に矢田部は富太郎に教室への出入り禁止を命じていますが、富太郎とうまくいかなかった期間が長いのは、むしろ在任期間が長かった松村の方なんです。松村は富太郎を植物学教室に呼び戻しますが、その後は「俸給を上げてほしい」という願いを却下し続け、富太郎を再び追い出そうとしています。Q 東京大学による矢田部の人事評定を見ると、「能力は高く、業績も上げていて、学生の指導にも熱心だ」と高く評価されていて、年俸も2400円から3000円に引き上げられています。矢田部自身の能力や指導に問題があれば、東京帝大を追われた後に、東京高等師範学校の校長(現在の筑波大学学長)に就くのはおかしい。非職の理由は矢田部の能力不足ではありません。 ドラマでは初代文部大臣の森有礼(演:橋本さとしさん)が明治22年(1889年)に暗殺され、森の片腕と目されていた田邊が後ろ盾を失ったことを非職の一因のように描いていました。史実では矢田部も菊池も森の開明的な教育方針を支持していましたから、矢田部が非職になったのは森の暗殺より、菊池との派閥争いに原因があったと考えられますが、ドラマとしては、派閥争いよりも森という大きな存在に着目する方が自然な流れになるということなのだと思います。Q 帝大を非職になった田邊は、その後まもなく鎌倉で遊泳中に溺死してしまいますが、史実で矢田部が水死したのは非職から5年も後のことです。田邊が自分の蔵書を槙野に譲ったというのもドラマの創作です。しかし、さまざまなポストを解任された矢田部が、植物学の研究に戻っていくのは事実です。 矢田部は森の部下として外務省の御用掛で渡米したのに、仕事を放り出してコーネル大学に入って、そのまま外務省の役人を辞めています。ドラマの中の田邊は、植物学が好きだったからこそ万太郎をライバル視し、最後は日本の植物学の発展を託したというストーリーにしています。実際の矢田部と富太郎の関係も、これに近かったかもしれません。Q ドラマでは、失意の田邊を再び植物学の道に戻したのは、後妻の聡子(演:中田青渚さん)の助言でした。綾や寿恵子も逆境にめげない強い女性として描かれていました。 史実では、先妻に先立たれた矢田部は女学校の生徒だった18歳年下の柳田順を後妻に迎えています。校長先生と女学生の夫婦をスキャンダラスに描いた小説が新聞に連載されたのは、ドラマでも描かれた通りです。矢田部が新聞社を訴えて連載は中止されますが、夫婦は好奇の目にさらされたことでしょう。しかし、ドラマでは聡子も逆境にめげずに成長し、田邊と対等の関係を築いていきます。 この時代は平塚らいてう(1886~1971)や市川房枝(1893~1981)といった婦人運動家が活躍するひと世代前で、聡子が学んだ頃の女子教育の基本は良妻賢母を育てることでした。ただ、文部大臣として教育改革を進めていた森はクリスチャンで、儒教型の夫唱婦随を理想とはしませんでした。家庭を切り盛りして子育てをしていくには女性にも知識や教養が必要だと考えて、高等女学校を作った時に、男子の旧制中学校と同等のカリキュラムを作り、「外国語や物理、化学といった教科を女子にもしっかり学ばせるべきだ」と言っています。 しかし、森が暗殺された後に教育行政の主導権を握った井上毅(1844~95)は、裁縫や料理といった家政学中心の女子教育にシフトさせていきます。同じ良妻賢母教育といっても、森の暗殺でその中身は大きく変わることになります。 キリスト教をベースとする欧米の価値観でも、当時はまだ男性優位でしたが、森は日本で初めての契約結婚をしています。契約といっても中身は「お互いを敬いあう」といったキリスト教の結婚式の宣誓のようなものですが、妻は夫の付属物という考えとは明らかに違います。ドラマは聡子の成長を通じて自立する女性を描きたかったのでしょう。寿恵子はそういう教育を受けていないのに、自分の才覚で夫を支えています。かなり進んだ価値観の持ち主だったと思います。Q ドラマでは田邊も徳永も権威主義的で、国への奉仕を意識しているように見えました。当時の帝大では当たり前のことだったのですか。 学歴も権威もない万太郎とエリートの帝大教授との立場の違いを際立たせるため、ドラマでは権威や学歴、国への奉仕を重視する姿をやや誇張しています。実際は矢田部や松村が帝大の権威を振りかざすことも、ことさらに国への奉職を意識することもなかったと思います。今の東大で植物学を教える東山哲也教授と対談する機会があったのですが、東山教授も「当時も教員と学生が酒を酌み交わしたという記録があり、植物学教室はドラマが描くほど権威主義的ではなかった」と話していました。ただ、帝国大学令の第1条は、設立の目的に「国家の求めに応じて学問技芸を教授する」と書かれています。大学の設立目的を踏まえて動いていたことは間違いありません。Q ドラマの中では、田邊の後任の教授になった徳永は留学先でさげすまれ、欧米を見返してやるという強い意思を持っているように描かれていました。ドラマの中でもたびたび「一等国になる」というセリフが出てきました。 黄色人種やアジア人に対する差別はあったかもしれませんが、明治時代の留学生の報告書を見ても、「日本人は同じ学校に通うな」「同じ授業に出るな」といった差別を受けた記録はありません。ただ、語学の壁もあって、なかなか授業についていけない自分をふがいなく思うことはあったでしょう。当時の留学はほとんどが国費留学ですから、多くの留学生は「自分は国に選ばれたエリートだ」と自負し、国の期待に応えなければ、という気負いもあったはず。理想と現実のギャップを乗り越えるため、「いつか必ず見返してやる」と考えるようになったのかもしれません。◆実際は、アメリカ、ドイツに留学した内村鑑三や新渡戸稲造らはひどい差別や侮辱を受けたことを記している。もちろん親友もできるのだが、実は白人もアイルランド出身などは侮蔑されていて廣井勇も「イエロー」と侮辱された白人に「あなたはアイリッシュか?」と答えて相手を憤慨させている。Q 大窪昭三郎(演:今野浩喜さん)のモデルになったと思われる大久保三郎は、東京府知事の大久保一翁(1818~88)の息子ですよね。ドラマでは父親が旧知の勝海舟(1823~99)に頼んで東京帝大にコネで入ったことを万太郎に告白するシーンがありました。 あれは『らんまん』のオリジナルです。史実では、勝は「一翁が息子の就職の相談に来た」と日記に記しているものの、口利きをしたとしても、それは東京帝大に入る時ではありません。大久保は英米に留学して植物学を学び、知識を買われて植物学教室の助手になっています。 ドラマで大窪は、ドイツ留学から戻った細田晃助(演:渋谷謙人さん)に教授の座を奪われてしまいます。史実では、三好学が先輩の大久保を押しのける形で教授になり、居場所がなくなった大久保は矢田部と同様に東京高等師範学校に移っていますから、矢田部の派閥の一員とみなされたのかもしれません。その後、大久保は教科書の 編纂へんさん などに携わり、植物学からは離れていきます。Q 明治の日本は欧米に追い付こうと必死でしたが、工学や農学、商学などと違って、植物学は富国強兵、殖産興業には縁遠い学問です。ドラマに登場する波多野泰久(演:前原滉さん)や藤丸次郎(演:前原瑞樹さん)は、他の学部の学生に劣等感を抱いていたようにも見えましたが。 東京帝大の植物学教室は工学、農学より古く、東京大学創設当時からの歴史があるので、学生に負い目はなかったと思います。西洋式の近代教育の普及を急いでいた明治新政府は、分野に関係なく近代的な中等教育を担える教師を必要としていました。植物学教室の学生が引け目を感じていたことはなく、むしろ西洋の学問を日本に根付かせるため、自分たちの研究は大事だという意識があったと思います。実際に富太郎が東大を訪ねた頃にともに学んだ学生は、大きな研究成果をあげています。大久保も含めて、その後は教職についた人が多いのも、東京大学に教師育成の役割が期待されていたことの表れでしょう。Q 本人は登場しませんでしたが、ドラマでは終盤で南方熊楠(1867~1941)との交流も描かれました。南方は神社 合祀(ごうし) 令によって鎮守の森が伐採されようとしていることに反対し、ドラマでは万太郎も南方に共鳴しています。南方の地元の植物を調査して公表することを決断し、公表すれば事実上の合祀令への反対表明になるから、東京帝大を辞めるという話になっていましたが、これはドラマの創作です。 南方が富太郎にハチクを送って交流しようとしたのは史実ですが、富太郎は南方に会おうとしませんでした。これはドラマが描くように東京帝大に迷惑をかけないためではなく、民俗学などにも手を出す南方を植物学者と見ていなかったからだと思います。 南方が反対した合祀令は地方改良運動の一環として行われました。合祀によって神社が立つ土地の権利関係を整理して課税不能な土地を減らし、税収増につなげる狙いがあったのですが、期待された効果が上がらないまま中止されています。
2023.10.03
「全国どこから移住しても1世帯に500万円」10年後の人口維持・増加を見据え大胆な支援策 移住者が急増“都城市”10/2(月) 「全国どこから移住しても1世帯につき500万円給付」「子育て三つ星タウン3つの完全無料化」などの施策で、宮崎・都城市では、2023年4月からのわずか4カ月で2022年度1年間の移住者の数を上回った。都城市の池田市長「10年後に人口増加へということで、今政策を打っているんですけど、思っている以上に反応していただいて、実際に移住の方もかなり増えているということは大きいと思います」支援策の一つは、100万円以上の現金が給付される「移住応援給付金」だ。大胆ともいえるこの給付金は、三股町と鹿児島・曽於市、志布志市を除けば全国どこから移住しても受けられる。給付を受けるには事前に都城市への登録が必要で、給付額は単身者が100万円、世帯での移住は200万円、さらに中山間地域への移住で100万円が加算される。子どもも一人あたり100万円ずつ加算される手厚い支援だ。都城市 人口減少対策課・新坂斉士副主幹:このまま何も手を打たないでいってしまうと、人口がどんどん減っていく。そうすると地域コミュニティーの維持だったり、インフラの維持がかなり難しくなってくるところではあるが、人口減少を食い止めて、10年後に人口増加に転じさせたい自治体にとって移住実現のカギは、職業の紹介だ。愛知県から移住した人「給付制度のお話を伺いに来たんですけれども、最初から最後まで同じ方が面倒見てくださって、親身になって相談に乗っていただいています。僕たちが移住を決めて調べ始めてからよりも給付額が上がってて、中古物件も自分たちのお金で補修するのが難しいので、すごく助かっています」移住実現のもうひとつのカギは、子育て支援だ。第1子からの保育料と中学生までの医療費、妊産婦の健診費用が、2023年度から完全に無料となった。子育てにかかる費用の無料化は、移住者の大幅増加につながっている。都城市 人口減少対策課・新坂斉士副主幹:子育てがしやすい環境が都城市にあるといったところが「長く住もうかな」といったところにもなるので、住みやすい環境を考えていくことが定住につながっていくのかなと思います都城市・池田宜永市長:もともとの目標が、なかなか厳しい目標なのは十分承知の上ですけど、それでも十分に今、我々が思っている形でいくと、今のところは悪い形ではない10年後の人口維持、そして増加を目指す都城市の取り組み。初年度の移住者の数は、4カ月で前の年度を上回る好調な出だしとなっている。
2023.10.02
昨日(2023年9月27日)の午後秦野の出雲大社相模分祠に行って、宮司さんのお話をお聞きした隣接する広大な鎮守の杜は宮脇昭横浜国大名誉教授の指導で植樹したものという「ドングリは千年の森をつくる」に宮脇語録が載っている宮脇昭語録・何百年何千年土地の人々と生きてきた土地本来の森が一番大事なのではないか・人間が本当の英知を持っているなら、その欲望の極限より少し手前でおしとどめるべきである・都市の周りの森林を破壊したとき、その文明は破滅させられ、その周りは砂漠化していく・本だけに頼るな、まずは現場に行け。
2023.09.28
9/23(土) 2024年ブレイクスルー賞、基礎物理学、生命科学、数学部門受賞者の業績生命科学部門で受賞した3チーム・米国のバイオ医薬品会社Vertex Pharmaceuticals(バーテックス・ファーマシューティカルズ)のフレデリック・ヴァン=ゴアとサビーネ・ハディダ、ポール・ネグレスクは、遺伝性疾患の治療に関する革命的業績バーテックスの科学者たちは1989年、小児に進行性の肺疾患を引き起こす嚢胞性線維症の原因となる遺伝的要因の1つを初めて特定した。現在、米国では約4万人がこの疾患に罹患している。遺伝的要因が発見された当時、この疾患の患者の平均余命は30年未満だった。米食品医薬品局(FDA)は2019年、バーテックスの研究者が開発した「トリカフタ(Trikafta)」を承認した。これは、同社が開発した3つの薬剤を組み合わせるトリプル併用治療法であり、原因となるタンパク質を修復する。注目すべき点は、90%以上の患者に効果があると考えられていることだ。・生命科学部門で受賞した研究者は、バーテックスチームの他にも2組いる。ペンシルベニア大学のカール・ジューンと、メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターのミシェル・サドレインは、CAR-T細胞による免疫療法を白血病に対して初めて使用し、この療法を前進させた。この種の治療法では、患者自身の免疫細胞を採取し、遺伝子操作して、がん細胞を標的として攻撃させるようにする。この技術はがん治療に革命をもたらし、CAR-T細胞は現在、さまざまながんに応用され、感染症への応用も検討されている。・もう1組の生命科学ブレイクスルー賞は、独テュービンゲン大学のトーマス・ガッサーと、NIH傘下の研究所に所属するエレン・シドランスキー、アンドリュー・シングルトンに授与された。彼らは、パーキンソン病の発症につながるヒトゲノムの危険因子の解明に貢献した。さらに彼らの研究は、パーキンソン病は単一の原因ではなく、がんと同様に、さまざまな原因で発症する疾患群であると考えた方がよいという、パーキンソン病に関する現在の理解を深めるのに役立った。■数学部門のブレイクスルー賞コロンビア大学の数学者サイモン・ブレンドルは、微分幾何学の発見に対して受賞した。ブレンドルは特に、リッチフロー(Ricci flow)と呼ばれる概念に関わる数学的問題に関して重要な研究を行ってきた。■基礎物理学部門のブレイクスルー賞オックスフォード大学のジョン・カーディと、ニューヨーク州立大学ストーニー・ブルック校のアレクサンダー・ザモロドチコフは、基礎物理学における発見で受賞した。この2人の科学者は、場の量子論に重点を置いており、その研究は材料科学に実用的に応用されている。例えばカーディは、ある物質が絶対零度に近づくにつれて超伝導になる時期を予測するのに役立つ数式を考案した。
2023.09.23
「農業余話」と「万作徳用鏡」の「肥培」の対比「農業余話」〇それ肥培は山海にてその品多き事なれば悉くは云い難し。(略)先ず塩気は肥培の要と知るべし。(略)田畑の肥培の類にてもその品により相応の塩気なき時はその効出で難し。万物その功出でしむるは則ち肥培の基なるものなり。(略)〇灰は民家の竈にて日々に出来るものにてその功甚だ多し。(略)畑ものの肥培とすべし。(略)〇土地により強土にて閉じまりて稲の栄え難きには稲麦などの糠を肥培に用いれば極めてよし。(略)強土には必ず穀糠を用うべし。その功少なからず。〇或人曰く、干鰯の塩気強きはその能少なし、この理如何。答う。海魚は潮に育ちし物なれども持ちたる塩気は薄きものなり。晴天にて早く乾かしたるはその能よし。雨天の時は魚腐る故、塩にて保たすなり。是を乾したるは塩強くてその能わろし。自然塩ある上に塩加える故過ぎてその効少なきなり。〇総て苗ものの床のはだごえには月代の剃髪に並ぶものなし。(略)剃髪は無難にきくものなり。聊かも害になる事なし。(略)この髪鬚(かみけ)の肥培に用いて無類の功能ある事は己が初めて考えたる事なり。京大坂などにては無益に捨る事なしと見ゆれど、江戸などの繁花の地にては徒らに捨るよしなり。さればよく心をつけて髪結床のそり毛ぬけ髪を集めたらぬには過分の利となるべきなり。誰ぞありてこの事をなしたらば穀物豊饒(ぶにょう)の基となるべしと常に乞い願い侍るにこそ。(略)「万作徳用鏡」菌の事、はその品多き事なり。国所によりて様々の勝手あれは詳しくは云ひ難し。塩気は肥しの元と知るべし。塩けなきものは肥しのきき悪しきと知るべし。灰は何處にても菌に用ひるものなれども、灰は火の粕にて水氣を吸上る物故、畑の菌とす。米麥の糠は土を緩める物なり、土の堅く締りたる所へ菌に用ゆべし。"干鰯の鹽氣過ぎたるは菌にして利き道惡しきなり、是は如何にとなれば鰯を干す時、日の照らざりし故なり、腐らまじとて少し鹽をしたる故、持前の鹽氣よりは強くなりたる故、鰯の精氣ゆるみてきき道惡しきなり。干鰯を求むる時、能々心付べき事なり。""苗の菌を種々にして様(タ)めし試みたるに、人々さかやきを剃りたる毛に越す物はなし、然れども澤山にはなきもの故に求め難し、繁華の所の髪結床にては塵芥の如く剃る故に、次でを求めて賴み入、物を遣し置て貰ひためて、當の菌に少しづつまぜてきき道十倍なり。空しく捨るにはおしきものなり。人の髪の油がすも菌に大妙なり。""畑に作りたる物に旱り續きで水を懸ける事あり、日中には懸べからず曇りたる日か又は日暮にかくべし。是等は人の知りたる事なれども、水肥を懸るも右に同じ。朝早く懸るも惡し。扨鹽氣は陰なるものなり、土も陰なるものなり、陰と陰とのみなる故土を養ふ成り、人の鹽氣を以て身を養ふも腹の中のゆへ陰鹽氣が養ひとなるなり。されはとて鹽氣過ては養ひとならず、人にも鹽か過ては甘くは食へられぬなり。扨又萬の物生なる中は陽にして火に即する故、腐りては陰にして水に即す。人も生きてゐる内は暖かにして火に即し、死すれば冷めたくなるて水に即し、腐りては水となるなり、此陰陽の道理をよく辨ゆる時は、作物は總て陽の火にそくし、菌が都て陰の水にぞくする故、陰陽和合して養育といふことも判るなり。右の如くなれは腐りたる物は何によらず菌となる故、菌に使ふ物は、能く腐りたるものなり。川に有て菌腐りたる物も菌に使ふべし。鹽漬けにして腐りたる物等取捨べからず、菌に用ゆべし。刈たしの茎や葉付はあしきもあれど、根の養には却つてよき物なり。"
2023.09.22
宇宙空間の巨大な目? 珍しい「極リング銀河」、電波観測で偶然発見9/20(水)オーストラリアの西オーストラリア州にある電波天文台で観測を行っていた研究チームが、珍しい「極リング(極環状)銀河」を2つ偶然発見した。その外観はまるで、銀河が丸ごと中に入った巨大な目のようだ。極リング銀河は、恒星が渦巻き状に分布する円盤部に直交する、美しいガスのリングを持つ特異な銀河だ。銀河600個の水素ガスの調査中に発見されたこの2つの銀河は「NGC4632」と「NGC6156」として知られるどちらも渦巻銀河で、おとめ座と南天のさいだん座にそれぞれ位置している。今回の研究をまとめた論文の筆頭執筆者で、カナダ・クイーンズ大学物理・工学物理・天文学部の博士研究員ネイサン・デグは「極リング銀河は、宇宙で最も目を見張るような外観の銀河の1つだ」と指摘。「今回の研究結果は、近隣の銀河の1~3%にガス状の極リングがある可能性があることを示唆している。この割合は、光学望遠鏡で示唆されるよりもはるかに高い」クイーンズ大物理・工学物理・天文学部の教授で、カナダ王立軍事大学にも所属するクリスティーン・スペッケンズは「これは、最高の『偶然の発見』だ。見つかるとは本当に思ってもみなかったものを発見した」と話す。「これらの結果は、これまでに実施されたよりも深く、かつ広く空をマッピングすることの、途方もなく大きな重要性を如実に示している」
2023.09.21
ラグビー日本代表 選外だった山中亮平が追加招集 マシレワが負傷離脱 日本協会が発表 山中「第2章が終わってなかった」9/18(月) 35歳の山中は2019年日本大会で全5試合に出場し、日本の初8強入りに貢献。W杯前の今季の代表活動ではサモア戦とトンガ戦の2試合に先発出場していたが、最終的なメンバーから外れていた。 ただ、落選後には自身のX(旧ツイッター)を更新し、「諦めるのは性に合わない」と宣言していた代表引退を撤回して2027年W杯オーストラリア大会を目指す意向を明かしていた。現在は世界各国から選抜された選手で編成される「バーバリアンズ」の欧州での活動に参加しており、この日にも代表本隊に合流する見込みとなっている。 山中は発表後に自身のX(旧ツイッター)を更新。「第2章がまだ終わってなかったな。」と、思いをつづった。
2023.09.19
ヘルクレス座で輝くアインシュタインの十字架 南米の大型望遠鏡が撮影9/17(日) ヨーロッパ南天天文台(ESO)が運営するチリのパラナル天文台にある「超大型望遠鏡(VLT)」の広視野面分光観測装置「MUSE」を使ってとらえられた「ヘルクレス座」の一角を捉えた画像画像の中央には不思議な姿をした天体が写っています。オレンジ色の輝きを中心に、4つの青白い輝きがまるで十字を描くように配置されている本当にこのような形の天体が存在するわけではなく、実際には2つの銀河が関わってできたものではなく、「重力レンズ効果」が作り出した見かけの姿。重力レンズとは、手前にある天体(レンズ天体)の質量によって時空間が歪むことで、その向こう側にある天体(光源)から発せられた光の進行方向が変化し、地球では像が歪んだり拡大されたり、時には同じ天体の像が複数に分裂して見えたりする現象。オレンジ色に見える手前の銀河(約54億光年先)の質量によって、その向こう側にある遠いほうの銀河(110億光年以上先)を発した光の進む向きが変化し、地球からは像が4つに分裂して見えているのです。重力レンズ効果はアルベルト・アインシュタインの一般相対性理論によってその存在が予言されていた現象であることから、画像のように十字を描くように分裂して見えるものは「アインシュタインの十字架」(Einstein Cross、アインシュタイン・クロス)とも呼ばれている。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる終点近くの十字架を思い出す。 俄(には)かに, 車のなかが,ぱっと白く明るくなりました。見ると,もうじつに,金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたやうな,きらびやかな銀河の河床の上を水は声もなくかたちもなく流れ,その流れのまん中に,ぼうっと青白く後光の射(さ)した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに,立派な眼もさめるやうな,白い十字架がたって,それはもう凍った北極の雲で鋳(い)たといったらいゝか,すきっとした金いろの円光をいただいて,しづかに永久に立ってゐるのでした。 「ハルレヤ,ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかへって見ると,車室の中の旅人たちは,みなまっすぐにきもののひだを垂れ,黒いバイブルを胸にあてたり,水晶の数珠(じゅず)をかけたり,どの人もつつましく指を組み合せて,そっちに祈ってゐるのでした。思はず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬(ほほ)は,まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかゞやいて見えました。 (七,北十字とプリオシン海岸)宮沢,1986 「さあもう支度はいゝんですか。ぢきサウザンクロスですから。」あゝそのときでした。見えない天の川のずうっと川下に青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた十字架がまるで一本の木といふ風に川の中から立ってかゞやきその上には青じろい雲がまるい環(わ)になって後光のやうにかかってゐるのでした。汽車の中がまるでざわざわしました。みんなあの北の十字のときのやうにまっすぐに立ってお祈りをはじめました。あっちにもこっちにも子供が瓜(うり)に飛びついたときのやうなよろこびの声や何とも云ひやうない深いつゝましいためいきの音ばかりきこえました。そしてだんだん十字架は窓の正面になりあの苹果の肉のやうな青じろい環の雲もゆるやかにゆるやかに繞(めぐ)ってゐるのが見えました。 「ハルレヤハルレヤ。」明るくたのしくみんなの声はひゞきみんなはそのそらの遠くからつめたいそらの遠くからすきとほった何とも云えずさはやかなラッパの声をききました。そしてたくさんのシグナルや電燈の灯のなかを汽車はだんだんゆるやかになりたうとう十字架のちゃうどま向ひに行ってすっかりとまりました。 「さあ、下りるんですよ。」青年は男の子の手をひきだんだん向ふの出口の方へ歩き出しました。 「ぢゃさよなら。」女の子がふりかへって二人に云ひました。 「さよなら。」ジョバンニはまるで泣き出したいのをこらえて怒ったやうにぶっきり棒に云ひました。女の子はいかにもつらそうに眼を大きくしても一度こっちをふりかへってそれからあとはもうだまって出て行ってしまひました。汽車の中はもう半分以上も空いてしまひ俄かにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいに吹き込みました。 そして見てゐるとみんなはつゝましく列を組んであの十字架の前の天の川のなぎさにひざまずいてゐました。そしてその見えない天の川の水をわたってひとりの神々(かうがう)しい白いきものの人が手をのばしてこっちへ来るのを二人は見ました。けれどもそのときはもう硝子(ガラス)の呼子(よびこ)は鳴らされ汽車はうごき出しと思ふうちに銀いろの霧が川下の方からすうっと流れて来てもうそっちは何も見えなくなりました。たゞたくさんのくるみの木が葉をさんさんと光らしてその霧の中に立ち黄金(きん)の円光をもった電気栗鼠(りす)が可愛い顔をその中からちらちらのぞいてゐるだけでした。 (九,ジョバンニの切符)宮沢,1986
2023.09.17
『らんまん』宮野真守演じる早川逸馬、反響の大きさから再登場 脚本家が明かす「生存を確認していただこうと」9/14(木) 宮野真守さんの再登板の理由脚本家長田育恵氏長田氏によると、視聴者の反応を受けて、キャラクターや物語を変更することはほとんどないと言うが、唯一、早川逸馬だけは、その反響の大きさから再登場させた。「逸馬さんは、いずれ何らかの形で、その後も関わるかもしれないなとは思っていたのですが、いなくなったあとで、逸馬さんが生きているのか、また出てくるのかを知りたいという声がとても多かったんです。それで、ちゃんと生存を確認していただこうという気持ちが働きました」「やはりキャラクターは、俳優さんによってどんどん肉付けされるので、私自身も出来上がった映像を見て、どんなふうにキャラクターが描かれたかを初めて把握するんです。だから、映像を見てから、私自身も具体的に肉付けすることが日々増えていっている感じがします」逸馬「永守家は意義のある投資が望んでいます。当主から質問を預かっています。あなたが人生で、1つだけ選ぶものは何か?」寿恵子「わたくしの夫でしたら、迷わず植物と答えます」「うちの夫は、この世に雑草という草はないと」逸馬「ご主人のお名前は?」逸馬「なんじゃあ!この部屋は!」万太郎「逸馬さん…!?」逸馬「おう。わしじゃ。早川逸馬じゃ」万太郎「逸馬さんが守ってくださらんかったら、今のわしはありません」逸馬「わしは、誰もが己のまま生きていける世の中を夢見たけんど、また、戦いの世になってしもうた。自由とは、己の利を奪い合うことじゃない。それやったら、奪われた側は痛みを忘れんき。憎しみが憎しみを呼んで、行き着くところまで、行くしかのうなる」「そこへいくと、おまんこそが自由の極みじゃったの。1人、自分だけの道を見つけて」「身分は、大事か?わしは信用したがじゃ。たとえ、おまんが誰じゃち。その目だけで十分じゃったき」例えば、前原瑞樹演じる、万太郎の盟友・藤丸次郎のキャラクターもその1人だ。「藤丸は最初に『ウサギ小屋でウサギを可愛がっている』と、私がト書きに書いたので、ウサギと藤丸をペアで出してもらいました。でも、映像を観たら、藤丸がめちゃくちゃウサギを抱きしめたり、頬ずりしたりしていて、私が想定していた藤丸とウサギとの距離感よりもっと近かったんです。しかもウサギが思ったよりも大きくて。ウサギを愛する気持ちだけではなく、藤丸の体温や優しさ、傷つきやすさも具体的に見えてきました」その結果、藤丸のキャラクターがより一層ふくらんだという長田氏。「だから、寿恵子がつわりに苦しんでいた時に『揚げ芋がいいんだよ。義理のお姉さん、こればっかり食べてたんだよ』と、万太郎に教えてあげたんです。そういうシーンは最初から決まっていたわけではなく、そうやって藤丸くんと共に歩いていくに従い、きっと彼ならばそういうふうな行動をとるだろうと思って入れました。そういうことが全キャラクターにおいて発生しています」宮野は初の朝ドラ出演となったが、前半で行われたインタビューにて「自分の役者人生においても大事なステップをもらったと思っています。現場ではすてきな出会いがあって、役者としてこういうことができるということをいろいろと感じさせてもらえましたし、自分にとって『らんまん』はかけがえのない作品になっています」💛フィクションの役割の大きさはSNSの反響の深さ人の心を動かすキャラクターとして視聴者の心に生きていることを感じる!SNS「朝から号泣」「今日は早川逸馬との再会だけで涙が出た…寿恵ちゃんが2人をつないでくれた」「逸馬さんは泣くな泣くなって言うけど、私は号泣」「すっかり老成して落ち着いたと思った万太郎が少年のように泣く姿に、こっちも涙が出ちゃう」「万太郎との再会に、胸熱。資産家の中川大志を連れてくる宮野真守に拍手喝采」「迷いがある時に現れて光のある方を教えて照らしてくれる早川逸馬」「逸馬さぁぁぁぁぁん!!」「早川逸馬にまた会えるとは!」「感動の再会やったわマジで・・・」「生きていたのね逸馬ーー!」
2023.09.15
二宮尊徳先生道歌うつ心あればうたるる世の中よ うたぬ心のうたるるはなし 「二宮尊徳全集」成田山の不動尊に参籠(おこもり)した時に開けた、やわらかな大きな心である。自分もひとも一つになって生かしあう心で「一円仁」の心ともいう。分度・推譲は人間が至誠の心を以て 勤労する実生活の原則である 大江清一【古いノートより】書経 堯典 第一節堯曰若稽古帝堯曰放勳欽明文思安安允恭克讓光被四表格於上下克明俊徳以親九族九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦黎民於變時雍曰古古を稽うるに帝堯曰く、放勳欽明、文思安安、允(まこと)に恭しく克く讓る。四表に光被し、上下に格れり。克く俊徳を明らかにし、以て九族を親しむ。九族既に睦まじく、百姓を平章す。百姓昭明にして万邦協和す。黎民変って、時れ雍らげり。<二宮先生語録>【4】草木春生じて秋実り、禽獣期年に一産す。これ気運の常道なり。しかしてその生活をなすや、ただ食を奪うのみ。大木横に枝葉を長じ、小木の長ずるあたわざるに管せず。小木、大木の枯槁(ココウ:草木がしぼみ枯れること)をまってもって長ず。禽獣のあい食む。強、弱を食み、大、小を食む。草木禽獣あい奪って譲るなし。それあい奪って譲るなし。ゆえにただ一幹一身を養うのみ。人もまた奪って譲らざれば、すなわち草木禽獣と異なるなし。天祖これを哀れみ、推譲の道を立つ。すなわち一粒粟を推しもってこれを播けば、すなわち百倍の利を生じ、一人耕せば、すなわち数口を養う。これにおいてか人道もって立ち、国家もって安し。ああ、大なるかな、推譲の道たるや、書(経)にいわく、<まことに恭しく克(よ)く譲る>と。これ堯徳を賛するの語なり。その全章字眼、一譲字に在り。もし奪字をもってこれに易(か)えば、すなわち何の聖徳かこれ有らん。しからばすなわち人の道たる。あに推譲に過ぐる者有らんや。【4】草木は春生じて秋実り、鳥獣は1年に1度繁殖する。これは気候のめぐり合せで、自然の道である。そしてそれらの生活するありさまを見るとただ食物を奪い合うだけだ。大木は思う存分枝葉をひろげて、小さい木が伸びられなくても頓着しないし、小さい木は大きい木が枯れ朽ちるのを待って伸びようとする鳥獣の食い合いも、強いものは弱いものを食い、大きいものは小さいものを食うというありさまだ。草木も鳥獣も、こうして奪い合うばかりで譲るということがない。奪い合うばかりで譲ることがないから、ただ一幹一身を養うだけで終ってしまう、人もまた、奪って譲らなければ草木や鳥獣と異なるところがない。天照大神はこれを哀れんで、推譲の道を立てられた。すなわち一粒の米を推し譲ってそれをまけば百倍の利益を生ずるし、一人が力を譲って耕せば数人の口を養うことができる。この推譲ということによって、始めて人道が立ち国家が安らかになった。推譲の道というのはなんと偉大なものだろう。書経に「允(まこと)に恭しく克く讓る」とあって、これは堯の徳をほめた言葉であるが、その章の全体の眼目は「譲」の一字にある。もしこれを「奪」の字と入れ替えたならば何の聖徳もありはしない。そうであれば人の道として推譲にまさるものはありえないのである。
2023.09.11
オリーブオイルで認知症による死亡リスクが大幅減?研究で明らかに9/4(月) ハーバード公衆衛生大学院の研究チームが発表した研究結果によると、1日大さじ2分の1杯(約7.5ミリリットル)をとっていた人は、それ以外の人たちと比べ、認知症で死亡するリスクが28%低くなっていたという。また、小さじ1杯(約5ミリリットル)のマヨネーズなどその他の調味料を同量のオリーブオイルに置き換えることで、そのリスクが8~14%低減するとみられることも明らかになった。研究チームによると、新たな研究を行うきっかけとなったのは、「地中海食」の健康効果が関心を集めたこと。ギリシャやイタリア、スペインなど、地中海沿岸周辺に多い伝統的な食事は、多くの果物、野菜、ナッツ・種子・豆類、全粒穀物、植物油を摂取し、適度の魚・鶏肉をとり、さらには少量の赤ワインを取ることもある一方、赤身肉や加工肉をあまり摂取しない。ただ、1990~2018年に収集された9万2393人の医療データを分析したこの結果に関して研究チームを驚かせたのは、オリーブオイルを積極的にとっていた人たちは、食事の内容にかかわらず、認知症による死亡リスクが低くなっていたことだった。つまり、必ずしも地中海食が中心ではなくても、オリーブオイルをとることの効果はあると考えられる。こうした好ましい影響がもたらされる要因は、オリーブオイル自体に含まれる一価不飽和脂肪酸、ビタミンE、ポリフェノール、オレオカンタール、オレウロペインといった化合物と、それらの組み合わせだとみられている。過去の研究では、オリーブオイルが脳を保護し、記憶力の維持に役立つことが認知症の発症を予防することにつながる可能性があるとされている。オリーブオイルのエビデンスベースは最も包括的であり、心血管リスクの低減に有益であるという明確なエビデンスがあります。-アメリカ心臓病学会誌
2023.09.04
天地と 君と親との めぐみにて 身をやすらはん 徳を報えや 「解説 二宮先生道歌選」(佐々井信太郎著)ではこういう。「徳に報いる歌、これは二宮先生の思想の最も特色のある歌である。 徳という思想は、中国の上代において、徳を積んだ人を聖人といった。 積徳の人への尊称である。 二宮先生においては、人の積んだ徳を拡充して一切万象に徳を具えているという。 その徳は万象それぞれ異なる。 徳のあるものはその徳が環境に及ぶ。 それが恩であり、恵みである。 恩の思想はインドにおいて早くから唱えられ、仏典にも多く見える。 そこで物があれば徳があり、徳があれば恩がある。 しかしこれはみな人倫の感恩であり、報徳である。 天地万象・父母祖先があって、自分のあることを知るに至って、そこに恩を見出し、そうして万象の徳を見出した。 父母なければ我なく、太陽がなければ一日も生きることのできないことを知り、広大無辺の徳を知った。 この天地生々の徳を体して万象を育成する。 それが報徳である。」青空文庫に内村鑑三氏の文章が載っていた。明治の日本が生んだ偉大な人物の一人であり、その著「代表的日本人」は、新渡戸稲造の「武士道」とともに英文による日本紹介において未だにこれを超えるものを現代日本は持っていない。実に「代表的日本人」において紹介された二宮尊徳像は第二次大戦中のアメリカ人にも深い感銘を及ぼし、戦後最初の一円札も二宮尊徳の肖像画なのである。戦時中、小学校に置かれた二宮金次郎の銅像は砲弾の材料として多く供出されたが、戦後あえて除却されなかった、いまでも小学校で金次郎の像を見ることができるのも、「代表的日本人」が欧米の知識人に与えた日本人感の結果ともいえる。「代表的日本人」の原文は、小さな資料室さんが資料として載せていただいている。小さな資料室さん、感謝します。内村鑑三は、「後世への最大遺物」で、二宮尊徳先生についてこのように述べている。後世への最大遺物「私は近世の日本の英傑、あるいは世界の英傑といってもよろしい人のお話をいたしましょう。この世界の英傑のなかに、ちょうどわれわれの留(と)まっているこの箱根山の近所に生まれた人で二宮金次郎という人がありました。この人の伝を読みましたときに私は非常な感覚をもらった。それでドウも二宮金次郎先生には私は現に負(お)うところが実に多い。二宮金次郎氏の事業はあまり日本にひろまってはおらぬ。それで彼のなした事業はことごとくこれを纏(まと)めてみましたならば、二十ヵ村か三十ヵ村の人民を救っただけに止(とど)まっていると考えます。しかしながら この人の生涯が私を益し、それから今日日本の多くの人を益するわけは何であるかというと、何でもない、この人は事業の贈物にあらずして生涯の贈物を遺した。この人の生涯はすでにご承知の方もありましょうが、チョット申してみましょう。二宮金次郎氏は十四のときに父を失い、十六のときに母を失い、家が貧乏にして何物もなく、ためにごく残酷な伯父に預けられた人であります。それで一文の銭もなし家産はことごとく傾き、弟一人、妹一人持っていた。身に一文もなくして孤児です。その人がドウして生涯を立てたか。伯父さんの家にあってその手伝いをしている間に本が読みたくなった。そうしたときに本を読んでおったら、伯父さんに叱られた。この高い油を使って本を読むなどということはまことに馬鹿馬鹿しいことだといって読ませぬ。そうすると、黙っていて伯父さんの油を使っては悪いということを聞きましたから、「それでは私は私の油のできるまでは本を読まぬ」という決心をした。それでどうしたかというと、川辺の誰も知らないところへ行きまして、菜種(なたね)を蒔(ま)いた。一ヵ年かかって菜種を五、六升も取った。それからその菜種を持っていって、油屋へ行って油と取換えてきまして、それからその油で本を見た。そうしたところがまた叱られた。「油ばかりお前のものであれば本を読んでもよいと思っては違う、お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするならよいからその時間に縄を綯(よ)れ」といわれた。それからまた仕方がない、伯父さんのいうことであるから終日働いてあとで本を読んだ、……そういう苦学をした人であります。どうして自分の生涯を立てたかというに、村の人の遊ぶとき、ことにお祭り日などには、近所の畑のなかに洪水で沼になったところがあった、その沼地を伯父さんの時間でない、自分の時間に、その沼地よりことごとく水を引いてそこでもって小さい鍬(くわ)で田地を拵(こしら)えて、そこへ持っていって稲を植えた。こうして初めて一俵の米を取った。その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにしてその一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして二十歳のときに伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っておった。それから仕上げた人であります。それでこの人の生涯を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは実に神様……神様とはいいませぬ……天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだからもしわれわれがこの身を天と地とに委(ゆだ)ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」というこういう考えであります。その考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して自分の身をことごとく人のために使った。旧幕の末路にあたって経済上、農業改良上について非常の功労のあった人であります。それでわれわれもそういう人の生涯、二宮金次郎先生のような人の生涯を見ますときに、「もしあの人にもアアいうことができたならば私にもできないことはない」という考えを起します。普通の考えではありますけれども非常に価値のある考えであります。それで人に頼らずとも われわれが神にたより己にたよって宇宙の法則に従えば、この世界はわれわれの望むとおりになり、この世界にわが考えを行うことができるという感覚が起ってくる。二宮金次郎先生の事業は大きくなかったけれども、彼の生涯はドレほどの生涯であったか知れませぬ。私ばかりでなく日本中幾万の人はこの人から「インスピレーション」を得たでありましょうと思います。あなたがたもこの人の伝を読んでごらんなさい。『少年文学』の中に『二宮尊徳翁』というのが出ておりますが、アレはつまらない本です。私のよく読みましたのは、農商務省で出版になりました、五百ページばかりの『報徳記』という本です。この本を諸君が読まれんことを切に希望します。 この本はわれわれに新理想を与え、新希望を与えてくれる本であります。実にキリスト教の『バイブル』を読むような考えがいたします。ゆえにわれわれがもし事業を遺すことができずとも、二宮金次郎的の、すなわち独立生涯を躬行(きゅうこう)していったならば、われわれは実に大事業を遺す人ではないかと思います。
2023.09.03
ドイツの新渡戸稲造 ドイツにおける新渡戸の留学時代は、アメリカに比べて幾分判然としないので、新渡戸稲造年譜(1)及び「帰雁の蘆」の関係話をしるす。一八八七年(明治二〇年)二五歳 三月、アメリカ滞在中札幌農学校助教授に任ぜられる。 五月、アメリカを出発ヨーロッパに向かう。一〇月、ボン大学で農政、農業経済学研究。 『帰雁』59〔アメリカの大学には、農政という学科はなかったから、これに縁の近い経済、歴史、政治学などやった〕、19〔ボン大学では農科大学が大学本部から離れていて、本部で講義を聴いて、次の時間に農科まで駆けつけたが、毎時間後十五分しかないため講義が長引くと間にあいかねた〕、60〔ボン大学で財政学と応用経済学の講義を聴いて、その明瞭なことに感服した〕、8〔ボン留学の頃、ベルギーのラヴェレーに手紙を出し知遇を得た。ある時市中を散歩しながら、日本の徳育の論に入って、「日本の学校で宗教教育は何を授けるのか」新渡戸が学校では宗教は教えないと答えると、「学校では倫理的思想はどうして教えるのか」、「倫理科は別にありません」、「道徳的教科なしに国民を指導する・・・・・どうして善悪の区別を覚えるだろう」。この質問の回答として新渡戸の世界的名著「武士道」は生れた〕、五八〔演習で『日本現今外国貿易』という論文を三回に分けて朗読した。教授から『貿易雑誌』に投書したらと勧められ、教授の添書を渡した。現金六〇円ばかりの原稿料に喜ぶ〕一八八八年(明治二一年)二六歳 一〇月二日、ベルリン大学に転校して農業史および農政学を学び、ついでプロシャ統計局に入り統計学を研究。 『帰雁』二〇〔明治憲法発布の頃、ドイツ海軍主計官の宅に招待を受け、客の主計官が日本の憲法はドイツ憲法そのままだと難癖をつけるのに反論〕、四九〔プロシャ統計局長で「統計の淵源はプロシャである」というと「アメリカのセンサスほど偉大な統計事業はない。世界の模範である」と言われる〕一八八九年(明治二二年)二七歳 四月二七日、ハレ大学に転じ、統計、農業経済学を研究する。同月新渡戸姓に復帰する。 一八九〇年(明治二三年)二八歳 一月二五日、ドイツ留学一年延長、日本土地所有論を書く。三月八日、女学雑誌第二〇三号に「独逸通信」を寄稿し、文中 帰朝して女性のため尽力したしと述べる。六月一二日、ハレ大学でマギストル・アルチウム、およびドクトル・オブ・フィロソフーを受ける。七月、修行のためドイツ東部地方を巡回する。 『帰雁』五〇〔学位論文のほか四時間の口頭試問がある。二時間は本科目選択した経済、残り二時間は、副科目の哲学と政治学だった〕、五一〔哲学の口頭試問は文豪のハイムだった。進化論の発議者は誰かの質問に「アリストテレス」と答える。「その説明をせよ」にduamis と entelechie で説明し絶賛される〕一八九一年(明治二四年)二九歳 一月、メリー・エルキントン嬢と結婚。二月九日、帰国。三月三一日、札幌農学校教授に任命。
2023.09.02
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