全7件 (7件中 1-7件目)
1
昨日は関東地方で雪が積もっていたそうですね。このあたりは、めったに雪が降りません。火山の噴火や積雪など、自然のことにはなかなか太刀打ちできない部分があると感じます。***学級閉鎖の報も頻繁にくるようになりました。日々とどく通知に連なる学校名をみて思うこともありますが・・・。ああ、こんなにたくさん、と思うことはあっても、だからといってその地域に行くのをやめようとかもないし、どこの校区がどう、ということもないのでこれって学校名を細かに流す意味あるのかな?と思うくらい、の感想です。自分の子の通う学校のことは、メールなりで知らせが来るので、必要なのはそこなのかなとも…。緊急情報、のようなそうでないような??明日からまた寒くなるとの予報。大きな被害なく、寒さを乗り越えられますように。
2018.01.23
コメント(0)
学校紹介なのですが、音楽も素晴らしい。
2018.01.22
コメント(0)
7月のおわりから、小3の三男が習い事をはじめています。長男も次男も小学生から始めた同じ習い事です。昨日、おけいこ日だったので出かけてきました。昨夜、なぜか少しすっきりした気持ちで眠れた気がしたので、なぜかな?と思い返しつつ、思い当るところを記したいと思います。***ちょうど昨日はお休みしている子もいて、いつもはお話ししないママさんと話す時間がありました。(いつもは、ママさんたちとはご挨拶程度のことが多いのです)そのママさんのお子さんがお稽古を始める経緯とか学校どこですか?とか他愛のない話から、「どうやったら試合に勝てるのかな?」とかそういう話も。うちの子は、長男がこの春から社会人(大学でも体育会で武道をしていた)次男は大学生で、小学校からの武道継続中という意味では、口を開けば「ネタばれ」みたいにならないかと(←子育て全般、若いママに対してはそうなるでしょと他の人に言われたことがあり)心配にならなくもないこともありますが・・・。ちょっとまとまらないので、私がしゃべったことを思い出して書いてみます。「えっと・・・試合・・・どうでしょうねえ~。お兄ちゃんの時も小学校のときはホントに勝てなかったですよ。あ、次男が中学のときは冬の市内の大会で団体優勝したりしたけどね。次男はいまになって『小学校のとき、楽しいとか、なぜ続けてたのか分からない』なんて言ってましてね。へえー、って言ったところですよ。大学の部活で、また教わったことから考えることがあるみたいですよ。中学以降の部活では、同じのにはいる子もいれば、変わる子もいるし。高校大学になればなおのこと、続けるかどうかもわからない。市内大会、5本指に入ってた子が、高校の途中で部活辞めたっていう話もよく聞きました。理由はわからないけど、まあいろいろでしょうね。かといって、同じことをずっとやっていないといけないってこともないよね。次男は高校のときは。。学年によって人数まちまちで、部活の様子も・・・みたいな面もあったけど結局、仲間といっしょに県大会にいってね。顧問の先生が、喜んでくれて。練習のメニューなんかも、自分たちで考えてたみたいですよ。まだまだ、嫌いにならずに続けていればそのうち、究めたくなったら自分で研究するようになると思うし。。そこから強くなる努力したって全然遅くないし。もう、それもその子次第ですよねえ。」ざっくりとこんな感じ。***そして、目の前でお稽古してる三男のことについてもちょこっとはなしたこと。ママさん「私、少年チーム始まってから初心者の子、みんな見てますけど!三男君、上手ですよ。」(たぶん、お世辞抜き)私「そうですか~ありがとございます~。」ママさん「なにか、外遊びとか運動とかやってました?」私「いや~それが。やってないんですよ。自分が高齢出産だったりもして、しんどくて。ろくに公園も行ってなかったんですよ。アレルギーとかもあって花粉症になると酷かったりして。ついつい引きこもりがちでね。」「習い事も、もっと早くこればよかったけど、送り迎えだけでもできるかどうか、私が不安だったんでね。でもあれよあれよと小3になってて、運動とか、なんかやるといいなあ、みたいな感じでお邪魔したんですよ。」「お兄ちゃんがやってたからって、同じことしないといけない、なんてことはないと思うんですけどね。でも、まあ、いいなあと思って。」まあこんな感じの話。(ほぼ全部。笑)なんか、自分のぶっちゃけた現状を、余り近しくない人にここまで話したの、あんまりなかったかも?でも、「あ~わかる~暫く間があくと出かけるのおっくうだったりね」なんて共感の言葉もいただけて。ちょっとうれしかったんですよね。思いがけず、弱い部分をだしたときに、「ああ、私もですよ~」みたいな話ができるって、ほっとしますよね。つい、強がって、外ではいい格好ばかりしたい自分ですが。そんなこともあって、昨日はほっとして眠りにつけたのかもしれません。あまり、肩肘張らずに?お稽古の送り迎えを続けられたらと思っています。
2018.01.21
コメント(0)
Twitter運用について考えたことをかきとめておこうとおもいます。ツイッター歴10年以上超え、使った中から考えたことです。近年、広告として使用するSNS運用について、目にしつつ感じたり考えたりすることがあります。無料で使えるツールとして、多くの企業や個人が登録し、活用しています。最近ではニュースに取り上げられることもしばしばあり、多くの人が関心を寄せるものの指標をツイッターから抽出しているのかな?と思ったりもするほどです。***考えてみると、ツイッターによる広報は、「誰に向けて」行われているのか?というところです。ストレートにいうと、「しょっちゅう、ツイッターにログインしている人」「タイムラインを見ている人」ではないかという気がしています。フォロワーが600人いて、はたしてその人たちがTL(タイムライン)を見る頻度は一体どのくらいなのか。個人差もあると思います。しょっちゅう見ている人、一定の時間帯に毎日見る人、休日などに開く人、緊急時の情報収集にのみ使う人。広報を打つ人も、どの頻度でうっているか?というと朝・昼・三時・夕方・夜間どこかの時間帯、または営業時間などに合わせた告知など、アカウントごとに異なってきます。また、人手で行うのも大変なので、botといって自動的に呟くシステムを導入している人もよくおられます。いずれにしても、そうした広報により、何らかの効果を得たいという人が呟いているのかなという印象です。***発信したツイートは、受け取るフォロワーがいてこその広報かとも思います。知名度が高い企業などでは、万単位のフォロワーが居て、その中のどのくらいの割合が、日々の発信を受け取っているか?ということもありますが、とにかく、フォロワー数に大きな差があります。そして、ツイッターの特徴としてリツイートという拡散形式があります。100人のフォロワーが居る人がリツイートをすることで、一つのツイートをしたことになり、100人に拡散されます。(これも実際は何人がそれを受け取っているかにもよりますが)そしてまた受け取った人が、自分のフォロワーに向け拡散を続けると、どんどん多くの人に広まっていきます。拡散力、はツイッターの大きな特徴の一つだと思います。***さきほどから、「受け取る人の数」という表現をしているのですが問題はそこなのかな?と最近は思うようになりました。要は、ツイッターにしょっちゅう居る人とそうでない人、見ていてアクションを起こす人、起こさない人、いろんな人がいるので、自らアクションを起こす人の存在で、いかようにもなっていくということもあるのではないかということです。「情報収集するのが目的だから」と、フォローしているアカウントの呟きやりツイートを「見るだけ」でリアクションをしない人も実際たくさんいるとは思います。知りたいことについて、♯(ハッシュタグ)を使って検索するということもできますから、たとえば興味のあるキーワードで、他の人がどんなことを発信しているか見ることもできます。そういう使い方もある一方で、「リアクション」が、使い方のキーになってくるのではと思っています。リアクションする人によって、拡散もするし発信した人に通知が行くので、その影響力も発信側に伝わります。***少し話がずれるかもしれませんが、そういう受発信の中によく居る人たちの「運用」とは裏腹に、「SNS疲れ」とでも言いますか、活用頻度が減っている人も多く見受けられる感じもします。何より、スマートフォンを使うことがおおい昨今、眼精疲労からの肩こりや不定愁訴に悩まされるひとも多くいるのではと推測します。特に、強制的にスマホから距離がとりづらい人(長時間、見ていられる環境にある人)にとっては、大量の情報が流れてくるTLから目が離しづらいということも多々あるのではないでしょうか。さまざまなことに興味関心がある人ほど、目が離しづらいということがあるかもしれません。健康問題につながっている、という人も、多くいそうな気がします。(あくまで使っている中での感覚でしかないのですが)***SNSは人とつながれる。有益な情報も得られる。楽しい。そんな面が多々ある反面、心身にも影響が皆無かといえばそんなこともない気がします。個人の一般ユーザーがずっとみていて、、、ということもありつつ、もしかしたら企業や店舗を運営している人の場合は「結果」というタスクがあるためにSNSを使用していたりすると、どうにかして、活用して結果につなげないといけない。そういった、強迫観念から、縛られてしまう人もいそうな気がします。使い方を模索している人が多くいそうですね。***あくまで個人の感想(?)のまとめ。*ツイッター運用は、知名度の高い組織にとっては、一定以上の多くのフォロワー獲得が可能であると、情報発信については有効となる度合いが高い。*小規模の組織、個人、においては、コミュニケーションを主体に輪を広げて行く傾向がある。いいね、やRT、普段の会話を通じてできた関わりから、交流を深めることも可能。*エゴサーチによって、顧客の呟きを探し出し、直接メッセージを送ることでファン層を広げて行く。*呟きの中に@アカウント名を入れることでより多くの人に、そのアカウントを知らせることができたり、相手にも通知が送られることにより、交流によるプッシュが来ることで、交流している実感がわき、人と人とのコミュニケーションが盛り上がる可能性もある。*通知により、自分へのリアクションを知る中、営業として活用している人の場合は「お返し」といって、送ってくれた人に何かしら返さないと、と律儀に行動する人も見受けられる。(それがこちら側の営業にもつながると考えた場合)何十、何百、のリアクションに応じることで、ツイッター発信に疲労してしまう可能性も多々ありうる。ただ、営業している以上、不義理をしたくないと思うと自発的なリアクション自体を控えたり、場合によってはアカウントや発信そのものを控えてしまう場合もありうる。あとは、どのように使うか、はその人次第ということでしょうか。あまりまとめになっていませんが(笑)今日の時点で感じたことを書きとめてみました。
2018.01.21
コメント(0)
自分のこれまでのいろいろを振り返ったとき、ああ、あの時ああしておけばなどと、繰り返し、後悔のような気持ちが湧いてくることがあります。自分の中にある「正しい」「間違い」のスケールがあるからこそ、子どもをしかることもあったのだと思うし、それも必要だとは思うのですが。はたしてそれが正しかったのかどうか、なにをもってそう言えるのか言えないのか、もわかりにくいものです。***仕事などにおいても、各自が職務を行う上で「正しい」「誤り」など、、、もうすこし砕けて言うと「こうしたほうが良い」ということがあったりすると思います。仕事をすすめるうえでの手法みたいなものかとも思うのですが、それも、長年、自分が思いこんできたやり方にとらわれていたりもするのかもしれない。ないよりあったほうがいい、少ないより多いほうがいい、・・・というようななんというか、「一見」マイナス、より プラス、に見えるもののほうが良いのではないかというようなこと。***数の理屈、みたいなのがあって、もちろん売り上げなどは一定数ないと、企業の存続がかかっていたりするわけでどうでもいいという訳にはいかないのだから、ないより 多い方が良いに決まっているとは思うのですが、もしかしたら、その理屈があてはまらない場面があるのかもしれない。などとふっと思ったりもしました。プレビューは多い方がよいフォロワーは多い方がよいたくさん注目されたほうがよいたくさんいいねされたほうがよいそういう数字が基準になっていたり、も多々ありますから、数字がとれてなんぼ、みたいな感じもあるのですがみなさんいかがですか?その逆で、正しいと思っていたことをすすめてきて、うまくいったのだろうか自分がダメだと思っていることのほうが、かえって良かったりする場合はないのだろうかと考えた時に、自分が、ダメだとかダメだったとか思うことを一つずつ考えてみたらダメ、とかマイナスに思っていることの中に実は、それはそんなにダメじゃないしむしろ、見方を変えれば、大したことだったりもする。なにをもってダメなのかなにをもって大したことなのかそんなの、人の見るモノサシによって変わるのですよね。その時々で、よかったと思えるのかあるいは行き過ぎだと思うのか切り口によってもちがってくるので、一概に言えない。そんなことを、ここ数日考えていたりもしたのです。ちょっと何言っているかわからないですが・・・。ダメだと思っているあることがそれだからこそよいことだってあるのかもしれない。そういう見方が少しできるようになると窮屈なところから抜け出せることもあるかもしれないですね。
2018.01.16
コメント(0)
今日から小学校の登校が始まりました。始業式、と書かないのは、2学期制だから。始業式、はないんですよ。前期の通知表は秋ごろ、なんとなくもらってきて、何となく冬休みがしれっとはじまって、しれっと冬休みが終わる。終業式!ガチ通知表!始業式!ガチ冬休み終わり!みたいなのじゃないほうが、私自身は気楽な気もします。数年後には、また3学期制に戻るという話も耳にしますが・・・。
2018.01.09
コメント(0)
ご覧頂いているみなさんは、FacebookやTwitterはお使いですか?私は数年前からどちらも投稿しています。Twitter歴のほうが若干長いかな?どうでもいい呟きをぽそぽそと・・・(^^)そんなSNSについてふと思ったことを綴ってみます。***SNSの機能には、自分のフォロワーに投稿を拡散する機能、相手に「いいね」を伝える機能などがあります。それらのリアクションは、通常なら投稿主に届くので(特別な設定をして届かなくしている人も居ると思いますが)どの人がリアクションしたかわかるしくみです。リアクション。この一言、だけれど案外、受け取る人によって認識がちがうかもなのですがやっぱり、知らん顔されるより「いいね」という反応は嬉しい人が多いのではないでしょうか?(もしくは、放っておいてほしい人もいるかもしれませんが)「いいね」は、SNSによっても少し意味あいがちがってくるのかもしれませんが、通知が行くという時点で、相手に対する「何らかのアクション」であることには違いない。受けた人も「誰誰がいいね、RTした」ということが分かります。そのやりとりが、人と人(中には人が居るはずなので)とのやりとり、とも言えるのかなと思うのですが。反応によって、誰かとつながっている感覚を持ててしまったりすると、やはりその、反応を目的に動いてしまうというのはあるような気がしています。知らず知らずのうちに、誰あてでもないはずのメッセージ(投稿)が無意識かもしれない誰かの目にとまるであろうという気持ちで発せられている。***前にもこちらで書いたかもしれない「承認欲求」。誰も反応してくれない、ということに対してつまらないと思うこともあるだろうし、気楽だと思うこともあるだろうけど、人は基本的に誰かと(良好な)コミュニケーションがとれたら嬉しいものではないでしょうか。反面、反論など余計なことと思える反応は嬉しくないので、それによってかき乱される・・・ということも多々、あるとは思うのですが。誰かが気にとめてくれている、とか自分のしていることを見ていてくれて認めてくれているという感覚これを一体、どこに求めるのか?というところですが、SNSの中に求めている人も多いのかな?と思ったりもするのです。***自分の手元で鳴る通知が、なんというか一つのメッセージであるかのような錯覚。その感覚も分からなくもない私自身。そして、年末年始に帰ってきた、息子たちを含め、私が感じたのは日頃、SNSの中で暮らしているのだなということ。みんな、一人で生きている。独り暮らししてたり、日中一人だったり、通勤通学帰宅後は一人だったり。暇なのでしょうか?暇・・・???いや、暇じゃないはず???暇かどうか、は置いておいてそんなときに、スマホをふっと手に取り、誰かとコミュニケーションとるのが当たり前になっているのですよね。だから、目の前に人がいても何となく、画面に目を落としてしまうということもあるのではないかなと思ったのです。***仕事や学校の連絡、家族同士の連絡やはたまた企業の広報、PRなどでもSNSは欠かせないものになっています。チェックして用事をたして時には、仕事のツールとしても欠かせないものだったり。道具、として使っている反面、逆にその道具が中心になっているのかもな、などと思った今日この頃。もしかして???皆様はいかがですか?長文にお付き合いくださりありがとうございます。
2018.01.08
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1