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礼、とはなんでしょう。相手を敬う、とかそういう意味が含まれる気がするのですが。礼儀正しい、とは挨拶ができるとかお礼が言えるとかそういった態度を示す場合も多々あるように思います。が、なんとなく、見せかけの「礼」もあるように思えてしまいます。何か事につけ、お礼を述べたりお礼の品を渡したりお礼状を書いたり、というような「表し方」もあると思うのですが。なんというか、それをする人が何を思ってそれをするのか、というのがとても大事な気がしています。あらためて、お礼を述べるのはなぜか。相手に感謝の意を伝えるため?は一般的ではないかと思われます。が、それがもし「他人から礼儀正しい人と思われたいがために」行われているとしたら?なんとなく、意味が違ってくるような気もします。私の勝手な考えですが礼というのは、公益とか利他とか、そういうこととつながっているような気もするところです。先の「人に良く思われたい見せかけの礼」は、最終的に自分自身をよく見せよう、というポーズなんだとしたら、ただの利己かもしれない。ですが、相手に対して誠意を尽くしたい、伝えたい、というようなものなら相手へのリスペクトがなければ成しえないもので(見た目にわかりづらいなら、何が本当の礼なのか?というところですが)尊敬の気持ちを添えた「礼」というのはどこか自分とその相手を超えたところまで届く行為のなのかなという気がしています。自分の満足だけにとどまらない。相手への礼を尽くすことで、さらなる、よいことの広がりをも含むような何かがあるような気がしてならないのです。***利他を考えられる人。公益・共益のようなものを考えられる人。そして考えられない人との差は何でしょう。一見、周囲が気に入らないことだらけだったとしてもすべての人が幸せでいられますように、とそっと願うことができれば自分も幸せな生き方ができるのかもしれません。
2023.01.22
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お正月、普段会わない人に会うこともあるそんな季節ですね。ご多分に漏れず、身内への挨拶にいってきました。私自身は数年ぶりになったかもしれません。なんとなく、少しは人と会うハードルが世情的に下がっているようにも思います。お正月に限らないことですが人と関わっていて悩むことってありますか?多くの人が人間関係に悩むことがあるのではないかと思います。これは、私の気づきなのですが結局、人間関係は(も)「(自分の思うようになると)期待しない」「そういう人だと承知して付き合う」に尽きるのかもしれません。よくある、結婚によってできた家族に対して不満を感じる人も多いと思いますしそれを口にしている人もいる。その内容は結局「相手が自分の思うようでない」ことに対して不満がある、ということかもしれません。姑が嫁に不満なのも「こうしてくれたらいいのに」と考えることと、現実に乖離があるからでしょう。逆もしかり。あらためて私も…久しぶりにあった人との会話で何となく、相変わらずデリカシーがないなと感じることがありました。相変わらず、というところがポイントです。そこを、まあ安定のいつも通りだねとスルーできればよかったのですが腹を立ててしまった。それについて、周囲の家族が残念に思ったという展開でつまりこの人はいつもこうだからしょうがないとなぜ流せないの?という指摘を受けたわけです。だがしかし私は自分がなにか悪いことをしたのだろうか?に疑問をもちあるとしたならば、高齢世代の方が「思うような嫁になっていない」ということかもしれない。私があとから来た人間だとして(結婚)はじめからいる家族に従え、言う通りにしろ、が正しいなら一つでも「そうはいたしません」となったとたん、こっちが思う通りにやらないお前が悪い、がベースにあるのかもしれません。そしてこちらとしては人としてそんなに間違ったことをやっているつもりがなければ一般的には攻撃的な物言いをされた時点で何かな?と思うし疑問も残る。人間なので嫌な気分にもなる。自分の子からはそこをまともに相手にするべくステージに上がっちゃうからダメとの指摘をされ、私が何をしたというのかという気持ちも拭いきれなかったのですがつまりは私自身も、人に期待をしていることに気づいたのです。たとえ何がどうなっても他人は変えられない。そしてかれこれ80年以上生きている人がそう簡単に変わるわけもないのです。だけれど時として人は関わる相手が、こちらの都合のいいように動いてくれたらいいのに、と思うのです。そのほうが楽だし、快適だし、助かるし。「こちらの都合のいいように」というところがなかなかの曲者だと思うのですが私自身について言うと自覚せず、期待をしていたのかもしれません。しばらく会っていなかったから(?)そう思ってしまったのか、忘れていたのか?相手は私相手に、嫌味を言う不満を口にする私の家族を悪く言う私の行動を悪く言うみたいなことが、そもそもあるものだということを忘れてはいけないのです。そこにおかしな期待をしてこちらの思い通りの人に「なっているはず」と思うなら(なっている?なぜ?何を根拠に?なっているはずがない!)現実に対面して失望したりショックを受けることになる。なぜ幻想を抱くのか!?正常化バイアス、でしょうか。こうあってほしい、に現実を寄せようとするのは誰にでもあることなのかもしれません。だがしかし、そのとおりである保証など、ない。過去と他人は変えられない。その中で自分の立ち回り方を変えることしかできないのかもしれない。だからそもそも、期待をしてはいけないのです。相手がこうなってくれたら、と期待しない。せめてこうなら御の字くらいに思っていないといけないということをあらためて感じた正月。「期待しない」大事かも。
2023.01.02
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