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今年の夏、小4の息子が学校のプールの授業の際にあらわれた体の発疹について、そしてそれに対する対応について記しておこうと思います。今年の7月、小学校でプールの授業が例年通り始まりました。屋外のプールで、常温の水が張ってあるプールです。今年度は気温が例年より低く、プールの水も例年より低かったとのことでした。こんなことは初めてだったのですが、初日にプールに入った息子の体に発疹が現れました。顔をのぞくほぼ全身が赤くなってかゆかったようです。そして、そのことを下校して帰宅した息子から聞きました。私「先生はこのことを御存じなの?」息子「うん。プールが終わって廊下まで行く前に先生が体を見たから」私「体を見る?」息子「シャワーのあと、水の拭き残しがあると廊下が濡れて危ないから先生がチェックするんだよ」このときに、先生が息子の体をみてじんましんのような発疹が出ていたのを見ていたようなのですがその次の瞬間、私の頭にうかんだのが「それならどうして、その事実を連絡帳でもなんでもいいから担任の先生はお知らせくださらなかったのだろう?」という疑問でした。確か問い合わせたときには「しばらくして発疹は消えたのでいいと思いました」というお返事だったように記憶しています。いや、ちょっとそれは…。確かに、極端に命に関わる状態ではなかったとの判断だったのかもしれませんが、一応、「いついつにこういう状況でした」ということはお知らせいただきたかったのです。なので私から担任に「保護者は学校にいないので、学校での変化を知ることができないです。先生も四六時中、息子のことだけご覧になっているわけではないと思いますが、もしお気づきのことがあったら連絡帳等で教えていただきたいです」とお願いしました。その時の原因ははっきりせず、その後2回、3回とプールの授業に参加しようとしましたがやはり症状がでるので、やはり原因はプールの何かしらなのではないかということで見学をさせて授業はほとんど受けずじまいでした。(授業の補講のような形で夏休みに水泳訓練?に参加しました)その後も、プールではないけれど屋外の体育の時間にじんましんのような発疹が出たりすることがあり、それでも、様子を聞くと30分くらいで消滅していくようでした。(重めの花粉アレルギーは検査でわかっています)私が担任の先生にお願いしたのは、そういった湿疹などの変化に気づかれたら連絡帳などでいいので、様子を知らせていただきたい、ということでした。しかし、その後も息子の口から聞くことが何度かあったので学校に出向き、あらためてお願いをしたように記憶しています。「おそらくアレルギー症状だと思われるけれど、今のところ大事に至らず、消滅しています。が、原因がはっきりしないことと、どのような症状まで進むものなのか、進まないのかそのあたりもまだ、保護者である自分たちもわからない。アレルギーというと、重篤なものは呼吸器などから命に関わる場合もあると見聞きしているので心配している。症状がでたときに受診する間もなく消滅することが今は多いので今のところ、重篤になる可能性は低いのかもしれない。けれど、どういうときにどうだった、という様子だけは把握したいと思うので異変があったらお知らせいただきたいのです。」というお願いを再度させていただきました。担任からの話では・発症しても数十分で消滅しているので報告する必要はないと思った。・すべての症状を担任が把握することは困難・大人がいないところでも、本人や周囲の同級生などが気にかけあって、異変があれば自身で保健室に行くなどの対応ができるようになってほしい。というような内容だったと記憶しています。お願いに行った自分が過度なお願いをしているのだろうか?などと思ってしまったような空気感を正直のところ感じなくもなかったです。SNSでも当時、それについて保護者がどこまでのことを望むのか(または望んではいけないのか)たずねてみたくて投稿したところ、「重篤にならず消えたものなら、保護者としていちいち把握する必要性は感じない。もし、症状が出ているときなら報告されれば医療機関に受診できるので、それなら報告してほしい」というような投稿が返ってきて、世の保護者もそういう感じなのか?さして、重篤でもないことで、保護者である私が騒ぎすぎなのか?モンスターペアレント?などと、考え込んでしまいました。***先だって、個人懇談会があり少しその話が出たときに担任の先生に申し上げました。私「いろいろと、ご心配ご面倒をおかけして申し訳ありませんでした」そして、最近も低温の日に屋外で症状が出た話、しかし、30分ほど様子をみていたら消滅した話、もしかしたら寒暖差によるものかもしれない、との話、などをしていたところ担任「それで?その日は呼吸困難などになったのですか?」とたずねられたので私「いえ、それはなかったです」とおこたえしたところ担任「そうだったんですか~!それは!よかったですね!」というリアクションを受けて、なんだか複雑な心境になってしまいました。やっぱり重篤になんかならないんだから、とおっしゃりたかったのだろうか。(それはわかりませんが)たまたまこの話を、帰宅してから夫に話しました。そうしたら、夫の返事は以下のようなものでした。「学校でアレルギーと思われる症状が出た時点で、その症状が重篤かどうか?を担任の先生は判断できないものなのではないか。重篤になるのか、ならずにすむのか?その時点ではわからない。アレルギーというのは、いつ突然起こり始めるかわからないし、どういう症状に移っていくかもわからない場合がある。それを、このくらいのことは大丈夫、と判断してしまうことのほうが問題。重篤になるかならないかわからないのだから、そういう可能性も含めて、いついつこうだったという状況をしかるべき人には共有し、その後の対応を考えていくべき。」そうだ、と思いました。どうなるか、どういうものなのか、判断するのは担任の先生ではない。必要以上に過剰に恐れる必要はないのかもしれないけれど(それによる弊害も考えて)恐れなくていいものなのかどうかも、担任にも本人にも保護者にも、その時点ではわからないのではないか。そういう可能性を持っている分野の症状であることには変わりはない。だから「独自に判断せずに、重篤かどうかに関わらず」「状況を、教えてほしい」というお願いは、保護者として至極、当然のことなのではないかということを改めて思ったのでした。もやもやしていたことが腑に落ちた瞬間ではありました。今の時点では、発症のトリガーになっていそうな、怪しそうな要素は極力取り除くことと、症状がでたら状況を把握しておく、という対応に終始しています。学校の先生に過度な負担をおかけしてはいけないとは重々承知しているけれど、子どもの体のことです。心配しない保護者はいないのではないか。と改めて思った次第です。
2018.12.15
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ここ、2週ほど週末に大学4回生の息子が帰省して、小4の息子と一緒にお稽古に出掛けました。一緒にお稽古するシーンは初めてかというくらい珍しい機会でした。小中学生がメイン?だったので、大学生はもとたちがほとんどで試合稽古みたいなのがあまりなかったのですが、今週、帰ろうとしたところ他の道場の先生が来られて大学生とお稽古をしてくださいました。大学生以降の試合は、あまりバチバチ、打たないんですね。じりじりと双方が中心を取り合いながら、機を待つ。というか機を作る、というか。そうして技が出た瞬間というのは本当の一瞬だったりするので「あれ?今の?どっち???決まり手は何???」みたいになるのですがその時は、見ていた先生の説明によると「相手の先生に誘われて打って行ったら取られたね」とのことで、本当にかけひきだったんだなあと思いだすなどしておりました。それをじっとみていた小学生。何を思ったでしょうね。じりじり、と動かないけれどずっと緊張の糸は張っているのです。緊張の糸が切れた瞬間、打たれるのです。…っていうのが、ピンとこないかな???自身が試合などに出るようになって初めて見た兄の対戦風景。(お稽古ですが)何を感じていたでしょうか。「あと10年後には対等にやっているかもね」との言葉をきいて、なるほど、、と思ったり。続けていれば、そういうこともあるでしょうか!!普段はいない、小学生の兄が突如あらわれて、ほかの小学生たち、どう思ったかなあ?ちょっと聞いてみたい気もしますが、まあ余計なことは言わず週末の試合に備えたいなと思いました。
2018.12.05
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