仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2005.11.01
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カテゴリ: 仙台
堺市が来春政令指定都市になる政令が先月閣議決定・公布されました。新潟市も日本海側初指定を目指していると聞いていましたが、遅れましたか。

 そもそも現行の指定都市制度は妥協の産物。府県からの独立を定める特別市制度が府県の反発で画餅に終わったので、中二階的な制度として導入されたものです。
 法令によって指定都市が道府県に代わって担う事務(その意味で道府県と同格・並列。「移譲事務」と呼ばれる)が定められています。中には不合意・不明確で紛争のもとになる規定や運用もありますが(義務教育教職員の任命権と給与負担、また都市計画関係助成など典型例。関係省庁の無理解な運用も問題)、まあこれらは良しとしましょう。大まかに言えば、道府県が調整以上の立場に立つことがないから、誰がやるやらないの問題がさほど深刻になりません。

 問題は、例えば公立高校や養護学校。これは厳密には指定都市の問題ではないのですが(指定都市でなくとも設立できる。その点石巻市は立派!)、大都市ほど問題が顕在化します。都市側は設置が義務ではないので、理論上は一切設置しないことも可能です。仙台市の場合は養護学校は鶴谷1校だけ、盲学校聾学校はありません。市立大学・短大がないのは実は指定都市では珍しい方です。
 大学とはともかくとして、公立高校や養護学校は都市が設けなければ道府県が対応しなければならない構図なので、上記の「同格・並列」とは異なります。「任意事務」と呼ばれます。

 このような「任意事務」は、場合によって大都市と道府県の調整課題になります。
 学校はまだ良い方です。無駄に作ることがあまりないから(もっとも仙台市内の学校だって県立市立通じて共学化・統合進めるべきとも思うが、それは別論に)。
 より深刻なのは、いわゆる公の施設、それもグレードの高い施設とか、大規模プロジェクトです。大都市の行うこれら事業は当然に又は結果的に郡部の利用者を伴います。その意味で、道府県の行う事業と差がなく、そもそもどちらが事業主体になるか截然と決まるものではありません。だから時として争いとなります。
 そもそも、大都市の実体は、その行政区域だけで成立しているわけではありません。ヒンターの郡部があってこそ。物流も労働も市税収入も、郡部あっての拠点都市仙台なわけです。なのでそもそも、コレは仙台市、コレは宮城県と截然と分けられない面があります。特に宮城県はそもそも「仙台藩」だったもので、仙台一極の地域システム、端的に言えば「仙台市(縁辺を含む)=宮城県」です。もっと言えば、二重行政で混乱するくらいなら、仙台市と宮城県がいっそタテの自治体合併をして統一的に意思決定する方が合理的とさえ思います。
 まあ空想はやめて、現実には事務組合や協議会を組織することは可能でしょう(確か福岡県で県と指定都市の事務組合があったように記憶)。組織でなくても、個別によく話し合って協定を結んでいくことはもっと可能です(賛否あるが「仙台文学館」「仙台港背後地都市整備事業」などの先例あり)。
 ただ、首長が別個しかも公選だから、どうしても難しいところです。バブルの頃は「こっちが作る」、今時ですと「そっちでやれ」、てな具合で...

 今サブトラックで話題の宮城野原総合運動公園。直接はサブトラックをめぐる陳情攻勢です。本日(11月1日)の河北新報朝刊では、「 仙台市が存続を断念した 」という記事がありますが、「断念した」という他動詞の目的語は一体何なのか考えると(存続を断念というがそもそも存続させる主体は仙台市ではない)、曖昧さが浮き彫りになると思うのですが。私はこの問題は最初から訳のわからない構図だと思っていました。

 いずれも県の施設だから県が決めることと言えばそれまでのこと。ただし、そう言わないで仙台市も積極的に関わって議論すべきだと、私は思っているのですが、どうも仙台市のこれまでの対応は、議論を混乱させているだけです。
 つまり、本来広域的視点で考えるべき拠点的施設整備や大規模プロジェクトの議論に、時折、行政区域としての仙台市(民)の都合だけの論理を持ち込んで、議論を混乱させてしまうということです。
 サブトラック問題で言えば、なくなったら仙台市民が困る?、と。それはそうでしょう。誰でも反対して当然。でもそれはどこの自治体でもそう。広域的施設の議論とは全く関係のない話です。
 他方で、県全体のことは仙台市の知った事じゃない?。それもそうかも知れない。でも、そう言うならやっぱり県の判断をまずは認めなければならない。知事も公選なのだから。
 そうじゃなくて、県全体を視野に考えて議論しましょう。でないと、どこまで行っても議論噛み合わずです。ああ話を聞いてくれない、とか不満を言うけれど、客観的には極めて当然でしょう。
 また、最近よくある論調ですが、仙台市民も県民だ、俺たちも県税払っている、とか、市議会で馬鹿な議論が始まる。もう目も当てられません。
(ちなみに仙台市選出の県議会議員も政治的立場上からか応援する、というより、ハッキリ言って使われているようです。この人たちの存在意義って何、を自ら体現しています。(更にちなみに言うと、「行政権能差を考慮して指定都市区域の道府県議員の定数を他区域の2分の1と定める地方自治法改正案(想定)の憲法上の問題を論ぜよ」、という問題を考えたことがあります。平等原則違反で違憲とするのがオーソドックスな解答でしょうが。脇道にそれました。))

 これでは何にも議論が進まないわけです。本当に解決するには、広域的議論、つまり実体としての仙台市(郡部で成り立つ仙台市)の視野での議論をするしかないのです。県民だ、県税払っているんだ、というなら、なおさらなのですが。
 県の側としては、この問題の奥には、利府の宮城県総合運動公園(グランディ21)と宮城野原総合運動公園の重複の問題があるのでしょう。ならば、同一平面で議論しなければなりません。
 県だ市だではなくて、同じ視野で。それを県の責任だと言うなら、市の責任放棄になってしまいます。本当はそれでいい、陳情の範疇を出る気はもともとないんじゃないの、とまで勘ぐってしまう。有るモノ無くすなという陳情なら誰しも反対しないが、本気で議論したら、新しい施設(利府)で競技させたい、という声だってあるはずです。
 宮城野原をどうするのか、仙台市にも構想がある、必要なら負担もすると言うのですから、それを示して議論進めるべきではないのか。確かに都市中央部の貴重な公園として意義は大きいとは思う。でも、ところで市民はその構想とやらの中身を知らされていませんよ。

 東北の拠点作りのため果敢に指定都市を目指した石井市長が聞いたら、泣くに泣けないでしょう。(ゼネコン事件やハコモノ市長と悪いイメージですが、指定都市実現は間違いなく石井市長と後押しした山本知事の功績。)

 制度論に戻りますが、全国で2千万人が、このような「任意事務」の争いの起こりがちな政令指定都市制度の上に暮らしていることになる。以前は私は制度論でスッキリ決めるべき、つまり旧特別市のような制度にしてしまうのが良いと思っていました。二重行政の弊害というなら、面倒だからスッキリさせよ、と。道州制議論の際に盛り込むとか。
 しかし、現在は少々違います。制度論より実質的調整を重んじるしかないと思っています。かりに特別市にすれば、一層調整が難しくなります。もちろんリードすべきは道府県ですが、大都市側も主体的に広域的視点で関わるべきだと思っています。

 大都市行政は、難しいです。本当に。制度デザインも生半可には決められず、地方制度調査会にも抜本的な提言は期待できないでしょう。永遠の課題、か。
 でも、制度論議は休めても行政は休めません。忘れてはいけないのは、自治体は二重でも市民は同じです。その辺を忘れずに、先輩指定都市の仙台市も、変な論理の使い分けしないで欲しいと思うのです。





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最終更新日  2005.11.01 23:50:53
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