仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.10.17
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カテゴリ: 仙台
大物政治家を輩出できない宮城県だが、高橋是清を仙台藩が育てた史実は、意外と知られていないのではないだろうか。

是清は維新を米国で迎えたが、渡米させたのも仙台藩である。幕末の混乱の最中にあって、多くの俊英を育てる度量を仙台藩は持っていた。

高橋是清は生後すぐに仙台藩江戸詰の足軽高橋覚治の養子となる。子の無かった高橋家に大事に養育されたが、幼少の頃から大童信太夫の目にとまり、元治元年(1864年)13歳で横浜で英語を学んだ後、慶応3年(1867年)に外輪船コロラード号で渡米。このとき仙台藩は3人の少年を渡米させた。富田鉄之助、高木三郎と是清である。

江戸詰の藩士子弟の教育係であった大童信太夫が、是清の恩人ということになるが、その信太夫は玉虫左太夫の門下である。左太夫は文政6年(1823年)下級武士の5男に生まれ、養賢堂に学び、江戸に出て林大学頭の塾に入門。万延元年(1860年)39歳で通商条約批准交換のために訪米する外国奉行新見豊前守の従者に選抜されて訪米。後に、養賢堂で教育にあたるが、もともと保守的な仙台藩に嫌気を抱いていた左太夫は、米国の議会制共和政治に強い関心を抱く一方、薩長の方策に対抗し藩の正使として会津を訪れるなど列藩同盟の立役者となり、議会制による北方政権を構想した。

左太夫を育てたのは養賢堂の学頭大槻磐渓だ。磐渓は天皇を利用する薩長のやり方を批判し、民主国家に近い理念を語った。

仙台藩は、先見の明を持ち、脈々と人材を育てていた。

星亮一『東北謎とき散歩』(廣済堂出版、1998年)の「仙台藩が生んだ高橋是清」ほかの項を参考にさせて頂きました。





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最終更新日  2009.10.17 12:23:23
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