仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.10.21
XML
カテゴリ: 仙台
現在のJR仙台駅ができたのは明治20年12月20日だが、これより先に、当時の鉄道会社は長町から宮城野原の東南を過ぎ、原町から案内に通す計画を立てていた。ところが、松平正直知事は、そのルートでは仙台区への交通が不便になるから、是非区内に線路を引き込むよう頼み、会社から大迂回になる余分の工事費用を出すならばとの条件をつけられて、3万円を仙台区民から寄附して、現在の位置になった。

この時は自治制が敷かれる前だったので、仙台区医師会の有志者の他は、官僚のやることだからと誰も反対しなかった。仙台区医師会有志者は、衛生上と医学上、区の中央に停車場を置くのは不適当であると、5大要綱をあげて、仙台停車場を原町新屋敷方面に置くように要望したという。

名掛丁では列車が通過するたびに遮断機を上げ下ろしし危険防止をしていたが間に合わず、木製の陸橋を設置したがかえって火の消えたように人が通らなくなり、商売に差し障りが出た。地元の有力者伊藤幾三郎氏が同乗し、上奏して停車場を他に移してもらうしかないと運動したが、既に宮城野橋(X橋)が構築されることになっていた。また、名掛丁から二十人町に抜ける地点で地下道も造られることになっていて、停車場移転はできなかった。

設置が嫌われていた鉄道であったが、もし原町を通っていれば、原町は仙台圏の中心として現在とは違った発展をしていたことだろう。

高砂敏夫『ふるさと仙台・原町』宝文堂、1990年 から。

高砂さんは同書で述べている。政宗の仙台築城の第一候補地は榴岡であったというが、実現していれば平城を中心に発達し、原町は中心街として発達していたはずだ。これに続いて、明治期の鉄道敷設でも、発展のチャンスを失った、と。

また、原町は昭和3年に仙台市に編入されるまでは宮城郡の中心で、かつては(大正15年まで)郡役所も置かれた。平成元年に政令指定都市となり、原町はほぼ全域が宮城野区となるが、区役所が陸前原町駅そばに設けられたことで、郡役所廃止以来、63年ぶりで原町が地域の行政の中心地となった、とも述べている。

ふるさと原町に寄せる高砂さんの愛着を強く感じながら、拝読している。

■関連する過去の日記(仙台駅の位置)
仙台駅の位置について(再び) (09年3月10日)
仙台駅の位置について(その4) (07年8月16日)
仙台駅の位置について・続々 (06年7月15日)
仙台駅のはなし・続 (06年7月11日)
仙台駅のはなし (06年7月10日)
宮城県内の東北本線のルートの話 (05年11月27日)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009.10.21 01:39:13
コメント(2) | コメントを書く
[仙台] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

コメント新着

おだずまジャーナル @ Re:仙台「6時ジャスコ前」の今むかし(11/14) 仙台フォーラスは来月3月から長期休業。再…
クルック@ Re:黒石寺蘇民祭を考える(02/18) ん~とても担い手不足には見えませんけどネ…
おだずまジャーナル @ Re:小僧街道踏切(大崎市岩出山)(12/11) 1月15日のOH!バンデスで、不動水神社の小…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: