仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.03.30
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小学生の頃に読んだ。火山局の技師になったブドリは、冷害を是正するため、火山の爆発を提案して、最後の作業のため一人現場に残った。凶作は回避され、イーハトーブの人たちは笑顔で暮らすことができた。

そんな話だったと思う。

福島第一原発に残り作業を続ける人たちは、どんな思いだろう。大切なものを亡くしたまま、実質的に幽閉された状態でいる人も少なくないのではないか。

メディアは連日、原発や放射能の報道だ。重大な問題であることは間違いないが、会社の体質の検証や批判も目立ってきた。これが高じて、東電や関連会社のバッシングも行われている。

国と東電を通じて、あるいは業界を含めて、システムとしての問題点はあったと思う。水をかける作業に挑んだ消防隊を称揚する論調もあった。たしかに讃辞を送るに十分だ。しかし、文字通り必死の覚悟でいま職務に当たる施設の職員たちのことも、一人ひとりの人間として大切に考えていかなければならない。

石巻市や南三陸町などでは、膨大な瓦礫や未だ退くことのない浸水を前に、役所の職員の方々の疲労は想像を超えているだろう。自らも被災者で、安否不明の家族がいるかも知れない。自宅のことも心配だろう。避難所には多くの市民が身を寄せており、十分なケアをしたくても手が回らない。その上、仲間の多くが亡くなって、市民に関する資料も散逸している。避難生活が長期化の様相をみせて、マスコミの役所バッシングも増えていくだろう。

職員とわかると何かとクレームの的となる。人前で食事も休息もできないという話を聞いた。

現地の治安も相当悪くなっているようだ。マスコミの良心で報じられていないようだが、人心も荒れているだろう。もちろん、警察、消防、自衛隊などの方々も、果てしない連日の作業で疲労は限界を超えているだろう。

ブドリは、たとえ自分がいなくなったとしても、多くのブドリたちが、その親や友人とともに笑いながら暮らせるのなら、それが自分の果たす役割と決心した。単純に例えるのは大変失礼だとは思うが、どんな逆境でも、どんなに悲しくても、復旧のために与えられた立場を一生懸命に全うしようとする人たちが居る。仕事だと言えばそれはそうだ。しかし、休むことも帰ることもなく、ただひたすら人と町を支えているという謙虚な一心で、たとえ上部の指令の混乱があっても、事にあたっていくだろう。

そんな人たちの存在を、絶対に忘れてはならない。





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最終更新日  2011.03.30 22:38:00
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