仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.09.18
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カテゴリ: 宮城
日記 )。そのあと、同年11月に登米のはっと屋台村に行った( 日記 )帰りにも寄りました。今年になって震災前の2月にも仕事の際に立ち寄った。

なんだかすっかり気に入ってしまいました。

震災の後では2度目、通算で5度目になるのですが、今日もお昼を頂きました。おだずま研究所の特別第二秘書(二番目の娘)は、これで3度目の訪問です。第二秘書はいつも座敷の一番奥のテーブルになります。今回は通常秘書(家内)も帯同。

仕事半分で、半分は家族にも被災地を見てもらおうと同行してもらった。これまで被災状況の画像など出すつもりにもならなかったが、今回はあえて出してみます。南三陸町の防災対策庁舎と石巻日和山からの画像。

考えてみれば連休の中日だ。県外ナンバーがやたらと多かった。死ぬも地獄、残るも地獄の現場の方々から見れば、私が何を思おうとどんな貢献ができようとも、その方々の立場に成り替わることができない限り、観光感覚の外来者といささかの違いもないだろう。

ところで、予測されたことだが、被災地の惨状の劇的報道や、救助に携わる者の英雄譚、一途に復興をめざす被災者の賞賛などの型にはまった感傷的報道に自ら飽きてきた最近のマスコミは、いよいよ次なる感情のはけ口を求めて、大衆迎合のあら探しに走ってきた。標的は、行政や管理階級である。私はもとより、野にあるマスコミの体制批判としての意義は大いに認め、多少は粗雑であっても事態の透明化と多様な民意の吸い上げのために、秩序や深慮などとは無縁の多様なメディアの存在と活動を積極的に容認する立場だ。

しかし、被災地やそれを眺める一般国民の感情(それもメディアが決めつける型にはまった感情)だけを崇高に位置づけて、それから逸脱する事象をみつけては、ここぞとばかりに体制批判にせっせと精力を注ぐ。その意義を否定はしないが、想定を越えた事態に(マスコミには想定外という言葉さえ許さない風潮もあるが、とても一般国民の常識とは思えない)、そもそも人はどれだけ万全で完全なのだろうか。実際に、生きた方が地獄だった、という苦難の声を私も度々聴いた。

今一番被災地に必要なことは何だろうか。誰もが先の見えない状態にある。片時の感情発露より、できるならば、見えない未来をどう形作るかこそ、示唆するなり批判するなりして欲しい。メディアの質も問われてくるだろう。

話を戻そう。南三陸のあの防災庁舎。ここまで波が来たのだ。何もかも流していった。11歳の我が子は何を思うのだろうか。お仕着せの説明よりも、目の当たりにした記憶が、後々に何かを呼び起こすなら、それで良い。

とにかく、無心で美味しいものを食べる子どもの姿。これにまさる安心はない。ちょっとした何かの違いで、生き残る方の道に進むこととなった私たち。今を生きることの有り難さを思わずにいられない。





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最終更新日  2011.09.18 23:19:11
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