仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.11.26
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カテゴリ: 宮城
紀行文学の最高傑作「おくのほそ道」で、芭蕉のフィクションのもっとも大胆な例が、石の巻の条(くだり)だ。

曽良の旅日記では、芭蕉が松島を出発したのは5月10日(今の暦の6月26日)で、その夜は石巻、11日に登米、12日一関と三泊を重ねて13日に平泉を訪れている。石巻の歌枕を訪ねることは予定のコースだったと思われるが、芭蕉が小説的にこの章を仕立てるために、まず、瑞巌寺参詣を、塩竈神社の記事と寺社が続くのを避けるために本来の5月9日を11日と記した上で、石巻出発も12日と記した。

「つひに道踏みたがへて」「思ひかけずかかる所にも来れるかなと」「心細き長沼に添うて」など、いかにもこの旅があてどない流転の旅であるように見せかけた芭蕉の演出効果である。

こうして、道に迷い、宿に苦しみながらはるかみちのくを心細い思いで旅していく演出効果を狙ったのだ。しかし、芭蕉の実際の旅は、しっかりと自分の姿を心に描きながらの旅であり、十分に行き着く地を調べつくして行動している。

芭蕉は日和山から、「こがね花咲とよみて奉りたる金華山海上に見わたし」と書いている。これも完全なフィクションで、日和山からは、牡鹿半島の向こうにある金華山は絶対に見えない。芭蕉は涌谷の黄金山神社の伝統を踏まえて、黄金の奥州を思うあまりの心眼で、金華山をみていたのだろう。

■石寒太『おくのほそ道 謎解きの旅』リヨン社、2004年 から

十二日、平泉と志し、姉歯の松、緒絶えの橋など聞き伝えて、人跡まれに、雉兎蒭蕘の行きかふ道そことも分かず、つひに道踏みたがへて石の巻という港に出づ。こがね花咲くとよみて奉りたる金華山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立ち続けたり。思ひかけずかかる所にも来れるかなと、宿借らんとすれど、さらに宿貸す人なし。やうやうまどしき小家に一夜を明かして、明くればまた知らぬ道迷ひ行く。袖の渡り、尾ぶちの牧、真野の萱原などよそ目に見て、遥かなる堤を行く。心細き長沼に添うて、戸伊摩といふ所に一宿して、平泉に至る。その間二十里ほどとおぼゆ。

歌枕の名所である石巻を、芭蕉は目ざして旅をしてきた。そして、日和山から望んだ港町の風情。作品中で最上のフィクションを凝らしたほど、感激に浸り、そして文学的意欲をかき立てられた土地だったに違いない。

遥かなる思いに焦がれて目ざした石巻の地に立って、芭蕉は最大級の讃辞を、後世の私たちに残してくれた。ことし、日和山からの眺望は変わってしまったが、400年の昔の心の旅でもっとも大切にしてくれたこの石巻を、芭蕉はきっと応援しつづけてくれる、彼にはちょっと先の復興した石巻の姿も見えているはずだと、私は思っている。





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最終更新日  2011.11.26 20:39:34
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