仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.11.16
XML
カテゴリ: 仙台
以前田村昭さんの著作を読んで、花街の概史を記した。

■関連する過去の記事  仙台の花街 (07年2月10日)

『目で見る仙台の歴史』(宝文堂、1980年増補改訂版)には、何枚かの絵や写真が紹介されている。

南幸楼錦絵
明治2年針生庄之助なる者が官許を得て国分町の西側に貸座敷を開き、4年にその東側に移り、中正楼と称して繁盛を極めた。新盛楼、舞鶴楼、南幸楼など約20軒の吉原風の妓楼が軒を並べていた。
(画は宮城国分町南幸楼三階之図。)

常盤町の妓楼
国分町の妓楼は10年続いた。県令宮城時亮は明治12年片平丁支倉寄りの広瀬河畔に移させ常盤町と称した。今の元常盤町一帯はこの花街の跡である。当時今の市民会館のところに吉原まがいの大門と見返り柳があり、西側は大見世、東側が小見世であった。
(画は常盤町遊郭之景。上田文斎、日本名所図絵)

新常盤丁遊廓 (丁は原文ママ)
常盤丁にあった遊郭は川内兵営の向かいにあったので、明治27年陸軍の反対で小田原に移り、新常盤丁と称した。2階、3階の楼廓造りが軒を連ねた。維新後さびれた宮町は活気づき、日清日露の戦後好況時代には弦歌のさざめきが絶えなかった。終戦後の廃娼法により、建物は旅館となり、旅籠町と改名した。
(写真は、新常盤丁全景、妓楼)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013.11.16 18:30:09
コメント(0) | コメントを書く
[仙台] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

コメント新着

おだずまジャーナル @ Re:仙台「6時ジャスコ前」の今むかし(11/14) 仙台フォーラスは来月3月から長期休業。再…
クルック@ Re:黒石寺蘇民祭を考える(02/18) ん~とても担い手不足には見えませんけどネ…
おだずまジャーナル @ Re:小僧街道踏切(大崎市岩出山)(12/11) 1月15日のOH!バンデスで、不動水神社の小…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: