仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2014.03.25
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カテゴリ: 仙台
寛永4年(1627)若林に平城の若林城を建設した際に、新たに、荒町、南鍛冶町、穀町、南材木町、河原町が取り立てられ、その東部に足軽町が配置された。柴田町、成田町、三百人町、五十人町、六十人町である。これらの足軽町には、それぞれの出身地にあった氏神の分霊を勧請して祀った。

柴田町は、柴田郡より召し出された足軽が居るゆえに柴田町というと、「仙台鹿の子」にある。表柴田町の東、旧東街道沿いに、白鳥神社がある。柴田郡平村(現大河原町金ヶ瀬)の鎮守大高山神社すなわち白鳥神社の分霊を勧請して祀ったもの。

柴田町の南に平行する成田町は、慶長18年(1613)に桃生郡成田村(石巻市旧河北町飯野川の一部落)から召し出された旧葛西氏家臣の足軽84人が居住した町。旧東街道から100m西に入ると箱石神社がある。故郷成田村の氏神の分霊を勧請したものである。境内には集会所。旧東街道の東には冷源寺がある。浄土真宗京都本願寺末で宝永山と号する。慶安2年(1649)常法和尚が開山。境内には日本バレエ界の先駆者東勇作記念碑がある。

三百人町は鉄砲足軽300人が居住した町。かつて伊達家家臣だったが、伊達家米沢移住の時に伊達郡に残留した者たちである。慶長5年(1600)政宗が上杉領の白石城を攻めたとき、説得によって参戦し再び伊達氏に貴族、寛永7年(1630)からこの地に居住したという。信夫神社があり、伊達氏発祥の地、いにしえの信夫郡(現在の福島市と伊達郡)の出身者であったので故郷の地名を冠した神社を祀ったと思われる。神社の隣の常林寺は、浄土宗で若林山と号する。明治5年にこの寺が仙台の一番小学校に充用された。現在の荒町小学校の発祥地である。

五十人町は三百人町に平行しさらに南にある。旧東街道の交差点に伊達八幡神社があるが、15世晴宗の守本尊で、はじめ米沢に鎮座したのを慶長5年(1600)遷座したという。

六十人町は、五十人町の南、畳屋丁に接しその東になる。旧東街道の東に城取神社がある。城下と旧南小泉村の村堺に祀ったもの。

これら五つの町の足軽達は、微禄を補うため野菜類を耕作して河原町にあった市場に売りに出た。士分なので腰には一刀をさし、編笠で面部を押し隠して天秤棒を担いで野菜を運んだという。これら足軽を檀方(だんぽう)といい、足軽町を檀方町と呼んだという。

■木村孝文『若林の散歩手帖』宝文堂、2000年 から





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最終更新日  2014.03.25 21:37:03
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