仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2022.03.05
XML
カテゴリ: 仙台
インフラの視点から歴史や都市を解説する竹村公太郎氏の著作を読んで、当ジャーナルでは、家康の利根川改修事業は政宗の南下を防ぐという目的であったことを、前に記した。

■出典 竹村公太郎『”地形と気象”で解く! 日本の都市 誕生の謎』株式会社ビジネス社、2021年
■関連する過去の記事
政宗が迫った家康の利根川東遷 (2022年2月27日)

歴史地形学への招待、という副題のように、政治や経済の論理で語られがちな都市づくりや歴史上の動きについて、下部構造やそれを規定する地形や気象から必然性を読み解いている。

例えば、桓武天皇が平城京から移ったのは、盆地を囲む山の樹木が伐採されつくして水害に見舞われ、生活排水で疫病が慢性化したからである。京都も水道インフラや下水システムがなく、不潔で疫病が蔓延した。清盛が遷都を狙った神戸(福原京)は、背後に山が連なる傾斜地形で排泄物を自然流下させ、大河川がなく干潟で船が座礁しない良港を拠点に海運を制覇でき、街道の東西を抑えれば流人の流入も防げる地形にあった。その平氏を破った頼朝が拠った鎌倉は、山に囲まれて人口膨張を許さず、傾斜地形が排泄物を流下させ、由比ヶ浜の遠浅の砂浜は船団の急襲を防ぎ、さらには、中山道や房総半島を経て関東、東北に向かうルートの要衝にあり、三浦半島には横須賀や浦賀という良港がある。モンゴル軍が九州で敗退したのも、ぬかるんだ福岡の地形で騎馬軍団が進めなかったのである。

同書からポイントを摘まんでみたが、だいたいこんな解説だ。仙台についても、極めてユニークなまちづくりとして、説明がある。

広瀬川と七北田川による河岸段丘の上につくられ、20mから100mの標高。他の都市のような低平地の沖積平野ではない。広瀬川には堤防がなく洪水の心配がない。台地の上の仙台は、水害がない代わりに水不足に対処する必要があった。そのため、広瀬川上流から四ツ谷用水を引いた。芭蕉の辻の街路の中央に水路が流れている絵がある。生活用水や防火用水、また水車の動力にもなったが、重力で流れるこの四ツ谷用水が近代の仙台市の下水道の原型になっている。

東日本大震災で電気や水道の止まった一か月間、下水道システムは見事に機能した。ポンプが動かなくても、仙台市内の汚水は自然重力だけで流下したのだ。

見事な都市計画上の条件を生かした政宗だが、それは秀吉に学んだのではないか。秀吉は湿地に囲まれた上町台地の先端に難攻不落の大坂城を築いた。飲み水は地下水が豊富であり、排水は南北に延びる台地の東西に排水路を向ければ自然に流下できた。台地の地形を生かして、町を南北に配置し、排水路は東の大坂湾と西の河内湾に向かわせた。日本最初の本格的な下水道である「太閤下水」を建設。大阪市下水道局はいまでも現役として使用している。政宗が大阪の街づくりを学んだ証拠はないが、大坂をモデルにしたのではないだろうか。

竹村氏は仙台について以上のように述べている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.03.05 20:08:46
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

コメント新着

おだずまジャーナル @ Re:仙台「6時ジャスコ前」の今むかし(11/14) 仙台フォーラスは来月3月から長期休業。再…
クルック@ Re:黒石寺蘇民祭を考える(02/18) ん~とても担い手不足には見えませんけどネ…
おだずまジャーナル @ Re:小僧街道踏切(大崎市岩出山)(12/11) 1月15日のOH!バンデスで、不動水神社の小…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: