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毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日2月3日は節分。なるほど、それで阿辻先生は「鬼」を取り上げたのですね。まず古代では荒野や森林のいたるところに、目には見えない恐ろしいばけものが飛び交っていたと書かれています。これを人々は、「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」と呼び恐れてきたと。この「魑魅魍魎」という四つの漢字からなることば、まず正しく書けなくても、まあ「妖怪、お化け」のことだということは、皆さんご承知のことでしょう。ところで「魑魅魍魎」を構成する四つの漢字には、いずれも「鬼ヘン」がついていますね。「鬼」は大きなお面をかぶってひざまずいている人の象形文字で、もともとは死者の霊魂から生まれた「もののけ」を意味すると阿辻先生は教えてくれています。調べてみると、「魑魅(ちみ)」とは山林の気・沢や石の精、物の怪や化け物のこと、「魍魎(もうりょう)」は山や川、木や石などの精や、墓などに住む妖怪の総称とありました。ちなみに「魑」・「魅」・「魍」・「魎」それぞれでも単独で「もののけ」や「化け物」の意味を持つ漢字だったとは、まったく知りませんでした。今日我々が比較的よく使う「魅」でさえも、「化け物」とは驚きですね。四足の人面獣身にして人を惑わし、危害を加えることを好むというのですから、たちが悪い。(笑!・・・なるほど、それで「魅了」・「魅力」・「魅惑」などのように使われるのですね。納得できました。しかし、最後に「みずからを破滅させてしまうほど『魅力』的な異性に、一度でも出あいたいものだ」と書いておられるのは、少々得心できませんな。・・・阿辻先生、奥様が今朝の日経を読まれたらどうするのですか?それこそ身の破滅ではありませんか。(大爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年02月03日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は「庚申(こうしん)」でしたが、この漢字二文字からなる言葉もさることながら、私にとって書かれている内容すべてが耳新しいものでした。まず、人の体内には三匹のけしからん虫が住みついているっていうこと、皆さんご存知でしたか?はて・・・?子どものころ、カイチュウに寄生されたことは一度ありましたが、虫下しを飲んで駆除して以来、私の体内に虫が住みついているということはありませんが。(笑!中国の道教の教えによれば、人の体内には三匹のけしからん虫が住みついていて、「庚申」の夜になると、人が眠ったあと口から抜け出して天に昇り、天帝にその人の悪口を言って、再び戻ってくるのだそうな。その前にまず「庚申」とは、甲・乙・丙で始まる「十干」の七番目の「庚(かのえ)」と、十二支の「申(さる)」とが組み合わさった日のこと。旧暦で60日に一度回ってくる。天帝に己の悪口を告げられてはかなわないですよね。そこで昔の人はどうしたか?眠ってしまうから、よからぬ虫が動き始めるのだろう、一晩中起きていればいいじゃないかというわけで、庚申の日になると仲間たちが一堂に集まって、徹夜で飲み食いして過ごしたというのです。そしてその集まった場所のことをやがて「庚申堂」というようになったと。まあ、道教、仏教、神道、さらには易、・・・もろもろのものが「庚申」に集約されているのでしょうね。う~む、まあ私なんぞに言わせれば、「庚申」の複雑ないわれは別として、60日に一度などといわずに毎晩庚申堂に籠ってもいい。( ← イエローカード!・・・笑!本稿の終わりに、阿辻先生は、飲み食いの他に徹夜で過ごす方法について言及しておられます。言わずとも知れよう、夫婦で朝まで布団の中でしっぽり過ごすことだと。しかしこの方法は、村の団結を乱すことになりかねないので、心しなければならないとも。なるほど、夫婦仲は良くなっても、村八分にされちゃたまらんか?(笑!室町時代に作られた辞書『下学集(かがくしゅう)』の「庚申」の項に、こんな記述があるのだとか。「この夜夫婦婬を行えば、則ち其のはらむところの子必ず盗を作(な)す」昔の人はいろいろ大変だったようだと。ふ~む、なんとコメントしていいものやら・・・。阿辻先生、私に関して言わせていただければ、私たち夫婦はそこまでしなくても十分仲が良いです。・・・っていうか、そんな徹夜でことに励むなんて、とてもムリ、ムリ。(大爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年01月20日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。昨日の日曜に阿辻先生が取り上げた漢字は、「釜」。ご飯を炊く「釜(かま)」である。有史以来我々日本人は米を主食として来ましたから、「釜」の世話にならなかった者はいないはず。しかし、この漢字は普段訓読みで「かま」としか読みませんね。本場中国ではどう読むのだろうかといえば、「フ」と読むのだそうです。「金」で意味を、「父(フ)」で発音を示す構造になっていると、阿辻先生は教えてくれています。すでに今から3千年くらい前の青銅器に記された文章に、この「釜」を見ることができるということですから、中国の歴史の古さには舌を巻きます。当然のことながら、稲作が定着していたことも「釜」という文字から窺うことができますね。『後漢書』の列伝の中で、范冉(はんぜん)について書かれた下りに、この「釜」という字が、「釜中生魚」ということばで出て来るのだとか。「釜」の中にあるものは、飯だろうと誰でも思うのですが、魚とはこれ如何に?阿辻先生は、ここで書かれた「魚」とは、魚虫、すなわちボウフラかミジンコであろうとおっしゃっています。そこで列伝を詳しく調べてみると、「桓帝時為萊蕪長、遭母憂、不到官・・・」というくだりがありました。どうやら范冉は、後漢の桓帝のとき萊蕪の長に任ぜられたものの、母親を亡くしたので任官しなかったということらしい。そして「有時絶粒、窮居自若」とありますから、范冉は、食べる米一粒もなくなり、生活に極まるような境遇にあっても、動じることなく落ち着き払っていたと。たとえ「釜」に雨水が溜まりボウフラが湧くような生活を強いられても、それは范冉の本意とするところでなく、違うところを見ていたから泰然自若にかまえていることが出来た。いったい何を見ていたのか?そこで范冉について調べてみると、五経、とりわけ易経と書経に精通し、清廉潔白な人物とありました。・・・なるほど、范冉はたえず徳目を修めることを第一に考えていたということか。中国歴代王朝は、20世紀前半の清の時代まで儒教が支配していた国、ましてや「漢字」という文字の名前のもととなった「漢」の時代のことです。たえず有徳を目指した范冉の名は、歴史書に残さないわけにはいかなかったということでしょう。 ◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年01月14日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今年最初の本稿に阿辻先生が取り上げたのは、酒の話題でした。「酒を発明した『杜康(とこう)』」と題されています。現代においても酒の製造には醸造技術者である「杜氏(とうじ)」の存在がなくてはならないのは、誰でもご存知でしょうけれど、「杜康」が「杜氏」の由来であるということご存知の方は、少ないのではないでしょうか。「杜康」とは古代中国で酒を発明した人物の名前であると、阿辻先生は教えてくれています。酒の歴史は非常に古く、すでに商(殷)の時代(紀元前17世紀~前11世紀)の遺跡から、酒壺や酒杯などが発見されているのだとか。酒壺からしずくがあふれているさまを示したのが、「酒」という文字なのだそうです。酒好きにはよだれが出て来そうな何ともたまらない風景ですね。(笑!当時の中国では酒壺は「玉」や「貝」と同様に宝であったと、先週教えてもらったばかりでした。そこで「杜康」を調べてみると、「エチルアルコールを含む致酔性飲料」と、本来「杜康」が内包するものとは真逆のまったく無機質なことばが最初に出てきます。「杜康」には「酒」そのものの意としても使われるってこと、初めて知りました。かの『三国志』の英雄曹操も、酒を側から離すことができなかったようです。何以解憂 (何を以てか憂いを解かん)唯有杜康 (ただ杜康あるのみ)という、曹操の「短歌行」の一節が最後に紹介されていました。・・・ふ~む、曹操をしても「杜康」に頼らざるをえなかったと。しからば私も、今年は今までよりもまして「杜康」の力に頼らなければならないとしたものです。(笑!それにしても、「杜康」とは、いい言葉を教えていただいたものです。「おい、ちょっと杜康と語り合おうと思うんだが、いいだろう?」なんて、女房殿を煙に巻いてやろうっと。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2019年01月06日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、「宝」。まあ、普通日本人なら「宝」という漢字を知らぬ人はいないでしょうが、「宝」はかっては、「寶」と書いたということをご存知の人は、少ないのじゃないか。・・・っていうより、そんな知識のある人は、阿辻先生ぐらいでしょう。(笑!阿辻先生の博識をお借りすれば、「寶」は、「宀」(家の屋根)と「玉」(ぎょく)と「缶」(酒壺)と貝(財産を表す)からなる漢字。すなわち、家の中に宝石と酒壺と金銭があることを表しているのだと。「玉」は希少な石とわかりますね。「貝」も財産を表す字に使われていますからこれもわかります。しかし「缶」は、「ほととぎ」とよばれる胴の中央が膨らんだ壺のことだとは知りませんでした。中央が膨らんだ壺に何を入れて貯め込んだかといえば、酒でしょう。・・・ほぉ~、古の中国の人はエライものですな。宝石と銭金はわかるとして、「酒」も貯め込むべき貴重品だと言っている。(笑!阿辻先生は、古代においてはそれらはたしかに素晴らしい財産だったろうが、現代の目から見れば、それを「宝物」と考えるのはあまりにも即物的な認識であるとおっしゃっていますが、私の考えは少々違います。宝石や金銭にこだわるのは確かに即物的であるの指摘は免れないでしょうが、酒にひと時の安らぎを求めるのも即物的と断じるのは、あまりにもせつないというものではありませんか?胴の中央が膨らんだ壺の中身の減り具合を気にかけた古の中国人の気持ち、私にはよぉ~く理解できますが・・・。(笑!阿辻先生、いかがでしょう?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年12月30日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生は、中国三国時代(3世紀)の「晋書」より、阮籍(げんせき)伝の「青眼」の故事を取り上げています。「青眼」とは読んで字のごとく「青い目」のことなどと解釈するのは、あまりにも正直すぎますね。まあ、西欧人の碧眼のことを指すのは今日では当然のことながら、「遊遊漢字学」で阿辻先生が「白眼」と対比して取り上げるのですから、もっと深い意味があるというものです。阮籍は、三国時代に魏に高級官吏として使えていたが、立身の望みを捨て酒と清言(老荘思想を背景にした議論)に生きたという思想家。「青眼」の故事とは、阮籍が世俗的な価値観を持った人を心から忌み嫌い、そんな人物がやって来ると極めて冷淡な対応をしたというこんな逸話。阮籍の母が亡くなったとき、俗物である嵆喜(けいき)がやって来たところ、阮籍は彼を「白眼」で迎えたが、弟の嵆康(けいこう)が酒と琴を抱えて訪れると、阮籍は大いに喜んで彼を「青眼」で迎えたと。すなわち「青眼」とは、親しい人が訪れたとき、喜んで迎える目つき。「青」には「黒色」という意味もあると阿辻先生は教えてくれています。今日では「正眼」とも表すようです。これに対して「白眼」とは、冷たくにらむような目つき。白目を剥くと表現することもありますね。阮籍は当時の形骸化した儒教社会に嫌気がさし、世間との交わりを立ち、竹林にこもって酒と詩と音楽に明け暮れる自由な生活を選んだ、いわゆる世捨て人。そうすれば、現実の生活に執着する人々には、阮籍の目は「白眼」で近寄りがたかったと想像できます。・・・ふ~む、人が己の目をどのように見ようが、阮籍のようにこの世のいっさいの執着から逃れ、傍らに酒を置き、手に書物をひもとくといった日々を送れたらどんなにかいいとだろうと思うかたわら、そのような勇気を持ち合わせぬ自分は凡人の中の凡人、ある意味幸せなのかもしれないとも思います。ところで世を捨てる勇気がないため、私のように日々の生活に追われ、いつも目を白黒させては、瞼を瞬かせているさまは、何と表現したらいいのだろう?・・・「青白瞬瞼」とでも表現しますか。阿辻先生、いかがでしょう?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年12月16日
このところ3週お留守になってしまいました。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは「輾転反側(てんてんはんそく)」。・・・なんとも難しいことばですね。まずもって最初の「輾」という漢字、読みは「てん」と読めても意味がわからない。調べてみると訓読みが「きし(る)」「めぐ(る)」とありました。その後に続く「転」と「反側」から、「輾転反側」とは転がっている状態を指すのではないかと想像がつきます。「輾転反側」とは寝返りを打つことだったのです。阿辻先生は、孔子が編纂したとされる中国最古の詩集「詩経」の最初に載っている「関雎(かんしょ)」という詩に、この「輾転反側」が出て来ると教えてくれています。ちなみに「関雎」とはミサゴ科の鳥で、古来より夫婦の仲のむつまじい鳥と言われているのだとか。この鳥にたとえて君子とその伴侶の在り方を説いた詩が「関雎」。調べてみると、「関雎」は仁徳の優れた名君といわれた周の文王が才色優れた太姒(たいじ)を妃に選んだことを詠んだものだとか。窈窕淑女 寤寐求之 《窈窕(ようちょう)たる淑女 寤(さ)めても寐(ね)ても之(こ)を求む》求之不得 寤寐思服 《之を求むれど得ざれば、寤めても寐ねても思服す》そこで文王は一段と思いをつのらせて、眠れぬまま寝がえりを打つことになった。悠哉悠哉、輾轉反側 《悠なる哉 悠なる哉、輾轉反側す》してみれば、「関雎」は文王の未だ太姒を妃にすることが叶わなかったころの悶々たる様子を歌った詩と解釈されます。孔子は、窈窕たる淑女を探し最上の配偶者を得ることも君子たる条件であると言っているのだろうか?・・・窈窕(ようちょう)たる淑女ですか。阿辻先生もそうだったと認めておられるように、私も身に覚えがありますぞ。(苦笑!私が君子でないことは勿論明白なことではありますが、それでも若きころ「輾転反側」したのは間違いのない事実であります。ただ私の妻が「窈窕(ようちょう)たる淑女」であったか否かは、そこまでこと細かに問わないでいただきたいと思うのであります。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年12月09日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは「鹿鳴館」。明治政府がとった西欧化政策の象徴となったのが、明治16年に建てられたこの「鹿鳴館」。確か中学の社会の時間で習ったように記憶しています。しかし、その名前の由来については、中学でも高校でも習いませんでしたね。阿辻先生も明治政府の西欧化政策と「鹿鳴館」の関係については言及しておられますが、さすが漢字学者ですね。少しばかり見解を異にしておられる。すなわち、西欧化をはかろうとしたのはわかるとしても、東洋の伝統的文化の枠から脱しきれていなかったことは、「鹿鳴館」と名づけられたことを見てもわかると。何とならば「鹿鳴」は、中国最古の詩集「詩経」に出て来るこのような「鹿鳴」の一節に由来しているからだと教えてくれています。我に嘉(よ)き賓(ひん)有り瑟(しつ)を鼓(こ)し笙(しょう)を吹く笙を吹き簧(こう)を鼓す和樂してかつ湛(たの)しむ我に旨き酒あり以て嘉賓(かひん)の心を燕樂(えんらく)せしめんすなわち「鹿鳴」には、大切な客をもてなす歓迎の音楽の意味があるのだと。西欧化の象徴であった鹿鳴館の名の由来が、維新よりはるか2500年以上も前の詩経にあったとは、当時の明治政府がただただ欧風文化を追おうとしたのではなく、神髄に伝統的な東洋文化もわきまえようとしていたことが知れて、痛快な思いがします。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年11月11日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生は漢字で書かれた言葉の由来についてではなく、その言葉ができた背景について漢字学に造詣深い先生ならではの考察を「杞憂」を例に述べておられ、大変興味深く読みました。漢字は、今から3300年前の中国・殷王朝の時代に占いに使用した甲骨文字が最初と言われています。以来、殷・周・秦・漢、・・・明・清、そして中華民国・中華人民共和国に至るまで、その文化は脈々と受け継がれたばかりでなく、海を隔てたわが国にも伝わり、今日我々がその恩恵に与っていることを思えば、奇跡といっても過言ではないでしょう。「杞憂」とは「杞」という国の心配性の男がもとになった故事からできた言葉で、現代の我々もしばしば使う言葉ですね。阿辻先生は、この逸話の主人公がなぜ「杞」の国の住人でなければならなかったのかと疑問を呈しておられます。その時代には「晋(しん)」や「斉(せい)」といったもっと大きくて有力な国があったはずなのにと。「晋憂」や「斉憂」とはならず「杞憂」とならなければならない理由があったと、阿辻先生は看破しておられます。「杞」は今の河南省開封の近くにあった国で、「杞」が「夏」によって滅ぼされ、さらにその「夏」が「周」によって倒された後、「周」は「宗」というところに夏王朝の子孫を集めて先祖に対する祭りを行わさせた。その祭事だけを行わせるために作らせた国が「杞」であったというのです。この時代祭ってくれる子孫を持たない霊魂は、現世に祟りをもたらすという考えがあり、ゆえに周はかれらに土地を与え先祖の祭りを継続させたのだと。「守株待兎(株を守りて兎を待つ)」の逸話もこれと同様に、征服者である周王朝の正当性を強調せんがために、被征服者である「夏」や「杞」を嘲笑するためのものだったと。・・・今日でいうところのパワハラですな。(笑!私はてっきり歴代の中国王朝は、倒した前の王朝の子孫を根絶やしにするばかりでなく、その痕跡も破壊しつくし、歴史から抹殺するということを行って来たと思っていましたが、わが国の歴史に見られるような「穢れ」や「祟り」を畏れる文化が、殷・周の時代からあったとは驚きました。しかし、わが国の先祖は、古くは出雲大社や大宰府天満宮、比較的新しくは豊国神社に見られるごとく、征服者は被征服者の祟りを真摯に畏れ、強大な社を造ってひたすら祭った。決して嘲笑するということはなかった。非業の死をとげた者の御霊は、生き延びた後の世の者が鎮魂しなければならないという思想は、現代の靖国神社にも生きていると言えるのではないか。漢字の文化は本家本元の中国より朝鮮半島を経由してわが国に伝来し、わが国の先祖がこれを国字として採用したのは、まさに英断。しかし、「杞憂」や「守株待兎」の根底に見られる思想を受け入れなかったのは、幸いなことであったと思うのです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年11月04日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは「葦編三絶」。正直に申し上げます。「葦編三絶(いへんさんぜつ)」なんてことば、初めて目にしました。ただただ己の不明を恥じいるのみです。今回は「葦編三絶」もさることながら、現代のわれわれが普段使用する書物に関係する漢字が数多く紹介されていて、大変興味深く読みました。漢字の歴史は紀元前三千年前の甲骨文字にまで遡ることができますが、紙が発明されたのは紀元前100年前後のこと。紙ができるまでの一千年余りの間、漢字は何に書かれていたのかといえば、竹や木を削った札。これが「簡」で、一本の「簡」に書ききれないときは、何本にも書きそれを紐で綴り合せて「冊」とした。今日我々は本を一冊、二冊と数えますね。なるほど「冊」は、「簡」が紐で綴られた状態をうまく表しています。その「冊」を一方の端からクルクル巻いて巻物にしたものが「篇」で、後に絹や紙に文字が書かれるようになると「編」と表されるようになった。予備知識が整ったところで「葦編三絶」について。「葦(い)」とはなめし革のこと。したがって「葦編」とはなめし革の紐で綴られた書物ということがわかります。孔子は「易経」を愛読したそうで、何度も何度も繰り返し読んだためなめし革のとじ紐が三度も切れたという故事がその由来と、阿辻先生は教えてくれています。ところで、日経に阿辻先生の「遊遊漢字学」が連載されたのが昨年の4月のことでした。1年半近く経ちますから、これで何回めになりますかね。今日で75・76回あまりということになりましょうか。私はそのうち56回を「『遊遊漢字学』が楽しみ♪」で取り上げたことになりますね。世界に類を見ない優れた表意文字「漢字」は、それこそ無尽蔵にあるわけですから、阿辻先生の漢字についての豊富な知識と見識を学ぶことができる「遊遊漢字学」、この後もずっと連載が続くことを期待しています。また、改めて編集され出版されることも切に希望します。そうすれば、孔子の「葦編三絶」とまではいかないにしても、何度も何度も繰り返し読んでみたいものだと心ひそかに楽しみにしています♪◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年10月28日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは「偕老同穴」。・・・「カイロウドウケツ」?夫婦が仲良く暮らし、死後は同じ墓に入るという意味から、転じて夫婦が仲むつまじく契りの固いことを指す四文字熟語ですが、・・・正直に申し上げます。そのような言葉まったくの初耳。ただただ己の不勉強を恥入るばかりです。阿辻先生も「カイロウドウケツ」と聞いて驚かれたと、冒頭に書かれておられまが、当然のことながら阿辻先生が「偕老同穴」ということばを知らないわけがない。阿辻先生は、「カイロウドウケツ」という名前の海綿の仲間がいること、そしてその海綿の中で雄雌ペアで一生外に出ることなく暮らすという「ドウケツエビ」というエビがいること、そしてその海綿とエビの名前の由来が「偕老同穴」の意味から付けられていることに驚かれたのでした。幼生のときに「カイロウドウケツ」が作る網目状の籠の中に入り込んだ2匹の「ドウケツエビ」が成長しオスとメスに分化し、一生をその中で暮らす。「偕(カイ)」には「ともに」という意味があり、まさしくこのエビにとっては海綿の中が「同穴」ということになりますね。『詩経』に「子(なんじ)の手を執りて子と偕(とも)に老いん」、「穀(い)きては則(すなわ)ち室を異にすとも、死しては則ち穴を同じうせん」という二つの詩が書かれており、この詩の文句をつないだ表現が「偕老同穴」であると阿辻先生は教えてくれています。・・・「偕老同穴」。私たち夫婦のことを顧みると、妻の手を邪険に振りほどくというようなことがなかったかといえば、あったようにも記憶しますが、3人の子どもも無事成人してくれたことを思えば、前半の「偕老」はなんとか叶ったのかなと。残るは「同穴」ですな。たぶん私が先に「穴」に入ることになると思いますが、はたして妻は同じ「穴」に入ってくれるものでしょうか?幼生のときからすでに「同穴」を決め込んだエビのことが、なんとなく羨ましく思えて来ないでもありませんな。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年10月21日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは「象箸玉杯」。「『象牙の箸』はおそろしい」と題して、中国戦国時代の書物「韓非子」から「箕子(きし)の憂い」の故事を題材に書いておられます。暴君として語り継がれる殷の紂王(ちゅうおう)が、象牙の箸を作らせたと聞き、箕子はこのように嘆き憂いたと「韓非子」は伝えているのだとか。「象牙の箸を使いだせば、素焼の器などではなく玉の器や犀の角の杯を用いたくなるだろう。その玉の器には豆の葉や藜の汁などではなく水牛や象や豹の肉が盛られることだろう。豪華な食事をするようになれば、錦の衣服と豪華な宮殿が欲しくなり、いずれ国中の財物を集めても足りなくなる。やがて国家は衰退し滅ぶであろう」と。阿辻先生もとある年末に有名ブランドのバーゲンに誘われ、コートを新着したところ、靴がみすぼらしく感じられ靴を買うことに。靴が新しくなると今度はネクタイが気になり出し、ついにはスーツも・・・ということを経験したと述懐しておられます。ほぉ~、・・・阿辻先生って、なかなかのお洒落だな。(笑!私なんぞは、象牙の箸どころか最近はもっぱらコンビニの割り箸ですぞ。器は必然的にプラスチック容器そのままということになりますな。(涙!我々日本人は子供のころより清貧の大切さを説かれて育ってきましたが、その遠因には「韓非子」の「箕子(きし)の憂い」の例えが語り継がれて来たということもあるのでしょう。それにしても清貧に甘んずることの難しさは、言わずもがなということになりましょうか。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年10月14日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは、「『酒』弁護の成句」数々。・・・私も常々「酒」を弁護している者の一人です。(笑!もしかしたら、阿辻先生も奥様と日ごろこんなやりとりをなさっているのではないかと想像しています。「古来より『酒は百薬の長』というではないか」「あら、『過ぎたるは猶及ばざるがごとし』ともいいましてよ」私は今「古来より」と言いましたが、これが一体いつから言われて来たのかというと、なんと古代中国前漢の歴史を記した「漢書(かんじょ)」に見えるのが最初だと、阿辻先生は教えてくれています。「漢書」には、こう表されているのだそうです。「それ塩は食肴(しょくこう)の将なり。酒は百薬の長にして、嘉(よ)き会の好(よしみ)なり。鉄は田農の本なり」さすれば、以来2000年以上も前から、酒飲みはこの成句を珠玉のごとく大切に温め、飲酒の弁護に努めて来たということになりますね。また漢書にはこの他にも、「酒は天の微禄(びろく)にして、帝王の天下を養うゆえん」とか、「百礼の会は酒あらざればおこなわれず」という文句もあるのだとか。・・・う~む、「酒は天の微禄(びろく)」とは、これまたいい響きではありませんか。(笑!帝王が民草の為に政をおこない国を治める唯一の対価として、天が与えたわずかばかりの褒美が酒ということですから、早速妻に言って聞かせなければなりませんな。「たとえ過ぎたると雖も、酒は天の微禄なれば、わが家を養うゆえんなり」と。・・・ダメか?(大爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年10月07日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは、「膏肓」。「膏肓(こうこう)」とはいかにも難しい読みですね。「膏」は「膏薬(こうやく)」の「膏」ですから「こう」と読めても、「肓」は「こう」とは読みづらい。「もう」が一般的ですよね。調べてみると「膏」は心臓の下部、「肓」は隔膜の上部。漢方の経穴の部位を指すことばで、具体的には背中の第4胸椎下から、大人で約6センチの所にあるツボなのだとか。転じて「からだの奥深いところ」という意味も持つ。昔よりここに病気が入ると治らないと言われて来たツボで、ゆえに病が深くて難治であることを「病、膏肓に入る」というと、阿辻先生は教えてくれています。現代では「何かに夢中になったあまり、身動きが取れないほどの状態になる」ことを「病、膏肓に入る」と表現するようになったと。下世話にいえば、「ドツボに嵌る」ってことか。(笑!ところで毎週毎週我々が身近に使う漢字について、わかりやすくその由来を説明する「遊遊漢字学」、私は完全にその面白さの"ドツボに嵌って"しまい、まったく身動きができないほどと言っていいくらい。私の体内のもっとも深いところにあって鍼灸の針もが届かないという「膏肓」のツボは、凝り固まってゴリゴリの状態です。まったく晋の景公の心境ですな。阿辻先生、何とかならないものでしょうかね。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年09月16日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは、「閑話休題」。話が本筋からそれてしまった時など、余談をやめて話を本題に戻すときに使うのが「閑話休題」。「余談はさておき、話を本筋にもどしましょう」という意味であることは承知していましたが、そのいわれについてはまったく知りませんでした。そのルーツをたどれば、中国の寄席で大衆に人気のあった講談にあったと阿辻先生は教えてくれています。熱狂する聴衆を前に、話に熱の入り過ぎた講談師が本筋からずれてしまった話を元にもどすときに「閑話休題、言帰正伝」(閑話は題するなかれ、言は正伝に帰さん)」と言ったのがその始まりであると。日本語では「閑」は、時間的に切迫しておらず余裕があることを指しますが、中国語では時間に限定されず、もっと幅広く余裕やゆとりがあることを表すのだとか。よって中国語で「閑話」とは、無駄話・おしゃべりのことを指すのだと。ちなみに「閑人」となると、我々は「暇のある人。俗用を離れ、ゆっくりした生活をしている人。ひまじん」の意にとらえますが、本場中国では「無関係の他人」の意になるということです。一方「休題」の「休」は、「~するなかれ」という命令を表し、「題」は「提」と同音の文字で「話題を提起する・話を口にする」の意。よって、「余談はよそう」の意になるのだと。それにしても、中国では三国志の時代より講談が人気があり、民衆は講談師の話し振りに固唾を飲んで聞き入ったということを思えば、講談師の「閑話休題、言帰正伝」のタイミングもまた、絶妙なものがあったのでしょう。はるか2000年後の海を隔てた日本で、「閑話休題」という漢語が残っているという事実に、驚きを隠せません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年09月02日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは、「香」。合わせて清の西太后と「香」についても言及しておられます。西太后とはいわずと知れた中国清朝末期に君臨した女傑。漢の呂太后、唐の則天武后と名を連ね「中国三大悪女」として歴史にその名を残していますね。西太后が悪女と伝えられる所以は、権力にものを言わせた並外れた贅沢三昧が一因であるのは想像に難くありません。阿辻先生はそのけた外れの贅沢振りの一例として、「香果(シアングオ)」に言及しておられます。「香果」とは、いつも西太后の周りに山のように置かれていた果物の発する香りのこと。なんと新鮮な香りを維持するために、果物は日に5~6回も取り換えられていたというのですから驚きます。その「香果」の「香」は、「禾」と「日」からなり、「禾」は「黍(穀物のキビ)」、「日」は「甘(あまい・うまい)」の省略形であり、本来「香」とは、「キビから作った酒からたちのぼるいい匂い」という意味なのだと阿辻先生は教えてくれています。キビ酒の香りが「香」という漢字の由来ということなら、清酒の香りは「米」の下に「日」と書く組み合わせの漢字があっても良さそうなもの。「麦」ヘンに「日」とか「甘」、いや「苦(にがい)」と書いて、ビールの香りを表すというのはどう?・・・ダメか。(笑!浅田次郎の長編時代小説「蒼穹の昴」では、西太后は列強の大陸侵略から大清帝国を守ろうとした最後の女帝として描かれていました。浅田は西太后の贅沢な食事振りこそ描いていましたが、西太后の周囲に置かれていたという大きな果物かごについては触れていませんでしたね。桃かりんごか、はたまた蜜柑か。はたして西太后はいかなる「香果(シアングオ)」を好んだのでしょうか?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年08月26日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは、「宋襄の仁」という諺について。その由来は中国の春秋戦国時代、「泓水(おうすい)の戦い」の故事にまで遡ることになるといいますから、紀元前の話になります。中国春秋時代の紀元前638年、宋の襄公と楚の成王が泓水で対峙した。圧倒的な兵力を誇る楚軍は、宋軍陣地目指して泓水を渡河し始めた時、宗軍の参謀は敵軍が川を渡りきる前の今こそ、攻撃を仕掛けるチャンスであると襄公に進言したが、襄公は君子たるもの敵が困っているとき仕掛けるのは潔くないと取り合わなかったため、宗軍は川を渡りきり陣を完成させた楚軍に散々に打ち破ぶられてしまった。この故事から、つまらない情けをかけてひどい目にあうこと。無益の情けのことを指して「宋襄の仁」というと阿辻先生は教えてくれています。孔子は、その思想の中で最も重要と考えた徳目が「仁」で、君子は仁者であるべきと説きました。その思想は歴代の中国皇帝が踏襲したばかりでなく、わが国においても江戸時代の幕府の治世の根幹に置かれたことは、皆さんすでにご承知でしょう。襄公も君子でありたいと願ったのでしょう。「宋襄の仁」は今日でこそ襄公の判断の甘さを強調した意味で用いられていますが、君子たらんとして劣勢の軍を率いて堂々と真向から強敵に挑んだ襄公を賞賛する文献も見られるということです。今私は、海のない甲斐の国に塩を送った上杉謙信の「天与の塩」の故事を思い浮かべています。謙信を襄公に比べるという話は未だかって聞いたためしがないごとく、ものごとはすべからく行き過ぎるということがあってはいけないということかも知れませんね。「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」孔子は人の言行には中庸が大切であるとも説いているのは、あまりにも有名ですね。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年08月19日
突然ですが、みなさんは「ひよめき」とか「おどりこ」と呼ばれる言葉をご存じでしょうか?新生児は頭蓋骨がいくつかのパーツに分かれたままの状態で生まれてくるため、頭頂部の骨がまだつながっておらず、柔らかい状態のままであることはご承知でしょう。この部分を医学用語では「泉門」というのだそうですが、この「泉門」が新生児の心臓の鼓動に合わせて「ひよひよとおどるように動く」ことから、「ひよめき」とか「おどりこ」といい、漢字では「囟」と書くのだそうです。すなわち、赤ちゃんの頭骨の上にある割れ目をかたどった象形文字が、「囟」であると。私は、「泉門」はもちろんのこと、「ひよめき」も「おどりこ」についても知りませんでしたし、「囟(ひよめき)」という漢字があることも、まったく知識の外でした。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げた漢字は、「脳」。「脳」という漢字は、古くは「腦」と「囟(ひよめき)」が使われていたということです。頭頂部を表す「囟(ひよめき)」の上に、髪の毛を表す「ツ」のような形をつけ、さらに肉体を表す「月(ニクヅキ)」を加えると「腦」。「田」に「心」と書く「思」という漢字も、もともとは「田」の部分は「囟」と書いたということです。人の思考や行動にかかわる根源は、生まれたばかりの赤ちゃんの「囟(ひよめき)」の動きにあると、古の中国人はすでに理解していたことが、「脳」という漢字のいわれから想像できると、阿辻先生はおっしゃっています。現代の「脳」科学に通じる発想を、「脳」という漢字が表しているとは、まったくの驚きではありませんか。残念ながら、私の「脳」みそをもってしては、まったく想像だにできないことです。(苦笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年07月29日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げた漢字は、「解」。現代人が「解」という字を見れば、誰しも「理解」ということばに代表されるごとく、「ものごとを悟ること。わかること」という風に文字通り「解する」のが普通でしょうか。私は高校の数学の時間に、方程式の答えを出すことを「方程式の解を求める」とか、「方程式を解く」と言ったのを思い出したりもします。その「解」ですが、そもそもの由来はまさに「牛を解体すること」であったと阿辻先生は教えてくれています。『荘子』の養生編にも「庖丁(ほうてい)文恵君の為に牛を解く」という記述があると。これも高校の漢文の時間に習いましたが、漢文の先生は「解」の由来まで教えてくれはしませんでしたね。「刀」で「角」を「牛」から切り離すから「解」なのだと。ほ~、言われてみればまさにその通り。さらに「庖丁(ほうてい)」とは「丁」という名前の料理人という意味で、この「庖丁」がやがて、「包丁(ほうちょう)」となり、現代人が台所で料理に使う大切な道具を指すようになったのだと。今を遡ること2300年以上も前、古の中国での話。大きな牛を前にしばし瞑目した庖丁が、やがて舞い踊るように牛刀をさばき始めると、たちどころに肉が骨から離れていったというのです。現代に戻って、家内が留守の台所に立った私を想像してみてください。現代の庖丁よろしく、しばし瞑目したまではよいのですが、いかに包丁を回せどもトマト一つなかなか切れようとしないのは、これはいったいどうしたことだろう?(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年07月22日
アメリカのことは「米国」と書きますね。イギリスなら「英国」、ドイツなら「独国」、フランスなら「仏国」というのもご存知でしょう。国を開いて欧米の先進文化を積極的に取り入れようとした明治政府が、亜米利加、英吉利、独逸、仏蘭西・・・と表記した中から一字を拾い、それに「国」をつけて国名としたなごりが、150年経った今日においてもそのまま使用され続けているのは、漢字を表意文字としてだけでなく、音も巧みに利用した日本人の知恵のなせる技でしょう。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げた漢字は、「仏蘭西」にも使われている「仏」。日本人なら「仏」という字を知らぬ人はまずいないでしょう。古の日本はやはり当時の大陸の先進文化を取り入れて発展の礎としたのでしたが、その筆頭と言えるのが漢字と仏教でした。その仏教の「仏」という漢字ですが、本場中国には存在しない文字だということを聞かされたら、誰しもびっくりするでしょうね。なんと「仏国」と書かれても、中国では全く何のことだかわからないのだそうです。複雑な漢字を何でも略して表記してしまうようになった現代中国において、「佛」だけは略されずにそのまま「佛教」というように書かれていると阿辻先生は教えてくれています。では「佛国」ならフランスと認識されるかというと、こちらもタイ(泰国)やミャンマー(緬甸)を連想してしまうというのです。・・・どうしてそんなことになってしまうのか?それはフランスのことを日本流に「仏蘭西」と書くものと決めつけるからで、中国ではフランスは「法蘭西」と表記するのだと聞けば、なんだ、そんなことかと少なからず拍子抜けしてしまいます。それにしても本場中国ではフランスのことを「法国」と書くとは。日本人の目からすれば「法律の国」というイメージを抱いてしまいがちです。それは漢字は文字一つ一つに意味を持つ表意文字で、古の日本は中国から漢字を習い国字とした経緯がありますから、我々はどうしても漢字を見るとその意味を頭に浮かべてしまう。一方「仏」「米」「英」という文字と「国」を組み合わせて国名に使うというのは、漢字の音を利用したもの。音ならば、日本と中国で発音が違うのは仕方のないこと。ちなみにイギリスとドイツは同じ「英国」と「独国」になりますが、アメリカは日本の「米国」に対して、中国では「美国」となりますね。まあ、フランスは法律で統治されている国に違いありませんから「法国」で良しとしても、アメリカが「美国」とは、トランプ大統領が聞けば泣いて喜ぶでしょうけど、はたして美しい国かどうかといえば、大きな「?」マークがつきませんかね。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年07月15日
今日は「父の日」。その趣旨は父に感謝を表す日ということはわかりますが、先に設けた「母の日」があるのなら、「父の日」だってあってもいいだろうというような発想が見え隠れするのが気に入らぬといえば、へそ曲がりといわれるでしょうか。(苦笑!毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げた漢字は、その「父」。阿辻先生も少々へそ曲がりな「父」であったようです。小学校や幼稚園の「父の日」に開かれる授業参観は、実に気恥ずかしいものだったと冒頭述べておられます。曰く、なぐり描きに近い「お父さんの絵」は直視するだけでも勇気がいるのに、「お父さんいつもありがとう」などと一斉に朗唱されるのは、拷問に近いものがあったと。(笑!さてご専門の漢字としての「父」についてですが、・・・驚きましたね。「父」は古代における家長の象徴であった斧(おの)を手にもっている形を表しているってご存知でしたか?「斧」の部首に「父」が使われているのは、まさしく家長の象徴を意味しているのだと。これに対して「母」は、「女」という文字と女性の象徴である乳房の先にある乳首を表わしている二つの点をもとに作られているというのは、素人でも比較的考えつくことです。そして「女」はというと、ひざまづいて両手を前に組み合わせている人間をかたどっているのだと、以前この講座で習いました。かって古の中国で(ついこの間までの日本においても)、「母」が「女」として「父」の前に、「男」の前にぬかずくのが当たり前だったことを思えば、世の父親族は、たとえ「母」より後になろうが感謝されるだけでも幸せなことだと思わなければならないでしょう。さすれば、「お父さんありがとう」のことばに、素直に喜びたいと思うのでありました。阿辻先生、いかがでしょう?ご同感でしょう。言わずもがなでしたかね。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年06月17日
中国唐代の三大詩人の一人杜甫は、洞庭湖の畔に建つ岳陽楼に上り、戦乱に荒廃した郷土と親戚友人から一通の便りもない故郷を思い、ただただ軒に寄りかかって涙を流したと五言律詩に表しました。有名な「岳陽樓に登る」ですが、高校2年に漢文の時間に習ったことを覚えています。最終句の「軒憑涕泗流(軒に憑りて涕泗流る)」の「涕泗流る」は、「とめどもなく涙が流れ出ること」と習いましたが、「涕」は目から出る涙で、「泗」は鼻から出る涙を意味するのだとは、今の今まで知りませんでした。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は、「涙」。「泣くとき鼻からでるもの」と題されていました。漢字の本家本元の中国では、「涙」という漢字はあるものの、今日の我々が「なみだ」の意味で使う漢字はもっぱら「泣」と「涕」であったと阿辻先生は教えてくれています。詩経に「瞻望(せんぼう)すれども及ばず、泣涕(きゅうてい)すること雨のごとし」の一節のある詩があるのだとか。「泣」は名詞として使えば「なみだ」の意、動詞であれば「なみだ」を流すこと、すなわち「泣く」の意味として使われて来たということです。また「涕」についても詩経に用例があって、「涕泗(ていし) 滂沱(ぼうだ)たり」という表現が残っているのだと。ここで「涕」は目から出る涙で、「泗」は鼻から出る涙であると。こうやって見て来ると、中国人は昔より感情の起伏の表現の仕方が、思いっきり大げさだなというような気がして来ます。悲しみの感情を表すには、涙も鼻水もまき散らさんばかりに号泣しないと伝わらないと言わんばかりですね。これに対して日本では、古よりややうつむき加減に目元を袖で隠す仕草をするだけで、十分伝わった。「袖を濡らす」という表現に良く表されているように思えます。しかし、人間泣けば鼻水も出てきて当たり前。平安貴族が目元ではなく小鼻を袖で隠すようなことをしたとあっては、興ざめの極致とわが国の民は顔を背けますが、中国では涙を「涕」と「泗」に区別して、あえて「涕泗(ていし) 滂沱(ぼうだ)す」と表現するのですから、これはある意味正直といえば正直。冒頭にあげた杜甫の五言律詩ですが、楼上で「涕泗」の流れるに任せた杜甫は、はたして楼を降りた後に鼻水をすすったのでしょうか。そんなことまで想像する私は、格調高い杜甫の調べを観賞するに能わぬ野暮と言われても仕方ありませんかね。阿辻先生、ごめんなさい。(苦笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年06月10日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今回阿辻先生が取り上げた漢字は、「齲歯笑」。「齲歯笑」とは見慣れない言葉ですね。3文字の漢字からなるこの言葉、「歯」と「笑」はわかりますが、「齲」がわからない。というか見たことも聞いたこともない。もちろん書いたためしもない。「齲歯(うし)」とは何ぞやというと、これが「虫歯」のことを指す医療用語なのだそうです。何だ、虫歯か、そんな難しい読み書きをさせるなんて、虫歯が痛み出しそうです。(笑!ですから「齲歯笑」とは、虫歯が痛んで憂鬱な時のような感じで笑うことを指すのだとか。今回阿辻先生は、「齲歯笑」に関係するこんな中国の故事を紹介してくれています。話は中国後漢にまでさかのぼります。後漢の大将軍(武官の最高位)についた梁 冀(りょう き)は、妹を皇帝の妃にして軍事力を背景に20年にわたって権力を欲しいままにしたという人物ですが、この梁 冀の妻・孫寿が生まれつきの美貌の持ち主であったということです。その孫寿の様子を伝記は「善く妖態を為す」と伝えているとか。すなわち、「愁眉」を施し、「折腰歩」で歩き、「齲歯笑」で笑ったと。眉を細く引き、腰を振って歩き(阿辻先生はこれをモンローウォークと表現しておられます・・・年齢が知れますな。笑!)、物憂げな笑いをたたえる妖艶な女性を想像してみてください。ために首都洛陽の女性たちは、みな「愁眉」を施し、「折腰歩」で歩き、「齲歯笑」の表情を浮かべて男と向き合うようになったと。「顰蹙(ひんしゅく)」の由来についても、胸を病んだ絶世の美女の表情がもとになっていると、以前この講座で学びましたね。歴史の陰に女性ありと言いますが、漢字のいわれに女性あり。このように俄か漢字学者( ← 私のことです)は提唱したいのですが、阿辻先生いかがなものでしょうか?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年06月04日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げた漢字は、「虫」。皆さん海に生息する8本足のタコ、漢字では「蛸」と書きますが、どうして虫でもないタコに「虫」ヘンがついているのか不思議に思われたことありませんか?私なんぞは、昔中国ではタコも昆虫の仲間に序していたからだろうと思っていましたが・・・。ところで、日本人なら「虫」という字を書けぬ人はいないでしょう。しかし、「蟲」という字もあることを知っている人は少ないのではないか?確かに私たちの世代でも学校で「蟲」という字は習いませんでしたね。・・・何だよ、「蟲」って。「虫」の複数形か、だなんて言ったりして。(笑!いま私たちが「むし」という意味で使う「虫」は、本来ヘビの「まむし」を意味する漢字で、もともとは「虫」は頭の大きな蛇の形をかたどった象形文字に由来すると阿辻先生は教えてくれています。音も「チュウ」でなく「キ」。やがて「虫」は「まむし」ばかりでなく、さまざまな小動物も指して使われるようになったのに対して、「蟲」は「チュウ」と発音し、これこそ「むし」本来の意味を表した。このように両者はもともと別の意味を表す漢字であったが、「蟲」の簡略形として「虫」が使われるようになり、やがて「虫」が「むし」を意味する正規の漢字となったと。かくしてそれから3000年後の日本では、「蟲」という漢字は学校でも教えることがなくなってしまった。これを無視(むし)というのでしょうな。(笑!さてそこで、冒頭のタコにもどりますが、「虫」と「蟲」の違いを理解すれば、「蛸」は、「蛤(ハマグリ)」や「蝦(エビ)」と同じように「蝮(まむし)」を「虫」と表したことに由来しているのだということがわかります。さらに阿辻先生は、古代の中国人の想像力の豊かさを推し量ることができる「虫」のつく漢字「虹」をあげておられます。虹は自然現象で動物ではないのに、どうして「虫」ヘンがついているのか?古代中国では、「虹」は山から山にわたる大きな龍と考えられていたからという阿辻先生の指摘。何とも漢字の持つ奥深さ、スケールの大きさにはまったく言葉を失ってしまいます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年05月27日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、「柳」についてでした。日本人なら花といえば桜だが、中国北東部では「柳絮(りゅうじょ)」、すなわち白い綿毛の付いた柳の種子であると、冒頭に阿辻先生は述べておられます。柳は乾燥に強い樹木で、今日でも街路樹として広く植えられているのだそうです。4月下旬から5月初めにかけて「柳絮」が風に乗ってふわふわとまるで雪のようにただよい出すと、かの地の人々は春の到来を感じるのだとか。「ところ変われば品変る」とは、うまく言ったものですね。私はといえば、「柳」と聞けば、柳の垂れさがる枝に飛びつこうとしている蛙の図か、昔より歌われて来た実に艶っぽい端唄の文句を思い起こすぐらい。梅は咲いたか 桜はまだかいな柳はなよなよ 風しだい山吹や浮気で 色ばっかり 、しょんがいな花柳界の粋なお姐さんを花にたとえ、いっこうにその気になってくれぬと気を揉む男の気持ちを歌ったものですが、この「花柳界」ということばも中国の「柳巷花街(りゅうこうかがい)」が語源であると尾辻先生は教えてくれています。「柳巷花街」とは、種々の花で飾られた柳が植えられてある街並みのことで、中国の色街がそうだったのだそうな。・・・ほぉ~、いろんな花で飾られた柳の街並みですか。そんな街並みなら、そろりそろりと歩いてみたいものですな。( ← イエローカード!阿辻先生も「柳巷花街」を歩いてみたいと思われたかどうかは定かではありませんが、中国唐代の都の北西にあった渭城の街なら、間違いなく歩いてみたいと思っておられるに違いありません。「柳」から有名な王維の詩「元二の安西に使いするを送る」を連想しておられますね。 渭城朝雨浥輕塵 (渭城の朝雨 軽塵を浥す) 客舍青青柳色新 (客舎青青 柳色新たなり) 勸君更盡一杯酒 (君に勧む 更に尽くせ一杯の酒) 西出陽關無故人 (西の方陽関を出づれば 故人無からん)その昔人々は、異郷に旅立つ友人・家族を渭城に見送るにあたって、柳の葉で環をつくり酒を酌み交わしたという。「還」と同じ音の「環」と、「留」と同じ音の「柳」に込められた惜別の情。以来1300年余りも経った日本で、王維の七言絶句を味わうことができるのも、古の日本が中国に習い漢字を国字としたればこその思いを、感謝の念とともに抱かずにはいられません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年05月20日
今日は母の日。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、「母」についてでした。「母」という漢字は「女」という文字と二つの点をもとに作られており、この点は女性の象徴である乳房の先にある乳首を表しているのだと、阿辻先生は教えてくれています。では「女」はどうかというと、ひざまづいて両手を前に組み合わせている人間をかたどっているのだとか。漢字の由来を甲骨文字にまでさかのぼれば、古代中国の殷・周の時代(紀元前1000年~1500年)ということになります。この時代、両手を前に組み合わせて男の前にぬかづいている者が、すなわち「女」であったと。以来3500年以上経った今日でも、「男尊女卑」の思想は、一部の民族と地域で根強く残っており、近代国家を自認するわが国においてすら、いまさらながらに「男女同権」「共同参画」などと叫ばれるのは、その不名誉な証拠と言えます。「男女同権」の先進国である欧米では、議長「chairman 」を「chairperson」と改めるようになったり、男性の場合は「Mr.」だけなのに、女性を「Miss」と「Mrs.」に分けて使うのはおかしいといったことが言われ出し、「Ms.」に統一されるようになりましたね。これからすれば「男女同権」を声高に叫ぶ人々は、まずもって普段使用する「母」や「女」という漢字からして、「chairperson」や「Ms.」よろしく変えなければならないということになりませんか?すなわち「母」や「女」という漢字は、差別文字であると。まあ、そういう考え方は、今日そういう時代になったのですから良しとして、ではどのような漢字にすればいいのかというと、これはかなり難しいですぞ。ぬかづく男の前にそっくり返えるように立ちはだかり、上から目線で睨みつけている女(←この文字を使ってはいけないのだった)って、どんな象形文字にすればいい?何も授乳するのは女だけの仕事ではない。乳飲み子を抱きかかえ、哺乳瓶を持つ男をもとにした象形文字を「母」(←この文字も使ってはいけないだった)の代わりにすればいい。これは漢字の知識に乏しい私にはとても出来そうにありませんから、漢字の大家でいらっしゃる阿辻先生によくよく頭をひねってもらわなければなりませんぞ。阿辻先生いかが?えっ、ご免被るですって。・・・男女同権を主張する人権団体の矛先が、阿辻先生と「遊遊漢字学」に向けられたとしても、私の責任ではないことをここに前もっておことわりしておきます。(大爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年05月13日
昨日5月5日は国民の祝日「子どもの日」。端午の節句でもありますね。小さなお子さんをお持ちの家庭では、鯉のぼりを揚げ、五月人形を飾り、ご家族でちまきを食べて祝われたところも多いことでしょう。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、その端午の節句の「端午」とこの日に食べる風習のある「ちまき」についてでした。なぜ端午の節句が5月5日なのか?「端午」の「端」は「はじめ・最初」の意、「午」は十二支のウマ。したがって「端午」とは5月最初のウマの日のこと。それが「午」と「五」が同じ音なので5月5日が「端午」の日とされるようになったと阿辻先生は教えてくれています。中国では古来より、同じ音の漢字を別の作りの漢字に置き換えて表記するということがしばしばあることも、以前のこの講座で習ったことです。ではなぜ端午の節句に「ちまき」を食べる風習になったのか?5月5日は、今を遡ること2200年前の中国・春秋戦国時代、長江流域にあった楚の国の宰相としても活躍した憂国詩人屈原(くつげん)の命日でもあるのだとか。彼をねたむ者の讒言を信じた楚王によって国を追放されてしまった屈原は、放浪の果てに大河に身を投じてしまう。屈原が自らの命を絶ったその日が5月5日。これを嘆いた人々は、彼の命日にあたるこの日に、米を入れた竹筒を川に投げ込んで供養するようになった。ある日、區曲(くきょく)という者が屈原が身を投じた川のほとりを歩いていると、屈原の亡霊に出会った。屈原の亡霊は、みんなが投げ入れてくれる供物は水中にいる龍に食べられてしまい自分のもとには届かない。供物を龍の嫌う楝(おうち)の葉でくるみ、五色の糸で縛って投げ入れよと告げた。區曲は早速このことを人々に教え、以来5月5日には米を楝の葉で包み糸で縛った供物を作り、屈原を偲ぶようになった。この供物が「ちまき」の由来であると。後に中国では笹で包むのが一般的となったが、日本に伝来してからは餅を茅(ちがや)で包んだことから、これを「茅(ち)まき」と呼ぶようになった。柱の傷は おととしの ♪ 五月五日の 背くらべ ♪ちまきたべたべ 兄さんが♪ 計ってくれた 背のたけ♪日本人なら知らない人はいない国民の休日5月5日の子どもの日とちまき。今日の日本では、休日とはいえ何かとせわしい端午の節句となった感がありますが、連休最後となるこの日に、心静かに「ちまき」を食べながら、はるか2200年前の憂国の詩人屈原を偲んでみるのも一興でしょう。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年05月06日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、「茶碗」でした。なんとまあ、よく見聞きすることばだこと。いわずと知れた普段の生活で必ず手にする生活の道具です。先週の「泰斗(たいと)」と比べればその身近さが際立ちます。私が「茶碗」を認識したのは、ものごころがついたころのこと。皆さんも記憶ありませんか?左右を覚えるのに「箸を持つ手が右、お茶碗が左」と教わりましたでしょ。以来ずっと「茶碗」のお世話になって来たというわけです。もともと中国ではその「茶碗」のことを「盌」と書いたと阿辻先生は教えてくれています。下の「皿」が意味を表し、上にある「宛」の省略形が音を表したのだと。さらに「盌」が木製であれば「椀」、陶磁器であれば「碗」、金属製であれば「金」辺に「宛」と表したとも。また、それがご飯を食べる容器であれば「飯碗」、スープを飲む容器であれば「湯碗」、お茶なら「茶碗」と表記したものが、喫茶の習慣が奈良時代から平安時代辺りにわが国に伝来して以降、日本でも「茶碗」ということばが使われるようになり、だんだん喫茶以外の用途に使われる陶磁器も「茶碗」と呼ぶようになったのだと。普段私たちがなにげに使っている「ご飯茶碗」は、米飯が盛られるのならば中国流に「飯碗」というべきであるという阿辻先生の指摘は、なるほど的を得ていますね。現代の日本では「茶碗」といえば、ご飯を盛る食器のことで、本来の「茶碗」は「湯呑み」と呼ぶのが一般的でしょうか。お茶を湯呑みで飲むときは、左右どちらの手でも器を持ちますから、「茶碗」を中国本来の意味で使ったとすれば、「箸をもつ手が右」というのは理解できても、「お茶碗が左」というのは判りづらいですよね。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年04月29日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、「泰斗(たいと)」でした。はて、「泰斗」とはあまり見聞きしないことばです。阿辻先生も「そんなことばなんか聞いたこともないという若い人おられるだろう」とも、「年配の方にもいささか古めかしい感覚をともなってきこえるだろう」と書いておられます。正直に申し上げます。私は「泰斗」ということば使ったためしありません。っていうより、そんなことば知りませんでした。いや実をいえば、知人が息子に「泰斗(やすと)」という名前を付けたということは承知していました。しかし、どういう思いで「泰斗(やすと)」とつけたのかまでは考えの外でした。「泰斗」を字引きで調べてみると、「泰山(たいざん)北斗(ほくと)」の略、その道で最も権威のある人。大家とあります。英語でいうところの「オーソリティー(authority)」ですな。「泰山」とは中国山東省泰安市にある山で、歴代の皇帝が天地を祀る儀式「封禅」を執り行なった聖なる山。「泰山鼓動して鼠一匹」の諺で有名ですね。中国では山といえば泰山を指した。「北斗」とは北斗七星のこと。天空の中で一番目立つ星座。星座の中の星座といえます。その道、その分野に抜きん出ている様子を山と星座で表したのが「泰斗」のいわれであったというわけです。・・・泰山に北斗七星ですか。ほ~、してみれば、私の知人は息子にすこぶるいい名前を付けたものですな。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年04月22日
「豆」と書けば、普段我々が日常よく食する豆(マメ)、英語でいうところのビーンズに疑いを持つ方はいないと思いますが、もともとは食べ物のマメではなく、神事に使う道具の一つを指す言葉だったってことご存知でしたか。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、その「豆」でした。もともとといっても今から三千年前というのですから、中国の歴史の古さには感心させられます。古代中国で王侯貴族が先祖を祭るときに、祭壇に捧げる料理を盛った器の一つを「豆」と称したと阿辻先生は教えてくれます。日本でいう高杯(たかつき)と呼ばれる食器のことで、浅い皿に長い足をつけた台のことを「豆」と呼んだのだと。「豆」はその台の形を写し取った象形文字であるといわれれば、なるほど高杯(たかつき)を横から見た形に似ていますね。ではなぜ「マメ」の意味に使われるようになったのかといえば、食物を盛るこの台と食物のマメが同じ発音だったので、本来食器を意味する「豆」を食物の「マメ」の意味で使うようになったのだと。文字を一目見ただけでそれがなにを表すかすぐわかる優れた表意文字である漢字は、意味を持たせたがためにあまりにも複雑な文字が多く生じてしまったという短所もあわせ持つ文字でもあります。そこで簡単な作りの音の文字を複雑な漢字の代用にしたことも、以前この講座で習いました。 「花」はもともと「華」と書いたものが、草冠の下を簡略化して同じ音の「化」を用いて表すようになったのが、その代表といえます。今回阿辻先生は普段我々がよく使う漢字「豊」についても、その由来を教えてくれています。「豊」はもともと「豐」と書き、これは「豆」という食器にゆたかに実ったキビやアワなどの穀物を置いた形を表したものなのだと。こうやって見て来ると、「豆」にしても「豊」にしても、漢字を産んだ漢民族の基盤が農耕にあったということが彷彿させられますね。つくづく漢字の持つ奥深さに感銘させられます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年04月15日
今日4月8日は灌仏会。お釈迦様がお生まれになった日。花祭りと言った方がわかりやすいかもしれません。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日花祭りの日に阿辻先生が取り上げたのは、「卍(まんじ)」でした。「卍」は漢字だということは想像できますが、国語の時間に習った記憶は薄いでしょう。「卍」といえば地図で寺院を表す記号でしたね。誰しも社会の時間に習った覚えがあるでしょう?今私は記号といいましたが、「卍」の由来をたずねると、最初はインドの神の胸にある渦巻き状の胸毛をかたどったまさに記号だったと、阿辻先生はおっしゃておられます。これが仏教に入り、菩薩の胸や手足に現れためでたい文様と考えられるようになった。中国語ではそれを「吉祥万徳」と表現したのだと。997年に編纂された仏教経典の特殊な漢字が多く収められた字書「龍龕手鏡(りゅうがんしゅきょう)」には、「卍」は「音は万、是如来の身に吉祥の文有るなり」と記されているとか。「吉祥万徳」の「万」に由来しているのでしょう。ゆえに日本に仏教とともに伝わってから、「卍」を「まんじ」と読むようになったのだと。それにしても「卍」がお釈迦様の胸毛に由来するとは驚きです。仏教はインドが発祥の地。インド・ヨーロッパ系の人種は毛深い種族。お釈迦様は現地の地域を支配した王族の王子であったということですから、やはり毛深かったことが想像されます。これがもし南方アジア系であったなら、「卍」という漢字も今日存在しなかっに違いありません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年04月08日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは「孟母三遷」。いかにも中国らしい4字熟語ですね。高校の漢文の時間に習ったことがあります。子育てには教育環境が大切であるという考え方をいったもの。孟とは孟子のこと。孔子の後継者といえる儒家。性善説で有名ですね。孟母とは孟子の母親のこと。三遷とは三度の引っ越し。幼い孟子のために最終的に学校のそばに転居したという故事がいわれ。阿辻先生も今日でいう「教育ママ」の元祖は、この孟母、孟子のお母さんだと言っておられますね。かの孟母あってこそ、孟子が今日まで名を残すことが出来たといえましょう。ところで私の住まいは小学校のすぐ近くも近く、向かいが学校のグラウンド。学校まで駆け足1分のところにありますが、残念なことに私の3人の息子たちは、3人が3人とも孟子のように幼いころ学校ごっこをして遊んだということはなかったですね。小学校に上がるようになってからは、始業のチャイムを聞いてからやおら学校へ駆け出していくような始末でしたから、よほど引っ越しをしようかと思ったくらい。わが家に限っていえば、「孟母三遷」は当たっていないように思われます。さしずめ「凡父不遷」といったところでしょうか。(涙!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年04月01日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは「食指」。「食指」を字引きで調べると、まず「人差し指」のこととあります。なぜ中指や薬指ではないのか?その訳は、その後に続く「食指が動く」で、「食欲が起こる。興味・関心をもつ。してみたい気持ちが起こる」という意味にあります。本日阿辻先生は、「『食指』の恨みはおそろしい」と題してその由来について書いておられ、大変興味深く読みました。そのいわれは古代中国の春秋戦国時代といいますから、今から2000年以上も前に遡ることになります。鄭の国の宗という名の公子には特異な才能があって、なにか美味しいものにありつける予感がしたときに、人差し指がピクピク動いたというのです。ある日宗が、同じく家という名の公子と連れ立って宮殿に参内する途中、宗の指がピクピク動いたのだそうです。宮殿に着くとちょうどスッポン料理が出されているところで、宗と家は顔を見合わせて笑いながら、王様に宗の食指のことを話したところ、王様はどうしたことか、皆にはスッポン料理を振る舞ったが、宗だけには食べることを許さなかった。これに腹を立てた宗は、いきなりスッポンを煮た鍋に指を突っ込むや指をぺろりと舐めると、さっさと退出してしまった。その無礼極まりない態度に王様は、宗を厳しく処罰しようとしたのであったが、逆に宗は家を口説いて味方に引き入れ、二人で王様を殺してしまったという故事。・・・なるほど、食べ物の恨みは恐ろしい。(笑!今日の日本では、人差し指をくの字に曲げると、よこしまなことを表す仕草と解釈されますね。これはくの字に曲がった人差し指の形が、金庫の鍵を連想させることによるものですが、もしかしたら古代中国の鄭王は、宗の食指を現代の我々と同じように解釈し、宗を好ましからぬ輩と判断してこれを遠ざけようとしたのかも知れませんね。実際王様の判断は正しかったことになるのですが、この時鄭王は食指の意味をもう少し深く読むべきであったといえましょう。そこで本日の教訓。「食指の恨みはおそろしい」 。・・・鍋料理はみんなで仲良く食べましょう。とりわけスッポン鍋であったなら、なおさらです。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年03月25日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、「不刊之典」と「一字千金」。漢字4文字で表されていることばですが、いかにも漢字ならではという思いを強くします。「不刊之典」とは何ぞや?阿辻先生曰く、中国の古典を扱う者には常識といっていいことばだということですが、恥ずかしながら私は初めて目にしました。先生の教え子の院生が、これを「出版されない書物」と訳して先生をあきれさせたということですが、私も「刊」を「出版」という意味に解釈しました。「刊」という字をみると、音を表す「干」に「刂(リットウ)」から成っています。「刂(リットウ)」は「刀」を表す文字であり、もともと「刊」は削るという意味で使われたのだと阿辻先生は教えてくれています。「刊」に「出版」という意味があるのも、昔は木版印刷で版木を削って文字を彫り込んだことを思えば、なるほどと納得できることだと。今でこそ私たちは文章を書くのにワープロを使い、間違っても容易に書き換えることができますが、漢字が考え出されたころには紙さえもなく、木や竹の札に書いていた。書き間違えたときどうしたかといえば、間違えた個所をナイフで削り落として、その上からあらためて書き直した。だから古代の書記たちは、竹や木を削るための書刀を常に腰にぶら下げていた(今日の消しゴムですな)のだと。ゆえに「不刊之典」は、「どこにも修正すべき記述がなく、いつまでも伝えるべき書物」の意で、出版とはまったく関係がないと。・・・なるほど、奥深い意味があるのですね。ただただ己の不明を恥じるのみです。次に「一字千金」。・・・「一攫千金」ならよく知っていますが。(笑!正直に申し上げます。誰でも知っている漢字4文字ですから、意味なら簡単に想像できますが、その由来となるとこれも私の知識の外でした。そのいわれは古代中国の秦の時代にまで遡ることになるというのですから、驚きです。阿辻先生の説明によれば、秦の呂不韋(りょふい)が著した「呂氏春秋」なる書物。呂不韋はよほど自信があったのでしょう。それを咸陽(かんよう)の城門に置き、この書物に書かれている内容を1字でも添削できた者には千金を与えようと言ったという故事に由来しているのだと。・・・ふ~む、なるほど。同じ漢字文化を国字として習い踏襲しようという者の一人として、私も「不刊之典」や「一攫千金」・・・ではなかった、「一字千金」ということばに値する文章を残したいものですな。って、どだい無理な話ではありますが・・・。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年03月18日
かって永田町では、ときの総理大臣すら自分の意のままに決めてしまうキングメーカーと呼ばれる人がいて、政界を牛耳っていたのは記憶に新しいことです。今私は「牛耳(ぎゅうじ)る」ということばを使いましたが、考えてみれば「牛の耳」とはおかしな表現ではありませんか。どうして馬の耳ではないのか?まあ、さすがに「豚耳る」では豚汁と間違えそうになりますからね、はばかられますけれど。(笑!毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、「牛耳る」のいわれについて。正直に申し上げます。「牛耳る」とは、「牛耳を執る」の「牛耳」を動詞化したことばだったとは知りませんでした。その由来が、秦によって古代中国が統一される前、戦国の雄が覇を争った春秋戦国時代にまでさかのぼらなければならないとは、まったくもって驚きです。覇者の地位を求めて攻防が繰り広げられていた時代、戦国の雄はしばしば近隣の諸国と同盟を結び約束を固めた。諸侯たちが集まって同盟を締結することを「会盟」、誓った内容を石や玉に書いたものを「盟書」というのも耳に新しいことです。この時登場したのが牛で、馬や豚ではなかった。会盟の主催者が牛の耳をつかんで会場に入り、牛の耳に刃物をあてて取った生き血を参加者全員が唇に塗って、盟書を破らない誓をたてたというのです。このことから、ある団体や組織の中で主導権を握って行動することを「牛耳を執る」といい、それが縮まったのが「牛耳る」なのだと。驚くべきは、「血の結束」を誓い合ったあとは、その誓約書(石)が牛と一緒に地中に埋められてしまったということ。現代の感覚では、それでは誓約書の意味がないではないかと思われますが、春秋戦国時代の中国では、覇者たらんと欲する者は一度誓った約束は決して破ってはならないということなのでしょう。ひるがえって現代の日本に目を向ければ、役所の重要決裁文書が決済を受けてから改ざんされたのではないかという疑いでもちきりです。もともとの決裁文書があるはずだからこれを出せという国会での野党の追及に、政府と役所は検察当局の捜査により、決裁文書が押収されていて、現段階では手元にないので出せないといった、いかにも苦し気な答弁に終始しているようです。・・・いっそのこと春秋戦国時代の「血の結束」にならい、牛と一緒に地中に埋めてしまったと言えばどう?でもそんなことを言えば、ではそれを「牛耳った」のは誰だと、追及はより一層激しくなるにちがいありませんが。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年03月11日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、「税」でした。まあ、税を知らぬ国民はまずいないでしょうね。ただ、知らん振りをしていたいと願う国民は多くいることでしょうけど。(笑!「税」を字引きで調べてみると、「国家・支配者などが人民から徴収する金品」とありました。支配者ということば、妙に生々しいですな。すると、我々は税を通して国に支配されているのかということになりますよね。阿辻先生も税を通して国に支配されている国民の一人に変わりありません。どうも思いは私と同じようです。納税が国民の義務であることは重々承知しているが、しかし必ずしも必要ではないと思われる事業に大量の血税がつぎこまれたり、回収不能の債権を税金で尻ぬぐいする、というような使い道を見たりすると、善良なる納税者でいつづけることが馬鹿らしくなるのも事実であると、はっきりおっしゃっておられます。あっ、このコーナーは、税の意味について考えるコーナーではなかった。「税」という漢字について考えるコーナーでした。(笑!「税」は、意味を表す「禾」と、発音を表す「兌」からなっている漢字。「禾」はイネなどの穀物の総称として使われる文字であることからわかるように、「税」はもともとは穀物による物納が基本であった。それが貨幣経済の発展とともに金(かね)で納められるようになり、今日に至っているのですが、そうであれば「禾」は「金」で置き替えなければなりません。そうすれば「税」は「鋭」になると。どうやら阿辻先生は、このことをおっしゃりたかったらしい。納「税」したあとも、使途を「鋭」く監視しなければならないと。全くもって、ごもっとも。私も"納「鋭」者"でありたいと思った次第です。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年02月18日
「えぇ~い、控えおろうっ!この紋所が目に入らぬか!」というセリフでお馴染みのテレビドラマ「水戸黄門」のクライマックスシーン。「このお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公にあらせらるるぞっ!」この黄門様のお名前の「光圀」の「圀」ですが、我々が学校でならった漢字は「国」のはず。「國」ならばまだわからないでもありませんが、はて「圀」とはどういう意味のある漢字なのだろうと、常々思っていました。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻先生が取り上げたのは、その「圀」。皆さんは、「圀」という字はかの悪名高い中国唐代の則天武后が作った文字だということ、ご存じだったでしょうか。夫の皇帝が病弱なことにつけこんで国政の実権を握った則天武后は、漢字は古代の聖人が作ったとされる古来よりの言い伝えに習い、独自の新しい文字を作ろうと企てたのだそうです。これがいわゆる則天文字で「圀」もそのひとつであるということです。阿辻先生のこの「圀」のいわれがすこぶるおもしろいのでご紹介したいと思います。武后に媚びる側近の一人に、「國」という字に使われている「或」は惑うに通じるから、「或」を武后の「武」を使うがよろしかろうと上奏するものがいて、大いに武后を喜ばせたと。ところが「口」と「武」の組み合わせは、人が牢屋に閉じ込められている「囚」と同じ構造で、縁起が悪いという意見を上奏するものが現れた。そこで「口」の中に世界全体を表す「八方」という言葉を入れた「圀」があみ出されたのだと。ちなみに今ではこの「圀」が、パソコンで表示できる唯一の則天文字なのだとも。ほぉ~、そうでしたか。私はまったくの不勉強で、則天文字があったなんて知りませんでしたね。・・・漢字っておもしろい。「圀」の他にどんな則天文字があるのか調べてみたいと思います。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年02月11日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。このところ「膾炙(かいしゃ)」、「曲学阿世(きょくがくあせい)」、「恭喜発財」といった、いかにも中国らしい難しい漢字を使った言葉が続きましたが、本日阿辻先生が取り上げたのは「雪」。「雪」なら日本人が小学校の低学年で習う漢字。この字を知らぬ人はいないと思われます。おりしもシベリアの寒気団に上空をすっぽり覆われてしまった日本列島。今週初めには首都圏でも10センチ~20センチの降雪に見舞われ、大混乱したばかり。当地北陸富山でも、このところの暖冬にすっかり慣れてしまったところへやって来た一晩1メートルのドカ雪に、改めて雪国の定めを思い知らされたばかりのところでした。・・・その「雪」ですか。(苦笑!先ほど「雪」という字は、日本人ならまず知らぬ人はいまいと言いましたが、「雪」という漢字は「雨」の下に鳥の「羽」を描いており、凍った水滴が鳥の羽のように空から舞い落ちて来るさまをかたどった象形文字であるってこと、ご存知の方は少ないんじゃないでしょうか。西暦100年に出来た中国最古の字書「説文解字」(こんな時代にすでに辞書が表されていたとはまったくの驚きです)には、「雪は冰(こおり)の雨なり、物を説(よろ)こばせるなり」と表されているのだとか。ここに出て来る「説」は「悦」(よろこぶ)の意で、「雪(セツ)」を「説(セツ)におきかえ、されに「悦(エツ)」に置き替えて用いるようになったことから、「雪」には「悦」(よろこぶ)と同義の意味もあって、万物を喜ばせるものであるという解釈ができるのだと阿辻先生は教えてくれています。・・・ほぉ~、それで雪が降ればイヌは喜んで庭を駆け回るのだとも。でも先生、こたつで丸くなるネコについては、いかが解釈します?(笑!ましてやこれでもか、これでもかと降り続く今冬の雪に難儀する我々雪国に住む者にとっては、とても「悦」(よろこぶ)の境地にはなれそうにありません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年01月28日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。本日阿辻哲次先生が取り上げたのは「膾炙(かいしゃ)」と、それを含んだ言葉「人口に膾炙する」。なんでも『孟子』の「尽心下」に出てくるのだとか。そうすると今から2千数百年前の中国に、すでにそのように高度な文化があったということになりますから驚きです。さて現代では普段あまり使わない漢字二文字からなる「膾炙」ですが、「炙」はあぶり肉のこと。「火」と「月(ニクヅキ)」の配置からしてもそれとわかりますね。「膾」は訓読みにすれば「なます」。獣肉や魚肉を細かく切って生で食する料理のこと。「羹(あつもの)に懲りて膾を吹く」の諺で有名です。「炙」も「膾」もいずれも味がよく多くの人の口に喜ばれるのは、何も古の中国に限ったことではなく、現代人も焼き肉やユッケ、馬刺しが大好きなことを見ればわかります。このことから「人口に膾炙する」とは、世の人々の評判になって広く知れ渡ることを指すのだと阿辻先生は教えてくれています。しかし現代の日本では、病原性大腸菌O157による食中毒の危険性が指摘され、畜肉の生食すなわち「膾」にして食べる調理法が禁止されることになったのは、まことに残念なことです。羹(あつもの)に懲りたとしても吹く「膾」が出てこないのでは、現代人は「ばかばかしいまでもの注意を払う」の愚をおかすこともなくなったと言えるかもしれませんね。いかに古の中国の賢人といえども、このような事態の到来は予測しようもなかったと言わざるを得ません。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年01月21日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今日阿辻先生が取り上げたのは、「曲学阿世(きょくがくあせい)」。・・・正直に申し上げます。いい意味あいで使われる言葉ではなさそうだということは見当つきますが、正確な意味は承知していませんでした。調べてみると、「真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること」とありました。この「曲学阿世」に使われている「阿」は、阿辻先生のお名前にも使われている漢字。日本語では「阿」がつくのは、ほとんど「阿部」「阿川」「阿波」といったように名前などの固有名詞専用に使われているというご指摘です。本家本元の中国に行くと、南方地方では親しみを込めた接頭語として使われているのがこの「阿」だそうで、頭に「阿」が付けば、「○○さん」と敬愛を込めた呼び方になるのだとか。だから魯迅の「阿Q正伝」の「阿Q」は、「Qさん」という意味だと。阿辻先生が高校生のとき、読んでいる本の中で「曲学阿世の徒」という言葉を見つけたときの逸話が面白く、たいへん興味深く読みました。いわく「阿世」といったように動詞の意味合いでも「阿」が使われることがあり、その時には、「阿諛追従(あゆついしょう)」のごとく「おもねる」という意味あいを持つと、その日の夕食の場でお父さんとお兄さんに話したとき、食卓はたちまち険悪な雰囲気になったと。(笑!また先の大戦のアメリカとの単独講和を進める当時の吉田茂首相が、中ソ陣営を含んだすべての交戦国との講和を唱える南原茂東大総長を「曲学阿世の徒」と言いはなったことから、当時一躍脚光をあびたのがこの「曲学阿世」であるとも。吉田元首相など当時の政治家たちは「暴言」にも類推される言葉で丁々発止のやりとりをしているが、「曲学阿世の徒」ということばを用いたごとく、ある意味では非常に「学のある時代」であったと阿辻先生。「未曽有(みぞう)」を「みぞうゆう」と読んだ方は、吉田茂元首相のお孫さんではなかったか?この方は現内閣でも重要閣僚をお務めですから、お爺様が泣きますぞなどと言われることのないように、これからも頑張っていただきたいものです。文字そのものに意味合いを持たせた世界に類を見ないすぐれた文字・漢字。この優れた漢字を国字として持てたことに誇りを持ち、それに恥じないような使い方をできるよう、もっと勉強しなければと改めて思った次第です。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年01月14日
毎週日曜日のお楽しみ、日経最終面文化欄の「遊遊漢字学」。新しい年を迎えて初めての日曜日となった今日、阿辻先生が取り上げたのは「恭喜発財」でした。「恭喜」とは「めでたいことを祝う」意味。「発財」とは財産を築いて金持ちになること。いかにも中国人が好むことばらしいと思って調べてみると、なんとこれが中国の新年のあいさつに使われる言葉なのだとか。「新年快楽、恭喜発財」。すなわち日本語の「あけましておめでとう」にあたるのだそうです。今日の「遊遊漢字学」は、中国の薬膳料理の素材として重宝されている「髪菜」についても書かれていたので、興味深く読みました。「髪菜」などという中華食材、まったくの初耳です。中国内陸地に生息する藻の一種で、人の髪の毛に似ていることからこのような名が付けられたそうです。中国人はよほど「発財」という言葉が好きなようで、「髪菜」を中国語で発音すると「金持ちになる」ことをいう「発財」と非常に近い発音になることから、縁起の良い食品としてもてはやされているのだと。よくわかりませんが、「ファーツァイ」と発音するのでしょうかね。そういえば高校の漢文の時間に、唐代の有名な詩人王維の七言絶句「送元二使安西(元二の安西に使いするを送る)」を教わったときに、古の中国では、西方に旅する旅人を玉門関まで送り、いよいよ出立となったその朝に、旅人の無事な帰還を祈って柳の葉を「環」に結んで盃を酌み交わすのが習わしだったと先生が話してくれたことを思い出しました。それは「環」と「還」の発音が同じだからだと。 渭城朝雨浥輕塵 (渭城の朝雨 軽塵を浥す) 客舍青青柳色新 (客舎青青 柳色新たなり) 勸君更盡一杯酒 (君に勧む 更に尽くせ一杯の酒) 西出陽關無故人 (西の方陽関を出づれば 故人無からん)文字そのものに意味を持たせた優れた表意文字・漢字。中国に習い古の日本人がこの優れた文字を取り入れ、国字としたのは英断であったとつくづく考えさせられます。・・・ところで、「発財」・・・ではなかった、「髪菜」ですが、一度食べてみたいものだと思っています。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年01月07日
今年最後の日となった今日は日曜日。何かと慌ただしい大晦日ですが、日経最終面文化欄だけはゆっくり読みたいもの。ここ3週間ほどお留守になっていた「遊遊漢字学」、今年最後に阿辻先生が取り上げた漢字は「北」でした。日本漢字検定協会がおこなう「今年の漢字」に堂々選ばれた漢字でもありますから、阿辻先生も見逃すわけにはいきませんよね。この「北」は、二人の人が背中を向けあっているいる形を示しているってこと、皆さんはご存知でしたか?もともとはその形から「背中」あるいは「背を向ける」ことを意味したのだと阿辻先生は教えてくれています。それが方角の一角を指すようになったのは、人が太陽の方を向いたとき背中にある方向が「きた」になるからだと。「北」がもっぱら方角の意味に使われるようになって、本来の意味を持たせる漢字として、「北」の下に肉体を表す(ニクヅキ)「月」をつけた「背」が用いられるようになったのだそうです。だから、戦いに負けて敗走する時に、東や南に逃げても「敗北」というのは、敵に背中を向けて逃げるという意味合いがあるからというのは、なるほどと納得できますね。さて、「北」本来の意味に戻って、背中を向け合っている二人とは誰だろうと考えてみるに、これはどうしても今年世界中の耳目を集めた米朝の指導者といういうことになりましょうか。一方が「リトル・ロケットマン」と罵れば、もう一方は「老いぼれのならず者」と蔑む。漢字のはじまりは紀元前にまで遡った中国古代の殷・周王朝時代、カメの甲羅や動物の骨を焼いて出現する甲骨文字で吉凶を占ったのが起源と言われています。それから3000年以上も歳月が流れた大陸と地続きの極東の半島の付け根にある国の動静を巡って、背中合わせのままがんとして相譲らぬ二人の指導者が出現するとは、いかな甲骨文字の占い師でも知る由もなかっただろうと思われます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年12月31日
時はまさに師走。俳句の世界では極月(ごくげつ)という季語もあるそうですが、師走にしろ極月にしろ、口にするだけで何やら気忙しい思いに駆られるのは、平素よりやるべきことをかまけてやっていないからでしょうね。毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週取り上げられたた漢字は、「師」。阿辻先生は、かの諸葛孔明が宿敵魏との戦いに出陣する前に若き皇帝に奏上した「出師表(すいしのひょう)」の故事をたとえに、「師」とは軍隊のことを指したと、教えてくれています。日本でも軍の編成に師団という言葉を使うのも中国に習ったものだと。一方同じ中国から伝わった仏教の世界では、高徳の僧侶を表すのに「師」が使われるのも広く知られていますね。阿辻先生も、一説によれば、あわただしい歳末は僧侶まで走り回るから「師走」というそうだが、走り回るのが兵隊ではなく本当によかったと書いておられます。私などは子供のころより「師」とは先生のことで、12月になると先生が家庭訪問で忙しく街を走り回るから「師走」というのだと思っていました。(笑!「師」を字引きで調べると、その意味が、1 学問・技芸を教授する人。師匠。先生。「師の教え」2 僧・神父・牧師などを敬っていう語。3 中国、周代の軍制で、5旅(りょ)すなわち2500人の称。転じて、軍隊。の順で書かれています。してみれば、師走の街を気忙しく走るのは先生であってもおかしくないということにはなりませんか?(笑!いずれにしても軍隊が走り回るのだけはご免被りたいものですね。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年12月10日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。4月に連載が開始されてよりこの方、日曜日の日経は最終面の文化欄のこのコーナーからまず読み始めることが習慣になりました。さて、今週阿辻先生が取り上げた漢字は「菊」でしたが、冒頭このようなクイズを読者に投げかけています。「桜」は音読みではオウ、「梅」はバイ。では「菊」はなんと読む?はて、なんと読むんだったかな?・・・出て来ませんね。出てこないのも当たり前。「菊」は訓読みがない漢字で、我々は日常音読みの「キク」をそのまま読んでいるが正解。もともとキクは中国から渡来してきた植物。渡来前には日本にはなかったのだから、それを表すことばもなかった。植物とともに伝わって来た「菊(キク)」という音をそのまま用いるようになったのだと。現代の日本では、キクは秋を代表する観賞用の花として親しまれていますが、中国では古来より薬剤として用いられた草木。キクの花を食べると仙人になれるという考えもあったということですから、食用としても用いられた植物だったと。ここで阿辻先生は、有名な陶淵明の詩の一節を挙げておられます。菊を採る東籬(とうり)の下悠然として南山を見る陶淵明は菊を愛でようとしたのではなく、夕食のおかずとして摘んでいたと解釈できなくもないという阿辻先生の説は、「菊」、「南山」ということばに「仙人」ということばを重ねると、なるほどと納得できますね。ちなみに南山は、現代の中国江西省北端の景勝の地にある山で、後の世にかの白楽天が「香炉峰の雪は簾をかかげてみる」と詠んだのもこの山。歴史に名を遺す偉大な詩人は、やはり仙人のごとく菊を食べて隠遁生活を送ろうとしたのでしょうか?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年11月19日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。4月に連載が開始されてよりこの方、日曜日の日経は最終面の文化欄のこのコーナーからまず読み始めることが習慣になりました。さて、今週阿辻先生が取り上げた漢字は「肉」。この「肉」という字は、動物の肉を切り取った形を表すのだと阿辻先生は教えてくれています。なるほど、言われてみれば動物の骨格のように見えてきますね。肋骨にあたるところが、2つの「人」でリアルに表現されている。この「肉」という文字が「胴」や「肌」といったように他の構成要素として用いるときは「月」に変化することも、我々はよく承知していますね。「ニクズキ」は国語の時間で必ず習いますから。古代中国の祭祀では、薪で動物の肉を焼き、その煙で空から神を招いたということも合わせて紹介されていて興味深く読みました。「祭」という字は、月(肉)を又(手)で捧げたその下に神が降臨しとどまる拠りどころに置いた小さな机(示)から構成されていることからもわかるように、動物の「肉」は祭祀に欠かせなかったと。突然ですが、話は昨日NHKのBS放送で放映されていたドキュメンタリー番組「ザ・プレミアム」に飛びます。かの大モンゴル帝国を築いたチンギス・ハンの陵墓はどこにあるのか?彼の死から800年以上経ってもいまだに見つけることができず、世界最大の謎の一つと言われて来ました。番組では、モンゴル帝国史研究の第一人者として知られる新潟大学の白石典之教授のチームが、今年の夏行った遺跡の発掘調査の様子を放映していました。陵墓はモンゴル族の聖地ブルカン岳にあると言われて来た中で、白石教授はチンギス・ハンが作った幻の都アウラガ遺跡(これも白石教授が発掘した)にある霊廟の近くにあるはずと考え、霊廟からわずか50メートルほど離れた個所を発掘。その中で当時のモンゴル族の祭礼では、羊や牛といった家畜を生贄として殺し焼いたという資料が紹介されていました。アウラガ遺跡がチンギス・ハンを祭る霊廟であるという決め手になったのも、周囲から膨大な量の羊の骨と薪を燃やした炭が見つかったことによるということでした。大帝国を築いたモンゴルのかの大ハーンは、どこに眠るのか?その決め手はもともと動物の骨格から作られた象形文字「肉」と関係するというのですから、漢字の歴史が考古学にも関与してくるというスケールの大きさに、ただただ驚くばかりです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年11月12日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。4月に連載が開始されてよりこの方、日曜日の日経は最終面の文化欄のこのコーナーからまず読み始めることが習慣になりました。さて、今週阿辻先生が取り上げた漢字は「藝(げい)」。なんとも画数の多い漢字ですが、この漢字を現代の日本で見かけるとすれば、「文藝春秋」という出版社の発刊する同名の月刊誌くらいのもの。それはもっぱら我々が「芸」という略字を使用するためのようです。ところが阿辻先生のおっしゃるには、「藝」と「芸」はまったく関係のない漢字とか。「芸」は「香りのよい草」という意味。音も「うん」と読むことからも「藝(げい)」とは違うことがわかると。では「藝」は何を表したかというと、古代の中国で貴人が習得すべき六つの徳目「礼、楽、射、御、書、数」を指したのだそうで、これを称して「六藝」というと。もともと木や草の苗を地面に植えることを「藝」と書き、土に何かを植えるように、人の精神に何かを芽生えさせ開花させる教養科目の意をこの文字に持たせたのだか。それが近代中国が西洋と接するようになって、英語の「art」という言葉の訳語に「藝」が使われるようになって、「藝術」や「工藝」という言葉が作られるようになったのだと。漢字の本家本元の中国で「藝」と「芸」はまったく別の漢字として使われてきたにもかかわらず、日本に入ってから「芸」を「藝」の略字として使うようになったがために、芸術や工芸というような使い方が一般となった。いわば日本人が「藝」の持つ本来の意味を失わさせたとも言えましょうか。してみれば、我々は安易に芸術鑑賞などと言いますが、人として供えるべき徳目を習得する術(すべ)を見極めるというのは、なかなかのことのように思われます。一方「香りのよい草を味わう術(すべ)」という意味であるなら、これはもっぱら今日アロマセラピーとか呼ばれるリラクゼーションが流行っているがごとく、私にも簡単に芸術鑑賞にひたれようというものです。(苦笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年11月05日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。4月に連載が開始されてよりこの方、日曜日の日経は最終面の文化欄のこのコーナーからまず読み始めることが習慣になりました。さて、今週阿辻先生が取り上げた漢字は「檄(げき)」。現代の日本ではあまり使用することが少なくなった漢字ですが、「檄」と聞いて思い起こすのは、三島由紀夫が自衛隊にクーデターを呼び掛けた「楯の会事件」。47年前に起こったこの鮮烈な事件、当時ノーベル文学賞候補とも目されていた三島がこのように偏った思想の持主であったことを、翌日各紙が「檄文」とか「檄をとばす」といった言葉で伝えるにいたって初めて知ったのでした。以後「檄」という言葉に接することは久しくなかったと記憶するのですが・・・。阿辻先生は、『漢書』の「皇帝紀(漢の高祖の伝記)」の一節、「吾、羽檄をもって天下の兵を徴す」をあげて、「檄」のいわれを説明されています。すなわち「檄」とは、兵士の招集を発する緊急軍事文書のことであると。檄には通常の文書と区別するために、文が書かれている木簡(紙が発明される前は木や竹を削って作った「簡」に文字を記した)は2倍の幅のものが使用され、至急届ける必要があることを示す鳥の羽がその先端につけられていたことから、これを「羽檄」と呼んだのだと。「檄をとばす」とは緊急の事態に際して危急を訴え、警戒を呼び掛ける長い木簡を各地に迅速に届けること指しているのだと。憲法改正を訴えて自衛隊に檄をとばした三島でありましたが、あの鮮烈な事件からすでに半世紀が過ぎようとし、過日行われた衆議院選挙では、その憲法改正が争点の一つといわれ注目を集めたのでしたが、改憲勢力が国会発議に必要な3分の2議席を大きく上回る結果となりました。この結果を草葉の陰で三島はいかなる気持ちで見ていることでしょう。選挙運動などでは「檄をとばす」という表現が使われることがあっても、憲法改正に「檄をとばす」というようなことが決してあってはならないのは、三島の死が証明していますね。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年10月29日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。衆議院が解散され、今日はその投票日。国民の関心はこの国の政権を担うのはいづれの党になるか注目を集めるところです。阿辻先生もそれを意識されてか、このところ政治に関する言葉を連続して取り上げておられます。まず「選挙」。選挙とは古代中国(科挙の制度が定められた隋の時代より前)の官吏登用制度を指す「郷挙里選(きょうきょりせん)」に由来していると。次に「党」について学びました。よもや「党」が煙突のススに関係していたとは、安倍首相も小池東京都知事もご存知ないのではないか?さて今週阿辻先生が取り上げた漢字は「与」と「野」でした。いうまでもなく「与党」と「野党」がしのぎを削るのが選挙。「与」は「與」の略字体で、「与」を載せた輿(こし)を四方から手で担ぎ上げている様子を表すのだとか。このようにものを運ぶのに何人かが協力して仕事に参加することから、「参加する、いっしょに働く」という意味を持つようになったと。一方「野」は、「里」と「予」からなる文字。「予」は音を表し、意味をなす「里」は、さらに「田」と「土」に分解すればおのずと理解できると。「土」とは大地に神を祭るために作られた盛り土をかたどった象形文字。大切な神を祭る盛り土をし、「土」を示す社(やしろ)を作った。その社の周囲にある田んぼが、すなわち「野」。土地の神をまつる社は人の住む村から遠く離れたところにあったから、「野」には遠いところという意味ができ、ゆえに「中心に位置していない」という意味の「在野」という言葉もできたのだと。その野党について今回阿辻先生は、野党の中にも与党とそれほど変わらぬ政策を訴える党があるようで、そんな党のことを「野(や)」と「与(よ)」の間の「ゆ党」とも呼ばれているようだと指摘されています。「ゆ党」とはどんな漢字を書くのか、ぬるま湯に浸かっている「湯党」であってほしくないものだとも。「遊遊漢字学」が連載されてより、すっかり阿辻ファンとなってしまった私です。阿辻先生、ここはぬるま湯の「湯党」より、ゆらゆら揺れる「揺党」というのはいかがでしょう?もっとも恥も外聞もかなぐり捨てて、なにがなんでも当選したいという一念だけは揺るぎないようではありますが・・・。(涙!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年10月22日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。先週は「党」という漢字について学びました。よもや「党」が煙突のススに由来していたとは、安倍首相も小池東京都知事もご存知ないのではないか?ちなみにその「党」を選ぶことになる「選挙」の由来についても阿辻先生は詳しく解説されています。ご一読あれ。さて今週阿辻先生が取り上げた漢字は「対策」でした。対策というと現代人は、相手の出方や事件の状況に対応するための方法・手段と考えるのが一般的ですね。「対策を練る」「対策に頭を痛める」のごとく。只今現在安倍さんや小池さんは、「選挙対策」に没頭しておられることでしょう。しかし、古代の中国では、「対」は単に「答える」という意味で、「策」は書類の名称。竹や木を削った「竹簡」や「木簡」に文字を書いてひもで綴じた文書のこと。秦、漢の時代より、皇帝が国政に関わる重要事項を役人に下問したことに対する答えを奏上した文書のことを「対策」といったのだと。「竹簡」や「木簡」をひもで綴じたものを「冊」といい、それを両手で恭しく上にささげ持った形が「典」という文字で、重要な書物という意味を表したとも。表意文字である漢字の優位性を垣間見ることができますね。やがて中国から漢字と 律令制を学んだ日本でも官吏登用試験が導入され、下された策問に答えることを「対策」と呼んだのだと。してみれば、今日「選挙」戦の真っただ中で、各「党」が叫ぶマニフェストとやらは、「対策」のようなものかもしれませんね。一応うわべだけは国民に対して「対策」(マニフェスト)を両手で恭しく上にささげ持ったようなそぶりを見せるのですが・・・。目の前にささげ持たれた「対策」を誤って判断し傾国の憂き目をみた皇帝の二の舞を演じぬよう、せいぜい心掛けたいものです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年10月08日
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。今週阿辻先生が取り上げた漢字は「党」。衆議院が解散され有権者の投票の意向が問われる今、まさに時事を得た漢字といえましょう。阿辻先生の解説によれば、古代の中国では「党」は「黨」と書いたそうで、もともとは五百軒の家の集まりを表す文字であったものが、やがてグループという意味ができ、それが政党という意味に発展したものだと。今日の中国では「党」とは中国共産党のことのみを表すようだとも。 「黨」は「尚」と「黑」という字から構成されていて、「黑」は「くろい」という意味が、「尚」には発音が持たせてある。さらに「黑」は、日々の炊飯や調理によってススがついて黒くなった煙突を表しているのだそうな。現代人が白黒などと色として使うのが一般的な「黒」という字が、もともとは煙突を表したものであったとは、表意文字ならではの漢字の優れた特徴を象徴しているといえましょう。さてその優れた文字を中国から取り入れたわが国ですが、古来より「党」は同郷の者や血縁者の集まりを指して使われるのが一般的で、同じ思想を持つ人々のグループという意味合いで使われ出したのは、近代になってからのこと。むしろ、悪党・残党・私党・徒党という言葉からもわかるように、あまり良い意味では使われなかったのが「党」という文字です。いわれてみれば煙突の内側を覗いて、清いイメージを抱くということはありませんね。離合集散を繰り返すどこぞの国の政党に集うセンセイ方には、どうか凝り固まった"黑いスス"などと呼ばれぬようにしていただきたいものです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年10月02日
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