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2021年10月31日
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カテゴリ: クラシック
所沢市民文化センター ミューズ アークホール 14:00〜
 1階最後方

 ステンハンマル:セレナード ヘ長調 op.31
 ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 op.67

 NHK交響楽団
 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット

 ブロムシュテットは今月A・B・Cの定期演奏会全てを振りました。AとCは土日公演があるので聞きに行けるけれど、サントリーホールのB定期は平日だからなぁ.....と思っていたら、その週の土曜日に所沢での公演があるのを発見。久し振りに所沢まで行ってきました。これで一応全3プログラム聞いたことになります。物好きっちゃぁ物好きだよねぇ、我ながら.....

 所沢ミューズのアークホールは久し振り。1階の後ろの方に座ったのは珍しいのですが、この辺から改めて見ると、多分、ウィーンのムジークフェラインを意識したのかなぁと。舞台後方のオルガンの両脇に謎の彫刻があったり、1階席の両脇はバルコニー席だったり、そういえばちょっと配置が似ているなぁと。開館は1993年なのですが、時期的なものもあってか、サントリーホール以後の風呂場ホールの系譜からはちょっと外れている感じで、割といいホールだと思ってます。

 客席はほぼ満席状態。2000席くらいあるのですが、これだけ入ると壮観ですね。埼玉県西部では企画も含めて中心的なホールですし、私みたいなのも来ますから、ねぇ。

 最初はスウェーデンの作曲家、ステンハンマルのセレナーデ。
 えー、よくわかりませんでした。面白く聞かせて頂きましたが、えーと、なんとなく面白く聞いてるだけで、あんまり考えないままに「あれ?終わっちゃった」って感じでしたかね。そんなにあっさりした曲ではないし、短い曲でもなかったのだけれど、そんな感じでした。曲も、演奏も、綺麗だった瞬間があって、決して悪くはないんだけれども.......敢えて申さば、引っ掛かるところがなかった、ということなのかも知れませんが、まぁ、あまり論評できる立場ではないと思います。別に寝てたわけでもないんですけれどもね。

 後半。運命。最近はそう言わないのよね。
 ともあれ、第2楽章が丁寧でいい演奏でした。この曲で第2楽章が、というのは、あまりない気がするのですが、今回は第2楽章が普通にとてもいい演奏でした。どう言えばいいんだろう.....
 大体、まずはツカミで押さえちゃう感じの演奏が多いような気がするんですよね、この曲は。多かれ少なかれ、思いっきりインパクトを狙ってきたりあるいは逆にわざわざ極度に素っ気なくやってみせたり。あまりにも人口に膾炙しているが故か、そこで力入れてしまう感じの演奏が多いような。この日の演奏は、普通の入り。ツカミでどうにかしてやろう、というのは、まぁ、ある意味外連ですよね。元々ベートーヴェン自身がそういう曲を書いているのだから、それはそういうものだと思うのだけれど、ブロムシュテットは力まずに普通に入る。その流れでの第2楽章は、だから、身振りの激しい演奏だと、第1主題と第2主題の対比にこれまた力を入れ過ぎて、やたらと劇的な音楽になるのだろうと思うのですが、ここがとても丁寧な演奏だった。なるほど、第5交響曲というのはこういう曲だったのか、と改めて思わされるような。
 そうなんですよね。我々は、「運命というタイトルは後から捏造されたようなもので」みたいなことを言って、殊更に表題を外して見せるくせに、「苦悩から歓喜へ」というストーリーそれ自体は全然外す気がないんですよね。で、少なからずそのストーリーに当て嵌めて聞いてしまう。まさに標題音楽。
 ブロムシュテットのアプローチは、恐らくは、「苦悩から換気へ」いや違う「苦悩から歓喜へ」(本当に誤変換がこう出たので面白くて。時勢だよなぁ。)という定型に嵌めることへの抵抗があるのじゃないのかな、と思います。ただ、それを、殊更に「苦悩から歓喜へとは聞こえないようにする」のではなくて、この曲を愚直にやったらこうなるのでは?というアプローチであったのではないのかなと。
 それは、基本第3楽章でも変わらない筈、なのですが、しかし、どうなんだろう.....
 第3楽章から、ちょっと浮き足立ってしまう感じなのですね。そして、第4楽章は、例によってのどんちゃん騒ぎ。いや、そうなるのは間違ってないとは思うのですよ。ただ、第2楽章での丁寧な演奏、各声部がきちんと歌っているような演奏 - 分離がいい、みたいなのとは根本的に違います - というのが、第3楽章の後半あたりから浮き足立ったような感じになってしまった気がするのですね。
 第4楽章でも、どんちゃん騒ぎと言いながら、丁寧にやろうとしているのは変わらなかったとは思うのです。でも、第2楽章から見ると、第4楽章あたりは、本当にそうなのかな?それをやりたかったのかな?ブロムシュテットの求める演奏はそれだったのかな?という気はちょっとしました。勿論私なんかには分からないですけれどね。でも、ちょっと、不釣り合いというか、調和してないな、という気がしたのは確かです。
 言い換えると、第2楽章が異質だったのかも知れない。そういう視点で言うと、全く別の言い方になるんだとは思うのですけれども。ただ、私は、やはりあの第2楽章が素晴らしかったと思うし、だから、そちらからの視点で見ると、違和感を感じたのですけれどもね。

 N響は、今回はどうだったのか。ここ最近の3回の演奏に比べると、多分響きとしては良かったのだと思います。聞いてるのは一階最後方だから、どっかぶりしてるので、なんとも言えないですけれどね。ホールは比較的素性のいいところだと思っているので、その点でも、まぁ、なんとも。
 ただ、ちょっと気になったのだけれど、今回のコンサートマスターは篠崎史紀で(AとCは白井圭だった由)、それがどうなのかはよくわからないのだけれど、なんとなくこうブロムシュテットとの間に微妙な雰囲気があったような気はしなくもないのですね。よく知らんけど。ただ、この人、元々どの指揮者にも時折「あれ?それはちょっと失礼なんじゃ?」と思う挙措があったりするのではあるけれど、先の2回と比べて何だか「あれ?」と言う感じがあった気はしました。それが演奏に影響するのかどうかはなんともだけれど、ちょっと書いておこうと思うくらいには思ったかな。

 3回聞いてみて、何か言えるかというと、まぁ、何も言えません。ただ、今回の第5交響曲の第2楽章は、多少は記憶に残るかも知れないなぁ、という演奏だったかも知れません。それは、勿論丁寧でいい演奏ではあったのだけれども、同時に、「苦悩から歓喜へ」的な標題音楽としての「第5交響曲」、それはつまり「運命」と言う表題を否定したところで変わらず現存している呪縛、から本当の意味で解かれた演奏だったのかな、と思うからです。そういう演奏が聞ける人ではあるのですね、ブロムシュテットという人は。くらいのことは言ってみてもいいのかな。





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最終更新日  2021年10月31日 22時06分12秒
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