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久しぶりに書く。巷。特にこの国はあまりに酷い状況なので、久しぶりに警告として、黙示録的な話を書く。サタンの名を語る統一妖怪は、サタンの名を語ることで、サタンに組みしている自覚すらないのは、サタンに心服し、心が病んでいる証である。 キリストは、サタンの名を語るな、と戒めたはずである。 現存するいかなる権威的宗教団体はやがて滅亡していくだろう。それは各個人一人独りのなかに既に神がいるからで、魂の核の霊は神から生まれたから、魂が覚醒すれば自ずと明らかだからである。 当人の覚醒度合いによって、現存の宗教が自ずと胡散臭く感じるようになるからである。 つまり現存する宗教にすがるのは、自らもつ神を信頼していない証なのである。 日本語の「自信」とは、自らを信じる、ということで、自信そのものが自己を確立させ、存在せしむ所以なのである。 天は自ら助けるものを助ける。 自信がないと、恐怖に打ち勝てない。 しかし、物質世界に生きるうちに、物質性に染まり、生命の物質的側面だけに囚われて、心が病んでしまったのである。物質性に囚われると、腫瘍のような出来物ができ、物質的に死んでいくわけである。 自信は、常に自分を宇宙や神と一つになることで生じる。 誠心誠意である。誠心誠意、真心を失うと、嘘をつくようになり、自信を失って、心が迷う。 これが心の病から、ガンになる理由である。 本来、心が病むということはなく、肉体が病んでいる、現代風にいうなら、脳が病んでいるのであって、つまり悪魔に従い権力志向になり、洗脳されている人たちは、自ら迷える子羊となっていることを知るべきである。 だから、自らのなかに神を探せ! キリストは、神とは一つであることを伝えにきた。神は一つなのだから、どこにでもあるし、どこにでも存在する全存在である。 人は皆神の子で、上下もなにもない。ただ自らの神性に気づいているがどうかの受容的能力の違いなのである。 物質的権力に囚われ、人が人を支配しようとするのは、サタンを呼び寄せるよい機会となるだろう。 権力とは幻なので、肉体という有限性を山車にして、滅びを強調して、恐怖心を起こさせ、自信をなくさせ、人を神から切り離そうとする。 サタンとは、分離させる存在である。 1を2にし、闘わせようとする存在。 サタンは滅亡を強調する。サタンは滅亡を恐れるからである。なぜなら永遠性をもたないからである。 神は1つなので、永遠である。そこに滅亡も死もない。1つの存在である。 滅亡を恐れる宗教団体とは、非常に滑稽な存在といわざるをえない。永遠の真実を語るのなら、滅ぶことなどなく、それに対する恐れもないからだ。 物質世界を超えろ! 肉体の滅亡を超えろ! 永遠の魂を信じろ! それが自己の存在を確立するのだから。自力には既に神が宿っている。 自分を信じることができないで、なぜ自分の人生を生きることができるのか? 何か外からもってきて、それを自分と名付けても、それはもはや自分ではないことになぜ気づけないのか? この国の住人は、自分という哲学を失っている。個性というが、それは自己の存在をなくしてはもはや意味がないことがなぜわからないのだろうか? 日本人という表現に個性があるのだろうか? 統計的解釈に個性があるのだろうか? 個性をなくすのが個性なのか? 他人との違いだけがただ個性ではない。 他人との違いを理解し、お互いが調和し、一つになれることが個性なのである。 それが本当の愛で、一つであろう。
2022年08月26日
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久しぶりに書く。大凡、今世紀の人類の課題は、差別をなくすことだと思う。シュタイナーが説いた神秘学でいうならば、現代期は、第5(アーリア)文化期で、次は第6(スラブ)文化期とされている。 そして、アーリア文化期で物質文明の興隆を極め、後は次第に衰退し、次なる惑星(木星)期に対する精神的覚醒が始まる、といわれている。 差別がなぜはじまったかといえば、能力が十人十色であるからで、それは主に遺伝、つまり肉体の限界に起因するからである。つまり物質的な限界、物質性の特徴だからである。 物質とは、相互作用の安定性を意味する。物質とは、固有振動数をもつ集合体なのである。私は電子は、空間の渦と考えているが、多くの物質がほとんど安定状態でいられるのは、電子の運動を捕捉している原子核の電荷のお蔭だが、放射性元素でわかるように、完全な安定状態にある物質は皆無である。 元素の安定とは、他の元素と比較して相対的に安定であり、物質に関わる相互作用が変化すれば、安定状態から逸脱する。 つまり、安定状態とは、物質性の限界なのである。そして、相互作用は移り変わる。 さて、この物質世界では、安定状態、つまり秩序が次第に崩壊していく、エントロピーの法則というものが知られている。エネルギーを与えないと、物質の安定性は崩壊する。 物質性とは、非常に脆いものなのである。 その脆いものを過大視するのが、差別的思考なのである。この考え方を、神秘学ではアーリマン的悪魔思考と説いている。物質的思考、いわゆる唯物的思考を推し進めていくと、アーリマン、サタンが喜ぶ思考になる。 つまり、差別的思考を、アーリマンは好むのである。 さて、この思考の対極にあるのは何か? 物質的思考の真逆なので、精神的思考で、これを推し進めていくと、先の大戦でよくみられた大日本帝国構想などの、俗にいう物質性を考慮しない精神論、唯心論である。 物質性を超える精神性を過大視する考え方を、神秘学ではルシファー的悪魔思考と説いている。 いまは終戦記念日なので、先の大戦の番組をみると、日本列島全体が、この悪魔的思考に染まっていることがわかる。この思考を簡単にいえば、パワハラ思考である。 特に特攻隊などと無謀な作戦を立てるのは、この思考に起因する。物質性を超えるには、物質性でしかないのである。相撲の力士を負かすのに、学者を連れて行ってもお門違いである。 要するに、感情論が先だって、理性を失ってしまっている。 物質性を理解するのが理性なのである。 このルシファー的な自己陶酔思考、いわゆる妄想論が、巷を騒がしている媚っとウイルスのように感染拡大しやすいのは、物質的理解に乏しいせいで、その根底には、恐怖心がある。 このように、差別的思考の根底には、恐怖心があり、この克服が現代の人類の課題なのである。 戦争は、この恐怖心と直結している。恐怖心から、戦争を起こさないというのは、結果的には正解だが、完全な正解とはいえない。それは常に恐怖心を必要とするからである。 例えばまた、恐怖心を克服したいために、宗教などに走っても無駄なばかりか、金銭を失い、益々生活苦になるだけである。確かにキリストや仏陀も、世捨て人で、ホームレスだが、それは自主的になったわけで、宗教の悪魔に唆されて結果的になったのとは大違いなのである。 恐怖心の克服をカネで買えば、益々恐怖心が大きくなるだけである。 恐怖心を克服したうえで、戦争など無駄なことだと理解できてはじめて、次の精神成熟段階に進める。 思考の安定性、つまりより大きな理解力こそが、差別的思考、恐怖心を克服できるものである。 そこで昨今、巷で、よく「日本人だからよい」といわれる差別的な危うさに、警告を鳴らしておきたい。まるで再び、ルシファー的思考が蘇ってきたように思えるからだ。 自分は幼い頃から、ルックスがあまり日本人らしくないので、よく東南アジア人に似ているので、子どもの頃から、からかわれて、イジメも受けてきたので、「日本人」に対してあまり愛着がなく、GHQからの3S政策のせいか、いまだ政治的には米国の植民地であるせいなのか、なぜか米国人、特に白人には憧れてきた。 恐らく、揶揄われた反動なのかもしれない。だから、日本の歌謡曲よりも、英米の歌謡曲を好んで聞いてきて、お笑いなどの演芸も米国のほうが好きで、逆に特に日本の演歌や落語などは嫌いである。 かといって、おそ松くんの、ミーのような、「欧米か」と突っ込みを受けるような、欧米被れでもないと思っているが、自分が「日本人」という意識が他の人より少ないのか、反日的な発言を、周囲が受けるようで、この国の同調意識には辟易することが多々ある。 この国には、「日本人の行動規範」みたいなものがあり、その多くが、行政などからの曖昧な指示で、それを独自解釈して、それに沿っていなければ、道徳的規範に沿っていても、同調圧力が降りかかってくる。学校の服装校則みたいなもの。 昨今では、媚っとウイルスに対しての感染対策である。ちょっと前にマスク外そうキャンペーンを大々的にやったせいで、第7波の感染拡大を招いたのは、この同調圧力のせいとも感じられる。 感染拡大にマスク着用はもはや必定だが、それだけに拘るのも本末転倒で、黙食や三密回避などは、御座なりになってしまっている。ウイルスワクチンの普及が進まないのが、反ウイルス派のせいにしたりと、なんでもかんでも、他のせいで、自ら責任を取ろうとしないのには呆れてしまう。 昨今は、統一妖怪との関係である。あくまで個人的には、アホ元総理が死んで良かったと思う。あのまま生きていたら、プーチンのような独裁者となり、より多くの人々を殺害する可能性があり、恐らく地獄の最下層まで堕ちてしまうと思うからだ。現に過去には自衛隊や官僚の自殺を招いている。 政治という要職に就く人物にはやはり高潔な人物を選出しなければいけない。でないと国という共同体が幻想となっていくだろう。 これを突破口にして統一妖怪と政界は縁切り、絶縁すべきであろう。でないと天皇制が危うくなるよ。 統一妖怪については、このブログでも先に紹介したが、メーソンのなかのイルミナティの悪魔思想に非常に近い。連中の思想は狂人思想に近く、その思想はこの世を地獄化して、真の救世主を誕生させるのを本気で思っているから、もはや悪魔思想と言わざるを得ない。 そもそも平和思想とは、全体完全的で、一部の極端な思想とは異なる。多種多様な自由な思考がバランスするものである。 だから、思想を売り買いし、宗教を金儲けの道具にするのは、キリストが「神殿で商売してはならない」と商売人を神殿から追い出したように、いずれ、神から罰を下され、その偏った思想故に、死後に裁かれ、最下層の地獄に堕ちるだろう。 あの世には金銭など存在しないのである。思想そのものこそが、あの世での存在そのものである。 だから人間の思考は、どんなものも宇宙全体から与えられたもので、その人個人の所有物ではない。だから思考に優劣などない。物質的な解明に仕えるかどうかである。 さて、話が逸れたが、「日本人」というのが昨今、独り歩きしている懸念である。 日本人というのは、ウイキペディアで調べればわかるように、日本人だからといって常に正しい行いをするわけではない。「インディアンは嘘つかない」と同じように、「日本人は正しい」が使われている。そこでお馴染みのサイトから以下に紹介する。 ★ ★ ★悪いことをするのはみんな在日http://my.shadowcity.jp/2022/08/post-25211.html吉本のほんこんと言えば、勘違いしたネトウヨ発言で話題になる人なんだが、関西は在日が多過ぎて、純粋な日本人がほとんどいない。バンコクにタイ人がいないのと同じで、在日が日本人に成りすましたり、背乗りしたり、日本人のフリしてるだけで、基本的には半島人と大陸人です。日本人の所業とは思えないんですよほんこんちゃんねる、1時間前じゃあ、日本人はどこにいるのか? といえば、そりゃ、沖縄とか北海道のアイヌとか。関東や東海地方でも縄文系の血が残っていて、強と坂の関西とは違う。関西は奈良、平安時代から延々と、渡来者を受けてれてきて、元の縄文系の血筋はほとんど残っていない。というような話は置いといて、アベを暗殺した山上を「在日」だと決めつけるアタマの弱い方々がいらっしゃいまして、山上だけじゃない、世間を騒がせた凶悪犯罪の犯人はみんな在日だと言うんだが、「日本人は悪いことはしない」「悪いことをするのはみんな在日」という、この素朴な信仰はどこから来ているのかね?ウイキペディアの日本人定義と分類日本人は、次のような幾つかの考え方により定義、分類が可能である。国籍による分類 - 日本国民地理的分類 - 日本国の領土に元来から居住してきた民族。大和民族(和人)、琉球民族、アイヌなど。民族的分類 - 日琉語族に属す言語を母語とする民族。先住民日本列島には蝦夷(えみし)や隼人(はやと)などの集団が居住していたが、ヤマト王権成立後は同化が進み、これらの集団が大和民族と呼ばれるようになった。日本政府はアイヌを『日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族』と認識している。概史モンゴロイドの一つ。旧石器時代または縄文時代以来、現在の北海道から沖縄諸島までの地域に住んだ集団を祖先に持つ。祖先はユーラシア大陸東部より複数回にわたって渡来。樺太を経由して北海道に至る北方ルート、朝鮮半島を経由する北西ルート、南西諸島などを経由する南方ルートなど複数の渡来経路が考えられる。 ★ ★ ★ どうも、「日本人教」が蔓延しているようにみえる。日本人教は、「日本人は常に正しい」と言って、間違えを揉み消し、闇に葬り、改善を怠る。 物質的解明に努力し、その背後の事実や法則や原理を究明し、物質的に解決していく理解力を放棄しているように思える。「日本人教」という馬鹿ウイルスが感染蔓延している。 ドラマの水戸黄門や犬HKの大河ドラマを信仰してしまうのは、理解力に乏しい「日本人」能力のなせる業かもしれない。現実と虚のドラマの違いがわからないのだろう。
2022年08月15日
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久しぶりに書く。巷はアホ元総理の死とその関連の統一教会と媚っとコロナウイルスで大騒ぎで、来るべき暗黒世界の闇の奥底感が押し寄せてくる今日この頃だが、まだ光が見えないわけではない。 媚っとコロナウイルスも、統一教会も同じ寄生体で、その強い感染力を防御するには、いずれにしろ宿主自身が強くなる必要がある。次世代の免疫力をつくればいい。毒を無毒化すればいい。 かつて古代ギリシアでは、健全な精神には健全な肉体が宿る、といわれたそうな。それが次の古代ローマになると、健全な肉体には健全な精神が宿る、と逆の意味になったそうな。 主から従に逆転してしまった。主従関係が逆転してしまった。 神がなぜ悪魔をつくったのか? その答えは、神が常に最善最強になるためであるらしい。 つまり神は最善最強であるために、自らに試練を課すために、悪魔をつくった、というのである。 寄生体は宿主がなければ存在しえない。 つまり、悪魔は神の存在がなければ存在しえない、のである。 正義は神にある。常に主にある。 要するに、正道、王道を常に歩め、ということである。 健全な精神を取り戻せば、宇宙の主の精神、宇宙は絶えず巡るが、常に主である、という精神に帰せば、寄生=従など恐れる必要はない。 精神が主で、物質=肉体は従なのである。 どんな人にも、闇の奥底に光がある。その光は、古から授かった神の光なのである。 神の光、それは叡智であり、その叡智は宇宙の至る所、地球の至る所、地獄の底にもあるものである。ただそれを活用する方法を忘れてしまったのである。 絶望の淵に神が現れる、という。 物質性を全て失ったとき、物質の死に遭遇したときに、神の光が現れる。 電子、素粒子をつくるのが神の光だからである。神の叡智なくしては何も存立しない。 だから人間の存在もその肉体を失ったときに、神の存立、土台を知るのである。 神の光に照らされた、ドッペルゲンガーの闇の自分、神の光を閉ざしていた自分の殻に出会う。 この自分の殻が神の光に焼かれるので、それが神の光とのコントラストを表出するので、殻が分厚いと、つまりエゴが大きいと、地獄の苦しみを味わう、のである。それをお釈迦様は煩悩と表現したのである。 この世での地位が高いほどそれは質量となるのでぶ厚くなるだろう。 寄生体は、宿主の質量が大きいほど、好んで感染するわけである。悪魔が悪魔を引き寄せる、のである。 重症化しやすいのは、基礎疾患を持つ人というが、それは健康的な生活を心がけていないからである。質素倹約や、文化がこの国では推奨される所以でもある。それは主たる自分の精神に正直に生きることである。 あらゆるこの世の宗教団体は解散すべきであるし、いずれ解散させられるだろう。神を信じるのなら、団体を作ること自体が私物なのだから。宇宙全てが既に神なのであり、そこに私的な団体をつくるのは、寄生であり、悪魔の行為で、神から離れる行為といわざるをえない。 自分で迷路をつくり、迷える子羊となる。 宇宙全体が既に宗教なのだから、その一部を使って、宗教をつくるのは私腹を肥やすことなのである。 お釈迦様が言った通り、生まれてきた時点で、天上天下唯我独尊、宇宙全ては只一つの神の行いに帰する、のであり、どんな団体も、神に返し、無に帰すべきである。 カルマの法則を知りなさい。自分が他者にした行為はいずれ自分に返ってくるし、今生でなければ、来世で返る。 カルマの法則が全てであり、神が悪魔をつくり、その悪魔を倒し、最善最強を成すのが宇宙の法則であるから、あらゆる宗教は滅ぼされるだろう。主たる神、自分のなかにある本当の自分だけを信じなさい、ということである。簡単にいえば、他人を利用して私腹を肥やすな、である。 十戒を守れ。十戒が宇宙の運営そのものだからである。 つまり、もう一度、原点に戻る時代なのである。令和というのは、そういう意味なのだろう。 さてそのような光の一つ、叡智の一つが、日本のアニメに感じられた。アニメは、アニマからきていると思うが、日本列島をアニメ化する時代なのかもしれない。 アニメは共通言語になるような気がする。物質文明の次は、アニメ文明のような気がする。 水瓶座の時代の言語に適しているような気がする。 マツコの知らない世界のアニメ聖地の巡礼をみて、アニメが世界言語になる可能性を感じた!
2022年08月06日
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