2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全9件 (9件中 1-9件目)
1
自我同一性〈A-1〉 アイデンティティ。人格における同一性。ある人の一貫性が成り立ち、それが時間的、空間的に他者や共同体にも認められていること。自己同一性のことです。以後I・Dとします。 I・D(+1)でようやく自我が統一されました。自我〈C-1〉とは、時間が経過しても自分は同一であるという意識、回りの世界と他人に対して自分が存在しているという感覚で、意識や行動の主体を指します。自我は時間の経過や種々の変化を通じて自己同一性を意識しています。 人気グループ EXILEのVocal ATSUSHIさんは愛の人でI・D(3)、同じVocal TAKAHIROさんも愛の人でI・D(3)です。 両者の声質がFeeling Toneで癒されるのもあるけれど、I・D(3)の身体から迸(ほとばし)る圧倒的な存在感はみごととしか言いようがありません。 本人は偉ぶるのでもなく謙虚ですが、心が自己主張しています。それが強いアイデンティティです。 プロ野球日本ハムのダルビッシュ投手[心の大きさ(1B)]、楽天の田中将大投手[心の大きさ(3A)]、彼らもI・D(3)です。揺るぎない自己が真のエースとしての自覚をもたらしています。 楽天の岩隈投手は[心の大きさ(1A)、I・D(-1)]で不安定なガラスのエースです。少し悪い材料が出れば崩れます。 大活躍中の巨人坂本勇人内野手は[心の大きさ(1B)、I・D(-1)] でまだ本物の強さではありません。勢いに乗っていますが、脆いです。 大リーグの松坂大輔投手は[心の大きさ(3A)、I・D(2)]です。3月のWBCで活躍していたときはI・D(3)でしたが、今少し自信を無くしているのでI・D(2)ですが、すぐに復帰活躍すると思います。 イチロー選手は[心の大きさ(1B)、I・D(-1)] と破壊霊の攻撃を頭蓋骨に受け自分を見失っています。現在の活躍は精神力〈D-29〉が強いからです。 サッカー全日本のFW岡崎慎司選手、遠藤保仁選手、MF田中マルクス闘莉王選手、海外で活躍の中村俊輔選手 輝いている人はI・D(3)です。
2009年05月31日
コメント(0)
鳩山由紀夫(1947年・昭和22年)衆議院議員(7期)。民主党代表(第2代・第7代)。鳩山一郎元首相[心の大きさ(1A)・ID(3)] は父方、ブリヂストン創業者の石橋正二郎[心の大きさ(2A)・ID(4)] は母方の祖父。総務大臣の鳩山邦夫[心の大きさ(1B)・ID(-3)] さんは実弟。 鳩山さんのアイデンティティを見ますと、誕生時はI・D(-3)で、5才からI・D(-1)になり12才までI・D(-1)です。 13才でようやくI・D(1)になりました。I・D(1)の状態がずっと続き60才になってI・D(3)になっています。小沢前代表とコンビを組んだ幹事長時代に随分と自信を付けたのでしょう。 全体を眺めてみてもアイデンティティの低下が見られないので、順風満帆の人生を送ってきたと言えます。でも平板な人生ゆえにご自身物足りなさが募っていると思われます。 I・Dの上昇は心が強くなり、振(ぶ)れない自己ができあがったので、鳩山さんにとっては望みの権力を手に入れるチャンス到来です。 鳩山さんは、愛の芽生えの無い人で、心の大きさは一貫して(1A)です。心の大きさ(1A)は視野が狭いですが、I・Dが(1)の時は一応自己確立していて、人の気持ちは分かるため視野は広くなっています。(視野は人間関係の状態を見る視野の広さのことです。) 鳩山新党首が以前から唱えていた『友愛』は、心の大きさ(1A)でアイデンティティ(1)では実のところ理解できていませんでした。 I・D(3)になってはじめて、以下の心が芽生えました。 忖度心〈C-9〉(そんたく)は、自分の身に比べて人の身について思うこと。他人の心中をおしはかることです。 気遣い心〈C-10〉あれこれと気を使うこと、心使い、気掛かり、心配なこと。 友愛心〈C-11〉兄弟姉妹間や友人に対するような親愛の情。親しみの感情。 丁寧心〈C-12〉注意深く心が行き届くこと。人を手厚く、大切に扱うこと。 気が利く心〈C-13〉(きがきく)その場に応じた適切な判断が素早く出来ること、心が行き届くことです。 以下鳩山新党首の心のクオリア集です。(カッコ内の数値はMaxです。)参考のため項目の後に○、×で評価してあります。 (1)政治能力〈S-1〉[3(5)] 人間集団における秩序の形成を行う、まつりごと。(○) (2)経済能力〈S-2〉[3(5)] 共同生活の基礎をなす財、金銭、生産、消費などを司る能力。(○) (3)政策立案能力〈S-4〉[3(5)] 政策の原案、または草案を作る能力。(○) (4)外交交渉能力〈S-5〉[1(5)] 国際間の取り決め、交渉をするために話し合う能力。(×) (5)危機管理能力〈S-6〉[1(5)] 不測の出来事が引き起こす危機や破局に直面したときに発揮できる能力。(×) (6)権謀術策意識〈S-7〉[1(5)] (5)は上手に臨機応変に深く計略、目論見、謀(はかりごと)ができる能力。(×) (7)統率力〈B-30〉[1(5)] 多くの人をまとめて率いることができる能力・リーダーシップ。(×) (8)人心掌握能力〈S-8〉[1(5)] 人心は人間の心、人々の心、民(たみ)の心です。(×) (9)教養力〈S-9〉[3(5)] 一定の文化を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識 (○) (10)静穏会話力〈B-39〉[3(5)] 強く主張してくる人に対しても、穏やかに話せるか。(×) (11)敬聴力〈B-40〉[3(5)] 会話中に人の話を聴くこと。人が話すことを納得できるまで聞いて理解する能力。(×) (12)権勢意識〈T-1〉[3(3)] 権力・勢力を求める気持ち。(○) (13)名誉意識〈T-2〉[1(3)] 誉(ほまれ)を求め、良い評判を得ようとする意識。(×) (14)国際感覚〈T-4〉[1(3)] 国と国との関係ほど複雑なことはないですが、各国の事情に精通していること。(×) (15)公衆道徳心〈T-6〉[3(3)] 社会生活をするうえで守るべき規則。公の秩序と善良な風俗(公序良俗)。(○) (16)時流察知能力〈T-8〉[1(3)]その時代の風潮・傾向を読みとる能力。流行に敏感な能力。(×) (17)社会情勢察知力〈T-9〉[1(3)] 社会情勢を敏感に感じ取ることのできる能力です。(×) (18)歓心力〈T-14〉[3(3)] (かんしん)は相手が何をすれば喜ぶか、何を望んでいるのかがわかること。(○) (19)雅心〈T-19〉[3(3)] (みやびこころ)は洗練された感覚を持ち、恋愛の情趣や人情などによく通じていることです。(○) (20)学識力〈T-22〉[3(3)] 学問を学ぶことによって得られた、物事を正しく判断・評価する力。(○) (21)質問力〈F-92〉[3(3)] 疑問点や理由を的確に相手に問い、回答を上手く引き出すこと.。(○) (22)拝聴力〈F-93〉[1(3)] (はいちょう)は人の意見を聞く態度で他人の言葉、意見を伝え聞くだけです。聴く事の謙譲語。(×) 余談ですが、現総理大臣の麻生さんも8年前までI・D(2)で輝いていましたが、4年前までI・D(1)3年前から現在までI・D(-1)と自分を無くしています。麻生さんの軸が振れるといわれますが、軸(自己)を無くしているのだからブレて当たり前なのです。 麻生さんは、行く先々でそこの雰囲気に合わせ、良いかっこします。その顔(意志)が統一されていないので、多くの人格を持つことになります。 親愛度〈B-43〉 その人のことが好きかどうかが心に現れる数値ですが、鳩山さんの小沢さんに対する親愛度(1B)で前党首小沢さんのことは本当は嫌いです。実弟の鳩山邦夫さんに対する親愛度も(1B)で彼を嫌っています。 岡田克也[心の大きさ(1B)・ID(-1)] 新幹事長に対する親愛度(3)で岡田さんのことは好ましく思っています。 岡田克也さんは金銭的にはブレないが、政策面ではブレる人です。自分を無くしています。 鳩山さんが『友愛』を説いて来たことで、鳩山さん自身を含め政治家に『愛』がないのを自ら表明してきました。 『友愛』ではなくて、『愛・思いやり』とすべきですが、鳩山さんのI・D(3)は心に芯ができたので、「国民の為の政治を」と思っているのは間違いないと思います。 I・D(1)のときは理性的な面がが少なく、感情的で人の好き嫌いも激しい人でしたが、I・D(3)になってからは理性が出てきて、落ち着いた風格が出ています。 但し、政権交代して総理になったとしてもリーダーシップは取れないし、穏やかな言葉で語りますが、対話能力は低く人の話を聴かないため、人は付いてこないですが、I・D(3)でじっかりとした自分をもっている人だから、適材適所に人員を配置できたなら充分活躍できると思います。雅心(みやびこころ)のある人なので、文化面に力を注ぐでしょう。 期待大です。
2009年05月30日
コメント(0)
呪詛力(じゅそりき)は、相手の精神を破壊するくらい強い破壊念を『虚害』として出す力。邪の強い精神力のことです。憎く思うものが良い運命をたどらないように、災いが起きるように想い願うことです。数値(5)の人は怨念が特に強く、生霊(いきりょう)・『虚害』を出す力の強い人です。(3)の人は怨念が強い人で『虚害』を出します。(1)の人は怨みの念を抱いても恨みが『虚害霊』としては出ない人です。普通は怨んでも害を出しません。 怨んでいる相手を陥れようと、『丑三ツの刻(ウシミツ・夜中の二時頃)神社の境内にて、白装束で頭に鉢巻きをし、なにやらブツブツ言いながらすごい形相でわら人形の額にクギを打ち付けている。』などというのは架空・虚構の世界のことだと思っていましたが、 釘打ち行為はしなくとも、実際にあるのですね。 破壊念 呪詛心の強い人が人のことを強く怨むとその思いが怨念となって、怨んだ人の頭蓋骨に憑きます。強力な『虚害霊』で、頭がボーッとして、集中力、思考力に欠き記憶力も弱ります。肺と横隔膜のエネルギーも奪うので、酸素不足を招きます。風邪を引いた状態が長く続き、体調も悪くなります。悪いことにアイデンティティも低下します。 怨心(おんしん)は怨念力・恨みの想い、恨みの一念を込めた力です。邪の精神力のことで、『虚害』となります。(3)は恨みの念が特に強く、怨念が『虚害』となり執念深く人に取り憑きます。(2)は恨みの念が強い人で『虚害』を出します。(1)は怨みの念を抱いても怨念が出ない人です。 怨心の強い人が出す怨念は、第四頸椎に憑いて首の自由度を奪い、頸椎の横を通っている迷走神経のエネルギーを奪い、横隔膜を硬直させて呼吸を浅くします。 嫌いな人が飼っている動物もその人と一体化しているので、動物にも憑きます。 惹心念(じゃくしん)は人の気を引くこと。心をこちらに向けさせ、感心を呼ぶことです。(3)は対象の人に面倒を見させるなど感心をこちらに向けるような念を出す人。この念が憑いたら、嫌いなのに、何故か気になる、いつもその人を気にかけるようにさせる。など。(2)は惹心の強い人です。(1)なら惹心念を出さない人です。 惹心念は後頭部に憑き、取り憑かれたならばその人のことが気になり頭から離れません。 「80才を過ぎた姑。認知症ぎみで、身体も弱っている。嫁いでから犬猫同然の酷い仕打ちを受けて、姑に対して恨みがあるはずなのに、どこにいても姑のことが心配で仕方がない。」 「彼氏からDVを受けて分かれようと決心しているのだが、彼に会えば何故か分からないが惹かれてしまう。一人でいるときに冷静に考えると彼のことが好きでもないのに。」 「実の母親ですが昔から気が合わず、嫌いと思っているのですが、なぜか気になる」などの状態が見られます。 支配念 支配は、ある者が自分の意志・命令で他の人の思考・行為に規定・束縛をくわえることで、そのものの在り方を左右するほどの強い影響力をもつ念です。(3)の人は支配念が強く、第一頸椎に取り憑いて『虚害霊』となって人を支配します。(2)の人も人を支配しようとします。(1)の人は支配念出しません。 取り憑かれると耳の下あたりが痛くなります。首と肩のこりが酷く、首の自由度が奪われます。 嫌忌念(けんき)は相容れないものとして拒否する。好ましくないものとして嫌う心。強い『虚害霊』で、人にダメージを与えます。(3)は人を忌み嫌う人です。身内、他人の区別無く自分の考えと違う人を嫌い、嫌忌念を出します。これが憑くと、頭蓋骨を冒し、頭をボーッとさせます。さらに横隔膜のエネルギーを奪い胃を堅くして胸をムカムカさせます。(1)は人のことを嫌いと思っても嫌忌念が出ない人です。 「大嫌い」という虚のエネルギーが頭蓋骨に憑き、頭をボーッとさせます。横隔膜のエネルギーも奪うため胃や肝臓の動きが鈍り、みぞおちの当たりがムカムカします。 人と話した後で気分が悪くなるのは嫌忌念を受けています。電話でも受けるし、人から愚痴を聞いた後でも胸が悪くなるのは、嫌忌念を受けたからです。 破壊念と比べると虚の度合いが弱いため、日にちが経てば自然に取れる場合もありますが、度重なると蓄積されます。 妄念(もうねん)は煩悩によって引き起こされる邪悪な想いや誤った考え。(3)は妄想が非常に強い人で、妄念となって人に取り憑きます。(2)は妄念の強い人です。(1)なら妄想していても念が出ない人です。 妄念は第一胸椎(首と肩の付け根のグリグリした大きい骨の下)取り憑き、肩を緊張させます。この念は腕をしびれさせます。 それにしても人間は恐ろしい動物というのが痛感させられます。亡くなった人の霊(地縛霊)のエネルギーは高が知れています。 生きた人の念(生霊・いきりょう)は人を破壊に導くほどのエネルギーがあります。 破壊念、怨念、支配念などが憑けばアイデンティティが下がり、悲観的な思考に支配されます。
2009年05月26日
コメント(0)
自我同一性〈A-1〉 アイデンティティ。人格における同一性。ある人の一貫性が成り立ち、それが時間的、空間的に他者や共同体にも認められていること。自己同一性のことです。自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念。辞書ではこう説明されます。 ところで自我とは何かといえば、英語でself ラテン語ではego(エゴ)。これも辞書によれば、認識・感情・意志・行為の主体を他人と区別していう言葉で、要するに自分らしさということです。 自我とはブッダの言葉といわれる「天上天下唯我独尊」、世界でたった一人の存在です。我々が生まれたときアイデンティティは(-5)で自分なんて何もない状態です。 天地創造以前の状態を「カオス」といいますが、まさにカオス・混沌(こんとん)です。 成長するにつれ自分が自覚されるようになってきます。『我』とは人間存在の事物の根底にある永遠不変の実体的存在です。 人により自我の芽生える時期は違いますが10才~18才までに自我が確立されます。 アイデンティティ(1)です。アイデンティティは誰にでもあるのではありません。アイデンティティができて初めて人間らしさが見られます。 また、すべての人に自我があるのかといえば、約50%の人に自我の芽生えが見られません。 我が強いと言われる人は自他の区別が出来ていないので、自我の無い人です。アイデンティティ(マイナス)の人です。 『心の理論』は、他者の心を推測することですが、心理学的な言い方では「認知」できる働きです。この場合の認知は、単に「あの人はこう考えている」という「一次的」なものに限らず、「別の人の考えを予想している、ある人の考えを推測できる能力」といったように、「二次的、三次的・・・n次的」な認知能力が想定されています。 自我が芽生えアイデンティティ(1)になって『心の理論』ができ、人の気持ちが分かるようになります。人の気持ちが分かるということは、自分と他人が区別できていることです。但し、人の気持ちが分かることと、思いやりのあることは別のことです。 心の理論では自分と一人の他人の関係で、その人の気持ちが分かる事を『第一次信念』といいます。 さらに、二人の他人を交えた三者関係で、他人Aが他人Bの事をどう思っているかを他人Aを通じて理解することを『第二次信念』と言います。 第二次信念は夫婦間の相談ごとを受ける場面を想定してください。相談相手の人間関係が分からなければ相談に乗れませんね。さらに夫婦間の子供が入って来る場合を『第三次信念』と言います。 この複雑な人間関係を読み解くのには、アイデンティティ(2)以上が必要となってきます。I・D(1)では第二次信念以上の関係を読み解くができません。人の考えが分かるというのはあくまでも一対一の関係での相手の考えが分かるということです。 アイデンティティ(1)は自我が確立されていますが、人格の向上には自我を越えた『超自我』が必要となります。 超自我は文字通り自我を越えることですが、自我が発展して、あるべき行動基準によって自我を観察し、自分の食欲、性欲、睡眠欲、など人に行動をおこさせる『欲動』を監視して、抑止的な態度をとるものです。 アイデンティティ(2)では超自我が見られます。理性にほかなりません。 理性の目覚めが本当の人間らしさをかたちづくります。愛がある人、愛の生まれつき備わっていない人、どちらもアイデンティティ(1)ならば、自我が目覚めたままでは自己中の人です。 自己中心性〈H-19〉は幼児の思考様式で、自己の視点を越えて考えることができず、物事を相対化したり、客観視できないことです。 愛が生まれついて備わった人は、アイデンティティ(1)ならば、思いやりはあるが、自己中心的で感情的な人です。 愛が生まれついて無い人のアイデンティティ(1)ならば思いやりが分からない人で、自己中心的で感情的になる人です。 愛が生まれついて備わった人は、アイデンティティ(2)以上ならば、思いやりはあるし、理性的な人です。 愛が生まれついてない人でもアイデンティティ(2)以上ならば、親切で、理性的な人です。 生まれたときはアイデンティティ(-5)で成長するにつれ(-3)(-1)となり、自我が確立して(1)になります。 先に挙げた信長の例でI・Dを細かく見てみますと、誕生時(-5)で、3才から8才までがI・D(-3)、9才10才が(-1)、11才で(1)になり自我が確立されます。19才まで(1)のまま推移して、20才で一気にI・D(3)になります。以後既報の通りです。 愛のある人は物質性よりも精神性を求めるのが優位になります。愛の分からない人は本質が物質的なので精神性を求める人もいます。 精神性はスピリチュアルです。スピリチュアルを求めるよりも自己確立のほうが大事です。 自己確立されたならば愛のある無しにかかわらず、人の気持ちが分かるようになるし、親切心も出来てきます。 アイデンティティ(1)で自己確立されている方が目指すのは、超自我の確立です。 「カッ」とするのをなるべく抑える。「自分を客観的に見る」訓練をする。 人格の向上は理性の目覚めですね。理性があればなにも怖くないです。 自分探しの旅に出ている人は、一度自己確立した人です。その後に『虚害霊』などが憑いて自分を無くしてしまったのですが、自分が分からなくなったのだからいつまで経っても自分というものが分からないです。 もともと自我の無い人は自己探ししません。自分は何なのかと思わないですね。無いものに疑問を感じませんね。
2009年05月19日
コメント(0)
教科書が教える歴史が表の歴史としたならば、怨霊(おんりょう)は教科書が教えない裏の敗者の歴史といえます。 無実の罪を着せられて遠島(しまながし)や刑死などで権威や権力の中枢から排除された人たちが恐ろしい怨霊となって祟(たた)り、生前の恨みをはらす。 日本は鎮魂の国です。実際怨霊に祟られたと感じた人たちによって鎮魂が行われ、多くの神社が建立されています。 「失意の中で命を落としたものが怨霊となって、罪を着せた者やその縁者に祟るのは事実である」という構図が世の中にあるため怨霊は事実として社会的に認識されます。 追い落とした側の権力者たちは死者の怨念に怯(おび)え、その鎮魂のために膨大な資金と労力をつぎ込みます。 病気や不幸なことが重なれば、亡くなった人の恨みがそうさせていると考えるのが順当なことと思われます。 『続(しょく)日本書紀』などによれば、長屋王[ながやのおおきみ(684~729)] 早良親王[さわらしんのう(750~785年)(桓武天皇の弟)] 菅原道真[845~903] 平将門[たいらのまさかど903~940] 崇徳天皇[すとくてんのう1119-1164] 後鳥羽天皇[1180-1239] などが怨霊となって後の人に祟り苦難を与えているとされます。 特に崇徳天皇の祟りには凄まじいものがあり、次代の後白河天皇は崇徳天皇の鎮魂に全力を尽くしています。権力闘争なので、倒すか倒されるかになり、追い落とす方も必死でしょう。 権力闘争に勝利して、美酒に酔うまもなく回りに不幸が連続して起きたなら、酷いことをしたと身に覚えがあるだけに、「この災いは死者の怨念のせいだ!」と思うのも当然のことでしょう。 しかし、死者の怨霊があるにせよ、生きている者の怨念に勝るのはありません。 呪詛力や怨心の強い人が強い恨みを出せば、破壊霊や、怨念となり恨みの対象に憑きます。 怨霊の元とされている方々の呪詛力エネルギーを鑑ますと、 呪詛力〈G-11〉(じゅそりき)は、相手の精神を破壊するくらい強い破壊念を『虚害』として出す力。邪の強い精神力のことです。憎く思うものが良い運命をたどらないように、災いが起きるように想い願うことです。(5)は恨念が特に強く、生霊(いきりょう)・『虚害』を出す力の強い人です。(3)は恨念が強い人で『虚害』を出します。(1)は怨みの念の弱い人です。 長屋王[呪詛力(3)]、早良親王[呪詛力(3)]、菅原道真[呪詛力(3)]、平将門[呪詛力(1)]、崇徳天皇[呪詛力(3)]、後鳥羽天皇[呪詛力(3)] 平将門の呪詛力(1)なれど怨心(3)は強いです。 怨心〈J-80〉 (おんしん)は怨念力・恨みの一念を込めた力。邪の精神力のことで、『虚害』となります。 呪詛力は念のレベルが格段に強く、怨心は呪詛力よりは弱いといえども『虚害霊』なので身体を蝕みます。 呪詛力は破壊霊で頭蓋骨に取り憑き思考力、集中力、記憶力、行動力、気力を奪います。頭が常に重たい感じがします。 怨心からの怨念は第四頸椎に取り憑き迷走神経などを冒し、肺、横隔膜のエネルギーを奪い血液の酸素交換能力を低下させます。 脳への酸素供給を弱め、平地にいながら高山病にさせます。頭痛、吐き気、集中力、思考力、息切れ、運動能力・行動力の低下となって現れます。 迷走神経は首で交差して全身の内臓をコントロールしています。女性の怨霊は左側に、男性の怨霊は右側に憑くので、女性の怨霊が憑けば肝臓、男性のが憑けば胃、腎臓などの機能を低下させます。 なお余談ですが、破壊霊や怨霊は機械には映らないから、MRIなどで脳や内臓を精査しても絶対にわからないですよ。 30才よりアイデンティティー(5)になった信長には以下の能力が身に付きリーダーシップを発揮するようになります。 政治能力〈S-1〉 人間集団における秩序の形成を行う、まつりごと。 外交交渉能力〈S-5〉 国家間の取り決め、交渉をするために話し合う能力。 危機管理能力〈S-6〉 不測の出来事が引き起こす危機や破局に直面したときに発揮できる能力。 人心掌握能力〈S-8〉 人心は人間の心、人々の心、民(たみ)の心です。 心の大きさ(1B)でアイデンティティー(5)の信長は仮性人格者であると前に述べましたが、人の気持ちがわかり、以前よりは親切になったとはいえ、思いやりは分からない人でした。 自己中で、人を支配し、感情的な面も残っています。 鎌倉時代より武人は国統一の象徴として朝廷・天皇を大事にします。信長も例外ではなく正親町天皇は丁重にあつかいますが、天下統一するには室町幕府の将軍足利義昭[心の大きさ(1B)・ID(1)]は邪魔な存在となっています。 将軍義昭は自分に対して非礼な信長への怨念は強く、全国の主要大名に対し再三再四信長追討の命令書を送りつけています。 信長35才の永禄12年(1569年)、足利義昭の将軍としての権力を制限するため、「殿中御掟」9ヶ条の掟書、のちには追加7ヶ条を発令し、これを義昭に認めさせました。しかし、これによって義昭と信長の対立は決定的なものになったのです。 怒りを増した将軍義昭はそれでも信長追討の令を全国の大名に発し続けます。 業を煮やした信長は義昭に圧力を加え退位をせまり、念願適って信長39才の天正元年(1573年)に義昭追放に成功します。 足利義昭の呪詛力(3)と強く、その怨念は信長36才のときに信長の頭蓋骨に破壊霊として取り憑きます。(もちろん、義昭本人は怨念を出しているなどとは露ほどにも思っていないです。) 信長39才のとき、義昭の破壊霊が信長の人格を破壊し始めます。というより39才でアイデンティティー(1)になり、心の大きさ(1B)の自己中で、人を支配し、攻撃的な本来の『うつけ』信長に戻ってしまいました。 闘争心〈G-5〉相手とたたかい、争う心。負けん気。 攻撃心〈G-6〉相手を進んで攻め討つ、攻撃する強い気持ち。 怨恨意識〈G-8〉(えんこん)うらみ、にくしみの感情。 支配意識〈G-9〉自分の意思・命令で他人の思考・行為を束縛し、他人を支配しようとする。 傲慢意識〈I-38〉(ごうまん)おごり高ぶって、人を見下す意識。 感情失禁性〈J-82〉 自分の感情をコントロールすることができるか否かのこと。 尿失禁は尿をもらすことですが、感情失禁は感情が漏れっぱなし、つまり激情家を表す言葉です。気に入らないことが少しでもあれば、激怒します。 自分を見失った信長がいます。当然の事ながら政治能力、外交交渉能力、危機管理能力、人心掌握能力などリーダーシップを取るに必要な能力は消え去ってしまいました。・・・・・明智光秀の本能寺の変に続きます。
2009年05月16日
コメント(0)
信長の生来持っている気質の優れているのは以下のようなところです。 企画力〈D-53〉 ものごとの計画を立てる能力に優れている人です。 営業力〈D-57〉 財産上の利益を目的とした活動、いわゆる商(あきな)いのできる能力。 決断力〈E-58〉 ものごとを種々の考察のうえできっぱりと決めること。 組織力〈E-59〉 繋がりのない個々のものを、まとめ上げる能力。組織をまとめる能力。 機転力〈E-64〉 物事に応じて機敏に、咄嗟(とっさ)に変更できる能力。 向上心〈E-67〉 より優れた状態を目指そうとする心。 気概心〈E-68〉 困難にくじけない強い意気・心持ちです。 念願力〈E-69〉 心に願う事。必ず実現するとの思い。 挑戦心〈E-70〉 チャレンジ精神。 しかし、心の大きさ(1B)I・D(1)は闘争心強く、自己中心的で人を支配するのは仕方がありません。世間のうわさ通りの『うつけ者』でした。 信長のI・Dが(3)になる契機は信長19才のとき、 天文22年(1553年)、信長の教育係であった平手政秀[心の大きさ(2A)・ID(3)]が自害したことです。これは、奇行が目立つ信長を諌めるための諫死であったと言われています。信長は嘆き悲しみ、沢彦和尚を開山として政秀寺を建立し、政秀の霊を弔いました。この出来事をきっかけにして信長の向上心にスイッチが入り、「政秀のためにもしっかりせねば」と性根を入れ替えたのだと思います。 翌20才で信長のI・D(3)となり、 思慮分別心〈C-16〉 (しりょふんべつ)注意深く考え、わきまえること。 責任感〈C-17〉 任務(責任)を重んじてそれを果たそうとする気持のことです。 自 信〈D-30〉 自分の能力や価値を確信して信じて疑わない心です。 適材適所力〈E-65〉 人材を上手に使いこなせるか。などが発現されます。 そして、何より良いところは理解力〈C-12〉が備わり、人の気持ちや立場がよく分かるようになったことです。その結果、闘争心は抑えられて、自己中心的でなくなり、人を支配するのを止められたことです。精神性・人格が向上します。 信長26才のとき、永禄3年(1560年)桶狭間へ4,000人の軍勢を整えて出撃し、今川軍の陣中に強襲をかけ、総大将の今川義元を討ち取ったりして自信をつけた信長は30才でI・D(5)と絶頂を迎えます。 永禄10年(1567年)、斉藤道三の息子、斎藤龍興を伊勢国・長島に敗走させ、美濃国を手に入れました。 こうして尾張・美濃の2ヶ国を領する大名になったとき、信長は33歳でありました。このとき、井ノ口を岐阜と改称しています。 また、この頃から『天下布武』の朱印を用いるようになり、本格的に天下統一を目指すようになりました。信長が22才のときに権勢欲がでていますが、いよいよ念願の天下統一に向けうごきだします。 I・D(5)では優れた人格者の様子が見られます。 気遣い心〈C-9〉 あれこれと気を使うこと、心使い、気掛かり、心配なこと。 丁寧心〈C-10〉 注意深く心が行き届くこと。人を手厚く、大切に扱うこと。 気が利く心〈C-11〉 (きがきく)その場に応じた適切な判断が素早く出来ること、心が行き届くことです。 親切心〈X2-18〉 人情に篤く、真心(まごころ)があり、心使いがこまやかで配慮の行き届いていること。 信長本来の資質に加え、人への心遣いや配慮ができるため人が集まります。 人望が出来てきて、おのずから統率力〈B-30〉 多くの人をまとめて率いることができる能力・リーダーシップ。 が発揮されます。 戦国時代は自由に主君を選ぶことができるため、将たるためには人望が大切な要素になっています。人格が低ければ、自分が仕える値打ちがない人と見なし、力のある武将などはすぐに離反していきます。 忠誠心は江戸時代に説かれたのであって、戦国時代は己(おのれ)の力量をためすべく、自分の力を発揮させてくれる人を大将とする風潮・時代です。 信長がリーダーシップを発揮できたのは、領土を分け与えるなど気前がよかったり、戦が上手だからではなく、また人を使うのがうまかっただけではありません。 その人の力量を見抜き、力を存分に発揮させる器量がある、優れた人格者だったからです。少なくともある期間だけですが。 信長は、20才から38才までの18年間I・Dの向上が見られるものの、心の大きさが(1B)のままだから『仮性人格者』でした。 ・・・・続きます。
2009年05月12日
コメント(0)
アイデンティティー(I・D)は自己同一性を表しますが、自己同一性とは、自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念で、自我同一性(じがどういつせい)ともいいます。I・Dの数値はMax5です。 人間は社会的な動物である以上、人間を大切にして生きることは当然のことです。自分も他人から大切にされているのだから。 自他の両方が栄えて社会が成り立つのなら、真の人間愛は、社会全体の共存共栄を願う博愛でなければなりません。 愛とは思いやりです。生まれついて愛のある人には思いやりがあります。気配りもできるし、忖度心(そんたくしん)もあります。生まれついて精神性が高いと言えます。 ※慈愛心〈X1-1〉 慈はいつくしむこと、恵み深いことで、愛情が深くあたたかな心、思いやり。 ※思い遣り心〈X2-20〉 思い遣りは親切心です。相手の身を思い、それに親切心が入ることが「思いやり」です。 ※配慮心〈X2-19〉 不具合がないようにあれこれ気をつける、気くばり、目配せ。 ※忖度心〈C-8〉 (そんたく)は、自分の身に比べて人の身について思うこと。他人の心中をおしはかることです。 愛ある人の多くは、一部の愛無き人に翻弄されて心が傷つき折れています。心が折れるということはアイデンティティーI・Dが無いことだから、愛が発揮されません。 自分の殻に閉じこもり、他人への思いやりどころか、人嫌い・離人症になる人もいます。 ※離人意識〈H-13〉(りじんいしき)自分の生活圏があまりにも脅威と感じられる場合、他の人を、感情が無く反応しない物であるように見て、具体的な存在感、生命観を失くして、外部世界を自分とは関わり合いのない世界にしてしまうことです。 愛のある人たちの課題は、精神性の向上ではなくて、自己の確立です。少しでもI・Dが上がれば元々ある思いやりが発揮できるようになります。I・Dは自信です。 愛の備わっていない人のI・Dが確立されはじめて(2)になったときには心・人の気持の理解力が現れ、人に対して気を使うことができて精神性が向上します。 ※理解力〈C-12〉は人の気持ちや立場がよく分かること。気持理解力です。 ※気遣い心〈C-9〉 あれこれと気を使うこと、心使い、気掛かり、心配なこと。 さらにI・Dが確立されてきて(3)になれば、心が回りに行き届くようになります。 ※気が利く(きく)心〈C-11〉その場に応じた適切な判断が素早く出来ること、心が行き届くことです。 そしてI・Dが(5)になれば、人に親切になり、人を大切にできます。 ※親切心〈X2-18〉 人情に篤く、真心(まごころ)があり、心使いがこまやかで配慮の行き届いていること。 ※丁寧心〈C-10〉 注意深く心が行き届くこと。人を手厚く、大切に扱うこと。 愛無き人々の課題はひとえにI・Dの確立です。親切心、人を大切にできるからです。 織田信長[心の大きさ(1B)]は、天文3年(1534年)5月12日、尾張国の戦国大名・織田信秀[心の大きさ(2A)・ID(3)]の次男として、勝幡城で生まれました。 信長のI・Dの様子は誕生から15才までが(1)で、 20才にI・D(3)になります。30才からI・Dが(5)になり38才まで(5)のままでいます。 30才で人格ができてこのままいければいいのですが、39才からI・Dが(1)に急落し、せっかく出来た人格が破壊されてしまいます。 信長へ取り憑いた怨念が人格を破壊していきます。 怨念の主は、一向宗・本願寺の顕如(けんにょ)[心の大きさ(1B)・ID(1)] 正親町(おおぎまち)天皇[心の大きさ(1B)・ID(1)] 時の将軍足利義昭[心の大きさ(1B)・ID(1)] の三人です。 彼らの呪詛力、怨心強く、精神を破壊するほどの念力があります。 ※呪詛力〈G-11〉(じゅそりき)は相手の精神を破壊する程の強い念を『虚害』として出す力。邪の強い精神力のことです。 ※怨心〈J-80〉(おんしん)は怨念力・恨みの一念を込めた力。邪の精神力のことで、『虚害』となります。 呪詛による破壊念は頭蓋骨(ずがいこつ)に取り憑き、思考力・視野を狭めていき、怨念は第四頸椎に取り憑き、迷走神経を冒し、横隔膜、肺のエネルギーを損ない呼吸を浅くし、脳への酸素供給力を弱めます。平地にいても高山病の症状がでます。(頭痛、思考力鈍麻、集中力欠如など) 以後これらのこと詳しく述べていきます。
2009年05月11日
コメント(1)
愛のある人は精神的な成長が早いというよりも、生まれ持って精神性が高いと言えます。愛は思いやりですから、かなり若いときから強い自己主張もせずに、怒り、哀しみなどを抑えて生きていきます。 回りに自己中の人や、支配する人が多いために、思いやりが通じない場合が多く、心が折れてしまいます。 愛のある人は人への思いやりが優先で、怒りを外に出すのはオトナの態度ではないと、怒りなどの感情をなるべく出さないようにします。そのために、怒らないいい人と思われています。 精神性とは知性的〈F-111〉な、理性的〈A-14〉な心の動きをいいますが、理性的な心とは、感情的な欲求に左右されず、思慮的〈C-13〉に行動することです。 精神性が高いとは、感情に左右されずに理性的な態度の取れる人のことを言います。 では愛がなければ精神性の向上は望めないのか、『愛がすべて』なのかといえば、親がいなくても子は育つではありませんが、愛が無くとも精神的な成長は望めます。 心の大きさ(1)〈A-6〉はものの見方・考え方が子供っぽい人です。(1B)の人は自己中心的〈H-18〉で、人を支配〈G-9〉します。感情を抑えることが難しいため、怒りなどの感情をすぐに出してしまいます。 人からの愛・好意を受け取るのみで、人を思いやるということが分からないので、どうしても自分中心的になってしまいます。 愛されることを求めているので、人から認めて欲しいという承認欲求〈J-66〉が強く表れています。 子供の特徴は感情的なところです。自分を抑えるスベをしりません。だから感情的なオトナの人をコドモと言います。 子供の行動をよく観察してみると、人それぞれに対しての接し方が違うのがお分かりいただけると思います。母親に対する態度、父親に対する態度、また友達への接し方でも、好き嫌いによってさまざまな行動を取ります。 人格が統合されていないので、子供にはたくさんの人格が見受けられますが、同じように大人のコドモの人も多重人格と言えます。これはアイデンティティー〈A-1〉が確立されていないからです。自分が何者か分かっていないので、多くの人格が出てしまいます。 彼らにとっては、今言った言葉が重要で、昨日言ったことは昨日の人格の言ったことなので責任が持てなく忘れています。「今言ったことと、昨日言ったことが違う!」のはこのためです。 コドモの人は今の人格と数時間前の人格とは全く違う言動をしますが、彼らにとっては全て正しいのです。なぜなら彼らには多くの人格があるから。 オトナへの道は「感情を抑えること」から始まります。コドモの人にとって感情を抑えるのが難しいのは、感情を抑えることが強いストレスになるからです。 ある程度歳を取った人が感情を抑えることは無理かと思われますが、20代~30才代の方なら可能かと思います。 精神性の向上は感情を無理なく、ストレスにならないように抑えることが必要です。 次に、愛のない激情の人・織田信長がいかにアイデンティティーを確立していったかを見ていきます。
2009年05月09日
コメント(0)
自我意識〈C-1〉とは、時間が経過しても自分は同一であるという意識であって、社会と他人に対して自分が存在しているという感覚です。意識や行動の主体である自分のことを指します。 自我は普通5才頃に確立されます。5才になれば自分というものを意識し始めます。 一方、アイデンティティーは、人格における同一性を表し、ある人の一貫性が成り立ち、それが時間的、空間的に他者や共同体にも認められていることで、自我同一性〈A-1〉のことです。 自分は何者であり、何をなすべきかということが個人の心の中で理解できている人をアイデンティティがあると言います。 子供にはアイデンティティーがなくて、大人になればアイデンティティーができてくるのかと言えば、そうでもなく、大人になってもアイデンティティーが確立されてない人がたくさんいます。 アイデンティティーはエネルギーを見る場合の基本です。何故ならば、アイデンティティーのエネルギー値が最高を示すからです。これ以上高い数値のエネルギーはありません。人間はアイデンティティーから始まります。 心の強さ大きさなどもエネルギーで表せますが、アイデンティティーがある程度(実際の数値は3)以上なければ心のエネルギーが出ません。 つまりアイデンティティーが低い人には心が無いのです。心が無ければ自分中心の性格になるし、怒り、恨みなどの感情を抑えて、自分をコントロールすることが出来ず、世の中のことを自分の思い通りにさせようと、人を支配するように持っていきます。 物をかたづけていない様を乱雑といいますが、アイデンティティーが低く、自我が統一されていないと、わずかな心のかけらが集まった人になってしまいます。これを乱雑心〈J-76〉といいます。心がちらかっています。 自分というのが自分でも分からないため、今言ったことと、昨日言ったことや数時間前に言ったことが違うのは心が乱雑だからです。本人的には今言っていることが一番正しいのです。前に言ったことはすっかり忘れていますが、こういう状態の人を多重人格者といいます。 世の中には実にたくさんこういう人がいます。 前回の「『愛情』とはなにか、その成り立ちについて」で述べたように、愛情という感情は誰にでも授かるのではなく、人間の約60%には生まれついて愛情が授かっていません。 では、愛のない人は心がないのか? いいえ、人は自我同一性・アイデンティティーが確立されたならば心が芽生えます。愛が無くとも人に親切になれるし、気配りもできます。 アイデンティティーを確立させないのが『虚害霊』です。その中でも『怨念』が一番タチが悪いです。 生まれついて愛のある人は早くから心が芽生え、アイデンティティーも確立されますが、『虚害霊』によってアイデンティティーが崩されます。自分が誰だか分らなくなっています。 愛のない人に『虚害霊』が憑けば、アイデンティティーを育たなくしてしまうため、生まれたままの乱雑な心で歳をとってしまいます。 自己中で、自分勝手で、責任をとらない、子供の性格のまま一生を終えていきます。
2009年05月02日
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1