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京都の桜です。上は琵琶湖疏水の桜。満開でした。琵琶湖疏水を行く「十国船」。観光客でいっぱいです。平安神宮前の公園にあった「八重紅枝垂桜」。見事です。「散るさくら 残るさくらも 散るさくら」(良寛和尚)今年の桜のシーズンも、東京以西は終わりですね。
2013年04月10日
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春真っ盛りの京都へ行ってきました。東京から片道450キロのドライブです。まず向かったのが、京都のはずれにある大原の寂光院。山里の大原にある古刹です。このお寺は、平清盛の次女で、高倉天皇の中宮だった建礼門院・徳子のお墓があることで知られています。壇ノ浦の戦いで平家がほろんだ時、子供の安徳天皇と入水しますが、徳子だけは源氏に救われ、洛北の山里にあった寂光院に庵を結び、一族の菩提を弔いながら生涯を終えます。上の写真が徳子のお墓。宮内庁の管轄になっていて、柵に囲まれ近づくことができません。格子の間から見たところ五輪塔ではないかと思います。徳子が生きていた時代は淋しい里だったに違いありません。上は大原の里。ここには後鳥羽天皇陵、来迎院、三千院などの古刹があります。「大原女(おおはらめ)」は、この里から黒木や木工品を頭の上にのせて、京都市内まで売りに来たのですね。
2013年04月08日
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昨日、取材で栃木県は日光の中禅寺湖のほとりにある、水産試験場まで行ってきました。東京を出るときは曇り。東北自動車道を走っていると時々、雨。日光の中禅寺湖に登る「いろは坂」を登っているときは、次第に霧が深くなり、先も見えないような状態でした。写真は霧に覆われた中禅寺湖。霧が薄くなった瞬間に撮影しました。まだ、解禁をしていないので釣り人の姿はないし、冬枯れの閑散とした風景でした。道路のはじには雪が残っているし、まだまだ冬の装いです。時間があったので、日光二荒山神社中宮祠を見学。写真はカメラのレンズが曇っているわけではありません。濃霧に覆われているのです。拝殿の前には大蛇の「ゆるキャラ?」が安置されていました。男体山の神が姿を変えたのが大蛇、赤城山の神が姿を変えたのが大ムカデ。大蛇と大ムカデが戦ったのが「戦場ヶ原」です。チョークストリームの湯川が流れていて、フライマンには良く知られた川です。戦った結果、勝ったのが大蛇。それで「勝利の大蛇」と呼ばれています。この大蛇には「金運・勝運・健康・良縁」にご利益があるというので、しっかりとお願いをしてきました。
2013年03月26日
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東京都の中央区や江東区の境を流れる隅田川。この川の最下流で築地と月島の結んでいるのが勝鬨橋です。小生が小学生のころ、遠足で勝鬨橋が開閉するのを見に来たような覚えがあります。勝鬨橋は跳開橋としては、東洋一の規模を誇り、1000トンクラスの船舶が、東京湾から隅田川の遡るとき「ハ」の字型に開閉しました。開くときは橋の運転室付近に取り付けられている信号が赤になり、約20分間、市電も車もストップしなくてはなりませんでした。勝鬨橋は、昭和15年に竣工して以来、終戦を越えて昭和45年まで開閉していました。しかし、昭和45年11月29日の開閉を最後に、開くことはなくなりました。勝鬨橋は晴海通りに架けられていて、ひっきりなしに車が往来しています。開閉する部分の先端に立っているときに、大型車両が通過すると、かなりの揺れが伝わってきます。勝鬨橋の築地側の橋詰に変電所の建物を利用した「かちどき橋の資料館」が設けられています。上の写真は資料館のなかにある勝鬨橋の100分の1の模型で、ボタンを押すと橋が開きはじめ、汽船がくぐっていきます。良くできた模型です。ガイドさんの案内で、橋の下の機械室に入ってみました。テニスコート1面の広さ、高さ9メートルの大きな空間があります。床は隅田川の水面よりもかなり下です。橋が開くと、このスペースに面さ1100トンもの「カウンターウエイト」という巨大な重りがおりてきて、トラニオン軸を境に橋の先端が開閉します。写真はモーターの歯車と、カウンターウエイト側の歯車がかみ合っているカットです。モーターが回り始めると、歯車が回転しカウンターウエイトが下がり始め、それとともに橋が開く仕組みになっているわけです。写真は橋の下から隅田川を行く遊覧船を撮ったカットです。船の中の人と一瞬、目があった時、「どうしてそんな所にいるの?」「どうやって入ったの?」という顔をしていました。勝鬨橋をもう一度開けてほしいという要望がたくさんあるそうですが、交通事情や機械の老朽化で、ほとんど開く可能性はないそうです。しかし、電気を通して、設備のメンテナンスを行えば、動かすことは可能だといわれていますが、相当の経費が掛かるそうです。
2013年03月24日
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下の写真の魚は鯉ではありません。ニジマスのアルビノです。約40センチはあるでしょうか。アルビノといっても、肉や味は普通のニジマスとは何の変りもありません。アルビノのニジマスと普通のニジマスを掛け合わせると、必ずアルビノが生まれます。つまり、遺伝子的にアルビノの方が優勢なんですね。しかし、食べる気がしないのは何故なのでしょうか?
2013年02月18日
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先日、仕事で富士山の山麓まで行って来ました。写真は、標高約750メートル付近の麓から撮影したものです。道路には先日、降ったばかりの雪が残っていました。東名高速などを走っていて、前方に富士山が遠望できると、思わず「おお!」と声がでてしまします。それだけ端麗な姿で、美しいのでしょう。しかし、近くで見ると、なかなか厳しい山容が伺われます。今年か来年には、世界遺産に登録される可能性もあるといわれていますが、はたしてどうなるのでしょうか。またまた、富士山の爆発も推測されています。独立した嶺で、遠方から見た時、これほど姿が美しい山も世界的に珍しいので、できることならいつまでも楽しませてもらいたいものですね。
2013年01月29日
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フライマンにとって、もうすぐ渓流釣りが解禁になります。きっと、今シーズンの準備でフライをタイイングしているフライ・フアンも多いことと思います。小生もストックしておいたドライ・フライが少なくなってきたので、早く準備をしなければ、と思いつつ、まだ取り掛かれずにいます。写真は今月22日に発売になったばかりの『フライロッダーズ』3月号です。特集では解禁日に使いたい、有名フライマンたちがお勧めするフライの数々が、たくさん紹介されています。ところで、この号から小生が「未来のフライフィールドについて考える」という連載を始めました。第一回のテーマは「内水面の釣り場の法律と規則」です。昨年の暮れに農林水産庁の釣人専門官と内水面調整担当のお二人に、「漁業権」の話や「都道府県漁業調整規則」の話、はたまた全国にある漁業協同組合の権利と義務、そして渓流で釣りにするには、なぜ遊漁券を買わなくてはならないのか、など釣りに関する法律や規則についてインタビューをしてまとめた記事です。釣人専門官のNさんは、九州の出身で子供のころから釣りに親しんできました。九州で農林水産庁の役人になり、九州、東京、北海道と転勤し、数年前に霞が関の本庁勤務となった人です。Nさんは「子供のころ釣り券の存在すら知らなかったし、この部署にくるまで、なぜ遊漁券を買わなければならないのか分からなかった」と言っていました。内水面漁場は、再生産能力が低いので、獲るままではすぐに枯渇してしまいます。渓流魚も大切な資源です。それが枯渇しないように再生産の手助けをしてあげなければなりません。それには費用がかかります。そこで釣りを楽しむ人は相応の負担をしなければならない、というのが根本の考え方です。そんなことは知っている、という人が多いのでしょう。では、徴収されたお金は、どのように使われているのでしょうか?そんなもろもろの話を書いてあります。興味がありましたら、ご一読を……。
2013年01月22日
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プロレスといえば、テレビの送信が始まった子供のころ、力道山が活躍する試合に心躍らせたものですが、それ以来あまり見ることもなく、心躍らせることも少なくなりました。しかし、大学の同好会にもプロレス愛好会などがあったりして、根強いファンは多いようです。そんなプロレス・ファンが行くお店が、我が家から歩いて15分くらいの世田谷通りにあります。その店名も「麺ジャラスK」。この店名は「デンジャラスK」をもじったようで、「デンジャラスK」といわれたプロレスラーの川田利明さんのお店なのです。厨房では毎晩(夜しか営業していません)、川田さんが腕を振るっています。この店はラーメン店ではありません。唐揚などいろいろな酒の肴があるので、居酒屋にラーメンもあるというのが正解でしょう。上の写真は醤油ラーメン(700円)で、いろいろな種類のラーメンがあるなかでも、一番シンプルなラーメンです。チャーシューにシナチク、スライスしたタマネギが入っているので、ややスープが甘い感じですが、ストレートの中太麺と良くマッチしています。サッパリ系の東京ラーメンが好きな小生ですが、なかなか美味しくいただきました。
2013年01月21日
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富士山は、やはり日本一の山だという気がします。上の写真は、我が家から近い世田谷の不動橋から見た富士山です。今の時期、富士山の向こう側に夕日が沈むので、シルエットになってよく見えます。昼間、富士山に雲がかかっていなければ、真っ白な高嶺も眺めることができます。「あばたもえくぼ」で、富士山はそばまで行くとごつごつして不細工ですが、遠くから眺めると実に優麗な美人に見えますね(^―^;
2013年01月16日
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昨年の12月に、世田谷区保健センターで胃ガン検診を受けました。そうしたら12月も末になって「胃と食道と十二指腸に異常があるので、早めに内視鏡検査を受けるように」との通知がきた。そこで正月明け早々の7日に、近くの総合病院で胃カメラを飲んできました。胃カメラを飲むのは、これで三回目です。そのうち一回は全身麻酔だったので、気が付いたらすべて終わっていて、非常に楽ちんでした。あとは通常の口から飲む方式なので、これが苦しい。まして、小生は胃カメラを飲むのが下手くそなのです。人の気も知らないで、遠慮なくグイグイといれられ、苦しいので全身に力が入ってしまいます。すると若い女性の看護師さんが、横になっている小生の背中をさすりながら「力を抜いてくださいね」と、優しいお言葉。若い女性に背中をさすられる、なんてことはめったにありませんから嬉しかったね(^―^)。で、結果ですが、食道も胃も、十二指腸にもな~にも異常はありませんでした。医師は撮影した画像を見せてくれながら、「大丈夫ですね。きれいです」と、、、。正月中、胃に負担をかけて悪化させてはいけないと、お酒も節制していたのに、肩すかしをくらってような気持でした。でも、これで安心して、またお酒を楽しむことができます。よかった、よかった、、、、。
2013年01月10日
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2013年 元旦明けましておめでとうございます。元旦は久しぶりに、良い天気の穏やかな一日でした。早くも松の内は終わろうとしています。7日から普段通りの生活に戻らねば、と思っておりますが、なかなか正月気分から抜けきれないかもしれません。この二日に用事で富士市から身延町まで行ってきましたが、帰りは新清水から新東名高速に乗りました。御殿場を過ぎて大井松田までは順調でしたが、大井松田から海老名SAまで、なんと60キロの大渋滞。これまで、東名高速では何度も渋滞に遭遇していますが、60キロの自然渋滞は初めての経験でした。普段なら新清水から用賀まで、1時間半もあれば行ける距離なのに5時間もかかってしまったのです。年明け早々、初めての出来事を体験するとは、小生に取って今年は良い年になるのか、波乱の多い年になるのか、少々、気なるところです。まあ、そうは言っても、とにかく明るい良い年になることを願うばかりです。本年もどうぞよろしく、お願いいたします
2013年01月06日
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昨日、某出版社で日本最大の部数を誇っていた月刊誌の編集長をされていたYさんと、久しぶりに新宿で飲みました。Yさんとは40年来の友人で、現役の時は月に2回の飲み会を欠くことはありませんでした。で、話題になるのは、病気と不健康と、酒がめっきり弱くなったという話ばかり。まあ、四捨五入すれば、お互いに古稀なのですから無理もないのですが、「俺なんか高脂血症で、高血圧で、しかもメタボなんだぜ」と言う話をお互いに交していると、何か病気自慢をしているような気になりました(^-^;
2012年12月26日
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先日、芦ノ湖を訪れたときに、復元された箱根の関所を見学してきました。箱根の関所は、「入り鉄砲と出女」を取り締まったり、将軍様のおひざ元である江戸の警護のために、旧東海道に設けられていた関所の一つ。この関所は芦ノ湖と山に挟まれた、街道の一番狭い場所に設けられていて、江戸と京都を行き来する旅人たちを、厳しく取り締まっていました。この建物は2007年に、資料を基に忠実に復元されたもので、江戸の昔の雰囲気をよく伝えてくれています。上は京都側の出入り口の門ですね。写真上の右の建物のなかには、取締りの役人が対座していました。街道に面した小高い山の上には物見の櫓があり、街道を行き来する人々を監視していたとか。物見の高台まで登ってみると、眼下に復元された関所の建物。その向こうに、冬の芦ノ湖が広がっていました。
2012年12月22日
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上は2007年7月に、岩手県の大槌町に釣りに行ったときに撮影した写真です。NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった、蓬莱島という島で、赤い灯台が可愛らしい。昨年の大震災の際に、大津波に襲われ灯台は壊滅してしまいました。それが、今朝の朝日新聞に、1年9か月ぶりに灯台が復活したと報道されていました。紅く塗られた灯台が印象的です。他の場所も、いち早く復活することを願うばかりです。
2012年12月14日
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フライのフローテイング・ラインは、使っているうちにコーティングされた表面に細かな傷がついて浮力がおちてきます。紫外線にもさらされるので、劣化もしてきます。そろそろラインを交換しようと思い、今まで使ってきたラインがしなやかで使いやすかったので、同じものを入手しようと思い、「住友3M」に勤務する知人を通じて、アメリカの「3M」に問い合わせてみました。フライショップで購入すれば簡単に入手できますが、わざわざアメリカまで問い合わせたのも、いったいアメリカでは幾らぐらいで販売しているのか知りたかったからです。するアメリカのボブという名の担当者が、同じものは生産中止となり、かわりにこういうものがあると、写真つきで知らせてきました。その中から選んだのが、上のフライ・ラインです。「サイエンティフィック アングラーズ」SUPRA SUPERIOR FLY LINEFLOAТING「90ft=27m」 WFー2-F バックスキン色しばらくして航空便のフェディクスで送られてきました。では、支払いをと思ったら、ボブは日本に行ったときに「住友3M」に勤務している知り合いにお世話になったので、料金はいりません、と言ってきたのです。なんと航空便の郵送料と商品のフライ・ラインがただで入手できてしまったのです。申し訳ないと思いながら、嬉しかったな(^―^)近年、円高なのでショップで販売しているラインも、やや安くなってきましたが、このラインはアメリカで買うと約4000円、同じものが日本では約6000円ということが分かりました。趣味のモノを通じて、日本や世界の物の値段を知るのも、なかなか面白いかな、と思ったものでした。
2012年12月03日
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「Fly Rodders 1月号」(11月22日発売・地球丸刊)に「渓流魚と放射性物質の関係」の第5弾を書きました。いまだに東北方面の渓流の魚から、食品の基準値を超える放射性セシウムが検出されています。今年、春に渓流釣りが解禁になってから10か月あまり過ぎましたが、イワナやヤマメに取り込まれた放射性セシウムの値が、どのように変化してきたかをレポートしました。「放射性セシウム137」の半減期は約30年ですから、おいそれと消滅することはありません。除染しない限り、いつまでもそこに留まりつづけるか、流されて堆積しやすい場所に蓄積されます。目にも見えず匂いもしないだけに、厄介な放射性物質は、今後どのように変化していくのでしょうか。汚染された魚から生まれた稚魚も、やはり汚染されてしまうのでしょうか。もし、汚染されるとすると、どのくらいの値が検出されることになるのでしょうか。例年の解禁にむけて気になってなりません。
2012年11月24日
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静岡県は焼津市にある「焼津さかなセンター」まで、ドライブをかねて行ってきました。大きな体育館のような建物のなかに、約70軒以上もの小売店が並んでいます。着いたのが平日の午前11時ころだったので、まだ観光客は少なくすいていました。焼津はマグロの遠洋漁業の基地ですね。「まぐろ街道」の文字が目立ちます。小売店を覗きながら歩いていると、呼び込みの声があちこちから聞こえてきます。「あまりしつこい呼び込みは、かえって客を逃しちゃうぞ」と思いながらも、これだけ競争が激しいと、呼び込まざるを得ないのだろうなとも思います。「かに」が並んでいる店舗を眺めていると、試食させてくれました。美味しかったけど、買いません。なぜって、小生はあまり「かに」が好きではないからですね。ぶらぶら歩きながら一巡り。買ったのが「アジ開き」「サケ切り身」「タラコ」「数の子」「削りたての鰹節」「次郎柿」。気が付いたら、なにも焼津まで来て買わなくてもいいようなものばかり。「焼津はマグロだろ」という思いをすっかり失念していたようです。値札に「1200円」というのが多いのですが、買うときはほとんで「1000円」にまけてくれます。「600円」のものは「500円」になります。これってどの店もそういう商売をしているので、最初からまけることを想定して値段をつけているのが見え見えです。しかし、品はさすがに新鮮でしたね。場内には食堂も何軒かあって、その一軒で「まぐろ、うに、いくら丼」(1500円)を食べました。駿河湾の名物はシラスに桜エビ。桜エビのシーズンは春と秋で、ちょうど今ごろが食べ時で「シラス桜エビ丼」というのもありました。しかし、やはりマグロ(それも赤身に限ります)が食べたかったので、桜エビは「軍艦まき」でいただきました。生の桜エビは、印象の薄い味で、やはり天日干しした桜エビのほうが格段に香りが良いように思います。
2012年11月23日
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娘夫婦が韓国で開催されたイルカ関係のシンポジュウムで発表のために、2泊3日でソウルに行ってきました。その間、3歳半の孫(男の子)を預かることになり、時間つぶしに池袋の「サンシャイン水族館」へ行って来ました。土曜日だけに、小さなお子さんを連れた家族連れでにぎわっていました。「サンシャイン水族館」は、二度目ですがリニューアルしてからは初めてです。頭上の水槽の中にはクラゲがのんびりと泳いでいます。泳ぐ姿を眺めていると、癒されますね。エイは下から眺めると、口と鼻が見えてまるで顔のようです。ユーモアがありますね。上はアオリイカでしょうか。半透明のボディーが、とてもきれいです。イカを見ると、ついつい小生の好きな「塩辛」を思い浮かべてしまいます。これだけ新鮮だとうまいだろーな~、なんてね。久々の水族館でしたが、孫よりも大人の方が楽しんでしまいました。
2012年11月12日
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昨夜は昔、出版社に勤めていたときの同僚と、半年ぶりに再会し新宿の西口で飲みました。入った店は、駅ビルの8階にあるチェーンの居酒屋ですが、給料が出た翌日の金曜日とあって、大変な人ごみです。その光景を見る限り、どこに不況が転がっているのという感じです。上の写真は新宿西口にある「思い出横丁」です。昔は「ゴキブリ横丁」または「ション便横丁」ともいわれました。数少なくなった焼跡闇市の面影を残した一画ですね。すれ違う人と肩がぶつかりそうな狭い路地の両側に、間口の狭いカウンターだけの居酒屋が並び、焼き鳥を焼く煙が漂っています。ちあきなおみに「新宿情話」という唄があります。作詞・猪俣良、作曲・舩村徹。確か、細川たかしも唄っています。「新宿は~西口の 間口5尺のぽん太の店が~とうとう~潰れて 泣いて~るひろ子、、、、、」というセツナイ歌詞ですが、ぽん太という店があったのが、この「思い出横丁」でした。近年、この路地も観光地となりつつあり、外国人や若い女性もカウンターでコップ酒を傾けております。変に小じゃれた店よりも、こういう店の方が小生は惹かれます。
2012年10月27日
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先日の20日(土曜日)に、多摩川の土手で第30回調布市花火大会が開催されました。お祭り好きな小生が、見逃すはずがありません。昨年の花火大会は、あの東日本大震災で中止になりましたが、毎年、夏の盛りの8月に行われていました。それが何故か、今年は秋の開催となり、秋に花火大会とは珍しいと思っていたら、近年は秋に開催するところも出てきたようです。そういえば、長野県の北信地方では、雪景色が広がる真冬に花火大会が行われていました。花火大会は、夏のモノとは限らなくなったようです。夕方出かけてみると、多摩川の土手は見物客で満杯状態。この付近は、春先に小生がマルタウグイを釣りに来たところです。日活の撮影所も近くにあります。花火見物には、ビールは欠かせません。この日、良い天気で夕暮れになると、冷たい風が吹きはじめ、空には上弦の月が明るく輝いていました。5時50分頃から始まり、約1時間10分ほどの花火の競演でした。ビールを飲みながらの見物で、最後はすっかり体も冷えて、鼻水が、、、、、。鼻水を垂らしながらの花火見物は、初めての体験で、やはり花火見物は暑い時期に、団扇片手に見物するものだろう、とちょっぴりチャカを入れたくなりました。今年、2回目の花火見物。、寒かったけれどタップリと堪能させてもらいました。
2012年10月22日
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今年の夏、東海、東南海トラフで地震が発生すれば、およそ32万人が死傷するおそれがあると発表されました。昨年の東日本大震災もそうでしたが、大地震は突然襲ってきます。家屋が倒壊するだけではなく、それに伴う大津波で、さらに被害が拡大してしまいました。巨大な災害が発生したとき、私たちは、どのように対処したらよいのでしょうか。少しでもそのヒントになることを願ってまとめたのが、拙著の『大江戸災害ものがたり』(1200円 明治書院・刊)です。10月20日の発売されます。江戸時代、大火災、大地震、大噴火、大洪水が江戸の町を何度も襲いました。10万人以上も焼死者や川に飛び込んで溺死する者が出た、大火災などもありました。富士山の大噴火では、江戸の町まで火山灰が降り注ぎ、灰を吸い込んだために多くの江戸庶民は咳に悩まされました。繰り返し襲ってくる大災害を『武江年表』『徳川実記』『日本災異志』『耳囊』『翁草』『折たく柴の記』や、そのほか江戸時代に記録された資料を基に検証しつつ、為政者は復興にどのように対処し、庶民は巨大な災害にどのように立ち向かったかをまとめたものです。東日本大震災の復興が遅々として進まない状況を見ると、江戸時代は現代ほど複雑な社会ではなかたにしろ、江戸の復興は実に迅速でした。そんな所からも、江戸時代には学ぶことが多いような気がします。
2012年10月19日
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10月に入り、渓流釣りが禁漁に入った川も多くなりました。あきる野市の秋川支流の養沢川も、9月末日でヤマメは禁漁に入りましたが、マスなら10月末まで釣ることができます。そこで友人のイラストレーターのSさんを誘って行ってきました。マスなら半日もあれば釣れるだろうと、12時頃にSさんと待ち合わせ。4日の木曜日、台風19号の余波で、午前中まで雨が降っていました。そのせいでかなり増水気味です。平水なら簡単に渡ることのできる場所も、ガンガンの流れでうかうかすると流されそう。上の写真はSさんの釣り姿。一投入魂、という感じで気合が入っています。上の写真からも、かなり流れが速いことがわかります。ところどころに掛けてある鉄の梯子を下りて入渓したら、そこから前後に動けない、という場所もありました。増水したために魚が散って、ポイントが絞りにくく、かなりシビヤーな釣りとなってしまいました。ポイントを探りながら3時間、夕方近くなって、やっとドライに出はじめ、最初に釣れたのが下のヤマメ。20センチ程度ですが、なかなかきれい。この日、釣れたのがヤマメ3、マス2の計5匹でした。釣れた魚が禁漁になったヤマメの方が多かったとは、一体どういうこと?最後に釣れたのが上のヤマメ。25センチほどでしたが、尾びれの大きなきれいな魚。婚姻色が出始めたのか、色がやけに濃い感じがしました。このヤマメも、写真を撮ってリリース。放すとしばしその場にとどまっていましたが、やがて元気に流れに戻って行きました。上はSさんが撮ってくれた、数少ない小生の釣り姿です。いつもは撮る方なので、自分の釣り姿の写真は実に少ない。ですから、小生にとって貴重な一枚になりそうです。この日は午後から気温が上昇し、水温も例年より高かったようで、まるで真夏の釣りのようでした。
2012年10月05日
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フライフィッシングの専門誌「フライロッダーズ」11月号(地球丸・刊)が22日に発売になりました。この号に、また「渓流魚と放射能汚染」の問題を取材した、第5弾を書きました。栃木県、福島県、群馬県、宮城県などの渓流に生息するイワナやヤマメから、食品の基準値である100ベクレルを越える放射性セシウムが、未だに検出されています。放射性セシウム137の半減期は30年ですから、おいそれと解消されるものではないことは分かっています。しかし、生物には生物学的半減期があり、人の場合は内部被ばくしても排泄や代謝で減少し、約70日で半減するといわれています。ところが70日で半減するといっても、その間は放射線が細胞や遺伝子を傷つけるというわけです。そこで気になるのが、今後、渓流に降った放射性セシウムのために、内部被ばくした渓流魚たちは、どうなっていくのだろうか、という事です。淡水魚は海水魚に比べて、放射性物質を蓄積しやすといわれています。その生理的仕組みはどのようになっているのか。たはまたセシウムが降った赤城大沼や中禅寺湖などに生息する魚たちから、基準値を超えるセシウムが検出されていますが、最大深度167メートルの中禅寺湖などは、除染をするといっても不可能です。したがって、そういった湖の放射性物質は、どのように推移していくのでしょうか。また、同じ川で採捕された魚でも、検査をしてみると一匹は100ベクレルを越えていても、別の魚は100ベクレル以下と、全く違った数値が検出されることが多いのです。それは、どういった現象によるものなのか。それらのもろもろの疑問を、研究者である東京海洋大学の先生にぶつけてまとめた記事が、今発売の「フライロッダーズ」に掲載されています。「渓流魚と放射能」の問題に関心ある方は、是非、一読してみてください。
2012年09月24日
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夏も終わりにさしかかったのに、相変わらず猛暑の日々が続いています。そこで夏バテを癒そうかと、山梨県の市川三郷町にある「みたまの湯」まで行ってきました。この温泉は丘陵の中腹にあり、眼下に甲府盆地、その向こうに八ヶ岳や甲武信岳の山並みが一望できる明媚な温泉として、よく知られているようです。せっかく山の中に行くのですから、釣りをしてから温泉へ、という計画を立て山梨県の鰍沢近くのS川まで足を延ばしました。カンカン照りの真昼間、猛烈な暑さでしたが、ウェーダーをつけて川に立ちこんでいると、冷たくて気持ちがいい。ところがこれがくせもので、身体から水分が抜けていくので熱中症になりやすい。小生の知人で、釣りの最中に熱中症で気を失い、転倒して気が付いて助かった釣り師もいます。上がS川の流れです。水が実にきれいですが、河原をいじったのか荒れた感じがします。やや水が出て、石が落ち着けば良い渓流になるだろうな、と思います。あまりに暑いので、実際にロッドを振ったのは1時間あまり。何気ない流れにエルクを飛ばしたところ、素早く喰いついたのが上のアマゴです。水の透明度が高く、川底の石が白く、釣れたアマゴも美形でした。写真を撮って「もう釣られるなよ」と声をかけて流れに戻してやりました。川から上がって車に戻り、乾いた体にペットボトルの水が実に美味しかったな。帰りに寄った「みたまの湯」ですが、夕方、西日が八ヶ岳の向こうに沈みかけ、甲府盆地に灯がともるころが一番きれいだそうです。
2012年09月10日
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先日、山梨県内船へ墓参に行く途中で、静岡県富士宮市稲子にある史跡「平維盛」のお墓を見てきました。稲子は富士川支流の稲子川に沿ったひなびた集落で、川沿いの両側は小高い山が連なっています。土地が狭いので、昔から棚田がつくられてきました。「平維盛」の墓は、そんな棚田の中腹に、一基だけポツリと建っています。この武将は姿かたちが美しく「桜梅少将」ともいわれ、現代では「光源氏の再来」と、歴史好きな「歴女」に、絶大の人気を誇っています。しかし、昔から「優男、金と力はなかりけり」と言われるように、平家一門の武将ですから金はあったでしょうが、とにかく戦に弱かった。源頼朝と「富士川の戦」で対陣したとき、水鳥がはばたく音に驚いて逃げ帰っています。「屋島の戦」では、敗れたのちに那智で入水自殺したとも、病死したともいわれています。平維盛はとにかく伝説の多い人で、死因などもはっきりしていません。「優男」には「伝説」が、よく似合うようです。では、なぜ維盛の墓が稲子にあるのでしょうか。戦いに敗れた維盛は、文治元年、紀州沖で水死したと見せかけ、「清水某」と名をかえ、家来の佐野主殿を伴い、稲子に移り住み生涯を終えたと伝えられています。現在の墓は天保11年に再建されたもので、「佐野弘」という人が所有しています。稲子には今でも「佐野」姓の人が、数多く暮らしています。
2012年08月25日
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フライフィッシングの専門誌『フライロッダーズ』9月号です。ここに「放射能汚染と渓流魚」に関する記事を書きました。今回で第三弾です。前にも書いたかもしれませんが、海水魚が放射能物質を体外に排出する特性があるのに対してて、淡水魚は塩類を体内に取り込む性質があるので、放射性物質を蓄積しやすいといわれています。福島第一原発の事故が起きてからもうすぐ1年半になろうとしていますが、フライフィッシングのメッカである中禅寺湖のヒメマス、ブラウンなどから、国が決めた出荷基準の100ベクレルを越える放射性セシウムが、未だに検出されています。それでも「試行」という名目で、中禅寺漁協ではフライ・ルアーに限って、8月31日まで舟釣りが許されています。「今回の『試行』の結果を、来年からの対応の参考にします」と、漁協サイドでは語っていました。セシウムの半減期は30年といわれています。ですからそう簡単に、この汚染が解消されることはないでしょう。その他、福島や群馬県などの渓流でも、放射能に汚染された魚は採捕されたために、釣りが禁止されている河川もありますし、ホットスポットの箇所も指摘されたりしています。渓流釣り師も放射能汚染に無関心でいるわけにはいかないようです。
2012年07月24日
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先日、山梨県身延町一色という集落に、ホタルを観に行ったとき、時間があったので身延町の下部川で、ロッドを振ってきました。下部川は武田信玄の隠し湯として知られる「下部温泉」に沿って流れている渓流で、かつては小説家の井伏鱒二氏なども、アマゴ釣りによく通った川です。10年ほど前にも、この川に入ったことがあり、その時は20センチほどのアマゴが出ました。その後、上流で川の護岸工事が進んでいて、釣りには不向きな川になってしまいました。先日、出かけたときも崩れた護岸の工事が行われ、上流で作業員が仕事をしている姿が見えました。けれど、水に濁りはなくきれいな水色です。16番のエルクを投射すると、すばやい反応があり魚はいそうです。小さな落ち込みにキャストして釣れたのが、上のちびアマゴ。写真では朱点がはっきりしませんが、実際は鮮やかなオレンジ色の斑点があります。「よしよし」とネットに取り込むと、網の目から抜けてしまいました。つまりそれだけ小さかったということですね(^―^;キャスト、飛びつく、合わせる、勢い余って後方に飛んでいく。そんな魚ばかり、同じポイントで5匹あまりも出たでしょうか。無邪気に毛バリに飛びつくちびアマゴを、そんなにいじめることもないか、と思い直し50メートルほど釣りあがったところで川に沿って入渓地点まで戻りました。戻る途中で山クワの実を見つけました。熟した実をほうばると、甘酸っぱい自然の味が口の中に広がってきました。
2012年06月22日
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先日、山梨県身延町までホタルを観に行ったとき、完成して間もない新東名高速道路を御殿場から新富士インターまで走ってみました。トンネルはやや多かったのですが、旧東名よりも道幅が広くて、実に走りやすい道路でした。行く途中で立ち寄ったのが「駿河湾沼津サービスエリア」。このサービスエリアは、レストランといい、土産物屋といい、非常に充実していて、わざわざ観光に訪れるほどで、この日も観光バスが並んでおりました。テラスからは手前に茶畑、その向こうに駿河湾、さらにその向こうに伊豆の山々が見えて、天気がすっきりしていれば、とても良い景色だろうな。ちなみに地元の人に言わせると、上り線側より下り線側のサービスエリアの方がレストランも、土産も充実していると言うことです。
2012年06月21日
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6月17日は「父の日」でした。昨年は「ウエストハイ」のウエーダー、一昨年は、ウエーディング・シューズをプレゼントしてもらいました。で、今年はというと写真のhazukiルーペです。これは1,6倍の大きさに拡大してくれますので、老眼の小生には、視野が広がりそうです。はたして細かいフライも、このルーペのおかげで、きれいに巻けるでしょうか。
2012年06月19日
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ホタルが出始めて、早くも後半になってしまいました。近年、農薬を使わず水がきれいになったおかげで、各地でホタルが復活してきたようです。ということで、先日、山梨県身延町一色という集落が「ホタルの里」として売り出しているということで、車を飛ばして行ってきました。ホタルが観賞できるのは、県道沿いの川です。「川にヤマメはいるんですか」と聞いたら、水が暖かいのでヤマメはいないとのこと。でもだからホタルの生息には適した環境だ、ということです。三脚を用意してホタルの乱舞を撮影しようとやってみましたが、なかなか撮影は難しいですね。4秒間隔くらいで光りますが、あちこちで点滅していても、まとまって光ってくれせん。もう少し露光時間を長くしてやればよかったのですが、真っ暗な中の手さぐり状態では思うにまかせません。80カットちかくシャッターを押して、ようやく撮影できたのが上の写真です。どなたか上手に撮影できるノウハウをご存知でしたら、教えてくださいな。
2012年06月17日
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西洋から伝わってきたフライフィッシングと異なり、日本古来の毛バリ釣りであるテンカラ。使うのは竿と、テンカラ・ラインにハリス、それに毛バリというシンプルさです。小生もフライと同時にテンカラもやるのですが、釣れるときは向こうアワセなので、簡単に釣れてしまいます。おまけにリーチが長いので、ポイントにフライを投入しやすいという利点もあります。フライの毛バリと違い、テンカラ鈎は構造がシンプルなのがいいですね。上の写真は「渓の翁」ことテンカラ名人の瀬畑雄三さんから頂戴した瀬畑フライです。瀬畑さんはバイスも使わず、指先にフライフックをつまんだままで、5分ほどで1本の毛バリを、器用に巻いてしまいます。スレッドは女性の黒いパンティーストッキングほぐした糸です。非常に細いけれど、実に丈夫なので愛用しているということ。上は岐阜の益田川沿いの国道で民宿ドライブイン「あまの」を経営している天野勝利さんから頂戴したテンカラの「逆さ鈎」です。ボディにゼンマイの綿が巻かれていて、ハックルがアイの方を倒れています。水圧を受けて、この羽根が微妙な動きをして魚を惹きつける、というわけですね。天野さんはテンカラで大ヤマメを釣る名人ですが、アユの友釣り名人でもあります。もう14年くらい前になるでしょうか。天野さんを訪れて、民宿に一泊しながら天野さんに、釣りの話を聞いたのが懐かしい思い出に名なっています。こうやって名人たちが巻いた毛バリを見ると、何となく味があるというか、風格が漂っているように感じられませんか?
2012年06月09日
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港区の竹芝桟橋の広場で、「伊豆諸島、小笠原諸島」の島々の特産品などを集めて販売、展示した「島じまん2012」が開催されたので、天気も良いので行ってきました。東京都には小笠原諸島(父島、母島)、八丈島、青ヶ島、神津島、三宅島、御蔵島、大島、利島、新島、式根島などの離島があります。これらが全部、東京都だと思うと随分、広いですね。竹芝桟橋からは毎日、こういった島々へ渡る定期船が出港しています。広場には大きなマストが、目印として掲げられています。天気の良い行楽日とあって、会場は大賑わい。大盛況でした。タレントを連れたテレビの取材クルーなんかも来ていて、大変盛り上がっていました。舞台では、大島からやってきたおばさんたちの踊りが披露されています。各島の工夫を凝らしたブースでは、特産品や民芸品などが販売されていましたが、美味しかったのが御蔵島の「みくらっ子丼」(400円)。地魚のサワラ、シイラなどのフライ、ミズ菜、レタスをアシタバ御飯の上に乗せて甘辛のタレをかけた、島のオリジナル丼です。御蔵島はイルカの群れが定住しているので、イルカウォッチングでもよく知られていますが、今度、釣りもかねて出かけてみたいものだと思っています。
2012年05月27日
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地球丸から発行されている「フライロッダーズ」7月号です(5月22日発売)フライフィッシャーの皆さんには、お馴染みの隔月刊誌です。「フライロッダーズ」の7月号に、放射性セシウムが渓流魚から検出された渓流や湖沼の記事の、第二弾を書きました。ようやく雪も消えて、サンプリングができるようになり、今まで検査できなかった水系まで、調べることができるようになってきました。日本におけるフライフィッシングの発祥である、栃木県の中禅寺湖のホンマス、ブルック、ニジマスなどから、新基準値を超えるセシウムが検出されました。果たして今シーズン、中禅寺湖では解禁できるか否かの対応に追われてきましたが、リリース厳守、岸釣りのみを条件に、5,6月の二カ月だけ釣ってもよいことになりました。それ以外にも福島、岩手、茨城、宮城などでも解禁できない渓流があります。各漁協や行政に取材を重ね記事をまとめました。東北方面の渓流に行かれる方、渓流魚と放射能気になる方は、ご一読してみてください。
2012年05月22日
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昔から、このビルに原寸大のカジキマグロのオブジェが、釣り下がっていることは知っていましたが、多分、ブログで紹介するのは初めてではないかと思う。上の写真がカジキマグロですが、小田急線の「南新宿」駅に近いビルにあります。このビルは何をやっているのか、どんな商売をしているのか、造った人、もしくはここに吊り下げた人は、どんな目的をもっていたのか。な~にも分かりませんが、目立つことだけは間違いありません。
2012年05月17日
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ちょっと古い話ですが、5月6日の日曜日、つくば市で大きな竜巻が発生した日、我が家の近所で急に大粒の雹が降り始めました。その時間は、30分もなかったのですが、前が見えないくらいの激しい降りで、車の屋根がボコボコになるのではないかと思うくらいでした。すると、突然、我が家の隣家の高級車のアラームが鳴り始めました。雹に打たれたために、盗難防止用の警報器が鳴り出したというわけです。ちなみに小生の車は、高級車ではないのでアラームはついていません。(^0^;アッと言う間に植木鉢が真っ白になりました。この雹はすごく限定的だったようで、同じ東京でも世田谷の隣の杉並区では、その時間は雹どころか雨も降っていなかったとのことでした。大竜巻といい、大粒の雹といい、地球上の天候に異変が起きているような気がしてなりません。
2012年05月15日
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先日、豚肉のブロックを買ってきて、ナラとクルミのチップでスモークし、ベーコンを作ってみたら、なかなか美味しくて、家族にも好評だった。ということで、またまた作ってみました。約2時間半のスモークで、なかなかいい色に仕上がりました。今回は塩、胡椒して一晩、冷蔵庫で寝かし、水を洗いをしてからスモークに取り掛かりました。多分、美味しくできたと思います。
2012年05月12日
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先日、釣ってきたニジマスをスモークするために、新宿の東急ハンズへ行って、クルミとナラのチップを買ってきましたが、チップが結構あまったので、豚肉のブロックを買ってきて、ベーコンをつくってみました。塩とコショーをタップリとすり込み、ハーブを肉の裏と表に乗せ、ラップにくるんで冷蔵庫で丸1日保存します。1日寝かした肉を、流水で洗い余分な塩を落とします。それからペーパータオルで水気をしっかりとり除いてからスモークにとりかかます。中華鍋の底にアルミホイルを敷き、ナラとクルミのチップをブレンドして散らします。その上に網を置き、肉を乗せ蓋をしてスモークにとりかかります。上は1時間ほど、弱い火でスモークした状態です。やや、色がついてきました。スモークのコツは、煙の温度を高くしないことです。ほんの弱火で燻すのがコツですが、あまり煙がたたないと、時間がかかりすぎますから、火の加減を見ながら調節します。チップがすっかり炭化したら、それを捨てて新たなチップを敷き、同じようにスモークします。炭化したチッのままで、スモークをつづけると焦げ臭くなります。30分ごとに火加減を見、チップを2~3回ほど取り替えながら、約2時間30分ほどで完成。適度な塩加減で、酒の肴によく合います。スモークしておくと、保存が効きます。そのまま食べても、もちろん美味しいのですが、細かくしてチャーハンの具材にしたり、フライパンでカリカリに炒めて、熱いところを油と一緒にサラダに欠けて食べたりと、食べ方はいろいろと工夫できます。豚のブロックは安価だし、とても美味しかったので、また作ろうかと思っています。
2012年05月04日
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この高層ビルは、渋谷駅の近くにオープンした「渋谷ヒカリエ」という複合商業施設です。昔、ここには東急文化会館という映画館やプラネタリウムが入った建物があり、学生時代、時々、映画のロードショーなどを観に行ったものです。それが取り壊されて、この高層ビルが出現したというわけですね。連休の初日、渋谷に出かける用事があり、ついでにヒカリエに登ってきました。丁度、昼時でもあり、ビル内のレストランンは大混雑。エスカレータも長蛇の列です。とりあえず、一般の観光客が入れる11階までエレベーターで登ってみました。周囲にあまり高層ビルがないので、眺望はよく新宿の高層ビル群が手に取るように見えました。技術の進歩とともに、人はより高みへ行きたがるようですね。人間の傲慢さの象徴である、天にも届きそうなバベルの塔の工事を、神は止めさせました。はたしてどこまで人は高みへと、登ろうとするのでしょうか?そしてこの際限のない行為をやめさせる神は、はたして現代の世に存在するのでしょうか?行く末を見てみたいと思いますが、それまでは長生きするのは難しいでしょうね。
2012年05月03日
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東京は世田谷区内にある、民家園の茅葺屋根の農家です。こういう家が、30年くらい前には世田谷区にあったようです。典型的な日本の風景。子供のころを思い出して、しみじみと懐かしくなります。
2012年05月01日
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我が家の近くを流れる野川。東京都内を流れる川ですが、都内とは思えないような風景です。川端の桜は散りましたが、西洋カラシナと浜ダイコンの花が満開です。西洋カラシナは黄色、浜ダイコンは白っぽい花ですが、同じような場所に咲いているのに、なぜ混じり合わないのでしょうか。不思議ですね。その理由は、このように考えられますが、いかがでしょうか?つまり、西洋カラシナの方が、水辺に近い場所を好み、浜ダイコンの方が水から離れた場所を好む、という理屈です。したがって、同じような場所で咲いていても、混在しないというわけですね。
2012年04月29日
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先日、今シーズン初めての養沢川へ行ったときに、普段は、ほとんど食べないのですが、ワイフが「食べたい」というので、釣ったニジマスをキープしてきました。いつもは簡単に塩焼きですませるところですが、久しぶりに燻製にしてみることに。ハーブと塩、種胡椒をいれた漬けタレに、3日ほどつけておいたのが上の写真。いつもは、ブリキの米櫃を加工して造ったスモーカーを、ガスコンロの上に乗せ、チップを入れて、チョロチョロ燻すのですが、出すのが面倒なので、中華鍋を利用。中華鍋の底にアルミホイルを敷き、その上にナラとクルミのチップをブレンドして散らします。ナラは色付きが早いので魚をスモークするのに向いています。クルミは肉類、魚類に使え香りが良くなります。チップの上に足つきの網をのせ、チップと魚の間に隙間をつくります。すっぽり中華鍋を覆える蓋をして、ほんの弱火で1時間ほどスモークした途中経過の写真です。スモークは火が強すぎると、焦げ臭くなってしまいます。そうならないように、なるべく温度の低い煙で燻製するのがコツですね。写真は完成したニジマスの燻製。結構、脂が乗っていて、塩焼きとは、また違った味わいです。むしりながら食べると、ビールのつまみにピッタリでした。
2012年04月21日
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腕ならし,足ならしに、秋川支流の養沢川へ行ってきました。午後から夕方まで釣れば、十分なのでのんびりと出かけました。ポイントを拾いながら釣るには適度な渓流です。この日はやや水が少なく、あまり活性が高くないようでした。養沢の魚は。こんな落ち込みに集まっているものです。この川は毛バリ専用なのでフライマンが多いのですが、そのおかげでドライでは、なかなか出てくれません。そこで半沈みのウエットフライを使ったところ、一投目で出たのが上のヤマメ。ポイントをかえて二投目で出たのが、上のヤマメです。何故かこの日は、やけにヤマメが活発でした。
2012年04月18日
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春になると、東京湾からマルタウグイが遡上してきます。昨年も狛江市に近い多摩川へ出かけて行きました。産卵のために遡上してくるマルタウグイは、腹がオレンジ色に染まり、それなりにきれいです。ということで、早朝、自転車を飛ばして行ってきました、残念なことに、マルタウグイは釣れませんでした。遡上しているのは間違いないのですが、群れごとに登ってくるので、群れと群れの狭間で、魚影が薄かったのかもしれません。上は広いトロ場から、早瀬に入る頭から東を見た多摩川です。昨年、マルタウグイを釣ったポイントです。ここで、釣れたのが何とニゴイです。上の写真は最初に釣れたニゴイで、サイズは57センチ。使用したのはエッグフライです。雑食性なので、何でも食べるんでしょうね。無理をしたら4Xのティペットが切れます。ということで、走るだけ走らせたらバッキングラインまで、引き出されてしまいました。上のニゴイは二匹目で、サイズは56センチ。二ゴイは最大で60センチにはなるので、最大に近いサイズですね。これは大型ニンフで釣りました。ニゴイも産卵のシーズンに入り、口の周りに見事な追星(産卵期になると、コイ科の魚の鰭や口吻に現れる白い斑点)が出ていました。この魚もバッキンまで引き出した後、疲れたところを寄せてきました。まるで砲弾のように見えませんか?二匹とも、およそ20~25分は、やり取りしたでしょうか。ということで、久しぶりにロッドを支えていた腕が、後日、筋肉痛になりました(^-^;。
2012年04月14日
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京都旅行、その2です。京都に着いた日に、まずは一般公開されている京都御所へ行きましたが、広大な敷地に、厳かな雰囲気をたたえた御殿が点在しています。京都御所の建物は、何といっても檜皮葺きの屋根がいいですね。上は二条城の二の丸御殿です。将軍が大名たちを集めて、大政奉還した部屋があります。廊下を歩くと、潜入防止の鶯張りの廊下が「キュ、キュ」と音がします。現在、二条城の傷み方はひどく、湿気で浮き上がった襖や壁などが、修理されている最中でした。それに何故か埃っぽかったのが気になったな~。上はご存じ銀閣寺。侘び寂びの世界です。静かな気配をたたえ、華美ではないところが、金閣寺よりも好きなところですね。
2012年04月11日
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京都まで一般公開されている京都御所と、桜を観に行ってきました。上の写真は「琵琶湖疏水」と桜です。疏水の水は実にきれいで、滔々と流れています。桜は2~3分咲きといったところでしょうか。上は「哲学の小道」と桜です。京都大学の教授であった西田幾多郎が、思索をしながら歩いたことから、「哲学の小道」と呼ばれるようになった道ですね。「人はひと 吾はわれなり とにかくに吾行く道を 吾は行くなり」晩年、西田が語った言葉が刻まれた石碑が、小道の畔に設置してあります。上は京都御所です。今月の4日から8日まで、一般公開されていたので、多くの観光客でにぎわっておりました。明治天皇が東京遷都するまでの内裏(住居)として使われていました。広大な敷地にある御所は天皇陛下の住まいであり、さまざまな儀式が行われました。ひとつひとつの部屋が広く、京都の冬は底冷えすることで有名ですから、きっと、大変寒い思いをされたのではないかと思います。この日、時々、霰が降ったりして、真冬並みの寒さでした。
2012年04月08日
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先日、日本列島を爆弾低気圧が通過して、各地に大きな被害をもたらしましたね。東京でも昼過ぎから夜にかけて、台風並みの猛烈な風が吹きまくっていました。その翌朝、いつものように野川の畔をジョギングしていると、風に吹きとばされた蕾をつけた桜の小枝がたくさん落ちていました。それを拾ってきて、水を満たした小鉢に入れておきました。はたして開花してくれるものか、やや疑問でしたが、気温が上昇した翌日、なんと見事に開花してくれたのです。桜は開花しても、1週間ほどで潔く散ってしまいますが、そんな桜でも旺盛な生命力があるのですね。桜って、実に素晴らしい。
2012年04月06日
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新宿の歌舞伎町と言えば、日本一の繁華街として、つとに有名です。友人たちと、よく飲みにも出かけた町でもあります。東口には有名な「ゴールデン街」、西口には「思い出横丁」といった、飲み屋が軒を連ねている一画もあります。飲み屋ばかりでなく、大人の歓楽街ともいえる歌舞伎町のど真ん中に、猫の額ほどの「歌舞伎町公園」があります。真昼間にホームレスのおじさんが、日向ぼっこなどもしている公園ですが、そこのあるのが上の写真の「歌舞伎町弁財天」。女性の神様です。江戸時代、ここには大きな池があり、その島に弁天様が祀られていました。その名残が、この弁天様なのだそうです。40年近くも歌舞伎町とその周辺で、友人と飲み歩いていましたが、こんな由緒?ある場所が、ネオンきらめく町の真ん中にあるとは、つい先日まで知りませんでした。町は歩いてみないと、わからないものですね。
2012年04月03日
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なかなか春らしくなりませんが、先日、珍しく暖かな日に、我が家の近くの野川を歩いていたら、カメが群れて甲羅干しをしているのを見つけました。カメは何をな考えているんだか、のんびりした光景です。
2012年03月23日
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まだ、寒い日がありますが、「三寒四温」とは、よくいったものですね。今年は梅の開花も遅れ、桜が咲く日もずれこみそうですね。ようやく東京でも梅が7分咲きになりましたが、足元にはピンクの可憐な花も顔を見せ始めました。「ホトケノザ」ですね。春の七草の「ホトケノザ」とは別物ですが、春の訪れを感じさせてくれる花ではないでしょうか。
2012年03月22日
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東京のあちらこちらを歩き回っていると、思わぬところで、歴史に名を残した偉人、有名人などの銅像を見かけます。以下の写真は、そんな銅像の一部です。上は中央区築地の、あかつき公園内にある「フォン・シーボルト」像。ドイツ人医師で、幕末に高野長英、伊東玄朴らに西洋医学、一般科学を教授しました。いわゆる日本の近代医学の開花のために、大きな影響を及ぼした恩人とでもいえるでしょうか。娘に楠本イネは、この近くで産院を営んでいました。上は墨田区の梅若公園にある、榎本武揚像です。幕末に幕臣でオランダに留学。帰国すると江戸幕府の海軍副総裁になりました。戊辰戦争では函館五稜郭に立てこもり、新政府軍と戦います。このとき新選組の土方歳三が戦死しました。武揚は明治政府に登用され諸大臣を歴任。晩年は、梅若公園に近い隅田川の土手を馬で散歩するのが日課だったようです。上は北の丸公園にある、吉田茂像です。第二次世界大戦後は、外相、首相をつとめ、戦後政治の基本路線を定めたとされています。1951年にサン・フランシスコ講和条約に調印。上は文京区春日の礫川公園にある、春日局像。徳川家光の乳母だったたけのことはあると思わせる、きりっと引き締まった面立ちをしています。実際はどんな顔立ちだったのか分かりませんが、この像はなかなかの美人です。台東区上野にある野口英世像です。ご存知、細菌学者で黄熱病の研究中に、自ら黄熱病に罹患し病没しました。福島県の貧しい農家の出身ですが、苦学して世界的な医学者になった彼の自伝は、昔はよく読まれていたように思います。
2012年03月17日
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