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=== 2023.4.9 === 朝から快晴。14時45分頃に撮った南の空です。午前中は府議会議員選挙の投票や図書館に行くなどで記録写真を撮りませんでした。南西方向の空 西方向の空 東方向の空どの方向も雲の姿はなし。 東方向の空17時前に撮りました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 一日快晴! 良き日かな・・・です。=== 2023.4.10 === 南の空所用で出かける前、7時15分頃に撮りました。昨日に続き快晴。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空はいつものように、少しもやっとした感じ・・・・。 帰宅後、13時過ぎに撮った東方向の空です。稜線上にぽっかりと白い雲。 南東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空 18時頃に空を眺めると、雲がかなり見られました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 稜線上の雲は、夕陽を受けて少し色づいていました。さて、雲がたりに移ります。雲に関わる語彙の続きです。もう一冊手許で参照している『大辞林』(初版、三省堂)についても、『広辞苑』初版との語彙対比を試みました。『大辞林』は先般使った『日本語大辞典』よりも1年前、1988年11月に刊行されています。そのため、これら2冊は『広辞苑』初版との対比としては、ほぼ同じ期間の差があると言えます。このタイムラグが編纂の上で、時代の変化に合わせた語彙の選択の違いとして出ているかもしれません。前回と同様のパターンで対比してみました。[A.雲(くも)と読む語彙]A-1:『広辞苑』と重なる語彙 雲、雲脚、雲井・雲居、雲井の桜、雲井の庭、雲井の峰、雲井龍雄、雲霞、雲形、 雲形定規、雲形肘木、雲霧、雲煙、雲路、雲障子、雲透、雲助、雲立涌、雲斗、 雲鳥、雲の梯、雲の上、雲の上人、雲の通路、雲の波、雲の波路、雲の林、雲の峰、 雲の余所、雲箔、雲肘木、雲額、雲間、雲水、雲行、雲腸、A-2:『大辞林』が採録した新たな語彙 雲居の桜、雲居隠れ、雲居路、雲居の空、雲居の余所、雲居隠る、雲隠れ、雲切草、 雲切仁左衛門、雲切れ、雲助唄、雲助根性、雲取山、雲の果たて、雲間褄黄蝶、A-3:『広辞苑』に載り、『大辞林』には含まれない語彙 雲合、雲居地、雲井調子、雲井如す、雲井の雁、雲井曲、雲井の余所、雲井弄斎、 雲隠る、雲入、雲隠、雲風、雲紙、雲切、雲霧五人男、雲介、雲簾、雲の脚、雲の主 雲の庵、雲の上臥、雲の裏、雲の帯、雲の返、雲の垣、雲の声、雲の梢、雲の経、 雲の旅、雲の便、雲の使、雲の扃(とざし)、雲の帳、雲の濡衣、雲の袴、雲の旗手、 雲の原、雲の舟、雲の籬、雲の黛、雲の迷、雲の湊、雲の都、雲の八重葺、雲の夢、 雲焼、雲夜、雲分眉、雲離、雲見草[B.雲(うん)と読む語彙]B-1:『広辞苑』と重なる語彙 雲雨、雲影、雲翳、雲烟、雲霞、雲海、雲外、雲客、雲鶴、雲漢、雲気、雲脚、 雲脚台、雲級、雲鏡、雲形、雲霓、雲向、雲高、雲崗・雲岡、雲合霧集、雲谷等顔、 雲谷派、雲居寺、雲根、雲彩、雲散、雲散霧消、雲棧、雲山、雲州、雲集、雲照、 雲霄、雲上、雲上人、雲上明覧、雲壌、雲蒸竜変、雲水、雲仙、雲仙岳、雲仙躑躅、 雲孫、雲台、雲底、雲梯、雲泥、雲泥万里、雲伝神道、雲堂、雲屯、雲南、雲衲、 雲版、雲表、雲萍雑志、雲鬢、雲平、雲平細工、雲平糖、雲母、雲甍、雲夢沢、 雲門、雲紋竹、雲屋台、雲鑼、雲竜、雲竜水、雲量、雲林院、雲廊、B-2:『大辞林』が採録した新たな語彙 雲煙過眼、雲煙飛動、雲角、雲関、雲鬟、雲気文、雲錦模様、雲形定規、雲華焼 雲斎織、雲車、雲州算盤、雲集消息、雲心月性、雲仙天草国立公園、雲伯方言 雲豹、雲門宗、雲嶺、雲路B-3:『広辞苑』に載り、『大辞林』には含まれない語彙 雲烟過眼、雲烟飛動、雲烟縹緲、雲間、雲居、雲際、雲斎、雲散鳥没、雲脂、 雲蛇、、雲岫、雲生、雲消霧散、雲箋、雲仙国立公園、雲中、雲中白鶴、雲揚艦[C.語彙に「雲」を含む語彙]C-1:『広辞苑』と重なる語彙 天雲、天雲の、雨雲、暗雲、 絹雲母、金雲母、黒雲、行雲、行雲流水、香雲、耕雲、黄雲、五雲、五雲の車、 彩雲、紫雲、似雲、慈雲、秋雲、愁雲、春雲、祥雲、浄雲節、白雲、水雲、 瑞雲、青雲、青雲の志、青雲の士、青雲の交、星雲、星雲群、星雲説、星雲線、 星雲団、積雲、宋雲、層雲、叢雲、 大雲院、朶雲、棚雲、淡雲、断雲、東雲、凍雲、夏雲、 薄雲、白雲母、飛雲、飛雲閣、雲雀、雲雀山、浮雲、北条早雲、 八雲、八雲琴、八雲立つ、八雲の道、八雲御抄、 雷雲、乱雲、凌雲、凌雲閣、凌雲集、凌雲台、 鰯雲、入道雲、飛行機雲、綿雲、鱗雲、雪雲、夕雲、暮雲、鉄床雲、笠雲、風雲、 レンズ雲、波状雲、(最初の4語は前回、後の9語はこの両辞典対比で気づいて追加)C-2:『大辞林』が採録した新たな語彙 茜雲、疑雲、層雲峡、早雲寺、白雲岩、白雲石、白雲木、大雲寺、雲雀毛、雲雀笛、 雲雀骨、八雲さす、陵雲の志、茸雲、漏斗雲、頭巾雲、乳房雲、真珠雲、鯖雲、 羊雲、C-3:『広辞苑』に載り、『大辞林』には含まれない語彙 岩雲、絹雲母片岩、行雲体、湿雲、翠雲、赤雲、測雲器、微雲、碧雲、横雲、D.雲級としての名称 巻雲、巻積雲、巻層雲、高積雲、高層雲、層積雲、層雲、乱層雲、積雲、積乱雲手許にある大型の辞典間の対比はこれで終わります。各辞典はその後改版が重ねられていますが、私には未だこれらを使いこなせていません。やはり、まずハンディな手許にある小型の辞書を使い、その後で大型の辞書を引くことになります。インターネットの辞書類も併用できますので、現状はこれらで間に合っています。因みに、『広辞苑』は現在、第7版(2018年刊行)、『大辞林』は第4版(2019年刊行)、『日本語大辞典』は第2版(1995年刊行)になっています。それでは、この位にして、雲の変化に戻りましょう。=== 2023.4.11 === 9時20分頃に撮った南の空です。 この日も引き続き快晴で始まりました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 東方向の空13時30分頃に撮りました。少し青空の雰囲気が出ている感じに・・・・。 南の空 かなり活発に雲が広がっていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 雲の形はあまりみかけない感じのものです。 16時30分頃に南の空を眺めると、再び青空が見えていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空には稜線上に雲が棚引き、その上空は青空が広がっています。しばらく快晴が続きましたが、天気予報は12日から崩れると報じていました。つづく補遺不気味だけど神秘的!珍しい雲18種類と基本の雲10種類を写真付きで紹介 :「かめらポケット」雲にはどんな種類がある?基本的な雲から珍しい雲まで紹介 :「FUJIFILM SQUERE」[写真付き]雲の種類10選 珍しい雲や特徴もご紹介 :「Mola」たった10種類だけの無限 雲の名前を覚えよう :「自然人.netコミュニティ」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.04.29
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南門から入り、噴水のある広場側と平成知新館を撮った景色です。 明治古都館側に目を転じた景色 平成知新館への通路を歩むと、右側(西側)には噴水のある広場への階段があり、広場の先には、京都国立博物館の表門(西門)が遠くに見えます。 平成知新館の入口の少し手前から、南西方向よりに眺めた景色です。 平成知新館1階の南側通路のガラス壁面越しに南側を東から西へと眺めるとこんな風に庭が広がっています。 平成知新館を出ると、「親鸞-生涯と名宝」展の大型パネルの裏面は秋冬季の展覧会の案内が掲示されているのが目にとまります。 ツツジの開化を眺めつつ、噴水のある広場に向かいます。 噴水の向こう側(南西方向)にもツツジが咲いています。噴水の手前で東側に回り込みます。私が恒例にしている定点撮影です。 そう。ロダン作「考える人」のブロンズ像の撮影。 「考える人」像の側から東方向の眺め 明治古都館を背景にこれから一層咲き誇るツツジの垣根の景色です。 ツツジに囲まれた「考える人」は、何を思索しているのでしょう。 噴水のある広場の南辺を西方向に歩み、平成知新館南面の西側を眺めた景色 博物館の表門(西門)を内側から眺めた景色 表門側から眺めた明治古都館明治古都館、表門と七条通に面する塀。このレンガ造りの洋風建築物は、「宮廷建築家」と呼ばれた片山東熊(かたやまとうくま)により設計されました。片山東熊は宮内省内匠寮の技師だった人です。1897(明治30)年5月1日に「帝国京都博物館」として開館されています。噴水のある広場の南側には、西の庭があります。 噴水に近い広場の先、西の庭の北辺に置かれた石灯籠 石灯籠の向こう側(南側)にもツツジが咲き始めています。 西の庭の中央部あたりに置かれた石造不動明王立像と背後に咲くツツジ 庭の散策通路の反対側、北東方向には石造地蔵菩薩坐像が鎮座します。 紅白のツツジが咲き始めたところのようです。ゴールデン・ウィークあたりには満開でしょうね。 西の庭の中央の散策路を西側から歩んでくると、東側からこの散策路に入る側、つまり今回は庭からの出口付近に、この大きなブロンズの灯籠が置かれています。ここにもツツジが咲いています。 明治古都館の南側を巡り、久しぶりに東の庭への石段を上りました。 石人 石幡この東の庭には石造遺物を点在させる形で保存されています。 「李朝墳墓表飾石造遺物」という標題の案内板が北寄りに設置されています。(以前に説明内容のご紹介をしていますので詳細は省略します。石造遺物と花との景色をお楽しみください。)京博への寄贈品の保存です。 「李朝太祖健元陵 石造遺物配置図 -楊州郡九里面仁倉里(東九陵)-」が併載されています。 墳墓は階段状に築造されていることが断面図として明示されています。 石人(文官像) 石人(文官像) 石羊 石人(童子像)東の庭も、もう少しの時を経て満開となることでしょう。平日を選んで出かけました。海外からの来訪者も見かけ、それなりの鑑賞者数を各展示室で見かけました。しかし、庭で休憩したり散策している人はほんのわずかでした。静かな散策のひとときを楽しめました。ご覧いただきありがとうございます。参照資料京都国立博物館 ホームページ 屋外展示 観照 京都国立博物館 -1 「親鸞 -生涯と名宝」展 へこちらもご覧いただけるとうれしいです。スポット探訪 京都・東山 京都国立博物館 -3 西の庭 野外展示細見探訪 京都国立博物館 建物と庭 -3 東の庭(李朝墳墓表飾石造遺物を中心に)観照 諸物細見 -22 京都国立博物館 東の庭 李朝朝鮮時代の石造物 -1 石人いろいろ観照 諸物細見 -22 京都国立博物館 東の庭 李朝朝鮮時代の石造物 -2 様々な石造物
2023.04.24
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20日(金)、京都国立博物館で開催の親鸞生誕850年特別展「親鸞 -生涯と名宝」を鑑賞して来ました。冒頭の大型パネルは南門側、七条通の歩道沿いに掲示のものです。 入場券 入口を入ると、明治古都館を背景に、ツツジの花が目にとまります。 平成知新館への通路の両側に咲くツツジを眺めながら北に歩みます。 平成知新館手前の特別展の大型パネル 平成知新館に入館すると、突き当たりの壁面に、恒例の記念撮影用巨大パネルが設置してあります。特別展会場はまず3階まで上がります。その階の展示室を順次巡りながら階を降りて行くという鑑賞順路になります。 今なら各所で入手できるのがこの特別展のPRチラシ こちらは館内で入手した「京都国立博物館だより 2023年4・5・6月号」です。これらも参照資料にして、部分的に引用します。 こちらは特別展の鑑賞後に購入した図録です。今回の図録の表紙はごくシンプルな装幀。裏表紙はさらに単純化されています。特別展のタイトルに照応し「親鸞」に焦点を絞り込んだデザインという感じです。この表紙の親鸞像が拝見できたかというと残念ながらダメでした。 チラシの裏面からの引用右側の掛幅に描かれた親鸞像が上掲画像に使われています。「親鸞聖人像(安城御影副本)」(京都・西本願寺蔵)の御影です。会場で入手した「出品一覧・展示替予定表」で事後確認すると、特別展の始まった最初の3/25~4/2の期間に限定展示されたようです。御影もまた期間区分ごとに展示替えが行われています。特定の御影を拝見したいならば展示期間にご注意ください。左側は親鸞筆の六字名号です(西本願寺蔵)。こちらは5/2~5/14に展示が予定されています。つまり、私は両方拝見できずでした。1階の最後の展示室にが「第七章 親鸞の伝えるもの-名号-」です。ここが特別展の締め括りとなります。ここには御影と名号の2点だけが粛然と展示されています。展示室では「親鸞聖人影像(熊皮御影)」(奈良国立博物館蔵)を拝見しました。これは安城御影系統の親鸞像ですが、親鸞の坐す敷皮が熊の毛皮のように描かれているところからこの名が付けられたそうです。『存覚袖日記』に、親鸞の坐す敷皮は「狸皮」と存覚が記録していると言います。この熊皮御影もまた、展示期間は4/18~4/30の予定です。「名号本尊(黄地十字名号)」(三重・専修寺蔵)が向かって左側に掛けてありました。十字名号の下に蓮台を描き、天地に賛銘を附して本尊としたものです。親鸞が賛銘を記したものだそうです。今回の展示は次のセクション区分で構成されています。 第一章 親鸞を導くものー七人の高僧- 第二章 親鸞の生涯 第三章 親鸞と門弟 第四章 親鸞と聖徳太子 第五章 親鸞のことば 第六章 浄土真宗の名宝-障壁画・古筆- 第七章 親鸞の伝えるもの-名号- 鑑賞の印象も交えてセクション毎に以下ご紹介します。<第一章 親鸞を導くものー七人の高僧->展示室で最初に目にするのが「光明本尊」(福井・毫攝寺蔵)と快慶作「阿弥陀如来立像」(奈良・光林寺蔵)です。光明本尊には、名号を中心にインド・中国・日本の浄土教祖師がずらりと描き込まれています。(4/25からの後期に光明本尊は展示替えの予定)。阿弥陀如来立像は像高81.1cmの仏像で、「安阿弥様」第三期の特徴が見られるそうです。今回の特別展では彫刻像が数少なく、その中での1点になります。これは通期展示。 併せてこの「刺繍阿弥陀如来像」(福井・誠照寺蔵)を見ました。前期展示(~4/23)のみ。間近で眺めると細かな刺繍が見て取れます。祈りながら刺繍されたのでしょうね。第一章では親鸞を導いた七高僧に絡む経典ほかの文書と図が中心になっています。インド(龍樹・天親)、中国(曇鸞・道綽・善導)、日本(源信・源空)の七人の高僧に関わりがある展示品です。金戒光明寺蔵と西本願寺蔵の「浄土三部経」が通期展示され、親鸞筆の物が数多く展示さています。「観無量寿経註」(国宝、西本願寺蔵)と「観無量寿経疏(外題)」(三重・専修寺蔵)、「四十八願文断簡」3点(大阪・慈雲寺、愛知・立圓寺、石川・本誓寺)などが展示されていました。親鸞の真筆をまとめて見られる機会はまたとないことと思います。<第二章 親鸞の生涯>「親鸞聖人坐像」が展示されています。4/18から展示替えとなり、新潟・西照寺蔵の坐像を拝見しました。ここでは親鸞聖人の生涯における重要な場面を描いた作品が数多く展示されています。親鸞の曾孫・覚如が制作した絵巻物『親鸞伝絵』を源として、伝絵、絵伝が連綿として描かれてきた結果です。同じ場面を取り上げていても描き方が少しずつ違うところがあって、見比べると興味深い。絵巻物の形で描かれたものが伝絵、大きな掛幅の形で描かれたものが絵伝と称されているようです。 これはPRチラシの裏面に載る一場面です。通期展示の「善信聖人親鸞伝絵(高田本)」巻第一・巻第五(三重・専修寺蔵)のうち、巻第五の最後に描かれている場面です。序でに、上掲「京都博物館だより」の上部に描かれている絵についてです。 「本願寺聖人伝絵(康永本)」の一場面で、法然から『選択集』の御影の図面を許される場面の部分図(左半分)です。この伝絵は5/2~5/21の期間に展示予定ですので拝見していません。他の伝絵で同じ場面を描く絵を見ました。右側の「親鸞聖人坐像」(三重・専修寺)もまた、4/16までの展示でした。「日野氏系図」(三重・専修寺蔵)、「藤原有範像」(東本願寺蔵)、「慈鎮和尚像」(青蓮院蔵)、「法然上人絵伝」(三重・専修寺蔵)、「親鸞聖人影像(有髪御影)」(茨城・専照寺蔵)、「善鸞像」(福井・證誠寺)、「恵信尼像」(龍谷大学図書館蔵)、「覚信尼像」(新潟・福因寺蔵)なども展示されています。この特別展で親鸞の有髪姿を初めて見ました。専修寺第三世顕智が書写した親鸞の「善鸞義絶状」も展示されています(通期展示)。また、明恵筆「摧邪輪」(京都・仁和寺蔵)が見られるとは思いませんでした(~4/30)。<第三章 親鸞と門弟>ここから1階の展示室になります。普段なら大きな仏像が展示されている広い「彫刻」(1F-1)展示室に、「親鸞聖人坐像」(千葉・常敬寺蔵)を筆頭に、門弟の坐像が横一列に展示されています。 門弟の一人がこの「顕智坐像」(栃木・専修寺像)です。(上掲京都国立博物館だよりから)「性信坐像」(群馬・室福寺蔵)、「善然坐像」(三重・太子寺蔵)、「了海坐像」(東京・善福寺蔵)、「了源坐像」(京都・仏光寺、~4/30)、「慶円坐像」(愛知・本證寺蔵)。これらは一躯を除き、通期展示です。ずらりと坐像が並ぶと壮観です。他に、一流相承系図と門弟等交名が展示してあります。前期・後期の展示替えが予定されています。<第四章 親鸞と聖徳太子>親鸞の聖徳太子信仰について、その一端がうかがえる展示です。 (上掲、京都博物館だよりから引用)「聖徳太子立像(孝養像)」(茨城・善重寺蔵)が展示室を入ると目の前に展示されています(通期展示)。同じく「聖徳太子立像(南無仏太子)」(愛知・満性寺蔵)が展示されています。太子2歳の時の姿を表した像です。孝養像がもう1躯展示されていましたが、こちらは4/30まで。ここにも「光明本尊」(福島・光照寺蔵)の掛幅が展示されています。その図には「皇太子聖徳」の像が描かれています。特に関心を惹いた展示品が幾つかあります。親鸞筆「皇太子聖徳奉讃断簡(第二首)」(愛知・蓮開寺)「宗祖御筆蹟集(浄土和讃)」(京都・太谷大学図書館蔵):これは原本の上に薄い紙を重ね文字の形を忠実に敷き写ししたものだそうです。 上宮太子方便ニ 和国ノ有情ヲアワレミテ 如来ノ悲願弘ク宣せり 慶喜奉讃せしむへし (事後に図録で判読しました。)「上宮太子御記」(西本願寺蔵):親鸞が編纂したとされる聖徳太子の伝記です。<第五章 親鸞のことば>まさに親鸞筆の文書類(聖教)が展示室に凝集されています。 やはり展示のハイライトは、国宝指定の親鸞筆「教行信証(板東本)」(東本願寺蔵)を間近に拝見できることです。(通期、展示替えあり)併せて、真仏筆「教行信証(高田本)」、「教行信証(西本願寺本)」の実物も見られるのは、生誕850年という機会だからのことでしょう。主要な文書類の実物をこの一室で大凡拝見できる貴重な機会になります。国宝指定としては、親鸞筆「西方指南鈔」(三重・専修寺蔵)、親鸞・真仏筆「三帖和讃(国宝本)」(三重・専修寺蔵)が出展されています。(通期)煩雑さを避ける為、当日拝見した親鸞筆文書類の名称だけご紹介します。浄土三経往生文類(略本)、尊号真像銘文(広本)、見聞集、唯信鈔(西本願寺本)、唯信鈔文意、一念多念文意、烏龍山師幷屠児宝蔵伝、曇摩伽菩薩云々、須弥四城経云々、親鸞聖人消息です。他には、顕智筆「愚禿鈔 巻上」(三重・専修寺蔵)と「浄土文類聚鈔」(滋賀・光延寺)、真仏筆「如来二種廻向文」(三重・専修寺)、顕智筆「獲得名号自然法爾御書」(三重・専修寺蔵)です。文書類の展示を見て毎回痛感するのは読解力のなさ。掲示の説明を読み、読めそうな箇所をちょっと見て、雰囲気を感じる程度で次々と拝見して行くレベルにとどまります。大体、文書類の展示箇所は鑑賞者の流れも速いですね。序でに、残念ながら拝見できなかった「歎異抄」について付記しておきましょう。蓮如筆「歎異抄 巻上」は、展示替えにより5/2~5/21に展示予定になっています。「親鸞聖人消息」3点の展示が終わるのと併せての展示替えのようです。<第六章 浄土真宗の名宝-障壁画・古筆->展示点数は少ないのですが、お寺という建物の規模に相応した障壁画のためでしょうか、その大きさがいわば通常の展示品サイズを越えているものがあり圧巻です。それは、巨大な戸四面に描かれた、望月玉泉筆「安養六種図」(東本願寺蔵)です。『仏説阿弥陀経』において西方浄土に棲むとされる六種の鳥を描いたもの。遣戸一面の大きさが縦268cm×横184cmという巨大サイズ。陳列箇所内に斜めの状態で展示されています。 これは、1階の南面通路に設置された記念撮影用のセットです。この背景に使われているのは、この第六章で展示の大きな衝立の絵です。望月玉泉筆「桜花図」(東本願寺蔵)。衝立は縦191cm×横296cmという大きさ。この絵は上掲のPRチラシ、PRパネル、入場券に親鸞像の背景として使われています。 これは衝立の桜花図の裏面に描かれているそうです。PRチラシに載っていて、図録には参考図版として載せてあります。「松・藤花図」です。展示室では衝立の背面を見られませんでした。徳力善宗筆「桜牡丹図」(京都・本願寺西山別院蔵)という襖絵も展示されています。四面に描かれています。こちらは、縦213cm×横102cmの大きさで、通常の展示状態です。加えて、国宝指定の2点があります。「三十六人歌集」(西本願寺蔵)の中から「猿丸集・兼輔集・順集」の展示。後期に展示替えが予定されています。もう一つは「類聚古集」(京都・龍谷大学蔵)です。最後に、最初に触れた第七章の展示室へと向いました。これで特別展の印象を含めたまとめ、かつ私の覚書記録といたします。それでは、京都博物館の庭を少し歩きましょう。つづく補遺京都国立博物館 ホームページ史上最大の親鸞展 2023年春に京都で(記者発表会) YouTube教行信証 :「コトバンク」教行信証 :「WEB版 新纂 浄土宗大辞典」【特別講義〔第1回〕】宗祖親鸞聖人と『坂東本 教行信証』/『教行信証』とは YouTube【特別講義〔第2回〕】宗祖親鸞聖人と『坂東本 教行信証』/『坂東本・教行信証』について YouTube【特別講義〔第3回〕】宗祖親鸞聖人と『坂東本 教行信証』/『正信偈』に宗祖の聞思の姿を窺う(1) YouTube【特別講義〔第4回〕】宗祖親鸞聖人と『坂東本 教行信証』/『正信偈』に宗祖の聞思の姿を窺う(2) YouTube【特別講義〔第5回〕】宗祖親鸞聖人と『坂東本 教行信証』/宗祖親鸞聖人のよびかけ YouTube親鸞聖人御消息 :「WikiArc:浄土真宗聖典」親鸞聖人御消息 現代語訳 :「山寺」(浄土真宗本願寺派 長久寺)歎異抄 :「WEB版 新纂 浄土宗大辞典」歎異抄 :「WikiArc:浄土真宗聖典」念仏に生きた苦悩の僧 親鸞 YouTube ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2023.04.23
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=== 2023.4.4 === 9時半過ぎに撮った南の空です。快晴でした。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空はいつもより明るい感じでした。 14時45分頃に眺めると、東方向の空は晴れ上がり白雲が漂っています。 南の空 南西方向の空 西方向の空 南から西方向にかけては午後も変わらず雲はなし。=== 2023.4.5 === 南の空朝から曇っていました。16時過ぎに記録として撮りました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空昼間はくもりでしたが、夜に小雨が降りました。=== 2023.4.6 === 9時過ぎに撮った南の空です。この日もくもりです。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 東方向の空13時45分過ぎにも撮ってみました。くもり空が続きます。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 終日、くもりでした。さて、雲がたりとして、辞典の語彙についてのつづきです。1989年11月に、講談社が創業80周年記念としてカラー版の『日本語大辞典』を刊行しました。当初、特別定価として少し割り引き価格で売り出しました。そのときに購入した第一刷があります。『広辞苑』初版第一刷が1955年5月ですので、大型の国語辞典として、34年の歳月の隔たりがあります。そこで、この二種の辞典の語彙採録の対比をしてみました。辞典編纂にはそれぞれの編纂方針があるでしょうから、あくまで対比だけです。[A.雲(くも)と読む語彙]A-1:『広辞苑』と重なる語彙 雲、雲合、雲脚、雲井・雲居、雲井調子、雲井の桜、雲井龍雄、雲隠、雲隠る、 雲霞、雲形、雲形定規、雲霧、雲煙、雲路、雲助・雲介、雲斗、雲の脚、雲の上、 雲の梯、雲の峰、雲肘木、雲額、雲間、雲見草、A-2:『日本語大辞典』が採録した新たな語彙 雲足、雲切草、雲助根性、雲鳥の、雲取模様、雲放電、雲間草、雲間褄黄蝶、 雲間紅日陰蝶、雲行き、A-3:『広辞苑』に載り、『日本語大辞典』には含まれない語彙 雲居地、雲井如す、雲井の雁、雲井曲、雲井の庭、雲井の峰、雲井の余所、雲井弄斎、 雲入、雲風、雲形肘木、雲紙、雲霧五人男、雲切、雲障子、雲透、雲簾、雲立涌、 雲鳥、雲の主、雲の庵、雲の上人、雲の上臥、雲の裏、雲の帯、雲の返、雲の垣、 雲の通路、雲の声、雲の梢、雲の経、雲の旅、雲の便、雲の使、雲の扃(とざし)、雲の帳、 雲の波、雲の波路、雲の濡衣、雲の袴、雲の旗手、雲の林、雲の原、雲の舟、雲の籬、 雲の黛、雲の迷、雲の湊、雲の都、雲の八重葺、雲の夢、雲の余所、雲箔、雲離、 雲夜、雲分眉、雲腸、雲水、雲焼、雲行[B.雲(うん)と読む語彙]B-1:『広辞苑』と重なる語彙 雲烟、雲霞、雲海、雲客、雲気、雲級、雲鏡、雲形、雲向、雲高、雲谷等顔、 雲谷派、雲際、雲斎、雲散、雲散霧消、雲州、雲上、雲上人、雲消霧散、雲水、雲仙 雲仙躑躅、雲台、雲底、雲泥、雲南、雲版、雲表、雲母、雲門、雲量、B-2:『日本語大辞典』が採録した新たな語彙 雲、雲煙、雲煙過眼、雲煙飛動、雲煙縹緲、雲貴高原、雲笈七籖、雲崗石窟、 雲斎織(り)、雲集、雲壌、雲仙天草公園、雲仙温泉、雲仙岳、 雲速、雲頂、雲霧、雲霧林、雲母片岩、雲紋雀蛾、雲粒、雲竜型、B-3:『広辞苑』に載り、『日本語大辞典』には含まれない語彙 雲雨、雲影、雲翳、雲烟過眼、雲烟飛動、雲烟縹緲、雲外、雲鶴、雲間、雲漢、 雲脚、雲脚台、雲霓、雲居、雲崗・雲岡、雲合霧集、雲居寺、雲根、雲彩、 雲散鳥没、雲棧、雲山、雲脂、雲蛇、雲岫、雲集、雲生、雲照、雲霄、雲上明覧、雲壌、 雲蒸竜変、雲心月性、雲箋、雲孫、雲中、雲中白鶴、雲梯、雲伝神道、雲泥万里、 雲堂、雲屯、雲衲、雲萍雑志、雲鬢、雲平、雲平細工、雲平糖、雲甍、雲夢沢、 雲紋竹、雲屋台、雲揚艦、雲鑼、雲竜、雲竜水、雲林院、雲廊、[C.語彙に「雲」を含む語彙]C-1:『広辞苑』と重なる語彙 天雲の、雨雲、暗雲、岩雲、浮雲、絹雲母、行雲流水、彩雲、紫雲、慈雲、祥雲、 白雲、水雲、翠雲、瑞雲、青雲、星雲、星雲群、星雲説、星雲線、星雲団、積雲、 宋雲、層雲、棚雲、断雲、東雲、薄雲、微雲、飛雲閣、雲雀、碧雲、北条早雲、 八雲、八雲琴、八雲立つ、八雲御抄、横雲、雷雲、乱雲、凌雲、凌雲集 鰯雲、入道雲、飛行機雲、綿雲 (この4語は両辞典対比で気づいて追加)C-2:『日本語大辞典』が採録した新たな語彙 黒雲母、紫雲寺、白雲の、層雲峽、早雲寺殿二十一箇条、大雲寺、白雲石、白雲木、 雲雀東風、八雲さす、陵雲、筋雲、斑雲、C-3:『広辞苑』に載り、『日本語大辞典』には含まれない語彙 天雲、絹雲母片岩、金雲母、黒雲、行雲、行雲体、黄雲、香雲、耕雲、大雲院、 五雲、五雲の車、似雲、秋雲、愁雲、湿雲、春雲、浄雲節、青雲の志、青雲の士、 青雲の交、赤雲、叢雲、測雲器、朶雲、淡雲、凍雲、夏雲、白雲母、飛雲、雲雀山、 八雲の道、凌雲閣、凌雲台、[D.『広辞苑』雲級で言及の名称、『日本語大辞典』雲形で言及の名称] 巻雲、巻積雲、巻層雲、高積雲、高層雲、層積雲、層雲、乱層雲、積雲、積乱雲、 やはり、編纂方針と時の隔たりが反映している感じですね。私の手許ではできませんが、『広辞苑』の初版と後続の版を対比してみるのもおもしろいかも・・・そんな気がします。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.4.7 === 南の空朝から雨でした。9時半頃に、記録として撮りました。窓際から。南西方向の空 終日、雨。=== 2023.4.8 === 10時頃に撮った南の空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空空は全面的にちょっとダイナミックな灰色雲が浮かんでいます。 東方向の空15時20分頃に眺めた空は、大きく変化。午後から晴れてきたのです。 南東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 18時過ぎに撮った南の空。南西方向の空 西方向の空 東方向の空午後の天気は上々。朝の雲の姿からは午後の変化を予想できませんでした。つづくこちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.04.18
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=== 2023.4.1 === 南の空9時40分過ぎに撮りました。本日快晴なり、でした。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空南から西方向にかけては快晴でも、午前中の稜線上の空はこんな感じが日常です。 16時過ぎに撮った東方向の空。快晴の午後は稜線上空に青空が見えます。 南の空南西方向の空 西方向の空 雲の姿はあまり見られませんでしたが、快晴はやはり好い。=== 2023.4.2 === 9時30頃に撮った南の空です。晴れた空に雲が広がっています。南西方向の空 西方向の空 淡々とした雲が一面に広がっている感じです。 東方向の空は見慣れた空模様。 東方向の空13時半頃に撮りました。青空を見せながら、雲の姿が大きく変化しています。雲!って感じ。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空東の空とは、雲の姿がかなり違います。おもしろい。 17時半過ぎに眺めた南の空です。雲の動きがかなり変化。南西方向の空 西方向の空 東方向の空の雲は逆に穏やかな雲に変化していました。雲が出て来たとは言え、晴のちくもりとまでは言いたくない感じの一日でした。さて、なんとか暦の4月に追いつきました。禅語に現れる雲はまだまだありますが、気分転換に別の雲がたりを試みたいと思います。どこかのテレビ番組で、ある文字を含む熟語を上げるというクイズをよくやります。それを思い出しました。『広辞苑』(岩波書店)に「雲」を含む語彙として何が載っているか? どれくらい載っているか? 手許にあるのは、1966(昭和41)年3月の第1版第19刷の初版です。最新版とはかなり異なっているかもしれません。まあ、そんなことは気にせずに、抽出してみました。A.雲(くも)と読む語彙 雲、雲合、雲脚、雲井・雲居、雲居地、雲井調子、雲井如す、雲井の雁、雲井曲 雲井の桜、雲井の庭、雲井の峰、雲井の余所、雲井弄斎、雲井龍雄、雲入、雲隠 雲隠る、雲霞、雲風、雲形、雲形定規、雲形肘木、雲紙、雲霧、雲霧五人男、雲切 雲煙、雲路、雲障子、雲透、雲助・雲介、雲簾、雲立涌、雲斗、雲鳥、雲の脚 雲の主、雲の庵、雲の上、雲の上人、雲の上臥、雲の裏、雲の帯、雲の返、雲の垣 雲の梯、雲の通路、雲の声、雲の梢、雲の経、雲の旅、雲の便、雲の使、雲の扃 雲の帳、雲の波、雲の波路、雲の濡衣、雲の袴、雲の旗手、雲の林、雲の原、 雲の舟、雲の籬、雲の黛、雲の迷、雲の湊、雲の峰、雲の都、雲の八重葺、雲の夢 雲の余所、雲箔、雲離、雲肘木、雲額、雲間、雲見草、雲水、雲焼、雲行、雲夜 雲分眉、雲腸、B.雲(うん)と読む語彙 雲雨、雲影、雲翳、雲烟、雲烟過眼、雲烟飛動、雲烟縹緲、雲霞、雲海、雲外、 雲客、雲鶴、雲間、雲漢、雲気、雲脚、雲脚台、雲級、雲鏡、雲形、雲霓、雲居 雲崗・雲岡、雲向、雲高、雲合霧集、雲谷等顔、雲谷派、雲居寺、雲根、雲彩 雲際、雲斎、雲散、雲散鳥没、雲散霧消、雲棧、雲山、雲脂、雲蛇、雲州、雲岫 雲集、雲生、雲照、雲霄、雲上、雲上人、雲上明覧、雲壌、雲消霧散、雲蒸竜変、 雲心月性、雲水、雲箋、雲仙、雲仙躑躅、雲孫、雲台、雲中、雲中白鶴、雲底、 雲梯、雲泥、雲泥万里、雲伝神道、雲堂、雲屯、雲南、雲衲、雲版、雲表、雲萍雑志 雲鬢、雲平、雲平細工、雲平糖、雲母、雲甍、雲夢沢、雲門、雲紋竹、雲屋台、 雲揚艦、雲鑼、雲竜、雲竜水、雲量、雲林院、雲廊、 C.語彙に「雲」を含む語彙 天雲、天雲の、雨雲、暗雲、岩雲、 絹雲母、絹雲母片岩、金雲母、黒雲、行雲、行雲体、行雲流水、香雲、耕雲、 黄雲、五雲、五雲の車、 彩雲、紫雲、似雲、慈雲、秋雲、愁雲、湿雲、春雲、祥雲、浄雲節、白雲、水雲、 翠雲、瑞雲、青雲、青雲の志、青雲の士、青雲の交、星雲、星雲群、星雲説、 星雲線、星雲団、赤雲、積雲、宋雲、層雲、叢雲、測雲器、 大雲院、朶雲、棚雲、淡雲、断雲、東雲、凍雲、 夏雲 薄雲、白雲母、飛雲、微雲、飛雲閣、雲雀、雲雀山、浮雲、碧雲、北条早雲、 八雲、八雲琴、八雲立つ、八雲の道、八雲御抄、横雲、 雷雲、乱雲、凌雲、凌雲閣、凌雲集、凌雲台、D.雲級としての名称 巻雲、巻積雲、巻層雲、高積雲、高層雲、層積雲、層雲、乱層雲、積雲、積乱雲私的には驚きです。こんなにもあるなんて!だけど、これ完璧な抽出じゃありません。AとBは辞典のチェックは比較的簡単です。たぶんもれなく抽出したつもりです。Dは、「雲級」の説明の中に記載され、いくつかをサンプリングすると、一項目としても載っていて説明があります。問題はC。1頁ずつチェックするなんて、できません。『広辞苑』初版のデータベースがあるわけでもありませんので、自分の知る語彙あるいは想定でアタリをつけて辞典を引いてみた範囲で抽出したものです。「雲」一文字からの語彙の広がり。如何に普段使うボキャブラリーが貧弱なものかを痛感しました。嗚呼・・・・・。ここでは「雲となり雨となる」「雲に棹さす」「雲は竜に従い虎は風に従う」という類いの雲を含んだ成句は抽出の対象にはしていません。「雲」の項に、初版ではこれらを含め計10の成句が載っています。「冬空」は載っていますが「冬雲」「冬の雲」は載っていません。「西雲」「西の雲」も載っていません。おもしろい。さて、こんなところで、雲の変化に戻ります。=== 2023.4.3 === 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空9時過ぎに撮りました。南の空から西方向にかけて、また頭上への雲の連なり方がおもしろい感じ。 東方向の空 14時15分頃に眺めた東方向の空。稜線に少し白雲がかかる程度で晴れ上がっています。 南の空南西方向の空 西方向の空 晴れた一日はやはりいいですね。つづくこちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.04.17
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我が家の玄関までの短いアプローチの傍に、ささやかな花壇と鉢植えが並んでいます。花を育てるのは家人の趣味。わたしは専ら愛でる/撮るだけ・・・・。時至ればツツジが咲き始めた・・・・季節は巡る、という思いから、今朝庭に咲く花々を撮ってみました。 家の前の道路に面して咲くツツジ 玄関までの中間に咲くツツジ ツツジの北側に立つ我が家の郵便ポストの傍に咲くツルニチニチソウの花 道路に面して、玄関への通路の左側に置いたプランターに咲くアジュガ アジュガの北隣りに、ブルーベリーの花 通路寄りに一鉢のミヤコワスレの花が咲き ハナアロエと記した札を立てた鉢に、小さな薄紫の花が咲いています。 その傍には鉢植えのポピーの花 よく見ると小さな庭の南西隅にも咲いていました。 南西隅の金木犀の木の傍に、ある銀行の支店で頂いて植えたというゼニの花も。 南東隅のもう一つの金木犀の傍には、月桂樹(ローリエ)の花 通路の右側の小さな花壇には、ボケの低木があり、ボケの花が咲いています。 通路の反対側には、鉢植えの不詳の小さな花・・・・。カタバミかも? 玄関の右脇に置かれた鉢には、シランの花 玄関の左脇に置かれた鉢には、ナルコユリの花 玄関前通路の左側には、ラベンダーの花 その近くに名前は不詳。野生のランの一種らしい花も。 リビングルームの外側に置かれたプランターにネギ坊主がでんと・・・・。今年は桜が早めに咲き、花の季節が巡ってきました。唐代の詩人、劉廷芝(651?~680?、別の名は劉希夷)は「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代わりて)と題する七言古詩を詠じています。 洛陽城東桃李花 洛陽城東 桃李の花 飛来飛去落誰家 飛び来り飛び去って誰が家にか落つる 洛陽女児好顔色 洛陽の女児 顔色好し 行逢落花長歎息 行くゆく落花に逢うて長嘆息す 今年花落顔色改 今年花落ちて顔色改まり 明年花開復誰在 明年花開くも復(ま)た誰か在る 已見松柏摧爲薪 已に見る 松柏の摧(くだ)けて薪(たきぎ)と為るを 更聞桑田變成海 更に聞く 桑田の変じて海と成るを 古人無復洛城東 古人(こじん)復た洛城の東に無く 今人還對落花風 今人(きんじん)還(ま)た対す落花の風 年年歳歳花相似 年年歳歳花相(あい)似たり 歳歳年年人不同 歳歳年年人同じからず 寄言全盛好顔子 言を寄す全盛の紅顔の子 應憐半死白頭翁 応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁(はくとうおう) その第4節には、禅語にも通り入れられている有名な一節が含まれています。「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」です。花の季節が巡ってくると、この一節を思い出します。書架に眠っている『唐詩選(上)』(前野直彬注解、岩波文庫)を久々に取り出してみました。(p100-101) 花を撮るのも久しぶりです。 ご覧いただきありがとうございます。補遺アジュガ :「みんなの趣味の園芸」ミヤコワスレ :「みんなの趣味の園芸」シラン :「みんなの趣味の園芸」ツルニチニチソウ:「みんなの趣味の園芸」【月桂樹(ローリエ)の育て方】オリンピックとの関係や花言葉は?:「For your LIFE」ポピーってどんな花? :「GARDEN STORY」アマドコロ(ナルコユリ) :「花と緑の図鑑-Garden vision」ブルーベリー :「花と緑の図鑑-Garden vision」カタバミ :「植物ずかん」ネギ坊主 :ウィキペディア禅語 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同(唐詩選) :「臨黄ネット」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2023.04.14
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=== 2023.3.29 === 9時20分頃に撮った南の空です。朝から快晴。雲はありません。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 いつものように東方向の空、稜線上は靄がかかったような感じです。 13時半頃に眺めた東方向の空には青さが現れています。 南の空南西方向の空 西方向の空 南の空17時40分過ぎに空を見上げると、雲が湧き起こっていました。南西方向の空 西方向の空 南から西方向にかけて、今まであまりみかけなかった雲の姿です。 東方向の空にも白雲が漂っています。=== 2023.3.30 === 9時15分すぎに撮った南の空です。昨日に続き、快晴です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空はほぼいつも通りの空模様です。 16時50分頃に撮った東方向の空です。 南の空南西方向の空 西方向の空 晴れのち曇りへと変化する一日でした。=== 2023.3.31 === 9時半過ぎに撮った南の空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空午前中前半はこのような曇り空で、雲に覆われていました。しかし、時間の経過とともに、空は晴れ上がっていきます。 15時15分過ぎに撮った東方向の空。空は快晴状態に変化。稜線の上に白雲が少し漂う程度です。 南の空南西方向の空 西方向の空 3月の最終日は晴れた空を眺める一日で終わりました。つづくこちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.04.13
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=== 2023.3.23 === 9時過ぎに撮った南の空です。朝から曇り空。南西方向の空 西方向の空 東方向の空いずれの方角もグレーの雲に覆われています。 南の空南西方向の空 14時20分頃には既に雨が降っていました。午後から雨に変わりました。雲の色はグレーの色が薄らぎ、のっぺりとして布に覆われている感じに変化。窓際から二方向だけ撮りました。=== 2023.3.24 === 南の空この日も朝から曇り空。7時50分頃に撮りました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空東方向がグレーの雲がやや厚そうに見えます。 16時45分頃に撮った東方向の空。少し青空が垣間見える箇所もあります。 南の空南西方向の空 西方向の空 曇り空の一日でした。=== 2023.3.25 ===この日は、早朝からウォーキング同好会の例会に参加するために出かけていました。「歩く 滋賀県草津市 JR南草津駅~ロクハ公園」の記事としてまとめてご紹介しています。当日の現地は曇りでした。宇治の方も、出かけた時、並びに帰宅後も空は曇り空でした。=== 2023.3.26 === 南の空南西方向の空 朝から雨。記録として、13時25分に窓際から撮った空模様です。 空だけ眺めれば曇り空にしか見えませんが・・・。=== 2023.3.27 === 南の空午前中は曇っていましたが、13時頃にはこんな空模様に変化していました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線の上には、白雲が厚い層を成して漂っています。その上空には青空が見えます。 18時過ぎに東方向の空を眺めると、グレーの1枚のシーツのような雲の姿に変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 曇りのち晴といった一日でした。=== 2023.3.28 === 南の空9時半頃に撮りました。朝から快晴!! 雲の姿なし。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空やはり稜線の上空だけは薄雲が浮かんでいました。 14時20分過ぎに、東方向の空を眺めた時には、このような雲無き青空に様変わりです。 南東方向の空に、小ぶりな白雲がポカリと浮かんでいます。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空 南の空18時20分頃にも空模様を撮ってみました。日が長くなってきたことを感じます。南西方向の空 西方向の空 東方向の空晴れ渡った空を見上げると、やはり気分が良いですね。つづくこちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表歩く 滋賀県草津市 JR南草津駅~ロクハ公園
2023.04.12
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萬福寺総門この西面する総門前の道路を挟んで反対側には樹木の繁る広場空間があります。ここについて改めてご紹介します。4月9日に、萬福寺の三門と放生池の辺りを訪れた目的の一つは、桜の様子を4月1日の時と比較してみたかったことでした。この目的から言えば、総門前の緑の空間の南側での桜のコントラストもわかりやすい対比になります。 4月1日時点の白雲庵前の桜の花の満開状態は、 花がかなり散り、葉桜になっていました。 4/1に撮影もう一つの目的は、桜の枝の背後に建立されている石碑を再見してみたくなったからです。 4/1に撮影 この石碑です。なぜか。ごく最近、梓澤要著『あかあかや明恵』(新潮社、2023年1月刊)という伝記風小説を読みました。その中に、明恵が栄西禅師に会った時に茶の種を贈られます。その種を明恵の従者が栂尾で播き、茶を栽培する苦労話がエピソードとして描かれています。それを読んでいたときにこの石碑のことを思い出しました。 石碑の左斜め前に、「駒蹄影園趾」と刻された石標が建てられています。右側前方には、史跡観光の一環として案内板が設置されています。「駒蹄影園碑」と題して、「Koma-no-ashikage-en Monument」と併記されていて、「こまのあしかげえん」と称しています。「鎌倉時代の初めごろ、宇治の里人たちが茶の種の蒔き方がわからず困っているとことへ、通りかかった栂尾高山寺の明恵上人が馬を畑に乗り入れ、その蹄(ひづめ)の跡に種を蒔くように教えたと伝えられています」(説明転記)栄西禅師から茶の種を得た明恵上人は栂尾で茶を栽培させます。その栂尾は、鎌倉・室町時代を通じて茶山と称されていたそうで、宇治茶発祥の地とされています。(資料1,2)かつてはこの五ヶ庄あたりには茶園が広がっていたことでしょう。 こんな絵図が案内板の側面に取り付けてあります。 石碑には、現代文として記すと、 栂山(とがやま)の尾上(おのえ)の茶の木分け植えて 迹(あと)ぞ生(お)ふべし駒の足影 明恵と明恵上人の歌が刻されています。例えば石碑には「栂山の尾上」は「都賀山乃尾上」、「足影」は「蹄影」と表記されています。「この碑は、明恵上人への感謝とその功績を顕彰するため、大正15年(1926)に宇治郡茶業組合により建立されたものです」(説明転記)もう一つ、この広場空間に存在し、萬福寺と直接関係する史跡があります。 上掲の白雲庵の築地塀近く、つまり広場空間の南辺に井戸があります。 こちらの井戸は広場空間の北辺にあります。 北辺にこの「龍目井」の案内板が設置してあります。黄檗山萬福寺を訪れる観光客でこの龍目井を見落とされる人がいるのではないでしょうか。二つの井戸はかなり離れた距離にさりげなく存在するだけ。立札があるものの人目につきにくい寂びたものになっています。案内板自体も目立たない位置にあるように思いますので・・・・。これで萬福寺とその周辺での観桜ご紹介を終わります。ご覧いただきありがとうございます。参照資料1) 宇治茶の歴史 :「宇治市」2) 宇治茶の歴史と文化 :「京都府茶業会議所」補遺黄檗宗大本山 萬福寺 ホームページ黄檗普茶 白雲庵 ホームページ宇治茶の定義 :「京都府茶業会議所」栂尾山高山寺 ホームページ 日本最古の茶園お茶の伝来と拡がり :「綾鷹」宇治茶摘図 :「立命館大学」国貞二代「東海道名所之内 (御上洛東海道) 宇治」 :「原書房」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 宇治市 黄檗山萬福寺とその周辺の桜 -1 墓地と駐車場の桜 へ観照 宇治市 黄檗山萬福寺とその周辺の桜 -2 黄檗公園と萬福寺の桜 へ
2023.04.11
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赤丸を追記した辺りに、この黄檗公園案内図が設置されています。 黄檗公園の入口付近の桜です。 桜に誘われて、入口傍の石段を上がりました。 桜満開 球場の東側にも桜の木が列をなしています。球場の外周を時計回りにホームベース方向に巡ってみました。 進行方向の通路の左側(北西側)には、境界となるフェンスの先に、「京都華僑霊園」内の桜並木が遠望できます。 球場のネット越しに眺めた桜の木この辺りで公園入口に引き返し、萬福寺の総門へと向いました。(移動途中は省略) 萬福寺総門前の道路を南から向かいます。総門手前で築地塀越しに桜が見えます。 総門の手前ですがすぐ近く、道路の左側(西側)に、普茶料理の老舗「白雲庵」の白壁と門が見えます。門前の桜がきれいです。かつてはここも子院だったようです。 北方向にも満開の桜の木があります。 桜の木の向こう側に垣間見えるのがこの石碑です。 これについては、次回に取り上げたいと思います。 さらに北側に桜の木があり、勿論こちらも満開です。 黄檗山萬福寺の総門。4月1日は総門に幕が張られていました。 門を入ると参道の右斜め方向に萬福寺七堂伽藍の境内全景図が設置されています。 北東方向の桜 参道の正面突き当たりの桜総門を入ると参道は正面に白い築地塀(影壁えいへき)が見え、その手前で直角に右折します。その先に三門が姿を見えます。 三門前を通過して、南西側から撮った景色。三門前の西側には放生池があります。 水平方向に延びる桜の枝越しに北方向を眺めた景色。直角に右折した参道は三門前で再び直角に左折し三門に至ります。ここからも参道の側石が見えています。三門前を通り過ぎ、そのまま真っ直ぐに歩めば、上掲の桜の枝越しに境内にある塔頭(天真院)の山門の屋根が見えます。この山門は総門と同じ形式です。萬福寺細見のご紹介の折にこの塔頭に触れています。 観桜としては、やはり放生池の西辺から山門と桜を併せて眺める景色がすてきです。 池の西辺は、萬福寺正面の築地塀のすぐ内側ですので、振り返れば白い築地塀沿いの桜を楽しめます。 三門から先に入るには、拝観料が必要です。ぶらっと訪れた観桜としては、三門の桜景色までに留めました。総門を出て、正面の道路を北に向かいます。 総門北隣りの塔頭の桜越しに、萬松院の開山堂(天光塔)を遠望した景色です。 開山堂の西側にも桜の木が見えます。 萬松院境内の観音菩薩立像の足元には、台座の上に満開の花々が供花されていました。さて、昨日(9日)、市の図書館に出かけましたので、萬福寺に立ち寄ってみました。 総門の幕ははずされていました。 道路から見えるこの木だけが満開状態でした。 境内全景図の傍の桜は葉桜になっています。 放生池の畔の桜も同様に、完全に花は散っていました。いずれもすぐに新緑で瑞々しくなることでしょう。 枝が水平に延びたこの桜の木も同様です。桜の花の咲き誇る期間はあっという間・・・・・。 花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町の歌を思い出しました。 もう一つ連想したのは、この萬福寺の巡照板に記された偈です。 謹白大衆 生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎勿放逸「生死事大 無常迅速」という語句は、禅宗のお寺でも目にします。つづく補遺黄檗宗大本山 萬福寺 ホームページ黄檗普茶 白雲庵 ホームページ ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 宇治市 黄檗山萬福寺とその周辺の桜 -1 墓地と駐車場の桜 へ観照 宇治市 黄檗山萬福寺とその周辺の桜 -3 萬福寺総門前:石碑、井戸ほか へこちらもご覧いただけるとうれしいです。スポット探訪 宇治市 黄檗山萬福寺細見 -1 総門と門前点景 14回のシリーズでご紹介探訪 宇治市 黄檗山萬福寺とその周辺を巡る -1 宇治川岸から萬福寺総門前 7回のシリーズでご紹介
2023.04.10
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4月1日の午後、市の図書館に行った続きに黄檗山萬福寺の周辺の桜を眺めながら歩いてみました。国土地理院の地図によりますと、萬福寺は東側に位置する高峰山(標高298m)の西側の山裾のなだらかな丘陵地に位置します。寺域の背景は山の斜面になっています。萬福寺は「五ヶ庄」区域の北部にあり、丘陵地の北側は川を隔てて「広岡谷」区域と隣り合っています。萬福寺の伽藍の背後の斜面地には2つの墓地域が広がっています。萬福寺の北側の道路を西側から上って行くと、高峰山の西側斜面を占める「宇治カントリークラブ」というゴルフ場に至ります。その手前、道路右側(南側)の丘陵状斜面に墓地域が広がっています。坂道の道路沿いに歩き、高い方に位置する2つめの墓地をまず訪れました。冒頭の桜はその墓地入口付近で撮りました。 この墓地域の中央の通路です。左右の山の斜面が階段状に整備され広がっています。 この通路の桜並木を眺めながら階段を下ります。 桜の花びらが風に吹かれて、かなり散り始めていました。 このメインの階段通路を下り、下から見上げた景色です。 萬福寺境内地の丁度背後になり、黄檗公園に近い側がこの墓地域への正面入口です。階段通路への入口には、「京都華僑霊園」と表示されています。 霊園前の道路の反対側は萬福寺の外周です。 道路沿いに進むとすぐ萬福寺境内の南東側にある駐車場エリアになります。駐車場の傍にも桜が咲いていました。この駐車場の入口は、次回ご紹介する黄檗公園入口傍の西側道路になります。序でに、黄檗公園入口への道路を進む時に見かけた史跡をご紹介しておきましょう。 道路の一隅に、「陸軍省」の敷地境界を示す石標が遺されています。 駐車場入口と黄檗公園入口の間、道路の東側(山側)に遺された遺構がこれ。 フェンスの内側を覗いて撮った景色。トンネルです。 案内板には、「旧陸軍火薬庫の土塁とトンネル」と明記されています。「宇治市黄檗公園の一帯には、かつて旧陸軍の火薬庫がありました。この地が選定されたのは明治8(1875)年、その後しだいに施設は整備されました。 火薬庫は、爆発事故によって被害が拡大しないように、一棟ずつ建物と同じくらいの高さの堅固な土塁で囲まれ、出入口としトンネルが設けられました。 昭和20(1945)年の終戦以降、火薬庫は姿を消していきましたが、ここにその遺構がのこりました。戦争の記憶が薄れつつある現在、過去の状況を今に伝える貴重な構造物となっています。 宇治市平和都市推進協議会では、昭和62(1987)年に宇治市議会で決議された「核兵器廃絶平和都市宣言」の理念のもとに、さまざまな啓発事業に取り組んでいます。二度と戦争の過ちをくり返さない決意をもって、ここに火薬庫跡の銘板を設置するものです。 平成18(2006)年12月 宇治市平和都市推進協議会 」(案内文転記)旧陸軍の敷地となった現在の黄檗公園一帯は、江戸時代に遡れば、黄檗山萬福寺の寺域だったところです。それでは、黄檗公園の観桜に移りましょう。つづく補遺黄檗宗大本山 萬福寺 ホームページ京都黄檗山華僑霊園 :「お墓きわめびとの会」京都華僑墓地委員会 紹介 :「京都華僑総会・京都華聯旅行社」【京都宇治】旧陸軍の火薬庫跡/木幡軍用線 YouTube ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 宇治市 黄檗山萬福寺とその周辺の桜 -2 黄檗公園と萬福寺の桜 へ観照 宇治市 黄檗山萬福寺とその周辺の桜 -3 萬福寺総門前:石碑、井戸ほか へ
2023.04.09
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=== 2023.3.18 ==== 南の空土曜日、朝から小雨が降る中、檀家寺での法会に出かけていました。帰宅後、13時すぎに撮った空です。南西方向の空 窓際から二方向を撮るだけに。 南の空16時45分頃に空を見上げてみると、小雨が止み曇り空に。南西方向の空 西方向の空 東方向の空は、雲のグラデーションの間に青空がほんの少し垣間見えました。 空の一部をズームアップで切り取ってみました。部分的に青空が見える箇所がありました。=== 2023.3.19 ===朝から快晴。そこで、南隣りの城陽市に午前中ウォーキングを兼ねて出かけました。城陽市域の古墳群を以前にご紹介していますが、見落としているのが数カ所あります。その探訪でした。 南の空帰宅後、14時40分頃に撮った空です。雲は見えません。南西方向の空 西方向の空 少し雲が北西寄りに出てます。 東方向の空には、普段あまり見かけなかった白雲の姿を眺めることができました。めずらしく、気持ちのよい青空が広がっています。 16時50分頃、東方向の空を見ると、雲が消え快晴の空に転じていました。 南の空雲が無かった空に白雲が。この白雲もあまり見かけなかった形です。南西方向の空 西方向の空 天気に恵まれた一日でした。=== 2023.3.20 ===この日も引き続き快晴。午前中所用で出かけており、写真を撮りませんでした。 これは16時30分頃に撮った南の空です。見慣れない雲の姿を記録できました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空南から西方向にかけての空の雲とは違った姿の白雲が青空に広がっていました。=== 2023.3.21 === 朝から曇り空。これは12時過ぎに撮った南の空です。もやっとして空全体を覆う感じのグレーな雲。南西方向の空 西方向の空 東方向の空15時半過ぎには曇りから雨に空模様が変化していました。 南の空南西方向の空 窓際から、二方向の空を撮るだけに・・・・。=== 2023.3.22 ===午前中は曇り空。定期的健診を受けている病院に出かけていました。 帰宅後、13時40分頃に撮った南の空。青空に変化。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 18時10分頃に撮った東方向の空。雲が消え快晴に。 南の空南西方向の空 西方向の空 曇りのち晴の一日。つづくこちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.04.08
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=== 2023.3.13 === 10時10分頃に撮った南の空です。グレーの雲が湧き上がっている曇り空。深夜には雨が降っていたようです。ベランダに雨滴の後が見られました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空空全体が暗鬱な感じ・・・・。 13時45分頃に撮った東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 午後、暗さは少し薄らぎましたが曇り空が続きます。 16時50分頃に南の空を眺めると、一転し青空に変化していました。白雲が浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空曇りのち晴。雲の姿が様々に変化する一日でした。=== 2023.3.14 === 10時すぎに撮った南の空です。雲がみられず快晴。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空東の空は快晴の場合でももやがかかった感じです。これは山並みがある影響でしょうか。 13時頃に撮った東方向の空。気温が上りその影響でしょうか、稜線上の空の色合いが綺麗に見えます。 南の空南西方向の空 西方向の空 === 2023.3.15 === 南の空 朝から快晴でした。13時40分頃に記録として撮りました。雲は見られず。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空=== 2023.3.16 === 9時半過ぎに撮った南の空です。前日に続き快晴。南西方向の空 西方向の空 東方向の空昼間の快晴が夕方に曇り空になり、少し小雨が降る時がありました。快晴から曇りへ。=== 2023.3.17 === 9時50分頃の南の空。朝から曇り空。もやっとして空全体を覆う感じのグレーな雲。南西方向の空 西方向の空 東方向の空 16時過ぎに撮った東方向の空。 南の空南西方向の空 西方向の空 曇りの状態が一日続き、夜は雨になりました。つづくこちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.04.07
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=== 2023.3.9 === 10時過ぎに撮った南の空です。南西方向の空 西方向の空 薄いベールがかかったような空模様です。 東方向の空はグレー一色です。 11時50分頃に撮った東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 午後は京都・三条に出かけました。この日は一日曇りの状態でした。=== 2023.3.10 === 9時40分頃に撮った南の空です。南西方向の空 西方向の空 南から西方向にかけては雲がわずかに見える晴れた空と言えます。 頭上の空 東方向の空は、いつものようにグレーの雲がかかっています。 13時40分頃に眺めた東方向の空稜線の上には白雲がかかり、その上空に青空が広がっていました。様変わりです。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空南から西方向にかけては、最近見かけなかったダイナミックな雲が現れていました。午後はちょっとお散歩です。=== 2023.3.11 === 10時頃に撮った南の空です。昨日に続き快晴と呼べるでした。南西方向の空 西方向の空 東方向の空東はやはりグレーな空の眺めです。晴れた一日になりましたので、あとは16時過ぎに空を撮ってみました。 東方向の空は青空に転じていました。 南の空南西方向の空 西方向の空 雲の無い青空が広がっていました。=== 2023.3.12 === 10時過ぎに撮った南の空です。晴れた空を眺めるとやはり気分的にはいいですね。南西方向の空 くっきりと一条の白雲が見えました。飛行機雲でしょうか。 西方向の空 頭上の空 東方向の空は、いつもの如くグレーです。山並みがあるゆえの気象状況なのでしょうか。 14時過ぎに撮った東方向の空です。グレーな空模様に変化が出ていました。稜線上は明度が上がり、白雲が漂う形に変化し、逆にその上空は色濃い灰色の雲が姿を見せていました。 南の空 朝の晴れた空は、曇り空に変転していました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空晴のち曇り、天気予報通りの変化だったと思います。つづくこちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.04.06
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=== 2023.3.5 === 時が過ぎるのを早く感じます。3月5日(日)の10時15分頃に撮った南の空です。曇り空です。南西方向の空 西方向の空 東方向の空空全体がグレーの雲に覆われています。時に追いつくために、雲がたりを少し中断して、雲の変化をしばらく追いかけることに致します。雲の変化の記録です。 12時45分頃に撮った東方向の空です。青空が見え、横雲が漂っています。 南の空にはグレーの雲がそのままに。南西方向の空 西方向の空 頭上の空グレーの雲は南方向に残っているだけでした。 南の空南西方向の空 西方向の空 東方向の空17時45分頃に空を眺めると、全体的に雲が切れ、晴れた空がそのまま広がっていました。=== 2023.3.6 === 南の空昨日の午後からの続きで、8時35分頃の空は快晴です。南西方向の空 西方向の空 ただ、東方向の空だけはグレーの雲が覆っています。 出かける前、9時45分頃に撮った東方向の空1時間くらいでは、雲の様子に変化はありません。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空天気が良いので、この後、京都鉄道博物館と梅小路公園に出かけました。この時の探訪内容は、既にご紹介しました。探訪と観照記事を書いていると、こちらの記事のまとめが遅くなって・・・という次第。=== 2023.3.7 === 13時頃に撮った南の空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東の空は少しもやっとした感じですが雲は見当たりません。この日は、午前中もこの後も、空を眺めて雲を見ないので写真はこれ以外撮りませんでした。快晴はうれしいですが、雲はなし。=== 2023.3.8 === 9時35分頃に撮った南の空です。昨日に続き、快晴です。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向にかけて、ふわぁっと微かな雲が漂っています。 頭上を見上げると、ここも同様です。 東方向の空だけは、グレーの空模様でした。 12時頃に撮った東方向の空。大きな変化はなく、グレーの布がかかった感じの空のまま。 南の空南西方向の空 西方向の空 この後も、時折空を眺めましたが雲らしきものは見かけないので、空を撮りませんでした。つづくこちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.04.05
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=== 2023.3.1 === 9時45分頃に撮った南の空です。快晴でした。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上に横雲が広がっていますが、その上に霞んだような青空が見えています。この後もずっと快晴。雲が見えないので撮るのはやめました。=== 2023.3.2 === 9時15分頃に撮った南の空。昨日から一転して曇り空です。南西方向の空 西方向の空 西の遠方には青空が見えました。 東の空は相対的に不穏さを漂わせる雲行きです。 12時15分頃の南の空は青空に一転し白雲が広がっていました。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線の上空に雲が広がっています。しかし、朝の雲の様子とはかなりの変化が見られます。=== 2023.3.3 ===この日も朝から快晴で雲が見えなかったと思います。記録写真を残していません。17時頃にだけ撮ってみました。 南の空南西方向の空 西方向の空 東方向の空さて、雲がたりを続けます。西部文浄著『茶席の禅語』(タチバナ教養文庫)の下巻に移ります。下巻には「白雲断處家山妙」、「流水寒山路深雲古寺鐘」、「行到水窮處坐看雲起時」、「青山元不動白雲自去来」という禅語が採録されていますが、既にご紹介していますのでスキップします。 竜吟雲起虎嘨風生 竜吟ずれば雲起こり 虎嘨(うそぶ)けば風生ず この句で、龍虎・雲風は象徴表現のようです。「ともに無心にして、いわゆる同気相求め、同声相応じ」という「意気投合の様子を申したもの」(p54)と説明されています。お互いの呼吸がピッタリと合っていることの肝要さをとらえた表現だと言います。人間関係然り。出典は『周易』。 堪對暮雲帰未合遠山無限碧層層 暮雲の帰って未だ合せざるに対するに堪えたり、遠山限りなき碧層々「たそがれが近づき、暮雲が帰って来て山を包もうとしています。その雲と雲とが合して全部山を包み隠してしまえば、やがて夜のとばりもおりるのですが、それにはまだ間があり、夕陽をあびた真っ赤な雲が、かなたこなたに片々として、ちぎれ飛んでいます。そして、雲の合い間から見える遠くの山々の碧は、高く低く、幾層にもたたみ重なって、なんともたとえようのない風光であります」(p96)という意味の句です。一切の思慮分別を絶した雄大な自然美、天地の風光の姿を表現しています。この風光が「そのまま真仏の活現であり、仏法の活きた真実相にほかならない」(p97)と説かれています。出典は『碧巌録』の第20則頌。 幾片落花随水一聲長笛出雲来 幾片の落花水に随(したが)って去り、一声の長笛(ちょうてき)雲を出で来たる 幾片かの花びらがヒラヒラと舞い落ちて水に浮かび、流れのままに静かに去って行く。それをながめていると、長笛の音が雲の間からか、何処からともなく聞こえてくる。というような意味と理解します。「これは、花は無心にして水に随い、水は無意にして花を浮かべる、雲も無心、笛を吹く人も無心、そういう無意無心の妙趣をあらわした語でもあります」(p100)と説かれています。出典は『人天眼目一』とのこと。 風吹碧落浮雲盡月上青山玉一團 風碧落(へきらく)を吹いて浮雲尽き、月青山に登る玉(ぎょく)一団「いままで碧落(大空)をおおっていた浮雲も、一陣の清風とともにすっかり払い尽くされ、そして玉のような月が青山の上に顔をみせた」(p101)という明月の夜の光景です。ここでも雲は迷妄を象徴しています。そしてこの句の眼目は「尽」の一字だと言います。「一切の迷妄分別を尽くし切って、寸糸かかるもののない境地になること」「尽くし切りさえすれば、自然とそこに光明の世界が輝き出てくる」(p101)と説かれています。出典は『聯頌集上』。 裁断人間是與非白雲深處掩柴扉 人間の是と非とを裁断して、白雲深き処柴扉を掩う 「是非、得失、愛憎などという、うるさい世間のことなどいっさい断ち切って、山深きところに、ゆうゆう自適の生活を楽しんでいる隠者の様子」(p105)を詠んだ句だとか。出典は『大智偈頌』。下巻では重複する禅語を除くと、5句抽出することになりました。雲の変化に戻ります。=== 2023.3.4 === 9時45分頃に撮った南の空。天気は良好。南西方向の空 西方向の空 あまり見かけない雲の姿が見えました。 東方向の空 17時25分頃に撮った南の空南西方向の空 西方向の空 西空の遠方に沈む前の太陽をズームアップして撮りました。 頭上の空 東方向の空この日、雲は広がっていたものの良好な天気だったように思います。つづく補遺周易 :ウィキペディア碧巌録:その1:1~25則 :「禅と悟り:その合理的アプローチ」「碧巌録・第20則 《龍牙の祖師西来意》」 :「野狐禅RRPGのブログ」人天眼目 :「禅籍データベース」(花園大学国際禅学研究所)祇陀開山大智禅師偈頌 :「京都大学貴重資料デジタルアーカウブ」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.03.14
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=== 2023.2.26 === 8時40分頃に撮った南の空です。青空に柔らかい雲が漂い、良い天気です。南西方向の空 西方向の空 東方向の空の雲は様子が異なり、もくもくとした感じの雲が覆っています。 13時半頃の東方向の空の雲は白雲からグレーの少しのっぺりした雲に変化しています。 南の空もまたグレーの雲が全面を覆い一転した空模様です。南西方向の空 西方向の空 雲の様相が大きく変化していました。 15時半頃に南の空は再び晴れ上がり、軽やかさの違いを感じさせる様々な雲が漂っています。 クローズアップ!南西方向の空 西方向の空 東方向の空にも青空が見えるようになっていました。雲の姿が大きく変化しています。さて、雲がたりを続けます。禅語について関心を持っていますので続けます。西部文浄著『茶席の禅語』(タチバナ教養文庫)という上下2冊本を、あるとき中古書店で見つけました。平成6年(1994)の5月の刊行です。まずはその上巻からの抽出です。 最初に採録されているのは、「雲在青天水在瓶」(雲は青天に在り、水は瓶に在り)です。さらに「雲在嶺頭閑不徹水流澗下太忙生」(雲は嶺頭に在って閑不徹、水は澗下に流れて太忙生)、「白雲抱幽石」(白雲幽石を抱く)、「雲無心出岫」(雲、無心にして岫を出づ)も本書に採録されています。これらはご紹介ずみですのでスキップします。 雲門胡餅 うんもんこびょう『碧巌録』の第七十七則が出典です。雲門とは雲門禅師のことだとか。ある僧が禅師に「如何なるか是れ超仏越祖の談」と質問したそうです。「仏祖が到達された尊ぶべき悟りの境地をも抜けきった、もうなんの臭みもない、ギリギリ頂上のところ」(p190)その境地について問うたのです。それに対して、雲門禅師は「胡餅」と答えられたと言います。胡餅とは胡麻をまぶした焼き餅のことで、ごくそまつな食べ物です。もとは胡夷の食べ物で、後漢に広がったとか。禅師の「胡餅」という答えは、その僧が問うたその境地すら、臭みである故に、それをもう一度超え、捨てきれの意だとか。ここでの「雲」は人名の一部です。 無雲生嶺上有月落波心 雲の嶺上に生ずること無くんば、月の波心に落つる有り出典は「五家正宗賛、慈明章」。雲は煩悩妄想を、月は菩提真如をさしているそうです。慈明禅師が弟子の真上座を試そうと、「如何なるか是れ仏法の大意」(仏法のギリギリのところ、究極のところはどうか)と尋ねたそうです。真上座の即答が上掲の句だとか。禅師はその答えに嘆息し大いに弟子をののしったのです。さらに弟子が教えを懇願するのに対し禅師は自分が問うた言葉を問うてみよと問わせます。禅師は即座に真上座の答えと同じ答えを返したそうです。それを聞き、真上座は言下に大悟したとか。法理にかなった立派な答えでも、そこに体験的な裏づけがあるかが問われているそうです。師と弟子との相互のやり取りが要になる。その禅独特の機微を示す事例のようです。 白雲片々嶺上飛 白雲片々(へんぺん)嶺上(れいじょう)に飛ぶ出典は「五灯会元十一」。この句は、「白雲が無心に嶺の上を去来しているという、いかにも初夏の気分の満ちあふれた句ですが、これまた、隠者の山居の趣きでもあります」(p293)と述べ、著者は梁の道士陶弘景(452-536)の故事を取り上げて説明しています。陶弘景は江蘇省句宮県の東南に位置する茅山(ぼうざん)に隠栖し、華陽陶隠居と号したそうです。彼の行動について、武帝が山ニは何があるのかと問うたそうです。それに対して、 山中何所有 山中、何の有る所ぞ 嶺上多白雲 嶺上、白雲多し 只可自怡悦 只、自ら怡悦すべし 不堪持贈君 持して君に贈るに堪えず (華陽陶隠居集)「怡悦」は「よろこぶ。喜び」という意味です。「わたしが住んでいる山中には、何があるかと申しますと、嶺上には白雲が深々とおおっており、なんともいえない風情です。この幽玄な大自然の中に身をゆだねている楽しみというものは、体験した者のみが知るところで、人にわかち与えられるものではありません」(p294) 無心となることを自らの体験を通じて感得、体得する重要性を述べているということなのでしょう。上巻からの抽出を終わります。雲の変化に戻ります。=== 2023.2.27 === 8時15分頃に撮った南の空です。雲のない快晴。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 しかし、東方向の空は薄曇りという感じです。グレーの布が広げられた感じの雲の姿です。 13時50分頃に東方向の空を眺めると雲が消えて快晴の青空が広がっていました。東方向の空ではめずらしい空模様です。 南の空南西方向の空 西方向の空 これほどの快晴の空は久しぶりだったと思います。=== 2023.2.28 === 9時15分頃の南の空です。見かけない雲の形です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空 13時50分頃に、東方向の空を眺めると続き、快晴の空に変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空2月は最終日の午後に雲が無い快晴の空でエンディングとなりました。つづく補遺雲門文偃禅師 :「霊芝山光雲寺」慈明禅師 ⇒ 石霜楚円禅師語録 :「花園大学国際禅学研究所」五家正宗賛 :「花園大学国際禅学研究所」五灯会元 :「花園大学国際禅学研究所」陶弘景 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.03.09
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=== 2023.2.21 === 8時半頃に撮った南の空です。庭の自動車の屋根には薄らと雪が残っていました。大きな雲が浮かんでいます。天気はよさそう。南西方向の空 西方向の空 一方、東方向の空には薄黒い雲が青空を見せながらも稜線の上を覆っています。 15時20分頃に東方向の空を眺めれば稜線が霞んで見えるほどに、グレーの雲が空一面を覆っていました。 南の空南西方向の空 西方向の空 空全域が曇り空に転換です。 南の空ところが、17時20分頃に、再び眺めると、一転青空に戻っています。 雲をクローズアップ!南西方向の空 西方向の空 東方向の空だけは、曇り空が続いていました。=== 2023.2.22 === 9時45分頃に撮った南の空です。全面が曇り空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空稜線上から雲のグレーの色合いが上空方向に少しず濃いグラデーションになっています。同様の空模様が終日続きましたので、その後は時折空を眺めるだけにしました。=== 2023.2.23 ===この日は午前中、所用で外出。見上げた空は曇り空でした。 帰宅後、15時半頃に撮った南の空。曇り空が続いています。南西方向の空 西方向の空 部分的に少し青空が見えるくらいです。 東方向の空同じ曇り空でも、この時は雲の姿にバラエティが見られました。さて、雲がたりを続けます。手許に芳賀幸四郎著の一行物シリーズがもう一冊あります。『禅語の茶掛 続々 一行物』(1988年・8版、淡交社)です。こちらも確認すると「雲」を含む禅語が3つ収録されています。それをご紹介します。 雲表清露 雲表(うんぴょう)の清露(せいろ)禅語ではないそうですが、『諸橋大漢和辞典』には、この四字一句の出拠として、張衡の「西京賦」の章句を例示しているそうです。その章句例は省略します。「雲表」は雲の上、「清露」は清浄な玉のような露のこと。そこで、この四字一行の第一羲的な意味は「この世のものならぬ清浄な霊水」(p68)と解しています。「清浄な霊水を沸かした湯で点てた一碗の茶、と解してよいであろう」(p68)と記し、茶掛としては相応なものとして取り上げています。 四海浪平龍睡穏 四海 浪平らかにして龍の睡(ねむ)り穏やかに 九天雲靜鶴飛高 九天 雲静かにして鶴の飛ぶこと高し語句の意味は読み下しの文そのままでご理解いただけるでしょう。天下泰平・四海平穏を祝いあるいは願望するめでたい対句です。禅家でも天下泰平を祝禱(しゅくとう)する句としてよく使われるそうです。 朝看雲片々暮聴水潺々 朝(あした)には雲の片々(へんぺん)たるを看(み)、 暮(くれ)には水の潺々(せんせん)たるを聴く「朝には峰の上を流れる片々たる白雲を仰ぎ看、暮には庵前の谷川のせせらぎに耳を傾けて聴きほれる」(p220)という意味。「遠く世塵を避けて深山に庵居し、大自然を友とし、大自然とそのリズムを同じくして生きる一閑人の無為自然の生活の様子を詠じた句」(p220)と説明されています。さらに、この五言二句は、『寒山詩』に載る五言八句の偈頌を縮めて詠んだ句という説明もあります。 なお、この句が禅語として取り上げられるのは、「五欲六塵の渦まく世俗の真只中にあり、車馬往来の十字街路にあって、しかもこのような清浄無垢・悠々自適の心境に住するのでなければ、真の禅者、真のわび茶人とはいえない」(p221)からと言います。その境地をめざして己を錬磨することに意義があるということなのでしょう。一行物シリーズからの抽出は以上で一区切りです。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.2.24 === 南の空南西方向の空 9時半過ぎに撮った空模様。この日は朝から雨。小雨が降り続く一日だったと思います。窓際からこの2枚を撮るだけになりました。=== 2023.2.25 === 10時10分頃に撮った南の空です。南西方向の空 西方向の空 東方向の空青空が垣間見せながら、ちょっとダイナミックさを感じさせるグレーの雲が覆っています。 17時過ぎに眺めた東方向の空。塊状の白雲が漂う青空に一変していました。 南の空 姿の異なる雲の一部をクローズアップ。南西方向の空 西方向の空 頭上の空やはり、曇り空から青空に変わる方が気分的には良いですね。つづく補遺張衡 (科学者) :ウィキペディア寒山詩 :「国立国会図書館デジタルコレクション」 49/78コマの[262]が、上記した寒山詩の五言八句です。 「今日 巌前に坐す/ 坐 久しうして煙雲収まる/ 一道 清谿冷たく 千尋 碧嶂(へきしょう)の頭(いただき)/ 白雲 朝影靜かに 明月 夜光浮かぶ/ 身上 塵垢(じんく)無し/ 心中 那(な)んぞ更に憂えん」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.03.07
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=== 2023.2.17 === 9時45分頃に撮った南の空です。雲は遠くにあるのが見えるくらいでした。南西方向の空 西方向の空 ふわっとした小さな雲が浮かんでいます。 東方向の空は薄いベールがかかった感じの空です。 12時20分頃の東方向の空。同じ感じの空です。 南の空 少し雲が漂っています。雲の背後に太陽が。南西方向の空 西方向の空 こちらの方向にも雲が増えています。 頭上の空=== 2023.2.18 === 9時半頃に撮った南の空。グレーの雲が空を覆い、わずかに青空の箇所が見えます。南西方向の空 西方向の空 こちらは全面に曇り空です。 東方向の空 14時半頃に東方向の空を見ても、曇り空がそのまま続いています。一日曇りでした。 南の空南西方向の空 西方向の空 === 2023.2.19 === 10時45分頃に撮った南の空ですが、この日は朝から一日雨催いでした。南西方向の空 窓際から空模様を撮るだけにしました。さて、雲がたりを続けます。芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 続 一行物』(1988年・8版、淡交社)からその2です。 雲悠々水潺々 雲 悠々、水 潺々(せんせん)2月20日のブログ記事で、「雲は嶺頭に在って閑不徹 水は澗下に流れて太忙生」という対句をご紹介しました。「雲悠々水潺々」はこの対句を簡約したものと説明しています。「この句にはさらに、雲のように無心で無礙自在に、水のように無相で円満自由に生きたいという禅者の理想もまた託されている」(p161)と補足しています。 白雲断處家山妙 白雲断(た)つ処、家山(かさん)妙なり『人天眼目』などに載る句で、「家山」とは故郷のことだそうです。「高い山に登り白雲の絶え間から望見する故郷の景観というものは、なつかしく嬉しく何とも言葉にあらわせないほどすばらしいものだ」(p199)という意味です。禅者はこの一句にさらに深い意味を託すそうです。「白雲」は「心中にむらがり起こる煩悩妄想のこと」(p199)、「家山」とは「人間の本来安住すべき悟りの境致のこと」ととらえるとか。「煩悩妄想の断絶する処、そこに本然の自在・悟りの世界が開現する。しかもそれはまさに言語道断なもの、妙なるものである」という意味で捉え直すと言います。坐禅でその境致をめざすのです。また、それは、”『十牛図』でいえば第六の「帰牛帰家」と第七の「忘牛存人」の中間の境涯ということになるであろう。”と言い換えています。 山高豈礙白雲飛 山高くして豈(あ)に白雲の飛ぶを礙(さ)えんや『禅林句集』に載る「竹密不妨流水過 山高豈礙白雲飛」という七言対句の後句だそうです。この後句をもって対句全体を想起させていると言います。著者はこの対句の意味を、「竹の密生した薮がある。水はこの竹薮に妨げられて流れることができずにおるかと思うと、そうではない。竹は水の流れを少しも妨げることなく、水はおのずと低きについて流れている。いやたんにそればかりでなく、竹は水がある故にいよいよ翠く、水は竹あるが故にますます清く冷たい。山が天空高くそびえている。この高い山はさぞかし白雲の飛ぶのを邪魔しているかと思うと、これまたそうではない。白雲はいささかも山に礙えられることなく、悠々としかも自由に去来している。そして山は雲を帯びていよいよ美しさを増し、雲は山によるが故に一段と趣を豊かにしている」(p201-202)と説明しています。そして、この天地自然における円満な共存と大調和の実相が、大乗仏教の世界観(華厳の四法界)における究極の「事々無礙法界の相」をあらわしていると言います。現実の人間社会は必ずしもそうではない。だから本来の在るべき姿を目指す心に立ちかえりなさいと解されています。 流水寒山路深雲古寺鐘 流水寒山の路 深雲古寺の鐘南北朝時代から室町時代にかけて京の都では、禅僧の間で五山文学が栄えました。五山文学の双璧と評された内の一文学僧が夢窓疎石の弟子、絶海中津です。絶海は中国(明)に渡り8年間留まり、彼の地で数多くの優れた詩を作ったと言います。上掲句は「真寂竹庵和尚に呈す」と題する五言律詩中の二句とか。”この二句は、「渓の流れにそったさびしい山路を、時に潺々、時に淙々たる渓声を耳にしながら独りたどっていくと、雪深いかなたから遠くゴーンと古寺の鐘声が響いてくる」と、深山幽谷の幽寂な情景を詠じたもので、まさに『寒山詩』の詩境を簡潔に表現したものといってよい”(p246)と解説されています。禅者は、この二句が表す無限の静寂感・寂寥感の句境に、大寂禅定の境地と通じるものを感得して、この句を珍重してきたと言います。本書からの「雲」に関わる禅語の抽出は以上です。前書と本書からの抽出句を通覧すると、まず「雲」は自然の大調和を表象する一要素と見られています。雲の絶えざる動きと変化に「無執着」「無心、無礙自在」の境地が読み取られ、一方でその雲そのものが「妄想、煩悩」の存在に喩えられたりもしています。「雲」を介して和歌や禅語に対することで心象が広がり、一歩踏み入る感じがしています。さて、雲の変化に戻ります。=== 2023.2.20 === 10時45分に撮った南の空です。午前中に少し小雨がパラつきました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空 13時半頃の東方向の空。雨が降りそうな雰囲気があるものの曇り状態が続きます。 南の空南西方向の空 西方向の空 西方向の空の遠くには青空が見えていました。 16時半頃には、南の空はグレーの雲が去ってしまい、青空が戻っていました。良い感じの白雲が出ています。南西方向の空 西方向の空 西方向の遠くの空をクローズアップして部分撮りしてみました。 頭上の空 東方向の空稜線上に白雲が漂っています。東方向の空ではあまり見かけない雲の姿が見えました。空の変化が大きい一日でした。つづく補遺十牛図 禅のこみち :「寶樹山 萬福寺」十牛図 :ウィキペディア禅林句集 :「国文学研究資料館」 117コマ/全155コマ、右のページに七言対として載っています。絶海中津 :ウィキペディア絶海中津 :「コトバンク」流水寒山路 :「茶席の禅語」寒山詩 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.03.04
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今日(3/1)、三条大橋西詰の近くにある弥次さん喜多さんのブロンズ像を久しぶりに撮りました。 こちらは、2018年4月に撮った写真です。この時に、当時の三条大橋を細見という形でご紹介しました。2022年11月から、三条大橋の改修工事が始まったのは、三条へ出た時に知りました。その時点で詳しい新聞報道を読んでいずに改修工事の進捗を、三条大橋を渡る度に眺めてきました。まず南側の木製高欄がすべて撤去されて、新しい木製高欄に取り替えられるという工事が着々と進行していました。今日の午後、三条に出て見ると、 南側の欄干の取り替えがほぼ完了したようで、南側高欄の全容を眺めることができました。 こちらは2018年4月に撮った三条大橋、南側の木製高欄の景色です。新聞報道記事を改めて検索して知ったことは、今回の三条大橋の改修工事全ての費用は約4億円かかるとか。昭和49年(1974)に木製高欄が更新されましたので、半世紀ぶりの更新になるそうです。三条大橋は全長約74m、幅約16mです。(資料1) 今回の木製高欄の原木は、この写真に掲示されていますが、鞍馬山のヒノキだそうです。原木は寄付によるものと表記されています。 擬宝珠を一つ写真に撮りました。新聞報道によれば、木製欄干のデザインは前回(1947年)のままで、この擬宝珠も再利用されています。再利用されて良かったなと私は思います。慣れ親しんできた擬宝珠の風格・風趣を今まで通り感じられるのは何よりです。三条大橋は、室町時代に造営されたそうです。しかし、木製高欄に擬宝珠が設置された橋の姿になったのは、豊臣秀吉が天正18年(1590)に行った改修工事によるものと言います。(資料1,2)北側の木製欄干は現時点では、半世紀の風雪を経て老朽化している姿がそのままで見られます。しかし、この春から北側の木製欄干の取り替えを始める予定のようです。橋の大改修工事は令和6年春完成を目指しているとのことです。「歩道の舗装や車道との間を仕切る防護柵は和柄とし」(資料1)とのことです。この点は、今後の工事進展のウォッチングを楽しみにしたいと思っています。記録を兼ねた現況のご紹介です。参照資料1) 京都・三条大橋 半世紀ぶりの大改修 2022/11/15 :「産経新聞」2) 「三条大橋の補修・修景」について :「京都市情報館」補遺京都市 老朽化が進む三条大橋を改修へ デザイン案公表 2022/6/11 :「NHK」京都・三条大橋が老朽化でボロ橋に!欄干交換だけで3億円の巨額見積もり:「京都のお墨付き!」三条大橋 補修・修景プロジェクト ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。観照 諸物細見 -4 京都・三条大橋 (1)観照 諸物細見 -4 京都・三条大橋 (2)観照 諸物細見 -4 京都・三条大橋 (3) 描かれた姿・撮られた姿
2023.03.01
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=== 2023.2.14 === 9時45分頃に撮った南の空です。小雨です。南西方向の空 窓際から撮るだけにしました。 南の空12時50分頃は曇空ですが雨は降っていません。南西方向の空 西方向の空 東方向の空空全体を厚めのグレーな雲が覆っています。 17時15分頃に南の空を見ると、グレーな雲は消え、青空が広がっていました。南西方向の空 西方向の空 クローズアップ! 東方向の空=== 2023.2.15 === 8時半少し前に撮った南の空です。庇や車のルーフに薄らと雪が見えました。この時間には雪は降ってはいませんが、空はどんよりと曇っていました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空天気予報に反して東の雲には少し怪しそうな兆しも感じます。 13時20分頃に空を眺めると、東方向の稜線上には厚めの白雲が漂っていますが、その上空は青空が見えます。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空天気は晴れへと良い方向に向いていました。さて、雲がたりを続けます。芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 続 一行物』(1988年・8版、淡交社)に移ります。こちらにも「雲」を含む禅語がありますので、抽出してみます。 釣月耕雲 ちょうげつこううん / 月を釣り雲を耕す日本曹洞宗の宗祖永平道元が「山居」という頌を詠じているそうです。 西来祖道我東伝 西来の祖道 我れ東に伝う 釣月耕雲慕古風 月を釣り雲を耕して古風を慕う 世俗紅塵飛不到 世俗の紅塵飛んで到らず 深山雪夜草庵中 深山雪夜 草庵の中この頌を踏まえて、著者は「高く世俗を超越し大自然を友として宇宙的次元において生きる」(p84)という意味に解してこそ、道元の真意にかなうと述べています。 行雲流水 こううんりゅうすい / 行く雲、流れる水禅者がこの語句をよく揮毫するのは「行雲流水」のように生きたいという願いを託してのことと言います。雲も水も留まること無く絶えず変化して移り行くように、”「一処不住」すなわち無執着で生きたいという願い”(p87)であり、”真のねらいは「何物にも執着しない、執着を離れる」というところにある”(p88)と説明されています。”禅宗の修行僧を「雲水」と呼ぶのは、一応は、彼らがもと行雲や流水のように一処に定住することなく、諸方を遍歴修行して歩いたことから出たものであるが、同時に「無執着であれ」と期待をこめてのことなのである。” (p88) と言います。著者はその続きに、一文を加えています。「しかし、近頃はそうした真の雲水にめぐり合うことは、きわめて稀になってしまった」と。(本書の初版は昭和49/1974年9月の出版。手許の本は1988年7月の8版です)一国語辞書では「行雲流水」について、「[空を行く雲と、川を流れる水の意]一つの事(既往)にこだわらず、一切を成行きに任せること」と説明しています。(新明解国語辞典第5版、三省堂) 松老雲閑 しょうろううんかん「竹筧(けん)二三升の流水、松窓七五片の閑雲」(p115)という無一物の処で無尽蔵の豊かさを味わい、「世俗の外に超然と閑居し、悠々自適している大禅者の境涯」(p115)を表した一句だと言います。 雲静日月正 雲静かにして日月正し『虚堂録』に、「雲静かにして日月正しく、雪晴れて天地春なり」という対句が載っていて、その前句だそうです。天地自然の動きがきわめて順調なことを意味しています。古代の中国や日本では、天変地異の発生は、政治の不正や為政者の不徳に対する天帝の警告と考えられていました。天地自然が順調であることは、天下泰平・万民和楽の世の証拠ということで、めでたい句として使われているそうです。 萬里無片雲 万里片雲無し字面の意味は、雲一つ無い日本晴れの青空を叙した句です。この句の禅的な解釈の一つとして、”ある辞書は「空界無一物の様子をいう。相対差別の相を滅した平等一如の境に喩う」と述べている。”と例示しています。その上で、「万里」は「万里の天」ともいい私たちの心のこと。「片雲」は、心中に湧き起こる雑念妄想のことと説明しています。坐禅修行の結果、ついには「心が澄みきり、心のすみずみまで正念正想で満たされるようになった状態」(p135)を喩えた一句と説明されています。ここで一区切りと致します。雲の変化に戻ります。=== 2023.2.16 === 9時45分頃に撮った南の空です。この日も朝は曇り空です。南西方向の空 西方向の空 東方向の空全体に曇り空。雲というより、少しもこもこした厚手のグレーの布が空を覆っている感じです。 16時半ずぎに撮った南の空です。南西方向の空 西方向の空 東方向の空どんよりと曇った空模様が続く一日でした。つづく補遺道元 :ウィキペディア大本山永平寺 ホームページ 道元禅師 略歴永平寺 :ウィキペディア虚堂智愚 :「コトバンク」虚堂録 :「禅籍データベース」虚堂和尚語録 :「新日本古典籍データベース」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.02.27
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=== 2023.2.10 === 雨です。窓際から10時頃に撮った南の空。南西方向の空 終日、小雨もよいでした。濡れたベランダには出ないで窓際から撮るだけに。=== 2023.2.11 === 9時過ぎに撮った南の空。昨日とは一転して青空です。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の稜線上には、ひと連なりのグレーの雲がでんと漂っていいます。 11時半頃には、東方向の空はグレーから薄い横雲が稜線上に広がる青空に変化。 南の空南西方向の空 西方向の空 16時半過ぎに撮った南の空です。曇り空となりました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空さて、雲がたりを続けます。芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 一行物』(1991年・19版、淡交社)からの抽出その3です。 話盡山雲海月情 話し、尽くす。山雲(さんうん)・海月(かいげつ)の情これは『碧巌集』の第53則に対する頌として詠まれた偈の中の一句です。ネット検索で『碧巌録』解説サイトを見つけました。第53則についての詳細は補遺をご覧ください。第53則には、「江西の馬大師」と尊称された馬祖道一が、沙弥小僧の懐海を伴にして冬の日に外出した時、一群の鴨が空を飛び過ぎるのを見て、懐海に問いかけたときのエピソードが取り上げられています。いわゆる禅問答です。小僧懐海とは後の百丈懐海です。この第53則は「百丈野鴨子」と称されているようです。馬祖が弟子の懐海を悟らせてやろうと、「これでもか、これでもか」と徹底的になりふり構わず説く姿を詠んでいる句だと言います。著者は、この句の意を広く解釈すると、『徒然草』に記された次の一文と同主旨と説明されています。 同じ心ならん人と、しめやかに物語りして、をかしきこと、世のはかなき事も、 うらなく言いなぐさまんこそ、うれしかるべき。そして、それは、茶道の世界で知られる『南方録』が記す「主客直心の交り」にも通底すると説明されています。 渓山雖異雲月是同 渓山異なると雖(いえど)も雲月是(こ)れ同じこれは、『無門関』の第35則の公案について、無門慧開が頌じた、 雲月是同 雲月 是れ同じ 渓山各異 渓山 各異なる 萬福萬福 万福 万福 是一是二 是れ一か 是れ二かの起承の二句を一行物に作りかえたものと説明されています。つまり、現象面での相(すがた)と用(はたらき)は、渓・山・雲・月、さらには人も、それぞれ異なり区別/差別されるが、「一切衆生悉有仏性」という立場でみれば同じであると捉えています。差別/区別即平等、平等即差別/区別ということが具体的な真理だととらえるのです。ネット検索してみますと、この禅語についての解釈を幾つか併記してあるサイトに出会いました。補遺をご覧ください。 天上月明渓畔雲暗 天上月明らかに、渓畔雲暗し中国で発達した「易」の思想に言及して、「陰と陽とが相即相入し、明と暗とが表裏の関係で相伴っているのが、自然と人生との実相である」(p254)と説明されています。そして、”「天上の月」はその陽と明とを、「渓畔の雲」はその陰と暗とを意味し、この一句は前後相まって、自然と人生との陰陽相即・明暗双々・吉凶交叉の実相を、自然の景観に託して表現したものなのである”(p254)と言います。「雲」という一字を含む禅語で、本書にて取り上げられているのは以上です。本書には、雲に関わる禅語が11載っていることになります。雲の変化に戻ります。=== 2023.2.12 === 9時45分頃に撮った南の空です。ベールがかかったような青空です。 南西方向から西方向を眺めると空の青さがはっきりとしています。 頭上も青空 東方向の空はグレー一色の布のような空です。 11時半過ぎの東方向の空はグレーの色が薄れています。朝の南の空に近い色合いです。 南の空南西方向の空 西方向の空 17時頃に撮った南の空南西方向の空 西方向の空 東方向の空の色調の微妙な変化がおもしろい一日でした。=== 2023.2.13 === 9時頃に撮った南の空です。もの干し竿には雨が降った痕跡の水滴が列をなしていました。ベランダのサンダルも濡れています。窓際から撮るだけに・・・。南西方向の空 曇り空のままの一日。つづく補遺碧巌録: その3: 51~75則 「禅と悟り」 :その合理的アプローチ」無門関: その2: 25~37則 「禅と悟り」 :その合理的アプローチ」溪山雖異雲月是同 :「茶席の禅語選」無門慧開 無門関 :「松岡正剛の千夜千冊」南方録・南方宗啓 :「名文電子読本」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.02.24
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=== 2023.2.8 === 8時15分頃に撮った南の空です。雲と青空が層をなしています。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向の空は雲が少なくなり、青空がきれい。 頭上の空 東方向の空はいつもの如く、相対的に雲が多いのですが、いつもの空より青空が見えます。 11時30分頃には、グレーの雲が南の空を覆い、小雨が降りました。南西方向の空 窓際から撮れるのはこの2方向です。 ところが、13時45分頃に南の空を眺めると、雨雲は過ぎ去り、白雲と青空が南の空に広がっていました。南西方向の空 西方向の空 ズームアップしてみました。 東の空で雲と青空がこれほどくっきりと層を見せるのは珍しいと思います。さて、雲がたりを続けます。芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 一行物』(1991年・19版、淡交社)からの抽出その2です。 白雲抱幽石 白雲幽石を抱く この句は「寒山拾得」で有名な寒山が作った詩篇を集めた『寒山詩』に載る有名な詩の一節として知られているそうです。その詩は、「重厳に我れ卜居す」という句から始まり、重畳たる岩山の中に居を定めた寒山がその情景を詠んだ詩です。鳥だけは通うが人跡を絶つような険しい山に住んで何年になるかわからない。「庭際何所有 白雲抱幽石」庭先に何があるか。そこには白雲が幽寂な石を抱いているだけである、と詠じます。 この詩は「虚名定無益」[虚名 定(かな)らず益無し]を結句とします。人は富貴栄誉を喜ぶが、その富と名声は空虚で無益なものなのですよ、と結びます。 禅者は、「世俗との交渉を断ち俗情を払拭して深山に幽居する隠者寒山の境涯」(p146)を愛し、「これに共鳴して、よくこの一句を揮毫するのである」(p146)と説明しています。 千利休が秀吉の命を受けて、大坂城の郭の一つに山里の茶室を作ったのも、「白雲抱幽石」という山居の趣きにあこがれたからだろうと、著者は語っています。 雲在嶺頭閑不徹 雲は嶺頭に在って閑不徹 水流澗下太忙生 水は澗下に流れて太忙生この対句は、南宋末の巨匠虚堂智愚(きどうちぐ)が、報恩寺から顕孝寺へ移るにあたり、報恩寺で最後に行った説法の終りの対句だそうです。虚堂は「法語(破れ虚堂)」の墨蹟で有名です。(資料1)「閑不徹」は、徹底して閑静なこと。「澗」は、たに。たにみず。たにがわ。「太忙生」は、甚だ忙しいの意。「白雲が嶺の頂きに悠々とかかって動かず閑静そのものであり、谷川の水は絶えず音をたてつつ流れ下り忙しげである」そこには、雲の静と水の動が対置されています。大自然の摂理が詠まれています。著者は、「人間の生き方もまた、この大自然の摂理のように静中動あり、忙中閑ありであるべきことを、言外ににおわせているのである」(p218)と説明を加えています。 雲在青天水在瓶 雲は青天に在り、水は瓶に在り中国・中唐時代に、禅僧薬山惟𠑊(やくさんいげん)の許に、朗州の刺史(知事)として赴任した儒者/文学者の李翺(りこう)が初めて訪れ問答した時に、薬山が李翺に吐いた句だそうです。 薬山のこの一句から、道の何たるやに気づいた李翺は偈を作り、薬山に呈して帰依したと言います。著者は、「諸法実相であり、人間としてはあたり前のことをあたり前にやる、それを措いて別に道なんというものは無い、ということである」(p221)と説明を加えます。この経緯を同様に解説した資料をネット検索でみつけました。参照資料2です。こちらには、明恵上人がやさしく言えば「あるべきように」という七文字だと断言されたことも説明されています。(資料2)この時の問答が、後世画題として取り上げられるようになったとか。東京国立博物館には、因陀羅筆「薬山・李翺問答図」の名品が秘蔵されているそうです。この辺りで一区切りにします。=== 2023.2.9 === 9時40分頃に撮った南の空です。青空が所々に見えますが、軽やかさが感じられる白雲が広がっています。南西方向の空 西方向の空 南西から西方向の空は、少し厚い感じの白雲が見えます。 頭上の空 東方向の空は、稜線上の雲とその上の雲は雰囲気が違います。また青空も見えます。 12時10分頃に、東方向の空を眺めると、午前中の雲は去り、青空を広く見せる形で白雲が浮かんでいます。 南の空南西方向の空 ズームアップしてみました。 西方向の空 17時20分頃には、南の空から雲が消え去りました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空も同様です。おかげで一日、良い天気が続きました。勿論、午後の一時は外出タイムにしました。つづく 参照資料*芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 一行物』(1991年・19版、淡交社)1) 法語(破れ虚堂) :「e國寶」2) 禅語 月在青天水在瓶(槐安國語):「臨黄ネット」(臨済禅 黄檗禅 公式ネット」補遺虚堂智愚 :「コトバンク」李翺 :ウィキペディア薬山惟儼禅師の話 :「瑞雲院法話のページ」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.02.20
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=== 2023.2.5 === 9時50分頃に撮った南の空です。活発な感じの雲が漂っていました。南西方向の空 西方向の空 頭上も雲が青空を覗かせつつ一面に広がっています。 東方向の稜線の上空にはグレーの雲が広がっています。 13時半頃に東方向の空を眺めると、稜線には白い横雲がたなびき、その上空は青空です。 南の空南西方向の空 西方向の空 広がった雲は去り、ぽっかりとした感じの雲が点在する青空に様変わりです。 西方向の空の雲をズームアップ! 南の空南西方向の空 西方向の空 東方向の空17時30分頃に空を眺めると、どの方向にも雲が見られず、青空が褪色した感じの空模様でした。さて、雲がたりを続けます。和歌に詠みこまれた「雲」から、別の領域に目を転じたいと思います。既に少し触れていますが、禅宗では修行僧を雲水とも称します。「行雲流水」という語句に由来するそうです。ならば、「禅語」には「雲」を語っているものが結構あるのでは・・・・と思いました。京都国立博物館にはしばしば出かけます。展示の一環に、茶道具関連の展示があります。茶碗を筆頭に茶釜・棗・水指などと掛物が展示されています。掛物の墨蹟をよく見かけます。茶の湯の作法は知りませんが、博物館の展示を介して、茶道具の美に関心を持つようになりました。また、墨蹟を通じて「禅語」にも興味を抱くことになり、禅語解説書に導かれました。手許に幾冊か解説書を持っています。まずは、手許にある芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 一行物』(1991年・19版、淡交社)を参照して、「雲」を含む禅語を抽出してご紹介します。私にとっては、辞書代わりのこれら参照本を意識的読み機会となり、学習機会にもなり楽しみながら進めたいと思います。 無山不帯雲 山として雲を帯びざるはなし『禅林類聚』の巻三が出典で、「有水皆含月 無山不帯雲」の対句から採ったものとか。「水有り、皆月を含み」は、水の水面はどんな水面でも天上の月影を映じます。山も同様に、雲を帯びない山はないという意味です。この叙景の裏には、”「一切の人間は男女・老幼・貴賤・賢愚・ないしは国籍・人種の差別にかかわりなく、皆ことごとく本来円満平等に仏性をそなえている」という大乗仏教の根本の教理を”(p111-112)表現していると説明されています。 雲無心出岫 雲、無心にして岫(しゅう)を出づこれは陶淵明作『帰去来辞』という詩の中程に出てくる句で、そこから採られたと言います。 策(つえ)つきて老を扶(たす)け以て流憩(りゅうけい)し 時に首(こうべ)を矯(あ)げて游観(ゆうかん)す 雲無心にして岫を出で 鳥飛ぶに倦(う)んで還るを知る「岫」は、『角川新字源』を引くと、「①くきる。山のほらあな。②みね。山のいただき」と述べ、「岫雲」を「山のほらあなからわきでる雲」と説明しています。禅者がこの一句を揮毫するのは、わきでた無心の雲が無礙自在に千変万化し、いずれの方向にもはからいなく悠々と流れていく様に禅者の理想を託すからだそうです。著者は、「雲無心而出岫 水盈科而或流」(雲無心にして岫を出で、水科(あな)に盈(み)ちて或いは流る)という対句もあると言います。また、白隠禅師の『坐禅和讃』には、「無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず 無念の念を念として 歌うも舞うも法(のり)の声」の一節を挙げています。この一節が無心の雲に通じるというなのことでしょう。 雲收洞中明 雲収(おさ)まって洞中明かなり「雲消えて山骨露(あらわ)れ 雲收まって洞中明かなり」という対句の下の句だそうでう。「雲出でて洞中明らかなり」と書いたものもあるそうです。「收」も「出」も同義で、厚く山を覆っていた雲が消え去ったことを意味しています。山骨は山の地肌、山の姿そのものを差します。自然の叙景の形で、宗教的心理・禅旨を表していると言います。「我見の氷雪が消えればそこに本具の仏性があらわれ、煩悩の雲霧が消散すれば本然の自性が輝きだし、心気明朗・天真爛漫になれるのだということを、比喩的に表現した」(p114)のがこの句だと説明されています。雲は煩悩の譬喩だということですね。=== 2023.2.6 === 9時半頃に撮った南の空です。雲がみられない青空でした。南西方向の空 西方向の空 東方向の空だけは、薄いベールのようにもやがかかった感じの空です。 13時40分頃の東方向の空はグレー一色の状態です。ベールの厚みが増したかのよう・・・。 南の空南西方向の空 西方向の空 全面的に空が曇った状況に変化。この後もこんな空模様が続くことに・・・・。もう少し雲がたりを続けます。 白雲自去来 白雲自(おのずか)ら去来すこれも「青山元不動 白雲自去来」という五言対句の下の句だそうです。「白雲は自ら去来するも、青山はもと不動なり」と逆読みすれば意味を理解しやすいと述べています。ここでは、「青山」は真実の自己を、「白雲」は人生における外的条件(順境・逆境、損得など)の変化を表象していると捉えています。泰然自若、毅然かつ超然としていられる真実の自己を見つけ、生きるということを目指せという意味合いと受けとめました。勝海舟と西郷南州が江戸開場の和議を行いました。その地ならしを山岡鉄舟がしたと言います。その山岡鉄舟が富士山の絵に、次の賛を加えた掛軸があるそうです。 晴れてよし曇りてもよし富士の山 元のすがたは変わらざりけりこの賛は「青山元不動 白雲自去来」の真意と同じだと語り著者は取り上げています。 行到水窮處 行きては到る水の窮まる処 坐看雲起時 坐しては看(み)る雲の起こる時禅者は、中国・唐代の王維作「終南の別業」という五言律詩中のこの二句を愛誦すると言います。30を過ぎる頃から仏道にひかれて終南山のほとりに住んだ自然詩人王維がこの二句に託した境涯に合致点を見出す故だと著者は説いています。”禅家の理想とする境涯--大自然を友としてこれに同化し、「雲の如く無心、水に似て無相」と悠々自適する境涯、無作無心・安閑無事の境涯とよく合致しているからである”と。(p129)このあたりで、ひと区切りとします。=== 2023.2.7 ==== 10時頃に撮った南の空は、昨日の午後と比べて、空にグレーの雲がかかっているという感じです。南西方向の空 西方向の空 頭上南西方向から西方向、頭上の空は、雲がかなり発生しているとはいえ、青空が見えます。 東の空はグレーの横雲が層をなして稜線の上空を覆っている状態です。 14時半頃の東方向の空は、横雲の感じはなくなり厚いグレーの布が広がる感じの状態に見えます。 南の空南西方向の空 西方向の空 雨は降らなかったと思いますが、午後はこの状態が続きました。曇りの一日でした。つづく補遺芳賀 幸四郎 :「コトバンク」芳賀幸四郎 :ウィキペディア陶淵明の人生と代表作「帰去来辞」「桃花源記」を紹介! 人生と社会の本質を見つめ直した詩人 :「ハナシマ先生の教えて!漢文」山岡鉄太郎 近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」「江戸無血開城」陰の主役・山岡鉄舟の抜てき人生 :「日経BizGate」「終南別業」 王維 :「漢文委員会」終南別業 (王維) :「NSC中国語教室」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.02.18
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=== 2023.2.2 === 9時40分頃に撮った南の空です。グレー一色のくもり空。南西方向の空 西方向の空 東方向の空だけが、雲らしい姿でどんより曇っています。 12時10分頃の東方向の空。雲の厚みが増した感じです。 南の空明瞭な濃いグレーの雲の姿に変貌。太陽はグレーのベールのかなたに。南西方向の空 西方向の空 一日、曇り空でした。=== 2023.2.3 === 南の空9時50分頃に撮りました。この日も曇り空で始まりました。南西方向の空 西方向の空 南の空から西方向の空にかけては、厚いグレーの布が空を覆っている感じ・・・・ 東方向の空だけは、稜線の上にグレーの横雲が留まっている様子が見えます。 14時半頃に撮った東方向の空は、雲の姿が布を広げたように変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 2日に続いて、曇天の一日となりました。さて、雲がたりのつづきです。『新古今和歌集』巻第十八で抽出した歌の中から一読して歌意が理解しづらい歌を選び、歌意を解釈してみます。順次巻を進めます。 都より雲の八重立つおく山の横川の水はすみよかるらむ 天暦御歌 1716 ももしきのうちのみ常に恋しくて雲の八重立つ山はすみ憂し 如 覚 1717それぞれの歌意は比較的判りやすいのですが、詠まれた歌の位置づけがわかりづらいのでまず二首を併載します。前者の歌には、「少将高光、横川に上りて頭おろし侍りけるを聞かせ給ひ」という詞書が付いています。少将高光とは藤原高光で三十六歌仙の一人。「聞かす」は聞くの尊敬体でお聞きになる。聞いた人が「天暦」。天暦とは調べてみますと、村上天皇です。後者の歌には、「御返し」と詞書がついていますので、二人の間の歌のやりとりです。つまり、如覚は藤原高光の法名です。 (資料1,2)(都から離れ幾重にも雲が立ち上がる奥山の横川の里は水が澄み、住みやすいことでしょう)(宮中の事のみいつも思い出し恋しくて、幾重にも雲がたつ山は住みづらいと思っております) 天つ風ふけひの浦ににゐる鶴のなどか雲居にかへらざるべき 藤原清正 1721この歌も「殿上離れ侍りてよみ侍りける」という詞書を詠むことで、詠まれた歌に隠された作者の心情がわかります。宮中の殿上にのぼることを許されていた藤原清正が、宮中を離れ地下として紀伊守になっていたときに詠んだ歌のようです。「ふけひの浦」は、和泉国にあり紀伊にも近いと言います。「天つ風」は、空を吹く風。「ふけひ」の序だそうです。(風が吹いている吹飯の浦にいる鶴は、どうして大空に飛び立ち帰らないはずがあるだろうか。きっと空に戻っていくだろう)歌の背後には、清正が再び殿上人に戻れることがあるだろうという思いが潜んでいます。ある意味で都に戻れることを歌に託してアピールしているのかもしれません。 かくしつつ夕べの雲となりもせばあはれかけても誰か忍ばむ 周防内侍 1744「れいならで、うづまさにこもりて侍りけるに、心ぼそくおぼえければ」という詞書が付いています。「れいならで」は、病気になっての意。「うづまさにこもりて」は、太秦の広隆寺にこもっていて。なので「かくしつつ」は、寺に来ていて病気になっていての意。「夕べの雲」は、夕べに荼毘(火葬)にされた煙の意。「あはれかけても」は、こころにかけて。(こんな病気になって、ひょっとして荼毘に付されて煙となってしまえば、だれか心にかけて私のことを思い出してくれるだろうか) 夕暮は雲のけしきを見るからにながめじと思ふ心こそつけ 和泉式部 1806「からに」は、・・・とすぐに。「こころづく」は、気がつく。(夕暮れになって、雲の様子を見ているとすぐに、悲しい気持ちになって、もう夕暮れに雲を眺めないようにしようと思う心が起こることに気づいた) われ頼む人いたづらになしはてばまた雲わけて昇るばかりぞ 1861巻第十九「神祇歌」の冒頭の第1852首から第1864首まで、誰の詠歌かは記されず、歌の後に説明文が付いています。第1861首には、「賀茂御歌となむ」と記されています。「われ頼む人」は、我(=神)に頼って祈願し信じている人。「いたずらになしはてば」は、むなしくそのままに願いを聞き届けてやらなければ。(我を頼り祈願して信じている人をむなしく願いを聞き届けずにおくなら、我はまた雲を分けて天に昇ってしまうだけになる。)そうなっては神としての意味が無い、つまりむなしいままにはさせないという神の意志を詠んでいるのでしょう。 ながめばや神路の山ニ雲消えてゆふべの空を出でむ月かげ 太上天皇 1875「ばや」は、できれば・・・したいなあ。「神路の山」は、伊勢国の歌枕で、伊勢神宮の内宮の南、五十鈴川流域の神苑の山のことだそうです。「月かげ」は、月の光。「太上天皇」は後鳥羽上皇のこと。(できればすっと眺めていたいものよ。神路山にかかる雲が消えて、清澄な夕空に出る月の光を)参照している一書は「寓意ある歌」と記し、他の一書は「皇威の衰えを歎かれた歌」と付記しています。 さやかなる鷲の高嶺の雲井より影やはらぐる月よみの森 西行法師 187「伊勢の月読の社に参りて、月をみてよめる」という詞書が付いています。月読社は伊勢神宮の域外別宮で、現在の伊勢市中村町に所在します。(資料3)祭神は月読命。月の神様です。「さやかなり」は、視覚的にその姿がはっきりしている様子を表します。はっきりしている。明瞭だ。「鷲の高嶺」は、天竺(インド)にある霊鷲山です。西行法師は経典の知識から霊鷲山をイメージしているのでしょうね。(天竺にあるくっきりとした霊鷲山の天空に出た月が、その月の光をやわらげてさしている。この月読社のある森に)空間的なスケールの大きい歌です。この時点で、西行法師には、神仏習合の意識があったのでしょうか・・・・・。 むらさきの雲の林を見わたせば法にあふちの花咲きにけり 肥後 1930「五月ばかりに、雲林院の菩提講にまうでてよみ侍」という詞書が付いています。雲林院は京都の紫野にあるお寺です。現在は観音堂一宇を残すだけになっています。(資料4)「菩提講」は、菩提を求めるために法華経を講説する法会です。「むらさきの雲の林をみわたせば」には、紫野という地名、仏の来迎される時の紫雲が掛けられていて、雲の林は雲林院を意味しています。「法にあふちの花」には、仏法に逢うとあふち(=おうち=栴檀)の花を掛けています。初夏に紫の花を咲かせます。(紫野の雲林院を見渡すと、仏法に逢うという名のおうちの花がまるで紫雲を見るように咲いていているよ) 立ち入らで雲間に分けし月影は待たぬけしきや空に見えけむ 西行法師 1977西行法師のこの歌には「返し」と詞書が付いています。一つ前の歌に対する返歌です。その歌には長い詞書が付いています。詞書と歌をご紹介することで歌の意味がわかりやすくなることと思います。 西行法師をよび侍りけるに、まかるべきよしは申しながらまうでこで、 月のあかかりけるに、かどのまえをとほるとききてつかはしける 西へ行くしるべと思ふ月影の空だのめこそかひなかりけれ 待賢門院堀河 1976堀河の局が、西行に家まで来て欲しいと依頼したとき、西行は行きますと言いながら約束をすっぽかしたのです。その後に、西行が門前を通り過ぎたということを聞いて、歌をことづけて贈ったのです。(西方浄土へ行く私の案内者となる月の光である貴方が、空のように頼りにならないのは、頼みがいがありませんわ。門前を通りながら立ち寄っていただけないとは。)それに対して西行が返歌をしたわけです。(あなたの家に射し入ることなく、雲間を分け入るように移った月は、月の光が射すのを待っている様子が見えないと空からわかったからからでしょう。)待っていてくれそうでもなかったから、立ち寄らなかったという返答をしています。今回も調べ読みをしていて、一首を見過ごしていることに気づきました。ここで、最後に1首を追補いたします。 雲晴れてむなしき空に澄みながらうき世の中をめぐる月かげ 寂然法師 1953この歌は、寂然法師の第1052首に「人々にすすめて法文百首詠みはべりけるに、・・・・」という詞書の箇所に主旨が記されている目的に関係する歌です。上掲の第1953首は、詞書として、「菩薩清涼月 游於畢竟喰空」という詞書が付いています。これは華厳経に出てくる経文の一節だそうです。「菩薩は清涼の月 畢竟空に游ぶ」この一節の文意を和歌で詠んだというわけです。(菩薩は雲が晴れた虚空にあって澄んだ光を放ち、この憂き世の中を巡る月の光のようなものだ) 巻第十八「雑歌下」から第二十「釋教歌」までの抽出歌から10首を取り上げ、見過ごしていた1首を追補しました。結局、間違って抽出していた歌を除去し、一方で追補した歌がありましたので、140首が「雲」「くも」を詠み込んだ歌の合計数になるようです。これで『新古今和歌集』を一旦終えたいと思います。再び、雲の変化に戻ります。=== 2023.2.4 === 10時半頃の南の空です。雲がみえない青空が広がっています。南西方向の空 西方向の空 東方向の空はもやがかかっている感じです。雲らしきものは見えません。 13時50分頃に撮った東方向の空。雲の姿が見えます。 南の空南西方向の空 西方向の空 頭上の空午後は南の空から西方向の空には青空が広がりました。 東方向の空しかし、17時ごろには、再び雲が活発な動きを見せるように変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 雲の変化が大きい一日でした。つづく参照資料*『新訂 新古今和歌集』 佐左木信綱校訂 岩波文庫*『新古今和歌集』 日本古典文学大系28 岩波書店*『新古今和歌集』 上・下 久保田淳訳註 角川ソフィア文庫*『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫1) 村上天皇 :ウィキペディア2) 藤原高光 :ウィキペディア3) 月読宮皇大神宮(内宮)別宮 :「神宮」4) 雲林院 :「京都観光Navi」補遺霊鷲山 :ウィキペディア月の神でありツキを呼び込む神 :「Discover Japan」楝の花(おうちのはな、あふちのはな) 仲夏 :「きご歳時記」センダン/せんだん/栴檀 :「庭木図鑑 植木ペディア」藤原清正 :ウィキペディア藤原清正 :「コトバンク」周防内侍 :ウィキペディア肥後(1) :「コトバンク」待賢門院堀河 :ウィキペディア待賢門院堀河 :「和歌のあじわい」寂然 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.02.14
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=== 2023.1.30 === 10時10分頃に撮った南の空です。朝から晴。ちょっと違った雲の姿が見られました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空も最近ではあまり見ない雲の姿です。 東方向の空13時半頃には、空模様が一転していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 17時20分頃の南の空。夕陽に映えた雲を眺めることができました。南西方向の空 西方向の空 東方向の空に漂う雲も夕陽に映えていました。=== 2023.1.31 === 8時20分頃に撮った南の空。この日も少し雲がかかる程度の快晴でスタート。南西方向の空 西方向の空 東方向の空は雲が発達しています。 10時過ぎの東方向の空。グレーの雲が広がっていました。 南の空南西方向の空 西方向の空 空全体が雲ってきていました。 14時頃に撮った南の空南西方向の空 西方向の空 東方向の空この頃には再び青空が見えるように変化していました。雲の動きがめざましい。さて、雲がたりのつづきです。『新古今和歌集』巻第十六で抽出した歌の中から一読して歌意が理解しづらい歌を選び順次始めます。 紫の雲にもあらで春がすみたなびく山のかひはなにぞも 円融院御歌 1447「かひ」は、峽のことで、山と山の間の意。「ぞも」は終助詞「ぞ」+終助詞「も」からなり、詠嘆を込めて疑問の気持ちを強調する意を表すそうです。・・・・であるのかな。これで歌意は大凡わかります。(紫の雲がたなびくのではなく、春霞が山峡にたなびいているだけで、何ほどのこと<甲斐>があろうか)だけど、なぜこんな歌を詠んだのか。この歌だけを読んでもその真意はわかりづらい。この歌には、「御返し」という詞書が付いています。そして、直前の第1446首に対する返歌であることがわかります。第1446首には、まず長い詞書が付いていています。 東三条院女御におはしけるとき、円融院つねにわたり給ひけるをきき侍りて、 ゆげひの命婦のもとにつかはしける 春霞たなびきわたる折にこそかかる山辺はかひもありけれ 東三条入道前摂政太政大臣東三条院入道摂政太政大臣とは藤原兼家のことで、東三条院女御は兼家の第二女詮子のことです。詮子は円融天皇の女御で一条天皇の母となります。しかし、后の座は関白藤原頼忠の女遵子に奪われました。しかし、一条天皇が即位した後、寛和2年(986年)7月5日に皇太后に冊立されました。なお、円融天皇は991年に薨去。(資料1,2)兼家の歌は、(春霞が一面にたなびく時こそ、このような山辺でのわびしい生活にも甲斐があるものです)という意味合いです。円融天皇が自分の娘が女御として入内していて、天皇が常にお通いになることに、女御の父としてうれしく生き甲斐があるという心を詠んだのでしょう。その返歌というわけです。円融天皇と藤原兼家との人間関係がこの返歌から読み取れそうです。 さもあらばあれ暮れ行く春も雲の上に散る事知らぬ花し匂はば 大納言経信 1462「さもあらばあれ」は、どうなろうともかまわない。どうとでもなれ。「雲の上」は、宮中、禁中の意。「し」は、副助詞で、とり立てて、強調する。意味を強める。(春が暮れて行くならどうなっても構わない。宮中に、散る事を知らないこの美しい造花が咲いているならば) 袖のうら波吹きかへす秋風に雲のうへまですずしからなむ 中 務 1495この歌には、「后の宮より、内に扇奉りけるに」という詞書が付いています。「后の宮」は中宮藤原安子、「内」は村上天皇をさすそうです。中務が中宮安子の立場で詠んだ歌と言います。「袖のうら」は、袖の浦が出羽の枕詞ですが所在地不詳。「袖」に「裏」が掛けられています。「雲のうえ」は宮中・禁中が掛けられています。「なむ」は希望の終助詞。(袖の浦の波を吹き返す秋風により、雲の上の空まですずしくなってほしい。袖の裏を吹き返す扇の風で、宮中まですずしくなってほしい) 忘れじよ忘るなとだにいひてまし雲居の月のこころありせば 皇大后宮大夫俊成 1507「忘れじよ」とは、自分は忘れないよ。「じ」は助動詞。打ち消しの意志を主観的に表現する場合に用いる語。・・・ナイツモリダ。「よ」は、終助詞。告げ知らせる意。・・・・(ダ)ヨ。「とだに」は、とだけでも。「だに」は終助詞。「まし」は、助動詞。希望・願望を表す。(今夜のことを自分は忘れないよ。あなたも忘れるなとだけでも言っておきたい。宮中から見る空に照る月にもし心があるならば) いかにして袖に光のやどるらむ雲居の月はへだてこし身を 皇大后宮大夫俊成 1508「雲居の月」は、宮中を照らす月の意。そこに天皇の恩寵の隠喩を表す。「へだてこし」は、「へだつ」(遠ざける。うとんじる)と「こす」(行く)。作者俊成が暫く地下にあったときの歌であると伝えられているそうです。(どのようにしてこの袖に宮中に照る月の光が宿るだろうか。この身は今遠ざけられているのに) 雲をのみつらきものとて明かす夜の月や梢にをちかたの山 右大将忠経 1546「つらき」は、たえがたい。苦痛だ。 「をちかた」は、彼方・遠方と記す。遠くの方、向こうの方。(月を隠す雲だけをたえがたい思いで夜を明かすと、遠方の山の木々の梢に月が沈もうとしている) 雲かかる遠山畑の秋さればおもひやるだに悲しきものを 西行法師 1560「秋されば」は、秋になればの意。(雲がかかる遠くの山畑のあたりは、秋になるとどれほどわびしいだろうか。遙か遠くに眺めて思うだけでも悲しくなるのに)巻第十六を調べ読みしていて、第1545首を見過ごしていたことに気づきました。ここで補足しておきたいと思います。 天の戸をおしあけがたの雲間より神代の月のかげぞ残れる 摂政太政大臣 1545この歌には「春日社歌合に、暁月のこころを」という詞書が付いています。この歌合は元久元年(1204)11月10日に行われたそうです。『新古今和歌集』に採録されている第1260首の「天の戸をおしあけがたの月見れば憂き人しもぞ恋しかりける」(よみ人知らず)を本歌とするそうです。摂政太政大臣とは藤原良経のこと。古事記の天岩戸説話が背景にある歌です。説話の中の天児屋根命は春日大社の祭神です。(天の岩戸を押し開けた時のように、明け方に雲間に神々しい月の光が残って見える)巻十六「雑歌上」と巻十七「雑歌中」の抽出歌から、私にとりわかりづらい語彙を含む歌や作歌の背景を知ると理解しやすくなる歌などを7首取り上げてみました。それと、見過ごした歌1首の追補です。雲の変化に戻ります。自然は「行雲流水」「時々刻々」です。暦は2月に入ります。=== 2023.2.1 === 9時50分頃に撮った南の空です。2月初日は曇空でのスタート。南西方向の空 西方向の空 東方向の空 12時頃に撮った東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 終日くもりでとどまりそうでしたので、午後は久しぶりに三条に出かけました。それで、この日の以降の記録撮りはなし。つづく参照資料*『新訂 新古今和歌集』 佐左木信綱校訂 岩波文庫*『新古今和歌集』 日本古典文学大系28 岩波書店*『新古今和歌集』 上・下 久保田淳訳註 角川ソフィア文庫*『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫1) 藤原詮子 :ウィキペディア2) 円融天皇と藤原詮子 渡部裕明 :「産経新聞」補遺円融天皇 :「ジャパンナレッジ」円融天皇 :ウィキペディア中務 :ウィキペディア藤原俊成 :ウィキペディア藤原忠経 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.02.11
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=== 2023.1.26 === 8時10分頃に撮った南の空です。快晴でした。南西方向の空 西方向の空 東方向の空稜線の上に雲がたなびいていますが、いつもより明るさを感じました。この日はなぜか、その後の撮影記録なし。何をしていたのだろう・・・・。=== 2023.1.27 === 10時半頃に撮った南の空南西方向の空 この日は一転して、朝のくもりから雨に。部屋の窓辺から撮れる方向だけでやめました。===2023.1.28 === 8時半頃に撮った南の空。天気は回復し、白雲が漂っています。南西方向の空 西方向の空 東方向の空グレーの雲が稜線に懸かっています。上空に青空が見えますが。 10時10分頃に撮った東方向の空。雲の姿がかなり変化。 南の空グレーの雲が空を占めるように変化していました。南西方向の空 遠方には青空が見えます。 西方向の空 こちらの方向も同様です。我が家近辺のエリアにグレーの雲が広がっていたということでしょう。午後は写真を撮りませんでした。さて、雲がたりのつづきです。『新古今和歌集』巻第十三で抽出した歌の中から一読して歌意が理解しづらい歌を選び順次始めます。 有明はおもひ出あれや横雲のただよはれつるしののめの空 西行法師 1193「有明」は、まだ月が空に残っているいるうちに夜が明けること。その頃の夜明け。「や」は、詠嘆の終助詞。「ただよはれつる」のれは自発の助動詞。つるは完了の助動詞。この歌は巻第十三「恋歌三」に載っています。表の意味は横雲が漂っているということですが、起き出て別れるのがためらわれた、気がすすまなかったという意を込めているそうです。「しののめの空」は夜明けの空。(月がまだ残る夜明けにはいろんな思い出があるよ。横雲が漂っているように、夜明けの空の別れに気が進まなかったことが) 玉ぼこの道は遙かにあらねどもうたて雲居にまどふころかな 朱雀院御歌 1248「女御のしもに侍りけるにつかはしける」という詞書が付いています。「しもに侍りける」は、局に下がっていたという意。「玉ぼこの」は、道にかかる枕詞。実質的な意味はない。「うたて」は、ますますはなはだしく。格別に。「雲居」には宮中の意が含ませてあります。(あなたと私の間の道のりは遙かにはなれているわけではないのに、ますます空に迷うかのように、宮中で遠くはなれ迷っている心地がするよ) 思ひやる心は空にあるものをなどか雲居にあひ見ざるらむ 女御煕子女王 1249「御返し」の詞書が付いています。第1248首とは『朱雀院御集』に贈答歌として載る歌dそうです。「思ひやる」は思いをはせる。「などか」は、ドウシテ・・・カ。疑問の意。(お上を恋しく思い上の空になっておりますのに、どうして空で、宮中でお逢いできないのでしょうか) いわざりき今来むまでの空の雲月日へだててもの思へとは 摂政太政大臣 1293「今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出づるかな」(古今・691・素性法師)を本歌とするそうです。また、この歌は、男の違約を恨む女の心という立場で詠んだ歌と解されているようです。(あの人は言わなかった。すぐまた来ようとは言ったけれど、空の雲が月や日を隔てるように、長い月日を隔てるほど物思いせよとは) 思ひ出でよ誰がかねごとの末ならむ昨日の雲のあとの山風 家隆朝臣 1294「思ひ出でよ」は、思いだしてくれ。「かねごと」は、約束したことば。「末(すゑ)」は、結果。あげく。(思い出してください。誰が約束したことの結果なのかを。昨日かかっていた雲を吹き払った山風のように・・・・。:あなたの約束は昨日吹き払われた雲のようにはかないものでしたね)雲の変化に戻ります。=== 2023.1.29 === 9時10分頃に撮った南の空南西方向の空 西方向の空 東方向の空にも雲らしきものはみえません。 11時過ぎの東方向の空。青空がすっきりし、大きな横雲が見えます。 南の空南西方向の空 西方向の空 15時に撮った南の空。南西方向の空 西方向の空 頭上の空 東方向の空雲の変化は激しい。新古今の和歌を続けます。巻第十五「恋歌五」からです。 雲のゐる遠山鳥のよそにてもありとし聞けば侘びつつぞぬる よみ人しらず 1370「雲のゐる遠山鳥の」は「よそにても」の序。「雲のゐる」は、雲がかかる。山鳥は夜雌雄別れて寝ると言われるとか。新古今は第1371首に「晝(ひる)は来て夜はわかるる山鳥のかげ見るときぞ音は泣かれける」を採録しています。「ぬる」は、寝る。(雲がかかっている遠山にいる山鳥のように、あの人とは遠く離れているけれど、無事であると知って、侘しく思いながらもひとり寝するわ) 思ひやる心も空にしら雲の出で立つかたを知らせやはせぬ 兵部卿致平親王 1413この歌には「女のほかへまかるをききて」という詞書が付いています。「思ひやる心も空にしら雲の」は「いで立つ」の序。「しら雲」には「知らぬ」の意がかけられています。「やは」は、反語を表す係助詞。(私があなたのことを遙かに思っていることも知らないで、遠くへ行くというその行く先をどうして私に知らせてくれないのか) 初雁のはつかに聞きしことづても雲路に絶えてわぶる頃かな 西宮前左大臣 1417「初雁の」は「はつかに」の枕詞。「はつかに」は、ほんのわずかだ。かろうじて。「わぶる」は、わびしく思う。雲路は雁の縁語。(わずかにあった言伝も、とぎれてしまって、この頃私はわびしく思っているよ)読み直していて、抽出した歌の第1295首と第1351首の間に、次の歌を見落としていたことに気づきました。補足します。 さてもなほ問はれぬ秋のゆふは山雲吹く風も峯に見ゆらむ 藤原家隆朝臣 1316この歌には「和歌所の歌合に、深山恋という事を」という詞書がついていて、題詠です。「さても」は、それでもやはり。「問はれぬ」は、訪ねて来てくれない。「ゆふは山」は、所在不明の歌枕だそうです。「秋」に「飽き」、「ゆふは」に「夕」が重ねられ、「山」は己(女)の隠喩だとされます。(あの人はそれでもやはりまだ訪ねて来てくれない。秋の夕にあの峰にかかる雲の動きで風が峰に吹き通っているのがみえるだろうに・・・・)巻第十三「恋歌三」から巻第十五「恋歌五」までの抽出歌から9首とりあげました。ふたたび、雲の変化に戻りましょう。 東方向の空16時45分頃に撮ってみました。 南の空 ズームアップ!南西方向の空 西方向の空 29(日)は終日、良いお天気でした。午後は雲の写真を撮ってから散歩に出かけ、帰宅後にこの日最後の雲の変化の写真を撮ることになりました。つづく参照資料*『新訂 新古今和歌集』 佐左木信綱校訂 岩波文庫*『新古今和歌集』 日本古典文学大系28 岩波書店*『新古今和歌集』 上・下 久保田淳訳註 角川ソフィア文庫*『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫補遺朱雀天皇 :ウィキペディア煕子女王 :「コトバンク」致平親王 :ウィキペディア摂政太政大臣 ⇒ 藤原良経 :「コトバンク」藤原家隆 (従二位) :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.02.07
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=== 2023.1.22 === 10時過ぎに撮った南の空。快晴です。南西方向の空 西方向の空 東方向の空には横雲がたなびいています。 13時過ぎには、南の空にはグレーの雲が満ちています。南西方向の空 西方向の空 南西から西にかけては、雲の姿が南の空とは少し異なります。 一方、ベランダで頭上の空を撮るとこんな状況です。 東方向の空は、グレーで塗り潰したような感じに。 14時45分頃に、東方向の空を撮ると、稜線上の白雲と青空に変化しています。 南の空 ズームアップ!南西方向の空 西方向の空 さて、雲がたりのつづきです。『新古今和歌集』巻第十一で抽出した歌の中から一読して歌意が理解しづらい歌を選び順次始めます。 よそにのみ見てややみなむ葛城や高間の山のみねのしら雲 よみ人知らず 990「よそにのみ」の「のみ」は副助詞ですが、ここでは意味を強める語と理解します。「やみなむ」は、終わるだろうか。その語句の前の「や」は疑問を表す間投助詞。この歌は巻十一「恋歌一」の冒頭に載る歌です。「葛城や高間の山の」は、葛城連山の中にある高間山。(あの人をよそながら見るだけで終わるのだろうか。葛城連山の高間山の峰にかかる白雲のように、私の手のとどかない人として) わがおもひ空の煙となりぬれば雲居ながらもなほ尋ねてむ 忠義公 1007「雲居」は、ここでは宮中、禁中のこと。雲居は空・煙との縁語。「ながらも」は、・・・デハアルガ。(私の恋の思いは燃え上がり、空の煙の如くになっていますので、宮中であってもやはりお尋ねしますよ) しるしなき煙を雲にまがへつつ世を経て富士の山と燃えなむ 貫之 1008「しるしなき煙」は、はっきりとしない恋の思いを燃やした煙。「まがへつつ」は、区別がつかなくなって。「世を経て」は、いつまでも。「富士の山と燃えなむ」は、富士山の如くに思いの火を燃やしていよう。この歌で、当時の富士山が活火山だったことがうかがえます。調べてみますと、「平安時代に当たる9世紀~11世紀は、有史以来、富士山の活動が最も激しかった時代である」(資料1)とのことです。(はっきりとしない恋の炎を燃やした煙を雲の如くにまぎらせて、いつまでも富士の山のように思いの火を燃やしていよう) 白雲のみねしもなど通ふらむ同じみかさの山のふもとを 藤原義孝 1011この歌には、次の詞書が付いています。 ふみつかわしける女に、同じつかさのかみなる人かよふと聞きて、つかはしける藤原義孝が恋文を贈る女の許に、同じ役所の長がかよっているという噂を聞いて女にこの歌を送ったというのです。ここで長とは左近衛大将をさします。歌の表層は白雲と峰、三笠山の麓を詠んでいますが、そこには暗喩があります。白雲=女、峰=左近衛大将、麓=近衛府の下官である義孝本人。三笠山=近衛府の大将中将少将。「しも」は副助詞で、強めを現す語。よりによって。正に。「など」は、原因を問うのに用いる語。どうして。なぜ。(白雲はよりによってなぜ三笠山の峰に通うのだろうか。山には麓があるのに。あなたは、よりによってなぜ近衛府の大将に思いを寄せるのですか。私が近衛府の下官であるのに) 下もえに思ひ消えなむけぶりだにあとなき雲のはてぞ悲しき 皇大后宮大夫女 1081「した(下)」は、心の中。心中。「したもえに」は、心の中だけで思い焦がれての意。「思ひ消えなん」は、自分は思い焦がれて死んでしまうだろう。「煙だに」は、火葬にした煙さえも。(心の中だけで思い焦がれて、私は焦がれ死んでしまうでしょう。死後火葬にされた煙さえも雲に紛れてしまう我が身のはてを思うと悲しい)雲の変化に戻ります。=== 2023.1.23 === 9時半頃に撮った南の空。この日は雨が降りました。また、今までに無い寒波が近づいてきているという予報が出始めていたと記憶します。南西方向の空 14時半頃に撮った南の空です。南西方向の空 西方向の空 東方向の空=== 2023.1.24 === 8時15分頃に撮った南の空。寒波の接近の影響でしょう。グレーの雲が厚そうです。南西方向の空 西方向の空 東方向の空 南東方向の空には、雲のベールの背後に太陽が見えました。 こういう太陽の姿を撮るのは、雲の姿を撮り始めて初めてだと思います。 12時45分過ぎに撮った南の空。南西方向の空 この日の夜には大寒波が日本を覆うという予報だったと思います。和歌の歌意の続きに戻ります。 消えねただしのぶの山の峰の雲かかる心のあともなきまで 藤原雅経 1094この歌には、「和歌所歌合に、忍恋の心を」という詞書が付いています。題詠です。建仁2年2月10日の影供歌合だそうです。「消えねただ」は、「ただ消えね」の倒置。すっかり消えてしまえ。「しのぶの山の」は、信夫山を詠む背後に忍ぶ恋の心が掛けられています。「しのぶの山の峰の雲」は、四句「かかる心の」の序。調べてみますと、「信夫山」は福島県北東部にある羽山・羽黒山・熊野山の三山(信夫三山)の総称だそうです。(資料2,3)(すっかり消えてしまえ。信夫山の峰にかかる雲よ。かかっていたあとも残らないまでに。私の忍ぶ恋の苦しさもまた、すっかり消えて、あとかたもなくなるまでに) ながめわびそれとはなしにものぞ思ふ雲のはたての夕暮の空 左衛門督通光 1106「夕暮は雲のはたてに物ぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて」(古今・484・読み人しらず)が本歌だそうです。「わぶる」は、わびしく思う。「はたて」は、はて。限り。(じっと眺めていると侘しく、何ということなしに物思いにふけるなぁ。雲のはての夕暮れの空を) たのめてもはるけかるべきかへる山いくへの雲の下に待つらむ 賀茂重政 1130「遠き境を待つ恋といへるこころを」という詞書が付いています。「たのむ」は、信頼する。「ても」は、接続助詞。あることを仮定し、またその仮定が無意味であることを表す。「かへる山」は、越前国の歌枕で、現在の福井県南越前町だとか。(約束を信頼しても、遙かに遠いこの帰山からいつ帰れるやら。幾重の雲の隔たる地にていつまで待つことになるのだろうか) 逢ふことのむなしき空の浮雲は身を知る雨のたよりなりけり 惟明親王 1134「数々に思ひ思はずとひがたみ身を知る雨は降りぞまされる」(古今・705・在原業平朝臣)が本歌だとか。「むなしき空」は、「逢ふことのむなしき」と「むなしき空(虚空)」が掛けられています。「わが恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行く方もなし」(古今・488・読人しらず)があります。「浮雲」の裏には「憂き」の心情が重ねてあるかも。「身を知る雨」は、身の程を知り落ちる我が涙を空・雲の縁語「雨」で暗喩しています。「たより」は、関係のあるもの、縁、ゆかりの意。(恋しい人に逢うことができない私には、虚空に浮かぶ浮雲は、我が身の程を知り落とす涙の雨とゆかりがあるのだろうな) わが恋は逢ふをかぎりのたのみだに行方も知らぬ空の浮雲 右衛門督通具 1135「我恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ」(古今・611・大河内躬恒)を本歌とするそうです。「かぎり」は、最終。「だに」は、係助詞。(意志を表す文に用いて)大きな望みをすて、最も小さな望みでがまんする意を表す。セメテ・・・ナリトモ。と解しました。(私の恋は、あの人にひとめでも逢えさえすればというものなのだけれど、それさえ、どこに行くのかもわからない浮雲のようにはかないものだなあ)始めてみると、なにがしかひっかかる語彙を含む歌が多いので、巻第十一と巻第十二から抽出した歌をすべて取り上げました。(なお、抽出歌第1022首に文字誤読があり、削除しています。)次回は巻第十三から続けていきたいと思います。さて、雲の変化の続きです。=== 2023.1.25 ===朝、起床すると、ベランダの欄の上には10cm位の雪が積もっていたでしょうか。この朝の雪の状態は、既に拙ブログに一部書き込みました。 12時頃に撮った南の空です。青空が戻ってきていました。南西方向の空 西方向の空 2階の大屋根の南側先端に積もる雪を少し入れて撮ってみました。 東方向の空 16時頃に撮った南の空南西方向の空 西方向の空 雲は刻々と変化し続けます。類型化した雲の空は見られても、同一の雲の姿の空は見られません。つづく参照資料*『新訂 新古今和歌集』 佐左木信綱校訂 岩波文庫*『新古今和歌集』 日本古典文学大系28 岩波書店*『新古今和歌集』 上・下 久保田淳訳註 角川ソフィア文庫*『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫1)【国土を脅かす地震と噴火】9 平安時代の富士山① 有史以来最も活発な時期/伊藤 和明 :「労働新聞社」2) 信夫山 :「福島の山々」3) 信夫山 :「福島市観光ノート」補遺信夫山 :ウィキペディア信夫山が熱い! NHK「にっぽん百低山」で紹介されたコースを歩こう:「福島市観光ノート」陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに :「小倉山荘」忠義公 ⇒ 藤原兼通 :ウィキペディア藤原義孝 :ウィキペディア藤原雅経 ⇒ 飛鳥井雅経 :ウィキペディア左衛門督通光 ⇒ 久我通光 :ウィキペディア皇太后宮大夫女 ⇒ 藤原俊成女 :ウィキペディア惟明親王 :ウィキペディア右衛門督通具 ⇒ 堀川通具 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.02.04
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=== 2023.1.20 === 10時半頃に取った南の空です。この時は雲が見えませんでした。南西方向の空 西方向の空 東方向の空にも雲はありませんが、薄いベールがかかった感じです。南~西の方向のようにスッキリとはしていません。 13時45分頃の東方向の空。少しグレーがかった雲が出ています。 南の空南西方向の空 西方向の空 ベランダから頭上の空の雲を撮ってみました。今後は時折撮ってみようと思っています。 南の空17時頃にも撮ってみました。青空の中にどの方向にも雲が浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 夕陽が雲に映えていました。雲を撮り始めてから初めてかも・・・。 東方向の空東の空の方が雲の広がりが大きい感じでした。さて、雲がたりのつづきです。『新古今和歌集』巻第七で抽出した歌から始めます。巻第七は1首だけでした。読めば歌意が通じますので、巻第八に移ります。改めて巻第八「哀傷歌」を読み直していて、見過ごした歌に気づきました。1/15に掲載列挙した歌の第720首と第836首との間になります。ここで補足させていただきます。 亡き人のかたみの雲やしぐるらむゆふべの雨にいろは見えねど 太上天皇 803 『源氏物語』の「夕顔」に詠まれている歌「見しひとの煙を雲とながむれば夕の空もむつまじきかな」を本歌とするそうです。「見し人」は古語辞典に「以前に知り合っていた人」と説明されています。「かたみの雲」は、火葬にした煙の形見の雲の意。歌の抽出で用いた岩波本では「しぐるらむ」と表記されていますが、他の参照本では「しをるらむ」と表記されています。いずれにしても、雨を降らすのであろうかの意。この歌には「雨中無常という事を」という詞書がついています。和歌所当座歌合での題だそうです。(亡き人の荼毘の煙の形見の雲が雨を降らすのだろうか。夕方降る雨に形見の雲から降ったかどうかはっきりとは判らないけれど) あはれ君いかなる野辺の煙にてむなしき空の雲となりけむ 辨乳母 821詞書に「後朱雀院うせ給ひて、源三位がもとにつかはしける」とあります。「あはれ君」は後朱雀院をさします。源三位は後朱雀院の乳母。歌意はそのままで理解できます。「雲」は荼毘の煙を連想させ、あるいは煙が雲になったと見立てているのでしょうか。この2首が抜けていました。 尋ね来ていかにあはれとながむらむ跡なき山の峯のしら雲 寂蓮法師 836やっと第836首です。この歌、詞書がなければ「尋ね来て」は寂蓮法師と思ってしまいます。詞書は長い。 前参議教長、高野にこもりゐて侍りけるが、やまひかぎりに侍りぬと聞きて、 賴輔卿まかりけるほどに、身まかりぬと聞きてつかはしける藤原忠教の子の教長が出家して高野山に籠もっていたのですが重病に陥ったのです。それを聞いて、教長の弟の頼輔が高野山に出向きます。しかし教長は亡くなります。その訃報を聞いた寂蓮法師が藤原賴輔に対し歌を人にことづけて送ったという状況です。高野山に尋ね来て、つまり高野山に行き山にいるのは藤原賴輔です。(高野山まで尋ねて行かれて、どれほど悲しい思いで眺められたことでしょう。兄君のもはやおられぬ高野の峰にかかる白雲を) 北へ行く雁の翅にことづてよ雲のうはがきかき絶えずして 紫 式部 859この歌にも詞書があります。「浅からず契りける人の、行き別れ侍りけるに」と。「浅からず契りける人」とは、紫式部が深く姉妹の契りを結んだ人をさし、彼女は西海の地に下っていくのです。その人に、要望という形で離別の歌を贈ったのです。巻第九「離別歌」に採録されている歌。別れて行く人からみれば、父に同行し越前国に向かう紫式部は北に住まうことなります。「かりの翅にことづてよ」は、蘇武が雁の翅につけて文を送った故事を踏まえているそうです。「雲のうはがき」は雁のたより。手紙。雁が雲の中を押し分けるように飛ぶことに掛けているとか。上書きと上掻き。「かきたえずして」は絶えず手紙を書いてという意。(北国に渡って行く雁の翅にあなたの文を託してください。絶えず手紙を書いて雁のたよりとして送ってほしい) これやさは雲のはたてに織ると聞くたつこと知らぬ天の羽衣 寂昭法師 864『伊勢物語』に詠まれた「これやこの天の羽衣うべしこそ君がみけしと奉りけれ」を本歌とするとか。「これやさは」は、この衣がそれではの意。「雲のはたての」は、雲のはての、天人の機で。「たつこと知らぬ」は、裁つ必要がない、天衣無縫の天人の羽衣。作者の名を寂照法師と記す本もあります。(この衣がそうなのか。雲のはての天人の機で織ると聞く、あの裁ち縫う必要が無いという天の羽衣なのですね) 思ひ出でばおなじ空とは月を見よほどは雲居に廻りあふまで 後三条院御歌 877『拾遺集』に採録されている「忘るなよほどは雲居になりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで」(巻第八・470)が本歌だそうです。「思ひ出でば」は、思いだしたら。「おなじ空とは」は、同じ空に照るものとしてはの意。月は1つで同じ。無数の星は場所により見え方が異なるでしょうね。「ほど」は、隔たり、距離。なので「ほどは雲居に」は、雲居のように遙かに遠い所。この雲居という言葉は、宮中・禁中の意味合いでも使われます。「雲井にめぐりあうまで」は、再び宮中でめぐり逢うまで。月、雲井、めぐりが縁語になります。(私のことを思い出したら空の月を見よ。同じ月をみつめよう。月が巡ってくるように、空遠く離れた所に赴いているあなたと再び宮中で巡り逢うまでは) 旅衣たちゆく浪路とほければいさしら雲のほども知られず 法橋奝然 915この歌には「入唐し侍りける時、いつ程にか帰るべきと人のとひ侍りければ」という詞書がついています。この質問に応えた歌です。「旅衣」は、二句(たちゆく波路)の序。衣は裁つものということで、裁つ⇒立つ、という繋がりから。「たちゆく波路遠ければ」は、出かけて行く海路は遠いから。「いさ」は、わからないことを問われた時の応答の声。さあ、よくわかりません(いさしらず)。そこで「いさしら雲」と言ったのだとか。「程」は、時の意。(旅衣を裁ち、出かけて行く海路は遠いので、さあ、白雲のかなたから何時帰れるかは自分にはわかりません) 都をば天つ空とも聞かざりき何ながむらむ雲のはたてを 宜秋門院丹後 959この歌は、建永元年(1206)7月25日に行われた卿相侍臣歌合において、「羇中暮」という題を得て詠んだ歌だとか。巻第十は「羇旅歌」を収録しています。「覊」は「たび。故郷を離れてよその地に身を寄せる。たびずまい」(『角川新字源』角川書店)という意味です。「羇旅」は「旅に出ること」(『新明解国語辞典』三省堂)。「夕暮は雲のはたてに物ぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて」(古今集巻第十一・484)が本歌だそうです。「何ながむらん」は自分自身のじっと見つめる行為をいぶかっている様子。「はたて」は、極(はて)の意。(都が空にあるものとは聞かなかったよ。なぜ私はじっと眺めているのだあろうか、あの雲の極の彼方を)巻第七から巻第十の中からわかりづらい語彙を含む歌を6首抜き出してみました。併せて、見過ごしていた歌2首をここに加えました。雲の変化に戻ります。=== 2023.1.21 === 9時40分頃に撮った南の空。青空の下に、かなり雲が出ていました。白雲の中に、グレーを帯びた雲も見えます。南西方向の雲 西方向の雲 頭上の雲 東方向の空は、いつものパターンです。グレーの濃淡のある雲が稜線の上空をほぼ覆っています。 15時20分頃に撮った東方向の空。雲の姿は変化していますが、曇った空模様が続いていました。 南の空も、午後には曇り空に変化。グレーの濃淡はこちらの雲の方が強くなっています。南西方向の空 西方向の空 晴から曇りに変化した一日でした。つづく参照資料*『新訂 新古今和歌集』 佐左木信綱校訂 岩波文庫*『新古今和歌集』 日本古典文学大系28 岩波書店*『新古今和歌集』 上・下 久保田淳訳註 角川ソフィア文庫*『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫補遺太上天皇 :「ジャパンナレッジ」弁乳母 :ウィキペディア難波頼輔 :ウィキペディア藤原教長 :ウィキペディア 能「石橋 ~躍動美の極致・獅子舞~」 ワキ寂昭法師について :「柴田稔Blog」拾遺集 和歌データベース :「国際日本文化研究センター」卿相侍臣歌合 和歌データベース :「国際日本文化研究センター」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.31
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=== 2023.1.17 === 9時45分頃に取った南の空です。曇り空です。 東方向の空南西方向の空 西方向の空 ベランダから見える空全体が曇っていました。雲の姿は方向によってやはり異なります。 南の空12時半頃には青空に変化していました。 東方向の空には白い横雲がたなびいています。南西方向の空 西方向の空 さて、雲がたりのつづきです。『新古今和歌集』巻第四で抽出した歌から始めます。 雲間よりほしあひの空を見渡せばしづごころなき天の川波 祭主輔親 317この歌には「七月七日、七夕祭する所にてよみける」という詞書が付いています。これを読むと、ぐっと歌意がわかりやすくなります。古語辞典に「ほしあひ(星合ひ)」が載っています。陰暦七月七日の夜、牽牛・織女の二星が夫婦の語らいをするということの意。「しづごころ」は静心で、静かな心、落ち着いた心の意。なので、「しづこころなき」はせわしなく騒いでいるの意味に逆転します。(雲の間の七夕の空を見渡すと、牽牛と織女が逢瀬を急ぐからか、天の川がせわしなく騒がし気に波立っているように感じるなぁ) たつた山夜半にあらしの松吹けば雲にはうときみねの月かげ 左衛門督通光 412「風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君が一人こゆらむ」(古今・994)を本歌とするとか。「あらしの松吹けば」は、山風が松の間を吹き抜けていくという意でしょう。「雲にはうとき」は、雲には全く関係ないということで、雲には少しも妨げられないの意。「月影」は月の光。月明かりの意。(立田山に夜更けに強い山風が松の間を吹き過ぎれば、雲には少しも妨げられずに、月の光が輝いていることよ) 横雲の風にわかるるしののめに山飛びこゆる初雁のこゑ 西行法師 501「横雲」は横にたなびいている雲。「わかる(別る・分かる)」は古語辞典によれば、遠く離れて会うことができなくなる。死んで、会えないようになるの意。「風にわかるる」は、風に吹かれて山から離れるの意。山から離れて行けば、再び山とその雲が会うことはできないですね。「しののめ」を辞書で引くと、夜明けがた。早朝の意。気づいたことは、しののめは漢字で「東雲」と記すこと。この歌には雲という漢字が2つ入っていることになります。「初雁」は、(その秋に)はじめて、北方から渡ってきた雁(がん)です。(風が吹き横雲が山から離れて行くのが見える夜明けがたに、山を飛び越える初雁の声が聞こえてきた) 吹きまよふ雲ゐをわたる初雁のつばさにならす四方の秋風 皇大后大夫俊成女 505「吹きまよふ」は、風の吹き荒れるの意。「雲ゐ」は雲居で、空の意。「四方の秋風」についてです。参照文献によりますと、『源氏物語』の「須磨」に「枕をそばだてて四方の嵐を聞きたまふに」という一節があり、そこから「四方の秋風」というフレーズが作られたと言います。そこに藤原俊成女の教養が反映しているということなのでしょう。(吹き荒れる空、四方から吹く秋風の中、馴れない翅をならしつつ雁が飛んで行く) 鵠の雲のかけはし秋暮れて夜半には霜や冴えわたるらむ 寂蓮法師 522「鵲(かささぎ)の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜は更けにけり」という家持の歌を本歌にしているそうです。「家持集」に載る歌です。有名な歌です。一方、この歌自体が新古今の第620首として収録されています。「鵲の雲のかけはし」は、七夕の夜、鵲が天の川に渡す空の橋です。「秋暮れて」は、秋も終わり近くなっての意。「冴えわたる」は、一面に凍るの意。寂蓮(1139年頃~1202年)は平安時代後期から鎌倉時代初期、大伴家持(718年頃~785年)奈良時代後期の歌人です。(鵲が天の川に渡す空の橋は、晩秋の夜中には冷たい霜を一面に置いているのだろうか)=== 223.1.18 === 9時半過ぎに撮った南の空。昨日とはうって変わり青空にほんわり雲が浮かんでいます。 東方向の空は頻度の高いケースですが、グレーの雲が稜線の上を覆っています。 南西方向の空 西方向の空 13時半頃の南の空。グレーの雲が広がりつつあります。 東の空稜線上には、大きなグレーの雲がかかり、その上には青空が見えます。南西方向の空 西方向の空 南の空17時過ぎに、もう一度空を眺めに出ると、グレーの雲の姿は大きく変化しましたが、青空には薄いベールが架かったような感じです。南西方向の空 西方向の空 南西から西の方向も同様です。 東の空13時半頃の雲と17時過ぎの雲とでは、雲の姿が大きく変化しています。勢いのあるグレーの雲が離れて行き、穏やかなグレーの雲の漂いに変化した感じです。雲がたりのつづきです。巻第六に移ります。 月を待つたかねの雲は晴れにけりこころあるべき初時雨かな 西行法師 570「月を待つ」は月の出を待つ。「たかねの雲」は高嶺の時雨雲。「こころあり」は思いやりがある。「こころあるべき」は、思いやりがあるに違いないの意。(月の出を待っていると、高嶺の雲が初時雨を降らせたがたちまち止み、空が晴れたよ。月を眺めたい私の心を知ってくれている思いやりのある初時雨に違いない) 世の中に猶もふるかなしぐれつつ雲間の月のいでやと思へど 和泉式部 583「猶もふるかな」の「ふる」は「降る」と「経る」の懸詞。「しぐれつつ」は雨がしぐれるの裏に、自分が涙を流していることを暗喩する。「雲」は時雨を降らせる雲であり、迷いや悩みの暗喩にもなっている。「いでや」は感動詞「いでや」と「出でや」の懸詞とされる。また「出でや」には月が出る意味とともに出離の意味が込められているとか。(雲間から月が出ようと思っても、猶降りつづく時雨雲のために出られない。同様に、私は憂き世を出て出家しようと思いつつできかねて涙を流すだけの日々を送っている) 折こそあれながめにかかる浮雲の袖も一つにうちしぐれつつ 二條院讃岐 584「折こそあれ」は折もあろうに。「ながめ」はじっと物思いに沈みながら見つめること。「袖もひとつに」は袖もともに。「打ちしぐれつつ」は、涙のしきりに落ちること。袖が涙で濡れる意もこめる。(折もあろうに、物思いに沈みつつ眺める空に時雨雲が出ている。雲が時雨を降らせるのと一緒に、悲しさで涙がしきりに落ち袖がしぐれている) たえだえに里わく月のひかりかな時雨をおくる夜半のむら雲 寂蓮法師 599「たえだえ」は、とぎれとぎれ。切れ切れ。「里わく月のひかり」は、里により月が照るところと照らないところがあるという意。「わく」は区別する。「時雨をおくる」は、時雨をふらす。「むらくも(叢雲)」は集まり群がっている雲。一群れの雲。(とぎれとぎれに里によって月の光が射しているよ。夜半の叢雲が時雨を降らせるているために) 夕なぎにとわたる千鳥波間より見ゆるこじまの雲に消えぬる 後徳大寺左大臣 645「夕なぎに」は夕方風の無くなったときに。「とわたる」は古語辞典を引きますと、「と渡る」と「門渡る」が載っています。前者は「と」が接頭語で、単に渡る意。後者は「川戸」「瀬戸」を渡る意。この歌では後者の意で、海峡を渡る。(夕方の風が止んだときに、海峡を渡る千鳥が波間に見える小島にかかる雲の中に消えてしまったよ)巻第四から巻第六の抽出歌から、合計9首を抜き出しました。一読して歌意を理解できなかった歌です。また、巻第四を読み直していて、二首見落としていることに気づきました。 月影の澄みわたるかな天の原雲吹きはらふ夜半のあらしに 大納言経信 411 山の端に雲のよこぎる宵の間は出でても月ぞなほ待たれける 道因法師 414そのままで歌意は汲み取っていただけるでしょう。二首補足させていただきます。一方で雲の文字が入っていない第417首(式子内親王作)の歌を加えていました。これは削除です。これらの訂正をいたします。やはり・・・・ミスがありました。まだほかにもあるかも・・・・。歌の抜き出しは、この辺りで一区切りと致します。=== 2023.1.19 === 10時前に撮った南の空。この日も青空です。南西方向の空 西方向の空 東方向も青空の広がり 東方向の空16時40分頃に眺めると、稜線の上に青空が見えるもののその上にはグレーの雲が覆う形に変化しています。 南の空南西方向の空 ズームアップ 西方向の空 同様にズームアップ 地上近くに風が吹いていなくても、天空では風が吹いているのでしょうね。ほぼ同じ位置から眺めていますと、漂っているように見えても、思いのほか速い形で移動していると感じます。つづく参照資料*『新訂 新古今和歌集』 佐左木信綱校訂 岩波文庫*『新古今和歌集』 日本古典文学大系28 岩波書店*『新古今和歌集』 上・下 久保田淳訳註 角川ソフィア文庫*『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫補遺大中臣輔親 :ウィキペディア十訓抄「祭主三位輔親の侍」原文と現代語訳・解説・問題|説話集 :「四季の美」久我通光 :ウィキペディア徒然草 第100段 :「山梨県立大学」二条院讃岐 :ウィキペディア女房三十六歌仙 :ウィキペディア徳大寺実定 :ウィキペディア新三十六歌仙図 西行法師 :「和泉市久保惣記念美術館 デジタルミュージアム」 三十六歌仙の各掛幅を見られます。源経信 :ウィキペディア道因法師 :「百人一首を探ろう」【26】道因法師和歌への執心 『小倉百人一首』あらかるた :「小倉山荘」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.28
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最強寒波襲来中・・・・。昨日(25日)、朝起きてベランダから外を見れば雪景色。初雪です。かつ私の住む辺り(宇治市)では大雪(経験的に・・・)の部類です。冒頭の自宅ポストに積もる雪の量。これほど積もったのはあまり経験していないように思います。 自宅の駐車場に置かれた車に積もった雪も記録として撮っておきました。 今朝(26日)起きて、ベランダから外を見るとき、目にしたのが物干し棹のミニつららです。「つらら」って漢字ではどう書くのだったかな・・・・。調べてみると「氷柱」ですね。日常生活の範囲で冬期につららを見る機会がないので、すぐに思い浮かびませんでした。 棹を右方向に眺めて行くと氷柱が成長するプロセスが感覚的に分かりそうな様子が現れていました。「落ちる水滴が凍って、棒のようにたれ下がった氷。家の軒先や山の岩などに見られる」(『日本語大辞典』角川書店)。この辞書には、英語では icicle と併記されています。序でに、英和辞典を引くと、 icicles hanging from the roof (屋根から垂れ下がっているつらら)という文例が載っています。(『ジーニアス英和辞典』大修館書店)上記の国語辞典には、『源氏物語』(末摘花)の歌が用例として載っています。 朝日さす軒のたるひはとけながらなどかつららのむすぼほるらむ 「つらら(氷柱)」は俳句歳時記では冬の季語です。手許にある数冊の歳時記を調べてみますと、知らなかったことをいくつか学ぶことができました。『能因歌枕』には「つららとは薄氷をいふ」とあり、かつては水面に張った薄氷を意味していたと言います。現在「つらら」と称しているものは、古くは「垂氷(たるひ)」と称したそうです。上掲末摘花の歌にある「軒のたるひ」は「軒の垂氷」として用例に引かれています。(資料1)『明解古語辞典 新版』(三省堂)で「垂氷」を引くと、「雨・雪などの水が、軒・岩かどなどから、したたりながら凍ってたれ下がったもの。今のつらら」と説明され、用例には同様に末摘花の歌が引かれています。一方、「つらら」は「今の、氷」と記されています。瀬戸内寂聴訳『源氏物語 巻二』の「末摘花」を繙くと、 朝日さす軒の垂氷は解けながら などかつららの結ぼほるらむ の歌の下に、 「軒のつららは 朝日に解けているのに 池に張った薄氷は あなたの心のように どうして解けないのやら」 と歌意を説明してあります。この歌、源氏の君が早く帰るのを姫君(末摘花)のせいにして詠んだのです。しかし、姫君は「むむ」と笑うばかりで返歌を詠めない。源氏の君はそのまま帰ってしまうというシーンです。『千載集』の巻六「冬」には、権中納言経房の次の歌が載っているとか。 氷、初結といへるこころをよめる をし鳥の浮寝の床や荒れぬらんつららゐにけり昆陽の池水ここの「つららゐる」は氷が張っているという意味。(資料1)清少納言は『枕草子』に「日ごろ降りつる雪の、今日はやみて、風などいたう吹きつれば、垂氷いみじうしたり。・・・・銀(しろがね)などを葺きたるやうなるに、水晶の滝などいはましやうにて、長く、短く、ことさらにかけわたしたると見えて、いふにもあまりてめでたきに・・・・」(第283段)と、「垂氷(=つらら)」を語っているとか。(資料1)「つらら」が今の「氷柱(つらら)」の意味で使われることに変化したのはいつ頃からなのでしょうか。手許の歳時記のいずれもその点は付記ですので、不詳。手許の歳時記を読み比べると、複数の書に例句として掲載のものがあります。まずそれをご紹介します。 朝日かげさすや氷柱の水車 鬼 貫 みちのくの町はいぶせき氷柱かな 山口青邨 みちのくの星入り氷柱我に呉れよ 鷹羽狩行 夕焼けてなほそだつなる氷柱かな 中村汀女 小さき葉も小さき氷柱や皆氷柱 高木春子全部列挙すると多くなりますので、個人的な好みとして印象に残る句を少しここに掲げます。(資料1,2,3,4) 御仏の御鼻の先へつららかな 一 茶 千本の氷柱の中にめざめけり 有馬朗人 越中の碧くしづかな氷柱かな 佐川広治 大華厳瑠璃光つらら打のべし 川端茅舎 人煙や氷柱の端の玉雫 草 田 男上掲句の語彙で、「いぶせし」は「①心の中のもやもやが、ふっきれない様子。ゆううつだ。②むさくるしい」(『新明解国語辞典』三省堂)の意。「人煙」は「[炊事の煙の意]」(同上)です。「つらら(氷柱)」から、連想が広がってしまいました。この辺で終わります。 ベランダの物干し棹のつららは、見に行く(14:05)と既に消え去っていました。空には、グレーの大きな雲が漂っていますが、青空が見え太陽の光も射しています。スマホの天気予報が示す宇治市の現在温度は5度。今日の予報では最高5度、最低-6度だとか。参照資料1)『基本季語500選』 山本健吉著 講談社学術文庫2)『虚子編 季寄せ 改訂版』 三省堂3)『改訂版 ホトトギス 新歳時記』 稲畑汀子編 三省堂4)『合本 現代俳句歳時記』 角川春樹編 角川晴樹事務所補遺昆陽池 :ウィキペディア昆陽池 :「伊丹市」昆陽池(伊丹市) ミニ日本列島 :「ひょうごため池保全県民運動」『枕草子』原文 – 全323段と奥書(Part 2/2):「ORIGAMI - 日本の伝統・伝承・和の心 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2023.01.26
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=== 2023.1.14 === 10時45分頃に撮った南の空です。南西方向の空 この日は雨でした。=== 2023.1.15 === 9時過ぎに撮った南の空です。南西方向の空 西方向の空 東方向の空どの方向も、空一面にどんよりした雲がかかっています。 14時過ぎの南の空ですが、変わらずグレーの雲が空を覆っています。南西方向の空 西方向の空 遠くの西の空には、少し青空が見えました。 夾雑物が多いのでズームアップして空の一部を切り取ったかたちですが・・・・・。 東方向の空朝に見られた一部の白雲はもう消えていました。この日はたしか一日曇り空でした。曇り空の雲の姿もやはり変化しつづけています。さて、雲がたりです。『新古今和歌集』から抽出した「雲」を詠み込んだ歌の数が多いので、通読してほぼ歌意が読み取れそうな歌ははぶきます。語彙がわかりづらいものや、工夫のある歌、興味深い歌などに焦点をあてて、私の覚書を兼ねてご紹介していきたいと思います。二書を参照資料としつつ、理解できた範囲で歌意をまとめていきたい所存です。おつきあいください。(理解不足が多々あるかもしれません。ご寛恕ください) 霞立つすゑのまつやまほのぼのと波にはなるるよこぐもの空 藤原家隆朝臣 37この歌、『古今和歌集』(以下、古今)の第1093首(以下、数字のみ)の「君をおきてあだし心を我がもたば末の松山波を越えなむ」を本歌とするそうです。「すゑ(末)の松山」は陸前国宮城郡の枕詞。(末の松山にはほのぼのと霞が立ち、波間を見るとほのぼのと横雲が波から離れようとしているよ。) 春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこぐもの空 藤原定家朝臣 38「風吹けば峰に別るる白雲の絶えてつれなき君が心か」(古今・601・壬生忠岑)を本歌とし、夢の浮橋は源氏物語の巻名からの連想によるものとか。夢を浮橋に喩えているそうです。「とだえして」はと切れての意味なので、「わかるる」とは縁語。(春の夜の夢が途切れてしまった。目を覚まして山を眺めると、横雲が峰を離れて動き出そうとしている。) 葛城や高間のさくら咲きにけり立田のおくにかかるしら雲 寂蓮法師 87「桜花咲きにけらしなあしびきの山のかひより見ゆる白雲」(古今・59・紀貫之)を本歌とするとか。(葛城連山の高間山に桜の花が咲いたようだ。立田山の奥にかかる白雲も桜の花なのかな) 白雲のたつたの山の八重ざくらいづれを花とわきて折らまし 道命法師 90「雪ふれば木ごとに花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきてをらまし」(古今・337・紀友則)を本歌とするとか。「わきて」は区別しての意。(白雲がかかる立田山の八重桜、白雲と桜を区別して折ることができたのであろうか) 白雲の春はかさねてたつた山をぐらのみねに花にほふらし 藤原定家朝臣 91「白雲の立田の山の滝の上のをぐらの嶺に咲きををる桜の花は山高み・・・」(万葉・1747・高橋虫麻呂)が本歌だとか。(春は他の季節とは違い、白雲と桜の雲が重なって山にかかっているよ。立田山の小倉の峰に花が咲き匂っていることだろうな) 岩根ふみかさなる山を分けすてて花もいくへのあとのしら雲 藤原雅経 93「石根(いわね)踏み隔(へな)れる山はあらねどもあはぬ日まねみ恋ひわたるかも」(万葉・2422)が本歌だとか。「分けすてて」は踏み分けてすすむの意。(岩を踏み、幾重にも重なる山を踏み分けてきた。来し方をふりかえれば、花と白雲が幾重にも重なって見えることよ) さくら花夢かうつつか白雲のたえてつねなきみねの春かぜ 藤原家隆朝臣 139この歌は本歌が「世の中は夢かうつつかうつつとも夢ともしらず有りて無ければ」(古今・942・よみ人知らず)と「風吹けば峰に別るる白雲のたえてつれなき君が心か」(古今・601・壬生忠岑)の2つだとか。「た(絶)えて」は消えたという意。(桜花と見たのは夢なのかうつつなのか。白雲が消えて今はなく峰には無常な春風が吹いている) 花さそふなごりを雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風 藤原雅経 145「花さそうふなごり」は花を散らした後の残りの風の意。「雲に吹きとめて」は雲に吹きとどめての意。(桜の花を散らした後の残りの風をしばらくは雲に吹きとどめ、花の香を匂わせておくれ。春の山風よ)巻第一、巻第二の18首から8首をとりあげました。桜の咲いた状態を花雲に見立て、白雲と重ねて詠む歌の技巧がかなり使われていることを知りました。雲の変化に戻ります。=== 2023.1.16 === 9時50分頃に撮った南の空です。南西方向の空 西方向の空 東方向の空この日もまた、曇り空で一日が始まりました。南から西にかけての空と比べると、東方向の空にはグレーを基調にしながらも白雲が稜線の上に漂っています。もう少し、新古今を続けます。巻第三です。 卯の花のむらむら咲ける垣根をば雲間の月のかげかとぞ見る 白河院御歌 180この歌は、堀川百首にある「卯の花のしららに咲ける夕ぐれは賤しが垣根ぞ月夜なりける」が本歌だとか。卯の花はウツギの花で初夏に白い花が咲くそうです。それで「しららに」と詠まれているのでしょう。それに対して、「むらむら咲ける」は群をなしてところどころに咲いているの意。(卯の花が垣根のあちこちに群がって咲いている。雲の間から洩れる月の光かと思ってしままうよ) ひとこゑはおもひぞあへぬ郭公たそがれどきの雲のまよひに 八條院高倉 208「ひとこゑは」は一声だけではの意。「おもひぞあへぬ」は、はっきり郭公だと思うことができないの意。「雲のまよひに」は雲にまぎれての意。(一声だけでははっきり郭公だと思えない。たそがれどきの雲にまぎれて姿も見えないし.....) 聲はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそぐ宵のむらさめ 式子内親王 215「声はして涙は見えぬ郭公わが衣手のひづをからなむ」(古今・149・よみ人しらず)が本歌。「ひづ」はひどく濡れる意。「雲路にむせぶ」は郭公が悲しげに鳴きながら雲の道を通るの意。「むらさめ(村雨)」は古語辞典によれば、「時々思い出したようにぱらぱら降り過ぎ、やんだかと思うとまた一しきり降る雨。秋から冬へかけてよく降る」(悲しげに鳴き雲路を行く声が聞こえた。今、鳴いた郭公の涙なのだろうか、日が沈んだ今、村雨が降り出したわ・・・・) いかばかり田子の裳裾もそぼつらむ雲間も見えぬ頃の五月雨 伊勢大輔 227「いかばかり」はどんなにかの意。「田子」は農夫の意。「そぼつ」はひどく濡れるの意。五月雨のもとでの田植の時季を詠んだ歌。(どれほどひどく、田植えをする農夫たちは濡れていることでしょう。雲の切れ間も見えず五月雨の降るなかで) 雲まよふ夕べに秋をこめながら風もほに出でぬ萩のうへかな 前大僧正慈円 278「雲まよふ」は雲が乱れ動くの意。「秋をこめながら」は秋らしい景色をこめつつの意。「風もほに出でぬ」は風もまだ秋風らしい様子をみせないの意。「ほに出でぬ」は「萩」にもかかります。(雲が乱れ動く夕空に秋の気配を感じるが、風にはまだ秋風らしさがなく、まだ穂を出していない萩の上を吹きすぎていくよ)抽出した15首のうち、5首を拾い、歌意を私流にまとめてみました。さて、雲の変化に戻ります。16日には、14時50分ごろにもう一度空を眺めました。 南の空には青空が見え、軽やかな感じの白雲が漂っています。 南東方向の空 東の方向の空もまた青空に。稜線の上に白雲がたなびいています。稜線のすぐ上空は雲が厚く、さらにその上には青空を挟んでやわらかい雲がたなびいていました。 西方向の空は雲が少なく、青空です。やはり、グレーの雲より白雲の方が、気分は晴れやかになりますね。つづく参照資料*『新訂 新古今和歌集』 佐左木信綱校訂 岩波文庫*『新古今和歌集』 日本古典文学大系28 岩波書店*『新古今和歌集』 上・下 久保田淳訳註 角川ソフィア文庫*『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫*『新訂 新訓万葉集』 上・下 佐佐木信綱編 岩波文庫補遺ウツギ :「みんなの趣味の園芸」空木 (うつぎ) :「季節の花 300」ハギ(萩) :「みんなの趣味の園芸」萩市の公園で ハギの花が見頃 :「NHK」萩 (はぎ) :「季節の花 300」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらもご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.24
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=== 2023.1.11 === 8時過ぎに撮った南の空です。やわらい感じの雲が浮かんでいます。南西方向の空 西方向の空 東方向の空 9時15分過ぎに撮った東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 南から西の方向にかけては、雲の姿と青空がいい感じです。 16時45分過ぎに東方向の空を眺めると雲が見えません。 南の空南西方向の空 西方向の空 三方向のいずれにもはっきりとした雲の姿は見えませんでした。さて、『新古今和歌集』巻第十六「雑歌 上」から、「雲」を詠み込んだ歌の抽出を続けます。(資料1) 紫の雲にもあらで春がすみたなびく山のかひはなにぞも 円融院御歌 1447 さもあらばあれ暮れ行く春も雲の上に散る事知らぬ花し匂はば 大納言経信 1462 照る月も雲のよそにぞ行きめぐる花ぞこの世の光なりける 皇大后宮大夫俊成 1467 袖のうら波吹きかへす秋風に雲のうへまですずしからなむ 中 務 1495 廻り逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜はの月かげ 紫 式部 1497 浮雲は立ちかくせども隙もりて空ゆく月の見えもするかな 伊勢大輔 1500 浮雲にかくれてとこそ思ひしかねたくも月の隙もりにける 参議正光 1501 忘れじよ忘るなとだにいひてまし雲居の月のこころありせば 皇大后宮大夫俊成 1507 いかにして袖に光のやどるらむ雲居の月はへだてこし身を 皇大后宮大夫俊成 1508 心にはわするる時もなかりけりみよの昔の雲のうへの月 左近中将公衡 1509 むかし見し雲居をめぐる秋の月いまいくとせか袖にやどさむ 二條院讃岐 1510 月澄めばよものうき雲そらに消えてみ山がくれを行く嵐かな 藤原秀能 1523 雲をのみつらきものとて明かす夜の月や梢にをちかたの山 右大将忠経 1546 雲かかる遠山畑の秋さればおもひやるだに悲しきものを 西行法師 1560 みなかみの空に見ゆるは白雲のたつにまがへる布びきの瀧 二條関白内大臣 1650 ひさかたの天つをとめがなつごろも雲居にさらす布引の瀧 藤原有家朝臣 1651 山別れ飛ゆく雲の帰り来るかげ見る時はなほたのまれぬ 菅贈太政大臣 1691 都より雲の八重立つおく山の横川の水はすみよかるらむ 天暦御歌 1716 ももしきのうちのみ常に恋しくて雲の八重立つ山はすみ憂し 如 覚 1717 雲ゐ飛ぶ雁の音近きすまひにもなほ玉章はかけずやありけむ 女御徽子女王 1717 天つ風ふけひの浦ににゐる鶴のなどか雲居にかへらざるべき 藤原清正 1721 いにしへの馴れし雲居を忍ぶとや霞を分けて君たづねけむ よみ人知らず 1722 かくしつつ夕べの雲となりもせばあはれかけても誰か忍ばむ 周防内侍 1744 夕暮は雲のけしきを見るからにながめじと思ふ心こそつけ 和泉式部 1806 世の中をおもひつらねてながむればむなしき空に消ゆる白雲 皇大后宮大夫俊成 1846 われ頼む人いたづらになしはてばまた雲わけて昇るばかりぞ 1861 ひさかたの天の八重雲ふりわけて下りし君をわれぞ迎へし 紀 淑望 1866 ながめばや神路の山ニ雲消えてゆふべの空を出でむ月かげ 太上天皇 1875 さやかなる鷲の高嶺の雲井より影やはらぐる月よみの森 西行法師 1875 むらさきの雲の林を見わたせば法にあふちの花咲きにけり 肥 後 1930 むらさきのくもぢに誘ふ琴の音にうき世をはらふ峯の松風 寂蓮法師 1938 あひ見ても嶺にわかるる白雲のかかるこの世の厭はしきかな 源 季廣 1959 立ち入らで雲間に分けし月影は待たぬけしきや空に見えけむ 西行法師 1977巻第十六から最後の巻第二十の「釋教歌」までには、33首あります。つまり、累計しますと、見落としがなければ「雲」を含む歌は全部で136首あるということになります。 (追記 2023.1.27:合計数を136に訂正)再び、雲の変化に戻ります。=== 2023.1.12 === 9時40分頃に撮った南の空です。雲を見ませんでした。南西方向の空 西方向の空 東方向の空は、薄曇り感はありますがこの方向も雲を見かけません。 13時45分頃の東方向の空です。午後も雲の姿はありません。 南の空南西方向の空 西方向の空 天気に恵まれた一日を過ごせたということになります。=== 2023.1.13 === 8時15分過ぎに撮った東方向の空です。全体薄墨色のベールに覆われた感じで、その向こうから太陽が射しています。 南の空には少し明瞭にグレーの雲で覆われているのが見てとれます。南西方向の空 西方向の空 14時少し前に、東方向の空を眺めると、グレーの雲が見て取れ、厚みが増しています。 南の空南西方向の空 西方向の空 12日とはうって代わり、終日曇空で終わりました。さてこれで『古今和歌集』と『新古今和歌集』に詠み込まれた「雲」の抽出を終えました。905年に成立した最初の勅撰和歌集と1205年にほぼ成立したとされる8番目の勅撰和歌集の間には300年の歳月の隔たりがあります。それを対比してみますと、雲に関わる表現、語彙が増えていることに気づきます。両和歌集から語彙を抽出してみます。『古今和歌集』 雲、白雲、雲ゐ、雲井 雲ゐと雲井は雲居と同じ意味で一語とみれば、語彙は3種類です。『新古今和歌集』 雲、白雲(しら雲)、雲居(雲ゐ、雲井) よこぐも(横雲)、浮雲(うき雲)、夕立の雲、叢雲(むら雲、村雲)、紫の雲 八重雲、 雲路、むらさきのくもぢ、雲間 新古今和歌集になると、雲の表現が多様化し、9種類の表現法が加わってきます。300年という歳月が和歌を詠む行為を進化/深化させ、表現が豊かになったということになるのでしょうね。こんなところで、歌の抽出のご紹介を終りといたします。つづく参照資料1)『新訂 新古今和歌集』 佐佐木信綱校訂 岩波文庫こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.21
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=== 2023.1.8 === 10時15分頃に撮った南の空です。(1月7日はうっかり雲を撮り忘れました。) 東方向の空東方向にかけてはグレーの雲が空を覆っています。 南西方向の空 西方向の空 南西から西方向にかけては青空が広がっています。 13時半頃には、東方向の空にも青空に浮かぶ白雲を見るように変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 しかし、16時半近くになると、再び東方向の空は曇り空に逆戻りです。 南の空南西方向の空 西方向の空 空は全体にグレーの雲で覆われる様相に変化していました。さて、『新古今和歌集』巻第十一「戀歌 一」から、「雲」を詠み込んだ歌の抽出を続けます。(資料1) よそにのみ見てややみなむ葛城や高間の山のみねのしら雲 よみ人知らず 990 わがおもひ空の煙となりぬれば雲居ながらもなほ尋ねてむ 忠義公 1007 しるしなき煙を雲にまがへつつ世を経て富士の山と燃えなむ 貫 之 1008 白雲のみねしもなど通ふらむ同じみかさの山のふもとを 藤原義孝 1011 下もえに思ひ消えなむけぶりだにあとなき雲のはてぞ悲しき 皇大后宮大夫女 1081 消えねただしのぶの山の峰の雲かかる心のあともなきまで 藤原雅経 1094 ながめわびそれとはなしにものぞ思ふ雲のはたての夕暮の空 左衛門督通光 1106 たのめてもはるけかるべきかへる山いくへの雲の下に待つらむ 賀茂重政 1130 逢ふことのむなしき空の浮雲は身を知る雨のたよりなりけり 惟明親王 1134 わが恋は逢ふをかぎりのたのみだに行方も知らぬ空の浮雲 右衛門督通具 1135 有明はおもひ出あれや横雲のただよはれつるしののめの空 西行法師 1193 玉ぼこの道は遙かにあらねどもうたて雲居にまどふころかな 朱雀院御歌 1248 思ひやる心は空にあるものをなどか雲居にあひ見ざるらむ 女御煕子女王 1249 ほの見えし月を恋しと帰るさの雲路の浪に濡れて来しかな よみ人知らず 1261 いくめぐり空行く月もへだてきぬ契りしなかはよその浮雲 左衛門督通光 1273 風吹かば峯に別れむ雲をだにありしなごりの形見とも見よ 藤原家隆朝臣 1292 いわざりき今来むまでの空の雲月日へだててもの思へとは 摂政太政大臣 1293 思ひ出でよ誰がかねごとの末ならむ昨日の雲のあとの山風 家隆朝臣 1294 忘れゆく人ゆゑ空をながむればたえだえにこそ雲も見えけれ 刑部卿範兼 1295 さてもなほ問はれぬ秋のゆふは山雲吹く風も峯に見ゆらむ 藤原家隆朝臣 1316 思ひやるよその村雲しぐれつつあだちの原に紅葉しぬらむ 源 重之 1351 君があたり見つつを居らむ伊駒山雲なかくしそ雨は降るとも よみ人知らず 1368 中空に立ちゐる雲の跡もなく身のはかなくもなりぬべきかな よみ人知らず 1369 雲のゐる遠山鳥のよそにてもありとし聞けば侘びつつぞぬる よみ人しらず 1370 思ひやる心も空にしら雲の出で立つかたを知らせやはせぬ 兵部卿致平親王 1413 雲居より遠山鳥の鳴きて行くこゑほのかなる恋もするかな 躬 恒 1414 雲居なる雁だに鳴きて来る秋になどかは人の音づれもせぬ 延喜御歌 1415 初雁のはつかに聞きしことづても雲路に絶えてわぶる頃かな 西宮前左大臣 1417 巻第十一から巻第十五「戀歌五」までには28首ありました。雲の変化に戻ります。=== 2023.1.9 === 10時頃に撮った東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 この時西方向は少し青みがかった空でしたが、一日中、曇り空だったと思います。それで、この時刻以外は撮りませんでした。=== 223.1.10 === 8時15分頃に撮った南の空です。青空に白雲がわずかに浮かぶ。やはり青空がいい! 東方向の空は、やはりグレーがかっていました。南西方向の空 西方向の空 10時半頃になると、南の空にグレーの雲が湧き起こっています。青空が垣間見える程度。 東方向の空は、グレーの雲が大きく広がっています。南西方向の空 西方向の空 雲が大きく広がっています。 14時半頃に再び空を眺めますと、東の山並みの上をグレーの雲が覆うものの、青空がその上に見えます。 南の空南西方向の空 西方向の空 雲の変化・動きは活発でした。余談です。ふと、「曇(くもり)」という漢字の成り立ちが気になりました。漢字については「六書」と総称される「漢字の構成・運用に関する六つの種別」があり、「象形・指事・会意・形成[以上構成]・仮借・転注[以上運用]」(資料2,3)と説明されています。「曇」という漢字は、「会意」であり、「日の下に雲があり、太陽を雲がおおうことをあらわす」ということと解字されています。そこで、字義はくもる。雲が天に広がるという意味。くもらす。という意味になると説明されています。(資料2)「会意」とは「漢字の構成部分のそれぞれが意味を持っている種類のもの」(資料3)を言うそうです。ナルホドです。つづく参照資料1)『新訂 新古今和歌集』 佐佐木信綱校訂 岩波文庫2)『角川 漢和中辞典』 貝塚・藤野・小野 編 角川書店3)『新明解国語辞典 第五版』 金田一京助 山田忠雄(主幹)他 三省堂 [付記 2023.2.3 第1022首(曾禰好忠)を削除しました。 雪を雲と誤読して抽出していたために訂正 ] [追記 2023.2.7 第1316首 抽出見落としのため追補 ]補遺忠義公 ⇒ 藤原兼通 :ウィキペディア 藤原義孝 :ウィキペディア曽禰好忠 :ウィキペディア左衛門督通光 ⇒ 久我通光 :「ピクシブ百科時典」賀茂重政 :「コトバンク」惟明親王 :ウィキペディア右衛門督通具 ⇒ 堀川通具 :ウィキペディア刑部卿範兼 ⇒ 藤原範兼 :ウィキペディア源重之 :ウィキペディア致平親王 :ウィキペディア西宮前左大臣 ⇒ 源高明 :「コトバンク」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.18
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=== 2023.1.5 === 8時半頃に撮った南の空です。 この時、東方向の空にはグレーの雲が覆い、青空がちらほらと見える状況です。南西方向の空 南西から西方向の空は、ブルースカイで雲はほとんど見えません。 13時半頃の東方向の空は変わらず曇空。青空の点在もなくなっていました。 南東方向の空の雲も厚いですが、青空が少し見えます。 南の空 南西方向の空 西の空にも雲が現れてきました。さて、『新古今和歌集』巻第四「秋歌 上」から、「雲」を詠み込んだ歌の抽出を続けます。 雲間よりほしあひの空を見渡せばしづごころなき天の川波 祭主輔親 317 み山路やいつより秋の色ならむ見ざりし雲のゆうぐれの空 前大僧正慈円 360 しきしまや高円山の雲間よりひかりさしそふゆみはりの月 堀河院御歌 383 月影の澄みわたるかな天の原雲吹きはらふ夜半のあらしに 大納言経信 411 たつた山夜半にあらしの松吹けば雲にはうときみねの月かげ 左衛門督通光 412 秋風にたなびく雲のたえまよりもれ出づる月の影のさやけさ 左京大夫顕輔 413 山の端に雲のよこぎる宵の間は出でても月ぞなほ待たれける 道因法師 414 雲はみなはらひはてたる秋風を松にのこして月を見るかな 摂政太政大臣 418 月をなほ待つらむものかむらさめの晴れゆく雲のすゑの里人 宮内卿 423 ふもとをば宇治の川霧たち籠めて雲居に見ゆる朝日山かな 権大納言公実 494 秋風に山飛び越ゆるかりがねのいや遠ざかり雲がくれつつ 人 麿 498 横雲の風にわかるるしののめに山飛びこゆる初雁のこゑ 西行法師 501 白雲をつばさにかけて行く雁の門田のおもの友したふなる 西行法師 502 むら雲や雁の羽風に晴れぬらむ聲聞く空に澄める月かげ 朝惠法師 504 吹きまよふ雲ゐをわたる初雁のつばさにならす四方の秋風 皇大后大夫俊成女 505 秋風の袖に吹きまく峯の雲をつばさにかけて雁も鳴くなり 藤原家隆朝臣 506 鵠の雲のかけはし秋暮れて夜半には霜や冴えわたるらむ 寂蓮法師 522 移りゆく雲にあらしの聲すなり散るかまさ木のかづらきの山 藤原雅経 561 月を待つたかねの雲は晴れにけりこころあるべき初時雨かな 西行法師 570 雲晴れてのちもしぐるる柴の戸や山風はらふ松のしたつゆ 藤原隆信朝臣 573 世の中に猶もふるかなしぐれつつ雲間の月のいでやと思へど 和泉式部 583 折こそあれながめにかかる浮雲の袖も一つにうちしぐれつつ 二條院讃岐 584 秋篠やとやまの里やしぐるらむ生駒のたけに雲のかかれる 西行法師 585 さだめなくしぐるる空の叢雲にいくたび同じ月を待つらむ 源 泰光 596 今よりは木の葉がくれもなけれども時雨に残るむら雲の月 源 具親 597 たえだえに里わく月のひかりかな時雨をおくる夜半のむら雲 寂蓮法師 599 夕なぎにとわたる千鳥波間より見ゆるこじまの雲に消えぬる 後徳大寺左大臣 645巻第四から巻第六「冬宇多」には27首ありました。雲の変化に戻ります。 16時半頃の東方向の空です。一日グレーの雲が形を変えながらたなびいていました。 南の空 空の一部をクローズアップして・・・。南西方向の空 西方向の空 西の空と東の空は雲の姿に大きなコントラストを感じる一日でした。=== 2023.1.6 === 9時40分頃に撮った東方向の空 上空をクローズアップ 南の空 上空をクローズアップ 南西方向の空 西方向の空 雲がたりに戻り、更に巻第七「賀歌」からの歌の抽出を続けます。 神無月もみぢも知らぬ常磐木によろづ代かかれ峯の白雲 元 輔 720 尋ね来ていかにあはれとながむらむ跡なき山の峯のしら雲 寂蓮法師 836 北へ行く雁の翅にことづてよ雲のうはがきかき絶えずして 紫 式部 859 これやさは雲のはたてに織ると聞くたつこと知らぬ天の羽衣 寂昭法師 864 思ひ出でばおなじ空とは月を見よほどは雲居に廻りあふまで 後三条院御歌 877 別路は雲居のよそになりぬともそなたの風のたより過ぐすな 大蔵卿行宗 894 ここにありて筑紫やいづこ白雲の棚びく山の西にあるらし 大納言旅人 901 白雲のたなびき渡るあしびきの山のかけはし今日や越えまし 紀 貫之 905 東路のさやの中山さやかにも見えぬ雲居に世をやつくさむ 壬生忠岑 907 都にて越路の空をながめつつ雲居といひしほどに来にけり 御形宣旨 914 旅衣たちゆく浪路とほければいさしら雲のほども知られず 法橋奝然 915 明けばまた越ゆべき山のみねなれや空行く月のすゑの白雲 家隆朝臣 939 白雲のかかる旅寝もならはぬに深き山路に日は暮れにけり 権僧正水縁 950 白雲のいくへの峯を越えぬらむ馴れぬあらしに袖をまかせて 藤原雅経 955 都をば天つ空とも聞かざりき何ながむらむ雲のはたてを 宜秋門院丹後 959 巻第七から巻第十「羇旅歌」には15首ありました。雲の変化を、13時すぎにも撮ってみました。 東方向の空 南の空南西方向の空 西の空 続けて雲を眺めていますと、南から西の方向は青空が見えても、東方向の空はグレーの雲が漂っている比率が高いようです。東の方向は地形的に山並みが続いていますので、雲もその影響を受けてるのでしょう。雲を詠み込んだ歌の抽出をしていると、峰と白雲をセットにして詠んでいる歌がかなりあります。山と雲は景観としてつながるのですね。余談です。歌を抽出していて、「みね」について、「峰」「峯」「嶺」という漢字が使われていることにきづきました。手許の漢和辞典を引いてみました。まず、「山(やま)」の第一の字義は「土地の高く隆起した所。峰・岳・丘などの総称」(資料2)です。そして、「峰」は「嶺」と同じであり、直接関係する字義は「①やま。たかやま。山の険しく高いもの。②みね。山の頂。とうげ」(資料2)です。「山のとがったいただきの意を示す」(資料3)とも。「峯」が「峰」の「本字」(資料3)という説明もあります。「嶺」は少し語義が広がるようです。こちらは「山のみねつづきを原義」としていて、そこからくるのでしょうか、字義は広がり、「①みね。ね。山のてっぺん。②山のつらなるもの。連山。③やまみち。さかみち。」(資料2)と説明されています。つづく参照資料1)『新訂 新古今和歌集』 佐佐木信綱校訂 岩波文庫2)『角川 漢和中辞典』 貝塚・藤野・小野 編 角川書店3)『角川 新字源』 小川・西田・赤塚 編 角川書店 追記:2023.1.27 巻第四で見落としていた第411首と第414首を加え、「雲」を含まない第417首 (式子内親王作)を載せていましたので削除しました。補遺式子内親王 :ウィキペディア藤原俊成女 :ウィキペディア和泉式部 :ウィキペディア紫 式部 :ウィキペディア二条院讃岐 :ウィキペディア宜秋門院丹後 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.15
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=== 2023.1.3 === 8時45分頃に撮った南の空です。この日の朝も南の空には雲があまり見られませんでした。 東方向の空 西方向の空 9時半前には、東方向の空に雲が見られるように変化していました。 南の空南西方向の空 西方向の空 10時すぎに眺めた東方向の空。山際のすぐ上ににだけ白雲がたなびいています。 南の空こちらも遠方に白雲が広がり、上空には雲があまりありません。 西方向の空 13時前には、東方向の空にはグレーの雲が大きく広がっていました。 南東方向の空 南の空南西方向の空 西の空にも雲が漂っています。さて、『古今和歌集』の次は、手許にある『新古今和歌集』を調べてみました。前者は醍醐天皇の命により平安時代、905年に成立した勅撰和歌集です。後者は後鳥羽院の命により鎌倉時代初期に成立した8番目の勅撰和歌集。1205(元久2)年にほぼ完成。そして最終的な撰歌を後鳥羽院が行っているそうです。また、手許にある学習参考書によれば、「『万葉集』『古今和歌集』と並び三大歌集と称される。『幽玄』という理念が完成され、文学のみならず能や茶道などにも大きな影響を与えた」と史的評価を受けている歌集です。(資料1)手許の文庫本は「初句索引」なので、私の雲調べには役立ちません。最初から歌を通読していくことにしました。この文庫も長年書棚にあり、時折単発的に参照するだけでした。「雲」を詠み込んだ歌の有無というテーマを考えただけで、字面だけでも通読してみる機会になりました。『古今和歌集』では「雲」を詠み込んだ歌はそれほど多くはなかったのですが、『新古今和歌集』には、思ったよりも数多くの歌が読まれていることを知りました。回を分けて列挙してご紹介したいと思います。(資料2)まずは巻第一「春歌上」より 霞立つすゑのまつやまほのぼのと波にはなるるよこぐもの空 藤原家隆朝臣 37 春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこぐもの空 藤原定家朝臣 38 故郷にかへるかりがねさ夜ふけて雲路にまよふ聲きこゆなり よみ人知らず 60 しら雲のたえまになびくあおやぎの葛城山に春風ぞ吹く 藤原雅経 74 葛城や高間のさくら咲きにけり立田のおくにかかるしら雲 寂蓮法師 87 白雲のたつたの山の八重ざくらいづれを花とわきて折らまし 道命法師 90 白雲の春はかさねてたつた山をぐらのみねに花にほふらし 藤原定家朝臣 91 吉野山はなやさかりに匂ふらむふるさとさらぬ嶺のしらくも 藤原家衛朝臣 92 岩根ふみかさなる山を分けすてて花もいくへのあとのしら雲 藤原雅経 93巻第二「春歌下」より 白雲のたなびく山のやまざくらいづれを花と行きて折らまし 京極前関白太政大臣師実 102 ふもとまで尾上の桜ちり来ずはたなびく雲と見てや過ぎまし 左京大夫顕輔 124 散りまがふ花のよそめはよし野山あらしにさわぐみねの白雲 刑部卿頼輔 132 さくら花夢かうつつか白雲のたえてつねなきみねの春かぜ 藤原家隆朝臣 139 散るはなの忘れがたみの峰の雲そをだにのこせ春のやまかぜ 左近中将良平 144 花さそふなごりを雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風 藤原雅経 145 春ふかくたづねいるさの山の端にほの見し雲の色ぞのこれる 権中納言公経 156 初瀬山うつろふ花に春暮れてまがひし雲ぞ峯にのこれる 摂政太政大臣 157 柴の戸をさすや日かげのなごりなく春暮れかかる山の端の雲 宮内卿 173=== 2023.1.4 === 9時半過ぎに撮った東方向の空 南東方向の空 南の空西方向の空 再び歌の抽出を続けます。巻第三「夏歌」より 卯の花のむらむら咲ける垣根をば雲間の月のかげかとぞ見る 白河院御歌 180 雨そそぐ花たちばなに風すぎてやまほととぎす雲に鳴くなり 皇大后宮大夫俊成 202 夜をかさね待ちかね山のほととぎす雲居のよそに一聲ぞ聞く 周防内侍 205 ひとこゑはおもひぞあへぬ郭公たそがれどきの雲のまよひに 八條院高倉 208 わが心いかにせよとてほととぎす雲間の月の影に鳴くらむ 皇大后宮大夫俊成 210 聲はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそぐ宵のむらさめ 式子内親王 215 いかばかり田子の裳裾もそぼつらむ雲間も見えぬ頃の五月雨 伊勢大輔 227 さみだれの雲のたえまをながめつつ窓より西に月を待つかな 荒木田宇良 233 郭公くもゐのよそに過ぎぬなり晴れぬおもひのさみだれの頃 太上天皇 236 五月雨の雲間の月の晴ゆくを暫し待ちけるほととぎすかな 二條院讃岐 237 夕ぐれはいづれの雲のなごりとて花たちばなに風の吹くらむ 藤原定家朝臣 247 露すがる庭のたまざさうち靡きひとむら過ぎぬ夕立の雲 権中納言公経 265 十市には夕立すらしひさかたの天の香具山雲がくれ行く 源俊頼朝臣 266 ゆふだちの雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしの聲 式子内親王 268 雲まよふ夕べに秋をこめながら風もほに出でぬ萩のうへかな 前大僧正慈円 278最初の3巻だけで、33首の歌に雲が詠み込まれています。雲の変化に戻ります。 13時間に撮った東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 午後1時前には、全面的に雲が厚く空を覆う形に変化していました。つづく参照資料1)『クリアカラー 国語便覧』 監修:青木・武久・坪内・浜本 数研出版 p80-812)『新訂 新古今和歌集』 佐佐木信綱校訂 岩波文庫補遺『新古今和歌集』とその周辺 :「国文学研究資料館」新古今和歌集 :ウィキペディア新古今和歌集 :「ジャパンナレッジ」後鳥羽天皇 :ウィキペディア藤原定家 :ウィキペディア飛鳥井雅経 :ウィキペディア藤原家隆 :ウィキペディア寂蓮 :「コトバンク」新古今和歌集の内容と解説、和歌一覧|新古今集 :「四季の美」新古今和歌集の代表作品一覧:これだけは読みたい有名20首:「短歌のこと」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.12
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2003年の雲の変化を眺める段階に到りました。=== 2023.1.1 === 8時15分過ぎに撮った南の空は雲がなく青空です。元旦としては喜ばしい空でした。西方向の空 東方向の空には、山並みの上に雲がたなびいていました。 13時15分頃に撮った東方向の空は、白雲が山並みの上にたなびく一方で青空となっています。 東方向の上空(45度位か)を眺めた雲です。 南東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 15時過ぎに撮った東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 さて、雲がたりについて、また一歩進めます。古典文学で随筆といえば、やはり『枕草子』を想起します。清少納言は雲について、書きとめているのか。書きとめているとしたらどのように・・・・。そこで部分読みしか出来ていない書棚の文庫本上・下巻を引っ張り出してきて、調べてみました。下巻の巻末に、「語彙索引」が付いています。凡例の最初に、「原文中の注意すべき語彙を適宜選択して項目を立てた」と記されています。この語彙索引を手がかりに「雲」を記した箇所を抽出してみます。(資料1)雲は冒頭の文から現れます。 春は、曙。やうやう白くなりゆく山ぎはすこし明(あか)りて、 紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 [1:第1段、以下同様] (春は、曙。ようやくあたりも白んでゆくうち、山の上の空がほんのり明るくなって 紫がかった雲の細くたなびいた風情) 資料1の現代語訳を引用します。以下同じ。さすがに随筆ですので、自然界の雲の状態を描写しています。雲の色を描写する「紫」は、脚注によれば「当時の紫は、赤みがかったいわゆる古代紫」を意味するするそうです。(資料1、以下同様) 鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声の雲居まで聞こゆる、いとめでたし。 [38] (鶴は、たいへんいかつい恰好の鳥だが、鳴く声が天までとどくというのは、 すばらしい)幾度かでてきている雲居です。ここでは「空」の意味で使われています。 正月十よ日ほど、空いと黒う、雲も厚く見えながら、さすがに日はけざやかに さし出でたるに、・・・・・ [139] これは段の冒頭の文です。 (正月十日過ぎのころ、空は真黒に雲も厚く見えながら さすがに断(き)れ間から日は明るく照っているのに、・・・・・)第148段では、「名恐ろしきもの」として「青淵。谷の洞。・・・」から列挙していき、「雷は、・・・・。暴風(はやち)。」の次に、「不祥雲(ふさうぐも)」が挙げられています。脚注によれば、「凶変の前兆」を暗示するような雲を意味するそうです。当時の人々には、そんな怖れを抱かせ共有できる雲の姿があったということでしょうね。 日は、入日(いりひ)。入り果てぬる山の端に、光なほとまりて、赤う見ゆるに、 薄黄ばみたる雲の、たなびきわたりたる、いとあはれなり。 [237] (日は、入日。沈んでしまった山の頂に、光がなお残って、赤く見えているのに、 薄黄ばんだ雲の、長くたなびいたのは、とても趣深い)そして、第240段では、雲そのものについて語っています。 雲は、白き。紫。黒きも、をかし。風吹くをりの雨雲。明け離るるほどの、 黒き雲やうやう消えて、白うなりゆくも、いとをかし。 「朝(あした)に去る色」とかや、詩(ふみ)にも作りたなる。 月のいと明(あか)き面(おもて)に、薄き雲、あはれなり。 [240] (雲は、白いの。紫。黒いのも、いい。風の吹く時の雨雲の動き。 夜の明け離れるころの、黒い雲がようやく消えて、あたりの白んでゆく風情も、 とてもいい。 「朝に去る色」とか、漢詩にもよんでいるようだ。 月のとても明るい面に、薄い雲というのも、趣深い) この先の第286段では、3月の頃、物忌みによりある所に居た時、宰相の君から贈られた歌に対して、清少納言が歌を返したことを記しています。 雲の上も暮しかねける春の日を所からともながめつるかな [286]この歌は現代語訳はされず、脚注で歌意が説明されています。「雲の上でも(中宮も)暮らしかねていた春の日の所在なさをさびしい場所柄のせいとばかり思っていました」と。ここで初めて「雲の上」は象徴的に宮中の意味で使われています。さらには中宮を表象する意味で使われているようです。 本文の末尾には、ある本に写されている文が補足列挙されています。その中に、 [十三] 硯の箱は、重ねの蒔絵に、雲鳥の文。 (硯の箱は、重ねの蒔絵を施したもので、雲鳥の模様)現実の雲ではなく、硯箱の表面に描かれた図柄としての雲について触れていることになります。尚、「雲」という漢字が名称の一部として出てくる事例が他にあります。第37段に「出雲の国」、第144段に「出雲筵(むしろ)の畳」、第38段と第208段に寺名の「雲林院」がでてきます。私が語彙索引から調べた限りでは、これだけが「雲」にまつわる記述箇所です。清少納言は自然界の雲について、相対的に多く語っていることがわかります。『枕草子』に記された「雲」についてはこれで一旦ひと区切りと致します。雲の変化に戻ります。=== 2023.1.2 === 10時過ぎに撮った東方向の空です。 南東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 14時前の東方向の空 南東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 つづく参照資料1)『新版 枕草子 付現代語訳』 上・下 石田穣二訳注 角川文庫補遺古代紫 :「岩瀬商店」古代紫 :「伝統色のいろは」物忌 :「ジャパンナレッジ」枕草子のおもしろさを読む(10)2018年3月号 :「春耕 春耕俳句会」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.10
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ふとしたことがきっかけで、自宅2階南向きのベランダからの空の雲を撮り始めました。変化しつづける雲の動きは眺めだすとおもしろいものです。併せて、「雲」という言葉を切り口に色々な局面を眺めてみたいと思います。それを思いつきで「雲がたり」と称しました。いわば雲をキーワードにした私的な関心事としてのリサーチです。おつきあいいただけるとうれしいです。観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -1 2022.10.11~10.31の雲、 雲って何?観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -2 2022.11.2~11.7、 雲の形「10種雲形表」、「雲」という漢字観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -3 2022.11.14~11.19、「百人一首」の歌に詠まれた雲 俳句の季語(秋の雲、鰯雲ほか)と事例9句観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -4 2022.11.24~12.4、 『万葉集』の歌に詠まれた雲観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -5 2022.12.5~12.11、 『古今和歌集』の歌に好い込まれた雲 歌の列挙観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -6 2022.12.14~12.20、 『古今和歌集』抽出歌7首 私的な歌意解釈 「行雲流水」(禅語)の由来観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -7 2022.12.23~12.24、 『古今和歌集』抽出歌6首 私的な歌意解釈 松尾芭蕉『おくのほそ道』に記された雲観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -8 2022.12.25~12.26、 『古今和歌集』抽出歌8首 私的な歌意解釈 松尾芭蕉の他の紀行文に記された雲観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -9 2022.12.27~12.28、 『古今和歌集』抽出5歌首 私的な歌意解釈 松尾芭蕉により詠み込まれた雲の句の列挙観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -10 2022.12.29~12.31、 『古今和歌集』抽出3歌首 私的な歌意解釈 松尾芭蕉により詠み込まれた雲の句の列挙(2)2023.1.8時点で、10回になりました。今後はこの一覧表を追補していきたい所存です。どこまで続けられるでしょうか・・・・。未知数です。観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -11 2023.1.1~1.2、 清少納言『枕草子』に記された雲観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -12 2023.1.3~1.4、 『新古今和歌集』巻第一~巻第三 抽出33首観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -13 2023.1.5~1.6、 『新古今和歌集』巻第四~巻第十 抽出41首観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -14 2023.1.8~1.10、 『新古今和歌集』巻第十一~巻第十五 抽出28首観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -15 2023.1.11~1.13。 『新古今和歌集』巻第十六~巻第二十 抽出33首観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -16 2023.1.14~1.16。 『新古今和歌集』巻第一~巻第三 抽出和歌から抜き出した和歌の私的な歌意解釈観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -17 2023.1.17~1.19。 『新古今和歌集』巻第四~巻第六 抽出和歌から抜き出した和歌の私的な歌意解釈観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -18 2023.1.20~1.21。 『新古今和歌集』巻第七~巻第十 抽出和歌から抜き出した和歌の私的な歌意解釈観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -19 2023.1.22~1.25。 『新古今和歌集』巻第十一~巻第十二 抽出和歌から抜き出した和歌の私的な歌意解釈観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -20 2023.1.26~1.29。 『新古今和歌集』巻第十三~巻第十五 抽出和歌から抜き出した和歌の私的な歌意解釈観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -21 2023.1.30~2.1。 『新古今和歌集』巻第十六~巻第十七 抽出和歌から抜き出した和歌の私的な歌意解釈観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -22 2023.2.1~2.4。 『新古今和歌集』巻第十八~巻第二十 抽出和歌から抜き出した和歌の私的な歌意解釈観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -23 2023.2.5~2.7。 禅語の中に出てくる雲 芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 一行物』より観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -24 2023.2.8~2.9。 禅語の中に出てくる雲 芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 一行物』より その2観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -25 2023.2.10~2.13。 禅語の中に出てくる雲 芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 一行物』より その3観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -26 2023.2.14~2.16。 禅語の中に出てくる雲 芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 続 一行物』より観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -27 2023.2.17~2.20。 禅語の中に出てくる雲 芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 続 一行物』より その観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -28 2023.2.21~2.25。 禅語の中に出てくる雲 芳賀幸四郎著『禅語の茶掛 続々 一行物』より観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -29 2023.2.26~2.28。 禅語の中に出てくる雲 西部文浄著『茶席の禅語 (上)』より観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -30 2023.3.1~3.4 禅語の中に出てくる雲 西部文浄著『茶席の禅語 (下)』より観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -31 2023.3.5~3.8 雲の変化だけを記録観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -32 2023.3.9~3.12 雲の変化だけを記録観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -33 2023.3.13~3.17 雲の変化だけを記録観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -34 2023.3.18~3.22 雲の変化だけを記録観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -35 2023.3.23~3.28 雲の変化だけを記録観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -36 2023.3.29~3.31 雲の変化だけを記録観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -37 2023.4.1~4.3 『広辞苑』(初版)に載る雲を含む語彙観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -38 2023.4.4~4.8 『日本語大辞典』(初版)に載る雲を含む語彙観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -39 2023.4.9~4.11 『大辞林』(初版)に載る雲を含む語彙観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -40 2023.4.12~4.16 観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -41 2023.4.17~4.20 観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -42 2023.4.21~4.24 観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -43 2023.4.25~4.30観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -44 2023.5.1~5.4観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -45 2023.5.5~5.8観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -46 2023.5.9~5.10 快晴と雲量。青空の色調。青空との同義語。観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -47 2023.5.11~5.13 禅語の中に出てくる雲 『毎日感謝したくなる 禅ごよみ365日』 桝野俊明著 より観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -48 2023.5.14~5.16 禅語の中に出てくる雲 『毎日感謝したくなる 禅ごよみ365日』 桝野俊明著 より観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -49 2023.5.17~5.20 西行法師『山家集』上・春に載る雲を詠み込んだ歌観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -50 2023.5.21~5.23 西行法師『山家集』上・夏、秋に載る雲を詠み込んだ歌観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -51 2023.5.24~5.26 西行法師『山家集』上・冬、中・恋、雑(前半)に載る 雲を詠み込んだ歌観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -52 2023.5.275.29 西行法師『山家集』中・雑(後半)に載る 雲を詠み込んだ歌観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -53 2023.5.30~5.31 西行法師『山家集』下・雑に載る雲を詠み込んだ歌観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -54 2023.6.1~6.3 西行法師『山家集』の附録に載る雲を詠み込んだ歌観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -55 2023.6.4~6.6 源実朝『金槐和歌集』巻之上に載る雲を詠み込んだ歌観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -56 2023.6.7~6.10 源実朝『金槐和歌集』巻之中に載る雲を詠み込んだ歌観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -57 2023.6.11~6.15 源実朝『金槐和歌集』巻之下に載る雲を詠み込んだ歌観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -58 2023.6.16~6.17 『源氏物語』に載る雲を詠み込んだ歌 「桐壺」~「賢木」観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -59 2023.6.18~6.20 『源氏物語』に載る雲を詠み込んだ歌 「須磨」~「薄雲」観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -60 2023.6.21~6.23 『源氏物語』に載る雲を詠み込んだ歌 「野分」~「浮舟」観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -61 2023.6.24~6.28 『紫式部集』に載る雲を詠み込んだ歌観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -62 2023.6.28~7.3 某総合病院の個室の窓から観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -63 2023.7.3~2023.7.6観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -64 2023.7.7~2023.7.11観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -65 2023.7.12~2023.7.15 観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -66 2023.7.16~7.19 観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -67 2023.7.20~7.24 観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -68 2023.7.25~7.28観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -69 2023.7.29~7.31観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -70 2023.8.1~8.2 坂村真民全詩集第一巻より観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -71 2023.8.3~8.4 坂村真民全詩集第一巻より 2観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -72 2023.8.5~8.6 坂村真民全詩集第一巻より 3観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -73 2023.8.7~8.9 坂村真民全詩集第一巻より 4観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -74 2023.8.10~8.12 坂村真民全詩集第一巻より 5観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -75 2023.8.13~8.15 坂村真民全詩集第一巻より 6観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -76 2023.8.16~8.18 坂村真民全詩集第一巻より 7観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -77 2023.8.19~8.21 坂村真民全詩集第一巻より 8観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -78 2023.8.22~8.24 坂村真民全詩集第一巻より 9観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -79 2023.8.25~8.28 坂村真民全詩集第一巻より 10観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -80 2023.8.29~8.31 坂村真民全詩集第一巻より 11観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -81 2023.9.1~9.4 坂村真民全詩集第一巻より 12観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -82 2023.9.5~9.7 坂村真民全詩集第一巻より 13観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -83 2023.9.8~9.10 坂村真民全詩集第一巻より 14観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -84 2023.9.11~9.13 坂村真民全詩集第一巻より 15観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -85 2023.9.14~9.16 坂村真民全詩集第二巻より 16観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -86 2023.9.17~9.19 坂村真民全詩集第二巻より 17観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -87 2023.9.20~9.22 坂村真民全詩集第二巻より 18観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -88 2023.9.23~9.25 坂村真民全詩集第二巻より 19観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -89 2023.9.26~9.28 坂村真民全詩集第二巻より 20観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -90 2023.9.29~9.30 坂村真民全詩集第二巻より 21観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -91 2023.10.1~10.3 坂村真民全詩集第二巻より 22観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -92 2023.10.4~10.6 坂村真民全詩集第二巻より 23観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -93 2023.10.7~10.9 坂村真民全詩集第二巻より 24観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -94 2023.10.10~10.12 坂村真民全詩集第二巻より 25観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -95 2023.10.13~10.15 坂村真民全詩集第二巻より 26観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -96 2023.10.16~10.18 坂村真民全詩集第三巻より 27観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -97 2023.10.19~10.21 坂村真民全詩集第三巻より 28観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -98 2023.10.22~10.24 坂村真民全詩集第三巻より 29観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -99 2023.10.25~10.27 坂村真民全詩集第三巻より 30観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -100 2023.10.28~10.31 坂村真民全詩集第三巻より 31観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -101 2023.11.1~11.3 坂村真民全詩集第三巻より 32観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -102 2023.11.4~11.7 坂村真民全詩集第三巻より 33観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -103 2023.11.8~11.10 坂村真民全詩集第三巻より 34観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -104 2023.11.11~2023.11.14 坂村真民全詩集第四巻より 35観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -105 2023.11.15~2023.11.17 坂村真民全詩集第四巻より 36観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -106 2023.11.18~11.20 坂村真民全詩集第四巻より 37観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -107 2023.11.21~11.23 坂村真民全詩集第四巻より 38観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -108 2023.11.24~11.26 坂村真民全詩集第四巻より 39観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -109 2023.11.27~11.29 坂村真民全詩集第五巻より 40観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -110 2023.11.30~12.3 坂村真民全詩集第五巻より 41観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -111 2023.12.4~12.6 坂村真民全詩集第五巻より 42観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -112 2023.12.7~12.9 坂村真民全詩集第五巻より 43観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -113 2023.12.10~12.12 坂村真民全詩集第五巻より 44観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -114 2023.12.13~12.16 坂村真民全詩集第五巻より 45観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -115 2023.12.17~12.19 坂村真民全詩集第六巻より 46観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -116 2023.12.20~12.22 坂村真民全詩集第六巻より 47観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -117 2023.12.23~12.25 坂村真民全詩集第六巻より 48観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -118 2023.12.26~12.28 坂村真民全詩集第六巻より 49観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -119 2023.12.29~12.31 坂村真民全詩集第六巻より 50観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -120 2024.1.1~1.3 坂村真民全詩集第六巻より 51観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -121 2024.1.4~1.6 坂村真民全詩集第六巻より 52観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -122 2024.1.7~1.10 坂村真民全詩集第六巻より 53観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -123 2024.1.11~1.13 坂村真民全詩集全六巻より 54観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -124 2024.1.14~1.16 坂村真民全詩集 全巻より 55観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -125 2024.1.17~1.19 坂村真民全詩集 全巻より 56観照 ベランダから見た雲の変化と雲がたり -126 2024.1.20~1.24 坂村真民全詩集 全巻より 57 付記 上記の坂村真民全詩集 全巻は手許にある第一~六巻を意味します。 『坂村眞民全詩集』(大東出版社)は全八巻となっています(2024.2.24時点)。以上
2023.01.09
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=== 2022.12.29 === 10時前に撮った東方向の空 南の空 西方向の空はほぼ雲が無く快晴 16時15分頃に撮った東方向の空 南の空 南西方向の空 西方向の空 === 2022.12.30 === 8時半頃に撮った東方向の空 南東方向の空 南の空西方向の空 さて、雲がたりとして『古今和歌集』の歌の続きです。私的な歌意理解です。私が調べ得た範囲で残る歌は三首になりました。 雲はれぬ浅間の山のあさましや人の心を見てこそやまめ なかき 1050手許の本によれば、初二句(雲はれぬ浅間の山の)は「あさまし」の序詞だそうです。そして、「浅間の山」が「あさまし」と同音で掛けられています。浅間山は長野県北佐久郡にある山です。(資料1)この句の表層的な意味としては、雲がかかったままの浅間山の噴火活動は嘆かわしいので人の気持をわかって止んでほしいということを述べているようです。しかし、本音は別の歌意にある点が脚注に説明してあります。それを参考にします。 (あの人にはほんとに呆れてしまうよ。私の心をはっきりとみきわめてから、 私と手を切るのなら切ればいいのに)「なかき」は平中興のことで、忠望王の子とも、右大弁季長の子とも言われているとか。922年に美濃権守となり、930年没。『古今和歌集』には二首撰歌されているようです。(資料1)浅間山は有史以来の活火山です。1128年には大規模なマグマ噴火が起こったようですが、それ以前は685年に噴火した記録があるようです。平中興が生きていた時代はどうだったのでしょうか。(資料2) うきめをばよそめとのみぞのがれゆく雲のあはだつ山のふもとに あやもち 1105この歌は巻第十「物名部」に収録されている歌です。「あやもち」は「元永本には『凡の山もち』、筋切には「凡山茂」とある」人で、伝未詳とか(資料1)。この「あやもち」に与えられたお題は「そめどの あはた」です。「そめどの」は藤原良房の邸宅で、清和天皇の離宮となります。「あはた」は粟田で三条から逢坂山の方向への出口。粟田口。このあたりに、藤原基経の粟田院があったそうです(資料1)。その地名がお題になっています。 (この世での憂い成り行きを、私は余所事のようにみなして、 雲がさかんに立っているあの山のふもとへ、この世から遁れていきましょう) さわぎなき雲の林に入りぬればいとど憂き世のいとはるるかな 惟喬親王 1131これは異本に収録されている歌で、花山法皇本で第945首の惟喬親王の詠歌の続きに収録されていると言います。「雲林院にて詠める」という詞書が付いています。雲林院は、京都市の大徳寺の南に在ったお寺です。「現在は観音堂一宇が残り、十一面千手観世音菩薩を本尊として、大徳寺開山の大燈国師木像、中興の江西和尚の木像が安置され法燈を継いでいる」(資料3)という状況です。 (騒ぎのないこの雲林院に入り暮らしてみると、 ますます憂き世を避けて心静かに生きていける思いがすることよ)『古今和歌集』の歌に出てくる「雲」は、自然界の「雲」を直接的に詠じる以外に、亡くなった人の表象として眺めたり、宮中のことに喩えたりと、様々な意味を重ねていることがわかります。『古今和歌集』の「雲」を詠み込んだ歌については、拙い歌意解釈でのまとめをこの辺りで終わりたいと思います。再び、雲の姿と変化に戻ります。 11時半頃の東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 15時15分頃の東方向の空 南の空南西方向の空 さて、もう一つの雲がたり、松尾芭蕉の句についての続きです。『笈の小文』に掲載の「京まではまだ半空(なかぞら)や雪の雲」から始めた「雲」を詠み込んだ句の話です。手許の『芭蕉俳句集』(岩波文庫)をもとに、上五、中五、下五が一列に索引に使われている「三句索引」を一部利用して、チェックしやすい部分をまずご紹介しました。句の途中で「雲」が入っている句を抽出するのに、「三句索引」を句のパーツからのチェックではなく、一旦本文として年代順の句を読み進めることでチェックしてみることにしました。その後で「三句索引」の確認をしてみました。(資料4)本文を通読して抽出した句は以下のとおりです。『笈の小文』の句を加えると、前回ご紹介の句に加え、さらに10句が詠まれていることになります。 百里来たりほどは雲井の下涼(したすずみ) 63 延宝4年(1676) 33歳 行雲(ゆくくも)や犬の欠尿(かけばり)むらしぐれ 81 延宝5年(1678) 34歳 観音のいらかみやりつ花の雲 261 貞享3年(1686) 43歳 花の雲鐘は上野か浅草歟(か) 285 貞享4年(1687) 44歳 一尾根はしぐるる雲かふじのゆき 316 同上 あの雲は稲妻を待つ(まつ)たより哉 417 貞享5年・元禄元年 45歳 やすやすと出(いで)ていざよふ月の雲 716 元禄4年(1691) 48歳 鶴の毛の黒き衣や花の雲 795 元禄6年(1693) 50歳 蝶鳥のうはつきたつや花の雲 970 年次不詳手許の文庫本では、芭蕉作と確定している句を982句掲載し、その後に「存疑の部」(530句)、「偽書簡中の句」(26句)、「誤伝の部」(208句)が収録されています。上記抽出は982句の範囲で行いました。また、芭蕉の句には、繰り返し推敲された句は時系列に併載されていますが、この本では一句の番号が振られています。その場合は、「雲」の文字を含む最後のものを表記しました。芭蕉は、自然界の「雲」そのものを詠むこと以外に、「雲井」(雲居)で雲あるいは空全体を表したり、「花の雲」という形で見立てをしています。「花の雲」は手許の古語辞典では、「桜の花が一面に咲いているさまを雲にたとえて言う語」と説明しています。例示されているのが、「花の雲鐘は上野か浅草か」です。序でに、「雲」という文字だけで言えば、「出雲守」と詠んだ句(80)、「雲雀」を詠んだ句(289,699)にも気づきました。こんなところで、松尾芭蕉に関係した「雲」の抽出も一旦終了と致します。『古今和歌集』と芭蕉関連の紀行文や句集からの抽出にもれがあるかもしれません。その点はご寛恕ください。=== 2022.12.31 === 10時半頃に撮った東方向の空 南の空南西方向の空 西方向の空 12時45分頃の東方向の空 南の空西方向の空 思っていたより穏やかな2022年の最終日でした。つづく参照資料1)『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫2) 浅間山 有史以降の火山活動 :「気象庁」3) 雲林院 :「京都観光Navi」4)『芭蕉俳句集』 中村俊定校註 岩波文庫補遺浅間山 :ウィキペディア天明3年の大噴火 :「浅間火山博物館」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.08
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=== 2022.12.27 === 8時頃に撮った東方向の空。朝曇り状態です。 南の空 ほんの一部青空が見えます。ズームアップにて。南西方向の空 西方向の空 9時半頃に撮った南の空。気持ちの良い青空が見えるように。 一方、東方向の空はグレーの雲が留まっています。さて、雲がたりとして『古今和歌集』の歌の続きです。私的な歌意理解です。巻第十五「恋歌五」で載せ忘れた歌から始めます。 葦辺より雲井をさして行く雁のいやとおざかるわが身かなしも 819手許の本の脚注によれば、「葦辺より」は「いやとおざかる」の序詞だそうです。「雲井」はすでに「雲ゐ」という表記で詠まれた歌を取り上げています。ここの「雲井」は空をさすとか。(資料1) (葦のはえた水辺から空をめざして雁が飛んで行く。おお、みるみる遠ざかる。 去って行く雁をみていると哀しくなるなぁ。去って行ったあの人のよう・・・・)歌を拾い出していくと、「よみ人しらず」の歌は収録歌がまとまっているところは、その先頭にだけ表記されているようです。詠者名付記のものは「よみ人しらず」とご理解ください。 たれ見よと花咲けるらむ白雲のたつのとはやくなりにしものを 856「たれ見よと」について、「庭の花を、見るべき主人も今はいないのに、という遺族の心を余情とする」と脚注にあります。「白雲のたつの」は「白雲のたつ野」で、「庭のさびしく荒れた感じを野といっている」とのこと。 (庭を愛で世話をした主はもういない。白雲のたつ野のように、はやくも庭は さびしく荒れ始めている。いま庭に咲くこの花は誰に見て欲しくて咲くのだろう) 風ふけど所もさらぬ白雲はよをへておつる水にぞありける みつね 929脚注には、この上の句の五・七は、遠望する滝を白雲に見立てたと解説しています。この凡河内躬恒の歌はその前に載る壬生忠岑の歌をうけて、同じ滝について詠んだ歌です。比叡山の坂本にある音羽の滝を眺めて詠じた歌です。巻第十七「雑歌上」に所載。 (ここから眺める滝は、あたかも風が吹いても動こうとはしない白雲のよう。 時を経て白雲から落ち来る水がきっと滝になって流れ落ちているのだろう)前回、惟喬親王の歌をご紹介しました。その巻十八「雑歌下」には、雲を詠み込んだ歌があと2首あります。 みやこ人いかがととはば山たかみ晴れぬくもゐにわぶとこたへよ をののさだき 937詞書によれば、小野貞樹(生没年不詳)が甲斐守、つまり現山梨県辺りの国司の長官として赴任していた時に都へ上って行く人に詠んでやった歌だそうです。(資料1,2)脚注の語釈でほぼ歌意が説明されていますので、それを総合してみます。「晴れぬくもゐ」は掛詞だとか。(資料1) <都の人が、私がどのように暮らしているかと尋ねたならば、 山が高いので晴れることなく雲がかかるところ。心の晴れることもない遠方 そこでさびしく暮らしていると答えてくれよ> あしたづのひとりおくれてなく声は雲のうへまできこえつがなむ 大江千里 998大江千里は「百人一首」の第23首として登場する平安前期の歌人。百人一首に撰歌された歌は、『古今和歌集』巻第四「秋歌上」に第193首として収録されています。中古三十六歌仙の一人です。(資料3,4)脚注によれば、この歌は、鶴について詠じながら、その歌の裏には、おのれの昇進が遅れていることを宮中の天皇の御耳に入るように伝えてほしいという暗喩があるそうです。「雲」に宮中の意味が重ねられています。そういえば、「雲上人」という宮中の人々をさす語彙がありますね。 (鶴が仲間からひとり遅れていて鳴いている。その鳴く声は雲のかなたまで聞こえ 仲間たちに届いていてほしいものだなぁ。 友よりひとり昇進の遅れている私の気持を天皇の御耳に申し上げてほしいものよ)この辺で一区切りにして、雲の姿に戻ります。 14時半ごろに眺めた東方向の空に青空が見えました。 南東方向の空 南の空は青空が点描となりコントラストがはっきりとした曇り空。 西方向の空 もう一つの雲がたり。松尾芭蕉は『おくのほそ道』で、一句に雲を詠み込んでいました。芭蕉は他にも雲を詠み込んだ俳句を作っているのか。手許に岩波文庫の『芭蕉俳句集』(1975年6月第7刷)があります。(資料5)巻末に載る「三句索引」を利用しました。三句(上五・中七・下五)の冒頭表現を索引にしたものです。取りあえず、三句索引から抽出できる雲に関連した句を調べてみますと、11句あります。以下のとおりです。 雲とへだつ友かや雁のいきわかれ 41 寬文12年(1672) 29歳 雲を根に富士は杉なりの茂(しげり)かな 38 延宝4年(1676) 33歳 夏衣いまだ虱(しらみ)をとりつくさず 250 貞享2年(1685) 42歳 雲折々人をやすむる月見哉 251 同上 雲の峰幾つ崩(くずれ)て月の山 531 元禄2年(1689) 46歳(おくのほそ道) さみだれの雲吹きおとせ大井川 865 元禄7年(1694) 51歳 六月や峰に雲置(おく)あらし山 875 同上 ひら々とあぐる扇や雲の峰 886 同上 湖やあつさをおしむ雲のみね 891 同上 日にかかる雲やしばしのわたりどり 905 同上 此秋は何で年よる雲に島 922 同上三句の冒頭ではなくて、途中に「雲」が詠み込まれているならこの三句索引では句を拾えません。一句ずつの確認は、また別途調べてみたいと思います。さて、この辺りで「雲がたり」を一区切りにいたします。雲の姿に戻ります。12/27の16時頃に撮った空です。 東方向の空 南の空 大きな雲が漂い、青空が広がっていました。 西方向の空 === 2022.12.28 === 8時15分頃に撮った東方向の空。雲が見えません。 南の空 西方向の空 この日の朝は、まさに快晴でした。こんな空は久しぶりです。つづく参照資料1)『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫2) 小野貞樹 :「Milord Club ミロード倶楽部」3) 大江千里 :ウィキペディア4) 大江千里 :「コトバンク」5)『芭蕉俳句集』 中村俊定校註 岩波文庫補遺中古三十六歌仙 :ウィキペディア三十六歌仙 :ウィキペディア三十六歌仙 :「WEB画題百科事典Wiki」(立命館大学アートリサーチセンター)三十六歌仙繪 新宿区・須賀神社[天王様] :「東京都神社庁」佐竹本三十六歌仙絵 壬生忠峯 :「文化遺産オンライン」リポート“絵巻切断”から100年、京都で「佐竹本三十六歌仙絵」展 :「美術展ナビ」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.07
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=== 2022.12.25 === 8時15分頃に撮った東方向の空。曇り空です。 南の空 南西方向の空 西方向の空 14時15分頃午後になると、東方向の空にも青空と白雲が見えるように。 南東方向の空 南の空 南西方向の空 西方向の空 午後にはさらに青空が広がる感じに。さて、雲がたりとして『古今和歌集』の歌の続きです。私的な歌意理解です。巻十一「恋歌一」から続けます。 逢ふことは雲ゐはるかになる神のおとにききつつこひ渡るかな つらゆき 482ここでの「雲ゐ」(=雲居)は、脚注によると「空」の意味です。「なる神」は雷のことで「いかづち」です。また、「おと」に対する枕詞でもあり、「雲ゐ」とは縁語になるそうです。さらに、ここでは「おと」は噂に聞くという意味を表しているとか。(資料1) (空がはるかかなたにあるように、貴方に逢えるのぞみはありません。 空から雷の音が響いてくるように、あなたの噂を耳にして、 あなたを恋いながらこの歳月を過ごすばかりなのです) 夕ぐれは雲のはたてに物ぞ思ふあまつそらなる人をこふとて 484第483首に読人しらずとあり、そのあとは詠者の明記は「恋歌一」にはありませんので、この歌も読人しらずの一首なのでしょう。辞書によれば「はたて(果たて)」は「はて、限り」の意。「あまつそら」は「天つ空」で「空、天空」の意です(『明解古語辞典 新版』三省堂、以下古語辞典と称す)。 (夕暮れになると雲のはてに向かって物思いにふけります。 天空にいるように思える人を恋い慕っています)素人として素直に読むとこんな意味かと思います。参照資料の補注を読むと、この歌の解釈は様々あるそうです。「夕暮れの雲のはたて」というフレーズについて、「夕焼の赤い雲が長い旗のように靡き、旗手が乱れている情景から、尽きせぬ物思いをする喩え」という解釈があり、物思いの乱れを読み取る解釈や、「あまつそらなる人」を自分より身分の高い人とする解釈。「人」は男か女か、いずれともとれるようです。この歌一首、解釈は定まらないとか。歌を読み、その思いに共振できればそれで良いのかもしれません。 風ふけば峰にわかるる白雲のたえてつれなき君が心か ただみね 601脚注によれば、上句(五・七)は、「たえて」の序詞になるとか。そしてこの上句は「まったく」という意味に転じて序詞としていて、下句に「つれなき」という否定をともなっていると言います。「たえて」は、峰の白雲が風のために切れるの意味だそうです。(資料1)巻十二「恋歌二」に収録されています。 (風が吹けば峰にかかる白雲が切れて去り行くように、 まったく貴方の心は無情そのものですね)「ただみね」は壬生忠岑(生没年未詳、平安時代前期)。三十六歌仙の一人で、この『古今和歌集』の撰者の一人です。(資料2) 雲のなくなぎたる朝の我なれやいとはれてのみ世をばへぬらむ とものり 753「なぐ」は古語辞典によれば、「凪ぐ:海風が静まる」の意です。「いとはれて」は脚注によれば「いと晴れて」と「厭はれる」とが掛けられているとか。(資料1) (雲なく、風もなく、たいへん晴れた朝を迎えている私 だけど、人に厭われるだけでこの世を過ごしているだけに虚しい)「とものり」は紀友則(平安前期)。三十六歌仙の一人。紀貫之の従兄。『古今和歌集』の撰者の一人ですが、歌集の完成前に没しているそうです。(資料2) あま雲のよそにも人のなりゆくかさすがにめには見ゆるものから 784巻十五の「恋歌五」に収録されたこの歌には、長い詞書が付されています。その意味は次のとおりです。在原業平が紀有常の女の許に通っていたのだが、うらむことがあって、しばらくの間、昼間に家を訪ね夕方には家を出て帰るという状況だった。その時に詠んでことづけて届けさせた歌。つまり、紀有常の女は、業平の妻です。妻問婚の風習の時代ですので、通常なら夕方に通って来て朝帰るというパターンです。その逆の行動を業平がとったということですので、不仲であることが見え見えの状況の時に詠んだ歌になりますね。「あま雲」は天の雲で、「よそ」の枕詞になるそうです。「よそ」は余所で、遠方を意味します。「なりゆく」はここでは心が変わるという意味だそうです。 (天の雲が遠くにあるように、私のあなたへの思いもよそよそしくなったものよ。 その疎遠さはやはり人目には見えることだろう。昼間に通っているのだから) あまつかぜ雲のかよひぢ吹きふきとぢよをとめのすがたしばしとどめむ 872このよしみねのむねさだ(僧正遍昭)の歌は既に触れていますのでスキップします。 あまの川雲のみをにてはやければひかりとどめず月ぞながるる よみ人しらず 882第882首は巻十七「雑歌上」に収録されています。「雑歌」は「ぞうか」と読みます。手許の辞書には、「和歌集の歌の部位の一つ。春・夏・秋・冬・恋以外のもの。また、以上のほか、賀・離別・羇旅・物名・哀傷などにも入らないもの。それを集めた部類」(『日本語大辞典』講談社)と説明されています。この歌、脚注の2項をつなぐと、歌意がそのまま解釈できますので、引用します。 <天の川は、雲が水脈であって、流れが速いので、 天の川に光を映しとどめることもなく、月は速く流れている>(資料1) おほぞらを照りゆく月しきよければ雲かくせどもひかりけなくに あま敬信 885この歌、詞書に、文徳天皇の時代に斎院交代の疑義が出されるという問題が発生しましたが、問題なしとのことで終焉したと言います。これを受けて詠まれた歌だそうです。 (大空に照り行く月は清いのでたとえ雲が月を隠しても月の光は消えないことよ。 斎院は清浄でいらしゃるので、暗い疑いがあっても、消え去ることはないのです) 白雲のたえずたなびく峰にだにすめばすみぬる世にこそありけれ これたかのみこ 945惟喬親王は文德天皇第一皇子です。母が紀氏であったために帝が東宮にと望まれたそうですが、藤原良房の勢力に勝てず、比叡山の麓小野の里に隠棲されることになります。(資料1)この歌は惟喬親王が詠まれた歌。 (白雲が絶えることなくたなびく峰のすぐ麓にでも、住んでみれば住める。 そんな時代の中で生きている我が身なのだ)この辺で一区切りにして、雲の姿に戻ります。=== 2022.12.26 === この日も、8時15分頃に撮った東方向の空。朝曇りの状態です。南の空 南西方向の空 西方向の空 ベランダから眺めたほぼ上空の雲 11時45分頃に眺めた東方向の空の雲の変化 東方向の上空の雲の姿。45度位の斜め上方向だったと思います。南西方向の空 西方向の空。少しズームアップで。もう一つの雲がたり。松尾芭蕉は他にも紀行文を残しています。手許にあるもう一冊の文庫本で調べてみました。こちらには、『野ざらし紀行』『鹿島詣』『笈の小文』『更科紀行』が収録されています。(資料2)まず『野ざらし紀行』です。これは芭蕉自らが命名したタイトルではないそうです。のちの世の人々の間で一般通行の名称になったと説明されています。(資料2)この紀行文の発句が「野ざらしを心に風のしむ身哉」から始まりますので、後に通称される名称がここに由来するのでしょうか。「野ざらし」は脚注に「野に捨てられさらされて白骨となった髑髏(されこうべ)。行き倒れを意味する」(資料2)とあります。芭蕉は41歳の秋にこの旅に出ました。野垂れ死にするかもしれない覚悟での旅立ちだったのでしょう。 この紀行文には2カ所で「雲」が記されています。 関こゆる日は、雨降て、山皆雲にかくれたり。第二句の後に続く文です。箱根の関を越える日の状況が記されています。自然現象としての雲そのものを客観的に記録しています。もう一カ所は、二上山当麻寺に詣でた後、よし野に行くところでの記述です。 独(ひとり)よし野おくにたどり(て)けるに、まことに山ふかく、白雲峯に重り・・・ここも事実描写としての雲を記しています。『野ざらし紀行』は岩波文庫本で原文が13ページというものです。長年書架に眠らせていて、初めてそのボリュームを知るというていたらくです。だけど、ふと思いついた動機から、原文をまず通読だけでもする機会になりました。『鹿島詣』は原文7ページです。芭蕉44歳の時の月見がてらの鹿島行だったそうです。ここには「雲」は記述にでてきません。『笈の小文』は原文22ページの紀行文です。導入の文章中では、「造化にしたがひ、造化にかへれとなり」というフレーズが印象的です。そして、「旅人と我名よばれん初しぐれ」を発句として旅が始まります。愛知県の鳴海にとまる前のところで、 風雲の便りともおもひなして、・・・・ と、初めて「雲」が出てきます。己の旅を比喩的に表しているのでしょう。 京まではまだ半空(なかぞら)や雪の雲鳴海で、かつての飛鳥井雅章公の宿に芭蕉が泊めてもらえた時に詠んだ句に「雪の雲」が詠み込まれています。江戸から京まで、鳴海は中間地点というところですね。この紀行文に雲という字が現れるのは2カ所でした。『更科紀行』は原文5ページ。これもタイトルは芭蕉の命名かどうか不詳のようです。この短い紀行文の冒頭文後半に「雲」が出て来ます。 ともに風雲の情をくるはすもの又ひとり、越人と云脚注に「自然の風景を楽しもうとする気持をかきたてる者。すなわち風狂者」と説明があります。「越人」とは、蕉門十哲の一人、越智氏を指します。『更科紀行』の旅に同行した人。 雲路にたどる心地せらる脚注を参考にすると、木曾街道の名所の一つで、上松・福島間にある棧(かけ)はしや寝覚の床という語句で有名な寝覚を過ぎて、四十八曲と称される所について記す箇所にこの一節が記されています。「雲路」は「<鳥などが空を飛ぶ道・雲の行くえ>の意の雅語的表現」(『新明解国語辞典』三省堂)です。ここは比喩的に使っているのでしょう。 さらしなや三よさの月見雲もなし 越人脚注によれば、「三よさ」は、「8月15日・16日・17日の三夜」を意味するそうです。ここは雲そのものがないことを詠み込んでいます。月が煌々と輝いていたことでしょうね。『更科紀行』に「雲」の字が登場するのはこの3カ所でした。手許の文庫本には『嵯峨日記』が付いています。序でにこれもチェックしてみました。原文は15ページです。本文と句に「雲」という文字は使われていませんでした。奥の細道の大行脚を終えた芭蕉は、その後、郷里の伊賀上野に滞在し、その年近江の大津で年を越します。湖南の幻住庵にしばらく隠棲し俳諧活動の拠点としました。元禄4年(1691)4月18日から5月4日まで、京都・嵯峨にある落柿舎に滞在し、この日記を記しました。芭蕉48歳の時です。元禄4年9月には、江戸へ帰る旅に出ました。(資料2)さて、この辺りで「雲がたり」を一区切りにいたします。26日には、14時40分頃にも雲の写真を撮りました。 東方向の空南の空 南西方向の空 西方向の空 一日の中で、雲の姿は大きく変化し続けています。つづく参照資料1)『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫2)『芭蕉紀行文集 付嵯峨日記』 中村俊定校注 岩波文庫補遺芭蕉総合年表 伊藤 洋:「芭蕉DB」野ざらし紀行 :ウィキペディア野ざらし紀行(序) :「芭蕉DB」松尾芭蕉自筆の「野ざらし紀行図巻」半世紀ぶり再発見 10月に京都で公開 :「美術展ナビ」鹿島詣 :「芭蕉DB」笈の小文(松尾芭蕉 主な紀行文) :「三重県」更科紀行 :「芭蕉DB」木曾海道 :ウィキペディア嵯峨日記(さがにっき) 芭蕉48歳 :「私の芭蕉紀行」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.06
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=== 2022.12.23 === 13時半頃に撮った南の空 東方向の空 西方向の空=== 2022.12.24 === 8時半頃に撮った南の空 南西方向の空 西方向の空 東方向の空 東方向の空 10時過ぎさて、雲がたりとして『古今和歌集』の歌の続きです。私的な歌意理解です。 雲井にもかよふ心のおくれねばわかると人に見ゆばかりなり ふかやぶ 378清原深養父のこの歌には、詞書が付されています。「あひしりて侍りける人の、あづまの方へまかりけるを、おくるとてよめる」親しくしていた友人が東国に赴任する際の送別の歌として詠んだ歌です。雲井は雲居と同義でしょう。雲居には、雲あるいは空という意味と併せて、第三義に「はるか遠く離れた所」という意味が古語辞典に出ています。 (はるか遠くへと旅だつあなたに取り残されないように、 私の心が一緒についこうとしているのが他の人には見えていることでしょう) 白雲のこなたかなたに立ちわかれ心をぬさとくだく旅かな よしみねのひでをか 379この歌に付された詞書は「友のあづまへまかりける時によめる」です。深養父の歌の続きに載っていますので、同じ人への送別歌と考えるのが素直でしょうね。脚注によると白雲は「立ち」の枕詞になるそうです。「ぬさ」にも「五色の絹を細かく切って袋に入れ、旅人は道の神の前で撒いて供えた」(資料1)と注に説明があります。 (東国と都、あなたは別れて旅だっていく。貴方が神に供えた幣の如く、 この別れの悲しみに私の心は千々に砕けてしまっています) 白雲のやへにかさなるをちにてもおもはむ人に心へだつな つらゆき 380連番として、紀貫之の詠んだ歌が続きます。「みちのくへまかりける人によみてつかはしける」と詞書にあります。別れに立ち会えないので、歌を認めてことづけたということでしょう。「をち」は「遠」で、「をもわむ人」は「君を思うであろう人」つまり貫之自身をさす表現だそうです。「心へだつな」は「心を隔てるな。忘れずに親しく思っていてくれ」(資料1)と脚注にあります。 (白雲が幾重にも重なるみちのくにという遠方へ遠方に行っても、 君を思っている私のことを、忘れずに親しく思っていてほしいものです)これら三首は多分同じ人物への離別歌なのでしょうね。第379首は良岑秀崇だそうです。そして、良岑秀崇の歌はこれ一首だけの採録だとか。(資料2) あしひきの山たちはなれ行く雲のやどりさだめぬ世にこそありけれ をののしげかげこの第430首は、巻十の「物名」(モノノナ・ブツメイ)に収録されています。「題である物の名前を隠して詠み込む歌。掛詞の技法を用いる。・・・隠喩とも呼ばれる」(資料1)とのことで、題と歌意は無関係でよいそうですが、「きわめて知的な題詠の一種である」(同上)とか。この歌の題は「たちばな」。この脚注を読んでから歌を読むと、巧妙に「たちはな」が「たちはなれ行く」の中に詠み込まれています。 (山に棚引いていた雲が、山から離れて行き漂っていく。 同様に、居場所を定めえない無常な世の中であることよ・・・) 郭公(ほととぎす)みねの雲にやまじりにしありとはきけど見るよしもなき 平あつゆきこの第447首も、上掲「物名」に収録されています。題「やまし」は脚注によれば、「花菅(はなすげ)と同じ、ゆり科の多年生草本。夏、淡紫色の小花が穂状にならぶ」(資料1)という植物だとか。 (ホトトギスはあの峰にかかる雲の中に紛れ込んでしまったのか。 ホトトギスの鳴く音が聞こえてはいるが、その姿を見る方法がなくて残念) あしひきの山べにをれば白雲のいかにせよとか晴るる時なき つらゆき 461これも題「よどがは」に対する詠歌です。ひとつ前の歌に「つらゆき」とありますので、この歌もつらゆきの作歌と思います。先歌にも使われている「あしひきの」は「山」「峰」などにかかる枕詞です。 (山辺に居たところ、峰にかかる白雲がてこでも動かず晴れ渡る時がなかった) 巻十一は「恋歌」になりますので、この辺でひと区切りに。雲の姿に戻ります。 東方向の空、11時半頃 南西方向の空 15時頃、南の空西方向の空 南西方向の空 東方向の空もう一つの雲がたり。松尾芭蕉は紀行文中最高の傑作と称される『おくのほそ道』を残しました。手許の岩波文庫によれば、原文はわずか49ページです。その後に「曾良随行日記」が併載されていますので、解説を含め219ページというボリュームの文庫本になっています(資料2)。『おくのほそ道』に全訳注がつくと、それだけで360ページ余の文庫本になります(資料3)。この2冊を参照して、芭蕉が『おくのほそ道』で「雲」に言及しているかを調べてみました。( )内の現代語訳は資料3からの引用です。「月日は百代の過客にして、・・・・」という有名な「冒頭」の書きだし文に続き、まず出て来ます。 予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、・・・・ (私もいつの年からか、ちぎれ雲が風に吹かれて大空を漂うのを見るにつけ、・・・)「尿前の関」の「蚤虱(のみしらみ)馬の尿(ばり)する枕もと」の句の後の文に、 雲端につちふる心地して (「雲の端から土砂まじりの風が吹きおろして来る」と詠んだ杜甫の詩句 そのままという気がして)「羽黒」の後半には、3カ所にでてきます。3カ所は本文、1カ所は句中です。 雲霧山気の中に氷雪を踏んでのぼる事八里 (雲や霧のたちこめる山気の中を万年雪を踏んで登ること八里) 更に日月行道の雲関に入るかとあやしまれ (さながら太陽や月の運行する雲間の関所に踏み入るのではないかと疑われるほど) 日出て雲消ゆれば湯殿に下る (朝日が出て雲が消え去ったので、湯殿山に下って行った) 雲の峰幾つ崩れて月の山 (夏空に幾つも入道雲が立っていたが、あの雲がいったい幾つ崩れ、幾つ築き 上げたのが、月光のもとに白く神々しくそびえるこの月山なのであろうか)原文を通読して「雲」という字を見つけたのはこの6カ所です。尚、寺名として「雲岩寺」、僧名として「法雲法師」が出て来ますが対象から除きます。「須賀川」には、「空曇りて物影うつらず」という記述があります。芭蕉は「雲」そのものをさほど意識していなかったように感じました。徒歩の旅では雲よりも雨が降るかどうかの方が気がかりだったことでしょう。余談ですが、雨そのものは「飯塚」「笠嶋」「末の松山」に記述があります。この辺で一区切りとします。 16時半前、南の空南西方向の空 西方向の空 東方向の空留まることなく移りゆく雲、一日の時刻の変化につれて、様々な姿形、表情を見せてくれます。おもしろいものです。つづく参照資料1)『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫2) 良岑秀崇 :「Milord Club ミロール倶楽部」3)『おくのほそ道 附 曾良随行日記』 杉浦正一郎校註 岩波文庫4)『おくのほそ道 全訳注』 久富哲雄 講談社学術文庫 補遺奥の細道 伊藤 洋:「芭蕉DB」江東区芭蕉記念館 ホームページ俳聖 松尾芭蕉翁 ホームページ河合曾良 :ウィキペディア曾良 伊藤 洋:「芭蕉DB」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2023.01.04
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2022.11.20今年は「卯」年。冒頭のウサギは地元の宇治神社の手水舍で撮りました。「スポット探訪 [再録] 宇治 宇治神社細見と宇治橋・通圓茶屋・未多武利神社」 2017.1.10の再録ですが、ご紹介しています。 2022.11.20宇治神社と世界遺産に登録されている宇治上神社は、上社・下社として一体のような神社でしたので、勿論ともにウサギは神の使いですので、それぞれの神社のお守りはウサギに因んだ形のものが使われています。卯年に限りません。ずっとです。 2019.8.13もう一箇所、京都市左京区にある岡﨑神社もウサギと縁がある神社です。この画像は以前に撮って、ブログでご紹介したものです。 「探訪 京都・左京 丸太町通を東に -3 岡崎神社 (1) 境内社と本殿まわり」「探訪 京都・左京 丸太町通を東に -4 岡崎神社 (2) 子授けうさぎ像・雨神社・能舞台ほか」 2019.8.17に探訪記でご紹介しています。ウサギに縁のある神社のご紹介です。<失敗譚>もう一つのブログ「遊心逍遙記」(gooブログ)で、昨年のクリスマスの頃、私の手続きミスでトラブル発生。ログインが出来なくなり、新規に「遊心逍遙記その2」を開設する羽目になりました。自分のブログ記事へのアクセスの便宜のために、記事へのリンク一覧を作成することで想定外の時間をこの年末年始に費やしていました。その結果が上掲のご紹介に留まりました。除夜の鐘の後に、近くの神社へ初詣に行っただけ。コロナ禍でもあり、まあイイカ・・・・・。初詣代わりに過去ログを見直しました。今年も拙ブログ記事にお付き合いいただければ幸いです。
2023.01.03
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=== 2022.12.14 === 14時半頃に、東方向の空を撮りました。 南の空 南西方向の空=== 2022.12.18 === 9時過ぎに、東方向の空を撮りました。 南の空 10時半頃に再び東方向の空を眺めた状態です。=== 2022.12.19 === 11時頃に東方向の空を撮りました。 南の空には雲がありませんでした。 15時45分過ぎには、南の空に雲が浮かんでいました。さて、『古今和歌集』(資料1)について、雲がたりのつづきです。手許の本は校注だけですので、雲を詠み込んだついて、校注と大昔学生時代に使った『明解古語辞典 新版』(三省堂)を頼りに、頭に刺激を与えてみる試みです。歌の意味を私なりに解釈してみてご紹介します。No.5に列挙した歌を取り上げて行きます。逆に、誤解を与えることになるかもしれません。その節にはご教示いただけるとうれしいです。 桜花さきにけらしなあしひきの山のかひより見ゆる白雲 59この歌の一つ前、第58首に「つらゆき」(紀貫之)とあり、後の第70首は「とものり」(紀友則)と明記されています。それ故この第59首は紀貫之の歌と解せそうです。古語辞典を引きますと、「かひ」には「峡」の字があてられ、「山と山との間」と説明されています。そして、この歌の該当箇所が例示されています。 (山と山の間に白雲が見える。今頃は桜の花が咲き誇っていることだろうな) 夏の夜はまだよひながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ 166深養父の作。「百人一首」の項で、歌意の引用と併せて清原深養父が清少納言の祖父ということもご紹介しました。ここではスキップします。 白雲にはねうちかはしとぶかりのかずさへ見ゆる秋のよの月 191この歌は「よみ人しらず」と明記してあります。「はねうちかわし」は「雁が翼を互いに交えて」と脚注説明があります。(資料1、以下同じ) (秋の夜に月が輝き、白雲に向かって翼を互いに交えつつようにして 黒い雁が飛んでゆく。その数さえ数えられるほどにはっきりと見えることよ) 久方の雲のうへにて見る菊はあまつほしとぞあやまたれける としゆきの朝臣 269としゆきの朝臣は、巻四・秋歌上の冒頭の歌に藤原敏行朝臣とあり、この人のことでしょう。詞書に「寛平御時、菊の花をよませ給うける」とあり、このとき藤原敏行は権中将蔵人で、殿上人であったそうです。「雲のうへ」という語句を使っていますが脚注を参照すると、雲は比喩的に「宮中」の意味で使われていいるだけのようです。雲とリンクする形で「あまつほし」(天の星)という譬喩が使われています。 (久々に宮中で拝見する菊はまるで天に輝く星かと間違えてしまいそう) 冬ながら空より花のちりくるは雲のあなたは春にやあるらむ きよはらのふかやぶ 330詞書に「雪のふりけるをよめる」とありますので、花は雪を喩えていることになります。雪が降る空を見上げて、雪空の雲を眺めているのでしょう。 (冬なので空から雪がまるで花が散るように降りてくる。 あの雲の彼方にははや春になっているのではないだろうか) 山高み雲ゐに見ゆるさくら花心の行きてをらぬ日ぞなき 凡河内躬恒 358 (山高く雲の懸かる辺りに桜の花が見える。 その桜の花に私の心が向かわない日はないといえる今日この頃よ) 限りなき雲井のよそにわかるとも人を心におくらさむやは 367一つ前の歌によみ人しらずと明記されていて、その続きなのでこれも読み人しらずでしょう。「雲井」には、「空のかなた。遙かに隔たった旅の空の意」と脚注がしてあります。実体としての雲の存在ではなくて、空間の隔たりを象徴するだけのようです。 (都を出て遙かに隔たった旅の空へと離れて行ったあの人。 心から送ってあげることができただろうか。いや、行ってほしくなかった・・・) をしむからこひしきものを白雲のたちなむのちはなに心地せむ きのつらゆき 371「人のうまのはなむけにてよめる」という詞書に対して、「人が旅立ちてゆく選別の宴」と脚注で説明されています。また「をしむから」には「別れを惜しんでいる今から」と。 (別れを惜しんでいる今から早くも恋しさが湧いています。 白雲が立つのを目にした後は、旅ゆくあなたにどんな思いを抱くことでしょう)こんなところで、元に戻ります。=== 2022.12.20 ==== 13時少し前に、南東方向の空を撮りました。 南の空 東方向の空 15:30頃に、再び南の空を撮りました。午前中とは様変わりして雲一杯です。行雲流水と言いますが、雲も水も留まることなく転変と過ぎゆきます。この四字一句の由来は何処? ネット検索してみますと、「語源は中国で11世紀後半に活躍した『蘇軾(そしょく)』という文章家が残した『謝民師推官与書(しゃみんしすいかんにあたうるのしょ)』の中で見つけることができます。」と説明されています。(資料2)禅語としては「柳緑花紅」とともに最もポピュラーな禅語の一つであります。禅語の茶掛としても使われる四字一句のようです。手許の一書には、「雲のように悠々としかも無心に、また水にも似て無相で、したがって観音菩薩のように時処位に応じてその相を千変万化しつつ無礙自在に生きることである」と説明されます。さらに、禅者はこの句にもう一つの願いを託すると言います。「白雲がいつのまにかその形を変え、風のまにまに東へ西へと移動して一つ処に住(とど)まることがないように、また水があるいは瀬となりあるいは淵となりつつも、絶えず流れて住まるところがないように、『一処不住』すなわち無執着で生きたいという願いである」。つまり、「何物にも執着しない、執着を離れる」そうありたいという願いを託する四字一句だそうです。禅宗の修行僧を雲水と呼ぶのは、この行雲流水に由来するとか。(資料3)そういう風に理解すると、凡俗の私にはハードルの高い四字一句・・・・・。この辺りで、また一区切りといたします。つづく参照資料1)『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫2) 「行雲流水」の意味と語源とは? :「TRANS.Biz」3)『禅語の茶掛 続一行物』 芳賀幸四郎著 淡交社 p87-88補遺藤原敏行 :ウィキペディア「行雲流水(こううんりゅうすい)」の意味と使い方|類語・対義語 :「粋IKI」「行雲流水」とは?意味と由来、英語表現と類義語[使い方の例文]:「四字熟語の勉強.com」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2022.12.31
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=== 2022.12.5 === 10時過ぎに、南東方向の空を撮りました。 南の空 南西方向の空==== 2022.12.7 === 8時15分頃の南東方向の空です。南の空 南西方向の空 === 2022.12.8 ==== 8時頃に撮った南東方向の空です。 南方向の空 14時過ぎの南の空 西方向の空 南の空 16時前の東方向の空 南の空 さて、雲がたりをつづけます。手許には、『古今和歌集』の文庫本(資料1)があります。この古今和歌集の中には、雲を詠み込んだ歌がどれくらいあるのでしょうか。ページを繰ってみました。私が拾い出せたのは短歌31首と長歌1首です。それらを抽出して列挙しご紹介します。春くれば雁かへるなり白雲の道ゆきぶりにことやってまし 凡河内躬恒 30桜花さきにけらしなあしひきの山のかひより見ゆる白雲 59夏の夜はまだよひながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ 深養父 166白雲にはねうちかはしとぶかりのかずさへ見ゆる秋のよの月 よみ人しらず 191久方の雲のうへにて見る菊はあまつほしとぞあやまたれける としゆきの朝臣 269冬ながら空より花のちりくるは雲のあなたは春にやあるらむ きよはらのふかやぶ 330山高み雲ゐに見ゆるさくら花心の行きてをらぬ日ぞなき 凡河内躬恒 358限りなき雲井のよそにわかるとも人を心におくらさむやは 367をしからむこひしきものを白雲のたちなむのちはなに心地せむ きのつらゆき 371雲井にもかよふ心のおくれねばわかると人に見ゆばかりなり ふかやぶ 378白雲のこなたかなたに立ちわかれ心をぬさとくだく旅かな よしみねのひでをか 379白雲のやへにかさなるをちにてもおもはむ人に心へだつな つらゆき 380あしきひの山たちはなれ行く雲のやどりさだめぬ世にこそありけれ をののしげかげ 430郭公(ほととぎす)みねの雲にやまじりにしありとはきけど見るよしもなき 平あつゆき 447あしひきの山べにをれば白雲のいかにせよとか晴るる時なき 461逢ふことは雲ゐはるかになる神のおとにききつつこひ渡るかな つらゆき 482夕ぐれは雲のはたてに物ぞ思ふあまつそらなる人をこふとて 484風ふけば峰にわかるる白雲のたえてつれなき君が心か ただみね 601雲もなくなぎたる朝の我なれやいとはれてのみ世をばへぬらむ きのとものり 753葦辺より雲井をさして行く雁のいやとほざかるわが身かなしも 819たれ見よと花咲けるらむ白雲のたつのとはやくなりにしものを 856あまつかぜ雲のかよひぢ吹きとぢよをとめのすがたしばしとどめむ よしみねのむねさだ 872あまの川雲のみをにてはやければひかりどどめず月ぞながるる よみ人しらず 882おほぞらを照りゆく月しきよければ雲かくせどもひかりけなくに あま敬信 885風ふけど所もさらぬ白雲はよをへておつる水にぞありける みつね 929みやこ人いかがととはば山たかみ晴れぬくもゐにわぶとこたへよ をののさだき 937白雲のたえずたなびく峰にだにすめばすみぬる世にこそありけれ これたかのみこ 945あしたづのひとりおくれてなく声は雲のうえまできこえつがなむ 大江千里 998雲はれぬ浅間の山のあさましや人の心を見てこそやまめ なかき 1050うきめをばよそめとのみぞのがれゆく雲のあはだつ山のふもとに あやもち 1105さわぎなき雲の林に入りぬればいとど憂き世のいとはるるかな 惟喬親王 1131なお、巻第十九「雑躰」に収録された長歌には、一箇所だけ雲が詠み込まれています。その箇所だけ部分的に引用します。雨雲の はるる時なく 富士の嶺の ・・・・ 1001このように並べてみますと、古今和歌集でも雲そのものを叙景として詠んだ歌がありますが、それよりも雲を比喩的に使って己の思いを詠み込むという歌が多いように思います。それと、雲は「白雲」あるいは「雲」という表記、それと百人一首ででてきた「雲居」と同じ意味と思われる「雲ゐ」「雲井」という表記があります。長歌に唯一「雨雲」が出てきます。=== 2022.12.11 === 9時半頃に撮った東の空です。 南東方向の空 南の空雲がたりのつづきです。手許にある『古今和歌集』は文庫本1冊です。校注として脚注と補注が付されていますが、歌意の解説・訳文はありません。引用できるソースがありませんので、注釈を頼りに私的に歌意を理解していこうかと思います。門外漢による説明の試みですので誤解もあることでしょう。その節にはご教示いただけると幸いです。まず、第372首にふれておきましょう。この歌は「百人一首」の第12首、僧正遍昭(816~890)作として有名です。『古今和歌集』には「よしみねのむねさだ」と明記されています。良岑宗貞は俗名です。醍醐天皇の勅命により最初の勅撰和歌集として『古今和歌集』が成立したのが905(延喜5)年です。(資料2)僧正遍昭は『古今和歌集』成立前に没しています。一方、僧正遍昭は、849年に蔵人頭、翌年従五位上に至ったのですが、この850年に天皇の崩御に遇い、比叡山で出家したそうです。34歳での出家です。仁明天皇に厚遇されていたそうで、「この歌も若き官人として豊明節会に望んだおりの詠であろう」と。(資料3) 俗名での作歌者表記がそれを示しているようです。さて、雲を詠み込んだ最初の歌は、 春くれば雁かへるなり白雲の道ゆきぶりにことやってまし 凡河内躬恒 30この歌には、「雁のこゑを聞きて、越へまかりける人を思ひてよめる」という詞書が付いています。越は越前・越中・越後を意味しますので、北陸道の地域です。 (春がくれば、雁は白雲の中にある道を、北の方に帰っていくのだろうな。 北へ向かう途中でわが友と行き合うことがあれば伝言をしてほしいものだなあ)「まし」は『明解古語辞典新版』(三省堂)によれば、仮定を表す助動詞です。「ことやってまし」には脚注があり「伝言してくれるだろうか。してほしいと願う心。雁に手紙を結び故郷へ便りをした蘇武の故事による(漢書)」(資料1)とあります。作者の凡河内躬恒は、作歌にあたり、漢書の知識を持っていてそれを背景に詠んでいるということになりますね。当時の素養のある人は歌を聞いた時にそのような背景を共有して歌を味わったということでしょうか。上記の( )内は私的な解釈です。凡河内躬恒は、『古今和歌集』の撰者四人のうちの一人です。あとは紀友則、紀貫之、壬生忠岑の三人。凡河内躬恒は「官位は低かったが、歌合わせなどで活躍し、機知に溢れた歌を詠んだ」(資料2)そうです。『古今和歌集』を読み進めていきますと、採録された歌の殆は「みつね」と作歌者名が表記され、1カ所だけ「凡河内みつね」という表記に気づきました。この辺りで、一区切りといたします。つづく参照資料1)『古今和歌集』 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫 2)『クリイアカラー 国語便覧』 監修:青木・武久・坪内・浜本 数研出版 p78-793)『百人一首』 全訳注 有吉保 講談社学術文庫 p60-63補遺古今和歌集 :ウィキペディア紀友則 :ウィキペディア紀貫之 :ウィキペディア凡河内躬恒 :ウィキペディア壬生忠岑 :ウィキペディア遍昭 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2022.12.28
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=== 2022.11.24 === 8時前に、南東~南~南西の方向の空を撮った写真をパノラマ合成してみました。 10時半頃の南の空はこのように変化 雲の姿も様変わりしています。雲の変化は時々刻々・・・・。=== 2022.11.25 === 10時半頃に撮った南の空です。遠くに微かに雲が見えます。 南西方向の空 東方向の空にはこんな雲の姿も。=== 2022.12.1 === 南の空 南西方向の空。8時前に見られた鰯雲です。再び・・・という感じ。 一方、南東方向の空を眺めると、こんな雲の姿が並存していました。 デジカメで少しズームアップして撮ったのがこの雲の姿です。どの辺りをアップしていたのか、位置関係が曖昧になってしまいました。さて、「百人一首」から古代に編纂された『万葉集』に遡りましょう。万葉歌として、歌に「雲」が詠み込まれているでしょうか。詠まれていればどのように?こんな問題意識で、まずネット検索してみますと、求めれば情報が得られるものです。「楽しい万葉集」というウエブサイト(資料1)で、最適な記事に出会えました。「雲(くも)を詠んだ歌」という記事です。このサイトの説明によれば、万葉集に収録された歌の中で、短歌や長歌などすべての歌の中で「雲」を詠み込んだ歌はおよそ200首あるそうです。それらの歌を列挙されています。全容に興味を抱かれたら、このサイトの記事をお読みいただくといいでしょう。さて、ここではこの記事を拝読し、それをインデックスに私が惹かれる歌を15首抽出し、手許にある万葉集の本を参照してご紹介します。歌は岩波文庫の表記を底本にし、歌の解釈は折口信夫の口訳を引用します。(資料2,3)渡津海(わたつみ)の豊旗雲に入日さし今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(あきらけ)くこそ 中大兄 15 (海の上に、大きな雲が拡がってゐる。その雲に落日がさす位の天気になって、 今夜の月は、明かであってくれ)ここにして家やもいづく白雲のたなびく山を越えて来にけり 287 (此処まで来てみると、家はどこら辺であらうか。あの白雲の懸つてる山をば、 越えて来たのだ)不盡(ふじ)の嶺(ね)を高みかしこみ雨雲も行きはばかりたなびくものを 321 (富士の山が余に高いので、それに恐れて、空行く雲も遠慮して、 山に横に懸つて居る訳だもの)朝に日に色づく山の白雲の思ひ過ぐべき君にあらなくに 厚見王 668 (朝毎に愈、紅葉の色濃くなつた、山にかかつてゐる白雲ではないが、 此儘、焦がれる心をうつちゃつて了ふことの、出来るあなたではありません。春日山朝立つ雲のゐぬ日無く見まくのほしき君にもあるかも 大伴坂上家の大嬢 584 (春日山をば、朝出る雲が、峯にかかつてゐぬ日がないやうに、 毎日々々見てゐたいあなたでありますことよ)こもりくの泊瀬(はつせ)の山に霞立ちたなびく雲は妹にかもあらむ 1407 (火葬場なる泊瀬山に、ぼんやりと立つて、横に長く懸かつてゐる雲は、 なくなつたいとしい人の煙でるのだろうよ)白まゆみいま春山に行く雲の行きや別れむ恋しきものを 1923 (春の山に向うて、空を渡って行く雲のやうに、今別れて行かれようか。 恋しいのに)雨はれし雲に副(たぐ)ひてほととぎす春日(かすが)を指して此(こ)ゆ鳴き渡る 1959 (雨が晴れたので、山の方へ帰る雲と並んで、子規が春日山をさして、 此辺を鳴いて通ることだ)秋風の吹きただよはす白雲はたなばたつめの天つ領巾(ひれ)かも 2041 (秋風が吹いて、大空に吹き漂はしているあの白雲は、 織姫が、牽牛との別れに振る領巾であろうか)雲だにも著(しる)しくたたば意遣(こころや)り見つつもをらむただにあふまでに 2452 (遙かに離れて居ても、せめて雲だけでも、はっきりと立っているのが見えたら、 それを心宥めの種にして、あの辺に、お前がをるのだと眺めて居よう。 直接に出会ふ迄)ひさかたの天(あま)飛ぶ雲にありてしか君を相見むおつる日なしに 2676 (空を飛ぶ雲であれば好いが。毎日落ちもなく出て居るやうに、 いとしい方と毎日、落ちもなく逢はう)み雪ふる吉野の岳(たけ)にゐる雲の外(よそ)に見し子に恋ひわたるかも 3294 (雪の降つてゐる吉野の高い峯に、懸かつてゐる雲ではないが、 側(そば)へは寄れないで、遠くから見てゐる人に、焦がれ続けてゐる事だ)高き嶺(ね)に雲の著(つ)くのす吾さへに君に著(つ)きなな高嶺と思(も)ひて 3514 (高い山に雲が近寄つて行くやうに、私迄も、あの方に近附いて参りませう。 君を高い嶺と思うて)ま幸(さき)くといひてしものを白雲に立ちなびくと聞けばかなしも 大伴家持 3958 (自分に達者で居てくれと言うて居たのに、(火葬されて、)白雲となつて、 空に懸かつて居る、と聞いたので、悲しいことだ)難波津(なにはと)をこぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺(いこまたかね)に雲ぞたなびく 簗田郡上丁大田部三成 4380 (?波の港をば、漕ぎ出て眺めると、神々しく古びて見える、高い膽駒の峯に、 雲が長くかかってゐる)雲そのものを詠み自然を叙景し時には畏敬する歌、雲を眺めて火葬された死者を漂う雲に重ねる哀調の歌、雲に恋人への思いを象徴させる歌など・・・。古代から雲は人々の心を反映させる対象になっていたようです。、=== 2022.12.4 === 8時少し前に南東方向の空を撮りました。 この雲もたぶん鰯雲の部類になるのでしょうね。遠くに浮かぶ鰯雲。 南の空 こちらは東方向の空です。継続して雲を眺めていて気づいたことは、雲が西から東に移動しているように見えることです。これって偏西風の関係でしょうか・・・・。この辺りのことはほとんど知識がありません。この辺りで、一区切りとします。つづく参照資料1) 雲を詠んだ歌 :「たのしい万葉集」2)『新訂 新訓 万葉集』上巻・下巻 佐々木信綱編 岩波文庫3)『折口信夫全集 口譯萬葉集』第四・五巻 中公文庫 補遺偏西風のメカニズム 酒井晋一郎 :「UMKテレビ宮崎」ジェット解析偏西風蛇行図 気象予報士松田巧 気象情報 ホームページ季節風って何?どうしてふくの? :「はれるんライブラリー」季節風 :「コトバンク」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2022.12.26
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=== 2022.11.14 === 南の空、10時すぎに撮ってみました。 東方向の空をグレーの雲が覆っています。 西方向の空は青空が見えます。=== 2022.11.16 === 南の空 南西方向の空 9時前です。 東方向の空 日ごとにいや時々刻々と雲は変化しています。昔の人々は雲を眺めてどのように捉えていたのでしょう。雲がどのように詠まれているのか? 少し調べてみようと思いつきました。誰でも少しは見聞したことのある「百人一首」には雲が詠まれているのか。百首の内ですから、調べるには一番手頃です。ここから始めましょう。手許にもいくつか「百人一首」関連本があります。その内の1冊を参照します。歌の現代語訳も引用します。(資料1)やはり雲は身近なものとして歌に詠み込まれています。一番良く知られていそうなのが、第12首、僧正遍昭の歌でしょうか。 天つ風雲の通ひ路吹きとぢじよ をとめの姿しばしとどめむ (空吹く風よ、舞姫が天と地とを往来する雲の中の通路を吹き閉じてくれよ。 この美しい天女たちの姿を、今しばらくとどめておきたいと思うから。)「五節の舞姫」を五節の舞の起源伝説に基づいて、天女に見立てたものだそうです。この歌の場合は、雲の中にできる空間を通路と見立てて、通路部分にまず注目あたっています。それに対して、まず雲自体に目が向けられた歌もあります。第36首、清原深養父(きよはらのふかやぶ)の歌です。 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづくに月宿るらむ (短い夏の夜は、まだ宵のうちと思っている間に明けてしまったが、 月はとても西の山の端まで行きつくひまはなさそうだから、 雲のどのあたりに宿っているのだろう。)勿論ここでは、月を隠す雲の存在であり、雲に目を向けるのは月を思うためですが・・・・。清原深養父は清少納言の曽祖父にあたる人です。琴の名手でもあった人だとか。第79首では、左京大夫顕輔が月の光に注目して雲を引き合いに出しています。僧正遍昭が空間を通路に見立てるのと発想は同じ立場でしょうね。 秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ (秋風によって、たなびいている雲の切れ間から、もれてくる月の光の、 なんと澄みきった明るさであろう。)横に長くたなびいている雲の途切れるすき間という形で雲が引き合いに出されています。左京大夫顕輔とは、藤原兼輔のことです。清原深養父、藤原兼輔、紀貫之の間には親交があったそうです。=== 2022.12.17 === 南の空 15時すぎです。前日とは全く異なる雲の姿です。 西方向の空 東方向の空も同様に、頼り無げな雲が浮かんでいました。「百人一首」には、「雲」という字を含む語句を使って詠まれた歌が二首あります。その一つは、第76首で、法性寺入道前関白太政大臣が詠んだ歌です。 わたの原漕ぎ出でてみればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波 (広々とした海上に舟を漕ぎ出して、はるかかなたをながめると、 雲と見間違えるばかりに、沖の白波が立っていることよ。 雲と見間違えるばかりに、沖の白波が立っていることよ。)「雲居」という語句が使われています。雲のあるところ、また雲そのもののことをいみするそうです。ここでは、雲そのものをさしていますが、雲がたとえに使われています。白波を雲に見立てるというイメージ連想です。間接的に雲が利用されています。法性寺入道前関白太政大臣とは、藤原忠通のことです。兼実と、百人一首に採録されている前大僧正慈円との父にあたる人です。もう一つが、第57首で、紫式部が詠んだ歌です。 めぐり逢うひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな (久しぶりにめぐり逢って、見たのはそれ(月)であったかどうかも見分けが つかないうちに、あわただしく雲に隠れてしまった夜半の月よ。 久しぶりにめぐり逢って、昔の友であったかどうかもわからない間に、 月のようにあわただしく姿をお隠しになったあなたですよ。)ここでは「雲隠る」という動詞として使われています。この語には、雲に隠れるという意味の他に、死去するという意味もあります。紫式部は月について詠む背後に、友達のことを重ねています。 「百人一首」にはこの五首が雲に関連する歌です。=== 2022.11.19 === 南東方向の空 16時過ぎに撮りました。 南の空 南東方向から南にかけてこんな雲が浮かんでいました。巻積雲です。 俗に、うろこ雲あるいはいわし雲と称される雲の形のようです。(資料2,3) 南西方向の空 東方向の空 こちらは何と呼べばよいのでしょう・・・・・。いわし雲は、歳時記では秋の季語になっています。一書では、季語「秋の雲 [鰯雲(いわしぐも) 鱗雲(うろこぐも) 鯖雲(さばぐも)」としています。「澄んだ秋の空に映える特徴的な雲の一つは白い小石を並べたような巻積雲や高積雲で、海原に群れた鰯に見立てて鰯雲と呼ぶ。雲の塊が大きく陰影のあるのは鯖の背の斑点模様に似ており鯖雲と呼ぶ」と説明されています。 舟板でつくる小家や鰯雲 左怒賀正美 安房に津のつく駅いくつ鰯雲 大屋達治 山国の天に波音いわし雲 渡辺恭子 (資料4)もう一冊の歳時記には、「鰯雲」が季語として挙げられ、そこに「『鯖雲』とか『鱗雲』とか呼ばれている」と付記しています。季語について「真青に澄んだ空に、小さな白い雲のかたまりが鱗のように群れ広がっているのをいう。昔からこの雲が現れると鰯の大漁があるというので鰯雲といった」「地方によってはこの雲が出ると降雨の前兆とも、颱風の前兆ともいわれる」と説明しています。多くの句が列挙されていますので、5句だけ抜き出してみました。 松島の上にひろごり鰯雲 川村木国 バーベキュー鰯雲まで煙らして 古川澄子 鰯雲砂丘へ網を打ちし語如 小川玉泉 駅を出て旅の終りし鰯雲 岩田公次 鰯雲日和りいよいよ定まりぬ 高浜虚子 (資料5)さて、この辺りで一区切りと致します。つづく参照資料1)『百人一首』 全訳注 有吉保著 講談社学術文庫2) 巻積雲 :ウィキペディア3) いわし雲 :「お天気.com」4)『今はじめる人のための俳句歳時記 新版』 角川学芸出版編 角川ソフィア文庫 5)『ホトトギス 新歳時記』 稲畑汀子編 三省堂補遺うろこ雲・ひつじ雲…「これから天気が悪くなる雲」の見分け方は? :「介護求人ナビ」うろこ雲・さば雲・いわし雲・羊雲…「秋の雲」の見分け方 :「AllAbout 暮らし」さば雲は雨 :「知識の泉」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2022.12.25
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=== 2022.11.02 === 南の空 東方向の空=== 2022.11.04 === 南の空 15時半頃に撮影 西方向の空=== 2022.11.05 === 南の空 9時頃 12時頃に南の空を見て 南西方向の空から 西方向に目をむけます。 ふり返えった東方向の雲 14時半頃に南の空を眺めると様変わりです。 西方向の空雲の形は、国際的に相談して決められていて、大別して10種とされているそうです。それは「10種雲形表」と称されます。日本での名称を列挙してみます。括弧内は俗称です。 1.巻雲(すじ雲)、 2.巻積雲(まだら雲)、3.巻層雲(うす雲)、 4.高積雲(むら雲)、5.高層雲(おぼろ雲)、6.層積雲(くもり雲、ね雲) 7.層雲(きり雲)、 8.乱層雲(あま雲)、 9.積雲(つみ雲、すわり雲) 10.積乱雲(たち雲)番号8が俗に「雨雲」と称され、「輪郭の乱れた不定形の雲で、地雨や雪を降らせる」雲です。(資料1)識別と分類はわかりますが、実際の雲の姿は手許の本には例示されていませんので、インターネット情報をまず探すことから始めて、やはり見慣れることが必要ですね。ぼちぼちと、雲の姿と分類のマッチングについての知識も深めてみたいと思っています。まずはいろいろ雲変化を眺めることから・・・・・。=== 2022.11.07 === 8時半頃の南東寄りの空です。 こんな表情の雲も見えます。 15時頃に再び南東寄りから南方向を眺めますと、雲の姿は大きく変化しています。 南西方向から西方向の空に目を巡らせますとこんな感じに・・・・。 ベランダから見える天空の一部には、こんな雲も並存しています。空の雲は千変万化です。雲の粒は水です。水の密度は1。空気より重い筈なのですが雲は天空に浮いています。これって、なぜ?手許の本に、こんな説明があります。「粒が小さいと体積のわりあいに表面積が広いから、この抵抗の影響が大きく、半径0.001cmというような小さい水滴は、たかだか1.3cm/secよりも速く落ちることはない。これは1時間47mに過ぎない。これ以上の速さをもった上昇気流があれば、水滴は下に落ちるどころではなく、かえって上に持ち上げられることもあるわけである。そしてこの程度の上昇気流があるのは、めずらしいことではない。」(資料1)という浮かぶ理由があるそうです。今まで考えたことのない分野でした。遅ればせながら少し理解が深まった気がします。さて、「雲」という漢字は小学生時代に学んだ文字です。この漢字のなりたちを知るために、久々に『角川漢和中辞典』を引いてみました。「もと、くもが集まり巻いているさまにかたどった象形文字の云であったが、のちに云を音符とし、意符雨を加えて雲の字とした」と言います。つまり、くもがあめをもたらすという事象の観察から雨と云が結びつき雲(ウン、くも)という漢字が成立したということでしょうか。「雨」という漢字は、「天上から水滴が落ちてくるさま」を字形にして、雨の意を表すようになったとか。一方、「云」という漢字があります。こちらを引くと、「雲の原字。曰(いわ)くの意味に借用する」と説明されています。それで、「~~と云う」という使い方をするのですね。序でに「云云」という熟語の語義説明をご紹介しておきましょう。「①うわさをする。②しかじか。かようかよう。③ことばの多いさま。④盛んなさま。⑤雲がわき起こるさま」 最後にやはり雲にまつわる語句の使い方があるようです。この辺りでひとまず切り上げます。つづく参照資料1)『科学の事典 第2版補訂版』 弥永・野口・緒方他 監修 岩波書店補遺雲にはどんな種類がある? :「FUJIFILUM SQUARE」 雲の種類は10種類 :「じゃらんニュース」10の雲形を知ろう! :「たっちゃんの天文のページ」雲 漢字一字 :「漢字ペディア」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2022.12.23
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=== 2022.10.11 === 17時すぎに、2階南側の部屋からふと空を見て、ベランダに出て南の空の雲を撮ってみた。晴れた日に雲を撮ってみよう・・・・。そんな思いつきから始めた。子供のころから、幾度空を見上げて雲をみてきたことだろう。だけど、それほど雲に興味を抱くこともなかった。雲を被写体として撮ってみようかと思ったのがはじまり・・・・。たまたま起点が2022.10.11だっただけ。さて、どれだけ飽きずに続けられるだろうか。まずはやってみよう。 ベランダから東方向の空を撮った。山並みの稜線が少し下辺に見える。これより下方には住宅などが写ってしまう。本当はもう少し山並みを入れたいのだけれど・・・仕方がない。 南西方向の空=== 2022.1029 === 南方向の空 15時半すぎに 東方向の空 === 2022.10.30 ==== 東の空 南の空 ともに、9時15分前頃の雲を撮った 南の空 多分、西方向の空だったと思う。南と西の空は15時半すぎに撮った雲。雲についての知識はほとんどありません。やはり、最初は「雲って何?」ですね。大昔に購入し眠っていた本を引っ張り出してみました。勿論、一方でインターネットも知識・情報を得るには便利です。手許の本には「空気中の水蒸気が凝結または昇華してできたたくさんの粒が集まって浮かんでいるのが雲である」と記されています。「雲ができるのに一番おもなことは、空気が気圧の低い上空へのぼっていって、急に体積を増し、そのために自分自身がひえることである」そうで、このとき空気中の水蒸気が凝結するということでしょう。雲が浮かんでいるのは上昇気流があるから。(資料1)ふと、雲を撮り始めたというだけですので、定点撮影はしていますが、定点観測までは踏み込んでいません。それを行うにはもっと基礎的知識が不可欠・・・・・。=== 2022.10.31 === 9時50分頃の空は曇っていました。 南の空11時15分すぎには晴れ間がみえてきます。 東の空 西の空 手許の本によると、雲を観測して記録するには、「雲形、雲の高さ、雲の量、雲の向き、雲の速さなど」を用いるそうです。(資料1)私が今一番関心を寄せているのは、「雲形」なのです。被写体としての雲の姿。刻々と移動しつつ変化していく姿を見せるところに魅せられています。まずは、これまでに撮った雲の姿と変化を時系列でご紹介していきたいと思います。 [追補・改訂] 10月11日の撮影分を見落としていました。こちらが起点でした。 そこで追補修正を加えました。つづく参照資料1)『科学の事典 第2版補訂版』 弥永・野口・緒方他 監修 岩波書店補遺雲 :ウィキペディア雲 :「コトバンク」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)こちらの一覧表から関連記事をご覧いただけるとうれしいです。 ベランダから見た雲の変化と雲がたり 掲載記事一覧表
2022.12.22
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これは、11月2日に「観照 今朝の朝顔 遅咲きオーシャンブルー」と題してご紹介した時の画像です。この遅咲きのオーシャンブルー、健気に今朝も未だに花を開いてくれています。遅く咲き始めたので、遅くまで花の咲く期間がズレているのでしょうか。2021年は確か11月27日にはもう花が一つふたつになり、もう終わりだな・・・・という状態でした。11/2の後、晴れた日の午前中に、庭の花を定点観測的に撮ってきました。そのご紹介です。=== 2022.11.16 === 2週間後です。 そして、この頃には、 玄関へのささやかなアプローチ傍の花壇に小菊が花盛りになって来ました。11/2にはまだ咲いていなかったと記憶します。一方で、昨年とほぼ変わらずに咲き始めたように感じています。 撮った写真を選んでいて、ふと想起したのが「花の命は短くて」というフレーズ。ネット検索してみますと、ヒットしました。 「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」 林芙美子が色紙などに好んで書いた短詩だそうです。「女性を花にたとえ、楽しい若い時代は短く、苦しいときが多かったみずからの半生をうたったもの」と言います。(資料1) どこでこのフレーズを記憶にとどめたのか。林芙美子の短詩とは初めて知りました。 その一方で、デュランタが未だ健在で花を咲かせてくれています。こちらも調べてみますと、デュランタは熱帯植物でアメリカのフロリダ地方~ブラジルの植物だそうで、開花期があ6~10月と説明されています。(資料2)11月中旬でも小さな花を沢山咲かせているのです。=== 2022.12.4 === さらに、2週間ほど経ちましたが、たくましく花を咲かせてくれています。 === 2022.12.11 === さらに1週間が経ちます。咲く花の数は減少ぎみに・・・。だけど昨年よりはるかに元気! デュランタに少し変化が・・・・。枯れた花が目にとまるようになってきました。 === 2022.12.18 ===そして、今朝の花々の姿です。 さすがに、オーシャンブルーの花が咲くのは終末期になってきた感じ・・・・・。よくぞここまで咲いてきてくれたなと感じています。 枯れた花が目につくようになりました。 一方で、花を開いてくれています。いましばし花を愛でる日数がありそうです。 デュランタはさらに枯れた花が増えていますが、がんばりっこです。まだまだ咲いてくれるのでしょうか・・・・・。 小菊は思ったよりも短期間で終わるのかもしれません。道路に面した側の小菊は半分以上の花が枯れてしまい・・・・、家人がバッサリ花枝を切ってしまいました。 勿論、咲き誇ってくれる小菊は健在です。小菊の咲くのは、10月、11月のようですので、けっこう健闘して咲いてくれているということになるのでしょう。(資料3)我が家の小さな庭は私の管轄外。咲く花を楽しむだけですので、花まかせです。年年歳歳花相似 歳歳年年人不同という『唐詩選』に収録されている詩句が有名です。この詩句を記憶していても、その原詩に遡ってみることはあまりありません。かなり以前に確認してみたことがあったと思うのですが、忘却の彼方に・・・・。こちらもネットで改めて検索してみました。(資料4)その後で、手許の岩波文庫本で確かめますと『唐詩選』巻二の七言古詩に収録されています。唐代の詩人、劉廷芝(651?-678?)の「白頭を悲しむ翁に代わりて」と題する詩でした。別の名は希夷。一説に希夷が名、廷芝は字とも。(資料5) 「落陽城東桃李花」という七言から始まる26句の詩です。最初の8句がひとまとまりの感じで、その後に次の詩句が続きます。 古人復た洛城の東に無く 今人還た対す 落花の風 年年歳歳 花相似たり 歳歳年年 人同じからず 言を寄す 全盛の紅顔の子 応に憐れむべし 半死の白頭翁この詩句でふと思うのは、「年年歳歳花相似」と毎年花が例年通りに咲いているというけれど、本当に同じといえるほどなのか・・・・、花もまた似ているようで似ていないのではないか、「花不同」と言えないかという疑念です。勿論、この詩句が「花相似」と「人不同」を対句にし、「来る年ごとに花の姿は同じようだが、来る年ごとに、見る人の姿は変わるのだ」と対比しています。その次の一句は「うら若い少年たちよ。死の世界へ片足をかけたような白髪の老人を、あわれんであげたまえ」と語りかけます。人は年々年をとっていく。来る年には亡くなっているかもしれないと。対句の形で自然の花と人の変化を対比強調した表現であることは理解できるのですが・・・・・。「花相似」だけに着目すると、ふと思う素朴な疑念です。「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」は禅語にも取り入れられています。手許の一書には、漢詩からとられた「桃花依旧咲春風」という句を禅語として取り上げて、その中で、「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」とほぼ同じ意味という説明が加えられています。こちらは、唐の崔護が詠んだ詩の一句です。 去年の今日、此の門の中 人面桃花相映じて紅なり 人面は知らず、何処にか去る 桃花旧に依って春風に咲(え)む崔護が清明節に都城の南に遊び、桃の花が咲く人家を訪れ、飲物を求めたところ美女が気持ち良くもてなしてくれた。翌年の清明節に再訪し、「桃花は去年と同じように美しく咲いたが、去年相見た人はもはやいない」という事態に遭遇します。その歎きをこの詩に詠じたのです。桃の花と人の姿を対比しその嘆ずる主旨は同じというわけです。「大自然の悠久さに対する人生の無常さを詠嘆したものだということになる」(資料6)大きく横道にそれましたが、遅咲きのオーシャンブルーの花咲く経緯を記録を兼てまとめてみました。来年はどういう咲き方をすることでしょう。「年年歳歳花相似」と巡ってくるでしょうか。ご覧いただきありがとうございます。参照資料1) 花の命は短くて苦しきことのみ多かりき :「goo辞書」2) デュランタ :「みんなの趣味の園芸」3) 小菊 :「EVERGREEN 植物図鑑」4) 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず :「ことわざ辞典」5)『唐詩選(上)』 前野直彬注解 岩波文庫 p99-1046)『禅語の茶掛 一行物』 芳賀幸四郎著 淡交社 p213-214補遺劉希夷 :ウィキペディア資料29 劉廷芝の詩「代悲白頭翁」 :「小さな資料室」年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 禅語 :「臨黄ネット」崔護「人面桃花」 :「中国旅游ノート」『人面桃花(博陵崔護、姿質甚美~)』現代語訳(口語訳)・書き下し文と解説 :「マナペディア」清明節 :「コトバンク」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2022.12.18
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