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今年6月初めに転移を知らされたとき、最初に脳裏を駆け巡ったのは……という話を書いた。「シャンプーや洗剤などの買い置きを使い切ることができるか」という何とも貧乏人根性丸出しの思考だったので、自分でも大変呆れた。抗がん剤治療を始めて6週目。いろいろ躊躇することの連続なのだが、そのレベルが前述のようなセコさなので、自分の思考というか、生き方はどうなのかと考え込むことしきりである。●シャンプー抗がん剤の影響か、髪の腰が弱くなっている。抜け毛が結構多くなってきたので、いつも使っているシャンプーではなく、低刺激の薬用に近いシャンプーに変えたからかもしれない。(低刺激シャンプーは試供品で、あと5回分ほどしかない)よいシャンプーはないかと、ネットで探していたら、「これはいいかも」と、ポチりかけて躊躇した。「このシャンプーを使い切る前に脱毛が進んだら…」まだらにハゲたりしたら、剃ってしまおうと思っている。友人や美容師から「頭の形がいいから、似合うかも」と言われたことがあり、一度は丸坊主もいいなぁと考えているので、脱毛前のわずかな間に使い切れる量がわからず、とりあえず買い物カゴに入れてペンディング。●ヘアサロン前回カットしたのが6月。いつもなら、既にカットしていておかしくない時期。しかし、洗髪してもらったときに大量脱毛したら迷惑だし、頭皮が敏感になっているので、シャンプーにも注文をつけなければならない。何より、せっかくカットしたのに、その直後にバサっと脱毛するようなことがあったら、もったいないではないか。……実に貧乏人根性だ。というわけで、伸び伸びになった髪を隠すためにキャップを被っている。ハットも持っているが、サイズが合わないので、風が吹いたらずっと押さえておかなければならない。紫外線対策は必要不可欠なので、帽子は被る必要があるが、キャップを被る年でもなかろうと思う。が、人がどう見ようと、どう思おうと、私は特殊な状態にいるのだから、それはそれでいいと思うことにしている。それにしても、私は頭が小さい。キャップを被ると、実にアンバランスなシルエットになる。「そんなに顔、小さかったっけ?」と言われること必至なのだ。いつもでかい顔をして生きている人間は、こんなところで損をする。●ファッションこれまで10年余り、飲食店の仕事に没頭する余り、仕事着しか持っていなかった。色の濃い(黒、茶、濃いグレー)トップスと黒のスラックス、黒のスリッポン。いざ、友達と出かけようとしたり、旧知の得意先などと会食をセッティングしたり、必要があって、不動産屋の営業と会うなんていうときに着る服が全くなかった。去年の夏から頻繁に人に会うようになったので、少しずつ購入していたのだが、今年になって、「靴が必要だな」「スカートが欲しい」などと思って、ネットで探したりしても、「来年、また着ることができるのか?」と考えてしまって、結局やめてしまうことが多い。しかし、いまは昔のように高価ではないので(中国製品目白押し。日本製を買いたいが、そもそも売っていない)、「病院に着て行くために」という名目で、買うようにしている。最近、病院には毎週行っている。前回のように、抗がん剤治療が不可になったりしたら、もっと頻繁に病院に行くことになる。そのときに、恥ずかしくない服を着ようというこじつけ。怖い主治医の診察も2週に一度は必ずある。これまでは、3ヵ月に一度だったので、何とか取り繕うことができたが、隔週となると、それなりに数が必要だ。といいながら、この夏購入したトップスは2枚。ボトムスは3枚。靴は一足。なんという貧乏根性。情けない。●約束中学時代の友人から、「会おう」という連絡が入った。いまの私には、「うん」と即答できない理由がある。抗がん剤治療の日程が定まっていないのだ。自分で抜去することが許可されれば、怖い主治医の外来診察日の金曜日で固定してもらおうと思っているのだが、このところ、木曜日、月曜日、水曜日、火曜日と、コロコロ変わっている。祝日の問題と、抗がん剤治療不可の判定のせいだが、もう一つ理由がある。本来は、10月に内科を受診しなければならないのだが、内科は水曜日と決まっていて、検査日と診察日、2週続けて水曜日を確保しなければならない。これを実現するには、抗がん剤治療を金曜日に固定し、自分で抜去する体制を早くつくらないといけない。しかし前回、抗がん剤治療が延期になったので、「自分で抜去」のテストができずにいる。ことほど左様に、生活リズムが抗がん剤治療に翻弄されている。店の営業しかり。明日は急遽抗がん剤治療になったので、常連さんの予約をキャンセルした。食材の配達も日程変更を申し出た。友人が日程を告げてきたら、また調整に奔走しなければならない。●温泉先々月、一緒に旅行に行った友達が「温泉で湯治しよう」と言ってくれたのだが、胸に抗がん剤治療のためのポートが入っている。知らない人が見たらびっくりするだろう。胸がふくよかな人、脂肪がたっぷりある人ならそう目立たないらしいが、私の場合、くっきりはっきり浮き出ている。気持ち悪い。首には三か所の切開痕がある。ポートから首に伸びているクニャクニャはカテーテル。実にグロテスク。大きな温泉でゆっくり湯に浸かりたいが、こんなのがあると、そわそわしそうだ。これから、もっと「躊躇」することが増えていいくのだろう。考えるのも面倒臭い。とりあえず、これから30年来の仕事仲間のダンスの公演(趣味で始めたらしい)を鑑賞してから、あしたの診察に向けて準備するとするか。
2024.09.23
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ここ数年(4年)、本当に運がないというか、ついてない。「愚痴りたい 3」だったかで、冷蔵庫が壊れたことを愚痴ったが、今度は給湯器だ。気づいたのは一週間くらい前。シャワーの途中で湯がぬるくなった。水になる前に湯を止めた。「まさか、30分以上使った?」と若干驚いたが、いや、私のシャワー時間はトータルでも15分くらいだと思い直し、もう一度レバーを回して湯を出してみた。ぬるい湯から水になり、しばらくして再び湯が出た。30分以上使って自動制御がかかったら、メーターボックスのガスメーターのパイロットボタンを押さないと、再びガスが出ることはない。これは…給湯器の異常に違いない。※製造から11年。そろそろ、だろう。この時期にシャワーが浴びられないとなると、えらいこっちゃである。外に出て汗だくになったときは水シャワーで体を冷やすということはあるが、シャンプーをするときは湯でないと。1日でもシャワーが使えないと、生活に支障を来たす。と思いながら、シャワーを終えたらそのことを忘れた。次からのシャワーのときは、無意識にだが、こまめに止水したので、湯が水になることはなかった。そして、給湯器のことは思い出さなかった。さておととい、仕事を終えて帰ってきて、夜遅くにシャワーを浴びたとき、再び湯が水になった。ハッとした。そうだ! 給湯器がおかしいのだ!早く管理会社に言わないと!かくして昨日朝一、管理会社のアプリを起動し、チャットで点検と修理の依頼をした。チャットの返事が来たのが昨日夕方6時。「担当者から連絡させます」えーえーえーえー!月曜日になるやんけ!腹立つわー。修理業者さんは土日でも来てくれるかもしれないのに、担当者とやらは絶対土日休みだろうから、最短でも月曜の連絡、点検修理は確実に月曜以降になるやんけ!土日の間、給湯器が壊れないという保証はない。もし壊れたら…、近くに銭湯がないので、遠くの銭湯に行くしか…、いや、LGBT法の影響で、おっさんが女湯に入ってくるかもしれない。いやだ!ビジホでも取るか?いま、旅行シーズンだからきっと料金が上がっているだろう。シャワーだけのために諭吉を出してられない。どうする!愚痴りたくもなるよね。入居して半年で給湯器、壊れるかぁ?担当者、すぐに連絡してこい!あー、こんなことばっかり。今度、ついてないことどもを一覧にして愚痴ってやるーーー!
2023.08.05
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現在、身長が162.4cm。多分。最終測定が9年前なので、いまはもう少し高いかもしれない。え、どういうこと!?である。実は、私はずっと身長が伸び続けている。中学卒業のときは157.4cm。とても仲のいい友達3人がみんな160cm超えだったので、大変残念で悔しい思いがした。理想は166cm。そのころ、浅野ゆう子さんがそのくらいの身長だったと思う。昭和50年代にしては結構大柄だが、将来、スポーツを生業にしたいとさえ思っていた私にとっては、166cmはどうしても欲しい身長だった。女性ならわかると思うが、170cmに到達すると、すべてのサイズが規格外になる。足の大きさも脚の長さも肩幅も腕の長さもバストもウエストもヒップも。最も嫌だったのが、顔の大きさ。いまでこそ(もう昔に属する話か?)、観月ありささんのように顔が小さくて身長の高い人がいるが、昭和のころは、身長が高いと顔もでかくなった。先述の友達3人と私が決定的に違ったのが帽子のサイズ。皆60cm超えだったが、私は50cm台前半だったと記憶している。そのときは、ほとんど意識していなかったが、顔が大きいのは女性としてはちょっとアレである。無理な願望を持ちつつ、伸長を期待していたが、157.4cm…がっかりである。高校に入り、父親の命令で帰宅部を余儀なくされた私は、体育の授業以外にスポーツをする機会を奪われた。よって、体を鍛えたり、身長を伸ばしたりする要素がなくなり、成長が鈍化した。卒業時の身長は158.9cm再びがっかりである。160cmに到達しないなんて、私の人生にはないシナリオだった。ところが、20歳のとき、学校の検診で160.1cmになっていた。高校卒業から1cm以上伸びたことを係の先生に言ったら、大変驚かれた。社会人になって、年一回の検診で少しずつ伸びていることは確認していた。が、1mm、2mmの話だったので、余り気にしていなかった。30歳を超えて、持病の胃腸の不具合が顕著になったときにいつも行く病院は、最初(受診理由が新たになるごと)の診察前に体重、身長、血圧、尿検査をする。そのたびに身長が伸びていることに看護婦さんが驚いていた。最後に測ったのが9年前で、162.4cm。「また伸びたなぁ」と言うと、カルテを見た看護師さんも気づいて、「あら、ほんと」前回(その4年前)、162.0cmだったので、割とぴょんと伸びたことになる。「死ぬまでに、166cmになれるかも」と言うと、看護師さんが笑った。長生きしたら、166cmも夢じゃないかもしれないが…(ムリ)、ま、このままいくと162cm台で終了しそうだ。
2023.08.02
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私は2回、急性膵炎をやっている。本当に突然症状があらわれるので面食らうが、実は序章は少し前から始まっているのだ。振り返ってみてわかる急性膵炎のあれこれを記し、当初は理解不能だったことを解きほぐしていくことで、現在、膵臓について不安に思っている方々の参考になればと思う。【原 因】●ウイルス:若年者の急性膵炎はこれが多い。治療は一刻を争うので、みぞおちが痛くなったら「胃痛」と軽く扱わずすぐに救急車で病院へ。●アルコール:男性に多い。多飲で起こるが、同時に脂質の多い食べ物や刺激の強い物を摂取すると促進されると考えられる。●胆のうの異常:女性に多い。胆石などで胆道が塞がれ、胆汁が膵臓に逆流してしまうことで起こる。●特発性:原因不明。ストレスと考えられるが、どのような状態になると急性膵炎に結びつくかのメカニズムが解明されていない。繰り返す危険性もあるので、最も注意しなければいけない原因。【初期症状】1.みぞおちが痛くなる:大抵「胃痛」だと考えて胃腸薬を摂取するが治らない。そのうち、みぞおちの背中側が痛くなる2.やたら肩が凝る:(私の場合左)肩が痛くなる。これは、心筋梗塞の前兆としても同じような症状を呈するが、急性膵炎の場合、みぞおちが既に痛い、もしくは違和感があるので区別できる。3.おなか全体が痛くなる:みぞおち、背中の次にはおなか全体が痛くなる。これは、膵臓の影響で腸の動きが極端に悪くなるために起こる。ガスや排便も鈍くなる。4.こみ上げる:突然こみ上げてくる。吐き気というより、突然何かが口元に上がってくる感じ。最初は胃の内容物だが、それらを吐き切ると胆汁が出てくる。オレンジ色やモスグリーンの液体が出てくるが、激しく苦い。震えがくるほど苦くて喉が痛む。5.激痛:おなか全体と背中が痛む。最初に異変を感じてから1〜2時間(軽度なら、もう少し時間がかかる)で最高潮に到達する激痛は、脂汗と幻聴を伴うとても苦しいもの。痛みはやむことはない。飲まず食わずでも、ずっと痛い。正座して膝を抱えるようにするのが一番楽だが、数分と同じ姿勢は保てない。市販の鎮痛剤は全く効かない。何をどうしてもとにかく痛い。迷わず救急車を要請されたし。6.下痢:トリガーになったものにもよるが、飲食が原因で症状が顕著になった場合は、下痢を伴うことが多い。7.発熱・幻聴・幻影:私の場合、38℃〜39℃の発熱があった。発熱は人によるので、余り病状の参考にはならないが、炎症を起こしているのだから、発熱して当然。目をつむっているのに映像が見えたり、人の声が聞こえたりといった「幻聴」「幻影」も起こる。【やってはいけないこと】ウイルス性の膵炎を除き、こうした症状が出たときにやってはいけないことは、1.飲食:膵臓を自らの膵液で溶かしているというのが膵炎なので、飲むも食うもご法度。膵液が出ないようにするのが第一義。とはいえ、吐いたり下痢をしたりすれば水分が奪われるので、水分補給は必要。そのときは「ゴクゴク」ではなく、「チビリチビリ」舐めるようにして口に入れるように。咀嚼や嚥下すると膵液が分泌されるので、痛みが増す。点滴が一番よいので、やはり病院に行くのが先決。2.胃薬などの服薬:みぞおちの痛みを胃の痛みと考えて、胃薬を飲む人がよくいる。「胃酸を抑える」ならまだよいが、「消化促進」などという効果のある薬は胃液の分泌を促進するので、同時に膵液の分泌も促進される。膵臓にどう作用するかわからないので、どんな薬も避けた方がいい。3.運動・入浴・仕事・勉強:おなかが痛いのに、運動や入浴しようという人はいないかもしれないが、症状が軽い時は「気を紛らわすため」「習慣なので」と、やってしまうかもしれない。消化器の病気はとにかく安静第一。脳を働かすのも体力を消耗するし、血液を消化器の回復に使えなくなるので×。先にも書いたが、急性膵炎の原因は不明なことが多い。飲酒にしても、肝臓は悪くなっても膵臓は大丈夫という人も多いし、胆石持ちが必ずしも膵炎になるというものでもない。しかも、膵臓は消化器の中でも最も意識されない臓器だ。糖尿病の人でも、「インシュリンを分泌する臓器」くらいの解釈ではないだろうか。膵臓の働きを知っている人は少ないように思う。膵臓は腹膜の外にあるせいで、調べるのに難渋するらしい。私の場合は、神の手を持つ先生が超音波で調べてくれたので、すぐに状態がわかり、治療に入ることができたが、検査で右往左往することも考えられる。おかしいと思ったら、できるだけ早い受診が肝要だ。何せ、急性膵炎のうち、壊死性膵炎(膵臓や周辺組織が壊死するタイプの膵炎。通常は浮腫性で、壊死は起こらない)は10〜20%に発生し、壊死性膵炎の15〜20%が死亡するという恐ろしい病気。みぞおちの痛み、背中の痛みを軽く考えず、おかしいと思ったら、病院で「膵臓関係の血液検査」と「腹部エコー」を依頼してみてほしい。※今後、闘病に関する話題もまとめていきたいと思っています。
2023.07.30
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【自分が悪いとわかっていながら】このたび、まぁまぁの病気になりまして、それにまつわり、必要があって会わねばならぬ人と元気づけたいと、会いに来てくれる友人と久々に会いました。(それぞれ別の機会に)会う時間が時間だったので、「ランチしよう」ということになり、私が「ランチタイムをわずかに外して訪問し、ゆっくりできる店」を探してお招きする形に。2人とも女性。女性との食事は久しぶり。長い間飲食店をやっている関係上、外食の機会が極端に少なかったのと(店に会いに来てくれるので)連れ合いとの外食ばかりで改めて会食する機会も相手もほとんどいなかったことが原因。店に入ってもちろんすぐに私はビールをオーダー。「飲むの?」と聞かれ、「飲まないの?」と問う。会食なら、たとえ一杯でもお酒が入るのが私の常識(人の非常識?)。相手は飲まずに食べ物へ。私は必要な話(病気のことや、今後のこと)を話しながら、少し食べてはビールの繰り返し。ものの10分ほどしたら「あー、お腹いっぱい」と。え、え、え、私、まだ二口、三口しか食べてない。もう少しビールを飲もうかと思っていたところ。「ごめん、もう少し食べたい。ちょっと待ってくれる?」「そうなん? わかった」この時点で、おいしく、ゆっくり食べたいと思って店を選んだ私の気持ちはもろくも打ち砕かれ、それ以降食べた食べ物もビールも旨さは半減。考えたら、連れ合いと飲み食いしていたときは、互いに互いのペースや食べたいものを思いやりながら、絶妙のタイミングで終始味わえていたなぁ。もちろん、長い年月をかけて体得したことで、何年もテーブルを共にしてこなかった知り合いと同じに考えてはいけない。とはわかっているけれど。。それにしても、相手のことを考えずに「お腹いっぱい」と言える神経は、女性独特のものか。二回の会食で、心からモヤモヤした。今後、女性との食事の際には気をつけねばならない。というか、お酒を飲まない人との会食は避けた方がいいように思う。ま、酒飲みの私が悪いとわかっているのですが。
2023.06.26
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4年振りの書き込みなのに、これです。ストレスによる『身体症状』眠れない、熟睡感がない、または寝すぎる食欲がない、または食べ過ぎる身体がだるい元気が出ない頭が重い疲労感が強い動悸や息苦しさがあるお腹の調子が悪いふらつく便秘・下痢(CHR メンタルヘルス より)だそうです。◎喉が詰まる◎脈拍が不安定◎悪夢を見て起きる(眠れない)◎激しい腹痛◎胃痛◎全身に痛みがある◎特に左首から肩にかけての激しい痛みが出現◎とんでもない量の寝汗をかく◎閃輝暗点が頻発する◎左目の下から頭皮にかけての痛みと痙攣◎視界の縮減◎食欲不振(1ヵ月で10食以下)私の場合、これです。調べたら、ストレス由来のものがほとんどだそうで、二次的な症状もあります。これまでの数十年間、大抵のストレスはなんとかいなしてきましたが、今回は無視できない、大変強い症状が出ていますので、休み休みやらないと、大事(おおごと)になりそう。やらないといけないことを口実に少し休みをもらって、老化した脳をできる限り駆使して、一つ一つ片付けていきましょう。最終の大仕事は引っ越し。それまでには長い長い道のりがありますが、睡眠と食事に注意して、死なない程度に頑張ります。店もやってます。でも、週に1〜2日お休みさせていただいてます。お越しの際は事前のご連絡をお願いいたします。あー、年取るって、外敵に弱くなるということでもあるんだな。
2022.04.14
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化粧品の売り込みがしつこい。何度も断っているのだが、手を変え品を変え訪問してきては、サンプルを置いていく。「実演」が販売の肝になるようで、盛んに実演したがる。「やってみてください」といわれても、どうせ褒められて使用を勧められるだけ。わかっていても、紹介者的な人物がいると、むげにできない。わざと下手にすると講習時間が長引くし、上手にやるとサンプルを押し付けられて「使ってみて」。難色を示すと「全否定の人がいたけれど、だまされて使ってみてよかったと言っている」と、聞かされる。ネットワークビジネスじゃなかったら、とっくの昔に買っていたというものもある。ねずみ講(マルチ、マルチまがい)の親の存在がいやだから、いくらいい商品でも買いたくなくなる。一生束縛される怖さがある。ネットワークビジネスに携わっている人は、自分が厚かましいとも、非礼だとも、常軌を逸しているとも、迷惑だとも思っていない。ひたすら「いい商品だから紹介したい」と洗脳されている。結果、自分の利益になることは二の次であることが多い。ゆえに、経験の浅い人はだまされる。断る方法はただ一つ。「物理的に無理です」金がないなら買えないということ。勧誘者は、「安すぎるから、よさが伝わらない。もっと高くしてもいいのに。使う人のことを考えたいい商品。自分へのご褒美だと思って。早く始めることが肝心」こんな感じ(感情論)で、攻めてきますが、私は感情論への理解がないので、物理論でいきたいと思います。ひと月の出費。一年の出費。あと何年必要かという計算。ほかに使っている化粧品の総計。「安すぎる」と言われた商品が全く安くないことは瞬時にわかっていました。だって、マルチ、マルチまがいは、購入者の上の階層(何段階もある)の者が儲かるシステムになっているのですから。相手はお客さん絡みですから、対応は難しいですが、穏便かつすっきりと解決する方向を模索します。商売って、難しいですね
2018.07.14
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今朝7:58、大阪で地震がありました。当方、大阪市北区在住、勤務地も北区。当初、大阪市北区は震度6弱と伝えられましたが、全域ではない様子。にしても、かなり揺れました。ドン! と突き上げた後に、左右を含む縦揺れ、その後にスクロールするような横揺れ。が、縦揺れの時間が短く、横揺れの幅もわずかだったため、マンションの室内での被害はさほどではありませんでした。細かなものが落下したのみ。自室は水道、ガス、電気、問題なし。が、他室の中にはガスが出ないというお宅も。(マイコンメーター操作で復旧)ただ、エレベーターは終日使えませんでした。明日に復旧するかどうかも不明。(とにかく管理会社の対応が悪い)店は、全く問題ありませんでした。「酒瓶が落ちて割れていたら…」と不安だったのですが、一本も落下せず。揺れの方向と大きさが落下物の有無や被害の大きさを決めることは阪神大震災で経験していたので、今回はラッキーだったと思います。とにもかくにも、大阪市内は交通の混乱以外は大きな被害はないかと。地震直後は、ひっきりなしに消防車のサイレンが聞こえていたので、どんな事故(カンカンはなかったので、火事ではないかと)が起きたのか心配でしたが、耳に届いた大事故はなく。まだ、交通機関の乱れは続いているようですが、沈静化してきました。が、北摂(高槻)が震源なので、当該地域では、道路陥没(断裂)、上水道管破裂(断水)、停電、ガス遮断(意図的なもの/火災防止のため)といった大きな被害が出ているのも事実。そして、この地震が本震なのか、前震なのかもわかっていないので、余談は許さない状況。できる限りの備えをしなければ。と思いつつ、家にほとんどいない私は、どこにどういう備えをすればいいのか…。携帯電話は、通話はしにくくなりますが、LINEのメール、通話は大丈夫、FaceTimeは使用可能ということはわかりました。ネットの交通情報は、アクセスが難しい。テレビ環境がない私にとって、今回は、AbemaTVが役に立ちました。ラジオも役に立ちます。ラジコで聴けます。そんなこんなの一日でした。大きな余震、本震の来ないことを祈って…。
2018.06.18
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土曜夜(正確には日曜朝5時。眠れず、そこから睡眠開始)から24時間のうち、起床していたのは4時間。食事1回、トイレ、シャワー、洗濯3回を4時間のうちに済ませ、あとはひたすら眠っていました。こんなに眠いのは、どこかに異常があるとしか…。肝臓か、腎臓か…。肩こり、首の凝り、そこからの頭皮の痛み、下半身の凝り、あちこちのツリ。しかも、消化器の調子が悪くて24時間の絶食。疲れが溜まりに溜まっているということでしょうね。温泉に行きたい!!!一日、二日で解消できる疲れではないけれど、早いうちに何とかしないと、爆発する予感。BOMを食い止めるべく、手当ての方法を考えます。「20時間も眠れるなんて、若いんやで」とお客さんに言われました。その域は超えてしまっていると思います。のっぴきならない状態であることは自覚しています。休養、睡眠、食べ物…。来週、ちょいと休みますか。月末には、店を紹介してくれる雑誌が発売されます。その前に店内を整え、力を蓄えておかねば。計画的にやらなければ、各方面に迷惑をかけますよね。熟慮します。
2018.06.12
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ブログにアクセスするの、4年振りかしら。ちょっと、思うところあって、また書き込もうかと思っています。日々の忙しさにかまけて、文章を書く機会が激減しました。文字で表現することが、ストレスやイライラの解消になることを知っているのに、そこに行き着かない余裕のなさというか、やる気のなさというか、諦めというか……。両親が亡くなって、いろんな意味で目的を失っていた日々は無意味ではなかったと思えるように、その時間を大切に今を生きなければと思いました。実は、ちょっとしたきっかけがあってブログを読み返したら、いいようのない刺激を受けたのです。あー私は、文章書きなんだなって。次に書き込むのがいつになるかわかりませんが、面白いネタを持ってやってきたいと思います。おやすみなさい。
2018.06.10
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「桃太郎の結末は、反省した鬼が島の鬼たちと楽しくパーティー」「順位をつけない運動会」「ゆとり教育」子供に対する教育の話。結構残酷な結末の昔話を訳のわからないハッピーエンドにつくり変えたり、徒競走で全員手をつないでゴールしたり、詰め込み教育で記憶力(単なる試験での学力)を競争するのを回避しようとしたり……。何がしたいんだろう。大人は。最近、世の中は悪い人基準。何をするのも煩雑で厄介。個人の証明。本人確認。個々人の素行、動向。例えば、死んだ親の銀行口座を触ろうと思うと、実に煩雑で面倒な作業がある。それをしないと、悪い奴が財産を横取りしようとしているかもしれないという前提があるから。街には監視カメラがあふれ、「行動を監視されているようでいやです」という人道派の方々も、事件に巻き込まれたら「カメラを徹底的に調べて、犯人を捕まえてください!」と言うに違いない。我が身を振り返っても、空き巣に入られたのが一回、強制わいせつ目的であろう人間がベランダに侵入したのが一回。監視カメラがあって、犯人がすぐに捕まったら安心できたけれど、当時はそうした設備もなく、捕まったのやら逃げ仰せたのやら。逃げた犯人がまたやってきたら……、と不安な日々を送ったのも事実。生活と犯罪は紙一重。なのに、教育は緩い。だから、近所の他人に弄ばれて殺されたり、学校の担任にひどいことをされたり、果ては、親に殺されたり。人間は「教育」を経ないと人非人。が、教育を経てようやく人間になる。そういう教育をしないから、上記の犯罪を犯したり、ストーカー殺人や親殺しや犯罪行為を仕事だと思うような人間が生まれる。文科省、教育委員会、教職員組合、教員……。責任は重い。全く自覚はないだろうが。。。若年者の喫煙者数の多さ、減少することないHIV感染者数、ニート率、その他、教育が及ばないことで起きている事象は数知れず。政治家も公務員も、責任を取らなくていい日本なので、これが改善される可能性は低いだろう。日本の未来……どうなる?早く死ぬのが得策か。
2014.11.05
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「本日のメニュー」というのがあります。「本日の大鉢」「本日の煮込み」「本日のおでんダネ」といううちの店の王道カテゴリーに加え、「本日のピザ」「本日のパスタ」を設定しています。無謀な。 だって、ピザを焼くために必要なオーブンが、ガスレンジ下の本格オーブンなのです。家庭用のオーブンなら、温度設定や焼き時間はある程度自動運転してくれますが(家では東芝の「石窯オーブン」を使用)、店のオーブンは、ガスゆえに温度調節もあいまい、焼け具合を確かめる方法は、前面扉全開というお菓子などには「大敵」と言っていい無謀な方法。 などと言いつつ、オープンから1ヵ月以上のらりくらりしてきたので、そろそろ決めなければ。 というわけで、きょう、焼いてみました。焼けました!粉が、フランスパン専用粉(仏)という、大変高価なもので、ホカッチャやカレーパンのときの粉だったというのをすっかり忘れてました!いつものパリッ(カリッ)とした感覚がなくてがっかりですが、オーブンの性能がわかりましたので、メニューに追加することにしました。 明日から、メニューがまた増えます。 ガンバらねば。。。
2013.03.14
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11/3の文化の日、ProteaMamaさんのおうちにお呼ばれしました。Mamaさんとは、カレー屋をやる前からブログを通して知り合って、お互い全く違う境遇ながら、細々と交流を持っていました。カレー屋を開店してから、よくいらしてくださいました。お忙しい中、土曜日のひと時を割いてスペシャルカレーを召し上がりにいらっしゃるのが定番。でも、最初にお会いできたのは朝ご飯でした。早朝にかけつけてくださって。お子さんをお連れくださったことも。すごい人です。生き方というか、身の処し方を常に考えて、日々を過ごされている…。家族のこと、職場のこと、交友関係のこと…考えることの多さは尋常じゃなく、しかも物理的にもものすごくお忙しいと思います。そんな中でも、カレー屋の動向、私の状況をさり気なく見守ってくださり、事あるごとに、すぐさま駆けつけてくださいました。特に直接的な言葉をかけてくださることはないのですが、来てくださったことで十分、という気持ちにさせていただきました。父が急逝してからも、コンサートに誘ってくださったり、近況を案じてくださったりと、何度かメールをいただいていました。でもそのたびに時間的、精神的な余裕がなくて、再会することなく、随分時間を過ごしてしまいました。今回は、リフォームされたおうちに招待され、母の世話の都合もついたし、Mamaさんのご予定にも少し余裕がおありのように思えたので、厚かましくもお邪魔しました。仕事以外の人と会うのは、本当に久しぶり。一度、カレーファンになってくれた妙齢のワイン嬢と心やさしいマラソン女子がうちに来てくれた以外は、本当にだれにも会わない10ヵ月間でした。Mamaさんに、いろんなグチを聞いていただきました。Mamaさんからも多少のグチと、いろんな人の話を聞いて、心が少し解放されました。世の中にはやさしい人々がいらっしゃるものです。こちらかは何もしていないのに、気にかけて、時間をかけて、力づけようとしてくださいます。素敵な住まいも、香り豊かなコーヒーも、おいしいお好み焼きも、ペットボトルの小さな金魚たちも、家族の気配がする空間も、その一つ一つが私には心和める要素でした。あんな機会がまたあればいいな。そう思いながら、「お店、必ず開きますから」と、自分にプレッシャーをかけつつMamaさんのお宅をあとにしました。Mamaさん、ありがとうございます。もう二度と、元の生活に戻ることはないけれど、一刻も早く自分の未来を描けるように、心と時間と状況の均衡を取り戻したいと思います。今度は、温泉にでもつかって、ほっこりしましょうね。※素敵なお住まいの写真を撮り忘れてしまいました。残念
2011.11.09
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ご無沙汰しております。最近の私の状況について、大変ご心配していただいているというメールや電話をいただき、とても心苦しく思っております。こちらから、全く連絡をしておりませんで…。父が亡くなり、年末から抱えていた大きな心配の一つがなくなったものの、父がいなくなった後の処理や残された母がこれから生きていくためのさまざまな手続きや作業をこなすために、自分が生きているのかいないのかわからないような日々を送っております。実家(ずっと大阪にいたのに、定年後に父の発案で三重県の端っこに移り住んでしまいました)は、一番近いスーパーが6kmほど先というとんでもない環境で、母は運転ができませんので、バスかタクシーで移動することになりますが、バスは停留所が遠い上、一時間に1本あるかないかという環境ですから、タクシーでの買い物となります。年金生活の母にとって、タクシーで行き来するのはとんでもないこと。しかも、お金を払えば買い物ができる、という条件であったとしても、一人切りになった寂しさや不安、絶望感は、若い人間には計り知れません。そんなこんながあって、週に3日以上は実家に帰っています。行政的な手続き、公共料金や保険の変更手続き、父がやり残した申請、支払いなどの処理、母を病院に連れていったり、力仕事や家の補修・整備をしたりといったこれまで父がしていたことの代役をするためには、それでも足りないくらいです。残った日数で、レギュラーの仕事や決算、支払い、単発の仕事などをこなそうと思えば、プライベートな時間は全く取れないというのが現状です。新しい店を出すための道筋は、年末にはある程度できていたのに、全く違う状況になってしまいました。母のことを視野に置いた出店計画が必要になりました。店の荷物の置き所も早く定めないと。よく考えたら、2011年も半分近くが過ぎてしまいました。「やるだけやって、だめだったら死ねばいい」「死ぬ気でやったら、何でもやれる」どちらもそのとおり。私の場合……。肩や腰がガチガチです。週に500km以上走っているせいでしょうか。ストレスのせいでしょうか。でも、難題は明日もやってきます。だれも助けてはくれません。それが、私の運命だと感じています。生まれてきた意味だと、素直に思えるきょうこのごろです。生きています。少しずつ処理しています。カレーの復活も、私の元気の復活も、私の人生の復活も、もう少し先になりそうです。大したことがご報告できなくて……。こんな更新になることをお許しください。
2011.05.17
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最近、外食するお客さんが減った話ばかり書いているように思いますが、また一つ、いやな話題を見つけてしまいました。初の「9月病」大流行の恐れ 今秋は、新型インフルの猛威に加え「9月病」が大流行する? 耳慣れない病だが、ゴールデンウイーク後の5月病と同じで「夏休み明けのやる気のなさや、だるさ」により出社が億劫(おっくう)になる症状だ。 夏休みは毎年のこと。なぜ今年は9月病が蔓延するのか。「9月の大型連休(19~23日)のせいです。休みの取り方によっては9連休になります。例年なら夏休みが終わり、仕事に集中する時期なのに、そのサイクルが崩れます。9月の連休明けに5月病と同じ症状に陥るサラリーマンが続出しかねません」(企業リスク研究所の白木大五郎代表) 悪いことに9月は中間決算の時期と重なる。連休明けの激務でストレスが増大し、いつもの仕事のペースに戻れず「9月病」になるケースも出てきそうだ。「入社して3年目ぐらいまでの人が特に危ない。連休中に昔の友人と会って仕事や給与の話をすると、今、自分が置かれている職場環境に疑問を抱いてしまうのです。GW、夏休みと乗り切った新人が、また不安になるのです」(前出の白木氏) シルバーウイークとも呼ばれる秋の大型連休。サラリーマンにはうれしい休みだが、休み明けの反動には気をつけたい。【日刊ゲンダイ2009年9月5日】連休があるだけでもいやなのに。上半期最終月というのもネックだと思っていたのに。10月の行楽シーズンに備えて、お金や体力を温存しそうなのもいやだったのに。「9月病」ですって。これで休業する人が増えたり、引きこもりになったり、会社をやめてしまったりしたら、またまたお客さんの絶対数が減ってしまいます。きょう、本業の会社の労務の面倒を見てくれている労務士さんがカレーを食べに来てくれました。ひどいことになっているようです。労務士さんのクライアントはどんどん減っているそうで(倒産)、保険料の滞納、給与の支給遅滞、ボーナスの全面カット、不渡り、夜逃げなどは日常茶飯事のように起きているそうです。「何が原因でしょう?」私が言うと、「政治」という答え。いまだに自民党は内紛などを繰り返していますが、こいつら(執行部)が日本をグチャグチャにしたのだと思うと、憤懣やる方ない!首相指名みたいなものでもめるな! 執行部はすべて退陣せよ!裏で若い人を威圧する古参議員は自ら身を引け!ま、終わった(いまのところ)政党なので、これは置いておくとして、民主が連立協議をしている社民党と国民新党は、身のほどをわきまえないといけないでしょう。大体、こんな政党と連立するなんて、常に地雷を足元に置いておくようなものではないですか。全く政策の違う党同士がどうやって政策合意し、立法し、政策を実施していくというのでしょう。先進諸国も注目しているはず。特に社民党はいけない。この党が意見を言える立場になることには、多くの懸念が噴出するはず。ま、いいでしょう。皆がカレーを食べに来てくれるようになるなら、社民党であれ、みんなの党であれ、いろんな党と連立してくだされば。さて、政治などに期待せず、状況打破を考えましょう。いろいろ秘策を考えてはいるのです。実行には、困難な要素があるのも事実ですが、何とか頭をひねり、身体を動かしましょう。本業のノウハウを生かすときです。……体力、気力、行動力、思考力、表現力、説得力、人間力……力こぶがまた大きくなります。油脂と小麦粉を使わず、シャクッとした口当たりが新鮮な少し辛いカレーは、ヘルシーでたくさん食べても食べ飽きません。ご飯とよく煮込んだ国産黒毛和牛(スープ込み)、ルーを絡めて食べると、驚きのおいしさになります。特製和牛カレー 800円※少々お高い印象ですが、800円の価値があると実感していただけます。大阪市北区天満3-8-12『紀楽 朝昼亭』
2009.09.08
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民主党が与党になりました。予想できていたとはいえ、これほど劇的に自民党が大敗したのはちょっとしたドラマを見ているようで、昨夜は疲れているのに眠れない夜を過ごしました。総理総裁経験者や閣僚経験者が次々と落選していくのを見るにつけ、「日本人は“流れ”に弱い人種だ」と痛感しました。実は、落選をしてしまった自民党の古参議員のスタンスや実績、経歴には何ら変わりがないわけです。有権者の受け取り方が変わっただけのこと。しかも、「自民はいや! となると、民主しかない」という漠然とした「感覚」「感性」が投票行動の多くを支配したということになります。日本の国政を任せる人々を選ぶとき、当該の人物を見ず、「党」というもののイメージに基づいて「消去法」で選んでいいものなのか……。もちろん、民主党候補の中には有能で、以前から哲学のしっかりした人がたくさんいたとは思います。が、そうでない人も多かったのではないか。小沢さんに押されて、さしたる政治信条もなく、政策もない人が刺客として自民党対抗馬になり、思いも寄らず当選してしまったということはないのでしょうか。小選挙区で落選した、自民党の与謝野さん、町村さん、海部さんといった、そうそうたる面々に、政策や政治手腕で勝る人が当選したと言えるでしょうか。そんな疑問を持ちながら、きょう、来店してくださったお客さんに聞いてみました。「政権交代して、お商売に影響は出ませんか?」皆、口をそろえて「大変なことになる」とおっしゃいました。たまたまかもしれませんが、そのお客さまたちの業種が、「派遣」「土木」「建設(設計等関連業含む)」「たばこ」で、かなり影響が出る項目がマニフェストに書かれていたようです。自分なりに調べてみようと思いますが、「税金」「公共事業」といった、政府が直接関係する事柄や、自民党の政策を否定するための反論的な事柄についての政策から影響を受けるとのこと。きょうは、平均株価が200円上がったらしいけれど、政策が具体化すれば、関連する多くの企業の株価が下落すると思います。この不況下で……。しかも、バラマキの公約がたくさんあり、増税が必至という状況ですから、増税による社会不安と景気の冷え込みが株式市場に与える影響は大変なものになると思います。しかも、対米政策の矛盾と非現実性……。中米関係が密になる中、民主党が言っていることをそのまま実行しようとしたら、関係維持が難しいということは、素人でもわかる。が、懐刀があるというのなら、それはそれでいいのです。韓国やフィリピンの基地縮小が進む中、米軍基地をたくさん持つ日本の立場は、ますます強くなっています。それを盾にした外交交渉ができるとすれば、自民党政権下よりいい外交が実現するでしょう。ただし、霞ヶ関の役人の言いなりになっていては、同じ結果を招きますが。きょうは8月の最終日でした。2月と8月はどんな商売もよくないと言いますが、特に飲食店は悪い。休みが多いし、寒い、暑いせいで、人は外出を控え、食べ物に執着しなくなる。9月も侮れません。変な連休があります。10月は行楽のシーズンで、外食を控える傾向にあります。10月か11月には、新型インフルエンザの猛威が気になります。……、前途多難です。が、きょうもカレーはおいしかった。営業終了が待ち遠しい(カレーが食べたい)という毎日ですから、ちょっとしたことは気になりません。まずは、自分が納得したものを提供すること。それをいいと思ってくださるお客さんを大切にすること。より多くの人に、うちのカレーを食べていただくこと。いつも同じ味、同じインパクトを保てるよう努力すること。そんな基本的なことが第一で、それができなければ、どんな障害にも立ち向かえない。民主党政権による影響があるとしたら、それはそれで受け入れるしかないな、と思ったきょうの昼下がりでした。
2009.08.31
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「エコカー減税」の追い風を受けて、トヨタのプリウスが爆発的に売れているらしい。ETC車載機よろしく、購入予約してもなかなか手に入らないという事態を引き起こしている。そんな中、「待たねばならない新車」より、「すぐに手に入る中古車」を求める消費者が押し寄せ、第一世代、第二世代のプリウスの中古車に高値がついているというのだ。プリウス異常事態 中古価格が新車上回る中古車情報サイトでも高値が多い 新車販売ランキングで1位を記録し、納車待ちが続いている3代目「プリウス」をめぐり、思わぬ現象が起きている。中には、値下げされた2代目の新車を上回る価格の2代目中古車も出ている。今注文しても、新車が手に入るのは2010年3月。「それなら、すぐ手に入る旧型の中古車の方がいい」という人も増えているのだという。■6月末の段階で20万台超える注文が殺到 3代目のプリウスは2009年5月18日に発売。最も安いモデルの価格が、2代目よりも約30万円安い205万円に設定されたことが話題を読んだ。政府による「エコカー減税」の効果もあり、日本自動車販売協会連合会が09年7月6日に発表した新車ランキングによると、09年6月に販売されたプリウスは2万2292台(その内3代目は2万1192台)。軽自動車を含む総合ランキングで、初のトップに躍り出た。 2代目については、新グレード「EX」として、189万円に値下げした上で新車販売が継続されているものの、中古車市場での人気が高い。 3代目プリウスは、6月末の段階で20万台を超える注文が殺到しているとされ、品薄感が広がっている。さらに、「EX」も1月の販売台数は2000台にとどまっている。そのため、「2代目」を中古車市場で求める動きが広がっているというのだ。 中古車チェーン店を運営するガリバー・インターナショナル(東京都千代田区)の「ガリバー自動車研究所」では、「『2代目』の中古車市場での価格は、08年前半は原油価格が高騰していた関係で上昇していたのですが、後半は『新モデルが出る』という情報が出たことから、下落に転じました。ところが、09年に入ってからは、値崩れがしにくい安定した状況が続いています」と話す。【CASTニュース 7月14日19時35分配信】これは、自動車メーカーのみならず、傘下にいる無数の部品メーカーにとって由々しき事態だ。「新車市場」と「中古車市場」は、“車を買う”という行動を見てみれば、買う側にとってはさほど変わりはないが、生産者側には雲泥の差がある。「中古車市場が繁栄するのは、不況のとき」とも言えるし、「中古車市場が繁栄すれば、自動車メーカーは不景気に陥る」とも言える。これまで日本は、工業製品を生産して国内外に売り、利益を上げることで「GDP」を押し上げてきた。その一つが自動車で、日本の主軸産業といっても過言ではない。新車が売れれば、トヨタ、ホンダ、マツダといったメーカーの売上や利益が上がると同時に、傘下にいる無数の中小企業の売上や利益を押し上げる。が、中古車が売れると、中古車販売会社のみの利益で終わる。もちろん、整備や修理といったメンテナンスにかかわる企業の利益も多少上がるが、性能のいい国産車の場合、よほど年数がたっていなければメンテナンスの必要も余りあるまい。つまり、トヨタは、自らの傘下にある無数の中小企業の経営改善を阻止したことになる。どうしてこんなことになるのか。「トヨタ方式」などといって、ムダのないギリギリの生産ラインや部品調達システムを築き上げることで、最大限の利益を上げようとしたことに問題があったのだ。新潟の大地震のとき、一社独占に近い部品メーカーが被災したことで、自動車メーカー各社の生産ラインが数日とまったことがあった。このことが物語るのは、自動車メーカー(トヨタなど)の生産ラインに乗る寸前に製品(部品)を納入させるという、下請けいじめとも言えるようなことを常態化させていたことだ。自分は在庫を持たない。が、分刻みの納品対応をさせるために、下請けには在庫をたんまり持たせる。大企業の横暴そのものだ。そんな生産体制が、急激な需要の伸びに供給が追いつかない状況を生んだ。それは、「そんなものだろう」というところだが、メーカーの計算ミスのために、下請け企業は、ようやくどん底景気から光明が見えた矢先に、見す見す経営改善のチャンスを逸することになった。この責任はだれが取ってくれるのだろう。派遣切り(秋葉原の事件を思い出す)、下請けいじめ、工場閉鎖、工場移転……メーカーの合理主義と横暴と計算ミスの陰で、多くの企業が、地域(工場所在地)が、労働者が大泣きするハメになっている。兆のつく経常利益を上げる企業に、何の責任もないというのだろうか。
2009.07.14
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「奨学金」というと、「日本育英会」という機関が思い浮かぶのは、もう古いらしい。いまでは、「独立行政法人日本学生支援機構」と呼ぶそうだ。この機構の実態は、日本育英会、財団法人日本国際教育協会、財団法人内外学生センター、財団法人国際学友会、財団法人関西国際学友会が合併した組織のようだ(2004年4月1日設立)。高等専門学校、専門学校、短大、大学、大学院に在学する学生を対象に、無利息で一定額の就学費用を貸し付けてくれる(奨学事業)。この機構が最も一般的で貸付額が大きい組織だが、奨学金を貸し付ける団体や学校は星の数ほどあるといっていい。しかも、日本学生支援機構は、「本人の成績及び経済状況により選考される」という選考基準があるが、ほとんどの団体は、簡単な申請で借りることができるそうだ。我々が学生のころは、「奨学金を受ける」というと、「成績優秀」が無条件に意識された。「勉強したいのに、家計に余裕がない」という単一の条件があった。が、いまではそんな条件は全くないようだ。この「奨学金」を巡って、問題が起きているらしい。奨学金滞納23年までに半減方針 「踏み倒し」に法的措置も 大学生などを対象に奨学金の貸与事業を展開する独立行政法人の日本学生支援機構は27日、奨学金の延滞債権の回収を強化し、平成23年度まで半減させる方針を明らかにした。支援機構が回収について数値目標を設定するのは初めて。3カ月以上返済が滞っている延滞債権は約2250億円(平成19年度末)に達しており、財務省は回収態勢の甘さを批判していた。 機構では、回収率を高めるため、改善の進まない大学の公表も検討している。 支援機構は回収の強化策として平成21年度以降、9カ月未満の延滞債権について、債権回収会社への全面回収委託を実施するほか、9カ月以上の延滞に対しては、支払い督促申し立てなどの法的措置をとる。また、住所不明で回収できなくなった133億円の債権も、役所などへの住所調査などで延滞者者を追跡し、回収に結びつける。【産経ニュース 2008年10月27日】ある大学は、「奨学金を滞納した学生には卒業証書を出さない」という措置を決めたそうだ(卒業はできる。が、証書がないということ)。なぜこんなことになったのだろう。「給食費未納」「保育費不払い」「医療費踏み倒し」「税金不払い」「学費滞納」といった無責任行動が大人の世界から子世代にまで波及しているということの象徴だと思う。また、「借りる理由が脆弱」というのも、問題を拡大させている理由だと思う。以前は、貸与金は原則「学費」にしか使えなかった。というか、経済的にそれが最優先されたのだから、皆が学費に使ったということかもしれない。しかし今は、何に使おうが借りた者の勝手だ。インタビューに答えた大学生はこんなことを言っていた。「携帯電話代なんかに使っています。親に負担がかけられないので…」「仲間との付き合いが必要なんで(クラブに入っているらしい)。時間的にバイトができないんですよね」「やりたいことがあるんで。あ、バンドやってるんですよ。練習するのに結構お金がかかるんで……」これでは、武富士やアコムから借りるのと同じだ。違うのは、金利を払わなくていいということと、不払いのときに過酷な取り立てに遭わなくていい(いまではどうか知らない。以前、問題になっていたことは事実)ということであって、借りる側にとっては、ウハウハではないか。「やりたい勉強があるから借りる」という確たる意識があれば、学校を卒業する際に、奨学金を得られたことに感謝することはあっても、「将来踏み倒そう」などとはつゆ思わないだろう。しかし、上記のような動機なら、「金の価値」を実感することなく使ってしまうので、「踏み倒す」ことへの罪悪感も感じなくて済むのではないだろうか。日本は、本当に子どもに甘い国だ。自分の将来を決める学問を納めるためだから、自分で学費を工面するという考えが定着しているアメリカなどに比べて、親が子どもを擁護し過ぎる。が、親の経済力にも限界があり、ある一定の金額しか仕送りできないという事情があるようだ。子どもがアルバイトをして稼ぐか、奨学金を借りねばならない場合、特に大学への進学は諦めればいい。いつでも行けるのだから。高校ならそうもいかないが、大学など、18歳でどうしても行かねばならぬ教育機関ではない。社会人になってからでも遅くはないし、就学をバックアップしてくれる企業もある。人様に金を借りてまで行く必要はない。「学歴社会」という言葉も怪しくなってきた。大学に行って、変なイベントを開いたり、大麻を栽培しているような輩が出没する世の中、不要な知識を吸収しに行く必要もなかろう。就学時に並行してアルバイトなどをすることが困難である場合に、奨学金制度を利用できるという逃げ道がある。これを利用して学問を修め、自分の行きたい方向へ進んで社会人になった場合、そのお金を感謝をもって返済することに、何ら不合理はないし、これまでは皆がそうしてきた。こんな、簡単な構図が崩壊しているという現状は、薄ら寒いものを感じる。「信用社会」の崩壊だ。「保証」というものに重点を置く社会になると、何をするにも関門が厳しくなり、「金」を積まないといけなくなる。事実、都会で賃貸住宅や駐車場を借りようとすると、尋常ではないほど書類や印鑑や保証人が必要になる。どうすればいいだろう。「罰則の強化」などは根本の解決にならないが、現状を改善するための応急処置として必要かもしれない。文部科学省か、厚生労働省か、地方自治体の生活課かは知らないが、優秀な役人の皆さんに有効な対応策を考えていただきたい。教育が間違っていたのは確かなので、文部科学省か。よろしくお願いします。※Protea Mamaさん、書き込みの不十分なところを補いました。
2009.04.26
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焼き肉を食しに行った。住まいの裏側(どちらが表かわからないが)にある、激しい人気を博す不況知らずの焼肉店だ。常に満席で、当日の予約はまずは入らない(土日は21時以降なら何とか入る日がある。理由は、時間制限を設けているからだ。平日はフリーなので、店の前で待つとなると、2~3時間は覚悟しないといけない)。急な来客と一緒に出向くことになったので、当日の予約になった。ダメもとで電話を入れると、「21時30分以降なら、お席を取れると思います」「じゃ、その時間に予約を」席があけば、電話をくれるということなので、連絡先と、名前、連絡を受けてからどれくらいで店に到着するかを伝えて電話を切った。果たして21時25分に電話が入った。「いま、お客様が変えられたので、お席を用意するのに10分ほどいただきます。21時35分にお越しください」ものすごいシビアな指定に応じ、33分くらいに到着した。「ただいまご案内しますので、こちらにお掛けになってお待ちください」と、入り口付近の椅子に座らされた。我々の前で待っていた6人連れの男性ばかりの客がウエイティングの椅子から立ち上がり、座席についた。ふと見ると、そのうちの若手3人が最大手自動車メーカー・T田の販売店のスタッフジャンパーを着ている。ちょっといやな感じがした。間もなく、6人客の隣の席に案内された。いやな予感は的中した。6人のうち、5人が喫煙者で、しかも、チェーンスモーカーだった。若いのは20代後半、年寄りは50代半ば。最もひどかったのは、40代後半から50代前半とおぼしきハゲ親父だった。左手の人差し指と中指の間には、常に火のついた煙草が挟まっていた。だれかがずっと煙草に火をつけていた。しかも、吸わない。灰皿の上に置いているか、手に持っているか。1本の煙草が終わる間に吸うのは3度ほどだ。ずっと、副流煙が上がっている。さらに悪いことに、私の席がアゲインストだった。すべての煙が私のところへやってきた。肉を食べながら、酒を飲みながら、煙草を吸う。だれかが必ず煙草に火をつけている。ひっきりなしに。たちまち、私の服は、髪は、顔は、ニコチン臭くなった。焼き肉どころではない。いやでいやで仕方がない。「ちょっとぉ!」と言いたいところだが、販売店の営業マンとなると、ストレスも大変なのだろう。禁煙の店ではないだけに、禁煙を強要することはできない。こういうとき、私はいつも不公平を感じる。煙草がいやな人間の嫌煙権は無視される。日本は禁煙後進国だ。先進国の中でも際立って喫煙率が高い。教育が悪いのだと思う。百害あって一利なしの煙草を、25.7%(2008年の男女平均)の国民が吸っている。男性に限って言えば、41.3%という高率で、発展途上国並みの数字だ。アメリカ19.1%、カナダ19.1%と比べると、その多さがわかる。悪いことに、世界的には女性の喫煙率が減少しているにもかかわらず、日本は上昇しているというから、悲観的にならざるを得ない。「煙草を買うことで、税金を払っているのだ!」と偉そうな顔で喫煙者は言うが、煙草が原因で罹患する病気に対する医療費は、それをはるかに上回る。「煙草を吸っている人は、自費で治療」とできない限り、煙草を吸わない人が、その医療費を負担し続けることになる。しかも、自分は吸わないのに、副流煙で罹患する例も多い。日本を代表する大企業の系列会社の社員がこれだ。企業は、社会や社員個人に任せないで、禁煙への指導をすべきではないだろうか。私は、クライアントである大手電機メーカーが社員に禁煙指導をしているのを見ている。「査定」に影響するとあって、賢い社員は次々と禁煙していき、そのおかげで集団検診でひっかかる率が低くなったらしい。少なくとも、私を薫製にしてくれた社員のいるT田の車を買いたいとは思わないし、営業職であるにもかかわらず、人からどう思われるかを認識できないダメ社員を抱える企業はダメだと思ってしまった。髪が臭い。シャンプーしても、泡が立たないほどだ。こういう被害に対しては、「傷害罪」もしくは、「強制不快罪」(創作)などの法律で裁いてほしい。なぜ、私が我慢しなければならないのか、理解に苦しむ。むむむむむ。
2009.03.30
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23日に起こった、「またか」と思わせる事件がある。無差別殺傷事件である。今回は、被害者の命に別状はなかったが、亡くなっていてもおかしくない状況だった。JR東京駅のホームで女性(60)が突き落とされてけがをした事件で、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された大阪府富田林市の無職太田周作容疑者(24)が「発達障害と認定されて重要な仕事を任せてもらえず、自分は必要のない人間と思った」と供述していることが24日、警視庁丸の内署への取材で分かった。丸の内署によると、太田容疑者は軽度の知的障害があることを示す手帳を所持していた。「半年前に仕事を辞めた。人を殺して死刑になろうと思った」とも供述しており、裏付け捜査を進めている。 同署によると、太田容疑者は23日朝、大阪の自宅を出て、午後3時ごろ東京駅に到着。JR山手線で池袋や秋葉原に行った後、東京駅に戻ってきた。「ホームに入ってくる電車が見えたため、立っていた女性を押した。(人を殺すのは)どこでもよかった」と話している。(共同通信社)あちこちの新聞やTVニュースをチェックしたが、ここまで踏み込んで報じているものはなかった。それは、容疑者が「障害者」であることに起因する。マスコミは、この類の事件を扱うとき、異常にナイーブになる。ゆえに一般市民は、ニュースの中に「知的障害」と「発達障害」という障害を示す名称が二つ登場しても、その違いすら理解できず、「障害者って、悪いことをする人たちなんだ」という誤った認識を生む。(障害者の具体的な犯罪率は、この一つ前のブログをご参照ください)「発達障害」……乳児期~幼児期にさまざまな原因によって、発達の「遅れ」や質的な「歪み」、機能獲得が困難となる心身の障害。学術的には、知的障害(精神発達遅滞)を含むが、法令上、行政上は知的障害を伴わない軽度発達障害だけを指す場合が多い(発達障害者支援法(平成16年12月10日法律第167号)も知的障害者以外の発達障害者だけを支援対象として規定)。発達障害児の発達の「遅滞」や「ゆがみ」は、不変のものではなく、適切な療育を施せば発達を促し、改善していくことができるもの。知的障害(精神性遅滞)……金銭管理・読み書き・計算など、日常生活や学校生活の上で頭脳を使う知的行動に支障があること。いずれも、大多数は先天的なもので、そうでないものも比較的低年齢に生じた他の疾患や外傷の後遺症によるものらしい。つまり、親の教育や周囲が与える精神的な抑圧等の影響による「疾患」ではないということだ。今回、事件を起こした男は、「発達障害」だろう。以前は仕事もしていたし、自分が「必要のない人間」と考えられるわけだから、知的能力はある一定のレベル以上のものだとわかる。しかし、24歳であることを考えると、健常者と変わらないくらいの社会適応力や犯罪に対する認識を持っている必要があるだろうと考える。つまりこの男は、適切な教育を施されなかったために、発達障害を抱えたまま、年齢だけ大人になってしまったということになる。日本における障害者に対する教育は、他の先進諸国に比べると、極めて遅れていると感じている。社会のはじっこに追いやられてしまっている感が否めない。軽度の知的障害を持つ児童が、その子の発達に応じた環境で、能力を伸ばす教育がなされているとは、決して言えないと思う。一般の児童と同じ学級に無理やり押し込められ、その子にとって全く無意味な時間を過ごすことを強いているのではないだろうか。(詳細は認識していない。一度、現場を見てみたいと思っている)容疑者は多分、健常者と同じ刑事手続きを取り、取り調べや供述調書が取られ、裁判にかけられるはずだ。その過程で、男の能力を超えた質問をされたり、行為を求められたりしたら、男は適当に対応してしまうだろう。それが、男に不利な証拠や供述になったとしても、男はそれに気づかない。真実や思いを表現さするすべを持たない者は、どんどん追いつめられていく。そして、判決が下り、「責任能力あり」となれば、刑務所に収監され、自分の能力を超えた生活を強いられる。やったことは犯罪だし、被害を受けた女性にとっては憎むべき相手だろうと思う。しかし、社会はもっと「障害」というものを正しく認識し、犯罪へと進まぬよう教育なり、指導なりをしないといけないし、万が一、障害者が犯罪を犯してしまった場合、その人物に、健常者と同じように権利を公使するチャンスを与えると同時に、言語や態度に頼らない取り調べや裁判を行うというある一定の基準づくりが必要だ。「弱者」という言葉は嫌いだが、この事件の場合、明らかに容疑者は「弱者」ゆえの追いつめられ方をしていると痛感する。「障害者」は「少数」ゆえ、「普通ではない」と認識されている。が、「障害者」の方が多ければ、それが「普通」になるのだ。社会は「多数」を優先する。それは致し方がない。その方が効率的だからだ。しかし、確実に障害者は増えている。このまま放置しておけば、悪い方向に進むことがあっても、いい方向に向かうことはまずない。そろそろ行政は、真剣に取り組まなければならないと思う。「治安大国・ニッポン」という時代はとっくに終焉を迎えてしまったのだから。
2009.03.25
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「画期的」という言葉があてはまるかどうかわからないが、判例主義の日本にあって、異例の判決が出された。名古屋闇サイト拉致・殺害事件 1人無期懲役判決 愛知・名古屋市千種区で2007年8月、闇サイトで知り合った3人の男に磯谷利恵さん(当時31)が拉致・殺害された事件の裁判で、名古屋地方裁判所は18日、2人に死刑、1人に無期懲役の判決を言い渡した。【FNN 2009年03月18日 18:31】俗に言う「永山基準」というのが、「基準」ではなくなっているということだと思う。少なくとも「地裁」レベルでは。一人が一人を、三人が一人を殺したとしても、刑法では最高刑は「死刑」だ。これまでは、「一人が二人以上を殺す」という基準を頑までに守ってきた。それは、裁判官が死刑反対論者であっても、その基準だけは守らなくてはならないというギリギリのハードルだったのだと思う。しかし、光市母子殺害事件を初め、常軌を逸した犯罪が多発するにつれ、「永山基準」の適用に疑問が持たれるようになった。犯状の悪さ、根拠の脆弱さ、犯罪自体の特異性、改悛の情の欠落……、何を取っても、これまでの犯罪史に類を見ないほど、ひどい事件ばかりだ。綾瀬の「女子高生コンクリート殺人事件」などは、軽過ぎる量刑に納得のいかない人々が多くいたし、いまも厳然と存在する。何しろ、主犯の極悪非道な男が、今年釈放されるというのだから、司法のあり方を疑いたくなる(主犯以外は既に釈放され、再犯した者さえいる。しかも、この殺人事件を自分の威光にして)。将来のある女子高生をなぶり殺しにしながら、再犯の可能性が極めて高い人間性の欠落した奴らが生き残っているというのは、日本国民にとって見逃し難いマイナス要因だ。その意味で言うなら、名古屋の闇サイト殺人事件で3人中2人が死刑判決を受けたというのは、意味があることだと思う。が、3人全員でないのは、やはり司法判断の限界を意味しているのだろう。しかも、「地裁」であることが、その限界点を低くした(緩くした)わけで、高裁になると、トーンダウンすることが予想される。「死刑」に反対する法律家は多いようだが、人を殺すような人間が再び世に放たれて、次なる被害者が出たときに、だれが責任を取ってくれるというのだろう。「運が悪かった」という言葉で済まされては、殺された人はたまったものではない。「殺人」は、特別な犯罪だと思う。そこに至る過程において、この個体がどういう反応をしたかということについて、医学的な見地からの検証を十分施すことが必要で、「更生」や「治療」が不可能な個体については、処置や対処の仕方をきちんと定めておくことが急務だと思う。日本では、5月から裁判員制度が始まる。困ったことに、重大犯罪(「殺人」「ごうかん」「強盗」「放火」)についての審議をしないといけないし、さらに、量刑の判断もさせられるらしい。裁判と疎遠だった一般市民が、そんなことをまともにできるわけがないと思うのだが、国は(法曹界は)無謀にもやろうとしている。陪審員制度を続けてきた米国でさえ、こんな問題が起こっているという。<グーグル誤審>陪審員、携帯でネット見て評決…米で相次ぐ (毎日新聞)【ニューヨーク小倉孝保】米国で陪審員が裁判中、携帯電話端末でグーグルなどインターネットの検索サイトに接続し、規則に反して担当事件の情報を入手、裁判に支障をきたすケースが相次いでいる。18日付の米紙ニューヨーク・タイムズなどが報じた。 同紙によると先週、南部フロリダ州で開かれた麻薬関連の連邦刑事裁判で、陪審員1人が裁判官に、インターネットで事件について調べたことを認めた。裁判官が他の8人の陪審員を調べたところ、全員が同じようにネットで情報を入手していたという。裁判官は裁判手続きのミスを宣言し、公判を停止させた。同紙は「グーグル誤審」と呼んでいる。 また、AP通信によると南部アーカンソー州では12日、民事裁判の当事者だった建設資材会社社長が陪審の評決を不服として控訴した。社長側は、陪審員が「ツイッター」と呼ばれるインターネットサービスを介して外部と情報を交わし、裁判情報を流していたと主張している。 このほか、東部ペンシルベニア州でも先週、刑事裁判で陪審員がネット上の交流サイト「フェースブック」を使い、裁判情報を外部とやりとりしていたことが明らかになっている。 米国憲法は陪審員に対し、法廷で明らかになった事実だけをもとに評決を下すよう求めている。このため、陪審員は裁判中、ホテルなどに「缶詰め」にされ、テレビを見たり新聞を読むことも禁止されることが多い。 しかし、インターネットに簡単に接続できる携帯電話が登場したことで、陪審員が法廷以外から情報を入手するケースが出てきたようだ。地元メディアによると、トイレに行く時などにこっそり携帯電話でネットに接続しているという。[毎日新聞3月19日]日本では、世論によって、死刑判決の割合が増えているように思う。外部との接触を極力避けることが義務づけられている裁判官とて、世の中の動向を無視するわけにはいかないということだろう。何の訓練もされていない一般市民が、外部情報を遮断できるわけがないし、世間の情報から隔絶することはできないといって間違いはない。となると、米国のような問題が起きるだろうし、規制の基準もきっちりと定めなくてはならない。が、遵守する、しないの確認の方法もまた皆無だと言える。犯罪は、時代を先駆ける。人間の知恵や理性や常識の後退や破壊は、政治や公務員のモラルの崩壊を敏感に写し取って進行する。その双方の崩壊は、競争のごとく加速度的に進行している。「死刑廃止」論者はまず、「道徳教育」を始めてもらいたい。「道徳心」がないところに「更生」はないと思う。永山死刑囚が言った。「悪いのは、自分の無知と貧乏」と。「無知」ゆえに犯した犯行は、教育の不備によるものだが、親か社会に責任があるとはいえ、一旦その状態で人が出来上がってしまえば、もうどうにもならないのだ。0歳に戻して教育をしない限り。医学的な根拠がないならば、「死刑」を排除するべきものではないと思う。「更生」の可能性より、「再犯」の恐怖の方が、はるかに大きいのだから。
2009.03.19
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「花粉症」が「スギ」から「ヒノキ」へと移っているようだ。巷には、マスクの人があふれている。仕事をしていると、周囲にも花粉に悩まされている人が結構いる。一説によると、クシャミや目のかゆみといった、花粉症を代表するような症状が出ない人でも、何らかのアレルギー反応があるという人は、日本国民の80%にものぼるらしい。かくいう私も、アレルギー反応全くなしで生きてきたが、ここ2、3年、この時期になると、顔がかゆいことがある。毎日ではないし、赤味やプツプツを伴うことがないので、大掃除のときに舞い上がったホコリが顔についてむずがゆい、というような状態なのかもしれない。が、時期が時期だけに、敏感になってしまう。今後、鼻水、クシャミ、目のかゆみといった劇症が出ないとも限らない。いまの日本では、そうなってもおかしくはないという状況だ。が、周囲の人は口をそろえて言う。「君は大丈夫。昔の人間やから」と。「昔の人」の意味は、★好き嫌いなく、何でも食べるので、体が丈夫★子どものころの貧しい食生活ゆえ、雑菌がたんまりと体に入っている★野生児なので、「免疫システムの異常」が起こり得ない★文明病にはかからない★何が何でも丈夫そうということらしい。何とひどい。ま、美女の条件「低血圧、貧血、低体温」には全く縁がないので(低血圧だけど、朝起きづらいなどの症状はなし)、あながち間違っているとは思わないけれど。やがてやってくるだろう「花粉症」について思うとき、恐怖にも似た感覚を覚えるが、こんな記事を見つけては、さらなる恐怖が襲ってくる。もっとも、スイーツなど、10年禁止でも何ともないが……。ゆえに、こう置き換えた。「花粉症のつらさは、男前ウォッチ禁止に匹敵」花粉症のつらさはスイーツ禁止に匹敵=20~40代女性調査-民間会社花粉症のつらさはお菓子などのスイーツ禁止に匹敵-。ジョンソン・エンド・ジョンソン(東京)の調査で、花粉症による女性の「苦悩」が浮かび上がった。20~40代の花粉症の女性を対象に1月調査し、413人から回答を得た。 この結果、花粉症の鼻炎について「非常につらい」が42.6%、「ややつらい」が45.5%だった。「鼻炎が3カ月続く苦しさ」をほかの苦しみに置き換えると、「3カ月間のスイーツ禁止」が25.2%と最も多く、「家族・恋人・友人との外出禁止」「携帯電話の禁止」が続いた。【時事通信 2009年3月14日15時59分配信】
2009.03.14
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このブログで12月19日に書いた「知的障害者と犯罪の関係」に対して「自閉症」のお子さんを持つ方々がご訪問になり、ちょっとしたご要望もいただいたので、当該のブログで登場した「彼女」とのエピソードについて、少し書こうと思います。「彼女」とのエピソードは中学時代の3年間と、18歳になってからの再会という長期にわたるものなので、1回で書き切れるものではありません。何度かに分けて書こうと思います。★★★★★「彼女」は「ちーちゃん」と言います。だれかが教えてくれたのだと思います。中学に入学すると、出席番号順で私が1番、彼女が2番で、靴箱も座席も、朝礼などで並ぶときもいつも私が前、彼女が後ろ、という関係でした。入学式のときは、彼女は私の横の席にいました。視線が定まらないし、そわそわしているし、だれかの声がするとすぐに反応してそちらを見る、つまり、キョロキョロしてしまうので、私はすぐに彼女の状況が理解できました。理解ができた理由はよくわかりませんが、12年間の知識や経験から、理解できたのだと思います。私は名札を見て声をかけました。「○○さん(ちーちゃんの苗字)、前を向いて、私のような姿勢をしよう」ちーちゃんは、少し警戒したような目で私を見ましたが、肩に手をかけて姿勢を直してあげると、静かに前を向きました。入学式ですから、校長先生や来賓の挨拶などがあり、それがよくわからないちーちゃんには随分苦痛だったと思いますが、静かに前を向いていてくれました。式典が終わって教室に向かうとき、ちーちゃんの手を握って歩きました。ちーちゃんには、教室の場所がわからないはずだし、周囲の状況を怖がるのがわかっていたからです。ちーちゃんは、ようやくにこやかな笑顔を見せてくれました。その日から、事あるごとに「いのさん」(ちーちゃんが言う私の呼び名)と呼んで、私のそばを離れませんでした。特段、担任から何かを言われた記憶はありません。男性の年配者が担任だったせいもあるかもしれませんが、ちーちゃんのことを説明したり、「世話をしてやってくれ」といった言葉をかけられたことはありません。が、後ろから私の背中をつついて、「いのさん」と声をかけてくるちーちゃんの言いたいことを聞き、したいことをさせる方法を考えるのは、私の役目になっていました。我が中学は、3つの小学校の卒業生が集まってきていました。私はちーちゃんの出身小学校を卒業したわけではありませんでしたので、彼女の小学生時代のことは全くわかりませんでした。入学してから少しして、彼女と同じ小学校出身の女の子に聞くと、「ちーちゃんは特殊学級にいたので、私たちはよく知らない」という答えが返ってきました。私の小学校には特殊学級はなかったので(小学4年までいた学校にはあって、その意味は少しだけわかっていました)、参考にできる話はないと判断しました。ちーちゃんと一緒にいると、どうも見たことのない男の子からボールをぶつけられたり、スカートをめくられたりしましたが、意味がわからなかったので、知らぬ顔をしてやり過ごしていました。後でわかったことですが、ちーちゃんと同じ小学校出身の男の子らしく、特殊学級にいたちーちゃんをばかにしてなのか、差別してなのか、一緒にいる私を対象に意味のないことをしていたようです。私は鈍感な方なので、そんなことは余り気にしませんでした。ちーちゃんのような子を「差別する」という意味がわからなかったので、男の子たちの気持ちというか、下品で無意味な行動に理由を見出せなかったということです。説明が遅れました。ちーちゃんは知的障害児でした。それに伴って、言語にも障害がありました。自分の名前をかろうじて言えるくらいで、感情や状況の説明はほとんどできませんでした。「うん」「ううん」が主な言語ですから、こちらから言葉を用意しないと、自発的な発言はないという状態でした。しかし、体は大きく、発育もよく、力も強いので、ちーちゃんにとってはふざけただけでも、私には結構なダメージを受けることがありました。最初は我慢していましたが、気持ちが砕けてきて、彼女との接点が多く(大きく)なると、黙ってはいられなくなりました。「ちーちゃん、痛い! やめて」大きな声でたしなめても、ちーちゃんは私と遊んでいるつもりで更に力を強めて叩いたり押したりします。「ちーちゃん、やめてくれへんねんやったり、ちーちゃんとおんなじこと、するよ!」ちーちゃんと同じような力加減で同じようなことをすると、ちーちゃんが痛そうにします。「痛いやろ。人にこんなことしたらアカン!」ちーちゃんは少し寂しそうな顔をしました。そして、再び同じことをすることはありませんでした(実は、はしゃぎ過ぎたときなどは、たまに同じことをしました。その都度同じことを言いました。ちーちゃんは同じ表情をしました)。こんなとき、最初は「ゴメン」という言葉を言ってくれたことはありませんでした。でも、私が「謝って!」とか「いたたたた!!」などと大げさに言うと、次第に「ゴメンね」「痛かった?」と気遣ってくれるようになりました。そんなコミュニケーションができるようになったのは、ちーちゃんと出会って3ヵ月くらいの間でしょうか。1学期の間は席順も変わらないので、いつも一緒にいました。私は課外クラブに所属していましたから、部員の友達もいたし、同じ小学校出身者の友達もたくさんいたのですが、いつもちーちゃんと一緒に皆と集っていました。私の友達は、ちーちゃんのことをごく自然に受け入れていました。それは、私とちーちゃんの関係が自然だったからだと思います。屈託なく私について歩くちーちゃんのことを、皆が「かわいい女の子」と思ったからだと。体は大きかったけれど、小さな少女のようなかわいさを持った女の子でしたから。違和感を持っていたのは、同じ小学校出身の子たちだと思います。ちーちゃんの存在を知っていながら、ちーちゃんの笑顔を見たり、声を聞いたりしたことがない者がほとんどだったからです。「特殊学級」を変な目で見る癖のついている子たちが、ちーちゃんが楽しそうにしていることを受け入れることができなかったのだと思います。その下地として、親や担任の言動があったのではないかと思います。ちーちゃんを、一般の児童と区別するような言動を発した大人の存在が。中学生になっても、どの教師もちーちゃんのことを説明しませんでした。説明する言葉を持っていなかったのだと思います。「知的障害」などという言葉は使わなかった時代です。「知恵遅れ」とか、「精神薄弱」という、差別用語的な言葉を使わざるを得なかったのを嫌ったのだと思います。しかし、それは間違いです。ちーちゃんが、ほかの生徒と同じような学校生活を送る方法をきちんと考え、導く必要があった。教育者には。しかし、それは、ちーちゃんが卒業するまで一度もなされませんでした。★★★★★今回は、ちーちゃんのことと、ちーちゃんと私の出会いについて書きました。次回は、私がちーちゃんを自然に受け入れることができた理由について書きます。実は、子どもが社会生活を営む上において、そこのところが最も重要なことだと思います。
2008.12.28
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昨年、ブログで毒を吐いたのを思い出すと、1年って早いなぁと改めて思う。今年も、若手漫才日本一を競う「M-1グランプリ」が開催され、勝者が決定した。大阪のbaceよしもとを離れて今年東京に進出した「NON STYLE」だ。大阪NSC22期生で、同期に、今回一緒に戦ったダイアンやキングコングなどがいる。大阪では、情報番組のリポーターなどでレギュラー番組も持っていたし、コンビ結成9年目ということもあり、若手の中でおなじみの顔だった。が、その漫才の実力は意外と知られていない。大阪でもそうだから、東京なら存在自体を知らない人も多いかもしれない。受賞した賞も多い。2004年8月 第2回MBS新世代漫才アワード準優勝2005年1月 第26回ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞2005年8月 第3回MBS新世代漫才アワード準優勝2006年4月 第41回上方漫才大賞優秀新人賞2006年7月 第4回MBS新世代漫才アワード優勝2006年10月 第21回NHK新人演芸大賞演芸部門大賞2006年12月 第35回上方お笑い大賞最優秀新人賞2007年3月 NHK「爆笑オンエアバトル」9代目チャンピオンそうそうたるものだが、二人とも容姿が地味で、オーソドックな漫才スタイルを取っているので、奇抜さや派手さはない。しかし、細身で少々気持ち悪さのある石田くんはアドリブのきくボケだし、ツッコミの井上くんは、しっかりした声と根拠のない自信に裏打ちされた堂々とした態度がいい。「ブラックマヨネーズ」が勝った6回大会までの勝者は「順当」だと思えた。拮抗する実力を持つコンビが幾組かいて、その中で、特出したネタを披露し、二人の勢いやオーラを感じさせたコンビがグランプリを掌中におさめていた。前回のことは特に論評しないが、今回は、そうした流れを少し感じさせた。キングコングが敗退したのは、「勢い」と「オーラ」がなかったからで、NON STYLEとの実力差はさほどないと思えた。が、その場にいる人の心をグッとつかむのは、「勢い」と「オーラ」で、特に「M-1」に関しては重要な要素だと思う。ラサール石井さんは「自分としては、オードリーがトップだった」とブログで語っておられるが、オードリーとNON STYLEの違いは、「コメディ」と「漫才」の違いだと感じられた。オードリーの笑いは、ツッコミが言った言葉から遡ってボケの言葉やゼスチャーの意味を理解していくという作業が必要だった。対してNON STYLEは、ボケをボケとして理解できるので、ツッコミが鮮烈な言葉で突っ込んだとき、二度目の笑いを提供してくれる。これが大阪の笑いなのだ。つまり、ボケの台詞が究極まで洗練され、端的で的を射ている上、演技力が優れているので、即座に理解できる。ツッコミはボケのセリフの世界をさらに広げ、最初に笑ったときと違った角度で理解させてくれ、再度笑わせてくれる。テンポやネタの選び方、二人の絡み方に時代を映すものがあるが、ベースとして大阪の漫才はこのスタイルを継承していると思う。きっちりとしたこの基本スタイルがあるから安定感があるし、見る者はネタに対して無条件に感情移入できる。去年抱いたモヤモヤが解消されたので、私としてはいい結果だと思う。ちなみに、番組視聴率は、過去最高だったそうだ。平均視聴率は関東地区が23.7%、関西地区が35.0%。瞬間最高は関東が30.3%、関西が43.1%(ビデオリサーチ調べ)。ここ数年(10年近いか)、お笑いブームが続いている。不景気とお笑いブームに相関性があるようだが、景気がよくなってお笑いブームが去ったとき、どれだけのお笑い芸人が残っているかは定かではない。M-1勝者とて、うかうかしていられないだろう。ま、それはそれとして、閉塞感を抱えた毎日の中で、無条件に笑えるお笑いは、多かれ少なかれ世の中を明るくしてくれる。有能な若手芸人たちには、一過性の喝采や賞賛に奢ることなく、また、テレビ局の視聴率至上主義やショウビジネスの渦に翻弄されないよう真のお笑い道を極めてもらいたい。
2008.12.22
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先月末から報道を賑わしている「定額給付金」、給付の方法についていまだにもめている。報道を引用。◆◆◆政府・与党は(10月)29日、追加景気対策の柱となる定額減税に代わる定額給付金について、全世帯を対象に2兆円規模で実施することで最終合意した。 所得税と住民税が課税されない低額所得者の一部は対象外とする案も検討されたが、株価急落で景気の先行き不透明感が強まったことから、幅広く景気刺激効果を狙う必要があるとして、全世帯を対象とすることにした。 与党は当初、定額減税と減税の恩恵が及ばない非課税世帯に対する臨時福祉特別給付金の二本立ての対策とし、特別給付金は高齢者などの生活困窮世帯に限定する方針だった。高額所得者は定額給付金の対象外とすべきだとの意見もあったが、「所得額を把握するには法改正などの手続きが必要になる」(総務省幹部)ことから、年度内実施のために所得制限は見送られた。 具体的な給付方法は今後、支給窓口となる市町村と協議する。(2008年10月29日14時25分 読売新聞)◆◆◆この後、所得制限についての大臣クラスからの言及や、市町村からの突き上げ、総理大臣の姿勢を問う声を受けて「自己申告制」という非常にあいまいな方法によって、給付対象者を決めるという。きちっとした基準を設けるには、法改正が必要なので、立法に時間がかかり過ぎる、というのが理由のようだ。「私は高額所得者です」と自治体の窓口に申告して、もらわないようにする……というような人がどれだけいるのだろう。黙っていればもらえるのだから、黙っているだろう。このことをきっかけに、世に名前を出したいとか、芸能人の何人かが、何かの運動(寄付行為や、教育活動など)の一環として、団体で申告するとか、「人様からの施しは受けてはいけない、という先祖の遺言を守っている」というような、特殊な人物だけの、特殊な行動になってしまうはず。しかも! だ。当初、麻生首相は「景気対策」として打ち出した政策だったはずだ。公明党が主張していた「生活支援金」という考え方を受け入れてしまったために、おかしなことになった。実は、「景気対策」なら、生活余剰金のある世帯(低所得者ではない)に金をばらまいた方が、使う確率が高くなる。しかも、例えば給付金が6万円なら、“それを総額の一部として使う”という公算が大きい。ばらまいた2兆円以上の経済効果を生む。低所得者なら、預金かローンの返済に回るのがオチだろう。これでは一向に消費にならないし、景気対策とは言い難い。ただし、余剰金のある世帯に金をばらまく場合、「給付金」という名称には引っかかるはずだ。「生活支援金」などもってのほか。「贅沢応援金」とか「ライフアップマネー」なんてどうだろう。……話を戻して。もう「定額給付金」をなしにして、「景気対策」になる新案を打ち出すことでしか、麻生総理の支持率回復はあり得ない。右往左往し過ぎた。無様な格好を国民は見てしまった。策士の麻生さんも、今回はしくじった。アメリカでは、オバマさんが自動車メーカー支援策を推進するようにブッシュに詰め寄っているようだ。余りにもあからさまな行動で驚いたが、それがアメリカ的やり方なのだろう(自動車メーカーが大統領選でオバマさんを支持した)。ブッシュさんが動けば、アメリカに進出している日本の自動車メーカーはつらい立場に追いやられる。たかだか2兆円の給付金で迷走している場合ではない。日本経済を支えている自動車産業や、サブプライムを初め、世界的な経済不安で厄介なことになっている金融機関の支援も必要になるときが早晩やってくる。いずれにしても、「定額給付金」は「消費税」とセットになった、将来が暗い政策だ。もっと画期的で、国民の目が覚めるような大胆な政策を打ち出すことだ。自民党はもちろん、民主党にこそ、その使命が託されているのではないか。そろそろ、起きてもいいのではないか。民主党。いつまで眠っているのだ。
2008.11.11
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きょうは、同居人の両親との新年会でした。相変わらず元気で、精力旺盛な両親は「焼肉するぞ」と通告してきました。焼肉の大好きな同居人は、あえて空腹に耐えつつ両親の待つ実家へ。そこに待ち受けていたのは、「鶴橋で買ってきたんだ」と義父さんが胸を張るホルモンの数々。「シマチョウ」「アカセン」「ミノ」「タン」「ハチノス」「ホルモンミックス」、そして唯一「肉」と言える「カルビ」。総重量約2.5kg。レシートを見ると、一般市場小売価格の半額以下で購入できたようで、“さすが鶴橋”といったところ。狂牛病騒動があって以来、モツ鍋ブームの再来もあって、ホルモンが劇的に高くなっています。以前は「シマチョウ」をキロ単位で購入していましたが、安い日には100g=90円程度でした。が、いまは、平気で300円を超える高値に。「ホルモン」は、“スタミナのつくホルモン剤のような食べ物”という意味と、“ほる(関西弁で捨てる意)もん”という意味があるという食べ物。事実母親が若いころには、「共同炊事場に捨ててあるのを見て気持ちが悪かった」と言うほど、日本人にはなじみのない食べ物だったようです。結果、4人で2kg近くの肉と、トウモロコシ、椎茸、キャベツ、サツマイモといった野菜類、ちょっと置き過ぎて酸っぱくなったキムチをしこたまたいらげ、「満腹、満腹」という状態でお開きになりました。2月も半ば過ぎという時期に新年会とはおかしな話ですが、酒飲みは何かにかこつけて集まりたがるもので、次の機会は「母の日」前後でしょうか。今回は肉(ホルモン)だったので、次は魚……回転寿司……か。
2008.02.16
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大阪で、すごい事件が立て続けに起こった。一つは、「小銭強盗」だ。男性の背後から片言の日本語で声をかける者がいて、「オチタ、オチタ」と言う。足元を見てみると、小銭が散らばっている。男性は自分が落としたのだと思い込み、それを拾うことにした。拾い終わって振り返ると、足元に置いたバッグがなくなっていて、片言の男の姿もなかった。足元に置いたバッグの中には、従業員に渡すはずの給与800万円余りが入っていた。男性は建設関係の会社の社長で、きょう配るはずの給与を信用金庫から引き出してきたばかりだった──。恐らく、信用金庫から後をつけてきた外国人の犯行だろう。もう一つは、ものすごく残忍な事件だ。昨日夕方、突然押し入ってきた男に母親は粘着テープで冷蔵庫に張りつけられ、子どもは口を粘着テープでふさがれて窒息、死亡した。男は出産祝い金の5万円ほどを奪って逃走した。警察は「強盗殺人事件」として捜査を開始した。自宅は母親の実家で、夫は大学4年生。今春の卒業後、結婚して同居する予定。子どもは生後わずか18日だった──。これも、犯人は日本人だろうかと疑問に思う。子どもの声を気にしたとしても、生後18日の赤子など、どんな反応をするかわからない。窒息死させるほどひどい張り方をする必要はないだろう。「死んでも仕方ない」という未必の故意があったとしか思えない。この二つの事件が外国人犯罪者の仕業だと断言することはできないが、この類いの事件に外国人がかかわっていることは極めて多い。昨年、やり逃げして自国に帰国してしまった犯罪者を他国政府が裁いてくれるという特例があったが、ほとんどは「やり逃げ」状態で、裁かれることはまずない。ゆえに、日本に犯罪のためにやってくる犯罪者がものすごく多い。万が一、日本で裁かれるとしても(「犯罪人引渡し条約」を締結した国の犯罪者)、日本の要請により「代理処罰」をするにしても、犯罪者はどちらが罰則が緩いかを見極めて、日本を犯罪地に選んでいるように思う。入国審査が緩い、犯罪における処罰体制が緩い、罰則が緩い、人間が緩い、で、日本は、世界の犯罪者の標的になる。「身を守るのは自分」、にも限界がある。国、自治体、警察のドラスティックな対応を期待したい。でないと、一人暮らしの女性は怖くて生活してられない!!
2008.01.17
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今年もあと1週間足らずで師走。年の瀬です。12月に入ると、驚くほど1日、1週間が短くなるので、注意が必要です。そう、歳暮、集金、大掃除、年賀状……。中でも、年賀状の投函期限が25日ということを忘れてはなりません。今年の年賀状配送は惨憺たるものでした。郵政省時代と違い、“2日も配送する”ということだったので、わずかながらでも期待したのです。悪い習慣ですが、私は宛名を手で書かないと気が済まないので、休暇を取ることのできる年末30日か31日に宛名を書き、31日ギリギリか元日に投函するというのがここ十数年の習慣で、これだといいところ1月3日の到着ということになってしまいます。3日より2日の方がいい。もっとも、私の宛先はほとんどが企業なので、初出の4日~遅くて7日くらいでよく、2日配送によって気が楽になるのは、友人知人のせいぜい30人程度ですが。それでも、随分気持ちが違いました。しかし……、フタを開けてみれば、早いところで3日、ひどいところになると10日過ぎの到着となってしまいました。大抵、年賀状を送った先はいつ到着したかなど教えてくれない。「投函が遅かったんだな」と勝手に解釈し、ややもすると「うちはそんな重要な発送先じゃないんだ」「うちをバカにしとる」と受け取られ、企業の信用をおとしめてしまう。私の場合、たまたま「年賀状、遅かったね」という連絡をネタに、食事に誘ってくれた社長がいたからわかったのです。このことは、全国共通の事象だったようです。配達員(エリア制)の個体差があるのかもしれませんが、基本的にこういうことを許す体制にあったということは想像に難くないところ。そして、郵便局は言います。「25日までに投函してくださいと告知してあったでしょう」と。郵政省のころなら、25日以降に投函しても、都市部なら1~2日で相手先に到着していたと記憶しています。すべては「サービス」の一環という暗黙の了解がありました。が、民間企業への歩みを始めた郵政公社には、上記のような言い訳が是とされるのでしょう。「25日以降に投函した年賀状を元日に届けるなら、割り増し料金をいただきます」などと言い兼ねません。今年も40億枚だかの年賀状が発売された(売れ残っているかもしれないが)そうです。国民一人あたり、40枚弱。企業発送分があるので、実際はもっと少ないでしょう。発売毎数は年々減っているようです。納得。景気のよかったころと比べると、うちの会社から発送する年賀状も1/3になりました。相手がいないのです。「倒産」「出向」「退職」「転職」など、昔の知り合いが軒並みいなくなっています。「夜逃げ」「失踪」「死亡」なんていうのも少なくないという現実。「年賀状は、贈り物だと思う」なんてタルいキャッチフレーズで年賀状が売れると思っている間抜けさも、現代風のお年玉に大改革しながら、何らシズル感を与えない当たり前さも、「年賀状」をきちんと見詰めずに、郵政省のころの延長線上に単に「郵便」という位置づけでとらえてるのも問題ですが、「配送」に力を入れない姿勢は最も信用なりません。気をつけてください。25日の投函を絶対としてください。そして、記録してください。何日、何時何分にどこのポストに投函したということを。普通郵便は、相手に到着しなかったとしても、弁償も謝罪も補償もされません。郵便局は、年賀状の発売を促進したいなら、変な代理店(天下のD通でしょうが)に依頼せず、私に言ってきなさい。きちんとしたSP戦略を立案・実行してあげます。もちろん、「プレミアム」「インセンティブ」といった、経済理論にかなった、儲かる方法で。ほほほほほ。 法螺
2007.11.25
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福田「総裁」が誕生した。「総理」誕生はまだだが、参議院の位置づけからすると、福田さんが総理総裁になるのは間違いないだろう。個人的には、これは当然の流れだと思う。小泉さんなき後(亡くなったわけではないが)、“プリンス”安倍の擁立があった。400票以上の圧倒的得票数を集めて総裁及び総理になった安倍さんだが、いかんせん、小泉さんほどの独断力がなく、旧態依然とした自民党的政治に終始したため、古参議員の意見や存在が陰となり、日向となって、急速に求心力が衰えてしまったのだと思う。小泉さん以来、“ヒーロー”が必要になってしまった国政の場で、安倍さんは“プリンス”でも“ヒーロー”でもなく、常識家にして極めて自民党的だったということが、ネックになったのだと思う。もう終わったような古参議員に押される安倍さんを見て、“勝ち馬に乗る”体質が強烈な自民党議員は、次のリーダーを探し始めた。最初は、個性が強烈で、“ヒーロー”的要素の強い麻生さん。が、自分のポストに執着する議員は、暴れ馬的な麻生さんより、「実力」があり、「堅実」で「常識家」の福田さんの方が“確実性”があるというわけで、あっさりと乗り換えてしまった。いや、あるいは、安倍内閣はアイドリング期間で、福田内閣発足のシナリオは着々とつくられていたのかもしれない。「知らぬは麻生ばかりなり」だったということか。が、意外にも麻生さんが善戦した。麻生さんに票を投じた自民党議員・党員の多くは、「次の内閣」を見ていたのだと思う。年内にも「解散総選挙」があると踏んでいるのだろう。それまでソツなく党内をなだめ、総理として内閣を動かせる人物が必要で、それが福田さんだったということなのだと思う。が、総裁選である程度の数字を上げないと、福田さん擁立に協力した次の総裁候補の谷垣さん、額賀さん、町村さん等々が台頭してくるに違いない。総裁選に3回も出馬し、体力も金を使ったという事実から考えると、安倍さんと同様「サラブレッド」の麻生さんにとっては、極めて異例の努力をしたのだろう。そのことはよく理解できる。それが自民党のやり方であり、戦後政治の全容だと言える。が、問題は、麻生さんにシュプレヒコールを送っていた若者だ。麻生さんの政治信条に共感したとは思えない。理由を想像してみる。●若者にとって、日本の未来は不安●若者は日本の未来がないのは、政治が悪いと何となく思っている●自分たちにとって悪い政治、内閣の中心は安倍さん●安倍さんがやめると、政治がよくなるかもしれない●新しい総理が誕生しそうだ●マンガが好きで、気さくな麻生さんが総裁選に出る●麻生さんなら、自分たちの気持ちをわかってくれるかもしれない●麻生さんは自分たちと同じ言語を持っている●麻生さんを応援しようという、浅薄な理論構造に陥っていることは想像に難くない。が、政治はそんなに簡単なものではない。外交も、国防も、経済も福祉も考えなければならない。やる気をなくし、生きる意味を見い出せない若者の声を汲み取るほど親切ではない。が、シュプレヒコールだ。よほど熱中できるものがないのだろう。大きな声を挙げる機会を得て、有り余ったエネルギーを放出しているということだと思う。麻生さんは破れた。しかも、古賀さん、谷垣さん、額賀さんという名前が入閣するというような、想像どおりの情報が流れている。麻生さんが入閣するというようなことだけは避けてほしいと思う。これまでの自民党なら当たり前のことだが、麻生さんにシュプレヒコールを送っていた若者の夢を打ち砕くようなことだけは……。有り余ったパワーをどう活用するかわかったものではない。期待しただけに、裏切りは許せないだろう。素人が予想できるような人事や政治方針は、若者には許せないに違いない。「何かが変わる」「変えてくれる人」と思って、麻生さんを応援していたわけだから。が、それほど麻生さんを信じていたわけではないかもしれない。声が出せる場所、感情をあらわにしても許される場所を求めていただけのことかもしれない。有名人が亡くなると、生前のその人に興味がなかった若者までがゾロゾロ集まって、泣きながら焼香する意識に近いのだろう。新しいことが嫌いで、人の意見を聞かない、国民軽視の自民党には全くなじまないことだ。 爆裂
2007.09.24
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恐れていたことが起こってしまった。首相がキレた。キレるだろう。党が全く守らない。リークやつつき合いの嵐。国民の民意は左向け左だ。マスコミは批判ばかり。だれが見てもおかしな政治家が支持を得て巨大化している。やめたくなるのもわかる。テレビでは、「無責任」「なぜいま?」「お坊っちゃまだから」などと言っているが、少し前まで「なぜやめない!」「責任を取れ!」「支持率急降下」と報道していた。安倍さんが小泉政権で手腕を発揮したときは、「サラブレッド」「国民人気」「若きリーダー」などと持ち上げておきながら。街頭インタビューでおばさんが「任命した人があれだけ悪いことをしていたんだから、責任を取るべきでしょう」などとしたり顔で言っていたが、数万から数十万の領収証が問題になった閣僚がいたら、一国の首相が辞任すべきなのか。申し訳ないが、国民は、自分のレベルで政治家を非難するのは控えた方がいい。そんなことをしていると、「経済大国・日本」の名が廃る。「続投を決意したなら、やり通すべき」などとマスコミは言うが、辞意を表明する寸前まで、あらゆる角度から非難していた。「やり通すべき」などという言葉が出てくることに驚いてしまう。だれも、「べき」とは言わなかった。「べきではない」と言われ続け、国民から低レベルの批判を突きつけられ、気持ちの悪い政治家が勢力を巨大化させて威圧すれば、首相と言えど人間であり、心も神経もあるのだから、折れてしまうだろう。このことでわかるのは、政治の世界は、「混沌としたいじめの泥沼」だということだ。官僚の反感を買い、党内のやっかみを受け、国民の浅薄な批判を耳にし、無意味に巨大化した野党の攻撃を受ければ、「自分は何のためにこのつらい立場を受け入れなければいけないのだろう」と思うのが心情だ。もちろん、そんな、一般人のような感性の人間が政治家をやってはいけないのは事実だ。野党第一党の党首のように闇に暗躍し、国民の意見などには耳を貸さないというのが政治家たるものだと思う。が、それを拒否したのが日本国民だったはずだ。小泉さんがそうだ。国民の目線で政治を見、国民と同じ言葉で語る小泉さんを支持した。政治家然としたO党首にNOと言ったはずだった。が、情勢は逆転した。がっかりだ。安倍さんに対してではなく、国民に対して。そして自民党に対して。国際的な日本の評価はガタ落ちである。株価や円相場にも影響を与えるだろう。閣僚の不祥事の責任を取るとか取らないとか、指導力がなかったなどという次元の話ではない。「日本」の「首相」の「辞任」である。どうして日本人は、上げ足ばかりを取り、重箱の隅をつつくような批判をするのだろう。「監視」と「批判」は必要だ。が、自分たちを代表する立場の人を「支える」ことも必要だろう。自民党は何がしたいのか。次に首相になる人員がいるのだろうか。麻生首相につなげるような人員が。今回のこのことは、麻生さんが謀ったことだと思えて仕方がない。 自爆
2007.09.12
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おかしなその人々その5【恐妻家医者の悪事】若いころ、知り合いの紹介で医者と出会った。国立病院に籍を置きつつ、日本各地の病院から招聘され、執刀する腕のいい脳神経外科医ということだった。私が紹介されたのは、近く独立して自分の病院を持つので、パンフレット類をつくってほしい、という依頼からだった。一度食事の席を設けてもらって面談すると、医者はすぐに発注を約束した。身長が180cm以上あり、ハンサムでいかにも優秀そうな話し方をしていたし、家柄がよさそうだった。若い私はこの医者を疑いもせず善人だと受けとめた。打ち合わせのため、国立病院に出向いたことがあった。その医者と一緒に病院内を歩いていると、看護婦や医者が私をジロジロ見る。喫茶ルームでお茶を飲みながら打ち合わせをしていると、ヒソヒソ話をする者もいた。今から思えば、私はスーツ姿だったが、髪型がソバージュだったし、口紅も赤く、高めのパンプスを履いていた。きっと、お水系の女と思われたのだと思う。そればかりではなく、この医者は手癖が悪く、看護婦、医者、お水、さまざまな女性をお手つきにしていたようだったので、私はその一員に加えられたのだ。私25歳、その医者、38歳のときだ。そのことを、紹介してくれた知人に話したら、「先生はモテるからなぁ。女好きなのも確か。けど、よくやるよ。ものすごい恐妻家なのに……」と言った。私は安心した。「恐妻家」はチョロチョロと女に手を出すが、深みにはまる勇気はない。きちんと断れば、深追いはしてこない。パンフレットが順調にできつつあるとき、医者が電話をしてきた。夜中だったし、少々酒が入っている感じがした。が、デザイン費や製版・印刷費が発生してしまった後である。料金を回収するまでは、むげにはできないと覚悟した。「私の秘書になっていただけませんか?」「私、医療関係の知識はほとんどありません」「いいんです。私のそばにいてくださるだけで」これは、“愛人になれ”ということに違いない。「……それでは、周囲が許してくれないでしょう」「それなら、あなたにできることをやってください」「病院が遠過ぎます」(私の居住地の隣の県だった)「部屋を用意します」話が本格的になってきた。どう断ろうかと思案した。「そんな出費は、奥様に認められないでしょう」内心、これはやった! と思った。「奥様」という禁句で絶句に追い込んだと思った。が、甘かった。「看護婦寮なら、妻にもわかりません」驚いた。愛人を看護婦寮に住まわせるという感覚は理解できるものではなかった。看護婦の好奇の目にさらされ、ジクジクといじめられることは想像に難くなかった。何にしても、恐妻家の医者の強行な態度に、私は少々恐怖を感じた。医者の申し出を拒絶できる“何か”を探した。「お給料はどうなるでしょうか」「幾ら欲しいですか?」「いまの収入くらいは確保していただきたいと思います」「それはそうですね。いまの収入は幾らですか?」「850万円です」嘘だった。それは売上額だった。収入は400~500万円程度だったと思う。「850万円……、考えさせてください」電話は切れた。余りにもあっけない幕切れだった。“交渉”とか、“アイデアを提案”してきてもいいではないか。「金」という最も基本的にして大きなテーマを考慮していなかったことには驚いたが、それがお坊ちゃまで苦労知らずの医者の発想だろう。電話以来、私はお払い箱になった。つくったものの料金は回収できたが、少々気分が悪かった。その1年後くらいに酔った医者から電話があった。「会いたい」というようなことを言っていたが、適当にいなした。3年ほどで、医者は行方をくらました。患者を回してくれていた恩師とケンカしたとかで、患者数が伸び悩み、経営がたちまちにして立ち行かなくなったようだ。詰めが甘く、読みが甘く、人との接し方が稚拙なお坊ちゃま医者の末期というべきだろう。いま、どこで何をしているのだろう。まだ、世間知らずな人生を送っているのだろうか……。 合掌
2007.09.08
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夏バテにはなったことがなかった。夏生まれという持って生まれた体質(汗腺が多い、冷点が多いなど)のせいか、比較的夏に強いのだと思う。が、大阪の近年(過去10年ほど)の気温は異常だ。夏場の平均気温が沖縄のそれを超えるという想像もできないような事態を引き起こしている。「エコロジー」の概念は理解できるが、エアコンを使わないで過ごすことは、「熱中症→死」を意味する、というほど暑い。というわけで、いくら夏に強い私でも、どうにもならない事態を経験している。「夏バテ」は、“気温が高い”という要件より、“湿度が高い”ことの方が影響していると思われる。「暑い」より「不快」と感じる度合いが影響しているということだ。というベースがあり、何があれば夏バテになるのか…。それは、「体が冷えている」ことだ。●バスタイムはシャワーで済ます。●毎日冷たい酒を飲む●夏場は脂肪や動物性タンパク質を受け付けない●便秘気味●辛いものが苦手●運動不足●不眠症●肩凝り●足先、手指が冷たいなどなどの症状や状態は、体が冷えていることが引き起こしている。少しでも気になる項目があるなら、こんな対策を取ってもらいたい。●湯舟にゆったりつかる(39℃に30分)●ショウガを使った料理か生姜湯を摂取する●運動をする●2時間置きに、熱いお茶かコーヒーを飲む●1日に30分程度歩く体質によっては、合わないものもあるかもしれない。が、体内を温めることは極めて重要だ。“夏バテ気味”と思うなら、どれか一つでも実行してみてほしい。特に女性は。体が冷えることは、百害あって一利なし、である。夏バテ予防と解消法を知ることは、日本人の健康を守る上で、必要不可欠だと思う(近代化の波の中で、中国人が忘れつつあることだ)。体を冷やす「酒(ワインを除く)」「甘い物」「肉類」「夏野菜」を調整しながら摂取して、夏バテをいなしてほしい。そうしないと、日本の未来(医療費増大化によって)はないと思う。 合掌
2007.08.22
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【我慢の限界──タバコ】我が最寄り駅の喫煙コーナーが移設された。元は西の端にあったのだが、東の端に移ったのだ。この駅は自殺の名所として名高かった。多分、東の端から飛び込む者が多く、それを防ぐための措置だったのかもしれない。中央の階段を挟んで、ホームは西と東に分かれているのだが、私は、目的駅の関係上東の端に乗るのが最も効率的だ。つまり、喫煙コーナーに最接近する必要がある。改札を抜け、東側のホームに降りる階段の最上段に立ったとき、もう煙草の匂いがする。なるべく息を殺して歩く。ホームの東端にいる人物を確認してゲンナリする。水商売を経験した(現役中か)ようなおばちゃん、汚らしいとも言えるようなファッション(大阪独特)のハデハデおねえちゃん、うらぶれたサラリーマン、ストレスがたまっていそうな中年ビジネスマン……。「あなた方の吐いた有害な煙を、このホームの人々全員が吸うことになるのですよ!」と叫びたくなる。おまけに、日本一平均気温が高いと言われる大阪だ。不快指数はグンと跳ね上がり、殺意さえ覚えるようなイライラ度になる。息を潜め、身を固くしながらようやくのことで電車に乗り込む。すると、横に立ったおやじ、横に座ったビジネスマン、風上にいる女性から強烈なタバコの匂いがする。どうしても、タバコを我慢できない人間がいるのだろう。降車駅に着いて改札を出ると、途端にタバコの匂いが漂ってくる。道を歩いていてもそうだし、コンビニの入り口にたむろしている女性やおやじが吐く煙も臭い。家を出てから会社に到着するまで、どれだけタバコの不快な匂いをかがねばならぬのかとゲンナリする。日本は確実に「タバコ後進国」である。会社や飲食店で中途半端に「禁煙」とするから、歩きタバコが増えるし、吸えるところでまとめ吸いするのだと思う。もっと、厳重な法規制が必要だろう。こういうことを言うと、「なら、タバコを売らないでほしい。売っているからには、吸う権利を確保してほしい」という喫煙者がいる。「タバコを買うことで、すごい税金を払ってるねんで」とも言う。が、そのくらいの税金は、タバコが原因で使っている医療費や街の清掃費に消えるどころかマイナスになっている。しかも! だ、間違ってはいけない。日本国民にはタバコを買う権利はあっても、吸う権利はないのだ。もちろん、「ダメ」と言う人がいなければ問題ない。が、「ダメ」という人の権利が優先されるべきだ。なぜなら、タバコの煙には明確な害が認められるからだ。アヘンにしても、酒にしても、ヒロポンにしても合法な時代があった。それは、害がわからなかったからだ。が、害がわかった時点で何らかの法規制がされ、世の中からあるべき形で排除された。ではなぜ、タバコは排除されないのか……。難しい問題だ。「害」が具現化するのが緩やかで、科学的根拠を確定するに至らない事象が多いからだろうか。ま、科学的根拠が確定したところで、これを世の中からなくそうとすれば地下に潜り、そっち系の資金源になるのは確実だろう。あいまいな状態で置いておくしかないのだ。が、肉体に悪影響を与えるのは火を見るより明らかだ。先進国・日本に生きる普通の人は、そろそろタバコを手放すときに来ているだろう。それをもできないとなると、人としての文化レベル、あるいは“我慢”や“忍耐”に耐えられない現代人のもろさを露呈することになるだろう。本当に思う。何とかならないだろうか。タバコの煙アレルギーの私にとって、室外は地獄だ。いや! 室内にいても、隣の事務所の社長がまき散らす煙、隣家のおやじが朝早くから放出する煙に防御するすべを見い出せないでいる。市街地では歩きタバコの規制が進んでいるというが、我が居住地では全く対応されていない。このタバコ地獄から解放されるのは、一体いつになるのか……。それまでに呼吸器系が冒されないようできるだけの注意をしよう。ガンにかかっておかしくない年齢に達した者にとって、タバコの煙がいかに苦痛かを、喫煙者にはわかってもらいたい。……無理だろう。それが喫煙者だから。 沈没
2007.08.18
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創作【前世の結末とは……】私は、「湿」「濡」「陰」が大嫌いだ。「水」は大好きだ。海も、プールも、泳ぐのも子どものころから大好きだった。いわゆる“ジメジメ”が嫌いなのだ。海は好きだが、岩場のコケが、プールは好きだが、トイレのジメジメがどうにもならないくらい嫌いなのだ。小学校の遠足で、公園にビニールシートを敷いてお弁当を食べることになった。前日雨天だったせいで地面が濡れている。しかも、大きな木の根元には、コケがたんまり自生している。「どうしたん、こっちにシート敷きや」そんな友達の誘いを断固断って、私はできるだけ渇いたところで立ってお弁当を食べた。こういう事態に象徴されるように、私にとって“ジメジメ”は、そこに立っているとムズムズするほど気になり、そこにいろと言われると気分が悪くなり、手で触れたり、視線を落としたりすることが苦痛な存在だった。そのことを人に話すと、「前世に関係あるかもね」「前世で、コケのあるところで殺されたのかも」「前世の最後に見た光景が、コケだったのよ」そうかもしれないと思った。苦しい死に方をした前世があり、その最後のときが、ジメジメした場所だったのかもしれないという意見には、納得ができた。“ジメジメ”がいやだと気づいたのは、多分小学3年生くらいだ。が、よほどの状況だけだった。畦道を歩いたり、河原で石投げをしたりするのは平気だった。決定的にいやだと思ったのは、中学のときだ。プールのトイレで気づいた。それ以来、“ジメジメ”のいや度が徐々に増している。最近では、旅番組なんかで、“野趣あふれる露天風呂”などとして、苔むした岩場の温泉が紹介されると、すかさずチャンネルを変えるほどだ。そのたびに、前世の自分を悼む。そのことを知っているパートナーに、ドライブに誘われた。「暑い日のストレス解消にぴったりの場所だよ」その言葉につられて出掛けた。少しいやな予感を持ちながら、足を踏み入れたのは低い山のハイキングルートだった。ジメジメしていないか心配だったが、天気もよく、日当りのいいルートだったので、思い切って進んで行った。しばらく歩くと、道なき道に進んでいることに気づいた。「これって、ハイキングルート?」「ん? ハイキング……じゃないけど、ルートはルートだよ」“ルートはルート”という言葉に引っかかりながらも、パートナーが私にとっていい環境を与えてくれるのだと信じ、ついて歩いた。が、予想に反し、私が嫌う光景がその度を増していく。ジメジメやコケが増えていくのだ。「どんなとこに連れていってくれるの?」私は辛抱たまらず、パートナーに声をかけた。「ん?」パートナーが振り返った。「ストレス解消の場所ってどこ?」「もう少しだけど、なんで?」「結構いやな環境なのよ」「これが? 自然豊かないい場所なのに」「ジメジメしている場所が嫌いなのは、知っているじゃない」「知っているよ。でも、これが、君の人生のルートなんだよ」パートナーは、余裕の笑みを見せた。私には、その意味が理解できなかった。「お前がジメジメやコケがいやな理由はこれだと思うよ」そう言うと、パートナーは私に近づき、一枚の写真を見せた。そこには、私に似た人物が大きく目を見開き、事切れた姿が写っていた。その頬は、青々とした苔に埋まっていた。「こ、これ、前世の私!?」私は叫んだ。するとパートナーは静かに言った。「いや、お前だよ」パートナーを見上げた私の目に、パートナーの右手に握られた、「コルトパイソン」が見えた。再び視線を写真に落とした私は、「コルトパイソン」の銃口が右上に写っていることを確認した。ドォゴーン前世の記憶ではなく、現世の予知能力……
2007.08.06
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中国人は、「世界の歴史をつくったのは中国人だ」と思っているようである。中国の歴史が4000年と言われている。が、それが「最古」とは言い難いし、4000年というのも基準があいまいだと思う。いずれにしても、「中国人が世界の歴史をつくった」というのは、言い過ぎだと思う。なぜなら、これほどいい加減な人種に、世界の歴史の出発点を見るのは困難だと考えるからだ。以前聞いた話(検証はしていない)だが、中国人の多くはO型だそうだ。ちなみに、インド人はB型、朝鮮人はA型、アングロサクソンはO型だとか。血液型に一定の法則を見いだすのは少々強引だとは思うが、何となく“体感”として理解できるような気がする。日本人が認識する“O型”は、いい言い方をすると「おおらか」「懐が大きい」だが、悪い言い方をすると「いい加減」「何でもアリ」ということだ。それに、歴史観が加わる。中国は、何でも“捨てて来た”という過去がある。世の統治者はゴロゴロ代わり、中心地もあっちこっち移動し、流入してくる人種、流出していく国民、国境線をどうやって引いたのか理解できないような多民族、多人種、多文化……。日本のように、「市町村合併で地名が変わるのはいや」「ダム建設で水没する故郷」「ふるさと納税」などと細か過ぎるほど細かいことが言える島国・日本とは背景が違う。「地域」より、「友達」より、「文化」より、「国家」を重要視することを強要され、しかし、「自分」や「家族」を何よりも中心に考える中国国民のあり方の源流は、その歴史に見ることができる。このようにして形成された「利己主義」的いい加減さに加え、情報量が激しく少ないことも問題だ。政府の情報統制による情報の少なさは日本人の想像を絶する。殺人や大事故、災害といった大きな事件・事象があろうと、国際的に中国が非難されようと、世界のどこかで天変地異が起きていようと、中国政府が「有益」と思わない情報は一切流されない。それどころか、そうした国の姿勢が「正しい」と教え込まされる教育が存在するのだから、いかなる情報があろうがなかろうが、正しく分析する能力は国民にはなかろう。それをいいことに、“やり逃げ”を企てるヤバい奴らが暗躍する。儲けるだけ儲けて、非難を受けたり、法的な責任が発生したりすれば、会社を捨てて(廃業)、トンズラし、また違うところで新しい会社を起こし、次の悪どい商売で一儲けすればいい、そう思っている輩が大勢いるようだ。また、それがまかり通る。国土の大きさといい、戸籍制度など国民を把握するシステムがない国であるというファジーさといい。そういった背景によって、昨今のさまざまな事件が勃発しているのだ。南米で、中国製の咳止め薬を飲んだ人のうち少なくとも400人が死んでいるという。人毛でつくった醤油だとか、排水から取り出した天ぷら油だとか、有害物質の入った歯磨きだとかペットフードだとか……。20世紀の大きな世界規模の戦争にも加わらず「眠れる獅子」から「死んだ豚」だと揶揄された中国が、21世紀に入ってから猛威を振るっている。しかし、眠っていた時間が長過ぎた。その間に文明が余りにも進歩してしまっていたのだ。「世界基準」に追いつくまでに、相当な時間を要するだろう。そしてその間、「権利」「自然環境」「労働環境」「国民生活」「思想」に対して悪なるものを垂れ流しながら、13億以上といわれる人民を従えて世界を荒し回るのだ。当然、中国が敵視している「日本」は、数々の弱みを持っているせいか、強気の態度で攻めてくるだろう。日本人は、心して対処しなければならない。「歴史も、文明・文化も低く、サル真似しかできず、戦争責任をうやむやにする日本人はかっこうの標的だ」と思っている中国人を甘く見ることなかれ。 撃沈
2007.07.08
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【切羽詰まった最終作戦 なんとその2】火曜日と木曜日は小料理屋「T」に出向くことが多いが、それは、常連客どもが少ないことを知ってのことで、木曜日に来る常連客といえば、常連客その1とそれに誘われて来る常連客その2くらいのものであった。ところがここのところ、木曜には来たことのなかった常連客3が来て、その上その5も来るのだ。申し合わせているように思えて仕方がない。常連客その1とは仲がいいので、いろんなおしゃべりをするのだが、常連客その3はそれをすかさず遮る。その5も割って入って、その1と私が話をする隙を与えない。きょうも、常連客その1との会話を遮る形で、常連客その3とその5から、意味のないことをいろいろ話しかけられた。同じ客であり、サービスをする必要もないので、それなりの返答をしていなしていた。常連客その3と5は、20時くらいに帰る必要があるようで、先に席を立った。すると!! こともあろうに、カバ体型で女々しい男常連客その5が私に近づき、異様に太い指で、私の肩をつついた。「ごゆっくり」そんなことを言うために、肩に触れる必要があるのか!隣に座っていた、常連客その1の目がその5の指先を追った。常連客その3と5が店を出た後、その1が言った。「触ってましたな」常連客その1は、私がその5を疎ましく思っているのを承知していた。「ねぇ…、まいります」店が閉店するまでのあと3週間足らずではあるが、追い込みをかけてきた常連客その5の動向には注意する必要があるようだ。小料理屋「T」の閉店によって、常連客5とのつながりが0になるように、一つずつ断ち切っていく作業をせねばならない。相手は、関係を一つずつ増やしていく作業をしてくるはずだから。 南無
2007.07.05
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その24【仏教学校に棲む何か】私が卒業した高校は、創立80年を超える歴史ある学校である。校歌は、作詞:北原白秋・作曲:山田耕作という、これまた巨匠の名前が登場する。歴史があるということと、財力があったせいだと思うが、建物の構造が今風ではない。天井が高く、それに合わせて窓も高い。要は、“無駄”がまかり通っていたのだ。ではあるが、スペースは制限されていたはずである。何しろ、校舎は寺の境内に建っていたのだから。教室からは見えないのだが、トイレの窓を開けると、裏に広がる墓地がすぐそこに見えるのだ。場所が場所だけに、ゾッとしない。ゆえに、窓に近い一番奥の個室には入らないようにしていた。在学中、ひょんなことから生徒会に属することになった。中学、高校併せて3000人という大規模な学校だったので、学園祭(文化祭・体育祭)というと、準備に大変な時間がかかる。で、生徒会の面々は、数日間学校に泊まり込んでの作業を強いられる。後輩二人、同学年の役員と一緒に4人で体育館にレンタルの布団を敷き、体育館を出るとき、同学年の役員に目配せして電灯のスイッチをOFFし、ドアをバン! と閉めて猛ダッシュした。「イヤー! センパーイ!」という声を背中で聞きながら、走って生徒会室に戻った。ほどなく、後輩二人が走り込んで来た。「ひっどーい! 先輩!!」「電気消しても暗くなれへんかったやろ」「もうっ! 恐かったー」「電気消したくらいで、大袈裟な」「電気はいいんです。外の明かりが入ってきて暗くなかったから。でも……」「それやったら、何が恐かったんよ」「ドアを閉めたでしょう」「閉めたって、カギを閉めたわけじゃなし、押したら開いたでしょうに」「押さえてたもん!!」「え?」「ドアを押さえてたでしょう?」「押さえてないよ。ドアを閉めてすぐ、ここに走って戻ったもん」「うそっ!!!」同学年の役員と顔を見合わせた。後輩の言っていることが理解できなかった。ドアを押さえたという事実はない。「押さえてないよ」「だって、手が見えたもん! ドアを押さえている手が見えたもん」「何本?」「2本! こうやって押さえてました」後輩は動作をしたが、そんな覚えはさらさらない。「だから、押さえてないって」「ギャーーーッ!!」後輩二人の声が狭い生徒会室に響き渡った。校舎の裏の墓に起因しているのか、それとも、学校自体に棲みついている霊がだったのか、はたまた後輩、あるいは我々が背負っている霊がいたずらをしたのかはわからない。しかし、何者かがいたのは間違いないようだ。後輩二人が同時に同じ手(2本)を見ているのだから。 南無
2007.07.03
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その23【ガンの霊気】1ヵ月ほど前の日曜日、休日にもかかわらず、出勤するため、駅に向かっていた。改札口が高架になっているため、エスカレーターに乗った。いつもは歩いて上がるのだが、その日は前に無神経な家族が行く手を塞いでいたため、その位置にとどまることになってしまった。イライラしながら視線を上に向けると、間もなく降り口というところに同居人のお父さんを見つけた。歩いて上がれない私は、エスカレーターを降りるまでイジイジしながら待ち、無神経一家をやり過ごした後、急いで改札口に向かった。しかし、既にお父さんの姿はなく、私がいつも降りる階段を降りてホームに出たが、そこにもお父さんの姿はなかった。もう一方の階段を降りたのだと思った。そちらへ回ろうと思ったが、すかさず電車がホームに入ってきたため、それもかなわなかった。電車に乗り込んだ私は、少し寒気を感じた。お父さんがどこまで行こうとしているのか、どこで降りるのかわからなかったし、電車の中で書類に目を通したり、読みたい本があったとしたら、探さない方がいいのだと自分に言い聞かせたりしたが、訳のわからない焦燥感に似た寒気が体を貫いた。そんな経験を以前にもしたことがあった。5年前である。正月休みに実家に帰ったときだ。自宅に戻る日、ふとダイニングを見ると、おやじが慌ただしく動いているのが見えた。私に、正月の食料を持って帰らせるために、タッパーに入れたり、箱に詰めたりしているのだ。その姿を見たとき、言いようのない寒気がした。私は慌てて仏壇の扉を開け、ろうそくと線香に火をつけた。りんを大きく鳴らしながら、般若心経を唱えた。続けて先祖に、「平穏と、健康と、安寧を侵す者を排除してください。何も悪いことはしていません。お願いします」などという願い事を繰り返し唱えた。すると、目から涙がボロボロこぼれた。悲しくもないのに、泣けて泣けて仕方なかった。驚くおやじを残して、私は自宅に向かった。音楽を聞こうが、車のスピードを上げようが、言いようのない焦燥感と胸騒ぎがおさまることはなかった。果たしてその1週間後、おやじから電話があった。「ガンみたいやわ」そのことを思い出した。いやな感覚が蘇った。同居人のお父さんを見かけてから4日後、電話があった。「ガンになった」ガンはいまや特別な病気ではないと言われている。多くの人が罹患し、治癒し、社会復帰できる病気の一つと考えられている。しかし、私が感じる寒気が物語っているのは、ガンは、確実に人間より強い細胞であるということと、人間の命を奪うために体に巣食うものであるということだ。ガンにかかった人のそばに行くと、恐ろしいほどの寒気を感じる。それは、肌感覚ではなく、体内、いや、命にまで及ぶ寒さである。おやじのときもそうだったが、ガンになると、寒くなるそうだ。ガン細胞が生きる力を、温度を容赦なく奪っているのだろう。同居人のお父さんのガンが、どのくらい強いのか、簡単に駆逐できるのかは、これからの治療にかかっている。肝心なのは、生命力で勝とうとする強さである。弱気になれば、どんどん命を吸い取られる。ガン細胞が、人間を無気力にし、寒く、暗くし、やせ衰えさせる。できる限り支えよう。寒さを感じたら、私の命の温度で温めよう。それくらいしかできないが、必ず「復活」すると信じて。それが、厄介な感覚を持つ人間の努めだと思う。実に厄介なことだが。
2007.06.20
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(10)サバイバーおやじの憂鬱 その1清貧一家のおやじは、一言で言うと、「野生」だった。いわゆる“サバイバー”である。幼いころ、私はおやじに聞いた。「苦手なものは?」おやじは即答した。「マムシや」私は意外に思った。おやじはゴキブリを素手でつぶすような輩である。ヘビやウジムシごときに怖れおののくわけがないと思い込んでいたからだ。意外ではあったが、苦手なものがあると聞いてある意味、安堵した部分もあった。ある日、飼い猫だった「キコ」が悪さをした。外で見つけ、遊びでいたぶっていたマムシを半死にのまま口にくわえて家に戻ってきた。キコはきっと、勇敢な自分を褒めてもらいたかったのだろう。キコはリビングにしばしたたずんだ。チロチロと動くマムシをくわえたまま。しかし、そこには人の姿はなく、ゆえに褒めてもらえず、キコはすぐさまマムシに飽きたのだろう。そして、次の獲物を捕獲したい欲望にかられ、マムシを置き去りにしてどこかに消えた。「キコ」が去った後のリビングに、何気なく入ったおやじは目が飛び出るほど驚いた。「まっ、マッ、マムシや!!」おやじはひるむ間もなくマムシの頭に親指を、顎に人差し指を差し入れて挟んでつかみ、玄関に飛び出た。幸い、夏場だったため、玄関に下駄が出ていた。おやじはすかさず下駄を履き、庭先に出てマムシの頭を下駄の歯で思いっ切り踏みつけた。『グワシャッヒン』マムシは頭部をつぶされて絶命した。その話を夕食のときに聞いた(おやじは、食事時にエグい話をする癖があった)。「マムシ、苦手なんと違うの?」「苦手やがな。あんな気持ち悪いもん、おらん」「それやのに、素手でつかめるの?」「つかむのがいやなことはないがな」「え、ほな、何が苦手やのん?」「毒や! 噛まれたらわやや」おやじの理論はこうだ。“恐いのは毒で、マムシがいやなのではなく、毒を持つマムシがいやで、毒を排除するためにマムシをつかんだり踏みつけたりすることは平気”ということだ。理論的ではあるが、一般人にはその割り切りが理解できない。野獣のような「キコ」と暮らすならば、いつ何時マムシがおやじの生活環境に出現するか、危害を加えるか予測ができない。おやじは考えた。毒のある生物(可能性が最も高いのがマムシ)と遭遇せずに済む手段を。しかし、どう考えても「キコ」がいる限り、そんな安寧な状況が得られるとは思えなかった。かといって、猛猫「キコ」を“品猫”に変えたり、手放したり、外に出すのを禁じたりすることも考えづらかった。おやじは覚悟した。そして私たち家族に言った。「キコはマムシが好きや。いつまたくわえて帰ってくるかわからん」私は「キコ」の姿を想像した。マムシをくわえて私の部屋に入ってきたらどうしようかと危惧した。「もし、家の中でマムシを見つけたら」私は息を飲んだ。マムシ撃退の奇策か、緊急事態の際の危険回避の技を教えてもらえるのだと思った。「マムシの頭をつかんで、下駄でつぶせ」そのままではないか。奇策も技もあったものではない。しかし、おやじは極めて真剣に、かつ真顔で言った。「それ以外に方法はないの?」「ない」即答である。「子どものころから悩まされてきたからいろいろ考えたけど、踏みつぶすのが一番確実や」そんな方法を実行できるのは、おやじくらいだろう。我々に進言せずに、自分だけで覚悟してもらいたい。「マムシがいたら、ワシがつぶしたるから、すぐに言え」と。まぁ、おやじ自身、それを家族が実行する期待は余り持っていなかったのだと思う。人に言うことで自分の不安を多少なりとも和らげたかったのだろう。頼りにならない家族を傍らに、猛猫「キコ」の余りにも野生あふれる行動に、おやじの憂鬱は募るのであった。しかしそれは、それまで清貧一家に飼われた哀れな犬や猫たちの復讐ではないかと思えるほどの猛威をもっておやじに襲いかかり、定年を間近に控え、衰えを隠せないおやじを悩ませることになる。「キコ」だけではなく、“大人しくて臆病な”と思われていた「チコ」の所業にも。 南無
2007.05.26
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その19【高速道路の大事故の謎】10年ほど前はよくゴルフをした。“接待”が多かったが、嫌いではなかったので、仕事をやりくりしてよく出掛けた。月1回のペースくらいだっただろうか。その日もいつものように用意をし、得意先が迎えに来てくれるのを待っていた。準備万端で、仕事の資料に目を通したりしていたが、「早く来てくれないかな」と思うほど余裕があった。『ピンポ~ン』「来た」満を持した感に包まれながら荷物を持ち、部屋を出た。マンションの玄関前に車をとめ、トランクを開けて得意先が待ち構えていた。トランクに荷物を入れながらふと、あることに気づいた。「あ、ゴム……」当時、髪が長かったので、ゴルフのときには髪を縛るゴムが必要だったのだが、忘れていることに気づいた。「済みません、ちょっと忘れ物をしたので、取ってきます」そう言って、私は部屋に戻った。普通なら気にしない。それまでもそんなことがあったが、ハンカチで髪を縛ったり、ゴルフ場が用意しているものを使ったりしていたのだ。しかし、その日はなぜか取りに戻った。「お待たせしました」そう言うまで、30秒から1分かかっただろうか。得意先が車を出した。阪神高速から中国自動車道に乗り継ぎ、軽快に走っていた。が、名塩のSAの手前で突然の渋滞に見舞われた。3車線すべてが詰まってしまった。「何でしょうか」「事故かな」私が乗った車は最も右の車線を走っていた。出口や入り口があって車が動く左に移動した方がいいのではないかと思った。「この車線でいいんですか?」「事故なら、左に車を移動するから、左に車線規制がかかる。こっちでいいと思うよ」車は、そのままの車線でにじるように進んでいった。ちょうど1km進んだところで、前の車が左に移動しているのが見えた。「開いているのは左みたいですね」「そうやね。どうなってるのかなぁ」ほどなくして事故現場が見えた。トラックが横転し、積み荷の白菜が路上に散乱していた。中央分離帯の近くに1台の乗用車がとまっていて、助手席の人は窓から腕を出してぐったりしていた。後部座席にも人影が見えた。高速道路で窓を開けるというのはナンセンスなので、きっと衝突のときにガラスが割れたのだろうと思う。少し離れたところに救急車が1台とまっていた。パトカーの姿はなかった。我々は、前の車に従って、白菜を避けて路肩を通過した。予定より、30分以上遅れてゴルフ場に着いた我々は、フロントでスタートを遅らせてもらうよう頼んだ。神戸方面からやってきた得意先は事故の影響なく到着していたのだが、我々と同じルートでやってくる予定の人物が到着していなかったのだ。「ええ、結構ですよ。きょうは、ほとんどのお客様が遅れていらっしゃいますから」ようやく到着した我々のメンバーは、我々より少し後ろを走っていたようだった。距離にして1km、時間にして1分も違わなかったのではないかと思う。我々の車が何とか現場をクリアした直後、パトカーが到着して通行止めになってしまったそうだ。どうりでお客さんが来られなかったわけだ。ハーフを回り、食事をした後テレビのニュースを見て、事故の詳細がわかった。広島から大阪方面へと走っていたトラックが長く続く緩やかな「魔のカーブ」で惰性がつき、中央分離帯を突っ切って反対車線に飛び出してしまい、最も右の車線を走っていた乗用車に激突、横転したという悲惨な事故だった。乗用車もゴロンと1回転したのかもしれない。あるいは、水平にクルクル回りながらあちこちにぶつかったのかもしれない。窓が割れていた理由になる。助手席には運転者のお父さんが、後部座席にはおじさんが乗車していたが、二人とも亡くなり、運転者は重傷を負って病院に運ばれたということだった。目撃した救急車には、既にストレッチャーに乗せられた運転者が収容されていたのだろう。お父さんとおじさんは即死だったようだ。はっとした。もし私が、髪どめのゴムを取りに部屋に戻らなかったら……。我々も最も右側の車線を走っていた。あのまま何事もなく車を出していたら、ちょうど1分、1km程度前を走っていたはずである。ぞっとした。助手席のお父さんは亡くなった。それが私だったかも……。霊感があるわけではないが、命拾いをしたのには、何かの力が働いているように思えて仕方がない。 南無
2007.05.19
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【独身おやじの悪あがき】サイババと同様、極めて個性的でご迷惑な常連さんがいる。常連さんその5である。身長はせいぜい175cmくらいだと思うが、異様にでかく感じる。その原因は、顔のでかさだ。遠近感を失うほどでかい。正面を向いてしゃべりかけられると、その圧迫感に息がつまる。のりがはりついたようなベタベタの髪や、ふけのたまった肩や、型の崩れた背広や、足が太短いくせにくるぶし上にとどまっている無様なズボンや……、そんな、物理的な状況もいやなのだが、バカボンのパパか、共産党の志位委員長か、というほど間の抜けた顔もいやなのだが、変に早口で、人を小馬鹿にしたようなしゃべり方や、全く笑えないギャグもいやなのだが、いつも同じ席に陣取り、常連然としていながら、オーダーするものはショボく、飲み方もショボく、支払いもショボいのもいやなのだが、女性客がいると、だれかれ構わず話しかけ、ビールやお酒をふるまい、しつこくつきまとうストーカー体質なのもいやなのだが、私の顔をチロチロ見て、「エェワァ、エェワァ」と気持ち悪い独り言を言うのもいやなのだが、生涯独身で、唯一、25歳のときの恋愛経験をいつまでも武勇伝のように言うのもいやなのだが……、ま、早い話、すべてがいやなのだが、昨日、最もいやな状況を目の当たりにした。小料理屋「T」のお嬢さんが何を思ったか、以前から撮りだめしていた写真を店の壁にべたべた貼っている。「肖像権の侵害や! やめて」と言っても、へらへらと笑って取り合ってくれない。ややこしいことになったらどうするのかと思いつつ、そのときは、痛い目に遭わせてやろうと決意した(見ておれ!)。常連さんその5は、来店するなり壁の写真に注目した。老眼鏡を上げて、一心不乱に見ている。「ビリッ」その音に驚いて振り向くと、常連さんその5は次々と写真をはがしている。“何のつもり?”と心の中で叫びながら見ていると、店のママの妹(いとしのエリィ・三女)が、何かを言っている。常連さんその5は写真を壁に戻している。が! 1枚だけ懐に入れた!開店時には手伝っていたが、いまでは自宅に戻っているママの妹(次女)と、自分が写っている写真だ。オーダーされた料理を運んだママが常連さんその5に聞かれている。「番号書いてないやん」「え? 番号?」「焼き増し頼みたいねんけど。番号なかったら、頼まれへんやん」「あ、欲しいのがあったら言ってください。Jちゃん(ママのお嬢様)に言って、プリントしてもらいますから」「ほんなら、これして」常連さんその5が指差したのは、ママと妹二人、お嬢さんの4ショットだった。そんな写真を手に入れて、どうするというのだ! しかも、懐に入れた写真には触れていない。生涯独身(享年62/否、まだ亡くなってはいない)の彼が2枚の写真をどう使うのかは想像し難いが、ろくな使われ方はしないだろう。……毎夜、枕の下に敷かれたり、スキャナーでパソコンに取り込み、首下のすげ替え(ヌードとか、動物とか)画像をつくって楽しんだり、いつも持ち歩いて「俺の女」と披露されたり……。いずれにしても、気持ち悪い。なぜに写真を貼り出したりしたのだ、お嬢さん!厄介なおやじがいるのだ、世の中には。オーダーがあっても、決して私の写真は提供しないでもらいたい!!!! 昇天
2007.05.15
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(9)次女の哀しき幼少時代 その2年子の食欲旺盛な兄がいたせいで、私はミルクもろくに割り当てられず、お茶を飲んで空腹を紛らしていたと姉に教えられ、わずかにショックを覚えた。それよりもショックなことが姉の口から明かされた。「あんた、突然立ったんやで」「え、どういうこと?」「生まれて7、8ヵ月くらいのときかな。おかあちゃんは○(兄の名)ばっかり世話してるし、あんたも泣かへんから、ほったらかしにされてたんや。いつも黙って畳のベッドの上で寝とったわ。ある日、ふとあんたの方を見ると、立ってるからびっくりしたわ」「ハイハイも、おすわりもなしに?」にわかには信じ難かった。「そう。畳の端につかまって、立ってたんや」「……」「毎日、お茶ばっかり飲まされてたから、命の危険を感じたんと違うか? “こんなことしてたら、殺される。自分で食べ物を手に入れなあかん”って」そんなことがあるものか、と幾ら想像しようとしても、わが事ながら想像ができない。母に聞いてみた。「私って、突然立ったん?」「えぇ? 覚えてないわ……」しばらく母は考えているようだった。「さぁけど、おすわりやハイハイをさせた記憶がないなぁ。もしかしたら、そうやったかもしれん」「そんなこと、あるの?」「普通はないわ。お兄ちゃんなんか、2年間寝たきりやったんやから」「ひょっとして、私の方が早く立ったの?」「そんな気もするなぁ。あんたは何でも早かったから。ちゃんとは覚えてへんで、それどころやなかったから」“それどころ”というひどい扱いを受けていたのだ。兄の方が大切だったというわけだ。夜泣きをすることなくいつも静かに寝ていて、ごはんというと決まってお茶で、ある日、命の危険を感じて突然立ち上がった赤ん坊……。涙なくしては語れない。ことほどさように、私の人生はこんなことの繰り返しだったように思う。次女の幼き時代の物語、まだまだ続く。 合掌
2007.05.14
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昨夜遅く、新しいシリーズを書いていました。【小料理屋「T」のお気楽爆酔日記】というタイトルで、よく行く小料理屋で目撃、あるいは経験したノンフィクションを書こうと思っていました。くだんの小料理屋のお嬢さんと約束していたし、常連さんその8のタチバナ君にも予告したので、眠い目をこすりながらせっせと書いていました。不覚にも、ラストを残して眠ってしまいました。ベッドの上に置いたパソコンの前に座ったまま、突っ伏して眠っていたので、その不自然な体勢がしんどくなり、深夜3時半ごろ目が覚めました。「眠ってしまってた。いけない、書き上げないと……」茫然とした頭で執筆を再開したので、思いのほか時間がかかり、5時ごろになってようやく書き上げました。約束が守れたことにほっとしながら、「送信」ボタンをクリックしたら……、恐怖のメンテナンス画面があらわれ、ブログは一文字残らず消え去り、「戻る」ボタンも「進む」ボタンも機能せず……。というわけで、「サイババ」の爆笑ネタは本日、もう一度書くことにします。皆様、お許しください。これで3回目です。いい加減学習しないといけませんね。 合掌
2007.05.12
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(8)置き去りにされた幼子たち 4久々に私の目の前に姿をあらわした母は、私の顔を見るなり床に突っ伏した。むせぶような嗚咽が聞こえる。人生初の衝撃的なガムを噛んでいた私は、そのおかげか冷静にその状況を眺めていた。「おかあちゃん、帰ろ」私は言った。親切で色白の、美人のおねえさんが私の様子を見て言った。「◯◯さん(母の名前)、きょうは一緒に帰ってあげ。あとは私らで何とかなるから、今後のことは、後で考えよ」母は少し顔を上げ、おねえさんの顔を見て、姿勢を正した。「うん。ありがとう」後ろめたそうな表情をしながら、母は再び奥に消えた。次に母が姿をあらわしたときは、見慣れた洋服(とはいえ、いわゆる“よそいき”というカテゴリーで大切に保管されていた、少し高級な服。家出するときに着て出た服装なのだろう)を来た母があらわれた。私としては、紫の制服の着物の方がよかったのだが。〈桃の木〉から駅までは1km以上あった。母と私は終始無言で歩いた。意味があったわけではない。意味がないから話さなかったまでだ。電車に乗るときも、乗ってからも、電車を降りてからも、母の口から言葉が出ることはなかった。私としても、学校のことを聞かれたり、おやじや兄のことを非難されたり、家出していた間の母の生活のことを聞かされたりしたら、どんな反応をしていたか知れない。しかし、母は黙っていた。それゆえ助かった。家に着いた。家には珍しくおやじがいた。母の霊感がおやじを呼び寄せたのかもしれない。おやじは兄とテレビを見ていた。私は玄関に入っておやじの存在を確認し、玄関の外にいる母に言った。「ここで待ってて」私は靴を脱ぎ、玄関のたたきに正座して、奥の部屋でテレビを見ているおやじに向かって大声で言った。「おとうちゃん、おかあちゃんを連れて帰ってきました。上がります」どんな言葉が返ってくるか、戦々恐々としていた。すると「おう」おやじはそう言っただけでテレビの画面を見ている。「おかあちゃん」振り向いて言うと、「ありがとう」母はそう言うとすっと家に入り、荷物を置いて台所へ。男ども二人が汚した食器を洗う音をさせながら、自分の存在を肯定していた。どうしても気になったので、後日母に聞いた。「〈桃の木〉はおばあちゃんの紹介?」「ちがうよ、求人のチラシを見て、おかあちゃんが勝手に面接に言った。おばあちゃんはやめとき、って言うたけど、やけくそやったから何でもよかったんや」と言った。祖母は、母が働くということにこの上ない心配をしていたようで、母が家出をして“働きたい”というたびに、家に戻るようにと強く説得してくれていたそうだ。いずれ倒れるか、母自身がいやになるか、雇用主がいやになるか、他の従業員と不和を起こすか……。いずれにしても祖母は、母が働くということに関してはかなり厳しい考え方を持っていたようだった。ゆえに、祖母が〈桃の木〉を紹介することはなかっただろう。としたら、なぜ母は、こんな職場を選んだのだろう。理論的には、「母(祖母)の家に近いから」というのがベースで、「時給がいいから」「食事にありつけるから」というのが必要条件だったのだろう。もう一つ、あの、ソーダガムをくれた優しいおねえさんがいたから、と言ってもらいたい。私にとって、母より頼りになり、初体験のガムをもらってうれしくなり、ありがたいと思った経験は、そのころにはなかったことで、親以上に大きな存在になったおねえさんは、以後、私の心を和ませてくれる存在になった。紫の着物、朱色の帯、純白の襦袢……。それらの整合性は取れないと思うのだが、男女の仲もまた整合性が取れないものが多い。それを旅館勤めの間に母が知り、彼女なりに直感的結論を見つけたのかもしれない。家出から戻った母から、〈男と女は不毛〉ということを見せつけられたような気持ちになった。「不毛」は男女にとっていい状態だと思っている。早計な結論を回避し、諦めの境地を誘い、人生の不条理を肯定して受け入れる姿勢を生む。少なくとも我が家の両親にとっては。金婚式を迎えたいまでさえ、不毛な議論を日夜続けている哀しき清貧一家の両親である。
2007.05.09
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(8)置き去りにされた幼子たち 3祖母の不在を知り、近くのスーパーでサルや九官鳥たちと暇つぶしをした後、ようやく会えた祖母は、憐れみの表情を浮かべながら私に言った。「旅館で働いてるわ。行くか?」「行く。どこ?」「八百屋の角を駅と反対側、市場の方に行くやろ、市場を通り過ぎてしばらく歩くと、大きい道に出る前の右側にあるわ。〈桃の木〉いうい旅館や」「わかった。行ってくるわ」「気いつけていきや」「うん。ありがとう」2階の窓から顔を出して見送ってくれる祖母に手を振り、私は『桃の木』を目指して歩き出した。いま考えると、どうして祖母は一緒に行ってくれなかったのかと不思議に思うが、そのころ祖母はまだ働いていたので、仕事があったのかもしれないし、ほかの用事があったのかもしれない。もしくは、自分が行かない方が、母が素直に家に戻ると思ったのかもしれない。いずれにしても私は一人で〈桃の木〉に向かった。果たして、祖母の家から1km弱歩いたところに〈桃の木〉はあった。〈桃の木〉は、紫色地に桃色の文字(多分。“淫靡だ”という記憶がある)という、子どもが見てもドキンとするような、本能をかき乱すような看板がかかっていて、門の代わりなのか、タイルレンガの壁がジグザグになっていて、玄関が見えない。さすがに、その淫靡な隙間に入っていく勇気がなく、私は裏に回ってみた。すると、お勝手口が開いていて、中がすっかり見えている。中には、紫の着物を着たおばさんたちが、忙しそうに動き回っている。母が家を出てから10日ほどたったときによこした手紙の文面を思い出した。“旅館で働いている。部屋を与えてもらい、制服の着物を着て頑張っている”と書いてあった。これのことか、と得心した。ふと気づくと、お勝手口の最も近くにいた女性がこちらを見ている。目が合った。「どうしたん、あんた。だれかに用?」色白の、ふくよかな美人顔の若い女性が声をかけてくれた。「◯◯(姓)◯◯(名)の娘です。母はいますか」私は緊張して言った。「いや、◯◯(姓)さんの娘さん? ちょっと、◯◯さんを呼んできてあげて」その女性は近くにいたおばさんに指示してくれた。「わかった」そう言って一人のおばさんが母を呼びに行ったようだった。親切なお姉さんは、私に何かをくれた。「食べ。おいしいよ」「ありがとうございます」私は少々ためらいながら、手渡してもらった四角い物体を口に含んだ。辛いのか甘いのか、固いのか柔らかいのか。はたまた、海のものか山のものか。あにはからんや、歯ごたえのある甘い壁を噛み切ると、そこからシュワーッと舌に心地よい刺激を伴って何かが広がった。ソーダだった。もっと噛むと、弾力のある甘い物体が口の中を満たしてくれる。はっとした。お菓子屋さんで見かけたことはあるが、値段が高くて買えなかったガムだ。我が家のレベルではせいぜい5枚30円(いまだと120円)の板ガムだった。ドーナツ型になっていて笛のような音が鳴るガムは5つで10円しただろうか。そんな時代に、そのガムは5個包みで50円したと思う。私は“大人のお菓子だ”と買うのを諦めたものだ。ガムのおいしさを味わっていると、勝手口から見える奥の入り口に、思わず“懐かしい”と思えるような、見覚えのある人が姿をあらわした。その人は、私の顔を見るなり、床に突っ伏した。私はそれを見ながら、なおもガムのおいしさを味わっていた。次の展開を予想し、対応について思い巡らせながら……。 つづく
2007.05.08
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シリーズものをフリーページに移しました。頁容量があるので、最新編まで移せませんでしたが、ワンクリックで見えない部分はある程度すぐに見えるようになりました。突然「その15」なんていう数字を見ていやになって読んでくださらなかった方、ぜひ読んでみてください。で、補足説明をしておきます。「迷う男」:完全創作です。いつも、何をするにも迷ってしまい、ようやく出した結論に後悔し続ける男の物語です。最近、しばらく新編を書いていないので、近く更新しようと思っています。「心霊現象な日々」:完全実体験です。いまのところ、霊感の強い母にまつわるもの、特異な立地にあった以前の住居にまつわるもの、私が営む会社の事務所にまつわるもの、現在の住居にまつわるもの、私の体質によるもの、という具合です。まだまだネタはあります。「哀しき清貧一家の哄笑な日々」:私の家族の物語です。すべて実話です。貧しい幼少時代で、「私の幸せはいつ来るの?」と常に思ったものですが、大人になって思い出すと、とても愉快な家族だったことに気づきました。楽しく読んでいただきたいと思います。「駄猫『チコ』の真実」:実家で飼っていた猫の話です。昨年逝去しました。わずか1歳で亡くなった兄の「キコ」の話も混じっていますが、駄猫ゆえの笑える話を集めています。にわかには信じ難い話も多いのですが、すべて実話です。「チコ」のあほさ加減を楽しみながら、偲んでやってください。いずれにしてもバカな話ばかりです。気楽に楽しんでください。
2007.05.06
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20歳を過ぎたあたりから、おなかがすこぶる弱い。女性は便秘症の人が多いそうで、姉も母も究極の便秘症である。姉などは10日間排出しなくても平気だそうだ。私の場合は半日が限度で、丸1日もためようものなら、顔色が悪くなる。それ以上なら、気分も体調も顔色も脳の働きも病人のそれになる。どうしてなのか、と疑問に思ったのが22歳のとき。胃が痛くなると、食べたものの出現も早くなる。腸だけの問題ではないことが薄々理解できた。ある朝、その日は授業が午後からだったので、学校に出勤した私は、事務長に病院に行きたいと告げた。担任としての務めはきちんと済ましていたので、不本意ながら事務長は了承してくれた。病院で胃腸の不調を訴えたが、医者は「胃薬を出しますから、様子を見ましょう」病院通いをする余裕はない。「朝を抜いてきています。レントゲンを」そう言うと医者は“仕方ないなぁ”という表情をし、「若い人の症状は一過性のものが多いんだけどね」と言いながら、看護婦にレントゲンの準備を指示した。レントゲン室に入った私は、ガラス越しに見える医者のマイクを通した指示に従って、撮影を終えた。結果を示しながら医者が言った。「悪いですねぇ」若かったので、さすがに「ガン」を心配したりはしなかったが、「悪い」という単語は緊張を強いた。「瀑状胃ですね」「バクジョウイ?」「奇形です。原因はわかりません。先天性なのか、後天性なのか。生涯治らないのか、自然に治るのか」「治すのには、手術が必要ですか?」「治す手段はありません」「え……」「一生つき合う覚悟でいる方がいいでしょう」まだ22である。「一生」は長過ぎるだろう。「どうしたらいいんですか?」「酒と辛いもの、味の濃いものは薄めて飲み食いしてください」「ビールも?」「ビールは仕方ないなぁ。量を少なくして。ウイスキーは必ず薄めてください。それと、瀑状胃は極度の消化不良を起こしますから、腸に負担がかかります。慢性的な腸炎ですし、神経性の大腸炎もあるようです。その上、極端な胃下垂で、胃と接する大腸が、癒着して炎症を起こしています」「……それって、胃腸すべてが悪いということですか?」「そういうことです。定期的に検査を受けるようにしてくださいね」「定期的って、どれくらいの?」「2年間隔くらい」絶望的になった。80歳まで生きるとしたら、30回近くも放射能に被爆しないといけないということになる。と言いながら、バリウムを飲んだのは、その後2回だけ。カメラは1回。相変わらず悪いようだが、致し方ない。この胃腸のおかげで必要以上に太ることもなく、たくさん食べても、ちょうどいい塩梅の量を食べても結果は同じという人生を歩んでいる。毎日、大酒を薄めずに飲み、激辛の食べ物を好んで食し、胃痛、腹痛と闘いながら、懲りない生活を続ける私は、世捨て人となったおやじと何ら変わりない悲哀と虚無感を漂わせていることだろう。 南無
2007.04.16
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仕事上必要があって、農水省に電話をかけた。こちらの求めているデータが瞬時には見つからず「調べてから折り返しご連絡いたします」と言うのだが、中央省庁に勤める人間とは到底思えない頼りない声色で、“大丈夫かな”と不安に思った。念のため名前を聞き、受話器を置いた。果たして15分ほどでコール音がした。ディスプレイに「03~」と出ていたので、農水省だと思って電話に出た。「農水省の◯◯と申しますが……」「あ、お世話になります。△△です」「すみません、先ほどのお問い合わせですが……」と、データに関する話をし出す。が、一向に問い合わせた内容にそぐわないデータだった。「あの、そうではなく、こういうことを知りたいんですが」と軌道修正する言い方をした。「あ、そうですか、では、その専門の人間に聞いてみます」専門の人間がいるなら、なぜ念のため意見を聞くということができなかったのか。5分もたたない後、コール音がした。くだんの役人だった。「そういうデータなら、◯◯機構が持っていると思いますので、そちらに問い合わせてください」調べてみると、◯◯機構は農水省の外郭団体である。いまでこそ「独立行政機構」だが、小泉内閣以前には、省庁にぶら下がる役人の天下り先として確保された外郭団体だった。農水省が把握していないデータを外郭団体が持っていること自体が腑に落ちない。疑問に思いながら電話した。事情を説明すると、電話口の人間は「担当に変わります」と言う。出て来た人間は、「そのようなデータなら、△△が持っていると思います」と言う。“担当者”なら、よそのデータでも把握しているだろう。しかも、△△は◯◯機構と同じく、外郭団体である。役所ならではの「たらい回し」を不快に思いながらも、いたし方なく△△に電話した。こうして複数の外郭団体に電話をした挙げ句、たどりついた外郭団体の担当者は受話器を肩と耳の間に挟みながら、パソコンのキーボードをパタパタ鳴らしながら答える。「あー、お問い合わせのデータはズバリというのはないんですが、いいですか?」メモを取れということだ。細かな数字をだらだらを聞かされ、そっちで計算しろと言わんばかりの口調で「それでいいですか?」と聞く。こちらが知りたいデータとは全く違う。問い合わせたのは、「我が国における牛肉の市場流通量中黒毛和牛の締める割合」だった。多分、すぐにわかると思う。トレーサビリティーが普及している世の中で、屠畜牛の品種がわからないなどということはないはずであり、わからないようなシステムでは、狂牛病を防ぐことなどできるはずがない。国家的に公表したくないデータではないと思う。となると、役人が怠惰なのだ。外郭団体の存在が無意味なのだ。調べてみると、農水省の外郭団体とおぼしき財団法人や独立行政機構は複数あった(正式な数はきちんと調査してから公表したいと思います)。「天下り先」である。役人が退職金や報酬を求めて渡り歩く外郭団体をいかにたくさんつくるかによって、役人が出世できるか否かが決するそうだ。私利私欲を体現する最たる組織、それが役所だ。国家公務員としての報酬をもらいながら、利権絡みでいい思いをし、早期退職して多額の退職金を得ると同時に外郭団体に天下りして報酬を得、数年で退職して退職金を得て別の外郭団体へ、数年で……。実に無様な人生である。能力を生かすことなく、人に求められて働くことなく、成果を残すことなく、金にとらわれた思想と人生を送る……、皆がそうだとは言わない、とテレビでは免責コメントを言うが、皆がそうだと言えるのではないだろうか。なぜなら、役所がやっていることが、市民、県民、国民のためと思えないことの方が多いからだ。役所のやっていることの正確な公開と、存在意義の議論をそろそろやらねばならぬときに来ているように思う。議員、役人が得る報酬は税収であり、その多さが日本の大きな負担であることは、間違いない事実であるのだから。そしていまのままでは、その存在は日本という国の土台(税金)を皆が気づかない間に少しずつ食い尽くしていくシロアリのようなものとして国を滅亡に導くのだから。
2007.04.15
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皆がそうだとは言いませんが、春は出費がかさみます。私には大変苦痛です。●車決算期には、ディーラーが思い切った値引きをしてくれるので、3月に契約をする人が多いと思います。モデルチェンジ直前であることと、決算時に少しでも売上を上げておきたいということでしょう。というわけで、数年前に買ってしまいました。春に。で、春はお金が要ります。保険、車検、税金……。締めて25万円。●家なぜか春に引っ越してしまいました。必然性はさほどなかったと思いますが、巡り合わせでしょうか。火災保険の更新が春にやってきます。結構かかります。半ば強制的なのに、2年で2万円。ドブに捨てるようなものです。●祝い春は、ひな祭り、入学、進学、卒業と、祝い事ばかりのシーズンです。取引先関係や親戚、知人関係から、聞きたくもない情報が多数もたらされます。こちらは何ら祝ってもらうことがなく、不公平を感じずにはいられません。●衣服夏は何でもいい。気軽に洗濯できることと、涼しいこと、この2点が満たされればいいのです。おしゃれをする気力もありません。秋は流行を余り気にしなくても大丈夫。パシュミナやポンチョ風ショールなどその年にはやるアイテムを1点だけ取り入れれば何とかなります。冬はもっとどうでもいい。コートに隠されてしまうから。若い人ならいざ知らず、我々くらいになると、中身はオーソドックススタイルで何ら問題ありません。コートやマフラーでごまかせばいいのです。そうやって1年をいなしてきますが、春になるとそうはいかない。春は流行を最も意識する季節だから。色やデザイン、素材、着こなし方、さまざまな面で新機軸が打ち出されます。致し方なく、適合するアイテムを購入するハメになる……。そうしないと、春のウキウキが味わえないのも事実。●医療費私は余りありませんが、花粉症や皮膚炎、目や気管の病気など春独特の病気が出やすいのです。かくいう私も、皮膚や唇に異常が出ることがあります。病院に行くと、社会保険でも3割負担。結構な額になります。すべては、平和と安全と心の安定のためなのですが、春はお金が要ります。暗くなるのを辛うじて救ってくれているのは、春の陽気と桜でしょうか。楽も苦もある新年度が始まりました。
2007.04.08
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その13【おじさんの生霊】7年前のこと。おじさんが危篤状態になった。それより3年ほど前、脳梗塞になり、半身不随の生活を続けていたのだが、再び脳梗塞を患って、集中治療室に入ることとなった。仕事が終わってから、大阪から奈良の総合病院に車で駆けつけ、見舞った。倒れたおじさんというのは、父親の兄で、長男亡き後、家長となっていた。おじさんと父の間に兄妹がいたが、生まれて間もなく亡くなり、父の下は5人の妹と、トメが弟の10人兄弟という構成になっていた。病室に入ってすぐに、父のすぐ下の妹夫婦が来訪し、おじさんを見舞った。私は奥に退き、おばさん夫婦がおじさんの顔に向かって話しかけた。おじさんは半身不随で、片方の自由がきかないため、いつも同じ方向を向いていた。私がとっていた手は不自由な方の手で、きっと感覚がなかったのだろうと思う。ひとしきり妹夫婦とおじさんの奥さん(おばさん)が話をし、30分ほどして帰っていった。おじさんは時折り「うぅぅ、うぅぅ」と苦しそうな声を出すが、話をすることも、視線を合わせることもなく、時間が過ぎ去った。『消灯時間です。お見舞いの方はお帰りください』館内アナウンスが流れた。21時になったのだ。私はおばさんに促されて出口に向かった。なぜか背後が気になり、私は振り返った。おじさんと目が合った。「うぉぉぉぉー、うぉぉぉぉー」苦しそうな、何かを言いたそうな、切ない声が響いた。「おっちゃん?」そう言って立ち止まる私に、おばさんが言った。「しんどいから、あんなこと言うねん」「気がついたんと違う? 私って」「わからへん。意識あれへんねん」おばさんはそう言うが、とても気になった。おじさんの目を見ながら、集中治療室から出た。「ありがとう、見舞ってくれて。気をつけて帰りや」おばさんに見送られて、車に乗った。エンジンをかけると、「チャゲアス」の70年代のベストアルバムのテープが鳴り出した。車のカセットデッキには、常にこのテープがつっ込んであった。西名阪自動車道を走っていると、テープがおかしくなった。テープが熱で伸びてしまったのか、SPレコードを33回転で再生したときのような、おかしな音になった。夏場だったし、購入してから10年以上たつ古いテープだったので、伸びるのも理解できた。イジェクトボタンを押してテープを出した。次の日の朝、車に乗り込んだ私は、何気なく出ていたテープをデッキに突っ込んだ。前夜のできごとはすっかり忘れてしまっていた。再生が始まってハッとした。「テープが伸びてたんだ」慌ててイジェクトしようとしたが、まともな音で再生されているのを確認し、首をかしげた。「あれ、きのう……あの部分だけ伸びてたのかな」そう思ったので少し戻って再生した。おかしなところはなかった。「どういうこと……?」この事件の真相を確認するのは、おじさんが亡くなった2ヵ月後である。それは、想像を絶する衝撃を伴っていた。
2007.04.02
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