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北尾さんのこれまでの著作に比べると、 自身の記述にもあるように、お気楽度が随分違う。 そりゃそうだ、裁判員裁判となった時を想定して、 殺人事件ばかりを傍聴しているのだから、重たくて当然。 しかも、自身が裁判員となったら、どう裁定を下すかを考えつつ、 真剣に事件と向き合い、さらに「死刑」というものに向き合うのだから、 お気楽でいられようはずもない。 おかげで、裁判員に選ばれた方に必読の一冊に仕上がっている。なかでも、杉並親子強殺事件を扱った第4章は読み応えがある。ニュースなどでも大きく取り上げられた有名な事件ではあるが、それに関する裁判が、このような形で進められていたことを、詳しく知るものは、決して多くはないはず。特に、裁判員制度開始を意識した、視覚に訴えかけるプレゼンテーションをはじめ、冒頭陳述から、これまでとは一味違ったを展開繰り広げる検察官たちの描写が圧巻で、まるで、実際にその場で傍聴しているような感覚を味わうことが出来る。 *** 死刑にも相場があって、現在のそれは永山基準というのだそうだ。 一九六八年に起きた連続射殺事件で、 犯人の永山則夫に対して下された最高裁の判決要旨が、 死刑判決のガイドラインになっているという。 具体的には九項目が挙げられている。 ・犯罪の性質 ・動機 ・態様(ことに殺害手段や方法の執拗性と残虐性) ・結果の重大性(ことに殺害された被害者の数) ・遺族の被害感情 ・社会的影響 ・犯人の年齢 ・前科 ・犯行後の情状 これらの要素からやむをえないと認められる場合には、 死刑の選択も許されれると考えられているのである。 永山則夫は事件当時未成年(十九歳)だったが、それでも死刑になっている。(p.96) ***実際に裁判員に選ばれて、いよいよ裁定を下す段階に入ったとき、「死刑」を自分の意見として述べることが、果たして出来るのか。これは、今、リビングでパソコンに向かっている状況での判断とは随分かけ離れた、緊迫した状況の中での判断となることは間違いない。
2010.10.31
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川上さんの作品で、私が最初に読んだのが『ヘヴン』。 とても印象が良かったので、早速、次の作品を探して購入、読み始めた。 それが、『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』。 しかし、なかなか読み進めることが出来ない…… 大阪弁で書かれていることは、私にとって問題にはならないはずである。 それでも、読むのに労力を要するのは、おそらくその独特の言い回しのせい。 そして、そこに描き出されている世界観そのものにも原因があるのだろう。 それ故、私としては極めて珍しいことだが、54ページ読んだところで中断中。そして、今回、芥川賞受賞作品の本作が文庫化された。「こっちなら、きっと読めるだろう」と、一念発起して読書開始。しかし、やっぱり読むのには労力を要した。こんなに薄い本なのに……。でも、何とか読了。途中は「なるほどね」という箇所もいくつかあったけれど、最終的には、共感というレベルには、とてもとても……うん、とっても難しいです(これが芥川賞というモノなんですね)。本著には『乳と卵』の他に、『あなたたちの恋愛は瀕死』という短編も掲載されているが、こちらも、私には難しい世界観。『ヘヴン』という作品は、川上さんの中で特殊なモノだということが分かった。
2010.10.31
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今年読んだもののなかで、現時点では文句なしにNo.1。 本作は、鈴木商店を舞台にして、実在した人物が数多く登場するが、 もちろん、小説の中にしか存在しないキャラクターたちも大活躍。 本当にはなかったはずのエピソードも、ふんだんに盛り込まれている。 そして、近代国家の一員に加わった日本が、経済面でも大いに賑わう様子や、 その中で、神戸が国内第2の大都市として大きく発展していく様子を背景に、 この作品全体から、読む者の胸の内へと強く伝わってくるのは、 何をおいても、あの時代を生きぬいた人々の心や精神といったものである。特に、この作品に登場する女性たちからは、現代を生きる女性とは一味違った「強さ」を感じる。それは、主人公の鈴木よねは、もちろん、珠喜やお千、その他鈴木商店を支えた数々の女たち、さらには桂珍らからもだ。 ***時代の流れに乗って、急速な大発展を遂げた鈴木商店は、不況に苦しむ人々の恨みを買い、不幸にも焼き討ちにされてしまう。また、発展の源となった積極経営が、遂に裏目に出て、倒産に至る。その短くも華やかな一企業の歴史を振り返るのは、まるで散りゆく桜花を見るようである。だが、花は散っても木は残る。この鈴木商店の流れをくむ数々の企業群は、時を経たこの平成の時代にあっても、日本経済の中にあって、中心的な役割を担い続けているのである。
2010.10.31
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学生時代、『総合商社の源流 鈴木商店』をテキストにした 著者の桂先生自身の講義を受ける機会を得た。 テキストに書かれている内容も、桂先生のお話もたいへん興味深いもので、 それ以来、私は鈴木商店というものに大きな関心を持ち続けている。 その講義は「経済学」の講座の一つとして設けられたもので、 当時の日本の経済活動を、鈴木商店の発展を通して学ぶというものであった。 それ故、お話しとしては、どうしても大番頭金子直吉の活躍が軸になる。 だが、その活躍を支えていたのは、創業者鈴木岩次郎の未亡人・よねだった。本著は、その鈴木商店で「お家さん」と呼ばれていたよねを主人公に、鈴木商店が急速にその事業を拡大、発展していく様子を描いた作品であり、上巻は438ページ、下巻が474ページ(「解説」を含む)という長編。著者は、神戸とは縁の深い、玉岡かおるさん(本作で織田作之助賞を受賞)。本編は、よねの語りによって、ストーリーが展開していくが、所々、第三者が事の推移を語る部分が挿入されている。そして、第三者が語る部分は、標準語によって記述されているが、よねの語りの部分は、いわゆる神戸弁で記述されている。そのためか、最初は、読み進めるのに思いの外、時間がかかった。神戸弁に馴染んでいる私ですら、そうなってしまったのだから、関西の言葉に馴染みのない読者なら、より時間がかかるかも知れない。それでも、しばらくすると次第に慣れてきて、読むスピードも上がっていくはず。本著で描かれている明治期の神戸の景色は、今とはやはり随分違っている。また、神戸の日本における役割、存在価値にも随分違いがある。明治期の神戸港は、世界へと繋がる日本の玄関口だったことが、ひしひしと伝わってくる。時代の移り変わりを感じずにはおれない。また、よねの語りからは、明治期の女性の姿がいきいきと伝わってくる。夫亡き後、店を支える女主人となったのは、当時の女性としては特例中の特例だろうが、嫁として、妻として、そして母としての女性の姿は、明治期の女性共通のものであり、また、その行動や心情は、現代女性の中にも共通して見られるものであろう。例えば、一度添い遂げながらも、諸事情から別れることになった元夫に対し、いつまでも変わらぬ、淡い思いを持ち続けるという、まるで少女のような部分。また、その元夫の姿を彷彿とさせる若い男が、目前に現れたときの理性を失った激しい行動。さらに、その元夫が新しい妻との間にもうけた娘が目前に現れたときの行動。そして、二度目の結婚相手となった亡き夫が、実は自分より先に関わった女性がいたことを知ったときの驚きと嫉妬心。その二人の間にできた娘が、自分の目の前にいることを知ったときの激情。さらに、成長して自我を持つようになった息子に対する、母親としての葛藤。本著は、鈴木商店の発展と興亡を描き、その部分でも、もちろん十分に楽しませてくれる作品である。しかしそれ以上に、明治期に生きた女性の半生を描きながら、何時の時代にも共通する、女性の心情を炙り出すことで、より魅力的な作品となっている。
2010.10.24
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本著は、村上さんの青春三部作、『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、 『羊をめぐる冒険(上)』、『同(下)』と、 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』、『同(下)』について、 加藤教授と学生たちが、大学のゼミで行った読解作業の成果である。 本著がいかなる一冊であるかは、 巻末「解説」に見事にまとめられている。 私などは、この部分を読んで初めて、本著について理解できた。 まことに素晴らしい「解説」である。本著を読むと、それぞれの村上作品について、こんなふうに読み取ることも出来るのかと、感心させらる。私などは、あまり深く考えることなく、ただ字面通りに読み進めていたところを、かなり執拗に読み込んで、多くの意見を集約し、独創的解読に至っている。ただし、本著で解説されてるようなことを、実際に、村上さん自身が本当に考え、作品を書いていたかどうかは分からない。ひょっとすると、学生たちは、文面をあまりにも深読みしすぎて、村上さんのイメージとは違う、別の世界観を造りあげてしまっている可能性もある。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』などは、私が描いていたイメージと、随分違う捉え方を本著では採用している。「そうかなぁ……」という感じである。まぁ、解説本というのは、そういうものだ。
2010.10.18
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タイトルからは、結構堅くて、難しそうな印象を受ける一冊だが、 その文体は軽くなめらかで、誰でもスラスラ読めるはず。 そして、書かれている内容自体も、かなりシンプルで軽いノリ。 逆に、過度に期待しすぎると、裏切られた気分になるかも。 本著は『よいこの君主論』のコンビの手によるもの。 マキャベリをエンターテイメントに仕立てた、あの独特の手法を応用し、 今回は、宗教を軽くエンターテイメント化してしまった。 そう、本著はあくまでもエンターテイメントなのである。もちろん、軽いノリで語られる、その一つ一つの内容の中には、宗教の本質というものに、かなり迫っていると感じさせられる部分もある。また、宗教について、新たな気付きをもたらせてくれる部分もある。ただ、どれもこれも、サラッと上辺をなぞる感じで終わってしまっているのは残念……というか、それを本著に求めてはいけないのである。そう、先程も述べたように、本著はあくまでもエンターテイメントなのである。宗教について、もっとしっかりと真剣に考えたいのなら、他著を当たるべきか。そこに至る水先案内人としての役割こそが、本著に求められるものなのだから。
2010.10.18
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今巻の舞台はフランス・パリ。 ルーヴルやオルセー美術館の展示品を、自分の目で見ようと、 莉子は個人旅行を計画したのだが…… エールフランスの隣の座席には、高校最後の担任・喜屋武先生がいた。 空港で二人を出迎えたのは、莉子と同じクラスだった楚辺。 ところが、楚辺の務めるレストラン・ベランジェールで大事件発生。 食事を口にした人々が、次々に病院に運ばれる事態に。 その原因は、フォアグラ。このフォアグラの仕入先は、いつもはバベット精肉。だが、今回はもう一つ、特別な事情で仕入れたコダヴォ精肉も。ただ、どちらも徹底した安全管理をこれまで施してきていた。では、問題のフォアグラは、どこで混入されたのか……事件解明に向けての動きの中、新たに誘拐事件も発覚。もちろん、これらの事件は、莉子の活躍で無事解決していくことになる。その解決のキー・ポイントは、一冊のメモ帳。そして、このメモ帳に関しては、喜屋武先生も活躍してしまう。今巻のお話しは、シンプルでとっても分かりやすい。というか、松岡さんの作品を読み慣れてる読者にとっては、構造があまりにも単純すぎて、物足りなさを覚えるかも。ま、その分、トリビア満載で、そちらの面では楽しめる一冊になっている。
2010.10.18
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前半は比較的、スラスラと読み進められるお話しだったのだが、 後半に入ると一転して、とぉ~っても重たい重たい展開に。 特に、ギンジの記憶が蘇り、雄太としての自分を語り始めてからは、 読み進めるのが辛くなるほどに、ドッロドロの底無し沼気分。 もちろん、昭光の方も、悲惨な運命を辿ることになるのだが、 それが、ホンの些細なことにしか感じられないほど、雄太は重たい。 この殺伐とした、どんよりと曇った、一点の光明も見出せない世界は何なんだ? 「流石は桐野さん!」という他に言葉がない。巻末の「解説」は、とっても難しい内容だった。それでも、この作品や桐野さんについて、伝わってくるものは大きい。どうしようかと迷っていた『東京島』も、きっとそのうち、読むことになるだろう。その前に、作品の重さに耐え切れるよう、体調を整えておかねば。 ***さて、私が『メタボラ(上)』について書いた文章の中で、「メタボラ」という言葉の意味を予想していたのだが、結局、作品中では、その正解は示されないままに終わってしまった。「解説」によると、新陳代謝という意味の「メタボリズム」から取られているらしい。さらに、私の購入した本には帯が掛かっていなかったので知らなかったのだが、本著の帯には、こう書かれていたのだとか。 「メタボリズム(Metabolism)」からの造語。 そもそもは生物学用語で「新陳代謝」の意味だそうだが、 都市を生物体としてとらえようとする建築家たちの運動でもある。そうなのか。
2010.10.11
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超ベジット それは悟空とベジータの合体した姿。 ブウの体内に入り込み、吸収された仲間を救い出す。 しかし、そのことによってブウは、純粋の悪そのもののブウに変身。 そして、自制心の全くなくなったブウは、地球を消滅させてしまう。 今度は、宇宙存亡をかけ、悟空がブウと戦う。 ベジータも必死にアシストするが、純粋ブウには歯が立たない。 そこに現れたのが、あの太ったブウ、サタンと仲が良かったブウ。しかし、太ったブウも純粋ブウには押され気味、とても勝てそうにない。さらに、悟空の方はと言うと、気を溜めるどころか、逆に力が抜けていってしまう……絶体絶命の大ピンチ、その時ベジータが選択した決め技は元気玉。まずは、ドラゴンボールでナメック星の神龍を呼び出して、地球を蘇らせる。そして、地球人の元気を結集させ、その元気玉でブウを倒そうというのだ。出来上がった元気玉、それをブウめがけ投げつける悟空。そして激闘の末、遂にブウを倒したのだった。それから、半年、さらに10年と過ぎていく……。最後は、また天下一武道会。そこで悟空が対戦した相手は……これにて、ドラゴンボールは終了。結構あっけない幕切れ。 ***現在放映中のアニメの続きを待ちきれず、コミックスを読み始めたけれど、結局、セルを倒すどころか、エンディングまで読んでしまいました。「ドラゴンボールZ」のデジタルリマスター版「ドラゴンボール改」も、放映は最大限、ここまでのお話しで終わるはず。それとも、「ドラゴンボールGT改」やりますか?
2010.10.11
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精神と時の部屋でゴテンクスと魔人ブウが戦う。 その最中、ピッコロは異次元世界と元の世界との出入り口を封鎖。 だが、ブウのパワーは凄まじく、次元に穴を開けて脱出。 残されたゴテンクスとピッコロも、超ゴテンクスパワーで元の世界へ。 超ゴテンクスはブウを追い詰めるが、フィニッシュ寸前時間切れ。 形勢逆転大ピンチになったときに現れたのが、 界王神の力によって、脅威のパワーアップに成功した悟飯。 その力は、魔人ブウをも完全に圧倒。しかし、ここでブウは超ゴテンクスとピッコロを吸収。立場は一瞬にして全く逆になってしまう。そして、次に現れたのは蘇った悟空。彼の手には、界王神から授けられたポタラが。これを二人の人間が、それぞれ右耳と左耳に装着すれば、何とフュージョンのように合体してしまう。しかし、これを使うのは一生に一回きり。合体していられる次巻は無制限…というか元には戻れない。それでも、悟空は悟飯と合体する意志を固めてやって来た。なのに、何と合体する前に、悟飯はブウに吸収されてしまう。合体できる相手は……目の前にはミスター・サタンしかいないが……なるほど、そういう結末に持っていきますか!!
2010.10.10
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超サイヤ人3登場! そして、フュージョン成功! さらに、15代前の界王神登場。 そしてそして、純粋悪の魔人ブウ登場。 悟空は、未来を若者に託しあの世へ戻って行った。 ゴテンクスは、でかい態度が直らない。 15代前の界王神って本当に大丈夫なの? そして、純粋悪の魔人ブウは無邪気な魔人ブウを倒す。ミスター・サタンの変な立ち回りがきっかけとなり、魔人ブウのココロや態度に変化が見られ始め、少し希望が芽生え始めていたのに、残念ながら、新しい魔人ブウが勝ってしまったので、さらに事態は悪くなった様子。しかし、ドラゴンボールも、最早残すところ2巻。どんな結末で締めくくるのか?
2010.10.10
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バビディに心を売ってまで、悟空を倒そうとしたベジータ。 しかし、その戦いが結果的に魔人ブウを復活させ、 ブルマやトランクスが殺されてしまうかも知れないと悟ったとき、 自らの命を捨て、ブウを倒すことを決意する。 一方、ブウに立ち向かった悟飯は、あえなく敗れ去る。 そして、ベジータの捨て身の攻撃も、ブウを倒すには至らなかった。 そんな魔人ブウを倒すための方法がフュージョン。 力や体の大きさがかなり近い者同士だけができる合体ワザ。そして、それを使える可能性があるのは、今やトランクスと悟天だけ。それを教えることが出来るのは悟空だけ。さらに、もう一つの希望は、界王神界にあるゼットソード。これを使いこなせる可能性があるのは飯。この三人に、地球の未来はかかっている!
2010.10.10
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魔導師バビディと暗黒魔界の王・ダーブラ登場。 クリリンとピッコロは、いきなり石化させられてしまう。 そして、バビディの宇宙船内で戦いが始まる。 ステージ1は、ベジータが圧勝。 続くステージ2も、悟空が魔獣ヤコンを軽く撃破。 二人の驚異的な力には、界王神もビックリ。 ステージ3ではダーブラが立ちはだかる。 相対するのは悟飯だが、これまでのように簡単にはいかない。そんな対戦の最中、ダーブラはあることに気付く。ベジータの中に、悟空を倒したいという邪心があることに。その邪心を利用すれば、ベジータを自分たちの味方に引きこんで同士討ちさせ、悟空や悟飯に与えたダメージを、魔人ブウ復活のためのエネルギーに出来ることに。そして、バビディの術にかかり、カラダとココロを支配されてしまったベジータ。だが実は、ベジータは自ら進んでバビディの術にかかっていたのだった。術にかかることで自らのパワーアップを図り、悟空と対戦して倒そうとしていたのだ。そして、バビディからも誇りだけは支配されぬままに、悟空と戦い続ける。ベジータによってダメージを受けた悟空のエネルギーが、魔人ブウの玉に急速充填されていき、遂にフルパワーに達してしまう魔人ブウ復活の時が迫る。一方、天下一武道会は裏取引でミスター・サタンが18号に勝利して優勝。
2010.10.10
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天下一武道会・少年の部決勝は、悟天とトランクスの勝負。 激闘を制したトランクスは、アトラクションで……。 そして、オトナの部の開始。 クリリンが勝利したところまでは、普通に天下一武道会だったが……。 ピッコロは、何かを感じ試合を棄権。 実はその相手、4人の界王の頂点に立つ大界王のさらに上位・界王神だった。 さらに、ビーデルと対戦したスポポビッチも、様子が何か違う。 そのスポポビッチに命令を下すヤムーは、さらに怪しげ。そして、キビトとの対戦で超サイヤ人となった悟飯に襲いかかるスポポビッチとヤムー。彼らの狙いは、悟飯のエネルギー。用を済ませたスポポビッチとヤムーの後をつける界王神。それに付随する悟空たち。いよいよ、魔人ブウ・シリーズの幕開け!
2010.10.10
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セルが倒れ、悟空が死んで新シリーズがスタート。 主人公は一応、16歳になった悟飯ということだが、 高校で出会ったミスター・サタンの娘ビーデルや 悟飯の弟・御天も、新しいキャラクターとして登場。 お話しは、まず悟飯の高校生活の描写から始まるが、 しばらくすると、結局は天下一武道会のお話しへと変わっていく。 そして、そこにはベジータやクリリン、ピッコロ等々、懐かしの面々が加わり、 さらには、あの世から悟空までも参加(何ともあっさり、こんな方法で復活)。中でも、トランクスと悟天は、幼いながらも驚異的な力を身に付けており、ベジータや悟飯が驚くほどの急成長を見せている。もちろん、天下一武道界での活躍は、約束されたようなものだが、その後訪れるあろう、強敵との闘いにも戦力として期待大だ。今のところは、肩に力が入ることもなく、リラックスしながら、気軽に愉しく読める展開。
2010.10.10
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どうやらセルは死んだらしい。 悟飯がちょっと調子に乗りすぎて、 悟空が自らの命を落とすことになってしまったけれど、 再生したセルは、カメハメ波返しで粉砕。 さらに、未来に戻ったトランクスは、 タイムマシンで過去に戻ろうとするセルを撃破。 繋がっているようで繋がってないような現在と未来。 この現在と過去の二体のセルの死で、歴史はどう変わるのか?とりあえず、二度死んだ悟空は、今のままのルールなら生き返れない。そして、御飯の弟であり悟空の次男になる孫悟天も登場するはず。昔、アニメで見たときには、確か悟天とトランクスが合体したりしていたから、そんな話が、これからコミックスにも出てくるんだろう。「ドラゴンボール改」は、どの辺のお話しまで続くのだろうか?「ドラゴンボールGT改」はあるんだろうか?とりあえず、セル篇は終わったようだけど、せっかくだから、コミックスはこのまま読み続けてみようと思う。
2010.10.10
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遂に始まった悟空とセルの戦い。 フルパワー全開の悟空と、完全体となったセルの壮絶な空中戦。 しかし、時間の経過と共に悟空に疲労の色が…… そして、悟空の突然の「まいった!降参だ!」宣言。 そんな悟空が、セルの次の対戦相手を指名。 自分より強く、それを凌ぐものは最早地球上に存在しないと言い放ったのは 実の息子・孫悟飯だった。 悟空は、最初からセルを倒せるのは悟飯しかいないと確信していたのだった。御飯とセルの戦いが始まる。悟空は「怒り」のパワーで、悟飯が覚醒する瞬間を待ち続ける。が、悟飯は覚醒しない……そして、悟空の確信は、ピッコロの次の言葉で揺らぎ始める。 悟空……きさまはまちがっている 悟飯はきさまのように闘いは好きじゃないんだ………!! その作戦 悟飯は知っているのか… ちゃんと話しあったのか!?悟飯は怒りではなく、お父さんはなぜ自分を助けてくれないのかそして、ボクの命よりフェアな男らしい勝負の方が大切なのかと思い悩んでいた。そんな子どもの心を、読み切れなかった父・悟空……このピンチを救ったのは16号。 正しいことのためにた…戦うことは罪ではない… は…話し合いなど通用しないあいてもいるのだ… せ…精神を怒りのまま自由に開放してやれ……………… き…気持ちはわかるが、もうガマンすることはない…… オ…オレのスキだった自然や動物たちを……… ま……守ってやってくれ…そして、セルに踏みつぶされ絶命……それがトリガーとなって、遂に悟飯、覚醒!!それにしても、16号カッコ良すぎる。この人造人間、本当にドクター・ゲロの手で産み出されたのか?
2010.10.10
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超ベジータをも超えたはずのトランクスだったが、 現実は、そう甘いものではなかったようだ。 ふくれあがった筋肉では、パワーは大きく上がっても、 スピードが殺されてしまう…… 悟空だけでなく、ベジータも実はそのことに気付いていた。 自分の間抜けさに、戦意喪失のトランクス。 しかし、セルはトランクスを葬り去ることはせず、 何と、10日後に武道大会を開いてやると言い出す。何だか、信じられない展開……これまでのハードボイルド・タッチのお話しが一転!セルも鳥山氏も、何だかフザケているよなぁ。そういう、お話しに急になってしまったのです。そして、ドラゴンボールも復活。新しい神様になったのはデンデ。そんなこんなで、武道大会・セルゲームが始まる。相変わらずバカやってるミスター・サタン。気が付くと、一気に随分読み進めてしまった。この辺りが、アニメで放映されるのはいつ頃のことになるのだろう?でも、そんなことはお構いなしに、さらにコミックスを読み進めていくつもり。そうそう、今巻の巻末「たったひとりの戦士」は、面白かった。
2010.10.10
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アニメを追い越し、先へと読み進む。 なるほど、来週はこういう展開になるわけか。 コミックスを読んでしまっても、多分、私は来週も朝9時から きっちりTVの前に座って、これまで通り放映を見てるはず。 おぉ、こんなところで孫悟空が登場か! そして、天津飯だけでなく、死んだと思ってたピッコロまで救出。 さらには、アニメの方の予告編で、チラッと映ってたように、 ベジータとトランクスが、修行を終えて、精神と時の部屋から出てきた。完全体となるため18号を探し回るセル。そんなセルに超ベジータが追いつき、いよいよ戦いが始まる。そのパワーは圧倒的で、完全体にまだなれていないセルでは歯が立たない。このまま、圧勝かと思いきや……完全体のセルと戦うことを望むベジータ。そして、もう一歩の所で、せっかくの緊急停止コントローラーを自ら破壊し、18号を逃がそうとしてしまったクリリン。トランクスだけが、セルが完全体になることを何が何でも阻止しようとするが……とうとう、セルは18号をも吸収し、完全体になってしまう。その頃、精神と時の部屋では、悟飯が早くも超サイヤ人になることに成功。そして、トランクスも実は超ベジータを越えていた!?その目の前で、超ベジータが完全体となったセルに叩きのめされると、遂にトランクスが、新たな覚醒を始めるのだった。
2010.10.10
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今年の3月頃から毎週日曜朝9時に 「ドラゴンボール改」をTVで見始めたんだけど、 なかなか話が思うように前に進んでくれないので、 とうとう、たまらずコミックスに手を出してしまった。 今朝アニメで見たのは、 セルが17号と18号を吸収してしまうのを阻止するため、 16号がセルに戦いを挑んだものの、残念ながら……というところ。 この部分、コミックスでいうと巻31の終末部だった。最後まで読み切ったが、今日放映のアニメは、ちょうど今巻の終了部辺りまで。では、早速アニメを追い越し、コミックスは巻32へと読み進めて参りましょう。そうそう、なぜ、そんなに容易に次巻へと読み進めることができるのかというと、実は、我が家には、ドラゴンボールが全巻揃っているから。ただし、それらは私の所有物ではなく、2階に住む同居人の出資による、彼自身のためのお宝本。それを無理を請うて、今回全巻貸し出してもらうことに成功!それ故、その気になれば、最終話まで読破できる環境に、今私はある。
2010.10.10
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私が桐野さんの作品を読むのは『グロテスク』以来。 今回は、記憶を失った青年・ギンジと宮古島出身のイケメン・昭光が、 それぞれの視点から自らの体験を語り、ストーリーが展開する。 『グロテスク』に比べると、肩の力を抜きながら読み進めることができる。 それでも、ギンジも昭光も背負っているものは共に重たく、生活も非日常。 何かからか逃れるため、山道を必死で下り続けていたギンジ。 職業訓練所・独立塾の生活に耐えきれず、脱走を決行した昭光。 二人は夜の山道で出会い、コンビニで働くミカの家に身を寄せることになる。やがて、ギンジは石材店に泊まり込みで働き、その後、安楽ハウスへ。そこで、オーナー・釜田に自分の現状を告白し、釜田の手伝いをすることに。一方、昭光はパラダイスマニア・ロッジでの生活を経て、ホストに転身。そこで、同郷の銀次に奪われた女性・愛と再会する。 ***さて、(上)を読み終えた段階で、『メタボラ』というタイトルの意味は不明。「メタ」の方は「メタ言語」というときの「超越した」とか「高次の」という意味なのか。 それとも、副詞の「めた」という言葉で、「度を越えてはなはだしいさま」とか「むやみに」「やたらに」という意味なのか。一方、「ボラ」については、物語中でヒントになりそうな部分がある。それは、恩納村にある「パラマニ」ことパラダイスマニア・ロッジが、ボランティアによって運営されているという事実(p.164)と、安楽ハウスに住むリンコが発した「ボラバイト」という言葉(p.237)そこから、私は「ボラ」は「ボランティア」の「ボラ」だと予想しているのだが……。とりあえず(下)では、その答えが明らかになるのだろう。
2010.10.03
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村上さんが、ここまで半端無いランナーだとは、 この本を読むまで、全く知らなかった。 というか、これまで読んだどの本よりも、 村上さんについて知ることができる一冊だった。 本著は、村上さんの学生時代やジャズ・バーを経営していた頃、 さらには、作家になろうと神宮球場で決意した瞬間のことや、 作家デビューしてからの日々等々が、自伝的に描かれており、 さらには、奥さんについての記述まで見られるのだ。そんな村上さんがランナーになった切っ掛けは、体調の維持。ジャズ・バーの経営をしていた頃は、激しい肉体労働の連続だったが、専業小説家としての生活が始まると、原稿を書くため一日中机に向かい続けることに。すると、体力が低下し、体重も増加するという、深刻な問題が発生。そして、村上さんは走り始めた。やがて、フル・マラソンに挑戦し、さらにはウルトラ・マラソンも完走。その後、「ランナーズ・ブルー」の時期に突入してしまうが、その最中、何とトライアスロンに挑戦し始めるのである。村上さんにとって「走る」ことは、まさに生活の一部である。「書く」ことと一体となった、必要不可欠な行為。そんな村上さんが、墓碑銘の文句を自分で選ぶことができるなら、次のように刻んでもらいたい書いている。 村上春樹 作家(そしてランナー) 1949-20** 少なくとも最後まで歩かなかった。(p.254)まさに、半端無い。
2010.10.03
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