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お話しとしては単純である。 展開も緩やかで明解。 それでも、しっかり読ませてしまうのは、さすがに五十嵐さん。 本当に様々なジャンルを、広く手がけておられるが、青春ものも実にイイ。 ところが、Vol.5に至って「えっ……」。 そして、「これで本当にイイのか?」 相当切羽詰まった状況とは言え、高校生が無免許運転、道交法違反、 さらには、公務執行妨害にまで及ぶとは……例えが古くて申し訳ないが、これが岬美由紀の行動なら、私もこんな感覚にはならなかったはず。彼女が、どんなに車や戦闘機で無謀な運転や操縦をして、結果それが触法行為に繋がろうが、さらには、そのことが、周囲の色んなものを破壊してしまうことに繋がろうがだ。それは、両津勘吉が、例えビルの上から飛び降りても決して死なず、何をどれだけ壊そうが、笑って済ませてしまえるのと同じ感覚。そう、岬美由紀も両津勘吉も、そういう世界の住人であり、そういう世界を描いたお話しの中のキャラクターだからである。では、なぜこのお話しでは、そうは思えなかったのか。それは、このお話しが、Vol.4まで、実にリアルに進行していたからである。もちろん、「国際電話をかけまくって、目当ての人に辿り着くのがリアルなのか?」と聞かれれば、「現実問題としては、可能性はほぼゼロ」と答えるしかない。それでもなお、このお話しの愛すべきキャラクターたちに、無免許で高速道路を時速150kmでぶっ飛ばさせた挙げ句、警官二人に暴行まではたらかせてしまうのは、本当に如何なものか?そして、逮捕された後、「説諭」だけで本当に事が収まるものなのか?ラスト寸前まで、折角よいお話しだったのに、その読後感は、私としては、スッキリしないものになってしまった。
2013.01.27
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過激な一冊である。 だが、ズバッと核心を突いている記述が目白押し。 しかし、そのあまりに攻撃的な姿勢には、思わず「大丈夫か?」と心配になる。 それでも、的を射た記述なので、読んでいて気分は悪くない。 と言うか、誰もが表明し辛いような部分についてまで、 遠慮容赦なく、平然とズバズバ書き放ってくれているので、 日頃溜まったモヤモヤが、スカッと晴れ渡る気分にさえなってくる。 まぁ、こんなブログを書いてる私自身もB層で、非難されている対象なのだが。まず、著者の「大衆」というものの捉え方は、次のガセットさんに近いと考えられる。 スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット(1883~1955年)は、 大衆を「凡庸であることを自覚しつつ、凡庸たることの権利を主張し、 圧倒的な自信の下、浅はかな価値観を社会に押し付けようとする存在」 と規定しました。(p.41)大多数の人たちが「自分は一般大衆」だと思っているであろう現在の日本において、このスタンスは、相当数の人たちから反発を受ける可能性がある。それでもなお、著者は、現在大衆から大いに人気を博している(大阪という地域限定かも知れないが)橋下さんに対しても、かなり攻撃的に批判する。 ロベスピエールは、代々弁護士の家系に生まれた弁護士でした。 彼は「ひとの話を聞き」、「ひとの利益を考え」、それを実行するための 「法律的手段を考える」ために、弁護士から政治家に転身します。 「市民のための政治」を唱えたロベスピエールは、過去のしがらみを断ち切り、 社会正義を実現させるための抜本的改革を唱えるようになる。 いわば「グレート・リセット」です。 1789年7月、バスティーユ襲撃を契機としてフランス革命が発生します。(p.112)ロベスピエールは、革命後の1793年、ジャコバン派の領袖となって公安委員会を掌握、反革命容疑者法を制定して、政府に都合の悪い人間を監視委員会に告発、次々に革命裁判所へ送りこんで、ギロチンで処刑していくことになる。彼のこの行為について、著者は次のように述べている。 ロベスピエールは暴走したのではありません。 彼らは社会正義と人権の名の下に理性的に大量殺戮を行ったのです。(中略) 理念をかかげれば、人間はどこまでも落ちぶれることができる。 それを示したのがフランス革命という蛮行でした。(p.114)著者は橋下さんに、ロベスピエールの影を見、その政治手法に危うさを感じているのであろう。そして、橋下さんについて、さらに次のようにも述べている。 言っていることが論理的でないので、なかなか論理では批判できない。(p.142)「なるほど、そう来ましたか」と唸らされた一文。続いては、著者による、現在の国の有り様についての指摘。 司法、立法、行政すべてにおいて大事なことは、 専門家、プロ、職人の技術を尊重することです。 そして、お互いの領域を浸食しないことです。(中略) 法律を扱うのは法律家であるべきだし、歴史を扱うのは歴史家であるべきです。 同様に、政治を扱うのは政治のプロでなければならない。 B層社会はこうした「当たり前のこと」を許容しません。 そして、あらゆるプロ、職人の領域に、《素人の意見》を押し付けようとする。 そろそろ目を覚ますべきでしょう。 今求められているのは理念を語る革命家でも閉塞感を打ち破るリーダーでもありません。 それは、過去と未来に責任を持つ人間、正気を保っているプロ、職人です。(p.177)この一文について考えるとき、真っ先に思い浮かぶのが「裁判員制度」だが、この制度について、実際のところ、現時点で、国民はどう感じているのだろうか?私自身は、未だに違和感を拭いきれないままでいるのだが……「市民に開く」の合い言葉の下、専門家を軽視する制度が拡大し過ぎるのは気になる。 リップマンは民意の危険性について次のように分析しています。 「なぜなら、あらゆる種類の複雑な問題について一般大衆に訴えるという行為は、 知る機会を持ったことのない大多数の人たちをまきこむことによって、 知っている人たちからの批判をかわしたいという気持が出ているからである。 このような状況下で下される判断は、誰がもっとも大きな声をしているか、 あるいはもっともうっとりするような声をしているか(中略)によって決まる。」(p.192)先にも述べたが、国民の大多数が「自分は一般大衆」と考えているであろう現在の日本において、著者の主張は、すんなりと快く受け入れてもらうことが出来ないものかも知れない。しかし、それでも、本著を読むことは、「民主主義」という名のシステムの危うさについて考える、良い機会になると思う。
2013.01.27
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副題は『インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか』。 そのため、インターネットについて書かれた本だと思って読み始めたのだが、 しばらくして、これは経済について書かれた本だったのだと気付いた。 出版元を見れば「ダイヤモンド社」、納得である。 新書として出版されているものに比べれば、内容としてはかなり専門的。 しかも、インターネットについて書かれていると思って読み始めたものだから、 こちらの方に、それを受け入れる構えが出来ていない。 そのため、「結構難しい……」と思いながら、読み進めることになった。それでも、全体を16もの章に分けて記述してあるので、一つの章は平均15ページほど。そのため、難しさに挫けてしまう前に、ひとつの章を読み終えてしまえるので、何とか、最後まで、一気に読了することが出来た。この辺の構成は、とても上手いなぁと感じた。そして、書かれている内容自体も、難しくとも興味深く面白いものだった。シカゴやシリコンバレーの発展の様子や、ピッツバーグやIBMの栄枯盛衰、モリスのワームやグリーンカード・スパム、アイスランドの金融危機、サブプライム問題、新聞産業や音楽産業の変容、自動車普及の裏にあったもの等々。第15章からは、インターネットでつながりすぎた社会が、これからどうすればよいのかについて、著者が述べることになる。 本著ではつながりすぎた社会に生じるさまざまな問題を仔細にわたって述べてきたが、 ではいったいどうすればよいのだろうか。 過剰結合と共存する術を覚えるべきか、それとも排除すべきか。 社会に外をまき散らしながら過剰結合につけ込む者を規制すべきか。 過剰結合がもたらす変化に対処するべく行政改革を行うべきか。(p.209)そして、私たちがなすべきことは三つあるという。 1.正のフィードバックの水準を下げ、それが引き起こす事故を減らし、 思考感染を緩和し、予期せぬ結果を全体的に減らす。 2.より強固なシステムを設計し、事故が起きにくくする。 3.すでに存在する結びつきの強さを自覚し、既存の制度を改革して より効率的かつ適応度の高いものにする。(p.214)さらに、当初の段階から綻びの生じない、或いは生じても早期に問題をつぶせるような堅牢なシステムを設計する必要があり、そのために打つ手は次のようなものだという。 1.応急処置で大失敗が防げるという自己欺瞞に陥らない。 2.安全域を広めにとる。 3.不必要な結びつきをつくらないように注意する。 4.そもそも本質的に危険なシステムをつくらない。(p.226)中でも3と4は、誰もがもっともなことと認めるであろうはずのことでありながら、現実には、そうならない、そうなっていないことが、色々なところで多々ある。そのようなことになってしまう人間という存在の不思議さ、いい加減さを、またしても、感じる機会となってしまった。
2013.01.26
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所謂、上から目線のハウツー本と違って、 第1章は、著者自信がリーダーとして赴任した職場での体験記述から始まる。 それは、リーダーを務めたことのある者なら、誰もが味わったことのある内容で、 出だしから、著者に対し、大いに共感を覚えることになる。 以後、第2章では、「ばらばらメンバー」をまとめるためには、 まず、自分自身が「ばらばら」でない状態になっておくことが必要だと述べ、 第3章ではメンバーとの「ばらばら」を解消する3つの基礎スキルである 「自己スキル」「対人スキル」「思考スキル」について丁寧に解説。そして、第4章では「ばらばらメンバー」を導く3つのメタ・テクニックである「ただ観る」「問う」「動かす」について、第5章では、「ばらばらメンバー」との今後のつき合い方として、「徹底的に委ねる」と「徹底的に何もさせない」を紹介している。さらに、最後の第7章では、「ばらばらメンバー」の対処法として、7つのケースを採り上げ、具体的に説明している。第2章以降は、完全にマニュアル本であるが、私としてはやや違和感を感じる部分もあった。しかし、それでも全体としては、よくまとまった、使える一冊だと思う。
2013.01.26
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あれほど世間を賑わせていたTPPについて、最近報道されることが少なくなった。 民主党から自民党へと政権が移り、アベノミクスに注目が集まっているから? それでも、この問題は避けて通ることは出来ない問題のはずだから、 いずれ、また近いうちに、大きく採り上げられることになるのだろう。 しかし、そもそも、私自身について言えば、 TPPについてちゃんと分かっているかというと、あまり自信がない。 そこでネットで検索、「猿でもわかるTPP」を皮切りに、色々見てみた。 結果、賛否両論、双方それぞれに主張し、意見対立していることが分かった。そして今回、この問題を扱った書籍としてはスタンダードとなっている本著を手にした。2011月3月の発行であるから、もう2年も前の時点での記述であり、その内容が、現時点でどのような評価、位置づけになっているかは、私にはよく分からないが、「TPP反対」の立場から書かれたものだということだけは、ハッキリしている。 日本はGDPに占める輸出が二割にも満たない内需大国であり、 輸出に偏重すべきではありません。(中略) 需要不足と供給過剰が持続するデフレのときには、 貿易自由化のような、競争を激化し、 供給力を向上させるような政策を講じてはいけないのです。 デフレの下での貿易自由化は、さらなる実質賃金の低下や失業の増大を招きます。 グローバル化した世界では輸出主導の成長は、 国民給与の低下をもたらし、貧富の格差を拡大します。 内需が大きいが需要不足にある日本は、輸出主導の成長を目指すのではなく、 内需主導の成長を目指すべきなのです。 そして、何においてもまずは、デフレ脱却が最優先課題です。 しかし、貿易自由化と輸出の拡大の推進は、そのデフレをさらに悪化させるのです。(p.248)これは、本著における著者の主張を総括した「おわりに」の一部である。著者は「内需主導の成長」を目指し、そのためにまずデフレ脱却を図るべしとしている。「アベノミクス」の今後の成り行きと、それを踏まえた上での「TPP」。いずれにせよ、どちらも私たちの生活に直接大きく影響してくるのは間違いない。
2013.01.26
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覚醒したSARUの恐るべきパワー。 その圧倒的な力に対し、為す術を持たない人類。 ビエラ・カリの歌の魔法をもってしても、その力を押さえこむことが出来ない。 そして、最後にSARUを封じ込めたのは、猿だった。 それにしても、やはり難解な作品だった。 私は、奈々という存在の解釈が、まだ十分出来ないでいる。 それが『SOSの猿』に登場する辺見のお姉さんとリンクしていることは分かる。 彼女の息子・眞人が、猿に憑依され、轢き殺されずに済んだ少年だったことも。その他、様々な場面で色んな登場人物やエピソードが、複雑にリンクしていることも分かる。ただ、『SOSの猿』において、辺見奈々がどれほどのポジションを占めていただろうか?まぁ、『SARU』における辺見奈々も、さほど重要な役割を果たしたわけでもないか……。ひょっとして、その特筆すべき存在感を持たないこと、それ自体が答えなのか?
2013.01.14
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伊坂さんの『SOSの猿』を読んで、 その後、ネット上でその特設サイトを見たことが、 この作品を読む切っ掛け。 ただ、お話しとして、『SOSの猿』と直接の繋がりはなさそうだ。 この作品を読んで、まず感じたのは絵のスゴさ。 私が普段読んでいるマンガとは、かなり趣が違う。 線一本一本のタッチが独特で、トーンなんてほぼ皆無。 一コマ一コマが、まさに作品といった感じ。それ故、スイスイ読み飛ばすことが出来ず、一コマ一コマ読み込んでいく必要があり、読み手にもパワーが要求される。それでも、冒頭部からしばらくは、話の筋が見えてこず、「?」だった。マンガとは思えない、とても難解な作品。その状態から抜け出せるのは、奈々が登場する辺りからか。そこで起こっていることについての描写が丁寧になり、話の筋が、やっと理解可能に。それでも、私にしてはとても珍しいことだが、一度、最後まで読み終えてから、もう一度、最初から読み直した。しかも、<下巻>を手にし、その冒頭部にある「<上巻>のあらすじ」や「<上巻>の主な登場人物」を読んでから、読み直したのである。この「<上巻>のあらすじ」や「<上巻>の主な登場人物」は、とても分かりやすく、これを読んで、「あぁ、そういうことだったのか」と、初めて理解できた所が少なくなかった。その上で、改めて<上巻>を読み直してみると、一度目は読み飛ばしてしまっていた箇所を、詳細に読み込むことが可能となり、この作品を、本当の意味で楽しむことが出来たように思う。これまで経験したことがない、面白い読書をすることが出来た。
2013.01.14
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最近になく、衝撃を受けた作品。 映画が公開されていたことは知っていましたが、 「映画館に足を運んででも見てみたい」という程の気持の高まりには至らず、 また、本著についても、今年になるまで、手にする機会がありませんでした。 しかし、実際に読み始めると、これが予想を遙かに超えるレベルの作品。 私の中では、『死神の精度』と比べても、遜色ない程の出来映え。 『思い出のとき修理します 』と同様、5つのエピソードから構成されていますが、 どのお話しにも隙が無く、とても完成度が高い。しかし、何と言っても衝撃的だったのは、最後の「使者の心得」。これは、それまでの4話に登場した人々や出来事を、歩美側からの視点で描いたものですが、もう、その時点で「やられた!」という感じ。この手法が、湊さんの作品群等にも見られる、一般的なものであるにもかかわらずです。この「やられた!」感は、構成や手法云々というレベルの問題から来るものではありません。それは、作品に描かれた内容自体の、圧倒的な密度の濃さに因るものです。歩美の両親の死因についても、注意深く読み進めていけば、気付くことが出来たはずなのに、そんな所にまでネタフリがあるとは思い至らず読み進めていた、私の構えにも甘さがありました。そう、この作品は、そういうレベルの作品だと心得て、しっかりと読み進めるべき作品です。新年早々、良い一冊に巡り会うことが出来ました。今後、辻村深月さんには、大いに注目していきたいと思います。
2013.01.13
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これもまた、最近流行のパターンのお話し。 ちょっとイイ感じになりそうな若い男女が登場し、 そこに、ちょっとした事件が起こって、それを二人で解決していく。 まぁ、別に最近に限らず、よくあるパターンの短編集です。 最近話題の『珈琲店タレーランの事件簿』や、 TVドラマ化が決まった『ビブリア古書堂の事件手帖』が、 同じパターンに属する作品ということになりますが、 それらが基本男性視点で語られたのに対し、これは女性視点からの作品。そして、『万能鑑定士Q』は、視点が次々に移動する作品ですが、本作は、これとも、また前二作品とも違った雰囲気が漂います。それは、やはり女性作家の手による作品であることに起因するのでしょう。繊細さやほのぼのとした優しさが、全編を通じて伝わってきます。このお話は、全部で5つの短編から構成されていますが、スタートから3つめまでは、主人公の明里や時計屋さんの住む商店街で起こった出来事。ただ、この三話については、飛び抜けて印象に残るほどのエピソードではなく、このパターンだけに終始していたら、本作は「イマイチ」止まりの作品だったでしょう。それが、そうならなかったのは、続く第4話に時計屋さんを、そして、第5話に明里をメインとしたお話を設定し、二人の過去を、次第に明らかにしていくことになるからです。このエンディングに向けてのお話しの構成が、何とも素晴らしい!個人的には、『タレーラン』より、かなりお勧めの作品です。(ただし、『ビブリア古書堂の事件手帖』レベルを期待されると困りますが)
2013.01.13
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遠藤二郎が語る「私の話」と 五十嵐真を主人公とする「猿の話」。 この二つのお話しが並行して進んでいき、 「五十嵐真の話」の直前から、それらが一つに重なっていく。 よくあるお馴染みのパターンなのだが、 それでも、スイスイ読めて、どんどん引きこまれていく。 「さすが伊坂さん!」と言うしかない。 ただ、最後の収まり具合は、さほど心地良いものではない。本著を読んだ後、特設サイトを見たのだが、これがとても面白かった。伊坂さんが、何を考え、何を思いながら作品を書いているのかがよく分かった。本作を読んだ後に感じた、あの収まり具合の悪さは、実は、伊坂さんの狙い通りのものだったことが分かった。また、伊坂さんという作家が、パッと思い浮かぶ村上さんではなく、大江さんから大きな影響を受けているというのも、新たな発見だった。作家として生きていく上で、様々な試行錯誤が必要なのだということも。でも、私は、どちらかと言うと『チルドレン』とか書いてた時期の伊坂作品がお気に入りです。
2013.01.05
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お正月にショッピングモールに出かけた際、 それぞれが思い思いに買い物をして、1時間後に本屋さんに集合。 例年と同じパターンを今年も採用して、入口で一旦解散する。 それにしても、何時ものことながら、スゴイ人の数だ。 私は、最初、電気屋さんで色んなものをチョコチョコ眺めていたのだが、 あまりの人の多さにウンザリし、買い物開始から10分後には本屋さんに。 そこを最後の集合場所にするのは、誰にとっても時間を潰すことが容易だから。 そして、他の場所に比べれば、空間にまだ余裕が感じられる混み具合ゆえ。そこで平積みしてある多数の本の中から、目が止まったのが本著。昨年末の衆院選の開票特番で、大いに注目を集めた池上さんの新刊で、『先送りできない日本』の続編とも言うべきもの。ただ、新刊とは言っても昨年12月10日発行なので、衆院選の結果が出る前に書かれた文章だ。さて、本著では、現在日本が直面している消費税、社会保障、領土問題、大学の秋入学、教育委員会制度、原発、選挙制度改革、瓦礫の広域処理等、10の課題について、各章ごとに池上さんが解説するという体裁をとっているのだが、その各章における、最後のシメの一文は、次のようなものである。第1章 私たち全員が、将来への責任を問われる正念場となります。(p.32)第2章 だから、いま年金を受け取る権利があるのです。(p.62)第3章 そういった技術力を、いままでと違った形で組み合わせたり、 まったく別のマーケットで生かしたりするような柔軟な発想が あちこちから生まれてくるようになれば、日本のものづくりの未来も開けてくると思います。 (p.76)第4章 それがグローバル化社会に生きる私たちに必要な知恵なのだと思います。(p.114)第5章 今いる鳥たちを、私たちが育てていくしかないのです。(p.130)第6章 公共事業に100兆円、200兆円の予算を投じられる国であるなら、 未来を拓く教育や研究開発を自由闊達に行える環境こそ提供すべきではないでしょうか。 (p.152)第7章 現状に納得できないなら、自分たちで変えていくしかないのです。(p.167)第8章 この問題の克服には、 私たち一人ひとりに感情を乗り越える理性が求められているのです。(p.194)第9章 しかし、赤字国債の発行は日本の借金を増やし、 未来にツケを先送りするものだということは忘れてはいけません。(p.210)第10章 そうしないと消費税増税も同じ道を辿ることになるでしょう。(p.223)池上さんが自身の考えを主張するものもあれば、読者に思考や行動を促すもの、さらには、やや漠然としたまま文を締めくくっているもの等、実に様々。もちろん、どの課題についても「完全なる正解」など存在するわけがなく、それでも先送りせず、進むべき道をを選択していかなければならないところに難しさがある。 民主党が政権交代を果たした後、私たちは実に多くのことを学びました。 肝に銘じておきたいのは「青い鳥はいない」ということです。 今いる鳥たちを、私たちが育てていくしかないのです。(p.130)この第5章「日本維新の会に投票しますか?しませんか?」のシメの文章が、その他の様々な課題についても、大きな示唆を与えてくれているような気がする。
2013.01.05
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なるほどね。 『天使と悪魔』のカルロ・ヴェントレスカと、同じ役割を本作で果たすマラーク。 彼については、最初からその位置付けが明示されていると思われましたが、 実は、そういう事情、カラクリがあったのですね。 ただ、そういう事情なら、ピーター・ソロモンに、ご対面の場面で、 マラークに対する本当の思いや事実を、もう少し語らせて欲しかった。 それとも、記されている以上には、彼は語るべき言葉を持っていなかった? もしそうなら、とても哀しいお話しです。さて、『天使と悪魔』を読み終えたときの私は、随分ウキウキと記事を書いているのですが、『ロスト・シンボル』を読み終えた方の、今の私はと言いますと、ちょっと「……」です。マラークが、実に呆気なく絶命した後、まだ随分ページが残っており、これから、どんなお話しを付け足そうとするのか、ちょっと心配になったのですが……案の定、エピローグでは「……………」ということになってしまいました。本作品は、既に映画化が決定しているようですが、再構成は必至でしょう。しかし、映画化については、逆にしやすいかも知れません。実際、読んでいるときも映画を見ているような感覚に陥りましたから(この部分に関しては秀逸)。 *** ラングドンは忍び笑いをしつつ、 2012年が“世界の終末”になると予測する昨今のテレビの特番ラッシュを、 ソロモンが十年も前に的確に予想していたことを思い出した。(p.142)その問題の日が、2012年12月21日だったわけですが、無事、何も起こらず過ぎ去り、こうして2013年を迎えることが出来ました。 だが近年、この種のタンクは大発展をとげた。 合酸素過フッ素化炭化水素液。 この新たなテクノロジー-完全液体呼吸-は常人の理解を超えており、 その存在を信じるものは少ない。(p.150)このすぐ後に、映画『アビス』について触れられていますが(私は見ていません)、この作品中に潜水技術として「液体呼吸」が登場するとのこと。また、『エヴァ』に搭乗するパイロットが液体呼吸を行っているのは、L.C.Lと呼ばれる架空の液体とのこと。 そこには、人間の思考が測定可能な現存の力だと証明する実験結果が大量に集められている。 それらの実験は、人間の思考が氷の結晶からランダム事象発生装置、 原子未満の粒子の活動に至るまで、あらゆるものに影響を及ぼしうると実証した。(p.315)本作に登場する「純粋知性科学」。こちらは、どんなもんでしょ?
2013.01.02
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