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(昨日の続き)驚いたことに、彼女は、私の住むアパートの場所を、知っていました。そして、今日、誕生日だったことも。「おめでとう」彼女は、そういってくれました。おかげで舞い上がってしまった私は、彼女の本来の目的であったはずの科目のノートのコピーを、授業1回分だけ渡しそびれてしまいました。その教科のテストは、2日後に行われました。問題を見ると… あ~っ、何てこったい!彼女に渡していない部分からの出題ではないですか!自分の結果などどうでもよくなった私は、テストが終わるとすぐ、彼女に謝りに行きました。「いいのよ、別に」彼女はそう言ってはくれましたが、眼が笑っていません。これをきっかけにお近付きになれれば… との私の不埒な思惑は、これにて、脆くも崩れ去ってしまいました。この日の晩、中島みゆきを聴きながらひとり晩酌していたことは、言うまでもありません。妻と出会ったのは、それから3年後のことでした。
2002.02.13
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今日で、私の20代は、終わりを告げます。前半の5年間は学生(大学に7年いたんです)、後半の5年間は社会人という、前後半でくっきりと色分けされた10年間でした。まあ、その間に結婚もして人並みの家庭も持ったし、どういう風の吹き回しか自分のサイトまで持つに至っているから、結果的には、ハッピーな10年間だったんでしょう。その20代の最初の日について、ちょっと、書いてみようかと思います。1992年2月。普段は雀荘と化している私の部屋ですが、テスト期間だったので、卓を囲む機会はなし。緑色の芝生が生えたちゃぶ台を机にして勉強をしていたら、日付が変わり、私はいつの間にか20歳になっておりました。この日は3科目を受験。テストを終えて帰宅しようとすると、これまで会話したこともなかった同じゼミの女の子に、呼び止められました。「ねえ、○○××論のノート、貸してくれないかな? 午後8時にアパートの前で待ってるから」突然のお願いに、当時彼女がいなかった私はドギマギ。記念すべき日に声をかけられたこともあり、「これは、運命的な出会いか!」と、胸の高まりを、感じていました。午後8時、彼女は、アパートの玄関の前に、ひとりで、待っていました。(以下次回)
2002.02.12
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今日は、耳かきの命名についての、話をします。あくまでも間違えて欲しくないのですが、私が耳かきを1本1本「キャサリン」とか「クリスティーヌ」とか名付けて可愛がっているという話ではありません(もちろん、そんなことはしてません)。HP上で類似のキャラクターを複数紹介する際に、どのように呼んで区別するか、という話です。例えば、私たちの手許にはこけしの耳かきが3本ありますが、これについては、「仙台のこけし」「鳴子のこけし」などと、購入地で呼んでいます。もっとも、外見で産地を見分けるほどの鑑識眼は、私たちには備わっていませんが。材質や形状で、呼び分ける場合もあります。福島の赤べこが代表例なのですが、「小刀風」「漆塗り」といった具合に呼んでます。また、金属製の耳かきの場合、「○○のGOLDバージョン」と呼ぶこともあります。ところが、購入地も材質も似たり寄ったりの場合は、「その1」「その2」としか呼びようがなく、区別に困ります。まあ、どうでもいい話なんですが、他の方のHPとの兼ね合いもあるので、どなたか「耳かき名称辞典」的なスタンダード・マニュアルを、作っていただければ、非常に嬉しいです。
2002.02.11
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今日、福島まで行きました。安達ヶ原ふるさと村で面白い情報を発見したので、行ってみようかと思ったのです。ところが、お昼に妻の実家に寄ってみると、とてもじゃないが安達ヶ原まで遊びに行ってられない状況に、遭遇してしまいました。裏山に生えている竹が倒れ掛かっていて、家の屋根に被さっていたんです。このままだと、屋根の雪が竹に引っかかって落ちず、大変なことになります。そこで、安達ヶ原行きは中止し、義父と私との男手2名で、竹の伐採&除去作業を、することになりました。ご存知の通り、竹は中が空洞なのでとても軽くて運び易いのですが、厄介なのは枝葉の部分で、運ぼうとするとこっちの草には引っ掛かるわ、あっちの木の小枝には絡み付くわで、作業は結構手間取り、終わる頃には陽が暮れかかっていました。でも、竹を間引いたおかげで裏山はすっきりし、家からの眺めも前に比べてずいぶん明るくなりました。予想外の労働とはなりましたが、人のお役に立てたことで、報われた気がしました。
2002.02.10
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ここ数日、知り合いの名前を片っ端からサーチエンジンにかけて、検索するのが、習慣になっています。前にもこの日記に書いたように自分の同姓同名さんを見つけて楽しむ目的もあるのですが、もう一つ、ここしばらく音信普通になっている旧友の情報を知りたくて、検索している、というのもあるんです。まあ、殆ど捕まらないんですけどね。今、いちばん会ってみたいなと思う人は、小学3年の時のクラスメートだった、M君です。M君は、身長も勉強もスポーツもクラスの真ん中ぐらいという、特に目立たない子でしたが、誰にも言えない秘密を持っていました。彼は、その秘密を、私にだけ、こっそりと、教えてくれました。「俺、朝鮮人なんだ。誰にも言うんじゃないぞ」この話を聞いた時、幼い私は、「え~っ! M君、外国人なの?」と、素直に驚いてしまいましたが、彼が本当に言いたかったのは、もちろん、別のところにあったのでしょう。当時はまだ「バカチョン」なんて言葉が、死語ではありませんでしたから…そんなM君と、私の転校で離れ離れになってから、もう21年が経ちます。サーチエンジンで何度も検索しても、彼の情報は、未だ、姿を現してはくれません。
2002.02.09
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私の勤務先では、創立記念日(2月10日)に全従業員にお饅頭を配る風習があります。今年の2月10日は日曜日なので、今日、前倒しして、お饅頭を配ることになりました。朝イチで業者さんからお饅頭が届いたので、午前中いっぱいかかって、配布の準備。従業員の名前を印刷したタックシールを箱に貼り、更に部署ごとに仕分けをします。お昼休みを挟んで、午後2時ごろに、全工程が終了。いざ配布! と思った矢先…「お饅頭が足りない!」と上司の声。結局、業者さんに追加注文をお願いし、私がそこまで受け取りにいくことに。いつもお饅頭を作ってくれる業者さんは、旧城下町の面影を色濃く残す下町にあります。見た目はごく普通の街の和菓子屋さん的風情ですがなかなか繁盛しているらしく、仙台駅の駅ビルの地下にも、テナントを持っています。しかもそのテナントのある場所が、あのようけん堂の真向かい! ひょっとしたら、ここは第二のようけん堂ではあるまいか? との淡い期待を胸に、本来の目的そっちのけで、お店に入ります…で、結果は? 掲示板でお答えします(^-^)
2002.02.08
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今日は、会社の人と飲み会だったので、帰宅が12時すぎちまった。やばいやばい! 日記、急がねば。でもネタが無いよお(T_T)そうだ、CDでも聴いて、気分転換だ! エイヤッ! と1枚のCDを取り出します。タイトルは「80’s ALIVE JAPAN 2」(ポニーキャニオン)。私のお気に入りのCDのひとつです。70年代後半から80年代に至るまでのヒットソングを集めたこのCD。他の企画モノCDと大きく違う点は、収録曲に一発屋の歌がたくさんあることです。円広志「夢想花」、クリスタルキング「大都会」、斉藤哲夫「いまのキミはピカピカに光って」、アラジン「完全無欠のロックンローラー」、あみん「待つわ」… キラ星のごとくラインナップされる一発の数々が、すべて、この1枚に収められているんです。聴き応えが、一味違います。ところで、話はガラッと変わるのですが、昨年の暮れに、一発屋のひとりと会話を交わす機会がありました。もっとも、私の地元・仙台在住のさとう宗幸さん(「青葉城恋歌」の人です・笑)。ある方のお通夜(最近、通夜・葬式系のネタが多いなあ…)でお会いしたんですが、芸能人にありがち(あくまで風評です。あしからず)な横柄なところもなく、実に気さくな方でした。だから、芸能界では一発屋で終わってしまったのかもしれませんが…
2002.02.07
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今月は、確定申告の月。という訳で、給与担当の私のところにも、去年辞めた元・従業員から、源泉徴収票をくれとの声が、相次いでいます。もっとも、所得税法上では退職した従業員へは退職日から1ヶ月以内に当年分の源泉徴収票を渡さねばならず、実際私も退職者には最終月の給与明細に源泉徴収票を添付しているのですが、みんなそんな紙切れはさっさと失くしてしまうらしく、2月になって慌てて源泉徴収票を請求する、というのが、実状のようです。今日は、そんな元・従業員のひとりが来社して、即席の税務相談員を務めます。退職するまでの給与・賞与でさっ引いていた源泉税は、失業中の彼らにしてみれば大切な収入源。できる限り親切に、そして誠実に、応対します。やりとりの内容はともかくとして、このテの相談を受けている時は、私にとって、もっとも仕事のやり甲斐を感じるひとときです。「もっと勉強して、みんなのお役に立ちたいな!」と、心の中で奮起してしまいます。
2002.02.06
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今日は、ビッグコミックオリジナルの発売日でした。現在の私の愛読紙です。一番最初の日記(1月11日)に高校時代は週刊少年ジャンプを愛読していたことをお話しましたが、これは高校2年の秋で卒業し、その後はビッグコミックスピリッツ → ビッグコミックオリジナルと、変遷しています。変遷の理由は… いまいち思い出せないのですが、アニメや単行本で見た作品に影響されてかなあ… ジャンプからスピリッツへの切り替えは、「F」とか「YAWARA!」がアニメ放映されるようになってからだし、スピリッツからオリジナルに切り替えたのも、「MASTERキートン」の単行本を読んだことが多分に影響していると思います。よく考えてみると、スピリッツ以来、浦沢直樹の漫画は、欠かしたことがありません「YAWARA!」に始まり、「MASTERキートン」、そして「MONSTER」。残念ながら私がオリジナルに乗り換えた後にスピリッツに連載されていた「HAPPY!」と「20世紀少年」は見逃してしまいましたが、かれこれ14年もの間、浦沢作品に親しんでいることになります。ところが、昨年暮れに「MONSTER」の連載が、終わってしまったんですよ… そろそろオリジナルも、卒業する頃合いなのかなあ。
2002.02.05
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私の本名は、苗字も名前も、どこにでもいる名前です。まさに、山田太郎級(笑)そんな訳で、私の本名をサーチエンジンで検索してみると、実に多くの同姓同名さんと、遭遇する羽目になります。今日も、暇潰しに、Googleで検索してみると、出るわ出るわ!いちばん登場頻度が高いのは、ヒーローもの番組で主役を演じた俳優さん。この人、番組の主題歌も歌っていて、カラオケ本にも、名前が載っています。友達に、「おい、おまえの歌が載ってるぞ!」と、何度からかわれたことやら…次いで、昨春の選抜高校野球に21世紀枠で登場した高校の主軸バッターや、あまり強くないプロボクサーなど、文字通り延々と、同姓同名さんの活躍(?)が続きます。ずーっと見ていくと、パラレルワールドを見ているようで、妙な気分になります。ところで、実は私本人も、その同姓同名さんのひとりとして、登場しているんです。まさか自分のことが誰かのHPで紹介されているとは夢にも思わなかったので、ぶったまげました。
2002.02.04
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今朝は、「温泉行くよ!」の声で、起こされました。昨晩は義父、妻の伯父と3人で遅くまで飲んだ挙句に風呂に入らずに寝てしまったので、近くの温泉で朝風呂しようということになったのです。眠い目をこすりながら、妻の実家のすぐ近くにある温泉「こおり温泉 うぶかの郷」へ。研修センターと銘打った第3セクターの施設で、それだけ聞くと宿泊客などまるで期待できない印象ですが、風呂場は結構な盛況。20分ぐらい湯船に浸かっていましたが、お客さんが入れ替わり立ち代わりでやってきます。家に戻ると、メイプルさんご夫妻のご訪問。ゴーヤーマンの耳かきを戴きます。もっとも、今回はプレゼントではなくあくまで代購なので、お金を払いました。お代は、2本で〆て630円也。そんなこんなでまったりしていると、今度はお昼に寿司でも食べるかとの話。一族総勢9名で、町の中心部にある「神林寿し」へ。昨日の酒がまだ抜けきっていないのに、まずはビールで乾杯。今日も、酩酊必至です。
2002.02.03
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今日は、福島市内のホテルで、カミさんの友達の結婚式がありました。送迎係の私は、式場までカミさんを送ると、3時間ほど暇潰し。福島市は人口29万。県庁所在地でもあるので、3時間なんてあっという間に潰せるかなと思ったら、ちっともそうじゃない。まずはインターネットカフェを探そうと電話帳を繰ってみたら、市内には1軒もなし! そんじゃあ次善の策としてひょっとしたらネットが使えそうな県立図書館へ行こうと思ったら、書庫の整理で当分休館するとのこと。頼みのネットがダメだとなると、さてどうするか? とりあえず、福島競馬場まで、行ってみることにしました。昔福島に3年も住んでいながら、ここに足を運ぶのは、実は初めてでした。もっとも、目的は、お馬さんではなく、競馬関連の耳かき捜しだったりするのですが(笑)で、捜索結果。「馬の七福神」が7種類すべてありましたが、結局買いませんでした。私のHPのタイトルは「CAPTAINの耳かき旅行記」。矜持というほど立派では心がけではありませんが、どこでも買えそうなブツに手を出すのは、ちょっと躊躇してしまいます。
2002.02.02
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今、仕事を終わらせたところです。これから、福島にあるカミさんの実家まで行って来ます。思えば、私が初めて福島に行ったのが、18の春。以降、仙台との間を何往復してきたことか… 数え切れません。最初の頃はささやかな旅行気分を味わえたのですが(特に桜の咲く頃がサイコー!)、何度も行き来するとすっかり慣れてしまい、風景を見る目にも力が入りません。そんな訳でたまに、経由するルートを、意図的に変えてみることがあります。例えば鉄道ならばJRを使わないで第3セクターの阿武隈急行を使ってみるとか、よりルート選択の自由が利く自動車ならば、沿岸部を相馬まで南下して国道115号線を通るとか、ありとあらゆる選択肢を、試してみました。でも、やはりというべきですか、結論としては、通い慣れた道がやっぱり一番なんですよね。うまく表現できないけど、生理的に落ち着きます。という訳で、今日もこれから、いつものルートで、行って来ます!
2002.02.01
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去年、「チキチータ」がドラマの主題歌になって以来、アバの曲を、よく聴くようになりました。アバとは1970に人気を博したグループなので私はその活躍をリアルタイムでは知らないのですが、妙な懐かしさを、感じてしまうのです。興味が高じて、結婚式のケーキカットのBGMにも「ダンシング・クイーン」なんか使ってみたりして(笑) 今も、「テイク・ア・チャンス」とか「イーグル」なんか聴きながら、この日記を書いてるんですよ。ところで、このアバ、アルファベットで表記したいのですが、ご存知の通り2文字目がBをひっくり返した字なので、果たしてワードで変換可能なのかどうか、わからないんですよ。確か日本のファンサイトでも、カタカナで表記していたと思います。何か、カタカナで表記すると、昔々TVによく出ていた「エバ」みたいで、ちょっと困る。「♪きいろいさくらんぼ~」てか(笑)どなたか、「Bの反対」の文字を変換する方法をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて欲しいものです。
2002.01.31
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昨日休んだ分の仕事も片付け、クタクタの帰宅。でも家に帰ってもひとり。「夕飯、何にしようかな?」と考えるのが、日課になりつつなります。台所には、賞味期限を過ぎた食パンが4枚ほど。捨てるのももったいないので、フレンチトーストを、作ることにしました。早速、ボウルの中で卵と砂糖をかき混ぜ、パンを浸し、フライパンへ。1~2分焼くと、もう焦げ目がつきます。サッと皿にとり、次のパンを焼きます。5~6分ほどで、夕飯が、できあがりました。さてと、食事だ。見栄えはまずまずのフレンチトーストですが味の保証はしかねるので、上にハムを乗せて食べます。う~ん。何とも言いがたい味(笑)でも、たまに自分で夕飯を作るのも、いいもんですね。食べた後に冷蔵庫を覗くと、賞味期限が明後日に迫った豆腐が1丁、淋しく残っています。そうだ! 明日の夕飯は、麻婆豆腐にしよう!
2002.01.30
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先週の金曜日から、妻が福島の実家に帰っています(三行半を突きつけられた訳じゃないです。あしからず)。そして今日は、珍しい平日の休み。ということで、しばらくやってなかった家事仕事を、いっぺんにやりました。まずはお掃除。家の中はただ掃除機をかければOKなんですが、今の時期は窓の結露がひどく、ふきとりが大変。次に洗濯。万事が自動なんですが、粉末洗剤が溶け残ってしまい、やり直す羽目に。洗濯で風呂の水をたっぷり使った後は、風呂掃除。髪の毛が邪魔で、捨てるのにだいぶ時間がかかり、ようやく終わった頃に洗濯が終了。ベランダに干しに行くと、隣の奥さんとバッタリ鉢合せ。「おはようございます」と挨拶するが、奥さんは、何でダンナが洗濯を干してるんだろうと、怪訝な表情。一仕事終えた後は、今度は実家の母からの依頼で、住民票を取りに区役所へ。今はカードがあれば簡単に住民票が取れるようになったとはいえ、結構な時間待たされる羽目に。その他、細細とした用事を済ませてから、実家へ。一時間ほど母と世間話に花を咲かせてから、今度はスーパーで夕飯のお買い物。このところラーメンばっかりで野菜も肉も不足しているので、サラダとミートボールを買ってきました。そんなこんなでようやく帰宅すると、もう午後5時。貴重な休みの大半が、家事仕事で費やされてしまいました。専業主夫も、楽じゃあないですね。
2002.01.29
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私は、今は仙台に住んでいますが、生まれは東京の目黒で、その後、都内や横浜を転々と移り住みました。その中でも、3歳から8歳までを過ごした国分寺市は、幼時の記憶もまだ残っており、私にとって、非常に思い入れが深いところです。住んでいた当時の国分寺市は、住宅と農地が混在していて、東京都と呼ぶには幾分田舎じみていました。そんな国分寺を離れたのが1980年の4月のこと。その後長らく、かの地を訪れることは、ありませんでした。再訪が叶ったのは、11年後の1991年12月のことです。詳しくは紹介しませんが、まず国分寺駅が建て替えられていたことに驚き、次に農地の大半が住宅(とりわけ学生アパートが多かった)に変貌を遂げていたことに驚くといった具合で、まあ、浦島太郎の心境を、味わってしまいました。そんな中で、個人的にショッキングだったのは、私の通っていた幼稚園が、廃園になっていたことです。自慢ではないのですが私の母園(という表現はアリなのか?)は小中高(大学もだったかな?)と揃っていることが売り物だったので、まさか廃園になっているなんて、想像すらしてなかったのです。廃虚になった園舎を眺めているうちに、涙が出そうになりました。
2002.01.28
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皆さんそうだと思いますが、普段の私は、本名で呼ばれています。でも、HPを開設したばかりの頃に、一度だけ、私のH・Nを知っている人から面と向かって「CAPTAIN」と、呼ばれたことがありました。その時、すごく恥ずかしかったです。いささか説教臭くなりますが、そもそも名前というのは、周囲が呼んでくれることによって、定着してくると思うんですよ。ところが、H・Nの場合は、自分から敢えて、その名前を名乗ってるじゃないですか。しかもH・Nはネット上だけで通用する、バーチャルな名前として認識していますから、呼んでくれて嬉しいという気持ちはあるのですが、私の場合はむしろ、秘密をバラされたみたいな気恥ずかしさのようなものが、先に立っちゃいますね。でも、よくよく考えてみると、私がネット上でしか接したことのない人と直接会ったら、ひょっとすると、H・Nで呼んじゃうだろうな… と言うか、やっぱりH・Nの方が、自分にとって親しみのある名前だから、口に出してしまうだろうな、と思うんです。自分はH・Nで呼ばれたくないけど、他人のことはH・Nで呼んでも構わない… 自分勝手か自己矛盾、パラドックスの世界に、陥ってしまいます。で、前にも話しましたが、4月に、オフ会のお誘いを、戴いています。この時、皆さんは、どう呼び、呼ばれあっているのでしょうか? すごく興味深いところです。
2002.01.27
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今日の昼間は、街へ出かけました。仙台駅で京都の、藤崎デパートで博多の物産展が開催されていましたが、いずれも耳かきはなし。このテのイベントでは、どうしても食べ物に人気が集中する傾向があるので、お土産の末席を濁す(言いたかないが、これが現状です…)耳かきは、滅多に取り扱ってもらえません。そんな悔しさを胸に(?)ラーメン屋で昼食。と、そこで、妙なことに気がつきました。「今朝、何食べたっけ? 確か出掛けに、日清のカレーヌードル食べたような…」更に記憶を辿ると、昨日の夜は近所のラーメン屋でタンタンメンを平らげ、その日のお昼も、社食でラーメンを食べていたはず。とすると、四食連続でラーメン! オバQの小池さん並みのペースです。このところ、耳かきの収集実績が芳しくないので、我がHPのメインタイトルも、いっそのこと「とりあえずラーメン!」(ででさん、パクってスミマセン)にしちゃおっかな? と、ひとりごちてしまいました。
2002.01.26
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20年くらい前に、井上ひさしの「吉里吉里人」をきっかけに、全国で、ミニ独立国ブームってありましたね。私の地元の宮城でも、県北の四つの町で「みやぎ北上連邦」なんてやってましたが、今は活動しているのかどうか… どうも、一過性のブームに、終わってしまったようです。そんなミニ独立国のひとつに、福島県は二本松の岳温泉で建国された「ニコニコ共和国」というのがあります。こちらも80年代の建国当初は日本時間から1時間遅れた「ニコニコ時間」を設定したり、観光案内所を「国会議事堂」、ガソリンスタンドを「アラブ首長国連邦大使館」、ストリップ劇場を「国立演舞場」と表現する悪乗りぶりを発揮していましたが、今はどうなんでしょうか。とんと、話題にもなりません。今さら何で、こんな話題を書くのかと言うと、今日、福島の実家に帰省した妻から、「岳温泉で、金色の赤べこ(なんだそりゃ?)の耳かきがあったよ!」との連絡が来たからなんです。耳かきコレクターとしては、現存しているかどうかわからない妙ちきりん(死語)なミニ独立国よりも、こっちの方が気になります。あ~、早く現物を、拝みたいな~!
2002.01.25
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社内で誰かが出張から帰ってきた時に、お土産を持ってくることが、よくありますね。今日も、事務所の机の上に、南部煎餅が、置かれておりました。どうせだったら、私へのお土産は耳かきにして欲しい(笑)ところですが、戴いた経験は、残念ながらありません。いつのことだか忘れましたが、広島出張のお土産ということで、もみじまんじゅうを買ってきた人がいました。もみじまんじゅうと言えば、実物よりもB&Bのギャグが思い出されて私の世代だとプッと吹き出してしまうのですが、20歳前後の若い同僚には、この感覚がわからない。B&Bなんて流行ったのはもう彼らが産まれていたかどうかのことなので、無理もないですね。あと、出張土産から話が少しずれますが、盆暮に社長宛に届いた贈答品を「処分」するのも、実は事務職社員の重要な(?)仕事だったりします。誰かの離婚会見で贈答品の始末に困った話がクローズアップされましたが、あれ、本当に、他人事とは思えません。
2002.01.24
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実は私、ドラマに出演したことがあるんです。もちろん、エキストラですが(笑)一昨年のちょうど今ごろ、私を含む勤め先の従業員が、どういう訳か、あるドラマの仙台ロケでのエキストラを、仰せつかったのです。全国ネットで自分の顔が出るのはやっぱり恥ずかしいので正直なところあまり気乗りはしなかったのですが、まあ業務命令ですし、朝早くに、渋々ロケ現場の仙台駅まで行きました。通勤ラッシュをやり過ごしてから、撮影開始。駅に着いた女の子を仙台に住んでいる彼氏が出迎えるシーンで、私たちは新幹線で仙台までやってきた出張中のサラリーマンという設定です。まあ、たいしたことないドラマだから撮影なんてすぐに終わるだろうとたかをくくっていましたが、意外にも取り直しの連続。スタッフの方に歩き方や視線について細かく指導されるなど、しばしの俳優気分を味わってしまいました。何度もダメ出しが出るうちに、現場の周囲に人だかりが。女の子役の女優さんに気づいた野次馬から、黄色い声援が飛びます。そんな時、私たちエキストラは、警備員のお兄さん(?)へと早変わり。群がる野次馬から、女優さんを守ります。そんなこんなで、3時間ほどで、撮影は終了。変なところで気を遣ったので、妙な疲れ方をしました。で、1ヶ月後のオンエア。あれだけ時間をかけて撮影したはずなのに、写ったのはたったの1分程度。私の登場シーンなんか、5秒にも満たない(笑) それはまあ仕方ありませんが、それよりもっと驚いたのは、テレビ画面のあちこちで、同僚が歩き回っていたこと。テレビに映る機会なんて滅多にない我が同僚が、普段はテレビでしか見れない俳優さんや女優さんとおんなじ画面の中ににいるのを目の当たりにして、結構不気味なものを、感じてしまいました。
2002.01.23
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昨日、「耳掻き博物館」の10,000人目の入場者になりました。今年に入ってから10,000Hit達成者への耳かきプレゼントなどの告知が展開されていたので興味深く拝見していましたが、ここは数ある耳かきサイトのなかでも最もポピュラーなところのひとつだし、私なんぞのような新参者(ネットデビューから2ヶ月です)がまかり間違って踏んだらちょっとやばいかな? と、実際のところ、遠巻きに眺めていました。で、いよいよカウントダウンとなった昨日、午後9時過ぎに件のサイトを覗いてみると、カウンターの数字は「9998」。ちょっと惜しい! これで、まあ私が10,000を踏むことはないだろうと、一旦ページを後にしました。それから約30分後。さて、そろそろ10,000を超えてるかな? と、再び訪問。このところ60Hit/day前後の盛況が続いていたので、もうとっくに10,000は通過しているだろうとカウンターを覗くと、「10,000」の文字が…「え~~~っ!?」最初の感想は、喜びよりもむしろ驚きの方が大きかったです。さっきも書いたように、私のような新参者が…という気持ちもありましたが、それよりもむしろ、画像の保存の仕方が分からない(苦笑・ちなみに、この後耳かきサイトでお世話になってる「おとうちゃんのコレクション」の管理人さんから、画像保存のやり方のメールを戴きました。書面を借りて、御礼申し上げます)。慌ててデジカメを手に画像をパシャパシャ。とりあえず、証拠残さなくては… と、焦りながら撮ること数枚。ちょびっと、手が震えました。何はともあれ、貴重な体験をさせてもらいました。で、戴けることになったペガサスキティ耳かきは、有り難く使わせていただく…かどうかはわかりません(笑)が、手許に届いたら、我がHPに即UP致します。本当に、ありがとうございました。
2002.01.22
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私の勤め先では、盆暮が忙しくなるので、いつも、短期のアルバイトを雇っています。このアルバイト、数年前までだと定年退職した元従業員や高校生、大学生が大半だったのですが、このところの不況の影響で、いわゆるフリーターの比率が、グッと増えてきています。だから、給与を支払う時なんかも、もう戦争です。彼らの多くは勤務日数や時間に間違いがないかどうか、明細を目を皿のようにしてチェックするからです。給与計算する側からしたら、計算を間違わないのは当然のことなのですが、あまり嘗め回すように見られてしまうと、痛くもない腹を探られるようで、気持ちのいいものではありません。今日も、そんなフリーター系アルバイトの一人が、給与をとりに来ました。この人は給与計算の間違いをチェックするほどの細かさはありませんでしたが、開口一番「これ、源泉税が引かれていませんが、よろしいんでしょうか?」と、いきなりの質問。その後も、給与の支払金額はきちんと税務署や市役所に報告するのかとか、税金のことばかり質問してきます。どうも、確定申告慣れした人のようです。とりあえず手持ちの知識で説明したら納得して帰って行きましたが、このテの細かい知識も給与担当者には要求されるんだな… と、宿題がひとつ増えたような気分になりました。
2002.01.21
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昨日と今日は、大学入試センター試験があったんですね~ 受験生の皆様、どうもご苦労様でした。センター試験と言えば、共通一次試験から名前が変わったのが、ちょうど私が高校3年の時。てな訳で、私はセンター試験1期生ということになるんです。そのセンター試験当日。会場は東北大学の教養部で、案内されたのが広い教室。恐らく200人以上の受験生で、埋まっておりました。で、もちろん受験番号順に座っているのですが、この受験番号、出身高校を問わずこの会場の受験者を通してのオール50音順だったんです。だから、前後左右、全く知らない人だらけ。これは無言のプレッシャーになりましたね。更に驚いたのは、教室にいる受験生の「苗字」でして、こっそり受験票を拝見すると、ぬぁんと、全員が私と同じ苗字! もっと細かく言えば、私の席の前後何人かは、カナで表示すると5文字目まで私と全く同じ訓みでした。私の苗字は全国でもポピュラーな部類に入ることは知識としても、また経験上でも(何せ、苗字で呼ばれることは、殆どありません)承知しているつもりでしたが、これだけ大勢の、しかも面識が全くない○○さんのど真ん中に放り込まれると、とっても不気味な気持ちでした。この状況、今でもたまに、夢に出てきます。P.S13日の日記で紹介した赤いチャンチャンコ、今日、父に渡してきました。父は今度の水曜日に誕生日を迎えるので「まだ50代でいたいんだけどな~」とのたもうておりましたが、喜んで、受け取ってくれました。おめでとうございます!(←ここで言ってどうする?)
2002.01.20
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今日の出勤途中に、登校中の中学生を見ました。でも、土曜日にこの光景が見られるのは、3月いっぱいなんですね。4月からは学校も、完全週休2日制。私たちの学生時代には、考えられなかった状況です。昔なら土曜日も(半ドンですけど)きちんと授業があったから、心配はいらなかったのですが、近い将来に親になる身としては、土曜日の過ごし方もちゃんと考えとかなければ…と、ない頭を捻ってしまいます。もし、子供と一緒に土日の連休を過ごすとしたら… う~ん、贅沢な意見ですが、日曜日は申し訳ないけれども完全休養させていただきまして、残る土曜日で、いろいろと見て回りたいな、と考えてます。幸い日帰り旅行に関しては人様よりも豊富な経験(?)がありますので、鉄道や車で、いろいろ連れて行ってみたいです。独身の頃は「日帰りでどこまで行けるだろうか?」といういささか人体実験染みた状況だったのですが、子連れだったら、各々の観光地を、じっくりと、回ってみたいですね。そのうち親に触発されて、何か(やっぱり第一希望は耳かき!)のコレクションを始めるようになれば、これほど嬉しいことはないのですが…
2002.01.19
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実は私、3年連続して小学校を転校しているんです。入学したのは東京は国分寺の学校だったのですが、3年の時に横浜(ほとんど川崎ですけど)、4年に仙台、5年では更に仙台市内の別の学校と、もうジプシー状態。最初に転校することが決まった時はどういう訳か「やった!」と小躍りしてました(だって、漫画のヒーローって、転校生のケースが多いじゃないですか)が、さすがに3回目になると、「もう止めてくれ~~~」と、いささかグロッキーでした。転校でもっとも印象に残るのは、何と言っても、横浜から仙台に引っ越した時です。幼い私にとって北国・仙台のイメージは、 ①冬はとにかく寒い、雪が1メートル以上積もる ②標準語が通じないだったので、引っ越す直前に、思い出すのも恥ずかしいのですが、友人と一緒に仙台弁の特訓(?)をやったんです。まずは、仙台弁は語尾に「~だっちゃ」とつくので、その練習。「明日は雨だっちゃ」「あそこまで行くだっちゃ」などなど、もう諸星ラム状態(笑)それで、飽きるほど喋り捲った後は、TVでお勉強。と言っても、仙台弁をしゃべる芸能人なんていなかったので、同じ東北出身の千昌夫や加藤茶、あるいはまだ存命だった伴淳三郎のしゃべくりを聞いて、謝る時は「どうも、スンズレイしました」、風呂に入れば「あ~、いいつもづ(←いい気持ち、ね)」とか言っとりました。親には「バカなことはやめなさい!」と叱られましたが、私にとっては、結構真剣な問題だったんです。で、その成果は? もちろん、全然役に立ちませんでした(笑)
2002.01.18
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今日は、カミさんの誕生日でした。夕飯は、ケーキとワインで乾杯! でしたが、ただそれだけ。結婚前に比べると、質素なディナーです。独身の頃は、カミさんの誕生日には二人で鎌倉へ日帰り旅行するのが、恒例の行事でした。午前中に鶴岡八幡宮で参拝し、若宮大路や小町通りを散策した後で横浜まで出て中華街にてお昼というパターンが定番で、お金はかかりましたが、その分とてもいい思い出になったと、自負しております。旅行の概略についてはHPで紹介しているのでここでは省略しますが、それにしても、結婚すると、お互いサイフの紐が硬くなること! 私からもカミさんからも、鎌倉バースデー旅行の話は、ついぞ出ることはありませんでした。ところが最近になって、ネット仲間の方から「4月に鎌倉でオフ会」のお誘いを戴きました。ありがたいことに幹事の方はカミさんも一緒にいかがですかとおっしゃって下さるのですが、ここで奮発して二人で行こうかどうか、懐具合を気にしている今日この頃です。
2002.01.17
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私は、左利きです。小学校に入学した1970年代の後半はまだまだギッチョ矯正の風潮が強く(何てったって、幼い頃のピンクレディーのケイちゃんが左手で鉛筆を持つと隣の席の子に手をつねられた、なんてエピソードが「小学○年生」に載ってたくらいです)、私も先生にいろいろと指導を受けましたが、なかなか矯正がうまくいきません。そんな訳で、クラスメートからいろいろ言われることも結構あって、いつしか「僕はギッチョだから、ダメなんだ…」とのコンプレックスを、抱きかけるに至っていました。そんな時、勇気づけられたのが、母の一言です。「左利きだから何もできないなんて言わないの! 王選手を見てごらん。投げるのも打つのも左だけど、あんなに頑張ってるじゃないの!」これを境に、私の「ギッチョ・コンプレックス」は、スーッと、消えていきました(それで、いまでも左利き)。20年以上経った今でも、心に残る激励です。で、何でこんな事いきなり書くのかというと、私のHPのカウンターがもうすぐ王さんの通算本塁打数・868に並ぶんですよ。HPを始めた当初は868HITなんて遠い夢だったんですけどね。お客様に、感謝、感謝です。
2002.01.16
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今日、三和銀行と東海銀行が合併して、UFJ銀行が、発足しました。てなわけで、件の銀行の支店名コード表と睨めっこしながら、お得意さんや従業員の銀行口座をチェック。変更対象になる業者はさしてなかったのですが、煩わしいなあと思ったのは支店名の変更があまりにも多いこと。仙台でも東海銀行の仙台支店が仙台中央支店となってしまいましたが、この他にも「○○駅前」とか「××中央」って類の支店が増えた増えた! マチガイやカンチガイの素をいたずらに増やしているだけだと思うのは、私だけでしょうか?ところで、この合併で本当に大変な思いをしていそうなのは、名古屋や関西で頑張っている経理担当者でしょう。そもそも東海銀行は都銀でありながら名古屋を拠点とする地銀の役割も果たしていましたし、三和銀行の地元・関西では昨年の三井住友銀行に続くメガバンク誕生ですから。口座のチェックだけで徹夜勤務なんて、結構あったんじゃないでしょうか。銀行同士が合併して世界に対抗するだけの体力をつけていくのは大いに結構なのですが、かなりの数の企業の経理担当者が、その「産みの苦しみ」の一端を、図らずも担ってしまっているような気がします。
2002.01.15
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今年も、成人式がやってきました。毎年暴れる人が出て、話題になりますね。私はちょうど10年前に成人式を迎えたのですが、警察のご厄介になるくらいまで暴れる人は、いなかったですね。ただし、同窓会的なノリで騒いでいてエライ人の話を聞いてない人が大半でしたが。更に10年前に成人式を迎えた人の話だとその当時はエライ人の話を黙って聞く姿勢はまだあったとのことなので、もう態度が悪くなる一方! というのが、成人式をめぐる実状みたいです。さて、その10年前の成人式なんですが、実は私、私服で行ってるんですよ(笑)。というのも、成人式に招いてくれた自治体が、小・中・高校と過ごした仙台市ではなく、当時住んでいた福島市。知人も少ないので、出席する気なんてさらさらなかったんです。それで、当日は、やはり私と同じく遠方から福島にやってきた同い年の仲間と連れ立って、スキー用品でも買いに行くか、てなことになったんです。そんな訳で、スキー屋をハシゴしていると、仲間の一人が突然、「ねえ。成人式に行かない?」と言い出すではないですか。一同面食らいましたが、まあ1度しかないことだしと、結局足を運ぶことに。もっとも、会場には私たちのように私服で参加している人は皆無だったので気まずい感じがし、様子だけチラッと確認してすぐに退散しましたが(笑)。ちょっと情けない、記念日でございました。
2002.01.14
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今日は、お休み。1月半ぶりに、床屋に行きました。この床屋、年号が昭和の頃からお世話になっているんですが、BGMが常に永ちゃんといういささかマニアックなところです。村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」という小説に「…風呂屋でグレゴリオ聖歌が聞けるかもしれない。税務署の待合室で坂本龍一が聞けるかもしれない。」という一節があるのですが、ヤザワを延々と流し続けるこの店も、同類に仲間入りするかもしれません。で、店内に入ると、近所に住んでいる父と、バッタリ鉢合わせ。隣同士の席で、髪を切ってもらうことに。肉親と一緒に床屋で髪を切ってもらうなんて初めての経験で、少し恥ずかしかったです。その父ですが、今月に還暦を迎えます。そこで、お昼に、還暦には欠かせない赤のチャンチャンコを買いに、カミさんと街まで行きました。チャンチャンコはデパートの呉服売り場ですぐに見つけたのですが、一番安いヤツでも16,000円もするので、ビックリ。たった1日しか着ないであろうチャンチャンコにしては高くつきますが、人生で1度しか経験しない(2度経験した人は泉重千代さんぐらいでしょう)還暦なので、思い切って購入することにしました。来週の日曜日に、渡そうかと、思ってます。
2002.01.13
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世間は3連休だというのに、今日も仕事でした。でも、私が詰めている事務所のメンバーも半数が休み。いつもよりも閑散としています。で、こんな日には、誰にも見られることなくコソ~ッとできるお仕事を、するに限ります。てな訳で、今日は、昨年分の従業員の給与支払報告書(源泉徴収票)を、整理することにしました。実は私、給与計算の担当者なんです(^-^)まずは、事前にプリントアウトしていた給与支払報告書を、各従業員の住む市町村別に区分けします。去年私の会社で給与を支払った人は400人以上いたので、提出対象の市町村数も40を超えます。結構手間がかかる作業なので誰かに手伝ってもらいたい気持ちはあるのですが、プライバシーに関わることなので、ひとりでいつもやってます。で、この提出先の市町村、大抵は勤務先(仙台市)近辺なのですが、たまに、住民票を親元に残したままの従業員や退職して遠方に行ってしまった人がいるので、聞いたことのない市町村に、提出することもあります。昨年でしたか、面白いことがありました。退職して茨城県龍ヶ崎市に行ってしまった従業員の給与支払報告書をかの地の市役所に送ろうと住所を調べると、何と、「茨城県竜ヶ崎市3710番地」とのこと。町名も丁目もナシ。ただの3710番地。ほんまにこれで、届くのカイナ? と、首をひねりながら、宛名書きした記憶があります。
2002.01.12
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今日から、日記をつけます。まずは、私のH・N「CAPTAIN」の由来から。この名前がついたのは、今から15年前、私が高校に入学したばかりの頃にさかのぼります。入学二日目のこと、私の隣の席で、前から顔見知りだったらしいクラスメート同士で、「キャプテン翼」の話題で盛り上がっておりました。そこでは「登場人物で、長崎の比良戸中学にいるデッカイ奴、何て名前だっけ?」なんて会話が、交わされておりました。私は、「キャプテン翼」には特に興味はありませんでしたが、掲載誌の「週刊少年ジャンプ」は愛読していたので、思わず「それって、次藤 洋じゃない?」と、口を滑らせてしまいました。そしたら、その隣の席の奴「おまえ、良く知ってるなあ」と、妙に感心してしまい、更に話の流れで、私を「キャプテン翼」の一部をもじった「CAPTAIN」というあだ名で呼ぶに至っていました。この「CAPTAIN」は、約30年に及ぶ私の人生で、唯一つけられたあだ名です。今はもうそんな名で呼ぶ人は周囲にはいないし、私自身も特に気に入ってはいなかったのですが、H・Nを決める時、自分に縁のある名前をいろいろ考えた挙句、結局、この名前に行き着いてしまいました。ちなみに、CAPTAINと呼ばれていた当時、よく「どこかの部活のキャプテンをやってたの?」と訊かれましたが、全然やってません。高校時分は仲間内で草野球をやっていましたが、本名が示す通り「ライパチ」でありました(昔の読売新聞日曜版を見ていない人には、わからないネタだなあ…)。まあ、あだ名の御利益で、先攻後攻のジャンケンぐらいは、させてもらいましたが(笑)。
2002.01.11
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