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アメリカ海軍の対潜哨戒機P-8が4月21日にカムチャツカのペトロパブロフスク近くを飛行、ロシア軍のMiG-31戦闘機が要撃して50フィート(約15メートル)の距離まで接近したと報道されている。ペトロパブロフスクはウラジオストクと並ぶロシア太平洋艦隊の重要な軍事拠点で、新しい潜水艦が配備された直後。22日にロシア軍は日本海で軍事演習を実施しているが、そうしたことを念頭に置いての偵察、あるいは挑発飛行だったと見られている。 ロナルド・レーガン政権が一種の戒厳令計画であるCOGをスタートさせて間もない1983年から84年にかけての時期にアメリカとソ連は開戦寸前だったと言われているが、その時もペトロパブロフスクはアメリカがソ連を挑発/威嚇する場所として使われた。レーガン政権が先制核攻撃を仕掛けるのではないかと疑ったソ連政府は1981年5月からRYAN作戦を指導させ、情報機関はアメリカが先制核攻撃を準備している兆候に気をつけるようにとする命令を出している。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) それに対し、アメリカは1982年12月から戦術弾道ミサイルのパーシングIIをヨーロッパに配備、その直後の83年1月に中曽根康弘首相はアメリカを訪問し、ワシントン・ポスト紙のインタビューで日本を「巨大空母」と表現した。(中曽根首相は日本をアメリカの「不沈空母」だと表現したと報道され、これを誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。) ワシントン・ポスト紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」とし、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。中曽根本人が認識していたかどうかは不明だが、挑発的で、非常に危険な発言だった。 この発言から3カ月後、アメリカ海軍は千島列島の近くで大艦隊演習「フリーテックス83」を実施、その際にエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーという3空母をペトロパブロフスクの沖に集結させた。その際、空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返し、米ソ両軍は一触即発の状態になったという。(田中賀朗著『大韓航空007便事件の真相』三一書房、1997年) その年の8月31日から9月1日にかけて旅客機の撃墜事件が起こる。大韓航空007便が航路を大幅に逸脱、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が設定したアラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切りソ連軍の重要基地の上を飛行した末に、サハリン沖で撃墜されたと言われているが、その間、航空機に対する規則で定められた警告などはなく、NORADやFAA(連邦航空局)の担当者が怠慢だったのか、事前に緩衝空域や飛行禁止空域の飛行が許可されていたということになる。なお、担当者が処罰されたという話は聞かない。もし007便の航路逸脱にアメリカ政府が関与、それが明るみに出たならソ連としては戦争を始めざるをえなくなる。 さらに、その年の11月にはNATO軍が軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。これをソ連の情報機関KGBは「偽装演習」だと疑い、全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒している。 P-8とMiG-31が接近した10日前、つまり4月11日にはアメリカ軍のイージス駆逐艦ドナルド・クックがバルチック艦隊の母港であるカリーニングラードから70キロメートルの地点まで近づき、非武装のSu-24が2機、米艦船の近くを飛行するということもあった。 この艦船にはさまざまなミサイルが装備されているが、その中には射程距離2500キロメートル、核弾頭を搭載可能な巡航ミサイルのトマホークも含まれている。イージス艦を相手国の重要な軍事基地に近づけるという行為は挑発、あるいは恫喝と言われても仕方がない。 ドナルド・クックは2014年4月10日に黒海へ入ってロシアの国境近くを航行している。その際、ロシア軍のSu-24がドナルド・クックの近くを飛行、その直後にこの艦船はルーマニアへ緊急寄港、それ以降はロシアの領海にアメリカ軍は近づかなくなったという。ロシア軍機には最新の電子戦用装置が搭載され、ドナルド・クックのイージス・システムは機能不全になったとする話も流れている。 現在、アメリカ政府はネオコン/シオニストが主導する好戦的な戦略から離脱しようとしているようにも見えるが、その一方、こうした挑発も繰り返している。バラク・オバマ大統領は迷走中だ。4月25日にオバマ大統領は250名の特殊部隊をシリアへ派遣して300人体制にすると発表、増派は戦闘をエスカレートさせるものだとする批判を呼び起こした。好戦派は主導権を握るため、2001年9月11日のようなことをする可能性もある。
2016.04.30
2年前の5月2日、ウクライナ南部、黒海に面した港湾都市のオデッサで住民がネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)のグループに虐殺された。そのグループが密接に結びついていたキエフ政権はその年の2月23日、憲法の規定を全く無視した形でビクトル・ヤヌコビッチ大統領をクーデターで追放して実権を握っている。そのクーデターで主力だったのがネオ・ナチだ。そのネオ・ナチを率いたひとり、ドミトロ・ヤロシュが最近、オデッサを訪問したという。 ビクトリア・ヌランド国務次官補によると、ウクライナを支援するため、1991年からアメリカは50億ドルを投資したと発言している。2013年12月13日に米国ウクライナ基金の大会で明らかにしたのだが、その際、彼女の背後には巨大石油企業シェブロンのマークが飾られていた。50億ドルを投入した目的は、ウクライナを巨大資本にとって都合の良い国に作り替えることにあったわけだ。 そのころ、ウクライナの首都キエフにあるユーロ広場(元の独立広場)では反政府行動が始まっていた。当初は「カーニバル」的な演出で人を集めていたが、途中からネオ・ナチを中心とした暴力的な活動へ移行、棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を警官隊に投げつけるだけでなく、トラクターやトラックが持ち出され、ピストルやライフルも撃ちはじめている。 そして始まったのが市民や警官に対する狙撃だが、ヤヌコビッチ大統領が追放された後の2月25日にキエフ入りし、その実態をエストニアのウルマス・パエト外相が調べた。その結果を26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で報告したのだが、その音声が3月5日にYouTubeへアップロードされている。それによると、パエト外相は次のように語っている: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合体(クーデター派)が調査したがらないほど本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチ(大統領)でなく、新連合体(反政府側)の誰かだというきわめて強い理解がある。」そして「新連合はもはや信用できない。」としている。 クーデター政権を否定するような発言。それに対し、西側支配層の意向を反映するような形でアシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じた。つまり、事実を隠して嘘を突き通せということだ。後の調査で、狙撃を指揮していたのはヤロシュと同じようにネオ・ナチを率いていたひとり、アンドレイ・パルビーだった可能性が高いとされている。クーデター後、バルビーは国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)議長に就任、2014年8月までその職にあった。 このクーデター政権をウクライナの東部や南部に住む人びとは拒否、それに対して民族浄化作戦が始まる。ロシア語を話す住民を殺し、追い出そうとしたのだ。「イスラエル建国」の際に行われたことを思い出させる。 1948年4月4日、イスラエルの「建国」を目指すシオニストはアラブ系住民を追い出すための作戦をスタートさせる。「ダーレット作戦」だ。9日未明にイルグンとレヒはデイル・ヤシン村を襲撃して住民を虐殺した。襲撃直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、35名は妊婦。 この虐殺を見て多くのアラブ系住民は逃げ出す。約140万人いた住民のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ移動、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。 デイル・ヤシン村と似た運命をおわされたのがオデッサ。まず、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、その2日後にキエフ政権のアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認、4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作が話し合われている。 この会議に出席したのはトゥルチノフ大統領代行のほか、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官代行、そしてパルビー。オブザーバーとしてドニエプロペトロフスクの知事で三重国籍のシオニスト、イゴール・コロモイスキーも参加していた。コロモイスキーはウクライナのほか、イスラエルとキプロスの国籍を持っている。ビジネス活動の拠点はスイスだ。 会議の10日後にオデッサで反クーデター派の住民が虐殺されたが、その数日前にパルビーが数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチへ運んでいる。その装具を受け取ったミコラ・ボルコフは虐殺の当日、労働組合会館へ向かって銃を発射、状況をキエフの何者かに報告する様子が映像に残っている。 虐殺は午前8時に「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まる。赤いテープを腕に巻いた人びとがフーリガンやネオ・ナチを抗議活動が行われていた広場へ誘導したのだ。誘導した集団は「NATOの秘密部隊」だと疑われているUNA-UNSOだと言われている。 虐殺を仕掛けたグループは、住民を労働組合会館の中へ誘導、そこが殺戮の舞台になった。殺戮の現場を隠すことが目的だったとも推測されている。48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられているが、これは確認された数字で、住民の証言によると、多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名。虐殺の調査をキエフ政権は拒否、その政権の後ろ盾になってきた西側も消極的で、実態は今でも明確になっていない。 クーデターを拒否する住民が多かったクリミアでは3月16日にロシアの構成主体になることの是非を問う住民投票が実施され、80%の有権者が参加、その95%以上が加盟に賛成し、すぐに防衛体制に入った。クリミアは周囲を海で囲まれた半島で守りやすいという利点もあり、オデッサのようなことにはならずにすんだ。 この住民投票では国外から監視団が入り、公正なものだったことが確認されているが、その投票結果を認めるわけにはいかない西側の支配層は投票に不正があったと宣伝している。その手先が「有力メディア」。ネオ・ナチが憲法の規定を無視して実権を握ったキエフの暫定政権を正当だとする一方、クリミアの「民意」は認めないというわけだ。 この当時、西側の政府や有力メディアはロシア軍の介入を宣伝、それを真に受けた「リベラル派」や「革新勢力」もいたが、そうした事実はなかった。クリミアのセバストポリは黒海艦隊の拠点だが、ソ連消滅後の1997年にロシアはウクライナと条約を結び、基地の使用と2万5000名までの駐留がロシア軍に認められていた。 この条約は1999年に発効し、その当時から1万6000名のロシア軍が実際に駐留してきたのだが、クーデター後、西側の政府やメディアはこのロシア軍を「侵攻部隊」だと叫んだのだ。これは、南オセチアでの惨敗が記憶に強く残っている西側支配層の描いた「予定稿」だったのかもしれない。 オデッサの虐殺は東部や南部の住民にとって大きなショックだったはずで、実際、多くの人がロシアへ難民として逃げ込んでいる。虐殺から1週間後の5月9日、ソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日にキエフ軍の戦車がドネツク州マリウポリ市に突入、住民が殺された。記念日を狙ったのは心理的なダメージを狙っただけでなく、住民が街頭に出てくることを見越してのことだったと言われている。5月11日に予定されていた住民投票を止めさせることも目的だっただろうが、予定通りに投票は行われ、独立の意思が明確になった。 それに対し、6月2日にデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りし、そのタイミングでキエフ軍はルガンスクで住宅街を空爆、建物を破壊し、住民を殺し始めた。民族浄化作戦の始まりだ。 民族浄化作戦を作成したのはアメリカ軍系シンクタンク、RANDコーポレーションだと推測されている。そうしたことを示す文書が見つかったのだ。 その文書によると、まず対象地域に住む人びとを「テロリスト」、あるいはその「シンパサイザー」だと考えて地域を軍隊で包囲して兵糧攻めにし、放送、電話、通信手段を断ち、ついで地上軍と航空機を組み合わせて戦略的に重要な施設を攻撃する「掃討作戦」を実施、目的を達成した後で電力や通信を復活させることになっていた。この間、外国のメディアを排除して作戦の実態を知られないようにするともしている。 現在、ウクライナではネオコンが描いた作戦は破綻しているのだが、ウクライナ支配とロシアへの侵略を諦めたわけではないだろう。NATOはロシア周辺での軍備を増強、軍事演習などを実施して挑発している。NATOが関東軍のような役割を果たす可能性もある。
2016.04.29
菅義偉官房長官は4月28日、安倍晋三首相が5月1日から7日まで、欧州5カ国とロシアを訪問、ロシアではウラジミル・プーチン大統領と会談すると正式に発表した。バラク・オバマ大統領は2月9日、安倍首相に対してロシア訪問を止めるように電話で求めたというが、それを無視しての決定だ。 アメリカ大統領の「要請」を断るほどの事情が何なのかは不明だが、安倍とオバマが電話で遣り取りした翌日、ヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してプーチン露大統領と会談していることは無視できない。そして2月22日には「テロリスト」を除外するという条件でシリアにおける停戦に合意したとする発表があった。 キッシンジャーは1960年代から70年代にかけて国家安全保障問題担当補佐官や国務長官を務めた人物で、その後も大きな影響力を持っていた。日本の「エリート」には彼と結びつくことで出世し、富を築こうという人たちが少なくない。ネオコン/シオニスト信奉者が増えるまで、キッシンジャーの代弁者としか思えない人物がさまざまな分野にいたようだ。 ベトナム戦争で疲弊したアメリカの大統領になったリチャード・ニクソン政権はデタント(緊張緩和)を推進、その中心にいた人物がキッシンジャーだが、決して平和的な人物ではない。例えば1973年9月11日、チリではアメリカを拠点とする巨大資本にとって目障りなサルバドール・アジェンデ政権がオーグスト・ピノチェトを中心とする勢力による軍事クーデターで倒されたが、その黒幕はキッシンジャーだった。 その当時、キッシンジャーの背後にはネルソン・ロックフェラーがいたが、歴史をさかのぼると情報機関が現れる。 キッシンジャーは1943年2月に陸軍へ入り、その翌年には第84歩兵師団の訓練施設があったルイジアナ州キャンプ・クレイボーンへ配属される。そこで知り合ったフリッツ・クレーマーの紹介で第82歩兵師団の司令官を務めていたアレキサンダー・ボーリング中将の通訳兼ドライバーとなり、後にアメリカ陸軍の情報分隊(後の対敵諜報部/CIC)に配属された。なお、1948年にクレーマーは陸軍参謀部の顧問に就任する。 ヨーロッパでの戦闘が終わった直後、まだCICに所属していたキッシンジャーにアレン・ダレスも目をつけた。OPC(CIAの外に設置された極秘の破壊工作/テロ部隊)の創設を控えた1947年秋からキッシンジャーは新組織のためにハーバード大学で外国人学生を秘密裏にリクルート、本人もOPCの仕事をするようになる。 1950年に学部を卒業したキッシンジャーはアレン・ダレスの作戦調査室でコンサルタントとして働くが、その一方で1951年から71年にかけて「ハーバード国際セミナー」の責任者を務めている。1953年に中曽根康弘が参加したセミナーだ。中曽根は1950年にスイスで開かれたMRA(道徳再武装運動)の世界大会へ出席しているが、この団体はアメリカの「疑似宗教団体」で、CIAと結びついていると言われている。日本人としては岸信介や三井本家の弟、三井高維(みついたかすみ)も参加していた。(グレン・デイビス、ジョン・G・ロバーツ著、森山尚美訳『軍隊なき占領』新潮社、1996年) ところで、ニクソンが推進したデタントは好戦派の反発を招く。まず1973年10月にネルソン・ロックフェラーに近かったスピロ・アグニューがスキャンダルで辞任し、ジェラルド・フォードが後任になる。1974年8月にはニクソンがウォーターゲート事件で大統領の座から降り、フォードが大統領に就任した。 フォード政権ではデタント派が粛清される。例えば、1975年11月に国防長官がジェームズ・シュレシンジャーから大統領首席補佐官だったドナルド・ラムズフェルドに、大統領首席補佐官はリチャード・チェイニー、そして76年1月にはCIA長官がウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュに交代している。その間、1975年11月にキッシンジャーは国家安全保障問題担当補佐官の職を解かれ、国務長官になるが、政府内での影響力は低下した。ちなみに、田中角栄が首相を辞任したのは1974年12月で、76年7月には収賄容疑で逮捕された。いわゆる「ロッキード事件」だ。 デタント派の粛清は「ハロウィーンの虐殺」とも呼ばれているが、この出来事で台頭してきたのがネオコン。ブッシュ・シニアもCIA長官として表舞台に登場してきた。この人物はエール大学でスカル・アンド・ボーンズに所属、在学中にCIAからリクルートされたと言われている。 キッシンジャーが暗躍するなど、今年に入り、ネオコンの戦略と違う動きが見える。「ハロウィーンの虐殺」から始まったネオコンの時代が終わろうとしているのかもしれない。ヒラリー・クリントンが大統領選で勝った場合、ニクソンのようになるという推測も流れているが、その理由はこの辺にあるのだろう。
2016.04.29
4月28日、日本の株式相場が大きく値下がりした。本ブログでも指摘してきたように、日本の株価上昇は政府/日銀主導の仕手戦。政府/日銀が買うという前提でヘッジファンドなども買っていたはずだが、数日前から日銀の相場操縦が限界に達しているとする指摘が流れていた。株価を引き上げる仕組みが機能しなくなったなら、相場は下がる。 安倍晋三首相と黒田東彦日銀総裁のコンビは「量的・質的金融緩和」、いわゆる「異次元金融緩和」を推進してきた。資金を大量に供給してきたわけだが、現在の金融システムでは大半が投機市場へ流れるだけ。人びとが実際に生きている社会へ資金を向かわせるような政策は採ってこなかった。庶民は搾り取られるだけだ。 その結果、現実社会のハイパーインフレではなく投機市場でバブルが生じ、投資銀行やヘッジファンドを助けることになる。日本の株価はETF(上場投資信託)の買いで押し上げ、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)に株式の運用比率を倍増させることも決めている。 株価が大きく値下がりする8日前、三菱自動車の相川哲郎社長は国土交通省で記者会見して「軽自動車の燃費試験時に燃費をより良く見せるためにデータを改竄する不正が行われていた」と発表した。当然、同社の株価は下落、会社の存続自体が問題になっている。 自動車会社による不正は昨年9月18日にも発覚している。フォルクスワーゲンが販売している自動車の一部が排ガス規制を不正に回避するためのソフトウエアを搭載していたとアメリカの環境保護局(EPA)が発表したのだ。 この不正を明らかにしたアメリカは不正で満ちあふれた国である。金融スキャンダルで破綻した銀行を「大きすぎる」という理由で救済し、違法行為が発覚した重役たちも事実上、処罰されていない。支配層の犯罪は犯罪と見なされないのだ。 富豪や巨大企業、あるいは犯罪組織は資産を隠し、租税を回避するためにタックスヘイブン/オフショア市場を利用しているが、ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーによると、アメリカこそが最善のタックス・ヘイブン。ロスチャイルドはネバダのレノへ移し、世界の富豪たちはネバダ、ワイオミング、サウスダコタなどに口座を作ったと言われている。アメリカにとってパナマは弱小ながら、ライバルだ。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、それを利用して憲法の機能を停止させ、国外ではアメリカの支配層に服従しない体制を破壊し、利権を獲得するために侵略戦争を本格化させ、殺戮と破壊を繰り返している。殺人と強盗。気に入らない人びとを拉致、監禁、拷問、さらに殺すこともある。自立した国を屈服させるために軍事的な圧力を強め、全面核戦争も辞さない姿勢も見せている。正気ではない。 EUの一部「エリート」はアメリカ離れを始め、ドイツの産業界もそうしたアメリカに嫌気が差したようだ。そのひとつの表れが、アメリカの意向を無視したフォルクスワーゲンによるロシアでのエンジン生産開始。昨年9月4日のこと。排ガス規制を不正に回避するためのソフトウエアを一部の自動車に搭載させたとアメリカの環境保護局が発表する2週間前だ。 日本の「エリート」はアメリカ支配層に従属することで自分の地位を確保し、個人的な富を築いてきたのだが、彼らも「アメリカ帝国の崩壊」を感じ始めたのか、安倍晋三首相は5月にロシアを訪問するという。2月9日にバラク・オバマ大統領は電話でロシア訪問を止めるように求めたが、それを無視しての決定だったという。 ちなみに、オバマの要求を安倍が蹴った2月、三菱自動車と日産は合同で燃費の問題に関する調査を行っていた。また、安倍首相が5月の初めのロシアを訪問する予定になっていたが、その直前に株式相場が大きく値下がりした。アメリカ支配層に逆らうと問題が発生するという偶然。フォルクスワーゲンのときもそうだった。
2016.04.28
マレーシア航空17便(MH17/ボーイング777)がウクライナの東部、キエフ軍と反キエフ軍が戦うドネツクの上空で撃墜されたのは2014年7月17日のことだった。 アメリカをはじめ西側では、キエフのクーデター政権を拒否している勢力が支配する地域から発射されたブーク・ミサイル・システム(SA11)で撃ち落とされたとしてきたのだが、撃墜時に旅客機近くを戦闘機が飛行していたとする住民の目撃証言をBBCは5月3日に放送される番組で紹介するという。CIAがウクライナやオランダの治安機関からの協力を受けて爆破したとする説も取り上げるようだ。 撃墜時に地上からミサイルが発射された痕跡はなく、MH17の近くを戦闘機が飛んでいたする住民の証言は事件の直後にBBCの現地取材チームが伝えていた。このチームは7月下旬にミサイルの発射地点とされた地域を調査、ミサイルの発射地点とされた地域を調べたところ、ウクライナの治安機関SBUが主張する発射現場から実際にミサイルが発射されていないことを確認したとも報告している。 この報道をBBCはすぐに削除したが、コピーされた映像がインターネット上を流れている。その消し去ろうとした情報をBBCは改めて放送するというわけだ。イギリス支配層の内部で好戦派の力が弱まっている可能性がある。 MH17が戦闘機に撃ち落とされた可能性が高いことは残骸に残された穴が示している。入射穴と出射穴があるなど銃撃されたことを示す痕跡が残っているのだ。OSCE(欧州安全保障協力機構)の調査官も榴散弾ではなく左右から銃撃された可能性が高いと語っている。 ブーク・ミサイル・システムが使われた痕跡は確認されていないが、キエフ政権のビタリー・ヤレマ検事総長も反キエフ軍がこのシステムでMH17を撃墜したとする説に否定的な発言をしている。軍からの情報として、反キエフ軍がこうしたミサイルを奪取したことはないと発表したのだ。 そこで、「ブーク説」を主張する西側のメディアはロシア側から持ち込まれたというシナリオを主張せざるをえなくなるのだが、それを裏付ける証拠は提示されていない。アメリカ政府も証拠を示していないが、偵察衛星で上空から監視していたはずで、7月7日から17日にかけてNATOは黒海で軍事演習「ブリーズ2014」を実施、アメリカ海軍のイージス艦、AWACS(早期警戒管制機)の「E-3」、電子戦機の「EA-18G」も参加していた。つまり、MH17もモニターしていたはず。もし西側が宣伝している通りのことが行われていたなら、簡単に証明できるということだ。 オランダ、ベルギー、オーストラリア、キエフ政権は撃墜について調べると称して「調査チーム」を編成して「報告書」を出したが、手持ちのデータは隠し、アメリカ政府に情報の提供を求めていない。犠牲者の家族が納得しないのは当然だ。 その説得力のない主張をBBCが止めるのだとするならば、それは興味深い事実だ。ここにきてネオコンなどアメリカの好戦派は影響力を低下させているが、そのひとつの結果かもしれない。
2016.04.27
2007年4月から13年6月にかけてカタールの首相、また1992年1月から2013年6月まで外相を務めたハマド・ビン・ジャシム・ビン・アル・タニはフィナンシャル・タイムズ紙の取材に対し、シリアでの戦闘に自国が重要な役割を果たしてきた事実を認めた。 西側では政府やメディアだけでなく、「リベラル派」や「革新」を自称している人びとも、民主化を求める「蜂起」、あるいは「革命」で、バシャール・アル・アサド政権は自国民を虐殺していると主張してきたが、アル・タニはこうした見方を否定、国際紛争だとしたうえ、その紛争へサウジアラビアやカタールを導いたのはアメリカだと説明している。 シリアやリビアだけでなく、ウクライナもネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの好戦派が侵略戦争を仕掛けていることは明白で、カタール元首相は事実を語っただけだが、当事国の要人がこの事実を認めたことは驚きだ。1992年初頭に国防総省のDPG草案という形で作成された世界制覇プロジェクト、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に基づいて行われてきた侵略に対する疑問がアメリカやその「同盟国」の支配層内で広がっているのかもしれない。 このドクトリンによると、アメリカは「唯一の超大国」として君臨して世界を支配するため、旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしている。 ドクトリンが作成される前年、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツは5年以内にイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っている。予定より遅れたが、イラクは破壊、今はシリアに取りかかり、ネオコン、イスラエル、サウジアラビアなどは今でもイランを攻撃しようと目論んでいる。 アサド政権を倒すため、外国勢力がシリアに対する侵略戦争を始めたのは2011年3月のこと。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、アメリカのバラク・オバマ政権とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は2012年のはじめ、アサド政権を打倒するための工作に関して秘密合意に達した。トルコ、サウジアラビア、カタールが資金を提供、アメリカのCIAがイギリスの対外情報機関MI6の助けを借りてリビアからシリアへ武器/兵器を送ることになったという。こうした国々が傭兵として使ってきたのがアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。 ハーシュは2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に、アメリカがサウジアラビアやイスラエルと共同でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと書いている。クラーク元最高司令官によると、アメリカの友好国と同盟国はヒズボラと戦わせるため、ダーイッシュを作り上げたと語っているが、ここにアメリカも入れるべきである。勿論、戦う相手はヒズボラだけでなくシリアもイラクもリビアも含まれる。 シリアでの戦闘にサウジアラビアが直接介入することを決め、カタールを軽視するようになってから両国は対立するようになったとアル・タニ元首相は語っている。1968年6月6日に暗殺されたロバート・ケネディ(RFK)の息子、RFKジュニアはカタールからシリア経由でトルコへ石油を運ぶパイプライン建設がアサド体制を倒す動きと関係していると指摘しているが、戦争の目的が変わってきた、あるいは目的の違いが明確になってきたということかもしれない。 カタールはサウジアラビア、ヨルダン、シリア、トルコを経由してEUへ運ぶパイプラインの建設を計画したのだが、シリアのアサド政権は拒否していた。イラン、イラク、そしてシリアのラディシアへつながるパイプラインを選んだのだ。このシリアが選んだパイプラインは、米英が建設したバクー油田からトルコのジェイハンをつなぐパイプラインの強力なライバルでもある。 いずれにしろ、ネオコン、イスラエル、サウジアラビアを中心に集まっていた侵略連合が崩壊し始めていることをアル・タニ元首相の発言は示している。ネオコンに従属している安倍晋三政権にとっても人ごとではない。
2016.04.26
バラク・オバマ米大統領は4月24日、イギリスのBBCに対し、シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すことは間違いかもしれないと語ったが、その翌日には250名の特殊部隊をシリアへ派遣して300人体制にすると発表、増派は戦闘をエスカレートさせるものだとする批判を呼び起こした。 シリア政府が支援を要請した相手はロシアであり、アメリカ軍がシリアへ入ることは侵略行為。しかもアメリカ政府はこれまでサウジアラビア、トルコ、イスラエルなどと同じようにアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を手先として利用、中東や北アフリカで殺戮と破壊を繰り返している。それだけでなく、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使ったクーデターで合法政権を倒し、そのクーデターに反発する東部や南部を攻撃し、ロシア語系住民を虐殺してきた。「民族浄化」だ。こうした侵略行為の傭兵はカフカスや中国の新疆ウイグル自治区からも参加している。最近では南アメリカで自立した体制の転覆を目指している。 アル・カイダ系武装集団がNATOと連合していることは、本ブログで何度も指摘しているように、リビアのムアンマル・アル・カダフィ政権が倒された時、明確になった。シリアでも同じ構図がある。違いと言えば、傭兵集団の一部が「ダーイッシュ」という新しいタグを付けていること位だろう。 こうしたことは半ば常識。例えば、ジョー・バイデン米副大統領は2014年10月2日、ハーバード大学でシリアにおける「戦いは長くかつ困難なものとなる。この問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、UAEだ」と述べ、あまりにも多くの戦闘員に国境通過を許してしまい、いたずらにISを増強させてしまったことをトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は後悔していたと語っている。 2013年9月、駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンはシリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っているが、そのイスラエルの情報機関幹部もアル・カイダ系武装集団がトルコを拠点にしているとしている。イスラエルもこうした武装集団を支援しているわけで、これは責任転嫁とも言える発言だが。 アメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月に作成した報告書で、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者/ワッハーブ派、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団。実態はアル・ヌスラと同じだとされている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。 つまり、シリアで政府軍と戦っている集団の中に「穏健派」は存在せず、アメリカ政府が「穏健派」を支援しつづければ、シリア東部にサラフ主義/ワッハーブ派の支配地ができると警告している。2012年から14年までDIA局長を務めたマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラのに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはバラク・オバマ政権が決めた政策によると主張したが、それにはそうした事情があった。 また、ムスリム同胞団はワッハーブ派の強い影響を受けている集団で、アル・カイダ系武装集団の主力はサウジアラビアの国境であるワッハーブ派の信徒。サウジアラビアとは「サウド家のアラビア」を意味、このサウド家はワッハーブ派の武装集団を使って支配を確立させた。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権もサウジアラビアの影響下にある。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けニューヨーカー誌で、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの3カ国がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと書いている。その手先がワッハーブ派の武装集団。 この構図は今でも生きているが、アメリカ支配層の内部で対立が生じている兆候も見られる。侵略戦争を扇動してきたのはネオコン/シオニストで、1992年にDPGの草稿という形で世界制覇計画、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」を作成している。 1991年12月にソ連が消滅してアメリカが「唯一の超大国」になったと認識した彼らは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどがソ連のようなライバルに成長することを防ぎ、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようと考えたのだ。 この時点でロシアを中心とするソ連を屈服させたと認識していたが、ロシアが世界支配の鍵を握る国だとイギリス支配層の一部は20世紀の初頭から考えている。1904年にハルフォード・マッキンダーが発表した「ハートランド理論」が戦略の基本だ。 マッキンダーは世界を3つの「島」に分けて考える。ヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、イギリスや日本のような「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」だ。「世界島」の中心が「ハートランド」で、具体的にはロシアを指している。ワッハーブ派を中心とする武装集団を1970年代の終わりに編成したズビグネフ・ブレジンスキーもこの理論から影響を受けたという。 アメリカの支配層は「ハートランド」を征服、世界支配をほぼ実現したはずだったが、21世紀に入ってウラジミル・プーチンがロシアを再独立させ、彼らの野望は大きく揺らぐことになる。それを修復しようと必死になっているのが現在だが、ウォルフォウィッツ・ドクトリンを諦めるべきだと考える人がアメリカ支配層の内部にも現れたように見える。その対立がオバマ大統領の支離滅裂な発言につながっているのだろう。
2016.04.25
バラク・オバマ米大統領は4月20日から21日にかけてサウジアラビアを訪問したが、その際、空港で一行を出迎えたのはサルマン国王ではなくリヤド市長だったという。そのサウジアラビアと同じようにアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使い、シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒そうとしている国がトルコ。そのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は3月31日から4月1日にかけてワシントンDCで開かれた「核安全保障サミット」へ出席するために訪米、その際にオバマ大統領と公式会談を望んだのだが、拒否されたという。 サウジアラビアやトルコの背後にはアメリカのネオコン/シオニストやイスラエルが存在、イギリスやフランスもまだシリア侵略を諦めていないようだ。勿論、こうした勢力が手先として使っている傭兵集団がアル・カイダ系の武装集団(アル・ヌスラなど)やダーイッシュである。 アル・カイダとは、故ロビン・クック元英外相が指摘したように、1970年代の終盤からCIAが訓練してきた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。傭兵の登録リストとも言える。アル・カイダはアラビア語でベースを意味、「データベース」の訳語としても使われている。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)はアル・カイダが攻撃したことになっている。攻撃の直後、本格的な調査が行われる前にジョージ・W・ブッシュ政権が断定、それが事実であるかのように少なからぬ人が信じている。 2011年2月に西側諸国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどはリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制打倒を目指して侵略戦争を始めるが、その際に空爆を担当したNATOは地上で戦うアル・カイダ系のLIFGと連携していた。つまりNATOとアル・カイダ系武装集団は同盟関係にあった。 その年の10月にカダフィは惨殺され、リビアは無政府状態になり、今ではダーイッシュが勢力を拡大、EUへの攻撃も予想されている。トルコ政府も行ったように、大量の「難民」をEUへ送り出し、その中に戦闘員を紛れ込ませて破壊活動を展開することになるだろう。カダフィやロシアのウラジミル・プーチン大統領が警告したような展開になりつつあるということだ。 カダフィ体制を崩壊させた後、侵略勢力は戦闘員をトルコ経由でシリアへ移動させた。その拠点になったのはベンガジにあったCIAの施設で、そうした工作をアメリカの国務省は黙認していた。その際、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 ベンガジにはアメリカの領事館があるのだが、そこが2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。スティーブンスは戦闘が始まってから2カ月後の2011年4月に特使としてリビアへ入る。11月にリビアを離れるが、翌年の5月には大使として戻っていた。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていた。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、アメリカのオバマ政権とトルコのエルドアン政権は2012年のはじめにアサド政権を打倒するための工作に関して秘密合意に達している。トルコ、サウジアラビア、カタールが資金を提供、アメリカのCIAがイギリスの対外情報機関MI6の助けを借りてリビアからシリアへ武器/兵器を送ることになったという。 2012年8月に作成されたDIA(国防情報局/米軍の情報機関)の報告書によると、シリアで政府軍と戦っている戦闘集団の主力はAQI、サラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているという。 AQI、サラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団とは侵略勢力が雇っている傭兵を多面的に説明しただけで、実態はひとつ。その中からダーイッシュも形成された。アメリカ政府は「穏健派」を支援するとしていたが、「穏健派」はアル・カイダ系武装集団につけられたひとつのタグにすぎない。そこで、報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン中将はアル・ジャジーラの取材に対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っているわけだ。 ネオコンを含む侵略勢力は傭兵を使った侵略でシリアのアサド政権を倒せると考えていたようだが、昨年9月30日にロシア軍が空爆を始めて状況は一変、侵略軍は敗走しはじめた。ここにきてサウジアラビアは携帯型の防空システムMANPADを供給しはじめたと公言している。シリアのナーディル・アル・ハルキー首相によると、4月中旬にはアレッポの北西地域などへトルコから5000名以上の戦闘員が侵入したという。 今年の初め、アメリカ政府もシリアの現体制を軍事力で破壊する姿勢を見せていた。例えば、1月22日にアシュトン・カーター国防長官は陸軍第101空挺師団に所属する1800名をイラクのモスルやシリアのラッカへ派遣すると語り、翌23日にはジョー・バイデン米副大統領が訪問先のトルコでアメリカとトルコはシリアで続いている戦闘を軍事的に解決する用意があると語っている。 ところが、2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してウラジミル・プーチン露大統領と会談してから状況が変化してくる。2月22日にはアメリカ政府とロシア政府は、シリアで2月27日から停戦することで合意したと発表、しかもこの合意はダーイッシュ、アル・ヌスラ、あるいは国連がテロリストと認定しているグループには適応されず、こうした武装集団に対する攻撃は継続されるとしている。サウジアラビアやトルコ、恐らくネオコンやイスラエルはオバマ政権の方針転換に従っていない。 現在、アメリカでは民主党と共和党の大統領候補を決める予備選挙が行われている最中で、4月19日にはニューヨーク州で投票があった。共和党の候補者であるドナルド・トランプの子どもふたりが投票できなかったことが話題になったが、こうしたケースは珍しくないという。 昨年10月9日までに登録を済ませておく必要があったのだが、ニューヨーク州の場合、その際に民主党と共和党のどちらを支持しているかを登録していないと予備選で投票できない。4月の時点で有権者1070万人のうち290万人以上が政党を登録していないため、トランプの子どもと同じように投票できなかったようだ。民主党の場合、これがヒラリーの勝利に結びついたとも言われている。 ヒラリーは軍需企業ロッキード・マーチンやウォール街の巨大金融資本と関係が深いと言われているが、ネオコンの大物ロバート・ケーガンに支持されていることでも知られている。ケーガンの結婚相手であるビクトリア・ヌランドはウクライナのクーデターを仕掛けた人物だが、ヒラリーと個人的に親しいともいう。イスラエルの富豪、ハイム・サバンから多額の献金を受けているとも伝えられている。 オバマと関係が悪化しているサウジアラビアやトルコだけでなく、ネオコンやイスラエルを含む好戦派は今年の大統領選挙でクリントンが勝利することを願っているだろう。オバマはロシアとの戦争準備を進めているが、ヒラリーはそのオバマより好戦的。それを阻止しようとする勢力との綱引きが激しくなりそうだ。
2016.04.24
レジェップ・タイイップ・エルドアンは首相時代、軍幹部、弁護士、学者、ジャーナリストなどを大量摘発した。グラディオ(NATOの秘密部隊)のネットワークによる「クーデター計画」がその口実で、275名が有罪になっている。この判決を最高裁は4月21日に無効とする判決を言い渡した。 グラディオはイタリアの組織で、1960年代から80年代にかけて「赤い旅団」を装って爆弾攻撃を繰り返していたことで知られている。イタリアは歴史的にコミュニストの影響力が強い国だったが、その爆弾攻撃で「左翼」は大きなダメージを受け、治安体制は強化された。グラディオを動かしていたのはイタリアの情報機関だが、その背後にはCIAが存在している。 NATO加盟国である以上、トルコにも「NATOの秘密部隊」は存在している。そうした組織を摘発するということはアメリカ支配層と対決することを意味するわけで、エルドアンがそうしたことをするはずはない。アメリカ政府が反発していないことを見てもエルドアン側の主張が嘘である可能性は高い。秘密部隊はエルドアン側についているはずだ。 ところで、グラディオの存在が表面化する切っ掛けを作ったのはイタリアの子ども。イタリア北東部の森の中にあった武器庫のひとつを偶然、見つけたのだ。発見から3カ月後、カラビニエーレ(国防省に所属する特殊警察)の捜査官が調べていた不審車両が爆発して3名が死亡、ひとりが重傷を負うという出来事が起こる。警察は「赤い旅団」が事件を起こしたとして約200名のコミュニストを逮捕するが、捜査は中断して放置された。(Philip Willan, "Puppetmasters", Constable, 1991) その事実に気づいた判事のひとりが捜査の再開を命令、警察が爆発物について嘘の報告をしていたも発覚する。再捜査の結果、使用された爆発物は「赤い旅団」が使っているものではなく、NATO軍が保有しているプラスチック爆弾C4だということも判明、100カ所以上の武器庫が存在している事実もつかんだ。 追い詰められたジュリオ・アンドレオッチ首相は1990年7月に対外情報機関SISMIの公文書保管庫を捜査することを許可、そこでグラディオの存在が確認され、報告書を出さざるを得なくなったわけだ。このあと、NATO加盟国で同じような秘密部隊が存在、ネットワークを形成していることも明らかになる。その源は第2次世界大戦の終盤、米英の情報機関が編成した破壊活動部隊のジェドバラだ。 トルコの秘密部隊は、CIAのヘンリー・シャートとデュアン・クラリッジの助言で創設された武装集団「対ゲリラ・センター」だと言われているが、「灰色の狼」も含まれているとする話もある。(Douglas Valentine, “The Strength Of The Pack”, Trine Day, 2008 / Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010)1981年5月にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世をサンピエトロ広場で銃撃したモハメト・アリ・アジャは「灰色の狼」に所属していた。 昨年11月24日、トルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃で撃墜したが、その際に脱出した乗組員のひとりを地上にいた部隊が殺害している。その殺害を指揮したとされているアレパレセラン・ジェリクも「灰色の狼」に所属していた。ジェリクはトルコ領内で自由に行動していたが、後に逮捕された。 内部告発支援グループのWikiLeaksによると、この撃墜は10月10日にエルドアンが計画している。撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問、トルコ軍の幹部と討議していたのも「奇妙な偶然」だ。 エルドアン大統領を中心とする勢力がサウジアラビアと手を組み、アル・カイダ系武装集団やそこからは派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使ってシリアを侵略していることは本ブログで何度も書いてきた。ネオコン/シオニストなどアメリカの好戦派やイスラエルも仲間だ。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュも「グラディオのネットワーク」に含まれていると見るべきかもしれない。 トルコに今でも存在しているであろう「グラディオのネットワーク」はアメリカの支配層に動かされているのであり、エルドアンと結びついていると考えなければならない。このエルドアンが摘発した人びとが「グラディオのネットワーク」に属しているとは考えられない。実際、摘発された軍人は中国との関係を強めていたと伝えられている。 本ブログでも書いたように、傭兵会社ブラックウォーター(現在の社名はアカデミ)を創設、現在はフロンティア・サービス・グループの会長を務めているエリック・プリンスが3月にトルコを訪れ、MIT(トルコの情報機関)の高官らと会談している。トルコ軍が対応できない事態が生じているのか、その軍を信用できない状況になっていると言われていたが、今回の最高裁判決を見ると、トルコ国内の情勢が大きく変化していると考えざるをえない。
2016.04.23
サウジアラビアのサルマン・アル・サウド国王やトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はシリアのバシャール・アル・アサド体制を軍事的に倒す計画を放棄していない。 この両国やカタールのほか、イギリスやフランスをはじめとする西側諸国はシリアの戦闘を政治的に解決する意思はないとシリアのナーディル・アル・ハルキー首相は主張、4月中旬にはアレッポの北西地域などへトルコから5000名以上の戦闘員が侵入したとも語っている。アメリカのネオコン/シオニストやイスラエルもシリアのアサド体制を破壊しようとしている。 侵略勢力は戦闘員を送り込むだけでなく、武器/兵器の供給にも力を入れている。ここにきて注目されているのは携帯型の防空システムMANPADだ。2月19日付けシュピーゲル誌に掲載されたサウジアラビア外相へのインタビュー記事によると、戦況を一変させた空爆に対抗するため、地対空ミサイル、つまりMANPADを供給しはじめたという。 ネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツがイラクやイランと同じようにシリアを5年以内に殲滅すると語ったのは1991年のこと。彼は国防次官だった。その年の12月にソ連が消滅、翌年の初めにはウォルフォウィッツが中心になって世界制覇プランを国防総省のDPG草案という形で作成、それを危険だと考えた人が政府内にいたようで、有力メディアが報道している。 この草案はアメリカが「唯一の超大国」なったという前提で書き上げられ、潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどがソ連のようなライバルに成長することを防ぎ、膨大な資源を抱える西南アジアを支配して真の覇者になることを目指している。。リークによって書き直されたようだが、プラン自体は生き残り、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」と呼ばれている。 このドクトリンが作成された2年後、国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンがカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、日本が自立の道を歩き出そうとしていると主張、そして発表されたのが1995年の「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。ここから日本はアメリカの軍事侵略を支援する態勢を整備しはじめ、安倍晋三政権につながる。 安倍政権を成立させる前に好戦派は大きな問題に直面する。小沢一郎が率いる民主党が政権を握りそうな展開になったのだ。その小沢を事実上の冤罪で排除したのが東京地検特捜部とマスコミ。小沢と親しい鳩山由紀夫が首相になると、強引に引きずり下ろした。事実上のクーデターだ。 クーデターの一翼を担ったマスコミは国際情勢に関し、ネオコンが作り出す幻影を宣伝してきた。そのマスコミがシリアへ送り込んだ山本美香がアレッポで殺されたのは2012年8月20日のこと。当時、日本の首相は野田佳彦だった。安倍が首相になるのはこの年の12月だ。 トルコ南部のキリスから国境を越えてアレッポ入りたという。「自由シリア軍」に同行していたと報道されたが、トルコからシリアへ入る地域を支配していたのはトルコの情報機関MITと、その支援を受けているアル・カイダ系武装集団。山本たちが同行した戦闘集団を「反体制武装組織」ともマスコミは表現していたが、これは取材不足による間違いなのか、嘘である。「反体制」ではない。どのようなタグを付けていたかは別としてアル・カイダ系武装集団だったはずで、シリアを侵略している戦闘集団は山本との死を「予定」していたようにも見える。 この当時、つまり2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAが作成したシリア情勢に関する報告書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。DIAによると、アル・ヌスラとはAQIがシリアで使っていた名称で、AQIとアル・ヌスラの実態は同じだ。 本ブログでは何度も書いているようにムスリム同胞団はワッハーブ派の強い影響下にあり、1979年にズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで秘密工作を始めて以来、ワッハーブ派やムスリム同胞団は戦闘集団の主力で、アメリカの軍や情報機関から訓練を受けてきた。 ロビン・クック元英外相によると、アル・カイダとはCIAから訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳としても使われている。AQIにしろ、アル・ヌスラにしろ、後に登場するダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)にしろ、傭兵だ。 2012年から14年までDIA局長を務めたマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラのに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはバラク・オバマ政権が決めた政策によると語っている山本が殺された頃、アメリカ政府はシリア政府軍と戦っている集団がアル・カイダに重なる集団だいうことをDIAから警告されていたと言える。 以前にも書いたが、山本が同行した武装集団は当時、西側ジャーナリストの死を望んでいた節がうかがえる。例えば、イギリスのテレビ局、チャンネル4の取材チームで中心的な存在だったアレックス・トンプソンによると、彼らは反政府軍の罠にはまり、危うく政府軍から射殺されるところだったという。 同行していた部隊の兵士はイギリスやドイツなどの情報機関から政府軍の位置は知らされているはずで、その情報に基づいて取材チームを交戦地帯へと導き、政府軍に銃撃させるように仕向けた可能性が高い。トンプソンたちは危険を察知して逃げることに成功したが、危うく殺されるところだった。 2012年12月13日には、NBCニュースの取材チームが同じシリアで拉致され、5日後に解放されるという出来事があった。チームのひとりで主任外国特派員のリチャード・エンゲルは翌年4月号のバニティ・フェア誌で政府軍と連携している武装勢力が実行したと主張したが、後にその主張を取り下げ、反シリア政府軍につかまっていたと認めた。 実は、エンゲルらが解放された直後から、拘束したのは反シリア政府軍ではないかという報道もあった。エンゲルも自分たちが携帯していたGPSでNBCの幹部が拉致を察知、その場所が反政府軍の支配している地域であることも認識していたというのだ。しかも拉致したグループと救出したグループの指揮官は一緒。つまり、バニティ・フェア誌の記事は「誤解」ではなく、嘘だった可能性が高いということだ。 サウジアラビア、トルコ、カタール、イギリス、フランス、あるいはアメリカの好戦派はこうした戦いを続け、戦線を拡大しようとしている。その手先になっている戦闘集団に「同行」という形で日本のマスコミも、少なくとも結果として、協力した過去は消えない。シリアを侵略している勢力は、中国を侵略して泥沼から抜け出せなくなったかつての日本と似ている。もしアメリカの支配層が戦略を転換した場合、日本は以前と同じ状況に陥るだろう。
2016.04.22
ブラジルのジルマ・ルセフ大統領を排除する動きが進行している。4月17日に下院で大統領の「弾劾」を問う採決が可決され、その翌日には反大統領派のアロイジオ・ヌネス議員がワシントンDCへ赴き、政府高官やロビイストと会ったようだ。「御主人様に報告」ということだろう。「バナナ共和国」が復活しつつある。 今回の弾劾で先導役を務めたひとり、ブルーノ・アラウージョは巨大建設会社から違法な資金を受け取った容疑をかけられ、エドアルド・クーニャ下院議長は最近、スイスの秘密口座に数百万ドルを隠し持っていることが発覚している。また、2018年の大統領選挙へ出馬するというジャイ・ボウソナル下院議員の場合、弾劾を問う採決の際、軍事政権時代に行った拷問で悪名高いカルロス・アルベルト・ブリリャンテ・ウストラを褒め称えたという。政治犯だったルセフも拷問されているが、その責任者でもあった。 こうした弾劾劇を演出しているのがアメリカの支配層。自分たちのカネ儲けにとって都合の悪い政権、体制を倒す第一歩は経済的な混乱、巧妙なプロパガンダ、そして「市民」の抗議活動。経済的な混乱で人びとの不満を高め、プロパガンダで怒りの向く方向を操作し、怒りのエネルギーをクーデターへと導くわけだ。彼らがメディア支配に熱心な理由もここにある。 かつて、アメリカの支配層は「アカの脅威」を呪文として使い、ベトナム戦争の停戦を目の前にした1972年にはリチャード・ヘルムズCIA長官は「国際テロリズム」を新たな呪文として使い始め、1979年になると「テロの黒幕はソ連」というキャンペーンを展開しはじめた。 1980年にはポーランドで自主管理労組の「連帯」が組織され、81年には戒厳令が施行されるが、その背後に西側の支配層がいたことは公然の秘密だった。連帯側が隠していなかったのである。バチカン銀行の不正融資がポーランドへの支援と深く結びついていることも判明するが、この時に「自由化」や「民主化」ということが言われていた。 1981年にロナルド・レーガンがアメリカ大統領に就任すると、「プロジェクト・デモクラシー」が始まる。1982年にNSC(国家安全保障会議)のスタッフになったウォルター・レイモンドが発案したと言われ、83年1月には大統領がNSDD77に署名、偽情報を流して相手国を混乱させ、文化的な弱点を利用して心理戦を仕掛けるプロジェクトは動き始めた。 こうした心理戦ではメディアや広告会社が重要な役割を果たすことになる。1980年代にアメリカではメディアの成果でも規制緩和が進められ、巨大資本に支配されるようになる。新聞やテレビだけでなく、ハリウッドの支配も強化されたようだ。 最近では、「民主化」や「人道」の看板を掲げたNGOが実際に人びとを動かす役割を果たしている。ブラジルの場合、MBL(自由ブラジル運動)やEPL(自由を求める学生)が中心的な存在。両団体を創設したキム・カタグイリはミルトン・フリードマンの新自由主義を信奉する「活動家」。MBLを率いているジュリアーノ・トレスとファビオ・オステルマンが学んだアトラス・リーダーシップ・アカデミーは、コーク兄弟から資金が出ている。EPLもスポンサーはアメリカの富豪、チャールズとデイビッドのコーク兄弟だ。石油業界の大物で、環境規制に反対して気象学者を敵視、経済面では富裕層への税率を徹底的に下げ、社会保障は最低限のとどめるべきだと主張している。 現在、アメリカの支配システムは揺らいでいる。ドルが基軸通貨の地位から陥落する可能性も現実味を帯びてきた。すでに生産能力を失い、基軸通貨を発行する特権だけで生きながらえている国がアメリカ。 アメリカを拠点とする巨大資本としては、自分たち私的権力が国を支配する体制へ移行して生きながらえようとしているようだが、その一方でBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)などを潰そうと必死だ。ブラジル、インド、南アフリカ、中央アジアへの攻撃を強めようとしている。ブラジルの出来事はその一環。 1992年、アメリカのネオコン/シオニストは国防総省のDPG草案(いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリン)という形で世界制覇プランを作成した。旧ソ連圏は勿論、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしたのだが、すでに目論見は崩れている。それでも世界制覇を目指しているのがネオコンをはじめとするアメリカの支配層だ。
2016.04.21
日本のマスコミが支配層のプロパガンダ機関にすぎないことは否定しようのない事実である。情報に少しでも関心のある人なら、信用などしていないだろう。 4月20日に「国境なき記者団(RSF)」なる組織が発表した「報道の自由度ランキン」で日本は180カ国中72位だという。ちなみに2003年にアメリカ軍を中心とする連合軍がイラクを先制攻撃する前、戦争を正当化するために嘘を大々的に伝えていたイギリスとアメリカはそれぞれ38位と41位だった。 日本にしろ、イギリスにしろ、アメリカにしろ、「有力」と修飾されたメディアはプロパガンダ機関にすぎない。かつては事実の中に嘘を紛れ込ませていたが、2001年以降、偽情報の氾濫。それでも米英の有力メディアを信じているとするならば、それは思考でなく、米英を盲目的に崇拝する「信仰」の結果だろう。 本ブログでは何度も指摘してきたが、CIAは情報をコントロールするためにメディアを支配する仕組みを作り上げてきた。ジャーナリストのデボラ・デイビスによると、第2次世界大戦後にアメリカの支配層は情報操作プロジェクトを始めている。その中心にいたのはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハムの4名。このプロジェクトは「モッキンバード」と呼ばれている。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) ダレスは元々ウォール街の大物弁護士で、第2次世界大戦ではスイスから工作を指揮していた。ウィズナーもウォール街の弁護士で、ダレスの側近。大戦後、破壊活動(テロ)を実行した極秘機関OPCを率いた人物だ。ヘルムズもダレスの側近で、1966年から73年にかけてCIA長官を務めている。祖父のゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家だった。また、グラハムはワシントン・ポスト紙のオーナーで、義理の父親にあたるユージン・メーヤーは1946年に世界銀行の初代総裁に就任している。 グラハムの妻、つまりメーヤーの娘であるキャサリン・グラハムはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを辞任に追い込んだことで知られ、日本では「言論の自由」を象徴する人物として崇拝している人もいるらしい。その彼女は1988年にCIAの新人に対して次のように語っている: 「我々は汚く危険な世界に生きている。一般大衆の知る必要がなく、知ってはならない情報がある。政府が合法的に秘密を維持することができ、新聞が知っている事実のうち何を報道するかを決めることができるとき、民主主義が花開くと私は信じている。」 ウォーターゲート事件ではワシントン・ポスト紙の若手記者、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインが取材の中心だった。ウッドワードは元情報将校で、報道に関しては素人。情報源を連れてきただけ。実際の取材はバーンスタインが中心だったようである。 そのバーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後にローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書いている。この雑誌しか彼の原稿を受け入れてくれなかったということだ。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) バーンスタインによると、その当時、400名以上のジャーナリストがCIAのために働いていたほか、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。 CIAが取り込んだ記者や編集者はアメリカに留まらない。フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者、ウド・ウルフコテによると、ドイツを含む多くの国でジャーナリストをCIAは買収、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているという。この話は書籍という形で2014年に内部告発されている。 ところで、「報道の自由度ランキング」を発表している「国境なき記者団」は1985年にフランスで設立された組織。「人権」や「言論の自由」を掲げているのだが、スポンサーは胡散臭い。西側巨大資本がカネ儲けしやすい環境を作るため、自立した体制を揺さぶり、破壊する先兵として活動してきた投機家のジョージ・ソロスが創設した基金、キューバのカストロ体制を攻撃しているCFC(自由キューバ・センター)、CIAの秘密資金を流しているNEDが存在している。いわゆる「パナマ・ペーパーズ」を公表した国際調査ジャーナリスト協会(ICIJ)もソロスやNEDと関係、両組織の背景は同じだ。 国境なき記者団の創設者、ロベ−ル・メナールがCFCから資金を引っ張るときに交渉した相手はオットー・ライヒ。ロナルド・レーガン時代にはニカラグアの反革命ゲリラ「コントラ」を支援する秘密工作に深く関与していた人物で、ラテン・アメリカの軍人を訓練し、アメリカ巨大資本の傀儡である軍事独裁政権を作り上げてきたWHINSEC(治安協力西半球訓練所/かつてのSOA)にも関係している。 こうした背景があるため、必然的にアメリカの支配層から敵視されてる国の評価は低くなる。例えば、ロシアは148位、イラクは158位、イランは169位、キューバは171位、中国は176位、シリアは177位だ。中東、北アフリカ、ウクライナなど国際情勢に関する情報でアメリカやイギリスの嘘を暴いてきたのはロシア、イラン、シリアなどのメディアだった。RSFのランキングはお笑い種だ。 RSFやICIJは胡散臭い組織だと言えるが、見方を変えれば西側支配層を後ろ盾とする権威。日本では「権威」の好きな人が多く、マスコミ社員や活動家も例外ではない。その権威に飛びつく。結果として「大本営発表」に踊らされることになる。
2016.04.20
4月14日に熊本県熊本地方で最大震度7(マグニチュード6.5)の地震が発生して以降、その周辺で大きな地震が頻発している。16日にはマグニチュード7.3の地震も起こり、これが本震だったということになった。九州や四国の大地は非常に不安定な状態になっていると言えるだろう。 多くの人が指摘しているように、日本のような地震国に原発を建設すること自体が間違いなのだが、こうした地震が頻発している時期に原発を動かすなど正気の沙汰とは思えない。つまり、現在の日本は狂気に支配されている。 原発を推進させている狂気を生み出しているものはカネと核兵器。個人レベルでは、金儲けしたいという物欲、原発推進に荷担して出世しようという権力欲、核兵器を手にして周辺国を威圧したいという支配欲などが原発を止めさせないのだろう。東電福島第一原発の過酷事故からも彼らは学んでいる。 2011年3月11日には「東北地方太平洋沖地震」で東電福島第一原発が破壊され、燃料棒は溶融、大量の放射性物質を環境中に放出する事故を起こした。原発推進派は放出量を1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故の1割程度、あるいは約17%だと主張していたが、算出の前提条件に問題があると指摘されている。 放出量を算出する際、漏れた放射背物質は圧力抑制室(トーラス)の水で99%を除去できるとされていたようだが、実際はメルトダウンで格納容器は破壊され、圧力は急上昇してトーラスへは気体と固体の混合物が爆発的なスピード噴出、水は吹き飛ばされていたはず。また燃料棒を溶かすほどの高温になっていたわけで、当然のことながら水は沸騰していただろう。つまり、放射性物質を除去できるような状態ではなかった。 そもそも格納容器も破壊されていたので、放射性物質は環境中へダイレクトに出ていた考えるべきで、チェルノブイリ原発事故の6倍から10倍に達すると考えても良いだろう。元原発技術者のアーニー・ガンダーセンは、少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書) 放出された放射性物質の相当量は太平洋側へ流れたとも推測されているが、それでもチェルノブイリ原発の事故に匹敵する汚染が陸でもあったと考えるべきだろう。 ロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループがまとめた報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』によると、1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達する。癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下が報告されている。 総放出量の評価はともかく、福島第一原発の周辺で大量被曝した住民がいたことは間違いない。例えば、原発の周辺の状況を徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は2011年4月17日、「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 また、事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆は、心臓発作で死んだ多くの人を知っていると語っている。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしている。 原発の敷地内で働く労働者の状況も深刻なようで、相当数の死者が出ているという話が医療関係者から出ている。敷地内で容態が悪化した作業員が現れるとすぐに敷地内から連れ出し、原発事故と無関係と言うようだ。高線量の放射性物質を環境中へ放出し続けている福島第一原発で被曝しながら作業する労働者を確保することは容易でなく、ホームレスを拉致同然に連れてきていることも世界の人びとへ伝えられている。だからこそ、作業員の募集に広域暴力団が介在してくるのだ。 放射能汚染の人体に対する影響が本格的に現れてくるのは被曝から20年から30年後。チェルノブイリ原発事故の場合は2006年から2016年のあたりからだと見られていたが、その前から深刻な報告されている。そのチェルノブイリより速いペースで福島の場合は健康被害が顕在化している。 日本で原子力を推進した政治家や官僚、その政策を実行した電力会社、原発を建設した巨大企業、融資した銀行、安全神話を広めた広告会社やマスコミ、その手先になった学者など責任をとるべき人びとは多い。 破壊された環境を元に戻し、被害を受けた人びとへ補償する義務がそうした人びとにはあるのだが、事実上、責任は問われなかった。焼け太りというべき状況もある。金融破綻で銀行が救済され、その責任者が不問に付されたのと似ている。 こうしたことを原発推進派は学習、今回の地震で九州や四国の原発が破壊され、その地域が大きな被害を受けたとしても、自分たちは責任を問われないと確信している。そうならば、住民の安全を考えた結果、冤罪で失脚させられた福島県知事、佐藤栄佐久のような目に遭うのは損だと彼らなら考えそうだ。 日本にしろアメリカにしろ法治主義は放棄している。もしTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)が批准されたなら、民主主義の外観も消滅する。国をコントロールできる「私的権力」が「民意」を政策に反映させようとするはずはない。原発をどうするかも支配層の個人的な損得勘定が決めることになるだろう。
2016.04.19
安倍晋三首相と親しいらしいレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はトルコで独裁体制を強化しつつある。かつてエルドアンの盟友だったが、今はライバルになっているフェトフッラー・ギュレンを中心とするグループの摘発に乗り出し、4月18日には105名以上を逮捕したようだ。 すでにエルドアン政権は昨年11月26日にジュムフリイェト紙のジャン・デュンダルとエルデム・ギュルを、また28日にはウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐を逮捕済み。弾圧を強化しなければ持たないほど国内が不安定化しているのだろう。 トルコの情報機関MITが行っているアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に対する違法な物資供給を憲兵隊が摘発、その事実をジュムフリイェト紙が報道、その報復としての逮捕だった。さらにトルコ政府はギュレンが保有していたザマン紙を乗っ取り、露骨な宣伝を始めている。 そうした中、傭兵ビジネスの大物がトルコへ入った。傭兵会社ブラックウォーター(現在の社名はアカデミ)を創設、現在はフロンティア・サービス・グループの会長を務めているエリック・プリンスが3月にトルコを訪れ、MIT(トルコの情報機関)の高官らと会談、トルコ軍が対応できない事態が生じているのか、その軍を信用できない状況になっていると言われていた。この訪問と今回の逮捕が無関係だとは考え難い。 ここにきてアメリカのバラク・オバマ大統領はエルドアン大統領を避けているとも言われているが、エルドアンがアメリカの好戦派を後ろ盾として動いてきたことは否定できない。 例えば、昨年11月24日にトルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を撃墜した待ち伏せ攻撃は、内部告発支援サイトのWikiLeaksによると、10月10日にレジェップ・タイイップ・エルドアンが計画したという。撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問、トルコ軍の幹部と討議するという「偶然」も報道されている。 年が明けて間もない時期にはアメリカ政府も好戦的な姿勢を隠していなかった。1月22日にはアシュトン・カーター国防長官が陸軍第101空挺師団に所属する1800名をイラクのモスルやシリアのラッカへ派遣すると語り、翌23日にはジョー・バイデン米副大統領が訪問先のトルコでアメリカとトルコはシリアで続いている戦闘を軍事的に解決する用意があると口にしているのだ。 さらに、2月に入るとサウジアラビアの軍用機や人員をトルコのインシルリク空軍基地へ派遣し、シリアで地上戦を始めることもできるとトルコの外相は語り、サウジアラビア国防省の広報担当は同国の地上部隊をシリアへ派遣する用意があると表明した。その直後にカーター国防長官はサウジアラビアの表明を歓迎すると発言している。 風向きが変わったのは、2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問してラジミル・プーチン露大統領と会談してからだろう。そして22日には「テロリスト」を除外した停戦に合意したとする発表があった。 ロシア軍の空爆でシリアへ侵入、戦闘を続けていた勢力は大きなダメージを受けたが、現在もトルコから新たな傭兵が送り込まれ、ロシア軍機対策として携帯型の防空システムMANPADがサウジアラビアから供給されている。この支援をサウジアラビアの外相は2月19日付けシュピーゲル誌で公言していた。 エルドアン政権に資金を提供、トルコをコントロールしているのはこのサウジアラビアだが、そのサウジアラビア国内でも無謀な好戦的政策で経済が疲弊、不安定化している。アメリカの支配層としてもサウジアラビアやトルコと心中するつもりはないはず。ある時点で見切りを付ける可能性もあるだろう。その道具として使われると見られているのは軍だ。
2016.04.19
スロバキアを訪問しているポーランドのビトルド・バシチコフスキ外相は4月15日、記者団に対し、ロシアはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)より危険な存在だと語ったという。イスラエルの駐米大使だったマイケル・オーレンと同じような主張だが、口先だけでなく、ポーランドはダーイッシュへの武器供給ルートになっているとする情報もある。 オーレンは2013年9月、大使を辞める直前にシリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語った。2014年6月にはアスペン研究所での対談で、スンニ派、つまりアル・カイダ系武装集団やダーイッシュがシリアで勝利することを望むと口にしている。 ポーランドの隣国、ウクライナでは2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領がクーデターで排除された。その主力になったのがネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)で、その勢力を操っていたのがアメリカのネオコン/シオニストだ。 ネオコンのひとりとして現場で指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官補は2013年12月13日、米国ウクライナ基金の大会で自分たちは1991年からウクライナへ50億ドルを投資したと発言している。1991年12月にソ連が消滅しているが、その頃からウクライナ乗っ取りを目論んでいたということだ。ちなみに、ヌランドが結婚した相手はネオコン/シオニストの大物、ロバート・ケーガンである。 この演説が行われる前、11月21日にキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でヤヌコビッチの排除を目指す一団が抗議活動を始めている。当初はEUへの憧れを刺激する「カーニバル」的な雰囲気の集まりで、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。 年明け後に抗議活動は暴力化、ネオ・ナチのグループが前面に出てきて、2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。その際、ネオ・ナチは2500丁以上の銃を持ち込み、狙撃も始めている。 こうした混乱を話し合いで解決しようとしたEUにヌランドは不満を抱き、電話でジェオフリー・パイアット米大使と話した際、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉を口にしている。この表現が下品か上品かということが問題なのではない。合法的に成立した政府を暴力的に排除すべきだと主張していることが問題なのである。勿論、これは憲法の規定に違反している。 このクーデターにポーランドも深く関与、同国のニエ誌によると、2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換留学生としてポーランド外務省が招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練をしたという。この訓練が終わった直後にユーロマイダンで抗議活動が始まったことになる。 ヤヌコビッチ大統領を排除したアメリカの傀儡政権はウクライナの東部や南部でロシア語系の住民を殺戮、追い出しにかかる。「民族浄化」だが、その作戦には、1995年から2005年までポーランド大統領を務めたアレクサンデル・クファシニェフスキの治安担当顧問イエルジ・ドボルスキが参加したと伝えられている。ポーランドの軍事会社ASBSオタゴの戦闘員も東部の制圧作戦に参加したようだ。 ポーランドは18世紀の末からロシア、ドイツ、オーストリア・ハンガリーの3帝国に支配されていたが、第1次世界大戦でこの3帝国が崩壊し、独立した。この大戦の最中、ロシアのロマノフ朝は1917年3月(ロシア歴では2月)の「2月革命(3月革命とも)」で崩壊し、臨時政府の中枢には資本家が座る。 ロマノフ朝を支えていた2本柱は大地主と資本家。大地主は農民を確保する必要があるため戦争に反対していたが、資本家はカネ儲けのチャンスだと考えて戦争に賛成していた。この対立が王制を揺るがす一因になっている。 7月には社会革命党(エス・エル)のアレクサンドル・ケレンスキーが首相に就任したが、この政党はメンシェビキ(ロシア社会民主労働党の一分派)と同じように資本主義体制の樹立を目指していた。資本主義から社会主義という「予定」を守ろうとしたわけだ。 そのため、ケレンスキーが首相になっても資本家が主導権を握る実態に変化はなく、戦争は継続されることになった。この人物を通じてイギリス政府とシオニストは新政権に影響力を及ぼしていたと見られている。(Alan Hart, “Zionism,” World Focus Publishing, 2005) 東のロシアと西のフランスを相手にしなければならないドイツはボルシェビキ(ロシア社会民主労働党の一分派)に目をつけた。戦争に反対していたからだ。そこでドイツはウラジミール・レーニンなど亡命していたボルシェビキの指導者をロシアへ帰国させ、11月の「10月革命」につながった。ロシア革命をひとつの革命だと考えてはならないということである。混同すると歴史の流れを見誤る。 ドイツの思惑通り、10月革命で成立したボルシェビキ政権は即時停戦を宣言、無併合無賠償、民族自決、秘密外交の廃止も打ち出した。この革命後、ポーランドは独立するが、その時からボルシェビキ政権(ソ連)と戦い始めたのがウラジスラフ・シコルスキーだ。 この大戦で敗れたドイツは領土を削られ、その時にドイツ本国と東プロイセンの間にポーランド領(ポーランド回廊)ができ、東プロイセンは飛び地になる。この問題を解決したかったドイツはポーランドと話し合おうとするが、イギリスを後ろ盾とするポーランドは交渉で強硬な姿勢を崩さない。この間、ポーランドに支配された地域に住むドイツ系住民が虐殺されるという出来事もあったと言われている。 そのドイツでは1932年11月に行われた議会選挙でナチスが第1党になり、33年1月にはアドルフ・ヒトラーが首相に就任した。そして2月に起こったのが国会議事堂の放火。ナチスは共産党が実行したと宣伝、同党を非合法化し、3月に実施した選挙でナチスは44%を獲得、全権委任法を成立させて独裁体制へ入った。この放火はナチスの自作自演で、そのナチスをドイツだけでなくアメリカの巨大資本も支援していたことがわかっている。 ナチスを危険視したソ連は1938年にイギリスやフランスに同盟を呼びかけるが拒否され、次善の策として39年8月にドイツと不可侵条約を結んだ。条約の秘密条項で両国はポーランドを分割することを取り決めたと宣伝されているが、流れから考えて独ソ開戦のレッドラインを決めたと解釈すべきだろう。 1939年9月1日にドイツ軍はポーランドへ軍事侵攻するが、目的は「ポーランド回廊」問題の軍事的な解決。9月3日にイギリスとフランスはドイツに宣戦布告するが、しばらくは目立った戦闘はなく、戦局が動き始めるのは1940年になってから。その期間は「奇妙な戦争」と呼ばれている。 1939年11月にソ連軍がフィンランド侵攻するとイギリスはソ連の石油施設破壊を計画するが、40年3月にソ連とフィンランドが停戦したのでイギリスもこの計画を中止した。この間、1939年9月にシコルスキーはパリへ脱出、そこからロンドンへ移動して亡命政府を名乗った。ソ連のNKVD(人民内務委員会)がポーランド軍将校を大量処刑したのは1940年の4月から5月にかけてとされている。 ドイツは1941年4月までにヨーロッパ大陸を制圧、5月にナチスの副総統だったルドルフ・ヘスがスコットランドへ単独飛行、6月にドイツはソ連へ向かって進軍を開始する。「バルバロッサ作戦」だ。ドイツ軍がソ連を攻めている間、イギリスはドイツを攻撃しないという約束を取り付けるためにヘスはイギリスへ向かったという噂がある。実際、イギリスやアメリカはその間、ドイツを攻撃していない。アメリカではフランクリン・ルーズベルト大統領の攻撃すべきという意見は通らなかった。 7月にドイツ軍はレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲し、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、1942年8月にスターリングラード(現在のボルゴグラード)の攻防戦が始まる。当初はドイツ軍が優勢だったが、11月からソ連軍が反撃して約25万人のドイツ将兵は包囲され、43年1月にドイツ軍はソ連軍に降伏した。 ソ連軍が西へ向かって進撃するのを見て慌てたのが米英の支配層。それまでは傍観していたが、1943年7月にアメリカ軍を中心とする部隊がシチリア島へ上陸、9月にはイタリア本土に進軍してイタリアは無条件降伏、44年6月にはノルマンディーに上陸してパリを制圧した。そして1945年2月にウクライナ南部の都市ヤルタで会談が開かれている。 大戦後、ポーランドはソ連圏に含まれるが、CIAの対東欧工作の拠点になる。カトリックのネットワークも利用され、1970年代にはバチカン銀行を経由して相当額の資金や西側の最新機器、たとえばファクシミリのほか、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トンという単位で秘密裏に「連帯」へ送られている。連帯はCIAとの関係を隠していなかったため、西ヨーロッパでの評判はあまり良くなかった。 連帯の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めている。(レフ・ワレサ著、筑紫哲也、水谷驍訳『ワレサ自伝』社会思想社、1988年) この工作の過程でバチカン銀行と関係の深いアンブロシアーノ銀行による不正融資が発覚し、財務警察隊はイタリアの政界、軍部、情報機関などにネットワークが張り巡らされている非公然結社P2の存在が発覚するが、この結社は「NATOの秘密部隊」で1960年代から80年代にかけて爆弾攻撃を繰り返したグラディオと深く結びついている。つまり、黒幕はアメリカ支配層の好戦派だ。 1980年代、つまりロナルド・レーガンがアメリカ大統領に就任すると、「民主化」というタグが多用され始める。「プロジェクト・デモクラシー」の始動だ。軍事侵攻や秘密工作で民主的に選ばれた政権を倒してきたアメリカが「民主化」という看板に掲げ、巨大資本のカネ儲けにとって邪魔な体制を破壊し始めたのだ。これはCOGとも深く関係している。 2010年代になってアメリカの好戦派は自立した体制を倒すため、カルト色の濃い武装集団やネオ・ナチを使っていることは本ブログで何度も指摘してきた。ポーランドの外相がロシアはダーイッシュより危険な存在だと語るのは必然だ。彼らは以前から西側の巨大資本に楯突く体制を倒すためにダーイッシュのような集団を使ってきたのである。
2016.04.18
アメリカで「9/11」が大きな問題として再浮上してきた。この事件に関する公式見解に納得していない人は多いが、この出来事に関する報告書が公表される際に削除された28ページを明らかにするようにという圧力が強まり、バラク・オバマ大統領は任期終了までに公表するという話が流れているのだ。 この報告書を作成した委員会は独自に調査したわけでなく、支配層が絶対に明かせない事実は記載されていないはずだが、それでも2名のサウジアラビア人が攻撃に関与、そのふたりはサウジアラビア政府から支援を受けていたとされているという。 こうした動きを懸念したサウジアラビア政府は、実際にできるかどうかは別として、自分たちが保有する財務省証券7500億ドルを売却すると脅している。現在、財務省証券の最大保有国は中国、その次が日本で、サウジアラビアは第3位だということになっているのだが、本当の保有量は明らかでない。 言うまでもなく、「9/11」とは2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センター(WTC)とワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、WTCの超高層ビル2棟と攻撃を受けていない7号館が解体作業のように崩壊した出来事を指す。これを利用してジョージ・W・ブッシュ政権は「愛国者法」を成立させて憲法の機能を停止、中東で侵略戦争を開始している。愛国者法の準備は1980年代にCOGプロジェクトとして進められていた。 航空機が超高層ビルへ突入してから5時間もしないうちにドナルド・ラムズフェルド国防長官は部下に対してイラク攻撃のプランを考えろと命令、10日後にペンタゴンを訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、国防長官の周辺でイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃する計画ができあがっていることを知ったという。このうちイラク、シリア、イランの3カ国は1991年にポール・ウィルフォウィッツ国防次官(当時)が5年以内に殲滅するとクラークは聞いていた。 ブッシュ・ジュニア政権は「9/11」の直後、詳しい調査が行われていない段階で「アル・カイダ」が攻撃、実行グループの主犯格はエジプト出身のモハメド・アッタだと断定した。このアッタを含む19名が旅客機をハイジャック、そのうち15名はサウジアラビア人だとされている。 事件の直後、アッタはアラバマ州のマクスウェル空軍基地の国際将校学校にいたと報道されていた。別のふたりがテキサス州のブルックス空軍基地の航空宇宙医学校やカリフォルニア州の国防総省語学研修所外国語センターで教育を受けたとも伝えられるなどアメリカの軍や情報機関との関係をうかがわせる情報が流れている。その一方、アッタの仲間はラスベガスで酒を飲み、ギャンブルをし、ストリップ・クラブに通うなど「イスラム原理主義者」とは思えない行動が報道されている。 アッタたちをイスラエルの情報機関やアメリカ軍のSOCOM(特殊作戦軍)が監視していたとする情報もある。SOCOMは1999年にアル・カイダに関係したグループを調べるために「エイブル・デンジャー」をスタートさせ、アッタも追跡していたというが、ブッシュ・ジュニア政権が誕生した直後に中止させられてしまう。 「9/11」の直後、「エイブル・デンジャー」の元メンバーは、アッタが「ブルックリン細胞」の中に含まれていることを2000年の初めにつかんでいたと発言している。ブルックリンのアル・ファルーク・モスクには難民センターがあり、1980年代にはソ連軍と戦う戦闘員をリクルートする拠点になっていたと言われている。 「ブルックリン細胞」を見つけた直後、「エイブル・デンジャー」の仕事をしていた人物のオフィスが家宅捜索され、軍の内部でこのプログラムに関するデータの破壊が始まったが、その命令は陸軍情報保全コマンドの法律顧問だったトニー・ジェントリーが独断で出していたという。 「エイブル・デンジャー」は2008年8月に再開するが、翌年の初めに中止させられ、プログラムに関係した資料は2001年3月から翌年の春にかけて廃棄、その総量は2兆5000億バイトにのぼるという。(Kevin Fenton, “Disconnectiong the Dots”, TrineDay, 2011) なお、下院の軍事委員会、国土安全保障委員会、上院の情報委員会などはこうした主張を裏付ける証拠はないとしているが、このほかにも「9/11」に関係した不可解な話は多い。そうした疑惑が膨らみ、「28ページ」の公開が要求されてきたのだ。 1983年から2005年まで、つまり「9/11」を含む期間、サウジアラビアの駐米大使を務めていた人物がバンダル・ビン・スルタン。2005年から国家安全保障会議事務局長、12年から14年にかけては総合情報庁長官を務め、アル・カイダ系武装集団を指揮していたと言われ、「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどブッシュ家と近い関係にある。 ジョージ・H・W・ブッシュが幹部に参加していたファンドのカーライル・グループにはジェームズ・ベイカー元国務長官、フランク・カールッチ元国防長官、リチャード・ダーマン元行政管理予算局長官、ジョン・スヌヌ元首席補佐官、ジョン・メジャー元英国首相なども幹部として名を連ねていたが、「アル・カイダ」の看板になっていたオサマ・ビン・ラディンの一族もカーライル・グループへ資金を出している。 オサマ・ビン・ラディンは「9/11」の前に重度の腎臓病を患い、2001年7月には腎臓病を治療するため、アラブ首長国連邦ドバイの病院に入院していたとル・フィガロ紙は報道している。その入院患者を見舞うために家族のほか、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の著名人が訪れているのだが、それだけでなく、CIAのエージェントも目撃された。しかも、エジプトで出されているアル・ワフド紙の2001年12月26日付け紙面にはオサマ・ビン・ラディンの死亡記事が掲載されている。その10日前、肺の病気が原因で死亡し、トラ・ボラで埋葬されたというのだ。 しかし、アメリカ政府によるとビン・ラディンはその後も生き続け、2011年5月にパキスタンで特殊部隊のSEALチーム6が殺害したことになっている。が、襲撃された家にオサマ・ビン・ラディンは住んでいなかったと住民は主張している。 サウジアラビアのほか、「9/11」に関係して注目されている国がイスラエル。ワシントン・ポスト紙によると、「9/11」の後に60名以上のイスラエル人が逮捕され、テレグラフ紙によるとその前後に200名、つまり「9/11」の前にも140名が逮捕されていた。 また、世界貿易センターの倒壊する様子を白いバンの上で、喜びながら撮影していたイスラエル人5名も逮捕されている。あまりに異様な光景だったために住民が通報、逮捕されたのだが、5名のうち少なくとも2名はイスラエルの情報機関モサドの工作員だった。バンの中で発見された地図から、この5名が事前に何が起こるかを知っていたと警察では見ている。 このバンを所有していたアーバン・ムービング・システムはモサドの会社。この5人は71日間収監されたが、ブッシュ・ジュニア政権が介入して釈放され、イスラエルへ帰国している。 アッタたちは旅客機をハイジャックし、アクロバチックな飛行をしたとされているのだが、納得していない人は少なくない。アッタたちはアメリカ軍やCIAと関係があった可能性が高く、「9/11」の黒幕が「犯人役」として巻き込んだという見方がある。ここにきて瓦礫の中からトリチウム(三重水素)が発見されたという話が流れているが、これが事実なら航空機の突入ではなく何らかの核兵器が使用されたのかもしれない。 「9/11」を利用してネオコンはアフガニスタンに続き、予定通りにイラクやリビアを破壊、シリアを攻撃、イランを狙っている。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けニューヨーカー誌に書いたレポートよると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始している。現在、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)をサウジアラビアと共同で支援しているトルコはサウジアラビアの影響下にある。ちなみに、クラーク元NATO軍最高司令官はCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたとも語っている。 ネオコン、イスラエル、サウジアラビアが暴走した結果、封印されていた「9/11」という機密箱のふたが開く可能性が出てきた。そこから何が飛び出してくるかはわからない。
2016.04.17
サウジアラビアやその影響下にあるトルコは今でもシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒し、傀儡体制を樹立しようとしている。サウジアラビアを支えているアメリカの好戦派も同じであり、その人脈はフィリップ・ブリードラブNATO欧州連合軍最高司令官や安倍晋三首相ともつながっている。安倍首相はトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領と親しいようだが、当然だと言える。 本ブログでは何度も指摘しているように、シリア情勢は昨年9月30日にロシア軍が空爆をはじめてから劇的に変化した。今年2月10日にはヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問、ウラジミル・プーチン露大統領と会談、22日には「テロリスト」を除外した停戦に合意したとする発表があった。 しかし、サウジアラビアはあくまでもシリア侵略を続けるつもりで、2月19日付けシュピーゲル誌に掲載された同国の外務大臣へのインタビューでは、シリアの戦況を変えるため、地対空ミサイル、つまり携帯型の防空システムMANPADを供給しはじめたと公言している。少なくともアメリカ政府の一部もアサド政権の打倒を諦めていない。アフガン戦争の再現を狙っているのだろうが、今はカスピ海の艦船から巡航ミサイルで正確にシリアのターゲットへ命中させることができるなど状況は違う。 シリア政府軍と戦っていた戦闘集団は現地の人びとから支援されているわけでなく、単なる侵略軍。ジョージタウン大学のハイララー・ダウド教授によると、反政府軍のうちシリア人が占める割合は5%。残りの95パーセントは外国人傭兵だとしている。外国人の中でもサウジアラビア出身者が最も多く、ロシアのチェチェンや中国の新疆ウイグル自治区からも来ている。 侵略軍はトルコやヨルダンを拠点にしているが、主な兵站線はトルコからシリアへ延びていた。その輸送を守ってきたのがトルコの軍や情報機関MIT。言うまでもなく、エルドアン政権の命令だ。 ドイツのメディアDWは2014年11月、トルコからシリアへ武器や戦闘員だけでなく、食糧や衣類などの物資がトラックで運び込まれている事実を報じている。その大半の行き先はダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だと言われていた。 イランのテレビ局プレスTVの記者だったセレナ・シムもこうした人や物資の動きを調べていたひとりで、トルコからシリアへISの戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGO(非政府組織)のトラックが利用されている事実をつかみ、それを裏付ける映像を入手したと言われている。そのシムは2014年10月19日に「交通事故」で死亡したが、その前日、MITから彼女はスパイ扱いされ、脅されていたという。 昨年1月にはトルコの憲兵隊がダーイッシュへ供給するための武器を満載したトラックを摘発、そのときの様子をトルコのジュムフリイェト紙は5月に写真とビデオ付きで記事にした。 この輸送はエルドアン大統領の命令でトルコの情報機関MITが実行していたもので、同紙は「国家機密」を漏らしたことになり、11月26日にジャン・デュンダルとエルデム・ギュルが逮捕された。また28日にはウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、ブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐も逮捕されている。その後、ザマン紙の経営権を握るなどトルコ政府は情報統制を強め、ドイツ政府にはエルドアン大統領を批判したコメディアンを摘発するように要求、アンゲラ・メルケル首相は捜査を承認したという。 今年1月にヨルダンのアブドラ国王がアメリカの議員を会談したときのメモがイギリスのガーディアン紙にリークされ、その中で「テロリスト」がヨーロッパへ渡っているのはトルコ政府の政策の一部だと説明している。こうしたトルコ政府にメルケル首相は屈服したということだ。 アメリカやイスラエルだけでなく、サウジアラビアやトルコがアル・カイダ系武将集団やダーイッシュを支援していることは公然の秘密。2014年10月2日にはジョー・バイデン副大統領はハーバード大学で講演、その際にシリアにおける「戦いは長くかつ困難なものとなる。この問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、UAEだ」と述べている。あまりにも多くの戦闘員に国境通過を許してしまい、いたずらにダーイッシュを増強させてしまったことをトルコのエルドアン大統領は後悔していたとも語ったが、勿論、後悔はしていない。また、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、アメリカの友好国と同盟国がイラン系のヒズボラと戦わせるためにダーイッシュを作りあげたと語っている。 アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)が2012年8月に作成したシリア情勢に関する報告書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けている。 ワッハーブ派はサウジアラビアの国教。ムスリム同胞団は1954年にエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、非合法化され、メンバーの多くはサウジアラビアへ逃れてワッハーブ派の強い影響を受けるようになった。同胞団が暗殺未遂した2年後、イギリスの対外情報機関MI6がナセルの暗殺を検討しはじめている。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) 故ロビン・クック元英外相が指摘したように、アル・カイダとはCIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルにすぎない。アル・カイダはアラビア語でベースを意味、「データベース」の訳語としても使われる。戦闘員の登録リストだということだ。その傭兵の多くもワッハーブ派だった。 つまり、アメリカ政府から「穏健派」というタグを付けられた戦闘集団はワッハーブ派を中心に編成された傭兵集団で、2001年9月11日以降、アメリカ政府が始めた「テロとの戦争」の相手にほかならない。 2012年の報告書が作成された当時にDIA局長だったマイケル・フリン中将はバラク・オバマ政府が方針を変えなければ、シリア東部にサラフ主義の支配地ができあがると見通し、実際、その通りになった。フリン中将はアル・ジャジーラに対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはバラク・オバマ政権が決めた政策によるとしている。 アメリカとその「友好国」がアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを作りあげ、軍事訓練、支援してきたことはアメリカの副大統領や国防情報局も認めている。そうした武装集団と戦い、成果を上げているのがロシアであり、その大統領がウラジミル・プーチンだということも否定できない。イスラエルやネオコン/シオニストはアサド政権を倒すためならアル・カイダ系武装集団やダーイッシュと手を組むと開き直っている。今後、日本の立場が問われる場面もあるだろう。
2016.04.16
もし日本の憲法に「緊急事態条項」があったとしても、熊本で発生した地震のような災害で被災者を救済する助けにはならない。安倍晋三政権としては、この条項がすでにあれば今回の地震で一気に日本をファシズム化できたと、ほぞをかんでいることだろう。近代的な農奴制、あるいはカースト制を目指しているようにも見える。 この条項は1980年代、ロナルド・レーガン政権で導入されている。本ブログでは何度も触れてきたが、1982年にレーガン大統領はNSDD55を出し、憲法の機能を停止させる目的でCOGプロジェクトをスタートさせたのだ。 このプロジェクトのベースはソ連に対する先制核攻撃が計画されていたドワイト・アイゼンハワー時代に作られた。核戦争で正規の政府が機能しなくなったときに「秘密政府」を設置することが決められたのである。1979年にはFEMAが作られ、それを発展させたものがCOGだ。 アイゼンハワー時代の計画では核戦争が前提になっているが、1988年に出された大統領令12656によって、憲法は「国家安全保障上の緊急事態」の際に機能を停止できることになった。2001年9月11日の出来事をジョージ・W・ブッシュ政権は「国家安全保障上の緊急事態」だと判断、「愛国者法」によってアメリカ憲法の機能を停止させたわけだ。安倍政権が主張する「緊急事態条項」のルーツはおそらく、これだろう。つまり猿まね。 アメリカでこうしたプロジェクトが進行していることは1980年代の半ばになると外部に漏れ始める。例えばマイアミ・ヘラルド紙などメディアが取り上げ、1987年7月に開かれた「イラン・コントラ事件」の公聴会ではジャック・ブルックス下院議員がオリバー・ノース中佐に対して「大災害時に政府を継続させる計画」に関係したのではないかと質問している。この段階で日本のマスコミもアメリカで戒厳令、あるいはクーデターが準備されていることを知っていなければならない。 ブルックス議員の質問の重要性は委員長のダニエル・イノウエ上院議員が質問を遮り、「高度の秘密性」を理由にして強制的に終わらせたことでも明らか。1991年には日本のテレビ局とも提携していたCNNがこの問題を取り上げたが、日本では無視されるか否定的な伝え方をされていた。日頃、アメリカの有力メディアが伝える情報を垂れ流している日本のマスコミだが、日米支配層にとって都合の悪い情報は知らん振りだ。 熊本の地震に絡んで安倍政権は「緊急事態条項」の導入を口にしているようだが、その目的は民主主義の完全な否定である。かつて日本では反体制派を殲滅するために「大逆事件」がでっち上げられ、その直後の1911年に警視庁は特別高等課を設置、特別高等警察(特高)の歴史が始まっている。 1925年に治安維持法が制定されたが、この法律が作られた背景には1923年の関東大震災がある。地震の直後から「社会主義者や朝鮮人の放火が多い」といった話がまことしやかに伝えられ、警察や軍隊の通信網で全国に広がった。この流言蜚語を信じた人々は各地で自警団を組織して数千人とも言われる朝鮮人や中国人を虐殺、東京の亀戸では警察署に連行された労働運動の活動家が殺されている。アナキストの大杉栄が妻の伊藤野枝や甥でまだ7歳だった橘宗一とともに殺害されたのもこの時だ。 関東大震災は日本がアメリカの巨大金融資本、JPモルガンの強い影響下に入る切っ掛けでもあった。復興資金の調達をこの銀行に頼ったのだ。1929年に浜口雄幸内閣の大蔵大臣に就任した井上準之助は当時、日本で最もJPモルガンに近い人物だと言われていた。 1932年にアメリカで実施された大統領選挙でウォール街が支援していたハーバート・フーバー大統領の再選をニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが破った後、JPモルガンを含むウォール街の大物たちは反ルーズベルト/親ファシズムのクーデターを目論んでいる。アメリカの巨大資本はファシズムを望んでいたわけだ。これはアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将の議会証言などで明らかにされ、記録に残されている。 フーバー政権が1932年に駐日大使として送り込んできたジョセフ・グルーはJPモルガンと深い関係にある。グルー本人も富豪の息子だが、彼のいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻だったのである。真珠湾攻撃後もしばらく日本に滞在、戦後はジャパン・ロビーの中心メンバーとして日本の戦前回帰を推進した。 JPモルガンの影響下に入った後、日本は1927年に山東へ派兵、28年には関東軍が張作霖を爆殺し、31年には柳条湖で関東軍が南満州鉄道を爆破、中国東北部を制圧した。いわゆる「満州事変」の勃発だ。1932年の大統領選挙でアメリカの状況は大きく変化するが、日本は変化に対応できないまま中国侵略を続ける。そして1937年の「盧溝橋事件」を切っ掛けにして戦争は拡大していった。 安倍政権はアメリカの好戦派が1980年代に始めたことを真似し、第2次世界大戦の前と同じような日米従属関係を築こうとしている。次の関東大震災を彼らは考えているだろうが、そうした時期の明確でない出来事を待ちたくはないはずで、東京オリンピックは日本でファシズム化を促進する口実に使われるだろう。
2016.04.16
ロシアのバルチック艦隊が母港にしているカリーニングラードから70キロメートルの地点までアメリカ軍のイージス駆逐艦ドナルド・クックが接近、それに対して非武装のロシア軍機が米艦船の近くを飛行した。珍しい話ではないが、アメリカ側は挑発だと非難している。 カリーニングラードの周辺でアメリカ軍は軍事力を強化、5月にはジョージア(グルジア)やイギリスの部隊を引き連れて軍事演習「ノーブル・パートナー2016」を実施する予定だ。これはロシア軍との戦争を想定したものだろう。アメリカ軍はこの地域における軍事的な緊張を高めている。 そうした状況を作り出し、イージス艦をロシアの重要な軍港に近づける意味をアメリカの軍人でも理解はできるはずだ。そうした動きの中心にいる在欧米軍司令官はNATO欧州連合軍最高司令官でもあるフィリップ・ブリードラブ米空軍大将で、ネオコン/シオニストと強く結びつき、軍事的な緊張を高める偽情報を発信してきた。 2014年2月22日にネオコンなどアメリカ支配層の好戦派はウクライナでクーデターを成功させた。ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使い、選挙で合法的に選ばれたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除したのだ。 ヤヌコニッチの支持基盤であったウクライナの東部や南部に住む人びとはクーデターを拒否、クーデター軍は部隊を送り込んでロシア語系住民を排除する「民族浄化」作戦を始めた。この破壊と殺戮を西側では政府やメディアだけでなく、「リベラル派」や「革新勢力」を自称している人びとも支持していた。日頃「護憲」を叫んでいるグループの中に憲法の規定を無視したクーデターを受け入れる人がいたのには驚いた。 クーデターを拒否する動きが最も早かったのはクリミアで、3月16日にはロシアの構成主体としてロシアに加盟するかどうかを問う住民投票が実施され、80%以上の住民が参加、投票総数の95%以上が賛成している。「民意」は明確に示されたわけだ。 この間、ロシア軍は動いていないのだが、西側ではロシア軍が侵攻したと大々的に宣伝され、その中には「リベラル派」や「革新勢力」も含まれていた。1997年にウクライナとロシアが結んだ協定でロシア軍は2万5000名を駐留させることが認められ、実際には1万6000名が駐留していたのだが、その部隊を西側は「侵略軍」だと主張したのだ。ロシア軍はクリミアの基地を20年にわたって使用する権利があり、25年間の延長も認められていた。 2014年11月12日にはブリードラブが、ロシア軍兵士と戦車のウクライナ侵攻を主張しているが、これも嘘だった。「ロシアの軍隊、ロシアの戦車、ロシアの大砲や、防空システムが、ウクライナに運びこまれるのを見た」はずはない。幻覚を見ていたのかもしれないが、嘘であろうと幻覚であろうと、NATO欧州連合軍最高司令官の発言は人類の存続に関わる大問題だ。 昨年3月6日付けのシュピーゲル誌によると、ドイツ首相府の高官はブリードラブのコメントを「危険なプロパガンダ」だと非難したというが、「同盟国」からもそう言われるほど、この人物は危険な存在だということである。当然、西側のメディアもそうしたことを熟知しているはずだが、それでも人類を死滅させかねないブリードラブやその仲間の手先になっているのが実態だ。 ウクライナでヤヌコビッチ大統領が排除される前、2月4日にインターネット上では、ビクトリア・ヌランド国務次官補がジェオフリー・パイアット米大使とウクライナの「次期閣僚人事」について話し合っている音声が公開された。 その中でヌランドは「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉を口にしたのだが、それは話し合いで問題を解決しようとするEUへの不満から出たものだった。ヌランドは暴力的に傀儡政権を樹立しようとしていたのだ。この発言を「下品」で片付けようとするのは犯罪的だ。 少なからぬEUの「エリート」はアメリカ支配層に買収されているという。政府高官だけでなく、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテによると、ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストはCIAに買収されている。 ウォーターゲート事件を追及したことで有名なカール・バーンスタインは1977年、ワシントン・ポスト紙を辞めた直後にローリング・ストーン誌で「CIAとメディア」という記事を書き、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供していることを明らかにした。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 基本的に状況は変化していないようだが、メディアに対する支配はバーンスタインの記事が出た後から急速に強まっている。ユーゴスラビアにしろ、アフガニスタンにしろ、イラクにしろ、リビアにしろ、シリアにしろ、ウクライナにしろ、ロシアにしろ、中国にしろ、西側メディアの「報道」は嘘のオンパレードだ。 ウルフコテはドイツやアメリカのメディアがヨーロッパの人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっていることに危機感を抱いたというが、ドイツを含むEUのエリート層でアメリカの嘘が危険だと考える人が増え始めたように見える。そうした中、引き起こされたのが「テロ」と難民問題である。 昨年1月7日、「風刺画」の雑誌を出しているフランスのシャルリー・エブドの編集部が襲われて11名がビルの中、また1名が外で殺され、11月13日にはパリの施設が襲撃されて約130名が殺され、数百人が負傷したという。いずれも不可解な点があることは本ブログでも指摘してきた。シリアから逃げ出したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の戦闘員は多くがリビアへ入り、拠点を作りつつあるようだが、この動きはEUを睨んでのことだという見方もある。 昨年9月にはトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権は難民をEUへ向かわせて「難民問題」を引き起こし、EUを揺さぶり始めた。ネオコンなどアメリカの好戦派、サウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国、サウジアラビアの影響下にあるトルコ、そしてイスラエルなどはロシア制圧を諦めていないと見られている。そのプランに反対する勢力が攻撃されるのは必然だろう。ドイツ政府はトルコ政府に屈服、エルドアン大統領を批判したドイツのコメディアンに対する捜査を承認したという。 ところで、軍事的な緊張を高めるためなら嘘を平然とつき、ロシアを挑発してきたブリードラブは今年、NATO欧州連合軍最高司令官を辞める。後任のカーティス・スカパロティ大将は駐韓米軍司令官だ。
2016.04.15
4月14日に熊本県熊本地方で最大震度7(マグニチュード6.5)の地震があり、その後も強い揺れが続いている。九州電力の川内原子力発電所がある鹿児島県薩摩川内市はさほど大きな揺れはなく、事故は報告されていない。もっとも、事故があっても隠せると判断すれば発表しないはずで、何も起こっていないとは言い切れないが。 今回、川内原発の周辺で大きな揺れがなかったのは運が良かっただけである。日本は地震が多発、どこでも大きな地震は起こりえる。活断層が問題なのは、岩盤がずれ、どれほど堅牢な建造物でも破壊されてしまうからだという。 日本のような地震国に原発を作る狂気を生み出している理由はふたつある。カネと核兵器だ。 原発にはカネを求めて多くの人びとが群がっている。銀行、巨大製造業、電力会社、官僚、政治家、広告会社、学者、そしてマスコミ。原発という仕組みを止めたなら、彼らの収入と地位は危うくなるだろう。 日本が核兵器の開発を始めたのは1940年代前半のことだった。理化学研究所の仁科芳雄を中心として東京帝大、大阪帝大、東北帝大の研究者が集まった「ニ号研究」、そして海軍と京都帝大とで進められた「F研究」だ。 当時、アメリカやドイツでも核兵器の研究は進められていたが、ウランを大量に保有していたのはドイツだけだった。ユニオン・ミリエールというロスチャイルド系の会社がコンゴで採掘したウラニウム鉱石1200トンを1940年に入手していたのだ。そのうち31トンをアメリカ軍はフランスで、後に約1100トンをドイツで発見し、マンハッタン計画に利用するため、アメリカのテネシー州オークリッジの施設へ運ばれた。約1100トンのウラニウムが発見された日にフランクリン・ルーズベルト大統領は急死している。 1945年の初頭にドイツは544キログラムのウラニウムを載せたUボートを日本へ向かわせたが、5月にアメリカの軍艦に拿捕された。その際、潜水艦に乗船していた2名の日本人士官は自殺し、積み荷のウランはやはりオークリッジに運ばれている。 その年の9月2日(8月15日ではない)に日本は連合国に降伏、核兵器の開発も止まっただろう。が、その20年後に佐藤栄作首相はアメリカを訪問してリンドン・ジョンソン大統領に会い、アメリカが核攻撃に対する日本の安全を保障しないなら、日本は核兵器システムを開発すると伝えたとされている。 この日米首脳会談でジョンソンは佐藤に対して思いとどまるように説得したというが、核兵器開発は動き始め、1967年には「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」が設立された。アメリカの情報機関が日本における核兵器開発の中心と考えてきた組織だ。1969年には政府内で核武装が本格的に話し合われ、内閣調査室を中心に調査が始まる。「非核三原則」など日本の支配層は守っていない。 その後、ジミー・カーター政権(1977年から81年)は日本の核兵器開発にブレーキをかけたが、ロナルド・レーガン政権のときに状況が変わる。1980年代の後半にアメリカで増殖炉の予算が廃止されると、アメリカ側は日本の電力会社に目をつける。その資金で日本とアメリカは増殖炉に関する共同研究を進め、アメリカで核兵器用のプルトニウムを量産してきた高性能のプルトニウム分離装置がRETF(リサイクル機器試験施設)へ送られている。RETFとはプルトニウムを分離/抽出するための特殊再処理工場である。 核兵器用のプルトニウムを生産しようとしているように見えるが、この計画は1995年の高速増殖炉「もんじゅ」の事故と1997年4月の東海村再処理工場での事故でブレーキがかかっているだろう。 ただ、それで核兵器開発が止まったとは言えない。別の手段を考えている、あるいは実行している可能性もあるが、1971年から81年までSIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の所長だったフランク・バーナビーによると、イギリスのセラフィールドで生産されて日本へ輸送されたプルトニウムは核兵器レベルの高純度だという。イギリスが日本の核兵器開発を支援している可能性があるということだ。 勿論、アメリカの原子力産業にコントロールされているIAEA(国際原子力機関)は、アメリカ支配層が許している限り、日本が核兵器の開発をしても知らん振りだろう。東電福島第一原発の「過酷事故」でもIAEAは隠蔽に荷担している。
2016.04.15
東京地検特捜部は田母神俊雄元航空幕僚長を公職選挙法違反の容疑で4月14日に逮捕したと伝えられている。2014年の都知事選で選挙対策本部事務局長だった島本順光に選挙運動の報酬を目的として現金200万円を払い、田母神と島本は選挙運動の報酬として5人に合計280万円を支払った疑いだという。 田母神の考え方に賛成しているわけではないが、そうしたことに関係なく、今回の逮捕には違和感を覚える。甘利明と比較して不自然であり、甘利のケースで安倍晋三政権が受けるであろうダメージを軽減することが目的ではないのかという疑惑だ。 甘利の場合、UR(独立行政法人都市再生機構)の道路用地買収をめぐるトラブルに甘利大臣の秘書が介入したとされている。秘書は補償金としてURに2億2000万円を建設会社へ支払わせ、その謝礼として500万円を受領し、URと業者の産業廃棄物処理をめぐるトラブルでは別の秘書が環境省の課長やURの担当者と面談、国交省の局長に対する「口利き」の経費などと称して合計600万円以上を受領したという。この話が事実なら「絵に描いたようなあっせん利得」になると弁護士で元検事の郷原信郎は指摘している。 この「絵に描いたようなあっせん利得」に対する東京地検特捜部の動きは緩慢で、検察に対する批判が高まっても動きは見られなかった。甘利側に現金を渡したとされる建設会社やURの千葉業務部などを捜索したのは4月8日。甘利の秘書からも任意で事情を聴いたというが、のんびりしている印象は否めない。 この話が表へ出る切っ掛けは何かと噂のある週刊誌の記事。郷原によると、1月17日に同誌の記者からの電話で取材を受けたという。1月21日発売の号に記事は掲載されているので、郷原への取材は最終段階になってから。名前が欲しかっただけだろう。遅くともその時点で検察側も週刊誌が取材していることは知っていたはずだが、報道後も当局は動きは鈍い。そこで3月に弁護士グループが東京地検に刑事告発したという。 甘利のケースとは違い、東京地検特捜部が執拗に追及していたのが小沢一郎。2009年11月に「市民団体」が陸山会の04年における土地購入で政治収支報告書に虚偽記載しているとして小沢の秘書3名を告発、翌年の1月に秘書は逮捕されている。さらに「別の市民団体」が小沢本人を政治資金規正法違反容疑で告発し、2月に秘書3人が起訴された。 起訴できるような事実はなく、検察は小沢を不起訴にするが、この決定を検察審査会がひっくり返し、小沢議員は強制起訴される。この検察審査会をリードした検察は通常、作成しない捜査報告書をわざわざ作り、その内容も事実に反したものだった。検察が検察審査会を強制起訴へ導いている。 ちなみに、小沢一郎に関する捜査を指揮していた佐久間達哉東京地検特捜部長(当時)は駐米大使館の一等書記官を経験したことがあり、原発に慎重な姿勢を見せていた福島県の佐藤栄佐久知事(当時)を事実上のでっち上げで葬り去った人物でもある。
2016.04.14
パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」の顧客に関する内部文書、いわゆる「パナマ・ペーパーズ」が公表されたのは4月3日。昨年の初め、南ドイツ新聞(SZ)の編集部へ届いたのは1150万通だが、それを渡された国際調査ジャーナリスト協会(ICIJ)はその中の一部を選び出して明らかにし、それを利用して文書に名前の出てこないロシアのウラジミル・プーチンを西側メディアは攻撃した。 全体の中から公表する文書を選び出したICIJはジョージ・ソロスが関係している基金やCIA系のUSAIDと関係が深い。アメリカの富裕層や巨大企業の名前が出てこないのは当然だろう。このことを考えるだけでも「パナマ・ペーパーズ」の騒動は胡散臭い。 もっとも、ロンドン(シティ)を中心とするオフショア市場/タックスヘイブンのネットワークでは、口座が明らかにされても実態はわからないような仕組みになっているとも言われている。1970年代、シティを中心に築かれたネットワークでは資金を隠すために信託のシステムが利用され、資金を隠す仕組みは複雑になっているという。 シティを中心とするネットワークには、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドが含まれ、秘密度の高さから人気を博した。イスラエルも有名なタックスヘイブンだ。そのため、かつては税金避難地として有名だったスイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなどは影が薄くなったとされている。 生産能力を大きく低下させたアメリカは基軸通貨であるドルを発行することで生きながらえているのだが、言うまでもなく、単にドルを大量発行するだけならハイパーインフレになってしまう。そこでドルを回収しなければならない。そのためにペトロダラーの仕組みが作られ、金融規制を大幅に緩和させてドルを呑み込む大規模な投機市場が作り出された。そして今、アメリカ政府は自国を巨大なタックスヘイブンにしつつある。日本の「エリート」が保有するアメリカの財務省証券を売った場合、それはこの仕組みに反する行為と見なされ、「エリート」は報復されて資産と地位を失うことになるだろう。 昨年9月、サンフランシスコ湾を望む法律事務所で、税金を払いたくない富豪は財産をアメリカへ移すように顧客へアドバイスするべきだと語った人物がいる。ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーがその人だ。彼によると、アメリカこそが最善のタックス・ヘイブン。ロスチャイルドはネバダのレノへ移しているという。すでに世界の富豪たちはネバダ、ワイオミング、サウスダコタなどに口座を作ったと言われている。 こうしたタックスヘイブン化政策を始めたのは、2009年1月から10年9月までバラク・オバマ政権の経済諮問会議の議長を務めていたクリスティーナ・ロマーだという。このポストに就く前、彼女はカリフォルニア大学バークレー校で1929年に顕在化した経済危機を専門にしていた。アメリカがこの危機から脱出することができたのは、ヨーロッパが不安定化して1936年から資金が流入してきたからだと彼女は考えている。 この理論を実践したひとつの結果が2010年に始まったギリシャの危機だと指摘する人がいる。この危機を招いた大きな理由はふたつ。第2次世界世界大戦や軍事クーデターによる国の破壊がひとつであり、もうひとつはギリシャのEU信仰を利用した巨大金融機関のゴールドマン・サックスによるカネ儲け。混乱の切っ掛けは「格付け会社」がギリシャ国債の格付けを引き下げたことにあった。 2001年にギリシャが通貨をユーロに切り替えた際、ゴールドマン・サックスは財政状況の悪さを隠す手法をギリシャ政府に教え、債務を膨らませたのだが、その際に利用された仕組みがCDS(Credit Default Swap/クレジット・デフォルト・スワップ)。これは債権者が債務不履行のリスクを回避するため、幾ばくかのカネ(保険料)を支払ってリスクを引き受けてもらうという取り引きで、2000年の終わりに「CFMA(商品先物現代化法)」がアメリカ議会を通過し、広まることになった。その法律を推進していたひとりがアラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会議長。こうした取り引きが何をもたらすかを理解していた巨大資本や富豪たちは自分たちの資産は国外へ避難させている。 ギリシャの支配層が外国勢力と手を組んで作りあげた財政赤字のツケを支払わされることになったのが庶民。欧州委員会、IMF、欧州中央銀行は公務員給与の削減、年金のカット、増税、私有化などを強要して社会を破壊することになった。 トルコ政府の演出で難民が押し寄せたEUは混乱の度合いを強めている。西側諸国がペルシャ湾岸産油国やイスラエルと手を組んでシリアやリビアを侵略して体制転覆作戦を始めた際、ロシア政府が警告していた展開なのだが、アメリカ支配層に買収されていると言われるEUの「エリート」はアメリカの策略にはまった。ギリシャと同じように、EUから資金は逃げ出しているだろう。その行く先として、ロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーはアメリカを推奨しているわけだ。 地下資金がアメリカやシティ、つまりアングロ・サクソン系のタックスヘイブンに集中したなら、世界の資金は表も裏もアングロ・サクソン系富豪に掌握されることになる。中国とロシアが独自の金融システム構築に力を入れ、新開発銀行(NDB)やAIIB(アジアインフラ投資銀行)を始動させるのも当然だろう。
2016.04.13
2月4日にTPP(環太平洋連携協定)へ署名した安倍晋三政権は批准に向かって驀進中である。TPPはTTIP(環大西洋貿易投資協定)やTiSA(新サービス貿易協定)とセットになった協定で、アメリカを拠点とする巨大資本が協定参加国の政府、議会、裁判所を支配するための仕組みだ。 早い段階から指摘されていたことだが、最大の問題はISDS(投資家-国家紛争調停)条項。巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ったなら企業は賠償を請求でき、健康、労働、環境など人びとの健康や生活を守ることは困難になる。すべて巨大資本の「御慈悲」にすがるしかない。 支配者は憲法に拘束されないという考え方が表面化したのはロナルド・レーガンが大統領に就任した直後だ。そうした動きの中心的な存在が1982年に創設された「フェデラリスト・ソサエティー」。エール大学、シカゴ大学、ハーバード大学の法学部に所属する「保守的な」学生や法律家によって創設された団体で、富豪や巨大資本をスポンサーとして持ち、大きな影響力を持つようになった。創設当初からプライバシー権などを制限、拡大してきた市民権を元に戻し、企業に対する政府の規制を緩和させるべきだと主張、フランクリン・ルーズベルト時代にニューディール派が導入した規制を廃止していく。 ところで、法律家の説明によると、TPPには法律体系の問題もあるという。TPPを推進しているアメリカ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドは判例法を基本とする英米法の国だが、日本は国会で制定された法律が基本の大陸法を採用している。この両体系を統一することは不可能だが、調停はアメリカの巨大資本と結びついた法律家になるとみられ、日本の法律は意味をなさなくなりそうだ。 しかし、イギリスの保守党に所属する有力議員からもこうした協定に反対する意見が出ている。同国の国会議員でマーガレット・サッチャー、ジョン・メージャー両政権で貿易産業大臣を務めたピーター・リリーがその人だ。彼も「TTIPは関税や割り当てを廃止することが主眼ではない」としたうえで、ISDS条項の危険性を指摘している。 TPPの「交渉」がどのように行われたかをアメリカのシェロード・ブラウン上院議員とエリザベス・ウォーレン上院議員が明らかにしている。両議員によると、アメリカ政府が設置しているTPPに関する28の諮問委員会には566名の委員がいて、そのうち480名、つまり85%が大手企業の重役か業界のロビイスト。交渉をしているのは大手企業の「元重役」だ。 アメリカから交渉に参加していた人物には、バンク・オブ・アメリカのステファン・セリグ商務省次官補やシティ・グループのマイケル・フロマン通商代表も含まれていた。セリグはバラク・オバマ政権へ入ることが決まった際、銀行から900万ドル以上をボーナスとして受け取り、フロマンは銀行からホワイトハウスへ移動するときに400万ドル以上を貰っていると報道されている。金融資本の利益のために頑張れということであり、成功報酬も約束されているだろう。 何度も書いてきたことだが、ニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルトは大統領時代の1938年4月29日、ファシズムについて次のように定義している。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 巨大資本という私的権力が各国の政府、議会、司法を支配する仕組みがTPP/TTIP/TiSAであり、参加国をファシズム化することになる。新自由主義はファシズムの一形態だとも言えるだろう。 1920年代までのアメリカは新自由主義的な政策が採用され、投機が盛んになり、富は一部に集中、貧富の差が拡大した。そうした状況に対する庶民の反発もあり、1932年の大統領選挙ではウォール街が支援していたハーバート・フーバー大統領は再選されず、巨大企業の活動を規制、労働者の権利を認めようというルーズベルトが当選したわけだ。 ちなみに、フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた。利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついた。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013) この選挙結果に驚いたウォール街の巨大資本が反ルーズベルト/親ファシズムのクーデターを計画したと議会で証言したのは海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だった。ここでも巨大資本とファシズムの関係が示されている。 証言直後、クーデター計画の調査は曖昧なまま幕引きになったが、1944年12月にドイツが略奪した金塊、いわゆる「ナチ・ゴールド」の調査を目的とした「セイフヘイブン作戦」を利用し、ルーズベルト大統領はナチス時代のドイツと違法な取り引きをしていたアメリカの有力企業やナチスに同調していた有力者を調査しようとした。そのターゲットにはトーマス・ラモント、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニア、ヘンリー・フォードなどが含まれていた。(ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアは1943年3月に死亡)この追及が不発に終わったのは、1945年4月にルーズベルト大統領が執務室で急死したからである。この時、ファシストは逆転勝利を収めたと言えるだろう。大戦後、アメリカの支配層がナチスの高官や科学者を逃がし、保護し、雇用したのは必然だ。日本では天皇制が維持され、戦前の治安機関はタグを付け替えながら生き残った。今では軍も復活しつつある。 第2次世界大戦後、巨大資本とファシズムとの関係から人びとの目をそらすために使われた呪文のひとつが「全体主義」だった。大戦前は社会主義やコミュニズムの立場からファシストを批判するために使われていたが、途中から「左翼」がソ連を批判するために使われるようになり、戦後はコミュニズムとファシズムを同一視させるため、巨大資本とファシズムとの関係を隠すための呪文として唱えられている。この呪文に縛られている限り、TPP/TTIP/TiSAがファシズムなのだということを理解できないかもしれない。
2016.04.12
シリアを侵略、バシャール・アル・アサド体制を倒す計画は頓挫した。昨年9月30日にロシアが始めた空爆が戦況を一変させたのだが、アメリカの好戦派、サウジアラビアの支配層、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン政権、イスラエル政府などは、まだアサド体制の打倒を諦めていないようだ。こうした侵略勢力は地対空ミサイルを含む物資の補給を続け、トルコ政府は侵略部隊を救出するために特殊部隊をアレッポへ派遣したと伝えられている。 そのトルコ政府は難民を送り込んでEUを脅した。トルコが難民を国内に留める代償としてEUは2年間で60億ユーロ(約7500億円)をトルコへ支払うらしいが、そうした恐喝的な行為だけでなく、シリア侵略を続けようとする背景には、アメリカやカタールが目論む石油戦略があるとも言われている。 今年1月にヨルダンのアブドラ国王がアメリカの議員を会談したときのメモがイギリスのガーディアン紙にリークされ、その中で「テロリスト」がヨーロッパへ渡っているのはトルコ政府の政策の一部だと説明している。ヨルダン政府はこの報道を否定しているが、昔からヨルダンの政府や軍はアメリカの傀儡で、国王と対立することもあった。 例えば、1970年9月にヨルダン軍はPLOを攻撃して多く死傷者が出ている。いわゆる「黒い九月」だが、こうした攻撃にフセイン国王は反対していた。攻撃の1年前、1969年9月にその国王をヨルダン軍の幹部は、PLOを攻撃させなければ拘束すると脅している。 攻撃の時にヤセル・アラファトPLO議長の家も戦車に砲撃されたが、間一髪のところで本人は避難、エジプトのガマル・ナセルがアラブの代表としてヨルダンへ送ったクウェートの国防大臣がナセルと服を交換してアラファトを救い出している。アラファトとフセイン国王はカイロで握手、ヨルダンの内戦は終結した。ナセルが心臓発作で急死したのは、その翌日のことである。 2014年、アメリカはロシアからEUへエネルギー資源を運ぶルートになっていたウクライナに傀儡政権を樹立させるためにクーデターを実行した。ロシアから黒海を横断してブルガリア、セルビア、ハンガリー、スロベニアを経由、イタリアへ至る「サウス・ストリーム」の建設計画を潰すためにアメリカ政府はブルガリア政府に圧力を加え、建設許可を出させなかった。トルコを経由する計画はトルコとロシアとの関係悪化で無理な状態である。 アメリカはカタールからサウジアラビアを経由、シリアからトルコへ入ってEUへ運ぶパイプラインの建設を計画していたが、これはシリア政府が2000年に拒否した。シリアのアサド政権を倒して傀儡体制を作りあげればこの計画は実現し、イラン、イラク、シリア、そしてEUへというパイプラインを潰すことができる。 ロシアとEUとの関係を断ち、ロシアの石油販売ルートを破壊する上でシリアは重要な位置を占めている。シリア侵略にはいくつもの理由があるだろうが、石油戦略は大きな理由のひとつであり、その先には20世紀初頭から米英の支配層が狙っているロシア支配がある。 1992年のはじめにネオコン/シオニストは国防総省のDPGの草案という形で世界制覇プランを作成している。旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようという計画で、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。その前年、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅するとも口にしていた。 1991年12月にソ連が消滅すると、ネオコンたちはアメリカが「唯一の超大国」になったと考え、その体制を永続させるために潜在的なライバルを潰すことにしたのだ。その中にはEUも日本も含まれている。すでに属国化していても、ロシアのように再独立する可能性はあり、そうならないように手を打つということだ。 EUの場合、すでにアメリカはNATOという支配の仕組みを持ち、破壊活動(テロ)を実行するための秘密部隊も存在している。そのひとつがイタリアのグラディオで、1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、クーデターも計画していた。グラディオの存在は1990年にジュリオ・アンドレオッチ首相が公式に認めている。1978年5月にアルド・モロ元首相を殺した背後にもグラディオが存在していると疑われている。アメリカ支配層はモロを「容共的」だと考え、嫌っていた。 グラディオを含む「NATOの秘密部隊」は全てのNATO加盟国に存在、フランスでは1961年に創設された反ド・ゴール派のOAS(秘密軍事機構)にも関係している。その資金源と言われている会社がパーミンデックス。1958年当時、社長兼会長を務めていたルイス・モーティマー・ブルームフィールドはイギリスの情報機関SOE(特殊作戦執行部)に所属していたことがある。アメリカの情報機関を作り上げたのはこのSOEだ。後にジョン・F・ケネディ米大統領暗殺に絡んで逮捕、起訴されるクレイ・ショーはパーミンデックスの理事だった。 OASはド・ゴール政権を倒すためにクーデターを計画する。まずアルジェリアの主要都市を支配し、そこからパリへ攻め込んで制圧するという内容だった。こうした動きを察知していたケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じている。つまり、クーデターが実行された場合、アメリカ軍を投入するというわけだ。追い詰められたOASは1962年6月に休戦を宣言するが、一部は暴走し、8月にド・ゴール大統領の暗殺を試みて失敗している。 侵略軍の傭兵、つまりダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の戦闘員は多くがリビアへ移動しているというが、OASのように、そこからEUへ攻め込もうとしているかもしれない。 NATO加盟国であるトルコにも秘密部隊が存在、「民族主義者行動党」の青年組織として創設された「灰色の狼」も含まれていると言われている。この団体のメンバーはシリアへ侵入して戦闘に参加、トルコ軍機がロシア軍機を撃墜した際、ロシア軍機から脱出した乗員を殺害している。NATOの秘密部隊ネットワークは難民問題を利用してEUで破壊活動を続ける可能性もある。
2016.04.12
バラク・オバマ米大統領は核兵器の開発に積極的だ。より多くの核弾頭、より多くの核運搬システムを製造しようとしているだけでなく、小型核兵器にも興味を持っているようで、2014年の推計では、核兵器関連でアメリカは30年間に9000億ドルから1兆1000億ドルを投入するとされている。オバマ大統領は「核兵器の廃絶」など目指していない。 トルコの基地に80発ほど保管されていると言われているB61は戦闘機や爆撃機に搭載できるタイプの核爆弾。それをトルコ軍が中東で使うことも懸念されている。その最新モデルである「11」は地下に作られた施設を攻撃できる「バンカーバスター」で、弾頭の爆破力は400キロトン、目標からの誤差は110から170メートル。現在開発中だというモデル12は50キロトンで、誤差は30メートルだという。小型化を図る目的は、使いやすくするためだ。 核兵器を保有している、あるいは保有していることが確実な国はアメリカのほか、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、朝鮮、イスラエル。アメリカの情報機関は日本が核兵器の開発を進めていると確信しているそうだが、実際に保有している可能性もある。 少なくとも日本が兵器級のプルトニウムを保有していたことは確かで、今年3月下旬には331キログラムの兵器級プルトニウムを載せたイギリスの武装核運搬船「パシフィック・イグラト」が東海村からアメリカへ向かって出港したようだ。 核兵器の保有に前向きの発言をした政治家のひとりが安倍晋三首相の祖父にあたる岸信介。1957年5月には参議院で「たとえ核兵器と名がつくものであっても持ち得るということを憲法解釈」と発言、59年3月には参議院予算委員会で「防衛用小型核兵器」は合憲だと主張している。 1964年に中国が初めて核実験を実施すると、岸の実弟、佐藤栄作は日本政府の内部で核武装への道を模索(Seymour M. Hersh, “The Price of Power”, Summit Books, 1983)、65年にアメリカを訪問してリンドン・ジョンソン大統領と会談した際、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。(NHK「“核”を求めた日本」2010年10月3日)CIAなどが核兵器開発の中心になっていると疑っていた「動力炉・核燃料開発事業団(現在は日本原子力研究開発機構)」が設立されたのは1967年のことだ。 1969年2月に日本政府は西ドイツ政府と核兵器に関して秘密裏に協議している。日本の外務省から出席したのは国際資料部長だった鈴木孝、分析課長だった岡崎久彦、そして調査課長だった村田良平。この年からアメリカはリチャード・ニクソン政権がスタート、大統領補佐官に就任したヘンリー・キッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語っていたという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991) この日独会談で西ドイツは日本側の申し入れを断ったというが、コンラッド・アデナウアー首相は1960年3月にニューヨークでイスラエルのダビッド・ベングリオン首相と会談し、核兵器を開発するために1961年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上へ増額)を融資することを決めている。西ドイツ政府が核兵器の開発自体に否定的だったとは言えない。 イスラエル核兵器開発を止めようとしたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月に暗殺され、イスラエルは核兵器の開発を進める。1986年にイギリスのサンデー・タイムズ紙が掲載したモルデカイ・バヌヌの内部告発によると、イスラエルが保有する原爆は約200発。バヌヌは1977年から約8年間、技術者としてディモナの核施設で働いていた人物だ。 ディモナにある核施設でバヌヌが担当していたのは原爆用のプルトニウム製造。生産のペースから計算するとイスラエルは150から200発の原爆を保有していることが推定されるとしていた。水爆に必要な物質、リチウム6やトリチウム(三重水素)の製造もバヌヌは担当、別の建物にあった水爆の写真を撮影したという。また、イスラエルは中性子爆弾の製造も始めていたとしている。なお、ジミー・カーター元米大統領はイスラエルの保有する核弾頭の数は150発以上だと語っている。 佐藤政権は核武装に関する調査を開始、その中心にはなったのは内閣調査室の主幹だった志垣民郎。原爆の原料として考えられていたプルトニウムは日本原子力発電所の東海発電所で生産することになっていた。志垣らの調査では、この発電所で高純度のプルトニウムを年間100キログラム余り、つまり長崎に落とされた原爆を10個は作れる量を生産できると見積もっていた。 ジミー・カーター政権は日本の核兵器開発を警戒していたが、1981年にロナルド・レーガンが大統領に就任するとアメリカ政府の内部に日本の核武装計画を支援する動きが出てくる。東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)はプルトニウムを分離/抽出するための施設だが、この施設にアメリカ政府は「機微な核技術」、つまり軍事技術が含まれていた。調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、福島第1原発が過酷事故を起こした当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。自らが生産した可能性もあるが、外国から持ち込まれた可能性もある。この数字が正確なら331キログラムは取るに足りない量だ。 かつて、アメリカ軍が沖縄へ核兵器を持ち込んでいたことが明らかになっている。その当時、アメリカの軍や情報機関で大きな影響力を持っていた好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んでいたことも判明している。 なお、CIAの好戦派はケネディ大統領から長官の職を解かれたアレン・ダレスが中心で、軍の好戦派はケネディから統合参謀本部の再任を拒否されたライマン・レムニッツァーや日本の都市を焼夷弾による爆撃で攻撃、多くの住民を焼き殺したカーティス・ルメイだ。レムニッツァーは1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めている。 1949年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容が盛り込まれ、54年になると、SAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成した。 SACが1956年に作成した核攻撃計画に関する報告書によると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標には水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。 ソ連に対する先制核攻撃の準備が始まったのは1957年だと言われ、この年の初頭には「ドロップショット作戦」が作成された。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うというもので、工業生産能力の85%を破壊する予定。 アメリカの好戦派はソ連への先制核攻撃にICBM(大陸間弾道ミサイル)を使う予定で、ソ連がICBMを大量生産する前にICBNを準備、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1963年の終わりに核兵器で奇襲攻撃しようとしていた。 この計画で最大の障害はケネディ大統領だったが、1963年11月にテキサス州ダラスで暗殺される。好戦派はこの暗殺の責任をソ連やキューバに押しつけ、戦争の口実にしようとしたが、CIAの偽情報をFBIがリンドン・ジョンソン大統領に知らせたこともあり、戦争には至らなかった。 1950年代にアメリカの好戦派がソ連を先制核攻撃しようとした背景には自分たちが圧勝できるという妄想があったのだが、ソ連消滅後、似た考え方がアメリカの支配層内部に生まれている。例えば、2006年にキール・リーバーとダリル・プレスはフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)で、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると書いている。つまり、反撃されないという妄想だ。シリアやウクライナでロシア軍は戦闘能力の高さを示したが、ネオコンは一度決めた予定を変更できないらしい。
2016.04.11
ウクライナのクーデター政権で首相を務めてきたアルセニー・ヤツェニュクが辞意を表明、後任は国会の議長を務めるボロディミール・グロイスマンになるようだ。ヤツェニュクはクーデターを仕掛けたネオコン/シオニストの操り人形だが、東部と南部でロシア語系住民の排除、つまり「民族浄化」に失敗し、経済は破産状態で、国内は混乱の度合いを強めていた。 ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を主力とする勢力は2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除、ヤツェニュクは27日に首相代理となり、そのまま首相として活動してきた。クーデターの最中、アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補がジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話で「次期政権」の人事について話し合っている音声が何者かによって2月4日にインターネット上へアップロードされたが、その中でヌランドはヤツェニュクを高く評価していた。ちなみに、ヌランドが結婚した相手はネオコンの大物、ロバート・ケーガンだ。 ヌランドが2013年12月13日に米国ウクライナ基金の大会で行った講演によると、アメリカ政府はソ連が消滅した1991年からウクライナへ50億ドルを投資していた。ソ連消滅で重要な役割を果たしたボリス・エリツィンはロシアの大統領として新自由主義的な政策を推進、国民の資産を一部の人間が盗む手助けをした。 ロシア政府の腐敗勢力で中心的な存在がエリツィン大統領の娘、タチアナ。この腐敗グループと親しくしていたひとりが代表的なオリガルヒだったボリス・ベレゾフスキーだ。エリツィンは1996年頃からタチアナを側近として使うようになっていた。エリツィンが1992年11月から経済政策の中心に据えていたアナトリー・チュバイスと利権仲間になるのは必然だ。このチュバイスはHIID(国際開発ハーバード研究所)と連携、この研究所が資金を得ていたのはUSAID。CIAが資金を流すパイプ役を持つ機関として有名である。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,” Next Revelation Press, 2015) タチアナは2001年に父親の側近だったバレンチン・ユマシェフと再婚するが、その娘であるポリナ・ユマシェバが結婚したオレグ・デリパスカはイスラエル系オリガルヒ。ロシアのアルミニウム産業に君臨し、ナサニエル・ロスチャイルドから「アドバス」を受ける一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めている人物である。 21世紀に入ると旧ソ連圏でも新自由主義が国民から富を搾り取る仕組みにすぎないことが知られるようになり、西側支配層の意に反する動きが出始め、2004年に行われたウクライナの大統領選ではヤヌコビッチが勝利する。 その結果をひっくり返すため、西側の傀儡候補であるビクトル・ユシチェンコは「不正選挙」だと主張し、2004年から05年にかけてデモや政府施設への包囲などで新政権を揺さぶる。西側もこの行動を支援し、ユシチェンコが大統領の座を奪うことに成功した。いわゆる「オレンジ革命」だ。ユシチェンコ時代のウクライナはエリツィン時代のロシアと同じようのオリガルヒを生み出す。 こうした政策への反発もあり、2010年2月の選挙ではヤヌコビッチが勝利、今度は大統領に就任したのだが、西側の支配層は諦めない。その政権を倒すため、NGOを使って抗議活動を演出、2013年11月にはキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)へ約2000名の反ヤヌコビッチ派が集めることに成功した。当初、抗議活動は人びとのEUへの憧れを刺激する「カーニバル」的なもので、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。 ころあいを見計らい、ネオコンはネオ・ナチに行動を起こさせる。その集団が広場で棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。2月中旬には2500丁以上の銃をネオ・ナチは持ち込み、狙撃も始める。 西側の政府やメディアは狙撃をヤヌコビッチ政府側によるものだと宣伝したが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は事実が逆だということを知る。反ヤヌコビッチ派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をした結果だ。 その結果を26日にEUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトンへ電話で、狙撃手は反ヤヌコビッチ派の中にいると報告する。 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」としている。 ところが、アシュトンは新しいウクライナの「議会を機能させなければならない」と応じた。つまり、事実を隠して嘘を突き通せということだ。クーデターの最終局面までEUは話し合いでの解決を模索、2月21日に平和協定の調印にこぎ着けたのだが、この協定が実行されることはなかった。そうしたEUを不満を抱いていたヌランドはパイアットに対し、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたわけだが、アシュトンはネオコンに近い立場だったように見える。 広場で狙撃を指揮していたのはネオ・ナチの幹部、アンドレイ・パルビー。1991年にオレフ・チャフニボクとネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」を創設、クーデター後に国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任している人物だ。抗議活動中、広場への出入りはパルビーの許可が必要で、この人物はアメリカの特殊部隊とも接触していたと伝えられている。 クーデター後、キエフ政権は傀儡色を隠そうとしなくなり、金融大臣にはシカゴ生まれでアメリカの外交官だったナタリー・ヤレスコを、経済大臣にはリトアニアの投資銀行家だったアイバラス・アブロマビチュスを、保健相にはグルジアで労働社会保護相を務めたことのあるアレキサンドル・クビタシビリを、またジョージア(グルジア)大統領だったのミヘイル・サーカシビリを大統領顧問、そしてオデッサの知事にするというようなことを平然と行っている。その背後にはロスチャイルド家のファンドであるフランクリン・テンプルトンやIMFがいる。 こうしたウクライナの略奪体制が崩壊していることをヤツェニュクが辞意表明は示している。ネオコンはシリアへの侵略に失敗、その手先として利用してきたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の戦闘員はトルコへ逃げ込んでいる。トルコの特殊部隊が侵略軍を支援するためにシリアへ侵入したとも伝えられているが、大勢に変化はないだろう。その戦闘員の多くはリビアへ移動、EUへ攻め込む拠点にするつもりのようだが、それ以外にウクライナ、カフカス、中央アジア、新疆ウイグル自治区、東南アジアなどへも向かっているようだ。ウクライナでダーイッシュが戦闘を始める可能性はある。ロシアは防衛体制を強化している。
2016.04.10
アメリカの支配層は侵略戦争を正当化するため、偽情報を流し続けてきた。そうした偽情報を企画しているのが広告会社であり、それを広める役割を負っているのが有力メディアである。反骨精神に富む記者や編集者はそうしたメディアから排除されてきた。今ではほとんど残っていないだろう。少なくとも報道には繁栄されていない。アメリカは「嘘の帝国」なのである。 その帝国は新たな武器、つまりリアルタイムで顔の表情、動きを操作する技術を手に入れた。(文書、映像)コンピューターグラフィックの技術が進歩し、ある人物の表情をターゲットに移し替えることができるようになり、発言をでっち上げることも可能になったと話題になっている。この事実を知らないと、支配層から簡単に操られてしまう。 本ブログでも紹介してきたが、西側メディアはフォトショップなどのソフトウェアを利用して画像を改竄して戦争を煽ってきたが、これからは西側支配層のターゲットになっている人びとの発言にこれまで以上の注意を払うも必要がある。
2016.04.10
オフショア市場/タックスヘイブンを利用して巨大資本や富豪は資産を隠し、租税を回避してきた。かつてはスイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなどが有名だったが、1970年代にはロンドンのシティを中心とするネットワークが現れる。シティのほか、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが結びつき、その秘密度は古いタックス・ヘイブンの比ではないという。また、ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーは昨年9月、サンフランシスコ湾を望む法律事務所で講演した中で、税金を払いたくない富豪は財産をアメリカへ移すように顧客へアドバイスするべきだと語ったという。 4月3日にはパナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」の内部文書、いわゆる「パナマ・ペーパーズ」が公表されてオフショア市場が話題になっているようだが、そうした話は経済活動の基本情報であり、昔から問題になっていた。各国の政府や有力メディアが大きく取り上げてこなかったのは、自分たちのスポンサーの利益が関係しているからにほかならない。 1150万件という文書が南ドイツ新聞(SZ)の編集部に届いたのは昨年の初め。それを国際調査ジャーナリスト協会(ICIJ)が分析、「編集済み」の情報を明らかにしたというが、公表された量は圧倒的に少ない。ICIJの背後に投機家のジョージ・ソロスが関係している基金やCIA系のUSAIDが存在、西側支配層にとって都合の悪い情報は隠したと疑われている。 ICIJが行っている組織犯罪と贈収賄報道プロジェクト(OCCRP)は、文書に名前も出てこないロシアのウラジミル・プーチン大統領を攻撃する話を作りあげ、その話は西側の有力メディアから流された。タイトルは派手だが、記事に中身はない代物だ。 公表された文書にはウクライナのペトロ・ポロシェンコ、アイスランドのシグムンドゥル・グンラウグソン首相、そしてイギリスのデイビッド・キャメロン首相は名前があっていたものの、その程度。西側の富豪や政治家の名前も出てこないに等しい。しかも、キャメロン首相について西側メディアはさほど興味を示していなかった。 2008年に世界規模で金融が破綻した際、アイルランドではルール通りに銀行を破産させたうえ、不正が明らかになった幹部を処罰している。その幹部たちはジョージ・ソロスやロスチャイルド家の命令で動いていたと言われ、巨大金融資本からアイルランド政府は睨まれていただろう。ちなみに、アメリカでは「大きすぎて潰せない」として庶民のカネをつぎ込んで銀行を救済、犯罪行為が発覚した幹部は「大きすぎて処罰できない」ということで「我が世の春」を謳歌している。 巨大資本や富豪がオフショア市場を利用して租税を回避していることは公然の秘密。今回の一件で何者かがその秘密に関する詳細な情報を持ち、その情報を持っている人間、あるいは組織は攻撃の材料に使えることは推測できる。こうした中、ネオコン系のブルッキングス研究所でシニア・フェローを務めているクリフォード・ガディはロシアの情報機関が情報をリークしたとする説を唱えている。 世界最大のタックス・ヘイブンになったと思われるアメリカがライバル、例えばスイスやパナマを叩いていると解釈する人もいるのだが、ロシアが西側支配層にメッセージを発信した可能性も確かにある。ロシアが全ての秘密口座に関する情報を入手できる能力を手に入れたということにもなるだろう。 リークしたのがアメリカの支配層なのか、あるいはロシアの情報機関なのか、あるいは別の何者なのかは不明だが、いずれにしろ西側エリートにとっては深刻な事態だ。中国ではこの情報を利用してアメリカに従属している幹部を粛清するかもしれない。
2016.04.09
シリア政府軍はアレッポを奪還しつつあるようだが、その近くが化学兵器で攻撃されて23名が殺され、100名以上が負傷したと伝えられている。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)がYPG(クルド人民防衛隊)を攻撃したようで、塩素ガスが使われたとも言われている。 2013年8月にはダマスカスの近くが化学兵器で攻撃され、西側の政府やメディアはシリア政府軍が使用したと宣伝、リビアと同じようにNATO軍が軍事介入する口実にしようとしたが、実際はアメリカなどの支援を受けた反シリア政府軍による攻撃だとすぐに判明する。 攻撃の直後にロシアのビタリー・チュルキン国連大使は反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾したと国連で説明、その際に関連する文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事も書かれた。 すぐに現地を調査したキリスト教の聖職者マザー・アグネス・マリアムはいくつかの疑問を明らかにした。 例えば、攻撃のあった午前1時15分から3時頃(現地時間)には寝ている人が多かったはずだが、犠牲者がパジャマを着ていないのはなぜか、家で寝ていたなら誰かを特定することは容易なはずであるにもかかわらず明確になっていないのはなぜか、家族で寝ていたなら子どもだけが並べられているのは不自然ではないのか、親、特に母親はどこにいるのか、子どもたちの並べ方が不自然ではないか、同じ「遺体」が使い回されているのはなぜか、遺体をどこに埋葬したのかといった疑問を発している。(PDF) 12月になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事をLRB(ロンドン書評)誌で発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。また、国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 ちなみに、ハーシュはそれまでニューヨーカー誌を発表の舞台にしていたが、化学兵器の話を載せることができず、LRBで発表したようだ。勿論、その前からニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、ウォールストリート・ジャーナル紙といった「有力メディア」はハーシュの記事を拒絶していた。 また、トルコの国会議員エレン・エルデムらは捜査記録などに基づき、トルコ政府の責任を追及している。化学兵器の材料になる物質はトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったというのだ。この事実を公表した後、エルデム議員らには起訴の脅しをかけられている。 NATO軍の軍事侵攻が決定的であるかのように「報道」していた西側の有力メディアの宣伝がピークに達したのは9月3日。この日、地中海からシリアへ向かって2発のミサイルが発射されたのだ。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、その事実が公表されるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまう。 イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、事前に通告はなく、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。その推測が正しいなら、NATOが軍事介入しても簡単には片がつかないことを意味する。 そして登場してくるのがダーイッシュだった。2014年1月にファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言して6月にはモスルを制圧している。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その光景を撮影した写真が世界規模で流れてデビューを飾った。 アメリカ軍はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人からの情報などでダーイッシュの動きを把握していたはずだが、反応していない。パレードしている車列などは格好の攻撃目標のはずなのだが、アメリカ軍は何もしていない。アメリカ軍はアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュを攻撃せず、ダーイッシュはイスラエルやサウジアラビアを攻撃しないのだ。 トルコではダーイッシュによるとされる攻撃があったが、これはレジェップ・タイイップ・エルドアン政権に批判的な勢力を弾圧し、治安体制を強化する口実に使われている。昨年9月30日に始まったロシア軍による空爆でアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュは敗走、トルコへ逃げ込んでいると伝えられている。そこからリビアやイエメンへ移動しているほか、EU、カフカス、新疆ウイグル自治区など出身地へ戻っているともいう。カンボジアやインドネシアにもダーイッシュのネットワークはある。 現在、西側は情報操作で時間を稼いでいるようだが、今後、ロシアや中国を攻撃する口実を作るために何らかの工作を実行する可能性は小さくない。
2016.04.08
アメリカを拠点にしている「オリガルヒ」は各国の「エリート」を操るために「飴」と「鞭」を使っている。カネと地位を約束して支配、そうした提示を拒んだ相手は何らかの手段で排除する。排除の手段には、例えば、メディアを使ったスキャンダル攻勢、情報機関による暗殺やクーデター、そして傭兵や正規軍を投入する軍事侵略がある。「留学」という形で若いうちから洗脳するということも行われてきた。そうした活動をテーマにした本も出されている。 買収にオフショア市場/タックスヘイブンが利用されることは言うまでもないが、その仕組みを作り、管理しているのは情報機関をコントロールしている米英の一部支配層。もし買収した相手が裏切ったなら、いつでも「不正」を暴露して報復できるということでもある。EUのエリートは多くが買収されていると言われ、アメリカ支配層に逆らうことは困難な状況だ。EUほどではないだろうが、中国も若手は買収済みだと見られている。だからこそ、中国がロシアへ接近したのはアメリカ支配層にとって衝撃だった。 買収に応じる、つまり私利私欲のために国を売り渡す人物が多いだろうが、拒否する政治家もいる。そうした人びとは排除されてきた。例えば、イランのムハマド・モサデク首相は1953年に、グアテマラのヤコボ・アルベンス・グスマン大統領は54年に、コンゴのパトリス・ルムンバ首相は1960年に、インドネシアのアハマド・スカルノ大統領は1965年に、チリのサルバドール・アジェンデ大統領は1973年にアメリカ主導のクーデターで排除された。1959年のキューバ革命を率いたフィデル・カストロはCIAから合計638回にわたって命を狙われたという。1981年にはパナマのオマル・トリホスが「飛行機事故」で死んでいるが、これはCIAによる暗殺だと言われている。 かつて、西ヨーロッパにもアメリカと一線を画すという姿勢を明確にしていた指導者がいた。そのひとりがフランスのシャルル・ド・ゴール。フランスはイタリアと同じようにコミュニストの力が強かった国で、アメリカ支配層から睨まれていた。 そのフランスで1947年に社会党系の政権が誕生、その内務大臣だったエドアル・ドプは、政府を不安定化するため、右翼の秘密部隊が創設されたと発言している。その年の夏に米英の情報機関、つまりCIAとMI6と手を組んで秘密部隊は「ブル(青)計画」と名づけられたクーデターを実行する予定で、シャルル・ド・ゴールを暗殺する手はずになっていたともされている。その後、新たな秘密部隊「ローズ・ド・ベン(羅針図)」が創設され、1961年にはOAS(秘密軍事機構)組織された。 OASは1961年4月にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、アルジェリアの主要都市を支配してからパリを制圧するというクーデター計画について討議した。会議にはCIAのメンバーも参加している。その中心にはモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍が存在、4月下旬に計画は始動した。 ところが、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。アルジェリアからクーデター軍がパリへ侵攻してきたならアメリカ軍を投入するということ。CIAは驚愕したという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015) その後、ド・ゴール大統領はポール・グロッシンSDECE(フランスの情報機関)長官を解任、その暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。グロッシンはアメリカの極秘破壊工作機関のOPCを率いていたフランク・ウィズナーと親しい。 1962年6月にOASは休戦を宣言するが、その一部は決定に従わず、この年の8月にド・ゴール暗殺を試みて失敗、計画に加わったメンバー全員は9月に逮捕された。1963年11月にはアメリカでケネディ大統領が暗殺され、ド・ゴールも葬儀に参列する。帰国後、フランス大統領は情報大臣だったアラン・ペールフィットに対し、ケネディに起こったことは自分に起こりかけたことだと語ったという。黒幕は同じだという感触を得ていたようだが、実際、同じ人脈が背後で蠢いている。 1966年にフランスはNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)がパリを追い出され、ベルギーへ移動しているが、1969年にド・ゴールが失脚するとアメリカの影響力は再び強まり、SDECEもCIAの命令で動くようになる。1995年にフランス政府はNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言し、ジャック・シラクの次に大統領となったニコラ・サルコジ大統領は2009年にフランスをNATOへ完全復帰させた。シラクは大統領の座を降りてからスキャンダル攻勢にあい、2011年に執行猶予付きながら禁固2年が言い渡されている。
2016.04.08
アメリカの有力メディアでコラムを書いているような人たちの大半はネオコン/シオニストをはじめとする好戦派の代弁者にすぎない。ベトナム戦争で情報統制の重要性を認識した支配層は「規制緩和」で巨大資本による支配を強め、反骨精神の富んだジャーナリストは排除されてきた。こうした西側支配層に嫌われている人、組織、国は見所があると言えるだろう。 1991年12月にソ連が消滅した直後、ネオコンはアメリカを「唯一の超大国」と位置づけ、ソ連に替わるライバルが出現することを防ぐためのプロジェクトを始める。その指針が1992年初頭に国防総省で作成されたDPG草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。旧ソ連圏だけでなく、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようという内容。今でもネオコンはこの戦略に基づいて動いている。そのネオコンの宣伝機関がアメリカの有力メディア。そのメディアが支援している人、組織、国は危険であり、そうしたメディアを信奉している人も危険だ。 1990年代にメディアは広告会社とタッグを組み、偽情報を公然と流すようになった。その幕開けとも言えるのが1990年10月にアメリカ下院の人権執行集会での茶番劇。イラク軍に侵攻されたクウェートから来たという少女「ナイラ」が登場、イラク兵は病院の保育器に入れられていた赤ん坊数百人を連れ出して殺したと主張したのだ。 今では広く知られているが、彼女の話は嘘だった。ナイラはアメリカ駐在クウェート大使サウド・ナシール・アルサバーの娘で、軍事侵攻があった時にクウェートの様子を目撃などしていなかったのである。保育器の話自体も作り話。この茶番劇を演出したのが大手広告会社ヒル&ノールトンだ。ユーゴスラビアを破壊する際には別の広告会社、ラダー・フィン・グローバル・パブリック・アフェアーズが利用されている。 ユーゴスラビア破壊の仕上げは1999年3月に行われたNATO軍の先制攻撃。この時も偽情報が使われたことは本ブログでも何度か指摘した。5月には中国大使館も爆撃されているのだが、これは意図的だった可能性が高い。勿論、多くの人びとが犠牲になった。 この年、アメリカ陸軍の第4心理作戦群の隊員が2週間ほどCNN本部で活動していた。アメリカ軍のトーマス・コリンズ少佐(当時)によると、派遣された隊員は放送局のスタッフと同じように働き、ニュースにも携わったという。(Trouw, 21 February 2000)軍とメディアの一体化が進んでいたということだ。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、国防長官の周辺ではイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃するというプランができた。このうちイラク、イラン、シリアは1991年の時点でポール・ウォルフォウィッツが主張していた殲滅対象国だ。 そして2003年3月、ジョージ・W・ブッシュ政権は統合参謀本部の反対を押し切る形でイラクを先制攻撃するが、それを正当化するために使われた口実が「大量破壊兵器」。これが嘘だということは最初から指摘されていたが、有力メディアはネオコンなど好戦派に同調して宣伝していた。 イギリスのトニー・ブレア政権はイラクが45分で大量破壊兵器を使用できると主張していたが、この時点におけるイギリスの有力メディアはアメリカほど腐敗していなかったようで、この主張を否定する報道があった。開戦から2カ月後、BBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「45分話」を主張する「9月文書」は粉飾されていると語ったのだ。さらにサンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したとも主張している。 ギリガンが「45分話」の疑惑を語って間もなく、彼の情報源が国防省で生物兵器を担当しているデイビッド・ケリーだということがリークされ、ケリーは7月15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に変死する。その後、2004年10月に「45分話」が嘘だということを外務大臣のジャック・ストローは認めた。 トニー・ブレア英首相は2002年3月の時点でアメリカによるイラク侵攻に参加することを決めていたことが今ではわかっている。ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めたコリン・パウエルが2002年3月28日に書いたメモの中で、ブレア首相はアメリカの軍事行動に加わると書かれていたのだ。このメモが書かれた1週間後、米英両国の首脳は会談している。この約束を守るため、ブレア政権は嘘をついたということだろう。 政府の報道統制はBBC幹部の粛清に結びつく。執行役員会会長とBBC会長が辞任に追い込まれ、ギリガンもBBCを離れた。この後、BBCはプロパガンダ色が強まり、リビアやシリアへの軍事侵略を始めてからは偽情報を流し続けている。その具体的な話は本ブログで繰り返し書いてきたので今回は割愛する。 アメリカの大統領選に出馬している候補者の大半はこうした軍事侵略を正当化、継続しようとしている。最終目標はロシアと中国の制圧だ。こうした戦略に固執している好戦派が最も好ましいと考えている人物がヒラリー・クリントン。ネオコン、戦争ビジネス、巨大金融資本などから支持され、破壊と殺戮を全世界に広げようと扇動している。その狂気を罵倒しているドナルド・トランプが有力メディアから嫌われているのは必然だ。
2016.04.07
巨大資本や富豪が自分たちの資産を隠し、租税を回避するためにオフショア市場/タックスヘイブンを利用していることは常識。世界銀行やIMFといった支配層に支配された機関などの推計でも、そうした形で隠されている資産は21兆ドルから32兆ドルに達するとされている。アメリカの情報機関には世界を移動する資金の流れを調べられるシステムが存在、西側支配層の一部はその詳細を知っているはずだ。 4月3日にはパナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」の内部文書、いわゆる「パナマ・ペーパーズ」が公表され、オフショア市場の口座に関する情報が明らかになった。ICIJ(国際調査ジャーナリスト協会)などの手を経て表に出たのだが、その背後には投機家のジョージ・ソロス、フォード財団、ロックフェラー家やCIA系の基金が存在していると言われている。 ICIJは入手した文書の大半を公表せず、WikiLeaksから批判されているが、公表した文書にはウラジミル・プーチン露大統領の名前が出てこない。それにもかかわらず、プーチンの家族が何らかの不正な手段で儲けているに違いないと西側の有力メディアは宣伝している。(WikiLeaksも指摘)意味不明なのだが、それが現在の西側メディアでは通用しているのだ。実際に名前が出てくるイギリスのデイビッド・キャメロン首相について西側メディアはさほど興味を示していない。 2013年にもICIJはロシアに関連したオフショア市場の口座を明らかにしたが、その際にロシアでは政府の主要ポストについていたり議員になっている人物やその家族などは国外で銀行口座を持つことを厳しく規制することにした。オフショア市場に作られた銀行口座はアメリカ支配層が各国の「エリート」を買収するためにも使われているため、規制は当然だ。 ロシアには現在でも西側支配層に従っている勢力が存在し、その中心にはボリス・エリツィンの娘、タチアナがいる。エリツィン自身、西側巨大資本の傀儡だったが、飲んだくれの父親に代わり、クレムリン内外の腐敗勢力と手を組んでロシアを食い物にしていた人物だ。プーチンの体制を倒した後、西側支配層はタチアナをはじめとする勢力に実権を握らせようと考えているのだろう。 タチアナは「実業家」のアレクセイ・ドゥヤチェンコと結婚、ウラジミル・プーチン政権になって結婚相手が捜査の対象になると離婚し、エリツィンの側近だったバレンチン・ユマシェフと再婚した。 ユマシェフの娘、ポリナ・ユマシェバが結婚したオレグ・デリパスカはイスラエル系オリガルヒ。ロシアのアルミニウム産業に君臨、ナット・ロスチャイルドから「アドバス」を受ける一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めている。こうしたロシアの勢力が今でもロシアの再属国化を目論んでいる。 イギリスの支配層は遙か昔から有力メディアを宣伝機関として利用してきた。セシル・ローズ、ナサニエル・ロスチャイルド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、ウィリアム・ステッドを中心にイギリスで「選民秘密協会」が創設されたのが1891年2月だが、この団体はタイムズ紙をはじめ多くのメディアを支配し、情報操作に使っている。 ローズは南アフリカに渡り、ダイヤモンドの取り引きで財をなした人物で、その資金を出していたのがNMロスチャイルド&サン。ローズは1896年にレアンサー・ジェイムソンを使ってボーア人が支配していたトランスバールへ軍事侵攻を試みたが、目的はそこで発見された金にあった。 この侵略は失敗、ローズはイギリスに戻ってナサニエル・ロスチャイルドに会い、ロスチャイルドはステッド、ブレット、そしてアルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)と緊急会談を開いて対策を練る。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)つまりジェイムソンの侵略は選民秘密協会が黒幕だったと言える。その後、イギリス本体が戦争に介入、1899年から1902年にかけてボーア人と南アフリカ戦争を戦い、トランスバールとオレンジ自由国は併合された。そして、すでにイギリス領になっていたケープ植民地とナタールと合体させ、南アフリカ連邦を作りあげるわけだ。 イギリスの支配層は1970年代にロンドンを中心とするオフショア市場のネットワークを築き上げた。それまでの有名な税金避難地はスイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなどだったが、ロンドンのシティを中心に、ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなど、かつで大英帝国を構成していた国や地域を結びつけたのである。 ロンドンに対抗するため、アメリカは1981年にIBF(インターナショナル・バンキング・ファシリティー)を開設、これをモデルにして日本では86年にJOM(ジャパン・オフショア市場)をオープンさせたが、ここにきてアメリカが租税避難の主導権を握ったとされている。 ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーは昨年9月、サンフランシスコ湾を望む法律事務所で講演した中で、税金を払いたくない富豪は財産をアメリカへ移すように顧客へアドバイスするべきだと語ったという。アメリカこそが最善のタックス・ヘイブンだというわけだ。ロスチャイルドはネバダのレノへ移しているという。シティを中心としたオフショア市場からアメリカのネバダ、ワイオミング、サウスダコタなどへ富豪たちは口座を移動させたと言われている。 ドルを発行するしか能がなくなったアメリカ支配層はペトロダラーという回収システムを1970年代に作り、金融の規制緩和を推進して投機市場へドルが流れ込むようにし、アメリカをオフショア市場化することでドルが還流するようにしているように見える。が、そうした仕組みはアメリカの腐敗を促進、この国は早晩朽ち果てることになるだろう。 現在、支配層は巨大資本が国を支配する仕組みを作り上げようとしている。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)によって巨大資本が世界を直接統治しようというわけだ。現在の西側支配層は生き残りをこの仕組みにかけているようだが、その中にはオフショア市場の推進も含まれている。 ところで、「パナマ・ペーパーズ」を流出させた法律事務所を創設したひとりはジューゲン・モサック。その父親は第2次世界大戦でナチスの武装親衛隊に所属、1960年代にパナマへ移り住んだという。第2次世界大戦後、ラテン・アメリカへはアメリカ支配層の支援を受けてナチの元高官が逃げ込んだ。モサックの法律事務所はCIAやメキシコの麻薬組織ともつながっていると伝えられている。 麻薬は世界の「主要産業」になっている。UNODC(国連薬物犯罪事務所)のアントニオ・マリア・コスタによると、2008年に世界の金融システムが揺らいだ際、麻薬取引で稼がれた3520億ドルの大半が経済システムの中に吸い込まれて銀行の倒産を救った可能性がある。 また、2010年には麻薬取引の利益が年間6000億ドルに達し、金融機関でロンダリングされている資金の総額は1兆5000億ドルに達するとも言われ(UNODC, “Annual Report 2010”)、麻薬の年間売上高は8000億ドル以上という推計もある。アメリカの巨大金融資本にとって、こうした麻薬業者も大事な顧客。アメリカ上院では1999年の時点で、銀行が行っている違法資金のマネーロンダリングは年間5000億ドルから1兆ドルに達するという話が出ていた。(Minority Staff Report For Permanent Subcommittee On Investigations (Senate Committee On Homeland Security & Governmental Affairs) Hearing On Private Banking And Money Laundering, November 9, 1999)アメリカが巨大なオフショア市場になったということは、こうした資金も呑み込もうということだ。
2016.04.06
中東/北アフリカやウクライナでは戦乱が拡がり、多くの住民が難民化した。この戦乱で西側諸国、ペルシャ湾岸産油国、イスラエルなどが手先として使っているダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は女性や子どもを拉致してきたことでも知られている。自分たちが奴隷として使うだけでなく、商品として売りさばいてきたのだ。 トルコで良い生活ができると親を騙して娘を引き取り、強制的な結婚、性的虐待、人身売買、売春、レイプなどの世界へ引きずり込んでいると問題になっている。こうした娘の買い手はペルシャ湾岸産油国の富豪たちだという。トルコへ逃げた女性はキャンプの内外で売春を強いられているとも報告されている。 トルコやサウジアラビアに限らず、アメリカ支配層の手先は人身売買に手を出す傾向がある。例えば、西側のメディアが「民主化の旗手」であるかのように扱ってきたミハイル・ホドルコフスキーはソ連時代、ロシアの若い女性を西側の金持ちに売り飛ばしていた疑いが持たれている。 当時、彼はコムソモール(全ソ連邦レーニン共産主義青年同盟)の指導者で、KGB(国家保安委員会)にも人脈を持っていた。それを利用し、ロシアの女性を「モデル」としてニューヨークへ送るビジネスを始めている。 1991年12月にソ連が消滅した後にホドルコフスキーはメナテプ銀行を設立、95年に石油会社のユーコスを買収して中小の石油会社を呑み込んでいく。その間、情報操作の重要性を忘れたわけでなく、モスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズを出している会社の大株主になっている。彼のビジネス・モデルはジョージ・ソロスから学んだもので、ヘンリー・キッシンジャーやジェイコブ・ロスチャイルド卿と親しい。 西側の支配層はユーゴスラビアを軍事的に破壊して分割して乗っ取るが、コソボもそうして手に入れた。コソボで西側の手先になったKLA(コソボ解放軍、UCKとも表記)の指導者は約300名のセルビア人捕虜から生きた状態で、つまり「新鮮」な状態で臓器を摘出、売っていたと旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷の元検察官カーラ・デル・ポンテが自著の中で書いている。 KLAはアフガニスタンを原産地とする麻薬の転売で資金を稼いでいたことでも知られ、臓器の密売に手を出しても不思議ではない。コソボにおいて武器、麻薬、そして臓器の密売で稼いでいる犯罪組織のトップはハシム・サチ首相だとする報告書を欧州会議が発表したが、臓器の取り引きの黒幕はトルコ系イスラエル人のモシェ・ハレルだとする話をガーディアン紙は伝えている。イスラエル人は密売臓器の重要な顧客だともいう。トルコの医師によって行われていたとされる違法な臓器移植もこの取り引きに関係していたと言われている。 2009年12月にスウェーデンの新聞はテル・アビブ近くにあるアブ・カビル法医学研究所の元所長、エフダ・ヒスの証言として、イスラエルが1990年代までパレスチナ人から許可なく臓器を摘出していたと伝えた。臓器を取り出すために殺したかどうかは不明だという。 2014年2月にキエフでクーデターを成功させたネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)はアメリカ/NATOを後ろ盾にしているが、東部や南部で反クーデター派の抵抗が始まると軍隊が派遣されて住民を殺し始め、住民は難民化してロシア領へ逃げ込む。難民によると、ポーランド人狙撃手が市民を銃撃し、避難しようとする人びとは殺され、子どもたちは誘拐されてアメリカへ連れ去られ、そこで臓器が摘出されているという。 この話を伝えたBBCはそうした証言を確認しようとしていない。恐らく、信憑性があると判断、明確にしたくなかったのだろう。なお、臓器の話はBBCより2週間近く前にプラウダが報道、スラビヤンスクでは住民側の部隊がクーデター軍の墓を発見、数百の死体は腹が切り裂かれ、臓器が持ち去られていたと伝えていた。昨年9月にはクルド民主党からの情報として、イラクの都市モスルにダーイッシュは臓器の取引所を開設したという話も流れている。 アメリカ支配層の手先が行っている稼業は人身売買と臓器の密売以外にもある。麻薬取引だ。本ブログでは何度も書いてきたが、ベトナム戦争のときは東南アジアのケシを原料としたヘロイン、ニカラグアの革命政権転覆工作ではラテン・アメリカで生産されたのコカイン、アフガン戦争から現在に至るまではパキスタンからアフガニスタンにかけての山岳地帯で作られるヘロイン、ハリウッドでは合成麻薬のLSDを売ってきた。現在、アフガニスタンのケシ畑を守っているのはアメリカ軍だ。 アメリカ支配層は破壊と殺戮のほか、カネ儲けの手段として人身売買、臓器密売、麻薬取引に手を染めている。アメリカは「唯一の超大国」ではなく、巨大な犯罪組織と言うべきだろう。犯罪組織が石油、金塊、カネなどを盗むのは当然。そうした人びとが庶民のために働くはずもない。
2016.04.05
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は訪問先のアメリカでも言論を暴力的に押さえ込もうとした。3月31日にエルドアンはブルッキングス研究所で講演したのだが、その際、建物の外で平和的に抗議していた人びと、そしてジャーナリストに大統領の護衛官が殴りかかったのだ。 今回の訪米でエルドアンはバラク・オバマ大統領と差しでの公式会談を申し入れていたのだが、これは拒否されていた。その一因はエルドアン政権による露骨な言論弾圧にあるだろう。勿論、アメリカでも有力メディアは支配層にコントロールされ、プロパガンダ機関以外の何ものでもないが、報道内容が気に入らないからといって編集者を露骨に逮捕したり、新聞社を政府が乗っ取ったりはしない。巨大資本が会社を乗っ取り、会社を介して気骨あるジャーナリストを追放するだけ。逮捕するにしても別件。たまには変死という形で排除されることもあるが。 2011年3月にシリアで戦闘が始まったが、その裏で暗躍していたのはアメリカをはじめとする西側諸国、サウジアラビアやカタールのようなペルシャ湾岸産油国、そしてイスラエル。当初からトルコのインシルリク空軍基地は侵略軍の拠点で、アメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員が戦闘員を軍事訓練していると伝えられている。目的はバシャール・アル・アサド体制の打倒だ。 2011年2月にはリビアでも体制転覆を目指す戦闘が始まり、10月にはムアンマル・アル・カダフィが惨殺されている。この侵略はNATOから空爆の支援を受けたアル・カイダ系のLIFGを中心とする勢力によって実行され、その後、戦闘員はシリアなどへ移動していった。移動の拠点になったのはベンガジにあったCIAの施設で、アメリカの国務省は黙認、その際にマークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 ベンガジにはアメリカの領事館があるのだが、そこが2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。スティーブンスは戦闘が始まってから2カ月後の2011年4月に特使としてリビアへ入り、11月に一旦リビアを離れ、翌年の5月には大使として戻っていた。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていた。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、アメリカのオバマ政権とトルコのエルドアン政権は2012年のはじめにアサド政権を打倒するための工作に関して秘密合意に達した。トルコ、サウジアラビア、カタールが資金を提供、アメリカのCIAがイギリスの対外情報機関MI6の助けを借りてリビアからシリアへ武器/兵器を送ることになったという。この国々が支援したのがアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。 ハーシュは2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に、アメリカがサウジアラビアやイスラエルと共同でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと書いている。1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツは、シリア、イラン、イラクを殲滅すると語っていたが、そのうちイラクは2003年にアメリカ主導の連合軍が先制攻撃して破壊済み。 残されたシリアとイランにレバノンが加わった形だが、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて間もなく、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを攻撃する計画を立てていたと語っている。リビア、ソマリア、スーダンというアフリカの国が残されていると言うことだ。 1991年の段階でネオコン/シオニストはイラク、シリア、イランを殲滅しようと考えていたが、2000年にカタールがシリア政権の打倒を目指し始める。サウジアラビア、ヨルダン、シリアとトルコを経由するパイプラインの建設を計画したのだが、シリアのアサド政権が拒否したのだ。この計画はアメリカやサウジアラビアとも密接に結びついている。そして、こうした国々にとって都合良く、2001年9月11日の出来事が起こる。 この「9/11」が引き起こされた直後、「アル・カイダ」は攻撃の実行者だとアメリカ政府に断定され、「テロリスト」の象徴になるのだが、いつの間にかリビアやシリアで体制転覆を目指す「自由の戦士」になってしまう。こうした露骨なタグの付け替えを西側ではメディアだけでなく「リベラル派」や「革新勢力」も気にしていないようだ。 アメリカ軍の情報機関DIAが2012年8月に作成された報告書によると、シリア政府軍と戦っている戦闘集団の主力はAQI、サラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。1970年代の終盤からアメリカ支配層の手先として戦ってきた「イスラム過激派」の主力はサラフ主義者であり、歴史的にムスリム同胞団はサラフ主義者の影響を強く受けている。 こうした構図を考えると、トルコとイスラエルは同盟関係にある。ところが2009年1月にエルドアン大統領はスイスのダボスで開かれた世界経済フォーラムでイスラエルのシモン・ペレス大統領を批判した。ガザで虐殺していると言ったのだ。2010年5月にはガザへの支援物資を運んでいた船団をイスラエル海軍の特殊部隊「シャエテット13」が襲撃、船団の中心的な存在だったトルコの「マビ・マルマラ号」では9名が殺され、多くの負傷者が出ている。一連の出来事でエルドアンはトルコで人気を博し、権力を掌握するのだが、背景を考えると人心を操作するための茶番だった可能性が高い。 そして昨年12月、イスラエルとの敵対関係を演出する必要がなくなったエルドアン政権はマビ・マルマラ号に絡む三文芝居に幕を下ろす。トルコの外務次官がイスラエルの情報機関モサドの長官や首相の側近と会談、マビ・マルマラ号をめぐる対立を終わりにする方向へ動き始めたというが、実際の関係はそれほど悪くなかっただろう。何しろシリア侵略の同盟国で、両国ともアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを支援してきた。アメリカ支配層には、この両国やサウジアラビアなどとの関係を見直すべきだと考える勢力が力を持ち始めているように見える。
2016.04.04
日本人は確実の破滅への道を歩んでいる。これまで不公正な仕組みで富を日米の支配層へ集中させてきたが、最近は、初めから破綻が明らかな「アベノミクス」や主権を巨大資本へ贈呈するTPP(環太平洋連携協定)を推進、巨大資本を儲けさせるための戦争に戦闘員を派遣する体制を整備しつつある。アル・カイダ系の武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)、あるいはネオ・ナチの場合は傭兵であり、幾ばくかのカネを貰っているのだが、日本人の場合は無償の奉仕になるだろう。 そうした道へ日本人を導いているひとりが安倍晋三首相だが、庶民から畏怖、恐怖されているわけではなさそうだ。おそらく軽蔑されている。その程度の人間にすぎないため、恐ろしい政策を打ち出しても人びとは危機感を抱かないのかもしれない。安倍首相を操っているのであろうアメリカのネオコン/シオニストは、その辺を狙っているのだろうか? 現在、そのネオコンが置かれた環境は悪くなっている。この勢力は1970年代、ジェラルド・フォード大統領の時代に台頭、ベンヤミン・ネタニヤフのようなイスラエルの好戦派と一心同体の関係にある。 リチャード・ニクソン政権の副大統領だったスピロ・アグニューは汚職事件で失脚、それに替わってフォードは副大統領に就任、次にニクソン大統領が辞任して副大統領から大統領へ昇格、大統領になるとデタント(緊張緩和)派の粛清を実行した。いわゆる「ハロウィーンの虐殺」である。 こうした動きの背後で暗躍していたのはポール・ニッツェやアルバート・ウールステッター。このふたりが雇っていたスタッフにはポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パール、エドワード・ラトワク、ピーター・ウィルソンがいた。のちにネオコンと呼ばれる人びとだ。 特に人事で注目されたのはCIA長官の交代。秘密工作の一端を議会で明かしたウィリアム・コルビーが解任されてジョージ・H・W・ブッシュが就任したのだ。当時、ブッシュを「素人」と呼ぶ人もいたが、実際にはエール大学でCIAにリクルートされた可能性が高く、彼の周辺には情報機関、そして親ナチ派の人脈が張り巡らされている。また国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルド、大統領首席補佐官はラムズフェルドからリチャード・チェイニーへ交代している。ちなみに、ウォルフォウィッツは軍備管理軍縮局にいた。 ラムズフェルドを動かしていたのは国防総省のアンドリュー・マーシャルONA室長やフリッツ・クレーマー。1992年にDPG草案として作成された世界制覇プランはマーシャルのアイデアに基づき、ウォルフォウィッツ国防次官たちが作成したと言われている。このDPG草案は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 この草案は1991年12月のソ連消滅を念頭に作成され、アメリカが「唯一の超大国」になったということが前提になっている。アメリカ支配層の横暴に逆らえる勢力は存在しないという認識だ。後は潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようというわけである。 DPG草案が作成される前年、そのウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると語り、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された(9/11)直後には、ラムズフェルド国防長官の周辺でイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃する計画ができあがっていた。これはヨーロッパ連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラーク大将の話だ。このクラーク元最高司令官はCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたとも語っている。 ネオコンは現在でもこの世界制覇プランを放棄していないようだが、1992年当時と状況は大きく変化している。最大の変化はロシア。西側支配層の傀儡だったボリス・エリツィンが退場し、ウラジミル・プーチンが登場してからロシアは再独立したのだ。アメリカ支配層の思い通りにはならなくなったということだ。 ところが、状況の変化を受け入れられない人がいるようで、フォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)の2006年3/4月号にキール・リーバーとダリル・プレスがロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると書いている。 そして2008年8月、アメリカやイスラエルの支援を受けたジョージア(グルジア)のミヘイル・サーカシビリは南オセチアを深夜近くに奇襲攻撃、軍事侵攻した。この攻撃を立案したのはイスラエルだと推測する人もいるが、その作戦はすぐに失敗だということが判明する。ロシア軍が素早く反撃、侵攻作戦を粉砕してしまったのだ。 ネオコンのビクトリア・ヌランド国務次官補によると、アメリカ支配層はウクライナを制圧するため、1991年から50億ドルをつぎ込んだという。そして2014年2月22日、ウクライナではネオコンに操られたネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を中心とするクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除した。 選挙で合法的に選ばれた政権をクーデターで倒しわけで、言うまでもなく憲法の規定には反している。クーデター政権を拒否するのはウクライナの主権者にとって当然の権利。ヤヌコニッチの支持基盤であったウクライナの東部や南部に住む人びとはその権利を行使したのだが、それを西側の政府、メディア、そして「リベラル派」や「革新勢力」も批判していた。 ジョージアのケースが頭にあったのか、西側メディアの「報道」を見ると、ロシア軍の介入を前提にした「予定稿」を作成していたようだ。が、実際は動かず、ウクライナの住民による抵抗でネオ・ナチによる全土支配は失敗した。 それでも西側には「唯一の超大国幻想」を抱き続けている人がいたようだが、昨年9月30日に大きく戦況が変化する。シリアでロシア軍が空爆を開始、アル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを敗走させ、政府軍の勝利は確定的な状況になってきたのだ。戦闘機や巡航ミサイルによる攻撃能力が西側の想像を遥かに超えるもので、最近は通常戦でNATOはロシア軍に勝てないと言われるようになってきた。 ネオコンの基本戦略は圧倒的な軍事力で脅せば相手は屈服するというもの。ニクソン米大統領は自分たちが望む方向へ世界を導くため、アメリカは何をしでかすかわからない国だと思わせるべきだと考え、イスラエルのモシェ・ダヤン将軍は狂犬のように行動しなければならないと語っている。ふたりとも脅せば思い通りになると思っているのだろうが、ネオコンも同じ考え方をしている可能性が高い。 しかも、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると考えていた。1950年代から60年代にかけてもそうだったが、米英の支配層は戦争で圧勝できると信じたとき、先制核攻撃を目論む。その考え方が間違っていることをロシアはシリアで示した。 そこでネオコンに同調する勢力は減り始めているようだが、ネオコンは今でも1992年のウォルフォウィッツ・ドクトリンを諦めていない。ヒラリー・クリントンが大統領に選ばれれば、その計画を実行しようとするだろう。 安倍政権は同調しそうだが、世界的に見るとネオコンは孤立しはじめている。バラク・オバマ大統領もマーチン・デンプシー前統合参謀本部議長と同じ側に立ったという噂も流れている。この情報が正しいなら、「風見鶏」のオバマがデンプシーに近づいたということになり、支配層の内部でそうした動きが強まっているということを感じさせる。
2016.04.03
アメリカの支配層は昨年6月の時点で大統領選挙の最有力候補はヒラリー・クリントンだと考えていた可能性が高い。6月11日から14日かけてオーストリアで開催されたビルダーバーグの総会に参加したジム・メッシナはヒラリー・クリントンの旧友で、顧問に就任していたからだ。 ヒラリーは2009年1月から13年2月まで国務長官を務めているが、11年5月から13年2月まで国務省のスポークスパーソンを務めたのはジョージ・W・ブッシュ政権でNATO常任委員代表を務めていたビクトリア・ヌランド。 本ブログでは何度も指摘しているように、ヌランドはウクライナで2014年2月にネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使ってクーデターを成功させたグループのひとり。彼女の夫はネオコン/シオニストの中心グループに属すロバート・ケーガンで、ヒラリーとヌランドは個人的に親しい関係にあると言われている。またヒラリーは巨大軍需企業ロッキード・マーチンの代理人とも呼ばれ、最近はウォール街全体を後ろ盾としている。 ヒラリーの夫、ビルは1993年1月から2001年1月まで大統領を務めたが、現在のヒラリーとは違い、ネオコンとの関係は強くなかった。ジョージ・H・W・ブッシュ政権で国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツはネオコンの立場から世界制覇プランを作成していたが、ビル・クリントン政権では棚上げになり、ネオコンはホワイトハウスの外からプランの実現を働きかけることになる。 例えば、ネオコンが1996年に作成した「決別:王国保全のための新戦略」では、イラクからサダム・フセインを排除して親イスラエルの国に作り替えて中東を不安定化させ、パレスチナ人の権利を制限して軍事侵攻することを支持、さらにアメリカから自立しようなどと提言している。この文書を書き上げたメンバーには、リチャード・パール、ダグラス・フェイス、デイビッド・ウームザー、メイラブ・ウームザーというネオコンが含まれていた。 ネオコンがホワイトハウスの外から提言せざるをえない状況をビル・クリントンは作ったのだが、それを予想されていたのか、選挙戦が展開されていた1992年3月から彼はスキャンダル攻勢を受けている。その黒幕はメロン財閥の中心的存在で、富豪のリチャード・メロン・スケイフ。CIAと緊密な関係にあることでも知られている。このスケイフが「アーカンソー・プロジェクト」と呼ばれる反クリントン工作につぎ込んだ資金は240万ドルと言われている。ニュート・ギングリッジ下院議長(当時)のスポンサーだったピーター・スミスも反クリントン工作に資金を出していた。 このスキャンダルで特別検察官に選ばれたケネス・スターは「フェデラリスト・ソサエティー」という法律家集団のメンバー。この団体は議会に宣戦布告の権限があるとする憲法や1973年の戦争権限法はアナクロニズムだと主張、プライバシー権などを制限、拡大してきた市民権を元に戻し、企業に対する政府の規制を緩和させることを目指していた。 この集団は1982年にエール大学、シカゴ大学、ハーバード大学の法学部に所属する学生や法律家によって創設され、巨大資本や富豪を後ろ盾にしていることもあり、勢力を拡大していった。ジョージ・W・ブッシュ政権で司法長官に就任したジョン・アシュクロフト、あるいは司法省の法律顧問として「拷問」にゴーサインを出したジョン・ユーも所属している。 スキャンダル攻勢は途中、検察側の偽証工作が発覚したこともあり、手詰まり状態になるのだが、そこで浮上したのがモニカ・ルウィンスキーとのスキャンダル。これではビルとルウィンスキーとの電話での会話が1997年からリンダ・トリップによって録音されていた。トリップに録音するように仕向けたルチアーナ・ゴールドバーグは1972年の大統領選挙でジャーナリストを装い、民主党のジョージ・マクガバンをスパイしていたことでも知られている。 1997年はビル・クリントン政権の外交政策が大きく変化している。その象徴が国務長官の交代。ウォーレン・クリストファーからマデリン・オルブライトに替わったのだ。クリストファーは戦争に消極的な人物だったが、オルブライトはコロンビア大学でズビグネフ・ブレジンスキーに学んだこともあり、好戦派。1998年秋に彼女はユーゴスラビア空爆を支持すると表明、99年3月にNATO軍は先制攻撃を実行した。 アメリカ支配層によるユーゴスラビアの破壊工作は1992年から始まっている。ボスニアでセルビア兵が16歳の少女をレイプしたと報道されたのだが、これは嘘だったことが後に判明する。ニューズデーのボン支局長だったロイ・ガットマンがヤドランカ・シゲリなる人物の話に基づいて伝えたのだが、この女性はクロアチアの政党HDZの副党首で、クロアチアの亡命者が創設したプロパガンダ組織CICのザグレブ事務所の責任者でもあった。1994年にはアル・カイダ系武装集団がアルバニアで活動を開始、ボスニアやコソボにも手を広げていた。 シゲリは人権問題のヒロインとなり、1996年にはジョージ・ソロスと関係の深い「人権擁護団体」HRWが彼女を主役にしたドキュメント映画を発表、ガットマンは1993年にピューリッツァー賞を贈られている。ちなみに、ICRC(赤十字国際委員会)によると、戦争では全ての勢力が『不適切な行為』を行っているが、セルビア人による組織的なレイプが行われた証拠はないとしている。(Diana Johnstone, "Fools' Crusade," Monthly Review Press, 2002) メディアや「人権擁護団体」を使って偽情報を流してターゲットを悪魔化、軍事侵略するというパターンはここから始まり、今でも続いている。その基本プランは1992年にアメリカの国防総省でDPG草案という形で書き上げられている。その前年、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はイラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると語っている。
2016.04.02
アメリカの選挙は資金力の戦いであり、多額の資金を提供できる富豪や巨大資本が選挙結果を左右することになる。資金力の差が宣伝力の差につながることは勿論だが、巨大資本に所有されている有力メディアの報道内容を決めることも可能。アメリカをはじめとする西側諸国だけでなく、ロシアや中国の記者や編集者も西側情報機関などの影響を受けていると言われている。(注1) 資金力によって政治や情報に最も大きな影響力を及ぼしている団体がイスラエル・ロビーのAIPAC。今回の大統領選挙でも候補者はAIPACで演説、共和党のドナルド・トランプも「イスラエルを愛している」と発言した。最初の原稿ではイスラエルを批判し、冷やかするような表現があったようだが、彼のスタッフによって親イスラエル的な内容に書き変えられたという。民主党のバーニー・サンダースはAIPACの招待を断った。イスラエルを批判しているとは言い難く、この国に対する姿勢を鮮明にすることを避けたと言うべきだろう。 AIPACは「有力」とされる大統領候補が敵対することを避け、2008年の大統領選挙ではバラク・オバマもAIPACで講演、イスラエルを「真の友人」だと表現しているが、アメリカの利益に反する団体だということは過去の出来事が示している。 例えば、ネオコン/シオニストによる偽情報を利用した軍事戦略に反対する声が高まりつつあった2005年5月、国防総省の分析官だったローレンス・フランクリンが機密情報をAIPACの幹部へ伝えた容疑でFBIに逮捕されている。その3年後に後の大統領がイスラエルを「真の友人」だと言ったわけだ。 フランクリンは一時期、ネオコンの大物として知られるダグラス・フェイスのオフィスで働いていたことがあり、事件の背景には巨大な親イスラエル人脈が存在すると考える人は少なくなかった。必然的に、フェイスやポール・ウォルフォウィッツらとの連携が疑われた。AIPACでフランクリンから情報を受け取っていたのは外交問題の責任者だったスティーブン・ローゼンと、中東担当の上級アナリストを務めていたキース・ワイツマン。このふたりから情報はイスラエルの情報機関に伝えられたと信じられている。 1967年6月、第3次中東戦争の際にアメリカの情報収集船リバティをイスラエル軍は攻撃し、乗組員9名が死亡、25名が行方不明、171名が負傷するという出来事もあった。アメリカ軍の艦船だと確認してから攻撃している。 近くにいた米海軍第6艦隊の空母サラトガから救援のために4機のA1スカイホークが発進するのだが、報告を受けたリンドン・ジョンソン政権のロバート・マクナマラ国防長官は戦闘機をすぐに引き替えさせるようにと叫んでいる。(注2) アメリカには親イスラエル派の議員や大統領は少なくない。そのひとりがハリー・トルーマン。フランクリン・ルーズベルト大統領の急死を受けて副大統領から昇格したのだが、その間、ルーズベルト大統領と会ったのは2度だけだったという。(注3) ルーズベルトも一般党員もヘンリー・ウォーレスを副大統領にしたいと考えていたようだが、党の幹部たちによってトルーマンが選ばれた。このトルーマンに多額の献金をしていたアブラハム・フェインバーグはシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供、イスラエルの核兵器開発を資金面から支えることになる人物だ。 こうした背景を持つトルーマンは日本への原爆投下を承認、イスラエル建国の問題ではジョージ・マーシャル国務長官、ジェームス・フォレスタル国防長官、ジョージ・ケナン国務省政策企画本部長らの反対を押し切り、認めることになる。なお、ルーズベルトが親イスラエル派だったという話はシオニストが流したもので、実際は違った可能性が高い。 また、コラムニストのチャールズ・バートレットによると、フェインバーグは1960年の大統領選でジョン・F・ケネディに対し、中東の政策を任せてくれるなら資金を提供すると持ちかけ、ケネディはその条件を呑んだという(注4)が、ケネディ大統領はイスラエルの核兵器開発には厳しい姿勢で臨んだことも事実。イスラエルのダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙をケネディ大統領は送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告している。(注5) 1963年11月22日にそのケネディ大統領は暗殺され、副大統領のジョンソンが昇格する。この人物はケネディと親しかったわけでなく、議会のおける親シオニスト派のリーダー格として知られていた。ジョンソンの後ろ盾はトルーマンと同じようにフェインバーグだ。 そして現在、ネオコンの中心グループに属しているロバート・ケーガン、つまりビクトリア・ヌランド米国務次官補の夫が支援している大統領候補は民主党のヒラリー・クリントン。必然的に有力メディアはクリントンの肩を持つことになる。(注1)ジャーナリストのデボラ・デイビスによると、第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃、アメリカの支配層は情報操作を目的としたプロジェクト「モッキンバード」をスタートさせた。その中心にいた人物はアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハム。ダレスはウォール街の弁護士で、大戦中はスイスでOSSの幹部として情報活動を指揮、ウィズナーとヘルムズはその側近だった。戦争中、陸軍情報部に所属していたグラハムは活動を通じてOSSのダレスらと親しくなったと言われている。 ウィズナーはダレスと同じようにウォール街の弁護士で、大戦後は極秘の破壊工作(テロ)組織であるOPCを指揮している。ヘルムズの祖父にあたるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家として知られ、ワシントン・ポスト紙の社主だったグラハムの義理の父はユージン・メイアー。この人物は金融界の大物で、世界銀行の初代総裁である。つまり、モッキンバードは金融資本と深く結びついた人びとによって動かされていた。 ワシントン・ポスト紙の記者としてウォーターゲート事件を取材、リチャード・ニクソンを辞任に追い込んだカール・バーンスタインによると、1977年の時点で400名以上のジャーナリストがCIAのために働いていたほか、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 2014年2月にCIAとメディアとの関係を告発する本を出したフランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者ウド・ウルフコテによると、ジャーナリストとして過ごした25年の間に嘘を教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことだという。ドイツやアメリカのメディアがヨーロッパの人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっていることに危機感を抱いての告発だと語っている。日本にはアメリカやEUのメディアを「権力を監視する番犬」、あるいは「言論の守護神」であるかのように語る人が少なくないが、戯言だということだ。(注2)Alan Hart, “Zionism”, World Focus Publishing, 2005(注3)Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012(注4)Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” 1991, Random House(注5)John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007
2016.04.01
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