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日本会議国会議員懇談会で副会長を務める小池百合子が次の東京都知事に選ばれたという。言うまでもなく、この懇談会は日本会議と一心同体の関係にあり、安倍晋三首相を支える一派が東京を押さえたということになる。 VOICE誌の2003年3月号に小池の対談記事が掲載されている。対談の相手は東京基督教大学の西岡力教授(記事での肩書きは現代コリア研究所主任研究員)や杏林大学の田久保忠衛教授。 その中で小池は「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真吾氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった。このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけません。」と語っている。 それに対し、田久保は「日本がアメリカの核の傘に入ることを望むのであれば、核ミサイルを東京に持ってきてもらうのがベストです。北朝鮮が戦術核のある東京を撃てば、同じ戦略核が平壌に飛ぶことになる。」という意味不明の主張をする。もし、東京が核攻撃されたなら、そこに配備された核兵器も破壊されてしまう可能性があり、別の場所に置くのが当然だろう。「北朝鮮」と限定していることも滑稽だ。朝鮮が本当に日本を攻撃したいのなら、核ミサイルなど使わず、特殊部隊を潜入させて原発を破壊する方が簡単だ。東電福島第1原発の事故でも、使用済み燃料プールが倒壊していれば東京は全滅だった。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、第2次世界大戦後、アメリカの好戦派はソ連に対する先制核攻撃を目論んできた。今はロシアや中国を想定している。「核の傘」論は笑止千万。 恐らく、この対談が行われたのはアメリカ軍がイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃する直前のこと。日本のマスコミが好戦的な雰囲気を強めようとしていたころだ。 その8年後、東電福島第一原発が事故を引き起こす。その3日前にあたる2011年3月8日付けのインディペンデント紙は石原慎太郎のインタビュー記事を掲載、その中で石原は核兵器の話をしている。急成長している中国に対抗するため、日本は核兵器を製造すべきだとしたうえで、日本は1年以内に核兵器を作り、世界へ強いメッセージを送ることができると主張している。彼は中国、ロシア、朝鮮を敵だと表現、外交の交渉力は核兵器であり、核兵器の保有は世界に対して強いメッセージを送ることになるともしている。 石原は佐藤栄作政権時代の話もしている。NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対して「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えたという。この時、ジョンソン政権は日本に対して核武装を思いとどまるよう伝えたというが、佐藤は1967に訪米した際、「わが国に対するあらゆる攻撃、核攻撃に対しても日本を守ると言うことを期待したい」と求め、ジョンソン大統領は「私が大統領である限り、我々の約束は守る」と答えたという。ちなみに、この年、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が設立されている。 しかし、ジョンソンの約束で日本は満足しない。日本政府の内部で核武装が議論され、西ドイツ政府に秘密協議を申し入れ、1969年2月に両国の代表が会って協議している。日本側から出席したのは国際資料部長だった鈴木孝、分析課長だった岡崎久彦、そして調査課長だった村田良平だ。日独両国はアメリカから自立し、核武装によって超大国への道を歩もうと日本側は主張したのだという。 この頃、リチャード・ニクソン大統領の補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装をすべきだと語っていたという。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991) 核武装に関する調査は内閣調査室の主幹だった志垣民郎を中心にして行われ、原爆の原料として考えられていたプルトニウムは日本原子力発電所の東海発電所で生産することになっていた。志垣らの調査では、この発電所で高純度のプルトニウムを年間100キログラム余りを作れると見積もっていた。 核武装について、自衛隊も研究していたことが明らかになっている。1969年から71年にかけて海上自衛隊幕僚長を務めた内田一臣は、「個人的に」としているが、核兵器の研究をしていたことを告白しているのだ。実際のところ、個人の意思を超えた動きも自衛隊の内部にあったとされている。(毎日新聞、1994年8月2日) 1972年2月にリチャード・ニクソン大統領は中国を訪問しているが、それまでの交渉過程でキッシンジャーは日本の核武装をカードとして使っている。ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、アメリカと中国が友好関係を結ぶことに同意しないならば、アメリカは日本に核武装を許すと脅したというのだ。キッシンジャーは佐藤栄作に対して日本の核武装をアメリカは「理解する」と示唆したともいう。(Seymour M. Hersh, “The Price of Power”, Summit Books, 1983) ジミー・カーター大統領は日本の核武装に反対、常陽からブランケットを外させているのだが、運転初期の段階で兵器級のプルトニウムは生産されていた。常陽ブランケットのプルトニウム239純度は99.4%、もんじゅブランケットでは97.5%。兵器級プロトニウムの純度は90から95%以上だとされているので、明らかに水準を超えている。ちなみに、常陽の燃料を供給していたのが臨界事故を起こしたJCOだった。 日本が核武装を目指していると疑われている一因はRETF(リサイクル機器試験施設)の建設を計画したことにある。RETFとはプルトニウムを分離/抽出することを目的とする特殊再処理工場で、東海再処理工場に付属する形で作られることになった。 「第2処理工場」を建設する際の条件だった「平和利用」が東海村の処理工場についていなかったこともアメリカ政府を刺激した。この再処理工場はカーター政権がスタートした1977年に試運転を始めている。プルトニウム生産量の1%は誤差として認められているので、それだけは「合法的」に隠し持つことができる計算だ。 こうした日本の動きをアメリカは警戒していると最初に指摘したのが山川暁夫。1978年6月に開かれた国会の「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と発言している。アメリカ政府は見過ごさないと指摘したわけだ。 このRETFを日本が建設できたのはアメリカ側の協力があったからだ。建設に必要な技術の中に「機微な核技術」、例えば小型遠心抽出機などの軍事技術が含まれているのだ。(Greenpeace International, "The Unlawful Plutonium Alliance", Greenpeace International, 1994)アメリカ側に日本の核武装を支援している勢力が存在していることを疑わせる。 かつてアメリカの電子情報機関NSAの分析官をしていた筆者の友人から1990年代に聞いた話によると、その当時、アメリカの情報機関は日本が核武装を計画していると考えているようだ。ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、ロナルド・レーガン政権の内部には日本の核兵器開発を後押しする勢力が存在し、2011年の段階で日本は約70トンの核兵器級プルトニウムを蓄積しているのだという。事故後、日本側が国外の専門家が福島第一原発で作業することを嫌がったことも疑惑を強めた。 しかし、日本の核武装計画は順調に進んでいるとは言い難い。例えば、1995年12月にもんじゅで冷却剤の金属ナトリウムが漏れ出るという事故が発生し、それから約15年にわたって停止、2010年5月に再開するのだが、8月には直径46センチメートルのパイプ状装置を原子炉の内部に落としてしまい、再び運転は休止している。ただ、自前で生産できなくても国外から持ち込むことは可能だ。 核弾頭の運搬手段も開発してきた。例えば、LUNAR-Aもそうした目的で開発されたと疑われている。M-Vを使って探査機を打ち上げ、月を周回する軌道に入った段階で母船から観測器を搭載した2機の「ペネトレーター」を発射することになっていたが、これは「MARV(機動式弾頭)」の技術そのもの。 1991年にソ連が消滅した直後、日本は秘密裏にSS-20の設計図とミサイルの第3段目の部品を入手し、ミサイルに搭載された複数の弾頭を別々の位置に誘導する技術、つまりMARVを学んだと言われているが、これを使ったのだろう。 LUNAR-Aの計画では、地震計と熱流量計が搭載されたペネトレーターを地面に突き刺し、2メートル前後の深さまで潜り込ませることになっていた。その際にかかる大きな圧力に耐えられる機器を作るために必要な技術があれば、小型のバンカー・バスターを製造できる。なお、この計画は2007年に中止されたが、ペネトレーターの開発は進められているようだ。
2016.07.31
トルコにあるインシルリク基地の主な利用者はアメリカ空軍とトルコ空軍で、イギリス空軍やサウジアラビア空軍も使っているという。その基地を約7000名の武装警官隊が取り囲だと伝えられている。トルコとアメリカとの対立が激しくなっていることを受け、7月31日にアメリカのジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長は急遽、トルコを訪問することになったが、その直前の出来事だ。 アメリカとトルコとの対立が激しくなった原因は7月15日の武装蜂起にある。短時間で鎮圧されたが、トルコ政府はアメリカへ亡命中のフェトフッラー・ギュレンがアメリカ政府と組んで実行したと主張、トルコの検察当局は、武装蜂起した部隊がFBIやCIAの訓練を受けていたと公言している。その一方、レジェップ・タイイップ・エルドアン政権はギュレン派を含む反対勢力の粛清を大々的に展開し、独裁体制の強化を目論んでいるようだ。 今回のクーデターをCIAが仕組んだとするならば、過去の例から見て、第2弾、第3弾が準備されている可能性がある。トルコ政府もそうしたことを主張、今回の武装警官隊派遣の理由にしている。 アメリカ支配層の内部でもネオコンをはじめとする好戦派の戦略に対する懸念が広まっている可能性がある。例えば、2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問、ウラジミル・プーチン露大統領と会談しているのだ。それ以降、雰囲気に変化が見られるようになり、22日には「テロリスト」を除外した停戦に合意したとする発表があった。 徐々に好戦派は孤立しつつあるように見えるが、その一因は戦争の長期化。リビアではNATOがすぐに軍事介入できたが、シリアで同じことはできなかった。西側のメディアは偽情報を流し、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする侵略勢力は偽旗作戦を使って軍事介入を正当化しようとしたが、途中で偽情報の発信が露見、偽旗作戦もロシア政府などによって暴かれてしまった。強引にNATOが攻撃を始めようとした際、ロシア軍によるジャミングで妨害されたという説もある。 戦争が長引いていることによってトルコ国内でも不満が高まった。トルコがシリアやロシアと経済的に強く結びついていた国であることを考えれば、当然のこと。エルドアン政権はトルコ国内に滞留させていた難民をEUへ向かわせ、トルコに難民を留める代償としてEUは2年間で60億ユーロ(約7500億円)をトルコへ支払うことになった。 難民の中にはシリアやリビアへの侵略に参加した戦闘員も混じっているが、そうした種類の人びと、いわゆる「テロリスト」がヨーロッパへ渡っているのはトルコ政府の政策の一部だと、今年1月にヨルダンのアブドラ国王はアメリカの議員に説明したという。このときの会談内容を記録したメモをイギリスのガーディアン紙が報道したのだ。ヨルダン政府はこの報道を否定しているが、国王がそのように語っていても不思議ではない。 難民を使ってEUを脅すことはアメリカ支配層の利益にも叶っていた。アメリカも「テロリスト」を利用できる。 ところが、状況を一変させる出来事が昨年9月30日に起こった。シリア政府の要請を受け、ロシア軍がシリアでの軍事作戦を開始したのだ。アメリカ軍とは違い、本当にアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を攻撃、司令部、戦闘部隊、兵器庫を空爆するだけでなく、侵攻軍が資金源にしている盗掘石油の精製施設や輸送車両も破壊、エルドアン大統領は個人的にも大きなダメージを受けた。 1991年1月にアメリカ軍はイギリスやフランスなどの部隊を率いてイラクを攻撃しているが、その際、ジョージ・H・W・ブッシュ政権はサダム・フセインを排除しないまま停戦、フセインの排除を第1目標にしていたネオコン/シオニストは激怒した。 そうしたネオコンの大物で国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを殲滅すると語っていたという。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話だ。 この経験はネオコンを強気にもした。イラクを攻撃してもソ連が何もできなかったからである。当時のソ連は国内が混乱、軍事力を行使できる状況ではなかったのだが、ネオコンはそれを特殊なケースとは考えなかったようだ。 西側支配層の傀儡だったボリス・エリツィンが大統領だった時代はともかく、21世紀になってウラジミル・プーチンが実権を握った後は状況が一変したのだが、それをネオコンは受け入れていない。それだけに、昨年9月にロシア軍が軍事介入してきたときには驚いたようだ。 そして11月24日にトルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃して撃墜している。内部告発支援グループのWikiLeaksによると、この撃墜は10月10日にエルドアンが計画しているが、アメリカ政府の許可を受けずにトルコ政府がロシア軍機を撃墜することはできないと考えるのが常識的。それだけに、24日から25日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問し、トルコ軍の幹部と会談していたことは興味深い。 撃墜時にギリシャを拠点とするアメリカ/NATOのAWACS(早期警戒管制)機、そしてサウジアラビアもAWACS機が飛行、両機はトルコとシリアの国境付近で何が起こっているかも監視していたはず。トルコ軍機を指揮管制していた可能性もある。こうしたことからも、ロシア軍機の撃墜にアメリカ/NATOが関与している可能性は高い。クーデター未遂後、トルコではロシア軍機を撃墜したふたりのパイロットが拘束されたという情報も伝わっている。 キッシンジャーがロシアを訪問した後、3月にトルコで興味深い情報が流れた。傭兵会社のブラックウォーター(現在の社名はアカデミ)を創設したエリック・プリンスがトルコを訪れてエルドアン大統領と会談したというのだ。本ブログですでに指摘したことだが、トルコ軍が対応できない事態が生じているのか、その軍を大統領が信用できない状況が生まれているのかもしれないと推測する人もいた。つまり、軍がクーデターを目論んでいるのではないかということだ。 こうしたことを考えると、エルドアン政権はクーデターに対する準備を進めていた可能性は高い。さらに、今回のクーデターが失敗した大きな理由として挙げられているのはロシアの動きだ。武装蜂起の数時間前にロシアの情報機関からトルコ政府へ警告があったからだとする情報が早い段階からイスラム世界では流れていた。イランも軍事蜂起が始まった2時間後にはクーデターを批判している。ロシアもイランもクーデターが中東をさらに不安定化させると考えたようだ。 クーデター計画の情報を最初につかんだのはシリアの北部に駐留しているロシア軍の通信傍受部隊で、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が滞在しているホテルへ数機のヘリコプターを派遣、大統領を拉致、あるいは殺害しようとしていることもトルコ側へ伝えたとも言われている。 サウジアラビアから流れてきた情報によると、同国の副皇太子で国防相でもあるモハンマド・ビン・サルマンがクーデターに関与している。この副皇太子と連携しているひとりがアラブ首長国連邦のモハンマド・アル-ナヒャン皇太子はアメリカへ亡命しているフェトフッラー・ギュレンと関係があり、クーデターを始めるために2億ドルを提供したと主張する人がいる。エルドアン政権はクーデターの首謀者だとしている人物がこのギュレンだ。 クーデターが企てられた理由として、エルドアンがロシアに接近していたことが挙げられている。まず6月下旬にエルドアン大統領はロシアのプーチン大統領に対してロシア軍機撃墜を謝罪、武装蜂起の直前、7月13日にトルコの首相はシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。こうしたこともロシアがトルコ政府へクーデターが迫っていると警告した一因だろう。
2016.07.31
東京都知事選挙の有力な候補者と言われている鳥越俊太郎に対するスキャンダル攻勢に週刊新潮も加わった。13年前の取材記録を掲載したのだが、その時に掲載を断念しただけあって説得力に欠けている。 この問題を追いかけている岩上安身によると、元検事の落合洋司弁護士は週刊新潮の記事について、週刊「文春の記事よりも弱い」と言っている。その週刊文春の記事も当事者の女性に取材せずに書かれたもので、通常なら掲載を見送るような代物。実際、岩上によると、週刊文春の編集部は「裏が取れず、難航し、昨日の時点では別の話に切り替えた、あるいは掲載を諦めた、という情報も得ていた」という。 両誌の記事は名誉毀損になる可能性が高そうだが、そうしたことは両誌の編集幹部も承知しているだろう。名誉毀損で負けることを覚悟の上で掲載したということになる。裁判で負けることで受ける不利益に比べ、掲載することで受ける利益が大きい、あるいは掲載しないことで受ける不利益が大きいという判断があったのかもしれない。 ところで、週刊新潮が取材した13年前というと、アメリカ軍がイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃した2003年だ。この攻撃をアメリカ政府は当初、2002年の前半に実施するつもりだったようだが、統合参謀本部内の反対が強く、約1年間、先送りになっていた。 当時、国務長官だったコリン・パウエルの書いたメモによると、2002年3月28日にイギリスのトニー・ブレア首相はパウエル長官に対し、アメリカの軍事行動に加わると書き送っている。つまり開戦の1年前にでブレアは開戦に同意している。 好戦派はこの時点で戦争を始めるつもりだったのだろうが、抵抗が強く、好戦的な雰囲気を強める必要が生じた。そしてブレア政権は2002年9月に「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書を作成した。いわゆる「9月文書」だ。これはメディアにリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載している。 パウエル国務長官が絶賛したこの報告書は大学院生の論文を無断引用した代物だとされているが、別に執筆者がいるとも噂されている。その文書をイギリス政府はイラクの脅威を強調するため改竄した。「間違った情報」のためにブレア政権がイラク攻撃を決断したということは言えない。 こうしたプロパガンダで開戦に反対する力を弱めてイラクを攻撃したのだが、その2カ月後にあたる2003年5月29日、BBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語り、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 この発言に激怒した好戦派はBBC会長を辞任させ、ギリガンもBBCを離れざるをえなくなる。この後、BBCはプロパガンダ色が強まり、リビアやシリアへの軍事侵略を始めてからは偽情報を流し続けている。 米英を中心とする連合軍の攻撃でイラクは破壊され、100万人とも言われる人が殺された。そうした後、今年7月6日にジョン・チルコットを委員長とする独立調査委員会(チルコット委員会)は報告書を公表、その中でサダム・フセイン体制について、イギリスにとって差し迫った脅威ではなく、戦争は不必要だったなどとしている。ギリガンはジャーナリストとしてすべきことをしたため、BBCから追い出されたということだ。 戦争の遂行にとって邪魔な存在はイギリスだけでなくアメリカや日本でも攻撃されていた。イラク侵略を小泉純一郎政権は支持、マスコミも戦争熱を煽っていた。当時、テレビに登場するのはそうした類いの人物ばかりで、例外は橋田信介くらい。その橋田は2004年5月、自衛隊駐屯地へ立入許可証を受け取りに行った帰りに甥の小川功太郎とともに殺害されている。小泉をはじめとする政治家、テレビなどマスコミで戦争を後押ししていた「専門家」や記者、編集者などは未だに戦争責任をとっていない。 現在、アメリカでは大統領選挙のキャンペーンが行われているが、メディアは差別的な発言をするドナルド・トランプを集中攻撃、ロシアとの核戦争へ向かおうとしている好戦派のヒラリー・クリントンには甘い。メディアがトランプを攻撃しているということは、トランプの方がマシだということ。有権者もそのように判断する人が少なくないようで、クリントンが当選するかどうかはわからない状況だ。そこで、選挙前にバラク・オバマ政権は戦争へ向かい、新政権の選択肢をなくそうとしている可能性もある。
2016.07.30
世論調査を見ると、民主党候補のヒラリー・クリントンと共和党候補のドナルド・トランプは並んでいる。7月下旬にトランプの比率が伸びたが、その一因はハッキングされたクリントンの電子メールが表に出たことにありそうだ。 ジェームズ・コミーFBI長官によると、機密情報の取り扱いに関する法規に批判した可能性があり、また、そうした情報をきわめて軽率に扱っていたことを認めた上でFBIは司法省に対し、ヒラリー・クリントンの不起訴を勧告したという。CIAなどの不正を内部告発した人びとが厳しい刑罰を言い渡されているのとは対照的であり、アメリカの支配層は自国が法治国家であることを装おうともしなくなったことを示している。 しかし、こうしたFBIの揉み消し工作で事態は沈静化していない。民主党幹部たちが昨年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆する電子メールはすでに公表されていたが、7月22日にWikiLeaksが明らかにした電子メールでも民主党の幹部へサンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう求めるものがあったのだ。(例えばココ) 民主党の候補者争いに参加していたバーニー・サンダースは7月12日、クリントンを次期大統領にすることを支援すると表明したが、納得していないサンダース支持者は少なくない。そこへ党幹部の怪しげな動きが発覚、民主党全国大会が開幕する前日、7月24日に同党のデビー・ワッサーマン・シュルツ全国委員長が大会閉幕と同時に辞任すると表明して沈静化を図ったものの、サンダース支持者は緑の党へ流れるとも見られている。 そうした中、民主党はサーバーがロシアにハッキングされているとする情報をメディアへ流している。マジックの世界で「ミスディレクション」と呼ばれるテクニックを使ったのだろうが、人びとは騙されていないようだ。 欧米支配層の間では、昨年6月の時点でヒラリー・クリントンを次期大統領にすることが内定していたと言われている。昨年6月11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にヒラリーの旧友であるジム・メッシナが参加したことがひとつの根拠だった。 ビルダーバーグ・グループは欧米支配層の利害調整を目的として創設されたと言われ、第1回会議は1954年5月にオランダのビルダーバーグ・ホテルで開かれ、コミュニズムやソ連に関する問題などが討議された。グループの名称はこのホテル名に由来する。ホテルのオーナーはオランダのベルンハルト王子で、初代会長に就任しているが、実際の生みの親はユセフ・レッティンゲルだと考えられている。 レッティンゲルは戦前からヨーロッパをイエズス会の指導の下で統一しようと活動、大戦中はロンドンへ亡命していたポーランドのウラジスラフ・シコルスキー将軍の側近を務めた。シコルスキーはコミュニストを敵視、戦争中はイギリス政府の支援の下、亡命政府を名乗っていた。レッティンゲルはイギリスの情報機関MI6のエージェントでもあったと言われている。 カトリックの一派であるイエズス会とも関係するが、オットー・フォン・ハプスブルク大公が中心になり、ウィンストン・チャーチルも参加して1922年にブリュッセルで創設されたPEU(汎ヨーロッパ連合)もヨーロッパの制圧を考えていた。当時のローマ教皇庁がナチスと連携していた一因はこの辺にあるだろう。 ナチス時代のドイツは1939年9月にドイツ軍が「ポーランド回廊」の問題を解決するために越境攻撃、その2日後にイギリスとフランスは宣戦布告するが、本格的な戦争はそれから約半年の間、始まらなかった。ドイツは本格的な戦争を始める意思がなかったということだろう。 その後、ドイツは軍事侵攻を開始、1941年4月までにヨーロッパ大陸を制圧した。そして5月10日にナチスの副総統だったルドルフ・ヘスがスコットランドへ単独飛行、そこで拘束されてから1987年8月17日に獄中死するまでヘスの口から飛行の目的が語られることはなかった。ヘスがイギリスへ渡った翌月の22日にドイツ軍はソ連侵略を開始した。バルバロッサ作戦である。 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード(現在のボルゴグラード)市内へ突入するが、11月からソ連軍が反撃に転じ、ドイツ軍25万人は包囲されてしまう。生き残ったドイツ軍9万1000名は1943年1月31日に降伏、2月2日に戦闘は終結した。この段階でドイツの敗北は決定的。ドイツが降伏すれば日本は戦争を続けられないと考えられていたわけで、日本の敗北も不可避だった。 その間、アメリカやイギリスは傍観している。フランクリン・ルーズベルト米大統領はソ連を支援するために西側から攻撃する意思があったと言われているが、反対が強く、実現していない。 ところが、負けると思われていたソ連軍がドイツ軍を壊滅させ、西に向かって進撃を始める。慌てたアメリカ軍はシチリア島へ上陸した。1943年9月にイタリアは無条件降伏、44年6月にはノルマンディーへ上陸する。「オーバーロード作戦」だ。この上陸作戦は1943年5月、ドイツ軍がソ連軍に降伏した3カ月後にワシントンDCで練られている。 ドイツがソ連制圧に失敗した後、ドイツ側はアレン・ダレスなどアメリカ側の大物と接触している。これを察知したソ連のヨシフ・スターリンはアメリカ政府に対し、ドイツにソ連を再攻撃させる動きだと抗議している。ルーズベルト大統領はそうした交渉はしていないと反論したが、実際にそうした動きは大統領の知らない場所で進んでいた。 そのルーズベルトは1945年4月に執務室で急死、5月にはドイツが降伏した。その直後にウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連への軍事侵攻作戦を作成するように命令、5月22日に提出されたのが「アンシンカブル作戦」だ。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。 この作戦が発動されなかったのは、参謀本部が計画を拒否したため。攻撃ではなく防衛に集中するべきだという判断だったが、日本が降伏する前にソ連と戦争を始めると、日本とソ連が手を組むかもしれないとも懸念したようだ。 第2次世界大戦後、レッティンゲルはヨーロッパ統一運動を進めるが、その活動資金の半分以上を出していたのはACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)」は1948年にアレン・ダレスやウィンストン・チャーチルを中心とする米英の支配層によって創設された。ビルダーバーグ・グループはACUEの下部組織だ。 EUはそうした運動の延長線上にあるのだが、勿論、NATOもこうしたヨーロッパ制圧プランを実現するために創設された。そのNATOが現在、大きく揺れている。 トルコではクーデター未遂があったが、武装蜂起した部隊はFBIやCIAの訓練を受けていたと検察当局は公言、ドイツでは昨年11月24日にロシア軍のSu-24戦闘機がトルコ軍のF-16に撃墜された際、NATOとサウジアラビアのAWACS(早期警戒管制)が支援していたとする情報が流れている。本ブログでも紹介したが、ギリシャを拠点とするアメリカ/NATOのAWACS(早期警戒管制)機やサウジアラビアもAWACS機がその当時、近くを飛行していることは知られていた。撃墜の様子を全て見ていたことは確実で、トルコ軍機を指揮管制していた可能性もあると見られていた。トルコ政府の反応に慌てたのか、アメリカのジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長は7月31日に急遽、トルコを訪問することになったようだ。 もし、トルコがアメリカに反旗を翻したなら、中東やヨーロッパにおけるアメリカの作戦は壊滅的なダメージを受ける。しかも、アメリカ国内ではトランプが次期大統領になる可能性が出て来ている。そこで、クリントンが大統領になるのを待てないという雰囲気が出て来ているようだ。オリンピックのスキャンダルを引き起こしたのもそうした事情がありそうだ。 現在、アメリカの好戦派が最もコントロールできている火薬庫は東シナ海や南シナ海。そこには日本という忠実な僕がいる。夏から秋にかけて何らかの動きがあるかもしれない。軍事的な緊張を一気に高める偽旗作戦を仕掛けてくる可能性もある。そうした状況を考えると、東京都知事選は重要な意味を持つ。
2016.07.30
勿論、安倍晋三政権を操っているのはアメリカの好戦的な一部支配層だが、国内の活動を支えている団体として日本会議が注目されている。本ブログでも紹介したが、その日本会議の活動を支えてきた実務部隊が日本青年協議会/日本協議会。この団体は生長の家の創始者である谷口雅春の信奉者を中心とする人びとによって構成されているようだ。安保闘争が繰り広げられていた1960年代、谷口雅春を信奉していた学生は「左翼」の学生に対抗するために日本学生同盟や全国学生自治体連絡協議会を設立、「既存右翼」とは一線を画した「民族派」の源流になったともいう。この「既存右翼」は「親米反共」を掲げる人びとで、戦前に活動していた血盟団などと混同してはならない。 この「既存右翼」が誕生する切っ掛けを作ったのは木村篤太郎だ。1951年に吉田茂政権で法務総裁に就任した木村は左翼対策として「反共抜刀隊」の創設を計画、博徒やテキ屋などを集め、組織化しようとした。この構想自体は立ち消えになったものの、博徒やテキ屋の組織化は実現、広域暴力団につながる。 広域暴力団は「ヤクザ」と呼ばれることがあるが、戦前から戦後にかけて関東で博徒として生活していた人物の話によると、戦前、「ヤクザ」なる呼び名は使われていなかったという。田岡一雄時代に関西のヤクザだった人物も同じことを話していた。ヤクザは国家権力が作り出したのだ。 田岡は山口組の3代目組長として神戸港の荷役に関係していた人物で、1952年に港湾荷役協議会を創設して会長に就任、56年には神戸港港湾労働組合連合を設立、港湾荷役協議会を解散したうえで全国荷役湾荷振興協会を組織している。単なる犯罪組織のトップというわけではない。権力システムと密接に結びついていたのだ。 この当時、物資の運搬は船が中心で、港湾労働者がストライキをすれば物流が止まり、経済活動は麻痺してしまう。そこで、港から左翼の影響力を排除する必要があると支配層は考えた。港から左翼勢力を排除、労働争議を防ぐ役目を田岡は負っていたわけだ。横浜港を押さえたのは藤木企業の藤木幸太郎だ。 関東の広域暴力団も権力システムと結びついている。例えば、関東の暴力団が警察と定期的に話し合いの席を設けているとする山口組幹部の話をジャーナリストの溝口敦は明らかにしている。「警視庁の17階に何があるか知らしまへんけど、よく行くいうてました。月に1回くらいは刑事部長や4課長と会ういうようなこと大っぴらにいいますな」という内容だ。(溝口敦著『五代目山口組』三一書房、1990年)筆者も関東の暴力団関係者から全く同じ内容の話を聞いたことがあるので、事実だろう。 しかし、広域暴力団が表立って権力システムの手先として動くことは難しい。そこで系列の「右翼団体」が組織された。こうした団体が「既存右翼」だ。血盟団のような考え方の右翼はアメリカから危険視され、第2次世界大戦後にも左翼と同じように弾圧されたようだ。 こうした「既存右翼」と一線を画した「民族派」を生み出した生長の家は宗教団体。現在、この団体は日本会議のような活動と実際に無関係のようで、谷口雅春の信奉者からは批判されている。 こうした信奉者で構成される日本青年協議会/日本協議会の内部では「天皇信仰」の徹底が図られているとする証言があるが、こうした考え方をする人びとは天皇派、あるいは皇党派と呼ぶべきであり、民族派とするのは適切でない。 民族派をナショナリストだと解釈した場合、世界的に見ると王制と相性が良いとは言えない。例えば、エジプトのガマール・アブデル・ナセルは王制を倒し、イランのムハマド・モサデクも国王と対立している。 戦前、日本で襲撃された政治家や財界人はウォール街の影響下にあった人びとで、貧富の差を拡大、娘の身売りを強いる政策を進めたと見なされていた。日本がそうした強欲な国になったのはそうした政治家や財界人に責任があり、そうした人びとを排除すれば天皇が庶民のための政治を行うと考えたわけだ。勿論、こうした考え方が間違っていることは二・二六事件で明白になった。 いわゆる明治維新で徳川体制を倒した薩摩藩と長州藩を中心とする勢力は「国教」として国家神道を作り上げたが、これは支配の仕組みとして作り上げられた神道系の新興宗教だ。大日本帝国憲法で天皇を神聖不可侵の存在だとし、学校では国家神道をよりどころとする「国民道徳」が子どもたちに叩き込まれている。 この教育の基盤が教育勅語であり、「天皇が至高の存在であることを学問の大前提」として、「天皇に忠義であったか否か、忠臣か逆臣かで人物を評価し、その人物の行動をあとづけることによって歴史物語を描写した」皇国史観が教え込まれた。(本郷和人著『人物を読む 日本中世史』講談社、2006年) 1990年代から日本に改憲を強く要求しているアメリカの支配層はネオコン/シオニストである。その目的は日本を戦争マシーンに組み込み、アメリカ軍の補完物にすることにあったが、そのネオコンの手先として動いている安倍晋三政権が改憲を目指し、教育基本法を憎悪するのは当然なのだろう。 本ブログでは何度も書いてきたように、ネオコンは1992年に時点で世界制覇を目指す世界制覇の方針、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」をスタートさせた。ユーゴスラビアへの先制攻撃はNATOが実行、アフガニスタンやイラクはアメリカ軍を中心として実行されたが、その後は1980年代の手法を使い始める。 1970年代の終盤からズビグネフ・ブレジンスキーのプランに従ってCIAはワッハーブ派/サラフ主義者を中心に武装集団を編成する。そうした人びとはサウジアラビアが雇い、イスラエルも協力している。CIAは軍事訓練を行って戦闘員を養成、武器/兵器を提供した。 ロビン・クック元英外相によると、CIAが訓練した「ムジャヒディン」、つまり戦闘員のコンピュータ・ファイルがアル・カイダ。これはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われる。戦闘員の登録リストだということだ。 アフガニスタンやイラクだけでなく、中東/北アフリカ全域でこの仕組みは使われているようだが、ウクライナでネオコンはネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)。東アジアでもアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が使われる兆候は見られるが、日本もこうした武装集団と同じ立場にある。EUはアル・カイダ系武装集団とネオ・ナチ、両方の攻撃を受けそうだ。
2016.07.29
日本経済は1990年代から停滞、安倍晋三政権が日銀の黒田東彦と始めた政策、いわゆる「アベノミクス」が推進されている間に経済活動は大きく落ち込んでいる。GDPで比較すると、2012年に5兆9570億ドルだったものが15年には4兆1230億ドルまで低下、この数字は1993年の4兆4150億ドルを下回る。 以前にも書いたことだが、この結果を見て安倍政権の政策は失敗だったと言うことはできない。アベノミクスの柱になっている「量的・質的金融緩和」、いわゆる「異次元金融緩和」は資金を世界の投機市場へ流し込むだけで、庶民に恩恵がないことは最初から明白だった。投機市場のバブルを膨らませ、富裕層の評価資産額を増やすだけだ。政府は意図的に行っている。さらに、安倍と黒田のコンビは国内の投機市場におけるバブルを維持するため、ETF(上場投資信託)やGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)を利用している。 内外の富裕層を儲けさせるため、自国を破壊する政策だとも言えるわけで、日本政府や日銀に対して「狂っている」という言葉が浴びせられるのは当然であり、そうした政府や日銀の政策に反対しない日本人が「狂っている」と言われても仕方ない。 昨年6月、黒田日銀総裁は自身が進めている政策について、「飛べるかどうかに疑問を持った瞬間、永遠に飛ぶことができなくなる」と発言、それ以来、彼を「ピーター・パン」と揶揄する人がいる。情勢の客観的な分析を拒否、ネバーランドへ足を踏み入れ、「神風が吹く」という妄想の中へ逃げ込んだとも言えるだろう。 勿論、永遠にバブルを膨らませることは不可能。投機市場へ流入する資金量が細ってくれば相場は天井を打って下がり始め、マイナスのスパイラルが始まる。2008年9月にアメリカの大手投資銀行、リーマン・ブラザーズが破産法第11条(日本の会社更生法、あるいは民事再生法に相当)の適用を申請、つまり倒産したのも、そうした結果だ。 この倒産劇は「サブプライムローン」の焦げ付きが切っ掛けとされている。不動産を担保にして高利でカネを借り、相場が上昇すれば不動産の担保価値が膨らんで融資余力が生じ、さらに借金するということが行われていたのだが、それが破綻、このマルチ商法的な仕組みで大儲けしていた巨大金融機関が一転して窮地に陥ったわけだ。 本来なら破綻した金融機関は処分、不正を働いた幹部は罰せられなければならないのだが、そうならなかった。「大きすぎて潰せない」とか「大きすぎて処罰できない」という屁理屈で助けられ、そのツケは庶民に押しつけられた。 こうした投機を支えていたひとつの要因が日本のゼロ金利政策。円資金を借入れて投機に利用したわけだ。いわゆる「円キャリー取引」である。この政策自体、投機の拡大が目的だった可能性もある。政策の目的はともかく、日本の政策がバブルを膨らませ、金融破綻の衝撃度を高めたとは言える。 1980年代から日本政府が進めてきた政策は生産活動を破壊し、金融活動を盛んにさせるというもの。イギリスでマーガレット・サッチャーが行った政策と基本的に同じだ。つまり新自由主義。アメリカも生産活動を放棄している。これは1932年の大統領選挙でハーバート・フーバーが敗れるまで続けられた政策でもある。これにブレーキをかけたのがフランクリン・ルーズベルトが率いるニューディール派。ルーズベルトが1945年4月に急死したあと、ウォール街はニューディール派が残した政策を潰してきた。その仕上げとも言えるのが1933年に制定された投機規制を目的としたグラス・スティーガル法の廃止だろう。これは1999年11月にグラム・リーチ・ブライリー法が成立して実現した。 日本やアメリカでは目先の個人的な利益を求める政策を推進した結果、国は疲弊、アメリカを拠点とする巨大資本へ国民ごと売り飛ばされようとしている。そうした目論見に対する反発は欧米だけでなくアジアでも強まってきた。アメリカの支配層は軍事力を使った世界制覇、あるいは軍事侵略による略奪で窮地を脱しようとし、日本の「エリート」はそのアメリカに従っているが、成功するようには見えない。
2016.07.28
沖縄の東村高江周辺におけるヘリパッド建設工事を沖縄防衛局は数百名の機動隊を投入して再開、反対派の中からけが人も出ているようだ。新ガイドライン そうした中、7月26日にハリー・B・ハリス米太平洋軍司令官が安倍晋三首相と官邸で会談、「新ガイドラインの着実な実施等を通じて日米同盟を一層強化し、地域の平和と安定の確保に取り組んでいくことにつき一致」、「在日米軍再編につき、安倍総理大臣から、普天間飛行場の辺野古移設が唯一の解決策との日本政府の立場は不変である旨を述べ」、「ハリス司令官から、普天間飛行場の移設問題を含め、在沖縄米軍の活動に対する日本政府からの支援につき感謝する旨述べ」たという。 「新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)」は1997年にまとめられ、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾のアメリカ軍使用などを日本は担うことになっている。 「旧ガイドライン」は1978年11月に作成されたもので、「1955年からおよそ20年間にわたって、歴代首相にも秘密裏に自衛隊と在日米軍の間で毎年つくりあげられていた『共同統合作戦計画』が、当時のソ連の脅威を背景に、米国側の圧力によって『オーソライズ』されたもの」だった。(豊下楢彦著『集団自衛権とは何か』岩波書店、2007年) この年、在日米軍基地で働く日本人従業員の給与の一部を日本側が負担するという名目で62億円が「在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)」として計上され、1990年代から急増した。 つまり、その金額は歳出ベースで、1980年度が374億円、85年度は807億円、90年度は1680億円というように増え、95年度には2714億円、そして97度には2738億円に達している。その間、湾岸戦争の際には130億ドルを戦争資金としてアメリカに提供した。言うまでもなく、1991年12月にソ連は消滅、「ソ連の脅威」もなくなったはずだが、「思いやり予算」は増えているわけだ。1999年度は2756億円、2000年度は2755億円だったが、2010年度は1881億円に減少する。 そうした減少を穴埋めするように登場したのがSACO(沖縄に関する特別行動委員会)の関係経費や米軍再編関係費だ。防衛白書によると、SACO関係経費は1996年度から計上されていたが、97年度は61億円。それが2000年度に140億円となり、05年には263億円、10年度は169億円、米軍再編経費は07年度が72億円、08年度が191億円、09年度が602億円、10年度が909億円。こうした項目を合計すると、2010年度は2959億円になり、2000年度の2895億円を上回ってしまう。 しかし、米軍再編経費は「地元負担軽減分」のみの数字で、本来なら加えるべき「地元負担軽減関連施設整備等分」や「抑止力の維持等に資する措置」が抜けている。例えば、2010年度は前者が78億円、後者が333億円。これらを加えると1320億円になる。2010年度の場合、基地周辺対策費や賃借料などで1737億円、防衛省以外の省庁が基地交付金などで384億円、土地の賃料で1656億円という負担があり、在日米軍の駐留経費を合計すると7147億円に達する。ソ連消滅で暴走を始めた米国 漠然とした「思いやり予算」から沖縄を意識、項目が具体的になったのが1997年の頃だが、その背景にはアメリカにおける戦略の変更がある。冷戦の終結で世界は平和になるという脳天気なことを言う人がいたが、アメリカの支配層は平和を憎悪している。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトや「平和の戦略」を訴えたジョン・F・ケネディはそうした支配層と対立していた。 核兵器を手にしてからアメリカの支配層は世界制覇の野望を膨らませ、1949年にアメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とす計画を立て、1952年には水爆実験に成功している。 この段階における核兵器の輸送手段はSAC(戦略空軍総司令部)の爆撃機。1948年から57年にかけてSACの司令官を務めていたカーティス・ルメイ中将は大戦の終盤、日本の大都市に大量の焼夷弾を投下して庶民を焼き殺す「無差別爆撃」を推進した人物として知られている。1945年3月10日に行われた東京の下町に対する空爆では約300機のB-29爆撃機が投入され、10万人以上の住民が殺されたと言われている。 SACが1954年に立てた計画によると、600から750発の核爆弾をソ連に投下し、2時間で約6000万人を殺すことになっていた。またSACが1956年に作成した核攻撃計画に関する報告書によると、ソ連、中国、東ヨーロッパの最重要目標に対する攻撃では水爆が使われ、ソ連圏の大都市、つまり人口密集地帯に原爆を投下することになっていた。攻撃目標にはモスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、タリン(現在はエストニア)、キエフ(現在のウクライナ)といったソ連の都市だけでなく、ポーランドのワルシャワ、東ドイツの東ベルリン、チェコスロバキアのプラハ、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、中国の北京が含まれている。 ソ連に対する先制核攻撃の準備が始まったのは1957年だと言われている。この年の初頭には「ドロップショット作戦」が作成された。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うというもので、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたともいう。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) アメリカがソ連を先制核攻撃した場合、反撃をどのように押さえ込むかが問題。そこでアメリカがICBM(大陸間弾道ミサイル)で圧倒している段階で攻撃しようということになる。1959年の時点でソ連は事実上、ICBMを保有していなかった。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、ライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長やルメイ空軍副参謀総長を含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だった。それより遅くなるとソ連もICBMを配備すると見ていたのだ。核攻撃の障害になっていたケネディ大統領は1963年11月22日、テキサス州ダラスで排除されたが、CIAの情報操作をFBIはリンドン・ジョンソン大統領へ伝え、開戦には至らなかったと言われている。 中国を核攻撃する場合、沖縄が出撃拠点になる可能性が高い。その沖縄では「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収され、軍事基地化が推し進められていた。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵が動員された暴力的な土地接収で、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めた人物が後の統合参謀本部議長、レムニッツァーだ。この人物は第2次世界大戦の終盤、フランクリン・ルーズベルト大統領を無視する形でアレン・ダレスたちとナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」を実行していた。 世界制覇の野望にとって最大の障害だったソ連が1991年12月に消滅したわけで、その野望が眠りから目覚めるのは必然だった。そして1992年の初めに国防総省内で作成されたのがDPG。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようというものだ。戦争機械に組み込まれた日本 1995年2月に公表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」では、10万人規模の駐留アメリカ軍を維持するだけでなく、在日米軍基地の機能は強化され、使用制限は緩和/撤廃されることになった。 この報告が作成される切っ掛けを作ったのは国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンで、ふたりは友人のカート・キャンベル国防次官補を説得し、ナイとエズラ・ボーゲルに彼らの考えを売り込んだという。 ナイ・レポートが公表された2年後に「新ガイドライン」は作成され、「周辺事態法」が成立した1999年にはNATOがユーゴスラビアを先制攻撃する。アメリカで大統領選があった2000年にはネオコン系シンクタンクPNACがDPGの草案をベースにして「米国防の再構築」という報告書を発表、2001年に登場するジョージ・W・ブッシュ政権はこれに基づく政策を推進していく。 2000年にはナイとリチャード・アーミテージのグループによって「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」も作成されている。この報告では武力行使を伴った軍事的支援が求められ、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している」と主張、「この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる」としている。集団的自衛権はアメリカ側の要求、あるいは命令だということだ。 こうした動きを加速させる出来事が2001年9月11日に引き起こされた。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。これを利用してアメリカの好戦派は国内で憲法の機能を停止させ、国外では軍事侵略を本格化させた。 日本では2002年に小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」を国会に提出、アメリカがイラクを先制攻撃した03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明した。改憲の要求、あるいは命令だ。 2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。2012年にもアーミテージとナイが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表している。戦争を始めた米国の好戦派 その間、2006年に興味深い論文が発表された。外交問題評議会が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスのもので、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとしている。1963年後半にアメリカの一部支配層はソ連を先制核攻撃しようとしたが、その精神状態と似ていると言えるだろう。 この時期、日本の有権者はナイやアーミテージに操られている日本の「エリート」に対する怒りを膨らませていた。そして始まったのが東京地検特捜部とマスコミがタッグを組んだ小沢一郎と鳩山由紀夫に対する攻撃だ。この攻撃は首相になった鳩山由紀夫が2010年6月に辞任するまで続く。 その間、アメリカは中東を制圧する秘密工作を始めている。シーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いた記事によると、その時点でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めたというのだ。この構図は今も続いている。 2008年8月にはジョージア(グルジア)の大統領だったミヘイル・サーカシビリは自国軍に南オセチアを奇襲攻撃させたが、ロシア軍の反撃で惨敗した。ジョージアの背後にはアメリカとイスラエルが存在、軍事物資を提供し、将兵を訓練していたことがわかっている。イスラエルが作戦を立てたという情報もある。 その後もアメリカの支配層はアル・カイダ系の武装集団やネオ・ナチを使って「レジーム・チェンジ」を目論む。こうした侵略行為をロシアだけでなく、そしてアメリカ軍の情報機関なども危険だと警告していたが、それを承知の上でのことだ。日本でカルト色濃厚の安倍晋三たちを使うのは必然なのだろう。 しかし、そうしたアメリカ支配層の好戦派は足下がぐらつき始めている。核戦争の脅しでロシアや中国を屈服させるという「凶人理論」や「狂犬戦法」に固執していることに危機感を持つ人が増えてきているようだ。この戦術がロシアや中国に通用しないことから離反する「友好国」も現れている。恐らく、最後の望みはヒラリー・クリントンなのだろうが、彼女に対する風当たりも強い。 第2次世界大戦の前、日本の支配層はJPモルガンをはじめとするアメリカの巨大資本に支配されていた。これは本ブログで何度も指摘してきたことだ。その日米関係が1932年の米大統領選挙で破綻した。JPモルガンの手先だったハーバート・フーバー大統領が再選に失敗、ウォール街と対立していたニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのである。 1933年から34年にかけてニューディール派を排除してファシズム政権を樹立させようというクーデター計画もスメドリー・バトラー少将の議会証言やカウンター・クーデター宣言などで失敗する。JPモルガンはジョセフ・グルーを駐日大使として送り込んだが、日本は迷走を始め、真珠湾攻撃でアメリカと戦争を始めた。グルーはその後も日本に滞在、1942年に離日する直前、岸信介からゴルフを誘われている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)このときと同じ間違いを岸の孫は犯している。
2016.07.27
7月26日の午前2時半頃、神奈川県相模原市の障害者施設へナイフを持った男が入り込んで19名を殺害、26名が負傷、そのうち20名は重体だという。午前3時頃、警察に出頭した人物は「障害者なんていなくなればいい」という趣旨のことを話しているとする情報が「捜査関係者」から流れている。今年2月から障害者の殺害を予告する言動があり、予告通りに実行した。医療機関も警察も止められなかった、あるいは止めなかったと言える。こうした情報が正しいなら、その人物が実際に殺したように感じられるものの、疑問点もあり、真相はまだ不明だ。 しかし、この事件が現在の日本を象徴しているように見えることも事実である。「生長の家」を始めた谷口雅春を信奉している人びとに安倍晋三政権は支えられているが、支持者たちの一部はヘイト・スピーチやヘイト・デモを実行してきた。公然と国籍や民族によって差別してきたわけだ。随分前から中国や韓国/朝鮮を罵る本や記事も書店に溢れ、社会に受け入れられている。門地による序列を正当化している天皇制が内包している問題だとも言える。 学校で進められてきた日の丸や君が代の強制は特定の思想や歴史観を強要することにつながる。これらは侵略の象徴と見なされているからだ。明治維新から1945年の敗戦まで続けられてきたアジア侵略の肯定(侵略ではなかったという主張)は平和を望む人びとへの恫喝につながる。 昨年6月8日に文部科学省は教員養成系と人文社会科学系の学部や大学院のほか、司法試験合格率が低い法科大学院の廃止や見直しに取り組むように求める通知を国立大学へ出したが、政府/支配層の不正を暴き、批判する人びとの拠点を破壊するという側面がある。 そうしたことはアメリカで先行している。学者の狙い撃ちもあり、例えば、イスラエルを厳しく批判してきたデポール大学の教員、ノーマン・フィンケルスタインは内定していた終身在職権を取り消されている。シオニストはフィンケルスタインのような人びとを「自己憎悪(Self-hating)」派だと批判、ハーバード大学教授で親イスラエル派のアラン・ダーショウィッツは反フィンケルスタインのキャンペーンを数カ月に渡って展開、大学に圧力をかけて彼との雇用契約を打ち切らせてしまった。ちなみに、日本では過去の侵略を口にする人びとを安倍政権の支持者たちは「自虐史観」だと批判する。 日本でも思想統制を強めようと考えているわけだが、その目的は、支配者たちに命令されたことを疑うことなく実行するロボットのような人間を作ることにある。したがって、思考力だけでなく、運動能力が原因で「ロボット」になれない人びとも排除される。安倍政権の周辺は考える国民だけでなく、自分たちのために働けない人間も望んでいない。教祖や権威などの言うことを疑わずに信じ、服従、行動する「臣民」を望んでいる。要するに、カルトの信者のような人びとだ。 コスタ・ガブレスが監督、2003年に公開された映画「アーメン」はナチス時代のドイツを舞台にしているが、その冒頭で障害者がガス室で虐殺される場面が出てくる。ナチスは自分たちにとって邪魔な存在を抹殺しただけでなく、無用だと判断された人びとも抹殺していったのである。これは歴史的な事実だ。 ルター派の牧師だったマルティン・ニーメラーの詩には、コミュニスト、社会民主主義者、労働組合の活動家、そしてユダヤ人など少数民族をナチスが抹殺していったことが書かれているのだが、その前に障害者が犠牲になっている。 社会的な弱者を切り捨てる政策を進めてきた日本で最も弱い立場にある障害者を殺そうとする人物が現れても不思議ではない。アジア諸国の人びとを劣等だと位置づけ、自分たちと同じ人間として扱う必要はないという考え方と基本的に同じだ。
2016.07.26
安倍晋三政権を支えている「日本会議」は1997年5月、「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が統合されて誕生した。そのうち「日本を守る会」は1973年6月に神社本庁と生長の家などが伊勢神宮で開いた懇談会を母体にして創設されている。現在、「日本会議」の事務局的な役割を果たしているという「日本青年協議会」の多くのメンバーは「生長の家」の創始者である谷口雅春を信奉している人びとだという。 世間に流れている経歴を見ると、この谷口は1893年11月に兵庫県神戸市で誕生、早稲田大学文学部を中退して大本教の専従活動家になっている。大本教は1921年と35年に不敬罪で弾圧を受けているが、谷口は22年に教団から脱退、30年3月に「生長の家」誌を自費出版、その発行日が立教記念日だとされている。神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教、心理学、哲学などを融合させたという「生長の家」の誕生だ。 谷口が所属していた大本教は出口なおが開祖で、娘婿の出口王仁三郎が教団を発展させた。第1次弾圧の公判中に出獄して中国東北部へわたった王仁三郎は張作霖の保護下、大本ラマ教を創始、1924年から中国で紅卍字会と手を組んだようだ。紅卍字会は1922年に設立された宗教団体で、儒教、仏教、道教、キリスト教、イスラムの5教は一元であると主張している。この主張が谷口に影響を与えた可能性もあるだろう。 「生長の家」が設立された13年後、ひとりの軍人が信者になったと言われている。第14軍司令官だった田中静壱だ。第14軍はフィリピン方面を担当、1944年7月に第14方面軍に改編された。 第2次世界大戦でドイツがヨーロッパ各国の中央銀行などから金塊を盗み、戦後、それがアメリカの支配層へ流れたことが知られている。いわゆる「ナチ・ゴールド」だ。 日本軍は1937年から中国で財宝の略奪を組織的に始めたが、中国はヨーロッパと違って財宝は個人が管理、そこで官庁や銀行だけでなく、富裕な家に押し入って金や宝石などを盗んだという。 その盗んだ財宝は一旦、フィリピンに集められ、金塊は東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、あるいはチリやアルゼンチンの銀行に運び込まれたが、その途中に戦局の悪化でフィリピンから運び出すことが困難になり、相当部分が山の中に隠されることになったという。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003) 隠匿工作を実行したのは第14軍/第14方面軍で、司令官は1942年8月から43年5月までが田中静壱、43年5月から44年9月までが黒田重徳、そして最後が山下奉文だ。フィリピンに隠された財宝は「山下兵団の宝物」と呼ばれることがあるが、山下が赴任してきたときは工作の終盤。実際は田中や黒田の時代で、指揮していたのは秩父宮雍仁、その補佐役は竹田宮恒徳だったとされている。(前掲書) 「真相」誌1953円11月号によると、略奪したダイヤモンドの大半を1943年3月にふたりの将校が日本へ持ち帰ったという。そのひとりが田中静壱の副官になる塚本清(通称、塚本素山)少佐だ。「生長の家」の信者だった田中は1945年8月24日に自殺、塚本は敗戦後に「実業家」として名をなし、1961年には創価学会の顧問に就任している。 戦後、もうひとりの将校が持ち帰ったダイヤモンドは千葉銀行へ運ばれる。同行の頭取は古荘四郎彦。この人物の兄、古荘幹郎は陸軍大将で、陸軍次官を務めたこともある。このダイヤモンドは1945年3月にどこかへ運び出された。その行き先は不明だが、熱海に本部を置いていた某教団だとする説がある。 兜町の古老らに聞くと、その後、千葉銀行は情報や相場の関係者が出入りするようになり、児玉誉士夫の側近と言われる吉田彦太郎など怪しげな人物の巣窟のような存在になっていたという。
2016.07.25
生産を放棄して投機へのめり込み、経済破綻状態のアメリカ。この国を支えているのは基軸通貨を発行する特権だということは本ブログでも指摘してきた。その地位が揺らいでいる今、軍事力で他国を侵略してさまざまな富を略奪、世界の覇者として君臨、全ての富を自分たちのものにしようとしている。この方針はソ連が消滅した直後、1992年のはじめに決まった。 その方針に基づいて日本も作り替えられ、ウォール街が支配するシステムであるTPPに参加させられ、そしてアメリカの戦争マシーンに組み込まれて略奪の手先にされようとしているのだが、準備はその遥か前から始まっている。中曽根康弘、小泉純一郎、そして安倍晋三といった政治家が「レジーム・チェンジ」の推進役だ。 そうした傀儡政治家のひとりである安倍を支えているのは、多くの人が指摘しているように、日本会議と名づけられた集団。1997年5月に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が統合されてできあがった。 「日本を守る会」は1973年6月に神社本庁と生長の家などが伊勢神宮で開いた懇談会を母体にして創設され、「日本を守る国民会議」は1978年7月に結成された「元号法制化実現国民会議」が1981年10月に改組されて発足した。 「元号法制化実現国民会議」の結成を呼びかけたのは1969年1月から73年5月まで最高裁長官を務めた石田和人。(1963年6月から69年1月まで最高裁判事)「日本会議」の初代会長はワコール会長だった塚本幸一だが、2001年から15年までは元最高裁長官の三好達が第3代会長を務めている。ふたりの最高裁長官が関係している意味は重い。 言うまでもなく、戦前レジームを支えた司法は敗戦で責任を問われることもなかった。関東大震災を切っ掛けにして日本はJPモルガンを中心とするアメリカの金融資本に支配されるようになるが、そうした中、地震の2年後に「治安維持法」が制定され、1928年3月15日に日本共産党関係者らが大量に検挙されている。この頃から特高警察が強大化されて思想検察制度ができがあがっていく。 戦前の思想弾圧は思想検察や特高警察が中心で、特高を指揮していたのは内務省の警保局長。その警保局長のひとりとして「横浜事件」をでっち上げた町村金五は責任を問われるどころか、戦後、衆院議員や参議院議員、北海道知事を務めている。 町村金五の息子である町村信孝は文部大臣、外務大臣、官房長官に就任、金五の上司、内務次官だった唐沢俊樹は戦後、法務大臣に選ばれた。特高官僚だった高村坂彦は戦後、総理府審議室主任、内務省調査部長、調査局長を歴任、その息子は高村正彦だ。 戦後、国会議員になった人物には、元内務次官の灘尾弘吉、大達茂雄、館哲二、湯沢三千男、元警保局長の古井喜実、大村清一、岡田忠彦、後藤文夫、鹿児島県特高課長だった奥野誠亮、警保局保安課事務官だった原文兵衛が含まれる。奥村信亮は奥野誠亮の息子であり、警視庁特高部長を経て警保局長も務めた安倍源基の息子、基雄も衆議院議員を経験した。 裁判官も戦争責任は事実上、問われないまま現在に至っている。石田和人も戦前からの裁判官だ。初代最高裁長官は当初、最高裁判事の候補者にも挙げられていなかった人物。1946年2月に最後の大審院院長となった細野長良がそのまま最高裁長官になると見ていた人もいるが、裁判官の戦争責任を口にしていたことから任命されなかったという話も流れている。 日本の最高裁長官の立場を明らかにした出来事が砂川事件の判決。1953年3月に東京地裁はアメリカ軍駐留を憲法違反だとする判決を出したが、これに反発した駐日米大使のダグラス・マッカーサー2世は藤山愛一郎外相と秘密裏に会談、最高裁への跳躍上告を勧める一方、最高裁の田中耕太郎長官とも秘密会談、裁判について説明を受けている。その後、最高裁はアメリカ側の意向に沿う訴訟指揮をとり、1審判決を破棄して東京地裁に差し戻した。その後、最高裁がアメリカから自立したということはないだろう。
2016.07.24
現在、アメリカの支配層はロシアと中国を屈服させ、自分たちが世界に覇者になろうと必死だ。歴史をさかのぼると、中国侵略は遅くとも19世紀のアヘン戦争から始まる。この戦争を仕掛けたのはイギリスだが、同じアングロ・サクソン系の国であるアメリカも協力していた。 19世紀のイギリスはいわゆる「産業革命」によって生産力が向上したものの、国内ではチャールズ・ディケンズが『オリバー・ツイスト』で描いたように貧富の差が拡大、経済システムは破綻しかかっていた。そこで国外で儲けようとしたが、中国の商品に太刀打ちできず、深刻な貿易赤字になってしまった。それを打開するために始めたのが麻薬の押し売りを含む侵略戦争だ。中国(清)に対し行ったのが1840年から42年にかけてのアヘン戦争や56年から60年にかけてのアロー事件(第2次アヘン戦争)だ。イギリス発の資本主義は侵略なしに存在できないとも言える。 こうした戦争で儲けた会社のひとつがジャーディン・マセソン商会。1859年にこの会社が長崎へ送り込んだトーマス・グラバーはほどなくして自分自身の会社、グラバー商会を設立、薩摩藩と長州藩を中心とする新体制を樹立させるうえで重要な役割を果たすことになった。明治維新の背後にはイギリスの麻薬業者がいたということだ。 中国での麻薬取引で大儲けした一群の人びとの中にはアメリカのラッセル家やキャボット家も含まれている。両家は大学で学生の秘密結社を創設、つまりラッセル家はエール大学でスカル・アンド・ボーンズを、またキャボット家はハーバード大学でポーセリアン・クラブを組織し、政治、官僚、経済、情報などの分野にネットワークを張り巡らす拠点にした。このネットワークは今も生きていて、例えばジョージ・H・W・ブッシュとジョージ・W・ブッシュの親子やジョン・ケリー国務長官はスカル・アンド・ボーンズの出身。 こうした麻薬業者たちによって作り出された明治体制が麻薬に手を出しても不思議ではない。中国を侵略した日本軍はイランから大量のアヘンを密輸入、この取り引きを指揮していたのは里見甫と三井物産だった。里見と三井物産をつないだのは東京毎日新聞の社長になる藤田進だ。里見も中国で新聞記者として活動していたが、1932年には南満州鉄道(満鉄)の嘱託になっている。日本の傀儡国家『満州国』が出現した年である。 1931年に日本軍(関東軍)は満鉄の線路を爆破(柳条湖事件)、これと中国軍の仕業だとして侵略の口実にし、中国東北部を占領した。つまり偽旗作戦だ。それ以降、里見は関東軍第4課でプロパガンダを担当するようになり、その後、中支那派遣軍特務部総務班長だった楠本実隆大佐の指示でイラン産アヘンを売るようになる。 麻薬ビジネスを三井物産に独占させておかなかったのが三菱商事。イランのアヘン専売会社を相手に両者は激しく争い、1937年から1年の間、三菱の独占が認められた。後に三菱が勝手に契約を更新したこともあり、対立は激化していく。両社の間で協定が結ばれたのは1939になってからだ。この年の5月、上海地区でアヘンを分配するために設立されたのが里見の取り仕切る宏済善堂である。(江口圭一著、『日中アヘン戦争』、岩波新書、1988年) 第2次世界大戦後、アメリカではウォール街と関係の深いCIAの秘密工作部門が麻薬取引を始める。例えば、ベトナム戦争の最中には東南アジアの山岳地域、通称「黄金の三角地帯」で栽培されるケシを原料にしてヘロインを生産、アフガニスタンでの戦争が始まると栽培地がパキスタンとアフガニスタンの山岳地帯へ移動した。ラテン・アメリカの反革命勢力を支援するために使われたのはコカインだ。ソ連消滅後にアメリカの支配層はユーゴスラビアを攻撃、解体しているが、その際にアフガニスタンで生産された麻薬はコソボの反セルビア勢力の資金源になっていた。アフガニスタンでは現在でもケシが栽培されているが、その畑をアメリが軍が守っているとも指摘されている。 しかし、アメリカ軍がアフガニスタンを軍事侵略した第1の目的は石油や希少金属だろう。昔からカスピ海周辺は油田地帯として有名だが、1991年12月にソ連が消滅すると西側の巨大資本はその利権に目をつけた。 黄金の三角地帯における秘密工作の従事していたリチャード・シコード、ハイニー・アデルホルト、エド・ディアボーンが1991年にメガ石油の仕事だとしてアゼルバイジャンの首都バクーを訪問、政府側に対して資金を提供、航空会社を設立させ、軍事訓練も行っていた。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015) ジャーナリストのウィリアム・イングダールによると、アル・カイダ系戦闘員数百名をアフガニスタンからアゼルバイジャンへ移動させるため、シコードはアゼルバイジャンで航空会社を設立した。1993年までにメガ石油は2000名の戦闘員を雇ってカフカスでの工作に使ったという。 アメリカの巨大資本はバクー、グルジアのトビリシ、トルコのジェイハンを結ぶBTCパイプラインを計画していたのだが、すでにチェチェンのグロズヌイを経由するパイプラインが存在していた。この競争相手を機能できなくするためにチェチェンを戦乱で破壊する計画が持ち上がり、その工作を指揮することになったのがブッシュ・シニアと知り合いのグラハム・フラー。その下でシコードは活動することになったわけだ。 ちなみに、このフラーの娘が結婚した相手はルスラン・ツァルニで、その甥にあたるタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフは2013年4月15日にボストンであった爆破事件の犯人だとされている。ただ、この事件には謎が多く、実際にこのふたりが爆破事件を引き起こしたのかどうかは不明だ。 トルクメニスタンからアフガニスタンを経由し、パキスタン、そしてインドへ通じるパイプラインの計画の場合、タリバーン政権は西側企業のUNOCALでなくアルゼンチンのブリダスを選び、1998年1月に建設の契約を結ぶ。そうした契約を止めてしまったのがオサマ・ビン・ラディンだということになっている。 つまり、1998年8月7日にナイロビ(ケニア)とダル・エス・サラーム(タンザニア)のアメリカ大使館がオサマ・ビン・ラディンの命令で爆破されたとされ、これを理由としてアフガニスタンはパイプラインに関する全ての交渉を停止したのだ。この月の20日にアメリカ軍はアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。アメリカ軍がアフガニスタンを軍事侵略する3年前の出来事だ。麻薬にしろ石油にしろ、戦争にはカネ儲けが絡んでいるように見える。 日本のマスコミは何らかの発見、発明、出来事があると「経済効果」という切り口で説明しようとする傾向があり、戦争もカネ儲けと結びつけて理解しようとする。カネに目が眩むと、アメリカはイラクへ軍事侵攻して中東を混乱させることは利益にならないのでせず、経済的に緊密な関係がある中国と戦争することは損なのでせず、ロシアと戦争を始めて人類を滅ぼすような得にならないことはしないと感じられる。 しかし、カネ儲けはアメリカの支配層を動かすひとつの要因にすぎない。軍事的な緊張を高めるのは戦争ビジネスを儲けさせるためで、アメリカが本当に戦争を始めることはないと高をくくっていると、取り返しのつかないことになる。それが現在だ。 その背景にあるのがハルフォード・マッキンダーのハートランド理論であり、1992年にポール・ウォルフォウィッツたちネオコンが国防総省のDPGという形で作成した世界制覇方針、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。ネオコンが日本に戦争準備を始めさせたのもこの方針に基づいている。そうした好戦派の命令の忠実な僕が安倍晋三政権にほかならない。彼らを「民族派」と呼ぶことはできない。世界制覇がネオコンたちの第1目標であり、それを放棄しない限り核戦争に発展する可能性は高い。
2016.07.24
フランスとドイツで多くの死傷者を出す出来事があった。7月14日はフランスの革命記念日(バスチーユの日)。ニースでも多くの人が花火を見物していたのだが、その中へトラックが突入して84名が死亡、22日にはドイツのミュンヘンにあるショッピング・モールで銃撃があり、10名が殺されたという。 フランスのフランソワ・オランド首相は事件を口実にしてシリアやイラクへの攻撃を強化、非常事態を3カ月間、延長すると発表している。国民の支持を完全に失っているオランド政権が、たとえ一時的であっても、絶対的な権力をてにしたわけだ。 しかし、この事件でも疑問を口にする人は少なくない。例えば、現場が血の海になっていないのはなぜか、トラックに血がこびりついていないのはなぜか、190名近い人に衝突しているにもかかわらず、トラックが大きく損傷していないのはなぜか、警官隊が容疑者を生きたまま逮捕しようとしなかったのはなぜか、などだ。 さらに、ここにきて新たな疑問が浮かび上がった。フランスのSDAT(対テロ警察)は地元当局に対し、監視カメラを含む映像から事件が写っている部分を消去するように要求、当局がそれを拒否したというのだ。映像が外部へ流れることを恐れたというが、対テロ警察が証拠を隠滅するように求めるとは尋常でない。 ドイツの事件も詳細は不明だが、目撃者としてメディアの登場した人物を見て驚いた人がいる。ニースの事件を目撃したとしてメディアに語っていたジャーナリストのリヒャルト・グートヤーがドイツの事件も目撃していたというのだ。しかも、この人物の家族が興味深い。グートヤーが結婚しているエイナット・ウィルフは、かつて将校としてイスラエルの電子情報機関8200部隊に所属していたことがあるのだ。この部隊はアメリカのNSAとも連携、両機関は共同でイランの核施設をサイバー攻撃したこともある。民間企業として別働隊が存在、世界のコンピュータ業界に強力なネットワークを張り巡らせているようだ。ウィルフはシモン・ペレス副首相の外交政策顧問やマッキンゼーの戦略顧問だったこともあるという。 勿論、グートヤーは偶然、ふたつの事件に遭遇したのかもしれない。ただ、話題になって当然の偶然だ。事前に何らかの情報を持っていた可能性も否定できない。 こうした疑惑を強める一因は、グラディオによる「テロ」という経験があるからだ。本ブログでは何度も取り上げたNATOの秘密部隊で、1960年代から80年代にかけて「赤い旅団」を装って爆弾攻撃を繰り返している。イタリアは歴史的にコミュニストの影響力が強い国だったが、その爆弾攻撃で「左翼」は大きなダメージを受け、治安体制は強化された。 この組織の存在が表面化する切っ掛けを作ったのはイタリアの子ども。イタリア北東部の森の中にあった武器庫のひとつを偶然見つけたのだ。発見から3カ月後、カラビニエーレ(国防省に所属する特殊警察)の捜査官が調べていた不審車両が爆発して3名が死亡、ひとりが重傷を負うという出来事が起こり、警察は「赤い旅団」が事件を起こしたとして約200名のコミュニストを逮捕するが、捜査は中断して放置された。(Philip Willan, "Puppetmasters", Constable, 1991)(注) その事実に気づいた判事のひとりが操作の再開を命令、警察が爆発物について嘘の報告をしていたも発覚する。追い詰められたジュリオ・アンドレオッチ首相は1990年7月に対外情報機関SISMIの公文書保管庫を捜査することを許可、そこでグラディオの存在が確認され、報告書を出さざるを得なくなったわけだ。このあと、NATO加盟国で同じような秘密部隊が存在、ネットワークを形成していることも明らかになる。このネットワークを指揮してきたのは米英の情報機関だ。 全てのNATOにこうした秘密部隊は存在、それ以外でもオーストリア、フィンランド、スウェーデン、スイスなどにもあるとされている。スペインは1982年にNATOへ加盟する前から存在していた。つまり、フランスにもドイツにも存在している。(注)赤い旅団の幹部はひとりを除いて逮捕、収監され、残された若者に何らかの破壊活動をする能力はなかった。残った幹部のひとりは途中で入った人物で、背後にCIAが存在すると言う人もいる。
2016.07.23
中東やヨーロッパにおける支配力をアメリカは高めようとしてきたが、逆に影響力が低下している。アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)、あるいはネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使って「レジーム・チェンジ」を目論んできたのだが、破壊と殺戮をもたらしただけだった。そうした中、東アジアへ「転進」を図っているように見えるが、冷戦後、中国脅威論が盛んに言われた時期があった。 ジョージ・W・ブッシュがアメリカ大統領に就任した2001年1月当時、アメリカ政府は中国脅威論を叫び、東アジアの軍事的な緊張を高めようとしていたが、その後、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナなどの制圧に力を入れるようになって東アジアは静かになった。しかも2009年9月に総理大臣となった鳩山由紀夫は東シナ海を「友愛の海」にしようと提案している。それに対して胡錦濤主席はその海域を平和、友好、協力の海にしようと応じたと言われ、軍事的な緊張は低下しそうだった。 しかし、日本と中国が友好的な関係を築くことはアメリカの支配層にとって悪夢だ。マスコミは激しく鳩山を攻撃、2010年6月に首相の座から引きずり下ろすことに成功した。 その前から日本と中国との間に軍事的な緊張を高めようとしていたアメリカの好戦派は鳩山の発言を許せなかっただろう。2009年から11年までNSC(国家安全保障会議)のアジア上級部長を務めたジェフリー・ベーダーは講演会で鳩山の東アジア共同体構想を罵倒し、日米関係の最大の懸念だったとも語っている。 その一方、鳩山の盟友だった小沢一郎を日本のマスコミと検察は攻撃している。小沢は2008年9月に行われた民主党代表選で3選されたが、翌年5月に政治資金規正法違反の容疑で公設秘書が逮捕されて代表を辞任している。 しかし、その年の9月に小沢は幹事長に就任、2010年1月に秘書が逮捕されるが、検察は2月に小沢を不起訴にする。ところが4月に検察審査会が起訴相当だと議決、10月にも再度、検察審査会は起訴議決し、翌年の1月に強制起訴された。 結局、検察が「事実に反する内容の捜査報告書を作成」するなど不適切な取り調べがあったことが判明、この告発は事実上の冤罪だということが明確になったが、小沢のイメージを悪化させることには成功した。 鳩山が首相を辞めた後、2010年9月に尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、漁船の船長を逮捕した。この逮捕劇の責任者は国土交通大臣だった前原誠司。この後、日中友好の流れは断ち切られ、軍事的な緊張が高まっていく。 2011年3月11日に東北の太平洋側で巨大地震が起こった後、日本と中国の対立は緩和されたかに見えたが、その年の12月に石原慎太郎都知事(当時)の息子、石原伸晃が「ハドソン研究所で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言、今年4月には石原知事が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示した。石原慎太郎の発言が中国で広がった反日運動の直接的な原因だ。 ところで、中国脅威論の発信源は国防総省内部のシンクタンクONA(ネット評価室)のアンドリュー・マーシャル室長だとされている。マーシャルの師、バーナード・ルイスはイギリス軍の情報機関に所属したことがある親イスラエル派。 サミュエル・ハンチントンと同じようにルイスは「文明の衝突」を主張、その一方でイスラエルと同じようにサウジアラビアや湾岸の産油国をはじめとする独裁国家も支援していた。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) 冷戦時代、マーシャルはソ連脅威論の発信源だった。そのマーシャルが脅威を中国へ切り替えた理由は、勿論、1991年12月のソ連消滅にある。それ以降、ネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの好戦派は自らを「唯一の超大国」と位置づけ、世界制覇の方針、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」をスタートさせた。こうしたことは本ブログで何度も指摘してきた。 ソ連に止めを刺したアメリカ支配層の傀儡、ボリス・エリツィンが大統領を務めていた1991年7月から99年12月までロシアはウォール街の属国。アメリカは次の獲物に狙いを定めたわけだ。 尖閣諸島だけでなく、南シナ海でも中国はフィリピンやベトナムと領海問題で揉めているが、その背後にいるのはアメリカ。ベトナムと中国との関係を悪化させる一因はアメリカの巨大石油企業、エクソン・モービルの存在にある。問題の海域で同社は中国の警告を無視して掘削を強行していたのだ。それに対し、中国は5月2日に石油掘削装置「海洋石油981」を南シナ海のパラセル諸島に持ち込んだ。 また、シーレーン防衛の問題もある。これが言われ始めたのは1970年代の終わり頃。例えば、中東から石油や天然ガスを運ぶルートを守ろうと言うことだろうが、これだけの距離を守ることは事実上、不可能だ。日本やアメリカの支配層も当然、そうしたことを理解している。それにもかかわらず主張するのは、別に目的があるからだろう。その目的として、他国のエネルギー源輸送を断つことが考えられる。 当然、中国はアメリカの動きを警戒する。そこで、マラッカ海峡を避けるため、ミャンマーやパキスタンにパイプラインを建設しようと計画した。それに対し、アメリカはミャンマーとの関係改善を図り、事実上、アウン・サン・スー・チーが支配する体制を作り上げている。 よく知られているようにスー・チーの父親は「独立の父」と呼ばれるアウン・サン。その父は1947年7月、彼女が2歳の時に暗殺された。その後、インド駐在大使になった母親についてインドへ行き、そこで教育を受けた後、イギリスのオックスフォード大学を卒業してニューヨークへわたっている。将来の夫でイギリス人歴史学者であるマイケル・アリスト会うのはそこにおいてだ。 ミャンマーの新体制は中国との関係を弱める政策を推進、石油/天然ガスのパイプライン建設や銅山開発が問題になり、2011年9月には工事の中断が発表されている。 燃料の輸送だけでなく、シーレーンは中国の戦略で重要な位置を占めている。「一帯一路(シルク・ロード経済ベルトと21世紀海のシルク・ロード)」のうち、海のシルク・ロードだ。その海上ルートが始まる場所が南シナ海。そこをアメリカは潰そうと計画、日本はその計画に参加している。アメリカが言うところの「東アジア版NATO」の中核として日本、ベトナム、フィリピンを考え、そこへ韓国、インド、オーストラリアを結びつけようとしている。7月8日には韓国へTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムを配備することが決まったという。このシステムは攻撃用へすぐに変更できる。 6月1日に開かれた官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍晋三首相は「安全保障法制」について「南シナ海の中国が相手」だと口にしたというが、その背景にはアメリカの戦略があるということだ。安倍政権はアメリカ側から戦争準備を急ぐように急かされているのかもしれない。
2016.07.22
トルコのクーデター未遂について、背後に外国勢力が存在し、武装蜂起の数時間前にロシアの情報機関からトルコ政府へ警告があったという話がイスラム世界では流れている。イランも軍事蜂起が始まった2時間後にはクーデターを批判していた。ロシアもイランもクーデターが中東をさらに不安定化させると考えたようだ。エルドアン政権はこのクーデター未遂を利用、反対勢力を一掃し、支配体制を強化しようとしている。 クーデター計画の情報を最初につかんだのはシリアの北部に駐留しているロシア軍の通信傍受部隊で、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が滞在しているホテルへ数機のヘリコプターを派遣、大統領を拉致、あるいは殺害しようとしていることもトルコ側へ伝えたようだ。 サウジアラビアから流れてきた情報によると、同国の副皇太子で国防相でもあるモハンマド・ビン・サルマンがクーデターに関与している。この副皇太子と連携しているひとりがアラブ首長国連邦のモハンマド・アル-ナヒャン皇太子で、この人物はアメリカへ亡命しているフェトフッラー・ギュレンと関係があり、クーデターを始めるために2億ドルを提供したと主張する人がいる。エルドアン政権はクーデターの首謀者だとしてギュレンの名を挙げている。 ギュレンはCIAの手先としても知られ、この人物が主導する運動に支えられてエルドアンも実権を握ることができた。ところが2013年にふたりは仲違いし、今はCIAがギュレンを保護している。こうした背景もあり、今回のクーデターを仕組んだのはアメリカの支配層だと見る人は少なくない。アメリカの好戦派のプロジェクトにサウジアラビアを含むペルシャ湾岸諸国がカネを出すというパターンは1979年から続いている。 クーデターを企てた理由として、エルドアンがロシアに接近したことが考えられる。まず6月下旬にエルドアン大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に対してロシア軍機撃墜を謝罪、武装蜂起の直前、7月13日にトルコの首相はシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。トルコ政府がロシア政府に謝罪する前、6月19日にサウジアラビアのモハンマド・ビン・サルマン国防相はロシアを訪問、ウラジミル・プーチン露大統領と会っている。 ロシア軍のSu-24をトルコ軍のF-16が待ち伏せ攻撃したのは昨年11月24日だが、撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問し、トルコ軍の幹部と会談していた。内部告発支援グループのWikiLeaksによると、この撃墜は10月10日にエルドアンが計画しているが、アメリカ政府の許可を受けずにトルコ軍がロシア軍機を撃墜することはできないだろう。クーデターが鎮圧された後、ロシア軍機を撃墜したパイロットふたりがトルコで拘束されたという情報も伝わっている。 権力欲や金銭欲が原因だろうが、これまでエルドアンはアメリカの戦略に従って動いてきた。その結果、盗掘石油を売りさばくという個人的なビジネスで大儲けしたが、それもロシア軍の介入でうまくいかなくなり、シリアやロシアとの関係悪化のため、両国との取り引きが大きな比重を占めていたトルコ経済は破綻寸前だ。ロシアに接近しても不思議ではない。地獄へ突き落とされようとアメリカの好戦派に従属するというどこかの国が異常なのだ。 トルコの離反はアメリカにとって大きな打撃になる。シリア国民に選ばれたバシャール・アル・アサド政権を倒すためにアメリカ、サウジアラビア、イスラエルを中心とする勢力はアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を送り込み、破壊と殺戮を繰り広げてきた。 その拠点はトルコとヨルダンだが、特にトルコは重要。そこからシリアの侵略軍まで兵站線が伸びている。この拠点が使えなくなり、兵站線が断たれたなら、シリア侵略は不可能に近い。NATOの直接的な軍事侵攻はロシア軍との前面衝突に発展するだろうが、通常戦でNATOは勝てないというのが大方の見方だ。つまり、核戦争へ発展することになる。 ロシアの天然ガスを運ぶパイプラインの建設計画が復活した場合、ギリシャでも新たな動きが出てくる可能性が高く、ヨーロッパとロシアは接近する可能性が高まる。アメリカ支配層にとって悪夢だ。アメリカの巨大資本がヨーロッパを支配するためのTTIP(環大西洋貿易投資協定)が成立していればアメリカは利権を守り、拡大することができるだろうが、イギリスで実施されたEU離脱を問う国民投票、いわゆるBrexitでEUからの離脱を支持する人が多数を占め、TTIPは実現しない可能性が強まっている。 中東でロシアへの接近を図っている国はトルコ以外にもある。イスラエルだ。ベンヤミン・ネタニヤフ首相は盛んにモスクワを訪問、6月7日にプーチン大統領と会談している。その一方で国防大臣にアビグドル・リーバーマンを据えた。狂信的なユダヤ至上主義者として知られているが、ロシア政府にパイプを持っている人物でもある。ロシア側からはパレスチナとの和平プロセスを進めるべきだと言われているようだが、それでもイスラエルはロシアとの関係を強めようとしている。 最近もアメリカが主導する連合軍の空爆で市民数十人が殺され、地上では子どもの首が切り落とされるという出来事があった。アサド体制の打倒に執着、そのためにアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュのような戦闘集団を使ってきたが、そのひとつの結果だ。今後、こうした戦闘集団に日本が攻撃されるかどうかは、アメリカ支配層の判断次第。彼らがそうした集団の雇い主だからだ。
2016.07.21
東京都知事選挙のキャンペーンが展開されている。投票日は10日後の7月31日。有力候補と言われているのは増田寛也、小池百合子、そして鳥越俊太郎だというが、その鳥越の「スキャンダル」を週刊文春が掲載するという。 岩上安身のツイッターなどによると、流れは次のようになる。 かつて「鳥越が女子学生をレイプした」という噂が流れ、週刊新潮が取材したのだが、掲載できる話ではなかった。ボツになったわけだが、それを週刊文春が拾い、取材が不十分なまま掲載するようだ。ところが、その中身は鳥越が学生にキスをしたというものだという。鳥越はその事実も否定している。鳥越の代理人である弘中淳一郎弁護士は名誉毀損および選挙妨害で東京地検に刑事告訴するという。 勿論、奇妙だとも不可解だとも思わない。この程度のネタしか攻撃に利用できなかったということだろうが、アメリカのネオコン/シオニストも信憑性が全くない怪しげな話を発信、それを有力メディアが大々的に「報道」して雰囲気を作るということをしてきた。 日本でも似たようなことが行われている。小泉純一郎、安倍晋三たちが推進してきた新自由主義的が自分たちにとって利益にならないことを国民が悟り、小沢一郎と鳩山由紀夫がリードする民主党へ流れたことがあるが、これはアメリカの支配層にとって好ましくない展開。そうした中、2006年6月3日号の週刊現代は「小沢一郎の“隠し資産6億円超”を暴く」という記事を掲載している。 2009年11月には「市民団体」が陸山会の04年における土地購入で政治収支報告書に虚偽記載しているとして小沢の秘書3名を告発、翌年の1月に秘書は逮捕された。また「別の市民団体」が小沢本人を政治資金規正法違反容疑で告発し、2月には秘書3人が起訴された。この間、ほかのメディアも反小沢キャンペーンを展開している。問題になるような話ではなかったが、マスコミが作り出した雰囲気もあり、小沢は潰された。 しかし、後に検察が「事実に反する内容の捜査報告書を作成」するなど不適切な取り調べがあったことが判明、この告発は事実上の冤罪だということが明確になっている。それでも小沢のイメージを悪化させることには成功、今でも受けたダメージから回復できていない。 マスコミは鳩山攻撃も展開、鳩山は2010年6月に総理大事の座から降りざるをえなくなる。その後任になった菅直人は消費税の増税と法人税の減税という巨大企業を優遇する新自由主義的政策を打ち出して庶民からの支持を失い、首相就任の3カ月後には海上保安庁が尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、日本と中国との友好関係は急ピッチで崩れ始めた。 週刊現代の記事から鳩山の退任まで4年かかっている。鳥越の場合、立候補を予想していなかったのか、やっつけ仕事の印象は否めない。想定されたストーリーに合う事実がなく、編集部はかなり無理をしている印象だ。 ある種の人びとは、どうしても都知事を鳥越にしたくないのだろう。勿論、宇都宮健児が知事になることはそれ以上に嫌っていただろうが。 現在、東京都はいくつもの問題を抱えている。例えば臨海副都心開発の破綻、築地市場の移転問題、労働環境の悪化や貧困の拡大といった経済問題、教育の統制、オリンピックを口実とした治安体制の強化(監獄都市化)、また東電福島第一原発の事故による放射性物質の汚染による健康被害が顕在化する可能性もある。アメリカ軍が管制権を握っている横田空域の問題も未解決だ。こうした問題が表面化するかどうかは、誰が知事になるかにかかっている。
2016.07.20
日本のマスコミを批判する際、「中国や北朝鮮と同じ」だと表現する人がいる。それに対し、「アメリカ、イギリス、ドイツと同じ」と書いたり言ったりする人は見かけない。こうした欧米の国々では何も心配せず、支配層に都合の悪い情報を発信し、自由に発言できるとでも思っているのだろうか? 勿論、こうした国々に限らないが、有力メディアは急成長した新興宗教と同じように、情報機関などが関与していることが少なくない。情報を操作し、庶民をコントロールすることが目的だ。「社会の木鐸」でも権力を監視する「番犬」でもない。モッキンバード 第2次世界大戦後、アメリカの支配層は情報を操作するためのプロジェクトをスタートさせたと言われている。そのプロジェクトの名前は、ジャーナリストのデボラ・デイビスによると、モッキンバード。そのプロジェクトを指揮していたのは4人で、大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近でOPCの局長だったフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) グラハムは大戦中、陸軍の情報部に所属し、東南アジアで活動していた。そこでCIAの前身であるOSS(戦略事務局)の幹部だったダレス、ウィズナー、ヘルムズと親しくなったと言われている。この関係のおかげでワシントン・ポスト紙は戦後になって急成長し、「有力紙」と呼ばれるようになった。このフィリップ・グラハムはジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺、後を引き継いだのが妻のキャサリン・グラハム。 モッキンバードを率いていた4名は巨大金融資本と深いつながりがある。まずダレスとウィズナーはウォール街の弁護士であり、ヘルムズの祖父にあたるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家。フィリップの場合、妻のキャサリンの父親が世界銀行の初代総裁になったユージン・メイヤーだ。クーデター計画 アメリカの情報機関は金融資本と深く結びついている。ドイツ軍がソ連に向かって進撃を開始(バルバロッサ作戦)した1941年6月、フランクリン・ルーズベルト(FDR)米大統領はさまざまな機関の情報を統合する目的で旧友のウィリアム・ドノバンをCOI(情報調整官)に任命する。ドノバンはウォール街の弁護士だった。 1942年6月にドノバンを長官とする戦時情報機関、OSSが創設され、特殊工作を担当させるためにSO(秘密工作部)を設置した。このSOを指揮することになるアレン・ダレスはドノバンの弁護士仲間だった。このSOがイギリスのSOE(特殊作戦執行部)と共同で創設したゲリラ戦部隊がジェドバラで、その人脈がOPCやアメリカ軍の特殊部隊を作り上げている。(こうした経緯があるため、特殊部隊は正規軍よりCIAに近い。)1950年10月にOPCはCIAの内部に入り込み、翌年1月になるとアレン・ダレスがCIA副長官に就任、OPCが中心になって計画局が誕生した。その後、1973年3月に名称は作戦局に変更され、2005年10月にはNCS(国家秘密局)になった。 情報機関の背後に存在している金融資本はFDRが率いていたニューディール派と対立関係にあり、1933年から34年にかけてニューディール派を排除するためのクーデターを計画したとする議会証言が残っている。FDRは退任すべきだという雰囲気を国民の間に広めるため、クーデター派は大統領の健康状態が悪化しているというキャンペーンを新聞にやらせるプランを持っていたともいう。 議会で証言したスメドリー・バトラー少将は名誉勲章を2度授与されたアメリカの伝説的な軍人。軍隊内で人望を集めていたことからクーデター派は彼を抱き込もうとしたのだが、失敗して計画が露見することになった。同じ頃、民主党の内部でニューディール政策に反対する議員がアメリカ自由連盟を設立している。 バトラー少将の知り合いでジャーナリストのポール・フレンチも議会で証言している。彼によると、クーデター派は「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたという。クーデター派はドイツのナチス、イタリアのファシスト党、フランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を学んでいたようだ。 クーデターの誘いを断ったバトラー少将はウォール街のメンバーに対し、ファシズム体制の樹立を目指すつもりなら自分はそれ以上を動員して対抗すると告げたという。ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろというわけである。こうした展開になったこともあってクーデターは中止になったものの、クーデター派が摘発されることもなかった。FDR側も内戦を恐れた可能性が高い。 第2次世界大戦で連合国の勝利が明確になると親ファシストのクーデター派を追及する動きが出てくるのだが、これは1945年4月12日に執務室で急死したことで止まり、ホワイトハウスにおけるウォール街の影響力は強まっていった。この頃、すでにアレン・ダレスたちはナチスの高官と接触、ソ連側から単独講和を目論んでいると抗議されている。JFK暗殺 メディアと情報機関との関係を示す出来事がジョン・F・ケネディ大統領暗殺の際に見られた。現場を撮影した写真やフィルムが行方不明になる中、エイブラハム・ザプルーダーが撮影した8ミリ・フィルムは残された。 いわゆるザプルーダー・フィルムだが、暗殺事件の翌日、そのフィルムに関する権利をLIFE誌が買い取ってシカゴの現像所へ運び、オリジナルはシカゴに保管、コピーをニューヨークへ送ったが、同誌の発行人だったC・D・ジャクソンの命令で一般に公表されることはなかった。それが表に出てきたのは1969年2月。ルイジアナ州ニュー・オーリンズの地方検事だったジム・ギャリソンの求めで法廷に提出され、映写されたのだ。 このC・D・ジャクソンはドワイト・アイゼンハワー大統領のスピーチライターを務めた人物で、モッキンバードの協力者でもあったが、その裏ではCIA計画局の秘密工作を監督していた工作調整会議の議長を務めていた。ジャクソンの後任議長はネルソン・ロックフェラーだ。ジャクソン自身、ケネディ暗殺に関与していた可能性があるのだが、1964年9月に62歳で死亡しているので確認はできていない。ウォーターゲート事件 ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだことでワシントン・ポスト紙の評価は一気に高まった。言論の自由を象徴する存在になったのだが、その事件の取材はふたりの若手記者、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインが行った。 この事件のニュースソースだった「ディープ・スロート」を連れてきたウッドワードはエール大学の出身で、1965年に大学を出てから海軍に入り、69年から70年にかけてトーマス・モーラー海軍作戦部長(後に統合参謀本部議長)とアレキサンダー・ヘイグとの連絡係を務めていた。ヘイグはヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官の軍事顧問だった。 ウッドワードをワシントン・ポスト紙へ入れたのは同紙のポール・イグナチウス社長。この人物は1969年まで海軍長官を務めていた。コネで同紙に採用され、1年間の研修を経てウッドワードはワシントン・ポスト紙の記者になる。その直後のウォーターゲート事件だ。(Russ Baker, “Family of Secrets”, Bloomsbury, 2009) 当時、ウッドワードは記者として素人で、実際の取材と執筆はカール・バーンスタインが行っていたという。そのバーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。 それによると、まだメディアの統制が緩かった当時でも400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 反コミュニストで売り出したニクソンだが、大統領になるとデタント(緊張緩和)へ舵を切っていた。そのニクソンが排除され、デタント派は粛清されたことは本ブログで何度か指摘した。ネオコン/シオニストが台頭したのはそのときだ。 好戦派はベトナム戦争で負けた理由をメディアに求めた。一部の記者が戦争の実態を伝え、反戦運動が広がったせいだと考えたわけだ。そこで1970年代の後半から報道統制が強化される。規制緩和で巨大資本がメディアを支配しやすい体制を作り上げ、気骨ある記者や編集者を排除し始めたのだが、そうした流れを日本も追いかけている。国際テロリズム ズビグネフ・ブレジンスキーのプランに従い、CIAは1979年4月にイスラム武装勢力を編成、戦闘員を軍事訓練し、武器や兵器を供給し始めている。これは本ブログで何度も書いてきたが、その年の7月上旬にエルサレムでアメリカとイスラエルの情報機関関係者が「国際テロリズム」に関する会議を開催している。 1960年代までアメリカは「アカの脅威」を宣伝、その一方でイタリアのグラディオのようなNATOの秘密部隊を使い、「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返したりしていた。人びとを恐怖させるタグを「アカ」から「テロ」へ切り替えたのである。 アメリカから会議に出席したメンバーの中にはジョージ・H・W・ブッシュ元CIA長官(後の大統領)、CIA台湾支局長を経て副長官を務めたレイ・クライン、ブッシュ長官の時代にCIA内でソ連の脅威を宣伝する目的で偽情報を流していたチームBのリーダーだったリチャード・パイプス、「ジャーナリスト」のアーノウド・ド・ボルクグラーブとクレア・スターリングらが含まれていた。 その後、スターリングたちは「テロの黒幕はソ連」という話を流しはじめるが、その宣伝にはポール・ヘンツェとマイケル・リディーンが協力している。ヘンツェはフリーランスのジャーナリストと名乗っていたが、その実態はCIAのプロパガンダ専門家で、ブレジンスキーの人脈に属していた。リディーンはネオコンで、アメリカやイスラエルの情報機関に近く(A. O. Sulzberger, Jr., “U.S. Overseas Radio Stirs Dispute Again," New York Times, May 15 1980)、1980年頃にはイタリアの対外情報機関SISMIで働いていた。グラディオを動かしていた機関だ。その当時、アメリカの国務長官はヘイグ、政策企画本部長はポール・ウォルフォウィッツ、顧問としてリディーンも入り込んでいた。 CIAでソ連関連の情報を分析する部門を統括していたメルビン・グッドマンによると、スターリングの示す「証拠」はCIAがヨーロッパのメディアに植え付けた「ブラック・プロパガンダ」、つまり偽情報だったが、ウィリアム・ケーシーCIA長官はスターリングの話を信じ切っていたという。ケーシーと同じように、日本にもスターリングを「テロの専門家」として崇めていた人がいた。プロジェクト・デモクラシー 1981年にロナルド・レーガンが大統領になると、メディア操作が本格化する。その中心にいた人物はCIAのオフィサーでNSC(国家安全保障会議)のスタッフだったウォルター・レイモンド。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004) レーガン大統領は1983年1月にNSDD(国家安全保障決定指示)77に署名、プロジェクト・デモクラシーをスタートさせた。名称に「デモクラシー」が入っているが、勿論、本来の民主主義とは全く関係がない。その目的は、アメリカの巨大資本にとって都合の悪い国家、体制を崩壊させることにある。つまり、デモクラシーを掲げて行うデモクラシーの破壊だ。 その後、1990年代には人道もタグに加えられ、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて以降、アメリカをはじめとする西側ではメディアの中から事実を探し出すことが困難になる。例えば、イラクを先制攻撃する際の口実に使われた大量破壊兵器は真っ赤の嘘だった。情報が間違ったのではない。嘘だということを承知で侵略したのだ。 情報機関と報道機関が癒着しているのはアメリカだけでない。2014年9月にはフランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者、ウド・ウルフコテが本を出版、内部告発している。それによると、ドイツを含む多くの国でジャーナリストがCIAに買収され、例えば、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているという。 同年8月、ドイツの経済紙ハンデスブラットを発行しているガボール・シュタイガートは「西側の間違った道」と題する評論を発表、「西側」は戦争熱に浮かされ、政府を率いる人びとは思考を停止して間違った道を歩み始めたと批判している 日本でもマスコミの劣化は1980年代から急速に進んでいる。1991年に開かれた「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く800人の団体」が主催する講演会の冒頭、「ジャーナリズムはとうにくたばった」と、むのたけじは発言したという(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)が、その通りだ。
2016.07.20
アメリカ資本に買収されたオリンピックに公正さを期待する方が無理というもの。イラクを先制攻撃する際、存在しないことがわかっている大量破壊兵器を口実にしていたことでも明らかなように、アメリカの政府やメディアの宣伝を真に受ける人がいるとするならば、よほど愚かなのか、勝ち馬に乗る習性が身についてしまっているかだろう。 オリンピックにアメリカのネットワーク局が大きな影響力を持っていることは言うまでもないが、そのネットワーク局はアメリカ支配層の宣伝部だ。オリンピックもプロパガンダの道具にすぎない。 もっとも、アメリカの前にもオリンピックを宣伝に使った体制が存在する。ナチス時代のドイツだ。1936年にベルリンで夏季オリンピックが開催されたのだが、聖火リレーを始めて導入したのはこの時。各国の道路事情を調査するのに利用したとも言われている。テレビ放送されたのもこと大会が最初だ。 施設の建設などで経済を刺激するという側面もあるが、最近では「テロ対策」と称して治安体制を強化している。その典型例が2012年のロンドン・オリンピック。顔の識別も可能な監視カメラを張り巡らせ、無人機による監視も導入、通信内容の盗聴、携帯電話やオイスター・カード(イギリスの交通機関を利用できるICカード)を利用した個人の追跡も実用化させた。海兵隊や警察の大規模な「警備訓練」も実施され、本番では警備のために軍から1万3500名が投入されたという。 国民から基本的人権を奪い、日本を収容所列島にしたがっている安倍晋三政権が同じことをしないはずはない。彼らがオリンピックを開催したがったひとつの理由はここにあるとも考えられる。 2020年に東京で開催が予定されている夏期オリンピックは、ファシズム化の促進に利用される可能性が高いと本ブログでは指摘していた。オリンピックの治安対策のため、基本的人権を制限するという発言が出てくるのは必然だ。東電福島第一原発の危機的な状況が続く中、東京が開催地として選ばれたのは、日本のファシズム化を望んでいるアメリカ支配層の思惑も影響したのだろう。
2016.07.19
イギリス議会で行われた潜水艦搭載の弾道ミサイルに関する討論で、ジョージ・ケレバン議員から10万人の罪なき男性、女性、そして子どもを殺すことができる核攻撃を許可する用意ができているのかと聞かれたテレサ・メイ首相は間髪入れず「はい」と答えた。必要ならば、核兵器の発射ボタンを押すと明言したのである。 勿論、現在の核兵器なら10万人を遙かに上回る人を1発で殺すことができるが、それでも使用を前提にして保有しているはず。ただ、その重みを感じているならば、違った表現を使っただろう。通常、こうした質問を受けた場合は、仮定の話には答えられないと言って逃げるのだが、メイ首相は違った。 2003年3月にアメリカ軍がイラクを先制攻撃した際、イギリス軍も攻撃に参加した。その際にイギリス政府はイラクが大量兵器を保有しているという「間違った情報」を流布しているのだが、その経緯などを調べていたジョン・チルコットを委員長とする独立調査委員会(チルコット委員会)の報告書が7月6日に公表されている。その中でフセインについて、イギリスにとって差し迫った脅威ではなく、戦争は不必要だったなどとしている。全面核戦争の場合、「間違った情報」で始められてもこのケースとは違い、報告書で批判されることはないだろう。 昨年10月25日、問題の時期に首相だったトニー・ブレアはCNNの番組で「自分たちが知らされた情報が間違っていた事実」を謝罪しているが、当時、アメリカやイギリスの軍事侵攻を正当化するために宣伝された大量破壊兵器の話は「間違った情報」ではなく、攻撃するために「作られた情報」だった。 そうした情報の中でも重要なものは、2002年9月にトニー・ブレア政権が作成した「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」。いわゆる「9月文書」だ。これはメディアにリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載している。 この報告書に疑問があることは最初から言われていたが、米英軍がイラクへ攻め込んだ2カ月後、2003年5月29日にBBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語り、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。2004年10月にはジャック・ストロー英外相が「45分話」を嘘だったと認めている。 CNNでブレアが弁明する直前、ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めていたコリン・パウエルの書いたメモの存在が明らかにされている。2002年3月28日にブレア首相はパウエルに対し、アメリカの軍事行動に加わると書き送っているのだ。この時点、つまり開戦の1年前にでブレアは開戦に同意していることになる。 この嘘で始められた戦争でイラクは破壊され、多くの人が殺された。アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2003年の開戦から2006年7月までに約65万人のイラク人が殺されたという。(Gilbert Burnham, Riyadh Lafta, Shannaon Doocy, Les Roberts, “Mortality after the 2003 invasion of Iraq”, The Lancet, October 11, 2006)また、イギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。 謝罪したとはいうが、ブレアは逆風を弱めようとしただけで、これだけのイラク人を殺したことを反省しているようには見えない。 犠牲者数もさることながら、核兵器の場合は放射性物質による環境破壊も深刻だ。現在、アメリカ/NATOは核戦争を始める準備を進めている。恐怖からロシアは自分たちに屈服すると考えているようだが、そうした相手ではない。核兵器で攻撃すれば、当然、反撃される。 1957年初頭に作成された300発の核爆弾でソ連の100都市を破壊するという「ドロップショット作戦」でもそうだったが、アメリカの好戦派は相手に反撃されることを心配していない。キール・リーバーとダリル・プレスが2006年にフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)へ載せた論文でもロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張していた。その結論が間違っていることをロシア軍は示しているが、それでもアメリカの好戦派はロシアへの挑発を強め、軍事的な緊張を高めている。 アメリカの次期大統領になるかもしれないヒラリー・クリントンもテレサ・メイと似た好戦派。このふたりによって全面核戦争が始まるかもしれない。
2016.07.19
カネと情報が流れていく先に権力は存在している。歴史を振り返れば明らかだ。「トリクル-ダウン」、つまり富裕層や巨大企業を儲けされれば庶民へも富がしたたり落ちると主張、「安全保障」のために秘密保護、つまり情報を一部の人びとが独占する必要があるとする主張は、権力を集中させようという戦略に基づいて行われてきた。民主主義の否定だ。 1970年代から世界に広がった新自由主義は資金の流れを円滑にし、投機規制を撤廃させて資金が金融市場へ流れ込む仕組みを作り上げた。それによって豊かになるのは富裕層や巨大企業であり、そこに権力は生じる。 こうしたカネの流れができると、当然、庶民が生活する空間へ流れ込む量は細り、不景気になる。安倍晋三首相が日銀の黒田東彦総裁と組み、景気回復のためと称して進めてきた「量的・質的金融緩和」、いわゆる「異次元金融緩和」が景気を回復させないことは明らかだろう。この政策を進めても資金は世界の投機市場へ流し込むだけで、インフレではなくバブルが発生する。 こうしたことも含め、庶民に知られてはならない情報を支配層は持っている。マスコミや学者を管理することでこれまでも情報を支配層は統制してきたが、安倍政権は「秘密保護法」を成立させて統制を強化した。今後、庶民に知られるとまずい情報が増えていくという見通しもあるのだろう。 言論の自由が脅かされていると主張する人に対し、そうした主張ができるのは言論の自由がある証拠だと揶揄する声を聞くこともある。何も発言できない完全な情報統制の状態以外なら言論の自由はあると言いたいのだろう。完全な言論統制を願っているとしか考えられない。 アメリカと同じように、1970年代の後半から言論統制は日本でも強化されてきた。西側全体で見ると2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから統制の度合いは格段に強まっているが、日本の場合、その象徴的な出来事は「9/11」の前、2001年1月に起こっている。 2001年1月30日にNHKは「女性国際戦犯法廷」を題材にしたETV特集「問われる戦時性暴力」を放送したのだが、放送前日の29日にNHKの松尾武放送総局長(当時)と、国会対策担当の野島直樹・担当局長(同)らが中川昭一や安倍晋三に呼び出され、議員会館などで面会、放送内容を変えさせたのである。 安倍の立場は「強制性があったことを証明する証言や証拠がない」というものだが、裁判所は違った判断をしている。東京高裁が2007年1月29日に言い渡した判決によると、松尾放送総局長や野島国会担当局長が国会議員などと接触した「際、相手方から番組作りは公正・中立であるようにとの発言がなされた」ため、「松尾総局長らが相手方の発言を必要以上に重く受けとめ、その意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、直接指示、修正を繰り返して改編が行われたものと認められる。」 その安倍が首相になっている現在、言論統制が強化されるのは必然だろう。 2008年11月、トヨタ自動車の相談役だった奥田碩は首相官邸で開かれた「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」で、「正直言ってマスコミに報復してやろうか。スポンサーでも降りてやろうか」と発言、マスコミの編集権に経営者が介入するやり方があるとも口にしているが、広告はマスコミ圧力を加える有効な手段であり、その広告を取り仕切っている広告会社が大きな力を持つことになる。 安倍たちが行ったように、政府からの圧力も効果がある。日本では特に有効な方法だ。学校やメディアで行われてきた「洗脳」で、コミュニズム、中国、朝鮮といった単語を聞いたり読んだりすると嫌悪感を催すようになっていることもプロパガンダを容易にしている。 このほか、マスコミをコントロールするため、暴力や融資も利用される。1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃された事件の真相は不明だが、マスコミの報道姿勢に少なからぬ影響を与えたようだ。おそらく、それより効果的な手段は融資打ち切りの脅し。融資を打ち切られれば、会社の存続は困難になる。特に経営状況が良くない新聞社には効果的だろう。 日本の場合、何らかの方法で「空気」を作り出せば、マスコミ側が勝手に自主規制を始める。理想、理念、目標がないためなのか、彼らは雰囲気や空気を読み、成り行きに従って行動、自主規制や自主検閲を強化してきた。戦前も戦後も変化はない。
2016.07.19
7月15日にトルコで武装蜂起があったが、短時間で鎮圧された。クーデターの首謀者のひとりとされるアクン・トツトゥルク元空軍参謀長は1996年から98年にかけてイスラエル駐在武官を務めた人物。(注1)蜂起の背景は不明だが、ふたつの説が有力だ。ひとつは、アメリカへ亡命中のフェトフッラー・ギュレンがアメリカ政府と組んで実行したというものであり、もうひとつはレジェップ・タイイップ・エルドアン政権の自作自演、いわゆる偽旗作戦だというものだ。 武装蜂起の直後からエルドアン政権はその首謀者としてギュレンの名前を挙げていた。エルドアンはギュレンの運動に支えられて実権を握ることができたのだが、2013年に仲違いし、今はCIAがギュレンを保護している。それに対し、エルドアン大統領はここにきてロシアへの接近を図っている。(注2) まず6月下旬にエルドアン大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に対してロシア軍機撃墜を謝罪、武装蜂起の直前、7月13日にトルコの首相はシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。アメリカから離れ始めようとしているように見える。 本ブログで繰り返し指摘しているように、シリアでの戦闘は内戦でなく侵略戦争。イラクやリビアと同じように、侵略の中心はアメリカやNATO、サウジアラビアやカタールのようなペルシャ湾岸産油国、イスラエル。シリアの場合、そこにトルコが加わった。 2011年10月にリビアのアンマル・アル・カダフィ体制が倒されると、侵略勢力は戦闘員や武器/兵器をベンガジからトルコ経由でシリアの侵略軍へ運び始める。シリアでもリビアと同じようにNATOの空爆と地上の侵略部隊をリンクさせようと考えたようで、12年にはNATOの軍事介入を正当化する目的で西側メディアを使ったプロパガンダが本格化した。 西側メディアが「情報源」にしたのはダニー・デイエムなる人物やロンドンを拠点とする「SOHR(シリア人権監視所)」。この「人権擁護団体」は個人事務所に近い存在で、アメリカの反民主主義的な情報活動を内部告発したエドワード・スノーデンが所属していたブーズ・アレン・ハミルトン、プロパガンダ機関のラジオ・リバティが存在していると指摘され、MI5(イギリスの治安機関)に操られているとも噂されている。 デイエムはシリア系イギリス人で、シリア政府による「流血の弾圧」を主張し、外国勢力の介入を求めていたのだが、2012年3月に化けの皮が剥がれる。「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像がインターネット上へ流出してしまったのだ。デイエムの正体が露見したあとも西側メディアは謝罪や訂正をしていない。 2012年5月にホムスで住民が虐殺され、西側の政府やメディアはシリア政府軍が実行したと宣伝しはじめる。この出来事を利用してバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしたわけだが、事実との間に矛盾点が多く、すぐに嘘だとばれてしまう。例えば、現地を調査した東方カトリックの修道院長は反政府軍のサラフィー主義者や外国人傭兵が実行したと報告、その内容はローマ教皇庁の通信社が伝えた。ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙もキリスト教徒やスンニ派の国会議員の家族が犠牲になっていると伝えている。 その修道院長は、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っている。西側のメディアが破壊と殺戮を広めるため、偽情報を流しているというわけだ。現地で宗教活動を続けてきたキリスト教の聖職者、マザー・アグネス・マリアムも外国からの干渉が事態を悪化させていると批判している。 反シリア政府軍の主力はサラフ主義者/ワッハーブ派、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)であり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると、アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は2012年8月に作成した報告書で指摘している。「穏健派」は事実上、存在しないと警告しているわけだ。 ところが、ロサンゼルス・タイムズ紙によると、2012年後半からCIAとアメリカの特殊部隊は戦車や防空システムを使った軍事訓練をトルコやヨルダンの基地で秘密裏に行っている。これはバラク・オバマ政権の決定に基づくもの。それを知った上での決定だ。NATOを軍事介入させる口実作りに失敗したアメリカ政府は侵略軍の強化に乗り出したと言えるだろう。 2012年8月当時にDIAの局長だったマイケル・フリン中将は退役した後、アル・ジャジーラのに対してダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の勢力が拡大したのはオバマ政権が決定した政策によると語っているが、それにはこうした背景があった。アメリカ政府が方針を変えなければ、その勢力はシリア東部にサラフ主義の支配地を作りあげるとDIAは予測していたが、実際、その通りになる。こうした経緯を考えても、アメリカ政府がダーイッシュやアル・カイダ系武装集団を本気で攻撃するはずのないことがわかる。 こうしたアメリカの工作が外部へ漏れ始める中、2013年に入ると西側はシリア政府軍による住民虐殺、あるいは化学兵器の使用といった話を流す。攻撃の直後に現地を調査したマザー・アグネス・マリアムはいくつかの疑問を明らかにしている。(PDF) 攻撃の直後、ロシアのビタリー・チュルキン国連大使はアメリカ側の主張を否定する情報を国連で示して報告書も提出、その中で反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾していることを示す文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。 そのほか、化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事も書かれ、12月になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。また、国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 2013年8月の化学兵器使用について、トルコの国会議員エレン・エルデムらは捜査記録などに基づき、トルコ政府の責任を追及している。化学兵器の材料になる物質はトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったというのだ。この事実を公表した後、エルデム議員らは起訴の脅しをかけられている。 この化学兵器話を口実にしてNATOがシリアを攻撃するのは決定的であるかのような話が流れ、9月3日には地中海からシリアへ向かって2発のミサイルが発射された。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、その事実が公表されるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまった。イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表しているが、ジャミングなど何らかの手段で落とされたのではないかと推測する人もいる。 エルドアンとギュレンが袂を分かった2013年とはこうした年。9月上旬にNATOはシリアに対する本格的な軍事介入を始めると言われ、攻撃が予想されていた日に発射されたミサイルが地中海へ落ち、この出来事を切っ掛けにしてNATOの軍事介入は遠のく。その翌年に新たな武装集団として、ダーイシュが登場してきたわけだ。 これ以降、ロシア軍は西側に対し、自分たちの攻撃力を示して警告しはじめるが、ネオコン/シオニストはダーイッシュやネオ・ナチを使って侵略作戦を続けている。その手先になっているのがNATOだ。現在、NATOやその背後にいる好戦派は核戦争でロシア政府を脅している。自分たちに服従しなければ人類は滅亡だというわけだ。 CIAの手先として動いていたギュレンをエルドアンが国外へ追放する形になってもアメリカはエルドアンを切ることはなかった。トルコなしにシリアを攻撃することもロシアに圧力をかけることも難しくなるからだ。今回のクーデター未遂後もアメリカ政府はすぐ、「民主的に選ばれたトルコの文民政府を絶対的に支援する」と声明を出している。この声明を聞き、「民主的に選ばれたウクライナの文民政府」をクーデターで倒した政府がぬけぬけとよく言うよ、と思った人もいるだろう。 偽旗作戦ではないかと言われるのはこのクーデター計画が稚拙で、失敗した結果、治安体制が強化され、反対派の弾圧に利用されつつあるからだ。逮捕者リストは武装蜂起の前にできあがっていたとも言われている。また、反乱軍の戦闘機が大統領を乗せた旅客機を確認したにもかかわらず攻撃しなかったことも疑問を膨らませる一因になっている。(注1)当初、トツトゥルク元空軍参謀長はクーデターを企てたと認めたと報じられたが、後にこの報道は撤回された。(注2)昨年11月にロシア軍のSu-24を撃墜したトルコ軍のパイロットふたりをトルコ政府は逮捕したとする報道がある。そのうちひとりは今回のクーデター未遂に参加していたという。
2016.07.18
オランダのハーグにある「常設仲裁法廷(PCA)」は南シナ海で中国とフィリピンが争っている領有権の問題でフィリピンの主張に沿う仲裁を出したようだ。ちなみに、このPCAは1899年に設立された仲裁機関で、裁判所ではない。国際司法裁判所とは別の組織だ。この問題で仲裁にあたった法律家はアメリカ、フランス、ポーランド、オランダ、ドイツの出身。南シナ海の領有権問題は事実上、中国とアメリカの争いであり、このメンバーを見るだけで結果は明らかだった。マルコ・ポーロの『東方見聞録』くらいは読んでおくべきだったとも揶揄されている。 この問題をPCAに持ち込んだのはフィリピンの大統領だったベニグノ・アキノ3世。父親は1983年8月にマニラ国際空港で殺されたベニグノ・アキノ・ジュニアで、母親は86年2月から92年6月まで大統領を務めたコラソン・アキノだ。 コラソンが大統領に就任した1986年2月には、それまでフィリピンに君臨していたフェルディナンド・マルコスがアメリカ軍によってフィリピンの外へ連れ出されている。本ブログではすでに紹介したことだが、この拉致作戦の黒幕はポール・ウォルフォウィッツだと言われている。当時、彼は東アジア太平洋問題担当の国務次官補だった。その直後、4月からインドネシア駐在のアメリカ大使に就任している。 両親と同じようにベニグノ・アキノ3世はアメリカの支配層と関係が深く、南シナ海の領有権問題で中国と話し合うことを拒否していたが、今年6月に大統領はロドリゴ・ドゥテルテに交代、新政権は中国と話し合いで解決する姿勢を示し、経済関係の修復も図りつつある。ドゥテルテ大統領が中国に会談を申し入れたのは、PCAが仲裁を示す1週間前のことだった。 領有権問題で中国側は数千年にわたって自分たちが主権を保持してきたと主張しているようだが、この地域は歴史的に何度も支配者が入れ替わり、欧米の植民地にもなっていて複雑な問題を抱えている。当事者が話し合うしかないのだが、それを最も嫌っているのがアメリカだ。 日本と中国との間でも領有権をめぐる争いがある。言うまでもなく尖閣諸島(釣魚台群島)の問題だが、1972年に田中角栄と周恩来はこれを「棚上げ」にすることで合意した。周は「大同を求めて小異を克服」すべきだと提案、田中は「具体的問題については小異を捨てて、大同につくという周総理の考えに同調する」と応えたとされている。 これによって日本と中国との交流は進み、日本企業にとって中国は重要な生産拠点、そして消費地になった。ウィン-ウィン、つまり両国にとって好ましい方向へ進んだわけだ。その関係を破壊する動きが日本で表面化したのが2010年9月。「日中漁業協定」を無視する形で尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が取り締まったのだ。 ベニグノ・アキノ3世がフィリピンの大統領に就任したのは、海上保安庁が協定を無視して取り締まる3カ月前の2010年6月。領有権の問題で中国と対決する意思を示すため、2011年には南シナ海を西フィリピン海と呼ぶことを決めている。 ドゥテルテ政権は中国と話し合う姿勢を示しているが、これでこの海域が平和になるようには見えない。PCAの仲裁を利用してアメリカが軍事的な挑発、例えば軍艦や軍用機をこれまで以上に露骨な形で送り込んでくる可能性が高いからだ。当然、中国もそうした展開を予測、対抗してくると見られている。そこにロシアも絡んでくるだろう。非常に危険な状況へ向かっている。その海域へ安倍晋三政権は足を踏み入れているわけだ。 6月1日に開かれた官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍晋三首相は、「安全保障法制」について「南シナ海の中国が相手」だと口にしたという。この話は週刊現代のサイトで取り上げられ、国外でも問題になった。 ネオコン/シオニストをはじめとするアメリカの好戦派が中東やウクライナで進めている侵略計画は思惑通りに進まず、「同盟国」や「友好国」の離反が始まっている。闇雲に軍事的な圧力を強め、ロシアとの核戦争が現実味を帯びてきたことから危機感を持つ人が増えている。そうした中、アメリカの支配層は東アジアへ「転進」を図っているように見える。この海域が核戦争の発火点になる可能性があるということだ。
2016.07.17
トルコでレジェップ・タイイップ・エルドアン体制の打倒を目指すクーデターが試みられ、失敗したようだ。現政権はアメリカの好戦派、サウジアラビア、イスラエルなどと手を組み、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使ってシリアを侵略し、バシャール・アル・アサド政権を倒そうとしてきた。そのプロジェクトを利用し、エルドアンの周辺はシリアやイラクで盗掘された石油を売りさばくビジネスで大儲けしているとも報告されている。エルドアン体制を支えているのは情報機関のMITで、自分たちにとって都合の悪い情報を隠すために言論を弾圧、政府の不正行為を摘発しようとした憲兵隊や検察も強権で黙らせてきた。国内で政権に対する反発が強まっていることは間違いないが、不明な点がまだ多い。 シリア侵略の拠点 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いたレポートによると、アメリカ/NATO、ペルシャ湾岸産油国(サウジアラビアやカタール)、イスラエルは遅くとも2007年にシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めていた。 ハーシュの記事が発表された2007年、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官(SACEUR)は、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が1991年に侵略プランを口にしていたと語っている。ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを5年で殲滅すると話していたという。クラークはまた、「アメリカの友好国と同盟国」によってダーイッシュが作られたとも語っていた。言うまでもなく、ウォルフォウィッツはネオコン/シオニストの中核グループに属している。 2014年10月2日にはジョー・バイデン米副大統領がハーバード大学における講演で、シリアでの「戦いは長くかつ困難なものとなる。この問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、UAEだ」と述べていた。「あまりにも多くの戦闘員に国境通過を許してしまい、いたずらにISを増強させてしまったことをトルコのエルドアン大統領は後悔していた」とも語っている。 戦闘員や物資がトルコからシリアの侵略部隊へ運ばれている、つまり兵站線がトルコからシリアへ伸びていることは常識になっている。日本のマスコミも当然、知っているだろう。 ハーシュが書いた別のレポートによると、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が崩壊した後、リビア軍の倉庫から化学兵器を含む武器/兵器が持ち出されてトルコへ運ばれている。輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設で、そうした事実をアメリカ国務省は黙認していた。2012年9月11日に襲撃されたベンガジのアメリカ領事館も拠点のひとつ。そこで、殺されたクリストファー・スティーブンス大使はその前日、武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。トルコの「秘密保護」 トルコからシリアの侵略軍へ武器/兵器を運ぶことはトルコでも違法。そこで2014年1月には、武器/兵器を含む物資を法律に違反してトルコからシリアへ運ぼうとしていたトラックの車列をトルコ軍の憲兵隊が摘発した。 問題の兵站線を調べていたイランのテレビ局プレスTVのセレナ・シム記者は、トルコからシリアへダーイッシュの戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGO(非政府組織)のトラックが利用されている事実を2014年10月までにつかみ、それを裏付ける映像を入手したと言われている。シムはMITからスパイ扱いされて脅され、10月19日に「交通事故」で死亡した。その年の11月にはドイツのDWがトルコからシリアへの物資輸送を報道している。 昨年5月になると、憲兵隊が侵略軍向けの物資を運んでいるトラックを摘発する様子をジュムフリイェト紙が映像付きで報道、10月21日にはトルコの国会議員エレン・エルデムらは公正発展党の事件への関与を指摘する報告書を公表し、アダナの検察当局はサリンがトルコからシリアへ運び込まれたとする情報を調べ始めたとしている。エルデムらによると、捜査記録には化学兵器の材料になる物質がトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったとしているという。この事実を公表した後、エルデム議員らは起訴の脅しをかけられた。 憲兵隊が違法な物資輸送を摘発した事実を伝えたジュムフリイェト紙のジャン・ドゥンダル編集長とアンカラ支局長のエルデム・ギュルは昨年11月26日に逮捕され、その2日後に摘発を指揮したウブラフム・アイドゥン憲兵少将、ハムザ・ジェレポグル憲兵中将、そしてブルハネトゥン・ジュハングログル憲兵大佐が逮捕された。編集幹部のふたりには今年5月、懲役5年以上の判決が言い渡され、編集長は裁判所の前で銃撃されている。 エルドアンは首相時代に軍幹部、弁護士、学者、ジャーナリストなどを大量摘発しているが、その後も言論の弾圧は強化され、5月31日には元ミス・トルコのメルベ・ビュユクサラチに対し、エルドアン大統領を侮辱したとして禁固14カ月、執行猶予5年の判決が言い渡された。自分たちにとって都合の悪い情報が広がらないよう、トルコ政府は必死になっている。経済の破綻 シリア侵略の目論見が大きく狂い始めたのは昨年9月30日のことだった。ネオコンはロシア軍が怖じ気づいて軍事介入してくることはないと高をくくっていたようだが、空爆を始めたのだ。アメリカなどはアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを攻撃するといいながら実際は攻撃せず、シリアのインフラを破壊していたと言われている。それに対し、ロシアは本当にアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを攻撃、要衝をシリア政府軍が奪還しはじめた。 そうした中、昨年11月24日にトルコ軍のF-16がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃で撃墜した。その際に脱出した乗組員のひとりを地上にいた部隊が殺害しているが、その殺害を指揮したとされているアレパレセラン・ジェリクはNATOの秘密部隊の一部とも言われている「灰色の狼」に所属していた。その後もジェリクはトルコ領内で自由に行動、逮捕されたのはしばらくしてからだ。アル・カイダ系武装勢力やダーイッシュのメンバーはトルコで自由に活動していると伝えられている。 内部告発支援グループのWikiLeaksによると、この撃墜は10月10日にエルドアンが計画しているのだが、撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問、トルコ軍の幹部と討議していたのも「奇妙な偶然」だ。ロシア軍機の撃墜をトルコ政府の判断だけで実行できないだろうと考える人は少なくない。 この撃墜でロシア政府は屈服すると侵略勢力は思ったのかもしれないが、そうした展開にはならなかった。ロシア軍はミサイル巡洋艦のモスクワをシリアの海岸線近くへ移動させて防空体制を強化、さらに最新の防空システムS-400を配備し、約30機の戦闘機を「護衛」のために派遣してシリア北部の制空権を握ってしまったのだ。さらに、アメリカが供給している対戦車ミサイルTOWに対抗できるT-90戦車も配備した。イスラエルからシリア領空へ入り、侵略軍を支援するために空爆が繰り返されているが、その戦闘機に対してS-400が使われていないことに不満が高まっているようだが、それでもS-400を配備したインパクトは小さくなかった。 こうした軍事的な対応よりトルコを苦しめることになったのは経済関係。ロシアとのビジネスが細ったことからトルコの経済状況は急速に悪化、夏のバケーション季節を目前にして、トルコ国内ではエルドアン政権に対する怒りが高まっていた。ロシアからの観光客が激減した場合、深刻な影響を受けることになる。そこでトルコ政府はロシアとの関係修復に動いていたが、そうした中でクーデターが試みられたのは興味深い。(注)また、夏の入り口で比較的小さなグループによるクーデターが試みられたのはエルドアン政権にとって好運だったとも言える。クーデターの目的 エルドアン体制は私利私欲のためにシリア侵略に荷担、盗掘石油の販売で大儲けしているが、その一方でシリアやロシアとの関係を破壊したことでトルコ経済は破綻している。難民をEUへ流入させ、恐喝しているが、それで解決はできないだろう。そうした中、エルドアンを排除すべきだと考える軍人が出て来ても不思議ではない。 そうした状況にあることをエルドアン政権も熟知していたはず。彼の権力基盤は情報機関であり、情報の収集と分析は本業だ。例えば、インドネシアで1965年9月30日にあったようなことはありえる。その時はまず小集団の若手将校が6名の将軍を誘拐のうえ殺害してジャカルタの主要箇所を占拠、この混乱を利用してスハルトがスカルノを排除して実権を握ったのである。自立の道を進もうとしていたスカルノをアメリカの巨大資本は敵視していた。 これをコミュニストによるクーデタ未遂事件だと主張する人もいるが、CIAは1957年からスカルノ体制を倒す目的で沖縄、フィリピン、台湾、シンガポールなどで戦闘員を訓練、兵站基地も設置した。そして1958年、スカルノが日本を訪問しているときにインドネシアで最初の蜂起が決行されている。反乱グループの中心は旧貴族階級と地主で、スマトラ島を拠点としていたインドネシア軍の将校が参加していた。この蜂起は失敗、そして非同盟諸国会議につながる。 その一方、アメリカの支配層は自分たちの手先として貴族階級出身の若者に目をつけ、アメリカの大学へ留学させ、訓練/育成していく。彼らは後に「バークレー・ボーイズ」とか「バークレー・マフィア」と呼ばれるようになる。クーデターを計画していたのはアメリカの支配層だった。 スハルトが実権を握ってから親米派による大量虐殺が始まり、30万人から100万人が殺されたと言われている。その虐殺でバークレー・ボーイズは中心的な役割を果たし、そこにイスラム勢力も参加している。 トルコで引き起こされた今回の軍事蜂起にどのような背景があるかは不明だが、エルドアンがトルコを民主主義と相反する方向へ持って行こうとする可能性は高い。(注)エルドアン政権はアメリカがクーデターの黒幕だと主張しているようだ。その主張の真偽はともかく、トルコ政府とアメリカ政府との間に亀裂が生じているとするならば、中東/北アフリカ情勢は今後、大きく変化していきそうだ。
2016.07.16
フランスのニースで7月14日に大型トラックが花火を見ていた見物客の列に突入、その後に運転手と警官隊との間で銃撃戦になり、その間、84名以上が死亡したという。詳細は不明だが、その翌日、親イスラエル派で知られているマニュエル・カルロス・ヴァルス首相はテロリズムの中で生きることを学ばなければならないと語った。フランスをパレスチナ人を弾圧しているイスラエルのような警察国家にするべきだというわけだ。アメリカの警察もイスラエルに学び、軍隊化を推進している。 昨年、フランシュの首都パリでは2度の「テロ」があった。まず1月7日に「風刺画」の雑誌を出しているシャルリー・エブドの編集部が襲われ、11名がビルの中、また1名が外で殺されている。襲撃したのはふたりで、AK-47、ショットガン、RPG(対戦車ロケット弾発射器)で武装し、マスクをしていたという。歩道上に倒れていた警官が頭部をAK-47で撃たれて殺されたことになっているが、映像を見る限り、その痕跡はない。骨や脳が飛び散ったり、血が吹き出たりしていないのだ。地面に当たって破片が致命傷を負わせたとしても大量の出血があるだろう。事件の捜査を担当したエルリク・フレドゥが執務室で拳銃自殺したことも疑惑を深める一因になっている。 2度目は11月13日で、パリの施設が襲撃された。約130名が殺され、数百人が負傷したとされているのだが、その痕跡が見あたらない。映像をチェックしても「血の海」と言える光景はなく、遺体がどこにあるのかといぶかる人もいる。 こうした事件の場合、「治療の甲斐なく死亡」という人がいるはずで、死者数は増えていきそうなもの。ニースの事件ではそうした展開をたどっている。ところが11月の場合はそうではなかった。犠牲者の氏名も明確でない。今年3月22日にはベルギーのブリュッセルで爆破事件があり、37名以上が死亡したとされている。 こうした事件が引き起こされる一方、EUは難民問題で揺れている。その原因を作り出したのはアメリカ支配層。中東/北アフリカを攻撃、難民を生み出しきたのだ。イラクは明らかにアメリカ軍による侵略であり、リビアやシリアはアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)を使って破壊と殺戮を繰り広げている。決して「内戦」が行われているわけではない。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、1991年にポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)は、イラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると語り、また2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて間もなく、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを攻撃する計画を立てていたという。 しかし、1992年の大統領選挙でジョージ・H・W・ブッシュはビル・クリントンに再選を阻止されて予定が狂う。クリントン政権はネオコン/シオニスト色が薄く、政府の外から提言することになる。そうした中、ヒラリー・クリントンと親しかったビクトリア・ヌランドは目立った。好戦派というように枠を広げると、ズビグネフ・ブレジンスキーの弟子で嫌露派のマデリン・オルブライトも入ってくる。 アメリカ軍がイラクを侵略したのは2003年3月。2011年春にはワッハーブ派/サラフ主義者やムスリム同胞団を中心としたアル・カイダ系の武装集団がリビアやシリアを侵略し、リビアの場合は途中からNATOが空爆で支援、体制転覆に成功した。シリアではロシア軍が乗り出してから侵略軍は劣勢になり、侵略勢力は停戦の期間を利用して戦闘員を増派、高性能な武器/兵器を大量に供給して戦闘態勢の立て直しを図っている。最近ではトルコやイスラエルから侵略軍の「空軍」が民間施設などを攻撃しているという話が流れている。 イスラエルを飛び立った戦闘機による攻撃は早い段階から現在まで続いているようで、イランの革命防衛隊で司令官を務めているコスロ・オロウジ准将はロシア政府に対し、防空システムのS-400を使うように要求している。核戦争を避けたいロシアはアメリカ政府との交渉を優先しているようだが、シリアやイランでは不満が高まっているようだ。 こうした戦乱で生み出された難民をトルコ政府は集め、タイミングを見てEUへ向かわせた。その中にはリビアやシリアで戦ってきた戦闘員も含まれている。その難民のEU流入をメディアは支援、トルコの海岸に横たわる3歳の子どもの遺体が「悲劇」の象徴として使われていた。難民問題を演出したトルコ政府の目的は恐喝。さらなる難民の流入を恐れるEUから66億ドルを援助として提供させることに成功したという。 一連の事件を見て、1960年代から80年代にかけてイタリアでNATOの秘密部隊、グラディオが「極左」を装って実行した爆弾攻撃を連想した人も少なくないようだ。社会不安を高め、治安体制の強化を受け入れさせ、それと同時にアメリカの巨大資本にとって邪魔な人物や団体を潰していったのである。こうした組織の存在をイタリアのジュリオ・アンドレオッチ政権が1990年10月に認めたことは本ブログで何度も指摘してきた。 現在、EUの内部ではアメリカの好戦派がロシアに対する挑発を強め、核戦争を始めかねないことを懸念する人が支配層の内部にも現れている。アメリカがヨーロッパを支配する仕組みとしての側面があるEUやNATOも揺らぎはじめ、「民意」を力で押さえ込まなければならない状況になっているようだ。そうした中、フランスなどで続発している「テロ」を最も歓迎しているのはアメリカの支配層だと考える人もいる。 日本で緊急事態を宣言する仕組みが導入されたなら、何らかの「テロ」が引き起こされ、そのまま「戒厳令の国」へ移行する可能性がある。すでにアメリカで行ったことだ。
2016.07.15
バーニー・サンダースは7月12日、ヒラリー・クリントンを次期大統領にすることを支援すると表明した。民主党の目標として、最低時給15ドルの実現、社会保障制度の拡充、死刑制度の廃止、炭素税の導入、マリファナの合法化、大規模な刑事裁判改革、包括的な移民制度改革、アメリカ先住民の人権擁護などのほか、大きすぎて潰せないという銀行の解体、21世紀版のグラス・スティーガル法(銀行業務と証券業務の分離)を成立させることなどで合意したという。 巨大企業が租税回避に使っているタックス・ヘイブンへ通じる抜け穴を塞ぐともしているのだが、本ブログでは何度か指摘したように、アメリカが世界最大のタックス・ヘイブンになっている。サンダースが言うところの抜け穴から先にあるタックス・ヘイブンはスイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコ、あるいはロンドン(シティ)を中心とするネットワークだ。 TPP(環太平洋連携協定)そのものにも反対していないようだが、ヒラリー・クリントンが抱えている最大の問題は戦争。彼女は戦争ビジネスや巨大金融資本と緊密な関係にあるだけでなく、東ヨーロッパ系の嫌露派、ネオコン/シオニスト、ムスリム同胞団ともつながり、世界に破壊と殺戮を広める上で重要な役割を果たしてきた。 これまでネオコンは内政面に対してほとんど口出しせず、資金提供の代償として国際関係の政策を自由にしてきたようだ。その結果が武力を使った中東/北アフリカにおけるイスラエルのライバル体制破壊であり、ロシアや中国への軍事的な圧力、挑発だ。サンダースはこの領域に足を踏み入れていない。 ヒラリーの夫、ビル・クリントンは1993年から2001年にかけてアメリカ大統領を務めているが、就任当初は戦争に消極的。政権内におけるネオコンの影響力は前政権に比べて大幅に低下していた。 ただ、選挙キャンペーンのころからビルはスキャンダル攻勢で苦しめられている。攻勢の中心にいた人物はメロン財閥のリチャード・メロン・スケイフ。情報機関と緊密な関係にあることで知られ、ネオコンとも結びつき、ヘリテージ財団やCSISなどへ多額の資金を提供していた。 スケイフが1993年から97年にかけて展開した反クリントン工作は「アーカンソー・プロジェクト」と呼ばれ、ネオコンのニュート・ギングリッジ下院議長(当時)を資金面から支えていたシカゴの大富豪、ピーター・スミスもこの反クリントン工作に資金を提供していた。 ネオコンとの相性が良くなかったビル・クリントンだが、例外も存在した。副国務長官の首席補佐官だったビクトリア・ヌランドだ。筋金入りのネオコンで、1987年にロバート・ケーガンと結婚している。ビル・クリントン政権と相性が良いとは思えない。その人物を政権へ引き込んだのはヒラリーだと言われている。 クリントンに対するスキャンダル攻勢は大統領に就任してから激しくなり、手足を縛られた状態になる。経済的にも追い詰められ、破産寸前だったともいう。そうした中、アメリカの支配層はユーゴスラビアへの軍事侵略を目論み、有力メディアや「人権擁護団体」は反ユーゴスラビア宣伝を展開、つまりユーゴスラビア政権を悪魔化するために偽情報を流布していた。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) クリントン政権が戦争へ向かって舵を切ったのは1997年1月。国務長官が開戦に消極的だったクリストファー・ウォーレンから好戦的なマデリン・オルブライトへ交代したのである。オルブライトはヒラリーと親しい間柄にあった。 オルブライトはチェコスロバキアで生まれ、父親は外交官。1948年に国外へ脱出してアメリカへ亡命、デンバー大学で教鞭を執る。その時の教え子の中にコンドリーサ・ライスがいた。マデリーンはコロンビア大学でポーランド出身のブレジンスキーから学んでいる。友人のひとりがブルッキングス研究所で研究員をしていたロイス・ライスで、その娘がスーザン・ライス。 現在、ヒラリーの側近としてぴったり寄り添っているたヒューマ・アベディンの母親、サレハはムスリム同胞団の女性部門を指導、父親のシードはアル・カイダと関係していると主張する人もいる。ヒューマ自身、サウジアラビアがホワイトハウスへ送り込んだスパイだという噂も囁かれてきた。 アベディンは1996年、ジョージ・ワシントン大学の学生だった時にインターンとしてヒラリーの下で働き始め、それから20年にわたってヒラリーの国際認識に大きな影響を及ぼしてきた。このアベディンはヒラリーと親しいウィーナーと結婚しているが、この人物は筋金入りの親イスラエル派、つまりシオニストだ。 ヒラリーは2009年1月から13年2月まで国務長官を務めた。2009年6月にはホンジュラスでクーデターがあり、マヌエル・セラヤ政権が倒されたが、その背後にはアメリカ政府が存在していた。 2011年春にはリビアやシリアへの軍事侵略が始められている。イランへの攻撃にも前向きだった。リビアのムアンマル・アル・カダフィ政権は2011年10月にNATO軍の空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上部隊の連係攻撃で倒され、カダフィは惨殺されたが、それをインタビュー中に知らされたヒラリーは「来た、見た、死んだ」と口にし、喜んでいる。 その後、リビアから戦闘員や武器/兵器がトルコ経由でシリアへ運ばれているが、その拠点になっていたのがベンガジ。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。つまりこうした輸送の黒幕はCIAだった。 そうした事実をアメリカ国務省は黙認、輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、介入する口実にしようとしたと言われている。 2012年9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。CIAの工作をスティーブンは熟知、彼の上司だったヒラリー・クリントン国務長官も報告を受けていたはず。 2012年11月にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはクリントンと緊密な関係にあることで有名で、スティーブン大使から報告されるまでもなく、ベンガジでの工作をクリントンは知っていた可能性も高い。 さまざまな好戦派のネットワークが交差した場所にヒラリーは存在している。この人物が失脚した場合、さまざまな好戦派に激震が走るはず。それだけに彼女の守りは堅固だが、何らかの事情で潰れた場合、好戦派は大きなダメージを受けるだろう。そうした意味で、サンダースの躍進は好戦派を震撼させていた可能性がある。 そのサンダースも屈服したが、彼が躍進したのは彼に希望を見いだした少なからぬ有権者が存在していたからで、そうした人びとは今も消えていない。それだけに、サンダースのクリントン支持表明は慎重に行う必要があった。表明が早すぎると人々が民主党から離れると予想されるからだ。今回のタイミングがヒラリー陣営のとって良かったのかどうかは7月25日までにわかる。 ヒラリーに良いということは人類にとって最悪の事態だということを意味するのだが、ドナルド・トランプが大統領になっても良いとは言えない。アメリカ帝国の終焉は近そうだが、その時に人類も終焉を迎える可能性がある。そうした流れを支援しているのが安倍晋三政権だ。
2016.07.15
トニー・ブレア政権で首席補佐官を務めたアラステアー・キャンベルは国民投票について、議会制民主主義において危険な行為だと主張している。自分たちにとって都合の悪い民意を否定しているわけだ。 キャンベルはイラクへの先制攻撃を正当化するために嘘を発信したとされる。2002年9月にブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルがつけられた報告書、通称「9月文書」を作成、その文書はメディアにリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルをつけて報じている。 それに対し、BBCの記者だったアンドリュー・ギリガンは2003年5月、この文書ではイラクの大量破壊兵器の話が誇張されていると番組で伝え、サンデー・オン・メール紙ではキャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと語っている。 ギリガンが「45分話」を語って間もなく、彼の情報源が国防省で生物兵器を担当しているデイビッド・ケリーだということがリークされた。ケリーは7月15日に外務特別委員会へ呼び出され、17日に変死する。 トニー・ブレア英首相は2002年3月、つまり「9月文書」が作成される半年前の時点でアメリカによるイラク侵攻に参加することを決めていたことが今ではわかっている。実際の攻撃が翌年の3月、つまりブレアが参戦を決めた1年後にずれ込んだのは、統合参謀本部の内部で開戦に反対する声が強かったからだ。彼らは大量破壊兵器の話に根拠がないことを知っていた上、作戦が無謀だと反対派は考えた。 そうした中、統合参謀本部の作戦部長でイラク侵略に反対していたグレグ・ニューボルド将軍は2002年10月に作戦部長を辞めている。そのほかエリック・シンセキ陸軍参謀総長もアメリカ軍がイラクを先制攻撃する前に議会でラムズフェルド長官の戦略を批判し、アンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将も後にラムズフェルド長官を批判している。 アメリカでは2002年の半ば、ネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツ国防副長官の発案で、自分たちのプランを正当化する情報を集め、宣伝を展開する目的で国防総省内にOSP(特別計画室)を設置した。メンバーは4、5人。室長になったエイブラム・シュルスキーはシカゴ大学で政治科学の博士号をネオコンの思想的な柱とされているレオ・ストラウス教授の下で取得している。 シュルスキーはシカゴ大学の前にコーネル大学で数学の学士号を取得しているが、そのときも、またシカゴ大学でもウォルフォウィッツと同室だった。ウォルフォウィッツもストラウスの下で博士号を取得している。 ネオコンが台頭、デタント(緊張緩和)派が粛清されたジェラルド・フォード政権時代、ジョージ・H・W・ブッシュCIA長官の下でソ連脅威論を正当化するために情報を誇張、あるいは偽情報を発信していたチームBと基本的に同じことをしていた。そのチームBにウォルフォウィッツも参加している。 ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めたコリン・パウエルが2002年3月28日に書いたメモを見ると、ブレア首相はアメリカの軍事行動に加わると書かれている。このメモが書かれた1週間後に米英両国の首脳は会談した。おそらく、すぐにでもイラクを侵略しようと考えていたのだろう。 しかし、2002年前半の時点では、アメリカの軍や情報機関にネオコンが進めようとしている侵略プランを止めてしまえる勢力が存在していた。それに対抗するため、好戦派は偽情報を外部に広め、侵略できる雰囲気を作りだそうとしたように見える。その好戦的な雰囲気作りに日本の政治家、官僚、学者、ジャーナリストは協力、そうした宣伝に異を唱える人びとに激しい攻撃を加えていた。 2003年3月、ジョージ・W・ブッシュ政権は統合参謀本部の反対を押し切る形でイラクを先制攻撃、その2カ月後にギリガンは攻撃の口実にされた「9月文書」が改竄されていたと伝えたわけだ。そして情報源のデイビッド・ケリーが変死、ブレア首相はこの事件を調べるためにジェームズ・ハットン(ハットン卿)を委員長とする独立調査委員会を設置している。 2004年1月にハットン委員会はBBCを批判する内容の報告書を発表、グレッグ・ダイク会長やギリガン記者はBBCから追放された。この後のBBCはアメリカの侵略戦争を正当化するための単なる宣伝機関になり、偽情報を公然と伝えるようになる。あまりにも嘘が多く、プロパガンダ機関としてもできが悪い。少しでも情報をウォッチしている人なら、誰も信用しなくなってしまったからだ。 ジョン・チルコットを委員長とする独立調査委員会(チルコット委員会)が7月6日に発表した報告書で、フセインはイギリスにとって差し迫った脅威ではなく、戦争は不必要だったとしているが、それにもかかわらず、なぜ嘘をついてまで侵略したのかを明らかにしていない。そこが明らかになったなら、アメリカの好戦派は戦争を進めることができなくなり、アメリカを中心とした支配体制は大きく揺らぐことになるだろう。 なお、2004年10月にジャック・ストロー英外相は「45分話」が嘘だということを認めている。現在では、ブレアを戦争犯罪人だと考える人が少なくない。当時の首相、小泉純一郎も共犯者ということになる。勿論、そうした好戦派に協力していた人びとも同罪。そうした人びとに支えられた安倍晋三政権は現在、戦争へ向かって暴走を続けている。
2016.07.14
ロシア軍は7月12日、6機の超音速長距離爆撃機Tu-22M3を使い、パルミラなどにいるダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)やアル・カイダ系武装集団を攻撃、その駐屯地や武器庫、戦車など戦闘車両を破壊した。これとは別にダマスカス近郊でも空爆を実施している。Tu-22M3はイランやイラクの領空を通過してシリアへ入ったという。ロシア海軍は重航空巡洋艦(空母)クズネツォフ提督を10月に地中海へ派遣、シリアでの軍事行動に参加すると言われているのだが、その前に動き始めたわけだ。 本ブログでも何度か書いたことだが、昨年9月30日にロシア軍がシリアで空爆を始めて以来、侵略勢力は劣勢になった。あくまでもバシャール・アル・アサド体制を倒そうとしているアメリカ、サウジアラビア、イスラエル、トルコなどは停戦で時間稼ぎをしつつ、戦闘態勢を立て直そうとしている。(ロシアとの対立で苦境に陥っているトルコだが、侵略軍を支える兵站線は維持している。) 例えば、サウジアラビア外務大臣はシリアの戦況を変えるために携帯型の防空システムMANPADを供給しはじめたと発言した。これは2月19日付けシュピーゲル誌に掲載されている。対戦車ミサイルTOWも大量にシリアへ持ち込まれているようだ。アメリカやフランスは特殊部隊を送り込み、シリア政府によると、ドイツも特殊部隊を侵入させたという。トルコ軍はシリア領内へ侵攻している。 アメリカは例によってタグの付け替えで相手を翻弄しようとしている。アル・カイダ系武装勢力やダーイッシュなど「過激派」をロシア軍が攻撃することは認めたものの、「穏健派」は攻撃するなと主張している。ところが、「過激派」と「穏健派」は行動を共にしていて、両者を分けることは困難なのだという。 この「過激派」を作り上げたのはアメリカなどの国々。戦闘員を雇い、訓練、兵器/武器を含む物資を供給してきた。アメリカの政府や軍の幹部、あるいは元幹部がアメリカがそうしたことを認めるわけにはいかないだろうが、「友好国」や「同盟国」がそうしたことを行ってきたとは語っている。 例えば、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官(SACEUR)は2007年、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと語り、14年10月2日にジョー・バイデン米副大統領はハーバード大学で、シリアでの「戦いは長くかつ困難なものとなる。この問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、UAEだ」と述べ、あまりにも多くの戦闘員に国境通過を許してしまい、いたずらにISを増強させてしまったことをトルコのエルドアン大統領は後悔していた」と語っていた。勿論、レジェップ・タイイップ・エルドアンは反省していなかったが。 それだけでなく、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとホワイトハウスへDIAが報告した際に局長だったマイケル・フリン中将は2015年、アル・ジャジーラの取材に対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。 アメリカからでさえ、こうした証言が出ている。歴史を振り返れば、アメリカの支配層がサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団を中心とする武装勢力を編成、自分たちの侵略軍として使ってきたことは明らか。彼らはこの仕組みを壊すつもりもない。 それでも、全面核戦争の回避を優先したのか、ロシア側は侵略軍に対する攻撃の手を緩めた。そのひとつの結果として、シリア軍のヘリコプターMi-25が7月8日にパルミラで撃墜され、乗っていたロシア軍のパイロットふたりが殺されている。TOWが使われたようだ。 シリア政府軍や支援しているイラン軍の内部でロシア政府の姿勢に不満が高まっているようだ。すでにロシア軍はアメリカ側の要請を無視してアル・カイダ系武装集団に対する空爆を実施したと言われているが、イランの革命防衛隊で司令官を務めているコスロ・オロウジ准将はロシア政府に対し、防空システムのS-400を使うように要求している。イスラエル軍は現在でもシリアを戦闘機で攻撃して侵略軍を支援、その戦闘機を撃墜すべきだというわけだ。シリアへ持ち込みながら実際に使わないとなると、核戦争で脅せばロシアは屈するとネオコンは判断し、状況は悪くなる可能性が高い。はやくアメリカの支配層に見切りをつけないと、世界は取り返しのつかないことになると懸念する声は西側で高まっている。 アメリカの支配システムを揺るがしている大本は経済の破綻。投機市場を使って誤魔化してきたが、それにも限りがある。投機市場も安倍晋三政権/日銀だけでは支えきれない。アメリカの経済状況がさらに厳しくなり、ドルが基軸通貨から陥落した場合、世界的な大混乱になるのは必至。アメリカで警察の軍隊化が進められているのは、経済の崩壊に伴って暴動が起こることを想定しているという見方もあるが、そうなると国外でも自暴自棄になる可能性がある。アメリカ国内の様子を見ていると、良い雰囲気ではない。
2016.07.14
マスコミのプロパガンダ機関色が濃くなり始めたのは1980年代のことだが、21世紀に入ると完全に偽情報のオン・パレードになってしまった。ジャーナリストのむのたけじは1991年の段階で「ジャーナリズムはとうにくたばった」(むのたけじ著『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年)と発言、その前に竹中労は「言論」を「強権のドレイ」と表現していた。今回の選挙でマスコミは安倍晋三政権の議席を増やそうとしていたが、それが彼らの稼業だ。マスコミに何かを期待しても仕方がない。 日本の庶民も中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三たちが推進してきた新自由主義的な政策が自分たちの利益にならないことを理解しているだろう。だからこそ、2009年9月に民主党の鳩山由紀夫が総理大臣になれたわけだ。 そうした「民意」を感じたであろう日米支配層が何らかの手段を売ってくることは予想できたことで、実際、マスコミと検察が鳩山と小沢一郎に対する攻撃を開始した。2006年6月3日号の週刊現代は「小沢一郎の“隠し資産6億円超”を暴く」という記事を掲載、2009年11月には「市民団体」が陸山会の04年における土地購入で政治収支報告書に虚偽記載しているとして小沢の秘書3名を告発、翌年の1月に秘書は逮捕されている。また「別の市民団体」が小沢本人を政治資金規正法違反容疑で告発し、2月には秘書3人が起訴された。この間、ほかのメディアも反小沢キャンペーンを展開している。 結局、検察が「事実に反する内容の捜査報告書を作成」するなど不適切な取り調べがあったことが判明、この告発は事実上の冤罪だということが明確になったが、小沢のイメージを悪化させることには成功、今でも受けたダメージから回復できていない。 結局、鳩山は2010年6月に総理大事の座から降りた。その後任になった菅直人は消費税の増税と法人税の減税という巨大企業を優遇する新自由主義的政策を打ち出して庶民からの支持を失い、首相就任の3カ月後には海上保安庁が尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、日本と中国との友好関係は急ピッチで崩れ始める。 2011年9月に首相となった野田佳彦も菅直人と基本的に同じように、冷酷非情な社会を築く政策を進め、2012年12月に敗北が確実な中、内閣総辞職した。総選挙では予想通り民主党は惨敗、安倍晋三グループの独裁体制を招くことになる。 菅と野田の時代に民主党は庶民から見放された。その後、民主党は何ら反省せず、今でも安倍晋三政権と大差のないことを言っている。今回の参議院選挙で自民党など与党が議席を伸ばした最大の理由はここにある。有権者に責任を転嫁すべきではない。
2016.07.12
安倍晋三首相たちは日本の自然を破壊してきた国家神道と結びついているだけでなく、日本列島に住む人びと、そうした人びとが生活する社会をアメリカの支配層へ贈呈、さらに日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込もうとしている。 本ブログでは何度も書いてきたが、日本を含む国という仕組みを巨大資本が支配できるようにするための取り決めがTPP(環太平洋連携協定)であり、ソ連消滅の直後にアメリカ国防総省で作成されたDPG草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」はアメリカが世界を制覇、巨大資本が全世界を略奪できるようにすることを目的にしている。 かつて、日本には「美しい自然」を守る役割を果たしていた鎮守の森が存在した。この仕組みを破壊したのが薩長体制が出した「神社合祀令」であり、この政策に反対していたひとりが南方熊楠だ。この政策の背景には森林の利権が絡んでいたようだが、それだけでなく、新体制がでっち上げた新興宗教、「国家神道」の問題もある。 歴史を振り返ると、多くの体制が支配に宗教を利用してきた。薩長体制は日本土着の信仰を利用し、「国家神道」なるものを作り上げたと言える。アメリカのニュース・サイト、デイリー・ビーストの記事に書かれていたように、これは「カルト」。人びとを洗脳するために重要な役割を果たすことになったのが「教育」であり、その基本教義が1890年に発布された「教育に関する勅語」だった。 現在、アメリカの好戦派が手先として使っているアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の中心メンバーはサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団。ワッハーブ派はサウジアラビアの国教だ。 サウジアラビアとは「サウド家のアラビア」を意味するが、このサウド家は18世紀の半ばに宗教運動を始動していたムハンマド・イブン・アブドル・ワッハーブと同盟を組んで以来の関係だ。20世紀にサウド家がサウジアラビアを建国、ワッハーブ派の影響力も強まった。そのサウジアラビアは今も奴隷制が存続、斬首刑も行われている国で、民主的でも人道的でもない。ダーイッシュが首切りで悪名を売ったのは必然なのだろう。 アメリカの好戦派はウクライナでネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使っているが、ナチスもカルト集団。アメリカではキリスト教系カルトが政治勢力として大きな力を持ち、特殊部隊にも信者は少なくないという。 そうした軍人のひとりがデルタ・フォース出身のウィリアム・ボイキン中将。ネオコンに近く、ジョージ・W・ブッシュ政権では国防副次官に就任している。彼は1993年にソマリアの首都モガディシオにおける戦闘に参加しているが、そこで「奇妙な暗黒の印」を見つけたと彼は公言している。「邪悪な存在、暗黒のつかいルシフェルこそが倒すべき敵なのだと神は私に啓示されました」とボイキンは教会で演説している。こうした人物がアメリカ政府の中枢に入り込んでいるのだ。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌で、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したと書いた。この構図は基本的に現在も生きている。イスラエルを動かしているシオニズムも一種のカルトであり、この秘密工作を推進しているのは「カルト連合」だとも言える。そこへ安倍政権が引き寄せられるのは必然なのかもしれない。
2016.07.12
7月10日が投票日だった参議院選挙で自民党を中心とする与党が多くの議席を獲得、改憲派が全体の3分の2以上を占めたとマスコミは報道している。今回の選挙で改憲が争点になっているという認識があったということだが、それならば、選挙前、改憲の中身を徹底的に議論すべきだった。2012年に自民党が公表した「日本国憲法改正草案」があり、その批判も出ているるわけで、材料には事欠かない。実際、マスコミも十分に検討してきたはずだ。この問題を前面に出してこなかったのは、検討した結果、中身が彼らにとって都合が悪く、庶民に知られたくないからだと思われても仕方がない。 現行憲法は民主主義と平和主義の衣をまとった天皇制だが、自民党の試案を見ると、安倍晋三政権は天皇制を強化する一方、民主主義と平和主義をかなぐり捨てたいのだ。戦争を困難にしている条項、例えば第9条第2項にある「国の交戦権は、これを認めない」、そして第76条第2項の「特別裁判所は、これを設置することができない。」のうち前者は削除され、後者は残されたものの、第9条の2第5項に「国防軍に審判所を置く。」、つまり軍事法廷を置くという第76条第2項と矛盾した規定が組み込まれている。 こうした変更以上に重大な規定が第98条で、「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。」 要するに戒厳令で憲法の機能を停止できるということなのだが、これに続く条項を読むと戒厳令を半永久的に続けることも可能だ。 日本の支配層はアメリカ支配層の命令に従うか、その手口を真似してきた。恐らく、今回の場合はアメリカで1988年に出された大統領令12656だ。「国家安全保障上の緊急事態」の際に憲法の機能を停止できるという規定で、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された際、「愛国者法」という形で発動された。 この大統領令は単発でされたわけでなく、背後にCOG(政府継続)プロジェクトが存在する。このプロジェクトはロナルド・レーガン大統領が1982年に出したNSDD55で始まるのだが、そのベースになった仕組みがある。 本ブログでは何度も指摘してきたが、ドワイト・アイゼンハワー時代にアメリカの好戦派はソ連に対する先制核攻撃を計画、その実行予定時期を1963年の後半に定めていた。そうした計画を背景にして、核戦争で正規の政府が機能しなくなったときに「秘密政府」を設置することが決められたのである。その流れの中で1979年にはFEMAが作られ、それを発展させたものがCOGだ。 1980年代半ばまでは核戦争が前提になっていたのだが、1988年に出された大統領令12656によって、憲法の機能を停止させる条件は「国家安全保障上の緊急事態」に緩和された。そして2001年9月11日にジョージ・W・ブッシュ政権は「国家安全保障上の緊急事態」だと判断、憲法の機能は停止された。1928年の張作霖爆殺、あるいは1931年の柳条湖事件のようなことが行われる可能性は想定しておくべきだ。
2016.07.11
安倍晋三政権を支えている「日本会議」をアメリカのニュース・サイト、デイリー・ビーストの記事は「神道カルト」と呼び、安倍と近い関係にある麻生太郎の改憲に関する発言も紹介している。2013年7月に麻生は改憲派に対し、「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。騒がないで、納得して変わっている。」と語っている。 今年4月に扶桑社新書として菅野完の『日本会議の研究』が出版されてから日本会議は注目されるようになったようだ。この団体の歴史は、1973年6月に神社本庁と生長の家などが伊勢神宮で開いた懇談会から始まる。その懇談会を母体にして創設されたのが「日本を守る会」で、1997年5月に「日本を守る国民会議」と統合されて日本会議はできあがった。 「日本を守る会」が宗教色の濃い団体なのに対し、「日本を守る国民会議」のメンバーは財界、学者、旧日本軍が目立った。1978年7月に結成されたとこの名称は「元号法制化実現国民会議」で、81年10月に改組されて「日本を守る国民会議」と名乗るようになった。 「日本会議」の歴史が始まった1974年、月刊誌の文藝春秋に「田中角栄研究」が掲載され、田中攻撃が本格化する。1974年11月に田中角栄は自民党総裁の辞任を表明、76年2月にアメリカ上院外交委員会の多国籍企業小委員会で「ロッキード事件」が浮上、その年の7月に東京地検特捜部は田中を受託収賄と外国為替外国防衛機管理法違反の容疑で逮捕した。日本で「レジーム・チェンジ」が始まったと言えるだろうが、打倒すべきレジームは「55年体制」と呼ばれるようになる。 安倍首相らは靖国神社の参拝にも執着している。この神社の創建は1869年で、当初の名称は「招魂社」だった。1879年には現在の名称に変更され、所轄は第2次世界大戦に日本が敗れるまで陸海軍省。日本軍と一心同体の関係にあったわけだ。天皇を「現人神」だと教育するカルト国家だった戦前の日本において、招魂社/靖国神社は支配システムで重要な役割を果たしていた。 こうした歴史があるため、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の内部でも将校の多数派が靖国神社の焼却を主張したというが、朝日ソノラマが1973年に出した『マッカーサーの涙/ブルーノ・ビッテル神父にきく』によると、これを阻止したのがイエズス会のブルーノ・ビッテル(ビッター)とメリノール会パトリック・J・バーン、ふたりのカトリック司祭だったという。 ビッテルは1898年にドイツで生まれ、1920年にイエズス会へ入り、アメリカで過ごしてから1934年に来日している。ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされているが、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ重要人物だった。このビッテルを多くの日本人が知るのは経済犯罪に絡んでのことであろう。 今と違って国外へ自由に出られない時代、日本人エリートは海外旅行する際、日本カトリック教団本部四谷教会のビッテルを介して「闇ドル」を入手していたとされている。霊友会の小谷喜美会長もビッテルからドルを手に入れたのだが、これは法律に違反した行為であり、事件になってしまう。 この事件でビッテルも逮捕されたのだが、警視庁が押収した書類は「ふたりのアメリカ人」が持ち去り、捜査は打ち切りになった。秘密裏に犬養健法相が指揮権を発動したと言われている。 ビッテルは旅行者の便宜を図っていただけではない。1953年にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任するが、その副大統領はリチャード・ニクソン。当時は若手で大抜擢だが、その理由は闇資金の調達にあったと信じられている。 一般に企業の闇献金だとされているのだが、月刊誌「真相」の1954年4月号によると、実際の原資は闇ドルの取り引きで蓄積された儲けだったという。1953年秋にニクソンは来日するが、その際にバンク・オブ・アメリカの副支店長を大使館官邸に呼び出した。その際、闇資金の運用についても話し合われるのだが、この会議にビッテルも同席したとされている。 ところで、田中が自民党総裁を辞める8カ月前、フィリピンで任務を遂行中だった小野田寛郎が投降しているが、そのフィリピンでは旧日本軍が隠したとされる略奪財宝が話題になり始める。その話題をワシントン・ポスト紙のコラムニストだったジャック・アンダーソンが取り上げたのは1975年7月のことだった。 日本軍が占領地で略奪した財宝に関する話を日本の学者やマスコミは触れたがらないのだが、ドイツ軍がヨーロッパで盗んだ金塊、いわゆるナチ・ゴールドとの関連でも出てくる。降伏した直後の混乱した日本では金塊やダイヤモンドが発見され、1947年には衆議院決算委員会で「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに密売されている」と発言した議員もいる。世耕弘一だ。ちなみに、その孫が世耕弘成である。 こうした「隠退蔵物資」を摘発する目的で1947年に「隠匿退蔵物資事件捜査部」が設置される。後の東京地検特捜部だ。 フィリピンでアメリカ軍は日本軍から略奪財宝に関する情報を集めようと必死になっていたようだが、その情報をサンタ・ロマーナなる人物が1945年10月に聞き出し、それはエドワード・ランズデール大尉(当時)へ伝えられた。その当時、ランズデールの上官はチャールズ・ウィロビー少将だ。後のフィリピン大統領、フェルディナンド・マルコスにイメルダ・ロムアルデスを紹介したのは、このロマーナだ。マルコスはこうした財宝を手にし、富を築いて大統領にもなったとも言われている。 ランズデールはその後、東南アジアだけでなくキューバに対する秘密工作でも重要な役割を演じ、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺でも名前が出てくる人物。そのランズデールは東京でダグラス・マッカーサー最高司令官やG2(情報部門)を統括していたウィロビー少将、またGS(民政局)のコートニー・ホイットニー准将へ伝えた。さらにワシントンDCに向かい、ジョン・マグルーダー准将へも説明している。マグルーダーの命令でランズデールはハリー・トルーマン大統領の国家安全保障を担当スタッフにも会ったという。 1971年1月になると、ロゲリオ・ロハスなる人物が旧日本軍の掘ったトンネルで重量が1トンという金の仏像を発見したという話が流れた。ロハスが仏像の買い手を探している最中、1971年4月に「国家捜査局犯罪捜査部の係官」と称する一団が現れ、仏像、ダイヤモンド、日本の刀剣などを持ち去ってしまった。押収令状にサインした判事はマルコス大統領のおじだったという。 しばらくして別の判事が軍隊に対して仏像を裁判所へ提出するように命令、出されたものはブロンズ製だった。ロハス側は明らかに別物だと主張、5月4日には議会でも事情を説明しているが、その14日後に彼は逮捕された。 拷問を受けた後に保釈されるが、7月に再び逮捕され、約1カ月にわたって拘束されている。保釈後に反マルコス派の議員が政治集会で彼に話させようとしたのだが、その集会で手榴弾が爆発、政府はこの事件を利用して反対派を検挙、逃亡していたロハスも翌年7月に逮捕され、9月に戒厳令が布告された。 1970年代になってマルコスは金塊を処理するため、麻薬と交換するという方法を思いつく。そこで相談した相手がコスタリカのホセ・フィゲレス大統領で、採掘と冶金の専門家だというロバート・カーチスを紹介される。 ところが、作業の途中、ジャック・アンダーソンの記事が出てマルコスはカーチスが情報を漏らしたと考えたようだ。身の危険を感じたカーティスは手元にあった財宝の保管場所を示す172枚の地図を撮影してフィルムをネバダに送り、オリジナルは廃棄してしまった。 1981年8月になると、富士銀行が全国紙に広告を掲載、「偽造別段預金証書」が出回っているとして注意を喚起している。ただ、同行は私文書偽造で被害届は出さなかったと言われている。 その後、M資金話が世間を賑わせるようになり、ジョン・F・ケネディ政権で司法次官補を務めたノーバート・シュレイが弁護士として東京の第一勧業銀行を訪れ、きわめて高額な「小切手」を示している。シュレイによると、問題の債券は大蔵大臣だった渡辺美智雄の指示に基づき、大蔵省(現在の財務省)印刷局滝野川工場で印刷されたのだという。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003) シュレイが1991年1月7日に書いた覚書によると、当初は調達した資金を吉田茂とダグラス・マッカーサーが管理し、警察予備隊(自衛隊の前身)という一種の軍隊を組織する際に200億円が使われたという。戦争の放棄を謳った憲法があるため、武力組織を創設する際に資金的な問題が生じ、それを解決するために闇資金を利用したというのである。(Norbert A. Schlei, “Japan’s “M-Fund” Memorandum”, January 7, 1991) 1992年1月にシュレイの顧客はトラップに引っ掛かって逮捕され、シュレイも巻き込まれてしまう。結局、1997年にシュレイは無罪になるが、弁護士としてのキャリアはすでに破壊されていた。 そうした最中、1983年8月にマルコスの政敵だったベニグノ・アキノが射殺され、フィリピン国内では反マルコスの声が高まる。1986年2月には大規模な抗議活動が展開され、100万人がマニラの通りを埋めたとも言われているが、そうした混乱の中、マルコスは家族と一緒にハワイへアメリカ軍によって連れ出された。この作戦の黒幕はネオコンの大物、ポール・ウォルフォウィッツだと言われている。マルコスが権力の座を追われると財宝に関する裁判がアメリカでも起こされ、情報は外へ漏れ始めた。 ジャック・アンダーソンは1993年に『The Japan Conspiracy(日本語版:ニッポン株式会社の陰謀)』という小説を発表した。日本の国粋主義者がアメリカの一部支配層と手を組んでアメリカを支配しようとするという話だ。これを安倍たちとネオコン、日米好戦派の連合と解釈すると、21世紀の日米を予言しているようにも思える。この小説では活動の原資として「O資金」なるものが登場するが、これは明らかに「M資金」をイメージしている。
2016.07.10
THAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムを韓国に配備することをアメリカと韓国は7月8日に決定したという。朝鮮の弾道ミサイルの脅威に対抗するためだとしているが、イランの脅威に対抗するためにロシアとの国境近くへ弾道ミサイル迎撃システムを配備するという戯言よりも説得力がない。ICBMを打ち上げる技術を獲得したとしても、弾頭が再突入に耐えられるかどうかは別の話で、アメリカにしろ、日本にしろ、韓国にしろ朝鮮を軍事的な脅威とは思っていないはず。警戒していることがあるとするならば、特殊部隊による反撃、あるいは朝鮮国民の難民化だろう。 勿論、ヨーロッパと東アジアの動きは連動、その大本にはハルフォード・マッキンダーの「ハートランド理論」(注)がある。現在、アメリカは中国を封じ込める枢軸として日本、フィリピン、ベトナムを考え、そこへ韓国、インド、オーストラリアを結びつけようとしているが、これも同じ理論に基づいている。中国が東シナ海や南シナ海で動きを活発化させているのは、こうした戦略に対抗するため。今回の配備決定が中国だけでなくロシアの反発を招くことは必至だ。 THAADの配備は以前からアメリカが強く望んでいたが、韓国政府は中国との関係悪化が避けられないと考えて要求に応えようとしなかった。アメリカは先制核攻撃の準備をしていると韓国も認識しているだろう。朝鮮の動きはアメリカにとって好都合だったが、それにしても相当の圧力がかかった可能性が高い。アメリカという脅威を韓国は恐れた。 韓国と同じように、アメリカは日本にもミサイル・システムを配備しそうだ。パトリオット・ミサイルは役に立たない代物なので、THAADか陸上版のイージス・システムを設置することになるだろう。 しかし、以前にも書いたことだが、「ミサイル防衛」における最大の問題点は先制攻撃に対する報復攻撃ではない。例えば、射程が1000キロメートルから2400キロメートルという攻撃的なミサイルへ切り替えることも容易だ。「ミサイル防衛」は「ミサイル攻撃」へ簡単に変身できるということだ。 ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとするキール・リーバーとダリル・プレスの論文をフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)が2006年に掲載した。ロシアや中国の反撃を恐れる必要はないという主張で、アメリカ側の迎撃システムは生き残ったわずかな兵器に対応できれば良いと考えていた可能性がある。 アメリカのJCS(統合参謀本部)は1949年に出した研究報告の中で、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすと想定、54年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を考えていた。そして1957年初頭には300発の核爆弾でソ連の100都市を破壊するという「ドロップショット作戦」が作成されている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、ライマン・レムニッツァーJCS議長やSACの司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を奇襲攻撃する予定だった。その頃にアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。この攻撃を成功させるためにもキューバを制圧し、ソ連の中距離ミサイルを排除する必要があった。 好戦派にとって最大の障害はジョン・F・ケネディ大統領。その人物は1963年11月22日にテキサス州のダラスで暗殺されたが、CIAのライバルであるFBIがCIAの動きをリンドン・ジョンソン大統領へ伝え、戦争には至らなかったと言われている。 その後、核戦争でアメリカがソ連を圧倒することが困難な状況になり、ズビグネフ・ブレジンスキーはワッハーブ派/サラフ主義者やムスリム同胞団を中心とした戦闘員やネオ・ナチを使った非正規戦で疲弊させようとした。それだけが原因ではないが、1991年12月にはソ連が消滅、アメリカは自分たちが「唯一の超大国」になったと認識して潜在的なライバルや自立した資源国を潰しにかかった。 ところが、21世紀に入るとロシアが再独立、アメリカは経済的に衰退、基軸通貨を発行する権利で生きながらえる状況になっている。軍事力も兵器産業へカネが流れる仕組みに変えたため、戦闘能力は大幅に低下、開発する兵器もF-35戦闘機のように欠陥品ばかりだ。 ロシアが近く実戦配備するといわれているS-500は弾道ミサイルが大気圏へ再突入する前に撃ち落とすことが可能だと言われているが、超音速で飛行、西側の防空システムでは対応できないというイスカンダル・ミサイルは配備されつつある。そして現在、最も注目されているのは昨年11月にロシア軍がリークした戦略魚雷。 この新型魚雷は潜水艦から発射され、遠隔操作が可能。海底1万メートルを時速185キロメートルで進むことができ、射程距離は1万キロに達する。空母を沈められるだけでなく、アメリカの海岸線にある都市を攻撃することができる。海岸線に原発を含む重要な施設が並んでいる日本はひとたまりもない。 それでもアメリカは最大の核兵器保有国であり、バラク・オバマ大統領は今後30年間に9000億ドルから1兆ドルを核兵器分野に投入するという計画を打ち出している。かつてリチャード・ニクソンは「凶人」を装うことで世界を自分たちの望む方向へ導けると考え、またイスラエルは狂犬のようにならなければならないと同国のモシェ・ダヤン将軍は語っていた。核兵器を大量に保有した凶人、あるいは狂犬は確かに恐ろしいが、そうした相手にロシアや中国が屈するようには思えない。 ネオコン/シオニストなど好戦派の行動を観察すると、彼らは全面核戦争を始めると脅せばロシアも中国も屈服すると考えているようだ。夫を戦争へと導いたヒラリー・クリントンも同じ発想の持ち主のようで、自分が大統領ならばイランを攻撃すると語ったこともある。安倍晋三政権もこうした人びとと同じ妄想の中で生きている。(注)世界制覇を目的としたプラン。世界を3つの「島」に分け、ヨーロッパ、アジア、アフリカを「世界島」、イギリスや日本などを「沖合諸島」、南北アメリカやオーストラリアを「遠方諸島」と呼ぶ。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指している。このハートランド/ロシアの制圧が世界制覇のカギを握っているとマッキンダーは考えた。 ハートランド/ロシアを支配するため、ふたつの「三日月帯」で締め上げていくという戦略を彼は立てた。西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年のこと)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」と、その外側の「外部三日月地帯」だ。
2016.07.09
2003年3月にアメリカ軍はイラクを先制攻撃した。この戦争へイギリスのトニー・ブレア政権が自国軍を参加させた経緯などを調べていたジョン・チルコットを委員長とする独立調査委員会(チルコット委員会)は7月6日に報告書を公表、その中でフセインについて、イギリスにとって差し迫った脅威ではなく、戦争は不必要だったなどとしている。ブレアは謝罪せざるをえない状況に陥った。 イラクへの軍事侵攻はサダム・フセイン体制を倒しただけでなく、インフラを破壊し、100万人とも言われるイラク人を殺害(注)、アル・カイダ系武装集団などを国内へ引き入れ、今でも平和は訪れていない。それどころか、戦乱を中東から北アフリカへ広げ、ウクライナでもクーデターを実行している。 ブレア政権の大量破壊兵器をめぐる主張に対する疑問は当初からあり、開戦後は彼の戦争責任を問う声は高まっていった。そうした声を無視できなくなり、2009年6月にゴードン・ブラウン英首相(当時)はチルコット委員会を設置したのだろう。 その後もブレアを戦争犯罪人として裁くべきだとする人が増え、昨年10月25日に彼はCNNの番組で「自分たちが知らされた情報が間違っていた事実」を謝罪して一種の「ガス抜き」を図ったが、本当に反省しているわけでないことが見え見えで、効果はなかった。 CNNでブレアが弁明する直前、コリン・パウエルの書いたメモの存在が明らかにされて逆風は強まっていた。言うまでもなく、パウエルとはジョージ・W・ブッシュ政権の国務長官だった人物。2002年3月28日にブレア首相はパウエルに対し、アメリカの軍事行動に加わると書き送っているのだ。この時点、つまり開戦の1年前にでブレアは開戦に同意していたことになる。 このメモが書かれた当時、ブッシュ・ジュニア政権は攻撃を始めるつもりだったが、統合参謀本部の内部に反対意見が多く、開戦は約1年延びたと言われている。戦争に大義がなく、無謀だということだ。 例えば、統合参謀本部の作戦部長だったグレグ・ニューボルド将軍は2001年12月にドナルド・ラムズフェルド国防長官に呼び出され、イラク侵攻作戦について報告している。その場には長官のほか、ポール・ウォルフォウィッツ副国防長官、統合参謀本部のリチャード・マイアーズ議長、ピータ・ペイス副議長、そして後にCIA長官となるウィリアム・ハインズがいたという。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007) 2002年7月にはメディアもラムズフェルド長官の周辺と統合参謀本部の対立を伝えるようになり、長官は7月12日付けのペンタゴン幹部宛てのメモで、リークを止めるように命令、その内容までがロサンゼルス・タイムズ紙に掲載されてしまった。 ニューボルドはイラク侵攻に反対で、そのため、2002年10月に作戦部長を辞しているのだが、そのほかイラクを先制攻撃する前にエリック・シンセキ陸軍参謀総長は議会でラムズフェルド長官の戦略を批判した。 このほか、アンソニー・ジニー元中央軍司令官、ポール・イートン少将、ジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将もラムズフェルド長官を批判している。 そうした中、2002年9月にブレア政権は「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書を作成した。いわゆる「9月文書」だ。これはメディアにリークされ、サン紙は「破滅から45分のイギリス人」というセンセーショナルなタイトルの記事を掲載している。 パウエル国務長官が絶賛したこの報告書は大学院生の論文を無断引用した代物だとされているが、別に執筆者がいるとも噂されている。その文書をイギリス政府はイラクの脅威を強調するため改竄した。「間違った情報」のためにブレア政権がイラク攻撃を決断したということは言えない。 2003年5月29日にBBCのアンドリュー・ギリガンはラジオ番組で「9月文書」は粉飾されていると語り、サンデー・オン・メール紙でアラステアー・キャンベル首席補佐官が情報機関の反対を押し切って「45分話」を挿入したと主張した。 ブレア首相の側近で広報を担当していたキャンベルはデイリー・メール紙で記者をしていた経験があり、メール・グループを統括していたロバート・マクスウェルから可愛がられていた。マクスウェルはイギリスやイスラエルの情報機関に協力していた人物だとされている。キャンベルも親イスラエルだ。 ブレアとイスラエルとの関係は遅くとも1994年1月に始まっている。このときにブレア夫妻はイスラエル政府の招待で同国を訪問、その経費はイスラエル政府が出していた。帰国して2カ月後、ブレアはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介され、その後、ブレアの重要なスポンサーになる。レビーの背後にはイスラエルが存在している。 その2カ月後、つまり1994年5月に労働党の党首だったジョン・スミスが急死、その1カ月後に行われた新党首を決める投票でブレアが勝利している。レビーのほか、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合の影響を受けず、国内ではマーガレット・サッチャー的、国外では親イスラエル的な政策を推進することになる。これが「ニュー・レイバー」だ。 ちなみに、イスラエルと親密な関係にある人物はチルコット委員会にもいる。5人の委員のうち、マーチン・ギルバートとローレンス・フリードマンのふたり。いずれも親ブレアで、好戦的である。 ブレアは首相を辞めた後、カネ儲けに忙しい。ジェイコブ・ロスチャイルド(ロスチャイルド卿)やエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドとブレアは親しいと言われているが、ウォール街の巨大銀行「JPモルガン」やスイスの保険会社「チューリッヒ・インターナショナル」から毎年300万ポンド(約4億5000万円)の報酬を得ている。クウェートやカザフスタンの政府とも取り引きがあるようだ。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)を攻撃した実行者を「アル・カイダ」だとブッシュ・ジュニア政権は詳しい調査をせずに断定、その 10日後にペンタゴンを訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は、国防長官の周辺でイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃する計画ができあがっていることを知ったと話している。こうした国々を攻撃する理由はないと統合参謀本部は考えていたようだ。 このイラク攻撃を小泉純一郎政権は支持、マスコミも戦争熱を煽っていた。当時、テレビに登場するのはそうした類いの人物ばかりで、例外は橋田信介くらいだった。その橋田は2004年5月、自衛隊駐屯地へ立入許可証を受け取りに行った帰りに甥の小川功太郎とともに殺害されている。その後、小沢一郎と鳩山由紀夫がこの流れを変えそうになるとマスコミは検察とタッグを組んでふたりを攻撃、今では安倍晋三政権と戦争への道を驀進中だ。 中東/北アフリカに戦乱を広げ、破壊と殺戮で人びとを苦しめることになったイラク侵攻に日本の政治家やマスコミも重大な責任がある。戦争犯罪の共犯者だということだ。イギリスではイラク攻撃の深層を隠すためにブレアを晒し者にしたが、日本ではそうしたことでさえ、行われていない。(注)アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2003年の開戦から2006年7月までに約65万人のイラク人が殺されたとされている(Gilbert Burnham, Riyadh Lafta, Shannaon Doocy, Les Roberts, “Mortality after the 2003 invasion of Iraq”, The Lancet, October 11, 2006)ほか、イギリスのORBは2007年夏までに94万6000名から112万人、NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたとしている。
2016.07.09
ウクライナの首都キエフでネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を使ったクーデターを2014年2月22日に成功させたアメリカ政府だが、クリミアの制圧には失敗した。そこにあるロシア黒海艦隊の拠点、セバストポリを押さえることはクーデターの大きな目的のひとつだった。 そこで4月上旬にアメリカ軍はミサイル駆逐艦のドナルド・クックを黒海へ入れ、ロシア領海の近くを航行させて威嚇したのだが、4月12日に非武装のSu-24戦闘機が12回にわたって駆逐艦の近くを飛行して警告する。 ロシアから流れてきた情報によると、そのときにSu-24は「キビニECMシステム」を搭載、ドナルド・クックのイージス・システムを麻痺させたという。14日にこの駆逐艦はルーマニアの港へ急遽入り、その後、ロシアの国境には近づかなくなった。ロシア側の報道は正しいと見られている。 キエフのクーデターでポーランドは工作の拠点。ポーランド外務省は2013年9月にクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、その「学生」はワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたって暴動の訓練を受けたという。 そのポーランドで大統領を務めたことがあり、「民主化」の象徴的な存在になっているレフ・ワレサはこの出来事に関し、アメリカ側の対応が甘いとおだを上げている。「もし自分がその艦船の司令官で、もしそうした航空機が飛行したなら、私は撃ち落とす。ただ、殺しはしない。翼を吹き飛ばすだけだ。」とラジオ自由ヨーロッパに語ったのだ。電子戦のことなど気にもしていない。「気合い」で戦争に勝とうとしたどこかの国の軍人に似ている。 しかし、ワレサの発言で興味深いのは別の箇所だ。ロシア軍機の翼を吹き飛ばすような敵対行為はNATOとロシアの本格的な軍事衝突を招くのではないかと質問され、「無理だね。どんな戦争だい。誰も衝突を望んでいないし、ロシアも望んでいない」と答えたという。ロシアにそんな余裕はないというわけだ。つまり、ロシアは何をされてもおとなしくしているとワレサは考えているのだろう。 この発想はネオコン/シオニストに酷似している。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官(SACEUR)によると、1991年1月にアメリカ軍を中心とする軍勢がイラクを攻撃した際、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はサダム・フセインを排除しないまま攻撃を止めたジョージ・H・W・ブッシュ大統領の決定を怒り、5年以内にイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていたという。こうした不満だけでなく、アメリカ軍の軍事介入をソ連が傍観していたことを彼は喜んでいた。そしてネオコンは1992年の初めに国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。 このプランがリークされたのは、その危険性を懸念する人が支配層にもいたからだと推測されているが、同じ頃、ウォーターゲート事件で名を売ったジャーナリストのカール・バーンスタインはアメリカ政府とローマ教皇庁が実行したソ連圏に対する秘密工作について書いている。(Carl Bernstein, “The Holy Alliance,” TIME, Feb. 24, 1992) この記事によると、1982年6月7日にロナルド・レーガン米大統領とローマ教皇のヨハネ・パウロ2世はバチカンで50分間にわたって会談、ソ連圏の解体を早めるための秘密工作を実行することで合意した。 その会談の3週間ほど前、レーガン大統領はNSDD 32を出し、ソ連を「無力化」するために経済的、外交的、そして秘密工作を使うことを承認している。1983年にはNSDD 77を出し、民主化を口実にしてアメリカの巨大資本にとって都合の悪い国家、体制を崩壊させようという「プロジェクト・デモクラシー」を始動させた。この手法は今も続いている。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004) 秘密工作の手先として活動していたのが1980年9月に創設された反体制労組の「連帯」で、NEDなどを経由してCIAの資金が流れ込んでいたほか、ローマ教皇庁や西側の労働組合が持つ銀行口座も利用されていた。 その後、イタリアの大手金融機関、アンブロシアーノ銀行やバチカン銀行(IOR/宗教活動協会)から連帯へ不正な形で送金されていたことが発覚(David A. Yallop, “In God`s Name”, Poetic Products, 1984/日本語版では送金が違法だったとする部分は削除されている)、当時のポーランドでは入手が困難だったファクシミリのほか、印刷機械、送信機、電話、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピュータ、ワープロなどが数トン、ポーランドへアメリカ側から密輸されたと言われている。(Carl Bernstein, “The Holy Alliance,” TIME, Feb. 24, 1992)連帯の指導者だったレフ・ワレサも自伝の中で、戒厳令布告後に「書籍・新聞の自立出版所のネットワークが一気に拡大」したと認めている。(レフ・ワレサ著、筑紫哲也、水谷驍訳『ワレサ自伝』社会思想社、1988年)こうした不正融資も原因になってアンブロシアーノ銀行は倒産、ロベルト・カルビ頭取は1980年5月に逮捕され、保釈後の翌年6月にロンドンで変死体になって発見された。 バチカン銀行の工作で中心的な役割を果たしたのはシカゴ出身のポール・マルチンクス頭取。マルチンクスはローマ教皇パウロ6世(ジョバンニ・バティスタ・モンティニ)の側近で、このパウロ6世はモンティニ時代からCIAと緊密な関係にあった。CIAでパウロ6世/モンティニと最も強く結びついていた人物は防諜部門を統括、後に私信の開封工作が発覚して辞任することになるジェームズ・アングルトンだ。この人物もアレン・ダレスの側近として知られている。 このパウロ6世は1978年8月に死亡、アルビーノ・ルチャーニが新教皇に選ばれ、ヨハネ・パウロ1世を名乗った。若い頃から社会的な弱者に目を向けていた人物で、CIAとの関係はなかったと見られているが、その新教皇は1978年9月に急死、そして登場してくるのがポーランド出身のカロル・ユゼフ・ボイティワ。1978年10月に次の教皇となり、ヨハネ・パウロ2世と呼ばれるようになり、ポーランド工作に深く関与する。 このヨハネ・パウロ2世は1981年5月に銃撃されているが、引き金を引いたモハメト・アリ・アジャはトルコの右翼団体「灰色の狼」に所属していた人物。この団体はトルコにおける「NATOの秘密部隊」の一部という。この事件では3名のブルガリアが起訴されたが、1986年3月に無罪の判決が言い渡されている。 バチカンを舞台にしたポーランド工作にはポーランド出身のズビグネフ・ブレジンスキーが重要な役割を果たしたとされているが、この人物はソ連軍をアフガニスタンへ誘い込んで「ベトナム戦争」を味わわせるという計画を立てている。1979年4月にCIAはサウジアラビア、パキスタン、イスラエルなどと共同で秘密工作を開始、ジミー・カーター大統領は7月に計画を承認している。事後承諾だ。その年の9月にハフィズラ・アミンがモハメド・タラキ首相を暗殺して実権を握り、12月にはソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻してくる。 第2次世界大戦の前からバチカンの内部にはバルト海からエーゲ海までを統一してカトリックの国を作ろうという動きがあった。いわゆる「インターマリウム」だ。イギリスやフランスの情報機関から支援され、メンバーは東ヨーロッパのカトリック信徒だった。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) そうした計画(妄想)の背後には、ブリュッセルを拠点としたPEU(汎ヨーロッパ連合)が存在する。この組織はオットー・フォン・ハプスブルク大公らによって1922年に創設され、メンバーにはウィンストン・チャーチルも含まれていた。 第2次世界大戦後、1948年にアレン・ダレスなどアメリカのエリートはウィンストン・チャーチルの協力を受け、ヨーロッパ統一を目指してACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)」を設立、その下にビルダーバーグ・グループも作られた。EUはその延長線上にある。 ネオコンはワレサと同じ見通しでロシアを征服するプロジェクトを始めたが、そうした判断を間違いだとロシアは警告してきた。やんわりと戦闘能力の高さを見せつけているのだが、それを理解していないのではないかと懸念する人は少なくない。軍事的な圧力を強め、核戦争になると思えば屈服するという「信仰」に執着している可能性はある。次期米大統領がワレサ程度の思考能力しかなかったなら、世界はかなり危険な状況になる。
2016.07.08
ジェームズ・コミーFBI長官によると、FBIは司法省に対し、ヒラリー・クリントンの不起訴を勧告したという。(映像)FBIは7月2日、ヒラリーから公務の通信に個人用の電子メールを使った件に絡む問題で3時間半にわたって任意の事情聴取を行っていた。機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性があり、また、そうした情報をきわめて軽率に扱っていたことを認めた上での決定だが、過去の似た事件、例えば4年前に米海軍のブライアン・ニシムラが有罪になったケースに比べて不自然だとも指摘され、もしヒラリーが大統領になった場合、法規を無視して軽率に核戦争を始めかねないとも皮肉られている。 FBIは強引に幕引きを図ったようだが、メールの内容が漏れているほか、夫のビル・クリントンをも戦争へと導き、国務長官時代にはシリアやリビアへの軍事侵略へ深く関与している実態が露見するなど逆風が強まっていることは間違いない。FBIの内部でも不満が高まるだろう。今後、何らかの形で告発があっても不思議ではない。 消去したメールについてヒラリーは私的な通信だと説明、彼女の側近であるヒューマ・アベディンはスケジュールに関するメールを「機密書類入れ」に入れ、消去する準備をしていたと証言したと報道されている。スケジュールは公的な記録であり、残しておかなければならないので法律に違反していることになるが、リビアやシリアへの軍事侵攻、あるいはホンジュラスのクーデターに関連した、より深刻な内容のメールも含まれていたはずだ。アベディンの証言は「ダメージ・コントロール」、一種の人心操作だった可能性がある。 ヒラリー・クリントンは夫が大統領だった1990年代、好戦派の友人であるマデリーン・オルブライト(国連大使から国務長官)やビクトリア・ヌランド(国務副長官の首席補佐官)と連携して政権をユーゴスラビアに対する先制攻撃へと導いたことは本ブログで何度も指摘した。 2009年1月にバラク・オバマが大統領になるとヒラリーは国務長官に就任、その年の6月にはホンジュラスでクーデターがあり、マヌエル・セラヤ政権が倒された。クーデターの中枢には少なくとも2名のSOA卒業生が含まれているのだが、これは1946年にアメリカがパナマに設置した軍事訓練施設。ラテン・アメリカから集めた軍人に対し、対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などを教え込むことが創設の目的で、その出身者は帰国後にクーデターを実行したり暗殺部隊を編成している。 こうしたこともあってSOAは悪名をとどろかすことになり、1984年にパナマから追い出された。今はアメリカのジョージア州フォート・ベニングに移動、2001年から名称をWHISC(またはWHINSEC)へ変更した。 現在、アメリカ政府はホンジュラスのクーデター政権を容認しているが、当時、現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告している。つまり、クリントン国務長官も実態をしっていた。この正当性のない政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したという報告がある。 現在、アメリカ政府はホンジュラスのクーデター政権を容認しているが、現地のアメリカ大使館はその当時、国務省に対してクーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告していた。つまりクーデター政権には正当性がないと明言している。この正当性のない政権は翌2010年、最初の半年だけで約3000名を殺害したという報告がある。 クーデターを支援していたひとり、ミゲル・ファクセが麻薬取引が富の源泉であることもアメリカ側は認識していた。ちなみに、ミゲルの甥にあたるカルロス・フロレス・ファクセは1998年から2002年にかけてホンジュラスの大統領だった人物である。 リビアとシリアに対する軍事侵略でもヒラリーは中枢グループのひとりだった。この両国に対する侵略が本格化するのは2011年の春で、その年の10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はNATO軍の空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上部隊の連係攻撃で倒され、その際にカダフィは惨殺された。それをCBSのインタビュー中に知らされたヒラリーは「来た、見た、死んだ」と口にし、喜んでいる。 NATOとアル・カイダ系武装集団が連携していることは当事者の証言で明らかになっていたが、カダフィ惨殺後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えていた。アル・カイダ系武装集団がアメリカ/NATOと深く結びついていることを示す事実が追加されたと言える。この段階でアメリカ/NATOがアル・カイダ系武装勢力と手を組んでいることは隠しようがなくなった。 カダフィ体制が崩壊した後、リビア軍の倉庫から武器/兵器が持ち出されてトルコへ運ばれているが、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュによると、輸送の拠点になったのはベンガジにあるCIAの施設。つまり武器の輸送はCIAが黒幕だった。 そうした事実をアメリカ国務省は黙認、輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたとも伝えられている。運び出された武器/兵器の中に化学兵器も含まれ、これをシリアで使い、政府軍に責任をなすりつけてNATO軍が直接、介入する口実にしようとしたと言われている。 ヒラリーは2013年2月1日まで国務長官を務めていたが、その前年8月にアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)は反シリア政府軍について、主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIだとホワイトハウスへ報告している。シリアのアル・カイダ系武装集団としてアル・ヌスラが有名だが、DIAによると、アル・ヌスラはAQIの別名で、こうした集団は西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしていた。 DIAがシリア情勢に関する報告書を出した翌月、2012年9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺されたのだが、領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。武器はトルコ経由でシリアの侵略軍へ渡される手はずになっていた。 言うまでもなく、ヒラリーはスティーブンスの上司にあたり、戦闘員や武器の輸送を彼女も報告を受けていたはず。2012年11月にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはヒラリーと緊密な関係にあることで知られ、このルートからもシリアでの工作を知らされていたはずだ。 そのヒラリーに信頼された友人で、クリントン家の顧問にもなっているシドニー・ブルメンソールのメール・アカウントが後にハッキングされ、4通のメールがロシア系メディアのロシア・トゥデーにリークされ、明らかになった。2013年3月のことだ。 その後、この4通のうち長官時代の3通は本物だということが確認されたが、残りの1通は2013年2月16日付け、つまり長官を辞めた半月後のために公表の対象でなく、確認はされていないが、恐らく本物だろうと考えられている。 その4通目にはスティーブンス大使を含むアメリカ人4名が殺された事件に関する情報が含まれ、ベンガジを含む襲撃に資金を出したのはサウジアラビアのスンニ派だということを示す証拠をフランスとリビアの情報機関が持っているとしている。この当時、サウジアラビアとカタールとの間で内紛が起こっていたとも言われている。 ヒラリーが電子メールを消去していなければ、また彼女に対する捜査が徹底的に行われたなら、こうした問題の真相も明るみに出る可能性があった。 ちなみに、中国人実業家から130万ドル(約1億6000万円)の賄賂を受け取った疑いで昨年、逮捕されたジョン・アシュ元国連総会議長はヒラリーに関する証言をする直前、6月22日に心臓発作で急死したという。
2016.07.06
安倍晋三政権は「改憲」を目論んでいる。日本国憲法を改定、あるいは別の憲法と取り替えようというわけだ。目前に迫っている参議院選挙で態勢を整えるつもりだろうが、問題はどのような憲法にしようとしているかである。 日本が正式に連合国へ降伏したのは1945年9月2日。政府全権の重光葵と大本営全権の梅津美治郎が東京湾内に停泊していたアメリカ太平洋艦隊の旗艦ミズーリ上で降伏文書に調印したのがこの日だ。 しかし、日本の支配層は自分たちが敗北したという認識が希薄だったようで、戦前の治安体制を維持できると考え、政治犯を拘束し続けていた。そうした中、1945年9月26日に哲学者の三木清が獄死している。 日本の思想統制を担当していたのは内務省だが、その最高責任者である内務大臣だった山崎巌にロイターのR・リュベン記者が10月3日にインタビュー、その際に山崎は特高警察の健在ぶりを強調、天皇制に反対する人間は逮捕すると言い切ったという。敗北の意味を理解できていなかったようだ。その日、岩田宙造法相は中央通訊社の宋徳和記者に対し、政治犯を釈放する意志はないと明言している。 ロイターや中央通訊社の報道後、ダグラス・マッカーサー連合軍最高司令官は「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃、政治犯の釈放」を指令、10月10日に政治犯は釈放された。安倍政権は「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限」を復活させ、政治犯を拘束しようと目論んでいるように見える。 1947年1月に上海から帰国した作家の堀田善衛は引き揚げ船が佐世保沖で足止めになっていたとき、様子を見にきていた警察官に日本で流行っている歌をうたわせたところ、出てきたのは「リンゴの唄」だった。 これを聞いた堀田は、「敗戦ショックの只中で、ろくに食べるものもないのに、こんなに優しくて叙情的な歌が流行っているというのは、なんたる国民なのかと、呆れてしまったんです」と書いた。しかも、「明白な敗戦なのに"終戦"とごまかしている。この認識の甘さにも絶望しました」という。(堀田善衛著『めぐりあいし人びと』集英社、1993年) 内務大臣や法務大臣だけでなく、日本全体が戦争に負けたという事実を認識できていなかった、あるいは目をそらしていたようだ。いや、今でも歴史を直視しようとしない人がいる。戦争の経験者が少なくなるにつれ、そうした人びとの妄想は現実から乖離していく。 1946年11月3日に公布、47年5月3日に施行された日本国憲法の柱は天皇制の継続、民主化、交戦権の放棄だと言えるだろう。敗戦後も維持するつもりだった支配システムとは天皇制官僚国家。官僚にとって天皇制の継続は大きな問題だっただろう。 しかし、日本の外では、当然のことながら、天皇に対して違った見方をしていた。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという(堀田善衛著『上海にて』筑摩書房、1959年)が、侵略されたアジアの人びとだけでなく、イギリス、オーストラリア、ソ連なども天皇に批判的だった。 日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)は事実上、アメリカ軍だったが、時間を経るに従って天皇に批判的な声が高まることは避けられない。第2次世界大戦の前から日本の支配体制と強く結びついていたアメリカの支配層、つまり巨大資本としても天皇制官僚国家を維持したかったはずで、民主主義と平和主義の衣をまとった天皇制を定めた憲法を速やかに作り上げることになった。 勿論、安倍政権が目指す改憲で天皇制が否定されることはないだろう。民主主義と平和主義をかなぐり捨てたいのだ。これはアメリカを拠点とする巨大資本の意思でもある。 この巨大資本は1933年3月から45年4月にかけての期間、ニューディール派が主導権を握る政府と対立関係にあった。その中心的な存在がフランクリン・ルーズベルト大統領。 スメドリー・バトラー少将の議会証言によると、ウォール街を拠点とする巨大資本は1933年から34年にかけての時期、ニューディール派を排除するためにクーデターを計画していた。バトラー少将から話を聞いたポール・フレンチ記者はクーデター派を取材し、「コミュニズムから国を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を聞いたと議会で証言している。勿論、議会での証言である以上、記録に残っている。 クーデター派の中心だった巨大金融機関のJPモルガンは日本とも関係が深い。1923年の関東大震災で大きな打撃を受けた東京周辺を復興させるために必要な資金を日本政府は外債の発行で調達しようとしたが、その債券を引き受けたのがJPモルガン。この巨大金融機関と最も親しかった日本人と言われているのが井上準之助だ。 また、1932年に駐日大使として赴任してくるジョセフ・グルーは、いとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻。戦後、グルーは日本の民主化を止め、ファシズム化へ方向転換させたジャパン・ロビー(ACJ)で中心的な役割を果たすことになる。(詳細は割愛) 安倍政権が目指している「日米同盟」は、1923年から32年までの日米関係をモデルにしているように見える。この時期の関係を「対米協調」とも表現するが、明治維新以降、日本は東アジアと協調しようとしていない。侵略、破壊、殺戮、略奪だ。明治維新によって日本は周辺国との友好関係を破壊、侵略国家に変貌したと言えるだろう。 安倍政権は「戦前への復古」と「アメリカへの従属」を目指しているが、これを矛盾と言うことはできない。遅くとも関東大震災以降、日本はウォール街に従属し続けている。フランクリン・ルーズベルト政権の時代が例外なのだ。日本の支配層にしてみると、こうした政権がアメリカに登場することを阻止しなければならない。そのため、さまざまなことが行われているだろう。そうした工作で「金の百合」が「ナチ・ゴールド」と同じように重要な役割を果たしてきたことは想像に難くない。 安倍政権を含む日本政府が進めてきた政策は基本的にウォール街発。TPPはアメリカを拠点とする巨大資本が国を支配する仕組みだが、日本の支配層にとっては必然なのだろう。安保法制は1992年にアメリカの好戦派によって作成された世界制覇プロジェクトに基づいて作られたが、その背景には世界を自分の所有物にしたいという強欲な巨大資本や富豪が存在する。 緊急事態条項は1980年代にアメリカで導入されている。ドワイト・アイゼンハワー政権当時、アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を計画したことは本ブログでも繰り返し、書いてきた。ソ連/ロシアを制圧すれば、世界の覇者になれると米英支配層の少なくとも一部は信じてきた。1960年代の前半まで、彼らは自分たちが圧勝できると信じていたようだが、それでも核戦争後に国を動かす「秘密政府」の仕組みを準備している。(James Bamford, "A Pretext For War", Random House, 2004) その仕組みがジミー・カーター政権でFEMAという形になり(Andrew Cockburn, "Rumsfeld," Scribner, 2007)、ロナルド・レーガン政権でCOGになった。このプロジェクトは1987年7月に「イラン・コントラ事件」の公聴会でジャック・ブルックス下院議員がオリバー・ノース中佐に質問している。 それに対し、委員長のダニエル・イノウエ上院議員が「高度の秘密性」を理由にして質問を遮った。ブルックス議員はマイアミ・ヘラルド紙などが伝えていると反論、緊急時に政府を継続する計画が練られていて、それはアメリカ憲法を停止させる内容を含んでいると説明している。(このCOGに関する話を後にCNNの番組を紹介するという形で日本のテレビ局が深夜に放送していたが、そこに登場した著名な某記者は「ガセネタ」扱いしていた。) 1988年になると大統領令12656が出され、COGの対象は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更された。これが安倍政権の言い出した緊急事態条項の見本だろう。この変更があったため、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は「愛国者法」によってアメリカ憲法の機能を停止させることができた。 安倍政権は個人情報の収集と分析にも力を入れているが、世界的に見ると、こうしたことは1970年代から問題になっていた。ランパート誌1972年8月号にNSA元分析官の内部告発が掲載されてNSAの存在が明るみに出たが、その際、NSAは「全ての政府」を監視しているとされている。 NSAのパートナーと言えるイギリスの電子情報機関GCHQの存在を明らかにしたのはダンカン・キャンベルとマーク・ホゼンボール。ふたりは1976年にタイム・アウト誌で調査結果を発表したのだが、それによってアメリカ人のホゼンボールは国外追放になり、キャンベルは治安機関のMI5から監視されるようになった。全世界の通信を傍受できるシステムECHELONの存在を1988年に暴露したのもキャンベルだ。(Duncan Campbell, 'Somebody's listening,' New Statesman, 12 August 1988) 集められた情報を集積、分析するシステムの開発も進められた。1970年代の終わりに開発されたPROMISはその代表例で、アメリカやイスラエルの情報機関はトラップ・ドアを組み込んだ上で国際機関、各国政府、金融機関などの売っていた。このシステムは民間企業が開発したのだが、それを司法省が盗んだとアメリカの破産裁判所、地方裁判所、下院司法委員会は見なしている。 このシステムには日本の法務総合研究所も注目、1979年と80年に『研究部資料』として公表している。この当時の駐米一等書記官は原田明夫であり、実際に動いていたのは敷田稔。原田は法務省刑事局長として「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を進め、事務次官を経て検事総長に就任、敷田は名古屋高検検事長を務めた。日本の「エリート」を過小評価してはならない。 安倍晋三はアメリカを拠点とする巨大資本の傀儡だということになるが、その巨大資本が現在、揺らいでいる。何度も書いてきたが、最大の問題はドルが基軸通貨の地位から陥落しそうなこと。ロシアや中国の実力も彼らは見誤った。アメリカと特別な関係にあるとされているイギリスもアメリカ離れを始めている。ネオコン/シオニストの暴走はこうした流れを加速させているようだ。ネオコンが最後に頼るのは核戦争の脅しだろう。
2016.07.05
西側支配層の内部で次期アメリカ大統領としてヒラリー・クリントンが内定したという話が流れたのは昨年6月のことだった。この月の11日から14日かけてオーストリアでビルダーバーグ・グループの総会が開かれ、彼女の旧友として知られているジム・メッシナが出席していたことから生じた噂だ。今年6月9日から12日にかけてドイツのドレスデンで開かれた会合にはヒラリーと同じ好戦派のフィリップ・ブリードラブ前SACEUR(欧州連合軍最高司令官)が参加している。 そのヒラリーに対する逆風がここにきて強まっているように見える。FBIは7月2日、彼女から公務の通信に個人用の電子メールを使った件に絡む問題で3時間半にわたって任意の事情聴取したという。すでに彼女は2万通とも3万通とも言われているメールを消去、捜査妨害や機密文書の違法な扱いなどが指摘され、逮捕されても不思議でないと言われているのだが、FBIの動きは緩慢で、有力メディアも寛大な姿勢を見せてきた。 消去したメールについてヒラリーは私的な通信だと説明してきたのだが、彼女の側近であるヒューマ・アベディンはスケジュールに関するメールを「機密書類入れ」に入れ、消去する準備をしていたと証言しているという。スケジュールは公的な記録であり、残しておかなければならない。ヒラリーの弁明が崩れたと言える。 こうしたことが実際に行われていたことよりも、ヒューマ・アベディンがこうした証言をしたことに驚く人は少なくない。彼女は1996年にインターンとしてヒラリーのそばで働き始め、現在に至るまで信頼された側近として働いてきたからだ。ヒラリーは切り捨てられたのかもしれない。 ヒューマの母、サレハはムスリム同胞団の女性部門を指導、父親のシードはアル・カイダと関係していると主張する人もいる。後にヒューマはヒラリーの友人でネオコンのアンソニー・ウィーナーと結婚した。 ムスリム同胞団は1954年にエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、それ以降、エジプトでは非合法化されたが、このときにメンバーを保護したのがサウジアラビア。そのサウジアラビアの国教がワッハーブ派だ。その結果、ムスリム同胞団はワッハーブ派の影響を強く受けることになる。 サウジアラビアは1970年代の末、ズビグネフ・ブレジンスキーのプランに従って戦闘集団を編成するために戦闘員を雇った。その多くがサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団で、サウジアラビアの情報機関、総合情報庁長官を務めていたタルキ・アル・ファイサルが責任者だった。その下で戦闘員を集めていた人物がオサマ・ビン・ラディンだ。 ヒューマと同様、ヒラリーに大きな影響を及ぼしてきた人物がマデリン・オルブライトとビクトリア・ヌランド。オルブライトはズビグネフ・ブレジンスキーの弟子で、ビル・クリントン政権では当初、国連大使だった。ヌランドは後にウクライナでのクーデターに深く関与したネオコン。国務次官首席補佐官としてクリントン政権入りした。結婚相手はネオコンの中核グループの所属するロバート・ケーガンである。 消去された分も含め、ヒラリーの電子メールをロシア政府は持っていると言われているが、容易にハッキングできる状態だったことから少なからぬ個人、組織、国がそのメールを持っていると言われている。その中にはイスラエルも含まれているだろう。 ヒラリーはユーゴスラビアに対する先制攻撃だけでなく、リビアやシリアへの軍事侵攻にも深く関与、リビアからシリアへ戦闘員や武器を移動させる工作に関する情報も持っていた可能性が高い。リビアやシリアへの軍事侵攻ではアメリカ/NATOがアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使っていることも熟知、クリストファー・スティーブンス米大使がベンガジの米領事館で殺された背景も知っているはずということも本ブログでは何度か指摘した。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された10日後、ウェズリー・クラーク元SACEURはペンタゴンで、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺がイラク、シリア、イラン、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンを攻撃するプランを立てていると聞いたという。その10年前、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを5年で殲滅すると口にしたともクラーク元SACEURは語っている。 1980年代にはアメリカ政府の内部でイラクをどうするかで揉める場面があった。ネオコン/シオニストがサダム・フセインの排除を主張したのに対し、ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領、ジェームズ・ベイカー財務長官、ロバート・ゲーツCIA副長官は彼を仲間だと認識していたことから対立が生じたわけだ。この当時、アメリカの一部勢力はイラクへ武器を密輸、それを反フセイン派が暴露している。いわゆる「イラクゲート事件」だ。 1990年8月にイラクが石油を盗掘していたクウェートへ軍事侵攻、91年にはアメリカ軍を中心とする軍勢がイラクへ攻め込んでいる。このとき、ジョージ・H・W・ブッシュ政権はフセインを排除しなかった。そこでネオコンは怒り、シリア、イラン、イラクを殲滅するというウォルフォウィッツの発言につながったわけだ。 ネオコンがフセイン体制を倒したがった最大の理由は、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国帯を作り、シリアとイランを分断することにあった。イラクを破壊した後にシリアのバシャール・アル・アサド政権の打倒に執着しているのは、パイプラインの問題のほか、シリアのアサド体制を倒してイランを孤立させることにある。これはイランを敵視するサウジアラビアにとっても好ましいプランだった。 ヒラリーやネオコンはソ連の消滅でアメリカは「唯一の超大国」になったと認識、誰も自分たちに逆らわないというところから思考は始まる。1991年にイラクを、また99年にユーゴスラビアをそれぞれ攻撃した時にロシア軍が出てこなかったことから、それ以降も出てこないと思い込んだようだ。こうしたことはヒラリーのメールからもうかがえる。 アメリカの傀儡だったボリス・エリツィンからウラジミル・プーチンへ大統領が交代しても変化はないと考えたのだろうが、実際は違った。その変化にネオコンは対応できないでいる。軍事的な威嚇でロシアや中国を屈服させようとしているが、無理だ。 しかも、その様子を見てアメリカ離れが起こり始めている。Brexitの結果もそのひとつの表れだと見る人もいる。トルコ外相は同国のインシルリク基地をロシア軍が使う可能性に言及した。(注)この基地は2011年春からシリア侵略の拠点で、反シリア政府軍の戦闘員を訓練、その教官はアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員だと言われている。その基地をロシア軍が使う意味は小さくない。こうした変化にアル・カイダ系武装集団やダーイッシュが「派遣切り」を懸念、反応している可能性もある。(注)4日の報道でインシルリクの話が外相の発言として出てきたが、数時間後、外相はこの発言を否定。誤報だったのか、アメリカからの圧力が訂正の原因なのかは不明。
2016.07.04
もし、本心から「テロリズム」を憎んでいるのなら、その大本であるアメリカ政府と対峙しなければならない。アメリカの破壊工作人脈こそが「テロリスト」を動かしている張本人だからだ。7月1日のダッカにおけるレストラン襲撃や6月28日にトルコのアタテュルク国際空港であった爆破ではダーイッシュ(IS、ISIS、ISILなどとも表記)という名前が出ているが、本ブログで何度も書いたように、この武装集団を生み、育て、使ってきたのはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする国々の好戦派にほかならない。【イスラム武装勢力】 イスラム武装集団の生みの親と言える存在がズビグネフ・ブレジンスキーであり、そのメンバーは多くがサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団。ブレジンスキーはソ連の脅威を煽るために「危機の弧」という概念を使っていたが、これを考え出したのはプリンストン大学の教授でイギリス出身のバーナード・ルイス。危機の弧とはイスラム諸国と接するソ連の南部国境地帯を指している。 ルイスの影響を受けた人物の中には、国防総省内部のシンクタンク「ONA(ネット評価室)」で室長を務めていたアンドリュー・マーシャルやヘンリー・ジャクソン議員が含まれていた。このふたりを中心にしてネオコン/シオニストは強大化した。 ルイスの考え方の基盤は、1904年にハルフォード・マッキンダーが発表した「ハートランド理論」。ヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、イギリスや日本のような島国を「沖合諸島」、そして南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」と言うように分け、「世界島」の中心が「ハートランド」、具体的にはロシアだとしている。世界制覇のためにはロシアを制圧する必要があるということだ。 そのため、外側からハートランドを締め上げようと考え、「内部三日月帯」や「外部三日月地帯」を想定する。前者は西ヨーロッパ、パレスチナ(1948年にイスラエル建国を宣言)、サウジアラビア(サウード家のアラビアを意味するサウジアラビアが登場するのは1932年)、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ地域で、後者はその外側。 ブレジンスキーがこの理論に引かれた理由のひとつは彼の出自が関係している。彼自身はポーランドのワルシャワ生まれだが、一族はポーランド東部(現在はウクライナ)の貴族で反ロシア感情が強い。ロシアの制圧を戦略の軸に据えるマッキンダーの理論は魅力的に映ったのだろう。ここでブレジンスキーとネオコンは融合する。 ブレジンスキーのプランに基づき、CIAが秘密工作を始めたのは1979年4月。(Alfred W. McCoy, “The Politics Of Heroin”, Lawrence Hill Books, 1991)ブレジンスキーの思惑通り、1979年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻、戦争が始まる。 戦闘員を雇ったのはサウジアラビアで、この国の総合情報庁長官を務めていたタルキ・アル・ファイサルが責任者。その下で戦闘員を集めていた人物がオサマ・ビン・ラディンだ。後に「アル・カイダ」を指揮していると言われたが、このアル・カイダは戦闘集団でなく、オサマ・ビン・ラディンが戦闘を指揮するということも考え難い。ロビン・クック元英外相によると、アル・カイダはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだ。 ソ連軍と戦わせるため、CIAは戦闘員に爆弾製造や破壊工作の方法を教え、都市ゲリラ戦の訓練もしている。勿論、武器/兵器も提供したが、それだけでなく、麻薬取引の仕組みも作り上げた。ベトナム戦争の際、CIAは東南アジアの山岳地帯、いわゆる「黄金の三角地帯」でケシを栽培、ヘロインの密輸で資金を稼いでいたが、その拠点をパキスタンとアフガニスタンにまたがる山岳地帯へ移動させたのだ。ここは現在でも非合法ヘロインの主要供給地だ。この麻薬ルート上にはコソボがある。アメリカはコソボ乗っ取りでも麻薬取引を利用した。 1988年にソ連軍はアフガニスタンから撤退、91年にソ連が消滅する。その後、アメリカの支配層は旧ソ連圏を支配下におきはじめ、チェチェンを含むカフカスを奪おうと画策、再びサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする武装集団が登場してくる。【NATOの秘密部隊】 ヨーロッパにおけるアメリカの破壊(テロ)活動は、主に「NATOの秘密部隊」が行ってきた。1941年6月にドイツ軍はソ連に対する電撃作戦「バルバロッサ」を開始、9月にはモスクワまで約80キロメートルの地点まで迫った。 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月になってソ連軍が猛反撃、ドイツ軍25万人は完全に包囲され、43年1月に生き残った9万1000名の将兵は降伏した。そしてソ連軍は西へ進撃を開始する。 慌てたアメリカの支配層(フランクリン・ルーズベルト大統領の周辺ではない)は1944年6月にノルマンディーへ軍隊を上陸させる(オーバーロード作戦)が、その一方、イギリスとアメリカの情報機関(SOEとSO)はゲリラ戦を目的とするジェドバラを編成した。当時、レジスタンスはコミュニストが多かったため、これに対抗することが目的だったのだろう。 第2次世界大戦後、ジェドバラの人脈は極秘の破壊工作組織OPCを創設、1950年10月にCIAへ吸収されて52年8月から計画局(The Directorate of Plans)と呼ばれるようになる。その後、1973年3月に作戦局(The Directorate of Operations)へ名称変更、2005年からNCS(国家秘密局)になった。 OPCはヨーロッパに秘密工作を目的とするネットワークを作り、1948年まではCCWUが統括していた。NATOが創設されるとCPCの指揮下に入る。このCPCは欧州連合軍総司令部(SHAPE)と各国の情報機関を結ぶ役割を果たしているという。1950年代になると、秘密部隊の本部としてACCなる委員会が設置され、各国の情報機関はこの委員会で情報の交換を行っているとも言われている。NATO加盟国は秘密部隊を設置する義務があり、1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返したイタリアのグラディオは中でも有名だ。 この秘密部隊のネットワークが実際に存在していることが公的に認められたのは1990年10月のこと。フェリチェ・カッソン判事の求めを拒否できなくなったイタリアのジュリオ・アンドレオッチ首相が同年7月にSISMI(イタリアの対外情報機関)の公文書保管庫を捜索する許可を出し、その存在を否定できなくなったのだ。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005) アル・カイダ系武装集団にしろ、グラディオにしろ、アメリカが人心操作のために使っていることは秘密でも何でもない。一時期はヨーロッパの有力メディアも取り上げていた事実なのだ。「テロ」をテーマにした話をしていながらこの事実に触れようとしない人を私は信用しない。アメリカ政府が宣伝する「テロとの戦い」はお笑い種だ。
2016.07.03
バングラデシュの首都ダッカで7月1日、レストランがダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)系の武装集団に襲撃され、日本人7名を含む20名が殺されたという。繰り返しになるが、こうした集団は傭兵の集まりにすぎず、プロジェクトや状況によってタグが付け替えられてきた。 本ブログではすでに指摘したが、ダーイッシュはマレーシアやフィリピンなど東南アジアにエネルギーを集中させるように呼びかけていて、今年1月14日にはインドネシアの首都ジャカルタで何回かの爆破と銃撃戦があった。現在、アメリカは東シナ海から南シナ海にかけての海域で軍事的な緊張を高めようとしているので、それと連動した動きだろう。 今年の3月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務めていたフィリップ・ブリードラブがバラク・オバマ大統領をロシアとの軍事的な緊張を高めようと画策していたことが明らかにされたが、同じことをアジアの東側でも行っている。 ロシアや中国との戦争も視野に入れて動いているアメリカの戦争マシーンへ日本を組み込もうとしているのが安倍晋三政権。2015年6月1日に開かれた官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍首相は「安保関連法制」について、「南シナ海の中国が相手」だと口にしたという。安倍首相は「戦争ごっこ」のつもりかもしれないが、日本人は非常に危険な状況の中にいる。 少し前、6月28日にはトルコのアタテュルク国際空港で爆破事件があり、45名が死亡したと伝えられている。実行犯は3名で、主犯格とされるアーメド・チャタエフはチェチェン出身。2003年にロシアの治安当局から指名手配されていたが、オーストリアが難民と認定して保護、「人権擁護団体」の支援もあり、自由に移動していた。ダーイッシュに合流してシリアでの戦闘に加わったのは2015年だという。 ダーイッシュは2014年1月にファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言して登場し、6月にモスルを制圧した。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その後継を撮影した写真が世界規模で流れ、多くの人に知られるようになる。 言うまでもなく、スパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を得ているアメリカ軍はダーイッシュの動きを把握していたはずだが、反応しなかった。パレードしている車列などは格好の攻撃目標のはずだ。 ダーイッシュは当初、アメリカ軍によってサダム・フセイン体制が倒されたイラクで活動、AQI(イラクのアル・カイダ)と呼ばれていた。2006年にこの集団が中心になって再編成されたのがISI(イラクのイスラム国)で、2013年に活動範囲をシリアまで拡大してからISIS(イラクとシリアのイスラム国)、ISIL(イラクとレバントのイスラム国)、あるいはアラビア語名の頭文字をとってダーイッシュと呼ばれるようになった。 始まりはアル・カイダ。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されて以降、アメリカ政府から「テロリスト」の象徴として扱われてきたが、1997年から2001年にかけてイギリスの外務大臣を務めたロビン・クックによると、これはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。統一された武装集団ではないということ。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われている。AQIはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアなどがイラクでのプロジェクト用に集められた傭兵集団だと言えるだろう。その延長線上にダーイッシュはある。 CIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」の中心はサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団で、資金はサウジアラビアが出していた。ソ連軍をアフガニスタンへ引き入れ、そこで「ベトナム戦争」を味わわせるというズビグネフ・ブレジンスキー大統領補佐官(当時)のプランに基づいて戦闘員は集められ、武器/兵器も供与された。 この構図は今も基本的に変化していない。DIA(国防情報局)が2012年8月に作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けている。 そうした報告を受けた上でアメリカ政府はバシャール・アル・アサド政権を倒すため、侵略軍への支援を続けた。2012年の報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン中将はアル・ジャジーラの取材に対し、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語ったが、それはこうした背景があるからだ。またウェズリー・クラーク元SACEURは、アメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと語っている。 アメリカ軍の軍人だったフリンとクラークは触れていないが、友好国と同盟国だけでなくアメリカ自体もダーイッシュの創設に加わっている。先日、イラクのファルージャを政府軍が奪還したが、その際にイラク軍はシリアへの逃走を図るダーイッシュの車列を攻撃し、約500輌のうち200輌以上を破壊した。これはアメリカ側の要請を無視したもの。ここでもCIAがダーイッシュの戦闘員を訓練していたようで、アメリカ軍はCIAの顧問を逃がそうとしたと見られている。 シリアでは停戦を利用してアメリカ政府は侵略軍を編成し直し、新たな攻撃の準備を進めているが、その途中でロシア軍は侵略軍を攻撃した。アメリカが言うところの穏健派、アル・ヌスラ、そしてアメリカの特殊部隊が一体となっている部隊を攻撃、アメリカ政府は慌てて抗議したようだ。 アル・ヌスラと連携している武装集団のジャイシュ・アル・イスラムをアメリカ政府は「テロリスト」と認定することを拒否してきたが、そのジャイシュ・アル・イスラムは最近、人道的支援活動をしている国連の車列を攻撃したと伝えられている。アメリカの支配層にコントロールされている国連としても何らかの対応をとらざるをえないだろう。 アメリカの好戦派が描いたプランは崩れ始め、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に書簡を送り、昨年11月24日にトルコ軍のF-16戦闘機がロシア軍のSu-24爆撃機を撃墜、乗組員ひとりを死亡させたことを謝罪せざるをえなくなっている。
2016.07.02
今年の3月までSACEUR(NATO欧州連合軍最高司令官)を務めていたフィリップ・ブリードラブは好戦派として知られ、ロシアとの軍事的な緊張を高めるため、嘘をついてきた。退役後、6月にはフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に論文を書き、その中でも「ロシアの脅威」を主張、軍事的な緊張を高めようとしている。そのブリードラブが2014年当時、バラク・オバマ大統領を戦争へと導くためにコリン・パウエル元国務長官やウェズリー・クラーク元SACEURを含む人びとに相談していたようだ。そのことを示す電子メールがハッキングされ、公表されたのだ。 2014年2月22日にアメリカの支配層はウクライナでクーデターを成功させ、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除した年。ビクトリア・ヌランド国務次官補が2013年12月13日に米国ウクライナ基金の大会で行った講演によると、アメリカ政府は1991年からウクライナへ50億ドルを投入、この国をアメリカを拠点とする巨大資本がカネ儲けしやすい国に作り替え、ロシア制圧の橋頭堡にしようとしていた。 このクーデターを指揮していたグループに属していたヌランドは遅くとも2月4日の段階で「次期政権」の人選をしている。ヌランドがジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話でその件について話し合っている音声がこの日、インターネット上へアップロードされているが、その中で語られていた。 言うまでもなく、ウクライナはロシアと同じように、1991年12月にソ連が消滅するまでソ連の一部を構成していた。歴史をさかのぼると、ウクライナの東部は帝政ロシアが、また西部はハプスブルク家が支配していた。宗教的には東部が東方正教会であるのに対して西部はカトリック。 このクーデターでアメリカ支配層は、クリミアにあるロシア黒海艦隊の拠点、セバストポリを制圧する予定だったようだが、2014年3月16日にロシアの構成主体になることを問う住民投票がクリミアで実施され、95%以上が加盟に賛成している。そのときの投票率は80%を超えているので、棄権した人も含めても全住民の4分の3以上が賛成したわけだ。 ウクライナの東部や南部はロシアとのつながりが強いが、クリミアは1954年にニキータ・フルシチョフが独断でクリミアへ編入した地域で、その住民がロシアへ復帰したいと考えるのは自然な感情だった。 クリミアのロシア復帰は平和的に実現したが、西側の政府やメディアは「ロシア軍の侵略」を宣伝、それを真に受けた人も少なくない。クリミアにロシア軍がいたことは事実だが、これはソ連消滅後、1997年にロシアとウクライナとの間で結ばれた条約に基づいて駐留していただけ。この条約では基地の使用と2万5000名までの駐留がロシア軍に認められ、実際には1万6000名が駐留していた。このロシア軍を侵略軍と呼ぶなら、日本に駐留、特に沖縄に居座っているアメリカ軍は侵略軍と呼ばなければならない。 当時、西側では南オセチアへジョージア(グルジア)が奇襲攻撃した際、反撃のために出て来たロシア軍の戦車を撮影した写真をロシア軍のウクライナ侵略を証明するものだと宣伝するなど、西側の好戦派は軍事介入する気満々だった。 その好戦派にブリードラブも属していたのだが、オバマ大統領はロシアに対する軍事的な挑発には消極的。そうした中、ブリードラブから相談を受けたクラークは1997年7月から2000年5月にかけてのSACEUR。 アメリカ支配層がNATO軍を使ってユーゴスラビアを先制攻撃したのは1999年3月。つまり、クラークがSACEURだった時だ。アメリカを戦争へと導いたのは1997年1月に国務長官となったマデリーン・オルブライトで、このオルブライトを国務長官にしたのがヒラリー・クリントンだということは本ブログで何度か指摘した。 そのクラークはブリードラブに対してアドバイスしているが、その中に広告会社を雇って「情報戦争」、つまりプロパガンダを始めるように言っている。実際、クーデター後、ロシア軍が侵略しているという偽情報を流し、軍事的な緊張を高めようとする動きがあったが、この偽情報の流布は西側支配層に不信感を広めることになる。 クーデターの前段階、ウクライナで反政府運動が過激化しているとき、EUのエリートはすでに戦乱を懸念して話し合いでの解決を図っていた。それが気に入らなかったヌランドはパイアットとの電話で「EUなんかくそくらえ」と口にしたわけだ。 先日、ドイツ外相のフランク-ヴァルター・シュタインマイアーはNATOに対し、戦争を煽っていると批判した。ブリードラブやヌランドの言動は常軌を逸し、ヨーロッパどころか人類を含む生物を絶滅させかねないと考えている人はシュタインマイアーだけでないはずだ。ブリードラブの電子メールがハッキングされ、公表された背景には、アメリカの好戦派に対する懸念の広がりがあるだろう。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を生み出し、育て、支援、利用してきたのはこの好戦派だが、この武装集団への懸念もある。
2016.07.02
安倍晋三政権をはじめ、日本の「エリート」は現在、アメリカの支配層に従属することで自らの富を築き、地位を維持している。また、日本の「エリート」に従うことで収入と地位を手に入れようとしているのがマスコミや「権威」と呼ばれる学者たちで、その支配構造を維持するためにプロパガンダを続けてきた。 こうしたマスコミを批判するため、アメリカをはじめとする西側のメディアを持ち出す人たちが日本にはいる。アメリカのメディアと違って日本はだめだというわけだが、そのアメリカのメディアもプロパガンダ機関にすぎない。実態に関係なく、誰かを批判するために誰かを持ち上げるという姿勢は正しくない。結局、アメリカを中心とする支配システムから離れたくないのではないかと思われても仕方がないだろう。 アメリカの支配層はユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、イラン、ロシア、中国など自分たちにとって目障りな体制を攻撃してきたが、それを正当化するために流された情報の大半は正しくない。人道、民主化、独裁者の打倒、大量破壊兵器などをタグとして使ってきたが、いずれも嘘だった。その一端は本ブログでも紹介している。 こうした偽情報の戦術的な流布は1980年代、ロナルド・レーガン政権の時に「プロジェクト・デモクラシー」として始められた。その時期、アメリカ支配層は「規制緩和」でメディアの支配を強化、気骨のある記者や編集者は排除されていった。日本もその後を追っている。 日本やアメリカを含む西側のメディアが宣伝してきた「グローバル化」とは、アメリカを拠点とする巨大資本が国を支配するシステム。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セットはこのシステムを具体化するものである。ベニト・ムッソリーニやフランクリン・ルーズベルトの定義に従うならば、ファシズムだ。(注) このシステムについてムッソリーニは肯定的に、ルーズベルトは否定的に考えているのだが、このふたりが語っているということは、1930年代にこの問題が出て来たことを意味している。そこで、ルーズベルトを中心とするニューディール派は巨大企業の活動を制限しようと考え、支配層と対立することになった。 第2次世界大戦後、ジョン・F・ケネディ大統領も巨大企業の活動を規制しようとしたものの、暗殺されて挫折。1970年代に入ると上院外交委員会に多国籍企業小委員会が設置され、フランク・チャーチ上院議員が委員長に就任した。この小委員会ではロッキード社による買収工作が問題になったことでも知られているが、この会社だけでなく、多国籍企業全般の活動が問題になっていたのだ。 日本ではこの多国籍企業小委員会を「チャーチ委員会」と呼ぶことが多いが、世界的には、1975年に設置された「情報活動に関する政府による作戦を調査する特別委員会」がそう呼ばれている。ここでCIA、NSA、FBIによる秘密工作にメスが入れられ、CIAの破壊工作部門が行っていた活動の一端が暴露された。1970年代に入るまで、NSAは存在自体が秘密にされていた。 CIAによる破壊活動を批判する声に答えるため、1975年にジェラルド・フォード大統領は「アメリカにおけるCIAの活動に関する委員会」を設置し、その委員長にネルソン・ロックフェラー副大統領を任命したのだが、この委員会は大きな問題を抱えていた。委員のひとりだったライマン・レムニッツァーは大戦中にアレン・ダレスの下で秘密工作に従事、統合参謀本部議長のときにはキューバ侵攻を正当化するために「ノースウッズ作戦」と名づけられた偽旗作戦を計画、1963年の後半にソ連を先制核攻撃するというプランにも参加していた。それだけでなく、ネルソン・ロックフェラーはCIAの秘密工作を監督していた「工作調整会議」の議長として1954年から活動、ロックフェラー委員会の目的は秘密工作を隠蔽することにあったとしか考えられない。ケネディ大統領暗殺の後に設置されたウォーレン委員会と同じ役割だ。 多国籍企業の活動と情報機関の秘密工作を調べる委員会の委員長に同じ人物、つまりフランク・チャーチ上院議員が就任したのは必然だろう。本ブログでは何度か書いたが、戦時情報機関のOSSやCIAの幹部は当初、ウォール街の弁護士が名を連ねていた。例えば、OSSの長官だったウィリアム・ドノバン、その友人で戦後も情報活動を統括していたアレン・ダレス、ダレスの側近で破壊活動機関OPCの局長を務めたフランク・ウィズナーなどだ。後にケネディ大統領がCIAを解体しようとした根っこにはこうした事情があった。その代替機関として考えられていたのが1961年10月、アレン・ダレスがCIA長官を解任される前の月に創設されたDIA(国防情報局)だ。なお、この年の秋にはリチャード・ビッセルCIA計画局長(破壊活動担当)やチャールズ・キャベルCIA副長官(テキサス州ダラス市長の兄)もCIAから追い出されている。 ケネディ大統領は1963年11月22日にダラスで暗殺され、チャーチは1980年の選挙で敗れて84年4月7日に脾臓癌で死亡した。入院から3カ月後、59歳での死だ。 原因はともかく、巨大資本に立ち向かったふたりは若くしてこの世を去ることになった。その巨大資本が今、世界を制圧しようと軍事的な緊張を高め、それを西側メディアが支援している。勿論、その中にアメリカの有力メディアも含まれている。こうしたメディアを有り難がるということは、自分も巨大資本に従属することを意味する。【注】(1) ベニト・ムッソリーニは1933年11月に「資本主義と企業国家」という文章の中で、巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張した。これが彼の考えたファシズムであり、全体主義だとも表現されている。(2) 1938年4月29日にフランクリン・ルーズベルトはファシズムについて次のように定義した。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
2016.07.01
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