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アメリカのバラク・オバマ政権はロシアの外交官35名を含む96名のロシア人を国外へ追放したが、ロシア政府は対抗措置をとらないという。これまでアメリカ政府はロシアをハッキング、選挙への介入、偽報道などを行っていると非難してきたが、いずれも根拠や証拠は示していない。今回の外交官追放もそうだが、ドナルド・トランプが大統領に就任しないうちにできるだけアメリカとロシアとの関係を悪化させようとしているのだろう。そこで、ロシアのウラジミル・プーチン大統領はオバマ政権の挑発を無視する構えだ。 ロシアとの関係をアメリカが修復することをオバマ政権やヒラリー・クリントンが恐れている理由は、おそらく、ロシアや中国を属国化して世界を制覇することができなくなるからである。1991年12月、ボリス・エリツィンたちを使ってソ連を消滅させることに成功したネオコン/シオニストはアメリカが唯一の超大国になったと認識、中国も新自由主義陣営に取り込んだと考えていた。残された「雑魚」を始末するため、1992年2月に国防総省でDPG(通称、ウォルフォウィッツ・ドクトリン)が作成されている。 このドクトリンは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどを潜在的なライバルと位置づけ、そうした国々がライバルに成長することを阻止するとしている。潜在的ライバルを真のライバルへ成長させる基盤はエネルギー源であり、そうしたエネルギー源を産出する西南アジアを支配することも重要なテーマになる。 ネオコン系シンクタンクのPNACが2000年に発表した「米国防の再構築」というタイトルの報告書をジョージ・W・ブッシュ政権は政策の基盤にしたが、この報告書のベースはウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。 本ブログでは何度も書いてきたが、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていた。当時、彼は国防次官だ。2001年9月11日に世界貿易センターと国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたが、その10日後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺では攻撃予定国リストが作成されていたともクラークは語っている。そのリストに載っていた国はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイラン。 イラクは2003年にアメリカ主導の連合軍に攻撃され、シリアやリビアは2011年にアメリカなどが操るアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)などの攻撃を受け、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はその年のうちに倒された。 リビアの場合、アル・カイダ系武装集団のLIFGがNATO軍と連携して戦い、その実態は戦乱の中で明らかになった。リビアのカダフィ体制が崩壊した後、戦闘員や武器/兵器はシリアへ運ばれたのだが、今度はロシアがNATOの空爆を阻止する。昨年9月末からはシリア政府の要請に応じて空爆を開始、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは劣勢になり、壊滅は時間の問題だと見られている。 アレッポをシリア政府軍が奪還した際、14名以上の外国人将校をシリアの特殊部隊が拘束したと伝えられている。出身国はアメリカ、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタール、ヨルダン、モロッコだとされ、名前も掲載されている。 もっとも、こうした作戦に参加する将兵は偽造書類を携帯していることが通例で、その情報が正しいかどうかを判断するには詳しい調査を待つ必要がある。また、別の情報によると、拘束された将校はアメリカ人22名、イギリス人16名、フランス人21名、イスラエル人7名、トルコ人62名だという。 9月17日にアメリカ軍が主導する連合軍がデリゾールでシリア政府軍をF-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機で攻撃、80名以上の兵士を殺し、28日には2つの橋を、30日にも別の橋2つをそれぞれ爆撃して破壊した。17日には、空爆の7分後にダーイッシュの部隊が地上でシリア政府軍に対する攻撃を開始していることから、アメリカ軍とダーイッシュの共同作戦だったと見られている。 それに対し、9月20日にシリア北部の要衝、アレッポの山岳地帯にある外国軍の司令部をシリア沖にいるロシア軍の艦船から発射された3発の超音速巡航ミサイルが攻撃、約30名が殺されたとロシア系メディア(アラビア語のスプートニク)は伝えた。死亡した人の出身国はアメリカ、イギリス、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールで、軍人や情報機関に所属、デリゾールでの空爆を指揮したのはこの司令部だとも言われている。 シリア政府軍がアレッポを制圧した後、それまでそこを支配していた反シリア政府軍によって殺害された住民の集団墓地が発見されたようだが、それだけでなく、NATOのマークが入った大量の武器弾薬が発見されたとも伝えられている。こうした武器弾薬がどのようにシリアへ持ち込まれたのかは興味深いところだ。サウジアラビアやトルコに責任が押しつけられた場合、新たな秘密が暴かれる可能性もある。
2016.12.31
バラク・オバマ大統領はアメリカを孤立させてホワイトハウスを去ることになった。アジアの東側では属国だったはずのフィリピンが離反してベトナムも後を追い、西側ではアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を傭兵として利用した侵略戦争がシリアで破綻、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を利用したクーデターで実権を握ったウクライナは破綻国家になっている。 シリア情勢について12月20日にロシア、イラン、そしてトルコがモスクワで話し合っているが、アメリカは相手にされていない。これまでネオコン/シオニストなどアメリカの好戦派は停戦を手駒の態勢立て直しに利用するだけで、真剣に戦乱を終結させようとはしてこなかった。アル・カイダやダーイッシュを危険だと考える将軍たちが統合参謀本部から排除されただけでなく、問題を外交的に解決する姿勢を見せていたジョン・ケリー国務長官はオバマ大統領から無視されていた。ケリーの外交を露骨に妨害していたのがネオコンでヒラリー・クリントンと親しいビクトリア・ヌランド国務次官補だ。 2014年2月4日の時点で政権転覆後の閣僚人事をめぐってヌランドはジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話で話し合っていたが、その中で彼女はがEUに対して「くそったれ」という言葉を浴びせた。外交を否定する流れの中でのことだ。そのヌランド、そしてヒラリーにズビグネフ・ブレジンスキーの弟子だと言われているオバマ大統領が引っ張られたのは当然かもしれない。 ウクライナでヌランドと同じようにクーデターを煽っていたネオコンのジョン・マケイン上院議員は2013年5月、シリアへ違法入国して後にダーイッシュのトップとして登場するアブ・バクル・アル-バグダディと会っている。 その3カ月後、シリアの首都ダマスカス近郊が化学兵器で攻撃され、西側の政府や有力メディアはシリア政府軍が使用したと宣伝、リビアと同じようにNATO軍が軍事介入する口実にしようとした。 ところが、攻撃の直後にロシアのビタリー・チュルキン国連大使は反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾したと国連で説明、その際に関連する文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事も書かれた。 すぐに現地を調査したキリスト教の聖職者マザー・アグネス・マリアムはいくつかの疑問を明らかにした。例えば、攻撃のあった午前1時15分から3時頃(現地時間)には寝ている人が多かったはずだが、犠牲者がパジャマを着ていないのはなぜなのか、家で寝ていたなら誰かを特定することは容易なはずであるにもかかわらず明確になっていないのはなぜなのか、家族で寝ていたなら子どもだけが並べられているのは不自然ではないのか、親、特に母親はどこにいるのか、子どもたちの並べ方が不自然ではないか、同じ「遺体」が使い回されているのはなぜか、遺体をどこに埋葬したのか、などだ。(PDF) 12月になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。また、国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 また、トルコの国会議員エレン・エルデムらは捜査記録などに基づき、トルコ政府の責任を追及している。化学兵器の材料になる物質はトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったというのだ。この事実を公表した後、エルデム議員らは起訴の脅しをかけられていた。 NATO軍の軍事侵攻が決定的であるかのように「報道」していた西側の有力メディアの宣伝がピークに達したのは9月3日。この日、地中海からシリアへ向かって2発のミサイルが発射されたのだ。このミサイル発射はロシアの早期警戒システムがすぐに探知、その事実が公表されるが、ミサイルは途中で海へ落下してしまう。 シリア政府軍の残虐行為を口実にして本格的な軍事介入を目論んだアメリカ/NATOだが、これは失敗に終わった。その翌年、売り出してくるのがダーイッシュだ。2014年1月にファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にモスルを制圧したのだが、その際、トヨタ製小型トラック「ハイラックス」の新車を連ねた「パレード」を行い、その様子が世界に伝えられた。当然、アメリカの軍や情報機関は偵察衛星や無人機で監視、通信傍受や人間による情報活動などで情報を集め、武装集団の動きを知っていたはずだが、黙認している。 西側の有力メディアを使って偽情報を流し、幻影を事実だと人びとに信じ込ませてから軍事侵略して破壊と殺戮を繰り広げるというパターンはシリアで挫折した。そのシナリオ作成にはアメリカの広告会社が関与しているのだろう。 そうした作戦を破綻させる上で中心的な役割を果たしたのがロシア。そのロシアを攻撃するため、アメリカのオバマ政権や有力メディアは「偽報道」だとするキャンペーンを展開中だ。「リベラル」だとされ、「言論の自由」を象徴する存在だと日本では見なされているニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙も有力メディアに含まれている。 日本の大手マスコミが支配層の宣伝機関にすぎず、信頼できないことは少なからぬ日本人が知るようになった。人びとの心を操る仕組みとして機能しなくなりつつあると言えるだろう。 そうした中、日本のマスコミを罵倒した上で、ニューヨーク・タイムズ紙などアメリカの有力メディアを持ち上げる人たちがいる。そうしたアメリカの有力メディアが信頼されなくなっているのだが、日本ではそうした認識がまだ薄いようで、日本のマスコミに替わる情報操作の手段として利用されているようだ。 しかし、アメリカでは有力メディアと手を組んでロシアを攻撃しているオバマ政権に対し、選挙にロシアが介入したとする証拠を見せろという要求が強まっているようだ。第2次世界大戦直後にイタリアで行われた選挙から始まり、アメリカ政府は外国の選挙へ頻繁に介入してきたわけで、オバマ大統領たちの主張は滑稽なのだが、自分たちが行ってきたことを相手が行っていると宣伝するのもアメリカが頻繁に使う手口だ。 アメリカが孤立してきた一因は、こうした事実が広く知られるようになり、人びとが辟易していることにあるだろう。オバマ大統領は自分たちが孤立していないことをアピールする必要がある。安倍晋三首相はハワイの真珠湾を訪れ、「日米同盟」を宣伝したというが、それだけオバマ大統領が追い詰められているということでもあるのだろう。
2016.12.30
東芝が2017年3月期の決算で数千億円規模の減損損失を計上する可能性があるという。 前期にも同社は2500億円程度の減損処理を実施しているが、そうした事態を招いた最大の原因は原子力部門である。2006年2月に東芝はイギリスのBNFL(British Nuclear Fuels Limited/英国核燃料会社)からウェスティングハウス・エレクトロニックを54億ドルで買収したが、この取り引きが原因で2年後には粉飾決算を始めることになったようだ。 こうした事実が公表される直前、安倍晋三政権が高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃炉と新たな高速炉開発する方針を固めたと報じられた。もんじゅには36年間で1兆0410億円がつぎ込まれたが、計画は全く進んでいない。もっとも、計画が進んでいたなら日本を死滅させるリスクを飛躍的に増加させていたはずで、不幸中の幸いと言えるかもしれない。 もんじゅの計画にはアメリカの事情が反映されている。ジミー・カーター政権は核分裂性物質の管理を強化する政策を推進、1978年に成立した原子エネルギー法は、アメリカで作られた核物質を外国がどのように輸入し利用するかを厳しく制限するものだった。その結果、議会は国境を越える原子炉用核燃料の輸送に承認を与えなければならなくなる。 しかし、次のロナルド・レーガン政権は違った。新型核弾頭の設計や、増殖炉の開発に取り組んでいる科学者たちに資金を注ぎ込んだのだ。そうした計画の中心がクリンチ・リバー渓谷にあったエネルギー省オークリッジ国立研究所の施設。1980年から87年の間に160億ドルが投入されたと言われているが、アメリカの経済状況が悪化したこともあって87年に議会はクリンチ・リバーへの予算を廃止してしまう。 調査ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、そこで登場したのが日本だった。クリンチ・リバーの計画を推進していたグループはそこで開発された技術を日本の大手電力会社へ千分の一の値段で移転したのだ。 日本が核兵器の開発を進めていると確信していたCIAはこうした動きを警戒するが、内部に入り込むことはできなかった。IAEAがアメリカ支配層に逆らうことも難しいだろう。それだけ増殖炉に絡んだ人脈は強力だということを意味している。日本とアメリカの科学者は共同で研究を始め、資金は日本の電力会社が出したという。 その過程で日本側が第1に求めたのは核兵器用プルトニウムを量産してきたサバンナ・リバー・サイトにあるプルトニウム分離装置。その装置が運び込まれることになるのは、東海再処理工場に付属する施設として1995年に着工されたRETF(リサイクル機器試験施設)だ。プルトニウムを分離/抽出する施設だ。 こうした目論見をもんじゅの廃炉で諦めるつもりはないようで、文科省はもんじゅ内に新たな試験炉を設置する方針もまとめ、安倍政権はもんじゅに代わる新しい高速炉の開発に着手する方針を確認した。もんじゅで得る予定だったデータはフランス政府が計画している高速炉ASTRIDに資金を拠出して共同研究に参画したり、もんじゅの前段階の研究に使われた実験炉の常陽を活用するつもりのようだ。 こうした動きの源は核兵器を持ちたいという日本支配層の欲望にあると言えるだろう。原子力ビジネスによって私腹を肥やしたいという思いも強いだろうが、カネ儲けだけなら原子力である必要はない。 以前にも書いたことがあるが、日本の核兵器開発は第2次世界大戦の時代までさかのぼることができる。そうした研究開発にはふたつの流れがあり、そのひとつは理化学研究所の仁科芳雄を中心とした陸軍の二号研究、もうひとつは海軍が京都帝大と検討していたF研究だ。陸軍は福島県石川郡でのウラン採掘を決め、海軍は上海の闇市場で130キログラムの2酸化ウランを手に入れて1944年には濃縮実験を始めたという。 1945年に入るとドイツは日本へ約540キログラムの2酸化ウランを潜水艦(U234)で運ぶ計画を立てるが、途中でアメリカの軍艦に拿捕されてしまう。日本側は知らなかったようだが、アドルフ・ヒトラーの側近だったマルチン・ボルマンは潜水艦の艦長に対し、アメリカの東海岸へ向かい、そこで2酸化ウランを含む積み荷をアメリカ海軍へ引き渡すように命令していたという。(Simon Dunstan & Gerrard Williams, “Grey Wolf,” Sterling, 2011)その結果、このUボートに乗り込んでいた日本人士官は自殺、積み荷はオーク・リッジへ運ばれたとされている。 NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝えている。1967年には「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」が設立され、69年に日本政府は西ドイツ政府に対して核武装を持ちかけた。 この提案を西ドイツは拒否するものの、日本側は核武装をあきらめない。10年から15年の期間での核武装を想定、核爆弾製造、核分裂性物質製造、ロケット技術開発、誘導装置開発などについて調査、技術的には容易に実現できるという結論に達している。 原爆の原料として考えられていた高純度のプルトニウムは、日本原子力発電所の東海発電所で年間100キログラム余り、つまり長崎に落とされた原爆を10個は作れると見積もっていた。 1977年になると東海村の核燃料再処理工場(設計処理能力は年間210トン)が試運転に入るのだが、山川暁夫は78年6月に開かれた「科学技術振興対策特別委員会」で再処理工場の建設について発言、「核兵器への転化の可能性の問題が当然出てまいるわけであります」と主張している。実際、ジミー・カーター政権は日本が核武装を目指していると疑い、日米間で緊迫した場面があったという。 ウェスティングハウス・エレクトロニックなどアメリカやイギリスの核関連会社の買収が経済的に危険だということは東芝の経営者も承知していただろう。だからこそ、日本企業が買収できるのだ。そうしたリスクがあっても買収したい理由があったはずだ。東芝の救済がどのような形で行われるか、興味深い。
2016.12.29
アメリカ主導の連合軍がシリアでダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を支援していることは明らかで、それを示す証拠を持っているとトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が語ったという。間違いではないが、少なくとも最近まで、トルコもその仲間だった。ダーイッシュを含む侵略部隊の兵站線はトルコから伸びていたのだ。 トルコがロシアとの関係を修復する動きを見せたのは6月下旬。エルドアン大統領がトルコ軍機によるロシア軍機撃墜をウラジミル・プーチン露大統領に謝罪、7月13日にはトルコ首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆していた。エルドアン政権の打倒を目指す武装蜂起はその2日後に起こった。 ロシアへの接近はトルコよりイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフの方が早い。今年5月、ネタニヤフ首相はロシアとパイプを持っているアビグドル・リーバーマンを国防大臣に据え、ネタニヤフ自身も盛んにモスクワを訪問、6月7日にはプーチン大統領と会談している。イスラエルとトルコで何らかの話し合いがあったと見られている。そのイスラエルでは現在、ネタニヤフ政権を揺さぶる動きがある。 エルドアン政権はクーデターを仕掛けたのはフェトフッラー・ギュレンを黒幕だとして批判してきたが、ギュレン派は国家警察の内部に食い込んでいると言われ、ありえない話ではない。このギュレンは1999年にアメリカへ渡り、アメリカ支配層の保護下に入ったとされている。当時はビル・クリントン政権だった。 そのアメリカは、イランのメディアFARSによると、特殊部隊の隊員を7つの基地に派遣している。マブロウカには少なくとも45名、アイン・イッサには100名以上、コバネには300名以上、タル・アブヤダには少なくとも200名だという。 シリア政府軍がアレッポを制圧した際に14名以上の外国人将校が拘束されたと伝えられた。IDカードに基づくのだろうが、その出身国はアメリカだけでなく、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタール、ヨルダン、モロッコだという。別の情報によると拘束された将校はアメリカ人22名、イギリス人16名、フランス人21名、イスラエル人7名、トルコ人62名だとされている。 これまでトルコは戦闘員や物資を送り込む拠点で、シリアやイラクで盗掘された石油が運び込まれていた場所でもある。アレッポでトルコ人が拘束されても不思議ではないが、トルコ政府がロシアへ接近したとなると、これまでシリアでバシャール・アル・アサド政権の打倒を目指して戦っていたトルコ人ははしごを外された形。クーデター未遂があったことでも明らかなように、反エルドアン派は無視できない力を持っている。 サウジアラビアの場合、シリアやイエメンを侵略してロシアと対立してきた結果、財政赤字が深刻化して国内は揺らぎはじめた。そうした状況を生み出した好戦的な政策を推進しているのはサルマン国王、そしてその息子であるモハンマド・ビン・サルマン副皇太子兼国防相だ。副皇太子はトルコのクーデターに関与したと言われ、彼が連携しているアラブ首長国連邦のモハンマド・アル-ナヒャン皇太子はギュレンと関係がある。 体制が揺らいでいる現れなのか、パレスチナからの情報によると、サウジアラビアから数十人の王子や王女が逃げ出しているという。粛清を恐れているようだ。シリア侵略に失敗、肩入れしていたヒラリー・クリントンが大統領選で敗北したことから、サウジアラビア国王は暴力で体制維持を図る可能性があると見ているのだろう。 ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派はプーチンのグループがロシアを再独立させた時に迷走を始めた。ボリス・エリツィン時代のようにロシアを属国化させようとしたのだが、思惑通りには進んでいない。ウクライナやシリアでも同じことが言える。 本来なら軌道修正する必要があるのだが、ネオコンは当初の計画を実現しようと必死にもがき、状況を悪くしている。そのあげく、ロシアや中国と核戦争を始めかねない状況を作り出してしまった。 一時期、プーチン政権は相手に「名誉ある撤退」のチャンスを与えようとしたが、裏切りを繰り返して信頼を失った。イスラエルやトルコが離反しても不思議ではないが、ネオコンやその背後にいる勢力は後戻りできなくなっているのだろう。彼らの支配体制は瓦解するかもしれない。
2016.12.28
12月19日にトルコのアンカラでトルコ駐在のアンドレイ・カルロフ露大使を射殺した非番の警官、メブリュート・アルチンタスがカタールを訪れていたとトルコで報じられている。7月15日にレジェップ・タイイップ・エルドアン政権の打倒を目指す勢力が武装蜂起して失敗、その翌月に2回、そして10月にもカタールを訪れた。 言うまでもなく、カタールはサウジアラビアやネオコンと同じように、今でもシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうともがいている。昨年9月末からロシアがシリアで空爆を始めてから戦況が一変、アメリカやペルシャ湾岸産油国をはじめとする侵略勢力の目論見は崩れつつある。アレッポを政府軍はほぼ奪還したことは侵略側に大きなダメージを与えたはずだ。 アレッポで戦う自分たちの手先を守るため、アメリカ軍は自分たちが主導する連合軍を使って9月17日にシリア北東部の都市デリゾールを空爆した。F-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機を使い、攻勢に出る直前だったシリア政府軍を攻撃したのだ。60名とも80名とも言われる兵士を殺したと言われている。シリア政府軍を空爆した7分後、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の部隊が地上でシリア政府軍に対する攻撃を開始、空と陸で連携していた可能性が高いことは何度も指摘してきた通り。 アメリカ側はミスだとしているが、これまで連合軍はこの地域でアル・カイダ系武装集団やそこから派生した空爆を実施したダーイッシュを攻撃したことはなく、現在の戦闘システムや現地の状況から考えても意図的な攻撃だった可能性が高い。そこまでバラク・オバマ政権は追い詰められているとも言える。 侵略勢力のシリア軍に対する空爆でロシア政府はアメリカ政府に気兼ねすることなくアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを攻撃するようになる。ロシア系メディア(アラビア語のスプートニク)によると、シリア沖にいるロシア軍の艦船が9月20日に3発の超音速巡航ミサイルを発射、アレッポの山岳地帯にある外国軍の司令部を破壊、その攻撃で約30名が殺されたという。死亡者はアメリカ、イギリス、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールから派遣された軍人や情報機関の人間で、デリゾールででの空爆を指揮したのはこの司令部だとも言われている。9月28日に侵略軍は2つの橋を破壊、30日にも別の橋2つを爆撃、政府軍の進撃を止めようと試み、ロシアの異動病院も攻撃されて2名以上の医療関係者が殺されている。 シリア政府軍がアレッポを制圧した際、反政府軍側で戦っていた14名以上の外国人将校をシリアの特殊部隊が拘束したと伝えられている。その出身国はアメリカ、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタール、ヨルダン、モロッコだとされている。また別の情報によると、拘束された将校はアメリカ人22名、イギリス人16名、フランス人21名、イスラエル人7名、トルコ人62名だという。トルコやイスラエルの出身者がいたとする情報が正しいなら、両国政府の方針転換についていけなかったのか、反発して残ったのだろう。 アメリカ政府は舞台をシリア北部に派遣したと伝えられていたので、拘束された人数が多くても不思議ではない。イランのメディアFARSによると、アメリカ軍は部隊を7つの基地に派遣、そのうちマブロウカには少なくとも45名、アイン・イッサには100名以上、コバネには300名以上、タル・アブヤダには少なくとも200名だとされている。 イスラエルがロシアへ接近を諮り始めたのは今年5月。ベンヤミン・ネタニヤフ首相はロシアとパイプを持っているアビグドル・リーバーマンを国防大臣に据え、ネタニヤフ自身も盛んにモスクワを訪問、6月7日にはプーチン大統領と会談している。 6月下旬にはトルコのエルドアン大統領がウラジミル・プーチン露大統領に対し、ロシア軍機の撃墜を謝罪し、7月13日にはトルコの首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆している。イスラエルと同じように、トルコもアメリカから離れはじめ多様に見える。クーデター未遂はその2日後だ。 武装蜂起を鎮圧した後、エルドアン政権はフェトフッラー・ギュレンを黒幕だとして批判している。このギュレンは1999年、ビル・クリントン政権の時にアメリカへ渡ってからアメリカ支配層の保護下にあるとされている。 サウジアラビアから流れてきた情報によると、同国の副皇太子で国防相でもあるモハンマド・ビン・サルマンがクーデターに関与、この副皇太子と連携しているひとりがアラブ首長国連邦のモハンマド・アル-ナヒャン皇太子で、この人物はアメリカへ亡命しているギュレンと関係があるという。エルドアン政権はカルロフ大使の暗殺にこのギュレンが関係しているとしている。トルコ政府の主張を裏付ける明確な証拠は示されていないが、ありえない話ではない。 暗殺の背景はともかく、大使殺害でロシアとトルコが進める関係修復の動きが止まることはなさそうだ。1914年6月28日にオーストリア皇太子がサラエボで暗殺された後のような展開になる可能性は小さいということである。
2016.12.27
バラク・オバマ大統領が12月23日に署名した2017年国防授権法(NDAA)には言論統制の強化を合法化する条項があり、アメリカはますますファシズム化が進むことになるだろう。アメリカ下院は政府や有力メディアが伝える「正しい報道」に反する「偽報道」を攻撃する手段になる法律を11月30日に可決、12月8日は上院が対偽情報プロパガンダ法を通過させている。ロシアや中国などからの「プロパガンダ」に対抗するアメリカの同盟国を助けることが上院を通過した法案の目的だが、それがNDAAに組み込まれたのだ。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカでオバマ政権や有力メディアが宣伝している「偽情報」や「偽報道」とは、自分たちにとって都合の悪い情報を意味しているにすぎない。自分たちが発信してきた「偽情報」や「偽報道」の効果がないことに慌て、言論統制を強化しようとしているにすぎない。 1992年にネオコンは世界制覇のプロジェクトを作成、その翌年に大統領となったビル・クリントンはそのプロジェクトを始動させない。そこで有力メディアはユーゴスラビアを先制攻撃させるために偽情報を流しはじめ、99年にNATO軍はユーゴスラビアを全面攻撃した。その間、メディアはクリントン大統領をスキャンダルで攻撃している。 ユーゴスラビアに関する偽報道を広める上で活躍したひとりがニューズデイのボン支局長だったロイ・ガットマン。ボスニアで16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたと1992年8月に書いているのだが、これは嘘だったことが判明している。この嘘を広めた功績で、後に彼はピューリッツァー賞を受賞した。 この人物、今年12月にも偽情報を記事にしている。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を作ったのはシリア政府であり、「アル・カイダ」を操っているのはバシャール・アル・アサドだというのだ。この記事もすぐ嘘だとばれる代物だが、ピューリッツァー賞を信奉する人には効果があるかもしれない。 ところで、クリントン政権がユーゴスラビアを軍事介入する方向へ舵を切るのは1997年1月のこと。ズビグネフ・ブレジンスキーの教え子で、ファースト・レディだったヒラリー・クリントンと親しいマデリン・オルブライトが国務長官に就任してからだ。 イラクを先制攻撃する際に言われた大量破壊兵器が嘘だったことは後に発覚、その事実はジョージ・W・ブッシュ政権の閣僚も認めざるをえなくなっている。この時、イギリスのトニー・ブレア政権が侵略を正当化する偽情報の流布に果たした役割も判明している。 リビアやシリアへの軍事介入を正当化するために宣伝された民衆弾圧も嘘。シリアの場合、アメリカなど西側は当初、シリア系イギリス人のダニー・デイエムが使ってシリア政府の弾圧を宣伝していたが、彼のグループが「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像がインターネット上に流出、嘘が発覚した。次に化学兵器の使用を西側は主張したが、これも嘘がすぐに発覚する。 ビル・クリントン政権、ジョージ・W・ブッシュ政権、バラク・オバマ政権、いずれも偽情報を流しながら世界に戦乱を広め、破壊と殺戮で人びとを苦しめてきた。その手先として偽報道を繰り返しているのが西側の有力メディアにほかならない。その嘘が余りにも露骨になって信じる人が減少、そこで言論統制の強化だ。 第2次世界大戦が終わった直後からアメリカの支配層が組織的な報道コントロールを目論んでいたことは本ブログでも紹介した。いわゆるモッキンバードだ。その中心人物は戦争中から破壊活動を指揮していたウォール街の弁護士でもあるアレン・ダレス、その側近でやはりウォール街の弁護士だったフランク・ウィズナー、ダレスの側近で後にCIA長官になるリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだ。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979) 日本ではウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだことから「言論の自由」を象徴するイコンとして崇められているワシントン・ポスト紙だが、情報操作に深く関与していたのだ。 ウォーターゲート事件の取材で中心的な役割を果たしたカール・バーンシュタイン記者は1977年に同紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」というタイトルの記事をローリング・ストーン誌に書いている。それによると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977) 1970年代の有力メディアには気骨のある記者や編集者がまだいたが、それでも情報機関にかなり浸食されていた。現在では露骨なプロパガンダ機関にすぎないのだが、それでもイコンとして扱いたがる人がいる。日本のマスコミは駄目だが、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙はすばらしいというわけだ。そうした西側メディア信奉者は国際情勢に目を向けたがらない。結局、日本の支配層を操るアメリカの支配層が描く幻影を受け入れることになる。 言論統制の強化を後押しする記事をワシントン・ポスト紙が掲載したのは11月24日。政府や有力メディアが伝える「正しい報道」に反する「偽報道」を攻撃する手段になる法律が報道の2日前に下院へ提出され、30日に可決された。彼らはトランプを攻撃するだけでなく、巨大資本による支配システム、つまりファシズム化を実現するための体勢を立て直そうとしている。そうした人びとが受け入れる幻影を流しているアメリカの有力メディアの「報道」に反する情報を封印しようというのが今回の法律だ。
2016.12.26
2005年から15年にかけてアメリカで生み出された仕事の94%は「代替労働」、その実態はパートタイムだった。定性的には以前から指摘されてたことだが、それをハーバード大学とプリンストン大学の経済学者、つまりローレンス・カッツとアラン・クルーガーが論文の中で認めた。就労を諦めている人が増えていることもあり、アメリカではフルタイムの労働者は減少し続けている。ジョージ・W・ブッシュ政権とバラク・オバマ政権が進めてきた経済政策の必然的な結果だ。日本やアメリカの有力メディアが宣伝する「景気回復」の実態はこうした代物。 アメリカでは庶民から富を奪い、1%どころか0.01%の富豪へ富を集中させてきたのだが、それだけでなく生産活動を放棄、基軸通貨として認められてきたドルを発行する特権だけで生きている国になってしまった。製造業は労働コストの低い国、つまり低賃金というだけでなく、労働環境が劣悪で環境基準も甘い国々へ移動している。 そうした低賃金、劣悪な労働環境、甘い環境基準を守ことは巨大資本のカネ儲けにとって重要で、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の目的に含まれる。 庶民の生活を支える社会保障の仕組みを破壊するのも必然で、公的な健康保険や年金は消滅し、高等教育を受ける権利も庶民は奪われる。支配層を監視する仕組みも壊されるだろう。そうした「レジーム・チェンジ」のキーワードがISDS(投資家対国家紛争解決)条項だ。 1991年12月にソ連が消滅した後、ボリス・エリツィンが大統領を務めていた時代のロシアはアメリカを拠点とする巨大資本の属国で、新自由主義に基づく政策で運営されていた。TPPやTTIPが目指す方向をロシア支配層も向いていたのだ。中国も新自由主義に浸食されていた。 ソ連消滅後、新自由主義の信奉者たちはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、雑魚の処分に取りかかる。それが1992年2月に国防総省で作成されたDPG草案(ウォルフォウィッツ・ドクトリン)につながる。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどを潜在的なライバルと位置づけ、そうした国々は真のライバルに成長することを阻止しようというわけだ。そのためにも、膨大な資源を抱える西南アジアを支配する必要性が出てくる。 ところが、21世紀に入ってロシアではウラジミル・プーチンを中心とするグループがロシアを再独立させ、ネオコンの前に立ちはだかった。ネオコンたちはウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいてウクライナ、中東、北アフリカを戦乱で破壊、東アジアで軍事的な緊張を高めてきた。本ブログで繰り返し書いてきたが、日本の軍事化推進もウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づいている可能性が高い。 ここにきて特に軍事的な緊張が高まっている南シナ海は中国の交易戦略「一帯一路」のうち海のシルクロードの東端。そこをアメリカが制圧し、中国の輸出入品運搬、特にエネルギー源の輸送を断ち切ろうとしている。 そうしたアメリカの動きに対抗する意味もあり、中国はミャンマーの北部に石油/天然ガスのパイプラインを建設、銅山開発も進め、北部カチン州のイラワジ川上流では「ミッソン・ダム」を建設していた。そうした動きに対抗するようにアメリカはミャンマー政府と話をつけ、アウン・サン・スー・チーを支配者に据えた。 そのスー・チーの支持母体である仏教徒はミャンマーの西部ヤカイン州に住んでいるイスラム教徒のロヒンギャを襲撃し、多くの人を虐殺してきた。襲撃グループのリーダーは「ビルマのビン・ラディン」とも呼ばれているアシン・ウィラトゥで、そのウィラトゥに率いられていたグループは「民主化運動」の活動家というタグが付けられている。 ミャンマーはアメリカ支配層にコントロールされていると言えるが、ここにきてフィリピンが自立の動きを見せ、ベトナムもその後を追って中国との関係を改善しようとしている。中国に軍事的な圧力を加える手駒が手薄になってきたとも言えるだろう。日本だけでは足りない。 そうした中、イギリスが登場してきた。イギリスの駐米大使、キム・ダロクはワシントンDCの某シンクタンクでイギリス軍を南シナ海で中国を威嚇する行動に参加することを明らかにしたのだ。10月から自衛隊との演習に参加する目的で派遣されている4機の戦闘機タイフーンを南シナ海で飛行させ、2020年に就役する2隻の空母を太平洋へ派遣すると語ったのだ。 1904年にイギリスではハルフォード・マッキンダーがロシア(ハートランド)を周囲から締め上げる戦略を発表している。いわゆる「ハートランド理論」だ。広大な領土、豊富な天然資源、そして多くの人口を抱えるロシアを支配することが世界制覇につながると主張、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」、その外側に「外部三日月地帯」をマッキンダーは想定した。 日本列島は内部三日月帯の東端に位置する。マッキンダーがこの理論を発表する前からこうした戦略をイギリス支配層は持っていたはず。日本では徳川体制を倒した薩摩藩と長州藩を中心とする勢力が新政府を樹立、中央集権化を進めるため、1871年7月に藩を廃して府県に改めた。いわゆる廃藩置県だが、その後1872年に琉球国を琉球藩にしている。もし、当初から新政府が琉球国を日本だと考えていたか、日本領にしようとしていたなら廃藩置県の前に琉球藩をでっち上げているはずだ。廃藩置県の後、何かが起こった。 1871年10月に宮古島漁民の難破、台湾に漂着した漁民の一部が殺されたとされているのだが、それを口実にして日本政府は清に抗議、被害者に対する賠償や謝罪を要求、74年に軍隊を台湾へ送り込んだ。この派兵を正当化するためには宮古島、つまり琉球国が日本領だという形を作る必要があった。 琉球藩が作られた1872年、厦門のアメリカ領事だったチャールズ・リ・ジェンダーが来日、外務卿だった副島種臣に台湾への派兵を勧めたという。それ以降、彼は1875年まで外務省の顧問を務めた。日本を離れたのは1890年。 1875年に明治政府は李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発、「日朝修好条規」を結ばせて清国の宗主権を否定させることに成功、無関税特権を認めさせ、釜山、仁川、元山を開港させている。 1894年に朝鮮半島では甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、日本政府は軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争に勝利した日本は1895年4月、「下関条約」に調印して大陸侵略の第一歩を記すことになる。 清の敗北でロシアへ接近することが予想され閔妃(高宗の王妃)をこの年、日本の三浦梧楼公使たちが暗殺している。暗殺に加わった三浦公使たちは「証拠不十分」で無罪になるが、この判決は暗殺に日本政府が関与している印象を世界に広めることになる。後に三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。 明治維新で薩摩藩や長州藩の背後にはイギリスがいた。そのイギリスはすでにアヘン戦争(1840年から42年)で中国(清)を侵略しているが、イギリスが描いていた世界戦略を実現するためには兵員が不足していた。その穴埋めに目をつけられたのが日本。1902年に日本はイギリスと同盟協約を結び、04年にはロシアと戦争を始める。 イギリスは日本の軍備増強に協力、ロシアとの戦争に必要な費用を融資したのはロスチャイルド系金融機関のクーン・ローブだった。そのトップ、ジェイコブ・シフと親しくなるのが高橋是清だ。 そして現在、イギリスはアメリカの戦力不足を補うために東アジアへ派兵しようとしている。その最終目的は巨大資本、富裕層が世界の富を独占することだ。
2016.12.25
ドナルド・トランプ次期大統領が新たに設置するホワイトハウス国家通商会議(NTC)のトップにピーター・ナバロを選んだ。NTCは経済戦略の中心と位置づけられているようだが、NSC(国家安全保障会議)とも連携するようだ。ナバロは中国に対して好意的とは言えない人物だが、台湾の蔡英文総統と電話で話をして中国の反発を招くなどトランプは中国を刺激していることも事実。新政権はロシアと中国を分断しようと目論んでいるとも推測されているが、そうしたことを実現するのは困難だろう。 ロシアと中国とが強く結びつく原因を作ったのはバラク・オバマ政権。中国に対する挑発をオバマ政権も続けていたが、それ以上に中国を警戒させたのはウクライナ、リビア、シリアに対するアメリカの侵略行為だ。リビアの場合、中国が関係を強めていたアフリカを植民地化することが目的。アフリカの自立で中心的な役割を果たしていたのがリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制だ。そうした政策の一環として、カダフィはドル決済を止め、金貨ディナールをアフリカの基軸通貨にしようとしていた。 シリアでもリビアと基本的に同じことをアメリカ支配層は行っている。シリアとリビアで違うことはロシアの対応。シリアではアメリカ/NATOが制空権を握ることを許していない。 アメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月に政府へ提出した報告書の中で、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)だと指摘、オバマ政権が政策を変えなければシリア東部にサラフ主義の支配地ができると警告していた。アル・カイダ系武装集団の中心もサラフ主義者やムスリム同胞団であり、その背後にはサウジアラビアなどペルシャ湾岸の産油国が存在する。この報告書が作成された当時のDIA局長がマイケル・フリン中将。その予測はダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実になった。 退役後の2015年8月、フリン中将はアル・ジャジーラの番組に出演、サラフ主義者の勢力拡大を見通していたのになぜ阻止しなかったのかと詰問する司会者に対し、自分たちの役割は正確な情報を提供することであり、政策を決定はバラク・オバマ大統領が行うのだと答えている。オバマ政権の決定した政策がダーイッシュの勢力を拡大させたというわけだ。 シリアでの戦闘が進むにつれ、各国の特殊部隊やトルコ軍の将兵だけでなく、チェチェンなどカフカスの周辺や新疆ウイグル自治区などから戦闘員が入り込んでくる。中国にとってもシリア情勢は重要な問題になり、戦闘に関係していった。 こうした軍事的な理由だけでなく、アメリカ主導で西側がロシアに仕掛けた経済戦争が切っ掛けになってロシアと中国は急速に関係を深めている。東アジア、東南アジアで中国の輸送ルートをアメリカは断ち切ろうと目論んでいるが、それもロシアと中国を接近させる一因になっている。ネオコンはロシアや中国を攻撃しているつもりで、アメリカの足下を崩している。 こうした状況の中、ロシアに秋波を送り、中国に肘鉄砲を食わせても、この両国を引き裂くことはできないだろう。ロシアの経済分野ではアメリカ支配層に従属している人が少なくないようだが、ロシア全体を動かすほどの力はなくなっているように見える。 アメリカ太平洋艦隊司令官のハリー・ハリス海軍大将は中国やロシアとの戦争にも前向きの人物(例えばココ)。今年1月にワシントンDCで行われた講演で、「尖閣諸島が中国から攻撃されれば、米軍は同諸島を防衛する」と語ったようだが、実際は中国を攻撃するために尖閣諸島を利用するということだろう。これはオバマ政権の政策だとも言える。トランプ政権がこうしたオバマ政権の対中国政策を継続した場合、アメリカは破綻するしかないだろう。
2016.12.23
ガーシュ・クンツマンなる人物がニューヨーク・デイリー・ニューズのコラムでロシア大使殺害を賞賛、話題になっている。その大使とは、12月19日にアンカラの美術展覧会で射殺されたアンドレイ・カルロフ。レジェップ・タイイップ・エルドアン政権は暗殺の背後にCIAと関係の深いフェトフッラー・ギュレンがいると主張しているが、その一方でアル・カイダ系武装集団が「犯行声明」を出している。 挑発的な言動へ人目を惹こうとする人はしばしば見かけるが、今回のケースは殺人。実行犯だという非番の警官メブリュート・アルチンタスはアル・カイダ系武装集団に参加、あるいはつながっている可能性がある。2001年9月11日に世界貿易センターや国防総省本部庁舎(ペンタゴン)を攻撃したのはアル・カイダだとジョージ・W・ブッシュ政権は主張していた。 本ブログでは何度も指摘しているように、シリアやリビアは外国勢力(アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールなど)がアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使って侵略、戦乱が拡大した。アレッポで戦っていた戦闘集団も基本的にそうした人びとだ。クンツマンはこうした侵略勢力の支持者だと言われても仕方がない。 このクンツマンは親イスラエル派のニューヨーク・ポストでメディアの世界へ入り、今所属しているニューヨーク・デイリー・ニューズも親イスラエル派。ネオコンに近いと言えるだろう。シリアへの軍事侵略に失敗したネオコンがロシア大使の死を喜ぶのは必然である。
2016.12.22
IMF(国際通貨基金)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事に対し、フランスの共和国法院はフランス財務相時代の調停で「職務怠慢」があったと認めたが、刑罰は免除、IMFはラガルドを支持するという「寛大」な姿勢を見せている。巨大金融資本の支配層が行った違法行為は罰せられないというアメリカ流が踏襲されたようだ。今年6月にドイツのドレスデンで開かれたビルダーバーグ・グループの会合に彼女は出席しているので、欧米支配層は支持していると言える。 問題の調停はベルナール・タピなる人物とフランス銀行との間でのもの。2007年にタピは同銀行を株取引に絡む詐欺で訴え、調停で4億0400万ユーロが銀行からタピへ支払われたのだが、その調停でラガルドがタピに有利な結果になるよう介入したということだ。2007年5月から12年5月まで大統領を務めたニコラ・サルコジや国民運動連合とタピは緊密な関係にあり、大統領選でもサルコジを支援している。 ラガルドがIMFの専務理事に就任したのは2011年7月。その2カ月前に前任者のドミニク・ストロス-カーンがニューヨークのホテルで逮捕されたことに伴うものだ。メイドを襲った容疑だが、裁判の結果、冤罪だった可能性が高まった。この時、IMFはトスロス-カーンに厳しく対応している。 IMFの専務理事に選ばれていることでも明らかなように、ストロス-カーンも支配層の意向に従って動いていた人物だが、それでも新自由主義には反対していた。2011年4月にブルッキングス研究所で行った演説では、失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねないとし、その不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきだと発言している。進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットは市場が主導する不平等を和らげることができ、健康や教育への投資は決定的だと語っただけでなく、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だと主張したのだ。 その当時も現在も支配層の基本姿勢は強者総取りの新自由主義を信奉、0.01%の富豪たちは世界の富全てが自分たちのものだと考えている。その考えにストロス-カーンは異を唱えた、つまり支配層を裏切った。ブルッキングス研究所で演説した3カ月後、ストロス-カーンはIMFから排除されただけでなく、社会的に抹殺された。その代わりに登場してきたのがラガルドだ。
2016.12.22
トルコ駐在のロシア大使、アンドレイ・カルロフが12月19日にアンカラで射殺された。美術展覧会でスピーチした後、非番の警察官に撃たれたと伝えられている。ロシア軍の支援を受けたシリア政府軍がアレッポを奪還したことに対する報復であるかのようなことを銃撃犯は口にしていたようだ。 シリアでの戦闘はリビアと同様、外国勢力に送り込まれた武装集団によって2011年春に始められた。戦闘員の主体はサウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国に雇われたサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団で、アメリカなどが戦闘員を訓練し、携帯型の防空システムMANPADや対戦車ミサイルTOWを含む武器や兵器を供給してきた。「反体制派」や「内戦」といった用語を使うことは間違い、あるいは嘘だ。 こうした侵略作戦は昨年9月末にロシア軍がシリア政府の要請で空爆を始めてから崩れていく。途中、アメリカ政府は停戦を持ちかけて時間を稼ぎ、体勢を立て直そうとしたものの、思惑通りには進んでいない。そして要衝アレッポが政府軍に奪還された。 アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を利用してシリアやリビアを軍事的に破壊しようとした勢力はアメリカ大統領選で民主党のヒラリー・クリントンを担いでいた。2009年1月から13年2月まで国務長官を務めたクリントンは中東/北アフリカにおける軍事侵略に深く関係、11年10月20日にリビアのムアンマル・アル・カダフィが惨殺された事実をCBSのインタビュー中に知らされた際、彼女は「来た、見た、死んだ」と口にして喜んでいる。 リビア攻撃では重要な事実、アメリカ/NATOがアル・カイダ系武装集団LIFGと連携していることが広く知られるようになる。LIFGの幹部がそうした事実を認めただけではなく、体制転覆後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えたのだ。 そのリビアから戦闘員と武器/兵器がシリアへ移動したことは早い段階から指摘され、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられていた。おそらく、クリントンはシリアのバシャール・アル・アサドも血祭りに上げようとしたのだろう。 後に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは戦闘員や武器/兵器を運ぶ拠点がベンガジにあるCIAの拠点で、アメリカ国務省はそうした活動を黙認していたことを明らかにした。ベンガジにあるアメリカ領事館もそうした活動の舞台だったが、2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺される。 ハーシュによると、領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていた。ということは、スティーブンスの上司にあたるクリントン長官も承知していた可能性が高い。2012年11月にCIA長官を辞めたデイビッド・ペトレイアスはヒラリー・クリントンと緊密な関係にある人物で、このルートからもシリアでの工作を知らされていたはずだ。 ペトレイアスは12月16日、ロシアに対する「報復」について語っている。ロシアが民主党の電子メールなどをハッキングしていないことは彼も承知しているはずであり、実際に「報復」するなら別の出来事に対するものだ。 それはともかく、「彼らに対してわれわれができ、彼らがわかり、われわれが行ったことを彼らが98%理解するが、名誉のために応じなければならないほど明白ではないようなことはないだろうか?」とペトレイアスは口にしたという。同じ日にバラク・オバマ大統領は、ロシアに対する「懲罰と抑止」としてロシアへ明確のメッセージを送ることを誓ったともいう。 要するに、自分たちが世界の支配者になるという野望の実現を妨害するロシアに対して報復したいということなのだろうが、それだけ彼らが追い詰められているとも言える。 ヒラリー・クリントンを支援するため、2013年8月にCIA副長官を辞めた(12年11月から13年3月まで長官代理)マイク・モレルは今年8月8日、ロシア人はイラン人に代償を払わせるべきだと語った。司会者のチャーリー・ローズからロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われ、その通りだと答えている。わからないように殺すというのだ。 ヒラリー・クリントンの周辺は公然とロシア人を殺すべきだと語っている。それがいかに深刻なことなのか、西側の政府や有力メディアは考えていないようだ。
2016.12.20
日本でもキャッシュレス決済が浸透してきた。そうした方向へ日本を導くひとつの指針が2014年6月24日に閣議決定された「日本再興戦略」改訂だろう。それによると、「現金取扱い業務の削減や、現金引き出し等の手間の削減や取引決済の安全性の向上、買物弱者や介護が必要な高齢者にとっての利便性の向上、行政分野における徴収や給付事務の効率化、決済に伴って得られるビックデータの活用等による販売機会の拡大」が推進の理由だという。さりげなく潜り込ませている「徴収」や「ビックデータ」といった語句は、庶民からカネを巻き上げ、個人情報を収集して監視システムを強化することを意味する。 キャッシュレスということは手元に現金を置くことができず、資産の管理を金融機関に委ねなければならなくなる。金融商品を買ったところで同じだ。全ては支配層が管理するコンピュータの中に記録される。 人間の行動を調べる際、カネの流れを追うのは基本だ。つまり、キャッシュレス社会では支配者がコンピュータを使い、庶民の行動を容易に把握、管理することができるということ。 遙か昔から情報機関や治安機関は個人情報を収集、分析してきた。通信を盗み読むことは基本中の基本で、1974年12月にはCIAが封書を開封して情報を収集していることが発覚している。1974年12月、その責任を問われて防諜部門を指揮していたジェームズ・アングルトンが辞任させられている。このアングルトンはアレン・ダレスの側近で、イタリアのファシストやイスラエルと緊密な関係にあったと言われている。 アングルトンを止めさせたCIA長官、ウィリアム・コルビーはCIAが実行していた秘密工作の一端を明らかにした。例えば上院の公聴会でベトナム戦争におけるフェニックス・プログラムについても語っている。 このプログラムは「解放戦線の支援者」と見なされた人びとを殺し、解放戦線を支えていた共同体を破壊することが目的だったと見られている。恐怖でアメリカに服従させようという思惑もあっただろう。 コルビーによると、1968年8月から71年5月までに2万0587名のベトナム人が殺害されて2万8978名が投獄されたというが、この犠牲者数は一部にすぎない。例えば、1968年3月16日にソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で住民504名がウィリアム・カリー大尉の部隊に虐殺された「ソンミ事件」もフェニックス・プログラムの一環だったが、これはカウントされていない。 コルビーを1973年9月にCIA長官にしたリチャード・ニクソンは74年8月にウォーターゲート事件で辞任、新大統領のジェラルド・フォードはデタント派を粛清、後にネオコンと呼ばれる人脈を引き上げて好戦的な体制を作り上げた。そうした中、CIA長官は1976年1月にコルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。 1970年代は電子技術が急速に発展した時期で、必然的に監視技術も進歩した。最初の民間通信衛星が打ち上げられた数年後、アメリカのNSAとイギリスのGCHQは共同で衛星通信の傍受を始めている。 NSAとGCHQの連合体はUKUSA(ユクザ)と呼ばれ、その配下にはカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの情報機関が存在する。この体制は1956年にできあがるのだが、NSAの存在が明るみに出るのは1972年になってから。ランパート誌に内部告発の記事が掲載されたのだ。 GCHQはダンカン・キャンベルとマーク・ホゼンボールがタイム・アウト誌で明らかにした。その結果、アメリカ人だったホゼンボールは国外追放になり、キャンベルは治安機関のMI5から監視されるようになる。そのキャンベルは1988年8月に地球規模の通信傍受システムECHELONの存在を明らかにしている。(Duncan Campbell, 'Somebody's listerning,' New Statesman, 12 August 1988) 情報機関は通信を傍受するだけではなく、各国政府機関、国際機関、あるいは金融機関などからデータを盗み取り、分析する仕組みを作り上げた。その一例がINSLAW社の開発したPROMIS。このシステムには日本の法務総合研究所も注目し、1979年3月と80年3月に概説資料と研究報告の翻訳を『研究部資料』として公表している。 この当時、駐米日本大使館に一等書記官として勤務していたのが原田明夫であり、システムを開発したINSLAWと実際に接触していたのは敷田稔だ。言うまでもなく、原田は後に法務省刑事局長として「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を進め、事務次官を経て検事総長に就任、敷田は名古屋高検検事長を務めている。 その後も電子技術の進歩は凄まじく、21世紀に入ると個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆるデータの収集と分析を行うことのできるシステムが開発されている。 ACLU(アメリカ市民自由連合)によると、スーパー・コンピュータを使い、膨大な量のデータを分析して「潜在的テロリスト」を見つけ出すシステムを開発していた会社も存在する。どのような傾向の本を買い、借りるのか、どのようなタイプの音楽を聞くのか、どのような絵画を好むのか、どのようなドラマを見るのか、あるいは交友関係はどうなっているのかなどを調べ、分析しようというのだ。こうした情報が集まれば、国民ひとりひとりの思想、性格、趣味などを推測できる。 キャッシュレス社会になれば、タックスヘイブンなどを利用して資金を隠す手段を持たない庶民のカネは支配層に捕捉されてしまう。環境保護や平和を訴える団体、何らかの政治的な団体などに寄付をすればブラックリストに載る可能性があり、支配層に批判的な動きは封じられる。場合によっては「制裁」で口座を封鎖されることもありえる。勿論、金利や手数料の設定も支配層の自由にでき、庶民は際限なくカネを巻き上げられることになるだろう。
2016.12.19
シリアのアレッポを政府軍が制圧した際、反政府軍側で戦闘に参加していた14名以上の外国人将校をシリアの特殊部隊が拘束したと伝えられている。その報道によると、出身国はアメリカ、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタール、ヨルダン、モロッコだとされ、名前も掲載されているが、こうした作戦に参加する将兵は偽造書類を携帯していることが通例で、詳しい調査が必要だろう。また、別の情報によると、拘束された将校はアメリカ人22名、イギリス人16名、フランス人21名、イスラエル人7名、トルコ人62名だという。 バシャール・アル・アサド政権の打倒を目指す国外勢力は傭兵を投入するだけでなく、自国の特殊部隊を潜入さていることは以前から指摘されていた。例えば、モサドと関係の深いイスラエルのメディアDEBKAfileが2012年2月8日の段階でイギリスとカタールの特殊部隊がシリアで活動していると伝えている。 またWikiLeaksが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールでは、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性があるとされ、イギリスのエクスプレス紙は昨年8月、すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動していると報道した。シリア政府によると、ドイツも特殊部隊を侵入させたという。 デリゾールで攻勢の準備を進めていたシリア政府軍を9月17日にアメリカ軍が主導する連合軍はF-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機で攻撃、80名以上の兵士を殺し、28日には2つの橋を、30日にも別の橋2つをそれぞれ爆撃して破壊、政府軍の進撃を止めようとした。17日のケースでは、空爆の7分後にダーイッシュの部隊が地上でシリア政府軍に対する攻撃を開始している。 アメリカ政府は空爆を「ミス」だと主張しているが、現在の戦闘技術や当時の状況を考えると、意図した攻撃だった可能性はきわめて高い。リビアのときと同じように、アメリカは地上の傭兵部隊と連携しているようだ。 この攻撃でロシア政府はシリアでの戦乱をアメリカ政府との話し合いで解決することを諦めた可能性がある。ロシア系メディア(アラビア語のスプートニク)によると、シリア北部の要衝、アレッポの山岳地帯にある外国軍の司令部をシリア沖にいるロシア軍の艦船から発射された3発の超音速巡航ミサイルが9月20日に攻撃、約30名が殺されたという。死亡者はアメリカ、イギリス、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールから派遣された軍人や情報機関の人間で、デリゾールででの空爆を指揮したのはこの司令部だとも言われている。アレッポで拘束された将校と出身国は重なる。 アメリカ軍主導の連合軍によるシリア政府軍に対する攻撃が引き金になったかどうかは不明だが、その直後にアメリカが特殊部隊をシリアに増派しているとする情報が伝えられた。イランのメディアFARSによると、シリア北部にある7つの基地に部隊を派遣、そのうちマブロウカには少なくとも45名、アイン・イッサには100名以上、コバネには300名以上、タル・アブヤダには少なくとも200名だとされている。勿論、こうした派兵はシリア政府軍が承諾したものではなく、侵略行為にほかならない。 アレッポをシリア政府軍が奪還したことで侵略勢力は大きなダメージを受けたが、シリア支配を諦めたわけではない。手先の戦闘部隊を立て直し、巻き返しを目論んでいる。イギリス政府が20名の「軍事顧問団」を送り込むという情報が10月に流れたが、こうしたグループが健在なら、再攻勢の準備を進めていることだろう。 ちなみに、侵略勢力は侵略の口実として「穏健派支援」を掲げているのだが、何度も書いてきたように、「穏健派」とは西側の好戦派がつけたタグ、あるいは御札にすぎない。2001年9月11日の攻撃以降、アメリカ政府は「テロリスト」の象徴として「アル・カイダ」を宣伝したが、シリアでは「穏健派」として扱っている。悪役として残された戦闘部隊がダーイッシュだ。西側の支配層はタグの付け替えでシリア侵略をこれからも進めようとしている。
2016.12.18
論議を尽くすことなく強行採決を繰り返す安倍晋三政権が「民意」を軽視していることは明白だが、それは官僚にも野党にもマスコミにも言えることだ。民主主義は多くの人に踏みにじられ、安倍政権が暴走する下地が作られたのである。 鳩山由紀夫政権の誕生は「民意」が形になった最後の出来事だろう。中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三たちが推進してきた新自由主義的な政策が自分たちの利益にならないことを庶民も理解、鳩山と小沢一郎のコンビは支持された。 新自由主義を推進、TPP(環太平洋連携協定)によってアメリカの巨大資本が国を支配するファシズム体制を実現させようとしている日米の支配層は怒り、慌てる。そして東京地検特捜部、マスコミ、そして野党を含む政治家たちは鳩山と小沢のコンビを葬り去ることにほぼ成功した。これはファシストによるクーデターだ。 こうしたファシストは外国の出来事でも民意を嫌う。例えば、西側の支配層はウクライナに新自由主義的な政策を押しつけて食い物にしようとしたが、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領はそれを嫌ってロシアに接近した。そこで2013年11月にキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で反ヤヌコビッチの抗議活動が始まる。ヤヌコビッチの支持基盤は東部と南部で、キエフの周辺には少なかった。 人が集まったところで登場してくるのがアメリカ/NATOの訓練と支援を受けたネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)。2014年2月18日頃から彼らはチェーン、ナイフ、棍棒を手に、石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出し、ピストルやライフルを撃ち始める者も出てくる。 2月21日にヤヌコビッチ大統領と反ヤヌコビッチ派は平和協定に調印するが、22日に狙撃で多くの死者が出始め、議会の議長を務めていたボロディミール・リバクは「EU派」の脅迫で辞任、アレクサンドル・トゥルチノフが後任になる。憲法の規定を無視して新議長を議会が大統領代行に任命、23日の段階でヤヌコビッチ大統領は排除された。 この大統領排除は憲法の規定に反している。ヤヌコビッチは東部や南部を中心として住民の民意で選ばれた大統領だが、それをネオ・ナチが前面に出た暴力集団によって倒されたわけだ。つまり、これはクーデター。そのクーデターを日本では政府、マスコミ、あるいは「リベラル派」や「革新勢力」も支持した。 クーデターに反対する人びとの中で最も早く動いたのがクリミアの住民で、3月16日にロシアの構成主体としてロシアに加盟するかどうかを問う住民投票が実施された。その結果、投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成している。この投票は国外の監視団が見守る中で行われ、公正なものだった。つまり、これは民意だ。 ちなみに、西側の政府やメディアはロシア軍がクリミアへ侵攻したと叫んでいたが、これも嘘。クリミアのセバストポリには黒海艦隊の拠点があり、ソ連が消滅した後の1997年にロシアとウクライナは条約を結び、基地の使用と2万5000名までの駐留がロシア軍に認められた。この条約は1999年に発効、その当時から1万6000名のロシア軍が実際に駐留してきたのだ。クーデター後、西側の政府やメディアはこのロシア軍を「侵攻部隊」だと宣伝したわけだ。そうした主張をしたいなら、在日米軍について、日本を軍事侵略している侵略部隊だと言わねばならない。 東部や南部の住民もクリミアに続こうと考え、5月11日に住民投票をすることになっていた。その9日前、5月2日にネオ・ナチは黒海に面した港湾都市のオデッサで反クーデター派の住民を虐殺する。 大量殺戮の舞台になったのは労働組合会館。その中で50名弱が殺されたと伝えられているが、これは地上階で発見された死体の数で、それを上回る数の人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名だと住民は語っている。 この虐殺はキエフのクーデター政権だけでなく、アメリカ政府が関与していた疑いが濃厚だ。例えば、4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、その2日後にキエフ政権のアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認、4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作が話し合われている。その10日後にオデッサで虐殺があった。 オデッサの虐殺から1週間後、5月9日にクーデター派は部隊をドンバス州へ派遣、戦車をマリウポリ市に突入させた。その際、住民が殺されている。9日はソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日。街頭に出て祝っていた住民を攻撃したわけである。6月2日にはデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りするが、そのタイミングでキエフ軍はルガンスクで住宅街を空爆、建物を破壊し、住民を殺し始めた。 そうした中、アメリカ政府は訓練のためにCIAやFBIの専門家数十名を顧問として派遣し、国防総省は戦略と政策の専門家チーム、つまり軍事顧問団をキエフへ送り込んでいる。4月にはアメリカの第173空挺旅団の兵士290名がポーランドへ入り、9月にウクライナで演習を実施している。 アメリカをはじめとする西側支配者がネオ・ナチを使ってウクライナでクーデターを実行したのだが、これを西側では「民主化」と呼ぶようだ。その後、NATOは部隊をロシアとの国境近くへ進め、ウクライナではネオ・ナチによる暴力が蔓延、経済は破綻したが、西側の政府もメディアも気にしていない。 傭兵を使った侵略はリビアやシリアでも実行されてきた。中東/北アフリカの手先はアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)。戦闘員の主力はサウジアラビアに雇われたサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団だ。アメリカは武器/兵器を提供、戦闘員の訓練を実施しているだけでなく、CIAや特殊部隊が戦闘を指揮しているようだ。 安倍政権を操っているアメリカの勢力は民主主義の破壊者であり、民意を尊重する意思は持っていない。安倍政権が暴走するのは必然であり、そうした政権を誕生させた検察やマスコミだけでなく、こうした日米オリガルヒの走狗に従っている人びとも責任は免れない。
2016.12.17
アレッポから反シリア政府軍の兵士がバスや救急車で撤退を始めたと伝えられている。第1陣の戦闘員は約1500名。この戦闘員とは、本ブログで繰り返し書いてきたように、アメリカ、イギリス、フランス、トルコのNATO加盟国、サウジアラビアやカタールのようなペルシャ湾岸産油国、そしてイスラエルが使ってきた傭兵。2012年の8月にアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)が作成した報告書にはサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(イラクのアル・カイダ)が主力だとし、AQIはアル・ヌスラ(今はファテー・アル・シャム)と同じだと説明しているが、基本的に正しい。 当初からアル・カイダは統一された指揮系統がないと言われていたが、それは当然。戦闘集団ではないのだ。1997年から2001年にかけてイギリスの外務大臣を務めたロビン・クックによると、これはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルにすぎない。 アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われている。AQIはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアなどがイラクでのプロジェクト用に集められた傭兵集団だと言えるだろう。その延長線上にダーイッシュはある。 このデータベースが作られたのは1970年代の終盤から80年代にかけてのこと。大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーの戦略に基づいてアメリカ政府はサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする人びとで戦闘集団を編成、アメリカは武器/兵器を提供して戦闘員を訓練した。資金を出したのはサウジアラビアだ。 リビアへの侵略戦争でNATOとアル・カイダ系武装集団の連携が明確になり、新たなタグをつけた戦闘集団が出現する。ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。このダーイッシュについて、空軍のトーマス・マッキナニー中将は2014年9月にアメリカが組織する手助けをしたと発言、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で語り、同年10月にはジョー・バイデン米副大統領がハーバーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると述べている。2015年にはクラーク元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと語った。 シーモア・ハーシュによると、デンプシーはアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを危険だと考え、2013年の秋から独断でそうした戦闘集団に関する情報をシリア政府へ伝えたという。バラク・オバマ政権はDIAの報告を承知の上でダーイッシュを生み出し、支援する政策を進めていた。こうした戦闘集団がアレッポで政府軍と戦ってきた。 リビアのムハンマド・アル・カダフィ体制を倒した後、2012年になるとオバマ政権はシリアのバシャール・アル・アサド体制の打倒に集中、西側の有力メディアは偽情報を流して直接的な軍事介入を目論む。リビアの再現を狙ったわけだ。 再現できなかった理由のひとつはロシアの反対。西側の主張が嘘だということが暴かれたことも大きい。その辺については本ブログでも何度か取り上げているので、今回は割愛する。 シリアの戦乱が長引いている理由について、2012年の段階で的確に説明している人物がいる。現地を調べた東方カトリックの修道院長だ。ローマ教皇庁系のメディアに彼の報告は掲載された。その中で、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と彼は書いている。 西側の有力メディアは今でも真実を語ろうとしていない。
2016.12.16
「特定複合観光施設(IR)」を整備する、つまり日本で賭場を開帳できるようにしようという「カジノ解禁法案」が12月15日未明に衆議院本会議で可決、成立したという。日本はアメリカの後を追ってファシズム化を急ピッチで進めているが、そのひとつの結果がここでも見られた。 この法案を推進してきた母体は、2010年4月に発足した「国際観光産業振興議員連盟(IR議連)」。2013年11月にはカジノを経営するシェルドン・アデルソンがこの議連で会長を務める細田博之に対し、日本におけるカジノ構想を説明していた。アデルソンのカジノはアメリカのラスベガス(ネバダ州)、ベスレヘム(ペンシルベニア州)、さらにマカオ(中国)、マリナ湾(シンガポール)にもある。 博奕で儲かるのは胴元だけだと昔から相場は決まっていて、客は損をすることになっている。つまり、客はカモだ。カモを集めるため、日本ではショッピングモール、レストラン、劇場、映画館、アミューズメントパーク、スポーツ施設、温泉施設、国際会議場、展示施設などと一体化させるそうだ。 ラスベガスやマカオと並んで有名なカジノ所在地がモナコ。フランスの南東部にあり、地中海に面している。こうした場所はタックス・ヘイブン(租税回避地)としても有名。カジノとタックス・ヘイブンは親和性が強いのだ。カジノとマネーロンダリングは不可分の関係にある。 有毒な化学物質で汚染されている豊洲に作られた新しい東京都中央卸売市場をカジノやタックス・ヘイブン関連の施設へ転用できるのかどうか不明だが、タイミング的には結びつけて考えられなくもない。 アメリカはタックス・ヘイブン化を進めてきた。本ブログでも触れたことがあるが、ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーは昨年9月、税金を払いたくない富豪は財産をアメリカへ移すように顧客へアドバイスするべきだと語っている。富裕層や巨大企業にとってアメリカは最も有利な資金の隠し場所だということだ。アメリカのタックスヘイブン化はドルをアメリカへ還流させ、それをアメリカの支配層が管理する仕組みでもある。 アメリカのタックス・ヘイブン化は2010年から加速した。この年にFATCA(外国口座税務コンプライアンス法)が発効し、アメリカ以外の国の金融機関はアメリカ人の租税や資産に関する情報をアメリカ側へ提供する義務を課す一方、アメリカは自分たちが保有する同種の情報を外国へは提供しないことにしたのだ。この結果、アメリカは強大なタックス・ヘイブンになり、ロンドンの存在意義は薄らいだ。 生産を軽視するアメリカは基軸通貨のドルを発行する特権なしに存続することはできない。そのシステムを機能させるカギはドルをいかに効率よく回収できるかというところにある。 1971年8月にリチャード・ニクソン大統領は金とドルの交換を停止、ドルの流通量を減らすためにペトロダラーの仕組みを作り上げた。サウジアラビアをはじめOPEC諸国に石油の決済をドルにするように求め、そのドルでアメリカの財務省証券や高額兵器を購入させようとしたのだ。その代償としてニクソン政権が提示したのは、そうした国々の防衛だけでなく、支配階級の地位を永久に保証するというものだった。(Marin Katusa, “The Colder War,” John Wiley & Sons, 2015) その後、ドルを吸収する仕組みが作り上げられた。投機である。そこで金融の規制緩和が推進され、人びとが生活する実際の社会からドルが投機市場へ流れ込んでいく。ハイパーインフレをバブルに転換させるのだ。 そのバブルがリーマン・ブラザーズの倒産という形で2008年9月に収縮する。本来なら投機の仕組みを利用して私腹を肥やしていた人びと、つまり富裕層、巨大企業、あるいは犯罪組織が責任をとらなければならないのだが、ツケは無関係の庶民に回された。 富裕層、巨大企業、犯罪組織などは支配階級を形成、富の独占を効率的に進める仕組み(ファシズム)を作り上げつつある。アメリカの真似をして日本もタックスヘイブンにしようと目論んでいる人たちがいるはずだ。TPP(環太平洋連携協定)を推進したがっているのも同じ理由からであり、「カジノ解禁法案」もそうした欲望によって生み出された。
2016.12.15
ドナルド・トランプ次期大統領は国務長官候補として巨大石油会社エクソンモービルの会長兼CEOを務めるレックス・ティラーソンを選んだ。これまで有力メディアはルディ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長、ジョン・ボルトン元国連大使、ミット・ロムニー元マサチューセッツ州知事などの名前を挙げていた。 ボルトンは狂信的なネオコンであり、ロムニーはネオコンと協力関係にあるキリスト教系カルトの信者。今回の選挙でトランプに多額の寄付をしたカジノ経営者、シェルドン・アデルソンは2012年の大統領選挙でロムニーを支援していた。当初、アデルソンはネオコンのニュート・ギングリッチを推していたが、選挙戦の展開でロムニーへ切り替えている。有力メディアに名前が出たということは、その背後にいる勢力に望まれている人物だということでもあるだろう。 しかし、実際に選ばれたのはロシアのウラジミル・プーチン大統領とも親しいティラーソン。安全保障担当の大統領補佐官にマイケル・フリン元DIA局長を選んだことでも言えるが、意外とトランプはネオコンから自立している。ロッキード・マーチンが開発しているF-35戦闘機のコストが制御不能になっているとTwitterに書き込み、戦争ビジネスを揺さぶってもいる。 上院議員に出馬して以来、ヒラリー・クリントンはロッキード・マーチンから多額の寄付を受け、「ロッキード・マーチンの上院議員」とも呼ばれていた。リチャード・チェイニー元副大統領の妻リンは1994年から2001年まで同社の重役。ヒラリーとリンは戦争ビジネスでつながっている。言うまでもなく、リチャード・チェイニーは1995年から2000年までハリーバートンのCEO兼会長。戦争で大儲けしている会社だ。 ソ連消滅後、アメリカの軍需産業は能力よりカネ儲けを優先、その象徴がロッキード・マーチンのF-35だ。この戦闘機は現在のアメリカを象徴する存在だと言えるかもしれない。プログラム・コストは1兆5000億ドル以上になりそうだが、「空飛ぶダンプカー」と呼ばれる代物。2015年の初めにカリフォルニア州のエドワード空軍基地でF-35A(通常離着陸型)は燃料タンクを装着したF-16Dと模擬空中戦を行い、完敗してしまったと言われている。間違いなく要撃には不向き。この高額欠陥戦闘機を日本も5機注文、さらに42機を購入する計画だという。
2016.12.14
シリアで政府軍が戦っている相手に「反体制派」というタグをつけているマスコミが存在する。かつて、日本のアジア侵略を「大東亜共栄圏」を建設するためだと主張した人たちがいるが、それと同じようなものだ。 リビアやシリアで体制転覆を目指して戦っている集団が「反体制派」でないことは戦闘が始まった2011年春の段階で指摘されていた。シーモア・ハーシュなどが何年も前から予告していたことが引き起こされたのだ。 2012年8月にはアメリカ軍の情報機関DIAが反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIであり、そうした勢力を西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとバラク・オバマ政権に報告している。その結果として、シリアの東部分にサラフ主義に支配された地域が作られるとも警告、それはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実のものになった。この報告書が書かれた当時のDIA局長がトランプ政権で安全保障担当補佐官に就任する予定のマイケル・フリン中将だ。 こうした武装勢力の戦闘員は武器/兵器と同じようにシリアの外から入った。リビアのムハンマド・アル・カダフィ体制が倒された後、戦闘員や武器/兵器をアメリカなどはシリアへ移動させたが、その拠点になったのがベンガジのアメリカ領事館だったことは本ブログでも紹介した。そこが2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っている。 サラフ主義から現在のタクフィール主義者は生まれた。この人びとはタクフィール(背教徒宣告)して人を殺す。2012年6月にエジプト大統領となったモハメド・モルシはシーア派へのタクフィールを許可、シリア侵略を後押しした。この許可はイラン侵略も視野に入っているのだろう。 こうした侵略の背後にはネオコンの世界制覇戦略がある。ソ連消滅後、アメリカが唯一の超大国の超大国になり、その超大国を自分たちが支配していると認識した彼らは世界制覇プランを描き上げたのだ。1992年2月にポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)たちが作成したDPGの草稿がそのプラン。「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 ソ連の消滅は西側支配層の傀儡だったボリス・エリツィンたちが仕掛けた。この事実は本ブログでも何度か指摘している。2度とソ連のようなライバルが出現しないように、彼らは旧ソ連圏のほか西ヨーロッパ、東アジアなどが成長しないような方策をとろうとし、力の基盤になるエネルギー源が地下に存在する西南アジアを支配しようと考えた。 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、DPGが作成される前の年にウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていている。ソ連が消滅する前から彼らは世界制覇の野望を持っていたわけで、ソ連消滅はそうした野望を顕在化させることになった。 しかし、このプランはジョージ・H・W・ブッシュ大統領が再選に失敗、ビル・クリントンが大統領に就任したことでお蔵入りになる。それを蔵から引きずり出したのがファースト・レディーだったヒラリー・クリントン。彼女と親しいマデリーン・オルブライトが国連大使から国務長官へ異動した1997年1月のことだ。そして1999年3月、NATOはユーゴスラビアを先制攻撃した。ちなみに、オルブライトはズビグネフ・ブレジンスキーの教え子。ヒラリーのもうひとりの友人、ビクトリア・ヌランドは当時、国務副長官の首席補佐官を務めていた。 本ブログではすでに書いたことだが、ウォルフォウィッツをはじめとする好戦派はユーゴスラビアを破壊、解体するため、ウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成された直後からプロパガンダを始めている。例えば、ニューズデイのボン支局長だったロイ・ガットマンは1992年8月、ボスニアで16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたと書いているのだが、これは嘘だった。この嘘を広めた功績で、後に彼はピューリッツァー賞を受賞している。 2003年3月にアメリカ政府が始めたイラクへ侵略戦争も嘘を広めることから始めた。この時は偽情報を発信する目的で国防総省の内部にOSP(特殊計画室)が作られた。その室長に選ばれたエイブラム・シュルスキーはシカゴ大学でウォルフォウィッツと同じ教授について博士号を取得している。ふたりはネオコン仲間だ。 1990年代からアメリカの侵略戦争に広告会社が深く関与してくるようになったことも本ブログで書いてきた。偽情報の作成と流布は彼らにとって御手の物だ。そうした偽情報をアメリカなど西側の有力メディアは垂れ流し、アメリカの政府や議会はそうした嘘を暴くメディアやサイトに「偽報道」というタグをつけ、検閲しようとしている。
2016.12.13
ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の部隊がパルミラを電撃作戦で制圧したと伝えられている。12月11日に約4000名の部隊が攻撃したようだが、政府軍側の偵察が怠慢だったとも言える。現在、政府軍はアレッポをほぼ制圧したが、この作戦に気をとられていたという側面もあるだろう。ロシア軍機の空爆を避けるため、住宅地を通って攻め込んだとも言われている。 イラクのモスルでもダーイッシュは攻撃されたが、アメリカやサウジアラビアは戦闘員がモスルからシリアのデリゾールやパルミラへ安全に移動させることで合意していたとされている。戦闘員はラッカへも向かったようだが、ここへはトルコから武器/兵器が持ち込まれていた。モスルからシリアへ9000人程度が移動すると言われていたが、実際にどの程度が動いたかは明確でない。 兵器/武器を運び込むルートの出発点、トルコでは7月15日に武装蜂起があった。クーデター未遂だが、これはトルコ政府がアメリカから離れ始めたことにあるだろう。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は6月下旬にイスラエルとの和解を発表、ロシアのウラジミル・プーチン大統領に対してロシア軍機の撃墜を謝罪した。7月13日にはトルコの首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆している。その2日後の武装蜂起だ。 トルコからアル・カイダ系武装集団やダーイッシュの部隊へ伸びる兵站線はロシア軍の空爆ですでにダメージを受けていたが、トルコとアメリカとの関係悪化で物資の輸送が少なくなっている可能性がある。 そうした中、アメリカ軍による物資の空中投下が話題だ。現在の技術では約8000メートル上空から100メートルの誤差で物資を投下できるという。アメリカ側が主張する「誤投下」の可能性は低いということだ。 パルミラは紀元前1世紀から紀元後3世紀までシルクロードの中継地として発展した都市で、遺跡は世界遺産に指定されている。そこから盗み出された彫刻などがジュネーブの倉庫で発見されたともいう。現在でもパルミラは交通の要衝であり、制圧する意味は大きいのだが、それだけでなく宣伝効果もある。 しかし、ドナルド・トランプが大統領に就任して物資の供給を止め、シリアやロシアの政府と協力して攻撃を始めたならアル・カイダ系武装集団やダーイッシュは今以上に厳しい状況に陥るだろう。こうした武装勢力を本当に叩こうとしたなら、必然的にサウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国とも対峙しなければならなくなる。そこまでやりきれるだろうか?
2016.12.13
ワシントン・ポスト紙にロシア系メディアのRTやスプートニクを攻撃する寄稿文が掲載された。アメリカを拠点とする巨大資本が世界を支配する体制を築くため、偽情報を流して人びとを操ろうとする動きがある。そうした操作の障害になる情報の発信源を偽報道だと攻撃するキャンペーンが展開されているのだが、その一環だと言える。このキャンペーンは言論統制だとかマッカーシズムだと批判されているものの、ヒラリー・クリントンを担いでいた勢力は手を休めようとしない。ドナルド・トランプをコントロールできないと感じているのだろう。 その寄稿文を書いたのは、2012年1月から14年2月までロシア駐在大使を務めたマイケル・マクフォール。この人物はロシアでウラジミル・プーチン政権を揺さぶる工作を進めたことで知られている。マクフォールがモスクワに着任した3日後、反プーチン派のリーダーがアメリカ大使館を訪問した。そのリーダーとは「戦略31」のボリス・ネムツォフとイーブゲニヤ・チリコーワ、「モスクワ・ヘルシンキ・グループ」のレフ・ポノマレフ、選挙監視グループ「GOLOS」のリリヤ・シバノーワらだ。 戦略31はNED(民主主義のための国家基金)から、モスクワ・ヘルシンキ・グループはNEDのほかフォード財団、国際的な投機家であるジョージ・ソロス系のオープン・ソサエティ、そしてCIAと関係の深いUSAIDから、またGOLOSもやはりNEDから資金を得ている。 言うまでもなく、NEDはCIAの工作資金を流すパイプ役の団体だが、2015年にロシア政府は、こうした団体のロシアにおける活動を禁止、国外へ追い出した。こうしたロシア政府の決定を批判する記事(ココやココ)がワシントン・ポスト紙に掲載されている。 NEDが創設されたのはロナルド・レーガン政権下の1983年11月。「民主主義」や「人権」といったタグを使って内政干渉しようというプロジェクトを同政権は始める。「プロジェクト・デモクラシー」だ。1983年1月にレーガン大統領はNSDD77に署名してプロジェクトは始まった。 NEDを通過した工作資金は、NDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流れていく。USAID(米国国際開発庁)もCIAの資金を流す上で重要な役割を果たしている。 マクフォールはプーチン大統領を排除し、ボリス・エリツィン時代のような西側支配層の傀儡体制を築こうとしたのだろうが、失敗した。エリツィン時代にロシア国民は西側支配層の正体を知り、再び騙されるようなことはなかった。ロシア人は過去から学ぶことができるようだ。
2016.12.12
NSAの活動を内部告発したエドワード・スノーデンがジャーナリストのグレン・グリーンワルドへ渡した資料によって、イギリスの電子情報機関GCHQがイスラエルの外交や軍事に関連した情報を2008年から09年にかけて集めていたことがわかったという。この資料が渡されたのは2013年6月のことで、今更ではあるが、ともかく明らかにされた。 GCHQはアメリカのNSAと一心同体の関係にある。その連合体は1946年3月に締結された協定に基づいて作られ、UKUSA(ユクザ)と呼ばれるようになった。NSAの創設は1949年5月なので、この連合体を作る目的でNSAは組織されたと言えるかもしれない。この2機関の下にカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの情報機関が位置し、各国政府の動向を監視する役割も負っている。いわば国家内国家だ。その周辺にはドイツ、フランス、イタリア、南ベトナム、日本、タイなどが存在しているが、これらの国々と米英を中心とする英語圏5カ国とでは本質的に違う。 このUKUSAと例外的に密接な関係にある機関がイスラエルの8200部隊(ISNUとも呼ばれている)。この部隊の出身者は民間人として30から40の会社を興し、そのうち5から10社はウォール街で株式が取り引きされていると伝えられている。こうした「民間企業」からもイスラエルの情報機関は情報を得ている。(James Bamford, “The Shadow Factory”, Doubleday, 2008)UKUSAはこの8200部隊の協力でイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の電話を盗聴、閣僚の電子メールも監視していたと伝えられている。 ネタニヤフやそのスポンサーであるシェルドン・アデルソンは2013年10月、原爆を砂漠で爆発させてイランにメッセージを送るべきだと主張した人物。ネタニヤフの側近であるマイケル・オーレンは駐米大使時代の2013年9月、公然とシリアのバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語った。ネタニヤフ自身、2015年3月にアメリカ議会においてイランを攻撃する演説を行い、議員からスタンディング・オベーションを受けている。 それに対し、2012年にメイル・ダガン元モサド長官やアミラム・レビン元副長官はイラン攻撃に反対している。ダガンはモサドの長官だった2010年にネタニヤフ首相からイランと戦争を始める準備をするように命令されたことがあるのだが、その決定は全閣僚が参加した会議で決められたわけでなかったという。閣内で開戦に賛成していたのは首相に近い7名だけだったとされている。そこで軍も情報機関も命令を拒否したようだ。 アメリカでは民主党の大統領候補だったヒラリー・クリントンも好戦的で有名。シリアでロシアと戦争を始める姿勢を見せ、リビアのムハンマル・アル・カダフィが惨殺された事実を知らされた際の喜びようも国務長官としていは異常だった。そのクリントンに関連した電子メールがハッキングされ、表に出たが、アメリカの情報機関がリークしたという説もある。情報機関の少なくとも一部を操り、好戦的な人びとを監視している勢力が存在しているのかもしれない。 ドナルド・トランプ次期大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領と同じように、アル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュを危険視している。シリアのバシャール・アル・アサド大統領を排除するためにそうした勢力を使ってきたバラク・オバマ大統領、その政策を継承しようとしていたクリントンとは姿勢が違う。 そうした勢力はサウジアラビアやカタールなどに雇われた戦闘員で構成され、武器/兵器を提供し、戦闘員を訓練しているのはアメリカだった。その武装勢力と戦うということはサウジアラビアやカタールと戦うということでもある。すでにイスラエルやトルコは寝返っているように見える。ペルシャ湾岸産油国は厳しい状況に陥った。
2016.12.12
ドナルド・トランプ次期大統領は選挙後、サウジアラビアでのビジネスに幕を引いたようだ。サウジアラビアは「スンニ派テロリスト」、つまりアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を支援している主要国のひとつであり、当然のことだろう。 トランプが大統領に就任した後、安全保障担当補佐官に就任すると見られているマイケル・フリン元DIA局長はそうした武装集団の危険性を訴えてバラク・オバマ大統領から解任されたと言われているだけに、この問題には神経質になっているはずだ。トランプ政権ではサウジアラビアが国際問題の焦点になるかもしれない。 サウジアラビアと「スンニ派テロリスト」との関係はオバマ政権も知っていた。2009年12月30日にアメリカの国務省が出した通信文には、サウジアラビアの資金提供者が全世界に展開する「スンニ派テロリスト」への最も重要な資金源を構成していると書かれている。当時の国務長官はヒラリー・クリントンであり、当然、この事実を彼女も知っていたはずだ。 その2年前、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌にアメリカ、サウジアラビア、イスラエルの秘密工作について書いている。シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めたというのだ。その手先はサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団。こうした情報の少なくとも一部を国務省は認めていたことになる。 2014年8月にクリントンが選挙キャンペーンの責任者だったジョン・ポデスタへ送った電子メールにはサウジアラビアとカタールについて、ダーイッシュや他のスンニ派過激派に対する資金や物資を秘密裏に供給していると書いている。 今年6月にはヨルダンの通信社ペトロ・ニュースはサウジアラビアの副皇太子で国防相でもあるモハンマド・ビン・サルマンの話として、民主党の有力候補が受け取った寄付金の20%はサウジアラビアからのものだと伝えた。その直後、通信社のサイトがハッキングされ、嘘の記事が掲載されたという訂正文が掲載されたのだが、この訂正が正しいかどうかも不明だ。このビン・サルマンはサウジアラビア王家の中で武装集団と最も強く結びついている人物だと言われ、トルコのクーデター未遂にも関係したとする情報もある。 タイムズ・オブ・イスラエル紙によると、クリントンの高額寄付者の上位5位まで、トランプは上位2位までがユダヤ系。両者ともイスラエル・ロビー団体のAIPACで演説、イスラエル支持を表明している。 こうしてみるとユダヤ系の富豪はクリントン側に寄っているように見えるが、11月13日に放送された番組の中でロシア外務省の広報担当者、マリア・ザハロバは興味深い話を口にしている。9月にニューヨークで会ったユダヤ系の人物から、自分たちはクリントンに寄付しているが、その倍をトランプに提供していることを明らかにしたというのだ。 もし、ユダヤ系の資金がトランプへ多く流れたとするなら、その穴埋めをサウジアラビアに求めたとしても不思議ではなく、ヨルダンでの報道は無視できない。そのサウジアラビアが「スンニ派テロリスト」のスポンサーだということをクリントンは熟知しているわけで、この問題を掘り下げていくと困る人はクリントンだけに留まらないだろう。 トランプは2001年9月11日の攻撃について関心を持っているようで、これもサウジアラビアと結びつけて語る人がいる。もし、トランプを支配層がコントロールできなくなった場合、アメリカに激震が走ることは間違いない。フリン中将の存在は不気味だろう。
2016.12.11
日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃した時、日本ではすでに12月8日になっていた。その12月8日にも歴史に残る出来事が引き起こされている。例えば、そのひとつが1980年12月8日のジョン・レノン殺害であり、もうひとつが1991年12月8日にベロベーシの森で開かれたロシア、ウクライナ、ベラルーシの首脳による秘密会談。いずれも西側支配層にとっては願ってもないことだった。 1975年から活動を休止していたジョン・レノンは80年10月にシングル曲「スターティング・オーバー」、また11月には「ダブル・ファンタジー」というアルバムを発表して本格的に音楽活動を再開させたるが、それは政治的な活動の再開でもあった。 ジェラルド・フォードが大統領だった1974年8月から77年1月にかけてアメリカ政府内でデタント(緊張緩和)派が粛清され、ネオコンが台頭、好戦的な流れになっていた。そうした中、1979年12月にNATO理事会はパーシング2ミサイル572基の配備を決定している。 理事会が開かれる5カ月前、エルサレムではイスラエルとアメリカの情報関係者が「国際テロリズム」に関する会議を開いている。この当時、すでにアメリカのズビグネフ・ブレジンスキーはアフガニスタンでソ連をターゲットにした秘密工作を開始、その手先としてサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団を中心とする武装集団が編成されていた。そうした工作の結果、ソ連軍は1979年12月にアフガニスタンへ侵攻してくる。 エルサレムでの会議にはアーノウド・ド・ボルクグラーブ、クレア・スターリングのような「ジャーナリスト」も参加、会議後にソ連を悪魔化して描くプロパガンダを始めた。スターリングが手を組んだひとり、ポール・ヘンツェはCIAの「元幹部」で、ブレジンスキーと親しいことで知られている。 スターリングと組んでもうひとりがマイケル・リディーン。CIAやイタリアの情報機関と関係が深いのだが、イスラエル政府のために働いていると言われている。1976年にはJINSA(国家安全保障問題ユダヤ研究所)を創設している。ドナルド・トランプが安全保障担当の補佐官に選んだマイケル・フリンと今年7月に『戦いの場』という本を出している。 バラク・オバマ政権はブレジンスキーの手口を真似してサラフ主義者やムスリム同胞団を中心とする武装集団(アル・カイダ系やダーイッシュ)を使ってきたが、その危険性を2012年夏の段階で政府に警告していたフリンだが、何らかの事情でリディーンが結びついてしまった。これはトランプ政権が抱える懸念材料のひとつだ。 反ソ連キャンペーンが始まり、パーシング2の配備が決まった翌年、戦争に反対する姿勢を明確にしていたジョン・レノンは射殺された。引き金を引いたのは福音主義(キリスト教原理主義)の信者でトッド・ラングレンのファンだというマーク・チャップマン。 イギリスの弁護士でジャーナリストとしても活動していたフェント・ブレスラーによると、チャップマンは1975年6月にレバノンを訪れて1カ月近くを過ごし、帰国してからベトナム難民定住促進キャンプで働きはじめ、そこで知り合った男の紹介で警備会社へ入っている。レノンを射殺する際に使われた殺傷能力の高い「ハロー・ポイント弾」を後にチャップマンへ渡したのはその男だ。1977年1月にチャップマンはアーカンソー州からハワイへ移動、キャッスル病院で働いている。その後、彼は世界一周旅行に出発、日系女性と結婚、警備会社へ就職した。 1980年に入ってチャップマンはホノルルの銃砲店で38口径リボルバーを購入、12月にアトランタで弾丸を受け取り、ハワイへ戻る。その直後、3日間シカゴで過ごし、6日にニューヨークへ移動、8日を迎えた。(ファントン・ブレスラー著、島田三蔵訳『誰がジョン・レノンを殺したのか?』音楽之友社、1990年) その11年後の12月8日、アメリカ支配層の操り人形だったロシア大統領のボリス・エリツィンは同国のゲンナジー・ブルブリス国務大臣、そしてウクライナのレオニード・クラフチュク大統領とビトルド・フォキン首相、ベラルーシのソビエト最高会議で議長を務めていたスタニスラフ・シュシケビッチとバツァスラフ・ケビッチ首相と秘密会談を開いている。会議を主導したのはロシアのブルブリスだと言われているが、その背後に西側の支配層がいたことは間違いないだろう。会議はベラルーシにあるベロベーシの森で開催され、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めた。 その背景には1991年7月にロンドンで開かれたG7の首脳会談があると見られている。そこでゴルバチョフは西側資本にとって都合の良いショック療法的、つまり新自由主義経済的な政策を強要された。いわゆる「ピノチェト・オプション」だが、この要求にゴルバチョフは難色を示す。そこで西側はゴルバチョフからエリツィンに切り替えたわけだ。そして12月21日、カザフスタンのアルマアタでソ連の消滅とCIS(独立国家共同体)の設立が正式に決まった。 そこから旧ソ連圏は西側支配層の食い物になり、そうした勢力の手先になった人びとも巨万の富を手に入れた。現在、安倍晋三政権の周辺には日本をアメリカの支配層へ引き渡し、自分たちは私腹を肥やそうとしている。日本をエリツィン時代のロシアと同じようにしようとしているわけだが、日本にウラジミル・プーチンやその仲間たちのような勢力が出てくる保証はない。
2016.12.10
アレッポから反政府軍を逃がすようにアメリカ政府はロシア政府に求めたと伝えられている。中東で流れている情報によると、アメリカ政府はアレッポにいるアメリカの情報機関員をトルコへ逃がしたいようだ。アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が降伏するのは時間の問題とも言われ、任期が終わろうとしているバラク・オバマ大統領にしても、取り残されたアメリカ人が拘束されたなら、大統領の座から降りた後、自分が厳しい状況に陥る可能性もある。 CIAだけでなく、アメリカ軍は特殊部隊をシリア北部にある7つの基地へ派遣、そのうちマブロウカには少なくとも45名、アイン・イッサには100名以上、コバネには300名以上、タル・アブヤダには少なくとも200名がいたとされている。侵略軍を現場で指揮しているのはCIAやアメリカの特殊部隊だということだ。 昨年9月30日にロシア軍がシリア政府の要請の基づいて空爆を始めて以降、アメリカやサウジアラビアは戦闘員を増派するだけでなく、携帯型の防空システムMANPADや対戦車ミサイルTOWを大量に供給してきたが、それだけでは足りなかったということだ。 アレッポでアメリカが支援してきた侵略部隊の敗北が決定的になると、バラク・オバマ大統領は国防総省に対し、シリアで政府軍と戦っているアル・カイダ系武装集団のリーダーを見つけ、殺すように命じたという。バシャール・アル・アサド政権の打倒が難しくなり、口封じを始めたと見られている。こうした工作に従事していた情報機関員や特殊部隊員が取り残されているかもしれない。 これまでロシアはアメリカが手先の部隊を立て直すための時間稼ぎだと承知の上で停戦に合意してきたが、今回のアレッポ攻防戦では妥協していない。9月17日にアメリカ軍主導の連合軍がデリゾールで行ったシリア政府軍に対する攻撃がそうした姿勢をとらせた一因だろう。 この攻撃はF-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機が実施、シリア政府軍の兵士80名以上を殺している。その攻撃から7分後にダーイッシュの部隊が地上でシリア政府軍に対する攻撃を開始、アメリカ政府とダーイシュは連携していると見られても仕方がない。28日に侵略軍は2つの橋を破壊、30日にも別の橋2つを爆撃、政府軍の進撃を止めようとしていた。アメリカ政府は開き直り、空爆を「ミス」だと主張しているが、現在の戦闘技術や当時の状況を考えると、意図した攻撃だった可能性はきわめて高い。最近、ロシアの異動病院が攻撃されて2名以上の医療関係者が殺されたが、これも偶然ではないだろう。 ロシア系メディアによると、9月20日にロシア軍はシリア沖にいる艦船から3発の超音速巡航ミサイルを発射させ、アレッポの山岳地帯にある外国軍の司令部を破壊した。この件についてアメリカ側から情報は流れてこないが、それだけに信憑性がある。この攻撃でアメリカ、イギリス、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールから派遣された軍人や情報機関の人間を含む約30名が殺されたとされている。デリゾールでシリア政府軍を空爆させたのはこの司令部だとも言われている。 その一方、ロシア政府はアレッポ制圧後、チェチェンで活動しているロシア軍の憲兵隊をシリアへ移動させるとも伝えられている。シリアへはチェチェンからも戦闘員が入っているので不思議ではない。チェチェンの反ロシア勢力が拠点にしてきたグルジアのパンキシ渓谷でCIAは戦闘員をリクルート、軍事訓練してシリアへも送り込んでいると言われている。 このチェチェンとサウジアラビアとの関係も指摘されている。2014年2月にロシアのソチでオリンピックが開催されたが、チェチェンの反ロシア軍はオリンピック開催中に何らかの攻撃をすると言われていた。 そうした中、2013年7月にサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官(当時)は欧米の仲間と協議した上でアブドラ・ビン・アブドル・アジズ国王にモスクワ訪問を求めている。そして国王は7月30日にウラジミル・プーチン大統領とモスクワで会談した。 その際に両者はバンダル長官のロシア訪問で合意、長官は秘密裏にモスクワへ入り、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)のイゴール・セルグン長官、次いでプーチン大統領とも会っているのだが、そこでバンダル長官は次のようなことを言ったという。 来年、黒海のソチで開かれる冬季オリンピックを守ると保証できる。オリンピックの破壊活動をすると脅しているチェチェンのグループは自分たちのコントロール下にあり、自分たちとの調整なしにシリア領へは向かわない。つまり、自分たちに協力しないと、サウジアラビアの指揮下にあるチェチェンのグループがソチ・オリンピックを攻撃するというわけだ。プーチンもそのように理解したらしく、「ここ10年間、チェチェンのテロリスト・グループをあなたたちが支援していることを知っている」と言い放ったという。そうした状況にあるため、チェチェンでゲリラ戦を戦ってきたロシアの部隊はサウジアラビアについても熟知しているはずだ。 2013年の秋、ビクトル・ヤヌコビッチ政権はEUとの「連合協定」に向けての準備を停止、良い条件を出したロシアとの協議を再開すると発表、それに反発した親EU派が11月21日にユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)に集まり、翌年2月23日に憲法の規定を全く無視した形で大統領は解任される。反ヤヌコビッチ大統領の主力はネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)だった。現在、ウクライナは破綻状態だ。
2016.12.09
今から75年前、1941年12月7日に日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍の基地を奇襲攻撃、アメリカの太平洋艦隊は大きな打撃を受けた。どのような経緯があったとしても奇襲攻撃は奇襲攻撃だった。 この攻撃へ至る道のりは1872年、薩摩と長州の政権が琉球を併合したときから始まっている。1874年に日本政府は台湾へ派兵、75年にはソウルへ至る水路の要衝である江華(カンファ)島へ軍艦(雲揚)を送り込んで挑発、日清戦争、日露戦争を経て東アジア侵略を始めている。1931年には日本軍の奉天独立守備隊の河本末守中尉らが南満州鉄道の線路を爆破、いわゆる「満州事変」を引き起こしたが、この偽旗作戦を指揮していたのは石原莞爾や板垣征四郎だった。 1932年には「満州国」の樹立を宣言、37年7月の盧溝橋事件を利用して日本は中国に対する本格的な戦争を開始、同年12月に南京で虐殺事件を引き起こしているが、その時に組織的な財宝略奪作戦が始まったとも言われている。1939年5月にはソ連へ侵略しようと試みてノモンハン事件を起こした。 1932年はアメリカで大統領選挙があった。この選挙でウォール街を後ろ盾とするハーバート・フーバー大統領がニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北してしまう。フーバーの周辺は日本の中国侵略に寛容な姿勢を見せていたが、反植民地、反ファシズムを掲げ、巨大企業の活動を制限して労働者の権利を認めようとしていたルーズベルトが大統領になったことで日本の置かれた状況も大きく変化した。 ドイツ軍が飛び地問題を解決するためにポーランドへ軍事侵攻したのが1939年9月。その2日後にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第2次世界大戦は始まるが、約半年の間は戦闘らしい戦闘がなかった。 1941年5月にナチスの副総統だったルドルフ・ヘスが飛行機でスコットランドへ飛ぶ。西からドイツを攻撃しないと約束させることが目的だったという説もある。 この年の6月にはドイツ軍がソ連に向かって進撃を開始する。「バルバロッサ作戦」だ。当初はドイツ軍がソ連軍を圧倒し、42年8月にはスターリングラード(現在のボルゴグラード)市内へ突入する。そうした状況をイギリスやアメリカは傍観していた。日本軍が真珠湾を攻撃したのはこうしたドイツ軍が優勢だった時期だ。 ところが、1942年6月に日本海軍はミッドウェー諸島の攻略作戦でアメリカ海軍に壊滅的な敗北を喫し、この年の11月にはソ連軍が反撃を開始、翌年の1月にはドイツ軍が降伏している。この結果、日本が苦境に陥っただけでなく、ドイツ軍は主力部隊を失い、戦争の勝敗は決したと言える状況になった。 慌てたアメリカとイギリスは1943年5月にワシントンDCで善後策を協議、7月にマフィアと手を組んでアメリカ軍がシチリア島へ上陸、44年6月にはノルマンディーに上陸している。「オーバーロード作戦」だ。ハリウッド映画で有名になったが、この時点でドイツ軍の敗北は決定的。アメリカやイギリスが見ていた相手はソ連だ。そこから陣取り合戦が始まる。 この時点でナチスの幹部やナチス協力者がアレン・ダレスなどに接触、アメリカ側もそうした人びとを救出、逃亡を助け、保護することになる。ルーズベルトが執務中に急死した翌月、つまり1945年5月にドイツが降伏するとウィンストン・チャーチル首相の命令でJPS(合同作戦本部)はソ連を攻撃する作戦を作成した。これが「アンシンカブル作戦」。 それによると、7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始めることになっていたが、参謀本部が反対して実現せず、首相は下野することになる。そのチャーチルは1946年3月にアメリカのミズーリ州で「鉄のカーテン演説」を行い、「冷戦」の幕開けを宣言した。ドイツの敗北でソ連を倒すことに失敗、冷戦を始めたと言えるだろう。「日米同盟」はその延長線上にあり、中国やロシアとの戦争へ安倍晋三政権は向かおうとしている。
2016.12.08
国連の安全保障会議でシリアにおける即時停戦を求めるニュージーランド提出の決議案が否決された。ロシアと中国の拒否を行使したのだが、この種の停戦をアメリカ政府は手先の戦闘集団を助けるための時間稼ぎに使ってきたわけで、当然だろう。 こうした侵略集団は食糧や医療物資の輸送を妨害、12月5日にも医療施設を攻撃、ロシアの医療関係者2名を殺している。ロシア政府はこの決議案をロシアとアメリカとの話し合いを妨害するためのものだと批判した。 シリアでの戦闘はリビアと同じように、アメリカ、イギリス、フランス、トルコといったのNATO加盟国、サウジアラビアやカタールといったペルシャ湾岸の産油国、そしてイスラエルなどがアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュを利用して侵略を始めたことで続いているのであり、「内戦」ではなく侵略戦争。これを「人道危機」と表現するのは無責任である。 これまでシリアやロシアの政府はアメリカと停戦交渉を続け、実行しようとしたこともあるが、アメリカなどが使っている侵略軍は合意を守らず、その間に武器/兵器や戦闘員を補充、戦闘態勢を整えて反抗を試みてきた。そうした交渉に応じていたロシア政府を嘲笑する人もいたほどだ。 アメリカの次期政権で安全保障担当補佐官になる予定のマイケル・フリン元DIA局長もアル・カイダ系武装集団やダーイッシュが一時期、勢力を拡大させたのはバラク・オバマ政権の政策によると認識している。退役後にアル・ジャジーラの番組へ出演した際、フリン中将はオバマ政権がDIAの警告を無視して反シリア政府軍を支援、その決定がダーイッシュの支配地域を拡大させたと語っている。 フリンはアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ、つまりサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする武装集団を危険視、ロシアと手を組んで戦うべきだと考えている。これまでシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すためにこうした集団を使ってきた勢力のプランは崩壊寸前である。 こうした好戦派は東アジアの軍事的な緊張も高めてきた。アメリカ太平洋艦隊司令官のハリー・ハリス海軍大将は中国やロシアとの戦争にも前向きの人物(例えばココ)。今年1月にワシントンDCで行われた講演で、「尖閣諸島が中国から攻撃されれば、米軍は同諸島を防衛する」と語ったようだが、実際は中国を攻撃するために尖閣諸島を利用するということだろう。少なくとも第2次世界大戦後、アメリカが行ってきた戦争は侵略戦争だ。 2010年9月、菅直人政権の時に海上保安庁が尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を「日中漁業協定」無視で取り締まってから日本と中国との関係は悪化、12年4月に石原慎太郎都知事(当時)が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示して状況をさらに悪化させ、現在に至っている。安倍晋三政権も日中関係を改善しようとしていない。 フィリピンをはじめ、東南アジアではアメリカと距離を置き始めているが、日本や韓国は違う。1983年1月に中曽根康弘が日本をアメリカの「巨大空母」(ワシントン・ポスト紙は「不沈空母」と訳したが、意味に大差はなく、誤訳とは言えないだろう)だと表現したが、今もアメリカの支配層は日本をそのように見ているだろう。スキャンダルを抱えていた韓国政府は7月8日にTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムをアメリカ軍が配備することを認めた。 そうした中、ドナルド・トランプ次期大統領は台湾の蔡英文総統と電話で話をして中国の反発を招いた。「ひとつの中国」という原理に反するということだ。台湾の総統とトランプが電話で会談することは大統領選で勝利が確定して間もない次期に決められたと言われ、何らかの手違いで起こったことではない。ハリス司令官のような人はホワイトハウスの周辺にいるわけで、そうした人びとに引っ張られたということだろう。生産手段を国外へ出したことを批判していたトランプは中国に強く出る必要があると考えたのだろうが、それにしても中国を甘く見すぎた。
2016.12.07
ネオコンがどのようにして登場し、アル・カイダ系武装集団がどのような経緯で編成されたのかを東京の駒込駅そばにある「東京琉球館」で12月17日18時から話す予定ですが、その前にアメリカやロシアで起こった出来事についても触れる予定です。興味のあるかたは次のサイトまで。東京琉球館:http://dotouch.cocolog-nifty.com/blog/cat917833/index.html
2016.12.06
アル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に支配されていた要衝のアレッポをシリア政府軍が制圧しようとしている。本ブログでは何度も指摘してきたが、この武装勢力はアメリカ、イギリス、フランス、トルコのNATO加盟国、サウジアラビアやカタールといったペルシャ湾岸産油国、あるいはイスラエルが編成、武器や兵器を供給、戦闘員を訓練してきた。白ヘルはその別働隊だ。 ダーイッシュとアメリカ耶蘇の同盟国との関係についてはアメリカの軍人や副大統領も語っている。例えば、2014年9月に空軍のトーマス・マッキナニー中将はアメリカがダーイッシュを作る手助けしたとテレビで語り、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)は議会でアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると発言、同年10月にはジョー・バイデン米副大統領がハーバーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると話し、2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べている。 そして2015年8月、次期政権の安全保障担当補佐官に内定しているマイケル・フリン元DIA局長はアル・ジャジーラの番組へ出演した際、バラク・オバマ政権はDIAの警告を無視して反シリア政府軍を支援し、その決定がダーイッシュの勢力を拡大させたと語っている。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュを作り上げたのはシリアのアサド政権を倒そうとする国外の勢力なのだ。 しかし、そのダーイッシュを組織したのはシリアのバシャール・アル・アサド政権だとする記事を書いた「ジャーナリスト」がいる。かつてピューリッツァー賞を授与されたことのあるロイ・ガットマンだ。今回の話はイスタンブールのカフェで「講談師」を名乗る人物などに聞いたのだが、裏付けはなく、インターネット上でからかわれている。 ガットマンは1982年にニューズデイに入り、89年から94年にかけてヨーロッパ支局長を務めている。ドイツのボンにある支局にいた彼は1992年8月、ボスニアで16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたと書いていた。現地を取材したわけではなく、ヤドランカ・シゲリなる人物の情報を垂れ流したのだ。 このシゲリはクロアチアの与党HDZ(クロアチア民主団)の副党首で、クロアチアの亡命者が創設したプロパガンダ組織CIC(クロアチア情報センター)のザグレブ事務所の責任者でもあった。 ガットマンの記事が発表されて以降、セルビア人によるレイプは西側で売れ筋のテーマとなり、多くのマスメディア関係者が現地を訪れている。そうしたひとりがアレクサンドラ・スティグルマイアー。ボスニア・ヘルツェゴビナでレイプの実態を調べ始めるが、被害者の発見に苦労、ひとりを見つけるのがやっとだった。 スティグルマイアーの友人でフリーランスのジャーナリスト、マーティン・レットマイアーは証言を映像化する目的で現地に入るのだが、レイプ現場とされた場所にはセルビア人警察官の未亡人が住む小さな家があるだけで、あるはずのスタジアムはなく、証言に合致する事実を見つけることはできなかった。 そこで彼はクロアチアの首都ザグレブへ戻り、セルビアの収容所でレイプされ、妊娠した女性で混雑しているとされた病院を取材するのだが、そこでも希望した映像を記録できなかった。病院スタッフの話では、過去7ヶ月の間にレイプで妊娠した患者は3名だけだというのだ。 現地を取材したジャーナリストはマスメディアから相手にされなかったが、ガットマンは脚光を浴び、1993年に「セルビア人による残虐行為」を報道したとしてピューリッツァー賞を贈られた。シゲリは人権問題のヒロインとなり、1996年にはジョージ・ソロスと近い関係にあることで知られている「人権擁護団体」のHRWが彼女を主役にしたドキュメント映画を制作している。 当時の状況について、ICRC(赤十字国際委員会)はガットマンたちとは違うことを言っている。つまり、戦争では全ての勢力が「不適切な行為」を行っているが、セルビア人による組織的なレイプが行われた証拠はないというのだ。(Diana Johnstone, "Fools' Crusade," Monthly Review Press, 2002) この間、アメリカのビル・クリントン政権はバルカン半島への軍事介入に消極的だったのだが、1997年1月に国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代すると状況は一変、98年秋にオルブライトはユーゴスラビアに対する空爆を支持すると表明している。1999年にはNATO軍がユーゴスラビアを先制攻撃したが、この時も西側は偽情報を盛んに流していた。その一端を担っていたのがガットマン。その功績でかれはピューリッツァー賞を受賞できたわけだ。そのガットマンがシリアでも登場してきた。
2016.12.05
イスラエルからトルコへエイタン・ナエーが大使として着任した。大使赴任は6年ぶりのことだ。6月下旬にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はイスラエルとの和解を発表、その発言が形になったといえるだろう。6月下旬にエルドアンはロシアのウラジミル・プーチン大統領に対し、ロシア軍機の撃墜を謝罪、7月13日にはトルコの首相がシリアとの関係正常化を望んでいることを示唆している。 現在、西側ではドナルド・トランプ政権がイランを攻撃するというような話が流れているのだが、イラン、イラク、シリアを殲滅すると1991年に話していたのはポール・ウォルフォウィッツ。当時、アメリカの国防次官だった。翌年の2月にウォルフォウィッツを中心にして、国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランが作成された。 1993年1月から2001年1月までのビル・クリントン政権でネオコンはホワイトハウスの主導権を失い、政府内で活動していたのはヒラリー・クリントンが引き込んだ人びとだけだった。そこで、外部で提言をしているのだが、そのひとつが1996年の「決別」。作成したのはネオコンのグループで、中心はリチャード・パールだった。ここでもイラク、イラン、シリアは敵視されている。 2000年にネオコン系シンクタンクのPNACはウォルフォウィッツ・ドクトリンをベースにして「アメリカ国防の再構築」を作り上げている。執筆人にはウォルフォウィッツのほか、ロバート・ケーガンやI・ルイス・リビーなどネオコンのメンバーが名を連ね、翌年から始まるジョージ・W・ブッシュ政権はその計画に沿った政策を実行した。 2003年にアメリカ政府はイラクを先制攻撃、サダム・フセインを排除した。イラクに存在しないことを知っていた大量破壊兵器を口実に攻め込んだのである。1991年にウォルフォウィッツが口にしたことを実行したわけだ。 21世紀に入るとロシアでウラジミル・プーチン大統領が国を食い物にしていた腐敗勢力(西側では民主派とか呼ばれた)の摘発を開始、少なからぬ富豪がロンドンやイスラエルへ逃れた。その結果、イスラエルはそうしたオリガルヒの大きな影響を受けるようになってしまう。そのオリガルヒはイギリスのロスチャイルドや投機家のジョージ・ソロスと深い関係にあり、そうした勢力の影響がイスラエルで強まったとも言えるだろう。 アメリカではソロスやロスチャイルドと親しいことで知られているヒラリー・クリントンが2009年1月から13年2月まで国務長官を務めているが、その間、アル・カイダ系武装勢力など傭兵を使ってリビアやシリアを2011年春から侵略し、リビアでは2011年秋にムアンマル・アル・カダフィが殺害された。リビアは現在、破綻国家だ。 2012年からアメリカ、サウジアラビア、イスラエルを中心とする侵略勢力は武器/兵器や戦闘員をシリアへ集中させる。シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒した後はイランを潰す予定だったが、この計画はイスラエルの治安機関シン・ベトのユバル・ディスキン元長官や対外情報機関モサドのメーアー・ダガン元長官から反対されている。 それでも2013年9月には駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンがバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近で、この発言は首相の意思でもあると考えられた。その当時、アメリカではマーティン・デンプシー統合参謀本部議長やマイケル・フリンDIA局長はアル・カイダ系武装集団を危険だと考え、シリア政府と接触していたと言われている。 モサドやシン・ベトはリクードと関係が深いはずで、本来ならネタニヤフ首相と対立することは考え難い。「元長官」でもそうだろう。対立が生じていたとするなら、そうした関係を壊すほどの存在がネタニヤフの背後にいたということだろう。今年に入り、その存在の力が弱まってきた可能性が高い。
2016.12.05
アメリカがマッカーシズムで覆われ始めている。有力メディアに対する信頼度が大きく低下、ヒラリー・クリントンを大統領にする目論見も外れてしまったことが大きな原因だ。本ブログでも指摘したように、情報をコントロールする仕組みが壊れ始めていることに支配層は危機感を持ち、言論統制を強化しはじめた。 選挙期間中、アメリカをはじめ西側の有力メディアは偽情報でドナルド・トランプやロシアを攻撃していたが、その嘘は別の情報ルートで露見している。そこでインターネットで情報を発信している人、あるいはロシアのメディアに登場した人びとがブラック・リストに載せられている。そうした活動の拠点のひとつがワシントン・ポスト紙から生まれたPropOrNot。匿名性が高い。 言論統制の強化を後押しする記事をワシントン・ポスト紙が掲載したのは11月24日。政府や有力メディアが伝える「正しい報道」に反する「偽報道」を攻撃する手段になる法律が報道の2日前に下院へ提出され、30日に可決された。彼らはトランプを攻撃するだけでなく、巨大資本による支配システム、つまりファシズム化を実現するための体制を立て直そうとしている。 今、アメリカで有力メディアが「トランプ独裁」を進めているわけでないことは言うまでもない。トランプを当選させてしまった状況を言論統制で変えようとしている。その背後ではロシアや中国の制圧、そして世界のファシズム化がある。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の復活も目論んでいるだろう。トランプ政権を取り込もうともしているはずだ。 勿論、トランプは少なからぬ問題を抱えているが、ヒラリー・クリントンやその周辺とは違い、ロシアや中国との戦争、巨大資本による国の支配に反対している。それを行動に移すかどうかという問題はあるが、マイケル・フリン元DIA局長を安全保障担当補佐官に選んだことから考えると、全面核戦争を避けたいと思っていると判断できる。 アメリカの支配層が使うタグや御札に操られてはならないのだが、「型からの脱出と型のなかでの成功の願望」(加藤周一著『日本文学史序説』ちくま学芸文庫、1999年)を望んでいる人びとはタグや御札に操られている、あるいは操られている振りをしている。
2016.12.03
12月に入った直後、キエフ政権はクリミアの近くでミサイルの発射テストを実施した。11月20日にはウクライナからクリミアへ侵入した工作員がロシア軍の兵士2名を拉致している。アメリカの大統領選挙でロシアと協調すべきだと主張するドナルド・トランプが勝利したが、ヒラリー・クリントンを担いでいた、つまり軍事的な威嚇でロシアや中国を屈服させようと考える勢力の思惑が働いているのだろう。トランプがホワイトハウスへ入る前にキエフ政権やNATOを暴走させようとするかもしれない。 クリントン周辺を慌てさせている一因はシリア情勢にある。要衝のアレッポを政府軍が奪還するのは時間の問題。侵略勢力、つまりアメリカ、イギリス、フランス、サウジアラビア、カタール、トルコ、イスラエルなどが手先として使ってきたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の部隊は壊滅寸前だと見られている。アレッポに関する西側の政府や有力メディアを使った偽情報の流布は効果がなかったようだ。 本ブログでも取り上げたように、キエフのクリミアに対する破壊工作は今年の夏には始まっている。ロシアの情報機関FSB(連邦安全保障庁)によると、8月6日から7日にかけてクリミアへ侵入したウクライナの特殊部隊が発見された。侵攻してきたのは約20名で、そのうち15名ほどはウクライナへ撤退したものの、残りは拘束、あるいは死亡したようだ。 8日にもウクライナの特殊部隊は2度にわたってクリミアへの侵攻を試み、激しい戦闘になったという。拘束されたひとりのユグニ・パノフは侵攻部隊を率いていたと見られ、その証言はロシアのテレビ局が流したようだ。軍事侵攻の目的は重要な基盤施設やライフラインを破壊だったと見られている。 ビクトリア・ヌランド国務次官補と同じようにウクライナのクーデターを指揮していたジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使はロシア側の主張を否定したが、NATOと関係の深いシンクタンクの大西洋会議はパノフの逮捕によって侵入事件をFSBのでっち上げだと言えないことが明瞭になったとしている。 しかも、ジョー・バイデン米副大統領はロシア側だけでなく、ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領に対して緊張を高めないようにと強く求めたとする声明が発表された。ロシア側の主張が事実だとアメリカ政府も認めたと言えるだろう。勿論、ポロシェンコが独自の判断で実行できるとは思えず、ヌランドやパイアットを含むグループが黒幕だったのだろう。 ビクトル・ヤヌコビッチが大統領だった2014年2月4日、ヌランドとパイアットが次期政権の閣僚人事について話し合っている音声がインターネット上に流れた。その中でヌランドはアルセニー・ヤツェニュクを高く評価、実際、クーデター後に首相となった。 この会話がアップロードされた時点でキエフは混乱していたのだが、それをEUは話し合いで解決しようとしていた。そうした姿勢に怒ったヌランドは「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉を口にしている。「品が悪い」という次元の話ではない。 ヤヌコビッチを追放したクーデターの幕開けは2013年11月21日。約2000名の反ヤヌコビッチ派がユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)に集まったのだが、その原因はウクライナ政府の発表にある。EUとの「連合協定」に向けての準備を停止、ロシアとの協議を再開するという内容だった。すでに国が経済的に破綻状態のため、ウクライナ政府は良い条件を出したロシアを選んだのだが、EUへの憧れが強いウクライナの西部に住む人びとは政府の発表に反発する。アメリカやEUの巨大資本は住民以上に怒った。 2010年に行われた大統領選挙でヤヌコビッチは選ばれた。投票結果はヤヌコビッチが第1位で得票率は35.32%、第2位がジョージ・ソロスの影響下にあるユリア・ティモシェンコで25.05%、オレンジ革命で国を破壊したビクトル・ユシチェンコは5.45%で第5位にすぎなかった。上位ふたりで行われた決選投票でヤヌコビッチが48.95%だったのに対し、ティモシェンコは45.47%だった。ヤヌコビッチは選挙で合法的に選ばれたわけである。 このヤヌコビッチの支持基盤は東部と南部だった。この地域の人びとの意思を無視するため、親EU派は憲法を無視する。東部や南部の人びとが2014年2月のクーデターに反発したのは当然であり、クリミアでは3月16日にロシアの構成主体としてロシアに加盟するかどうかを問う住民投票が実施された。その結果、投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成している。アメリカや日本では最近、投票の不正が指摘されているが、クリミアは国外からの監視団もいて、日米に比べれば遥かに公正なものだった。 東部のドンバス(ドネツクやルガンスク/ナバロシエ)もクリミアと同じ方向へ進もうとしたが、ロシア政府からもブレーキがかかり、キエフ政権の軍事攻撃を受けることになる。5月2日にはウクライナ南部、黒海に面した港湾都市のオデッサで住民がネオ・ナチのグループに虐殺された。大量殺戮の舞台になったのは労働組合会館。その中で50名弱が殺されたと伝えられているが、これは地上階で発見された死体の数で、それを上回る数の人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名だと住民は語っている。虐殺で脅し、屈服させようとしたのだろうが、これは成功していない。 クーデター後、クリミアではドンバスやオデッサのような破壊と殺戮は報告されていない。それが気に入らないと文句を言っているのが西側の政府や有力メディアなどだ。 キエフ政権やNATOはそのクリミアを軍事的に威嚇している。ここにきて力が衰えてきたアメリカやEUで好戦派は一気にロシアとの戦争に持ち込もうとする可能性がある。かつて、関東軍が行った役割をウクライナやNATOが果たそうとしている可能性がある。
2016.12.03
衆院内閣委員会で「カジノ解禁法案」が審議入りしたという。カジノ、宿泊施設、国際会議場などの整備を促進するとして、「国際観光産業振興議員連盟(IR議連)」の所属する議員が提出したようだ。この議連が発足したのは2010年4月。2013年12月にも同じ趣旨の法案を提出したものの、14年11月に衆議院が解散して廃案になっている。 法案提出の前月、IR議連の細田博之会長に対し、東京の台場エリアで複合リゾート施設を作るという構想のプレゼンテーションを行った人物がいる。アメリカのラス・ベガスとペンシルベニア、東南アジアのマカオとシンガボールでカジノを経営しているシェルドン・アデルソンだ。2014年2月に来日した際、アデルソンは100億ドルをカジノのために投資する意向を示している。カジノはタックス・ヘイブンと関係が深く、中国を含む東アジア経済を浸食しようとしている可能性もある。 アデルソンのサンズ以外にも日本にカジノを作って設けたいと考えている会社は存在する。例えば、MGMリゾーツ・インターナショナルやウィン・リゾーツといった国外の会社、あるいはセガサミーホールディングスのような国内ゲーム娯楽企業などだが、2014年11月の衆議院解散で法案は成立しなかった。 そこで、その翌年の5月に来日したイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は日本政府の高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めたとイスラエルのハーレツ紙は伝えいている。 勿論、日本の政治家や官僚がギャンブルに積極的な大きな理由のひとつは利権、つまり私的なカネ儲けだ。すでに競馬、競輪、競艇、パチンコなどにもそうした人びとが群がっている。日本でカジノが解禁されれば、年間で総額400億ドルの売り上げが見込めるという予測もある。 ここにきて「カジノ解禁法案」が急に動き出した理由はもうひとつ考えられる。ネタニヤフと関係の深いアデルソンは次期米大統領ドナルド・トランプのスポンサーでもあるのだ。ネオコンのI・ルイス・リビーに従属している安倍晋三政権はヒラリー・クリントンとの関係構築に集中、トランプとのつながりは弱い。そこで、カジノ解禁への道を示してアデルソンの歓心を買おうとしているのではないだろうか? もっとも、こうした利権がらみのアプローチが成功するかどうかは不明だ。安倍政権はロシアのウラジミル・プーチン大統領を饗応で籠絡しようとしたようだが、これはアレクセイ・ウルカエフ経済開発相の逮捕で冷水を浴びせられている。この人物は今でもロシアにネットワークを持つアメリカ巨大資本の傀儡グループに属すと見られていた。 日本の政治家、官僚、大企業経営者などは目先の私的な利益を追いかける傾向が強い。相手も自分たちと同じような判断基準で動いていると考えているのかもしれないが、私的な利益を上回る戦略的な利益も存在することを忘れてはならない。
2016.12.01
安倍晋三首相を操っているのはネオコンの中心グループに属しているI・ルイス・リビーだと言われている。このリビーをエール大学で教えていたのが1992年に世界制覇プランを描き上げたポール・ウォルフォウィッツであり、安倍がそのプランに荷担するのは必然だった。そのネオコンを中心とする好戦派の力が衰えた現在、安倍政権は暴走の度合いを強めている。 ウォルフォウィッツはシカゴ大学で博士号を取得しているが、その担当教授だったレオ・ストラウスはネオコンの思想的な支柱だと言われている。この大学は新自由主義経済の教祖的な存在であるミルトン・フリードマンの拠点でもある。 軍事的な侵略と新自由主義が連携させた最初の人物は、1973年9月11日にCIAを後ろ盾とする軍事クーデターでチリに独裁体制を築いたオーグスト・ピノチェトだろう。このクーデターで倒されたサルバドール・アジェンデ政権は選挙で選ばれたのであり、アメリカが「民主主義を輸出」したとは言えない。 ピノチェト政権は2000名とも2万名とも言われる人びとを虐殺したが、そのターゲットは巨大資本がカネ儲けする上で邪魔になると判断された人びとだ。そうした虐殺の後、フリードマン教授やアーノルド・ハーバーガー教授の「マネタリズム」に基づき、大企業/富裕層を優遇する政策が打ち出されていく。実際に現地で動いていたのは両教授の弟子たち、いわゆるシカゴ・ボーイズだ。 そ賃金の引き下げ、労働者を保護する法律の廃止、労働組合の禁止などで労働環境は劣悪化、1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようという試みもなされた。 1991年7月にロンドンで開かれたG7の首脳会談でソ連のミハイル・ゴルバチョフはこの政策を導入するように西側の首脳から強要されたが、難色を示した。ゴルバチョフが失脚し、ボリス・エリツィンが台頭する一因はここにある。 1991年12月にソ連が消滅、エリツィン政権の下で新自由主義的な政策が推進されると腐敗勢力が国の資産を略奪して富豪になり、大多数の人びとは貧困化した。同じことを安倍政権も推進、その総仕上げとしてTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、さらにTiSA(新サービス貿易協定)が計画された。言うまでもなく、この3協定は巨大資本が国を支配する仕組みを作り上げるものだ。 ところが、安倍が頼ってきたアメリカの勢力が権力抗争で劣勢になり、言論統制の強化を図っている。アメリカの有力メディアが手先になっているほか、11月23日にはEU議会が「ロシアやイスラム系テロリスト・グループからの反EUプロパガンダ」に警鐘を鳴らす決議を採択した。同じ日にドイツのアンゲラ・メルケル首相はインターネット上で流れている「偽情報」によって人びとの意見が操作されていると発言、そうした情報を規制する必要性を訴えたと伝えられている。力が急速に衰えている彼らは社会に残っている民主主義的な要素を破壊、支配システムを維持しようと必死だ。 力が急速に衰えているアメリカの好戦派は社会に残っている民主主義的な要素を壊しにかかっている。第2次世界大戦が終わった直後から情報操作の体制を整え、1970年代から通信傍受の能力や監視体制を強化してきた。 ソ連消滅後は露骨な軍事侵略をアメリカ支配層は開始、イラクでの戦争が泥沼化した後は1970年代から80年代と同じようにサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団を中心とする傭兵集団を使うようになり、それも破綻している。 2014年11月、コンドリーサ・ライス元国務長官はFOXニュースのインタビューで、控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいないと語っていた。何をしでかすかわからないという恐怖心からアメリカに従っている人は少なくないだろう。 その狂犬のようなアメリカに従っていれば、何をしても許されると考えてきたのが日本の支配層だ。1932年の大統領選挙で日本を操っていたウォール街の勢力はニューディール派に主導権を奪われ、日本は中国との全面戦争に突入する。1933年の国際連盟脱退は象徴的な出来事だった。今、日本は似た状況の中にいる。
2016.12.01
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