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さて、ここでチートデイを設けようと思う。チートデイとは、ダイエット中などに、自分を甘やかして好きなものを食べようという日のことである。以前から何度も書いているが、私は、コーヒーのようにスイーツを完全に辞めることは考えておらず、今後もほどほどには楽しみたいと思っていた。趣味が次から次へとなくなっていき、身体の為とは言え、これではあまりに自分自身がかわいそうな気がするのである。だから、無事に1ヶ月を乗り越えられたらば一つだけ食べようと決めていた。決して我慢できなくなって食べるのではない。計画的に事を実行に移すという意味である。ところで、私の言うスイーツとは、洋菓子和菓子、スーパーのお菓子コーナーに売られているような甘いおやつ、菓子パンである。
2025/04/30
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コーヒーを辞めて間もなく4年半を迎えるが、コーヒーを辞めた時と同様、私は一旦覚悟を決めるとなんて事なかった。ちゃんと達成できるのであった。そんな私のことをパートナーは“自制が効く”と言うが、まったくその通りで、絶つと誓ったその日から甘いものに見向きもしなくなった。決して強がっているのではない。頭が切り替わって本当に欲しくないのである。スイーツを目にしたら、う〜わ〜おいしそう〜〜と目がハートになっていたのに、素通りであった。これまたコーヒーの時と同じで禁断症状もなし。10日経った。幼少期から現在44歳までのスイーツ変遷を辿ってみても、甘いおやつを10日間も食べなかったことだなんてあったか?否、間違いなく人生で初めてだ。2週間。一つ大きな大きな山を越えた気がした。3週間。味覚に変化が生じる。かぼちゃやさつまいもってこんなに甘いんだ。因みにこの時通院だった。以前の私なら病院のストレスをスイーツで癒していたものだったが、むしろスイーツなんて全然欲しなかった。この変化に私自身が一番驚いた。1ヶ月。なんの苦悩もなく楽々と達成する。甘いものって、食べるからもっともっと食べたくなるんだと思う。食べなかったら食べたくならず、まったく以って平気です。
2025/04/29
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このブログに記録しておきたいことはまだまだある。えー、スイーツの件。去年の10月、老化と長引く暑さと、主治医に予防治療を勧められたストレスから突然食欲が落ち、それに伴って必然的に甘いものの量も減ったので、週に1、2回だけ甘いものを食べるという日々を過ごしていた。すると、今年1月、およそ8年半続いた背中の湿疹が完治した。びっくり仰天の思わぬ副産物を手に入れた私は、狐につままれたような思いだった。そしてその後も週に1、2回甘いものを食べる生活が続いていたが、少し様相が変わりました。背中は完治したものの、膝の湿疹は一向に良くならず、ついに2度目のステロイドを塗ることと相成った。どうにもこうにも心身に及ぼす限界を越えてしまい、我が信念に反する薬に2度も手を出した自分が不甲斐なかったが、これも仕方ないと腹をくくった。と言いながらも、やっぱり心の中はしがない気持ちでいっぱいだった。こんなに情けない思いをするのなら、いっそのことスイーツを絶ってみようか ー 。そんな考えが頭を占めるようになっていった。そうなのである、私はこの膝の湿疹はどうしてもスイーツが関係しているように思えてならなかったのである。膝にステロイドを塗り始めた日、同時に私はスイーツを絶った。その日から1ヶ月以上食べてない。もし膝の湿疹の原因がスイーツ(砂糖)であるのならば、僅かでも自分にスイーツ(砂糖)を疑う気持ちがあるのならば、一旦絶ってみよう。膝の湿疹が治ったらまた食べればいい。治らなかったら治らなかったらで、スイーツ(砂糖)を疑う気持ちも晴れよう。ステロイドを辞めたらすぐに湿疹がぶり返すことはわかりきっているので、ステロイドと並行して今のうちにスイーツを絶っておいて、そのぶり返しを最小限に抑えようという魂胆である。要するに私は、あれだけ食べた時に幸せを感じる大好物のスイーツを我慢しようと決意するほど、膝の湿疹に打ちのめされていたのであった。この作戦が成功することを祈る。
2025/04/28
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「ぼくたちの間のはりつめた沈黙の氷塊は、もっとはるかに根深いものだった」「今日、ぼくは映画を見て来たよ。」「いや、映画が見たかったわけじゃない。本当は暗闇がほしかったんだ。」「もっとも、表情というやつは、生活が刻んだ年輪のようなもので、」「孤独というやつは、逃れようとするから、地獄なのであり、すすんで求める者には、むしろ隠者の倖せである」「 ー まあ、そうぐちるなよ」「…そう、この霧のなかにこそ、おそらく人間存在のありのままの姿が示されているのではあるまいか」「なにぶん、隣人と、敵とが、もはや昔のようには、誰の目にも容易に見分けがつくはっきりとした境界線で区別されなくなってしまったのが、現代である」
2025/04/27
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耳の衰えを少々感じるようになっているが、先日ある日本映画を観ていて、まだまだ私も隅に置けないなと実感した出来事があった。最後にエンディング曲が流れた時、ヴァイオリンのソロを弾いている方がいたのだが、私はとっさにハッとなって耳を塞ぎ、“ソロだけが異質でバックのオーケストラと全然馴染んでない”と感じた。それは決して演奏が不味い訳ではなかった。技術は伴っていると思ったし、自分自身に酔いしれてオーケストラとの波長が合わないという訳でもなかった。ただどことなく歯車が噛み合わないというか、ギクシャクした組み合わせのように感じられ、虫酸が走るほど私の耳には気持ち悪かったのである。しばらく聞くも、その溝は一向に埋まらず。はてこれはなんでだろうととても不思議だった。すると、3分ほど経ってから名前のクレジットが出て来て、ああなるほどと合点した。日本人の名前ばかりのオーケストラ楽団なのに、ソロヴァイオリンだけが外国人奏者だったのである。おそらく、この映画のエンディング曲のみのスペシャルゲストとして招き入れたのだと思われた。ほほぅ、そうだ、つまり異質と感じたのはその血筋と文化の違いからだ。それを私はその最初の1秒の音色で感じ取った。私の耳もまだまだ現役かしら、と一人ほくそ笑んだ。
2025/04/26
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髪の毛を切った。自分で切るようになったのはいつからだったっけ。もうベテランになってきたな。更年期が始まってから、何をするのも面倒臭いと感じるようになっているが、拭き掃除とセルフカットだけはそう思わない。むしろ清々しくなるから進んでやりたいと思う。髪の毛もチョキチョキと切っている時間はなんだか楽しいし、30分ほどだろうか、何も考えずに集中している時間もまた、今の私にとってはなくてはならない時間だとも思う。さっぱりして頭も軽くなった。ところで、もっともっとおばあちゃんになって、外出先と言えば病院ぐらいか、となる頃には髪の毛切ってあげるよ、と約束しています、妹と(笑)
2025/04/25
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「だが、いつまで尻込みしていても、らちのあくことではない」「いったい何が理由で、そんな廻り道をしなければならなかったのだろう」「四つと、二つとでは、大変な違いがある。四は、単に二の二倍なのではなく、じつは六個の、比較のための「対」がふくまれているのである」「いずれまた、行き詰りが来るかもしれぬなどとは、思ってみもせずに…」「どうやらぼくの思考は、螺旋状の運動をしているらしい。もっとも、その運動方向が、はたして上昇線をたどっているのか、それとも逆に墜落をはじめているのか、その辺のことになると、いささか心もとない気がしないでもないのだが…」「<僧服が僧侶(そうりょ)をつくり、制服が兵士をつくる> カーライル」
2025/04/24
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この度、初めて森村誠一を読んだ。昭和51年の作品。名前は知っていたが、小説を読んだこともドラマを見たこともなかった。なかなかトリックが巧妙だったし、心を打つ内容だったと思う。そもそも読書が趣味になったきっかけは、アガサ・クリスティーの文庫本を100冊ほど読破したことだった。そう、推理小説がすべての始まりだ。森村誠一を少しずつ読んでみようと思う。また読書の楽しみが増えてうれしい。
2025/04/23
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意地を張って頑なに耳はまだ衰えていないと思うなどとほざいていたが、そんなことあるはずもなく、やっぱり耳も老化が進んでいる。最近、洋画を字幕で観ることがしんどくなってきた。私はちょっとばかり耳が敏感なので、BGMはすべてドレミで聞こえて来、英語なら英語が言葉として聞こえて来、更には字幕を目で読まなければならない、俳優の表情や背景をも見なければならない。頭の中ではそのBGMが川の流れの如くザーッと楽譜に置き換わるので、私は自ずとタクトを振る。たがか映画されど映画、例えば2時間の映画なら、私は2時間とってもとっても忙しいのだった。以前はこれがむしろ醍醐味だったのだけど、もうそろそろ負担だと感じるようになってきたようである。これまであまり興味のなかった日本映画を観るようになっている。どうしても音楽に気を取られがちになるので、念の為字幕はオンにしているのだけど、日本語なら耳に言葉が自然と入ってくるから必死になって字幕を追う必要もない。思う存分画面を見ることに集中できる。これが気が張らず思いの外楽だなと感じる。年齢によって観る映画も変わってくるね。まぁ、今はそんな老いも楽しみましょうか。
2025/04/22
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現在44歳。老化が目に見えて進んでおり、特にホルモンのバランスは荒波を迎えているなと感じる。月経が不定期になっていた。去年は周期が早まることが多かった。一方で年末頃からは間延びしてかなり遅くなっている。それなのに、PMS(月経前症候群)は暦通りに訪れ、月経がもうすぐ来るような体になっているのに月経がなかなか来ないという、しんどい状態が長く続いたりする。なんだかもう体がどーんと重たくて重たくて、漬物石でも背負っているんじゃないかと思った。不思議にある日を境になぜかPMSの症状が消え、ホルモンに左右されない安定した体と精神状態になることもあり、この時ばかりはなんて清々しいんだと思う。女性は常にホルモンの影響を受け続けている生き物だから、なるほど、閉経の前後を機にようやく心と精神とが安定する毎日を手に入れられることができるんだと(更年期の症状はまた別の話だが)、やっとホルモンという得体の知れないものの正体を知ったような気がする。この歳になって、自分自身の身体で、皮肉にも我が老化を以て。
2025/04/21
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半身浴をし始めて8年と9ヶ月。今年の花粉症はひどい。稀に見る惨憺たる有り様だ。ようやく下火かな。病院へ行った。私は世の中に逆行して生きてきた変わり者なので、これからもこのまま貫くことを誓った。ごめんなさいね、主治医。予防治療を拒否し続ける厄介な患者として研究材料にして下さい。膝のステロイドは続けてる。毎日半身浴をして、下半身は靴下とレギンスをいっぱい履いて雪だるまのように着込んで、腹巻きして、夜中は湯たんぽ入れて、腹八分、ちゃんと地道に自分治療を続けながら。
2025/04/20
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ゴールデンウィークには妹家族が帰って来るので、私は必然的に逃亡しなければならぬという憐れ。こういう時に限って出かけたいと思う場所がない。どこ行こうか。どこ行っても混むしな。冬には寺などたくさん巡って楽しかったけど、暑くなったから躊躇する。となるとやっぱり美術館か?行ってみたい美術館はいくつかあるけど。はぁ〜、出かけたくないなぁ。更年期が覆い被さっているから家で寝てたいなぁ。いやいや、今から悶々と考えていたって埒が明かない。その日の朝、行きたいと思ったところへ、行こう。
2025/04/19
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今年の目標は見聞を広めること。これまで興味がなかったことを敢えて経験してみる。きっかけは美術館のチケット代の値上げだったが、この秋と冬は目一杯楽しく趣味を満喫できた。夏は、というより、一年の半分は、自分の思うように活動できない。今年の夏も当然のように試練だろうから、それを見越して、夏の分を補うようにあちこち出かけた。たくさんの思い出ができた。このたくさんの思い出に浸りながら今年の夏を無事に乗り越えられたら言うことはない。そして又、冬にたくさん歩きたい。そろそろ暑くなってきたから、セーブしましょう。
2025/04/18
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「歯の治療が出来ないのなら、せめて痛み止めでも飲むしかあるまい」「嘘の上塗りがいつも剥げやすいものだったら、どんなにか気楽なことだろうに…」「だがいつまでも他人の軒で雨宿りしていられるわけではない」「人間というやつは、他人の目を借りることでしか、自分を確認することも出来ないものらしい」「<ねたかねなんだかまくらにとへばまくらはものゆたねたとゆた> 竹久夢二」「<私は詩人になりたかったけれど、詩稿はパンの代りにはなりませぬでした> 竹久夢二」
2025/04/17
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「ああ いつもいつも一生が幸せな今日の光のつづきであると信じていたころ」「…お祈りなさいませ苦しいことがおありなら」「タナボタを待つぐらいなら行動せねば」「ママたちの時代も戦争…そして今も戦争…どうしてこんなことばかりあるのかしら…」「通路をふさぎっぱなしにしておくと、しまいには、通路があったことさえ忘れてしまうものなのです」「<人間は生きて苦しむ為の動物かもしれない> 夏目漱石」「人間の一生なんざ不明瞭なもんですよ」
2025/04/16
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パートナーにだけは逐一報告しているが、「大丈夫」だと言う。それは、私が発病した後に出会った時からそうだった。いつでもどんな時でも「大丈夫」。あ、因みにパートナーは医者ではないですよ。でもね、根拠なんてないけれど、この言葉に救われてる。体調は順調に回復してきた。鎖骨の凹みのヘルペスは稀に見るひどさだったけど無事にかさぶたになった。おそらく半年ほど跡は残るけどね。苦手なゴールデンウイークが近付いているし、暑くなってきたから、ゆっくりマイペースで過ごそうと思う。休息することが私にとっては重要だ。兎にも角にも早々に今年の通院が終わり、ホッとした。
2025/04/15
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私は、なぜかストレスを感じると無性に拭き掃除をしてさっぱりさせたくなるのだが、翌日も例に漏れず悶々としたので、サッと床を拭いた。その後は、夕方になって疲れが一気に出て一眠りしたが、主治医との会話をじっと思い返しながら考える。今後も一年に一度の通院で様子を見ることで落ち着いたけれど、病変が増え続けていることは事実なのだから、そこは肝に銘じてしっかり用心しなければならない。一つずつ着実に私は歳を重ねている。若さは戻ることはない。6月で発病して18年になる。浮かれていたらダメだ。最悪のことも頭に入れておかないと。それにしてもいつ病変が増えたんだろうか?10月以降むしろ体調は良かったけどな。本当に得体の知れない病気だわ。でも、かなりのストレスだったから、無事に終わり安心した。また一年後だからうれしいなぁ!そして最後にこれだけは言っておこう。心配しないで、妹、絶対に迷惑はかけないからね。
2025/04/14
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去年の10月の頭部MRIでも病変が一つ増えていたが、また今回も一つ増えていると告げられる。自覚症状はないようだが、こうやって一つまた一つと積まれていくのは良くないことなので、予防治療はした方が良いとのこと。と、そこで紙と鉛筆を渡され、今日はまず反射神経のテストをしますということに。認知機能が衰えていないか調べる為だった。90秒でできるだけ多く正確に回答する簡単なテストだったが、このテストがまさかの功を奏した。私、こういう反射神経を試すテストって実は大好きで大得意なのである。ピアノを弾いていたから、反射神経は嫌というほど訓練されていた。楽譜なんてものは、驚くほどの量の音符を瞬時に読まなければならない訳だから、反射神経が良くないと弾けやしない。で、あっぱれ、このテストが主治医よりも私の方が成績が良かったらしいのである!つまりは私の認知機能は衰えていないということが一目瞭然だったが、それよりもこの瞬間から場の雰囲気が一変した。急に私の立場が尊重された感があった。どこか釈然としない主治医と患者という上下の関係だったのが、対等な関係になった気がした。次に予防治療の冊子をいただき、詳しい説明を受ける。わかりやすく丁寧に教えてくれた。今は、月一回太ももに自分でペン型の注射を打つ『ケシンプタ』という薬が主流で、これを勧めるとのことだった。しっかり内容を聞き、副作用なども含め大まかなことは理解する。その上で、私はやっぱり考えは変わっておらず、このまま“何もしない”という道を行きたい、と言った。今日は家族同伴でとの約束だったが、妹は仕事が忙しく来られなかった旨も伝え(嘘だけど。妹には大切な家族があって大切な暮らしがあるのだからそもそも声すらかけていない。役立たずな姉ごときで煩わせたくない。)、且つ私の気持ちを了承してくれているとも付け加えた(これも嘘。妹は人生においてその他大勢に属していることが最大のステイタスなので、主治医が予防治療を推奨するのなら二つ返事ではい是非やりましょうと言う)。すると、あっさり引き下がる主治医。もっと強い口調で詰め寄られるものと覚悟していたので、なんだか拍子抜けした。夏の暑さで歩くのが遅くなるとは以前から伝えていたが、それが明らかに年々悪くなるようなら予防治療を視野に入れようという結論に終わった。たっぷり15分間の診察だった。ちゃんとお互いが冷静に主張し合って話し合えた実りある時間だったと思う。去年の10月に受けた血液検査は異常なし。今まで通り、また一年に一度の通院を続けることになった。いつの間にか5時が過ぎて外来の照明は落ち、職員はほとんどが帰宅し閑散、正面玄関は閉鎖され夜間出入り口を使うよう指示、帰り道では雨がザーザー降り、風は吹き荒れ、雷鳴が轟いていたが、片や私の心は晴れやかだった。
2025/04/13
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生憎の曇天のシラけた朝。ヘルペスは鎖骨の凹みにおそらく100〜150個ほどの水ぶくれの集合体になった。ピリピリ痛む、リンパ腺が腫れる、熱っぽいから口が乾く。そして鼻の頭には巨大なおできがボンッとできている。花粉症もひどいし、更年期でしんどいし、ついでに口内炎も。最悪としか言いようがない。恐るべし病院ストレス。診察は15:30だったので、気合いを入れる為に、先にずっと行きたいと思って早くからチケットを購入していた美術館へ行く。初めて行く某現代美術館なのだが、なかなかの刺激を受けて、どんよりしていた気持ちがハイになる。世の中に物申す芸術家は偉大だと思う。私も見習おう。近くのパン屋へ立ち寄って腹ごしらえ。カレーパンをレジへ持って行ったら、今ちょうど揚げ立てだと言って湯気の上がるカレーパンと取り替えてくれた。その気遣いが、すっごくすっごくうれしかった。なんでこんなにおいしいんだろう。これで主治医との対峙、がんばれる。さぁ診察へ。この一週間ずっとそわそわしていたので、主治医が何を言おうとようやく今日で解放されると思うとうれしかった。到着すると、なんと55分遅れ。待合室で待っている患者たちは、みなぐったり疲れ果てている。こりゃあ体力勝負だな。結局呼ばれたのは16:45だった。瞼を閉じて平静を装っていたが、待ち時間が長かったのであれやこれやとあらぬ事を考えてしまい、心臓ははち切れんはかりにバクバク打っていた。一体なんて言われるんだろう?
2025/04/12
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今年はお花見どうしようかな?行ったことのないところへ行くことだけが唯一の条件だったが、某公園へ行こうか、某河川敷へ行こうかなど、うんと悩んだ末、以前から評判は聞いていた桜の名所である某神社へ行くことに決めた。電車とバスを乗り継ぎ到着。ちょっとまだ早かったようで咲き始めだったのが残念だったが(3月に行った)、それでも可憐に花開いている桜も多く、春を感じられた。ついでにその周辺にある小さな寺や神社も巡ってみた。私には、この“ついでに”回った寺の方が遥かに良かった。期待していなかったものが実は良かったりする。その寺は、寂れてはいるが立派な本堂なのに、その中心に祀られている仏像は、華奢な生まれたままの姿の天上天下唯我独尊の右手の人差し指で天を、左手の人差し指で地を指す小さな小さな仏像。その不釣り合いなちぐはぐさに呆気に取られながらも、その小さい身体で必死になって佇む仏像に妙な色気と魅力とを感じてしまった。天上天下唯我独尊とは、生きとし生けるものは全て尊い命を持った尊い存在だ、という意味だが、それを小さな体躯全体で目一杯体現しているかのような気がして、迸る情熱が伝わってきた。何か目には見えないパワーのようなものを受け取る。うん、今日は良いもの見られたな。英気を養い、さあ帰ろうかとお堂を出たら、なんとそこにはのらねこちゃんが!わーい♪この日一番心躍った瞬間だった。ところが、帰りのバスをまさかの逆方面に乗ってしまいとんだハプニングに見舞われたのだけど、久しぶりにのらねこちゃんの写真が撮れてへへへと愉快な気持ちで帰宅した。かわいい〜。
2025/04/11
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「このひとも年をとった」「幸せはとどめておけないものかしらほんの少しだけでいいから」「生きていくってことはとてもむずかしいからただ日を追えばいいのだけど時にはとてもつらいから」「死と生を決定するのは私たちではありません」「だが、まだ夜が明けてはいない」「人生とは生まれて老い死ぬただそれだけそこに過不足はない」
2025/04/10
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あまりに疲れぐったりとして起き上がれず。なんかムズムズして気持ち悪い、ふっと鎖骨の凹みに手が伸びた。あ、ヘルペス。病院ストレスだな。造影剤という異物も入れたしな。4ヶ月ぶりだな。因みにヘルペスってできた瞬間は蚊に刺されたように赤く丸く腫れたようになっています。それが無数の水ぶくれの集合体に移り変わってく。
2025/04/09
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前回、10月の診察の時、私の家族構成と収入状況とをオブラートに包むこともなくズケズケと聞き出し、主治医は医療費が高額になるから私が予防治療を拒んでいると解釈したらしく、医療費は国が負担してくれるから、と言った。確かに私の場合、国が指定する難病だから、申請すれば全額負担してもらえる。いえ、そうじゃないんですよ。医療費が払えないから断っている訳じゃないんですよ。そりゃあもちろん、もし予防治療をするのなら、ウチなんてすっからかんなんだから、国に負担してもらわないと破産です。違うんだよ、そういうこと言っているんじゃないの。私はその予防治療に疑問があるからしないんです。私はあくまで、これが私の生まれ持った身体なのだから、自然のままでいたい、車椅子になるのならそれまでだ、認知症になるならそれまでだ、と思っているから。これは決して諦めではないの。私は、私の授かった寿命を何の操作をすることなく私のままで終えることが、人生の最大の目標だと思っている。それはおそらく、自分自身のアトピーやら不登校やら父の死やらいろいろと経験した中で、いつの間にか築き上げられた想いなのだと思う。これが真の自分の命をまっとうするという意味だと考えるようになった。こんなことを詳しく話す気はないし、汲んでもらいたいとも思わないけれど、こんな歪んだ世の中で、私は私の意思に則って自然に身を任せて終えたいのです。そして、正直私は自分自身の未来にこれっぽっちの関心も欲もない。これが一番の理由かもしれないね。
2025/04/08
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病院へ行ってきた。今回は頭部のMRIのみ。診察は来週です。去年の10月の診察の時に“予防治療が必要なレベル”だと言われた。より詳しく調べるために、MRIを造影剤の注射を打って検査した。主治医はどうにかして私を予防治療をする方向へ導きたいらしく、一度都合の良い時に入院して自分で注射を打つ練習をさせたいと企んでいるようだった。主治医はまだ若くして副部長にのし上がったと思われる。部長の座を狙っていることは見え見えだった。ドラマ『白い巨塔』で、不倫相手の女ケイコが財前教授に向かって「あなたは自分の為に患者を救う医者ね」と言い放つシーンがあるが、この今目の前にいるk先生を見て、ふとこの言葉が思い浮かんだことを思い出す。来週の診察には“ご家族同伴で”という約束だ。主治医は余命短い母ではなく妹を推したが、妹に診察に付いてきて欲しいだなんて言えるはずもなく、否、そもそも全く言うつもりもなく、もちろん一人で行くのだが、なんだか厄介な事になってきたなぁと感じる。病気になって6月で18年だ。これが難病を患っているという意味なのか?MRIはびっくりするほど空いていて、珍しく予約時間通りに呼ばれた。30分ほどかかっただろうか。やけに長く感じたが、造影剤の注射も大丈夫だった。今回初めて目の奥も撮るから目玉を動かさないようにと言われて少なからず驚いてしまった。要するに視神経だな。来週まで気が気でない。
2025/04/07
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この間カフェでご一緒した見知らぬ老猫(ササキさん)に教えてもらった寺の内の一つに早速行ってみた。この寺の近くに私のお気に入りの美術館があるので、どうやら近くまでは行ったことがあったようだが、この寺のことは知らなかった。教えてもらわなければ、おそらくお目にかかることはなかっただろう。すんなりと辿り着いた。風が強く寒い日だったけれど、晴天で気持ちいい。本堂に入ると拝観しているのはたったの二人だけだった。静かで優雅だ。心を風が通り抜けて邪念を持ち去ってくれるよう。そこから小ぢんまりとした枯山水の庭園を眺めていると、今ここには美しい時間が流れているような気がした。次にその奥の立派な舎利殿に入る。天井から天蓋が掛けられていて、そこに龍図が描かれている。通常こういう龍図というものは水墨画が多いかと思うが、なんとカラーだった。しっかりと色が残っている。もしかしたら天井にあるカラーの龍図を見るのは初めてのことかもしれない。そして龍図は私たちに“仏法の雨を降らせるという謂れ”があるそう。おゝ、しっかり浴びたぞ。るんるんと機嫌よく寺を後にしようと思ったら、隅っこにスタッフの名札を付けた尻に根が生えた“主”のような老人が座を占めており、避けて通ることはできずネズミのごとく捕まってしまった。おもむろにこれまで何百回となく語って来たであろう戯言を話し始める。滔々と述べることだけを生きがいとしていることはお見通しで、その癖ただの浅く乏しい内容をうろ覚えしただけの中身は空洞、こちらからの質問はすべて素通り、一向に要領を得ない。この老人にとって客人は我が欲望を満たしてくれる単なる良い鴨であり、こちらはただ時間を無駄にしただけで何の学びにもならなかった。くだらない。かと言って気持ちよくしゃべっておられるのだから私の方から切り上げることもできず、相槌を打つことさえ面倒になり、ついに痺れを切らし尻をもぞもぞさせ始めた頃、ちょうど良い具合に次の鴨がやって来たので今だとばかりに逃げた。なんだかドッと疲れて言葉も出てこなかった。ただどこかからの受け売りをひけらかしたいだけの難儀な老人であった。…。…。否、寺は十分見る価値があったのだから良い思い出で〆ようじゃないか!天井画のカラーの龍図を見られたのだ。きっとこれは珍しい。仏法の雨も浴びたしね。きれいに手入れされたお庭でした。
2025/04/06
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半身浴をし始めて8年と8ヶ月と半月。膝にステロイドを塗ったから心が安定しています。かゆいって本当に辛いのです。左目の下の痙攣が続いているが、なぜか瞼に移って今度は瞬きに違和感があった。そして翌日にはまた目の下に戻り、結局目の周りが痙攣するらしい。そしてだんだん顔の下の方にまで広がってきていて、左のほうれい線や顎の辺りも変。更年期の影響で神経が鈍感になったから、ヘルペスもほとんどできなくなってうれしい。ヘルペス菌は神経に潜伏してるからね。汗とヘルペスがここまで楽になるとは思わなかったけど、私にとっては更年期も悪くないな。日差しが強い。まだ4月に入ったばかりなのに既にギラギラする感じがして、日傘なしでは歩けない。なんだかさぁ、自分の身体も日々の暮らしも、どんどん貧相になって、みすぼらしくなっていくなぁ。
2025/04/05
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「自分の生活の貧困さと愛情の欠如とが意識された」「じゃ、坊ちゃんはいつも白い服を着ていて、けっしてよごしたくないんですね?」「<何ものも内部になく、何ものも外部にない。内部にあるものは、外部にあるのだから。> ゲーテ」「きみは自分がどんなに仕合わせであるか知らないのだ!」「ぼくは何もかも断念してしまった。ぼくはすっかり貧しくなり、欲のない人間になってしまった」「時は知らぬふりしてぼくのそばを通りすぎ ー 十年たってもおなじ朝を迎え ー 」「一歩踏み出して、何もかも投げ捨てたまえ。そしたら、世界がまたさまざまな美しいものをもってきみを待っているのが、急に見えるようになるだろう」「おまえはいつでも出て行ける。戸はあいている」
2025/04/04
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ところで、『〜2025年やりたいこと〜』と題して趣味に勤しんでいるが、なるだけお金をかけないことを条件としている。4年ほど前からポイ活に毛が生えたようなことをして少しだけ収入を得ているが、私なんぞの身分で自由に使えるお金は非常に限られており、贅沢なんてこれっぽっちもできない。もしお金がたくさんかかるのであれば、それは私には叶わなかったんだなとすっぱり諦める。つまりは、自分の身の丈に合った範囲の中で目一杯趣味を楽しむということである。本やDVDは言わずもがな図書館で借りるからお金はかからない。寺や神社やハイキングもほとんどが無料である。寺や神社に関しては、拝観料が必要な所はもちろんあるが、通常無料公開しているところが多くあり、それで十分満喫できる。季節の行事などでも僅か数百円で見られるところばかりなので、ぼったくりなんじゃないかと怪しまざるを得ない美術展なんぞの三分の一の値である。私にはおあつらえ向きだ。更にコーヒーを辞め、少食になり、甘いものの量も減り、以前のようにカフェ巡りをすることがとんと少なくなったので、ちょうど物価高の今都合が良かった。ちょっとコーヒー一杯、ちょっと甘いもの一口、昨今これが一番思わぬ出費となる。以前なら必ず組み込んでいたこの習慣がなくなったものだから、その分を趣味に回そうという魂胆である。ただ、交通費はかかる。どこへ行くにもこればっかりは仕方がない。交通費だけは必要経費だと納得した上で、なんとかやりくりしています。
2025/04/03
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”最寄り駅から折り返し地点まで約40分のハイキング”こりゃ私には1時間以上かかるなと頭の中で目星をつけながらいざ出発する。ここは、こちら関西では少し有名なハイキングコースで、紅葉時には大混雑するという人気ぶりである。私はそんな大混雑する時期にわざわざ出かける気もなく、紅葉を見たいというよりただただ歩きたいだけなので、閑散期を狙って行った。ずっと以前、まだ病気になる前に働いていた頃、送別会をした店がこの駅の近くにあり一度だけ降り立ったことがあったのだが、それ以来訪れたことはなかった。なんだか初めて来たようでワクワクする。駅から緩やかな坂道を一歩一歩ゆっくり登り続けた。さすがハイキングコースとだけあって、道はちゃんと整備されていて歩きやすい。閑散期にも関わらず歩いている人たちが結構いて、途中、行き違った方とこんにちはと挨拶を交わす。それにしても自然の中を歩くと心身蘇って気力が湧いてくるなぁ。感性が刺激される。背筋も伸びる。ちょっとは足の筋肉付いたかな?たっぷり1時間かけてなんとか折り返し地点まで到着し、爽やかな空気を目一杯吸い込んだ。あゝ気持ちいい。(花粉症はひどいけど。)そして図に乗った私は、帰り道、ハイキングコースから脇道に逸れて展望台へと登るコースにまで手を出してしまった。これが間違いだった。しんどいったらありゃしない。足が縺れて力が入らなくなってくるし、足の付け根も痛むし、こんなにも過酷だったなんて想定外である。が、何度も腰を下ろしヒーヒー言って汗をかきながらなんとか登り切ると、そこには絶景が広がっており、あゝこれを見る為に私は今日ここへ来たのね、と心身最高に満たされた。階段を400m登りました。やっほー!
2025/04/02
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「来るものあればまた去るものありで、狼瘡病みのような顔がやはり同じような別な顔にとって代る」「両極端は一致する」「この社会という肉体は、それを構成する細胞が変ろうとも存続してゆく」「彼は我々よりも達者だったよ。だがね、聴診器を当ててみると、心の中で涙がふつふつとたぎっているのが分かるんだ」「理由がいっぱいあるのは、ないのと同じ」「あたしはただ、死ぬ勇気を与えてくれることだけを、神様に願っていたわ」「でも、与えてはくれなかった」「文学には禁じられている偶然が、人々の間でいくつも重なること」「夏の午後は物うかった」
2025/04/01
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