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幻泉館サーバのログを眺めていたら、妙な直リンがあった。>http://mixi.jp/show_profile.plこういうところから画像が参照されているのだ。perlスクリプトのファイル名らしいが、mixiのプロフィール画像でしょうかね。私はmixiとやらに参加していないので、ここにアクセスできない。どんな風に使われているのか確認できない。というところにムッときた。仕方がない。またやりますか。元画像に下品な文字を書き入れました。むなしいのぉ。 →夕陽を追いかけて →夕陽が泣いている →夕陽が好き!
2006.04.30
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→Chapter 5: River of Iceディランの頭の中には、フォーク音楽しかありませんでした。-----------------------------------------------It was out of date, had no proper connection to the actualities, the trends of the time. It was a huge story but hard to come across. Once I'd slipped in beyond the fringes it was like my six-string guitar became a crystal magic wand and I could move things like never before. I had no other cares or interests besides folk music.フォーク音楽は時代遅れで、現実や時代の流れとうまく繋がっていなかった。大きな物語なのに、出会うことは難しかった。一旦境目を越えて中に入ってしまえば、僕の6弦ギターは水晶でできた魔法の杖になり、以前にはけっして動かすことのできなかったものも動かすことができた。僕はフォーク音楽以外にはまったく注意や関心がなかった。-----------------------------------------------それで、ディランはエレキを売っ払って、マーチンの00シリーズに替えたのです。Martin 00-17が、ディランの「魔法の杖」になりました。どうにも気になったので、私が先走って調べたところです。 →ディランのMartin 00-17 CHRONICLES #373 →Artifact as Inspirationディランは夏休みの学生街を楽しみます。ディンキータウンという名で有名らしいですね。絵葉書がありました。 →Dinkytown Photo Tourこの町のレコード屋で、ディランはオデッタのレコードと出会います。 →Vanguard Record: Odetta-----------------------------------------------Odetta was great. I had never heard of her until then. She was a deep singer, powerful strumming and a hammering-on style of playing. I learned almost every song off the record right then and there, even borrowing the hammering-on style. オデッタは素晴らしかった。その時まで一度も聴いたことがなかったのだ。深みのある歌い手で、ギターを力強くかき鳴らし、叩くようなスタイルで演奏した。僕はレコードを聴いたその場でほとんどすべての曲を覚え、その叩くような演奏スタイルを借用した。-----------------------------------------------ギターの奏法で「ハンマリングオン」というのがあるのでそのことかとも思ったのですが、"No Direction Home"でオデッタの映像を見ると、本当にハンマーで叩きつけるようにギターを弾いているのです。だから、その弾き方のことではないかと思います。オデッタは本当に弦を叩きながら、吠えるように歌うのです。びっくりしました。普通の「ハンマリングオン」はこんな感じです。 →フィンガーピッキング入門
2006.04.30
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何度でも、何度でも、言っておこう。お前のことなど愛していない。私は国家神道の信者ではないので、戦死した身内の名前が神社の名簿に書かれても、まったく嬉しくない。兵士を戦争に駆り立てたのは、国家神道だ。そんなところに名前を書かれて、戦死者が浮かばれるものか。靖国神社に行くことと、戦没者を悼むことは、まったく関係のないことだ。日本国よ、私はお前のことなど少しも愛していない。「日本は神の国」などとほざいていた議員が「愛国心」を押しつける。冗談じゃない。私の心を、お前なんかの勝手にはさせない。
2006.04.29
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→Chapter 5: River of Iceディランがビートの世界に希望を探すつもりではなかったのは、既に自分が進むべき世界を見つけていたからです。-----------------------------------------------I had already landed in a parallel universe, anyway, with more archaic principles and values; one where actions and virtues were old style and judgmental things came falling out on their heads.とにもかくにも、もっと古風な原理と価値観を持った並行世界に、僕は既に上陸していたのだ。行動と美徳が古風で、批判的なものが頭上に降ってくる世界に。-----------------------------------------------伝説となっている人々の世界。無法者や悪漢が生き生きとしているけれど、神が支配する世界。つまり神話の世界です。ディランは前にも書いたような曲名を3つ並べています。固有名詞を複数形で登場させているので、似たような歌が他にいくつもありうるのだと言っているのでしょう。それを自分で見つけなければならないのです。 →Stagger Lee - Midi and Lyrics →Wikipedia: Stagger Lee →Pretty Polly →Indeed Pretty Polly →John Henry - The Steel Driving Man →John Henry-----------------------------------------------Folk music was all I needed to exist.僕が存在するために必要なのは、フォーク音楽だけだった。-----------------------------------------------ミネソタ大学の友愛会館に転がり込んだ時、ディランは既に自分の人生を、フォークソングを軸に考えていました。
2006.04.29
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→Chapter 5: River of Iceギンズバーグに続いて、ファーリンゲッティの名前が出てきます。-----------------------------------------------Lawrence Ferlinghetti, one of the other Beat poets, had called it "The kiss proof world of plastic toilet seats, Tampax and taxis." That was okay, too, but the Gregory Corso poem "Bomb" was more to the point and touched the spirit of the times better--a wasted world and totally mechanized--a lot of hustle and bustle--a lot of shelves to clean, boxes to stack. I wasn't going to pin my hopes on that.他のビート詩人の一人ローレンス・ファーリンゲッティは、それを「プラスチックの便座と、タンパックスと、タクシーとのキスが保証付きの世界」と呼んだ。それも良いのだが、グレゴリー・コーソの詩『爆弾』の方がもっと的を射ていて、その時代の精神にもっとよく触れている。荒れ果てた世界と、完全に器械化された……たくさんのごたごた……片付けなければならない棚と、積み上げなければならない箱がたくさん。僕はそこに自分の希望を見つけようとは思っていなかった。-----------------------------------------------ギンズバーグの「水素ジュークボックス」はあまりに唐突でわかりにくかったのですが、今度はもっと説明的ですね。リーダーズ英和プラスには、ファーリンゲッティの経営する書店がビート詩人たちの活動の拠点になっていたといった記述があります。このシティライツ書店の出版部がギンズバーグの『吠える(Howl)』を出し、そのためにファーリンゲッティは猥褻裁判の被告となりました。-----------------------------------------------Ferlinghettin. ファーリンゲッティ Lawrence Ferlinghetti (1920?- ) 《米国の詩人; San Francisco で彼が経営する City Lights Bookshop は Beat Generation の作家の活動の中心となった; 詩集 A Coney Island of the Mind (1958) など》.-----------------------------------------------おっと、シティライツ書店は今もありますね。『吠える(Howl)』五十周年を祝っています。 →Welcome to City Lights Booksその中にファーリンゲッティの紹介ページもあります。 →Lawrence Ferlinghettiうろうろしていたら、アレン・ギンズバーグの追悼集会に行ってきた人のサイトがありました。1997年の時点でのビート詩人たちの姿を見ることができます。3ページに渡っていますので、続きも見てね。グレイトフル・デッドの歌を弾き語りするとっつぁんがかっこいいぞ。 →アレン・ギンズバーグ追悼グレゴリー・コーソの『爆弾』を掲載しているサイトがありました。あ、ギンズバーグの『吠える』もあります。すごいHPだなあ。 →The Beat Page - Gregory Corso →The Beat Page - Allen Ginsbergビートと言えばこのサイトなんですね。 →The Beat Pageしかし、ディランの「僕はそこに自分の希望を見つけようとは思っていなかった」は、不思議ですね。妙に覚めた感じがします。最初から、ビートになるつもりはなかったということです。
2006.04.28
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のんびりした県道で信号待ち。停止して窓を開けると、空気の抜けたラッパのような声が。その方向を見ると、低い電線にカラスが2羽止まっている。おお、俺も少しはカラス語を解するようになったか。なんとなく意味が感じられるのだ。ん?違うわ、人間語だ。日本語だ。驚いてカラスたちを見ても、静かに止まっているだけだ。路地からよたよたと、自転車に乗ったおじいさんが出てきた。通りの反対側にいる知り合いに何かをどなっているらしい。な~んだ。楽天広場はエロサイトへ誘導するトラックバックが多いので、少し面倒だ。あんな言葉も意味を持っているからだろう。空虚だ。でも、あんなもののためにトラックバックを閉じるのは悔しいので、面倒を続ける。いわゆるネット右翼の嫌がらせなんぞで、閉鎖型のネット社会に逃げ込んだ人も多いようだが、どうもあれは性分に合わなそうだ。誰も誘ってくれないしね。それよりも、嫌がらせに屈するのが悔しいのだ。あんなものに負けてはいけないのである。うるさいのを黙らせようとして嫌がらせをしているのだから。昨日、ふと思いついてスパムなトラックバックを記録し始めた。今までは「禁止するキーワード」の方だけを設定していたのが、ついでに「禁止するURL」も設定したら、明らかに数が減った。どうせまた別のドメインを使って貼り付けてくるのだろうが、それでも減るのである。昨日からの記録から、今では次の4ヵ所を禁止している。ttp://4thlive.eek.jp/ttp://souldoor.mods.jp/ttp://lkjndi.husuma.com/ttp://noitbb.heteml.jp/実際に貼り付けてあったトラックバックは次のもの。-----------------------------------------------●URL タイトル/ハンドル 時刻●ttp://4thlive.eek.jp/ra2t/ こんな親子・・・・/二丁目のメス犬日記 (2006.04.26 14:00:01)●ttp://4thlive.eek.jp/raamore/ オゥ!女喰い勝負ダイジェストだ/アモーレ高岡 (2006.04.26 14:33:56)●ttp://4thlive.eek.jp/raamore/ オゥ!女喰い勝負ダイジェストだ!/アモーレ高岡 (2006.04.26 14:57:06)●ttp://souldoor.mods.jp/raamore/ ハメ撮り写真42枚UP/アモーレ高岡 今日もハメたての写真をUPしたぞ!! (4月26日19時50分)●ttp://lkjndi.husuma.com/hs/ はじめまして!/独り言… (4月26日21時17分)●ttp://noitbb.heteml.jp/razuppori/ 枝豆とビールがあれば他は何もいらない。/増田加奈子 (4月27日13時21分)●ttp://tsocs.petty.jp/ratokyo/ 今日は何の日??/エレナ (4月27日17時17分)●ttp://tsocs.petty.jp/ratokyo/ 寂しくて悲しいときこそ /蓬田エレナ (4月27日20時39分)●ttp://tsocs.petty.jp/ratokyo/ 寂しくて悲しいときこそ /蓬田エレナ (4月27日21時57分)-----------------------------------------------たったこれだけでも、「アモーレ高岡」が複数のハンドルを使い、同じサイトが複数のURLを持っているのがわかる。ところで、こんなエロサイトへの誘導というアホなトラックバック/コメントにも、一つ利点がある。ネズミの糞未満の嫌がらせコメントなどを削除するのに、何のためらいもなくなることだ。一時期ネット右翼が言論の自由云々などと恫喝していたが、その屁理屈がまったく意味を持たなくなってしまうのだ。あんなモノはさっさと削除すればよろし。ア~ッ!フォ~!
2006.04.27
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アメリカン・マスターズの電子テキストで、3ページ目に入りました。書籍ではp.235です。 →Chapter 5: River of Ice家を出たディランは大学の友愛会館にころがりこんで、自分の場所を確保します。何も物のない部屋から窓の外を眺めた、その時のことをディランは覚えているのでしょう。厳冬のニューヨークでも、レイの部屋の窓から外を眺めていましたね。1959年初夏のミネアポリス、さわやかな緑の季節です。-----------------------------------------------I suppose what I was looking for was what I read about in On the Road--looking for the great city, looking for the speed, the sound of it, looking for what Allen Ginsberg had called the "hydrogen jukebox world." Maybe I'd lived in it all my life, I didn't know, but nobody ever called it that. 僕は『路上』の中で読んだものを探していたのだと思う。大都市を探し、大都会のスピードと音を探し、アレン・ギンズバーグが「水素ジュークボックス世界」と呼んでいたものを探していたのだと思う。もしかしたら僕はずっとその世界の中に暮らしていたのかもしれないのだが、僕にはわからなかったし、誰もそう呼んではいなかった。-----------------------------------------------かっこいいです。でも、かっこいいだけに、「水素ジュークボックス世界」がよくわかりません。amazonではフィリップ・グラス(Philip Glass)のCD"Hydrogen Jukebox"が試聴できます。Answers.comに解説がありました。ギンズバーグの詩「吠える(Howl)」から採ったものだそうです。でも、ギンズバーグを読んでいないので、やっぱりよくわかりません。 →Ansers.com: Hydrogen Jukeboxせっかくだから読んでおきますか。ギンズバーグ詩集増補改訂版総特集アレン・ギンズバーグあ、ギンズバーグの朗読CDも出ていますね。輸入盤なので楽天市場では扱っていません。リンクは本館の方に張っておきます。 →幻泉館本館
2006.04.27
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参議院議員が飲食店の女性店員を蹴って怪我を負わせていた。示談が成立したので起訴猶予処分になったという報道。元のニュースを知らなかったので、御本人のサイトへ行ってみた。驚いたのが、プロフィール。趣味が「空手」なのだという。 →木俣佳丈 プロフィール本当に空手をやっている人間が人を蹴って怪我をさせたのなら、凶器を用いた傷害に準じた扱いにすべきではないのだろうか。サイトのトップには、「お詫び」が掲げてあって「今後一切の酒類を口にしないことを決意いたしました」と書いてある。酒のせいにしてるのね。日本は酔っ払いに甘いからなあ。コカインとマリファナをパンツの中に入れていて現行犯逮捕され、「もうパンツは履かない」と言っていた、勝新さんのことを思い出したわ。
2006.04.26
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]Martinの00シリーズが気になってつい先走ってしまいましたが、元のページに戻ります。書籍ではp.235です。大盤振舞サイトでは、まだ[2]の最後のところ。 →Chapter 5: River of Ice-----------------------------------------------My mother had given me an address for a fraternity house on University Avenue. My cousin Chucky, whom I just slightly knew, had been the fraternity president. He was four years older than me and an all-around successful student in high school--captain of the football team, valedictorian, class president. It was no surprise that he'd become president of the fraternity. 母から、大学通りにある友愛会館の住所を渡されていた。従兄のチャッキーのことを僕はよく知らなかったのだが、彼が友愛会の会長をしていたのだ。チャッキーは僕より4歳年上で万能だった。高校時代はフットボール部のキャプテンで、卒業生総代で、級長だった。友愛会の会長になっていても、まったく驚くべきことではなかった。-----------------------------------------------ディランが行ったのは、ミネソタ大学のミネアポリス・キャンパスですね。公立大学だそうです。地図に"University Avenue"が出ています。 →University of Minnesota →Directions to Minneapolis campus従兄のチャッキーに関しては、ちょっと冷たい書き方をしていますね。あまり好きではなかったのでしょう。私の場合、友愛会(fraternity)は、なんだかいじめの温床といったイメージを抱いています。リーダーズ英和-----------------------------------------------fraternity house《大学・高校の》男子学生クラブハウス《寮を兼ねる》, 友愛会館.----------------------------------------------------------------------------------------------My mom said that she talked to my aunt about calling Chucky and letting me stay there--at least while the place was vacated during the summer and most of its members were gone.母さんが言うには、伯母さんに話をして、チャッキーのところに電話をかけて、そこに泊まらせてもらえることになっていた。少なくとも夏の休暇の間、友愛会の学生がほとんどいない間は。-----------------------------------------------部屋が空いている間に居候させてもらったのです。進学したという感じではありません。実際、ディランは歌を歌うためにミネアポリスにやってきたのでした。大学を卒業したばかりの4年生が少し友愛会館に残っていました。その中の一人が、二階の突き当たりの部屋を使えと言ってくれます。二段ベッド(bunk bed)に、机が一つ。窓にはカーテンもありません。ディランは荷物を置いて、窓の外をじっと見ました。
2006.04.26
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いよいよ祝春一番2006の本番が近づいてきました。スタッフも頑張っているようで、出演者一覧からそれぞれの公式ページへリンクが張られていました。えっと、小谷美紗子さん……ああ、この人は去年も一昨年も見たな。ちっちゃいお姉さん。よしだよしこさん……誰だったかしら。どれどれ。あ!この人だ!少し前にCSのフジテレビ721で「フォークデイズ」という番組の総集編をやっていたので、一部を録画しておいた。 →幻泉館日録:自転車泥棒その中で、丸山圭子さんと水越けい子さんが「ほほにキスして」を歌ったのだ。あらかじめ司会の坂崎幸之助さんが異質ですよねと言っておくほど、確かにそれは異質なステージだったが、私の場合は映像に軽いショックを覚えた。そして、高校の同級生の顔を思い浮かべていた。「どうぞこのまま」が、というより、丸山圭子さんがいいなあと言っていた友人だ。他人様のことは言えないけど、諸行無常なり。 →丸山圭子公式サイト →KEIKO MIZUKOSHI official websiteこの時、ギターの伴奏をしていた人が、「よしこちゃん!」と呼ばれていた。このよしこちゃんが、とてもさわやかに感じられたのだ。誰だったかなあ、この人。見たことあるような、ないような。変な言い方だが、デビュー当時の中島みゆきさんがそのまま年を重ねていったような印象。それは髪型や服装のせいかもしれないけど。そうか、「よしだよしこ」さんだったんだ。よしだよしこさんはピピ&コットのメンバーだった。70年代にソロシンガーとして数枚のシングルを出している。歌うことをやめた二十年の日々をよしださんは語らない。 →よしだよしこのホームページ実は私のiPodには、「吉田佳子」さんの歌う曲が1曲だけ入っている。『春一番ライブ'78』「風景」-----------------------------------------------私はこのコンサートに出演したのを最後に唄うことをしなくなった。名曲「風景」はどうしてもこの日の天王寺公園でうたいたかった。小雨が降っていた。----------------------------------------------- ♪ 僕がヨボヨボの ♪ じいさんになったならば ♪ 僕は君をつれ ♪ この街を出るんだ ♪ きっと待ってるさ ♪ ふるさとの山や河が ♪ 生まれ育った ♪ あの土のにおい
2006.04.25
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→幻泉館日録:記憶にございません #2さて、家に帰って自前サーバを覗いてみる。おお、いたいた、こいつか。今回はIPは勘弁してやろう。**********.rev.ncv.ne.jpプロバイダは函館のCATV局だ。ただし、山形県にも施設がある。不思議な形態の第三セクターだなあ。驚いたことに、この御仁は午前中に一度幻泉館を覗いているのである。Yahoo.co.jpで「記憶にございません」を検索して本館に御来訪。これが午前9時5分のこと。それから4時間近く経って、なぜか幻泉館日録@So-netに現われるのだ。午後1時23分。昼飯食ってたんだろうな。その間にカッカと来たのかしら。本館が自前サーバであることに気づき、ミラーの方へ書き込んだのだとしたら、多少はネットのことを知っているのかもしれない。しかし、平日の午前9時と午後1時過ぎにこんなことをしていられるんだからヒマなやつだなあ。
2006.04.25
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もう少し後の方なんですが、気になって調べてしまったので、先に書いておきます。本ではp.237です。 →Chapter 5: River of Ice-----------------------------------------------First thing I did was go trade in my electric guitar, which would have been useless to me, for a double-O Martin acoustic. The man at the store traded me even and I left carrying the guitar in its case. I would play this guitar for the next couple of years or so.最初に僕がやったのは、エレキギターをマーチンの00シリーズのアコースティックギターに替えることだった。エレキギターは僕には不要のものだったから。お店の人が同額で下取りしてくれ、僕はケースに入ったこのギターを持って店を出た。その後2,3年かそこらはこのギターを弾くことになる。-----------------------------------------------00シリーズはマホガニーを使ったシリーズで、表板もマホガニーだと、おなじみのDシリーズよりもずっと濃い色をしています。 →The Martin Guitar Company: All Models →幻泉館日録:Martin D-28DシリーズはDreadnaught(弩級)の名の通りボディが大きくて、小柄な人にはちょっと取り回しが大変です。00シリーズはもう少し小振りで音が繊細になります。ディランは持ち運ぶのに便利なので、00シリーズにしたのかしら。マホガニーの色が気に入ったのかもしれないなあ。しかし、最初のアルバム"Bob Dylan"で持っているギターは00シリーズではないように見えます。検索してみたら、ありました。ディランの00-17。オリジナルのHTMLが見つからないのですが、文字ちゃんと読めます。 →Artifact as Inspiration1949年製造のMartin 00-17。思っていたより古いギターでした。ディランは1959年の秋から1961年の初めまで所有していて、このギターを使って録音した曲もあると書いてあります。近い時期の00-17の、もっと大きい画像もありました。ペグ(糸巻き)のつまみの部分が金属色ではないので、合成樹脂か何かを使っているのでしょう。やっぱりファーストアルバムのジャケットに写っているギターとは違います。 →1953 Martin 00-17ディランのギターを掲載しているサイトでは「1959年ミネソタ大学に通っている間に」と書いてあります。自伝では書き方が少し違います。
2006.04.25
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So-netブログに置いた幻泉館ミラーサイトには、普段はほとんどレスが付くことがないのです。ところが今日は4つも付いてました。おお。これが全部昨年12月15日付「記憶にございません」というエントリーに付けられたコメント。投稿者の名前が順に-----------------------------------------------、kmygjyf (2006-04-24 13:28) おおおおおおお (2006-04-24 13:30) おおおおおおお (2006-04-24 13:30) いbh80:c-8yv063: (2006-04-24 13:49) -----------------------------------------------なんだ、いわゆる「あらし」か。コメントの本文も似たようなものです。物好きな人は見に行ってください。 →幻泉館日録@So-net:記憶にございませんしかし、ランダムにキーを打ったかのように見えて、この打鍵がかなり偏っているのです。犯人は右利き、あるいは左手の不自由な人。13:30の投稿は2回とも中に書かれた「お」の数がまったく同じ数なので、これは2回書き込んだのではなくて、ブラウザをリロードしたために二重投稿になったのだろう。ということは、Micro$oftのIEを使っている可能性が高い。PCやネットはあまり詳しくない。ことによると、自民党幹事長や牛歩質問の議員本人がカッとなったのかもな。なんちって。知能水準がネコ並みなので、そんなことはないわな。今は出先なんですが、帰宅してうちのサーバを見れば、投稿者のIPがわかります。公開しようか、ちょっとかわいげがあるのでこのまま放置しようか、思案中です。せっかくだから、この人物をカッとさせた内容を再掲しておきます。わはは。記憶にございません [日常雑記] 「悪者探しに終始しますと、業界つぶれますよ」これから捜査が進むという時に、政権党の幹事長がほざいたセリフだ。これを恫喝という。この発言のせいで、マンション&ホテル建設業界全体が悪者に見えてしまう。もちろん、誰もが悪者をはっきりさせたいと思っている。それで儲けた連中を除いては。このおっさんは、また輸入牛肉を食ってみせるのだろうか。あんなものを食ったせいで、こんなアホな発言をしているのかもしれない。いやいや、たらふく毒まんじゅうを食っているから、アホな発言をしてみせているのだろう。文字どおり、「おぬしも悪よのぉ」だ。国会での証人喚問を観ることができなかったのだが、自民党議員の質問がひどかったらしい。延々と牛歩質問をしてみせたそうじゃないか。この議員も輸入牛肉、じゃなかった、毒まんじゅうをたらふく食ってるんだろう。ロッキード事件に関する証人喚問が始まったのは1976年2月。「記憶にありません」の連続はひどい茶番劇に見えたのだが、それでも偽証罪で6人が告発された。具体的な短い質問を繰り返して、証言の矛盾を浮き彫りにする。証人喚問のやり方は、百も承知のはずなのに。自民党と公明党が証人喚問を妨害するのでは、なかなか難しいわな。恫喝したり、妨害したり、あんたたちの親分は誰なのさ。一見クリーンに見えるタカが、実は汚い金にまみれた姑息なゲスだってのはよくあること。子分どものおかげでそれがわかりやすくなったね。なんとか任期中に責任をとってもらいたいものだ。
2006.04.24
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八:伝兵衛さん、中津川の……伝:おお、フォークジャンボリーな、懐かしい。 ♪ コレがボクらの道なのか八:違いますよ、事件です。 新聞読んでないんですか。 ホラ。伝:なになに。 おや、扱いが大きすぎて見逃したわい。 しかし、中津川市ってのはどこだ。八:青春の地じゃないんですか。伝:一度も行ったことないもんね。 元々知らないのに、平成の大合併とやらでわけがわからない。 フォークジャンボリーの会場になったところは長野県に編入されたのか? →Wikipedia: 恵那郡伝:あ、これはお門違い。 粗暴犯はわしの専門外。八:あれあれ、夜中に2ちゃんねるでも漁っているかと思いましたよ。伝:「俺をコケにしやがって」だけなんで、もういじりようがない。八:しかし、中学生がですね。伝:ああ、かわいそうなことしたな。 ハイ、おしまい。 わしの仕事はワイドショーのレポーターじゃないんよ。八:犯人と被害者の……。伝:大衆が望む人物像は、テレビがいくらでも作り上げてくれる。 もっと大衆の欲望がナマで露出しているところが見たいなら、2ちゃんねるとやらもあるだろう。 こういう、チンピラのつまらない殺しを立派な事件に仕立て上げるなんて、もうわしら職人のやる仕事じゃないんだよ。八:あんた、変わったね。伝:いや、時代が変わったのさ。 ♪ 人間なんてらら~ららららら~ら
2006.04.24
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→Chapter 5: River of Ice-----------------------------------------------I'd come into Minneapolis unnoticed, I rode in on a Greyhound bus--nobody was there to greet me and nobody knew me and I liked it that way. 僕は知らない間にミネアポリスに入っていた。グレイハウンドバスに乗っていたのだ。そこには誰も僕に挨拶をするような者はいなかったし、誰も僕のことは知らなかった。そういうのが気に入った。-----------------------------------------------アメリカの映画でおなじみの、長距離バスですね。名前の由来は、やっぱり犬のグレイハウンドでしょう。「速く走るために作り出された犬種」なんだそうです。 →犬種図鑑:グレイハウンド →Greyhound.com『真夜中のカウボーイ(Midnight Cowboy)』を思い出すということは以前少し書きました。大陸を横断する安旅。憧れではありますが、私がアメリカでそんなことをすることはないでしょう。 →CHRONICLES #52 ライ・ウィスキー日本では、JRが運行する「ドリーム号」というバスが高速道路を走っています。 →Wikipedia: ドリーム号本来は夜行バスなのですが、国鉄時代にはのんびり駅から東京駅まで運行していたので、よく利用しました。各駅停車とあまり変わらない料金で、少し速いのです。2時間の小旅行。足柄のサービスエリアで必ずコーヒーを飲みました。『風の歌を聴け』もドリーム号でした。 →Wikipedia: 風の歌を聴け今は原作の小説よりも、大森一樹監督の映画の方が好きかもしれません。故黒木和雄監督が、精神科医の役で少し出ています。あはは、全然進んでいませんな。
2006.04.23
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懐かしいカセットテープを発掘した。フランスでワールドカップがあった年だから、もう8年前。ひさびさに訪れた日曜日の井の頭公園で不思議な歌声が聴こえた。ゆっくりと踊りながら歌う、人形のような女の人。自分の世界に没頭するベースの伴奏。周りにはあまり人がいなかったのだが、なんとなくカセットテープを買った。いくらだっただろう。私が買うぐらいだから、たぶんとても安かったのだ。なんだか懐かしいメロディ。嬉しいのは、この二人が今も活動していることだ。ソウル・フラワー・ユニオンや頭脳警察。思わぬところで名前を見かけた。CDも出ているようだが、おなじみの「天気雨」が聞けないのは寂しいなあ。もうカセットテープを聴ける環境は限られているので、MDやCDに落としておこうか。 →★ 桃梨 ★ →桃梨的電視日記
2006.04.22
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ひさびさのミルキーなのであった。あれ? →ミルキー広場今まで登場した期間限定ミルキーたち。 →カフェ・オ・レ ミルキー →ももミルキー →とろけるミルキー →ココアミルキー →いちごミルキー
2006.04.21
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ディランが小さな頃に観たテレビ番組については、そっけない記述しかありませんでした。テレビっ子になるには田舎すぎたし、時代も少し早かったのでしょう。しかし、アメリカの懐古サイトも充実してますね。幻泉館も「70年代」を謳ったりしているので、懐古趣味なのだと思われることが多いのですが、本人にそんなつもりはまったくありません。あくまでも、そこに私の「原点が存在する」のだとお考えください。-----------------------------------------------Of course, there were other things to do. Still, though, it was all small town stuff--very narrow, provincial, where everybody actually knows everyone. もちろん他にもやることはたくさんあった。でも、それはすべて小さな町の中でのできごとだった。とても小さい、田舎のものだった。だれもが実際に知っている者ばかりだった。-----------------------------------------------だから、町を出た。そういうことですね。日本でも70年代初頭には、故郷の町を出ていくことが歌やドラマのテーマになっていました。「自由への長い旅」「私たちの望むものは」「今日をこえて」『見るまえに跳べ』(1970年)の岡林信康は、まだ若者を旅へ煽り立てているようにも聞こえます。「ゆきどまりのどっちらけ」「俺らいちぬけた」「偉いもんだよ人間は」『俺らいちぬけた』(1971年)では、一度は田舎を捨てたはずの人間が、今度は町を捨てます。実際に岡林信康は田畑を耕す暮らしに入っていくのです。まったくあれよ、あれよという展開。僕はテレビで「さすらい」に憧れる、地方都市の中学生でした。 →幻泉館日録:佐々木昭一郎『さすらい』(1971年)ディランの話が、ミネアポリスに戻ります。ディランも「さすらい」に憧れていました。そして、本当に家を出ます。もう戻るつもりはありませんでした。ディランの場合はジャック・ケルアックの『路上』の世界に憧れていたのです。
2006.04.21
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→Chapter 5: River of Iceディランが小さい時にテレビも登場するのですが、まだ放送時間も短く、番組制作も未熟だったようです。日本の場合は本放送開始が1953(昭和28)年。もちろん普通の家庭にテレビが入ってくるまで、その後十年近くかかっています。 →NHK: テレビは進化するアメリカで本放送が始まったのは1939年だそうですが、一般家庭にテレビが入ってきたのは50年代になってからだと思います。 →Wikipedia: テレビ →情報通信白書 for Kids: メディアの歴史-----------------------------------------------Television was coming in, too, but not every home had one. Round picture tubes. Programs usually started broadcasting at about three o'clock in the afternoon with a test pattern that ran for a few hours and showed a few shows broadcast out of New York or Hollywood and then went off at around seven or eight.テレビも入ってきたが、どの家にもあるわけではなかった。丸いブラウン管だった。放送はだいたい午後3時ごろにテストパターンで始まり、それが数時間続いてから、ニューヨークやハリウッドのショーがいくつか放送され、7時から8時ごろに終わった。-----------------------------------------------いわゆる劇場中継がほとんどだったんですね。私の小さな頃、つまり60年代の日本では、午後に放送休止の時間帯がありました。アメリカの「テレビ映画」もよく放映していました、映像と音声の同調がうまくいかなくなることも多かったです。「そのまましばらくお待ちください」という画面に変わるのです。-----------------------------------------------There wasn't much to watch... Milton Berle, Howdy Doody, the Cisco Kid, Lucy and her Cuban bandleader husband, Desi, the Father Knows Best family, where everybody's always dressed up even in their own house. It wasn't like in the big city, where there was a lot more happening on TV. We didn't get American Bandstand or anything like that. 見るべきものはあまりなかった。ミルトン・バール、ハウディー・ドゥーディー、シスコ・キッド、ルーシーとキューバ楽団のリーダーであるデジ、パパは何でも知っているの家族。この番組では、自分の家でもいつもきちんとした服装をしていた。大都市とは違って、テレビにはあまり多くの番組がなかったのだ。アメリカン・バンドスタンドのような番組はまったく見ることができなかった。-----------------------------------------------ミルトン・バールというのは、1914年の子役デビュー以降世紀末までずっと活躍していた俳優さんのようです。The Milton Berle Show(1948-1956)の放映で、テレビでおなじみの顔だったようですね。 →Milton Berle →The Milton Berle Show →The Howdy Doody Show →The Cisco Kid「ルーシーとキューバ楽団のリーダーであるデジ」というのは、「ルーシー&デジ・コメディ・アワー」という番組のようです。 →The Lucy-Desi Comedy Hour後に「ルーシー・ショー」で日本人にもおなじみのルシル・ボールさんが主役のコメディですね。「ルーシー・ショー」の方なら、小学生の時によく見ました。ムーニーさんが出てくるやつです。 →The Lucy Show「パパは何でも知っている」は見た記憶がありませんが、なんとなく知っています。アメリカ人は家庭でもきちんとした服装をしているイメージがあったのは、こういう「テレビ映画」のせいなんですね。ディランも子供心にこれはおかしいと思ったのでしょう。 →FATHER KNOWS BESTディランは田舎町にいたので、「アメリカン・バンドスタンド」を見ることができませんでした。とても見たかったんでしょうね。 →アメリカン・バンドスタンド →American Bandstand →Wikipedia: American Bandstand私が小学生の頃、のどかな県はNHK以外に見ることができるのはTBS系列の地域局があるだけでした。幼稚園の時に今のところへ越してきた当初は周囲に建物が少なかったので、東京からの放送も見ることができました。でも、すぐに映らなくなってしまいました。それで新婚の従姉のところへテレビを見に行ったりしていたのです。え?何を見に行ったのかって?こんな番組です。 →巨泉・前武のゲバゲバ90分!!フォークの特集をやるというので、11PMを見に行ったこともあります。エッチなシーンもあって、恥ずかしかったです。今は亡き親父様が、プロレスの番組見たさに、台風が迫っている強風の中、アンテナの向きを直しに屋根へ上ったことを思い出しました。考えてみれば、あの親父様は今の私よりずっと若かったのです。ただいまp.234です。
2006.04.20
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ディラン少年をがっかりさせた合成ゴムが生まれたのと同じ頃に、ドライブイン劇場が現われました。もちろん小学生は車で出かけることができないので、家族と一緒の娯楽です。アメリカですなあ。映画でそんなシーンを見掛けると、とてもうらやましかったものです。車自体が憧れでした。どこでも車で出かけるような社会は、夢のように感じたものです。夏の夜、ダートトラックで行なわれるストックカーレースが、楽しみだったそうです。たいていは49年型か50年型フォードで、派手な改造を施した車がぶつかり合います。小さな田舎町でこんなレースをやってるんですから、自動車文化の根付き方が違いますね。[リーダーズ英和]-----------------------------------------------dirt trackダートトラック《泥土[石炭の燃え殻]を敷いたオートバイなどの競走路》stock car《特注車に対して》一般市販車; ストックカー《市販の(古)乗用車のエンジンなどを取り換えたレーシングカー》.-----------------------------------------------サーカスやカーニバルのことも書いてあります。顔を黒く塗ったミンストレルショーは、もう最後の時期でした。それをカーニバルで見たそうです。有名なカントリー&ウェスタンのスターや、バディ・リッチを見ました。バディ・リッチのバンドは高校の講堂で見たと言ってるあたりがいいですね。 →The Official Web Site of Buddy Rich「王と宮廷(The King and His Court)」という名のソフトボールチームがとてもおもしろかったそうです。"fast-pitch softball team"と書いてありますが、日本でおなじみのソフトボールはこのファーストピッチのようです。アメリカでは、自分がやるスポーツとしてはスローピッチが盛んなんですね。 →National Pro Fastpitchファーストピッチの「王と宮廷」は郡(county)の選抜チームと対戦したのですが、すごい技術を見せてくれたそうです。----------------------------------------------- If you liked baseball, this was the team to see. The King and His Court were four players: a pitcher, a catcher, a first baseman and a roving shortstop. The pitcher was awesome. Sometimes he pitched from second base, sometimes blindfolded, at times between his legs. Very few players ever got a hit off him, and The King and His Court never lost a game. 野球好きなら、このチームを見ておくべきだった。「王と宮廷(The King and His Court)」の選手は4人だった。ピッチャーとキャッチャーとファーストとショートだけ。ピッチャーがすごかった。時には二塁から投球することもあったし、目隠しをして投げることもあったし、また時には股の間から投げることもあった。彼の球を打てる選手はほとんどいなかったので、「王と宮廷」は一度も試合に負けなかった。-----------------------------------------------すげっ。ほんまかいな。小学生の頃に熱中した『ちかいの魔球』や『黒い秘密兵器』を思い出しましたわ。ああ、これは両方とも福本和也さんが原作を書いていたんですね。
2006.04.19
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中学生の時、新婚の従姉宅で「漣」という字の入った小さな箱を見て、何だろうと思った。普段見かけない「峰」というタバコの箱と一緒に覚えている。尋ねなくて良かったと、少し後になってわかった。高田渡さんが、その「漣」から息子さんの名前を採ったと知った時には驚いた。さらにその高田漣さんから名前を採った俳優さんがいると知ったのも驚きだった。 →大杉漣 Official WEB Site高田渡さんの新譜が届いたのである。漣さんと二人のスタジオライブ録音。よくCDにしてくれたものだ。ありがたい。avexが出した『高田渡アンソロジー』は、私にとって新しい音源はほとんどなかった。DISC2の『汽車が田舎を通るそのとき』は抱き合わせ商法で不愉快である。独立したアルバムとして再発すべきだ。それに比べて、晩年の漣さんとのライブ録音は、宝物のようなものだ。とても面白くて笑えるのだが、それだけに寂しい。帯にある、鈴木慶一さんの言葉。-----------------------------------------------渡さん、私はこういう演奏が聴きたかったんだよ。そして、いい時に席を立ってくれた。漣さんのソロの演奏も織り込めたんだ。そして、絶妙の席への戻り方だ。その後、席を立った渡さんは、2度と戻って来なかった。あなたの席はずっと空席だ。誰も、そこには座れない。椅子の上には渡さんの音楽が置いてあるから。それを敷いて座るのは、柄が良くない。-----------------------------------------------最後の部分だけ引用したが、音源を聴けばそのことが十分納得できる。ここに関していえば、渡さんはちゃんと計算していたのではないかと思う。amazonのレビューでは『途中、公開録音ではありえないような「事件」あり。お楽しみに』と書いてある部分だ。「カスタマーレビュー」にはそのネタバレがある。これはamazonの側が悪いのかな。渡さん、白い骨になってしまった渡さん、どこかで元気ですか?そちらでも、やっぱりお酒は控えた方が良いと思います。『27/03/03』高田渡/高田漣1. 仕事探し2. 693. 魚つりブルース4. アイスクリーム5. コーヒーブルース6. 流行ものには目がないわ7. 値上げ8. ごあいさつ9. 鎮静剤10. マリアエレナ~ワイルド・フラワー(高田漣ソロ)11. ゼニがなけりゃ12. モアナ・チャイムス(高田漣ソロ)13. トンネルの唄14. ブラザー軒15. 生活の柄16. 夕暮れ
2006.04.18
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フィドラー福岡風太さんだが、1972年の春一番では二日目の「かなしいね」(律とイサト)だけではなくて、一日目のいとうたかおさんの時にも、演奏している。会場から「風太!」と声がかかり、曲の前に「この人に1曲手伝ってもらいます」とペケさんが言う。フィドルの間奏が入ると会場がどっと沸くのだ。「19才」という曲。1972年の5月には、ペケさんは実際は21歳だった。その前月の4月にリリースされた高田渡さんの『系図』に「あしたはきっと」が収録された。さて、1973年以降の春一番音源も入れてみると、忘れていた歌を思い出した。「虹の民」ピート・シーガーの曲で、中川五郎さんは片桐ユズルさんの訳で歌っている。 →My Rainbow Race「虹の民」片桐ユズル訳 ♪ ひとつの青空 ♪ ひとつの青い海 ♪ ひとつの地球 ♪ かけがえのない ♪ 愛しているなら ♪ もう一度やってみよう ♪ 虹の民よ 滅びぬよう歌詞の確認をしようと検索したら、別の「訳詞」を見つけた。楽譜と音のあるサイトを見つけたのだが、これは「訳詞」ではないと思う。原詞とはまったく世界が違う。 →虹の民:梅原司平訳以前書いた「ひとりの手(One Man’s Hand)」と同様に、この歌が本来持っていた力強い戦闘性が取り除かれている。替え歌と言うべきだろう。 →幻泉館日録:ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」当然ながら、反原発運動の集会などでは片桐訳で歌ったものだ。 →幻泉館日録:原子力発電とはなにか……
2006.04.18
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iPod shuffleに1972春一番10枚組みをすべて突っ込んだのだが、まだまだ空きがある。そこで、ベルウッドから復刻されていた残りの春一番も入れてみた。もっとも『春一番ライブ '72』は重複になるので、73年から79年までの音源である。 →幻泉館日録:春一番ライブ '72-'74 →幻泉館日録:春一番ライブ '75~'79そうか、このCD群を買ったのは、もう2年前になるのか。初めて春一番に行った直後ですな。復刻盤『春一番ライブ'74』で削られていた、中山ラビさんの「夢のドライブ」と遠藤賢司さんの「踊ろよベイビー」も補完しておかないとな。 →幻泉館日録:踊ろよベイビーこれで、250曲、14.5時間、815.3MB。250曲と表示されるのは本当はトラック数なので、実際の曲数はもう少し減るのだが、それでもおそらく日本で最もたくさん70年代春一番の音源を詰め込んだiPod shuffleになったのではなかろうか。何の自慢にもならない。iPodだから音悪いしね。
2006.04.17
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→Chapter 5: River of Iceディランは子供の頃に空気銃を撃って遊びました。BB銃(BB guns)という言い方が出てきますが、これは口径が0.18インチの空気銃を指すようです。今の日本でも「エアガン」「BB弾」ということで流行っているようですが、意味合いはだいぶ違うのではないかと思います。銃社会アメリカで本物の銃に触れる前に慣れておくための、子供のおもちゃだったのでしょう。22口径の実弾も撃っていたそうです。標的は空き缶やドブネズミ。銃が駆逐された日本では口径を言われてもピンと来ませんが、東條英機が自決を図った際に用いたとされ、「22口径を使って胸を撃つなんて銃について知っている人間にとっては笑い話」と嘲笑された小口径です。感覚としてはエアガンとあまり変わらないのでしょうか。 →Wikipedia: 東條英機ただ、本物の銃を撃つよりも、手製のゴム銃で遊ぶ方が楽しかったようです。撃ち合いができるから。当たったら決めた場所でじっとしていなければなりません。私も小学生の頃、建築中の家などに上がり込んで、銀玉鉄砲で撃ち合いをしたものです。やっぱり死んだ時のルールを決めました。ディランの場合は、松の木で作ったんですね。かなり強力なゴム銃で、当たるととても痛かったそうです。だからこそ余計面白いんですね。-----------------------------------------------One year everything changed because the mines began using synthetic rubber on their tractors and trucks. Synthetic rubber wasn't as good or as accurate as real rubber.ある年、すべてが変わってしまった。鉱山のトラクターやトラックが合成ゴムを使うようになったのだ。合成ゴムでは、本物のゴムほどうまく、正確には飛ばなかったのだ。-----------------------------------------------ディランたちは輪ゴムではなくて、タイヤのチューブに使われていたゴムで銃を作っていたのです。そのゴムがなくなってしまったのです。それまでバシンバシンと決まっていたのが、ポトリと落ちるようになってしまっては、やる気がなくなりますね。残念。「ゴム銃」で検索したら、こんな団体がありました。 →日本ゴム銃射撃協会そういえば、「トレンチコート・マフィア」事件の一人は「ディラン」という名前でした。 →トレンチコートマフィア乱射事件
2006.04.16
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本日(4/15)23::00~24:30NHK BS2収録 2006年2月25日(土) 大阪城ホール忌野清志郎さんのデビュー35周年ライブを放映します。 →NHK 番組表
2006.04.15
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私の母の旧姓は藤原(仮名)で、私の父の旧姓は近衛(仮名)だ。私が生まれた時、二人はどちらとも関係のない姓、幻泉(仮名)となっていて、私もそれを名乗ることになった。幻泉(仮名)という「家」を守るためにそういうことになったようだが、何のことはない、この幻泉(仮名)家は私の代で消滅するだろう。別にそれで御先祖様に申し訳ないなどとも思わない。そんな幻泉(仮名)家の御先祖様など、一人も知らないのだから。中島みゆきさんがプロのヒットメーカーになったのは、90年代だろうか。「空と君のあいだに」の大ヒットが目安かもしれない。その頃のアルバム『LOVE OR NOTHING』に、「アンテナの街」という曲があって歌詞がとても気になったものだ。 ♪ 私を呼んでください 名前で呼んでください ♪ 苗字の流れの中にしか 見当たらない者じゃなく延々と続くように見える血脈の中にではなく、一人の人間として私個人を認めてくれという、高らかな宣言である。この社会では、日本の近代文学史上最大のテーマであった自我の確立が、未だ為されていないということだ。 ♪ はるかに流れる血縁の流れ ♪ 似てない子供を愛してくださいアメリカ社会の良いところは、ごく簡単に養子を受け入れることだ。子育てが一段落すると、肌の色の違う子供を貰って育てることもそれほど珍しくない。クリスマス休暇には、年齢の離れた様々な人種の子供たちが、親元に集まるのだ。「日本国の象徴」および「日本国民統合の象徴」の地位が空位になるのではと焦った連中がいるのだが、空位なら空位でいいじゃないかと思った。天皇制の一番根っこにあるのは、「空(くう)」なんだから。丸山真男が分析した無限無責任の構造は、最後のところでこの「空」が何もかも飲み込んでしまうことになる。別の解決法もある。選挙で天皇を選ぶのだ。日本国憲法で「世襲」と決めているので世襲しなければならないのがネックだが、途切れたら仕方がないだろう。養子を迎えりゃいいんだよ。これなら皇室典範の改正だけで済む。首相を公選制に変えることなんぞよりよっぽど簡単な手続きだ。憲法を改正する必要がない。もっとも、幼稚園児に「様」を付ける報道の姿勢に国民が何の違和感も抱いていないのなら、無理な話だが。
2006.04.15
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タオルを首に掛けていると、恰好悪いけど便利です。ちょっと口の周りを拭いたり、手を拭いたり、コーヒーをこぼしてもすぐ拭けます(おいおい)。一旦始めると癖になります。これはいかん。そこで思い出したのが、あのアラブ風スカーフ。楽天市場で検索すると、2千円台のようです。 ああ、これこれ。顔も隠せる(おいおい)。カフィーヤとかシュマーグとか言うんですね。英語だと"kaffiyeh"になります。でも、高くないか?ミリタリーショップやファッション小物と言ってしまうと値段が上がりそうです。さらに検索を続けると、「アジア雑貨」で通販をしているところなら、千円ぐらいのようです。よしよし。 →カフィーヤ・ブラックちなみに、その巻き方も見つけました。 →アラブスカーフシェマグをまこう!巻こう、巻こう。これで気分はもうベカー高原。ああ、私はますます怪しい人になっていく。
2006.04.15
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「ご利用は計画的に」 誰でも知っていることだが、計画的な人は初めからサラ金など利用しない。「電気を大切にね」 同じ独占企業が、電気を使えと宣伝を垂れ流す。「心の問題だから」 人の心に国家なんぞが踏み込んではいけないのだから、いいかげんな愛国なんぞ刷り込むなよ。「リコールの署名をしないようにしましょう」 というチラシが郵便受けに投げ込まれていた。 市民の会にしては金持ちだなぁ。 賢明な市民は土建屋政治を拒みそうなものだが。
2006.04.15
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【追記】お、楽天ブックスも在庫ありになりましたね。単に在庫の問題だったか。反米嫌日戦線「狼」(美ハ乱調ニ在リ)で快楽亭ブラック師匠の本が出ているということを知った。 →宮内庁民営化で天皇になった人とは?こりゃどんなものかと思い、なんとなく楽天ブックスで検索をしたら「在庫なし」。amazonで検索をしたら、普通に「通常2日間以内に発送します」だった。楽天はこの本を売りたくないのかな。amazonのカスタマーレビューによれば、この本はCD付きで、約39分と約30分の演目が二題収録されているそうな。なんだ、それならお買い得じゃん。
2006.04.14
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→Chapter 5: River of Ice-----------------------------------------------Mostly what I did growing up was bide my time. I always knew there was a bigger world out there but the one I was in at the time was all right, too.僕が子供のころたいていやっていたことは、時節の到来を待つということだった。外にはもっと大きな世界があるのはわかっていたが、その時自分がいた世界もさしつかえないものだった。-----------------------------------------------なんだか小さな時から虎視眈々と何かを待ち構えていたようにも読めますが、そういう大望を抱いた子供だったというわけではありません。むしろディランはごく普通の子供で、こんなことをして遊んだのだという回想を始めます。まだテレビも登場する前の、田舎の少年です。パレード、自転車競争。地域柄、フットボールやバスケットボールや野球をやらなくても、スケートとアイスホッケーは必須でした。水泳、魚釣り、そり遊び。のびのびと遊んでいたんですね。"bumper riding"という遊びのことも書いています。自動車後部のバンパーにつかまって、雪の中を滑るのです。楽しそう♪7月4日(独立記念日)の花火、樹上の小屋。とにかくいろいろな遊び(a witches' brew of pastimes)がありました。-----------------------------------------------You could also easily hop an iron ore train by grabbing and then hanging on to one of the iron ladders on either side and ride out to any number of lakes where you could go out and jump in them.鉄鉱石を積んだ列車に飛びついて横に付いている鉄のはしごにぶらさがり、いくつもの湖に出かけて飛び込むことも、簡単にできた。-----------------------------------------------これはすごい冒険ですね。勝手に貨物列車にぶらさがって、泳げる場所まで出かけてしまうのです。実にうらやましい遊びではありませんか。水木しげるさんが言っていた「人は子供時代を生きるために生まれてくるのだ」を地で行ったような少年時代です。ディランが家庭を大切にして、家族と浜遊びを楽しんだりしていたのは、こんな自分の経験があったからでしょう。映画『スタンド・バイ・ミー』で、樹上の小屋に集まっていた少年たちを思い出しました。私たちの少年時代も、建設用資材置き場や用水路の茂みの陰にに「隠れ家」を作ったりしましたが、あんなふうに本当に小屋として使えるものではありませんでした。うらやましいなあ。上記リンク先の大盤振舞サイトでは適当に改行していますが、本ではこの少年時代の遊びについて書いた段落が延々と続いています。ただいまp.232です。 →絵の中のぼくの村 Village Of Dreams
2006.04.14
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アエラという雑誌はなんだかカタキのような感じがして好きではない。朝日ジャーナルを殺したカタキである。だから臨時増刊「アエラ・イン・フォーク」というものが出たのは知っていたのだが、わざわざ探して買うつもりはなかった。でも、出会ってしまったんですね。立ち寄った本屋さんで。平積みでした。まだどっさりありました。あんまり売れてないんとちゃう?これから団塊の世代を当てこんだ懐古商売が増えるのだろうけど、どうなんだろう。表紙に思いっきり「あれは、ロックな春だった!」も、なんだかなあ。そりゃ矛盾してませんか。中身は予想以上に濃かったです。フォークジャンボリーに春一番、URC、永遠のフォーク少年坂崎幸之助さんが語るギター。吉田拓郎「オレの音楽のすべてを語ろう」、ユーミンの季節vs.中島みゆきの時代。イムジン河を松山剛と行く、サンボマスターが語り尽くす岡林信康。最後が中川五郎さんの描く「高田渡の肖像」。ああ、これが朝日ジャーナルだったらなあ。リンク先「フィドル少年漂流記♪」twin_lensさん撮影のぐゎらん堂の写真が載っています。 →フィドル少年漂流記♪
2006.04.14
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1972年の春一番、律とイサト。村上律さんのバンジョーと中川イサトさんのギター。「かなしいね」では、風太さんがフィドルで参加している。あらま。「とちったら、ごめんね。堪忍してな」「震えてんねん、さっきから」でも、2005年のキラキラ星変奏曲よりずっと上手ではあるまいか。名手二人のバンジョーとギターに、風太さんのカントリーフィドルがかぶさっているのでありました。な~んだ、元々弾けるんだ。いいなあ、フィドル。
2006.04.13
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ディランの母親の一家はヒビングと鉄道の線路を挟んだ、レトニア(Letonia)というところに暮らしていました。もうリーダーズ英和にも載っていないほどの小さな町です。-----------------------------------------------When she grew up the town consisted of a general store, a gas station, some horse stables, and a schoolhouse. 母が育った頃には、その町は雑貨屋と、ガソリンスタンドと、馬小屋と、小学校の校舎があるだけだった。-----------------------------------------------本当に何もないところですね。ディランが育ったヒビングは、もう少し町らしいところです。でも、小さなディランの目に映る風景は、やはり寂しい田舎の風景です。砂利道、凍りついた山、樹木の先端が形作る空を背景とした輪郭、奥深い森林、人の手が加わっていない湖、鉄の採掘場、鉄道と一車線の幹線道路。豊かな自然というよりも、陰鬱とした風景だと感じていたようです。冬の気温が氷点下10度、ただし華氏ですから、我々がおなじみの摂氏だと氷点下23℃になります。風が吹けばさらに10℃ほど低くなります。恐ろしく寒いところです。夏は夏で湿度が高くて華氏100度を超える、つまり摂氏37℃を超える、うだるような暑さとなるそうです。-----------------------------------------------Summers were filled with mosquitoes that could bite through your boots--winters with blizzards that could freeze a man dead. There were glorious autumns as well. 夏はブーツの上からも刺すような蚊でいっぱいになる。冬は人を凍死させるようなブリザードが吹き荒れる。すばらしい秋もあったのだが。-----------------------------------------------ブリザードはつまり吹雪なのですが、粉雪を伴う冷たい強風です。私は一度も経験したことがありません。春は単に「雪解け(chawing)」と書いているだけですが、秋は「すばらしい(glorious)」と気持ちがこもっています。ディラン少年は秋が好きだったんですね。とても短い秋だったのではないでしょうか。
2006.04.13
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映画監督の黒木和雄さんが亡くなった。享年75。なんといっても『竜馬暗殺』が好きだった。ところが検索してみると、幻泉館日録で『竜馬暗殺』のことは書いていなかった。そんなもんだよなあ。一番好きなものは、そっとしておくのだろう。 →幻泉館日録:『日本の悪霊』オトシマエには時効がねぇ →幻泉館日録:祭りの準備 →幻泉館日録:父と暮せば一昨年の夏に見た『父と暮せば』も、いい作品だった。黒木さん、ありがとありました。
2006.04.13
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ディランの出身地、米国中西部の北の方は社会情勢が不安定で、政治活動が活発だったそうです。一般的な社会主義者、共産主義者と並べて、二つの政党の名前が挙がっています。[リーダーズ英和]-----------------------------------------------Farmer-Labor party[the ~] 【米】 労農党《1) 1918 年 Minnesota 州に創立, 44 年民主党に併合 2) 1919 年 Chicago に創立, 24 年以降消滅》.Social Democratic party[the ~] 社会民主党《略 SDP》《1) 【ドイツ】 1875 年ドイツ社会主義労働者党として発足 2) 【米史】 1897 年ごろ結党 3) 【英】 1981 年結党, 88 年多くの党員が自由党に合流》.----------------------------------------------- →Wikipedia: Minnesota Farmer-Labor Party →Wikipedia: Social Democratic Party (United States)実際にはディランがトルーマンの演説を眺めた少年時代には既にどちらの政党も消滅しています。それでも、まだその政党の影響を受けた活動家がいたのでしょう。少なくとも、共和党には批判的な人が多かったようです。ケネディが大統領になる前、まだ上院議員だった時に、ヒビングへ来たということをディランは書いています。ところが、ディランはその半年前に家を出ていました。いかにも残念そうに書いています。J. F. ケネディを見ようと、1万8千人が復員軍人会のメモリアル・ホールに集まったそうです。これはヒビングの人口に匹敵する人数です。つまり、町の者全員がケネディを見に行ったのです。もちろん全員が中に入れるわけはありません。この会場は、もしかしたら高校生のディランがバンドを組んで演奏していた場所ではないでしょうか。正確には、ディランはそこのロビーで演奏していたのです。そして、プロレスの興業でやってきていたゴージャス・ジョージに声をかけられたのです。 →幻泉館日録:CHRONICLES #33 ディランとプロレス-----------------------------------------------If I had been a voting man, I would have voted for Kennedy just for coming there. I wished I could have seen him.もしも僕が投票に行くような人間であったら、ヒビングに来てくれたというだけの理由でケネディに投票していたことだろう。ケネディを見たかったなあと思った。-----------------------------------------------
2006.04.12
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まだここですよ。大盤振舞サイト2ページ目の第5段落。原著ではp.230が終わるところ。ハードカバー版も、ペーパーバック版も、本文の組みは同じです。 →Chapter 5: River of Ice-----------------------------------------------Truman was gray hatted, a slight figure, spoke in the same kind of nasal twang and tone like a country singer. I was mesmerized by his slow drawl and sense of seriousness and how people hung on every word he was saying. トルーマンは灰色の帽子をかぶった細身の人物で、カントリー歌手と同じような鼻にかかった訛と口調で演説をした。母音を延ばしてゆっくりと話す様子と真剣な雰囲気、そしてその一語一語にみんなが熱中する様子に、僕は感銘を受けた。-----------------------------------------------お、今日のタイトルは「南部訛」に決まりだ。と思ったら、既に以前そういうタイトルを使っておりました。すっかり忘れてやんの。ディランとツアーをしていたTOM PETTY & THE HEARTBREAKERSのことですね。 →幻泉館日録:南部訛 CHRONICLES #199"nasal twang"が「鼻にかかった声を特徴とする方言」なんですが、弦楽器をかきならしたり、弓の弦をひゅーと放つのも"twang"と言うんだそうです。"drawl"は「母音を延ばしたのろくさい話しぶり」なんですが、特に"Southern drawl" で「米国南部人特有の母音を延ばした話しぶり」を意味します。日常生活ではむしろ「のろま」といったような表現なんでしょうが、政治集会での演説では、むしろ木訥で誠実な印象を与えたのかもしれません。政治家ならば、それを意識的に利用していたとも想像できます。日本でも、「東北弁」で誠実さを装う政治家がいますね。小学校低学年のディランが、トルーマンの演説を音として記憶していることがおもしろいです。非日常の政治言語には騙されたのかもしれませんが。-----------------------------------------------A few years later he would say that the White House was like a jail cell. Truman was down to earth. Once he even threatened a journalist who criticized his daughter's piano playing. He didn't do any of that in Duluth, though. 彼はその数年後に、ホワイトハウスが独房のようなところだと言うことになる。トルーマンは率直な人物だった。娘のピアノ演奏のあら探しをした新聞記者を脅したことさえある。でも、ダルースではけっしてそんなことはしなかった。-----------------------------------------------ディランの場合はトルーマンの演説が原体験であるので、非常に好意的な人物評となっていますね。お、次の段落では、あのケネディが登場していますぞ。
2006.04.11
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CD10枚組みの『1972春一番BOX』には、いとうたかおさんの「あしたはきっと」が3回出てくる。 →disk union: 1972春一番BOX1972年の春一番は2日間開催で、初日にペケさん本人が歌っている。そして二日目に「高田渡、加川良、岩井宏」の懐かしいほにゃららトリオ。それとアンコールを除いた最後の曲として、武蔵野タンポポ団。タンポポ団に慣れているので、一人の弾き語りだと、なんだか寂しい。いわゆる三馬鹿では加川良さんがメインで、岩井宏さんがバンジョーを、渡さんはたぶんマンドリンを弾いている。打ち合わせがいいかげんだったのか、2コーラス目は二人が重なって、渡さんが取ってしまうような形になっている。 ♪ 風呂にも入って さっぱりしたしああ、いいよな。きっと銭湯に行ってさっぱりしてるんだ。明日が楽しみというのは、一番しあわせだ。1972年5月。渡さんも、岩井さんも、明日のある若者だった。今はもう明日のない人になってしまった。
2006.04.11
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両親がディランをハリー・トルーマンの演説に連れていった話が出てきます。政治集会(political rally)と書いていますが、当時7歳か8歳だったということなので、シカゴ・トリビューンの誤報があったという大混乱の大統領選挙の際のことでしょう。選挙戦の政治集会なら1947年か1948年です。ディランの両親は民主党支持者だったんでしょうね。 →Wikipedia: ハリー・S・トルーマン →Wikipedia: Harry S. Truman →Biography of Harry S Truman会場となったリーフ・エリクソン公園は、バラ園で有名なようです。 →The Leif Erickson Park Rose Garden-----------------------------------------------I must have been seven or eight at the time, but it's amazing how I can still feel it. I can remember the excitement of being there in the crowd. I was on top of one of my uncles' shoulders in my little white cowboy boots and cowboy hat.その時僕は7つか8つだったはずだが、驚くべきことにそこで感じたこと今でもを思い出すことができる。群衆の中の興奮を思い出すことができる。僕は小さな白いカウボーイブーツを履いて、カウボーイハットをかぶり、おじさんの肩に乗っていた。-----------------------------------------------カウボーイ衣装の小さなディランは、やっぱりなんだかお坊ちゃんぽいですね。ディランはその集会の熱気を今でも覚えていると書いていますが、それはわかる気がします。以前書いたことがありますが、私もそれぐらいの年齢で石油化学コンビナート反対運動を経験して、それが民主主義の原体験となっています。大人が真剣に論じ合う姿を、目の当たりにしたことでしょう。勝手な想像ですが、家の応接間でデモ用のプラカードにマンガを描いていた小学一年生の私と、おじさんに肩車をしてもらって集会を眺めている小さなディランの姿が重なります。トルーマンは原爆投下を命じた大統領であり、朝鮮戦争時の大統領なので、私はあまり良い印象を抱いてはいません。「責任は俺が取る。(The buck stops here.)」トルーマンの座右の銘だったそうですが、彼が本当に原爆投下や朝鮮戦争の責任を引き受けたとは思えません。
2006.04.10
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いまどき弁当を新聞で包む人はいないのだろうか。僕が中学生の時は、結構いた。高校生の時には、ほとんどいなくなっていた。ちょうど過渡期だったのか、高校生ぐらいになると体裁を気にしてそういう人が減ったのか、よくわからない。中学1年生の時に、その弁当を包んでいる新聞を嬉しそうに読んでいる同級生がいた。楽しい記事を読んでいるというふうにではなくて、明らかにエッヘッヘという、実にダメな男子中学生の嬉しい顔である。彼は新聞に連載されている小説の、官能的描写を楽しんでいたのである。今で言えばEDである男性のところへ嫁いだ女性と、その夫の夜の描写である。うちでは毎日新聞から朝日新聞に変えた頃だと思うのだが、地方新聞には何とエッチな小説が連載されているのだろうと、驚いたものだ。その小説のタイトルは『銭の花』で、作者は花登筺という人だった。その頃、テレビで『細腕繁盛記』というドラマが始まった。 > 銭の花の色は清らかに白い > だが蕾は血のにじんだように赤く > その香りは汗の匂いがする →細腕繁盛記明らかに関西テイストなこのドラマはなぜか舞台がのどかな県で、地元出身の冨士真奈美さんが演じたカタキ役の「正子」が操る極端な伊豆弁が人気を呼び、ヒットした。関西弁が善玉で伊豆弁が悪玉。残念ながら、エッチなシーンはまったくなかったように思う。「加代がわりぃずら!」ドラマはほとんど見たことがないのだが、それでも正子のセリフは耳にこびりついている。高校生になって、西伊豆の土肥へ海浜教室に出かけたのだが、台風が来たために旅館の中でごろごろすることとなる。みんなでテレビを点けると『細腕繁盛記』が始まり、懐かしいねなどと言っていると、舞台がその土肥になっていた。あれま、ここずら。そうか、フジテレビで『新 細腕繁盛記』をやったんだな。荻野目慶子さんの「ずら」を聞きたかったと思う。 →新 細腕繁盛記
2006.04.09
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CSのフジテレビ721で「どんと紅白」をやってくれるというので、その録画予約をしようとしたら、「フォークデイズ」という番組の総集編をやっていた。以前この局でやった「お台場フォークジャンボリー」のようなタイトルの番組に高田渡さんや加川良さんが出るというので見たことがあるのだが、映像をいじりすぎたり、アイドル(?)に歌わせたりが嫌で、あまり見たことがないのだ。今となっては貴重な映像なので、夜中にぼんやりと眺める。なぎら健壱さんが、渡さんの「仕事さがし」の替え歌を歌っている。「仕事さがしの高田渡に捧げる」 ♪ 盗んだよ 自転車をよ ♪ 盗んだよ 自転車をよ ♪ 吉祥寺駅前の駐輪場から ♪ 自転車を盗んだよ ♪ 電話だって止められてるよ ♪ 水道だって来ないよ ♪ 最近新聞も来ないな ♪ お金を払わないからさ続けて、奥さんが鹿児島の実家に帰ってしまったと歌う。犬も連れてね。置いていくと食べちゃうかもしれないから。 ♪ 西岡たかしさんから電話があったよ ♪ 西岡さんから電話があったよ ♪ 早く金返せって言ってくれって ♪ 俺らに電話があったよ ♪ 筋違いっていうもんだよ ♪ 本人に言ってやれよ ♪ だって渡のところに電話をしたら ♪ 電話を止められていたんだよほぼ事実なのだろう。後で渡さん本人が出てきてぼやくのだ。初めて聴いた替え歌なので、深夜独りで笑ってしまった。三十年近く前に深夜の吉祥寺で渡さんを見かけた時、あれは酔っ払って自転車に乗っていたので警官に職務質問されたのだろう。延々と続く屁理屈に、おまわりさんは困っていた。渡さんは去年の4月3日に倒れて入院し、4月16日に亡くなったのだ。「どんと紅白」はフジテレビ721で、今日4月8日(土)の23:00~25:00。どんとの七回忌にNHKホールで行なわれた歌合戦の放映です。 →「soul of どんと 2006」どんと紅白 7th anniversary →ひねもす庵:どんと紅白
2006.04.08
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暑いのでヨーグルトでも買おうかとコンビニに寄ったら、ダノンの新製品が並んでいて、それにチロルチョコが3個付いていた。おお!当然購入しましたわさ。実におまけに弱いのである。今日は家に妙な形の荷が届いた。何かしらと思ったら、これがあの『1972春一番BOX(10枚組)』。早っ!発売予定日は5月2日なんですが、ディスクユニオンの先行発売を予約したので、一ヵ月近く前に届いてしまいました。 →幻泉館日録:1972春一番BOX(10枚組)おまけがポスターとTシャツ。けっしておまけに弱いからディスクユニオンで買ったんじゃないですよ。なんちって。Tシャツは画像だとひかって色が薄く見えますが、実際はもっとずっと濃い青色で、ちょっと着られないかしらん。「超豪華ブックレット」は本文128ページ。おなじみ糸川耀史さんの写真も満載。 →幻泉館日録:グッバイ・ザ・ディランIIおっと、そうか、風太さんの「風太」は、少年キング連載の「フータくん」から採ったんだ。 →幻泉館日録:フータくんこの10枚組みCDを聴くのはなかなか大変だ。ということで、安易な道を選んでしまった。iPodに放り込んだのである。満杯だったディランの曲を全部消して、1972年春一番だけにしてみる。153曲、7.1時間、400.4MB。一曲目は、恭蔵さんの「春一番」。 ♪ 春一番の風は ♪ 春一番の風は ♪ ヤスガーズ・ファームへ君をさあ、春一番モードだ。
2006.04.08
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そこはNHKホールではなかった。ギリシャの円形劇場のような、開けた空間だった。山を削って作ったようだ。そこで紅白歌合戦を見ていた。でも、ステージには興味がない。やたらに長いレンズを付けたカメラを持っている。だから、そこかしこに立っているNHKの職員の目を気にしている。ストーンズの公演も混ざっていたのかもしれない。僕は妻と来ていた。妻って、どこの誰だろう。外国の人みたいだ。一緒にカメラのことを気にしてくれてはいるのだが、本当はステージが見たい様子だ。さあ、シャッターチャンスだ。外の、農道のようなところから中を覗き込む。ここは公道だから写真撮影は構わないはずなのだが、NHKの職員たちが気色ばむのを感じる。ハリウッドの新作なんだ。スターウォーズのロボットたちが、ステージの脇に見える。外国の機動隊がこちらに走ってくる。軍隊なのかもしれない。やっぱりな。妻はエンタシス式柱の陰で、誰かとよろしくやっている。機動隊に引き摺られながら、僕は妻の悲しい顔を撮影している。旅芸人の記録か。僕はフィルム抜いて、ポケットに隠す。目を覚ますと、岡林信康の歌う声が流れていた。自由への長い旅。
2006.04.07
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今日(4/6)朝日新聞夕刊一面の連載ニッポン人脈記は『桜の森の満開の下』だった。1945年3月10日の東京大空襲の後、上野の山では焼け残った桜が花を咲かせるが、誰も花見客はいない。冷気と静寂に支配された虚無の空間。この恐ろしい実感を、坂口安吾は2年後の作品に結実させたのだという。記事は京都の桜守16代佐野藤右衛門が感じた桜の妖気から、この『桜の森の満開の下』を映画化した篠田正浩監督の話に移って行く。1975年、僕はこの映画を封切りで観た。吉祥寺の映画館で、市川崑監督の『吾輩は猫である』と二本立てだった。なぜかその後あまり吉祥寺で映画を観ることはなかった。『ブルース・ブラザーズ』(1980年)を見たぐらいじゃないだろうか。テレビを観ていなかったので、映画のスクリーンはとてもきれいだった。映画は『猫』の方がずっと楽しく観ることができたように思う。相性が悪いのか、どうも篠田監督の映画はあまり夢中になった記憶がない。安吾の小説を読みたくなったので、どこかにあるはずの文庫を探そうとしたのだが、すぐにあきらめて、青空文庫で読むことにした。 →青空文庫:「桜の森の満開の下」坂口安吾よく間違えるけど、「桜の樹の下には」は梶井基次郎。やっぱり青空文庫で簡単に読めるのが嬉しい。 →青空文庫:「桜の樹の下には」梶井基次郎
2006.04.07
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昼ごろは暖かい春の好日でしたが、夕方から曇って冷え込んできました。ずっと昔、上京した4月が寒かったのを思い出します。広い駒沢通りを渡って銭湯に行きました。帰りには、すっかり身体が冷えているのです。 ♪ みなさん わっしが ♪ 東京に来ましたのは ♪ すてきと聞いたので ♪ こちらに 来てから 六ヶ月 ♪ 今にも 気でも狂いそう渡さんの「夜風のブルース」。元詩がラングストン・ヒューズで、ディランの「ウディに捧げる歌」と同じメロディの曲です。 →ウディに捧げる歌 CHRONICLES #359おやおや、ディランは故郷の町ダルースのことをずいぶん暗く描いています。-----------------------------------------------What I recall mostly about Duluth are the slate gray skies and the mysterious foghorns, violent storms that always seemed to be coming straight at you and merciless howling winds off the big black mysterious lake with treacherous ten-foot waves. People said that having to go out onto the deep water was like a death sentence. ダルースのことで僕が思い出すのは、大抵が暗い灰色の空と、謎めいた霧笛、いつも真っ直ぐに向かって来るような激しい嵐、十フィートもある危険な波で真っ黒になった怪しげな湖から吹き寄せる冷酷な激しい風だ。深い湖に出て行かなければならないのは、死刑の宣告のようなものだと言われていた。-----------------------------------------------明るいキャンプ場のようなものではなくて、暗い空と荒れ狂う湖を思い出すのです。観光案内にはきれいな夕陽も見えますが、北側に湖があるので、湖面は普段から暗いのかもしれません。 →Visit Duluth一月の平均最低気温は-19℃。さすがに寒いですね。 →アメリカ・ドライブ:ダルース-----------------------------------------------Most of Duluth was on a slant. Nothing is level there. The town is built on the side of a steep hill, and you're always either hiking up or down. ダルースはほとんどが坂道にある。ダルースに平らな所はまったくないのだ。この町は急勾配の丘陵の中腹に造られたので、いつも上りか下りのどちらかになる。-----------------------------------------------おお、坂の町なんですね。日本では珍しくありません。Googleで「坂の町」と検索すると、いろいろな町がヒットします。
2006.04.07
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例の大盤振舞、Bob Dylan "CHRONICLES VOLUME ONE"の第5章を丸ごと掲載しているページを御覧ください。今夜は2ページ目の第3段落です。 →Chapter 5: River of Ice -----------------------------------------------In the summer of '59 after leaving home early spring, I was in Minneapolis, having come down from Northern Minnesota--from the Mesabi Range, the iron mining country, steel capital of America. I'd grown up there in Hibbing but had been born in Duluth, about seventy-five miles away to the east on the edge of Lake Superior, the big lake that the Indians call Gitche Gumee. Though we lived in Hibbing, my father from time to time would load us into an old Buick Roadmaster and we'd ride to Duluth for the weekend. My father was from Duluth, born and raised there. That's where his friends still were. One of five brothers, he'd worked all his life even as a kid. When he was sixteen, he'd seen a car smash into a telephone pole and burst into flames. He jumped off his bicycle, reached in and pulled the driver out, smothering the driver's body with his own-risking his life to save someone he didn't even know. Eventually, he took accounting classes in night school and was working for Standard Oil of Indiana when I was born. Polio, which left him with a pronounced limp, had forced him out of Duluth-he lost his job and that's how we got to the Iron Range, where my mother's family was from. Near Duluth, I also had cousins across the suspension aerial bridge in Superior, Wisconsin, the notorious red-light, gambling town and I stayed with them sometimes.-----------------------------------------------前回は、この"summer of '59"から映画『おもいでの夏(Summer Of '42)』を思い出したのです。そして、"Minneapolis"を調べたのでした。ディランは鉄鉱地帯のヒビングで育ったのですが、生まれたのはダルースなんですね。ヒビングとダルースでは、だいぶ町の大きさが違うようです。ディランの父親はダルースで生まれ、ダルースで育ったのですが、ポリオにかかってヒビングに引っ越しました。でも、友達はみんなダルースにいるので、ヒビングに越してからもよく出かけたわけです。スペリオール湖のほとり、良いところですね。広いキャンプ場があるようです。 →Welcome to Gitche Gumee[リーダーズ英和辞典]-----------------------------------------------Hibbingn. ヒビング 《Minnesota 州北東部 Duluth の北西, Mesabi山地の町, 1.8 万; 鉄鉱床がある》.Duluthダルース《Minnesota 州北東部の, Superior 湖西端に臨む市・港町, 8 万》.-----------------------------------------------ディランの父親はなかなか偉い人です。夜間学校で学んで、ディランが生まれた時にはスタンダード・オイル・オブ・インディアナに勤務していたそうです。この「スタンダード・オイル」は、かつてのアメリカの独占企業です。ロックフェラーがアメリカの石油を支配していたわけですが、反トラスト法によって分割されました。その後継会社の一つが、スタンダード・オイル・オブ・インディアナ。 →Wikipedia: スタンダード・オイル →Wikipedia: Standard Oil[リーダーズ英和辞典]-----------------------------------------------Standard Oil Company and Trust[The ~] スタンダードオイル社・トラスト《かつて米国の石油市場を支配した会社・トラスト; 起源は 1863 年 John D. Rockefeller が中心となって始めた石油精製工場で, 70 年同業数社を糾合して Standard Oil 社を設立; 82 年同社と関連会社で Standard Oil トラストを結成; 1911 年 Sherman 反トラスト法違反であるとして 34 の会社に分割された》.-----------------------------------------------父親は苦労人のようですが、ディラン自身は何の不自由もなく、家族の愛に包まれて育っていたのでしょう。
2006.04.06
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ヤフオクで安く出ていたので、平安隆さんのアルバム『かりゆしの月』を買った。ウチナーグチ版「満月の夕」を歌っているのは知っていたが、どんな人なのかまったく知らなかった。 →平安隆 official web site →平安隆ファンサイト『かりゆし』元々はギタリストで、喜納昌吉&チャンプルーズに参加していたんですね。ファーストアルバム『かりゆしの月』(1998年)はソウル・フラワー・ユニオンの河村博司&中川敬プロデュースだそうです。そのせいもあってか、とても聴きやすいアルバムです。平安隆さん、他にもいろいろ聴いてみたいなと思っています。 →幻泉館日録:満月の夕 #2
2006.04.06
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岡林信康さんのライブアルバムが届いた。1973年の大晦日から1974年の元旦にかけてのライブ。伊藤銀次(g)、松本隆(ds)、細野晴臣(b)、矢野誠(org)、鈴木慶一(p)、というバンドの音が心地好い。これに岡林のギターとハーモニカと歌が乗るのだ。ディランをお手本としていた懐かしい音。2枚組みCDは両方とも40分を切っているようなので、80分用MDなら1枚に収まりそうだ。「ホビット」からアンコールに移る。ああ、懐かしいホビット。もちろんトールキンから採った名前 →「ホビット」自分自身をもパロるファンキー岡林最後の曲「I Shall Be Released」では声をつまらせて、やはり泣いているのだと思う。「岡林~!」「私たちの望むものは、やれ~!」アンコールを求める聴衆に応えて、泣きながら「I Shall Be Released」を歌うのだ。1974年元旦。岡林信康は、もう「友よ」や「私たちの望むものは」を歌うことができなくなって久しかった。 →幻泉館日録:われ解放さるべし1973PM9:00→1974AM3:001. いくいくお花ちゃん2. 毛のないエテ公3. あの娘と遠くまで4. 自由への長い旅5. 家は出たけれど6. 俺らいちぬけた7. 君の胸で8. 見捨てられたサラブレッド9. 黒いカモシカ10. 申し訳ないが気分がいい11. まるで男のように12. 26ばんめの秋13. 金色のライオン14. ホビット15. I SHALL BE RELEASED そう、1973年大晦日、高校2年の冬休みは山中湖にいたのだ。亡き親父様が勤めていた会社の保養寮が山中湖にあって、一泊数百円で泊まれるというので、友人たちと「勉強合宿」と称して泊まり込んだ。電車とバスを乗りついで、歩いて寮に辿りついた。小さな犬がはしゃいで僕たちを出迎えてくれた。ストーブを借りると灯油代がかかるので、5人で一つのこたつに群がって、しこたま出ていた学校の宿題を片付けたり、来るべき受験勉強のまねごとやらをした。なんだかやたらにお腹が空いた。いくらでも食える頃なので、宿で出してくれる御飯が足りないのだ。家にあったお歳暮のハムを持ってきた奴がいて、とてもおいしかった。あの頃は、お歳暮にハムが流行っていたのだろう。湖畔を半周ほど歩いて食い物を買いに出た。今と違って、静かな、とても静かな湖畔だった。外国人が運転するベンツのような車とすれ違う。背筋も腕も伸びていて、日本人と違うねと言った覚えがある。「福原オレンジ」と書いたオレンジを買い込んだ。大晦日にサービスで年越しそばを出してくれたのが、とても嬉しかった。
2006.04.05
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ふと気がついたら、既に「祝春一番2006」のチケットが発売されていたのであった。あわてなくても大丈夫なのだが、今年も行くのだという決意の意味もあって、早速@電子チケットぴあで通し券を購入。明日、近所のチケットぴあで発券してもらおう。春一番のスタッフページでは、出演者一覧が改訂されていた。(4月1日現在分)ぱっと見ても違いがわかりません~。スタッフページ掲示板には嫌がらせのような書き込みがあった。こういう輩はどこにでもいるですね。他人様が楽しそうにしていると、不愉快になるんでしょう。以前、純粋に音楽を聴きに行ったんだから政治的な発言はするなと書いていた奴もいた。そういう人は純粋音楽会とやらに出かければいいだけの話だ。そんなものがどこにあるか、あたしゃ知らないが。掲示板というシステムはどうしてもこういうのを呼んでしまうようだ。ま、逆恨みしてればいいさ。アタシは楽しみに出かけるわよ。 →Haruichiban-Staff Page →幻泉館日録:祝春一番2006
2006.04.05
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花に嵐のたとえもあるが。昨夜の風雨を、桜の花は生き延びたのだ。春の好日。夕陽がきれいだった。作り物のような細い三日月も輝いていた。iPod Shuffleに、ボブ・ディランのアルバムを発表順に入るだけ詰め込んでみた。"Hard Rain"(1976)の5曲目まで入った。273曲、18.1時間、1,010.5MB。つい最近まで私のボブ・ディランは"Desire"(1976)で終わったと公言していたので、ちょうど良いあたりまで入ったということだろう。 →bobdylan.com: albumsiTunesがどこのCDDBを読み取っているのか知らないが、音楽のジャンルは"The Basement Tapes"(1975)だけが「Rock」で、他は全部「Folk」になっている。これはなんだか不思議ね。今回の作業はお試しみたいなものなので、しばらくしたら入れ替えることになるのだろう。ショーン・ペンが朗読している6枚組みのCD版『クロニクルズ』を入れるという手もあるな。 →CD版『クロニクルズ』着あ、10枚組みの1972春一番BOXが届いたら、入れようかな。 →1972春一番BOX(10枚組)そうか、春一番のライブアルバムも、全部入ってしまうな。いろいろ楽しみですわ。 →春一番ライブ '72-'74 →春一番ライブ '75~'79
2006.04.04
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もう週末ではないのだが、ずっとウィークエンド・シャッフルが続いております。 →ウィークエンド・シャッフルiPodに付属していたiTunesというソフトの使い方がよくわからなかったのです。元々PCで手持ちのCDをMP3に変換して聴いたりということをしていたので、iPodを突き刺せばわかるだろうとたかをくくっていたのです。これが、なんだかよくわからない。まず、PCのハードディスクに入っていたMP3ファイルが勝手に転送されてしまいました。ああらら。これはいいのよ。それを削除して、新しくCDをエンコードする。どうやったらいいのか、さっぱりわかりませんでした。簡単なマニュアルが付いていたのですが、そこに書いてある「読み込み」ボタンが、ソフトに見えないのです。やたらにいじっていて、やっと「インポート」と書いてあるボタンだとわかりました。さあ、後はガンガン取り込むだけだと思っていたら、どうもアルバムが勝手にABC順にソートされてしまうのです。とりあえずディランのアルバムを発表順に入るところまで入れようとしていたので、これは困りました。これまたやたらにいじっていて、[編集]→[表示オプション]で[追加日]を表示させて、エンコードした順にソートすればいいのだということに気づきました。iTunesのリストから曲を削除すると、iPodを繋いだ時にそのファイルも削除されてしまうのにはびっくり。iTunesの用語やしきたりに従わなければならないのが不便であります。なんだか不自由な感じがするのね。やっと使い方がだいたい飲み込めたので、また1からやり直し。1962年の"Bob Dylan"から始めて、1973年の"Dylan"までたどり着きました。この段階で「使用済み」が666.8MB、空きが326MBです。ちょうどおなじみの70年代ディランで終わるのでしょうか。 →bobdylan.com: albumsBob Dylan - 1962The Freewheelin' Bob Dylan - 1963The Times They Are A-Changin' - 1964Another Side of Bob Dylan - 1964Bringing It All Back Home - 1965Highway 61 Revisited - 1965Blonde on Blonde - 1966Bob Dylan's Greatest Hits - 1967John Wesley Harding - 1967Nashville Skyline - 1969Self Portrait - 1970New Morning - 1970Bob Dylan's Greatest Hits, Vol. 2 - 1971Pat Garrett and Billy the Kid - 1973Dylan - 1973あら、ダメだわ、やっぱりアルバムのABC順に再生されてしまう。がちょ~ん。iTunesでソートかけただけじゃ、反映されないのね。1973年の"Dyaln"はCDが出ていた時期に買い損ねたので、中古で買ったもの。なぜかオーストラリア盤です。ちゃんとオフィシャル・サイトに並べてあるんだから、再プレスを許可してほしいものであります。御本人もファンもどうでもいいと思ってるアルバムかもしれませんが、私はお気に入りです。
2006.04.03
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