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野田駅で撮影したあと千船駅へ移動し、ホーム端で待っていると8000系の急行がやってきました。8000系は3000系に続く界磁チョッパ制御車です。1984年から1995年にかけて6両編成×21本の126両が製造されましたが、1995年の阪神・淡路大震災で被災・廃車されたため、翌年にかけて補充車3両が製造されました。現在、6両編成×19本の114両が在籍し、主に優等列車で使用されています。上半分がクリーム、下半分が朱色という阪神の伝統的な「赤胴」色を身にまとっています。この日、次々と新しい電車を目にしましたが、わたしにとっては、スタイルは変わったものの、やはり伝統の「赤胴」色は懐かしく思えました。
2009/01/31
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すでにこのブログで何度も書いてきたように、わたしは阪急沿線に住んでいるため、阪神電車にはあまりなじみがありません。中学、高校と、甲子園球場のある西宮市で過ごしたのですが、そのときに若干、阪神電車とのつながりがあったくらいです。1995年の阪神・淡路大震災では阪急、阪神、JRともに大きな打撃を受けたのですが、なかでも阪神の被害は甚大でした。軌道も車輌も使いものにならない状態になったものが多く、これがその後の阪神の経営を大きく圧迫したのではないかと思います。この日は、梅田から尼崎まで手軽な駅撮りを重ねていったのですが、いわゆる「赤胴車」「青胴車」と呼ばれる車輌を中心とした昔の阪神電車しか思い浮かばない人間にとって、今の阪神の車輌は隔世の感がしました。
2009/01/30
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毎週末、あちこちへ出かけて家を留守にしがちなのですが、全く予定の入っていない日曜日ができました。家仕事をするのも1つの過ごし方なのですが、天気がとても良かったため、妻を誘って大阪市内の神社を詣でることにしました。しかし、実は神社へのお参りのほかに、もう1つ目的がありました。そう、やっぱり「鉄」をすることなのですね。へへへ……。参拝する神社は今宮戎社。その前に阪堺電気軌道の恵美須町駅に立ち寄り、大阪に残っている路面電車を撮影しました。通天閣の膝元、新世界に隣接する恵美須町駅は下町情緒あふれる駅です。このときは運の良いことに、オールドタイマーの168号車がホームに停まっていました。ホームの番号を示す丸い表示板と相まって、古き良き「昭和の時代」にタイムスリップしたみたいです。ああ、こういう雰囲気も良いなあ……。1月10日を中心として、京阪神間にある戎神社は大変な人出で賑わいますが、この日は「十日戎」も終わり、今宮戎社の境内は祭りのあとといった感じで、どことなくもの侘しさが漂っていました。「家内安全、無病息災、順風満帆、大願成就」と、僅かの賽銭でここまで頼むか、というほどたくさんのお願いをしたあと、地下鉄大国町駅までぶらぶらと歩き、御堂筋線で梅田に出ました。妻が梅田でウィンドウショッピングをして帰ると言いますので、そこで別れ、わたしは阪神電車を撮影するため、梅田駅に向かうことにしました。
2009/01/29
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上越新幹線に乗って東京駅に帰ってきたのは午後5時を少し回ったころでした。そのまま羽田空港へ移動しようかな、と思ったのですが、「少し時間があるけれど、ここで待っていれば『富士ぶさ』の入線が撮れますよ」というアドバイスに従い、そのまま新幹線ホームに残ることにしました。終焉が近づいているため、入線の時刻が近づくにつれ、「富士ぶさ」発車ホームの端にはかなりの人数が集まってきました。ただ、立ち入り禁止区域の制限がかなり厳しく行われていますので、牽引機を前から撮影することはできません。その点、新幹線ホームからだと軽く見下ろす形で撮影できます。しかし、客車の部分に柵がかかってしまうのと、機関車の前面にも階段の手すりが写り込みますので、こちらも完璧とはいえませんが、とりあえず撮影できただけでもマシと言えるでしょうか。
2009/01/28
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「もし、間に合ったら高崎運転区の機走線で入庫するEF55を撮りませんか」。品川530さんから、またしても絶妙な提案がなされます。そして途中の道も全く渋滞にあわず、すんなりと高崎まで帰ってくることができましたので、朝の出庫を撮影したのと同じ場所で入庫を撮ることにしました。わたしにとって、EF55との出会いはこの日が初めてです。そしてこの日、EF55は現役の活動に幕を下ろすわけですから、最初で最後、まさしく一期一会の撮影チャンスとなりました。今後、EF55は鉄道博物館へ収められることが予想されていますが、将来、博物館の展示室でEF55に再会することがあったら、「わたしは、あなたの現役最後の日の姿を拝見させてもらっていますよ」と報告するに違いありません。機走線をDD51と手をつないでゆっくりとファイナルランをしたあと、運転区のヤードで切り離されたEF55とDD51は、それぞれのねぐらへと帰っていきます。「ムーミン」というニックネームがすんなりと納得できる特徴的なサイドビューもこれが見納めです。今、わたしは歴史的な瞬間に立ち会っている。そう思いながら、緑の旗とともに遠ざかっていくEF55を見送りました。
2009/01/27
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返しの列車はDD51が先頭にたち、EF55はぶら下がった形で高崎まで運転されます。これまた光線状態やタイガーロープの有無、編成の入り方など、あらゆる条件を計算しつくした上で品川530さんから撮影場所が提示されます。ええ、ええ、ここでいきましょう。それにしても、原色のDD51が、これまた原色の12系客車を牽くというのは、少し前まで「SL北びわこ号」の回送列車で見ることができたのですが、今ではEF65PFに変更されていますから、これはこれで貴重なシーンです。最後尾のEF55を後追いで撮るのが、この場所での本命のカットではありますが、わたし個人的にはDD51の方にも結構気合いが入ったりして……。
2009/01/26
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信越本線の撮影ポイントを知りつくした品川530さんのエスコートに、大船に乗った気持ちで身を任せ、とりあえず往路はしっかりと押さえることができました。「では、横川駅に行って、ファンに囲まれるEF55の姿でも撮りますか」の提案に、もとより反対があろうはずもありません。それにしても、峠の釜飯で有名な横川駅は想像を絶する混雑ぶりでした。記念入場券を求めるファンで長蛇の列ができていましたし、構内、特にEF55が停まっているホーム端は立錐の余地もありませんでした。でも、行き止まりとなっている横川駅に隣接した自転車置き場からEF55を眺めることができ、そこはちょっとした撮影ポイントになっていました。ファンが入れ替わり立ち代りカメラを向けており、わたしも前列の人が撮影を終えたあと、交代でシャッターを切らせてもらいました。そのとき、一番手前にいる白い帽子をかぶった少女の存在が少し気になりました。退屈しているのか、足をブラブラさせながらホームに座り込んでいます。おそらくお父さんと一緒に来たのでしょう。しかし、お父さんはEF55の撮影に夢中になり、彼女を放ったらかしにしているのかもしれない、などと勝手な想像をふくらませてしまいましたが、そう思っても不思議でないほどのフィーバーぶりでした。
2009/01/25
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関西の人間にとって、埼玉・群馬・茨城・栃木を区別するのは、ちょっとした苦労が伴います。品川530さんのエスコートで信越本線の撮影ポイントに向かったのですが、レンタカーの車中でもその話題になりました。「『今、高崎で撮影中。これから車で信越本線の撮影ポイントに向かう』と、さっき妻にメールを送ったのですが、おそらく彼女は高崎という町がどこにあるのか、理解できないと思います。かくいう私も、ここが埼玉なのか、群馬なのかは区別できていません」と言うと、在京の方たちは皆、腹を抱えていました。そんなことを話しているうちに品川530さんが選定したポイントに到着しました。シチサン職人・品川530さんの面目躍如といえる場所です。それにしても、このポイントに着くまで、田んぼが続く平地をかなりの距離、車で走ったのですが、踏切近くや線路と直角になる農道などにはかなりの数の鉄人を見かけました。やはり関東圏は鉄人口が多いわ、と妙に感心してしまいました。
2009/01/24
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翌朝、EF55を撮影するために品川530さんと東京駅で待ち合わせました。酒仙T島さんとは上野駅で合流です。実は、その前夜にもご両人とは中国撮影の反省会を開いており、「いやあ、実に9時間ぶりの再会ですなあ」と笑いながら、高崎までの新幹線シートに身を埋めました。関西に住んでいると、東海道・山陽新幹線にはそれなりに乗る機会があるのですが、上越・長野、東北・秋田・山形新幹線にはほとんど乗ったことがありません。しかもMaxのような2階建て車輌も走っていませんから、迷わず2階席へと進みました。数年前にヨーロッパで乗った2階建て車輌の雰囲気を思い出しました。さて、品川530さんと落ち合うまで、東京駅のホームで上越・長野新幹線を撮っていました。普段、撮影対象とする機会があまりないため、これはこれで新鮮な気分です。そして隣りのホームに停まっている東北・山形新幹線の連結部分を撮っていると、さらにその向こうにMaxが入線してきました。1つの画面の中に4つの車輌が写った新幹線山盛りカットが「本日の思い出の1枚」です。
2009/01/23
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いろいろなブログや掲示板で紹介されていますが、この前の日曜日、JRの現役電気機関車としては最も古いEF55 1号機が、長い運用の歴史に終止符を打ちました。たまたま別件で上京する必要がありましたので、合わせて「さよなら運転」を撮影してきました。折角東京へ行くのですから、3月中旬で運転が終了する「富士・はやぶさ」も撮影したいと思い、朝早くに家を出ました。土地勘と時間に余裕がないため、できれば駅から程近い場所で撮影できれば、と思い、「お立ち台通信」などを参考にしながら蒲田と大森の間にある跨線橋を撮影ポイントに選びました。地図を片手に現地にたどり着くと、すでに10人近い同業者の方が跨線橋の階段に並んでいました。しかし、まだ少しだけ余裕がありましたので、すき間に入れてもらったのですが、来月になればそうはいかないでしょうね。冬場とあって太陽の位置が低く、線路際にあるマンションの影が長く伸びて線路はまだらになっています。しかし、そんな贅沢を言っている場合ではありません。終焉間近の九州ブルトレを記録できただけでも良しとしなければ……。
2009/01/22
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丘の上から俯瞰した列車が走り去ったあとの余韻を噛みしめながら、とりあえず終点の駅を目指すことにしました。しかし、ここ南票はあちらこちらに炭鉱が点在する地であり、ボタを捨てるための線路やトロッコがいたるところで見られます。蒸気機関車ではなく、人力でトロッコを押しているシーンなどに遭遇した日には、思わず「車を停めて」と叫んでいました。途中で寄り道をしていたものですから、終点の駅に着いたときには、日が大きく西に傾いていました。でも逆に、機関車と客車は艶かしいまでの黄色い光で包まれていたのです。金色に輝く蒸機客車に、この次いつ会えるか分からないと思うと、この一瞬を大切にしたいと思う気持ちが沸々と湧き上がってきます。刻一刻と変わる光の量に、めまいのような陶酔感さえ覚えながらシャッターを切り続けました。そして、日没――。メンバーの一人がつぶやきました。「この客車に乗ってホテルのある町まで帰りませんか?」。撮影終了後に蒸気機関車が牽く客車に乗って帰る! なんてすばらしい考えなのでしょう。思いもよらない提案に、否や、があろうはずもありません。規則正しいピッチを刻む上遊のドラフト音を聞きながら、薄暮に覆われた車窓を眺めるのは、この上もない贅沢でした。さて、10日あまりにわたって続けてきた中国SL撮影レポートですが、そろそろ帰国の時刻が近づいてきたようです。明日からはまた違ったテーマで新しいシリーズを始めたいと思います。
2009/01/21
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朝の客車列車を追いかけて機務段まで帰ったあと、朝・昼兼用の食事を摂り、午後の客車列車に備えます。南票の専用線は機務段のある下廟子を中心に北線と南線とに分かれます。ただこのときは、北線の線路が陥没して運行停止になっていたのと、年末で貨物列車が運休になっているため、ただでさえ少ない列車本数は、南線の客車列車を除くと、ごく一部の区間で運用されているディーゼル機関車牽引の客車列車のみとなっていました。南線で午後に運転される客車列車は、機関車が正向きであるのに加え、光線も程よく当たることから、失敗することのできない本命列車となりました。また、外国人のホームページに南線を走る客車列車を俯瞰撮影した写真が紹介されていることが分かり、今回の訪問にあたっては、その俯瞰ポイントを探すのも目的の1つになりました。ロケハンを繰り返し、紹介されている写真と周囲の地形を見比べ、検討した結果、ある地点が浮かび上がってきました。そして、その場所で撮影したのが本日の「思い出の1枚」です。強風で煙が客車に掛かってしまったのは予想外でしたが、今や貴重な客車列車を晴天のもと、俯瞰撮影することができたのはラッキーでした。
2009/01/20
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折り返しの客車列車は、ロケハンを兼ねながら追いかけることにしました。本日の「思い出の1枚」は、火力発電所の冷却塔をバックに走る上遊です。前回訪れた時は気温の高い時期であったため、発電所自体は稼動していたものの、冷却塔からの蒸気は目に見える形で出てはいませんでしたが、今回は氷点下という気温もあり、しっかりと蒸気を上げています。「工場萌えスト」を自認するT島さんは、今回の再訪にあたり、この冷却塔をバックに走る上遊の姿を捉えたいと願っていたそうですが、この1カットでその念願を果たすことができました。
2009/01/19
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白銀専用線で午後の客車列車を撮影したわたしたちは、夕方の飛行機で北京に戻り、そのまま北京発の夜行列車の乗客となりました。思えば、祖国日本では何十年も前に寝台車に乗ったきり、夜汽車の経験は絶えて久しいのですが、2003年から中国の蒸気機関車を撮影するようになって、何度、軟臥車の乗客となったことでしょう。車輌ごとに乗務している専務車掌に乗車券を預け、下車する際に返却してもらうというシステムにも、今はすっかり慣れてしまいました。凍てつく錦州駅に着いたのは午前4時過ぎ。まだあたりは真っ暗でした。乗用車2台に分乗したわたしたちは、とりあえず南票の機務段へ行き、列車の運行状況を確認することにしました。幸い、年末にも関わらず、客車列車は通常通り運行されているとのこと。夜が明ける時間をにらみ合わせながら先を急ぎました。結局、終点の3つほど前の駅で夜明けが訪れ、青い夜をバックに上遊の発車を押さえることができました。そのまま終点の駅へ行き、折り返し運転に備えて行われている機関車の点検作業風景などを撮影しました。本日の「思い出の1枚」は、機関車とその横に停められていたバイクの三輪タクシーを一緒に撮影したカットです。日本では見ることのできないものですが、彼の地では手軽な乗り物として利用されています。
2009/01/17
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白銀機関区の広いヤードには、化学薬品などを運ぶタンク車がたくさん停まっていました。そして機関区に2輌、ヤードに1輌、あわせて3輌の機関車が休んでいたのですが、午後になって業務再開となると、まずヤードの機関車が単機で数キロ離れている工場の方へ出かけていき、タンク車を牽いて帰ってきました。また、機関区で休憩していた機関車のうちの1輌(例のオリンピックマークを付けた2008号機です)も、午後の客車列車牽引に備えて動き出しました。これら2輌を見ていて気づいたのですが、構内での単機走行をものすごい勢いで行うのです。まさに急発進、急加速という表現がぴったりです。そのため、たかが単機と侮れないような煙が出ています。2輌の上遊が相次いで見せてくれたヤード内での爆走は、短時間でタイヤを温めなければならないため、急加速やS字のハンドリングを繰り返すF1のウォームアップランを連想してしまいました。
2009/01/16
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去年のNHK大河ドラマは「篤姫」が高視聴率を獲得しました。今年は米沢・上杉家の家臣直江兼続が主人公です。昨秋、米沢線の国鉄色を撮影に行った折、上杉神社を訪ねたこともあって、正月からスタートしたドラマはついつい見てしまいました。直江兼続は自らの兜の前立てに「愛」の字をつけていることで有名です。そうした兜の前立てを連想させるようなマークをつけている上遊が白銀機関区にいました。丸に横一のマークは煤で汚れており、何が刻まれているのか判読できませんでしたが、戦国武将のようないでたちに心惹かれました。オリンピックのシンボルマークといい、丸に横一の前立ちといい、白銀機関区のスタッフは多分に遊び心を有しているようです。
2009/01/15
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朝一番の客車を牽いていった蒸気機関車の番号が2008号であることは、列車通過後、デジカメのモニター画面を拡大し、画像チェックをしたときに分かりました。思わず「オリンピック号だな」とつぶやいたのですが、まさかその機関車のあたまにオリンピックのシンボルマークがついているとは思いもかけませんでした。そのことに気がついたのは、お昼前に山から下りて機務段を訪問したときです。世界中に感動を与えた北京オリンピックですが、中国人にとっては格別の意味と意義があったと思います。オリンピックは、中国が近代社会に生まれ変わるためのきっかけを与える政治的な一大事業であったことは論を待ちません。すでに何度も書いてきましたが、鉄道の面では、2008年までに蒸気機関車を廃止し、無煙化を果たすと宣言し、強力に推進してきました。そして完全無煙化こそなりませんでしたが、地方のごく一部を残す以外、蒸気機関車の姿を見ることはなくなりました。わたし自身は、中国における終末期の蒸気機関車をこの目で確認することに何とか間に合いましたが、中国各地から急速に姿を消していったこの数年の動きには、驚きとともに落胆の念を隠せませんでした。それはわたしが高校生のころ、日本各地で蒸気機関車が次々と消えていった様子と完全に二重写しになっていたからです。そうした状況のなか、今回のオリンピックマークをつけている2008号機を見たときは、少しだけホッとした気持ちになりました。蒸機を追いやるきっかけとなった北京オリンピックのシンボルマークをつけた2008号機。中国人の遊び心としたたかさを垣間見た気がします。
2009/01/14
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このブログでは例年、鉄道とからめた成人の日のカットをアップさせていただいております。中国撮影レポートの途中ですが、1日だけ割り込みブログです。今年の成人の日カットは阪神電鉄で撮影させてもらいました。テレビでは、全国各地の成人の日の様子が伝えられています。大人になることの意味をはき違えて大騒ぎしている若者もごく一部にはいますが、これは例外的な存在で、大半は素直で気立てが良く、真面目でかわいらしい人たちでありましょう。日本だけでなく、世界規模で急激にかげりを見せて下降線を辿っている経済状況ですが、次代の日本を背負って立つわこうどの未来が、この写真に写っているレールのように明るく輝き、やがては上り坂となっていくことを祈ります。
2009/01/13
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生きている蒸気機関車は、わたしたち人間同様、休憩している間も、その全身から少しずつ息(蒸気)を吐き出しています。そして、そのことが思いもよらぬ芸術作品を生み出すことにもなります。わたしたちが訪れたとき、白銀の町に雪はほとんど積もっていませんでした。しかし、中国の内陸深くに位置するため、当然のことながら気温は低い土地柄です。そのため、あらゆる水分は僅かの間に氷へと姿を変えてしまいます。お昼前に訪れた機務段(機関庫)には2輌の上遊が停まっていました。3年前に訪れたときには、機務段の職員が好奇の視線を投げかけてきましたが、今回はそういうこともありません。わたしたちは静かな構内を歩き回り、好みのシーンを撮影していきました。ふと気づくと、機関車のパイプから、筍のようにつららが長く伸びています。これまでいくつかの機務段に入らせてもらってきましたが、機関車につららが付いているのは、あまり見た記憶がありません。お! と思ってシャッターを切ったのですが、さらに目を転ずると、キャブ(運転台)に上るステップは、それ以上に見事なつららで覆われていました。この機関車は、おそらく一晩中戸外に放置されていたのでしょう。僅かに漏れ出した水が、かくもすばらしいつららを作り出したのだと思います。真冬の、極寒の地ならでは、の光景です。
2009/01/12
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朝一番の客車列車と、その返しを撮影したあと、次の貨物列車に備えて撮影ポイントを変えることにしました。場所はそれほど離れておらず、線路がS字を描いているところも似ているのですが、駅の手前という場所柄、開けたロケーションになっています。専用車が撮影ポイント近くに到着すると、同行のメンバーはそれぞれ思い思い、自分の好みに従って撮影場所を選びます。わたしは、小高い丘の上から線路を見下ろす場所を選択し、そこへと続く坂道を上りましたが、わたし以外は線路を水平方向から見る位置を選択したようです。わたしが立つ俯瞰ポイントはサイドから逆光気味に光が当たるのですが、友人たちの場所は順光に近い位置取りとなります。中国の貨物列車は、日本ほど、運行時刻がはっきりとしていません。10時か11時ごろ、とアバウトな場合が大半です。当然、10時に備えてセッティングし、待機するのですが、予定時刻が過ぎても来なければ、あとまだ1時間待たないと来ないのか、とがっかりします。冬場は零度に近い(それより下がっているときも多々ある)気温の中、屋外でじっと待つのは正直、つらいものがあります。中国で蒸機を撮影すると、「忍耐」という修行を積むことができます(笑)。分秒たがわずに運行される日本の鉄道の正確さを、改めてすばらしいと感じるようになります。この日の貨物も、10時が過ぎたにも関わらず、やって来ませんでした。やはり、11時か……。同行してくれている中国人のガイドさんと、よもやま話をしながら時間をつぶしましたが、11時を過ぎた頃、山2つほど越えた彼方に蒸機の煙と思しきものが見えました。それから10分くらい経ち、ようやく機関車のブラスト音がはっきりと聞こえるようになってきました。それまで何回となく繰り返してきた露出やフレーミングの最終的なチェックを行い、本番に備えます。貨車は空車とはいえ、勾配がきついため、わたしが予想していた以上に煙が上がっています。立ち昇る爆煙を収めるため、少しワイド側に画角を修正しなければなりません。とてもうれしい誤算です。速度が遅いため、縦位置、横位置、また縦位置と、フレーミングを変えながらシャッターを切っていきます。逆光気味のため、かえって煙に立体感が出ました。機関車がS字カーブの構図にフレームインし、フレームアウトするまでの約1分間は、表現のしようがないほど至福の時間でした。気がつけば、フィルム1本分に相当する30数カットを撮影していました。そして列車通過後、隣りでシャッターを切っていたガイドさんと大きくガッツポーズを交わしたのです。
2009/01/11
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今日からしばらくの間、昨年末、中国で撮影してきた蒸機の写真をご覧いただこうと思います。今回は5日間の日程で2ヵ所の線区を訪ねました。1つは甘粛省の白銀、もう1つは遼寧省の南票という路線です。関空から北京入りしたあと、中国の国内線を乗り継いで2時間、甘粛省の蘭州空港へ降り立ちました。国内線で2時間といえば、大阪からだと沖縄へ行くのと似たような距離になり、これだけでも中国の広さを実感できます。蘭州はシルクロードと密接につながりを持つ土地でもあります。シルクロードの旧道近くにある有名な炳霊寺石窟寺院は蘭州から南西100kmのところ、また、蒸機が走っている白銀という町は、蘭州から車で高速道路を1時間余り走ったところにあります。白銀では上遊(正しくはサンズイヘンに遊のツクリを合わせた字)型蒸気機関車が鉱山の専用線で客車と貨物列車を牽いています。白銀の専用線へは以前にも一度訪れたことがあるのですが、そのときは鉱山会社の警戒が厳しく、現地のスタッフが付き添ってくるという状態でした(でも、対応は非常に友好的でした)が、今回は車のフロントに「入構許可証」を乗せておけば、機務段(機関区)にもほとんどフリーパスで入ることができました。わずか数年で大きな「民主化」の波が訪れたようです。本日の「思い出の1枚」は、白銀の専用線で撮影した朝一番の客車列車です。ほとんど木が生えていない山肌は、淡雪でうっすらと薄化粧をし、そこを真っ白な煙を出しながら上遊が坂道をあえぎ登ってきます。ドラフト音といい、煙といい、一瞬、氷点下の寒さを忘れてしまうほどの感動を覚えました。
2009/01/10
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万博記念公園といえば、「太陽の塔」です。昭和45年(1970)に開催された大阪万国博覧会の会場中央部に設置された岡本太郎作のモニュメントが「太陽の塔」。「芸術は、爆発だ!」と叫んだ岡本太郎らしい作品です。長年の風雨にかなりくたびれていましたが、何年か前に化粧直しが施され、今は往時の輝きを取り戻しています。万博記念公園の近くに来ると、この「太陽の塔」とモノレールを絡めることができないか、といつも思ってしまいます。2007年4月にも一度、「太陽の塔」とモノレールを組み合わせた写真を撮影しましたが、このときは両者が収まる場所を探すのに苦労しました。しかし、万博記念公園駅に来てみると、そうした努力が全くの徒労であったことに気づきました。だって、駅の改札口から外に出て「太陽の塔」を眺めると、目の前にレールと「太陽の塔」が存在しており、お手軽に両者を絡められるのですから……。万博記念公園は桜の名所。こうなると、桜の季節にもう一度、春らしい写真を取り直したい、と思うのですから現金なものです。桜のシーズンの宿題がまた1つ増えました。
2009/01/09
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ジェットコースターの事故により閉園してしまったエキスポランド。これまでなら正月でも若いカップルたちで賑わっていたのに、モノレールの万博記念公園駅前は閑散としていました。閉まっている入場門を横目に、わたしたちはエキスポランドの外周路に沿って歩みを進めました。お目当ては、エキスポランド内に保存されているD51を見るためです。近くに住んでいながら、エキスポランドの中にD51が保存されていることを全く知りませんでした。今年の正月、京都の実家に帰ってきた品川530さんと阪急の撮影に行った折、モノレールからD51が見えるということを教えてもらったのです。それで早速、散歩がてら、どんなふうに見えるのか、観察しに行ったというわけです。保存されていたのはD51 764号機でした。柵のすき間にレンズを差し込み、キャブや動輪などをサイドから撮っているうち、雲間から差し込む夕陽を浴びて、前面のナンバープレートが一瞬、強烈な光を放ちました。たくさんの人が訪れる公園の中、さらにモノレールからも眺めることができる場所に展示されていたということもあって、保存状態は比較的良いようです。しかし、エキスポランドの先行きが不透明な現在、D51 764号機の今後がどうなるのか、とても気がかりです。
2009/01/08
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わたしの家のそばを大阪モノレールが走っており、万博記念公園までも歩いて20分ほどで行けます。中国旅行で留守をしていた間に溜まっていた家仕事をこなしたり、彼の地で撮ってきた写真を整理したりするため、朝からデスクワークを続けていたら、さすがに午後になると飽きてきました。そこで、部屋の中で編み物をしていた妻を誘って、万博記念公園まで散歩することにしました。もちろん、モノレールを撮るためにカメラは持参していきます。これでまた整理しなければならない写真が増えるのに、我ながら懲りない人間です(笑)。万博記念公園駅まで歩く間にも頭上をモノレールが通過していきます。それらをパチパチと撮影しながら、冬枯れの景色の中をゆっくりと歩いていきます。昨年はいろいろな事がありました。ちょっとした不注意から怪我をし、生まれて初めてわが身にメスを入れるという体験もしました。今年はそうした嫌なこと、辛いことが少しでも減り、幸多き1年でありますように、と前を歩く妻の背中を眺めながら念じていました。
2009/01/07
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阪急電鉄では正月の間、その年の干支をデザインしたヘッドマークが掲げられるのが恒例となっています。一昨年はイノシシ、昨年はネズミ、今年はちょっと可愛らしいデザインのウシが描かれています。また、沿線に神社やお寺が多いことから、七福神詣りのヘッドマークを掲げた車輌も走っています。わたし自身はどちらかというとヘッドマークは好きな方なので、干支ヘッドマーク、七福神詣りヘッドマーク、いずれも嬉々として撮影させてもらいました。ところで、新型の特急車輌である9300系は、その車体形状からヘッドマークはつけられないようです。1月3日に撮影している間、ずっと注意して見ていたのですが、どの編成も1つとしてヘッドマークを掲げたものはありませんでした。特急車輌にヘッドマークがつかず、6300系も走らないとなると、来年は神戸線あたりでヘッドマーク付の特急を撮影するしかありませんね。
2009/01/06
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ここ数年、正月の2日か3日には、友人の品川530さんと一緒に「正月の鉄写真」を撮りにいくのが恒例となっています。今年も品川530さんが京都の実家に帰ってこられましたので、3日の土曜に同道させてもらいました。今年のターゲットは阪急京都線の6300系です。長年、京都線の特急として親しまれてきましたが、すでにその使命を終えつつあり、昨年末くらいから品川530さんと、正月には一緒に撮影しにいこうと話していたのです。6300系は、旧型の特急車を置き換えるべく1975年に登場した車輌で、阪急初の電気指令式ブレーキを搭載した5300系と同等の性能に、クロスシートを備え、2扉の車体として誕生しました。特急料金が不要で、かつ豪華な車内設備を持つこの車輌は、鉄道友の会から「ブルーリボン賞」も受けています。しかし、後継の特急車輌9300系が3扉車で誕生し、2扉の6300系はラッシュ時の対応に不便なこともあって、今春からは短編成に組み直され、嵐山線で余生を送ることになるようです。
2009/01/05
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昨日は国鉄色の特急「雷鳥」をご覧いただきましたが、本日の「思い出の1枚」は、その「雷鳥」をベースに、線路の輝きを強調した情景写真です。場所は、ただいま大改装中の大阪駅。夕方の黄色く染まった斜光線が、これでもかと言わんばかりにカーブした線路をきらめかせます。ところでこれは、わたしたち「鉄」仲間でのお笑いネタなのですが、一生の間に見ることのできるギラリの回数は人みな平等に同じ回数で、「鉄」のシーンではない光景、たとえば夕陽に輝くビルを見たとしてもギラリの持ち数が1つ減ってしまう。だから、やばい! と思ったら、その瞬間に目をつぶって貴重な残ギラリ数が減らないようにしなければならない、というものです。本日の「思い出の1枚」である「線路ギラリ」カットは、残数を1個減らされても全く異論はありません。また先日、中国に行ったときも、それはそれはきれいで印象に残るギラリを2度ほど目にすることができました。こんなギラリばかりに出会うことができれば幸せなのですが、不本意ギラリを目にすることも確かにあります。さて、わたしの残ギラリ数は、あといくつくらいなのでしょうか?
2009/01/04
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2009年の撮り初めは、わたしにとって地元フィールドの1つである岸辺駅の近くで行いました。あちらこちらへ出かけて、その土地その土地ならではの景色を堪能するのは「鉄」の醍醐味ですが、やはり身近な場所も押さえておかなくては、と思ったからです。新年の初撮りには優等列車を、と思い、特急「日本海」を狙ったのですが、撮影できませんでした。大阪到着予定時刻を過ぎてなお1時間近く待ったのですが、それでもやってきませんでした。寒かったあ~。日本海側で積雪でもあって遅延が出たのでしょうか? 原因は分かりません。「日本海」を待っている間に国鉄色の「雷鳥」がやってきましたので、それを本日の「思い出の1枚」といたします。個人的にはパノラマ車ではなく、ノーマルな顔の方が好きなのですが、贅沢は言っておられません。この「雷鳥」も車輌置き換えのカウントダウンが始まっていますので、日ごろから押さえておくべき列車のリストに入れておかなくっちゃ。
2009/01/03
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昨日は京阪電鉄の初詣ポスターをご覧いただきましたから、本日の「思い出の1枚」は京阪つながりで、京阪の特急にしたいと思います。私鉄大国・関西では、阪急・阪神をはじめとして、京阪・南海・近鉄ほかの電鉄各社がしのぎを削っています。このブログでもすでに何回か書いてきましたが、わたし自身は阪急沿線で長年生活してきたため、一番なじみが深いのは、やはり阪急電車です。逆に、ほとんど利用したことのないのが京阪電車。昨年末、京阪電車を撮影しにいったのは、これまでほとんど写真に収める機会がなかったため、ぶらり半日旅で撮影しようと思ったわけです。京阪の車体色は基本的にグリーンを基調としていますが、特急は橙色と朱色のツートンカラーです(一部緑色の特急も走っています)。2階建て車輌を組み込んでいたり、テレビを搭載したりと、京阪のサービスは充実しており、特急券なしにこうした車輌を利用できるのは、すばらしいことです。昨秋、叡山電鉄のデオ600を撮影しにいった折、出町柳から祇園四条まで2階建て車輌に乗車しましたが、そのまま大阪まで乗っていきたいと思ったほどです。昨日の元旦は夕方、地元の神社へ初詣に行ったほかは1日、中国で撮ってきた写真データの整理や荷物の片づけをしていました。今日は夕方から神戸の実家で親兄弟と新年交礼をする予定です。それまでに近所で撮り初めができたら、と思っています。
2009/01/02
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あけましておめでとうございます。このブログは2006年1月1日にスタートしましたから、丸3年が経過し、今日から4年目に突入します。今年もがんばって更新していきたいと思っています。昨夕厳寒の中国から帰ってきました。日本も寒いですが、関空に降り立つと暖かいと感じてしまいました。マイナス10度の土地と比較すると、寒いとはいえ、プラスの気温になる場所はやはり暖かいのです。訪中記は後日、あらためてアップしたいと思いますので、乞うご期待!さて毎年、元旦のカットは正月らしい写真をご覧いただいているのですが、まだ撮影に行っておりませんので、年末に撮った写真で正月の雰囲気を感じていただきたいと思います。正月といえば初詣。初詣といえば京都。というわけで、京阪電車の初詣ポスターが本日の思い出の1枚です。京阪を女性の名前に引っかけ、それを京・なにわ言葉で表した「おけいはん」。ちょっとベタなこの呼び方も、京阪神間では定着しています。おけいはんで京の都へ初詣。いかがどすえ?それでは今年も引き続きご愛顧のほど、よろしくお願いします。
2009/01/01
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